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芝山鉄道3500形(京成リース車)芝山鉄道は、第一種鉄道事業者として日本最短の路線を保有する第三セクター方式の鉄道会社です。過去ログ『芝山鉄道3600形(京成リース車)』で芝山鉄道の車両をご紹介したことがありましたが、後継となった3500形3540Fによるリース車が、令和8年3月いっぱいで引退になるという発表がありました。そして、3月13日に同社から後継車が発表となり、まさかの「ターボ君」だというので驚きです。芝山鉄道の3代目車両は「3600形」に 「初代車両」と同形式、ただしデザインは変更 - 鉄道コム引退に合わせ、ここにまとめをしておこうと思います。※撮影は、令和6年5月14日、京成金町付近にて。この日の現場は金町でした。金町自体が久し振りの訪問。昼食を摂って一服後、京成金町駅へ向かうと発車待ちの編成がいました。いきなり遭遇してしまった芝山鉄道へのリース編成である3540F。直ぐに発車時間となるため国道6号線方向へ移動し、なんとか撮れそうな場所へ。仕事の開始時間までもう少しあるので、高砂から折り返しを待ちました。撮るところに困りましたが、かつては6号線渋滞の原因となっていた踏切で撮影。40年近く前に根城としていた頃には無かった、国道6号線の高架橋が邪魔になりましたね。その後も何回か金町の現場があり、京成線沿線の現場の際も見掛けたことがありましたが、写真に撮ることが出来たのはこの時が最初で最後となってしまいました。
2026.03.31
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EF81牽引:寝台特急「トワイライトエクスプレス」平成27年3月12日、日本最長距離を走る寝台特急列車が幕を下ろしました。平成元年、団体列車用としてJR西日本が満を持して誕生させた豪華寝台列車。平成3年度までに3編成を改造により落成、日本最長距離を走る豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」としての地位を築きました。ダイヤの関係から1日で3編成を要するため、予備車が無く、最後まで定期列車とはならずにいましたが、繁忙期にはフル回転で毎日運転としていました。このような運転形態は、東京~西鹿児島間に片道24時間の運転時間を要した寝台特急「富士」の再来を思わせるものでした。運転経路も料金的にも、そして日程的にみても関東在住の身からは縁遠い列車でしたので、私的にはまったく利用したことが無く、写真に記録したものもごくわずか。最後に北陸を訪れ、やっとそれなりに残すことが出来ました。平成23年5月4日 EF81114牽引 8002レ 安田~茨目間にて急行「きたぐに」を撮影のために訪れた際、時間が近い場所を選定しました。下り列車に合わせた立ち位置にしてしまったため、中途半端な構図にしてしまったのが残念。平成27年1月23日 EF8144牽引 9002レ 生地~黒部間にてスシ241EF81初期車が最後まで活躍した「トワイライト」塗装。誕生当初は新鋭機でしたが、その車齢は40年にも及ぶ古典機となってしまいました。そして、電車特急から改造された食堂車スシ24。その活躍は電車時代を遥かに凌ぐものとなっていました。平成27年1月23日 EF8143牽引 8001レ 津幡~倶利伽羅間にてこちらもEF81初期車が牽引する下り「トワイライトエクスプレス」。既に終焉となっており、有名撮影地には大勢の撮り鉄たちが訪れていました。スロネフ25「トワイライトエクスプレス」最大の売りであった展望スイート。昔で言う展望車の景色を2人占めできる至福の空間。先発の「北斗星」にはなかったスタイルです。この時は動画も撮影したのですが、再生数が余りにも少なくて笑ってしまいました。平成27年1月25日 EF8143牽引 9002レ 水橋~東富山間にて最後は立山連峰バックに撮りたかったのですが、生憎山側の天気が悪く、その姿を見せませんでした。スシ242こちらもAU12クーラを搭載した初期の食堂車。こちらも誕生してから40年が経過しています。撮影回数で言うと2回のみ。これ以外にも485系「雷鳥」の撮影で訪れていますが、運が悪く、上下列車とも運転の無い日でした。あまり縁がなく、個人的には思い入れのない列車なのですが、豪華列車旅を演出し、「乗る楽しさ」を世間に印象付けてきたその功績は、「北斗星」と並んで大変に大きいものと言えます。北海道新幹線の開業という節目がなければ、もしかしたら新車導入による継続運転もあったかもしれないですね。その後の北陸新幹線の部分開業により、新潟方面への直通列車すら設定の可能性が断たれてしまいました。
2026.03.30
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東京都交通局:都電6000形&装飾電車※本記事は、2012-01-29に投稿したもので、当時の表現になっています。平成23年10月、都営交通100周年を記念して花電車が運転されました。33年振りだそうです・・・というか、その33年前のとき、つばさ少年は都電荒川線沿いに居ました。何で情報を得てその場に行ったのかは全然記憶がありません。当時は鉄道誌か大きなニュースであれば新聞にでも情報が載らない限り、埼玉県民には知る由もありませんから。時間も分からず現地へ行くと、沿線にはかなりの人出があったように記憶しています。撮影地を探すためにとりあえず都電に乗ると、なんと後から花を飾った電車がついてくるではありませんか。せっかくお金を払ったのですが、1区間しか乗らずに飛鳥山で下車。※撮影は、全て昭和53年3月です。飛鳥山電停にて 6189これが後をついてきた装飾電車。この踏切、遮断機がなかったのかな?今見ると恐ろしいポジションです。飛鳥山交差点にて 6191同じ車両だと思っていたのですが、見ると番号が違いましたので、2両が装飾されていたのでしょうか?横にいる都バスや乗用車も懐かしいです。王子駅前電停にて 6191これが最後の締めで撮った写真でしょうかね。写真を撮った当時、これが花電車だと思い込んでいたのですが、翌々月くらいに発売された鉄道ファン誌に正規の花電車が載っており、非常にガッカリしたものです。「ながい間ご愛用ありがとうございました」なんて書いてあるので、まるで荒川線が廃止されそうな感じにも見えるのですが、イベントの趣旨は完全ワンマン化実施に当たっての企画のようです。ツーマン仕様で改造の実施予定の無い6000形は全廃、7000形はアコモ改造によりワンマン化、7500形はワンマン装置の取り付けによる改造が実施されることにより、事実上の「6000形さよなら運転」という見方が正しいようです。王子駅前電停にて 6129これが装飾の無い6000形の真の姿です。古き時代そのままのスタイルですね。この後、6000形は動態保存として金太郎塗装で長く生き残りましたが、先頃惜しくも引退しています。都電が各都道を網の目のように走っていた頃、この6000形は主力車両として23区内を駆け巡っていましたが、車掌さんの業務とともにその人生に終りを告げました。
2026.03.29
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マイクロエースから「DD14-333+DD14-334 標準色(ロータリーヘッドなし)重連セット」が発売となりました。発売予定発表からなんと1年9カ月?も掛かり、やっと製品化。なんだか仕上がりか何かで揉めていたような情報もありましたが、何とか発売となったようで。インプレッション的な内容でマル鉄回顧録にエントリしましたので、ぜひご覧ください。2026/03 DD14-333+DD14-334 標準色(ロータリーヘッドなし)重連セット
2026.03.28
