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編曲を進めている最中は、精神が集中状態にあることが多い。そういう時は、道を歩いていても、気がつかないうちに頭の中をグルグルとその音楽が流れているし、目をつぶったらスコアの音符がまぶたの裏に浮かんでくるものだ。もっとも、対象の曲が大きい場合、四六時中そんな状態なら病気になってしまうだろう。ある程度集中して作業したら、何かしらどこかで行き詰るもので、そのときは思い切って放り出す、という弛緩状態になる。集中と弛緩、この繰り返しでようやく1曲できあがる。ところで、現在は金星をメインに編曲しているので、通勤電車ではもっぱら惑星のオケ版のミニチュアスコアを読んでいることが多い。しかし、ここ数日は、「上を向いて歩こう」を改訂したり「マツケンサンバ」を編曲したり、と別のことをやっていたので、金星の作業をストップしていた。そこで今朝、再び金星モードにシフトしようと、電車で惑星のスコアを開いたのだが…頭の中を「マツケンサンバ」の楽しいメロディーがどうしても駆け巡るのである。振り払っても振り払っても離れない。そのうち紅白歌合戦で奇抜な衣装を着た松平健や、やたら数が多かったダンサーの踊りや、昨日の合奏団の演奏風景なども次々に頭に浮かび、「オ~レ~、オ~レ~、チャチャチャ。マツケンサンバ~」などとと思わず口ずさんでいる自分に気がつく次第だ。結局、職場に着くまで歌が頭から離れなかった。これを分析すると、マツケンは1日で編曲を終えたので、その曲に対する集中期間が自分の中でまだ終わっていないのではないか、と思われる。その期間が終わるまで、しばらくはマツケンの歌とお付き合いしていくしかなさそうである。
2005.01.27
ある友人から依頼されて、このたびマツケンサンバを編曲した。編曲するにあたって、送られてきたピアノ譜とCDでとりあえず分析してみると、なかなか和声的に奥が深い曲であることがわかり、気に入ってしまって、一気に1日で仕上げたのである。さて曲ができてしまうと、やっぱり生の演奏が聞きたい欲望がうずうずしてくる。と言うことで、合奏団が2月に予定している老人ホームの依頼演奏曲に提案するため、今日の練習に楽譜を持ち込み、早速みんなに演奏してもらった。最初はリズム取りに苦労していた人もいたが、だんだんノリノリになってきて、これは本番まで間に合いそうな勢いである。曲の締めは、やっぱり「オーレ!」のかけ声がほしい。団員にこのことを話すと、「えー、するんですか」とか「強制ですか(笑)」などと言う人もいたが、まあまあ、そんなこと言わず思い切って明るくいこう。聞いてくれる人が楽しい気持ちになってくれればうれしいものだ。
2005.01.26
リアルの仕事が限度を超えて忙しくなると、マンドリンに接する頻度は明らかに下がってくる。何といっても飯が食えてナンボの話だ。趣味に充てる時間を確保するために最大限努力するが、本末転倒にはしたくない。さて、僕は平成4年に多忙な職場に配属され、そこに6年も在籍した。当時、合奏団ではコンサートマスターの職にあったが、次第に毎回練習に行くことが難しくなっていった。今思えば、それでもよく続けられたものだと我ながら関心する。プライベートの時間が削られれば、当然合奏団の外のマンドリン界との関わりができなくなってくる。当時はインターネットも一般的ではなかったので、ともすれば井の中の蛙の状態になってしまう恐れがあった。さらに平成10年からの東京での単身赴任中は、ほとんどマンドリン音楽に接することはなく、地元からの編曲依頼にできる範囲で応じたのと、日程的に都合のよかった演奏会にアトランダムに数回行っただけだった。その間、多数のマンドリン曲を世に出した作曲家熊谷賢一氏が自作の演奏を禁止していた時期があったということを、最近恥ずかしながらネットで初めて知ったのである。熊谷賢一氏は、大学時代に作品を取り上げた際、二度にわたり直接指導に来ていただいたことがある。とても参考になる練習で、情熱を持って音楽にあたる、という姿勢を目の当たりにしたし、さらに練習の後、居酒屋でいろいろとためになる話を聞くことができた。