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町の体育大会で疲労困憊し…ぐったり状態からのソウルセラピー。「根こそぎエネルギー持っていかれてるねえ…」とのことで。本当に、見ているだけなのに、どうしてこんなに疲れてしまうのかは疑問だ。そこを深掘りすると、過去生が出てきた。過去生において、王の子どもだったことがあったらしい。ところが、身体が弱く、王になる器ではなかったのに、母親の権力への野心から世継ぎに祭り上げられ、傀儡としての王になってしまったという過去生だった。王という存在は、神からのエネルギーを下ろし、それを民に分配するという役割があるらしい。ところが、病弱だったので、民にエネルギーを分配するどころか、民からエネルギーを吸い上げることでなんとか王として存在していたと。今世では、過去生で人々からもらったエネルギーをお返ししているので、人ごみで疲れてしまうということだそうで。なんともビックリ!そういう理由で疲れてしまうっていうのもあるのか…。まあ、理由はなんでも良いのだけれど。とりあえずそれを浄化していただいたので、これで少しでも楽になれるといいなあ…。とりあえず、今日は昨日よりは格段に体も軽くて、本当にありがたい。昨日できなかった家事にも取り組めたし、動けることが嬉しい!私たちを目の敵にしている人たちのことも、「その人たちに理解を求めても無理なので、軽くスルーできるように浄化しましょう!」と浄化してもらったので、心も軽くなった。ここのところ「エネルギーで状況は変えられる!」と実感する出来事が続いているので…。自分で浄化するというモチベーションが上がっている気がする。運命だからと諦めるのではなくて、自分でエネルギーを操ることは可能である!と神からの啓示を受けているような気持ち。とはいえ、簡単にはできないので、コツコツやっていくことはこれからも大きな課題ではある。でも、すごい時代になってきているのは間違いない。ゴリゴリの物質世代の私からすると、今の状況は友達にはシェアできないなと正直思う。どんどんわかる人とそうでない人が、2極化していっているような…。それもまた、仕方のないことなのだろうけれど。とりあえず、今週末は上京して次の住まいを決め、新たなフェーズへ進んで行く予定。心を落ち着けて、やらなければいけないことを粛々とやっていこう。
2024.10.09
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昨日は、町の体育大会だった。さまざまな苦しみを乗り越えて、長男は走り、結局1位という結果になった。結果的に、いろいろ大変だった事案を乗り越え、丸く収まったように思えた。とりあえず、良かったなと安堵したけれど。身体は重く、心も重い。長男が頑張る姿を見られたことは、嬉しかったけれど。人の思いというものは、重いものなのだと実感させられた1日だった。ここのところ、ネットでも話題になっていたけれど。「不登校の子どもが行事にだけ参加する」ことに対する、人々のさまざまな見解を知って、私は複雑な思いを抱いていた。行事だけ来る子に対し、迷惑をかけられていることを訴えていたり、理解しがたい気持ちを表明していたり、中には「別にいいじゃない」といった少ないけれど寛容な意見もあったりした。実際今回、普段学校に通っていない長男が、体育大会に参加することに対し、他の親や子どもたちから「学校に行けないのに、なんで行事に参加させるの?」というクレームが学校に来ていて、板挟みになった先生から何度か電話をもらっていた。長男が頑張る姿を見せるほど、普通の人たちからすると「普段頑張れないのに、どうしてこういう時だけ頑張れるの?」という疑問が発生してしまうらしい。この「理解されない」という呪縛から、逃れることは到底できないのだろう。不登校は、親である私からしても、理解しがたい部分がたくさんあるから、わからないでもない。普段、普通に学校に通えている子の親たちからすると、ただ怠けているようにしか見えないのだと思う。霊的な観点がないと、ほとんど理解は不能だ。不登校になる子たちは、たくさんの見えない重圧を抱えている。怠けて学校に行かないわけではなく、行けないという状態である。普通の人が難なくできることが、とても難しい。布団から出て、支度をして、学校に行く。ただそれだけのことだけれど、本当に体も心も重く、普通の人の何十倍もエネルギーがいる。それを傍でずっと見ていて、本当に嘘ではないし、怠けているわけでもないことはわかった。こればかりは、体験した人でないと、理解ができないことなのだと思う。今までは、わかってくれる人だけわかってくれれば良いと、自分に言い聞かせていたけれど。さすがに昨日は切ない気持ちになった。「頑張ったね」と言ってくれる人はほとんどいなかった。長男もそれを肌身で感じたようだった。頑張っていないわけじゃないのに。学校に行っていないというだけで、そういう目で見られてしまうのだ。長男はどういう気持ちで、この状況の中にずっといたのだろう。体育大会に参加するだけでも、朝は吐きそうになっていたし、ご飯も食べられていなかった。重い体で布団から出るだけでも、精一杯だっただろう。行事だけ参加すると言っても、簡単に参加しているわけじゃないのに、実際長男の走っている姿しか見ていない人たちからすると、影の部分は見えないわけで。今までの努力からすると、正直、1位になることは当たり前だった。走ることに関しては、本当に頑張ってきたから。確かに学校に行く努力はもうすでに放棄している。でもそれは、散々頑張ってきたけれど、できなかったことだったから…。「学校に行かない」という選択は、認められるべきだと思う。でも、まだまだ険しい道のりであることは確かだ。たぶん、不登校の子どもはこれからも増え続けると思われる。この先の時代は、学校教育も変わっていくしかないのだ。長男のような新しい時代の開拓者は、たくさんの苦難と困難があるのは宿命。私はそれをサポートする役目なのだろう。今日、カウンセラーから言われたこと。「生きていると傷つくことを避けることはできない。大切なのは、その傷つきをどう克服するかというところだよね。」と。人は人を傷つけてしまうし、人から傷つけられてしまう。もうこのことは、避けては通れないのだ。傷つけてしまったことには、心から謝罪をする。傷つけられたら、自分に愛を注ぐ。これしか立ち直る方法はないのだろう。私は今日は何もする気になれず、こうしてパソコンに向かっている。長男はひたすら寝ている。私も、傷つけてしまった人たちに謝ろう。そして、自分の傷だらけの心に愛を注ごう。生きるって切ないとつくづく思う…。傷を癒し、くじけずに、明日からまた生きていけますように。
2024.10.07
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子どもたちとの関係の中で、様々な試練が与えられている。平穏な心でいられる時間も増えてきたように感じてはいるものの。突発的な出来事には、まだまだ翻弄されている私だ。先日は、長男の中学校最後の運動会だった。彼は1年2年の2年間、運動会に参加していない。理由は、「勝ち負けにこだわっているクラスの中に入りたくない」というものだった。確かに長男の中学は、クラス内で紅白に分かれて競技するので、勝ち負けにこだわりがちなこの年頃の中学生にとっては、精神的にキツイ。しかも、人数が少ないので、参加する競技の数も多いし、自分がミスしたりするとかなり辛い思いをすることも予想できる。長男はそこから逃げていた。長男に言わせると「逃げることの何が悪いの!」という言葉に尽きるのだろうけれど。私も半分は諦めていた。ところがお世話になっている量子エネルギー使いの先生から「運動会は行った方が良いですね」というお言葉があり…。お金を払って、エネルギーを使って運動会に行かせることに、これで良いのだろうか?という疑問がなかったわけではない。でも、1回くらいは運動会を体験させたいという思いもあって、セッションをお願いすることにした。そして、本当に見事にセッション後、引きこもっていた布団から出てきて「練習に行くわ」と言った。運動会前の3週間は、学校の午後の時間割は全て運動会に費やされるという特殊な学校なので。そこから毎日、午後からの学校への登校をした。順調に練習を重ねてきた1週間後、「もう疲れた~、無理!!」とまた布団へ逆戻り。1日を布団で過ごすことに…。さすがに焦った私は、再びセッションを申し込んだ。そして…学校に行く→疲れる→布団にこもる→セッション→復活というループを、運動会まで1週間おきになんと3回も繰り返した。セッションが効果があることは明白だけれど、1週間しかもたないということが判明。エネルギーというものの目に見えない力があることを、今回は本当に思い知ったけれど、それが長く続かないという現実にもぶち当たった。そして運動会当日。ここまで練習してきて、組体操もダンスも覚えたし、まさか行かないとは思っていなかった私が、この後、大打撃を受けることになる。「行きたくない!」まさかのまさか、当日の朝。ここで行かなかったら、担任の先生にも顔向けできないし、クラスの子たちにも迷惑をかけることになる…と思うと気が気ではなかった。時間は刻々と迫ってくる。本人によると、「前日に応援ダンスの変更があり、それを共有してもらえなかったから、もう無理だ。参加できない!」というのが言い分だった。「こんなことになるなら、運動会に参加させようなんて思わなければ良かった…」と後悔がよぎる。もうただでさえ、不登校ということでクラスでの立場を無くしているのに、運動会の朝にドタキャンなんて、居場所がなくなるのは必須。私は「お願いだから、行って!!」となりふり構わず、懇願していた。そして、ふと、「やはり私はどこまでも子どもに苦しめられる運命なのだ」と、何もかもが私を苦しめてくるように感じていた。最後の最後、緊急セッションのお願いを連絡し、あとは説得を続けた。「応援合戦は参加しなくていい!だから、遅れてもいいから運動会に行こう!!」運動会開始10分後、やっと会場にたどり着いた。ラジオ体操が終わったところで、100m走にギリギリ間に合った。私は魂を抜かれたように、呆然としていた。長男の「午後一番の応援合戦には、断じて出たくない」という意思は変わらなかったので、お昼に一度連れて帰り、応援合戦が終わる頃に再びグラウンドに送り届けた。応援合戦以外は、普通に参加でき、選抜リレーにも出られて、私はほっと胸をなでおろした。「最初で最後の運動会に出られて、良かったね」と褒めてあげたいところだったが…。正直、朝の悪夢のような時間が、私の魂を抜き去ってしまった。喜べなかった。やっぱり「喜べない」に行きついてしまう。喜ぶべきなんだと思ったけれど…。メンタルが削られてしまっていた。この苦しみを超えていかなければいけないのだと思っている。苦しみからしか学べないから、この苦しみが与えられているのだと。あー、本当にしんどい。そして明日は、この苦しみの第2弾が待ち受けている。続編。どんな結末が待っているのだろうか。できることをやり、審判を受け止めるのみ。
2024.10.05
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ここ数日は心が落ち着いている。凪の状態だ。理由もわからず、心にネガティブが吹き荒れる日もあるけれど。とりあえず今は、平穏な気持ちでいる。以前の私は、凪の状態はほとんどなかった。常に心がざわついていた。ソウルセラピーのセッションを重ねるうち…いつからか、時々平穏な心になれる日がでてきた。そして、その時間がだんだん長くなってきてはいる。たぶん今は、何事もなければ凪が通常なのだろう。また、嵐が起こることもあろうと思われる。でも、嵐が去ったら速やかに凪に戻れるようになりたいものだ。平穏な心を数日間保てるようになってきたのは、大きな成長だと思う。ただ、幸せを実感できているかと言われれば、そこまでの境地には至れていないのが事実。とはいえ、0ポイントにいることはできるようになったのは、私にとっては大きな変化だ。ネガティブが通常モードだった過去。あの頃は、生きるのが辛かった。ニュートラルな心だと生きるのが本当に楽。ここからさらに、喜びを感じることができるようになれれば…。それは理想。本当に長年、私は喜びを感じるにはどうしたら良いかを考えている。今の幸せに気づき、喜びたい。これが私の今の願い。喜びを感知する能力がないのだろうか。心が死んでしまっているのだろうか。わからない。毎日、感謝できることをスマホに記録している。ところが、これが私の罪深いところなのだけれど…。正直に言うと、感謝の気持ちが少ないと自覚している。もっと心から感謝したいのに、形だけの感謝のような気がしている。こう思えたらいいのにと願っても、心は思うようにならない。これが、たぶん私の罪ゆえなのだろう。「そうする」と決めて実行することはできるようになった。でも、そこに感情がついてこない。「心から」「本心で」湧き上がってくることを望んでいるのに。なかなかそれができないのが現実。だから、できているように振舞っている。せめて。いつか、形だけではなく、心からの感謝ができるようになりたいと願う。そして、心からの喜びに浸りたい。でも今は平穏なだけでもありがたくは思う。いつも何かに追いかけられ、いつも不全感を持ち、不安と恐怖に苛まれていたから。平穏な自分に浸れるのも、幸せなことだと思う。罪深い私が、いつか許されますように。
2024.09.18
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私をネガティブな気持ちにさせることが目的としか考えられないような出来事。理不尽な攻撃。報われない気持ち。うんざりさせることの繰り返し。その真っただ中で、ものすごい苦しみを感じ、どうにもできない闇に埋もれてしまう。責められたり、罵倒されたりして苦しいのは、罪悪感があるからだ。過去生の罪が出てきて、私の罪悪感は一層増した。自分に絶望した。最近、思う。罪に大小はあるけれど、人はみんな、それぞれ何かしらの罪を背負っているのではないだろうか。その罪を浄化することが、生まれてきたお役目。(まれにご褒美の人生の方もいらっしゃるようで、全員とは言わないけれど)私もそれなりの荷物を背負っている。そして、その得体のしれない荷物の中身がわからずに、ずっと苦しんできた。その荷物は、何とかしてその中身を分からせようと、私に何度も同じことを味あわせてくる。私が背負う荷物の名前、それは…。「人の生きる喜びを奪った罪」その荷物のせいで、私はこれまでの人生、喜びを感じることができずに過ごしてきた。ずっと「なぜ私は幸せを感じられないのだろう、喜びを感じられないのだろう」と悩んできた。恵まれた環境にいるのはわかっている。喜ぶべき環境なのもわかっている。それなのに、相応の喜びや幸せの感覚がなく、そのことが自分を責める要因にもなっていた。何回もソウルセラピーのセッションを受け、いくつもの過去生を浄化してもらった。でも「喜びを感じられない理由」は、簡単には分からなかった。螺旋階段はずっと続いていた。そしてとうとう、この本丸がやっと見えてきたような感じがする。罪を背負っているのは、私だけじゃない。これは人類の課題。だから、罪を背負っているからといって、自分を責めて自分を殺してしまってはダメなのだ。この苦しみを克服するために、苦しみを浄化へのパワーとするべきなのだ。三女の件は、結局、数年間ソウルセラピーで浄化した。あの頃を振り返ると、今の私だったら、もっと余裕をもって対処することができると思う。もう一度、あの場面に戻れたら、暴れる三女を押さえつける行動は変わらないにしても、心は乱れることはないだろうに。でも、渦中にいる時は、必死になってしまう。もっと、俯瞰できるようにするには、どうしたら良いのだろう。数年経てば、今の長男のことすら、可愛らしいと思えるはずなのに。要は、私が自分を整えることが大切。起こってくる出来事は変わらない。でも、それに向かい合う自分が、翻弄されずにいられれば、浄化はもっと進むはずだ。頭を抱えて苦しんで、自分を責めて、今という時間をただやり過ごすだけに費やすのではなく。私を苦しめる目的は何なのか?それを理解して、対応する方が、建設的だ。見つけてほしいのだ。認められたいのだ。理解されたいのだ。謝罪されたいのだ。愛されたいのだ。そして光に還りたいのだ。生じた感情は、なくならないから。私がそれを見つけて、認めて、理解して、謝罪して、愛して、光に還す。これが私のお役目。罪にまみれて苦しむのが、私の役目じゃない。いつでもこのことを思い出そう。
2024.09.04
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昨日は、朝から一日激しい頭痛に見舞われ、辛い一日だった。台風のせいなのかなあ…なんて思っていたけれど。ハタと気づいた。「あ、明日から二学期だった!」教員時代も、夏休みが終わる日は、いつも頭痛になっていた。学校に行くのが嫌な人たちの集合意識の影響だろう。この時期、自殺してしまう子どもたちはどれだけいるのだろうか…。どうか逃げ出して、息を吸って欲しいと願う。5日間ほど、次女がこちらに遊びに来ていた。次女はとても私に似ている。そのせいか、いつも私と体調がリンクする。次女は、いつも「人生に希望がもてない」と言っているのだけれど。そんな次女を励ましたいと思っているのに、私はうまく励ますことができない。それは、私自身がここ数年、希望が持てなくて苦しんでいるからだ。ポジティブな言葉がけをしたいのに、私自身がネガティブだったらできるわけがなく。どうしたら、私は元気になれるんだろう。どうしたら前向きになれるんだろう。ってずっともがいている。今までの人生は、力技でなんとかしてきたけれど…。このところはメンタルが弱弱で、折れそうだった。でも、次女が来たら、なぜか不思議と元気が出ている自分に気づいた。なんなんだろう、これって。私、やっぱり1人じゃ生きられないのかなあ…。男2人とは、相性が悪いのか、なぜかやる気も元気も出ない。不思議だ。そんな次女が、来年は、私と次男と一緒に暮らしてくれることになった。本当に救いの女神としか思えない!!いろいろマイナスに考えてしまう要素はたくさんあるのだけれど。できることを一つ一つやっていくしかないから。とにかく、心折らずに、大丈夫って自分に言い聞かせて。忍耐強く。明るい未来を信じて、ネガティブを浄化していきたいと思う。家族に力を与えられる存在になりたいって。そこだけは、ずっと思っている。でも、邪魔する奴らがいるのだ。こいつらは、ホントにずる賢い。実際に、声を聞こえなくしたり、意識を真っ白にしたりする技を仕掛けてくる。そうやって今までも、長男を前後不覚にして、怒りを引き出してきた。さっきも、まんまとその罠にはまった長男と、最悪のやり取りをしてしまった。奴らの目的は「関係の破壊」どうしたら、奴らに抵抗できるのだろう…。奴らの攻撃は、ネガティブな想念。ネガティブ想念を仕掛けてきて、関係を破壊することが大好き。電話をしている時が一番、奴らの存在をはっきりと感じさせる。大切な話や、肝心なワードを言おうとすると、とたんに電波が切れるのだ。本当にびっくりするくらいなので、逆に笑ってしまう。最近は、長男と次男が奴らのターゲットになっているようだ。私を苦しませるより、子どもを苦しませる方がより効果的だと奴らは分かっているらしい。それが図星だからこそ、私は苦しいし、力を奪われる。こっちに来てからはずっと、奴らとの闘いに明け暮れているように思う。あと、もう少し…。ここが最後の頑張りどころ。諦めたくないし、屈したくない。ここから2か月、またかなり攻撃を仕掛けてくることが予想される。これに抗って、対抗するには…。とにかく、できることをやるしかないんだ。私の知っている全ての知識を動員し、残り少ない気力を振り絞り最後まで抵抗する。神さま、どうか私に力を与えてください。
2024.09.02
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友人が霊視ができる人を紹介するから、見てもらいなよ~と教えてくれた。最近そういうのを受けていなかったので、何かアドバイスをもらえたらいいなと思って申し込んでみた。その方は、ご先祖の声を拾うのが得意なようで、ご先祖様からの声を届けてくださったのだけれど…。結果…ずっとお説教でした!「あなたのことが悪いって言っているわけじゃないけど」って何回も言われたけれど。責められているようにしか感じなかったのは、私の性格が悪いのか?!このままだと、子どもたちのきょうだい関係がうまくいかなくなるから、そこのところを頑張れよという内容だった。まあ、確かに言っていることは当たっているとは思う。長男にとっては、わけもわからず移住についてくることになって、不満もあっただろう。弟に対する嫉妬もあっただろう。だから弟を攻撃してしまう。そんなこと、百も承知だ。全員にとって、気持ちに沿うようにはできなかったのは事実。でも、それって仕方なくない?私だって精いっぱいやってきたのに。なんだかそれを全く認めてもらえなくて、凹んでしまった。叱咤激励なんでしょうね。そういうふうに受け止められない私って、ほんと子どもっぽいのかな。耳に痛いことをたくさん言われて、ただでさえ落ち込んでいたのに、さらに落ち込んでしまった。長男が次男を攻撃するのは、私のせいだそうで。もっと長男の気持ちに寄り添いなさいと。でも、暴言を吐き、攻撃する人に寄り添うのって難しすぎない?ありがたいアドバイスだと思わないといけないんだろうけど…。しょぼんとしてしまった。確かに私は忍耐強くはない。でも環境を変える行動力があるのは、私の悪いところでもあるけれど、良いところでもあるわけだし。忍耐しつづけて、心を病むよりはこれで良かったと思っているけどね!でも、今までやってきたことを否定されているっていうふうに受け止めるんじゃなく。これから気をつけなければならないことを教えてもらえたって思おう。しっかり受け止めて、前に進めばいいんだよね。こういうネガティブなところも、私の悪いところ。他にも、物事に白黒つけすぎるとか、聞く力が弱いとか、甘やかしすぎるとか…。いろいろ言われてしまった。まあ、その通りなので、返す言葉もなかったけれど。物事に白黒つけず、グレーを耐える心の強さを持とう。長男には一緒に生活できるうちに、もう少し向かい合ってちゃんと話をしよう。次女には前向きになれるようにポジティブな言葉がけをしよう。子どもたちの話をしっかり聞こう。しかし、辛口だったな…。でも、耳に痛いことを言ってもらえるのはありがたいこと。謙虚に受け止めて、アドバイスを生かしていく!って気持ちを切り替えよう。