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国鉄 EF60 0番台(一般色)EF60は、昭和35年から昭和39年に掛けて誕生した新性能直流型電気機関車です。ED60、ED61で開発された新性能を機軸にF型化したもので、それまでのEH10が発揮していた出力と同等の性能をF級で引き出すことができるようになりました。1、2号機が量産先行車、3号機以降は5次量産車までの区分が存在します。私としては、残念ながらクイル式で誕生した先行車や1次量産車のEF60時代の写真はありませんが、首都圏の旧型機の撤退により身近にEF60が走っていたこともあり、そこそこの記録が残っていました。今日は、EF60のうち、現在も保存機として活躍した19号機を除く0番台をご紹介いたします。昭和56年10月頃 西川口~蕨間にて EF60152次量産車です。私が撮った、現役時代たった1枚の15号機の写真です。既に原形は崩れ、シールドビーム化されております。EF15の淘汰に伴って、大挙して東海道・山陽筋から転入してきましたが、その活躍も束の間、59・2の貨物合理化により大打撃を受けることになります。昭和60年3月30日 高崎第二機関区 一般公開にて EF6015確か、この時点ではEF60の定期運用は消滅していたと思います。関東勢では3両のEF60が保留扱いとなっており、当時籍があったのは19号機、特急塗装に復元された501号機、そして、この15号機です。この15号機は、EF60のさよなら列車を牽いた機関車として名を残しています。昭和62年まで車籍はあったようですが、当時発売された記念オレンジカードによると、昭和61年11月9日のさよなら運転をもって引退となったようです。昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて EF6017こちらも2次量産車です。この頃は未だシールドビーム改造は一般的に行われていないため、殆どがオリジナルのデカ目でした。昭和60年4月14日 南越谷駅にて EF6026こちらも2次量産車です。私としては珍しく武蔵野線内で撮った貨物。なんともさびしい編成ですね。越谷タ行きでしょうかね。昭和57年3月頃 西川口~蕨間にて EF6028こちらも2次量産車です。この頃になるとシールドビーム改造車が増え始め、当機のみならず初期の新性能車のほぼ全般に伝染していきました。したがって、オリジナルビームのカマに出会うことも稀になってきているため、興味のなかったEF60にもカメラを向ける機会が増えてきたように思います。昭和56年10月頃 蕨~西川口間にて EF6032こちらも2次量産車です。EF15の後ガマとしてやってきたEF60は、田端~蕨~川口や田端~大宮操のEF15が活躍していた駅別区間列車に頻繁に使用されていました。昭和57年10月4日 瀬野~八本松間にて EF6041こちらも2次量産車で、46号機までのラストに近い番号となります。有蓋車中心の編成ですね。後に見えるワキ5000も今となっては懐かしい貨車です。昭和55年8月 神足~山崎間にて EF6067こちらは47~83号機に該当する3次量産車となります。東海道・山陽時代はスノープラウを付けていないので、前面がスッキリしています。好みは分かれるところでしょう。昭和58年8月17日 大宮駅にて EF6098ほか84~99が4次車となり、このグループからシールドビーム化され、EF65とほぼ同スタイルに変わっています。EF15に代わって首都圏に進出してきたEF60は、EF65各番台と共に首都圏の貨物列車を青1色に染めていきました。昭和58年5月16日 瀬野~八本松間にて EF60107100~129の5次車の最終増備車です。山陰げで思いっきり露出アンダーになってしまいました。後にEF66を従えて、セノハチを高速で駆け下っていきました。昭和57年10月4日 瀬野~八本松間にて EF60124牽引 冷蔵貨物こちらも最終増備の5次車です。横から見るとEF65と殆ど区別が付きません。後にレサ10000系を連結した編成で、「ぎんりん」編成の返却回送でしょうか。空車で重量がない上、回送ですのでスピードも要求されていませんので、EF66を使用していないケースもあったのでしょう。昭和58年 大宮操車場構内にて 番号不明大宮操車場には、広大な着発線以外にも、通過列車のための本線が途中高架で設けられていました。専用貨物や特急(直行)貨物は、大宮操車場には停車せずにここを通過していきました。24時間の勤務が明ける頃、入れ替えが終わったハンプのDEは手を組んで大宮機関区に戻ります。一旦停止していると、通過線をEF60の牽く石油専用列車がゆっくりと通過して行きました。これら0番台車は、500番台車も含め、EF61200番台に改造されたもの以外はJR貨物に引き継がれることは無く、昭和62年3月までにすべて廃車となりました。EF6019牽引:一般貨物列車(国鉄時代)
2026.03.28
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JR貨物 DE101594DE10シリーズで、今回はDE101594号機をご紹介したいと思います。平成20年9月6日 八王子駅にて臨時特急「はまかいじ」を撮った帰り、八王子に戻るとちょうどDE10が入換をしていました。連結が終わるのを待って撮影。地元ではタンカーも見ることが出来ないので新鮮な光景平成22年5月22日 大宮車両所にておおみや公開にて、展示車両ではありませんが、検査待ちの同機を見ることが出来ました。1694号機は、日本車輛製で、昭和48年4月11日に小樽築港機関区に新製配置された北海道育ち。昭和57年11月20日に盛岡機関区に転属となり、民営化でJR貨物へ継承、組織改編のため長町機関区→仙台機関区→仙台総合と過ごします。平成18年12月27日に新鶴見機関区(川崎派出)の流れで平成25年度くらいまで活躍したようです。なお、耐寒装備は新鶴見機関区へ異動後すぐくらいに解除されたそうです。
2026.03.27
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ED1610牽引:「さようならED16」青梅線での運用を終える末期のED16。運用離脱直前に運転された日本テレビ企画列車ED163牽引+12系客車:団体列車「おもしろまじめ号」について過去ログでご紹介済みですが、今回はその1週間後に運転された最後のさようなら列車についてご紹介したいと思います。※撮影は、昭和58年3月26日です。ED1610牽引 下り「さようならED16」往路のさようなら列車で、残念ながら撮影地の記録がありません。新宿~奥多摩間の運転だと記憶していたのですが、新宿~御岳間のようです。さらに、列車の組成は品川で行われたらしく、他の方の写真を見ると品川駅発車待機から山手貨物線を走っている様子が記録されていました。西国分寺駅にて ED1610牽引 上り「さようならED16」復路まで待って、帰りながら西国分寺駅で撮影したようです。ホーム端には結構な数の撮影者が居た記憶があります。今ですと、運用(営業)離脱後にさようなら運転をセッティングすることが多くなっていますが、この時は本業の貨物列車にもまだED16が運用されており、あまり終期を感じさせられるような状況ではありませんでした。ED16 直流型電気機関車:南武線編ED16 直流型電気機関車:青梅線編国鉄旧型電機 EF15192(大宮工場保存車)・・・ED1610保存車この列車を牽引したED1610号機は、廃車後も大宮工場(後の大宮総合車両センター)で永らく保存されていましたが、残念ながら平成27年2月頃に解体されてしまったそうです。【3/25限定!30%OFFクーポン】廃盤予定 在庫限り 残り僅か【 テイジン 公式】 イブル スリーパー 卵型 たまご型 長方形 ベビー 赤ちゃん 新生児 キッズ 子供 ナイトウェア パジャマ 寝る コットン 綿 100% オールシーズン 1年中 通年価格:2,149円~(税込、送料無料) (2026/3/25時点) 楽天で購入
2026.03.26
