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滅多に長時間ドラマは見ないのだが今日から二夜連続で放映させる「流浪の王妃」は久々に見なくては!と思うドラマだった。実は裏番組の「人間とは何だ?」も見たかったのだがこちらはビデオ録画することにした。 日本ではラストエンペラーこと宣統帝溥儀は映画化されたこともあり有名であるがその弟薄傑はあまり知られていないと思う。私は10数年前にドキュメントで放映された時に初めてその存在を知り奥さんが日本人であることもわかった。 このドラマで常盤貴子演じる「浩さん」がその人なのだが当時ご存命だった浩さんはどこにでもいるふくよかな品のいいお婆ちゃんでそんな激動の運命を背負って生きていたような悲壮感はなかった。 ドキュメントの中で私が今でも憶えているのが終戦後日本に帰国していた浩さんが当時断絶関係にあった夫のいる中国に10数年ぶりに戻れることになった時の映像だ。浩さんはまるで祖国に戻れるかのような満面の笑みを浮かべて「これで家族で暮らせます」と喜びにあふれていた。本当にご主人を信頼し愛されているんだということが画面からとても伝わってきた。 軍部による政略結婚であったにもかかわらず晩年のお二人はとても仲よさそうだった。形の上では仕組まれた婚姻だったが運命の人に出会ったのだと思う。それ以来私にとってはこのお二人は理想の夫婦だった。 そんな思い入れもあって三時間近くTVに釘付け。ただ浩さんフリークの私としては常盤ちゃんが庶民的なお嬢さんにしか見えなかった。本物の浩さんは芯が強い女性だったけどもともとは華族のご出身。あんな言葉遣いされるかたじゃないわ~って別に私は身内でもないんだけど。竹ノ内豊は物静かで温かい薄傑さんの人柄を好演していてとても良かった。ドラマに没頭していたら夫から電話。今日は月末なので夫はまだ帰ってない。おまけに既に終バスもない時間。予想していたが駅までのお迎えコール。ちょうどドラマが終わる時間だったので終わってから家を出た。う~ん明日の後編も楽しみだわ。
2003年11月29日
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子供たちと「あたしンち」を見ていた。今回はみかんがなぜかあまりかぶらない帽子ばかり買ってしまうというお話だった。みていて私も共感!今は夫の給料のみで生活している身なのであまり衝動買いもしないが若いころは私もよく帽子を買ってしまっていた。買ったときはウキウキするのだが洋服とあわせるとなんか浮いているような気がして全然活躍せずもっぱらたんすの肥やしと化していた。全部で30個以上はあると思うその中にセサミストリートのクッキーモンスターのニットキャップもあった。ショップで買ったときは「可愛いぃ~」と思い買ったのだが当時私は20代前半。さすがに街中でかぶる勇気もなく一度も使わずじまいだった。ムスコの幼稚園は週に一度スイミングがある。その際風邪を引かぬようニットの帽子を持ってきてくださいとのことだったのだが去年ムスメのために購入した帽子が頭のでかいムスコにはかなりきゅうくつそうだった。そこで試しにセサミ帽をかぶせてみるとムスコにはちょうどいいカンジ。本人もすっかりお気に入りでスイミングにはもちろん毎日風呂上りにも自らかぶっている。この帽子を買ったときはまさか自分のムスコがかぶるなんて思いもしなかった。それにしても大人サイズの帽子がジャストフィットな四歳のムスコ。もちろんムスメよりも頭がでかい。この大きな頭にたくさん脳みそがつまっていてくれるといいいんだけどな。
2003年11月28日
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ムスメのお迎えにいったら学芸会の写真が玄関に張り出してあった。ムスメの学校は小さな学校なので写真屋さんが採算がとれないのできてくれないんだと以前教頭先生がぼやいていたことがある。そういえば入学式の集合写真は写真屋さんが来てたけど遠足は教頭先生が自らカメラマンをやっていたっけ。しかし学芸会はさすがに写真屋さんは来てくれたようだ。小学生だと自分でチェックして写真を注文するんだろうがムスメには無理なので自分でチェックする。ムスメは弱視のためカメラを意識して正面を向くことがなかなかできない。しかし今回は劇だったし舞台にあがっている時間も多い役だったので結構写っていた。小さな写真は8枚も写っていたができるだけ大きく正面を向いている5枚だけを注文することにした。
2003年11月27日
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幼稚園で注文していた写真をムスコが持って帰ってきた。七夕会の時の集合写真もあった以前から気になっていたことがある。以前妹のうちに遊びに行ったとき妹の彼氏も来ていた。私は子供たちを預けてちょっと外出したのだがムスコは彼氏と仲良く遊んでいたらしかった。彼氏が帰り妹と話しているとなんと彼氏がムスコに「好きな子いるの?」と聞いてみたらある女の子の名前を言ったというのだ。え~そんなの初耳。いったいどんな子なのかしら?気になる~気になる~ムスコの幼稚園は滅多に幼稚園に出向くこともないのであまりクラスの子の顔は知らない。その点ムスメは毎日お迎えにいっているのでクラス全員の顔はもちろん兄弟の有無まで覚えている。集合写真があればムスコにどの子がすきなのか聞ける絶好のチャンス!と早速写真を見せてみると一人一人名前を教えてくれた。ふむふむこれがいつも遊んでる○○君なのね~とようやく名前と顔がつながってきた。男の子から聞いていってようやく女の子の番。ムスコが好きだという子もようやく判明した。写真写りもあるのだろうがどちらかというと男顔の正直カワイイカンジでない子。ムスコのクラスにはお人形さんのようにすごくかわいい子もいるのにちょっと意外な展開。夫に話すと「なんだよ~あいつこんな趣味なのか~」とやはり驚いていた。ムスコに「あなたが好きな女の子ってこの子?」と聞くと恥ずかしそうに黙ってしまった。やはり図星なのか?四歳といえどやはり男。外見がかわいい子が好みだとばっかり思っていた。でもムスコが好きな○○ちゃんはカワイコちゃん(死語)ではないかもしれないがきっと気持ちが優しくいい子なんだろうな。将来結婚する時も外見重視でなく心の美しいお嫁さんを連れてきてくれるに違いない。と母は今から姑気分だった。来月幼稚園の懇談会があるのでその時は是非チェックしておこうっと!
