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ナポレオンによってヴェネツィア共和国が終わりを迎える。海洋国家として維持できなくなったヴェネツィアは農業にシフト。そのために身分の固定化、貴族の衰退を招く。トルコとの交戦で地中海の権利を失い、ナポレオンによってとどめ。ヴィヴァルディの世紀では最後の間に享受していたヴェネツィアの文化とその豊かな観光資源、風俗についての物語。解説に書かれたように、また、書き出しで書かれたように人物を中心に描かれるわけではなく、終始一貫してヴェネツィアという都市が主人公となって描かれてゆく作品だった。以下は読後の雑感。ローマ人に比べて重いと感じた。読み進める上で、ローマ人と並行して読んでいたが、時間がかかった。最終巻ということからか、終わりはいつも寂しい。貴族達の自己保身はその前の歴史からある「高貴なるものの務め」となんだか隔離された感があった。英雄、独裁者?優れた指導者は敵から見れば独裁者としか見れない。トルストイ『戦争と平和』でもナポレオンは卑小化して描かれる。人の本当の姿、それは想像の産物?いまでもヴェネツィアは観光名所だ。いつか行ってみたいものだ。まあ、お金さえあればの話だが。貧乏ってのはお金のないことではなくて、ないと感じることにある。なんてね。そんなことを考えた。海の都の物語(6)
2010/09/22
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感想『悪人(上)』巷で話題の吉田修一『悪人(上)』を手に取ってみる。舞台設定が九州だったので、立ち読みしてみると、台詞が九州弁だった。これは読みだと思い購入。保険営業員、石橋佳乃が県境の峠で遺体で発見される。誰が彼女を殺したのか。なぜ彼女は殺されたのか。その疑問が底辺に流れながら、周囲の人物が描かれてゆくことで、主人公を立体的に描いてゆく。作者は長崎の人らしい。石橋佳乃、清水祐一を描くために周囲の人間の目線を利用している。そのやり方はおもしろい。宮部みゆきの『理由』にも見られたような方法だ。しかし、物語に弾みをつけるためだろうか、やたらとへるすとかの性的な設定が登場する。まあ、人間を描く上でははずせない部分なのだろうけど、そんなのを見てしまうと作品が低俗な雰囲気をだしてしまうと思うのは、自分の見識が狭いからだろうか。ただ、上巻の帯表紙の裏に映画のことを載せるのはいいんだけど、犯人まで明かさないでよ。と思った。かりにもサスペンス的要素を含んでいるのなら、その面白みが半減してしまう。とか言いつつ下巻も買って読むんだろうな。『悪人(下)』読後感 サスペンスじゃなかったのね。 人間を人物を描いた作品。 映画は公開中なので、あらすじは飛ばすとして。まあ、整理のために少し書き込み。 後半は、祐一、光代の二人が中心。正直この二人の物語になんの感動も覚えなかった。自分が薄い人間だからだろうか。愛する人が殺人者で、自首を勧めるよりも、一緒にいることを選んだ。そのような女性を、本当に愛しているんだねとか、純粋だねとか、思わず、というかこれを読んだ人は一つの純愛の形だと賛美でもするのだろうか?寂しい女性だな。としか感じなかった。結局は寂しいだけで、それを埋める存在が欲しかった。それが見つかり喜んだ。それを埋めてくれる存在を愛と呼び、執着をした。こんなことを考える私は愛なんてものが一生分からないんだろうな。理解できっこないと思う。最後の部分は欺くための見え透いた嘘だが、なんだか哀れだ。関係ないが殺人者が恋人に自首すると話す場面は、ドストの『罪と罰』を想起させた。 本筋の話よりも、感動して涙腺が緩んでしまったのは、祐一の母、房枝の物語だ。戦争中を生き抜いた子供時代、娘が置いていった孫を育て、世の中で必死に生きてきた母親。夫は体を悪くして病院と家を行ったり来たり。孫の祐一は殺人犯として指名手配され、逃亡中。自身は悪徳商法に騙され、請求の電話に怯える毎日。しかし物語の終盤、オレンジのスカーフを巻き、背筋を伸ばし、悪徳商法の業者の事務所での「馬鹿にされてたまるか」と啖呵をきるシーンはなぜか涙が溢れた。きっと、世間の奔流に対して小さい体をピンと伸ばし、立ち向かう様子が、母親や母方の祖母を想起させたからだろう。九州弁という点もそれを想起させた。たぶん、ほかの人が読んだら何ともないシーンなんだろう。でも自分には今この時を生きている母親の事が思い浮かんで、涙をこらえるのにこらえきれなかった。同じことは他の作品でも言える。リリーさんの『東京タワー』のオカンなど。自分は九州弁で話す母親の物語に弱いのだろう。でも自分だけの感覚だろうか。きっと誰かしらは理解してくれるはずだ。九州の「母親」は本当に魅力ある人が多い。母は偉大だ。あ、感想からだいぶ脱線した。以上。悪人(上)悪人(下)