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251系:河津桜トレイン(2016)「スーパービュー踊り子」用の251系は、春の梅・サクラのシーズンになると、各車両にラッピングを施して運転されていたようです。「河津桜トレイン」という企画だったそうです。ヘッドマークがないため、特に注目したことはなかったのですが、改正ごとに地元ネタが減って行った頃、平成28年だけはこれを少し追ってみました。同じシチュエーションで揃えられませんでしたが、調べましたら4編成全て記録ができていましたので、写真館で並べておきたいと思います。平成28年3月25日251系 RE-1編成 「ホームライナー小田原」平成28年3月20日 251系 RE-2編成 「スーパービュー踊り子1号」平成28年3月13日 251系 RE-3編成 「スーパービュー踊り子1号」平成28年3月27日 251系 RE-4編成 「スーパービュー踊り子1号」251系:「スーパービュー踊り子」251系:「ホームライナー小田原」251系:臨時特急「ビュー谷川」
2026.03.25
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EF641000番台:EF641002EF64シリーズで、今回はJR貨物の1002号機です。平成21年10月18日 2073レ平成22年12月19日 2073レ平成21年5月23日 大宮車両所にて 「あけぼの」ヘッドマーク1980.7.3 新製2022年度 廃車
2026.03.24
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JR東日本 DE111034DE11シリーズで、今回はDE111034号機をご紹介したいと思います。平成21年11月14日 尾久車両センターにて同センターの公開時に捉えていたものです。1034号機は、昭和48年9月19日誕生の川崎重工製。登場当初は大宮機関区に配置されたようですが、昭和49年度に武蔵野機関区に異動となり、武蔵野操車場で使用されていたようです。59・2貨物大合理化で武蔵野操車場が廃止となったため、田端機関区へ所属替えとなり、そのままJR東日本に継承、組織改編により田端機関区→宇都宮運転所所属となりました。同機は平成25年9月26日付で廃車となったようですが、平成26年にJR貨物機として車籍が復活、岡山機関区に配属となります。その後の活躍期間はあまり長くなかったようで、平成31年度~令和元年度くらいに除籍となったようです。
2026.03.23
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ゆりかもめ:国際展示場正門駅※本記事は、2019-02-22に投稿したもので、当時の表現になっています。株式会社ゆりかもめでは、平成31年3月16日から国際展示場正門駅と船の科学館駅の駅名を改称することとなりました。船の科学館駅では下車したことがなかったと思いますが、国際展示場正門駅は東京ビッグサイトへの便として何度も使用したことがあります。しかし、駅の写真を撮ったことは特になかったので、防災・社会福祉関連の施設見学行事で近くまで行った際、自由時間に乗り鉄がてら駅の写真を撮ってきました。※撮影は、平成31年2月21日です。東京ビッグサイトと反対側では駅舎に駅名が大きく記されていますが、何故かビッグサイト側にはありませんでした。反対側は逆光だったので撮らなかったのですが、やはり撮っておけば良かったですね。ゆりかもめにおける駅名表示はホームドアの上部に記されています。乗車券今はただ乗車するだけならきっぷを買うことは殆どなくなってしまいました。ゆりかもめの乗車券って、地紋がこんなに濃かったんですね。領収書ついでに領収書も発行しておきました。東京ビッグサイト駅と市場駅を往復し、出場の際に記念交付を申し出ましたら、特に何も表示されずにもらうことが出来ました。国際展示場正門駅は東京ビッグサイトに、船の科学館駅は東京国際クルーズターミナル駅に変更されます。平成31年3月15日 新橋駅にて追加画像です。駅名改称前日、新橋駅にて見つけた乗車案内。方面表示が「国際展示場正門」のままでした。ここは、深夜の付け替え対象だったのでしょうか?
2026.03.22
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209系:京浜東北線(その1)首都圏における103系初期車の置き換えを国鉄時代から着手しており、これに対して205系の導入が進められていましたが、民営化による経営の改善に加えバブル崩壊の影響も重なり、新たなる発想の車両を導入する必要性に迫られることになります。そこで『重量半分・価格半分・寿命半分』というコンセプトのもとに誕生したのが209系電車です。導入時は901系を名乗り、平成4年から京浜東北線で試用されることになりました。901系にはA・B・Cの3種類の編成が製造され、各編成とも製造者や使用される機器類が異なるものでした。本来は901系もご紹介できれば良いのですが、ちょうど私も結婚したばかりの頃であり、さらに住んでいた場所も今と違っていたため、写真に収める機会がありませんでした。平成19年1月7日 モハ208-901901系はその後量産された209系に合わせて改造が行われ、209系900番代、910番代、920番代として活躍を続けました。現在の住所に舞い戻ってからは、何度か乗車する機会に恵まれましたが、外観での差があまり無いため、撮影する機会もありませんでした。この写真を撮った頃も、試作車たちが運用を外れる直前でした。209系を撮るようになったのも殆どが置き換え間近となってしまいました。なんとか見れそうな写真や、話題になりそうなものを並べてみます。平成20年6月15日車内を撮る機会もなかなかありません。ちょうど乗った電車が空いていたこともあり、記録として撮っておきました。硬く座りにくい印象の座席も、この電車が最初でした。平成12年4月頃 赤羽駅にてさいたま新都心駅は、平成12年4月1日に開業したそうです。初めて209系の写真を撮ったと思いますが、既に誕生から7年くらい経っています。平成20年5月18日 北浦和駅にて浦和駅高架化工事により、大宮~北浦和間が折り返し運転となります。北浦和駅では折り返しのための設備がないため、2つの編成を北行線と南行線にそれぞれ封じ込め、大宮~北浦和間を1閉塞として運転させました。方向幕に「北浦和」がありませんので、京浜東北線と表示しているところで日常でない違和感を与えてくれます。平成21年9月5日 6扉車京浜東北線においても、朝夕の通勤時間対策として6扉車が導入されています。試作3編成を除く全編成に組み込まれました。平成21年11月18日片目で走っていた珍しいシーンです。今回は、やや話題的なところをご紹介いたしました。
2026.03.21
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ED163牽引:団体列車「おもしろまじめ号」青梅線で石灰石輸送などに活躍したED16形電気機関車。中央本線で貨物列車の牽引などに活躍しましたが、新性能化により阪和線へ転出、後年は立川機関区へ集約され、最後まで全18両が活躍しました。殆どの戦前型機関車は昭和53年くらいまでに淘汰されてしまいましたが、使い勝手の良かったED16は長く使用されました。しかし、貨物輸送の大合理化や客車列車の淘汰により、新性能機関車ですら余剰が発生して来たことから、いよいよED16も整理されることになりました。昭和58年3月、ED16の全機運用撤退を惜別し、なんと客車列車を牽引するという企画列車が設定されました。この臨時列車2週続きで設定され、その第1弾となったのが団体臨時列車「おもしろまじめ号」でした。昭和58年3月20日 ED163牽引 団体列車「おもしろまじめ号」当時の日本テレビのキャッチフレーズ「おもしろまじめ」にちなんで運転された「おもしろまじめ号」。昭和58年3月20日 古里駅にて 折り返し待機中の「おもしろまじめ号」奥多摩駅で留置せずに、折り返し間合いを古里駅で待機しました。そして、それを横目に最後の活躍をする貨物列車が追い抜いていくシーンを捉えたものです。昭和58年3月21日 さよなら企画でありながら、ふざけたタイトルで、しかも鬱陶しいヘッドマークにあきれてしまい、2日目は大俯瞰で撮ってしまいました。