2024.08.27
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時々思うこと。私は困難がいっぱいあるけれど、いつも最後のところでかろうじて助けられる。前回のセッションの結果を受けて、ブログを書いた直後。盛大なえずきに襲われて、トイレで、連続えずき記録を更新。ちゃんと数えなかったけれど、30回は越えてた。まだまだいけると思ったけれど、さすがに苦しすぎて途中で意志の力でえずきを止めた。苦しくて涙ボロボロ。その後、ちょっとすっきりして家事再開できた。何かがえずきと共に出ていった。(ように感じた)実は今、次に住む物件を探しているところで、先週くらいから良さそうな物件にアプローチをかけているところだった。古い建物だけれど、立地が良いし、公園も近くにあるファミリータイプの物件があって。実際に内覧したかったけれど、遠方なのでZoom内覧をお願いしていた。ところが、約束の時間の3時間前「契約申し込みが入ってしまいましたので、内覧キャンセルでお願いしまします」と連絡が入った。がーーーん…。かなりの落ち込み。探している地域は、ファミリー用の手ごろな物件がほとんどなくて、やっと見つけた物件だっただけに、ショックも大きかった。たぶん、なかなかこういう物件は出てこないだろうなと思った。ついてない。でも、仕方ない。そんなこんなの状況だった。そしてセッション後、不動産屋から再び連絡が入った。「さっきのアパートの件なんですけど、大家さんから連絡があって、9月末に退去者が出る予定なので、書類作成を先にしていただければ、優先的に紹介しますよとのことです」天からの助けとは、こういうことだ。やっぱり私は、いきづまっていると助けが入る。今の私にとって、最高のご褒美…。希望があるから、なんとか生きていける。これって真実だ。ちょいちょいご褒美が入るのは、私がヤサグレて、絶望し、浄化をやめてしまわないようにという神さまからのご配慮のように思えてならない。絶望しては這い上がり、また打ちのめされてはご褒美で起き上がる。波の激しい人生だな、ホントに。とりあえず、新しい土地でまたリセットして、次のお役目に邁進するということみたいなので。それを生きる希望にして、また日々を生きていこうと気持ちを立て直している。引っ越し準備も大変だけど、頑張れ私。くじけるな。
2024.08.22
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昨日のセッション結果。世界に犯した罪は、セッションで取り上げられることはなかった。でも「たくさん謝ってくれたので、感謝されていますよ」と。「大きな罪は、これで終了です!というようなはっきりした終わりでないことが多くて、たいていの方はだんだんなくなっていって、いつの間にか大丈夫になっていることが多いから、引き続き頑張っていきましょうね」ということだった。私は自分の罪が世界中にあるということに、かなり大きな精神的ダメージを受けていた。今までさまざまな罪が出てきていたし、たぶん今生はそれを克服しようと意気込んで生まれてきた。(ように思う)そしていろいろ試してはどうにか良くならないかと頑張ってきた。人には優しく、思いやりを持って接しようとか。理不尽な目にあっても、人を恨まないようにしようとか。思い通りに動かない身体でも、自分にできることを自分なりにしようと頑張ってきた。ところが。行きついた先が「世界中に罪がある」という…。なんか正直、ホントにもう、今まで頑張ってきたことが無になってしまったような気持ちというか。絶望感がすごかった。さすがに対象が世界中なんて、どうしようもないだろう。浄化しきれるわけがない。どうりで何をやっても、人が怖いのは治らないわけだ。みんな私を憎んでいる、嫌っているとしか思えない。もう、イヤだイヤだイヤだーーー!昨日のセッションで一番最初に出てきた過去生が。「炭鉱で生き埋めになった過去生」だったのだけれど。その時の私は、グループのリーダーだったようで、生き埋めになっても仲間に「助けは来るから頑張ろう」みたい感じで励ましていたらしい。でも、二次災害の恐れもあり、救出活動は断念されてしまった。そして生き埋めになった人々は亡くなったというストーリー。その時の学びが「どうせダメなら、さっさと諦めて絶望して死ねばよかった」というもの。それが今の私の気持ちとすごくマッチしていて、驚きだった!今の私の気持ちそのもの。いつも不思議に思うのだけれど、その過去生があるからそういう気持ちになるのか、そういう気持ちになっているからその過去生が出てくるのか、どちらなんだろうという疑問。まさにニワトリと卵の関係。「世界中に罪があるなんて、絶望しかないじゃん! いろいろやってもダメだったのは、そういうことだったんだ。 こんなことなら、さっさと諦めて、無駄な努力なんてせずに人生を送ればよかった」やさぐれた気持ちが、頻繁に湧き上がってくる今の私。過去生って今の自分にぴったりのストーリーが出てくる…。ホントに不思議。なんか暗いストーリーだし、救いようがないなと思っていたら。「でも、仲間の人たちは、最後まで励ましてくれたことに感謝しているよ。どうせ死ぬにしても、絶望のまま死ぬより、希望を持ちながら死んでいく方がマシだって言っているよ」と。涙が出た。たぶん、その仲間たちに今の子どもたちを投影していたから。こんな人生で、困難がいつもあって、諦めたくなる日々の中。このまま生きてても、絶望から出られることなんてないかもしれない。それなのに、子どもたちを励まし、叱咤激励し、頑張ろうって言っていることに。自分でも疑問を抱いていた。「そんなことして何になる?」やさぐれて、生きる気力をなくして、疲れ果てているメンタル。「この人が浄化されたら、もう少し生きる気力が出てくるかもね」とのことだった。いつものことだけれど、過去生が出てくると頭がガンガン痛い。どれだけの過去生があるんだろう。もう疲れた。このヤサグレは、しばらく続くのだろうか。自分をねぎらって、愛をかけて、頑張ってるって認めなきゃダメなんだろうけど。絶望が強すぎて、しんどい。今度こそ、間違いを犯さないようにって、固く誓って生まれてきたようだから。それだけに落胆も大きいのだろう。今世だけでは、過去生の過ちはぬぐえないように思えて。でも、今日はいつもよりはマシで、少しは身体も動いているような気もする。少しでも浄化できていることに感謝すべき!と自分に言い聞かせる。ヤサグレ感はなくならないけれど。すべてを投げ出したいと思う気持ちが強い。ホントに、こういう時こそが頑張りどころなんだろうな…。簡単には這い上がれそうにはないけれど。夫との関係も行き詰っているし。これも罪なのかな…。不登校中の次男については、魂から「いい加減に勉強させてください」と言われた。このままだと、考えられない人になってしまうらしい。3年間全く勉強をしなかった結果、1年生の漢字すら書けなくなっていた。書字については、学習障害ではないかとも言われていて。一時期、私が焦っていろいろやらせようとしていたけれど、外部から「無理にやらせても良いことがない」とか言われ、支援教室でも学習支援は皆無で、ここまできてしまった。これに関しても、私の無力感が原因になっている。たぶんここが頑張りどころ。無力感を放置せず、これに向き合うしかないんだろう。しんどい…。無力感を浄化するしかない。自分で。あー、涙出る。
2024.08.21
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前回、7月3日にブログで、だいぶ調子が良くなってきたと書いたのだけれど…。その翌日の7月4日から大きく調子を崩し、今に至る。なぜ、7月4日なのか、しばらくは分からずにいた。7月4日といえば、アメリカの独立記念日だけれど、特に何か関係があるとは思えず…。いろいろキネシで検索してみたけれど、ヒットしなかった。ところが偶然にリールで「その日はハワイアンにとっては悲しい記念日」と流れてきた。その日はハワイの政権が乗っ取られたという悲しい記念日なのだそうだ。フラをやっている人は心に留めておいてというメッセージだった。「これだ」とピンときた。どうやら私はハワイと相性が悪いようで…。最近、ハワイ関連は具合が悪くなることが多いことに気づいていた。クムが来島した時も大きく体調を崩したし、ハワイと名がつく催しの時はいつも体調が良くなかった。ソウルセラピーで相談したところ、「どうやらハワイでの罪がある」とのこと。そうだったのか…。カルマの解消のため、罪があることに対して縁を持つことはよくあることだそうだ。また来た。カルマの解消。ホントに移住してからの日々は、カルマの解消に向かい合うことがすべてだったように思う。しんどい…。でも、感謝しなければいけないことなのだと思う。カルマの解消は辛いけれど、確実に進化しているということだし、ありがたいことなのだから。とはいえ、しんどいというのが正直な気持ち…。もう数えてもいないけれど、何度目かの大きな浄化の機会が訪れたようだ。ソウルセラピーによると、私がイギリス女王の母だった時の罪じゃないかと。ビクトリア女王時代、イギリスは世界中に植民地を作った。たくさんの人が虐げられた歴史。世界中に罪があるなんてとんでもないことだ。この罪を解消するために、私の苦しみがあったのだろうか。確かに私は、原因もないのに、ずっと苦しかった。生きる喜びを感じられなかった。生きる気力がわかなかった。小さい頃「刑務所で暮らしたい」と思っていた。強制されないことには、何もできない自分を感じていたから。この苦しみは、罪を解消するために起こっていたのか?確かに過去生の罪だと考えれば、今世での理由がないことにも納得がいく。こんな大きな罪が解消されるのだろうか?これはどういう仕組みで起こっているのか?「謝っているとセッションで浮上して浄化できる確率が上がる」とソウルセラピーで言われた。なので、心が苦しくなると謝っている。「ごめんなさい」「私の罪をお許しください」今の心は、結構などん底。とても許されると思えないし、こんな罪を犯したと思うと、心が苦しくてたまらない。すごく心が暗くなる。セッションで何か変わるのだろうか。とにかく今は祈ることと謝ることしかできないから、それをやってはいるけれど。セッションまでが長く感じられる。私の禊の期間なのか…。ああ、苦しい。どうか私の心が救われますように。
2024.08.18
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ネガティブなエネルギーを受けないようにする!と決めて、参加した集まり。結果的には、いつもよりずっと楽に過ごすことができたし、帰ってきてからもダメージを感じる度合いが、ぐっと少なかった。これは自分にとっては、嬉しい出来事だった。ところが、その数日後、いつもは平気だったまた別の集まりの時に、油断して何も意図せずにいたら、かなり大きなダメージをくらってしまうという事態になった。本当にもう2度と行きたくないと思うくらいのダメージだったので、ひどく落ち込んだ。わかりやすいネガティブはなかったのだけれど…そんなに甘いものではなかったのだな。やっぱりいつ、どんな時も、意識をすることを忘れるなということなのだろうか…。しばらく検証を続けていかなければならないと思った。さて、今年の3月~5月、体調が急降下して、またもやひどい状況になっていたのだけれど。そんな時、職場で思いもかけない疑いをかけられ、6/2に自分から辞めることになった。一見、ひどい出来事のように感じたのだけれども。仕事を辞めたことが良かったようで、そこからどんどん体調が上向きになってきた。体調が落ちたのには、人からの影響が大きかったことがわかった。自分がまったく思いもよらないことで恨まれていたのだった。呪いや生霊は、本当にあると検証された出来事になった。辞めてしばらくして、やっと、体調の低下から這い上がろうという気力が湧いてきた。とりあえず、寝てばかりでろくに体を動かすことができなかったので、少しずつ運動をするところから始めようと思い立った。こんな気持ちになれたことが、本当に久しぶりで、そんな自分が嬉しかった。キッチンに大理石シートを貼って綺麗にしたり、汚くなっている窓の桟をペンキ塗り直したりと少しずつリフォームにも着手できるようになってきた。何もできずにいて苦しかった私。やっと光が見え始めた。長かったなあ…。何もできないということが、本当につらかった。(仕事には行っていたけれど、家事はほとんどできずで)特に大きな病気でもないのに、体が重くて動けない自分を、受け入れられなくて苦しんだ。巫病という認識ができたのと、その状態から抜け出せたのが、ほぼ同時だった。必要な体験だったのだろうと今なら思える。けれど、きついし、苦しいし、自己肯定感なくなるしで、かなりメンタルは落ちた。でも、ここまでならなければ、ある意味、私は自分を過信してしまっていただろう。「普通にできる、私はみんなと違わない、やればできるんだ」と思ってしまったと思う。「普通でいよう、普通になりたい」私はずっとそう思って頑張ってきた。そして、ある程度、周りから浮かないようにはできていた。そんな生き方から外れるのは、私にとっては本当に怖いことだった。そう考えると、不登校している子たちはすごいと思う。大勢から外れた道を歩むのは、勇気がいる。保証もない、孤独の道だ。私自身も、そういう子どもを持って、不安でたまらなかった。今も不安がないと言ったら嘘になる。でも、何か意味があって、こうなっていると思う。まだまだ私は苦しいけれど、それでも少しずつ、起きている出来事を受け入れられるようになってきている気がするから。今まで苦しんできた長男は、やっと将来への希望を見出して、少しずつ上昇傾向だ。それと入れ替わりに、今度は次男が、不登校と不調の真っ只中で、苦しい日々を送っている。生きる希望を見つけてほしい。楽しいと思えることを見つけてほしい。命を燃やせる何かを見つけてほしい。これは自分自身に対しても思うこと…。
2024.07.03
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自分は巫病なのだと認識したことで、心は少し軽くはなった。巫病と同様に感じていたことに、自分はエンパスではないかというものもあった。これは、同じものを指しているのかどうかは私にはわからない。でも、似通っている部分はたくさんあるように思う。以前、エンパスのスイッチをオンオフするためにはどうしたら良いかという本を買ったことがあった。その時は、読み始めても何かピンとこなかったし、できるはずもないというようにしか感じられずに、最初の方を少し読んだだけで放置してしまった。私にはまだ読むのは早かったし、内容も複雑すぎたのだと思う。昨日、電子書籍で「エンパス能力を人生に活用するための3つの方法」という本を読んだ。これはすごく簡潔に書かれていて、短かったのですぐに読めたし、私にもすぐに理解できた。この本は、「エンパスだとしても、自分にとっていらないと感じたエネルギーは、すぐに変換できる力を持っているということに気づきなさい」という内容。今まで、人の多い場所に行くと、様々なエネルギーを吸ってしまって疲れ果て、逃げるしか選択肢を持たなかった私にとっては、とてもエンパワーされる内容だった。何度でも読み返して、自分の中に落とし込みたいと思った。まだ試していないから、本当にできるのかどうかはわからないけれど。やってみなければ!と強く思っている。このことは、本当に今まで苦しんできたことだったから…。絶対にマスターしたい。実践はまだできていないけれど、いらないエネルギーを変換できるという思想は、すでに私に力を与えてくれているように感じる。今までは、こんな自分を諦めていたし、無力感も感じていた。本では「力を失ったエンパス」と表現されていたけれど、まさに私はそうだった。エネルギーに乗っ取られ、自分ではどうすることもできずにいた。「力を得たエンパス」になると、いらないエネルギーを変換して、愛に変えることができるらしい。私は今まで、エンパスであることを肯定的にとらえたことはなかったように思う。「あなたは敏感ではあるが、脆くはない」この言葉が、すごく自分に響いた。何かの場に行くと、ほとんどの場合、入りたくないと瞬間的に思うようなものばかりだった。もともと幼い頃は、どちらかというと外交的な性格だった私。でも、いつの間にか、自分の気配を消し、なるべく関わらないようにしようとして内向的になってしまっていた。時と場合によっては、外交的にもなれる自分を感じてはいたけれど、なるべくそういう面を出さないようにしていたと思う。今までは、それを意識的にやったことはなかったけれど…。きっと、ちゃんとやってみれば、できることなのかもしれない。次からは、意識してその場のエネルギーを取捨選択してみようと思っている。どうだろう。うまくできるのだろうか。とりあえず、明日、気の進まない集まりがあるので…そこで実践を試みてみるつもり。イメージングとしては、自分が炎になる。すべてのネガティブエネルギーを炎で燃やして愛に変換するというイメージで。うまくいくといいな…。
2024.06.26
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今日は夏至。また一つのターニングポイントなのだろう。今日のテーマは「巫病」巫病というものを知ってはいたけれど…正直、そこまでしっかりと受け止めてはいなかった。昨日、偶然にkindleで巫病の本を見つけて読んでみて、改めて、自分は巫病なんだなと思った。巫病の人は…とにかく普通に生きられない。生きることそのものが大変。具合が悪くなってしまうので、人と交われない。最終的に家から出ず、人とも関わらないことになる。本当に私もそうだ。別に嫌いな人といるわけでもないし、楽しく話すこともできるのに…。疲れてしまうし、一緒にいることに違和感を感じて、気まずい雰囲気を感じてしまうことが多々あり。家に帰ってくると、どっと疲れに襲われて、何もできなくなる。一人でいる時は、平和だ。体が楽だ。マイペースで生きられることに、幸せを感じる。今まで、孤独に苦しめられてきたと同時に、その孤独に守られてきた。つくづく、人の中で生きることの難しさを感じる。巫病の意味は「自分の霊性を認め、自分に相応しい環境を揃えなさい」ということらしい…。とはいえ、私の霊性は、見えないものが見えたり、何か声が聞こえたり、チャネリングできたりといったものではない。強いて言うなら、体で感じる能力が高いということだろうか。とにかく不調をすぐに感じる。疲れた人といると、私の具合が悪くなる。酷い時にはえずいてしまう。この能力は、自分にとっては何の役にも立たないけれど、宇宙規模でみれば何かしらの徳を積んではいるらしい。「吸い込んだ穢れを私の中で浄化すること」これが私の貢献。ソウルセラピー的には、過去生での罪がそうさせているとのこと。本当に長年、体の不調に苦しめられてきた。一つ片づけても、すぐに次の不調がやってくる。やってもやっても終わりがない。もう、うんざりだった。何も信じられなくなったし、生きる気力もなくなった。ついこの間まで、そういう状態だった。今もまだ、生きる気力のなさに苦しめられている。移住してきて、面倒なことから解放されたかと思いきや、体の不調は強くなっていった。その理由もなぜだかわからずにいたけれど…。いよいよ自分と向き合わざるを得なかったということなのだろう。ここでの生活も、あと10か月を切った。ついに、この島ともお別れだ。この島に来てからは、この島に嫌われているのではないかと思うくらい、不調ばかりだった。子どもたちの不登校から始まり、私の体調不良、鬱…。一時は、この島が嫌いになってしまうくらいだった。島の浄化をしてからも、心は晴れなかった。いろいろあって離島が決まって、この家とお別れすることになって…やっとのことで、愛おしさと名残惜しさが湧いてきている。正直、良いお家になったし、良い土地になったと思う。苦しい時に支えてくれた友人とも出会うこともできた。フラと出会い、踊ることができた。畑もやることができた。私が巫病でなければ、ここにずっといて、楽しく穏やかに暮らせるんだろうな…。でも、私の魂はそれを許さないみたいだ。また、新たな土地で、新しいお役目を果たすために。今度はどんな出会いがあるんだろう。この土地に呼ばれたのも、ちゃんと意味があったように思う。ハワイとの関係、島流しの流人、受け入れる島人、自殺者、災害の被害者…全部、私との関係が深かった。あと9か月ちょっとの日々を、愛おしんで大切に過ごしたい。今、一人でいられることができれば、心は穏やかだ。たくさんの心の苦しみにも襲われていた日々を思えば。ここまでこれただけでも、すごい成長を感じる。心が穏やかになれたということは、私にとっては大きな恩恵。すごくありがたい。ずっと苦しかった。今はただ、それだけしか覚えていない。苦しみが過ぎ去った今では、何が苦しかったのかさえ、あまり思い出すこともできないのが不思議だ。巫病を受け入れ、私にできることをやっていく。それしか私には道はないんだろう。
