2003年12月01日
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カテゴリ: 障害 子育て
子供たちが出かけてから
ようやく土曜に録画した「人間とは何か?4」を見た。
年に一回くらいのスペシャルなのかな?
放送の度に欠かさず見ている。

いくつかのドキュメントがあったが
どれも興味深く面白かった。
中でも未熟児の脳を育てるというものは
ムスメの事が思い出された。

現代医学では体重が500g程度の未熟児でも

しかし医療的なケアが不可欠なので
長期入院が必要な場合もある。
わすか562gで産まれたムスメは一年半の入院期間が必要だった。

「三つ子の魂百まで」というが
心身共に成長していくうえで一番大事な幼児期に
病院という極めて普通ではない環境でムスメが
生活していかなければならないことが
私はとても不安だった。

24時間一緒にいることができないが
可能な限りはそばにいて
親としてのコミュニケーションを図りたい

退職しムスメが退院するまでほぼ毎日
面会しムスメを抱き続け
ひたすら話しかけた。
赤ん坊の娘に
「今日は何してたの?」

面会に訪れるたび話しかけたいたが
もちろん娘は無反応だった。


この行為はとても虚しく時には
無意味なことに思えた。
私が来ても喜ぶわけでもなく私が帰ろうとしても
泣くわけでもない。
リアクションのない娘のそばにいるたび
私がやっていることは無駄なんじゃないかと
思うこともあった。
ムスメにしてみれば
私はきっと毎日来て抱っこしてくれる人
という存在でしかなかったと思う。
あの時の私はただムスメの退院を願い
まるで宗教のようにひたすら続けていた。

一歳半で退院したが娘が言葉を発したのは
三歳半だった。
この期間も私はムスメにとにかくしゃべりかけていた。
返答があるわけではなかったが
視覚障害があることは既に知っていたので
視覚からの情報が乏しいムスメが
せめて言葉から理解してくれればと
説明するような気持ちで独り言のように
話しかけていた。

四六時中そばにいて泣いた時は
すぐに抱っこしていた。
「抱っこぐせがつくのでは?」という
周囲の意見もすべて無視した。
医療に関しては素人であったが
こうすることがムスメにとっては
私にできる精一杯のことだと
信じて疑っていなかった。

番組をみて驚いた実験があった。
未熟児の赤ちゃんが母親に抱かれた時に
脳が反応を起こしていたのだ。

それを見て私がしてきたことは
決して無駄ではなかったことを確信した。
あの時毎日抱きしめ話しかけた
私の行為はムスメの脳に刺激を与え
感情を与えていけたのだと思う。

ムスメが長期入院したことを
話すと誰もが驚く。
表情が乏しく
感情を表に出せなかったことを
周囲に話すと誰もが疑うほど
表情豊かな子供に育ってくれた。

番組の中で10年監禁されて
育った少女の映像もあった。
障害児でないにもかかわらず
実の親によって監禁され
虐待された13歳の少女は
言葉や感情ももっていなかった。
彼女は数年間は研究目的で
愛情ある環境で生活でき
言葉や感情を取り戻すことができたが
数年後また心を閉ざしたしまった。

人間の脳とはあらかじめ完成されたものではない。
生きていく様々な経験から学ぶことによって
学習していくものなのだ。
知的な能力だけなく喜びや悲しみといった感情も
あらかじめ備わっているものではない。

番組の中でいっていた
「喜びが脳を育てる」という言葉が
とても印象に残った。
最近の私はムスメに怒ってばかりなので
あまり脳が育ってないのかもしれない。
「ほめて育てる」ことが
ムスメにとっては一番大切なのかもしれないと
あらためて感じた







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最終更新日  2004年09月10日 21時40分59秒
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