2026.03.20
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コレクション館で、25年前に購入した東急電鉄の公式鉄道時計の記事を公開いたしました。東急電鉄 懐中時計(一般向けシリアルナンバー入り): マル鉄コレクション館ブログを始めてから初めて公開するコレクションです。
2026.03.19
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EF8199牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引の寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はカシガマ色ことEF8199号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっていますが、特に「カシオペア」については専用の塗装機が登場しており、「北斗星」の運用に就くことも度々ありました。平成21年2月7日平成22年2月14日99号機は、昭和49年3月19日生まれの日立製。94~100号機に属するグループは、昭和48年度の最終製造で、95~100号機が富山第二及び酒田に3両ずつ配属され、この99号機は酒田機関区に配属となり、長岡運転所を経て田端運転所にやってきました。民営化に際しJR東日本に継承され、「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されましたのも同様ですが、カシガマとなってからは専ら「カシオペア」牽引に特化して使用されました。「カシオペア」がEF510化に伴い、少しの間は貨物列車にも使用されるようになりましたが、平成23年8月27日付で廃車となっています。
2026.03.19
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折尾駅(改修工事直前)2012年、JRになって以降初めて九州を訪問する機会がありました。その際、鹿児島本線と筑豊本線が交差する折尾駅にも訪問することが出来ました。折尾駅の改装工事に関する情報が発信されていたためです。鹿児島本線と筑豊本線が交差する折尾駅ですが、日本で初めて誕生した立体交差駅なんですってね。知りませんでした。この駅は何度か通過したことがありましたが、一度も降り立ったことがありませんでした。昔ながらの交差駅は、造りが大変複雑で道に迷ってしまいました(笑)。※撮影は、平成24年9月23日です。1番線鹿児島本線から外に出る際、最初に出会った光景は地平で交差する筑豊本線でした。ちょうどキハ47の2連が到着し、この旅で香椎線に続いて2度目の気動車GETです。1番線は駅舎に直に接していました。2番線右側が1番線で駅舎が写っています。若松方面への直通線路で、相対式の2面となっていながら、何故か2番線だけ電化されています。上は駅舎のある1番線から2番線と3番線を結ぶ跨線橋。これも年代モノで、階段等もモロにオリジナルという感じ。歩きづらかったですね。大規模な工事により、高架下店舗や新駅前ロータリーになってしまったようです。3番線と連絡通路これが跨線橋の上の部分で、高架の鹿児島本線3番線にはそのまま入れます。筑豊線2番線へはそのまま降りれば行けますが、鹿児島本線上りの4・5番線にはまた下をくぐって階段を上らなければなりません。非常に複雑です。現物合わせのような構造で、平らな部分が無い感じですね。6・7番線折尾駅はさらに複雑。交差によって鹿児島本線から筑豊本線へは直通で入れないため、隣の黒崎駅から鹿児島本線に平行して連絡線があります。この連絡線を通る列車へのホームが駅舎から全然離れている場所にあり、「鷹見口」と区別されていました。一旦改札口を出なければここへは行けません。同じ線でありながら、ホームが改札外にあるって非常に珍しいですよね。別に設けられた改札口の写真は撮っていなかったようで残念です。高架駅への線路切替えにより、令和4年3月12日をもって廃止されたそうです。このレトロな駅舎にファミマが入っているというのは驚きでした。なんでも、こちらの駅舎は何の指定も受けていないようですが、建築物としては重要文化財級であり、移設・保存運動も活発に起こったようです。しかし、移築(曳家)は耐久性の点でも困難だったようで、平成25年までには解体されてしまったそうです。オマケですが、駅前にある川と飲み屋街。良い雰囲気ですね。高架化によりこのような風情のある街並みも無くなってしまうのかと記録しておきましたが、この辺りは工事の影響がなかったようです。この時点では、工事が平成24年10月から本格的に入るということで、既に一部の工事が始まっているように見えました。全面改修工事がが完了し、2021年1月2日に新駅舎・新線が使用開始になったそうです。この年、門司港駅も含め、ギリギリのタイミングで貴重な光景を記録することが出来て大変良かったです。
2026.03.18
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253系:特急「成田エクスプレス」(地元編)成田空港アクセス専用の特急車両として誕生したJR東日本253系電車。平成3年3月19日のダイヤ改正より運行を開始しました。登場当初は3両編成で、後に中間車を増備したことにより6両編成と3両編成の併結運転が行われるようになります。成田空港から東京駅までの区間をメインに、大船行や新宿・池袋行の併結運転が行われ、一部の列車は八王子や大宮までの区間も設定されています。登場当初から全く縁のない列車でもあったため、撮影する機会はありませんでした。ちょうど結婚とも重なった時期であったため、写真から離れていたこともあって3+3編成の頃の記録は全くありません。板橋在住から地元に戻り、近場での撮影を再開したことで、1日に2往復だけ設定されている253系による「成田エクスプレス」を撮る機会に恵まれました。平成19年6月17日 「成田エクスプレス5号」平成20年2月10日 「成田エクスプレス15号」 川口駅にて平成20年5月17日 「成田エクスプレス5号平成20年5月18日 「成田エクスプレス5号」平成20年10月18日 「成田エクスプレス15号」平成21年4月19日 「成田エクスプレス5号」平成21年5月5日 「成田エクスプレス15号」平成21年5月23日 東大宮操車場にて平成21年7月20日 「成田エクスプレス5号」平成21年9月21日 「成田エクスプレス15号」「成田エクスプレス5号」は3+6の9両編成、「成田エクスプレス15号」は6両編成の単独編成でした。いずれも寝台特急「あけぼの」や「北斗星」の直前に通過となるため、撮影機会は非常に多い列車でした。今回は、同じアングルが多数のために枚数を割愛しましたが、実際には撮影しないことも多くありました。
2026.03.17