2003年11月26日
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冬到来という感じの寒さ。そしてあいにくの雨模様。寝起きの悪い私は朝が一番辛い。いつもはムスメには長袖シャツにカーディガンを着せているが今日はさすがにそれだけでは寒そう。土曜日におじいちゃんに買ってもらったコートを着せる。昨日から「明日はこれ着ていくんだ!」と張り切っていたムスメは大喜び。元気に登校していった。帰宅して今度はムスコの登園。制服の上からやはりおじいちゃんに買ってもらったトーマスのジャンパーを着せたところなぜか嫌がる。「寒いから着ていこうよ」というと一人で制服のジャケットを脱いでベストの上からジャンパーを着ている。そんなにジャケットがいやなのかい?時間がきて玄関を出ようとするとリュックに入れたタオルが今日はトーマスじゃないことにご立腹。「ぼく今日お休みする」とごねだした。泣きじゃくるムスコを引きずってバス停まで連れて行くがバスが来ると機嫌をなおしさっさと乗り込むムスコ毎日のお約束とはいえ疲れるわ~ムスコが産まれる前障害のあるムスメ一人しか子供がいなかった頃「私は人一倍子育てに苦労している」という気持ちがあった。何不自由ない子供を育てている母親はさぞかし楽してるんだろうなぁ~とかなり僻んでいた。しかし障害のないムスコを持って初めて「障害があってもなくても子育ては大変なんだ」ということがわかった。うちの場合ムスメのほうが楽だったかもしれない。今日のムスメのお迎えは四時間授業なので一時過ぎ。買い物してから行ったので少し遅めになったのだが教室に入るとまだ帰りの支度をしていない。入学当初は教室まで送迎するようにと学校側から言われていたのだが今は朝は校門までしか送っていない。しかし帰りはいつも準備ができてないこともあり教室まで迎えにいっている。ムスメは越境入学をしているため学校までは4KM離れているので送迎は止むを得ないのだが将来的には一人で通学させたいと思っている。学校は学校入り口という交差点から500M入ったところにありそこからは民家も数軒しかないので車もほとんど通らず通学路のみの道路となっている。安全面でも問題はない。せめて学校入り口くらいからは一人で歩かせたいのだが校舎は丘の中腹に立っているので行きは上り坂なのだ。体力もなく人一倍歩くのが遅いムスメにはまだまだ無理なようだ。ムスメの学校の生徒はみなこの坂を上り下りして通学しているのでどんなに家が近い子でも最低往復1KMは歩いているせいかみんな体力があって元気だ。三学期からは朝は学校入り口から通学させたいと母はもくろんでいるのだがさてさてどうなることやら。ようやく支度を終えて玄関を出ようとするとムスメはおお泣き。傘をたたまずに傘たてにいれたので詰まってしまいとりだせなくなっている。傘の開閉はなんとかできるようになったもののマジックテープをきちんととめるのがムスメにはできない。私がひっぱりだしたものの相変わらずおお泣きしている。我が家のムスメもムスコも今日も相変わらず大騒ぎだった。
2003年11月25日
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実家から自宅に戻ってきました!夫は仕事があり留守番だったのですが金曜日に取り込んでおいた洗濯物がそのまま干しっぱなし!流しは洗い物がそのまま放置!その上頼んでおいた生協の注文書が出してない!昨日は休みだったのにぃ~なんだかどっと疲れが出ました。
2003年11月24日
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今日はどこかドライブに行こうといっていたのにじーちゃんもばーちゃんも一向に出かけようとする気配がない。「今日どうすんの?」と聞くと「アナタが寝坊したから中止よ!」という。それだったら早く起こしてくれよ~既に12時を回っていたので近所にあるリニアモーターカーの試験場に行く。といっても平日しか試運転をしてないので展示物しか置いてない。予定表では昨日だけは特別試運転してたらしい。残念。子供たちは展示物のボタンを押しまくって喜んでいる。展示場にはリニアモーターカーにかける意気込みや利便性などが書いてあるのだが新幹線も飛行機もあるこの時代にリニアモーターカーにそれほど必然性があるのだろうか?だいだい計画を進めたのが昭和48年。昭和48年といえば私はまだ幼稚園児でムスコくらいだった。あのとき幼稚園児だった私が人の親になっているほど時代は過ぎたのにリニア計画は具体的な建設まで至ってないことを考えたら私に孫が産まれる頃にも完成してないと思う。賭けてもいいね。帰宅して両親の年賀状を作成する。父は今年パソコンを購入したのに全然使いこなしていない。一応マスターすべく講習会にも参加しているようだがあまり進歩が見られない。夫の母親も二年ほど前にパソコンを購入したのだが今やメールやHP閲覧などをこなしネットライフを楽しんでいる。私の父も姑も60代だが違いは学習する態度だと思う。姑はわからないことがあると何でも聞く一方父は実の娘に習うのが恥ずかしいのか教えようとしても「自分も習ったから大丈夫」とあまり聞こうとしない。しかも娘の能力をあまり信用していない。パソコンは専門家しか触れないものだと思っているらしい。確かに私も上級者とはいえないがパソコン歴は10年以上なのだ。そのくせ私がプリンターの使いかたがよくわからずあれこれいじっていると「プレビューはしたのか?」とか「葉書は印刷できないのでは」?など検討違いなことを言ってくる。面倒くさいので裏面だけ印刷して表面は自分で任せることにした。母はというと全くの機械オンチなので住所録も作成してあげた。ところが母の手書きの住所録は間違えだらけで一向にはかどらない。母に確認しても「本人に聞いた。この住所で届いたんだから間違いないはず」と言い張る。届いたのは配達の人が苦労して届けてくれたんだよ。世界最先端の技術が進む中でまだまだアナログな世界に生きる人たちも存在する。なんだか両極端だなぁ~
2003年11月23日
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昨日から実家です。おばあちゃんはスイミングのレッスンがあるとかで子供とおじいちゃんとお留守番。実家は山の中にあり遊ぶところもないので四人で買い物に行ってきた。車で20分ほど行ったところにスーパーやおもちゃ屋が隣接しているちょっとしたショッピングセンターがある。実家に来てどこかへおでかけというといつもここが定番になっている。子供たちもよくおぼえていて早速おもちゃ屋さんに直行!不思議なことにうちの子供たちはおもちゃをあまりねだらない。小さい頃からおもちゃ屋に行っても「今日は買わないよ」と言い聞かせているせいかおもちゃ屋さんとは見本を触ったり眺めたりするところと思っていて遊びにいければそれで満足なようだ。せっかくおじいちゃんが何か買ってくれようとしても遊ぶのに夢中で選ぼうとしない。どちらかというと私のほうがおもちゃに夢中。兄弟がいないのでトミカやプラレールなんてムスコが産まれてから初めて手にするようになった。毎回新作が出るたびに色々見て回っている。スポンサー同伴だったので早速何かをねだろうと物色する。足し算引き算ができないムスメ用に遊び感覚でできる算数ゲームみたいなものがないものか探したのだがほとんどがピコやプレステのソフトばかり。手先が不器用なムスメにはキー操作はできないのでもっとアナログな音声ボードタイプを探したもののそういうのは50音や掛け算のものしかなかった。だいだい10までの足し算だったら普通はそんなに苦労せず覚えるのだからそんなゲームはあまりニーズがないのかもね。もっと大きいおもちゃやさんだったらあるのかな?30分ほどおもちゃ屋を堪能した子供たちは隣の洋服屋で服をケーキ屋でアイスをスーパーでお菓子を買ってもらい大満足だった。
2003年11月22日
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三連休になるので今日子供たちが帰宅次第実家に帰省します。ホントはあまり行く気がなく実家から電話があったときも「いこうかなぁ~」くらいの生返事をしていたのですが孫!大好きの両親はすっかり来ると思い込んでわざわざ我が家までお迎えにきてくれました。実家には新しいもの大好きの父が最近購入したパソコンがあるのですがネット接続していないのです。父曰く「ネット詐欺とかウイルスが入るから怖い!」確かにそゆこともあったりもするが情報が偏りすぎ・・・日記は月曜に帰宅してから書きます~掲示板に書き込んでくださった皆様お返事しばしお持ちください。それでは行ってきます!
