全28件 (28件中 1-28件目)
1

EF641012牽引:14系客車「サロンエクスプレス東京」国鉄における団体用欧風客車の奔りであった「サロンエクスプレス東京」。経済が爆発的に上昇していた頃であり、金を持った現役引退組の増加もあって、様々な高級列車が誕生していました。団体列車への充当はもとより、その話題性から一般を対象とした臨時列車に充当されることも多かったですね。昭和59年 大宮駅にて EF641012牽引 サロンエクスプレス東京サロンエクスプレス東京は昭和58年誕生となっていますので、登場間もない頃のようです。EF64の前面が光ってナンバーが見えませんが、スキャンして拡大したところ1012号機と読み取れました。サロンエクスプレス東京は高級感のある欧風客車として人気を博し、その後は動態保存化されたEF5861が本来の守備範囲ではない高崎線や東北本線にも牽引機として闊歩していました。当時は客車ジョイフルトレインが多く残っていますので、特定機ではないこうした一般型のカマが運用に入ることもありしたが、サロンに限ってはEF58以外が牽引することはそれほど多く無かったように思います。写真は、連写したもののうちベストポジションより数コマ前のものをチョイスしました。画面左奥は大宮工場の留置線で、キハ25首都圏色がバッチリ写り込んでいました。当時はそれほど気にしていなかったのですが、既に首都圏からはほとんど消滅しており、本当だったらキッチリ押さえておくべき時期だったと思います。八高線や真岡線など限られた線区で少数が残存していたようですが、当時はそうした情報を得ることも難しく、行き当りばったりの対応でしか記録できませんでした。
2026.02.28
コメント(0)

大宮操車場 ハンプ入換(雪景色編)大宮操車場シリーズで、今回は雪景色をまとめてみました。カーリターダーも雪でいっぱい!昨夜は運休が生じたのか、一部の駅別貨車が溜まっている。下り群線 右は普段使いのない20番線。先輩に不意打ちw毎朝回送線を通るEF81。奥を通過するスポーク車輪のワム80000が気になる。ハンプ山から 左が上りで右が下り。運休が発生したか、下りは到着なしでスカスカ、上りは出発できずに滞留か?時計台の上から。ダブルクロスは、ハンプにおける上りと下りの唯一の接点。上り15番線(左)に到着した貨車を下り18番線(右側)から引き上げ、下りの山から下りの各群線へ落とし直します。これを「再転」と言います。上り15番線(左)と下り18番(右)へ渡っている轍がありますので、未明の入換で再転作業があったと判ります。ちなみに、逆パターンである下り18番線→上り15番線への再転は見たことがありません。作業が終わったらさっさと帰る職場。ハンプ入換の歴史ももう少しで幕を閉じる。「大雪」という演出が歴史を飾った。
2026.02.27
コメント(0)

「北斗星」用寝台客車:オハネフ250番台(JR東日本・北海道)寝台特急で比率の一番多い車両と言えばオハネ・ナハネといった中間車のB寝台となりますが、「北斗星」に限って言うとちょっと違います。もちろん、「北斗星」(特にJR東日本編成)でも開放寝台のオハネは連結されていました。しかし、編成両数が短い割に、改造されたオロハネ・スハネ・オハ・オシといった車両の比が大きいため、JR東日本編成で開放オハネとオハネフの割合は3:3でほぼ同数、JR北海道編成についてはオール個室化から開放オハネが連結されないなど、オハネフの割合が非常に高い、ブルトレ史上でも珍しい例と言えます。さらに形式で見ると、「北斗星」用の緩急車ではオハネフ24や14系スハネフ改造の車両も見当たらず、オハネフ25の100番台もない、ほぼオハネフ250番台オンリーとなっていました。その後に改造でオハネフ24500番台が誕生したこと既にお伝えしています。昭和63年10月10日 「北斗星6号」? JR東日本編成運転開始からそれほど経っていない頃。当初からヘッドマーク付きで運転されていたため、あまり後部を撮ることがありませんでした。※貫通幌がまだ改造されていないところに注目です!写真を大きしてみると、個室寝台はオロハネとオロネのみで、殆どが開放B寝台です。牽引機のEF81もまだローズピンクのようです。平成19年5月4日 「北斗星2号」 JR北海道編成後部の列車写真を撮ったのがほぼ20年後。既に2往復化されています。平成19年9月4日 尾久車両センター待機状態の「北斗星」。「北陸」との並びも過去物語。平成21年5月3日 オハネフ255平成21年7月4日 JR北海道平成20年3月ダイヤ改正において「北斗星」は1往復化、後部に顔を出すオハネフ25は北海道編成のみとなってしまった。1号車(カニ次位)にはJR東日本のオハネフ25も連結されており、中間車の開放オハネ25は連結されなくなった。臨時「日光」とのすれ違いも懐かしい。平成21年9月23日 回9502レEF651115が牽引する訓練運転列車。ほとんどの場合、テールマークは「北斗星」が掲出されていた。平成22年1月23日上りの後部を捉えるには、常に逆光となるのであまり撮ることが無かった。平成22年12月25日平成24年2月5日 オハネフ255冬の便りを乗せて上京する「北斗星」。オハネフはジャンパー・栓受けが沢山あるため、雪が絡まりやすい。平成24年3月の改正から編成が逆向きになってしまい、さらに定期「北斗星」廃止によってオハネフ250番台が運用から撤退しまったため、良い条件で撮ることが出来なくなってしまいました。
2026.02.26
コメント(0)

JR東日本 EF81136(青森セ) EF81シリーズで、青森運転所に所属していたEF81136号機です。平成24年3月13日 青森車両センターにて平成14年8月11日 寝台特急「はくつる」平成20年2月10日 寝台特急「あけぼの」136号機は、昭和52年1月31日誕生の三菱製。EF62脱線廃車による補充名目として登場した135・136号機のうちの片割れで、酒田機関区配置となりました。その後、東新潟機関区→長岡運転所を経て青森機関区へ転属し、「はくつる」や「あけぼの」の牽引に当たりました。また、同機は早くから双頭連結器を装備し、209系の廃車回送などにも活躍しましたが、機関車全廃の波にのまれ、令和6年10月12日付で廃車になっています。
2026.02.25
コメント(0)

