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富もうと思い定めている人たちは、誘惑とわな、また多くの無分別で害になる欲望に陥り、それは人を滅びと破滅に投げ込みます。 金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求め、多くの苦痛で自分の全身を刺したのです。 まさに真理だ。
2006年06月05日
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2005年の日本における出生率1.25。この報道で感じたことがいくつかあるがまず、国益に執着してるなということ。もう次元は「日本は」というより世界全体もいよいよ「ダメ」という見方が正当な感じがするのだが。 日本の出生率の低さとは裏腹に世界の人口増加率は異常と思えるものでこのまま行っても二酸化炭素排出増加による地球温暖化で地上は人間の住めないところとなることは必至。 どこをどうとっても、明るい見通しはない。 人間の支配力・統治力・組織力そのすべてにおいて実質何の力もないことが明らかとなった今、人間はどうすべきなのだろうか。 根本・人類の始まりがどこにあるのか、よくよく考えてみなくちゃならんのじゃないだろうか。 まず、人間の造りを考えてみることや自然界の高度なシステムにみられる地球維持機能… 数え上げればきりがない多くの法則。 これらが意味するものをよく考えてみてはどうだろうか。 そして、この今の時代悪はいよいよ悪に進み地球そのものを破滅へと追いやり、人間としての道徳観も麻痺してしまったかのような事件、人間の手による起きなくてもよかったような事故など。 枚挙に暇がない。それもここ100年ちょっとで激変している事柄。 もう気づいてもいいころじゃないかと思うのだが。 宗教も人間を崇めるような荒唐無稽なもので溢れかえっている。 霊的なものを見出そうとしないかぎり、個人としても人間としても人類としても立ち行くことはできないような気がする。 昔からなにも変わっていない、人間はやがて死に次の世代へとつながってゆくと考える人たちにとってはどうでもいいことなのかもしれないが・・・ 少なくとも、愛する人々の幸せを願うことは間違いではないと思うし、永続する幸せが約束されているのならその音信を伝えたいと思うことも決して非難されるものではないと思う。 盲信であるのなら非難も受けようが自分で見て調べて確かめ、世界情勢過去における預言の数々の信憑性を考えたとき真理はやはりひとつという結論に達する。 人の命がかかっている事柄。とにかく、この世知辛い世の中でこれらの事を真剣に調べることはある人々にとっては奇妙であり、あざけりの対象にもなるだろう。 どのような人であろうとも温和で柔和な人たちの住む世界で永続する幸せを享受してもらいたいと思うのは間違ったことなのだろうか。 近視眼的なものの見方だけはしたくない。他の人の福祉を気遣うそんな人たちで人類が構成されることを願ってやまない。
2006年06月01日
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腹立たしく感じるとともに、怖ろしくも感じる。 児童に対する性的搾取あるいは何らかの捻じ曲がった性格・精神態度… 次から次へと出てくるやんか! 親としてはそのような行為をする者に対して握り、踏み潰し炎で焼き尽くしてやりたいという心持になる。 だが、人が人を裁くことは原則的にできないわけでその権威を持つものに委ねるしかない。 いずれにせよ、この世に住む人々は明らかに汚染されている。 何によって汚染されているかは言うに及ばず… 精神態度がもう完全に狂っており、崩壊している。 早くこの体制が変わらなければこのような犯罪は増え続けその内容ももっとひどいものになるだろう。 たしかに、最近のニュースでは児童に対する犯罪がクローズアップされてはいるが、高齢者、しかも本当に介護を必要とする高齢者に対する搾取をも忘れてはいけない。 この点に関して言えば、国もその責任を負っているように感じる。 とにかく、語るのもおぞましい世の出来事がどんどん増えている。 生きる希望、気力の失せる世である。 温和で柔和な心の人々のみが住まう世界の到来を切に待ち望む。 巷では、ダ・ビンチ・何とかとか、デス・ノートとか人々のねじれた精神を増長させるものが封切られているようだが影響される多くの人々のことを考えるとこれも怖ろしい…
2006年05月26日
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簡単に命を奪う・・・ 愛する者の死を胸の張り裂けそうな気持ちでむかえる家族・・・ その思いを知ることなどできはしない・・・ 命を奪ったものに対する大きな怒りは我を見失わせるほどまでに高まる 愛する子どもたちから目を少しでも離すことが怖い・・・ 地域社会も崩壊へと進んでいる 人間の中の腐った者たちは連鎖的な凶行を続けるのだろうか? その者たちは必ず死に処される 命には命という原則 ただ、人間がそれを決定する権利はない 絶対者が必ず公正を行使される日が来る その時、邪悪な者たちは永遠の滅びへと落とされ、柔和な者は永続する幸福の中、地を所有する それまでは、耐え忍ばなければならない それも、もう僅か 安心して子どもを育てられる日がおとずれる そう、安心して・・・
2006年05月19日
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外国の若者たちの中には神経系にマイクロチップを注射器で埋め込んでいるんだって。 まぁ、今んところ本人認証とか電子マネー程度のものだろうけど… しかし、既にかなりの技術開発は為されているようだ。特にミリタリー分野でのそれは非人間的要素を多大に含んだものであるらしい…攻殻じゃないけど今に突然街中でサイボーグ化されたアームから弾丸が飛び出して大量殺戮が行なわれるという懸念も無きにしにあらず。 沖縄の米海兵隊グアム移転に要する費用の59%を払うような国はいずれそのようなおぞましいサイボーグ兵士やサイボーグ技術による殺戮兵器の受け入れも国民の同意無しに膨大な国費を投じて強国への支援という形で為されるかもしれない。 人間はその技術を良いものだけに使う術を知らない。制御できないんだよ人間は。 その一例がこのインターネットでもある。 このまま行けば倫理観の欠けた気絶するほどまでに恐ろしい世界がすぐに訪れることは間違いない。 一般人の知らないところでそのような恐ろしい技術は異常な進歩を遂げている。 しかし、必ずそのまいたものを刈り取るときは訪れる、それが遅れることはない。 民主主義が人類最高の社会システムなんて考えている限り人類の行く先は滅びだね。 マイノリティーは黙殺される。可逆的意味で一部の人間だけが個々の飽くなき欲望を追い求める世界。それが長続きすることは絶対にないから滅びだよ。 愛する子どもたちの10年、20年後を考えると可哀相過ぎる。 でも、必ず介入する絶対者がいるからそのみ手に委ねるしかない。その時までにできること求められていることをしなくちゃならない。 愛する子どもを守るためには。
2006年04月24日
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Hiroko*7904 りえ3334061 カオリ1953 りらっくま0587 ヨウコのブログ 楽天で『おまん…』を検索云々… ひらたけん24242 dunk0427 もう少し私に勇気があれば TAKEN,s Planet!!! kyouko4019 女子高生について ありさが何たらのへや ←来るな!!汚らわしい!!! It is this time and they are these persons.