2024.06.21
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長かった不調から、やっと回復の兆しを感じ始めている。それにしても、大変な時間だった。長男の反抗に加え、自分の心身の不調…。現実生活でもなかなかに大きな事件も起こってしまったり。ハードな半年間だったな…。お疲れさま、私。もう、振り返らずにいこう。私って「いろいろな経験をしたい!」って意図してこの世に降りてきたのかな…。ホントにいろいろな経験をしていると我ながら思う。一通り経験したと思うので、そろそろ落ち着いて生活したい…かな。不調の原因は、更年期、土地の影響、過去生の影響…もろもろだとは思う。ただ普通に生活をすることが、本当にできなかった。体が重く、動かない。脈絡もなく、突然不快な感情に襲われる。この世が消滅するのではないかという恐怖、不安、希望のなさに生きる気力が失われる。重い体、痛い関節、頭痛、肩こり、吐き気。毎日、こんな状態。痛み止めを飲まないで、動くことはできない日々だった。今日も2回、バファリンを飲んではいる。でも、飲めば動けるし、気持ちは軽くなっているから。ありがたい。これからどうしていきたいのか…って考えてみた。とりあえず、掃除をしたい。家をきれいにしたい。1年後、ここを引っ越すにあたって、きちんと整えて旅立ちたい。そんなことを考えている。今やりたいことって、それくらいしか考えられない。そして、それで良いと思っている。大変な人生だ。たぶん。でも、子どもを5人も生ませてもらったし、いろいろな土地に住ませてもらった。望み通りの、たくさんの経験をさせてもらえた。体の苦痛が常にある人生だったからこそ、たくさんのヒーリングにも出会えた。やっと、今あるものを大切にして、今を感じることを大切にしていこうって思えるようになった。すでに十分持っている。足りないものは何もない。あとは、余計なものをそぎ落として、自分自身にもっとなっていきたい。自己表現が自然にできるようになれたらなと思う。今の時点では、とにかく目立たぬよう、気配を消して生きていきたいのが本音。まだまだ、何かがあるんだろうね。今はどんなことを自分が感じているのか、それを見つめてみたい。
2024.04.29
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新学期になって、長男が突然覚醒した。だらけた生活から一転、学校にも通い始めた。するとなぜか突然、私の体に異変が起きた。目覚めてから、突然の頭痛と吐き気を発症した。これはいわゆる群発頭痛と呼ばれる症状で、目の奥、首、肩がものすごく痛い。一日中何も食べられない状態で、吐き気に襲われ、何度もえずいた。鎮痛剤も効かない。あまりのつらさに、寝ていることしかできない。何もできないけれど、せめて不調の理由だけでも知りたいと思い、ソウルセラピーにメールしたところ、「サタンです」との返答。ここ数か月、長男からの暴言攻撃もサタン由来だったようで、私はかなりまいってしまっていた。精神的に追い詰められて、発狂したり自己否定に陥ったり…。町のカウンセリングでも相談したり、支援員さんにも弱音を吐き、一人では処理できない状態だった。夫も長男とラインでやり取りしてくれたりして、周りの人たちも心配してくれていた。そんなこんなで数か月。春を迎え、やっと長男がまともになりそうな気配がしてきたタイミングで。これはどうやら、サタンの総決算だったようだ。洗濯機も突然ピクリとも動かなくなり。電源コードを抜き差ししたり、スイッチをいろいろ押してみたりしてけれど、反応なし。見えない世界で何が起こっているのやら…。とりあえず、お手上げ状態で、一日臥せっていた。とにかくサタンの攻撃はすごかった。あやうく私も陥落するところだった。限界近くまでいった。数日後、ソウルセラピーのセッションでは、「すごかったねー。一時期、ホントに危険だなと思った。」と言われたので、傍から見ても相当な追い込まれ具合だったようだ。「サタンって何で憑くんですか?」と聞いてみたら、「やっぱり罪でしょ」ということで。何度も言われているので、「ああやっぱり」という気持ちではある。どれだけ罪が多いのか…。さすがにこう何度も苦しみが続くと、いい加減心が折れる。今日わかったのは、苦しみには「エゴが強い」という理由があるということ。私には「今生を良くしたい」という思いがある。これが執着となっているらしい。「良くしたい」という思いが、むしろ苦しみを生んでいるという…。はあー--。競争心とか、優越感とか、劣等感、傲慢…そういった感情は、だんだんと削がれてきたものの、向上心はまだまだある。向上心もエゴなのか~と少しびっくりした。私の場合、向上心が今を否定する意識とつながってしまうのだろう。向上心=「もっと」もっと健康になりたい、もっと動けるようになりたい、もっと楽になりたい、もっと良くなりたい。私の中には、まだまだたくさんの「もっと」がある。今に感謝し、足るを知るということは、簡単なことではない。その心境に無理やりなることはできない。自分の今は、「もっと」の状態であるのが真実だから。そんな自分を持て余し、じゃあどうしたらいいの?ってなった時。「全てをあきらめるしかない」って思っていたのが私。「どうせダメなんだよ。無理なんだよ。欲してる自分がいけないんだよ。 だから欲しくてもあきらめる。自分の人生もあきらめる。もう無理なんだ…。」そんなふうに自分の人生を投げ出した。何も信じられず、何にも意欲を持てなくなった。つまり絶望だ。ずっと私を支配していた「絶望」の正体が見えた時。たくさんの「諦めていた人々」が私の中から出てきた。そして、諦めていた人々が浄化されていった。ところが、それでも私の心は明るくならなかった。「諦め」の後に残っていたのは、「虚無」だった。諦めることすら選択肢にないほどに、最初から希望すらない世界。それが虚無。なんだか怖いなと思った。でも、実際、今の日本って、そういう状態なのかもしれないと思ってしまった私。そんな風に悲観的になってしまうことが、今の自分の最大の問題なのかもしれない。そんな過程を経て、今回は体にたくさん愛と光を入れてもらった。痛みを取ってもらうことができ、体は楽になった。今までも、セッションで神は何度も奇跡を起こしてくれた。私を絶望から救ってくれている。そうすることによって、私に信じさせてくれている。苦しみが多い分、気づきもあるので、学んではいるけれど。本当に神さまはスパルタだ。私はどうしても、「すごく」なろうとしてしまう。私に刻み込まれている「今を否定する意識」は、そう簡単に剝がれてくれない。とはいえ、まずは気づくところからが必要なので。気づいただけ、良かったと思おう。エゴを剝がすには、「今に在る」という意識が大切らしい。ちょっと今の私には、まだ難しいのだけれど。「今の自分が完全であり、何も他には必要ない」と思えるようになったら、「今に在る」が可能になるのかもしれない。まだまだ道のりは遠い。来世に期待しようと思えたら、気持ちも軽くなるのだろうか。
2024.04.17
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新年度が始まった。今年度は、長男の高校進学について、いろいろと検討しなければならない…。今のところ、ほぼ不登校で部活にしか行けていない長男。定時制か通信制に行くしか、選択肢はないのだけれど。定時制に入学して、果たして通学できるのか?通信制に入学して、果たして勉強できるのか?悩ましいところではある。先日の町のカウンセリングでは「通信制でいいんじゃないの~」と軽く言われた。今どきは、通信制とは言っても、週3日ほどの登校を選べたりもするらしい。制服があったり、部活動もあったりで。不登校の子どもでも、だいぶ選択肢を持てるようにはなってきている様子。とりあえず、長男は部活をやりたいようなので、それを一番優先で考えようとは思っている。あとは、通いやすいとか何を学びたいとか?とにかく、本人のやる気を大切にするしかないのだけれども。どうするのが良いのか、悩むところ…。まあ、本人に部活をやりたい!という気持ちがあるのが救われる。勉強には全く意欲がないようだ。でも、少し羨ましく感じる。私自身は、勉強に対して全く興味がなかったのに、嫌々ながらやるしか選択肢はなく。そして、何も頭には残っていないという悲しい現実。あの頃の時間を返してほしいな…って思うくらい、勉強がつまらなかった。一番体力があって、一番時間があったあの頃に戻って、もう一度やりたいことに挑戦したいな…。なんて、私は思ってしまったりする。高校時代って、いろいろなことを吸収できる、素晴らしい時期だと思うから。子ども達みんなに、機会が与えられますように。我慢してやりたくないことをやるという選択肢を持たない長男は、素晴らしい子なのかもね…。育てるのは、なかなか大変ではある。本当に学ばせてもらってもいるけれど。三女は都立を退学し、高校卒業の資格が取れる調理の専門学校に再入学した。これは思ってもみなかった進路だったけれど、私からすると羨ましい限り。やりたくない勉強を頑張るのって、本当に無駄な努力としか思えないので。私は。選択肢が増えていることは、本当に素晴らしいと思う!ゆっくりであっても、教育が進化していることが嬉しい。子どもたちが、私のような後悔を持つことがないように…と願う。まあ、あとはお金の問題だったりする…。親は頑張って稼ぐしかないけれども。「なんでこんなに教育にお金がかかるの~!!」と思わざるを得ない。我が家のように、子だくさんの家庭は本当に大変。正直、行きたい学校に行かせてあげられるかという面では、本当に苦しい。なんなんでしょうね、ほんと。とてもやるせない思いになってしまう。まあどうしようもないことに悩んでも仕方ないので。できる範囲で頑張るしかないのだけれども。いろいろ思うところがある日々。
2024.04.10
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離島に移住して5年目に突入。島生活にも、すっかり慣れたのだけれど。あと1年で東京に戻ることに。理由はいろいろあるのだけれど、一番は末っ子次男の学校問題。周りの子と馴染めず、不登校になっている今現在。からかわれやすい温厚な性格で、からかいのターゲットになっていた時期は確かにあった。蹴られたり、殴られたりもあった。次男は、いじめがあった時に担任の先生が、見て見ぬふりをしていたのを恨んでいるとも言っている。確かにいろいろあった。クラスのトラブルを隠蔽した担任について、私も母親としてもっと気づいてあげられていたら…と反省もした。でも、問題の担任が去り、新しい先生になってからは、きちんと対応してくれた。本人も元気になってきている。ただ、繊細な性格は、本人曰く「ここの子たちと合わない」らしい。合う合わないは、確かにあるんだろうと思う。島に引っ越してきた時点で、小さな集団は出来上がっていた。自分から話しかけられなかった次男は、1週間誰とも話すことができなかった。今でもあの時、自分から話しかけられなかったことを後悔している次男。幼いがゆえに残酷だなと思う。外から来た異物に対して、そういう反応になるんだなとびっくりした。都内だと、逆に転校生がめずらしく、話しかけられないなんてあまり考えられないけれど。島は公務員、警察官の転出入が激しいので、新しい子はめずらしくもないのだと思う。次男なりに友達を作ろうと頑張ったようだったけれど。2年が経ち「友達ってどう作ればいいのか、わからなくなっちゃった…、もう疲れた…。」と力尽きた。何がどうなってこうなってしまったのか、正直、私もよくわからない。私のせいもあるのかもしれないと思う。次男のクラスには、ママ友ができなかった。コロナ渦の一番激しい時で、懇親会も親睦会も開催されず、なんとなく周りと疎遠になってしまった。気づいた時には、次男本人がそういう集まりを嫌がるようになっていた。習い事やその他のことで、ママ友と仲良くなるきっかけもなく…。そのうち、私も諦めてしまった。一番下の子だったので、周りのママたちと年齢差があるのも、原因としてあったかもしれない。とはいえ、原因を探したって仕方がない。そして、三女も島の高校での友達とのトラブルで退学し、都内に戻った。長男も島の高校には進学したくないと言っている。私自身は、島の大人の人間関係で困ったことはなかったけれど、子どもの世界は思った以上に複雑で難しかったようだ。「子どもは適応力があるから、大丈夫」だなんて高をくくっていたけれど。甘い認識だったかもしれない。そんなこんなで、長くいようと思って引っ越してきたのだけれど。5年で去ることになった。残すところ、あと1年。三女が、「もっとハンモックに乗ればよかった」とか「もっと海でお弁当食べればよかった」とか言っているので、思い残すことのないように、島の環境を楽しみたいと思っている。友達を作れず、自信を失ってしまった次男には。これからどうしていったら良いのか、正直、私もわからずにいる。何が良いのか悪いのか…。判断するのは正直難しい。ただ、とても優しい子で繊細であるがゆえに、傷つきやすく、引きこもりやすい傾向がある。今の環境に馴染めないのも、ある意味仕方がないとも思える。でも、無理に我慢させたりはしたくないけれど、もっと楽しい生活は送らせてあげたい。次男がお腹に宿った時、その時習っていた量子医療の偉い先生に診てもらったのだけれど。「この子は男の子。地球外の星から来た魂。既存の教育システムには合わないから、学校には行かなくなるだろう。」って言われたことが、当たっていたことに今更ながら納得。新しい教育システムを求めるしかない。それが、次男に合っているかいないかは、やってみないとわからない。1年かけて、次のステップへの準備をしよう。また新しいフェーズが始まるんだな…。来年の今頃は、もうここにはいない。
2024.03.31
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昨日、長男が修了式に出席し、午後は部活に行くというので、久しぶりにお弁当作りを頼まれた。弁当を作っていると、長男が起きてきた。「あー、学校行きたくない!なんで行かなきゃなんないの?!意味ないし!!」くどくど愚痴をはきつづける。ちなみに、私は一言も学校へ行けとは言っていない。「明日行くから」と言ってきたのは、長男自らだ。ずっと聞いていたら、気分が悪くなってきた。「行くって決めたのは自分なんだからさ…愚痴言っても、気持ち良くないでしょ」とついつい言葉を発してしまったが。畳みかけるように「そんなこと言ったってさ!!」と怒りのエネルギーを向けてくる。これ以上、私が言葉を発したら、「もう行かない!」と言い出すのは目に見えているので、、、ぐっと堪えた。「雨降ってるから、送ってください」と言われ、車を出す。学校に送り、家に帰ってきて「はああー、しんどかった…」と一息つく。学校には、「行きたくないから行かない」という時期を経て、今はいろいろな兼ね合いもあり、行こうという選択をしていることは、私も理解している。ところが、朝になると、前日に「行く」と言ったものの、行きたくない気持ちが大きくなってしまう。そして私に「行きたくない」とごねる。最近はこんな毎日だ。「行くと決めたのなら、ぐちぐち言わずに行けよ!」と思ってしまう。毎日、サンドバッグ状態で、不満のはけ口になっていることに私は疲れている。もう、母親辞めたい…。心の中が、重たく苦しい感情に支配されている。それでなくとも、思うようにならない体に鞭を打って弁当を作ったり、食事を作ったり、洗濯をしたり、掃除をしたりしている。それでも、気に入らない味のものだと食べずに文句を言い、手伝いもろくにしない。自分の食べた皿を洗うように言うと「皿を洗わすなんてひどい親だ!」と怒りをぶつけてくる。…こんなことを言う息子の世話をするのは、正直疑問を感じる。「反抗期だから、仕方ない」という気持ちにはなれない。確かに私は子育ては下手なんだろうと思う。よくあるアドバイスに、「ほっとけ」とか「聞き流せ」とかあるけれど、どうしても反応してしまう。挑発に乗ってしまう。これが所謂「反抗期」ってやつなんだろう。わかっていても、反応してしまう。心が苦しい。私は否定されることに弱い。「低レベル」とか「最低の親」というワードで、心折れてしまう。今日から春休み。最悪のスタートになってしまった。しばらくは、接点を少なくして過ごすしかないのだろう。体が痛い。心も痛い。母親って、罰ゲームだ。
2024.03.26
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またまたお久しぶりの更新。ここのところは、毎年恒例の花粉症で、糖質制限中。やっぱり糖質制限は、花粉症には効果がある。くしゃみや、喉のかゆみは確実に減る。これは間違いない。そして糖質制限のおかげで、やっぱりちょっと痩せてきてはいる。体形のコンプレックスはぬぐえないので、やっぱり痩せると心が軽くなるのは否めない。普通に食べて、このくらいの体型を維持したいけれど…。炭水化物を食べると、こうはいかない。どうにかならないものだろうか。とはいえ、ストレートリンゴジュースは飲んでも花粉症はひどくならない気がする。完全な糖質制限は、以前調子を崩しているので、何かしらの糖分補給は必要。米・小麦が食べられないストレスを緩和したい。症状がひどくならない食べ物を見つけたい。どうも果糖は大丈夫のような気がするので、ちょっと人体実験を続けてみたいと思っている。先日、横浜で占いをしてもらった。その時に「調子が悪い時に、ご自分を絶対に責めないでくださいね」というアドバイスをもらったのだけれど、考えてみたら、日々自分が自分を無意識で責めていることが多いことに気がついた。調子が良くない時は、自分を責めている。例えば…今朝、だるくていつもの家事ができなかったのだけれど、その時、「やらなくちゃ!」という気持ちで自分を追い込んでいた。これって意識しないとわからないのだけれど、こういう思考回路は癖になっていた。何をしていても「今、やらなくちゃいけないこと」に意識を取られて、自分を無意識に責めてしまう。「やらなくちゃいけないこと」は自分が勝手に決めていることで、誰かに強制されているわけではないのだけれど…。いつも何かに追い立てられているような気持ちになってしまう。意外と自分を責めないって難しい。徹底的に「自分を責めない」を意識しないと、本当に簡単に自分を責める癖は出てきてしまう。まずはどれだけやっているか自分を観察して、気づいていくことが必要だろう。そして今日は東日本大震災の日。まだまだ成仏できずにいる魂も多くいるだろう。少しでも、光に還ることができますように祈った。今朝はとても眠くて、いつも以上に身体が重かった。これも今日という日の影響だろう。日本という国に住んでいる以上、災害から逃れることはかなり難しいと思ってはいる。いざ、その時が来た時に、取り乱さずに行動できるように祈りたい。以前にソウルセラピーで、未来を浄化してもらったことがあり…。いつか災害に襲われた時の恐怖を、浄化されたのだった。ってことは。いつか来るってことなんだよね…。わかってはいるものの。やっぱり怖い。その時に向け、できることをやるしかない。そして、恐れに飲み込まれず、自分の中を浄化して、日々を大切に生きる。わかっちゃいるんだけれど。なかなか難しい。
2024.03.11
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今日は調子が悪いので、最近良くなっていることを思い出していきたいと思う。とりあえず、明るくいられる時間が増えてきた気がする。演技ではなく、心から笑えることがあることが嬉しい。大きな闇が出た後は、しんどかったなと思うけれど、確実に良くなっている感覚もある。夜の仕事も3か月経った。働けるということは、やっぱりありがたい。しんどいとも思うけれど、社会との接点があるということで救われる部分がある。やっぱり精神的に健全でいるには、こういう環境は大切だ。そして、フラも続けている。心から笑えない自分に劣等感があって、何度もやめたくなった。でも、細々とでも踊り続けていて良かったなと今は思う。ここで知り合った仲間との交流が、私の人生を彩ってくれている。決して多くはないけれど、心の内を話せる友人もいる。友人がいるという心強さは、本当にありがたいと思う。日々、気づきがある。今は更年期の真っ盛りだけれど、更年期という時期をマイナスにとらえるのではなくて、新しい自分になるための試練だと捉えることにする。不安になりやすい性格の自分に、愛をかけて不安を溶かしていく。本当に調子の悪い時こそ、良くなっていることを信じて、前向きになっていきたい。一方で、人間が抱えている闇の深さを実感する日々でもある。本当に、どれだけの闇が自分の中から出てくるのか、正直怖くもある。以前に、誰だったかは忘れたけれど、誰かに「過去生なんて知らないほうがいいよ!そんなの知って何が楽しいの?」と強く言われたことを覚えている。その時は、ピンと来なくて「なんでこの人はこんなに強く言うんだろう?」と思ったけれど。今になると、その言葉の意味が分かる。確かに、過去生は闇が大きくて恐ろしくなる。過去生を知ってしまい、絶望して自殺してしまった人もいるとか。自分が一番嫌っていることを自分がしていたと知ったら、それは自殺したいくらい嫌な気持ちになるだろう。私も自分の罪に恐ろしさを感じたし、決して許されるものでもないだろうと思った。もちろん、今も完全に受け入れられているわけではないけれど。光と闇は同時に存在するものであるということも事実なのだと思う。悪が存在するということは、神がそれを許しているということらしい。「たくさんの罪を浄化しようって生まれてきた、チャレンジャーな魂なんだね!」って以前に言ってもらった言葉を励みにしたいと思う。「光が大きいからこそ、闇も大きいんだよ」っていう言葉も励みになっている。自分を責めてもどうしようもない。魂は、自分を否定することを嫌うそうだ。だから、自分がしてしまったかもしれないことを謝ることはしても、今の自分を否定することはしない。もう二度と、同じ過ちを繰り返さないと誓うしかない。そんな思いで、自分の中のネガティブを拾っていく。そして、その思いに光を当て、愛をかけ、溶かしていく。溶かすという表現はしっくりくる。確かにあったその思いが、だんだんと薄らいで消えていく時、溶けているのだなあと実感する。まだまだたくさんのネガティブな思いが私の中にある。毎日、コツコツと、それを溶かしていくということの大切さを感じている。今日は、体調が絶不調で、子どもたちもぐったりなので、こんな風に人生が良い方向に進んでいることを確認して、自分を勇気づけてみた。人生、晴れの日もあれば、雨の日もある。正直、雨や曇り、嵐の多い人生ではある。生きるのって辛いことが多いなと思う。でも、確実に晴れの日があることに感謝していきたい。