2003年11月21日
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今日はこれまた寒い。洗濯やっても干せないので家事もおろそかになりずっとパソコンの前に座っている。そうえいば昨日夫に頼まれた年賀状を探さなきゃ。昨年までにきた年賀状が行方不明なのだ。心当たりをあさってみると5年くらい前の古いものしかみつからない。ぐうたらな私は独身の時は書いたり書かなかったりだった。しかし結婚してからは夫の親戚にもださなければならないので毎年きちんと書くようになった。しかしぐうたら夫婦は毎年12月過ぎてからあわて始め投函するのは暮れも押し迫った頃だった。今年は七五三の写真をCD-Rで焼いてもらったのでそれが出来上がる12月まで作成できないのだがそれまでに出す人の住所録を作っておかなくては。今年こそは紅白を見ながら宛名書きだけは避けたいものである
2003年11月20日
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月一回の盲学校のあいさぽーと教室に行ってきた。今回で三回目。毎回ひとりずつ増えつつあり今日から女の子が一人加わった。子供たちは単眼鏡を使う練習をするため別室に出かけていった。普通小に通っていて一番問題なのは弱視児教育ができないことである。最近は単眼鏡や拡大読書機など便利なグッズが多い。しかしこの器具も使いこなすのには訓練を要する。盲学校に在籍していればこういった訓練も授業のカリキュラムとしてあるのだが普通小に通ってしまうと親がなんとかフォローしなくてはいけない。しかし親は素人なので何の知識もない。こうしたプロの先生に指導してもらえる機会があるのはとてもありがたい。子供たちが練習をしている間母親たちと先生で勉強会をすることになっている。今回は弱視になる原因の病気についてだった。教室が始まって三回目になるのだがこの親の勉強会は私には意味がないように思えてならない。確かに子供の弱視について深く学習することも大事なことだと思うし軽んじているわけではない。私自身子供の病気には不勉強で「未熟児網膜症」についてもおなかで目の機能ができる前に産まれてしまったことが原因くらいの知識しかない。でも私は今はそれでいいと思っている。いまさら目のどの部分に損傷があるから障害となるのかどんな治療をしたかなどを再認識したところでなんになるというのだろうか?親は別に子供の病気や障害の研究者ではない。原因を究明したり科学的に分析する必要はないと思う。私は子供の未来の可能性だけを考えるようにしている。過去を振り返ろうとするとそこからは後悔しか産まれない。前に向かって進もうとする原動力が失われてしまいそうになるのだ私が一番今知りたいことは障害を持つムスメにとって最高の環境を与えて成長していけるように親としてどうすべきかということなのだ。今この教室に通っている子供たちは皆普通小に通う弱視児である。それぞれ遠いところから時間を割いてこの場に足を運んでいるのだからもっと具体的な話をしたほうがいいのではないだろうか?この教室が始まった時はとても心強くうれしく思った。同じ障害児を持つお母さん同士で意見を交わしたり励ましあったりする機会があればムスメの学校生活がよりよいものになると思った。勉強会もお互いの情報交換していける場になるものと思ったのだが先生の考える勉強とは実践的なものではなくどこか他人ごとな内容なので退屈な大学の講義を聴いているような気分になってしまう。子供たちも別室から戻ってくると時間となり今回も他のお母さんとは挨拶程度しか話さず今回の教室はお開きとなってしまった。次回はもっと具体的なお話をお母さんがたと話せればいいのだけれど。
2003年11月19日
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今日はムスメは四時間授業で帰宅は一時半であった。宿題も算数プリントが一枚。前と同じ図入りのものだったのでムスメもらくらくこなす。といっても相変わらず数えているからあまり意味がないような気もするのだが・・プリントを終えて授業でやり残した漢字の練習をさせる。これが意外とはかどらず気がつくと三時になっていた。ムスコのバスのお迎えは三時十分が予定なのだがいつも五分前には到着している。なのでなるべくはやめに三時五分にには家を出ている。あと一行できりがいいのでこれを終えたら出ようと思っていたら外からバスの止まった音が聞こえてきた。しまった!と思いあわてて飛び出すとムスコは既に先生に連れられて門の前に立っていた。ムスメはなぜか自分が弟を迎えに行かないと気がすまない。「もぉ~まだ帰ってきちゃだめ!やり直して!」と当り散らし弟を突き飛ばした。不意をつかれたムスコはそのまますっころび大泣き。これには私も激怒。「何すんじゃぁ~」とムスメの頭を叩き裸足で外にでたムスメの靴を庭に投げて「靴を履いてから家に上がりなさい!」と庭にムスメをたたき出した。しかしムスメは納得がいかないようで靴もはかずに怒っている。ようやく片方を履いて玄関のドアを叩きまくっていた。「靴は両方履く!そしてつきとばした事を弟に謝る!」というとしばらくめそめそしていたがあきらめがついたらしく靴を履いて「弟に謝る」と言い出した。さっきまでおお泣きだったムスコはけろっとしていつものようにトミカで遊んでいた。ムスメが謝ってもさきほどの一件は忘れてしまったかのようだった。姉弟喧嘩など当たり前だしちょっとした小競り合いなどは私は気にせず見てみぬふりをしている。しかし理由もなく暴力をふるったり注意したことを何度も繰り返した場合は私は容赦しない。きちんと反省し謝るまで庭にほうりだすことにしている。子供たちの泣く声もハンパじゃないので近所には「幼児虐待?」と思われているかもしれない。もっといい方法はないかな?とも思うのだがこのやり方が一番効果的なようだ。子供たちも「悪いことをすると放り出される」ことを自覚していて最近はすぐに侘びをいれ態度を改めようになった。母の「表に出ろ!」の一言は我が家での究極のお仕置きなのだ。
2003年11月18日