2006年04月23日
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The methods of the touch differ to each man. When it has had a dream and hope in the far future, it has already passed...... Such feeling is imminent. It will be engaged in a thing called care and, about me, it will be felt more. I regard myself as nostalgic. [ at the time of having burned with study volition as it is, and having studied various things avariciously ] Of course, there is no change in a feeling that he wants to return a value of having learned to other men. It is glad when it is actually helpful. However, getting to know too much is also empty...... predecessors' ideal -- the reality of this time -- it is -- a thing -- it is very felt empty It is hard to say that powerless feeling and despondency which sets aside theory and learning, and is felt when the scene of tending is actually faced not at all...... However, if the experience wants to prize the instant to users, and an instant, the heart will be moved, and action that he wants to respond to the place which users want rather than anything is urged. The more it makes it frantic, anger is felt for the present measure and, the more it becomes the panel whose it will be how of seeing injustice. However, if the spot does not face the spot, then the user, the welfare for what is it? If faced actually, it will be the thing which the method of comrades called death does not have, either and for which the work of mourning is done firmly. Isn't indispensable one which had faced each other as the same human being one by one too in doing the work? ((Has it performed [ or ]?) while which visualizes the man's face for individual assistance -- making a plan -- execution and evaluation - re--- has it looked again?) Though it is the care on condition of losing through death, if afraid of it, I think that contact of a true soul cannot be performed. This will hang around forever for me who am easy to become sentimental. Therefore, I want for a tear to be a tear pushed to the action which leads to mere next instead of a tear. It is densely about communication well [ empathy ]. It is made to want to forget this not only in a place of work but in a private scene. Although it has swerved very much with the main point of a title, I want to lay on the heart that it is the flowing thing not stopping, even when it is disagreeable at the time
2006年04月22日
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今日も日中は晴れ、日差しもけっこうキツイ。でも、風が冷たい。 そんな中、姪っ子、甥っ子たちは初めての遠足。 二人とも風邪ひいてたのでどうかなと思ってたけど、ママと一緒に行けたよう。 妹のほうもここしばらくの忙しさでお疲れ気味、結局彼女も風邪もらってたみたい。 お昼前に携帯入れると、遠足先に来てるって子どもたちも楽しんでいるとのこと。 うちの親父が用事済ませた後、少し様子を見に行ってたらしい。(祖父ちゃん馬鹿してるな。) 丁度、帰る途中だったらしく、姪っ子はよそのママと手をつないでバスへと、甥っ子はやはり風邪のせいもあってかぐずって地面に寝っ転がってママに怒られてたとのこと。 妹も疲れ気味なので感情的になっていたようだ。 難しいよね、子育ては。時には感情的になってしまう。そこは弱い人間、誰でもあること。 でもその感情に流されて子どもを怒鳴りつけたり、叩いたりするのは良くない。 平静さを保つためにできることしなければならない。そして、きちんと子どもに説明をしてやること、その上で必要ならばおしりを叩くことも必要。懲らしめは必要だけど、体を叩くことはなるべく避けたほうがいい。だから、まず話して聞かせること決して感情が先にたってはダメ。 幼い頃からの訓練はやはり必要。そうするために、親は忍耐と辛抱強さという特質を身に着けなければならない。 今日は、楽しかったかな?明日にでも聴きに行ってみようか。 ふたりともお疲れさん。妹もお疲れさん。
2006年04月21日
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もう、いい加減にしてもらいたい不道徳なメール いちいち、関わっているほうもいるほうか それにしても、手当たりしだいですね。
2006年04月21日
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くだらんメール 脳腐ってるぅ~。 可哀そぅ~。 獣以下。 偽りを語り、その良心に焼き金によるような印を付けられた感覚がなく麻痺しており 偽善的に偽りを語っても良心のうずきを全く感じない者たちの偽善行為に対し義憤を感じる今日この頃。 以上