2024.01.22
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今年に入ってから、春分・夏至・秋分と必ず体調不良に見舞われていた。今回の冬至もどうなるのか不安があった。結果的には、頭痛や関節痛などの痛みはあったものの、寝込むほどではなかったのでほっとした。とはいえ、具合が良いわけではない。今年一年振り返ると、体調に振り回された一年だったと思う。ずっと課題である「自己浄化」のスタートラインに立てたということは評価したい。痛みというものがなければ、向かい合うこともできなかった。そういう意味において、痛みも必要なものだった。痛みは嫌だけれど。でも、嫌だからこそ、やるしかないという気持ちになるのは事実で。こういうことでもないと、できない私である。それは悔しいけれど、認めないとならない。来年は「自己浄化」をもっと習慣化してやれるようになりたいし、その効果を実感できるようにしたいと思っている。浄化をすることで痛みが取れる感覚が少しずつ掴めてきているので、これをもっと確実にできるようにしたい。ここまで来るのは長かったな…。成長が遅すぎて、なんだかなと思うけれども。正直、今、自分の闇を見て、鬱になりかけている。でも、そこを超えていくしかないという覚悟もある。そして、そういうチャンスを与えられていることを感謝したいと思う。冬至の午前中は、今、継続して受講しているスピリチュアル講座でのペンデュラムについての学びだったのだけれども…。なぜだかわからないけれど、しんどくて、途中でリタイアしようかと何度も思うくらいだった。正直、ペンデュラムにはあまり興味がなかったのもあったかもしれないけれど…。途中で猛烈な眠気に襲われたり、頭痛、首痛、吐き気もひどかった。あまりに体調が悪かったので、午後はヘナ風呂に入って浄化をした。なんとか持ち直して、夜は焼き鳥屋の仕事に行ったけれど…。まあまあにしんどい冬至の一日だった。「自分を許す」という課題が現れた今年だった。闇が深すぎて、飲み込まれそうにもなっている。でも、自分にはそれだけの闇を背負う器があったのだと思うことにする。来年はもうちょっと楽に楽しく生きられるようになりたい…。
2023.12.23
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普通の人のように人生を送れない。当たり前と思われていることができない。私はずっと、そんな人生を送っている。ずっとそれについて、なぜなんだろうと疑問を抱いてきた。10月からヒーリング講座を受けている。その中でいろいろな疑問に対して、理解ができるようになってきた。その中でも「私はずっと自分を許せないでいる」ということについて。今までも、ソウルセラピーではたくさんの過去生での罪が出てきて、その度に浄化してきた。「過去生の罪」というものが、今の人生にたくさんの影響を与えていることがわかった。ヒーリング講座の先生であるSさんは「器が大きかったのね」という風に優しい表現をしてくれるのだけれど…。やっぱり私の過去生は、権力者であったり、武士であったりとたくさんの人に影響を与える人間だったらしい。そのために、罪もたくさん犯した。そんな自分を変えたいと強く願い、今世ではよい人間になろうと思って生まれてきたけれど。(たぶん)自分の中にある罪悪感や、罪の意識というものは簡単には消えなかった。理由のない罪悪感や、自己否定感にずっと悩まされて生きてきた。それと同時に感じるのは、「こんなはずじゃないのに」という思い。もっと自分はできるのに、やれるのにという思いも強烈にあった。でも、それを表現することは絶対にできない。阻まれることもあれば、自分から降りることもあった。なぜこういう人生を生きているのか、本当にわからなかった。今生は、「自分を許す」ということがテーマになってきているような気がする。過去生でのたくさんの罪を謝罪して、自分を許していく。決して許されることがないと思っている大きな罪が、神には許されるのだと知った時。涙が止まらなくなった。でも、自分自身で許すことがまだまだできないし、それには時間がかかるようだ。そんな簡単には許したくないという思いがあることを感じる。それだけ、人間にとって罪を犯すということはずっと自分の中に残ってしまうものなのだろう。いくら神に許されても、自分自身では許せなくて自らを罰し続けてしまう。そういうものなのかと思うと、それはそれで、人間とはかわいい存在だと思える。だから、好きなだけ苦しむしかないのだろう。もう十分と思えるまでは。納得するということは、大切なことだ。今まで、ずっと疑問に思い続けてきたことが、こうして腑に落ちるという思いになってきたこと自体が、自分の成長だと感じる。「全部、自分で選んできているんだよ」と言われることが、一番嫌いで腹が立つ言葉だった。こんなに苦しくて辛いことを、自分が選ぶはずがないと思った。意味がわからなかった。でも、やっと「自分が自分を罰している」ということに気が付いた。罪悪感にも自己否定感にも、ちゃんと理由があった。許したくなかっただけだった。思い出したくなかっただけだった。自分がしたことをすべて思い出すことはできないけれど、しっかり罪悪感だけは残っているのだ。思い出したら死ぬほど苦しいのだとも思う。この間、頭痛で一日中苦しかった日があった。その日の前後、ずっと一つのイメージを見ていた。それは子どもの頃にテレビで見た「西太后」の映画のシーンで。なぜかその場面だけ、ピンポイントで見てしまったのだった。西太后という中国の王妃が、気に食わない女性の手足を切り落とし、生きたまま壺に入れるという残忍な映画の一場面だ。子どもだったけれど、その場面のあまりの恐ろしさが脳裏に焼き付いた。それがなぜか突然思い出されて、頭の中をめぐっていた。こういった女性の嫉妬や憎悪みたいなものが、過去生においてあったのだろうか。手足を切り落とすというのは、あまりに残忍すぎて考えたくもない。気になりすぎて、ネットで調べると、さすがに手足を切り落とした状態で生きているということはないだろうし、史実でもそういった事実はないとのことだった。あのシーンがあまりに恐ろしかったので、事実ではないと知ってちょっとはホッとした。でも、レベルは違っても、同じような心境になったことはきっとあったのだろう。そんな罪が浮上しているような気がした。その記憶について、自己浄化を試みた。少しは効果があったのか、その場面を思い出して戦慄することはだんだんと落ち着いてきた。今はとにかく、自分で浄化をすることを頑張っていかなければならない。ひっきりなしに過去の罪が浮上し、頭痛がして、毎日が普通に過ごせない状態になっている。今までは頭痛から逃れたくて鎮痛剤のお世話になっていたけれど、ついに効かなくなってきた。もうこれは、自己浄化に励むしか道はないのだろう。正直、本当に逃げたい気持ちに負けそうなのだけれど…。逃げられないと観念してやるしかない。でなければずっと頭痛に悩まされることになるのだろう。
2023.12.11
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子どもたちのインフルエンザから、やはり私も感染…。まあ、家庭内で感染しないなんて無理だとは思っていた。私は熱は出なかったけれど、咳・倦怠感・食欲不振・体の痛みが強かった。そして10日以上経っているのに、まだ調子が悪い。なんとなく吐き気もする。せっかく最近調子が良くなってきたと思ったのに…。体調不良は心の調子まで狂わせる。しかし、ここ最近のウイルスはやっぱり前とは違う気がする。かなり強力になっているように感じる。今回はコロナで治りきっていなかった味覚障害がさらに悪化。何を食べても、口に変な苦みが残る。体調不良と付き合いながら生きていくのは、本当にしんどい。当たり前のことって貴重だと改めて思う。なんだかんだ、いろいろなことがあって、毎日を生きるだけで修行の日々。こうして命をつないでいるだけで、すごいことだ。「自分の個人的な願いは、神社とかではなく、近親霊にお願いするべき」というネット記事を見て、ふともう死んでしまった父・母・祖母を思い出した。私は冷たいのか、今まで親を思っても、涙一つ出なかった。父とはほとんど家にいなかったせいか、思い出はなく。母とは大人になってから、意思の疎通ができずに苦い思いを味わったりしたせいか。正直、感謝の気持ちが沸き起こることはなかった。でも、娘を持って、特に三女が本当に私のことを愛してくれていて、日々私に愛を伝えてくれる姿を見て、私は自分がかわいくない娘だったことに気が付いた。自分のことを、「どうしてこんなに感謝のできない人間なのかな…」と思った。そんな私が両親を思い出すなんて、本当にめずらしいことだ。なんだかんだ言っても、覚えてはいないけれど、小さい頃の写真を見ると、親も祖母も私を可愛がってくれていたと思う。確かに、個人的な願いをかなえてくれるとしたら、それは身の回りの近親霊なのだろう。願いをかなえてもらいたいから思い出すなんて、これまた虫の良い私だけれど。久しぶりに親の写真を見て、じんわり涙が出た。本当に、ずっと、何か足りない私だった。小さい時から、生きていて楽しいと思えなかった。決定的に、人間として足りないものがある自分だった。今思えば、小さい頃から生きている実感がなく、すべて膜を一枚隔てているような、離人感のある世界に生きていた。美味しいものを美味しいと思えない、喜べない、常にうっすらとした絶望感と不安感、苦痛があった。だから、人から変に思われないように、演技だけはうまくなっていった。今は美味しいものに感動できるし、不安緊張もだいぶ良くなっている。大人になってからのほうが、生きるのが楽だ。身につけた演技力には今でも助けられてはいるけれど。小さい頃から死ぬことが怖すぎて、パニックになるくらいだったけれど、死ぬこともだいぶ怖くなくなってきた。人生なるようにしかならないと思えるようになっているし。なんだかんだ、成長している。とはいえ、咳が止まらない。苦しい。吐き気。やっぱりつらい。元気になりたいな…。まだまだ人生は修行。
2023.10.24
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私と長男は過去生において、敵同士だったらしい。長男が豊臣秀吉の家臣で、私が徳川家光の家臣の妻だった時代があるとのこと。戦った過去生があると、今世でもその思いを引き継いで、なぜだか逆らいたくなったりすると言われた。確かに、長男とは言い争うことも多かったりする。トラブルの理由がわからないよりは、原因が理解できるほうが心は楽だ。自分ではどうにもならないとあきらめもつく。今世はとにかく頑張ろうと意気込んで生まれてきたと思われる私だけれど、努力ではどうにもならないということも知った。とにかくカルマや過去生の影響は大きいということ。とにかく起こってくる出来事や試練に向き合う日々。もうずっと長いこと、そんな感じだ。一昨日から三女と長男が高熱を出している。おそらくインフルエンザの様子。コロナにもなったし、今度はインフル。私もインフルにかかるのか?今のところは大丈夫そうだけれど。4月の大量の自殺者浄化が終わるまでは、本当に体がキツくて、もうだめかと思ったくらいだった。夏至の体調不良もなかなかのものだったし、8月はコロナで1か月、不調が続いた。でも、大きな視点で見ると、総合的には私は良くなっている。いつの間にか目の周りの炎症もほぼ出ないし、頭痛もかなり減った。体力もだいぶ上がってきたように感じる。ちょっと歩いてみようかなと思える気力が出てきた。それだけでも、だいぶ幸せではある。自分を癒したくて、いろいろなことをやってきた。正直、私が一番興味があることってそれなんだと思った。でも、あきらめなくて良かったとは思っている。昔より、ずっと生きやすくはなっているのは確かだから。でも、まだまだたくさん癒されたい自分がいる。最近「旦那さんのことを見下しているでしょ」と指摘を受けた。認めたくはないけれど、それは事実だ。私は私を大切にしなかった夫を憎んでいる。私が思うような父親になってくれない夫を軽蔑している。それなのに、まだ夫婦でいる。仲良くしようと努力している。まだ課題が終わっていないということなのか。何なんだろうな…。夫に求めるのではなく、自分が変わるようにと何度も言われている。頭ではわかってる。だから、夫に何も言ってない。ずっと受け入れている。だけど、心の中でモヤモヤとしているのは事実。それは私が変われていないということなんだろう。癒されたい。傷ついた心を癒したい。私は傷ついている。すごく。どうしたら、この心の傷を回復できるのだろうか。何度も「夫を許す」をやっているのだけれど。やってもやっても、また出てきてしまう。見てみないふりをしてきたけれど、私の心の傷は深い。やっと取り組もうと思えるところまで来たのかもしれない。この傷を消すことは、できるのだろうか…。傷を抱えたまま生きるは、やっぱりつらい。
2023.10.14
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ずっと心が穏やかな日々が続いていたけれど…昨日は久々に荒れてしまった。私と長男は相性が悪い。何かとぶつかり合ってしまうことが多い。いちいち長男の偉そうな態度に腹を立ててしまう。弟に対して言葉がきつかったり、自分のことを棚に上げて人に対して厳しいところ。人を見下すところ、傲慢な態度。親がやるのが当たり前だと言って感謝もない。「反抗期なんだから、当たり前だろ!」と言い返された。「親の教育が悪いんだよ!」とも。理不尽だ。親は子どもに尽くすのは当たり前か。そうなのかもしれないけれど、それを子どもに言われるのは腹が立つ。大きな声で言い合ってしまったけれど、他の子たちが気まずそうにしている様子を見て、寝室に逃げた。またやってしまったな…。こんな不毛なこと、もう何度も繰り返している。長男とのことは、以前にソウルセラピーでも扱ってもらっているけれど…。私のことは召使のような扱いをしているらしい。だからといって、それに力で逆らってもどうにもならないのだけれど。ついついやってしまう。ヒーラーSさんによると、私と長男の過去生のからみがあるせいで、長男は私といるとむしゃくしゃしてくるらしい。実際、そうなんだろうなとは思う。本当に相性が悪い。じゃあ、どうすりゃいいの?と思うけれど。とにかく自分をクリアにしていくしかないのだろう。ただ、日々起こることに取り組むことがカルマの解消になるのだとも思っている。わかってる。それでも、嘆きたくなる。「もう、イヤだ」って弱音も吐きたい。私の喜びはどこにあるんだろう。私の心は、喜びを感じるセンサーが低い。冷めているというか、壊れているというか。このところ、「もうイヤだ」とすぐに心が折れる。十分、恵まれている人生なのに…。次女が毎日「もうイヤだ。会社辞めたい。」って言っているから、これは次女のエネルギーなのかも。自分の感情を信じすぎないことも大切だ。一時の感情にとらわれて、自暴自棄にならないように気を付けよう。人間って修行だな…。合間合間で救われている時間もあるけれど。基本的に修行だ。いちいち一喜一憂していたら、精神がもたない。きっと何とかなるし、今までだって何とかなってきた。だから大丈夫なんだろう。起こる出来事に向き合って味わっていくこと。人生とはそういうものなのだろう。
2023.10.12
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もう疲れた、こんなことを繰り返していても疲弊するだけ…という気持ちに支配されていた。もともとやっとのことで生きていたのに、嫌世感で生きる気力がさらに失われた。乗り越えてきた自負もあるし、これからだって乗り越えていくだろうけど、もう無理と思った。例の量子医療の先生に、また連絡を取った。今の状態を話すと、「頭では乗り越えられた、もう終わったと思っていても、潜在意識に傷って残ってしまうんですよね…」と言われた。その言葉を聞いて、もう「ホントにそう!このところ、ずっとそう感じてた!!」と激しくうなずいた。乗り越えたことは力になると信じていたけど、実際何度も乗り越えていると疲弊するのだった。「やっておきますね」と軽く言われた。(何をどうやっているのか、具体的にはわからないけれど、量子波を作って当てているのか?キネシオロジーで確認しながら、別の手法も併用しているような様子)それから、しばらく経って気づいた。「心が軽い!」なんというか、頭が空っぽで心が揺れない。いい意味で心が平板になっている。同時に、ずっと気になっていた股関節の痛みもやってもらった。こちらも今までは、良くなっても必ずまた悪化してきていたのに、今回は悪化の兆しがない。股関節が痛くなる原因を探ってもらったのだけれど、なんとそれは数にすると千個ほどあった!今まで取っても取っても戻ってくる症状に、もう諦めていたけれど。千個以上もあるなら、治るはずもない。「先祖、生きている人のエネルギー、死んだ人のエネルギー、ありとあらゆるもの」が要因になっていたとのことだったけれど…。霊障だろうと自分では思っていた。「行列をなして待っていますよ」とのこと。いなくなっても、またすぐ次がくるのは、そういう訳か。やっぱりね…と思った。ずっと感じてはいたけれど、そう言ってくれる人は現れなかったし、全部を取ってくれる人もいなかった。ついに出会ったのか!という気持ちだった。もちろん、細かい不調の全部がなくなったわけではないのだけれど。すごく楽にはなった。心身の調子が。思えば、「生きることがつらい」という状態が長く続いていた。こんなに恵まれている自分がそれを言ってよいとは思えなかったので、口には出さなかったけれど。ずっと心は泣いていた。生きていても楽しくなかった。背景を知りたいのならと紹介してもらったヒーラーさんには、「自分をまだ許せてないのね」と言われた。ああ、そうだ。そうなんだろう。ずっと楽しくない理由は。楽しいことから逃げてしまうのは、それなんだ。「自分を許せない」理由のない罪悪感が昔からあったのも、それなら納得できる。自己否定があるのも、当たり前だ。最近、感じるのは。私は今世は、良い人間になろうと決意して生まれてきたのだと思う。小さい頃は、何事にも意欲満々だった。良い人間になれそうな考えには飛びついたし、何事も一生懸命にやっていた。神を求めていたし、神の声を聞きたいと小さいころから願っていた。動物や赤ちゃんが大好きだった。ところが、一生懸命やっても、なぜか周りとなじめなかった。自分自身が思ったように体も言うことを聞かなくて、失望の連続、挫折。それでも幾度も乗り越え、成長してきたとは思う。けれど、努力ではどうにもならないことが増えすぎた。そして、今。思い出した。今、自分が嫌っている人たちと同じようなことを、過去生でしていたということを。前からうすうすとは思っていた。嫌な出来事に対して「なじみがある感覚がある」ということ。たぶん、そうなんだろう。そして反省したのだと思う。おそらく。それだけに、今世は絶対にやらないと誓って、良い人間になることを目指して生まれた。ところが。疲れてしまった今、今までの人生振り返ってみると。心からそう思っていたのか?どうなのか?ただ、良い人間にあこがれていただけなのではないのか。心から良い人間であったわけではなかったのでは。いつからか、常に自分を批判し、罰っして、見張っていたように思う。心が休まる暇がなかった。それは生きづらいに決まっている。本当の私は、無関心で、無感情で、愛情のない、意地の悪い人間のような気がした。大嫌いな人たちと同じだったと。「みんなは私で、私はみんな」だから。どちらも真実なのだろう。私の中には光も闇もある。復讐をしてやりたいと思う気持ちは、すごく重たく強いものなのだろう。ここで断ち切るという決意をしなければならない。それがわかって、「やっと思い出した」という感覚がある。今は、苦しみだらけの毎日から、普通に生きられている感覚をかみしめている。ちょっとすると、この感覚も当たり前になってしまって、感謝すらできなくなるのかもしれない。でも今は、すごくありがたくて…。これが束の間の休息ではなく、ずっと続くことを祈っている。
2023.10.05