京成電鉄:3500形未更新車京成電鉄3500形は、昭和47年から導入開始されたステンレス製の電車です。96両が導入され、一部は車体を更新して現在も活躍中ですが、車体の腐食度合いが思ったより激しく、更新するよりも新製する方が得策と判断されたことで中断、原形のまま残った車両が40両存在しました。京成電鉄では3300形の淘汰も完了し、その後の新車の導入に伴って3500形未更新車についても徐々に数を減らしてきましたが、平成29年2月25~26日のさよなら運転をもって、最後の未更新車が姿を消すことになりました。平成24年1月16日 京成高砂駅にて 3588編成 普通 ちはら台行き京成電鉄へは高校生の頃に何度か撮影する機会がありましたが、狙っていたのは青電や3200形~3300形の鋼製車ばかりであり、銀色をした新しい車両には全く興味を示すことなく、3500形は1枚たりとも撮影していませんでした。平成20年代になって現場仕事に3年間就き、京成電鉄にも乗る機会がありましたが、既にローカル運用のみとなっていた未更新車に出会う機会に恵まれませんでした。この写真は、現場帰りに電車を待っていた際、中線の電車が発車した向こう側から姿を現したために慌てて撮影に行ったもので、カメラに収めることができたのは結局これが最初で最後になってしまいました。昔はゴロゴロと走っていた電車でしたが、新車とばかりシカトした結果がこのようなことになってしまいます。この時も「まだ良いか・・・」と見送っていれば、完全に記録落ちしてしまう危険のあった車両でした。
2026.02.24
コメント(2)

DD13ディーゼル機関車(品川客車区編)DD13ディーゼル機関車シリーズで、品川客車区における入換編で〆となります。品川客車区では首都圏でも最初に無煙化された場所であり、ここに導入されたDD13も殆どが初期車でした。そのため、地元では見ることのできない1ケタナンバーを見ることができ、それほど注目をしていなかったDLですが、違った意味で楽しめる場所でした。昭和52年 DD133+20系「銀河」品川客車区における編成替えや車体清掃作業などが午前中~日中に掛けて行われるため、DD13がせっせと入換する様子を毎日のように見ることができました。この写真もそんなシーンを捉えた1枚で、当時の20系「銀河」の編成を引っ張り出したり押し込んだりという作業をしているところです。昭和55年8月頃 品川客車区にて DD1395若番ばかりDD13にあって、品川では珍しかった95号機。別にナンバーのコンプリートを目指していたわけでもなく、ただ何となく撮った1枚の写真です。昭和56年9月頃 DD131初めて出会った1号機。嬉しかったですね。1枚目は14系寝台なので、「さくら」「みずほ」辺りでしょうか。ひょっとしたら「出雲」かも。2枚目は153系と並ぶ1号機。3枚目は小休止中の1号機。バックは「踊り子」ではなく、多分185系急行「伊豆」ですね。59・2の貨物大合理化により、後進のDE10やDE11ですら大量廃車されることとなったくらいですから、本線運転に適していないDD13が生き残る術は無く、一気に淘汰されることとなってしまいました。平成19年5月26日 大宮車両所にてところがどっこい、生き残っていたんですね。鉄道博物館への収蔵車両として登場時の姿となって整備され、搬入前に実施されたふれあいフェスタで展示されました。収蔵前に外で展示・公開された貴重なシーンです。DD13ディーゼル機関車(地元編)DD13140牽引 貨物列車:清水港線DD13牽引12系お座敷客車:団体列車「さようなら清水港線」国鉄 清水港線:622レ→621レ
2026.02.23
コメント(0)

オハネ24551:寝台特急「あけぼの」(乗車記)本記事は、2015-10-03に投稿したもので、当時の表現になっています。平成27年9月30日、寝台特急「あけぼの」に専用で使用されていたオハネ25550番台個室寝台車両(ソロ)のうちの3両である、オハネ24551、552、554の3両が長野工場へ配給回送されました。小学生の頃から最も身近で付き合いの長かった寝台特急「あけぼの」。その付き合いも40年に及びましたが、まったく乗る機会は無く、初めて乗車することが出来たのは、勤続25年の記念で青森に行った際、その帰路でした。その車両が今回廃車回送されたオハネ24551でした。親ブログで一度ご紹介済みですが、私的には乗車記録を撮ることは少ないため、こちらにも記録として残しておこうと思います。※乗車日は、平成24年3月13日です。平成24年3月11日 青森駅にて 上り「あけぼの」青森に到着した日、夜間撮影を行い、もちろん、上りの「あけぼの」も見送りました。「日本海」の廃止が間近になり、大勢のファンが青森駅へ詰め掛け、「あけぼの」のバルブに興じているファンも多く見られました。旅情を誘う電光案内掲示板。「あけぼの」は30分以上も前に入線し、これからの乗車に緊張感、期待感が高まります。乗車日近くなってから手に入れたB寝台個室(ソロ)の寝台券。最初は「空きが無い」と言われたのですが、何やら操作をした結果、確保できたような素振りでした。乗車したのはB寝台個室のオハネ24551。「北斗星」や「北陸」とは違い、ベッドが線路方向を見ています。荷物置き場が無く、かなり狭い空間ですので、自分の居場所を確保するために乗り込むと同時に荷物と空間との格闘が始まります。落ち着いて夕食を食べるまで1時間以上の時間を要しました。とにかく車内が混まないうちにと車内の様子を撮影。通路を挟んで両側に個室が並びます。喫煙車ですが、こんな状態ですから喫煙スペースはありません。青森発車からしばらくの間は、殆どの個室寝台は空いていました。下段も参考までに撮らせてもらいました。上段よりもさらに空間が狭い感じですが、室内に階段がない分、荷物を置くスペースがあるように思います。あまり車内写真も撮ったことがないので、トイレ付近も。こんな光景も、最後の急行「はまなす」の廃止で、いよいよ定期列車で見ることはできなくなってしまいます。昔よりはキレイになりましたが、冷水器や和式トイレなど、雰囲気は昭和のままです。室内で荷物と格闘の末、何とか食事を終えてやっと落ち着きました。羽後本荘辺りまでは起きていました。各停車駅では、「あけぼの」や「日本海」を撮ろうとするファンが必ずいました。就寝前にトイレに立つと、がら空きだったソロの車内は、秋田を過ぎて全てが埋まっていました。発進時の揺れに起こされながらも疲れて就寝、目が覚めたのは未明の水上駅でした。12時間も乗った割には、あまりゆっくり休めた感じがなく、やはり気怠い雰囲気の中コーヒーでもすすりながら余韻を楽しむくらいの到着時間が理想ですね。平成26年5月4日 上野駅にて 下り「あけぼの オハネ24552定期「あけぼの」が廃止になった後も引き続きソロが連結された臨時「あけぼの」。「北斗星」のような廃止後の暫定運行を除けば、臨時列車では極めて珍しい例でした。最初で最後となってしまった「あけぼの」の乗車。そして、初めて乗車したオハネ24551も帰らぬ路へと旅立ちました。EF65牽引 20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」20系寝台客車(ナハネフ):寝台特急「あけぼの」20系寝台客車(電源車):寝台特急「あけぼの」EF6437牽引:寝台特急「あけぼの」EF6438牽引:寝台特急「あけぼの」EF641000番台牽引:寝台特急「あけぼの」ED75700番台牽引:寝台特急「あけぼの」EF81青森機牽引:寝台特急「あけぼの」EF510代走牽引:寝台特急「あけぼの」24系寝台客車:寝台特急「あけぼの」583系:臨時寝台特急「あけぼの81号」583系:臨時寝台特急「あけぼの81号」(秋田車)EF65PF重連牽引:臨時特急「あけぼの52号」返却回送
2026.02.22
コメント(2)