2006年04月20日
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トコスタおしゃべりアンパンマンを抱いてる甥っ子の後姿。 「ちゅきチュキ!」。とこのわたしにも言ってくれる。おんちゃんの靴大きいでぇ。と姪っ子はおてんばさん。「おんちゃ~ん」と何気に近づいて「チュッ!」おんちゃんチョッと照れます。でも、お返しにほっぺに「ちゅっ!」します。 これって大切なことだと思う。しっかりと抱きしめてあげたり、よく聞き取れない話をしても必ず耳を傾けて真剣に聴いてあげることなど。 そして、して良いこと、悪いことも、忍耐強くしっかり話して教えてあげる。 時間がかかろうがそれはしてあげる。幼いとはいえもうしっかり自分というものを持ち始めたこの子たちにとって大人の接する態度はあきらかに人格形成に大きな影響を及ぼすからね。 幾つになっても、心から信頼し話をしてきて、また抱きしめ、抱きしめられることができるような関係でいたい。 母が亡くなる数ヶ月間に僕は少し恥らい照れながらやせ細った母の体を抱きしめることができた・・・ そう、それは母が幼い頃僕にたくさんの愛情を注いでくれたからだ。 僕自身の問題でいろいろ母には苦労をかけたのであって、決して母の子育ては間違ってなかったと思う。 だから・・・・・・だから、母がその腕に抱くことのできなかった孫たちを僕はしっかりと抱きしめてあげたい。この世の悪い性向に感化されないように守ってあげたい。しっかりとした、愛にあふれた道徳心を身に着けてもらいたい。 いかん・・・・・・思い出しちゃった・・・・・・・・・・・・
2006年04月19日
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今回の介護保険の改正では、今までやってきたものを切り捨てている感が僕には強くある。 って、どのような感じ方をされているか被保険者や実際、利用されている方やサービス提供者、さらに保険者たる自治体からその声を聴いてみたいとも思うのだが。 ほとんどの方が、マイナスイメージを持っているのだろうか。 もちろん僕も今回の改正はご都合主義そのものって感じがする。 介護保険料がこのまま上がってゆくと掛け捨てという考えをどう捉えるかがポイントになってくる。 高いから払わないと言う人が増えることはまず間違いないだろう。政府もその辺は真剣に考慮しなけりゃなんないんだけど、奈何せん老後がある程度保障されている御方たち(金銭的な面でね)なので、窮境に今陥っている方々の事なんてこれぽっちも頭に擡げてこないのだろう。 そこで、掛け捨て同盟なるものを考えている先生のお話を拝聴した。(と言ってもあまり詳しく聞いてないのでなんとも云えぬ) 高齢者と一概に言ってもその人口の内訳を見てみると元気な方がほとんどを占めている。 この掛け捨てという割り切った考えができるなら多少は介護保険の寿命も延びるのかもしれない。 イカン、チョッと勉強し直さなきゃなんないみたいだ。云いたい事云えない状態だぁ(情けねぇ) もう、寝る!!ZZZzzz。 健康大事だからね。
2006年04月18日
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人それぞれにその感じ方は異なる。 夢と希望を遠い将来に抱いていた頃はもう過ぎた・・・・・・ そんな感情が迫ってくる。 介護というものに携わって僕の場合はよりそれを感じてしまう。 それなりに学習意欲に燃えて貪欲に様々なものを学んでいた頃の自分を懐かしく思う。 もちろん、学んだことの益は他の人たちに還元してゆきたいとの気持ちに変わりはない。 実際それが役に立つとうれしい。 しかし、知り過ぎることもまた空しい・・・・・・ 先人の理想がこの時代の現実にあってもの凄く虚しく感じる。 理論や学問は別にして、実際、看取るという場面に直面したときに感じる、あの無力感・虚脱感はなんとも言い難い・・・・・・ ただ、その経験が利用者の方に対するその一瞬、一瞬を大事にしたいと心を動かし、何よりも利用者の方の欲するところに応えたいとの行動を促す。 それがどうだろう、一生懸命にすればするほど、今の施策に憤りを感じ、不公正を見る羽目になる。 しかし、現場は現場そこで利用者さんと向き合わなければ何のための福祉か。 死というどうしようもない現実に直面したなら、しっかりと喪の作業をすることだよね。 その作業を進めるにあたって必須なのはやはり、どれだけ一人一人、同じ人間として向き合っていたかじゃないだろうか。(どれだけ、個別の援助をその人の顔を思い浮かべながら計画し実行・評価・再実行あるいは見直ししてきたのか) 死別することを前提とした介護であったとしてもそれを怖がっては真の魂の触れ合いはできないように僕は感じる。 感傷的になりやすい僕にとってこれはいつまでも付き纏うだろう。 だからこそ、涙が単なる涙でなくつぎにつながる行動へと後押しする涙でありたい。 感情移入を上手に、そしてコミュニケーションを密に。これは職場だけでなく私的な場面でも忘れないようにしたい。 タイトルの主旨と大分逸れてしまったが、時は止まらない、いやでも流れるものだということを心に銘記しておきたい。
2006年04月17日
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子どもと一緒に唄を歌うっていいよなぁ。 胎児のころから音楽聞かせるのってとても良いことなんだけど(胎教のひとつね)、子どもがお腹にいる時ってすごく重要ってことはいろいろな研究でかなり前から言われてきたこと。 でも、その方法を間違うと後が大変。とにかく妊婦である妻の精神的・肉体的状態、環境、いろんな要素がすでに胎内に宿っている命に大きな影響を与える。胎内から新生児期、乳幼児期、幼少期にと、どんな過程でその子の人格形成が成されるかその大切さを考えてみたんだけど、かなり不味い環境に置かれている子が多いような気がする。親の趣味で大音響で歌詞も汚いものなんか聞かせると必ずその悪影響が出てくるし、親同士の関係、他の家族との関係、さまざまな問題からくるストレス・・・挙げれば限がないほど今の世は世知辛い。 ほんと、子どもを持つ親御さん達は大変。しかし、その影響をまともに受けてしまうんだよね子どもって。 いろんな研究が為されているんだけど、要はどれほど我が子を愛せるかにかかってくると思う。 愛にも誤まった愛というものがあるからそれにも注意しなきゃなんない。まぁ、小難しい話はおいといて・・・ 童謡っていいなぁと、この子たちと接している中で改めて思った。 情緒・感情に訴えかけてくるんだよなぁ。自分の小さい頃や触れたであろうその風景を懐かしく思わせてくれる。この気持ちってやっぱり幼い頃、両親が同じように童謡を聴かせてくれてたんだなぁってほんと思う。 最初は音だけだったものが、視覚からの情報も入り、ハイハイも出来だし、あんよも出来だし、身体、五感すべてで感じ取る(たとえ不具で生まれた子であってもそれを補って有り余るほどの愛で接すれば子どももそれに応えようとしてくれる・・・)。 今では、一緒に歌うまでに成長した。この絵本を見ながら ♪どおして、おなかが、へるのかな?♪~~~~~♪おなかとせなかが、くっつくぞっ♪ とちゃんと覚えて歌うんだものね。家に遊びに来たときは、この絵本はどこにあるの?って問うてくるし、ほかの童謡を口ずさむと一緒になって歌い出すし。良い時間がつくれたなぁってほんと思う。だから余計に世の悪い影響下にさらすのが怖くなる。 両親の子育て如何にかかってくることはいうまでもないんだけど、あまりにも子育てするには、厳しい時代・・・。 僕が出来ることはほんのわずかなことだけだし。 それでも、無私の気持ちで接した時間が将来、この子たちにとっての良い人格形成に役立ってくれればと願ってやまない。 今日はどうしてたかな?
