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(記録の為、日付を合わせて遡って買いています。)22日はブル之助の抜糸だった。親指の付け根なんて敏感な所だし、三針縫っただけとは言え、わたしの素人目からみたら結構でっかい三針だったし、癒着しているそれを抜くなんて、痛いんだろうなあ、と、二十二日が迫るのを可哀想な、且つ不安な思いで迎えた。ブルルは「抜糸なんて一瞬で終わるし、全然痛く無いよ!」と言っていたが、わたしは冷凍庫には外食の続いた引越しの時にブル之助が味をしめてお気に入りのDQのアイスクリーム、キッチンの戸棚には新しいミニカーを隠していつでも与えられるように、痛み止めの内用薬はキッチンカウンターにスタンバイ、と言った気の入れようだった。大体、わたしはどこかを縫うなんて出産の時だけで、あの時はブルル曰く「何針か数え切れないくらい」縫ったらしいのだが、溶けて無くなる筈の糸であったにも関わらず一ヶ月は痛くて痛くて仕方が無かった。訳の分からない子供が、しかもよく曲げたり伸ばしたりして使う場所に、あんな痛みが訪れるのかと思ったら胸がはちきれそうなのと共に、泣いて泣いて大変であろう我が子をどうやってなだめようか、「ご褒美に」と称してエサを色々用意するのも、やはりそればかり考えていたからだ。ブル之助のTrigger Thumb騒ぎが始まって、最初の小児科とその日の夕方の骨のお医者様以外、わたしは手術をしてくれた外科の女医さんには会ってすらいない。包帯を剥がした時に手のひらの包帯の境目に有った箇所がかぶれて腫れていて、念の為に先週の金曜日に異常がないか傷口もこの女医さんに見てもらったのだが、その時はシャーロットから来る友人を迎える準備でまたわたしは家に残ったのだ。毎回、きちっと予約が有るのに待合室で三十分、それから長い時には個別の診察室で三十分待たされる。段々慣れて来て、ご飯のうんと早い時期に終わるように計算して予約しても、帰る頃には親子でお腹ぺこぺこだ。この女医さんはボストンの有名な大学を出てそこで修行した後にこちらへ来て、主に子供の手を専門に診てくれる外科医さんで、やっといらっしゃった時にもブル之助を覚えていて親しげに話しかけて抱きしめてくれていた。「さ、見てみましょう。」とおもむろに包帯を取ってからは二枚のバンドエイドを毎日取り替えて貼っていたのだが、その一枚をぺロリ。じっと見ていたブル之助に「良い子ね~、じっとしていて偉いわね!」とすかさず褒め言葉の嵐を浴びせてくれた。ブル之助は「もう一枚有るよ。」と言わんばかりに女医さんに右手を突き出す。診察室中大笑い。赤い傷口は今にも開きそうに見えるけれど、綺麗に治っていると仰る。「自分で手術したから綺麗なんて言ってるんじゃないの?」と思ったが(笑)周りに付着しているのは体液の塊や垢なんだそうで、「ほら、こうやったら取れるでしょ?」と手で少し千切って見せてくれた。「実はこの糸は自然に消えてなくなるのだけれど、 所々ぴょこんと出て来たら、清潔なはさみで切ってあげてね。」「抜糸」の言葉にわたしはあれだけ怯えていたのに、何たる拍子抜け。「後は、お家に帰ったら石鹸とぬるま湯で丁寧に洗って周りの皮を取ってあげて、 それからはもう何も塗らないで貼らないでね~。」と明るく言われて、診察はものの五分で終了。は~、拍子抜け。いや、血飛沫が飛び散ったり耳をつんざくような号泣されたりするよりは、勿論良いのだが、なんだか「は~。」と文字通り肩の力が抜けた。女医さんが別れ際に15年間もこの仕事をしていて、抜糸の日まで包帯なりバンドエイドなりを貼ったままの子は初めてだとまたブル之助のあちこちを触って可愛がってくれた。