プラタイ~PrivateTime~

2011/02/23
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カテゴリ: 生活




マグニチュード6.8の地震がおきた。



ニュージーランド!?と聞いて、

真っ先に浮かんだのは、ニュージーランド在住20年で、

最近お友達になった しひさん のこと。

彼女の家は離れているので大丈夫との事で、ひとまず安心!




ニュージーランドの瓦礫になった町並みを見て、

やはり今回も思い出すのは、阪神淡路大震災。


忘れもしない、

今年16歳になる長男が生まれた年で、お腹にいて、妊娠4ヶ月だった。



それは1995年(平成7年)1月17日(火)の明け方だった。


大阪府松原市のマンション6Fに住んでいる私は、

ド、 ド、 、ド、 という何か得体の知れない"地響き"で目を覚ました。


そして、その直後、

ドーン と、

建物自体が、いったん持ち上がって、落ちた!というほどの、

大きな上下の揺れがあり、



そして、大きな横揺れ!!


‥‥この時、とっさにマンション内のどこかが大爆発したと思った‥‥



それこそマンション全体が左右に大きくしなるように、

ん、


家具は大きく移動し、

サイドボードや食器棚の中のものは、床に落ちて割れて粉々。



あわてて、テレビを着けたら、


震源地は神戸地区だと報道している。

しかも、マグニチュード7.3の大地震!



全身から血の気が引いた。



と、言うのも


私の実家が、兵庫県尼崎市武庫之荘で、


震源地にはウチよりかなり近いから。


慌てて実家に電話したら、母が出て、


「とにかく、まだ真っ暗でちゃんとわからへん。

家中、足の踏み場もないぐらいグチャグチャや。

あの大きくて重たいテレビが床に画面を下に叩きつけられてるし。

とにかく、家族全員無事やから。」


一応、直後の様子がわかって安堵したものの、

それ以後、二度と電話は繋がらなかった。



テレビでは信じられない映像が報道され、

それを呆然と観て、戦慄したのを、今でもよーく憶えている。

阪神淡路大震災


その後、かろうじて、電車が利用できるようになると、

とりあえずお弁当を持参し、やっとの思いで実家を訪ねた。



凄まじい状景だった。

家の前の アスファルトは、 真ん中から割れて隆起 し、

全体が波打つような感じ。


家は 縦に ヒビ それを境に ズレ ていた


かろうじて、原形は留めているものの、

ほとんど全壊に近く、

いつ瓦礫と化すかわからない状態だった。




世界各地で、地震が起こるたび、

いつも当時のことを思い出す。



今回も、

亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、

まだ、不明の方々の一刻も早い救出を心より願っています。





大自然の変動には、

あまりにも人間は無力で、小さすぎる‥









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Last updated  2011/02/23 10:31:45 AM
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