2006年04月16日
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1日中雨降ってたと思ったら、今は大風。早くマットに沈んで寝ましょ。 明日は晴れますように。
2006年04月15日
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国際連合の世界人権宣言では、子どもには特別な世話および援助を受ける権利があると言明されている。これは、子どもの権利条約の前文に明記されている点。そこには、家族の重要性について、さらにこう記されている。「子どもは、人格が調和よく十分に発達するよう、家庭という環境のもと、また幸福と愛と理解に満ちた雰囲気の中で成長すべきである」。しかし、この理想は、実現にほど遠い状況にある。 本当にそうだと思った。道徳の低下には甚だしいものがあるのに、その現状を全く正常のことのようにみなす人が多くいる。 広く行き渡っている堕落や貪欲は、法律の施行によって規制できるものではない。インターネットもその温床となっているので気をつけなければ。 90年代からよく見聞きする児童に対するまず人間とは思えない倒錯的な行為による事件。親である者でさえ愛を示して子どもを保護するよりも、自由気ままな傾向を助長している場合が多くみられている。 そのような最低な族がこの中にもいると知って胸が悪くなった。 おおよそ愛とはかけ離れた悪を愛する者たちに対する気持ち悪さがわたしの背筋をゾッとさせた。
2006年04月14日
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ここしばらくの気候の気まぐれ?で、体調、精神ともに優れない。。。 今日も身体は思うように動かない、思考も停滞ほんとに気が滅入る。 となると、思考が停滞しているとはいえ考え方が非常に不味くなる。良くないことばかり考えてしまう。 感情は時としてその憂いによって抑えきれなくなり身体の変調を引き起こす。 思い切って、泣くのもいいかもしれない。 いちばんいいのは、身体が動くのであれば、忙しくすることだろう。これは実際的な知恵だと思う。 特に他の人に関して、忙しくあることはいい。相手の福祉を図ることで得られるものは大きい。 利己的な欲求を追ってばかりでは、この充実感を得ることはできないだろう。 ただ、本当に動けない時の対処方法を身に着けなければ潰れてしまう・・・ とにかく今日は、感情が揺れ動いて手に負えなかった。この悲哀の感情を・・・ 性格上、すべてを曝け出せないんだよね。曝け出せることのできる相手もいないし。だから無理してるんだろう。
2006年04月13日
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う~ん?幼い子への躾って難しい。 赤ん坊は決して全くの白紙で生まれてきはしない。 両親からの遺伝的要素、胎児であった頃の母親の状態や置かれていた環境などその気質に影響するものがたくさんある。 決してパーソナリティーがないのではない。母親自身もそのパーソナリティーの形成において多くの段階を経ている。 多くの心理学者によってその形成のモデルが提唱されているが、やはり人間の能力でそのすべてを把握することはできない。 たしかに参考となる部分は多いがやはりそれに全幅の信頼を置くことは避けたほうがいいだろう。 さまざまな子育て論が謳われては消えている事実を考えるとそう結論せざるを得ない。 今は本当にたくさんのテキストが氾濫している。情報の氾濫ゆえに親は混乱してしまう。 では、どうすればいいんだろう。 情報は情報として取り入れることに異論はないのだが適用という点に関しては我が子はどういう特質・気質を持っているかを知ることではないだろうか。誰一人として同じ人間が存在しないのであるから、子育て論は子育て論としてほんの参考程度にして、メインは我が子と面と向かって柔軟に子育てしてゆくのがベターではないだろうか。 親は子への愛ゆえに子どもに良い価値観を身に着かせるためにできることを考えそれを行う。もちろん親だって弱い人間だから、感情的になったりもする。わがままな我が子に腹も立つし、苛々もする。 ただ、感情的になってその感情の赴くままに子に接すればよい結果は得られないだろう。 幼い時の子への接し方、よく考えたいものだ。2、3歳ごろに培われたものは将来に大きく影響する。難しく考えるのは良くないが、やはり一貫性のあるそして愛情を肌で感じ取れる育て方をその時そのときの場面でよく考えしてゆくことが大切。 一方向しか見てない子育ては良いものではないだろう。一生懸命ゆえに子育てを誤ったと言う例はいくらでもある。 ゆとりを持った、決してクオリティータイムではなくできるだけ多くの時間を子どもに与えてゆきたい。 なかなか、このご時世それが難しいのは確かだけど努力すれば時間は作れる。子育ては歓びもあると共に自己犠牲も伴なうものであることを認識したいものだ。 躾にも多くの時間をかける必要があるということ、そのためにあとにしなくてはならないものもあるということ、頭で分かってはいても難しいことですが… まぁ、伯父という立場だからこう簡単に言えるんだろうけど。 親とは本当に責任あるものなんですよね。ほんと、頭下がる思いがした日でした。 愛する子どもだからこそ。。。
2006年04月12日
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子どもが病気するとお母さん大変だね。 しかも、悪天候ならなお更のこと。 姪っ子、甥っ子は元気で園へ行ってるかなと思いきや、甥っ子風邪で病院へ。 診察後、実家に連れて来てた。 コソッと、二階に上がると僕を見つけて 「おんちゃ~ん」とあっち飛びつく体勢、こっち抱きとる体勢 「ダッコ!」 何や元気やん。 結構熱、あったみたいで咳もしてる。 でもほんと元気そうでよかった。 おじいちゃんの買った、姪っ子の合羽を着て 「可愛い」を自分で連発。間髪を容れづ「おんちゃんは?ママは?」と聞き返すと 「おんちゃん、可愛い。ママ可愛い」。 しばらく、お姉ちゃんのカッパ脱ぎませんでした。 その後お利巧にお薬もしっかり飲んで(シロップじゃなくて粉末だでぇ) アンパンマンのリクエストに答えてやったあとお昼寝。 園でのお昼寝の習慣を早くも身に着けたか?多分お薬のせいで眠くなったこともあるだろうけど 童謡集を聴きながら一緒にネンネ。 途中、咳してたようだけど。 今日は天気も悪く、妹も保育園への提出書類や子どもたちの身の回りの物への名前書きでここしばらく睡眠不足。早くしとけばなんでもないことだけど、なんだかせわしい毎日みたい。 ちょっと、仮眠を取ってお姉ちゃんを迎えに甥っ子を起こして帰っていった。 母は強し、女性は子どもをもつとやはり母の顔になるんだねと独り身のおんちゃんは思いました。 早く良くなってね。 明日のまん丸お月さん一緒に見ようね。 「お月さんは?」。「可愛い」。と会話ができますように。