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月曜日はムスメは五時間授業なのだが今日は四時間目で給食を食べて終わり。そのためお迎えがいつもより一時間も早い。何故かといえば今日は就学児検診があるのだ。早いものでムスメの就学児検診から一年たったわけだ。ムスメは就学にあたり最初から普通小を希望していた。しかし障害のあるムスメがすんなり就学できないだろうと予想はしていたもののこの時の私はかなりのんきだった。一度教育委員会に電話はしてみたものの「就学児検診を受けてからお話を」ということだったし検診の通知も来ていたので話は私の希望通りに進んでいくものとばかり思っていた。ムスメの学区の小学校は私の卒業した学校。歩いて五分の近所にあるものの足を踏み入れたのは20年ぶりだった。私がいた当時は生徒数1200名もいたマンモス校だったので校舎もかなりでかい。遅刻してはいけないとかかなり早めに家をでたが受付は番号順だったので結局あとの順番になった。(我が家の苗字は50音だとかなり遅い)それにしても子供が多い。少子化なんてどこの国のハナシだよ。と思うほどだ。検診は視力検査を除いてスムーズに終わった。視力検査は数メートル先の絵が何かをいうだけの簡単なものだったがもちろんムスメに見えるわけない。他の子は30秒もかからず簡単に終えて次の検査にいってしまったがムスメは5分以上かかってしまった。検診の途中で幼稚園のクラスメートにあった。この日ムスメは盲学校へ行っていたので友達とは会っていない。ムスメの幼稚園は地域でクラス分けをするので同じ学区のお友達が多い。みんなで「小学校も一緒だね!」と大喜び。ムスメも顔見知りの友達に会えてご機嫌だったが笑顔のムスメを見て「本当に入学できるだろうか?」と不安にもなった。検診が終わった後は教育委員会と校長との面談があった。これが終わったのが一時間後。結局二時間以上かかり校舎を出たときはもちろん誰もいなかった。今思うとこれが就学問題の始まりだったと思う。ムスメの就学問題は本当に悩んだ。ムスメの障害を考えると普通少での生活は問題が生じることは必至でそのデメリットを考えるなら少人数の障害者学校でムスメにあった教育をしてもらうのがベストなのかもしれない。この頃ムスメにどちらの学校に行きたいか聞いてみたことがある。ムスメは「幼稚園のお友達と同じ小学校に行きたい」とはっきりいった。「○○小学校はお母さん車で送ってかないよ。一人で歩いていくんだよ。」といっても「大丈夫!」「盲学校だったら遠いからお母さん車で送っていくよ」といっても「いいの みんなといくの!」と気持ちは揺るがないようだった。当時五歳だったムスメは普通小に進むことの大変さはわかってなかったと思う。ただ幼稚園のお友達と同じ学校に通って遊べるんだ。くらいの気持ちで普通小に行きたかったのだと思う。この言葉を聞いて私は周囲からどういわれようともムスメを普通小にいれることを決意した。あれから紆余曲折を経てムスメは検診に行った学校ではなく隣の学区の小学校に通っている。検診の時一緒だったお友達とは違う学校になってしまったのが唯一心残りだったが今の学校にも幼稚園のお友達がいたので元気に通っている。
2003年11月17日
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最近夫の休みの日は必ず喧嘩になってしまう。夫はかなりのぐうたら。私もかなりのぐうたらだが私以上のぐうたらである。まあ似たもの夫婦といえばそれまでなのだが。洗濯を終えて子供たちの上履きを洗おうとするとムスコの靴がない。寝転がってTVを見ている夫に聞いてみると「さっき見かけたよ。どっかに転がってるんじゃないの」と探そうともしない。人が忙しくしてるのにこの態度!私はすっかり切れてしまい「どっかに転がってるんだったらすぐみつかるでしょ探してよ!」というと「ないのは俺が悪いのかよ!」と逆切れしだし部屋を荒らしながら探し始めた。別に上履きが行方不明なのは夫のせいとは言ってない。妻が忙しくしてるのに「俺関係ないもん」という態度が気に入らないのだ。ムスコに聞いても「居間にあった」というのだが見つからない。上履き探しを断念し寝室の掃除に行くとリュックに詰めた上履きを発見した。ムスコはなぜか袋に物を詰めるのが大好きで何かなくなると必ず彼がどっかに詰め込んでいることが多いのだ。靴は見つかったものの夫には腹が立ったのでしばらく口を聞かなかった。子供たちが公園に行きたい~というので夫にいうと連れて行くというのでお願いした。ところがムスメは「お母さんと行きたい!」と言い始めた。私の予定では子供たちがでかけている間に家事を済ませてしまいたい。「お父さんとは行かない」というムスメに夫が怒り出す。夫は子供たちになつかれていない。「仕事が忙しくて子供たちと過ごしてないからだ」というのが夫の言い訳なのだがそうじゃない。短気でちょっとしたことですぐに怒るのだ。だから子供たちも嫌がる。子供たちを怒る頻度で言えば母親の私のほうが機会は多い。私は子供を怒る時は一つのことしか怒らないしなにが怒られる原因かを子供たちにきちんという。手をあげることもあるが注意されたことを何度もした時危険な行為をしたと時だけで自分の感情だけでしてはいけないと思っている。結局公園はムスコと夫が行き女二人は家で留守番となった。
2003年11月16日
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怒涛の一週間が終わり土曜日がやってきた。といっても親子三人で今日はどう過ごそう?子供たちは公園に連れてけぇ~とうるさい。公園に行くといっても結局は私も行かなくてはならない。私が子供の頃はムスメの年齢には妹を連れて二人で近所を駆け回っていた。最近の子供でも一年生ともなれば一人で公園くらい行けるに違いない。そう思うとムスメの外出にいちいち付き添わなければならない自分はかなりの負担を強いられているように思う。以前盲学校の先生から子供の身辺自立を促すため一人でお使いに行かせるように提案されたことがある。我が家から一番近いコンビニまで子供の足でも五分とはかからないがいまだに一人で行かせたことはない。コンビニまでは大きな道路の信号を渡らなくてはならない。ムスメが信号を判断してきちんと渡れるかが不安な私はどうしてもムスメを一人で外出させる勇気がない。過保護なのかもしれないと自問自答することもある。けれど昔と違い今は交通量も多いし変質者も多い。今年に入っただけで数十件もの子供の行方不明連れ去り未遂があるというニュースを聞くたびに身震いがする。今の社会事情やムスメの障害を思えば親が付き添いは止むを得ないと思う。もう少し時がたてばムスメも成長して一人で公園にいってくれる日がくるだろう。さあ!公園に行くぞ!と思ったら待ちくたびれた子供たちは昼寝をしてしまっていた。
2003年11月15日