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ゆりかもめ:船の科学館駅※本記事は、2019-03-17に投稿したもので、当時の表現になっています。平成31年3月ダイヤ改正において、ゆりかもめで駅名が改称される『ゆりかもめ:国際展示場正門駅』をアップしましたが、もう1か所改称される駅があります。船の科学館前に設置されたその名もズバリ「船の科学館駅」ですが、本日より「東京国際クルーズターミナル駅」という、やたら長い名前の駅になります。仕事やイベントなどで何度も通過したことのある駅ですが、今まで一度も下車したことはありませんでした。縁がないので訪問についてどうしようか悩んだのですが、せっかく近いところで働いていることもあり、改称前最終日であるダイヤ改正前日、仕事帰りに訪問しました。ただ、近い距離なのに非常にコストが高いため、なんとか安く行ける方法を思案し実行したところ、なんと、品川駅からの都バスが帰宅時間帯になくなってしまうことに衝撃を受けました。このまま帰宅するか、何とか行くか、結果として夜の街を品川駅から天王洲アイル駅まで徒歩移動。さらに東京テレポート駅から徒歩で、大手町から1時間半掛けてやっと着きました。こんなことなら初めからゆりかもめ使えばよかった・・・。※撮影は、平成31年3月15日です。駅舎用の駅名表示は、他の駅と同じ標準的なもの。特に変化が見られないので、終電後に改装されるようです。改札口の駅名表示は、改称後の表示にシールが上貼りされており、こちらはシールを剥がすだけに準備済みでした。券売機上の運賃案内板。船の科学館駅と国際展示場正門駅にはシールが上貼りされていました。改札正面にある周辺案内板。元々がステッカー式なのか、ちょっと分らないです。帰路はホームの駅名も撮りたかったので、乗車券を購入してホームに上がります。ホーム内の駅名表示は既に工事が終わっているようで、明らかに違った色の上貼りが。良く見ると新駅名の凸凹が判ります。路線駅名の案内板は既に改修が終わっているようですが・・・隣に掲示されている路線図は改修されていない様子。かなり古く汚れている箇所もあります。新橋行の電車が停止してホームドアが開くくらいのタイミングで気付いて撮影したため、かなり焦りました。これにて「船の科学館駅」とは永久にお別れです。帰りの電車の車内で、案内表示にも駅名が出ていることに気付くも、液晶の案内は出発後に気が付いたため、表示を撮るには間に合いませんでした。反対側ドアには紙製の案内図が掲示されていますが、旧車両とサイズが合わないのか、膨らんだように差してありました。こちらは紙製なので、入庫ごとに交換するのでしょう。船の科学館→190円 小入場券がないので初乗りの小児運賃で記念乗車券。普通乗車券 船の科学館→380円帰りはSuicaを使わずに切符を購入。新橋駅で係員の方にお願いし、記念にもらってきました。実はこの区間、ICよりも切符の方が1円安い。最後に危なく忘れそうになった領収書。発行の表示が後から出るので、忘れやすいかもしれません。それにしても、新しい駅名はかなり長いので、どのように表示されるのか気になります。往路の段取りに失敗し、平日で8500歩くらいのところ15000歩超えになってかなり足が疲れてしまいましたが、記録もできて記念品もGETできて・・・心折れずに訪問して良かったと思いました。
2026.03.16
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東急電鉄東横線 渋谷駅:地上駅最終日※本記事は、2013-03-16に投稿したもので、当時の表現になっています。東急東横線は、平成25年3月16日東京メトロ副都心線と乗り入れが開始されるため、3月15日をもって地上駅が閉鎖となります。同僚の”昔同じ係りにいたことがある鈴木です。”さんが東横線の利用者であり、先日飲み行ったのがきっかけで、最終日に行ってみようかということになり、混乱覚悟で行ってみました・・・。"大"混乱でした。※撮影は、平成25年3月15日、東急東横線渋谷駅にて。まずは外から。とにかく、100人とか言うレベルではないかもしれません。鉄道ファンだけではなく、通りすがりの人たちも、スマホやケータイで撮影するために足を止めてしまうので、歩道橋の通りが滞ります。でも、それだけ関心があるということでしょうね。南口の改札です。古い建物ですから天井が低く、その分、看板等表示類もかなり窮屈な状態となっていました。南口は滞留するようなスペースの無い、東西自由通路を兼ねた造りですから、写真を撮るのも大変です。そこら中で激突事故があり、スマホかケータイの落ちる音を聞きました。他所見しながら歩くな・・・私の信条です。こちらは正面口改札です。こちらの混雑もハンパなもんではありません。写真を撮る人たちが壁を作ってしまうので、乗換えで改札に入ってくる人、東横線から降りてきた人、東口からJRへ向かって横切る人と、通勤時間帯+金曜夜の状況も重なって大混乱です。撮影者に対する注意喚起も引っ切り無し、乗車案内などする余裕もないようでした。タダでさえ状況客が多い渋谷駅。改札内も撮影者が多数。どの人が通勤者で、どこからが鉄道ファンなのかも区別できないほどの状況です。のるるんのカウントダウンを撮りたかったのですが、居なくなってました。最後の日に居ないのではカウントダウンの意味が・・・とも思いますが、場所が狭いので、混乱防止のために已む無く撤去してしまったのかもしれませんね。警備員がこれまで無いくらいの人数で、返って邪魔になっているような(笑)。今回のダイヤ改正は、JRでも新幹線200系の引退や常磐特急「ひたち」の世代交代、京成のリバイバル車引退など、話題はそれなりにありましたが、その中でも東急電鉄における一部車両の交代、日比谷線からの乗り入れ廃止、そして副都心線への乗り入れ切り替えによる地上駅の廃止と、首都圏では一番大きな話題となったようです。私的にも今まであまり縁のなかった東急ですが、今の現場回りの仕事3年間の中で何回もここを利用するようになり、初めて愛着が出てきたような風景。ダイヤ改正に対する世間の注目度も年々高くなり、鉄道への興味の高さを映し出しているように思います。これまでの東急電鉄の歴史の中でも、これだけ人を集めた出来事は無かったのではないでしょうか?鉄道の魅力が理解されるようになって来た時代の流れが通りすがりの人達を巻き込んだというのもありますが、東横線を、渋谷駅が愛する、愛してきた人達が大勢いることの証でもある。そう思います。
2026.03.15
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211系:中央本線 普通列車(その1)2026年3月14日、JR東日本でダイヤ改正が行われます。もちろん、JRグループ及び私鉄各線でも実施され、車両運用で細かい部分の動きがあるようですが、「列車」という動きの意味ではかなり小振りな印象を受けています。その中でちょっと目立ったのが、中央東線の普通列車で、新車投入は無いものの、今後のホームドア設置の関係で、立川~高尾間において211系を追い出すという変更でした。115系時代は結構写真を撮っていたのですが、211系化されてからわざわざ撮影に行くこともなく、現場回りのついでに撮影できたものが少々あるだけでした。今回は、朝夕で余裕のない時間だったので良い写真はありませんが、ここで同区間で撮影したものをまとめておきたいと思います。平成30年11月9日 八王子駅にて 回送北八王子駅最寄りの事業所で指導講師の仕事を行った帰り、乗り継ぎの八王子駅で中央快速を待っていると、回送列車通過の放送と共に211系がやってきました。立川発の普通列車の送り込み回送のようです。低速でしたが、ホームは真っ暗でシンクロしませんでした。これが中央東線で初めての211系。平成30年11月28日 立川駅にて 447M 松本行立川での会議の帰り道、ちょうど松本行き普通列車が停まっていました。令和5年6月12日 立川駅にて 526M 立川止まりまた現場を回るセクションに配置となり、特にこの年度はやたら立川への出張が多く設定されていました。早めの出勤で立川駅に着くと、ちょうど211系6連が入ってきました。シャッタースピードの設定を誤り、ブレてしまいました。令和5年6月16日 立川駅にて 526M 立川止まり数日後にまた立川へ。またもや同じシーンに遭遇。JRダイヤの正確さの証明ですが、自分の行動ダイヤも正確なのは驚きですねw国鉄時代は新宿発の長距離普通列車が当たり前。特に昼間の長距離普通列車は空いていて、新宿を出ると立川まで停まらないというなんとも「速い」普通列車だったんですが、もう50年も経っちゃいました~。