凄い凄い、ブル之助、と思ったら、また、最初の日に包帯にはめたビニール袋を取ってくれと懇願して泣いたお風呂のシーンを思い出してしまった。「だから心配要らないって言ったじゃん。」とブルルに言われたって、この子の心配をするのはわたしの仕事ですから、なんて思ったり。あ~、なんだか、わたし、変わったなあ、と例えばオムツ、授乳、離乳食、と言う、必死な時期を終えて初めて落ち着いて実感した。週末に来たサムも我が家の古いソファーとラブシートと帰って行ったし、さ、荷解きの続きをしましょうかね。「僕の物は僕がやるから」なんて言っていたブルルの言葉を鵜呑みにした自分のバカさ加減に腹を立てながら、彼の書籍と衣類から攻めましょうぞ。大体、こんなんだから「抜糸なんてチョロイチョロイ」って言ってもわたしは信じられなかったんじゃないの。もう。
October 22, 2007
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こんなに毎日色んな事の有る日々にこそ、きっちり日記を書きたいのに、叶わずだ。ネットは割と早くから繋がっていたのだが、調べ物や買い物以外は全く出来ずに居た。皆様、お元気?まず、引越しは無事に済んだ。「ちょっとぉ、何やってんのよぉ!」とか「くぅぅぅぅ・・・。」となる場面は、ブルルに対しても業者に対しても多々有ったが、それはもう良い。びっくりするような梱包のされ方だった家財道具も食器も、ダメージは最低限で、それにまたびっくりした。タッパーウェアが懇切丁寧に何枚もの紙で包んであったかと思うと、祖母の形見の茶道具や花器の箱が斜めに入っていたり、ダンボールを開ける度にスリル満点だ。例えば「キッチン」と書かれたダンボールの中に「キッチン用品」としか書いてくれていなかったりして、わたしは右と左のこめかみの青筋が繋がるかと思う位だったが、心の中で「たわけもの!」と誰にともなく毒づくに留まった。ブル之助につきっきりで邪魔にならないように地下に篭ったり友達に連れ出して貰ったりで、今思っても他には仕方が無かったのだが一応記録に書くと、次回がもし有れば、その時にはもっときちんと業者さんに指図を出した方が良いだろう。ぎりぎりまで自分達のベッドで寝られるように、寝具の梱包は最後にしてと頼んで有ったのに、初日に包まれて、行方不明。仕方が無いので客用シーツをまた敷いて寝た。新居に着いた二日後までトラックが来ないので、清潔なバスタオル数枚と空気で膨らませるベッドをスーツケースに入れて持って行こうと思って別にして有ったのに、それも箱に入れられて行方不明。とどめにバスケットに入れてこれは触らないでと言って置いたわたしの化粧道具(そう、化粧道具!!!)も行方不明。リーダーの人に本当にごく少量の物を「置いておいて」とお願いしたのが全く伝わっていなくて、これにはブルルも焦ったようで(だって、ブル子の、化粧道具!!!!)いくら箱を開けてみても見つからないので業者さんの申し出で必要なタオルと洗面用具等を買いに行く事になった。そんな事言ったって、無い訳じゃないんだし、お化粧品なんて買いたく無いのだけれど、取り敢えず明日のお顔が要るのでマイヤーへ。うろうろうろうろ、結局わたしが買ったのは、レブロンのティンティッドモイスチャライザーSPF20レブロンのコンシーラーマックスファクターのビューラーロレアルの二色組の眉墨ペンシルメイベリンのラッシュスタイリストと言うマスカラ、カバーガールの使い捨てアイシャドーチップ。それから、歯ブラシ、歯磨き粉、等々。これだけ買って、気に入ったのはマスカラだけ。ビューラーなんてほんとこれ、意味無い。・・・と、話がそれる。幸い化粧ポーチにジバンシーのプリズムを入れてあったので、アイシャドー、アイライナー、頬紅代わりにして、グロスは同じく化粧ポーチに放り込んで居たので間に合わせた。