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久しぶりのお天気で朝から洗濯機を二回も廻してしまった。これから日が短くなりつつあるのでおてんとさまがあるうちにがんばらなくてはならない。これ主婦の常識。専業主婦だし一軒家住まいなので好きな時に洗濯機が使えるがお仕事してる子持ちの主婦のかたはどうしてるのだろう?OLしてた時は休日にまとめてやるのもありだったけど子供がいる今ではそういうわけにもいかない。やっぱり乾燥機もってるのかな~ああ乾燥機が欲しい・・・ようやく洗濯が終わったと思ったらもうムスメのお迎えだった。恐怖の宿題はB5判のさんすうの宿題。イラスト入りなので問題数も少ない。帰宅するとすぐの今度はムスコのお迎えだったのでムスコが帰宅してから宿題を始めた。ムスコがうるさくムスメもなかなか宿題に集中できなかったのだが最近のムスコはお姉ちゃんが宿題を始めると一人おとなしく大好きなトミカで一人遊びをしてくれるようになった。少しはお兄ちゃんになったのかな?プリントにはイラストが書いてあったのでムスメも今日はさんすうブロックを使わなかったせいか20分ほどで終わってしまった。いつも一時間以上かかってることを思うとなんだか物足りない・・・・そこでやり残した以前のプリントをやらせてみた。一学期のものも残っているのでたまりにたまって20数枚ほどある。最近もらった100マスプリントなどはかなり時間がかかりそうだったので途中までやってあるカタカナのプリントと五月くらいにもらったと思われる9までのたしざんをやらせた。すると驚いたことにどちらも10分かからないで終わってしまった。たしかにどちらも簡単だが宿題として出た頃にやったのなら一時間はかかったはずだ。弱視のムスメにとって普通小での学習進度はかなり速い。ムスメが一生懸命やって追いつこうとしてもみんなはどんどん先に進んでしまうのでますます取り残されてしまっている。それを見てしまうとどうしても私もあせってしまう。一学期のプリントに書いた名前をみていると好意的にみてもひらがなとは判別できない字だった。しかし二学期のムスメの名前はとりあえずひらがなとして認識できるくらいの字になっている。毎日ムスメと接しているせいか細かな日々の成長に気づかないことが多い。でもムスメは確実に前に進んでいる。歩みはのろいかもしれないがちゃんと進歩しているのだ。日頃ムスメには怒ってばかりだったがもっとムスメのがんばりを認めてあげなくてはと反省した。
2003年11月14日
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今日のムスメの宿題は国語の漢字練習と教科書の音読だった。算数に比べれば国語は得意科目。今日こそは楽勝ね!音読の宿題は「ぼくんちのゴリ」そう聞くとどうしてもガレッジセールのゴリが頭の中に出てしまう。教科書のゴリは犬なのだがなんで犬の名前にゴリ?4Pの短い文章だったので音読は10分もしないで終わってしまった。漢字もだいぶ入ってきているが何回か読めばどうにか覚えられているようだ。よかった。よかった。今日の漢字練習は「花」「学」「校」画数もかなり多い字ばかかりだ。「校」なんてへんとつくりのある漢字も出てきてしまった。国語ノートに一行練習していくのだがとにかくマスに収めることが難しい。ムスメの場合マス目の罫線が薄くて見づらいのだろう最初にどこから書いていいかわからず私が横で教えないととんでもない位置から書き始めてしまう。「花」はなんとか書けたものの草かんむりが妙にデカイ。まあとりあえず花という字に見えればいいか。問題は「校」の字「木」は左半分に細長く書くのが難しい。加えて三画目を縦線と横線のクロスしたところから始めるというのが見えないらしくどうしてもずれてしまう。私もだんだん語調が荒くなりしまいにはムスメも泣き出し鼻水をたらしながらいつものように一時間以上かかって宿題が終わった。二学期から漢字の学習が始まったので多少の不安はあったものの「読む」ことはなんとかこなしていたようだったし私は算数のことで頭がいっぱいだったので国語はしばらくおろそかになっていた。先生からは「今はパソコンの時代ですから書き順とかとめやはらいはそんなに気にしなくていいですよ」とは言われている。確かに私も読めるはずの漢字もいざ書こうとすると怪しげだ。とりあえず読めるだけでもムスメにしては上出来なのだ。まあ少しずつやっていくしかないだろう。今日はなかったが「さんすう」という大きな山が我々親子には立ちはだかっているのだから。
2003年11月13日
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我が家の子供は六歳と四歳。数え年でいえば七歳と五歳なので二人まとめて七五三をやるにはうってつけ!の年頃なのだ。とはいえぐうたらな母はなんの準備もしないまま11月になってしまっている。いやいや一応双方のおばあちゃんに衣装があるか聞いてはみたのだ。ムスメの着物はあるときいていたのだがムスコ用の袴を準備しなくてはならない。しかし姑に聞くと「あの頃はモノがない時代だったので近所みんなで貸し借りしていたので今は手元にない」とのこと。一回のみ着用の袴を購入するのもバカバカしい。姑は「購入するならお金を出す」と言ってくれたのだがやっぱりもったいない。そこでお参りは割愛して写真だけとることにした。本来はお参りが大事なはずだから本末転倒だけどそんなたいした家柄でもないしまあこれでいいや。ぐうたら夫は「七五三?やらなきゃ。いややるべきだ」と力説していたが特に用意などしてくれない。このままではまたなぁなぁになってしまう!と危機感を感じた私が近所の子供写真館の予約をした。写真館で撮影するのはこれが二度目だ。しかし初めての撮影は苦い思い出がある。ムスコのお宮参りの時だからちょうど四年前。写真撮影をすればお宮参りの衣装は無料で貸してくれるというので家族も四人になったことだしと軽い気持ちで挑戦してみた。ムスコは当時生後二ヶ月。私が抱っこしていれば非常におとなしくしてくれていたが問題はムスメ。2歳9ヵ月になっていたがカメラの位置がわからずまっすぐファインダーを見ることができない。何枚とってもよそ見をしている写真しかとれなかった。う~ん 今回もいやな予感。写真館は我が家から歩いて一分の場所にある。予約時間の四時半に行くと既に何組かが待機。かなりの混み様だ。早速衣装を選んだ。ムスメははっきりした色合いが似合うので七歳用の衣装の中から一番濃い赤の着物を選んだ。ところがかなりでかすぎで着られない。六歳とはいえ身長105cmのムスメにはやはり大きすぎたようだった。やむなく三歳のサイズの中で帯がつけられるものを選んだが七歳サイズより選べるものが限定されてしまった。赤の着物にしようと思ったがムスメが「ピンクがいい!」というのでピンクにしてみた。今度はムスコの袴を選んだらこちらもムスコには大きめ。またもや小さなサイズから選びなおす。我が家の姉弟はチビきょうだいなのだった。予約時間から一時間ほどして名前を呼ばれようやくヘアメイクが始まった。お化粧したり髪を結い上げてもらいムスメはとってもうれしそうだった。写真は子供二人と家族四人の二枚をとる予定だった。最初に子供たちで撮影開始。横でみていて心配だったがカメラマンの指示に従ってじっと待っていた。ムスメが正面をみることができるか心配だったがカメラマンも慣れたもので人形をもったり「上手だねぇ~」とほめちぎったりしてくれたのでカメラの方を向くことができとてもいい表情をしてくれた。いつもは暴れん坊なムスコもいやにおとなしくおすまし顔でカメラに収まっていた結局写真館を出たのは七時近く。二時間半もかかってしまった。出来上がるのは三週間後だがとても楽しみだ。