2026.03.14
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DD51牽引 貨物列車:八高線(その2)DD51牽引 貨物列車:八高線(その1)からの続きで、分割民営化直前から直後に撮影したものを少しだけご紹介いたします。昭和62年3月28日 金子~東飯能間にて 機番不明昭和62年3月28日 DD51812牽引昭和62年3月28日 DD51894 単機何と、国鉄をクビになる3日前です。良くも撮影なんか行ってましたね。でも、退職が既に決まっていて、相当不安だった筈です。何せ、自分の人生がどう転ぶか全く想像が付きませんでしたから。記録がなくて場所を全然覚えていないのですが、箱根ヶ崎とか南部の方だったように思います。この区間は電化されてしまい、今では電車が走っています。当時はそのようになるとは想像も出来ませんでした。3枚目の894号機は、昭和49年12月5日三菱重工製のカマで新製時は佐倉機関区の配置でした。おそらく同機関区の廃止に伴って高崎運転所に転属したものと思われますが、やはり他の800番台初期車と同様に平成13年1月10日付で廃車となったようです。昭和62年4月5日 機番不明高崎線での撮影のついでに寄り道したようで、八高線北部の方でしたね。転職して初めての休み、なんと、もう撮影に行っているし。この頃は随分活発に動いていたんですね。4月に梅が咲いているなんて、かなり遅かったようです。前年には車掌車付きの列車が残っていたようですが、この写真を見る限り車掌車の連結も完全に廃止されてしまったようです。撮影にはそこそこ通ったのですが、あまり良い写真は撮れていない路線でした。
2026.03.13
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185系:特急特急「踊り子」(伊東線)特急「踊り子」は、昭和56年10月ダイヤ改正において特急「あまぎ」を増発して改称した特急列車です。これには、「踊り子」用として185系電車が用意され、特急形としてそれまでになかった斬新なスタイル・塗装で注目を浴びました。一方で、117系並みの普通列車然としたアコモデーションや「踊り子」という愛称の誕生そのものに疑問を呈する傾向も大きいものでした。185系の誕生自体はそれよりも早い昭和56年1月に誕生しており、試運転や習熟訓練を経て昭和56年3月に営業運転を開始しました。最初の運用は、東京発早朝の下り普通列車で、その運転時刻は新聞にも掲載されるほど注目されたものです。私自身も記念すべき初列車を撮影に行きましたが、リバーサルで撮影したもののスキャンをしていません。今回は、JRになってから1度だけ伊東線内で撮影したものを少しですがご紹介いたします。※撮影は、平成20年3月9日、伊豆多賀~網代間にて。A3編成平成20年3月9日 伊豆多賀~網代間にて寝台特急「富士」「はやぶさ」が終焉となるころ、東海道線での撮影に出向いた際、初めて伊東線内で撮影しました。それまでも職場旅行で何回か伊東線へ行ったことがありましたが、「踊り子」を撮影したのはこれが最初で最後になってしまいました。251系:「スーパービュー踊り子」EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」
2026.03.12
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521系:北陸本線(金沢~富山間)本記事は、2015-02-21に投稿したもので、当時の表現になっています。平成24年3月ダイヤ改正より、北陸本線の金沢~富山間に進出したJR西日本の521系電車。平成27年3月、北陸新幹線の開業によって同区間は第3セクター化されることになるため、521系が七尾線乗り入れ区間を除く津幡~富山間での運用はわずか3年間となります。ただし、車両としてはJR西日本が用意した521系が第3セクターに譲渡されることになっており、いずれの車両かは同線を引き続き走ることになるようです。今般、最後に訪れた北陸本線の同区間において、普段の撮影ではあまり撮らない普通列車の写真も多く撮影してきましたので、1回分の撮影ではありますがまとめにしたいと思います。平成27年1月23日 G02 548M 水橋駅にて平成27年1月23日 G24 452M 倶利伽羅~津幡間にて平成27年1月23日 G12 461M 津幡~倶利伽羅間にて平成27年1月23日 G01 473M 金沢駅にて平成27年1月23日 G19 475M 金沢駅にて平成27年1月24日 G26 434M 福岡~石動間にて平成27年1月24日 G16 442M 呉羽~小杉間にて平成27年1月24日 G06 451M 小杉~呉羽間にて平成27年1月24日 G07 454M 小杉~越中大門間にて平成27年1月24日 G26 457M 越中大門~小杉間にて
2026.03.11
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JR東日本 DE111029DE11シリーズで、今回はDE111029号機をご紹介したいと思います。平成22年2月19日 単機回送宇都宮~田端の交代配給でしょうかね。平成23年8月14日田端でお休み中の同機。1029号機は、昭和48年6月9日誕生の日本車輛製。登場当初は大宮機関区に配置されたようですが、昭和51年3月1日付で武蔵野機関区に異動となり、武蔵野操車場で使用されていたようです。59・2貨物大合理化で武蔵野操車場が廃止となったため、田端機関区へ所属替えとなり、そのままJR東日本に継承、組織改編により田端機関区→宇都宮運転所所属となりました。同機は平成24年5月24日付で廃車となったようですが、同年9月にJR貨物機として車籍が復活、仙台総合鉄道部に配属となります。その後は活躍が続いたようですが、令和6年度くらいに除籍・引退となったようです。
2026.03.10
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415系1500番台:常磐線・水戸線2016年3月ダイヤ改正において、常磐線・水戸線に残っていた415系1500番台が全面撤退となりました。当時、事前の情報では全く知らなかったので、改正後の情報で初めて知りました。415系1500番台は、常磐線の401系・403系の置換え用として国鉄時代末期に登場した車両で、機器類は415系と共通性を持たせたものの、車体や足回りは当時製造されていた211系に準じたものとなり、従来の415系とは全く違ったスタイルとなりました。製造当初は常磐線だけへの投入を予定していたようですが、その後九州地区へも投入されました。当時としても、製造されてからまだ25年を超えたところであり、ステンレス車体であることから寿命はまだまだと思われますが、メンテナンスフリーや省エネ化も関係でしょうか、思ったより早めの引退となってしまいました。平成18年8月5日 御徒町駅にて登場時からその存在を知っている同番台ですが、当時は211系と同じニセモノ新性能車みたいな感じがあまり好きになれませんでした。デジカメになって最初に撮ったのは、ポケモンスタンプラリーの際に見つけた、御徒町留置線へ向かう回送でした。今は上野東京ラインのメインロードになっています。平成20年8月9日 550M 佐和~東海間にて平成20年8月9日 551M 佐和~東海間にて平成20年8月9日 佐和~東海間にて撮影会にて。既に土浦以南の運用からは撤退していたので、来るモノは撮っておく、と言う感じでした。手前の撮影者は、一昨年亡くなってしまったシービーさん。平成20年8月9日 水戸駅にてこれは水戸駅での撮影ですが、小山へと発車していった水戸線の列車です。平成21年4月26日 勝田~水戸間にて娘の水泳大会の遠征に行ったときに撮ったものです。平成25年3月10日 内原~赤塚間にてこれも撮影会の時に撮った写真。水戸線からの普通列車でした。常磐線の普通列車は、昔からあまり撮ったことがありませんでしたね。特にこの1500番台は新しい車両と言うイメージがありましたので、上野口から撤退した後にそこそこ、といった枚数しかありませんでした。平成元年3月12日 大甕~勝田間にて最後に1枚だけ。15連化の際に不足となった車両を補うため、1500番台、1600番台に少数ながらサハが誕生してます。1500番台は最終的に4連に戻す計画があったようで、このように1500番台4連の間にT1701と鋼製モハユニットを挟んだ編成がありました。また、鋼製415系6連にT1601を挟んだ編成もあり、鋼製+ステンレスの混成が少数ながら見られました。この撮影の時も415系は全然撮影しておらず、これだけは混成だったので撮っていたものと思われます。編成も最後部まで入っておらず、慌てて撮った様子が覗えます。