2006年04月11日
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雨♪雨~♪あな~たは♪・・・・・・雨降ってる。 よう寝なんだ。 眠りに就くなんて書いておきながら、一睡もできなんだ。 初っ端の歌なんぞアタマ変に回ってるのかもしれない。 たぶん車洗わなだめでしょう。車庫から出して雨ん中走り回って洗車でもするかな。 余計汚れるって! そう、立候補者の皆さん方は今日はどういう戦略でいくのだろう。 雨の中頑張っておりますとか何とかおっしゃられながら選挙回りされるのかな? お疲れ様です。 それにしても徹夜はダメ!中高生の時のあの妙にスッキリとした頭の冴えは今や感ずることなし! ただに疲労が溜まるばかり・・・ やっぱり睡眠は大切やね。 快眠、快食、快便・・・健康の基本。生活を律していかなければならないようです。 姪っ子たちの善いお手本にならなければ! 「おんちゃんダッコ!」言われて足ふらついとったら危ないし、今日はきちんと寝ます。 蛇の目でおむかえうれしいなぁ♪ピチピチ♪茶プ茶プ♪らんらんらん♪ 雨でも元気に行ってらっしゃい!と姪っ子、甥っ子の姿を思い浮かべつつ今から寝るおんちゃんでした。 かなり、壊れてる・・・・・・
2006年04月10日
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朝、起きてみると暗かったので今日は天気悪いのかな?と思っていた。 外出してみると曇り、「やっぱり、天気悪いんだ」。と思いながら車を走らせていた。 しばらくして、何気に遠くを見てみると山がない!と言うのはちと大げさやけど、黄砂だった。 ふと、考えた。 「中国これからどんなになるんやろう」。 「印度どんなになるんやろう」。 人口・環境問題まで発展した…となれば僕の頭もたいしたもんやと思うんだけど、それほど考え深くなかった。中国は解るけど印度に思索が飛ぶことはない。 そんなしょうもない事考えながら車を走らせていると、しょうもない、市議会選挙の選挙カーが競争相手の候補同士でエールを送り合っていた。町会議員から市会議員になれるのはそんなに名誉なことなんかな?単に滑り込みできなかった昨年の合併を無理して今年度、合併して町や村が市になっただけのことやん。議席が大幅に減ったから必死こくのは分かるけど… そこに人間の名誉欲や権威主義や保身が見え隠れして厭んなった。だって選挙のときだけやもん低姿勢になるのは…(皆が全部と言うわけやないけど) 人件費見直してもっと要介護から切り捨てられた実要介護の人たちのサービスを考えてね。 介護予防謳うんだったら、もっとしっかり勉強して選挙に臨んでください。 「○○クンが居らんうちにアクティビチー終わってしもうたでぇ」 皆、口をそろえて言ってます。「もう、お弁当も(配食サービスね)ないがやろうか?せっかく、楽しゅうに友達もできたに」。 ゴールドプランはどうなったの?確かによい時期にサービスを受けることのできた人はその変遷の中で戸惑い不信感を持たれただろう。 そしてこれから、介護を必要とされる方はどうなるのか。高齢者と一口に言ってもやはり画一に見ることはできないし、ほんとに介護を必要とされる方は全体の比率でみれば少ない。 ただ、潜在的には必要とされている方も多い。ずる賢いわけやないけど保険料支払っているという認識のある人や家族はサービス使わな損というケースもある。逆に、少ない年金その他諸事情でサービスが使いづらくなったというケースも以前よりもっと増えたのではないだろうか。 福祉全般において、黄砂んするような人が選ばれるならば合併の意味は全くないと言っていいかもしれない。でも個人主義がかなり幅を利かせてきてるから…斯く言う私もしょうもない駄洒落をかましつつ、取り留めのないことを書きながら眠りに就くのであった。
2006年04月09日
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不快、不~快♪トラ~っクバック!♪下品な者らは近づくな!♪ カワイ子ちゃんには弱いけど♪化けの皮剥げる前に書き込むな~書き込むな~♪ 不愉快極まりない。 世の人間すべてが性の快楽に興味があるとは限らないことぐらい理解すれば? あっ!理解できないからこういうトラックバックするのか。なるほどね。 スパムも同じ、いちいち相手にしなければいいんだね。
2006年04月08日
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入園・入学・進学・進級、クラス替えと、子どもたちにとっては期待と不安さまざまな思いが錯綜していることでしょう。これは1歳児の子どもであってもその程度の差はありはしても多分に漏れません。 入園、2日目姪っ子も甥っ子もそれぞれに個性を発揮しているようです。 姪っ子は園へ着くと同時に「バイバイ!」とごねもせず、タッタカタ~と部屋に入って行くそうで、その後は自分の組の部屋から1歳上の子のところに遊びに行ったりとおてんばぶりを発揮と思えば人のお世話をすることに夢中になり自分の事をしなかったり三つ子の魂百までを考えるとそれもいいかなと思ってます。おむかえ時はあっさり「バイバ~イ!」。 甥っ子の場合、送り時には、ちょっと考えて部屋に入って行かず、先生が「お部屋で遊ぼうね」と言うと部屋に入るそうです。それぞれの性格面白いです。おむかえの時はごねたそうです。 いずれにしても、順応している様子。でも、子どもにしてみると一種のイベント的な出来事かもしれず、慣れてきたかな?ってときにぐずりだすこともあるようですから今後の2人の行動が楽しみです。