髪の毛にはもともとあまりこだわらないので、ハンドクリームをちょちょっと毛先に付けてお終い。払い戻して貰えるとしても無駄な物は買いたくなかったし、それでもどうせ本家本物のメイク道具一式が手元に有ったら使わないのかな~、と思ったら最初から無駄な気もして、本当にわたしは貧乏性だなあと思いながら棚を行ったり来たり30分は軽く悩んだ。もう何がなんだかわからん状態だった。と言うか、もう、いいわ、って吹っ切れた感じだった。ミシガンではお別れをきちんと言いたかった大事な人にのは会えて、心のけじめになった。思いがけない景色がやはり見ると懐かしかったり、ブル之助を授かった地でもあるし、それに伴う出会いも有ったし、やはり感慨深いものが有った。マイヤー(近所のスーパー)がやけに懐かしくて家族で喜んで通ってミシガングッズまで買った。飛行機に大喜びなブル之助は、もう一寸言葉が出来たら「今宵はどこでねんねなの?」と訊いた事だろう。アパート、ミシガンの家、ミシガンのホテル、アパートで一泊、それから新居に家具はスーツケースと新しく買ったラグだけ、で来た。トラックの搬入が始まると、今度はパズルのように荷物を入れる。大方の所は間取り図とテープメジャー片手に計画していたのだが、やはり同じだけの荷物を半分の面積の家に入れるとなると、頭を使う。使わない家具は予定通りガレージ行き、他はどんどんアパートでのご近所さんやらに差し上げた。例のロシア人ファミリーがソファーが無いと言って居たのでミシガンの地下で使っていたソファーベッドとラブシートを引き取って貰い、知り合いのレンタル経営者には古い洗濯機と乾燥機など、大きい物が無くなって大いに助かった。それでもまだガレージは一杯だし、車を入れられるようになる予定は、今の所、無い。家具が済むと今度は箱を開けるのだが、先に書いたような内容に基づいての荷解きは困難だった。大体、十ヶ月も居なかったから、例えば家にこのワイングラスは六つセットだったか8つセット?なんて覚えていない。それが、何故かそれぞれ少しずつ別々の箱から出て来るので、結局全食器なら食器、洋服なら洋服、と棚卸しの要領で在庫を把握する所から始める。その間にもブル之助は朝は元気一杯に遊ぶし、お昼寝はしなくちゃいけないし、ご飯だってきっちりで、勿論ご飯も作らなきゃいけないし、お洗濯も溜まるし、二十四時間は待ってくれない。まず最初にお鍋やら食器やら包丁を探していたのに要らない物ばかり出て来るので、最初の日はタッパにご飯をよそったり外食のついでにお茶を貰って来たりした。さて、箱と家具を合わせて400品目以上有った我が家もなんとか落ち着く目処が付いてきた日曜日、ブルルがブル之助にウインクを教えたりThumbs Up!をやらせていて、ブル之助の右の親指が真っ直ぐ伸びないのに気付いた。伸ばそうと力を入れて助けてやっても、第一間接に確かな抵抗が有って後20度の所で伸びない。月曜日に二歳検診に行ったきりの小児科の先生に診て貰ったら、「明らかに異常が見られますので専門家を紹介します」と。このベトナム人の女医さんはボキャブラリーが高尚で、なんだか余計傷付いた。その日に骨の専門家へ診せたら黒人のおじいちゃま先生がレントゲンを見てブル之助の間接を触って「折れた様子は有りませんし、おそらくTrigger Thumbでしょう、生まれつきです。」この時点までわたし達は「生まれつきこうだったのかな?なんで気付かなかったんだろう?」とか「知らない間に折れていて、変な風に治っちゃったのかなあ?」とか「折れていたらそれはそれは泣いただろうに、気付かなくてごめんね・・・。」とか、自分達を責めて、体力的にも参って居た所だったので非常に非常に落ち込んだ。それぞれの医院と二軒目ではレントゲンでたっぷり待たされ、ブル之助をあやしながら自分達も不安でたまらなかった。