その中で特に印象が深かったコメントがある。一つは、演奏する場合は作曲者の意図を尊重した解釈をするべきだ、もう一つは、マンドリンの楽曲を作るときはパートの民主化を図らなければならない、ということである。熊谷氏によれば、自分の曲を勝手に取り上げているどこかの団体の演奏会にお忍びで聞きにいったのだが、あまりに自分勝手な解釈によるお粗末な演奏に激怒したことがあったそうである。クラシック音楽の世界では、指揮者によっていろいろな解釈による演奏が存在するが、その解釈の違いも、プロの指揮者が、その音楽的才能と良心に基づいたものであることがほとんどであろうし、それほどはかけ離れたものにはなっていないと思われる。しかし、マンドリン音楽はそのほとんどがアマチュアの楽団によって演奏されており、しかも学生の割合が非常に高い。作曲者の意図を尊重していない演奏が行われる可能性も高いだろう。自分の曲が曲解されているのを見るのは忍びないことは容易に想像できる。編曲者の立場でも、そういうことは言えなくもない。自分の「設計図」には、当然こだわりがあるので、どこかを変更するときは、編曲者にまずは相談してほしい、という思いである。さて、2つ目のコメントである、「パートの民主化」という言葉は、当時は聞きなれないものだった。この精神は、現在の自分の編曲ポリシーのいわば原型であり、相当大きな影響を受けている。長くなったので、この話は、次の機会に述べたい。
2005.01.25
前回、管楽器とマンドリンの音色は本来合わない、とかなり強いトーンで述べた。今回は、別の角度から少し話をしてみたい。幻の国「邪馬台」や「失われた都」で知られる作曲家「鈴木静一」氏といえば、管楽器や打楽器を従えたマンドリンの大合奏の醍醐味を世間に伝えた斯界の権威である。このことについては誰にも疑いのないところであろう。彼が数々の作品を発表するまでは、マンドリン合奏曲は武井守成氏等の楽曲群に見られるように、いわゆる「小品」の域を超えていなかった。鈴木氏の作品は、マンドリン合奏でもここまでできるんだ、という強いアピール性があり、彼の気概と意気込みは熊谷賢一氏や藤掛廣幸氏の作品、そして現在の数々の邦人オリジナル曲に脈々と引きつがれていると言っても過言ではない。さて、鈴木氏のほとんどの作品は、フルート・クラリネットを標準的に使用しており、曲によってはホルンやファゴットなども使われている。僕が学生の時、鈴木氏の作品を取り上げるにはそれなりの勇気が必要であった。それは技巧的に云々と言うよりも、管楽器パートをどう確保するかというところに起因する。通常はオケ部に賛助出演を依頼する。しかし彼らは、そもそも本来の演奏会の準備に忙しい。それでも何とか頼み込んで、本番直前に来てもらうのだが、突然、異質な音色で音の大きいパートがやってくるわけで、それまで半年間、地道に練習してきたマンドリンクラブのプロパー団員は、曲のあまりの変わりように戸惑うのである。よい方に変わるのならよいが、必ずしもそうとは限らない。例えば、ある曲の一部において、特徴的な16分音符の分散和音をドラパートが受け持っているとする。一筋縄ではいかないので、彼らは半年間、一所懸命練習するであろう。その結果、本番直前にはそれなりのできばえになっていて、その場所がきたら他のパート員から拍手喝采を浴びたり、自分たちも意気に感じていたりする。ところが、全く同じフレーズがふられているクラリネットが突然やってきたら、ドラは音量的に負けてしまい、合奏の中で何をやっているかよくわからないという状況になるのである。努力が報われない、とはまさにこのことである。鈴木氏の作品に限らず、オケ曲も含めてそれに似たシーンを僕は何度も見てきた。それでも、本番で曲としてうまくいけばよいのだが、にわか練習なのは否めず、殆どの場合、音がずれたりかすれたり等、満足できるできばえではなかったりする。ここで僕の言いたいことは次の3点である。1つ目は、マンドリン合奏には管パートは標準装備されていないのが当たり前なのだ、ということ。