人見知りしない、物怖じしないところがこの子たちの特徴なのでそれが本物か解るかもしれません。 しばらく間を空けて、直接会ったときどんなに成長しているか楽しみです。 一方、中高生の場合いろいろ難しい問題もあるようで親御さんたちの心配は尽きないようです。荒れた学校となるとその心配もお子さんの性格によっては何倍にも…高校となるとある程度、目的意識を持っている子もいるだろうから、親が心配し過ぎるとかえってよい影響をお子さんに与えなかったりする場合もあるでしょう。これもお子さんの成長度や性格に左右されるでしょうけど。 進学となるといろいろプレッシャーもあるようです。自分の場合は進学できたということで気が抜けたというか、後の学生生活は散々たるものでした。程よい緊張感、プレッシャーのプの字もないだらけたものとなってしまい何の目的も持つこともできず(せずと言ったほうが近いかな)その後の人生に今尚、影響を与えている次第です。 この経験があるゆえに子どもにはそれとなくコミュニケーションを図る中で伝えて物事の見方、考え方に対し反面教師と成れたら良い哉とも思っていたりします。
2006年04月07日
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「きれいであっても、分別から離れて行く女は、豚の鼻にある金の鼻輪のようだ」。 聖書時代に鼻輪は一般に使われていた装身具だったようだ。鼻翼か鼻中隔に通された金の鼻輪は、女性を見るときすぐに目に付く装身具だった。もしそのような非常に美しい飾りが豚の鼻にあったとしたら、いかにも不相応に感じるに違いないのではないだろうか。(感じない人もいるだろうけど) 外見が美しくても「分別」のない人はそれに似ている。男性であっても女性であっても、そのような人に装飾品は似合わない。似つかわしくないので、飾っても少しも魅力的には見えない。 もちろん、自分が人の目にどう映るかを気にするのは自然の傾向だが、なぜ自分の顔や体型のことを過度に気にしたり不満に思ったりするのか。目鼻立ちには、自分ではどうにもならない面がたくさんある。なにより、容姿がすべてではない。 わたしたちが好きな人、また尊敬している人のほとんどは、どちらかと言えば普通の容貌の人ではないだろうか。 身体的な魅力は幸福になるための決定的な要素ではなく、本当に価値があるのは、内面の美しさではないだろうか、わたしたちは分別を持ち、そうした特質を培いたいものである。
2006年04月06日
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今の時代、多くの人は、性的な空想にふけるのは悪いことでも危険なことでもないと思っているようです。 聖書はどのような見方をしているでしょうか。聖書は、思いに取り入れるものと行動の仕方が元々深くかかわっていることを明確にしています。 おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです。次いで欲望は、はらんだときに、罪を産みます。と聖書は述べておりまた、イエスもこう述べています。「女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな、すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」。 このように指摘しているように、人間は内面の欲望に駆られて行動します。その欲望は、刺激され勢いがつくと、やがて人にしっかり取りついて離れなくなる恐れがあります。 人に取りついてしまったものは非常に振り払い難く、ついには人を行動へと駆り立てることもあります。 自分の思いに取り入れるものが、わたしたちのその後の行動に強力な影響を及ぼし得るということです。 性的欲情と強欲は結び付られるものといえます。強欲とは自分が所有していないものに対する節度のない欲望で、偶像礼拝の一形態でもあります。 強欲な人は、神をはじめ他の何よりも、自分の欲しいものを優先するからです。 ポルノやその類のサイトは、自分が所有していないものに対する欲情を刺激します。 ある宗教作家はこう述べています。「あなたは他人の性生活を求めている。自分が持っていないものに対する欲求のことしか考えていない。欲情の対象となるもの、それをわたしたちは崇拝している」。 以上のことからそういう不道徳を求めることは真の愛とは全くかけ離れており自分勝手なもので時には悲惨で異常な犯罪を起こすことになりかねないというわけです。金を愛する・悪を愛する・倒錯的な行動を愛するという類の愛といえるでしょう。 もちろん聖書は、性に対して絶対に不寛容であるわけでないことは知っていてもらいたいものです。
2006年04月05日
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男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き、ふたりは一体となるのである。 幸福な結婚生活とは、気苦労のまったくないものでないことと心得るべき。 良いときも、悪いときもある。 しかし、現代社会の騒乱の中で夫婦のきずなを保っているひとはいる。 生活上の重圧のために波乱の生じることは避けられない。 それでも喜びを保っている夫婦というのは、子どもを育てている人であれば特に、そうした事態にうまく対処することを学んだ人たち。 愛は決して絶えません。それに対し、預言の賜物があっても、それは廃され、異言があっても、それはやみ、知識があっても、それは廃されます。 10年、20年、30年、またそれよりずっと長く配偶者に忠節を尽くしてきた夫婦を見て、心温まる思いをいだけない、いや、いだかないものたちがトラックバックに届くようなことを追求する汚れた不道徳極まりない人間なのかもしれない。
2006年04月04日