2003年11月12日
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ムスメは毎日楽しそうに学校に通っている。しかし朝の支度が遅く毎日「早くして!」と怒鳴られながら車に乗り込み登校している。一方のムスコはといえば朝はなぜかご機嫌ななめで「今日はお休みする!」とごねる。玄関を出るまではご機嫌なくせに私が先に門を開けたとかタオルがお気に入りのトーマスじゃなかったとか些細なことが原因らしい。ところがバスがくるとあっというまに機嫌を治しさっさと乗り込んでいくのが毎日のお約束となっている。四月に入学&入園した子供たちも半年たってそれぞれ馴染んできたようである。しかし気がかりなことが一つあった。最近ムスメのエンピツが齧った跡がありボロボロなのである。二学期からかけ始めた眼鏡のつるもおなじく噛み跡が残っている。最初に見つけた時は「エンピツやめがねを齧ってはいけない」ときつく注意したのだが相変わらず治っていない。想像するにムスメはクラスでの授業内容についていけないのだと思う。先生の話すことも理解できないことが多く暇つぶしに手近なものを齧ってしまっているのだろう。ムスメを普通小に入学させる時に一番心配したことは「クラスメートと仲良くなっていけるか?」ということだった。幸い級友や先生に恵まれ安心していたがムスメにとって普通小のペースはあまりにも早すぎ理解できないことが多すぎてストレスがたまっているのかもしれない。こういう場面に遭遇するとムスメを普通小に入学させたことがよかったのかとても悩んでしまう。近い将来ムスメも自分の障害を自覚し普通小での学校生活が苦になる時がくるかもしれない。その時がきたらすぐにでも転校するべきだと思う。普通小への就学はムスメにとってベストな選択だと思っただけでありそれがベストな環境でなければ転校するのには何のためらいもない。しかしムスメは学校生活をとても楽しんでいる。一度も学校をイヤだといったことはないし帰宅するといつも楽しそうに学校での出来事を私に話してくれる。ムスメの笑顔が続く限りは今の学校でのムスメの様子を見守ること 私ができることはこれしかないと思っている。
2003年11月11日
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天気予報では雨で冷えるとは聞いていたけどホントに今日は寒かった。ラッキーなことにムスメは学芸会の代休でお休み。ムスメの送迎がないぶんお寝坊することができた。いつもより時間に余裕があってのんきにしていたら今日はムスコのスイミングだったことを思い出す。水着もってかなきゃと用意したらスイミングの日は体操着登園だったことを思い出してあわてて袋から取り出してムスコに着せた。あまりの寒さに家事をやる気力も失せ雑誌をみたりして布団でだらだらすごしていたらあっというまにムスコの帰宅時間になってしまった。ホントは今日はムスメのたまっている宿題をやろうと思っていたのに・・・ああぐうたら母である。
2003年11月10日
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我が家の子供たちはそれぞれにコダワリがある。ムスコは何にでもこだわりがある。一番のこだわりは洋服。気に入った洋服でなければ絶対袖を通さない。最近は飛行機柄のTシャツに飛行機柄の半ズボン。ズボンは90cmでかなりきつめなのにそれでも無理して履いている。しかし半年前までは長袖長ズボンが彼のお気に入りであった。汗ばむ季節になっても相変わらずこのスタイル。幼稚園の制服も一学期までは必ずジャケット着用しないと気がすまなかった。ムスメはというと洋服にはあまりこだわりがない。朝私が用意した服をみて「今日はズボンがいい」といっても「スカートにしなさい」というと素直に従う。しかし細かな点ではこだわりが強い。電子レンジを使おうとするととたんに飛んでくる。「だめ!私がやるの!」おかげでちょっとコーヒーでも飲もうとレンジを使おうとすると2Fにいてもレンジの音を聞きつけて駆けつけて激怒するのでおちおちレンジも使えない。そのほかお米を研ぐじゃがいもの皮むきスーパーでの買い物かごの片付けなど私がやっているのを見つけると烈火のごとく怒りだす。思えばムスメが小さい頃なるべくお手伝いをさせようとムスメができることをやらせていたのだったがその行為は今でも自分だけの仕事と思い込んでいるらしいのだった。本人は「お手伝いしてあげている」と非常に張り切っているのだがはっきりいって大変迷惑。おとなしくしてくれていたほうが助かるというものだ。しかしもちろんムスメにそんなこといえるはずもなくムスメに見つからないようレンジを使い米を研いでいる母なのであった。
2003年11月09日
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ムスメが長い間練習していた学芸会の日がやってきた。一 二年生が合同でかこさとしさんの「おたまじゃくしの101ちゃん」の劇だった。ムスメの役はおたまじゃくしの11ちゃん。人数の多いおたまじゃくしの役なのでその他大勢の役だと思っていたがソロのせりふが4つもあるし出番も多い。ムスメが果たしてできるか不安だった。夫は仕事なのでビデオ係りも私の役目。ムスメの劇が始まるとそれまでおとなしくかったムスコが騒ぎ出しビデオはかなりぶれまくっていた。ビデオ撮影に必死でムスメをあまり見てなかったのだがおたまじゃくし役の子が多いので(実際は101匹もいないのだが)舞台にいる間は自分のせりふよりもたっている場が多い。そのときにどうしても他の子の動きと違い正面をみて立っていたりができず後ろを向いたり座り込んでしまったりしているのが目立っていた。まあ他の父兄はそれぞれ自分のこどもだけをみているから気になったのは私だけかもしれないが。でも自分のせりふはなんとかいえて劇自体は大きな失敗もなくきちんとできていた。心配だった声の大きさも自分で意識して大きな声をだしていてなんとか聞こえていた。帰りにご褒美のジュースをもらってムスメはとてもご機嫌だった