イタリアで発祥したマンドリンという楽器は、中音域を持つマンドラ、低音域を持つマンドセロ、さらには特殊ではあるが、マンドローネ、カルティーノなどの楽器群を生み出して、ギター・コントラバスを加えたマンドリン合奏が形作られた。楽器編成上、ここで完結していると言える。イタリアのオリジナルでは、管楽器が組み込まれた楽曲は非常に数少ないことからもわかる。2つ目は、マンドリン音楽を引き立たせる目的で管楽器を効果的に使用する、という意図が作曲者(編曲者)にあるかどうか、ということ。鈴木氏は、管楽器とマンドリンの旋律を対比させることで、マンドリンの持つ個性を強調しようと考えたと思われる箇所が随所にある。しかし、悲しいかな、そういうことばかりも言ってられず、ついユニゾンで処理してしまったところが少なくなく、そういう箇所ではマンドリン族のプレーヤーは人知れず涙を飲んだことであろう。3つ目は、そういうリスクを背負ってまで管楽器を使用することは、果たして現実的な選択なのかどうか、ということである。マンドリン合奏が、管弦楽に対抗して背伸びしたって仕方ない。僕たちは僕たちの楽器の「個性」「持ち味」を十分生かしていくことを考えていけばよいのではないだろうか。このように考えると、管楽器付きの鈴木氏の作品を取り上げる場合は、曲全体の雰囲気・曲想で勝負するとともに、やや矛盾するが、大胆に濃淡をつけて(演奏的にがんばる所、「あきらめる」所を明確に見極める)ポイントを絞った観客へのアピールが必要であると考える。また、これから作曲をされる方々には、できるだけ管楽器を使ってほしくないな、と思うのである。そして、オーケストラ曲を演奏する場合は、単純にそのまま管楽器を使用したり、管楽器のフレーズを同一楽器にディビジョンで割り振ったり、といった安易な編曲をするのではなく、マンドリン合奏のアピールポイント(特性・音色)を念頭に置いた編曲を行う必要があることは言うまでもない。【この文章は、今後、読み返すたびに手を少しづつ加える可能性があります】
2005.01.20
編曲、特に「マンドリンのための編曲」について、私見をこれから不定期に書いていきたいと思う。まず第1回目は、マンドリンと管楽器の関係について考えてみたい。僕の編曲は、例外なく管楽器は使用しない。僕のポリシーである。なぜか。管楽器のトーンはマンドリンの独特な音色を消してしまうからである。マンドリンの音色は、金属弦をはじくことによって、乾いた音の空気が適度な隙間を生じながら幾層にも重なることにより産み出される。ところが管楽器は、そのせっかくの空気の隙間を埋めてしまうのである。うまく言えないが、埋められてしまった音は単なる平板なものになってしまい、いわゆる「アルコ」楽器を中途半端にした感じに成り下がってしまうような気がする。音色が変質するだけでなく、音量の面でも負けてしまう。世間に出ているマンドリン合奏のためのクラシックの編曲は、通常のオーケストラのように管楽器を使用しているものが多い。しかし、マンドリンは、調律・運指こそ同じだがバイオリンとは違う楽器である。音量も音色も表現方法も異なっている。第1バイオリンと同じ旋律を第1マンドリンに弾かせ、その上に管楽器を単純に乗せてしまうことをすれば、通常のオケより、表現力、音量、迫力に乏しい、いわゆる「レベルの低い」合奏になってしまうのではないだろうか。オケの曲をオケのように演奏したいのなら、それはオケの編成でやるべきだ。マンドリン合奏によるコピーは無理だし、そんなことはやるべきではないと考える。弦パートをそのままマンドリン族にあてはめ、あとは適当にギターパートを創作して編曲を処理するなんてことをやっていては、せっかくのマンドリン合奏のよさが出ないと思う。クラシックであれ、ポピュラーであれ、可能な限りマンドリン族の楽器で表現することで、それらはマンドリン流の楽曲となり、マンドリン合奏の真価が出てくると確信する。
2005.01.17