大宮操車場 ハンプ入換(夜景編)昭和58年頃、間もなく大宮操車場の入換が廃止になるということを知り、我が職場の記録を残そうと、写真を撮るようになりました。今回は少しだけですが、夜景の写真です。ハンプ山(貨車の切り離しを行う坂のサミット)とカーリターダー。この辺りの地上設備は無くなり、今は湘南新宿ラインが高速で通過する。前日に降った雪がまだ残っていた。下りハンプの群線。右側は出発線と本線が、上空には高架の通過線があった。さらに高架線の外側では、新幹線と埼京線の工事が始まった。広い構内は数十mの高さから強烈な照明で照らされていたが、目が慣れるまでは想像よりは遥かに暗い。目が慣れてやっと入換に集中できる。現在のさいたま新都心駅方向を見ており、今ではさいたまスーパーアリーナがこの上に乗っている。上りハンプも下りハンプもほぼ同じような時間帯で入換作業を行っていたため、入換の合間の手待ち時間では、広大な空間に暫し静寂な時間が訪れる。
2026.02.21
コメント(0)

EF8193牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はEF8193号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。平成21年6月28日平成21年7月4日平成21年12月19日93号機は何故かカブり率が高いようでw93号機は、昭和48年9月21日生まれの三菱製。75~93号機に属するグループの年度のラストナンバー車です。83~93号機の三菱製グループは、竣工当初から田端機関区に配属されて、主に東北本線の黒磯スルー運転に活躍していました。EF80の廃車に伴って常磐線運用が中心となり、そのままJR東日本に継承されて「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されました。EF510-500番台の導入に伴い、平成24年1月14日付で廃車となっています。
2026.02.20
コメント(0)

E4系:上越新幹線 「Maxとき」・「Maxたにがわ」(帯色変更過渡期)※本記事は、2021-10-01に投稿したもので、当時の表現になっています。100系から始まった2階建て新幹線の歴史。本日の定期運行を最後に幕を閉じようとしています。登場時から黄色のラインが使用されていましたが、平成26年の新潟デスティネーションキャンペーンに合わせて塗装変更が実施され、順次朱鷲色のラインに変更されました。先日『E4系:上越新幹線 「Maxとき」・「Maxたにがわ」(黄帯時代)』にて黄帯時代のまとめをしたところですが、このライン変更の時期にほんの少しだけ撮影していました。平成26年6月14日 大宮駅にて 「Maxとき309号」この日4本の16連を狙ってやっと1本の混色編成を記録することができました。平成27年1月23日 大宮駅にて 「Maxとき・たにがわ300号」寝台特急「トワイライトエクスプレス」の最後を撮影に行く際、乗車待ちの大宮駅で出くわした混色編成。予期していなかったのでこんな写真しか撮れませんでした。平成29年6月2日 神田駅にて夕方の帰り道、神田駅で撮影しているとMax16連が通りました。18時頃です。既に全編成が朱鷲色のラインになっています。結局はこの写真を最後に、新幹線の写真も撮りに行くことはなくなってしまいました。「Maxとき334号」の新幹線特急券。寝台特急「トワイライトエクスプレス」撮影の帰路、この時で「Maxやまびこ」に続きやっと2回目の乗車。越後湯沢からのスキー帰り客で大変な混雑でした。上越新幹線 E1系:「Maxとき」&「Maxたにがわ」400系:新幹線「つばさ」
2026.02.19
コメント(0)

EEF66牽引 レサ10000系:特急貨物「とびうお」EF66シリーズですが、今回は東海道・山陽のスーパースターであった冷蔵貨物列車の「とびうお」をご紹介したいと思います。レサ10000系は、九州〜東京・大阪間を結ぶ高速鮮魚輸送用として開発された100km/h対応の冷蔵貨車です。昭和41年に135両が導入(昭和44年に13両が増備)され、それまでの冷蔵輸送を飛躍的に向上させました。レサ10000系においては、最高速の設定速度から一般の緩急車(車掌車)を連結することができないため、コキ10000系コキフと同じ設計の車掌室を載せたレムフ10000が11両製造されました。幡生〜東京間を結ぶ列車を「とびうお」、幡生〜大阪を結ぶ列車を「ぎんりん」と命名し、特急客車列車と同格の高速貨Aで運転されるようになりました。昭和55年8月 京都駅にて EF6618牽引 5050レ 「とびうお」京都駅で特急列車などを撮影中、通過線を通りかかった特急貨物「とびうお」を偶然にも撮影することができました。中線通過なのでスピードを落としていますが、白い貨車のみで組成された列車は大変美しく、EF66の力強さも加わり、華麗な存在でした。昭和58年5月15日 瀬野〜八本松間にて EF6646牽引 5050レ 「とびうお」西の箱根を往く特急貨物「とびうお」。下りの回送だと記憶していたのですが、陽当たり加減からどうも上りの鮮魚を積載した列車であることが判りました。上りの「とびうお」は5050レを名乗り、全国の貨物列車の中でも別格扱いでした。「とびうお」を撮影したのはこの2枚だけ。走行時間を考えると、山陽区間から米原辺りまでが撮影の限界のようですので、むしろ2枚も撮れていたのはラッキーだったかもしれません。惜しむらくは、構図が悪くてレムフ10000が撮れていなかったこと。後補機が連結されていれば撮っていたと思うのですが、EF66の登場により補機が不要となったようです。鉄道博物館に収蔵されたレムフ10000。高速道路が整備される前、その役割を果たした鉄道輸送史に名を残す車両です。鉄道博物館開館前年の大宮総合車両センターの公開。残念ながら展示からは外れてしまいましたが、片隅にその姿を見ることができました。牽引しているEF6618号機は、JR貨物に継承され2007年6月22日付で廃車。EF6646号機は、JR西日本に継承され2009年6月10日付で廃車になったそうです。
2026.02.18
コメント(0)