2026.03.09
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岳南鉄道:貨物・機関車編※本記事は、2012-03-15に投稿したもので、当時の表現になっています。岳南鉄道は、JR東海「吉原駅」から分岐して終着岳南江尾駅を結ぶ鉄道です。路線長が短く、旅客需要が多いとは言えない路線ですが、やはりその主たる需要というのは貨物輸送でしょう。もっと言えば、貨物輸送に依存している、昔からの中小私鉄の生き残りであると言えるかもしれません。そんな岳南鉄道ですが、貨物扱いが廃止になってしまうことになりました。※撮影は、すべて平成20年12月20日です。JR吉原駅のホームから岳南鉄道 吉原駅岳南鉄道の改札を入ります。お昼寝中のED403。同鉄道唯一の広告入りです。※後に茶色に戻されています。岳南富士岡駅にて ED291往きの車内からも見えたので、帰りに車内から撮りました。貨物列車の基点は次の比奈駅ですが、機関区等は岳南富士岡駅にあるようです。駅舎側の江尾寄りに機関庫があり、出番の無い車両が寝ていました。そして、側線にはED291がお休み中です。このED291は既に廃車になっているのでしょうか、良く架線を見ると、感電防止用或いは通電防止用のようなカバーがついており、パンタが上がっても通電しないようにしているようです。比奈駅にて ED403朝方に吉原駅で休憩していたED403が比奈駅に戻ってきていました。まだ茶色のワム80000も居ました。走行しているところを撮ってみたかったですね。比奈駅にて ED501工場の専用線に繋がる側線で待機していたED501の貨物列車が、ホーム側へ転線してきました。慌てましたね。しかも、時間ギリギリの入換えで、ホームの定位置に着くなり、いきなり発車してしまいました。構図を考えている時間もなかった・・・。比奈駅構内にて ED501&ED403駅付近の散策をしたり、記念に乗車券などを買っていると、先程出発して行ったED501がまた帰ってきました。構内の転線の様子を見守りながら、落ち着いたところでジックリ撮影です。この時は運良く動いている列車を撮ることができましたが、時間の関係で走行写真を撮ることはできませんでした。ワムがなくなるという話は出ていましたが、コンテナ輸送は残ると思っていました。しかし、フタを開ければ製紙会社の合理化による工場の閉鎖、JRからの休止宣告という逆風をまともに受けることにより、まさかの貨物輸送廃止という道を選らばざら得なくなってしまいました。ワム輸送の廃止も大きな話題ですが、岳南鉄道の貨物輸送廃止となれば話は別格です。それは、今後の同社の存続そのものを左右してしまうことですから。岳南鉄道の貨物列車との出会い。まさか最初で最後になるとは思ってもみませんでした。貨物列車の廃止はつらいところですが、貴重な小型電気機関車たちの行方も気になります。岳南鉄道:5000系(赤ガエル)大井川鉄道:モハ1105(元岳南鉄道1105形)
2026.03.08
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JR東日本 DE111031DE11シリーズで、今回はDE111031号機をご紹介したいと思います。平成21年5月23日おおみや公開における展示線に並べられた1031号機。余程ネタに困っていたんでしょうかね。平成22年5月22日連結器が双頭連結器になっています。大宮総合車両センター専用みたいですね。平成24年5月26日2年後で、また同じ姿ですが、自連側になっています。平成25年5月25日さらに翌年。暗くて判り辛いですが、一般的な自動連結器に取り替えられています。4コマもありましたが、何故かすべて大宮総合車両センターばかりでした。1031号機は、昭和48年9月29日誕生の日本車輛製。登場当初は大宮機関区に配置されたようですが、半年後には武蔵野機関区に異動となり、武蔵野操車場で使用されていたようです。59・2貨物大合理化で武蔵野操車場が廃止となったため、田端機関区へ所属替えとなり、そのままJR東日本に継承、組織改編により田端機関区→宇都宮運転所所属となりました。同機は平成28年11月8日付で廃車となったそうです。
2026.03.07
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EF8196牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はEF8196号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。平成21年2月11日 2レ 特急「「北斗星」平成21年4月19日 2レ 特急「「北斗星」北陸育ちのカマであったことで国鉄時代に写真はなく、地元で定番の「北斗星」と安中貨物しかありませんでした。96号機は、昭和49年3月12日新製の日立製。94~100号機に属するグループは、昭和48年度の最終製造で、95~100号機が富山第二及び酒田に3両ずつ配属され、この96号機は富山第二機関区に配属となり、敦賀第二機関区を経て田端機関区にやってきました。EF80廃車に伴って常磐線運用が中心になったことは他機と同様で、JR東日本に継承されて「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などで活躍しました。EF510-500番台の導入に伴い、平成24年1月14日付で廃車となっています。
2026.03.06
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S-205:株式会社鐵原(てつげんコークス)初めて渡道したのは昭和55年3月、高校1年の3月試験休みでした。当時、高校1年で鉄道に関する知識が飛躍的に向上したことやキハ82形というそれまであまり触れたことがない特急列車が沢山走っているところを見たいと思っていたところ、同級生から「北海道行かない?」みたいな話になって、急遽渡道を決めました。その目的はほぼ北海道の特急列車でしたが、日本で最後に残った現役SLもその一つでした。夜行急行「すずらん」で未明の苫小牧で下車。始発の夕張線直通列車で夕張を往復。確か同日の午後に現地に着いたと思います。室蘭本線の枝線に乗って御崎駅へ。当時、電化工事は始まっていたと思いますが、まだ非電化でした。※撮影は、昭和55年3月10日、御崎駅隣接株式会社鐵原にて。誰一人居ないような駅に降り立ち、隣接する構内を見て歩きましたが、季節風だか海風だかびゅうびゅうと強い風が吹き付け、まだ冬の開けない北海道の気候の厳しさが身に沁みます。静かな構内はSLが稼働しているような様子も見られず、「せっかく来たのに・・・」と途方に暮れることしばし。しかし、その時は突然やってきました。突然目の前に現れたため、こんな写真しか撮れませんでした。CanonA-1で撮ったものですが、低温によるバッテリー低下が激しく、モタモタしたような記憶が蘇ります。また、当時のSPCは反応が遅いため、突然シャッターを切ると露出連動が追い付かず、露出オーバーになってしまいました。特にリバーサルではこの影響がてき面に出てしまい、写真として見られなくなってしまいます。それでも、デジタル処理が可能になったおかげで、ここまで再現できるようになって陽の目を見ました。これは2度目の引き出しだったか。これもいつ目の前に現れるか分からず。確か、目の前にコークスの山があって見通しが悪く、その隙間から撮っていたような記憶。その後も粘りましたが、結局はやってきませんでした。本線の列車とは違って見込みが分かりませんので、これ以上待っても・・・と後にしました。仕上がったリバーサルを見てガッカリ。写りは薄いは、暗くて機体が蒸気に搔き消されてるわ。翌年の3月、またしても北海道を目指しましたが、翌年には既に引退しており、二度と会うことはできませんでした。しかし、同機は現株式会社テツゲンの敷地内で静態保存、僚機のS-304は三笠鉄道村で動態保存されているのは嬉しいことです。#てつげんコークス #鐵原コークス #暖房はコークス