2010/09/19
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ミラノ司教アンブロシウスユリアヌス以後、キリスト教化の道をローマはひた走りに走る。ヴァレンティ二アヌスの皇統を経て、テオドシウスが皇帝となる。テオドシウスは30代で病気をした時、洗礼を受ける。その後病状は回復。つまり、ローマ皇帝は「羊飼い」に導かれる羊と成り下がる。その事実を二十年の高級官僚の経験のあるミラノ司教アンブロシウスは利用し、ローマ皇帝の上に神の意志の伝導者である、司教の存在を確定させる。皇帝の勅令を撤回させ、贖罪で皇帝を跪かせる司教。いや、いまでこそ思えるが、宗教の特権階級は恐ろしい。キリストの勝利…、つまり古代ギリシア・ローマの神々に対する勝利。それによって、都市の到るところに置かれていた神々の像が破壊、もしくは廃棄、神殿は一部教会へと変えられ、残りは破壊された。抵抗を試みたものもいたが無力だった。文芸復興が起こり、いまでこそギリシア・ローマの神々は文学や芸術として、受け入れられているが、今日見られるのはその廃棄されて忘れ去られたもの。川底に沈んでいたもの。メルトダウン、ローマ帝国は崩壊ではなく、融解したと言う方が正しいのではないか、作者は問いかける。たしかに、ローマ的性格が危機に対処しようとするために変容してゆき、本来のよさを失っていっている。キリストの勝利はローマの精神の一つ、寛容を失わせた。なんだかもう、ローマではないなぁ。ローマ人の物語(40)
2010/09/17
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塩野七生著『ローマ人の物語39キリストの勝利』読了。背教者ユリアヌス。 もともとキリスト教を信仰していなかったんだから、背くも何もない。ただ親族がキリスト教振興政策を行っただけでそうなっている。と作者は述べる。 背教者という響きは新鮮だ。正義のお話をする道徳論者に敵視されることは、なんだか逆に正しいことをいっているような気がしてきてしまう響きをもつ。 キリスト教信者より投げつけられた蔑称。 キリスト教信仰者なのに、家族を殺したコンスタンティウス、内輪もめが好きなキリスト教の司教たち、そのようなものをみてキリスト教が正しい道を導くとは考えられなかっただろう。 その中で、幼少期の素養にあったギリシャ・ローマ哲学に立地点をもとめるのも理解できないことはない。 読んでいて、この人から三国時代の蜀の劉備を想起させた。 ならば、フラヴィウス・サルティウスがさながち諸葛孔明になるのかな。少し過大評価しすぎか。 そう感じたのはユリアヌスがペルシア戦役中に死んだこと、回帰を旗印としたこと。まあ、実際、かなりの点では異なるから比較にならない。 しかし時代の流れに逆らってよい時代と思われる方向に路線転換しようとすると、必ずと言っていいほど押し流される。 キリスト教は抱えなくても言いような聖職者という新たな特権階級を生み、皇帝は民衆が選んだのではなく、神が選んだ。神意の代表が皇帝であるとする権威づけ。人間からの権利の剥奪。 漢王朝復興を掲げた劉備。でも時代は漢王朝に流れていなかった?う~ん、ここら辺は思索の詰めが不十分だな。 劉備は何かの宗教に対抗した訳ではない。彼は天下を平定するために漢王朝復興を旗印に下に過ぎない。 かなり、やはり異なるな。 その他に、個人的に同世代という事からか、非常に興味が沸いた。好感と親近感を感じた。 自分とはまったく似てないんだけれども。 6歳まで皇族として育てられるが、父親が誅殺され、突如、幽閉生活。その後、少しの自由が許され、哲学を学ぶ。本人はそれに満足していたのだろうが、兄が殺され、時代の流れは彼を副帝にした。正帝コンスタンティウスは止むをえない選択として彼を副帝にしたので、冷遇。しかし、ユリアヌスはガリアで蛮族討伐に成果をあげる。その後、周囲に推されて正帝に。あわや内戦とのところで、回避され、その後一年半の帝国統治に奔走。その中で、謀殺される。 読み取った彼の一生を要約するとこんな感じか。 共感できるのは兄がいたこと。哲学が好き(いや、でも私が好きなのは文学か)なところかな。 以上が読後の感想。ローマ人の物語(39)
2010/09/07