京成電鉄3300形:ファイアーオレンジリバイバル塗装京成電鉄100年事業として登場し好評を得ていたリバイバル塗装3兄弟でしたが、平成24年度をもって次々と引退することになりました。今回は、シリーズ最後となる3312編成(ファイアーオレンジ編成)についてアップしたいと思います。※撮影は、平成24年1月16日です。柴又~金町間にて京成電鉄3300形のリバイバル色3兄弟。そのうちのファイアーオレンジは1回見逃して以来、やっと逢えました。金町駅にて金町駅にてサイドも。柴又駅にて帝釈天参拝後、柴又駅にて。アングルを決める余裕がなく、障害物が・・・この駅は結構難しい。柴又駅にて発車直後、3300形の特等展望席から。残念ながら、ピントがガラスに合ってしまったようです。柴又~高砂間にて高架線が出来上がりましたが、単線ホームとなっているので、駅間のちょうど真ん中辺りから下り線へ渡ることになります。柴又~高砂間にてポイントを渡った上り電車は、そのまま下り線を逆走します。かなりキモイですね。下り線の道床ですが、高架になってからえぐられて深くなっています。高架との摺り付けの関係でしょうかね。かなり様子が変わりました。3312編成(ファイアーオレンジ)は平成25年3月24日を最後に引退となりました。京成電鉄:赤電3100形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3200形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3300形(非冷房時代)京成電鉄 モハ700形:行商専用列車 京成電鉄:青電2100形・210形北総鉄道:7260形(7261F)
2026.02.17
コメント(0)

大宮操車場 ハンプ入換(群線編)大宮操車場シリーズで、今回は群線からみた構内の様子をご覧いただきましょう。下り本線側から事務所を臨む風景。私が貨車への飛び乗りを行っていた『我が職場』であります。右中にある建物がハンプ事務所で、上り下り共同で使用されていました。ハンプ入換が廃止になる約1年前に改築されたもので、減価償却を全く出来ないうちに解体されてしまいました。非常に勿体無かったです。これ以外に、上り・下りのそれぞれ信号所と、「山」と呼ばれる坂の上の切り離す場所に事務所がありました。左中にある大きな建物は大宮操車場駅本庁舎で、今でもそのままの姿で残っています。上り本線側から事務所方向を撮影した写真。バックに見える高架線は、下り本線の通過線で、大宮操車場に停車しない直行貨物や荷物・団体列車はこの線を通って数々のポイント通過を避けていました。鉄筋の飛び出した工事中の高架は、東北・上越新幹線、埼京線となっています。上り群線と下り群線の真ん中に事務所があり、その前には鉄道時計がありました。ハンプの各群線には、このように小さな番線標識が付いています。24時間、同じ群線を担当していますので、間違えることは基本的には無いのですが、夜暗くなってから方向別入換に溜まっていた貨車を引き上げられてしまうと、群線の風景が変わってしまい、錯覚を起すことはありました。下り18番の貨車の上に乗って撮ったワフ。下りハンプの群線は1~18番までと、予備の20番線がありました。コレに対して、上りハンプは1~15番線まででした。番線は本線のある外側から番号順にふられ、下りの18番線と上りの15番線が隣り合っています。高崎線から東北本線へ、逆に東北本線から高崎線へ向かう貨車は、上りハンプでの散転により上り15番線へと落とされます。そして、上り15番線から下りハンプへ亘り線を通って引上げを行い、再び下りハンプへ散転するという作業が行われていました。この入換を「再転」と呼んでいました。下り7・8・9番に滞留する貨車。撮影したのが昭和59年1月29日で、ハンプ入換が廃止になる3日前ということになります。最終日が近づくにつれ、廃車予定の空車がドンドン集まってきて、身動きできなくなるほどの貨車で溢れかえってきました。冬の夜明けは遅い。仮眠から覚めて直ぐの入換は、特に冬は厳しい。金属製の添乗手すりは凍り付く冷たさ。前日朝から貨車に乗っていると、手が痺れるほど痛くなっており、そこにこの冷たさが加わってより過酷でした。下りハンプのカーリターダー横には池がありました。凍てつく寒さで池は氷が張っています。下りの発着線はご覧のとおりのスケール。貨物隆盛の時代が残っています。しかし、日曜日は運休が多くなるため、月曜の朝はガラ~ンとしてしまうこともしばしば。下り1番と20番。1番線の途中から20番線と呼ばれる予備線がありました。通常の入換では滅多に使われることはありません。私の記憶では、廃車待ちの貨車を留置したこのシーンが初めてであったと思います。ワラ106に入った車票(列車で言うところの行先札)には大きく×印が書かれています。これは、廃車の宣告を受けた貨車に表示されたものであり、この貨車は、ここ大宮操車場で生涯を終えると宣告されたことになります。本日ご覧いただいたモノクロ写真は、全て昭和59年1月29日に撮影したものです。まだ大宮操車場が廃止になるという実感がなかった当時、この×印の付いた貨車が大量に運ばれてきたことで、やっと事の重大さを感じてきた記憶があります。
2026.02.16
コメント(0)

EF8192牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引の寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はカシガマ色ことEF8192号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっていますが、特に「カシオペア」については専用の塗装機が登場しており、「北斗星」の運用に就くことも度々ありました。平成20年5月5日平成22年5月2日 EF8192 白坂~豊原間にて平成22年5月22日 EF8192 北浦和駅にて平成22年6月20日 EF8192 蕨駅付近にて88号機は、昭和48年9月19日生まれの三菱製。75~93号機に属するグループの年度に属し、83~93号機の三菱製グループは、竣工当初から田端機関区に配属されて、主に東北本線の黒磯スルー運転に活躍していました。民営化に際しJR東日本に継承され、「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されましたのも同様ですが、カシガマとなってからは専ら「カシオペア」牽引に特化して使用されました。EF510-500番台の導入に伴い、平成24年1月14日付で廃車となっています。
2026.02.15
コメント(0)

E231系山手線:チョコ電 「山手線命名100周年」2009年、山手線命名100周年記念として、E231系の全身を茶色にラッピングしたいわゆる「チョコ電」が走りました。鋼製電車であれば塗装替えとなるわけですが、時代は既に殆どの電車がアルミかステンレス車となっているため、塗装することはせずにラッピングによる色替えを実施しています。しかし、通常は広告スペース程度であり、全身ラッピングはそれほど例がなかったため、当時としても非常に話題となったものです。実施は平成21年9月7日から12月4日まで、トウ502編成1編成のみであり、ナンバーや所属表記も国鉄時代のフォントを再現する力の入りようでした。また、その車体塗装からでしょうか、明治チョコレートとのコラボとなっており、各車体のサイドには、明治チョコレートのCM表記も見られました。通勤で何度も目にすることはありましたが、なかなか写真を撮る機会には恵まれず、捉えることができたのは1度だけでした。※撮影は、平成21年10月11日、西日暮里駅にて。ラッピングは反射のある素材が使われているため、空や背景の強い光が反射してしまうと、茶色が殆ど表現できなくなります。できるだけ真横に近い方が色が出やすいのですが、そうすると編成写真が撮れないため、大変厄介な代物でした。
2026.02.14
コメント(0)