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夏休みの振り返り。夏休みが始まってすぐ、長男が腕を骨折。最低の夏休みの始まりに、すでにうんざりした。そこから長男のゲーム三昧の日々が始まった。その後、東京にしばらく滞在するために上京。滞在3日目に家族全員がコロナになる。旅行も計画していたけれど、すべてキャンセルすることに。コロナは子ども達は40℃以上の熱が出た。私は38度台だったけれど、とにかく頭痛が酷かった。痛くてたまらず、鎮痛剤を6時間おきに3日間飲み続けた。熱が下がると今度は喉の痛みが酷く、これも1週間ほど続いた。そろそろ食べ物も少しずつ食べれるようになってきたかと思ったら…。今度は猛烈な吐き気に襲われた。水も飲みたくないし、飲んでも吐いてしまう。吐き気がとにかくずっと続いた。鎮痛剤をたくさん飲んだ副作用かと思ったけれど、どうもおかしいので、いつも遠隔治療をしてもらっている先生に診断してもらった。すると、この吐き気はシェディングによる視神経脊髄炎で、難治性の吐き気を伴うということだった。診断はしていただいたものの、吐き気は少し収まったくらいでなくなりはしなかった。かなり強い吐き気なので、一日中何もできずにただ横たわっていた。吐き気ってこんなにつらかったっけ…とつわりのことを思い出していた。そのうち「もしかして、死ぬのかな…」という考えがよぎった。このままの状態が続いたら、衰弱して死ぬかもしれないと思った。あと一日、こんな状態だったら病院で点滴をしてもらわないとだめかもしれない…という状況に、さすがに焦りが募った。その時、以前、知り合いに紹介してもらった量子医療の先生を思い出した。私はソウルセラピーもしているし、他の療法に手を出すのはためらいがあったのだけれど、この時は藁をもつかむ思いだった。連絡を取り、今の体の状況を伝えると「大変な状態みたいだから」とすぐにエネルギーを送ってくださった。ちゃんとした治療のほうは2日後だったけれど、吐き気は和らぎ、吐かずに水分は飲めるようになった。2日後に、ビデオ電話での治療をしてもらった。その場で吐き気はおさまったものの、私はまたぶり返すのではないかとビクビクしていた。トラウマはあったけれど、確かに吐き気は消失した。おそるおそる食べ物を食べてみても、吐き気を催すことはなかった。正直、驚いた!ここまですっかり良くなったことって…今までも良くなったなあと思うことはあったと思うけれど、今回は劇的だった。地獄から生還した気分だった。結局、東京での滞在は1か月になった。こんなに長く帰ったのは、移住して以来初めてのこと。でも、夫がいたおかげで、子どもたちを放置していても食料は供給されていたので、安心して寝込むことができたことには感謝だった。量子医療の先生によると、今回はこの病になる必要というか、意味があったとのこと。でも、詳しいことは私は説明しないので、知りたければ別のヒーラーの方を紹介しますと言われた。背景の説明は大変なので、治療に専念したいとのことだった。どうしてこんな出来事が起こっているのかということは、今までそれなりにソウルセラピーで知っていたけれど…もっと詳しく知る必要があるのかもしれないとも思った。そこで、そのヒーラーSさんに連絡を取り、いろいろ家族関係を紐解いてもらった。すると、今までとは違う視点での話を聞くことができた。簡単にまとめると、「子どもたち5人は、夫婦の因縁を解消するために、様々な問題を起こし、夫婦を成長させるための試練を与えてくれている」とのことだった。「これは、今生でこの因縁を解消できるビッグチャンス」とも。正直、それを聞いて「そうかもしれないけど、私はもう限界」と思った。今まで生きてきて、いろいろな困難があったけれど、それなりに乗り越えてこれたとは自負している。けれど、これから先の未来に起こる様々な試練を乗り越えていく自信はもうなかった。とにかく、今の心境は「もう降参」「どうにでもなれ」「もう何もしたくない」いろいろなヒーリングを受けたり、療法を学んだりもしたけれど…。その時は一瞬良くなるので、嘘ではないのだけれど、またすぐ次の試練が出てきてキリがない。生きている限り、モグラたたきをすることになる。吐き気がなくなったのは、本当にありがたかった。まだ生きていけるのだと思った。でも、怖くもなった。生きていれば、こんなふうにまた苦しみに襲われる。生きるって何てしんどいんだろうと。たくさんの試練で、心は傷ついていた。いくらちゃんと乗り越えたって、心に傷は残るんだなと思った。もうモグラたたきはやめたい。疲れた。
2023.09.12
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毎日、体が痛い。今日は腰と股関節が痛い。朝起きると腰が痛くて、歩くのも大変な時がある。フラも最近、踊れない。思えば、長い間、体について悩んでいる。体を持って生まれたからには、逃れられない悩みであると思うけれど…。ソウルセラピーでは、体の痛みの原因を毎回浄化するけれど、最近は取り切れず残ってしまう。原因があるから、痛いのだとも思う。ずっと常に体に対して、ネガティブな思いを抱いている。痛みがあると、やる気がそがれる。どうしてもやらなければならないことがある時は、鎮痛剤を飲む。そんな毎日だ。もう、この運命からは逃れられないのだろうか。何が正解なんだろう…と考えてしまう。何をすれば、この痛みをなくすことができるのだろうとか。今までもずっと「体をなんとかしないと」という思いで、いろいろなことをやってきたけれど。結局、何が功を奏したのかはわからなかった。一時的に良くなることはあっても、それが長続きすることはなかった。だから、抗えない運命のようにも感じる。この体と付き合っていくことが、私の運命なのかもしれない。だいぶ、受け入れることができるようになってはきているけれど、いまだに苦しい気持ちにもなる。「普通の体だったら、できたはずなのに」という思いが抜けない。でも、もし普通の体で生まれたら、私はできない人の気持ちもわからない、思いやりのない人間になっていただろうと確信できる。それくらい、私という人間は傲慢というか、想像力のない人間だとある意味自信がある。できることが善であり良であり、できないことは悪であり罪であるという意識が根強くある。できないということを受け入れていくことは、私にとってはつらいことだ。「存在しているだけでいい」となかなか思えない。思えば母も「何もできない私には価値がない」というような発言をよくしていた。この意識は代々受け継がれているものなのだろうな…。一方で。体の悩みを通して、いろいろなものと出会ってきたとも言える。たくさんの療法や考え方に出会って、影響も受けてきた。ソウルセラピーにも出会った。だから、この体で生まれたのは運命なのだろう。私の場合は、体から意識を反らす努力っていうものが必要なのかもしれない。どうしても体人間なので、体の言うことを聞こうとしてしまう。重い体を、どうにかこうにか動かして生きている感覚と不快感。近年それを顕著に感じるのは、更年期のせいもあるのかもしれない。人間って不自由だな。死んだ母から「肉体がないっていいわよー」というメッセージを伝えられたけれど。肉体を持つことで、喜びよりか苦痛が勝るのだとすれば、そうなんだろう。肉体から解放される日は、いつか必ず来るのだから。それまで、このボディーへの探求はまだまだ続く…。
2023.07.22
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家にいるということは、意外としんどい…と最近思う。仕事をしている時は、家を掃除したりといった家事が満足にできないことがストレスだった。生活を楽しむ心の余裕はなく、自分の仕事と5人の子どもたちとの生活を回すことで精いっぱいだった。正直、あの生活はトラウマになってしまうくらいハードだった。子どもたちが小さくて、ある意味、とても尊い時間だったはずなのだけれど。私にとっては、いつも疲れていて、体に鞭を打っていたことが印象に残ってしまっている。いつも家にいられる状態になって、最初はホントにありがたく、これで体と心の回復ができるかなと思った。実際、子どもたちとの時間は増えたし、家事もやれるし、うれしかった。でも、思っていたほどは楽ではなかった。毎日毎日、お皿を洗い、食事を作り、洗濯をし、掃除をし…。しんどいなあと思ってしまうことも。仕事の合間の家事ではなく、家事がメインの仕事となるとわけが違う。同じことの繰り返しで、脳が疲労しているのを感じる。どんな仕事も楽ではないと思わされる。結局のところ、仕事をしていた時とほぼ変わらない家庭のクオリティーであるのが事実。出来合いのおかずを買わなくなったとか、洗濯ものを乾燥機ではなく手干しするようになったとか、ささいな違いはあったりするけれども、自己満足の世界だと思う。主婦の価値がないとは思わない。家事は、誰かがやらなければならないことだ。私は家にいるのは好きだし、外に行きたいともあまり思わない。大学でも家政科を選んだくらい、家のことにも興味があるし、主婦は向いていると思う。子どもたちの毎日のお弁当や、サッカーで汚れた体操着の洗濯、アイロンがけ、習い事の送迎、不登校の子ども対応…どれも、仕事をしていたら大変だったし、無理だったと思う。だから、こうして主婦業に専念できることのありがたさをつくづく感じる。それでも。今日何してたの?と夫に聞かれても、特に答えられる変わった出来事もなく、やったことは「家事」としか言いようのない日には、なぜかしらもどかしさを感じたりする。もともと夫は主婦に対しての評価が低く、ずっと働いてほしいとも言われていたこともあり。家事だけしている自分に後ろめたさを感じているのかもしれない。朝から体がだるくて、お弁当を作って、子どもたちを学校に送り出しただけで、どっと疲労感で二度寝してしまう時なんかは「こんなんでいいのかな…」と思う自分がいたりして。更年期真っ只中だし、毎日を普通に暮らすのだって難しいのが現実なのだけれど。主婦だろうが、共働きだろうが、世の中のたくさんの女性たちはどっちにしても悩みを抱えているんだろうな…と思う、今日この頃。少なくとも、今の自分を肯定して生きていくことを大切にしたい。ホント、頑張っているんだから。これでも。自分に愛をかけていこう。
2023.07.15
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6月16日に腰に異変を感じた。我慢できないほどの痛みではないのだけれど、神経痛のようなものだった。その日は、フラの出演に向けての準備を始めた日だった。翌日に出演が控えていたので、仲間たちと頭につける飾りを作ったりした。まだ、明日にはなんとかなるかもしれないという期待があった。ところが出演の日。普通に歩けないほどの痛みになっていた。これは出演は無理だと悟った。泣く泣く出演はキャンセル。フラの出演に合わせたような腰痛だったので、これは出演を阻む何かの影響かと思えた。要因だけは知りたかったので、ソウルセラピーにメールで問い合わせると、「過去性における罪で『目立ってはいけない』と言っている大勢の人のエネルギー」だということだった。何かをやらかして、目立ってはいけないと言われてしまうことになったようだ。ちょっと何のことかははっきりわからなかったけれど、とりあえず謝るしかない。数日が経過した。ところが一向に良くなる気配がない…。謝罪に誠意が足りないのかもと思い、集中して浄化をする時間を設けたりもした。普段だったらここまで引きずることはないのだけれど…。さすがに長すぎる…。何か悪い病気かもと不安になってきた。そんな時、仲の良い友人からLINEで、「夏至の体調不良が結構きついです」と来た。なるほど、この不調には夏至も絡んでいるのだろう。私は今年の春分もかなり具合が悪くなったので、これも関係があるに違いない。これは長期戦になるかもしれないと、腹をくくった。そして夏至も過ぎ、今日で夏至から一週間。やっと家の掃除ができるくらいに回復した。なんとここまで12日も経過している。長かったなあ…。それでもまだ、腰を反らすと痛いし完全ではない。でも、痛みなく歩けるだけでもありがたいし、家事ができるのもありがたい。臥せっている間は、家の中はかなりの汚さだった。子どもたちは汚くても気にならないようで、手伝うように頼んでも、たいしてやってくれない。きれい好きな私としては、ストレスはたまったけれど、仕方がない。でも、以前よりはこういった思い通りにならない事態も、平静に過ごせるようになったと思った。前だったら、寝込んでいる罪悪感やら生産性のないことを嫌悪する気持ち、自分を怠惰だと批判したくなる気持ちが湧いてきてしまって、休むのも苦痛だったから…。もちろん、モヤモヤも湧いてきたけれど、その都度浄化しながら過ごしていた。夏至で大きく転換する地球のエネルギーの変動に合わせ、体もいらないものを排出しているとのことらしいけれど…。でも、春分よりはマシだったように思う。あの時は、具合が悪すぎて、精神的に動揺がひどかった。今回は不思議な落ち着きを自分に感じた。不調との付き合い方が、少しは上手になったかな…。不調中は、小麦粉を食べると足が痛くなったり、動けないストレスでビールを飲んだら頭痛になったりとやっぱり体に合わないものは駄目だなと思った。欲との闘いも、懲りない私。とはいえ、毒物を一切排除できるわけでもないし、たまにはやっぱり楽しみたいし。でも、元気な時じゃないとダメだなと再確認した。腰痛中、長男といざこざがあり、言い争う場面があったのだけれど…。痛みが激増して、ひどいことに。精神的なダメージは、痛みに大きな影響を与えるなとつくづく感じた。子どもたちの関係者から「病院へ行ったら?」と言われたけれど…。歩けないのにどうやって行けばいいのか?とも思ったし、こんな症状じゃ病名を判明させるのにさんざん検査とかされてしまい、疲弊しそうだなと思った。もしかしたら、何らかの病名がつくのかもしれないけれどね…。とりあえず、次回のソウルセラピーで今回の不調については、もう少しわかるだろう。このところの私の精神状態としては、なぜか「死ぬのが怖い」という感情が湧いている。その感情のせいなのか、生きるということがはかなく、すぐに脅かされるような不安定なものに思える。そんなに深刻なものではないけれど、これがどこから来ているのかは気になる。そして相変わらず、低空飛行な気持ちの状態。まあこれが、長年続いてはいるのだけれども。でも、久しぶりの片付いた家に、安らぎと心地よさを感じている。そんな小さな幸せを大切にしようと思う。出演に使うはずだった、アジサイの髪飾りを土に還すことにする。せっかく作ったので、髪に飾って自撮りした。踊れるということも、当たり前のことじゃないんだなと改めて思う。次は秋分にまた来るのかな~。もう降参して受け入れるつもりではあるけれどもね…。これがいわゆる、季節の変わり目の不調ってやつなのかもしれない。
2023.06.28
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ここ何日かは頭痛に襲われていない。頭痛がないというだけでも、かなりありがたい。頭痛とひきかえに、腕の付け根や肩や首が痛い状態になっているけれど、これくらいの痛みではメンタルをやられることはない。頭痛の症状は、本当につらい。生きているのが嫌になってしまうくらいの痛みだ。またあの頭痛に襲われたら…と思うと、正直不安になる。肩の痛みは、痛みの原因になるものは思いつかない。またここから、過去の罪などが出てきそうな気配だ。でも、こうやって一つ一つ罪を浄化して、生きるのが楽になっているのは、本当にありがたいことだと思う。本当に、過去を振り返ると、生きづらい人生だった。大きすぎる願望とそれに伴わない現実の中に生きていた。私の人生には、失望が多かった。自分に対しても「こんなはずではなかった」と過剰な期待を抱いては失望していた。現実生活の中に、夢も希望も抱けずに、失意の中で生きていたように思う。物心ついた時から、体はいつもどこかしらの異常や痛みを感じていて不自由だった。何も楽しくなくて、感謝もなくて、高校生くらいの時点ですでに失意のどん底だった。ただ惰性で生きていた。中学生の時は、とにかく友達ができなかった。友達になりたいと思える人間にも出会えなかった。無理して何かに所属することに、ものすごく苦痛を感じた。夢中になれるものもなく、勉強はつまらなすぎた。なりたい職業もなく、夢も持てなかった。友人のことも好きになれなかったけれど、そんな自分のことも嫌だった。何かが自分には足りないということだけは強く感じていたけれど、それが何なのかも皆目わからなかった。高校生になって、飲食のアルバイトを始めた。バイト終わりにお客さんと飲みに行くようになったのは、高2くらいだっただろうか。つまらなく感じていた高校生活の中で、バイト後の大人との会話が唯一楽しく、そこで気を紛らわしていた3年間だった。深夜まで飲んで帰ることも珍しいことではなかった。当然、授業はほとんど寝て過ごすことになった。とはいえ、バスケ部にも所属していたので、部活はそれなりに頑張っていた。でも、楽しいより、苦痛のほうが勝っていた。体力のなさや、気力のなさ、思うように体が動かない苦しみが浮上してきていた時期だった。高校時代のあの3年間を振り返ると、あの時間を返してほしいと思ってしまう。あの時期に、興味のあることを学び、やりたかったスポーツをやれていたら…と思うと、すごく悔しい気持ちになる。どれだけ上達できただろうなと…。当時、私の進学できる地域では普通科しか選択できず、興味のある分野を学べる選択肢はなかった。だから、あれはあれで仕方がなかったのだろうとは思う。部活もやりたいものがなく、惰性で中学の時やっていたバスケットを選んだ。一番エネルギーがあり、勉強にも集中できるはずの高校時代が、私にとっては一番苦しい時代だった。高3になり、進路を決める時期になった頃…友人たちは、勉強も部活もしっかりやっている優秀な子たちが多かったので、ほとんどが指定校推薦で進学先の大学を決めていた。ところが私は、授業も聞かずに成績も最悪だったため、自力での受験をするしかなかった。そんな中、父が胃がんで余命1年と知らされた。私は誰にもそのことを言えずに、一人孤独に受験勉強をすることになった。あの時は、自分が世界で一番不幸なような気がしてしまうほど、孤独を感じていた。友達は受験から解放され、楽しんでいた。それにひきかえ私は、暗い気持ちで日々を過ごしていた。悩みに悩んで、興味のない勉強より料理を学びたいと思い、家政科のある大学を受験した。幸いに合格し、父にも合格を報告することができた。父が喜んでベッドから笑顔を見せてくれたことを、今でも覚えている。その2週間後に父は亡くなった。大学での勉強は、高校とは比べ物にならないほど楽しかった。初めて興味のあることを学ぶ楽しさというのを知った時期でもあった。とはいっても、私の闇期間が終わったわけではなかった。大学時代、自分の存在の何者でもない不安感は、私を押しつぶしそうなほどだった。やりたいことを学ぶ楽しさは知ったものの、専門教養以外は相変わらず全く興味が持てず…。一般教養に対する嫌感は、増すばかりだった。将来が不安すぎて、精神的にかなりきつい4年間だった。睡眠障害や鬱で精神科にかかった時期もあった。今思えば、私は専門学校向きの人間だったのだろう。周りが大学受験するのが当たり前だったからと言って、当たり前に大学へ行ったけれど。本当に何も知らなかった。結局、モラトリアムな大学時代ではあったけれど、バイトで稼いだお金で海外に行ったりもしたし、それなりに恋愛もしたので、高校時代に比べれば楽しかったと思う。でも、自分の軸になるものが何もなくて、生きていることが不安すぎて死にそうになった。信じられる何かに出会いたくてもがいていたけれど、出会えずに生きるだけでやっとだった。今になって、あの頃を振り返ると、自分がかわいそうに思えてしまう。必要な学びであったのだろうけれど、あまりにも過酷だった。希望がなくて飲んだくれる高校生って…。なんとか就職してからは、自分に対しての不安感が増加していった。何もできない自分、何も知らない自分。自分のふがいなさだけが突きつけられて、そこからはまた違う不安に見舞われるようになった。何を目指したら良いのかわからないけれど、とにかくそこから脱したかった。長く長く、苦しい過程を経てきての今。人間のあるべき姿というものを、やっと、つかみかけている気がしている。健康で、人のため自分のために働き、喜びを得ることができる人生というものに…。いっぱい悩んだけれど、それはそれで今の自分には必要だったのだろう。自分にとっては苦しすぎるほどの時間だったけれど、はたから見れば、幸せな人生なんだろう。死なずによく生きてきたなってくらいの体感だけれども。それくらい、苦しかったし絶望していた。自分の人生がまだ腑に落ちていないと言われたのは、そこなんだろう。あの時の苦しさや絶望の幻影に、まだ怯えている。本当に何でこんな人生になったのだろう。私は小さいころから神の存在を求めていた。でも、人生にはそのかけらさえ見えない気がして絶望してしまっていたのだ。私は頭が良いと言われることが多かったのだけれど、本当に勉強には興味が持てなくて、嫌々ながらやっている時間がとても多かった。そういう意味では我慢強かったのかもしれない。でも、普通の人なら疑問を感じずにいるところが、苦痛を感じる感受性が強かったせいで、あらゆるところに疑問を感じて、生きることが辛くなっていたのだろう。今でも、真実の追及が好きだし、いろいろな出来事に不信を覚えることが多い。見なかったふりや目を瞑ることはできない性分なのだろうとは思う。だけれども、世の中に起こる出来事は自分にはどうすることもできないことがほとんどだし、いちいち目くじらを立てていたら、自分の人生がおろそかになってしまう。神の存在を忘れてしまったら、こんな狂った世の中で正気を保って生きていくことすら難しいと思う。そこから目をそらそうとする出来事は数限りない。でも、私は、自分だけの「本当」を探して生きることに集中していきたいと今は思っている。惑わされず…そのことを忘れないで一日を過ごしたい。そしてまだまだ足りないことだらけだ。私は。
2023.05.29