2003年11月08日
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今日はムスコの遠足デー。といっても幼稚園で勝手にいってくれるし給食もあるので親はまったく手がかからない。付き添いが必要でお弁当も持参だったムスメの遠足に比べればとってもらくちんだった。子供たちが出かけてので前々から行きたいと思った場所に出かけてみた。ある場所とは美容院。実はワタシ美容院に行くのは一年ぶりである。明日はムスメの学芸会があり他の父兄の方たちとも久々にあることになる。専業主婦をやっていると人とある機会が少なく美容院に行くのもなんとなく先送りになっていたが今日こそは!と意を決したのである。美容院っていつも同じところに行く人とそうでない人がいるがワタシは後者の人。同じ美容院にはあまり行ったことがない。美容院ジプシーなのだ。今回は駅前にできたところに行ってみた。オープン価格でカット料金3000円!このお値段ではイマイチ不安だったがお店は明るい雰囲気でカリスマ美容師がいてもいいくらいの店構えであった。シャンプーってフツウ見習いの新人さんがきてカットは別な人が多いのだがここは同じ人がやってくれた。私はあまり注文をださない。「手入れが簡単なようにお願いします。」子供が産まれてからは「結べる長さに」という注文も出している。それ以外は美容師さんにおまかせ。髪が多いのでかなり段をいれてもらった。前髪の量を多くしたせいか少し幼くなった気がする。20CM以上切ったのでとっても軽くなった。慢性の肩こりも少しは解消するかも。仕上がりはとても満足だった。美容院を出て買い物にいったらもうムスメのお迎えの時間だった。遠足だったのでムスコのお迎えは普段より一時間遅く四時過ぎだった。ムスコはとってもご機嫌で「ワニさんとパンダさんみたよ」と言っている。しかしムスコが行った動物園にはワニもパンダもいない。彼はいったい何をみてきたのだろうか?
2003年11月07日
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ムスメのクラスの先生は基本的に毎日宿題が出る。後ろの黒板に書いてあり子供たちはそれをノートにメモすることになっているのだがムスメの場合まず書いてあった試しがない。そこでお迎えにいったときに宿題の内容をチェックしている。今日の宿題を見ると「算数ドリル」とある。ここしばらく100マス計算プリントが続いていたので正直ほっとする。ドリルは20問程度しかないからそんなに時間はかからない。 今日は楽勝だわ。先生に確認してみると「今日から引き算の繰り下がりに入りました」といわれた。うわ~ 引き算に入っちゃったよ。しかも繰り下がり。もうお手上げだよ~帰宅して早速とりかかる。ムスメはおそらくまだ足し算 引き算の概念があまりできてない。私が指示したことをやっているだけなので引き算をやっていても足していこうとする。12-9 の問題では10と2のブロックを用意し10の列から9をひく。そして残った1と2を足して3という答えを出すプロセスがある。つまり「10-9」と「1+2」の二つの計算をしないと答えがでないのだ。そう考えると繰り下がりってとっても難しい。自分も昔通った道のはずだが昔すぎてどうやって理解したかを忘れている。とりあえずブロックを使ってやらせるが9をひく時もブロックを一個ずつどけながらやっている。「指で数えて一気にどけて!」というとなんとかやっているが相変わらず遅い・・・しかし100マス計算の努力が甲を奏したのが20問を40分程度で終わらせることができた。以前は1時間以上かかっていたことを思えば多少は進歩しているのかもしれない。算数との戦いはまだまだ続くのだった。
2003年11月06日
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いつも朝は弱い私だが今日はホントに眠かった。昨日の夜ムスコが突然夜泣きをし始めて眠れなかったのだ。ムスコは寝つきが悪く添い寝しないと寝てくれない。眠りも浅く夜中に泣いて起こされるのもよくあることだったが幼稚園に通い始めてからはぐっすり眠ってくれるようになった。なのに何故~具合が悪い様子でもないのだが抱っこしても泣き通しだった。何時までかはおぼえてないが三時近くまでずっと泣きわめいてたような気がする。寝不足のムスコも当然不機嫌。なかなか起きず「お熱があるからお休みする」ときた。今日は週一回のお弁当デー。せっかく作ったのにいまさら休ませるのはなんだか損した気分。ムスコのおでこを触ってみてと多少熱い気もするがおしっこも出ていたしいつものぐずりと判断した。先週は雨で中止になった「おいも堀り」の日なのだ。せっかくだからおいもを持って帰ってきてもらい我が家の貧弱な食卓にもう一品加えたい。計算高い母なのだった。「○○君も○○君もみんな待ってるよ~お休みしたら遊べなくなっちゃうよ~」と説得するとしぶしぶ着替えだした。それでもちょっと心配だったが通園バスが来ると我先に乗り込んでしまい元気に登園していった。やっぱり仮病だったのね。寝不足で元気の出ないぐうたら母はムスメのお迎え時間まで布団に入ってビデオをみたりだらだら過ごしてしまった。ムスコは帰りもいつもどおり園バスでのドライブを楽しんで元気に帰ってきた。おいもは小さいのが三つほど。去年ムスメはもっと持って帰ってきたような気がするのだが・・・年少さんは少なめなのかな?おいもは早速ふかしておやつに。残りは夕食のおかずとなったのだった。
2003年11月05日
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ようやく子供たちが登校&登園してくれました。あとはお迎えまでは私の時間。と思っていたら玄関のチャイムの音が・・・なんだ?と思っていたら怪しげな男の人。「実は私どもの店が最近オープンしまして」場所は我が家からはかなり遠い駅前。しかもそのお店が何なのかもいわない。絶対怪しげ・・・「そちらのほうにはあまり行きませんので」というと「ただいまキャンペーンで姓名判断をしてるのですが」ときた。私は占いといった類はまったくといっていいほど信じない。子供の名前も姓名判断などは一切気にせず名づけた。後で調べてみたがムスメは男だったらかなりいいらしいのだが女の子は強すぎて凶。ムスコもあまりいい画数ではなかった。でも気にしないもんね。「占いってあまり信じないんです」とつれなく断ると「そうですか 素敵なお顔をしてらっしゃるからとても幸せな毎日を送られてるんですね」おいおい 今度は顔相占いかい?「お時間ありましたら今手相を拝見させてもらっているのですが」話が長くなりそうだったので「ごめんなさ~い もうすぐ子供のお迎えがあるので」(もちろん嘘)と言ってお帰り願ってもらった。