京成電鉄3300形:青電リバイバル塗装平成21年6月、京成電鉄創立100周年を記念する事業として3300形電車に往年の青電復刻塗装を施した3356編成が誕生しました。1年程度で終了するかと思われた塗装は、その人気から約4年の間、塗装を変更することなく運用されてきましたが、平成25年2月のダイヤ改正を期に、突然の引退発表となりました。私も現役時代の青電から京成電鉄を見てきましたので、なんちゃって塗装と言いつつも、その存在は特別なものでありました。※撮影は、全て平成21年10月11日です。お花茶屋駅にてなんとか3種類のリバイバル塗装編成を捕獲すべく出陣しました。途中ですれ違ってしまった青電。途中下車して確認するとロケーションが悪く、反対ホームへ渡ろうとしたとき、意外にも早く上野から戻ってきてしまいました。運悪く階段が遠かったため、ホーム中途で無理矢理な撮影。なんかの建物の影がバッチリ先頭のタイミングの場所に掛かってどうにもならない絵になってしまいました。お花茶屋駅にて停車時間の余裕もあったので、望遠で後追い。半逆光になるので、こちらも精彩のない絵ですね。まあ、保険という感じです。徒歩で金町線の撮影に入り、再び舞い戻ってくると、どうも津田沼まで行った青電が戻って来ないらしい。千葉線内の折り返しか、津田沼に電留した可能性が高いようなので、ホントはあまりお金を使いたくなかったんですが、30年振りに行って見ることにしました。津田沼電留線にてここで休んでちゃ、いつになったら来るか分かりませんよね。方向幕も「上野行」になっていますので、千葉線内の往復運転の可能性はありません。パンタは上げたままですが。走行中だったら轢かれてしまうアングルですが、踏切からです。駅までの戻り道で、金網越しのアングルを発見。走行写真ではマネの出来ないアングルですね。足場が邪魔ですが、これも鉄道施設なので仕方ありません。しかし、良く晴れてますね。こんなローアングルからの走行写真を撮ってみたかったです。その後、撮影に行く機会はあり、現場の関係で何度も金町線を見たりしたのですが、すれ違ってしまったり、逢えなかったり・・・。結局撮影できたのはこの回限りとなってしまいました。青電編成は平成25年2月18日まで運転され、そのまま引退となってしまったようです。京成電鉄:赤電3100形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3200形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3300形(非冷房時代)京成電鉄 モハ700形:行商専用列車 京成電鉄:青電2100形・210形北総鉄道:7260形(7261F)
2026.02.13
コメント(0)

24系寝台客車:マニ24500番台寝台特急「北斗星」用の客車シリーズで、今回はマニ24500番台です。オハネフ24500番台と同様に、「北斗星3・4号」の定期化に合わせて不足する電源車確保のため、なんと異形式であるマニ50に電源セットを搭載するという荒業で誕生したのがマニ24500番台です。種車が普通の荷物車であったため、寝台車両とは大きく断面が異なるのが特徴で、外観の大幅な違いから屋根にキセを載せて合わせるという、これまた荒業を使っています。ちなみに、発電セットの搬出入のために屋根を開口してあり、あの大袈裟な屋根板はカバーを兼ねているそうです。JR東日本・北海道で各1両ずつを改造し、東日本が501(←マニ502048)、北海道が502(←マニ502070)となっています。種車がマニ50であることから、24系の中では車体長が一番長い電源車となっていました。平成20年1月14日 EF8198牽引 「北斗星2号」まだデジカメを購入したばかりの頃で、ネガやポジも使用しており、これはリバーサルフィルムで撮影したものです。この時点で「北斗星」は2往復体制に縮小されており、既に501は廃車になっていました。平成20年2月10日 EF8178牽引 「北斗星2号」こちらも上りの2号で、機関車の次位がマニ24502となっています。2往復時代晩年でしたが、特にこれらの車両に着目していなかったので、こんな形でしか記録することが出来ていませんでした。デジカメを便利に使っている現在であればもう少ししっかり撮っていたかもしれませんが、当時持っていたデジカメではまだ信用が持てなかったこともあり、地元での撮影も消極的でした。ブルトレでは、14系⇔24系間の異形式改造は多くありましたが、完全な異形式からの改造では20系時代初期のマヤ20くらいしか記憶になく、平成の時代になって同じような改造車が誕生するとは思ってもみませんでした。
2026.02.12
コメント(0)

DD13ディーゼル機関車(地元編)DD13ディーゼル機関車は、国鉄が導入した入換用液体式ディーゼル機関車です。それまでは構内入換と言えば蒸気機関車が行っていましたが、輸送量・入換量の増加に伴う煤煙やコストの問題もあったため、一部存在したディーゼル機関車を補完すべく、昭和33年から導入が始まりました。昭和42年まで長きにわたって製造が行われたため、性能、外観的にも年次による違いが大きくあります。撮影枚数が多くはないため、ある程度の地域ごとにご紹介したいと思います。今回は、特に馴染みのあった地元編でご紹介いたします。昭和52年頃 DD1320牽引 貨物列車昭和53年頃 DD1330牽引 貨物列車昭和54年頃 DD13133牽引 貨物列車昭和55年頃 DD13116牽引 貨物列車昭和55年7月 DD1325 単機回送昭和56年頃 DD1325牽引 貨物列車昭和57年5月 折り返し待機中のDD1336DD13は、写真を撮り始めた頃から常に身近にいましたので、特に注目するわけではなく、何となく撮ったものが残っていた感じです。田端機関区配置の車両は第2陣で、20番代以降でした。それでも、写真の116や133などの2つ目車はかなり珍しかったので、狙っていたわけではなかったにしても、取り敢えず押えていたという感じでしょうね。貨物の輸送システムの見直しから中間駅の貨物扱いがことごとく廃止され、川口駅も然り、折り返しの拠点であった蕨駅もあっさりと廃止されてしまいました。ちなみに、蕨駅では日本車両蕨工場と住友セメントがあり、貨物扱い駅としてはそれなりに規模があったのですが、日本車両は物心ついた頃には既に愛知県豊川に移転し、住友セメントもいつ頃か定かな記憶がありませんが、昭和55年頃には移転していたかもしれません。貨物の度重なる合理化で次々と姿を消していったDD13型機関車。昭和59年2月のダイヤ改正で最終打撃を受けました。その直後の分割民営化に際しては、稼動経歴の浅いDE10やDE11でさえ大量に廃車されてしまったくらいですから、旧型で非力なDD13型が残る余地も無かったと言えましょう。
2026.02.11
コメント(0)