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大浄化後、毎日飲んでいた鎮痛剤が、週3回に減った。それでも大きな進歩であると思うけれども、頭痛からの完全なる開放はまだまだ先かと…。頭痛の種類も変わったようで、以前は午後以降に起こっていた頭痛が、今は朝起きると同時に起こるようになった。しかも、ごまかすことができないくらいの結構な強い痛み。メンタルがやられる。同時に吐き気も頻繁で、トイレでえずくことも続いていた。そんなタイミングでのソウルセラピー。出てきたのは、「自分の人生に対する怒り」今までの人生で思うように体が動かなかったことに対して、「どうして?」という怒りがかなりあるらしい。自分の人生に対して、こうなったことは頭では理解しているけれど、腹落ちしていないというか、まだ腑に落ちない怒りがあるとのこと。今は「『諦め』というオブラートで包むことでしか、自分の人生を受け入れられていない」という表現に、「なるほど~…!」と唸ってしまった。本当にソウルセラピーのすごいところは、この言語化の素晴らしさだ。自分でもモヤモヤしていることはわかってはいても、それを言葉で表すことができないことで、自己理解が進まないことはよくあった。そうなのだ。私は最近、「諦め」という感情に支配されていた。言ってみると「まあ、仕方ないじゃん」という感情。つべこべ言ったってどうすることもできないんだから、もう諦めようという思考パターン。まあ、それはそれで無駄なあがきをしなくなったという利点はあった。でも、「諦め」には何か物悲しいというか、鬱っぽいエネルギーを感じる。ここからもっと進化すると、自分の人生に対して「ストン」と納得できるらしい。「もうちょっとなんだけどね~、何かきっかけがある場合もあるし、少しずつ納得していく場合もあるし…、それは人によって違うから、何とも言えない」とのことで。正直、何かの言葉で「ストン」と腹落ちするのが理想だけど、残念ながら私は、ちょっとずつ納得していくパターンのような気がする…。いや、ほんとに、頭ではわかっている。大浄化の体験をさせてもらって、そうなんだ、私の人生ってこんな役目があったんだって理解はできた。だけど、やっぱりここまでの道のりが大変すぎて「なんでこんなに大変だったの?」とまだ泣きたくなるような思いがある。トラウマ化してしまって、思い出すだけで涙してしまう。もうちょっと、癒される時間が必要なのかもしれない。その後は、宇宙人や動物霊が夫から出てきたり、長女の悩みなども頭痛の原因としてあるようだった。私がネガティブ思考になるのも、宇宙人に遊ばれているという側面があるらしい。それも、少し思い当たるふしはあった。結局、セッション終了時間になっても、頭痛の原因は取り切れず…。「まだ出てくると思うから、引き続き自分で浄化してください~」という感じで終了。しばらく頭痛は続きそうではある。とはいえ、毎日ではないし、鎮痛剤もそこそこ効いているので、ネガティブに引きずられないように頑張って浄化していこうと思う。痛みが酷すぎると浄化すらできないので、そこそこの時こそ頑張りたい。最近、子どもたちがとても優しくしてくれるし、長男も落ち着いてきて、癒しを感じる時間も少しずつ増えてきているから…。これが神さまからのご褒美なのかなと思えることが、ちょいちょいある毎日。朝も楽に起きられるようになってきている気がした。朝から「人生に絶望」という気分に支配されることから、だいぶ抜け出てきた感じ。でも、「またあんなふうになっちゃったらどうしよう…」という不安も沸き起こるので、もうちょっとこの新しいモードに体が慣れる時間が必要なのかもしれない。とはいえ、地獄から抜け出した感はかなりあるな~…。もうちょっと、この感じを味わう必要があるのかも。焦らずに、感じていこう。
2023.05.19
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ついに待ちに待っていた浄化の日がやってきた。ずっとお天気になって無事登山ができることを祈っていた。お天気は晴れ時々くもりということで、どうやら登山ができそうで一安心。上田さんはご両親と共にいらしてくださった。計画としては、私が上田さんにご一緒して登山、お母さまが4か所の神社を浄化くださるとのことだった。ここ一週間は私自身は鎮痛剤を手放せず、体も心も限界に近かった。正直、この浄化で体調が良くならなかったらと思うと不安でしかなかった。この浄化を心の支えにして、やっと迎えたこの日。次男も私を心配して、一緒に山に登ってくれることになっていた。3人で山に向かう。朝から股関節が痛かったので、一応鎮痛剤は飲んでいた。けれど、標高が上がるにつれ、体のいろいろな所が痛み出した。頭が痛かったり、足が痛かったり、心臓が痛かったり…。上田さんも「苦しいね~…」と浄化しながら、登っていた。やっとの思いで山頂に神社に到着した。そこの神社は、過去の噴火でも溶岩を免れて、今に至っている。上田さんによると、島民の祈りによって溶岩から回避されたとのことだった。本当にあとわずかのところまで溶岩がせまっていたので驚いた。祈りの力というものはすごいのだなと思った。神社の浄化を済ませ、いよいよ最後の火口に出発しようとしたとたん、ものすごい霧が立ち込めてきて、辺り一帯が見えなくなってしまった。足元だけを見て、火口へと向かう。足がすごく重たくて、やっとのことで火口にたどり着いた。何も見えないけれど、火口があろう場所に向かって浄化が始まった。私も、長い間苦しんでいた霊が光へ還ることができますようにと祈った。どのくらい経ったのだろうか。おそらく10分くらいだと思うけれど。「『ありがとう』と言われたから、もう大丈夫だと思いますよ」とあっさり浄化が終わった。そこから、やせっぽちの次男は飛ばされるのではないかというほどのものすごい突風が吹き、何度かしゃがみ込んで突風をやりすごした。神さまの演出なのか、サタンの最後のあがきなのかはわからないけれど、なかなかにスリリングだった。一生忘れない思い出になるだろう。付き合ってくれた次男にも感謝だ。無事に下山口までたどり着いた時には、ほっとした。行きと違って、帰りは軽やかに下山することができた。麓の公園でお母さまと合流した。サタンと宇宙人にのっとられていたとのことで、神社の浄化はかなり大変だったそうだ。先生方は各地を浄化で周られているので当たり前なのかもしれないけれど、私にはびっくりだった。こうして大浄化の1日は終わった。私はまだこの体験をちゃんと消化できなくて、呆然としている。でも、とりあえず、大きなお役目を終えることができたように思う。移住して3年目にして、いろいろなことが落ち着いて、やっとこのお仕事が果たせるタイミングが来たような気がした。で、やっぱり私はこういうお役目なんだなと実感した1日でもあった。とりあえず、頭と肩の痛みはだいぶ軽くなった。これですべての不調がなくなるわけではないとは思うけれど、大きなものは取っていただけたので、自分自身でやる浄化がだいぶやりやすくなったのではないだろうか。いろいろとしんどかったけれど、また心新たに浄化に励んでいきたいと思う。
2023.04.24
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春分の日前後の話。身体は重かったけれど、運動すれば良くなると思ってフラダンスのレッスンに行った。ところが、なぜか気分は好転せず、身体はどんどん冷たくなり、吐き気もしてきた。どんどん気持ちが落ち込んできてしまい、途中で帰宅することに。家へ帰ってからは、頭痛もしてきてえずいたりして、もう全てを放棄して布団にこもった。また絶望の気持ちが湧いてきた。身体の辛さだけでなく、孤独感と自分への絶望に襲われた…。あまりにつらかったので、易の先生にLINEして、風水の追加をお願いしてしまった。先生は以前、体調が回復しなかったら風水を追加してくれると言ってくれていたので…。思わずすがってしまうほど、体調・気分ともに最悪だった。するとお返事が来て、「春分なので、人間関係で辛いことがおこったり、体調を崩したりする方が多かったみたいですよ」とのこと。確かに春分を過ぎたら、少しずつ体調も回復してきた。かなりキツかったので、春分とはそんなにすごい日だったのかと思って調べてみたら。春分は「宇宙元旦」だそうで、大きなエネルギーシフトがあったらしい。まあ難しいことはわからないけれど、とにかく何かがあったことは身体で感じた。今まで長く苦しんできたけれど、本当にそろそろ卒業したい。こんな人生はもう嫌だと嘆きたくもなる。とはいえ、もうちょっと前向きになりたい。とりあえず、しばらくの目標。毎日、必ず運動を30分すること。なんでも良いので。来月、山に登るので、それまでの体力作り。頑張ろう。
2023.03.24
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目の腫れはだいぶおさまってきたものの、目の周りの皮膚のヒリヒリは一向に良くならず。火傷を負ったような痛さで、良くなるどころか、日に日にどんどんひどくなってきた。ヘナ風呂に入るといつもはおさまるのに、それもあまり効果がなくて、今回は何かが違う。考えられることは一つ。今、長い浄化の真っただ中にいるということ。理由は。ソウルセラピーの先生が、この島に浄化に来てくださることになったから。先日のセッション中に、「すごい大量だから、これはもしかしたら島に行かなきゃかもしれない」と言われて、まさかとは思ったけど。後日、「やっぱり島に行くことになりました」とのメール。いやー、やっぱり相当なんだなと実感した。最近本当に体調が悪くて、この土地のせいではないかとはうすうす思ってはいたけれど。こんなに大変な島だったとは。島の歴史を調べて、亡くなった方の数に驚いた。自殺ブームの時は1年で1,000人に達するほどだったようだ。累計するとかなりの数になるんだろう。改めて、私はかなりの憑依体質なのだと認識した。ソウルセラピーに縁して、自分の身体に起こる不可解なことが解明されたことは本当にありがたく、私自身、信じがたいこともだんだんと受け入れられるようにはなってきていたけれど…。ついにここまで来たかという気持ち。1か月後に浄化に来てくださることが決まって、私もそれに同行することになった。浄化を引き受けると決めたら、先生のところにはどんどん霊が来るようになったそうで。そしてどうやら私のところにも来ている体感がある。それというのも、とにかく具合が悪いのだ。頭痛、吐き気、とつぜんの身体の冷え、気分の落ち込み…。そういったものに、常に襲われている。いやいや、本当にこれにはまいってしまう。日常生活がままならない。今までは、たまにだったから何とかなっていたわけで、こう毎日だとさすがに気持ちが折れる。でも、苦しかったのでしょうね…。亡くなった方たちは。こうして成仏のお手伝いができるということは、すごいことなのだと思う。だから、頑張らなくてはと自分を奮い立たしてはみるものの。あと1ヶ月、身体が持つのか不安ではある。鎮痛剤がないと生きていけない。あと、人に会うと一気に落ちる。三女の卒業式の後はやばかった。疲労がすごすぎて、倒れそうだった。なぜかわからないけれど、大勢の人が集まるところに行くとかなり危険だ。しばらく家にこもりたいけれど、そうもいかなくて…。うーーーー。つらい。正直、人に全く理解されないのもつらいことではある。それでなくても、コロナ禍もあって、周りとなじめなかったというのに。スピリチュアルに理解がある友人が1人いてくれているのが、本当に心強い。彼女がいなかったら、私この島で、本当に孤独になってしまっていたかも。正直、なんでこんなことにって思うし、体調不良に心が負けそうになっているけど。こういうお役目を背負っていることを、嘆くのはやめようと心に決めたはず。つらいって嘆いたからって、逃れられることでもない。思い返せば、知らずして東尋坊や足摺岬なんかの自殺の名所にも行ってたな…って今にして思う。こういう運命なんだろう。とりあえず、辛い毎日ではあるけれど、できることをやる。それしかない。出来ない時は自分を責めない!やれる範囲でやるしかない。とはいえ、メンタルも結構やられる~。頑張れ。私。
2023.03.21
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昨夜から目が猛烈にひりひりし始め、目が腫れてしまい、とても人前に出られない顔になっていた。今日はソウルセラピーのセッションだった。セッションが入っているから、癒されるために目の腫れが始まったのかもしれない。早速、目のことを訴えてセッションが始まった。すぐに「苦しい~…なんだろう、これは」と目の腫れの原因になっていることが出てきた。どうやら、大量の泣いている女性の霊だそうで。この腫れた目は、泣きはらした目から来ていたらしい。「愛されたかった…」と泣いているとのこと。その大量の霊に光をかけて、浄化していただいた。私自身が「愛されたい」と思っているから、その思いに引き付けられて集まってきたようだった。少しでも自分に同じような思いがあるからこそ、同じ思いの霊を引き寄せてしまう。今日はそれを発端に、つぎからつぎへと霊が出てきた。どれも自殺をした霊が、成仏できずにいたようだった。共通するのは「つらい」という気持ちだった。昭和8年頃、自殺ブームがあり、この島の噴火口に飛び込んだ人が大量にいたらしい。私は移住してしばらくは、恐ろしくて噴火口には近づくことができなかった。でも、行かなくてはとなぜか思っていた。そして今年の1月1日、初めて噴火口のお鉢巡りをすることができたのだった。そこから始まったのかもしれない。山に行ってから、私は山で自殺がたくさんあったという歴史に、なぜか気持ちを持っていかれてしまい、ネットでその歴史をかなり調べた。先日、友人から、山で霊に憑依されてしまった女の子の世話をしたという話を聞いた時は、これはもう、私は何かのお役目があるのではないかと思った。その女の子は、なぜか山に行くことになってしまい、そこで体調を崩したという。わけのわからないことを口走っていて、最後は歩くこともできないくらいになってしまい、抱きかかえて船に乗せたと友人は言っていた。山にはたくさんの成仏していない霊がいるんだろうと思った。そして、今日。たくさんの霊を浄化していただくことができた。私は自分の身体を通して、ソウルセラピーに繋げるという役目があったように思う。私の痛みや苦しみは、霊の浄化へと繋がっているのだ。そして私は、こんな自分の体質を呪い、喜べずにいる。けれど、こうして成仏できなかった霊のお役に立つことができたと思えば、少しは徳を積んでいるとも考えられるような気もした。癒されない悲しみや辛さは、消えずに残ってしまう。自殺してしまった人たちの苦しみやつらさは、80年以上もそこにあったということだ。それを私は拾ってしまう。そこには、私の重い罪があるからなのだろうとも思う。罪を償うために、霊の浄化を引き受けざるをえないのではないかと思っている。そう思うと、怖くもあるけれど。でも、きっとそれが私のお役目なのだろう。思えば、期せずして行っている。ひめゆりの塔、沖縄平和記念公園、広島原爆ドーム、長崎平和公園、サイパン…。そして必ず行く先々で、具合が悪くなっていた。その頃はまだソウルセラピーに縁していなかったので、なぜそうなるのかは全くわかっていなかったけれど。そして先日に沖縄に旅行した時も、糸満市や残波岬に宿を取ってしまっていた。行く直前になって、その場所でどんなことがあったのかに気づくという…。沖縄に行くのも、もう4回目だったので、そんなに激しくは体調を崩すことはなかったけれど、初めて行ったときは40度の熱で倒れたっけ。あの時は、教員だった時で修学旅行の引率だったから、熱出して怒られてさんざんだった。やっぱり呼ばれているのかと思う。私が行くことで、何が起こっているのかはわからないけれど、何かしら浄化の一端は引き受けているのだと思う。もっともっと浄化力を上げていけば、もっとお役に立てるのかもしれないけれど…。まだ、亡くなった方に何があったとか、どんな気持ちだったとかまではわからない。でも、こうして身体が反応することで、何かがあることには気づく。本当にこんなことってあるんだなって、自分の身に降りかかってきている今も、半信半疑だけれど。腫れてしまって開かなかった目も、セッションが終わるころにはだいぶ開くようになった。赤味は完全に引かなかったけれど、ヒリヒリもだいぶおさまって、明日にはなんとかなりそうだ。浄化をして、身体の痛みや苦しみが取れることで、私も霊の存在を信じるようになった。島に来て、3年が経った今。やっとこの島の霊の浄化ができたタイミングは、どうしてなのだろうと思った。いつも思うけれど、浄化にはその時というものがある。年単位での浄化もあるそうだ。きっと癒されるのを待っている霊がまだたくさんあるのだろう。すごくうまくできているなと思うのは、浄化は私が耐えうるだけのものしか、やってこないということ。神さまはちゃんとお計らいをされている。私が自分の人生を楽しみつつも、学びながら浄化できるように、計らってくださっている。そうとしか思えないタイミングだ。とはいえ、毎日の体調不良に心が折れそうにはなっていたのだけれど…。でも、そのギリギリのところ以上は、いつも超えない。ギリギリ耐えうるだけの負荷なのだと思う。あまりのつらさに、外界との関わりを閉ざしてしまいたい気持ちにもなるのだけれど…。人間でいる限り、そういうわけにもいかないわけで。やれるだけ、やるしかない。きっと楽しみも、神さまは用意してくださっているだろうから。やっぱり希望を持って、生きていきたい。
2023.03.14
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今日は都立高校の入試だったので、弁当を作って三女を高校まで車で送っていった。島の高校は、定員割れしているので、ちゃんと受験さえできれば落ちることはない。それなのに「なんか緊張する~!」と言う三女。落ちないと分かっていても、なんとなく緊張感があるのは、都内の子たちの影響なのかもしれない。東京都内の都立高はそれなりに倍率が高い高校も多いので、緊張している子も多いだろう。思い返すと長女、次女の受験の時は、本当に大変だった。私たちが住んでいた地域は、教育に対してお金をかけている人が多い地域だったため、競争が熾烈だった。中学では塾に行っていない子は、ほとんどいないくらいだった。都立高の受験は、本番から1年前に始まる。内申点を取るための中間期末考査の結果が、受験に大きく影響するので、本番だけ頑張れば良いわけではないのだ。我が家は、費用の問題で私立は選択肢に入れられなかった。どうしても都立…となると、中間期末考査の結果が内申点として合否に大きく影響する。少しでも内申点を上げようと必死だったけれど、周りも必死なわけで、簡単には成績は上がらない。絶対評価と言いながら、実質的には相対評価なので、周りが頑張っていれば成績は上がらないのが現実。子どもが頑張っているのが当たり前なら、どこで差がつけられるかと言ったら…。あとは親がどこまでサポートできるかにかかってくるわけで。できることは、夜中まで一緒に勉強に付き合ってあげることだった。結果的には、2人とも希望の都立高に合格できたので良かったけれど…。緊張感は半端なかった。だから、島に来て、激しい競争がなくマイペースで暮らせることが本当にありがたく感じた。やっぱり常に競争で、緊張を強いられる環境はストレスだった。東京の環境に比べると、島嶼は恵まれていると思う。激しい競争もないし、高校も電車通学する必要がない。受験ストレスがないってだけでも、私たちにはとても魅力的だった。しかも島の都立高校は、設備もしっかりしているし、三女が学びたい学科もある。都内で農業や食物などを学びたいと思うと、家から遠かったりして通いづらい。都内だと高校に通うのに1時間かかるのは、普通だったりする。私にとっては、勉強が苦手な子でも生きられる環境があるっていうことが、本当にありがたかった。島嶼留学というシステムもあるにはあるけれど、ハードルは高い。でも、こういう選択肢が子どもたちを救うことはある。みんながみんなではないだろうけれど、三女にはとても合っていた。「私は寂しいけど、ママたちは絶対島に行った方がいい!」と背中を押してくれた次女。優秀な次女は都内に残って、高校3年間ずっと自分でお弁当を作り、1人で自分のことを何もかもやってくれた。勉強も頑張って、自分の希望するところに就職もできた。次女のおかげで、下の3人を連れて島に引っ越すことができたと思う。同じように育てても、子どもは同じにはならない。島に来て、長男次男は不登校になってしまったけれど、それでも来て良かったと思う。不登校でも、家のすぐ近くに適応指導教室があるし、変に焦燥感を煽られることもなく、平和に過ごすことができているから…。今、とても貴重な時間を過ごせているのだと思う。子どもたちが帰ってきた時に、「おかえり」と迎えられることが、当たり前ではないことを私は知っている。きっといつか年を取って、ここでの生活を振り返ったら、宝物のような時間だったってことを痛感するんだろう。
2023.02.21