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塩野七生著『ローマ人の物語38キリストの勝利<上>』読了。文庫本で、かなり小さく分けられているので、読みやすい。まあ、出版社の商魂を感じないわけではないが。好い本は多少高くても買いたくなるのは人間の自然だろう。コレクターは自分の収集物が整然と並んでいるところをみて楽しむと言うが、自分もそれに近いところはあるかもしれない。本が整然と並んでいる様に「美しさ」を感じる。本を売ることが出来ないのも、そのせいだろうか。しかし背表紙から何も物語ってくれない本は、いらないと感じる。自分が読んだときの感情、実感、思い出、あらすじ、内容、それらが浮かんでこないものはよい本であるとは思えない。今回の「キリストの勝利」とはどういうことだろうか。前章、「最後の努力」読んで、だいぶ経過しているので、うろ覚えだ。たしか前章はコンスタンティヌスまでだった。今章の冒頭で、コンスタンティヌス死亡、大帝という称号が送られる。その後、後代に引き継がれるが、犯人不明(作中ではコンスタンティウスか?と推測されている)で後継者が謀殺され、コンスタンティヌスの長男と三男が争い長男死亡、三男も部下の裏切りによって殺害。のこるコンスタンティウス(まぎらわしい…)がローマを支配。父の遺志を忠実に守り、キリスト教の力を強める。マグネンティウスの乱を鎮め、東方守備を任せていた副帝ガルスが使えないため処刑。かと言って帝国は一人で支えられないので、ガルスの弟ユリアヌスを副帝にする。副帝ユリアヌス、蛮族平定、ガリア再興において功を為す。後半はすべてにおいて失敗はしながらも率先して先頭にたち、奮闘する青年副帝と、戦場は常に部下に任せ、権威と畏れで内気な性格を隠す絶対君主との対照で話が進められてゆく。中巻が楽しみ。宦官。西洋の歴史にも彼らの存在があることを知らなかった。てっきり中国の歴史にだけ存在する人たち、そして腐敗、末期王朝の代名詞かと考えていた。コンスタンティウスの下に宦官エウセビウスという人物が登場する。中国の歴史に登場する秦の趙高や後漢の十常侍を想起させる。西洋の歴史に自分は非常に疎い。高校では世界史を選択できないカリキュラムになっていたし、当時の自分の関心は中国だったから。それは多分、司馬遼太郎や陳舜臣が好きだったせいもあるのだろう。そう考えると自分の関心は、文学にあったのか、歴史にあったのか?ただ無味乾燥な事実の羅列、訳の分からない分析などは読めない。最近、国際関係の研究書を読むのだが、マスコミの論説とこれらはどう違うのだろう?その点がはっきりしないと、論文がかけない。まあ、書いて否定されて分かるのかもしれないが。続きを楽しもう。ローマ人の物語(38)
2010/09/05
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塩野七生著『海の都の物語~ヴェネツィア共和国の一千年~5』読了。 大航海時代におけるヴェネツィア共和国の奮闘。君主制が進む中で、都市国家として共和制をもつヴェネツィアが君主制に比べ、決定が遅い、また人口を持たないなどの欠点を表出しながら、それに対して外交、政治などの力をもって時代を生き抜いてゆく。 日本においては戦国時代のころのお話。 ヴェネツィアのような国は現代でいうとしたら、どこにあたるのだろうか?そんな疑問が生まれてきた。 しかし思うのは東洋では一貫して投票での元首制などなかったので、政体も王朝を追うだけで頭がついてこれた。共和制というのは世襲制でなく、英雄を嫌う感があるので、歴史としては追いにくいと感じる。当時の俺みたいな頭の悪い人間には、目でわかりやすい君主制を選んだんだろうな。 現代からみれば君主制は欠点ばかりが目につく。 ワンマン体質の企業経営者は、その人個人が優れていれば決定の早い優良企業となるが、その人間が老いて耄碌するようになったり、二代目が愚昧だったりすると、その会社にいる人間は悲劇である。 日本ではこの頃下克上だったけど、共和制なんて考える人はいなかった。 今の世界は選挙で選ばれた人間で政治がなされるけど、いつか変わることもあるということかな? やはり自分は浅い。たいした疑問も浮かんでこない。 でも本を読むのはおもしろい。考えるのも浅はかながらに楽しい。 知らないことを知るのは楽しいと感じる。 ラスト一巻も味わおう。海の都の物語(5)
2010/09/05
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