455系 普通列車&快速「ばんだい」:磐越西線磐越西線における普通列車事情は、会津若松を境として、郡山方面への電化区間と、新津方面への非電化区間で大きく状況が違いました。東北新幹線の開業前の普通列車は、郡山~新津を通して客車列車を基本とし、会津若松~新津間は気動車による普通列車も多く存在しました。東北新幹線が開業すると、東北本線における急行列車が大削減となり、これで余剰となった455系を中心とする急行形電車が大量に余剰となったため、東北本線の黒磯~仙台地区及び磐越西線の電化区間の旧型客車を置き換える形でローカル電車として活躍するようになりました。東北本線は勾配区間が少ないことや、区間によって通勤・通学需要が高いことから、581系・583系から改造された4連の715系1000番代や、抑速ブレーキを搭載しない453系を中心に置き換えられる一方、磐越西線は区間の殆どの区間に勾配を擁する地形のため、抑速ブレーキを有する455系を中心として置き換えが行われたようです。455系は子供の頃から好きな車両でしたが、やはり塗装変更を受けた車両は興味の対象から外れてしまったため、わざわざ撮影に出掛けるということはありませんでした。それでも、終焉を迎えるED77牽引の客車列車やD51498牽引の「SL磐梯会津路」などの撮影の際に撮影したものがありました。写真それぞれの列車の記録は取っていませんので、普通列車又は快速「ばんだい」のいずれかとなります。昭和62年11月23日 翁島~猪苗代間にて昭和62年11月23日 翁島~磐梯町間にて 快速「ばんだい」既に東北新幹線は上野までも開業しており、455系による普通列車も板についた頃です。塗装はいわゆるグリーンライナー色となっていますが、まだシールドビーム化されていない車両も多々残存しており、今考えればオリジナルに近い形態を捉えることが出来た頃でした。平成2年7月1日 旧中山宿駅構内にてこの写真だけ夏場に撮影したものです。中山宿駅のスイッチバックの廃止と共に駅自体も移設され、通過線のみが生きている状態になっていました。まだ廃止になって間もないため、駅構内を散策するファンが多く見られました。平成5年2月2日 磐梯町~翁島間にて平成になっても基本的には形態の変わっていない磐越西線の普通列車ですが、ED77はED75に置換えられ、最後の奮闘をしている頃。ヘッドライトを改造する際にテールランプとボックス化されたものが登場し、前面の印象が大きく変わってしまいました。平成5年2月2日 磐梯町~翁島間にて同じ区間で撮影した455系編成で、こちらは6両編成です。優等列車の廃止によりグリーン車の連結がなくなった同線では、フルムーンパス対応としてクロハ改造された455系も登場しました。しかし、残念ながらその写真は押さえられなかったようです。天候が悪く、バックの磐梯山が見えませんが、この季節のクオリティでした。平成12年2月6日 広田~東長原間にて 快速「ばんだい」719系化されるまで活躍は長く続きましたが、晩年は赤黒をメインとした磐越西線色に塗装変更が行われています。
2026.02.10
コメント(0)

東急電鉄池上線:7600系(歌舞伎塗装)東急電鉄池上線・多摩川線で2編成のみが残っていた7600系が、平成27年2月をもって引退しました。東急電鉄の中でも古豪が活躍する池上線・多摩川線。本線系の車両が刷新される中、50年を迎えようとする古豪たちもいよいよ終焉となりました。平成23年7月1日 池上駅付近にて 7601F7600系と言えば、ダイヤモンドカットと呼ばれている前面が特徴の車両。また、中間にも先頭車を挟む姿も特徴です。もう35年も前になりますが、仕事で年に2回ほど池上を訪れることがあり、池上線に乗ったのもそれが最初でした。当時はどの電車に乗っても先頭車が中間に挟んであった印象があり、7600系が大勢を占めていたのでは?という記憶が残っています。ただ、当時は重たいカメラを持って歩くこともありませんでしたので、前面赤帯1本の7600系は記録していません。写真は、外回りの仕事で30年振りくらいに再訪した池上にて。平成23年7月13日 デハ7681外回りの仕事で近い期間に2度も乗ることがありました。そして偶然にも7681にも乗車する機会に恵まれました。ラッシュの逆方向で車内も空いており、旧運転台部分もゆっくりと観察。まるで何事も無かったように客室になっていますが、旧ドア部分の運転台窓に面影を見取れます。乗って来た7601Fが洗足池駅を去って行きます。平成23年7月13日 洗足池駅にて途中ですれ違ったもう1編成の7602Fも撮影することが出来ました。平成25年5月5日 長原~旗の台間にて 7601F東京貨物ターミナルの初公開の帰りついで?東急池上線や大井町線の8090系を撮影に。この日運用に入っていた7601Fを何とか撮ることが出来ました。最後に残った7601Fは、末期に帯を外し、登場時の姿に戻されたそうです。平成27年2月10日の運転をもって運用を終了し、3月中に除籍となったようです。東急電鉄池上線:7700系
2026.02.09
コメント(0)

EF8188牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はEF8188号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。特記以外は上り2レ「北斗星」です。平成19年12月16日 2レ「北斗星2号」平成21年2月14日 平成21年5月2日平成21年5月5日平成22年3月22日88号機の遭遇率は高かったようです。その一方で、87号機は何故か1コマも見当たらず、最後まで残っていた80号機も見当たりませんでした。88号機は、昭和48年8月22日生まれの三菱製。75~93号機に属するグループの年度に属し、83~93号機の三菱製グループは、竣工当初から田端機関区に配属されて、主に東北本線の黒磯スルー運転に活躍していました。EF80の廃車に伴って常磐線運用が中心となり、そのままJR東日本に継承されて「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されました。EF510-500番台の導入に伴い、平成23年6月8日付で廃車となっています。
2026.02.08
コメント(0)