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最近、不登校がすごく増えているらしい。小中学校で長期欠席者が41万人とyahooニュースに出ていた。我が家の長男・次男もまさに当事者。これほどまでに増えているのは、やっぱり学校に魅力を感じないということも要因の一つだと思う。コロナ禍も影響しているだろうけれど。私も元教員として、学校教育に物申したい点はかなりある。もうこのままでは、不登校はどんどん増えていくと正直思っている。気づいた大人が勇気を持って変えていくしかない。とはいえ、それが教員レベルではどうにもならないのも分かる。元麹町中学校校長の工藤勇一さんのように、校長レベルで変えていくしかないだろう。「学校の当たり前をやめた」という本を読んだけれど、素晴らしい実践だと思った。学校のシステムの問題はさておき…。正直、この先、長男と次男はどうなるのだろう…と不安にはなる。でも、先の見えない不安は、学校に行けている子どもにだってあるわけだし、不登校だからといって不安だということではない。今の時代は、誰しも不安になる要素満載だ。不登校になってからは、学校に行けるようになるために先生に相談したり、カウンセリングも定期的にお願いしてきた。でも、こちらがいろいろ策を講じても、当の本人が学校に行きたいと思わないのだ。嫌な思いをするなら行きたくないという強い意志を感じる。結局、今は2人とも適応指導教室に通っている。問題は学習が遅れてしまうことだ。でも、結局は学校に行っていても、本人が学ぼうという気持ちがなければ、学力もたいして変わらないのではないかと思っている。今から6年前、三女が不登校になった。小4から2年間小学校を休み、小6でフリースクールに1年間通った。フリースクールでの1年間で、国数の2年分の学習は取り戻せた。そして中学は3年間、普通に学校に通った。この三女のおかげで、不登校に対するネガティブな気持ちがだいぶ緩和された気がする。少しくらいほっといたって、ちゃんと子どもは成長するってことを知った。三女は不登校だった時期を振り返って「時々あの頃に戻りたいな~って思うくらい、良い時間だったよ」と言っている。私は「人生の夏休み」と呼んでいるのだけれど、そういう時期もあって良いのではないだろうか。不登校だから、ダメなわけではないということ。「母親の私がなんとかしなくちゃ」と思って、必要以上に自分を追い込まないこと。母親である自分の、心理的安定というものが本当に大切だと思っている。究極的に私は、子どもというのは親が疲れているから不登校になっているのかもしれないと思ったりもする。ものすごく忙しかった時、不登校の三女が「私、自宅警備員だから!」と散らかった家を掃除していてくれたことがすごくありがたかった。あの時、三女が家にいてくれなかったら、私自身がものすごく荒んでしまっていただろう。もちろん、子どもが不登校になることを望んでいるわけではない。でも、子どもが不登校になってくれたことで、私が休めているという現実は事実としてある。なんだかんだ、やっぱり子どもたちは、私を支えてくれている。だから、子どもたちの不登校は、もうちょっと続くかもしれない。今、私は元気だと言い切れる自信はないから。自らの「こうしたい」という意欲が出なくなってしまうことが、私にとっては一番怖いことだ。だから私は、子どもたちが自分から「行こう」と思った時に、応援していきたいと思う。
2023.02.17
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赤ちゃんと授乳中に目が合わない。育児をしていて、これが不安の種だった。思い余って保育園の園長に相談したら「そんなことはあるはずがないんだけどねえ…」と言われて、ショックを受けた。長年、保育の現場にいる人がそういうのだから、やはりこれは異常なことなのだろう。それは今から10年以上前の話だから、今はどうなのかはわからない。でも、そういう子どもは増えてきているのかもしれないと思う。ある本には、赤ちゃんは既に傷ついているから、目を合わせようとしないと書いてあった。でも、私は生まれてからずっと、赤ちゃんを放置するようなことはしていないし、泣いたらちゃんと応答していた。なのに…なぜ?自閉症ではないのは分かっていた。ずっと何か違和感を感じていた。今は思う。私のところには、たくさんの過去生の傷を背負ったチャレンジャーな赤ちゃんが生まれたんだなと。たくさんの浄化をすることを使命とする魂もあるんだろうなと。そして私もその一人。今は自分のことを、そう受け止めている。子どもたちも、私も、一緒に浄化を進めていく仲間だ。まだまだ先はあるだろうけど、だいぶ浄化は進んだと思う。昔の自分を思い返すと、いろいろ大変だった。大変すぎた。子どもたちが小さかった頃は、まるで沼の中でもがいているようだった。何に対しても確信を持てなかった。子育ても全然楽しくなくて、大変としか思えなかった。今だったら、もっと愛してあげられるのに。わからないことだらけで、心の中がいつも不安や恐れでいっぱいだった。「体は普通車なのに、スポーツカーのエンジンを積んでるようだ」とか「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる」と言われたけれど、本当にどうしてよいのかわからなかったな…。気持ちは焦っているのに、行動することはできない。いつもそんな状態で生きていたような気がする。何もしていないのに、すごく消耗するっていう…。思うように生きられない自分に対して、こんなはずじゃないのにという思いを抱いていた。理想ばかりが高く、現実の自分は全くそれについていけなかった。でも、今は心穏やかに過ごせている。すごくありがたいと思う。今、自分にできることはなんなのか…って考えた時、それはやっぱり私が私を生きることしかないと思う。まだまだ停滞期が続いている私だけれど。私を選んできてくれた子どもたちを信じて。物事の良い面を見て生きていかないと、絶望してしまうなとつくづく思う日々だったりするから。知っているけど、気にしすぎない。これも、大切なこと。今の自分に一番必要なことは「大丈夫」っていう根拠のない自信なのかもしれない。
2023.02.16
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ナチスの過去生の浄化が終わり、私の心に変化があった。楽しむことに抵抗がある感じは、まだあるのだけれど…。「楽しんでもいいのかな?」という気持ちが芽生え始めたのだ。今までは、「楽しめるわけないし、たとえ楽しいと思われることをやっても、楽しみたくはない」という頑固な気持ちがあったことに、いまさらながら気が付いた。私は、楽しみたくなかったんだ!そのことが、今わかった。でも、あの過去生を知って、その気持ちが理解できた。あんな凄惨な出来事があり、しかもそれに自分が加担していたとなれば。もう人生を楽しむ資格なんてないと思うし、楽しめるはずもないだろう。長年、私を苦しめていた「楽しめない」という事実。それがこんな理由だったとは。楽しめない自分に対し、どこかおかしいのではないかと疑問を抱いてきたけれど。ちゃんと理由はあったわけで。今思えば、楽しいとされている文化祭などの行事や催し物が大嫌いだった。ボードゲームやトランプなども楽しめなかった。楽しませようとしてくる雰囲気を察知すると、逃げていた。今思えば、楽しみたくなかったからそうしていたんだと分かる。あの過去生が、強烈に私が楽しむことを阻止していたのだろう。これでやっと呪縛から解放されたのか…。それとも、まだ続くのか?過去生の記憶は、自覚できるものもあれば、自覚できないものもある。とりあえず、今の時点では、得体のしれない絶望はだいぶ減ったように感じている。ソウルセラピーでは、私はまだ楽しむことに慣れていないし、楽しみ方もわからないので、とまどっているけれど、少しずつ楽しめるようになっていくのではないかと言われた。本当にそうだったら良いのにと思う。Amazonプライムビデオで「死者の記憶を持つ子どもたち」という映像を見た。前世の記憶をはっきりと覚えている子どもたちがたくさん登場する。その子どもたちは、物心がつく年頃に悪夢を見るようになる。過去生の悲惨な出来事を思い出す夢だ。親たちは戸惑い、最初は信じることはできない。けれど、子どもたちの様子があまりに深刻なので、子どもたちの言葉を手掛かりに調査を進めて事実を確認する。そして、過去生の夢が事実であることを最後には認めるようになる。親たちは、過去生に囚われて、今を生きることができないわが子を不憫に思い、過去生で悲惨な出来事があった地を訪れ、過去に別れを告げる儀式を行う。すると、たいていの子どもは悪夢を見なくなり、やがて現実で苦しめられることもなくなっていく。…という内容だった。不思議に思ったのは、過去生というものは、それを認めて確認し明らかにすることによって、解消されるということだ。現地を訪れることで解消するということが、私には謎に感じた。思い残しを解消するために、過去生の記憶というものが来世まで託されるのだろうか。悲しみや怒り、恐れ、執着といったものが、解消されるために持ち越される。それが明らかにされ、認められることで、現生を苦しめている事象も消えてなくなる。それほどまでに、ネガティブなエネルギーというものは強力な力を持っている。輪廻転生を信じていなかった親たちも、子どもたちの苦しみに対峙し、それをなんとかしようと奔走するうちに、最後には過去生を信じるようになる…。私自身、ソウルセラピーに出会ってから、もう数年経つけれど、完全に前世を信じられていなかった。ただ、自分自身の体感がソウルセラピーに言語化され、苦痛を除去してもらい、確実に人生が変わっていることを事実として認めざるを得なかった。理由のない恐怖、不安、うっすらとした現生のものではない記憶。そういったものが、過去生のものだということが、だいぶ自分でも理解できるようになってきた。やっぱり、厳然として、過去生の記憶は存在する。それは、輪廻転生の証拠となるのではないだろうか。私の中に、まだ残っている大きな過去生の記憶は。世界が滅亡してしまうという根拠のない不安…。それ以外は、だいぶ解消されたように感じているけれど。まあ、またいろいろな出来事で浮上してくるのかもしれないから。これで終わったと安心するのは、まだ早いと思っておこう。
2023.02.07
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ずっとあった絶望感の影響だと思うのだけれど、今まで本当にネガティブだった。どんなに今、恵まれていようとも、心の奥底の絶望感を否定できなかった。「きっとひどいことが起こる」という拭えない恐怖が、私の心を苦しめていた。大きな根拠があるというわけではないのに、物事の悲観的な面を見てしまう癖が治せなかった。そんな自分のことを、どこかおかしいのだろうなとは思っていた。本来、人間はそんな生き物ではない気がする。過酷な環境を生き抜いてきた先人は、こんなことでメンタルを崩すようなことはなかったはずだ。物質的に恵まれた環境になっているのに、精神の病気は増えていく。それにはちゃんと理由があるように思える。やっぱり世界は役割分担なのだと思う。担える人が担っていく。背負える人が背負っていく。そんな気がしている。今までの人生、本当に苦しかった。でも、はたから見たら私はそういう風には見えなかったようだ。「大変なことがあってもいつも明るいね~」と言われることが多かった。いちいち人には言わない。相談したって、理解されるはずがない。だから、こんな姿は誰にも知られないように…ここだけの話だ。でも、きっと世の中の生きるのが苦しい人たちは、過去生の罪を多く背負っているのだと思う。今の自分の罪、ではなくて。私はそれを知ることができて、良かったと思う。ずっと自分に対して、疑問を抱いていたから。「なんで私ってこうなんだろう」という疑問を、消せなかった。本当はこんなふうになりたいわけでもないし、頑張っているのに…という嘆きが止まらなかった。今はある種の諦め、諦観というものがある。物事をネガティブに見てしまう癖はなかなか簡単には抜けないけれど、希望を失ってはいけないと思う。同じことを繰り返しているように感じていても、螺旋階段を上っているかのように、上へは登っているのだ。希望を失わずに、いつか喜びを心の底から感じられるようになることを祈ろう。
2023.01.24
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ここのところ、浮上してきていた「絶望感」なかなかセッションで取り上げてもらうところまでにはいかず…。ずっとあることには気づいていて、これが罪から来ているだろうことはうすうす感じてはいた。「私の罪をお許しくださいと祈っていると、セッションで出てくる可能性があるよ」と言われていたので、気が付いた時に「私の罪をお許しください」と唱えるようにしていた。すると、先日のセッションでついに出てきた!それは「ナチス」の過去生。これは罪が重そうだと思った。それは、ナチスの一味で、囚人の監視の仕事をしていたという過去生だった。「ナチスが酷いことをしているということを認めてしまうと、自分も生きていけない。 だから、感情を無くし、何も感じないようにして仕事をしている。 許されることではないと分かっているけれど、ここから抜け出す勇気もない。」私はこの感情には、とても馴染みがあると思った。私自身、社会の中でいろいろな矛盾を見て、物申したい気持ちにはなっても、そんな勇気もなく、その組織から逃げることもできずにいるということはあった。辛い時、心を無くしてしまうこともあった。もちろん「ナチス」のような残虐なことがあったわけではないけれど、同じような感情が思い出された。絶望感を浄化している間、過去生の人物が「決して許されることはないのだ」と絶望している感情や、亡くなった人たちの「もう出られない、死にたくない、もっと生きたかった」という念がたくさん出てきた。長い間、浄化の時間が続いた。そして、最後、たくさんの絶望の念が光へ還り、過去生の人物も許されることができたようで、「神さま、ありがとうございます」という言葉と共に浄化が終了した。私が今まで何をしても楽しいと思えなかったのは、このことが大きな影響を与えていたように思う。こんなひどい記憶があったら、人生なんて楽しめるわけないなと思った。何をしたかなんて覚えてはいなかったけれど、強い罪悪感は昔からあった。今までも、たくさんの罪悪感を浄化してきたけれど、それでもスッキリはしていなかったので、まだまだ大きな罪があるのだろうという予感はしていた。やっぱり「ナチス」だったのか…。三女の過去生にも「ナチス」が出てきたこともあり…。覚悟はしていたけれど、やっぱり衝撃を受ける。なんの不幸なこともなく、はたから見たら幸せそうに見える私が生きづらい理由。それは、やっぱり過去生なんだろうなと思う。自分でもずっと疑問に思って生きているけれど。ネガティブにはちゃんと理由がある。浄化してもらった後は心が軽くて、「人生を楽しんでも良い」という許可を自分に与えることができるような気がしてきた。とはいえ、何重にも層になっている過去生は、これで終わりではないから断言できないけれど。次はもっと大物が出てくる可能性もあるのかも?!「ナチス」以外にも「DS]という大物過去生がでてくるケースもあるらしく…。うーーーん、正直、DSに興味がないかと言ったら嘘になってしまう。結構、今までも「明治維新」とか興味があって、真実の明治維新について調べたりしてたし。イギリスの過去生も多いし。これも、いつか出てくるのかもしれない。ああ、私はどこまで闇深いのか。もういい加減、解放されたいと思うのが正直なところだ。とはいえ、何ができるわけでもないので、毎日をなんとか生きていくしかない。その中で、出てくる自分の闇と向き合うしかない私である。ソウルセラピーと出会えてなかったら、自殺してたか、完全に精神を病んでいたかのどちらかだと思う。 そんな状態では、感謝の気持ちなんて持てるはずもない。助けられているからこそ、こうして信じることができるし、生きていることを感謝できる。心って軽くなるんだな。久々にその感覚を得た。そしていつもより人と関わることに抵抗を感じず、たくさん笑っている自分がいた。これはいつまで続くからわからないけれど、とても心地の良い感覚だ。いつもこんな感じでいられたら、たくさんの人とも仲良くなれると思う。この感覚が、長続きすることを祈るばかりだ。
2023.01.19
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昨日は生きる気力がなさ過ぎて、「これはヤバい!!」となった。冬休みに入ってから、無気力が増していたのだけれど、ついに限界を迎えた。このままだと最低限の家事さえもできない!原因はわかっている。それは息子2人のオンラインゲーム。ネットからもらう影響はかなり大きい。息子たちが課題をする報酬として、ずっと禁止していたオンラインゲームをやることを許した。冬休みに入り、ゲーム時間が増えると同時に、私も無気力になり。彼らを管理する気力もなくなってしまった。こうなると、悪循環だった。ゲーム時間が増える。課題はおろそか。ついに私がキレて、強引に一日だけオンラインゲームやYoutubeを禁止した。文句がすごかったけれど、「もうママがご飯作れなくなってもいいの?!」と脅したらしぶしぶ従った。いやでも冗談ではなく、買い物にも行く気力もなかったし、本当に何もしたくなくなっていた。この無気力は怖いなあと思った。オンラインゲームをやっている人たちは「ゲーム以外は何もしたくない」という人が多いように感じた。私自身が、生きることに意欲を全く持てず、最低限の家事が終わると布団に倒れこむ毎日だった。そしてほとんどの時間を、スマホを見ることで過ごした。私もネット以外は何もしたくないという気持ちになっていた。さすがにおかしいと思った。ネットを遮断すると、だるさはなく当たり前に動けた。原因がわかるだけでも、だいぶほっとする。私、おかしな病気になってしまったのでは?と思うくらいだったから。今日は、子どもたちもそれぞれの場所に出かけて行ったので、家事もスムーズにできたし、何もしたくないという気持ちにはなっていない。だけど、今後も子どもたちはオンラインゲームをやりたいと言うだろう。こんなに自分に影響を及ぼすとは思っていなかったので、許可してしまったけれど。今はどうしたら良いか悩んでしまう。本当に私は、霊的な影響を受けやすい人間だとつくづく思う。全然平気な人には、全くなんのこっちゃなのだろうけれど。しかしながら、生産性のない日々を送っている時の自己肯定感はダダ下がりだ。自分を責めても仕方がないとわかってはいるけれど、罪悪感が湧いてきてしまう。このまま私の人生は終ってしまうのではないかという不安に苛まれた。でも、ネットを遮断することも時には必要だけれど、本質的には解決にはなっていない。こういう敏感な体質をどうにかしなければならない。やっぱり私は、大勢の人達からの影響をかなり受けるので、ソウルセラピー的には過去生の罪があるのだろう。「私の罪をお許しください」と祈るようにアドバイスをいただいているので、日々、祈りの時間を持つように心がけたいとはずっと思っているのだけれど、悪循環にはまると祈る気持ちさえ失われる。新年を迎えて次女と「今年は初心に返って、浄化を頑張るしかないね」と電話で語り合った。「大体の問題は考えても仕方ないし、愚痴っても嘆いても何も解決しないので、浄化しようねということになるよね」という見解で合致した。結局、結果は何もできなくて終わるなら、せめて浄化はしたいねと。もがいても、あせっても、何かが変わるわけではないことは経験としてだいぶ体得できた。今年は、とにかくまずは浄化!自分を責める時間があるなら浄化!という心もちでいきたい。どんなネガティブな気持ちでも、しっかり向かい合って、浄化をしていくことが目標だ。見たくはないのが正直なところだけれど、ちゃんとネガティブを拾っていこうと思っている。
2023.01.13
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やっと冬休みが終わった…。子どもたちがいなくなることで、これほどほっとするとは。やっぱり私は子どもたちにすごく責任を感じているんだろう。冬休みは、掃除、洗濯、料理で毎日が過ぎていった。合間に昼寝をしたり、雑用したりもあったけれど。まあ、十分に幸せな生活ではある。とはいえ、私の生きづらさは相も変わらずだったりするから、たちが悪い。余程、前世で悪いことをしたのかと思う。でも、1月5日くらいまではそれでもなんとか暮らせていた。ところが、5日は仕事始めだったせいなのか、見事に体調を崩した。鬱がひどくて、何もできなくなった。世間の皆さんの「仕事に行きたくなーい」という念のせいなのか?そこからかなり生きるのが辛くなり、今日に至るまでずっと頭痛やら吐き気が続いた。今朝、子どもたちをやっとのことで送り出すと、吐き気に耐えられず盛大にえずいた。いやー、今回も辛かったな…。毎回のことだけど、大きな休みごとにこうした不調に襲われる。休み明けがとにかくつらい。私としては、休みが明けるのは、子どもたちが家から出てくれるので嬉しいのだけれど。身体はそのように反応してくれない。ああ、本当にしんどかった…。今日から普通の日々が始まると思うと、本当にありがたい。家以外の行き場所がないと、息が詰まってしまう。ちょっとパソコンに向かう時間が作れただけで、ありがたいと思える。こんなことしてる間に、もうお昼のお迎えの時間だ。時間が経つのが早すぎる。子どもたちがいるだけで、私は私でいられないんだな…。まあ、これが母のお仕事だから仕方がない。適応指導教室に通っている次男をお迎えに行き、お昼を食べさせよう。今日は中学生たちも早く帰ってくるし。買い物にも行かないと。また明日。
2023.01.10