金星の原調はフラット3つの変ホ長調である。一般的に管楽器はフラット系が演奏しやすいが、弦楽器はシャープ系が演奏が容易なため、編曲の際はその辺を考慮することが多い。まずシャープなら同一弦のフレットをひとつ上にずらせばよい。ところが「ラ」や「ミ」にフラットが付くと、隣の弦にうつる必要がある。きれいな音が出にくいし小指が疲れて面倒である。また、ギターを考えた場合、シャープ4つ(ホ長調)でも1弦と6弦の開放弦(E)を使用することができる。変ホ長調では1弦も6弦も使用できない。この差は非常に大きい。演奏に張りを持たせる意味でもギターの6弦は重要なので、結局、編曲者は面倒な移調に重い腰を上げるのである。今回、金星を編曲するにあたり、スコアを検討した結果、半音上げて移調する方針を立てた。ところが、である。楽譜上は変ホだが、曲が進むにつれ、と言うか随分早い内から「レ」にも「ソ」にも臨時記号が登場する。どんどん調性が失われていくのである。そうなってくると、あれこの音はナチュラルを書くべきかな? それとダブルフラット? もしかすると1回転してダブルシャープだろうか、などと記譜上で迷いが生じてくる。しかも、これはこの曲の特徴であるが、途中で弦楽器パートによって調号が異なって記載される現象が生じている。第1・第2バイオリンは嬰へ長調(シャープ6個)、ビオラ以下は変ホ長調のまま、という箇所が登場する。しかもその中で臨時記号が頻繁に付いてくるのである。もっとも、原調変ホ長調をホ長調に移調するということは、嬰ヘ長調はト長調(シャープ1個)になるわけだから(頭が混乱してくる)、プレイヤーは演奏しやすくなるわけだが。以上の事情に加え、クラリネット・ホルンなどの毎度おなじみの移調楽器の譜面を、マンドリン系楽器のために一旦変ホ長調に再移調する作業も必要なわけで、はっきり言って指揮者の頭は病気になりそうだ。しかし、編曲の段階でこれらの無茶苦茶面倒な移調作業を終えておけば、プレイヤーは比較的楽に演奏することができるのである。昼間の仕事で関係者の調整に手間取りイライラして帰宅したが、そんな時にこの作業をすると、キレてスコアを破りまくる恐れがあるので、今日はもうやめよう。結論。コツコツとあせらずに、じっくりと進めていくしかなさそうである。
2005.01.14
2005/1/11ようやく「火星」の編曲が終了した。明日の練習でさっそく楽譜を配布する。いい曲だが不協和音の連続で難解な曲とも言える。しかし、この曲をやらないと「木星」へは進めない。さっそく、明日からは「金星」の編曲に着手する予定。徐々に気持ちを高めていきながら「木星」を最後に仕上げることにしている。ところで、平原綾香の「ジュピター」はロングランのヒット曲となっていて、新潟地震においては被災者を勇気づけるシンボリックな役割を持っているらしい。原曲はホルストの「惑星」の中の「木星」であることは言うまでもないが、1934年に死去したホルスト作品の著作権は'94年頃に切れたので、こういうカバーが可能になったということである。他のHPで見たが、彼は自分の作品の演奏には厳しい注文を付けていて、楽曲の構成やオーケストラの編成なども細かく規定したとのこと。惑星に至っては全曲一括演奏を基本としていたらしい。しかし、その楽器編成(マイナー楽器も多く、合唱だってある)、演奏時間・技巧的な問題等から、それは非常に困難な話で、一般的なコンサートでは、彼の意向とは別に「木星」で晴れ晴れとエンディング、といった演奏がほとんどではないかと思う。うちの楽団に対しても、火星・金星・木星の3曲セットで提案するつもりだが、そういう編成はホルストの本意とは言えないのもしれない。しかし、こんなすばらしい曲なのだから、演奏機会だって多い方がいいのではないだろうか。演奏する喜び、客席で受ける感動。そして震災で被災された方々が「ジュピター」で勇気づけられているという事実。ホルスト氏も天国で「まあ仕方ないな。みんながワシの曲で喜んでもらっているのなら。」などと理解していただいているのではないかと思いたい。2005/1/12今日は平成17年最初の練習だった。新春弾き初めの曲が難解極まる「火星」とは、楽団員の皆さんにはお気の毒なことである。まあ、今日はこの曲しか用意してないので、さっそく曲の最初から行きつ戻りつしながら何回か練習を進め、最後には1回通してみたが、もともとが不協和音の曲なので、何となくサマになっていた(ような気がする)。定期演奏会まではあと10ヶ月もあるし、これは期待が持てそうである。