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若さに伴いがちな欲望から逃れ、清い心で主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。 さらに、愚かで無知な質問を退けなさい。それが争いを生むことをあなたは知っています。 主の奴隷は争う必要はありません。むしろ、すべての人に対して穏やかで、教える資格を備え、苦境のもとでも自分を制し、好意的でない人たちを温和な態度で諭すことが必要です。 神が彼らに悔い改めを授け、真理の正確な知識に至らせてくださるかもしれないからです。 そして彼らは、悪魔の意志に仕えるべくその者に生きながら捕らえられていたことを知り、そのわなから出て本心に立ち返るかもしれません。 ただ、今の世は対処し難い危機の時代。 人間の罪深い傾向をサタンは知っており、そこにつけ込んでくる。しかも自身の時の短いことを知っているのでそれは影響力の強いものだ。 子どもたちにもその影響が及んでいる。家庭で学校でそしてこの世の考え方や価値観を反映しているメディアによって… 幼子とはいえほんとに入園後のことが心配だ。協調性を学ぶことは大切だが悪い部分において、たとえば汚い言葉や下品な態度などを覚えて来はしまいかと… 家庭での躾が大切。有害な仲間に影響されることのない道徳の価値観を身に着けてもらいたい。 わたしはその役割においてできることは限られる。やはり親に責任があることだから。慎みをもって見守りたい。 愛する、子どもたちへ。
2006年04月04日
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人間ほどくすしく造られているものはないだろう。 どう考えても進化してきたものとは考えられない。 時計のパーツをバラし籠に入れて何億年揺すり続けてもそれは時計として機能しはしない。 人間のそれを考えると疑う余地はない。 そして重要なのが時計には時間を知るという造り主の目的・意図するところがあるという点。 であれば、人間にも創造者がおられ何らかの目的を持って造られたと考えるのは道理に適ったことではないだろうか。 創造者の意図されたものまた目的を知ることは、人生をどう歩むかにつながる。 人生はそこに帰結する。(運命論は否とする立場だけど) まっ!今の異常な世の中にあってその真理を求めるという行為は無駄で時間の浪費と考える人たちが多いのだろうが… 何れは死ぬのであれば、快楽追求・利己的な生き方に終始するエピクロスの哲学観に近いのかもしれない。(神は信じていたらしいが超自然的なものと捉えていた) しかし、人間みながそうであるわけでないことも事実。 人生の中で必ず何回かに分けて訪れる過渡期を経験することによってものの見方も変わるかも知れず、またそうして成長する。 自分の自堕落さに嫌気がさしているわたしはどうだろう。
2006年04月03日
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3月31日アンパンマンに一緒に行けなかった… いろいろあって予定していたことがずれ込み行けなかった… 年度納めということもあり、お世話になった職場のスタッフに挨拶をしに行く。 合併後ということもあり、また、18年度介護保険改正でかなり職場スタッフも悩み多し。辞められる方もおられ寂しいかぎり… 利用者の方々とも久しぶりお会いできた。介護度の問題や合併、改正にともなう不安心配…一番良い時期に老人福祉サービスを受けられていた方などは振り回されているという感じなのだろうか? しかし、明るく接してくださった利用者の方々…素直にうれしかった。 そこで、長居をしてしまい、子どもと一緒に行くことができなかった。 思考の傾向がそれをどのように捉えるかで感情にも影響する。 子どもたちは妹が連れて行ってあげることができた。入園するとなかなか出会う機会が少なくなるかもしれない。寂しい…(いろいろあったから) 別の考え方としてはまだ3歳と2歳の子これから長い人生の中で伯父としてしてあげられる事も多いだろう。 それに比して利用者の方々とお会いできる時間はやはり限られている。だからこれがベターだったんだと思考する。 その思向がどうかで、感情も変わってくる。 ただ、抑うつという状態が両方の思考によって僕の感情を乱す… まぁ、こういう性格だから仕方ないかと開き直ることができる状態ならいいんだけど…現段階では難しいかな。 だけど、この日はいろいろな方とコミュニケーションが取れてよかったとするか。 余談だが、人員配置など見ていても現場知ってるの?って感じの改正概要。 もちろん、現場サイドの現状を知ってはいるのだろうが、奈何せん政府の財政がねぇ。サービス向上は謳ってもそれに対応するようにはできない… 合併も長い目で見れば如何だか…人間の考えは近視眼的だということを再認識。もちろん自分だってそうだけど。多分、世界全体が立ち行くことはできない。 しかし、何とかなるって考えもこの世では必要か。 ただ、真の希望というものを知っている人たちはこの困難な時代にあっても幸福。いわゆる霊的パラダイスにいるのだから。 それを享受できるよう妹夫婦、子ども、そして愛する仲間、家族に働きかけたい。引き寄せてくださるのはもちろん神の愛だけどね。 話し逸れまくり。
2006年04月02日
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知恵があなたの心に入り、知識があなたの魂に快いものとなるとき、思考力があなたを守り、識別力があなたを保護するであろう。 それは、悪い道から、ゆがんだ事柄を話す者から、闇の道を歩むために廉直の道筋を捨てる者たちから、悪を行なうことを歓び、悪のゆがんだ事柄を喜んでいる者たちから,あなたを救い出すためである。 彼らの道筋は曲がっており、彼らはその行路全般にわたってねじくれている。また、よその女から、自分のことばを滑らかにした異国の女から、あなたを救い出すためである。 その女は若い時の腹心の友を捨てて、自分の神の契約をも忘れたのである。彼女の家は死へと沈んで行き、その進路は死んだ無力な者たちのもとに下る。 彼女と関係を持つ者はだれひとり帰って来ることなく、生ける者たちの道筋を取り戻すこともない。 ネットでは氾濫している。子どもたちには見せたくない。幼い頃から道徳規準を教え込むことは成長してからの身の守りとなることは上記の言葉で理解できる。 4月から妹の子達が入園でちょっと寂しい。社会規範が崩れている世で社会性を学べるだろうかおんちゃんとしては心配…変な言葉覚えてくるんじゃないよ。純粋な心忘れずにね。デイの利用者の方みんなに挨拶と握手と抱擁までできる子達なんだから大丈夫かな? 明日、アンパンマンに一緒に行こうね。やば早よ寝ないかん