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目の炎症が何をやってもおさまらなくなってきた。それに伴い、気分もかなり低迷。一難去ってはまた一難。人生とはこんなものか。見通しがもてないので、易で見ていただくことにした。卦によると、今月来月は健康面はかなり厳しいとのこと。1月に少し持ち直し、また2月3月は低迷するらしい。この冬はかなりキツいシーズンになりそう…。とはいえ、昨年の冬もかなり体調的に厳しかったので、なんとなく予想はつくし覚悟はしている。寒さに震える冬になりそう…。でも、シングルマザーだった去年より、精神面はマシになっているはず。頑張らなくては!きついシーズンになるということがはっきりわかって、逆にやる気が出てきた。このところ、心が死んで、世捨て人のようになっていた私。家の中も荒廃してきていた。整理整頓ができず、どこにも収まらない物たちが散らかっている。子どもたちにも関われず、放置プレイが続いていた。わかってはいるけれど、体調が芳しくないことを理由に重い腰が上がらなかった。でもこの冬をなんとか乗り越えて、春になればエネルギーを得やすくなるという運気だそう。運気を下げているものがあるそうなので、それを見つけ出して処分しなければならない。この冬はとにかく身の回りを整えることをやっていこうという気持ちになった。やっぱり体調がダメな時は、身の回りを整えるしかなさそうだ。とりあえず、掃除をして子どもたちの着ていない服を捨てた。破れているのを放置したままの障子を張り替えた。ぐちゃぐちゃの押入れも中身を出して、布団をしまうスペースを作った。キッチンの出しっぱなしの塩と砂糖や粉類を引き出しに収納した。これだけでも、だいぶスッキリした気分になった。あとは、使っていないピアノをどうにかしたい。やはり、風水的には使っていないものを置いておくことは良くないらしい。毎日弾いてあげることができれば良いらしいのだけれど、残念ながらそこまでの心の余裕がない。ピアノがなくなれば、そこに服を収納する何かを置くことができる。子どもが3人いると、学用品や服だけでもかなりの量だ。あっという間に家の容量をオーバーしてしまう。ここで立て直さないと、本当にゴミ屋敷になる。目の炎症は、良い機会なのかもしれない。こんなことでもなければ、危機感を持つこともなかった。自分の衣食住を見直す、良いきっかけになっている。だいぶ前向きに考え始めることができるようになってきたかも…。辛い時には誰かの力を借りるって、大切なことだ。そして頼れる人がいるっていうのも、本当にありがたい。
2022.11.20
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目の周りの炎症は相変わらず治らない。最近は、頭皮も脂漏性のかさぶたができて、かゆくてたまらない。掻くとかさぶたが剝がれてくる。正直、かなり憂鬱な気分だ。でも、死ぬような病気でもないとも思う。耐えられないつらさではないので、かろうじて我慢できる。もしかして、最近糖質を摂るようになったことでエネルギーが満ちて、今まで出すことができなかったものを出しているのかもしれないとも思う。とにかく糖質制限をしていた時は、エネルギーが枯渇していた。何をやるにも億劫で仕方がなかった。糖質を摂り始めて、前よりも元気が出てきた。今更ながら、糖質は人間には必要なものなのだろうと思っている。糖質制限は、糖質ではなく、脂質をエネルギーにする回路で生きていく方が良いという理論だった。でも、私の身体では、それだと無理があるように感じた。それはあくまでも、糖質がなかった場合の緊急用の回路だと今は思う。体型は、魂的にはブループリントを決めてきているらしい。いくら努力をしても骨格は変わらないし、一時的にはどうにかなっても、無理なものは無理なのだ。糖質をエネルギー源とすることで、身体はだいぶ楽になってきて、最近は好きなことをやったりも少しずつだけれどできるようになってきた。体型は正直、理想ではない。自分が一番太っている時の形だとは思う。でも元気でいるということが、どれだけありがたいことか良く分かったので、コントロールしたい欲求は採用しないようにしている。今でももちろん痩せたいと思っている。でももうこれは、習慣みたいなもの。痩せに執着してしまうのも、病気みたいなものなのだろう。少しずつ、そういった思考の習慣を修正していくように心がけようと思うようになってきた。自分の行動を振り返ると、本当に人間という生き物は愚かだと思う。いろいろな情報に振り回され…今までたくさんのことを犠牲にしてしまった。もう一度、やり直せたら、もっと違う人生を歩むのに。でもその反面、その後悔全部含めて、自分の人生だとも思う。ぱっとしない、私の人生。アレルセラピーでは糖質の代謝をすごく重要にとらえていて、その治療を最優先しているようだ。何度か治療をしてもらったけれど、私は上げてもらった糖代謝がすぐに下がってしまう。どうも、エネルギーバンパイアの影響があるらしいとのことで、その対策も教えてもらった。当面は、教えてもらった対策をこまめにやって、糖質を摂る生活を続けようと思う。とはいえ、ちょっと調子が悪くなると、すぐに糖質を摂るのをやめようとしてしまう。今までそうやって、体調をコントロールしてきたので、その習慣がなかなか止められない。確かに糖質を摂ると、胃もたれしたり、身体がだるくなったりしてしまうので、食べるのをやめる方向にすぐ考えがいってしまうのだけれど…。そうやって食生活をコントロールした挙句に、体調不良になってしまったわけで。今はとにかく普通にしようと心がけている。普通に朝ご飯を食べ、普通に昼ご飯を食べ、普通に夜ご飯を食べる。何かをコントロールしようとしない。私は自分の欲求を満たすことに罪悪感を持っている。どうして、そんなふうになってしまったんだろう。そんなの生き物としては、当たり前のことだろうに。「こうすべき」とか「これが理想」とか、そういう思考もいつのまにか植え付けられていたのだろう。そんなふうに何かを目指すことで、自分がわからなくなってしまった。まあ、そんな回り道も、私には必要だったのかもしれない。まだまだ困難なことは人生に起こるけれど、前よりはマシになっていることは確か。生きづらいのも相変わらずだけど、明るい気持ちでいられる時間も増えているし。でも、今の環境を本当にありがたく思うし、神さまにも感謝している。今の自分を好きとまではいかなくても、好ましく思えるようになっているような…。つらすぎて、感じないようにしていることもたくさんあったのだけれど。これからは、ちゃんと感じながら生きていきたい。
2022.10.27
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最近の私。半年前、職場の人間関係でいろいろあって、勤めていた弁当屋を辞めた。ちょうどその時、子どもたちのことで忙しかったので、辞めることに全く心残りはなかった。ところが、その揉めた原因になった人が辞めたということで、ご主人から、店をまた手伝ってほしいと頼まれたのだった。正直、気は進まなかった。でも、何度も家に訪ねてこられて断り切れず、9月から働くことになった。(月)(火)が人が足りないということなので、週に2日だけ行き始めたのだけれど…。困ったことになっている。仕事に行くと、目の周りが真っ赤になって、アトピー性皮膚炎のようになってしまうのだ。目の周りだけが炎症を起こし、痛痒くてヒリヒリしている。仕事に行かないと、治ってはくるのだけれど、皮膚がうろこ状になってボロボロとむけてくる。剥け終わると治ることは治るのだけれど、1週間くらいはかかる。(月)と(火)で悪化し、(水)から(日)にかけて治り、また(月)(火)でまた悪化するというループ。なんでこんなことになってしまうのか、原因を考えた。ストレス?とも思ったけれど、自分では特にストレスは感じていない。半年前に仕事をしていた時は、こんなふうにはならなかった。ということは、半年間で何か変化があったということなのか?しばらく考えてみたけれど、はっきりとした原因は思い当たらなかった。昨日、ソウルセラピーを受けたので、その時に尋ねてみると…。原因は「店長さんの疲れ」とのことだった。かなり疲れていて、倒れてもおかしくないくらいだということだった。私の目の周りの炎症は、そこから来ているらしい。彼は68歳で、1回脳梗塞で倒れているし、無理はもうしないほうが良いのは誰から見ても明らかだ。でも、一種のワーカーホリックで、自分を労るとか休みを取るという発想は全くない。一応セッションで対応はしてもらったけれど、なかなか治りそうにはないように思った。これはもう、店を手伝うのはやめた方が良いだろうなとは思った。こんなことが原因で、ここまでの症状が出るということに、正直驚いている。誰も信じはしないだろうけれど。でも、店に行った日だけ症状が出るので、店が原因なのは間違いない。「一回辞めたのに、また戻ることになったのは、まだ解消されていない何かがあるのかもしれないね」と言われたので、カルマの解消がまだ必要なのかもしれない…。このところ、死への恐怖感も出てきて、毎日が辛い。目の周りが皺だらけになると、一気に見た目も老けてみえて、心も落ち込んでしまう。人にも会いたくなくて、髪の毛で瞼を隠したりしている。いつかは老いて、皺も受け入れなければならない年にはなるんだろうけれど。まだそれには早いんじゃないかと思う。神さまはその人に見合うだけの試練を与えるというけれど。本当にそうだと思う。生きるのって大変だなと思ってしまう。どんな生き方をしても、それ相応の試練があるわけだから…どうせなら、好きなことをやって苦労した方が良いと思う。子どもたちには、好きなことを見つけて欲しい。
2022.09.21
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久しぶりにパソコンに向かっている。夏休みで子どもたちがずっと家にいて、心の余裕がなかった。ここのところ、いろいろな変化があった。特に、糖質制限をやめたことは大きい変化だったと思う。糖質制限をやめるという決意ができたのは、「アレルセラピー」という治療に出会ったからだ。今までは、糖質を摂ると眠くなったり、だるくなったりしていた。特に小麦粉を食べると、その後に足が痛くなったり、下痢をしたりという症状があった。それがなくなった。これは結構すごいことだ。以前、NAETというアレルギー除去の治療を受けていた。当然、その治療でも何回も糖や小麦粉のアレルギーの除去はやってもらっていた。でも、残念ながら、アレルギーを完全に治すことはできなかった。アレルセラピーの先生も、NAETのセミナーに出たことがあったそうだ。でもNAETでは、アレルギーの反射を消すだけで、根本治療にはつながらないことをすぐに理解され、ご自分でいろいろ研究されて、アレルセラピーを確立されたとのこと。NAETに何年も通った私からすると、なんとも複雑な思いではあったけれど…。でも、こうして今、アレルギーが改善されたことが体感できているのは、本当にありがたい。もう生きている間は、治ることがないだろうと思っていたわけだから。そしてアレルセラピーの先生から紹介していただいた本を読んで、今、食生活を改善しつつある。崎谷博征先生という方の本だ。実は以前からこの先生の本は読んでいた。ところが、私にとっては実践できない内容だった。それは、糖を積極的に摂るという、糖質制限とは真逆の内容だったからだ。本のレビューを読むと、「体調が良くなった!」という人と「こんなことやったら大変なことになる!」という二極の感想に分かれていた。私はその時は、どういうことか全く理解できず、疑問を持ったままだった。でも、糖代謝の治療を受けた今なら理解できる。今までは、糖代謝に異常がある人は、糖質制限をするしか道がなかった。糖を摂るということが、人体にとって必要なことであったとしても、糖代謝がうまくいかないのであれば、身体にはいろいろなトラブルが起こる。私の場合は、糖質のアレルギーがあったので、糖質を摂ることが健康には繋がらなかった。今思うと、糖のアレルギーがあるということは、人体にとっては致命的なことだった。今までの私の生きづらさは、ここから来ていたと言っても過言ではない気がする。糖のアレルギーがある人というのは、最初から困難な人生を送ることが決まってしまう。思い起こしてみると、小さなころから砂糖を摂ると体調が悪くなっていた。大人になってからは、とにかく昼食後は体がだるくてだるくて、仕事もできないくらいだった。生きるということは、だるさとの闘いだった。そして、太るということも恐ろしくて、とにかく糖質が怖かった。糖質制限というものを知って、実践した当初は、とても調子が良かった。糖質を摂らないと、花粉症の症状もかなり抑えられるので、どんどん糖質制限にはまっていった。でも、糖質への欲求は、完全に抑えることはできず、長期間やることはできなかった。糖質のリバウンドを何度も繰り返した。次第に糖質制限を繰り返すほど、身体がきつくなっていた。アレルセラピーと出会えたということは、今までの生き方を変えるべき時が来たということだと思う。アレルセラピーの精神で素晴らしいと思ったのは、万物に敵を作らないということ。「万物を受け入れ、認め、赦し、愛する」ということが目指すべき場所。「あなたはご両親を赦せていますよ。それはとても大切なことです。なぜなら自分の身体はご両親からいただいたものなので、ご両親を受け入れ赦すことができなければ、自分の身体も受け入れられないということだからです。そして、なかなか赦せている方はいらっしゃらないので、素晴らしいですよ」と先生。自分が両親を赦すことができているかは、自分ではわからなかったので、その言葉は嬉しかった。いろいろやってきたことは、無駄ではなかったのだなと報われた気持ちになった。普通の人たちと同じ食生活を送れるようになり、今まで否定していたことを受け入れることができるようになった今、気づいたことがあった。感謝があると同時に、恨みや嘆き、悲しみの気持ちも湧いていることに。どうして私は、人生がこんなに困難なのだろうか…そういった、悲嘆の気持ちだ。ただ感謝をするだけで良いのに…。過去を悔んだり憂いたりする必要はないと頭ではわかっていても、心が言うことをきかない。とはいえ、しばらくは、そんな不安定な状態も含め、認め赦していくしかないのだろう。いろいろ克服すべきことが多すぎて、なかなか大変な人生だなと思ってしまった。でも、これが私だから仕方がないけれど。
2022.09.10
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糖質制限をやめた。なぜ糖質制限をしていたかというと、とにかくでんぷん質を食べることによって、太ってしまったり、体調が悪くなってしまったりということがあったからなのだけれど。最近は疲労感が強く、何をする気にもなれない日々が続いていた。ストレスの多い日々を送っていることが原因だと自分では思っていたけれど、あまりにも体調が悪いので、「もう死が近いのかも…」と悲観的になっていた。ほとんど鬱状態だったのかもしれない。病名をつけるなら「慢性疲労症候群」だろう。生きることが嫌になっていた。絶望に襲われ、「もう詰んだかな…」という気持ちだった。精神面ではソウルセラピーにだいぶ助けられていたけれど、肉体面では明らかにソウルセラピーだけではカバーできない不調があふれ出ていた。そんな折、facwebook友達から、ある治療の情報があり、藁をもすがる思いで治療を受けた。その結果…なんと!疲労感が劇的に減った。特に、朝、起きた時の身体の不快感がだいぶ減少されたのを感じた。いつも朝起きると、口の中が気持ち悪くて変な味がしていた。それが、だいぶ減っていた。その治療は、糖代謝を改善するものがメインだった。「糖代謝が良くなったのならば、でんぷん質も消化できるかも?」と思った。糖質制限をやめるのは正直怖かったけれど…。もう続けていても体調がこんなに悪いし、もうどうにでもなれという気持ちだった。麺類は一切食べていなかったので、久しぶりに食べるラーメンやパスタは至福の味だった。やっぱり小麦が食べられるようになると、食の幅もグンと広がる。今までの我慢が爆発した。焼きそばに冷やし中華、パン、恐る恐るながらも、あれやこれや食べてみた。みんなと同じような食生活ができるって、本当に楽だし幸せだなあって思った。とはいえ、足が痛くなるかな…とか、寝ちゃうんじゃないかな…と心配はぬぐえなかった。結果的には、食後の体感としては、確かにまだ足もうっすら痛いし、眠いのだけれど。耐えられないというほどではなくて、日常生活は続けられる。症状が、奥に感じられるというか、かなり薄まっている感覚。そんな日々を過ごしていたら…。鬱状態がかなり良くなった!「生きられるかも」と根拠なく思えるようになってきた。やっぱり糖というものは、脳には必須なんだろうな…と体感している。私の場合、幼少期から糖のアレルギーがあった。糖分を取ると、気持ちが悪くなったり、食欲がなくなったりしていた。今思うと、糖のアレルギーは私を生きづらくさせていた最も大きい要因だった気がする。ずっとNAETで治療をしてきたけれど、そこはなかなか難しく改善されなかった。もちろん今回の治療でも、全てが改善されたわけではない。まだ食後は眠いし、目の周りが赤くなってしまうという症状もなくならない。食後には腹部の膨満感があるし、だるさがなくなったわけではない。まだまだ課題はたくさんある。でも、鬱状態から脱することができたことは確か!これだけでも、命拾いをしたような気分。本当にありがたい…。生きる気力が芽生えてきたように感じる。ただ、糖質制限をやめたことで、太ってきたのは確かだ。明らかに顔がふっくらしているし、お腹のお肉も増えている。元気にはなってきたけれど、やっぱり太ってしまうのだなあ。もっと治療を受けて、代謝が正常になってきたら、太らなくなるかもしれないけれど。今の段階では、まだダメそうだ。太ってしまうことを受け入れられなくて、糖質制限を頑張っていたわけなのだけれど。ストレスでげっそりしていても、それさえ嬉しく思ってしまうくらい、痩せた自分になりたかった。でも気力のなさのせいで、運動を全くやれなくなっていたから、ちょっと運動を頑張ってみようと思い始めた。体を動かすエネルギーは出てきているのが、一筋の光明。友人によると、この治療は数回受けると良いとのことだったので、もう少し治療を受けてみて、その結果を体感して検証したい。すごく楽しみ!ほとんど奇跡!と思えるくらいだと既に思っているけれど。神さま、ありがとうございます。
2022.07.16
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今日は中学校の期末テストの2日目だった。登校直前に長男の「学校へ行きたくない」スイッチが発動。きっかけは、私との口論だった。「ママのせいで、学校へ行く気がなくなった!」と言われた。とても嫌な気持ちになった。「自分の人生だから、自分で決めたことに責任を持つしかないんだよ」と話した。結局、1時間目のテストには間に合わなかった。もう、どうなろうと、私は自分を責めることはやめようと思った。そして、長男の選択を受け入れることを決めた。結局、2時間目には間に合うように家を出ることができたけれど…。毎日、長男の動向に振り回される毎日だ。完全不登校から脱却し、午後から登校になったけれど、「本当は学校に行きたくない」という気持ちに変化はないのである。部活に参加したいから、なんとか午後だけは登校しているけれど、授業は受けたくないのが彼の本音。人の波動に影響されやすく、集団が苦手。かといって、人が嫌いではないのだけれど。あとは、勉強がわからないというのも行きたくない大きな要因だろう。確かに中学の学習は、楽しいものではなかった。つまらないとしか長男には感じられないだろう。最近、「ママのせいだ!」と私に自分のストレスをぶつけることが多い。正直、怒りの気持ちもこみ上げてきた。「人のせいにするなよ!」と。でも、まだ、本当に幼いのだと思う。世の中の理不尽な出来事を、消化できずに苦しんでいる。誰かのせいにして、誰かを責めないといられないくらい、辛いのだろう。私自身、突き放したくなる衝動と闘っている。もう何もかも、投げ出したくなるような気持ちに襲われる。どうしてこんなに生きづらいのか。毎日、生きているだけで大変だと思ってしまう。こうやって、簡単に負のスパイラルに入りそうになる。人間でいるって、なんて大変なんだろう。深く考えすぎると、沼に陥るので…。私は自分が少しでも元気でいられるように、気持ちを切り替えるしかない。でも、不登校の子どもがいると、しんどいのは確か。学校に固執しなくてもいいと、本来は思っているのだけれど。長男は、サッカーをやりたいという希望を持っているがために、学校というものを無視はできない。サッカーが続けられる環境…と考えると、高校選びのために登校をしないとならない。授業も受けなければならない。本当に悩みどころ…。学校を敵に回さないようにしないとと思う。少しでも、理解を得られるように努力するしかない。はああーーー。学校、疲れる。1時間のみの別室対応を今してもらっているけど、迷惑という感じが伝わってくる。人員不足が…って。ほっといてもらえれば良いだけなんですけど…ほっとくことはできないと断言された。といっても、ただ一緒に空間にいて、先生はパソコンしてるだけなのに。別室にいても長男は辛いらしい。ずっと見張られているのだから、それも仕方がないのかもしれない。先生が忙しくて対応できないなら、1人にして置いといてもらえないですか?と頼んでみたけれど。別室から出られると困る、絶対ということはないからと断られた。何を心配しているのか、よくわからない。ホントに自由は全くない。牢獄のようだ。学校内で気を休める場所はない。みんな、頑張っている…。辛くて、つまらなくて、意義を感じられない子もいるだろう。そんな感情を長男はもらっているように思う。私は、自分を保つだけで精いっぱいだ。生きたくないって思ってしまわないように…。私もまだまだ病んでいる。
2022.06.29
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