2026.03.05
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EF8194牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はEF8194号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。平成20年10月18日 2レ 特急「北斗星」平成21年10月31日 2レ 特急「北斗星」花形運用だった「北斗星」。あまり遭遇機会はなかったようです。昭和63年11月14日 栗橋~東鷲宮間にて 6004レ 特急「北斗星4号」運転開始から間もない頃の「北斗星」もありました。まだカラーはローズピンクです。個室寝台車の改造が終っていないが、大人気で寝台券の入手が困難だったことも有り、モノクラスの暫定的な編成で運転されていました。94号機は、昭和49年3月6日新製の日立製。94~100号機に属するグループは、昭和48年度の最終製造で、95~100号機が富山第二及び酒田に3両ずつ配属されたのに対し、この94号機のみ田端機関区にされ、常磐線方面への新製配置の最終号機であったようです。それまでの配置車と同様に東北貨物線の運用に充当され、その後のEF80廃車に伴って常磐線運用が中心になったことも同様です。JR東日本に継承されて「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などで活躍しました。EF510-500番台の導入に伴い、平成22年12月26日付で廃車となっています。
2026.03.04
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DD13ディーゼル機関車(地方編)DD13ディーゼル機関車は、国鉄が導入した入換用液体式ディーゼル機関車です。それまでは構内入換と言えば蒸気機関車が行っていましたが、輸送量・入換量の増加に伴う煤煙やコストの問題もあったため、一部存在したディーゼル機関車を補完すべく、昭和33年から導入が始まりました。昭和42年まで長きにわたって製造が行われたため、性能、外観的にも年次による違いが大きくあります。撮影枚数が多くはないため、ある程度の地域ごとにご紹介して思います。今回は、ごく僅かですが地方編でご紹介いたします。昭和52年3月30日 名古屋駅にて DD13308が牽引する荷物列車DD13は入換え専用機として導入された形式であるため、暖房供給用の装置を持っていないことから、原則として客車や荷物列車を牽引することはありません。ただし、全国的には例外も存在しており、清水港線や和田岬線など、運転距離が短く暖房の必要の無い線区では定期客車牽引をしていたケースがあります。また、資料によると水郡線や羽越本線では、SL列車からディーゼル化へのつなぎとして、暖房車を連結して客車を牽引していた実績があるようです。詳細な状況は全然覚えていませんが、おそらく本線運用の「荷物列車」ではなく、名古屋回転となる車両を荷物ホームに転線するためにDD13型が牽引しているものと思われます。荷物ターミナルのある駅構内ではこのような光景が見られるのでしょうが、関東近辺では本線まで荷物列車を迎えに来るシーンは見た記憶がありません。300番台は、車軸に取り付けてある減速機の曲り歯傘歯車の強度向上及び歯数比(減速比)の変更があり、台車形式がDT113形からDT113E形変更されました。このことによって、従来の台車とは互換性がなくなったことから、既存機と区分するため300番台とされたとのことです。昭和57年8月8日 富山駅にて DD13628628号機は、重連型の500番台に該当する区分。第18次車に相当する621~628のうちのラストナンバーで、非重連型の342~344の3両と同期車になります。昭和421月28日落成の汽車会社製で、新製配置は高岡区になります。昭和46年度に富山第一機関区に異動、さらに昭和58年度には金沢区に異動し、昭和61年3月31日付で廃車となっています。写真を撮ったのが昭和57年ですから、富山第一機関区における最晩年の時期ということになりますね。昭和59年3月22日 清水港線 三保駅にて DD13140+DD13203清水港線が廃止となる約1週間前の土日。団体列車として珍しくお座敷列車「いこい」が入線しました。次の23日の日曜日は1日に2往復の列車が走る、大変珍しい日となりました。140号機は出力増強形で、112号機以降は新製時から赤とグレーが標準塗装となったタイプとなります。203号機も同様の形態となっています。DD13ディーゼル機関車(地元編)DD13140牽引 貨物列車:清水港線DD13牽引12系お座敷客車:団体列車「さようなら清水港線」国鉄 清水港線:622レ→621レ
2026.03.03
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JR東日本 EF81138(青森セ) EF81シリーズで、青森車両センターに所属していたEF81138号機です。平成23年2月12日 24系 団体臨時列車ツアーでブルトレが設定されました。当時はリバイバルブームでもあり、なんらかのヘッドマークが設定されると思いましたが、テールマークすら「臨時」で、非常に地味な設定でした。平成24年3月11日 寝台特急「あけぼの」他にも→EF81青森機牽引:寝台特急「あけぼの」でご紹介しています。9716レ 団臨「ニコニコ超会議号」平成25年4月27日 9011レ 団体列車「鳥海」138号機は、昭和54年4月17日誕生の日立製。新潟地区のEF15やEF58の置換用として登場した最終グループに当たります。東新潟機関区→長岡運転所を経て青森機関区へ転属し、「はくつる」や「あけぼの」の牽引に当たりました。また、同機は双頭連結器を装備しなかったためか、僚機より一足早く、平成27年12月9日付で廃車になっています。
2026.03.02
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JR東日本 DE101098DE10シリーズで、今回はDE101098号機をご紹介したいと思います。平成21年11月23日 蕨駅付近にて※ナンバーが見づらかったので、拡大写真を追加しました。1098号機は、昭和46年5月21日誕生の日本車輛製。初期は米子機関区配置で山陰を拠点に使用されました。民営化直前に品川機関区へ異動となり、そのままJR東日本に継承、組織改編により田端機関区→宇都宮運転所所属となりました。写真は他の列車を撮影中に背後から急襲され偶然に撮影したものですが、同機は平成21年11月25日付で廃車となったそうなので、この列車は廃車のための配給回送だったようです。
2026.03.01
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