専業主婦になって家に一日中いると電話や訪問でやたらと勧誘がやってくる。正直かなりうざいが私は100%お断りする自信アリ。ポイントは1相手の話を全く聞かないコト2断る理由は必ず他人のせいにするコトこの二つを押さえておけばどんな勧誘の魔の手からも逃れることができるはず!なのだ。最近多い布団と浄水器の勧誘はどんなメリットをいわれても「だから?私全く興味なし!」と無表情で通したらあきらめてかえっていったしリフォームや水道工事は「ごめんなさ~い この家は大家さんに聞かないとダメなんです(ホントは親所有の家なのだが借りてることには変わりなし)」と決定権が私にはないことをアピールするとさすがに相手も引かざるを得なかった。新聞勧誘の時に「夫に相談しないと決められません」(またもや大嘘)といったら「アナタはご主人の許可がないと何も決めれないんですか~」と呆れられたが 人のせいにすると丸く収まるのだ。さあ~勧誘!来るなら来い!とご満悦だったが今日はムスメが四時間授業だったことを思い出した。迎えの前に買い物行かなきゃ!とあわただしく家を飛び出した。
2003年11月04日
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世間的には三連休だが私にとっては親子三人で過ごさなければならないブルーな日である。一番面倒なのが昼食作り。日頃は二人とも給食があるのでお昼ごはんなど残り物でさっとすませられるが子供二人がいたらそういうわけにもいかない。土曜はラーメン 日曜は丼でごまかしたが三日目ともなるといやになってきた。「そうだ!マックへ行こう!」子供たちに告げると二人は大喜び。私が支度をしていても「早く早く」とうるさい。マック大好きだった私だが年のせいか最近はどうも苦手である。でもご飯の支度をするよりはまだましだ。近所のマクドナルドに行くと結構混んでいるが一時を過ぎていたので席は空いていた。今回のハッピーセットはミッキーマウス。かなりでかかった。子供たちはうきうきしながら食べていると店内に入ってきた女の子が私に気づいた。どこかで見た子だと思っていたらムスメの同級生だった。思いがけないところで同級生に会えたムスメは大喜びだった。しかし母は複雑・・・ムスメは盲学校に通っていたのでご近所にはほとんど顔見知りがいなかった。知り合いがいなかったので近所を歩くときの私ときたらかなり無防備。化粧もせず服もジャージみたいなものをきて出歩いていた。ムスメが小学生になっても学区の小学校ではないのでやはり知り合いにあう確率は低かった。そのため今でもついつい気を抜きがちで本日ももちろんノーメイク服装はコ汚いトレーナーにGパンだった。こんなところで知り合いにあうなんて・・・日頃から誰に見られても恥ずかしくないカッコウをしておけばよかった・・・恥ずかしさのあまり同級生のお母さんには挨拶もそこそこだった。早くこの店から退散せねば!と急いで食べていると今度はムスコが「あっ!たっちゃんいたよ!」幼稚園の同級生を発見していた。
2003年11月03日
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日曜日は一番我が家が荒れている。土曜日は一日中子供たちがいるので部屋がめちゃめちゃにされてしまう。おもちゃが散乱。絵本は本棚からすべて出されてしまったままになっている。おまけに夫が服を脱ぎっぱなしで読んだ本もそのままにしてしまう。夫は本がきちんとしてないと怒るくせにそのわりには本棚にもどすこともせず置きっぱなしなのである。もとの位置に戻すだけで私の一日が終わっていく気がする。そのくせ夫は「何かヒマだなぁ~どっか出かけていい?」とくる。何をどうしてヒマなのか?ムスメが必要な器具にだいしょばんというものがある。だいしょばんとは絵を描くときの画板のようなもので折りたたんでななめにする器具である。ムスメは弱視なので何かを見ようとするとどうしても前かがみになってしまい姿勢が悪くなってしまう。それを改善するための器具なのだが市販品を買うと5~6万するものらしい。なので手作りする人がほとんどなのだが夫は「そんなもの俺が作るわ」と請け負っていた。小学生になったら必要だからといっていたのにもかかわらず半年だったいまだに作成してない。「早く作れ!」と催促しても「道具が足りない」だの「部品がない」だのごねていまだ完成に至ってない。平日は忙しいから休日に作成するかと待っているのに忘れているのか一向に作る気配がない。ヒマじゃないだろ!夫!
2003年11月02日
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朝起きたら既に九時過ぎていた。今日はムスメが通っていた盲学校の文化祭があり「是非来てね」とお誘いいただいてたのにこれじゃあ間に合わない~やむなく行くことをあきらめた。最近週末はすっかりお寝坊さんになっている。もっと早起きしなくちゃいけないと思いつつ子供たちに起こされてようやく目覚めている家事を終えてたら既にお昼過ぎ。昼食を終えて昨日まだ終わってない宿題を終わらせたら既に四時近かった。子供たちには公園に連れて行く約束をしていたのでやむなく出かける。うちには主にいくいきつけ?の公園が二つある。一つはブランコと滑り台と砂場だけの小さな公園もう一つはもともと山だったところを整備したでかい公園。どちらも5分たらずの近所だが小さい公園のほうが若干近い。日も既に傾いているしチビ公園でお茶を濁そう!と思っているとムスコはチビ公園ムスメはデカ公園がいいともめだした。私としてはムスコに賛成!だったのだがムスメは強固にデカ公園にいくことを主張したのでやむなくデカ公園に向かった。デカ公園の入り口は近いのだが遊具がある場所まではかなり遠い。遊具のあるところまで行くと5歳と3歳くらいの兄弟が遊んでいた。四人でトランポリンで遊んでいたが一人が「滑り台に行こう!」というと一斉に移動してしまった。おそらく普通の一年生の女の子は幼稚園児とは遊ばないと思う。一緒にいても遊んであげるという感覚で接するだろう。しかしムスメは発達が遅れて能力的には5~6歳。ちょうど幼稚園児と遊ぶのが一番楽しいようだっだ。ムスコは螺旋状になっている滑り台を逆走して登り始めたなんて無茶な!とおもっているとすいすい上まで登ってしまった。それを見たムスメも上り始めたが半分まできたところで力つきて落ちてしまった。体力面ではとうとう三歳下の弟に追い越されてしまったようだ。がんばれ!お姉ちゃん!
2003年11月01日
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