2005.01.12
昨夜ぼんやりとテレビを見ていたら、スタッフサービスの新作CMが放映されていた。ガッツ石松氏が起用されていておもしろかったのだが、前からずっと困っていることがある。それは、あのCMの中で流れている音楽が「オー人事、オー人事」であまりにも有名になってしまったからだ。実はあのフレーズは、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」の聞かせどころの一つで、本来的には感動的に観客にアピールするべきところなのだが、演奏会でこの曲を演奏すれば、指揮者の意向とは裏腹にほとんどの人は「オー人事」のコミカルな光景を思い出して微笑んでしまうだろう。CMやドラマで日頃一般に馴染みがあるとはいえないクラシック音楽を使ってもらうことは悪いことではない。むしろ、クラシックに親しんでもらうきっかけとなるだろう。しかし、あまり特定のイメージが固定化するのはいがなものか。特に真面目な楽曲がお笑いとリンクしてしまうとあっては、作曲者も草葉の陰からがっかりしているかもしれない。私もこの曲は以前から演奏したかったのだが、しばらくほとぼりがさめるのを待つしかないだろう。
2005.01.10
正月からホルスト「火星」の編曲に本格的に取り組んでいる。曲がいい曲かどうかは別にして、編曲者の立場からすればハッキリ言ってこの曲は面倒である。まず、やたら大編成である。しかもマイナー楽器を多数用いており、多彩な調律なので譜読みが面倒くさい。さらに旋律も調性もはっきりしない!ホルスト氏の闘志というか気合いがいっぱい詰まった曲なのである。1月12日に団員に配布するようなことを、うっかり口をすべらせて言ってしまったので、私も気合いを入れて作業しなければならない(泣)。
2005.01.08
早いもので今年もあと少しで終わりである。いろいろあった1年だったが、来年はさらによい年にしたい。努力と辛抱。がんばります。
2004.12.31
初めてライブハウスで少人数の演奏をした。少々大人の気分を味わうことができた。演奏終了後はもっとお酒を飲んでもよかったのかもしれないが、もしかしたら後から飛び入りのお呼びがかかるかもしれない(笑)などと勝手に心配していた。メイン演奏はお父さんバンド。なかなかの腕前で、音楽を愛する人達っていいですね。ところで私は久しぶりにマンドリンを人前で弾いたが、マンドリンの音色もいい。ここ数年はマンドセロを弾いていて、それなりに気に入っているが、やっぱりマンドリンもたまには弾きたいですね。来年8月は、昔の仲間とマンドリンアンサンブルの演奏会を山口市で開催することにしており、担当パートは1stなので、そろそろ本腰を入れなければ。
2004.12.26
昨日、定期演奏会を無事終えることができた。とてもよい演奏会だったのではないかと思っている。3部の私のステージは、自分ではもうこれ以上のことはできない、と思える出来だった。それでは世間一般的に言ってベストなのか、と聞かれれば躊躇しないでもないが、自分の現在の力量、曲の解釈、合奏団の演奏力、チームワークなど総合的に考えれば、私は大満足である。ボッタキアリの「夢の魅惑」は学生時代から大好きな曲だった。大学3年の春に大学合同のフェスティバルで少し演奏したが、自分の中では消化不良に終わっており、いつか本格的に取り組みたいと思っていた。今回、その願いがかなって本当によかった。この曲は指揮者にとって難曲であることで有名である。それを承知で採り上げたのだが、色々と苦労したのも事実である。ファブリの「祭」は本番ではリラックスして振ることができた。迫力も出ていて客席の受けもよかったのではないかと思っている。
2004.11.29
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