ED751000番台牽引 旧型客車:普通列車(東北本線)以前に『ED750番台牽引 旧型客車:普通列車(東北本線)』をご紹介いたしましたが、同時期に撮影した普通列車の中で、1000番台が運用された写真がありました。1000番台は、20系寝台客車やコキ10000系貨車の100km/h運転に対応した装備を持ついわゆるP形として誕生した区分です。それまでは既存の形式を改造することにより対応したため、EF58では特に番台区分を設けなかったものの、EF70やED73では改造後に1000番台として区分したものもあります。特にED73についてはすべての車両が1000番台という史上稀にみる現象となっています。東北本線では20系寝台やコキ10000系が多く使用されましたので、これらに対応するためED751000番台が39両も誕生していますが、ブルートレインが14系や24系(25形)に移行されるようになるとその特殊性があまり活用できなくなってしまい、殆どが0番台と変わらずに運用されるようになったようです。昭和53年頃 白河駅にて ED751003 121レ残念ながら客車は写っていませんが、上野を早朝に発車する121列車郡山行きです。121レの郡山方2両は白河回転車となっており、1面2線で客車退避のできない同駅ですが、10分間の停車時間に2両を切り離して側線に留置、再び本線に戻って121レを牽引して郡山を目指しました。このような日常が、昭和53年10月ダイヤ改正直前まで繰り返されていました。この写真を見る限り、連結器と解放てこが銀色に塗装されていたようです。昭和58年11月10日 事故廃車 青森運転所昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて ED751011牽引 上り普通列車スキャンニングモードを誤って酷い画像になってしまったのですが、茶色のオハ35系やスハ42系を連ねる上り普通列車です。長町機関区 → JR貨物 平成20年3月14日廃車 仙台本来なら高速仕様のP型である筈の1000番台ですが、時代の趨勢で旧型客車を牽引しなければならないとは、同機たちも役不足だと思っていたことでしょう。黒磯口では、このような運用が昭和60年前半くらいまで続きました。
2026.02.07
コメント(0)

東京メトロ 日比谷線:03系(東急東横線乗り入れの終焉)平成25年3月15日をもって、東急東横線は東京メトロ副都心線への乗り入れに伴って渋谷駅が地下へと切り替わることになりました。副都心線との相互乗り入れが開始となると同時に、日比谷線との相互乗り入れが廃止されます。これにより、東横線の中目黒駅を除き、日比谷線03系車両が東横線内で見ることができなくなりました。平成25年1月8日 都立大学駅にて 5次車 第23編成平成25年1月8日 都立大学駅にて 6次車 第35編成日比谷線の相互乗り入れは昭和39年8月29日に始まるものであり、既に50年近い歴史があります。日比谷線乗り入れ車両は建築限界の関係から18m車対応となっており、本線車両の20m車とは車体長のほか扉の数・間隔も異なってしまいます。鉄道各社では転落防止のためのホームドア設置工事が進んでいるため、これを睨んでの乗り入れ廃止ではないかと考えられます。もしホームドアが設置されれば、このような駅撮り写真すら撮ることができなくなってしまうことでしょう。平成21年2月28日 多摩川~新丸子間にて多摩川橋梁を渡る東京メトロ03系。ケータイで。これだけでは満足することができず、最後の力を振り絞って?トライしてきました。撮影は東横線多摩川駅にて。平成25年2月10日 7次車 第42編成 菊名行きこちらは03系最終編成です。平成25年2月10日 5次車 第19編成 北千住行き平成25年2月10日 6次車 第30編成 菊名行き平成25年2月10日 7次車 第42編成 北千住行き行き先のはっきり表現できる字幕車を狙って行ったのですが、1本も来ませんでした・・・。平成25年2月10日 03系 4次車 下丸子~多摩川間にてリベンジで訪れた多摩川橋梁。奇しくも車番さえ判らないこのスケールアングルで、痛恨の字幕車でした・・・。初回編集時は03系の去就についての話題にはなりませんでしたが、ここにご紹介した03系そのものも既に過去の車両となってしまいました。
2026.02.06
コメント(0)

大宮操車場 ハンプ入換(連結・ヤード編)大宮操車場 ハンプ入換(散転・カーリターダー編)に続き、入換が始まります。カーリターダーで速度制御を受けた貨車は、各群線に早歩きするくらいの速度でやってきます。これを下で待っている各番線担当の連結手(構内係)が貨車に飛び乗り、目標地点まで運びます。貨車には全車に添乗ブレーキ(手ブレーキ)が付いています。これは、貨車は全ての車両がバラバラに組成・留置される可能性があるため、客車のように編成単位で緩急車を連結しておけば良いという発想がないためです。また、ハンプ入換や突放入換なども昔から行われており、各車両に添乗ブレーキがないと入換えそのものに支障があるわけですね。貨車の手ブレーキは、大きく分けて3種類あります。1つ目は、貨車の側面に付いている側ブレーキと呼ばれるものです。この白い手すりに掴まって添乗し、車体中央方向から伸びる足踏み敷きのテコを踏みつけてブレーキを掛けます。踏みつけると言っても、実際には飛び跳ねてから全体重を掛けて下に踏み込むと言う感じです。側ブレーキは、有蓋車(いわゆる箱型の貨車)、無蓋車(屋根のないアオリ戸のある貨車)、タンク車の一部などに主に使われています。長物車にも使用されますが、台枠より上に車体が無いため、仰け反る様なやや特殊な格好で添乗する設備になっています。(この車両は、長時間掴まるのが一番ツライ体勢になるので好きではない。)2つ目は、車上に昇って添乗するいわゆるハンドルブレーキタイプのもので、ステップから貨車の上に昇り、平らな部分に乗ってハンドルをグルグルと回し緊締するものです。ハンドルブレーキは、車掌車やコンテナ車、各種ホッパー車、タンク車の多勢に使用されており、長時間添乗するには楽ができるタイプです。ただし、ハンドルの巻き取りに時間が掛かるため、体重で制御する側ブレーキに比べると急ブレーキを掛けるのが難しいと言えます。3つ目は、床下にあるハンドルを回すタイプのものがあります。添乗設備が無いため、突放やハンプ入換は禁止となり、『突放禁止』の表記が書かれています。ク5000や最近ではコンテナ車の100系タイプがこれに該当しています。ただし、他の添乗ブレーキが付いている車両と一体で入換える場合には、別の貨車でブレーキ制御が出来るため、突放やハンプ入換をすることもあります。連結作業は、単純に群線に停止している貨車に次々と連結していく手段もありますが、群線によっては500mもの長さを有する番線もあり、また、場合によっては1つおきに次々と自分の番線に落ちてくることもありますから、簡単に1つずつ連結している場合ではないこともあります。そのような場合は、一番上の写真のように貨車の最後部に添乗し、ある程度の中間地点で貨車を停め、後から来た貨車をぶつけてから最後の地点に持っていく、というような方法が一般的です。これを1度の作業で7・8回も繰り返しながら、などというのも稀ではありません。次に来る貨車に乗ってブレーキを掛けるため、停める貨車と次に来る貨車を往復しながら走るわけですから、運が悪いと相当な距離を走らされることになります。物足りない材料ですが、ハンプ入換の一連の作業をご紹介させていただきましたので、次回からは構内の情景をご紹介して参ろうと思います。先日、家の片付けをしていたら自分の写真が出てきました。二十歳くらい。身長180cmで体重は60kgくらい。今とは比較できないくらい痩せてました。運動量と精神的なストレスで、いくら食べても太ることはありませんでした。つづく
2026.02.05
コメント(0)