その骨の先生はちゃんと動いているし、これくらいなら別に不自由はしないから放っておいたら、というご意見だったが、一応、と手の専門家に紹介状を書いてくれた。火曜日の早朝にブルルが手の専門家へ連れて行ったら、50:50で自然に治るけれど手術をすればその場で治ります、との事。ブルルからの電話でそれを聞いてわたしは何故か迷わなかった。右手だし、動かせても大きなボールを受け止めたり逆立ちとか体重を掛けたら不便かもしれないし、と、すぐに手術して貰う事になった。ブルルも同意見だった。たまたま、その医院の手術の日が水曜日で、しかも午前中に空きが有ったので、翌日水曜日の早朝にまたブルルが連れて行って手術になった。正味にじっぷんだけだったらしい。らしい、と言うのはわたしは行かなかったから。ノースキャロライナの浜辺の別荘に行っていたブルルの姉夫婦が、この週末に来る予定だったのが、急に早まって水曜日に来る事になったのだ。ガレージに入らなかった箱は全部スペアベッドルームに積み上げて有った。18個の箱と3つのガーメントボックスとわたしは格闘しながら、携帯を気にして時間を気にして、結局この日に片付けた内容は全く覚えていないがなんとか寝てもらう場所が出来た。ブル之助は小さいので全身麻酔で、病院の小さなガウンを着て消毒済みの靴下でとことこ歩いて可愛かった~、麻酔から目覚める間抱っこしていた看護婦さんが「まだ起きないで、抱っこしていたいから。」と話しかけていた、とブルル。怪我や病気じゃないにしても、わたしだって一緒に行きたかったのに。全身麻酔なんてした事の無いわたしは、手術そのものもだが麻酔も心配だった。二十二日が抜糸の予定で、それまで幼児だから2日持てば上等だけれど、出来るだけ今貼っているテープを剥がさないように、絶対に濡らさないように、それから包帯を取り替える時は患部に何も塗らないように、との指示だった。「触っちゃ駄目」「Don’t touch!」と散々言われた一日の後お風呂の時に、マイヤーの袋と輪ゴムで防水手袋を作ってブルルが右手にはめてやると、一寸触っちゃったからその罰だと思ったのか、嫌がって嫌がって涙をボロボロこぼしながら取ってくれと懇願する。マイケルのお姉さんとわたしでチアガールのように「かっこ良いよ!」と褒め倒してなんとかやり過ごしたが、痛いのに謝って外してと頼むのが我が子乍ら健気でこっちの涙腺が熱くなった。当初は最悪だと思った来客のタイミングも、包帯が気になって仕方が無いブル之助の気が大いに紛れたようだし、わたしも数日ダンボールから休憩して、良かったと思う。ブル之助は二人が帰った後も、其々が食事の時に座っていた席を指差して名前を呼んで居た。今週前半はブルルがシャーロットに出張で、付いて行きたいのは山々だったが我慢した。懐かしい道の名前を帰って来てから沢山聞かせてくれた。ブルルの出張中にブル之助の包帯がついに取れ(結局6日持った)、わたしがガーゼとテープで止めたのだが、三針縫った内の一つが離れて血が出ていたので昨日また診て貰いに行った。またわたしはお留守番だった。と言うのも、今週末はシャーロットからブルルの友達(ラメ女と結婚した)が来るので、また全部出して区分けして内容を箱に書いていた作業を、今度は中止するのは生産的でないのでいっそ徹底的にやって終わらせようとしていた所だったからだ。ブルルは、わたしが居ない方がブル之助が言う事を聞くのでやり易い、と言う。そりゃ、お互い様なんですけど。きっと、わたし達両方が居たら大人同士ばっかりで喋るのが面白くないんだろうと思う。さて、長くなったので今日の日記はこれでお終い。
October 19, 2007
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