京成電鉄3300形:赤電リバイバル塗装京成3300形は、昭和43年に登場した通勤型電車で、先にご紹介いたしました3200形と同様に2扉両開きとなっており外観上は殆ど変わりませんが、台車が空気バネとなった点が大きく異なります。ただし、2次車以降はコイルバネとなり、標準化されています。誕生時はもちろん非冷房であり、ヘッドライトが上部2灯となっていましたが、昭和59~61年頃にかけて冷房化、さらにヘッドライトを下部に移設するなどの更新工事が実施され、登場当初とはかなり印象が変わってしまいました。更新及び新塗装化され永く活躍しましたが、平成21年、京成100周年事業として塗装変更が実施されました。今回は、かつてのいわゆる「赤電」と言われたリバイバル編成(3324編成)をまとめました。平成21年10月11日 柴又~京成高砂間にて金町線の高架化工事による線路変更がなかったころです。顔つきは昔とかなり変わってしまいましたが、ベースは同じなので、これはこれで似合っていると思いました。3324編成は、平成25年3月20日の運転をもって引退となりました。京成電鉄:赤電3100形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3200形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3300形(非冷房時代)京成電鉄 モハ700形:行商専用列車 京成電鉄:青電2100形・210形北総鉄道:7260形(7261F)
2026.02.04
コメント(0)

EF8186牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はEF8186号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。平成22年2月18日 EF8186平成22年3月20日 EF818686号機は、昭和48年7月25日生まれの三菱製。75~93号機に属するグループの年度に属しますが、この中でも一番早く竣工しています。三菱製のこのグループは竣工当初から田端機関区に配属されて、主に東北本線の黒磯スルー運転に活躍していたように記憶しています。EF80の廃車に伴って常磐線運用が中心となり、そのままJR東日本に継承されて「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されました。EF510-500番台の導入に伴い、平成24年3月24日付で廃車となっています。このカマも「北斗星」としての出会いはあまりなかったようです。
2026.02.03
コメント(0)

国鉄旧型電機 EF57(列車編)国鉄旧型電機 EF57(宇都宮運転所編)に続き、今回は本線で急行列車又は普通列車を牽引しているシーンをまとめてご紹介いたします。既にご紹介済みの急行列車につきましては、文末にリンクを貼っておきます。※EF57の概要については、前回の記事に掲載しています。上り 急行「津軽1号」EF5711牽引 上り 急行「津軽2号」11号機のみは白Hゴムが使用されていたため、直ぐに識別できます。上り 臨時急行この時代はまだ12系車両を使用した定期急行は殆ど無く、繁忙期となる時期には東北各地から予備車を集めて臨時急行が設定されました。通常、定期急行には体質改善車(青色)が使用されますが、このような寄せ集め編成には茶色の旧型客車を使用する例も当たり前のように見られました。上り 急行「津軽2号」上り 急行「八甲田」下り 125レ 郡山行き普通列車上り急行「八甲田」を牽引してきたカマがこの125レを牽引することを当時から知っていたので、よく「八甲田」をマークしていたものです。この125レは、宇都宮運転所への機関車回送やマヤ34軌道検測車が連結されることが多かったようです。下り 団体列車?多分、何か撮影している最中に背後から襲われ、慌てて撮影したものと思われます。唯一撮影していた旧型客車ではない列車。12系で急行サボが無く、窓がたくさん開いていることから、当時の定番としては修学旅行の団体かと思われます。ナンバーが電柱にカブってしまった大変残念な写真。旧客 急行列車全く何の列車だか覚えていません。上り列車でサボがあり、正面に陽が回っていないので夕方でしょうかね。荷物車もないことから、臨時急行だと思われます。EF571牽引 上り 急行「八甲田」EF577牽引 上り 122レ 上野行き栗橋の利根川橋梁へ撮影に行った帰り、偶然にも客車列車の時間でした。しかもEF57が牽引してきたため、慌てて撮影した記憶があります。EF57の中で、この7号機が唯一保存されています。EF571牽引 123レ 一ノ関行きこの写真のみ金町のHさんよりご提供を受けました。友人の影響でEF57が好きになったのが中学1年の時。EF57が全廃になったのが昭和52年頭でしたから、写真を撮りに活動できたのは1年弱。しかも延命のために休車していた期間も多くあったため、あまり撮影することが出来ませんでした。小学生時代に偶然撮影していた急行列車もありましたが、特に中1の時はリコーオートハーフで撮った写真が多く、ブレたり指が入ったりとろくな写真を残せなかったのが本当に悔しいです。EF57牽引 10系寝台客車:寝台急行「北星」EF57牽引:急行「津軽」EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」国鉄旧型電機 EF57(宇都宮運転所編)
2026.02.02
コメント(0)

ED75重連牽引:貨物列車(磐越西線)線路規格の低い磐越西線では、電化以来、客車列車や貨物列車の牽引に軸重を軽くしたED77を充てていました。そんな磐越西線も、国鉄末期になるに連れて客車列車の電車化、貨物列車の削減が顕著となり、電気機関車の運用が大幅に減少します。老朽化という言葉を当てはめるのはかなり強引な車齢のED77ですが、他線区における大量の余剰を抱えるED75の活用を優先したのか、線路基盤を強化してまでも、ED75入線を入線させることになりました。置換えは平成5年9月のことになります。平成7年2月1日 ED7592ほか重連牽引 磐梯熱海~中山宿間にて平成13年8月13日廃車 JR貨物 仙台平成7年2月3日 カマ番不明 重連牽引 磐梯熱海~中山宿間にて毎冬恒例のD51498牽引快速列車を撮影に行っており、この年は朝のSLと同一方向に運転された貨物列車を撮ることができました。猪苗代を境に長い連続勾配を擁する磐越西線では、ED77の時代から貨物列車は重連運用となっていました。国鉄末期からこの区間の貨物列車は既に1往復のみとなっていたように記憶しており、ED75置換え後においてもこの1往復が堅持されていましたが、平成8年3月に唯一残っていた貨物列車も廃止になってしまいました。ED77牽引:貨物列車(磐越西線)
2026.02.01
コメント(0)
全28件 (28件中 1-28件目)
1

![]()