2006年03月30日
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極悪非道の犯罪について聞くと、『犯人は頭がおかしいに違いない』と言う人もいるでしょう。しかし、そうした犯人すべてが精神に異常を来たしているわけではありません。とはいえ、生活上の問題に対処するのに困難を感じている人が多いのは確かです。専門家は、極端な行動の要因となりかねない人格上の欠陥を幾つか挙げています。その中には、学習能力と社会性の欠如、身体的あるいは性的虐待の悪影響、人間嫌い、何らかの集団(例えば、女性)に対する憎悪、悪事に対する自責の念の欠如、他の人を操りたいという願望などが含まれます。 どんな問題を抱えているにせよ、トラブルにひどく圧倒されて考え方が変わってしまい、奇妙な行動を起こす人がいます。注目されたいという異常な願望を抱いた看護婦はその一例です。この看護婦は、幼い子どもたちに筋肉弛緩剤を注射して呼吸を停止させておいてから、その子たちを“救い”、人々の注目を浴びるという快感に浸りました。残念なことに、すべての子どもの呼吸を回復させることができたわけではありません。この看護婦は殺人罪で有罪判決を受けました。 取り上げた事柄から明らかなとおり、様々な要因が組み合わさって、人を凶悪犯罪へと突き動かしているのです。とはいえ、もう一つの非常に重要な要因をぜひとも考慮しておかなければなりません。 今の時代に起きていることや、人々がこうした極端な行動を取る理由を理解するのに、聖書が役立ちます。広く見られる人々の態度を的確に描写しているのです。例えば、テモテ第二 3章3、4節にあるリストは、人々が「自然の情愛を持たない者、……自制心のない者、粗暴な者、善良さを愛さない者、……片意地な者」になると述べています。聖書の別の書には、「大半の者の愛が冷えるでしょう」というイエスの言葉が記録されています。―マタイ24:12。 聖書は、「終わりの日には、対処しにくい危機の時代が来ます」と述べています。(テモテ第二 3:1) わたしたちが目にしている事柄は、今が現在の事物の体制の終わりであることの証拠です。世の中の状態や人々の態度は悪化の一途をたどっています。問題がすぐに解決される見込みはあるのでしょうか。聖書は、「邪悪な者とかたりを働く者とはいよいよ悪に進(む)」と答えています。―テモテ第二 3:13。 毎日、流されるニュース報道を聞いているとその指摘の正しさがわかります。 同性愛者のパレードを報道していましたが、あれは一般の人々にも道徳感覚の麻痺を助長させるものに見えました。道徳心の欠如は明らかに命を危険にさらします。
2006年03月05日
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イエスが地上における任務を果たせなかったために必要となった第二のメシアであると信者たちに教えるなんて…。聖書のどこにそのようなことが書かれているのか? 多くの者がわたしの名によってやって来て、『わたしがキリストだ』と言って多くの者を惑わすからです。 まさに、この預言は成就しているようです。
2006年03月04日
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皆さんは「忍耐」という言葉とそれに伴うご自分の態度をどのようにお考えでしょうか。 読んで字のごとく耐え忍ぶということなのですが、それに対する認識の違いによって自分そして周囲に大きな影響を与えるもののようです。 ひとつの認識にはこのようなものがあります。 たいていの人は自らに降ってわいた試練に対してはすぐにでも終わらせようと取れる手段なら何でも動員して終わらせようとするでしょう。 しかし、ある人は試練を早く終わらせるために非聖書的な手段を講じるようなことはせず、成り行きに全く任せることによって、忍耐に『その働きを全うさせる』ように努めます。そうするなら、信仰は試され、精錬されて、その耐久力は明らかになるのです。弱いところがあらわになるので、自身は欠点を悟り、必要な改善を図ることができるかもしれないのです。 試練を忠実に忍耐することには人格を陶冶する効果があるので、人はより一層辛抱強さ、思いやり、同情心、親切、愛をもって仲間の人間を扱うことができるようになります。このように、忍耐に『その働きを全うさせる』ことによって、人は創造者である神がご自分の是認された僕たちに期待しておられるような、「何事にも欠けるところの」ない者となるのです。 聖書の神を信じる信じないは別としても、聖書に書かれてあることは人々に良い益をもたらすようです。もちろんあてはめなければならないのですが。 忍耐には愛が伴うことも忘れないでおきたいものです。 今日も、僕はある人物に苛立ちを感じました。しかし、冷静に考えると自分に謙遜さの欠ける面があることに気づきました。言いたいことはあったのですがこれ以上の言い争いは不毛であるとその場を忍耐しました。相手の霊的感情に悪影響を与えることが愛のあることでないことは言うまでもありませんから。
2006年03月03日
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介護施設では赤ちゃん言葉がよく使われるということをよく見かける。高齢の人に対してそのような話し方をすれば、高齢の人の尊厳を奪うだけでなく福祉にも有害である、とドイツのある保健広報は伝えていた。 そのような敬意の欠けた態度は、健康面にマイナスの影響を与えると言われています。 「敬意が示されなければ高齢者の身体面や精神面の老化はそれだけ早まる」。 相手を見くびるような子どもっぽい言葉を日常の介護において一切使わないようにすることを勧めている現場従事者や専門家もいる。「言葉遣いによって、人の基本的な態度は変化するから」だ。 僕自身は利用者さんとの関わりの中でまず敬意を示し傾聴の姿勢から信頼関係をあせらず作り上げる。その上で個人個人に接する上での言葉遣いを柔軟に使うよう心掛けていた。 結果は、こんなことまでも話してくれる、逆に僕自身のことを気遣ってくれる。そして、利用者さん自身が僕を通して自尊心を保ってくれているというものだった。 今はわけあって、現場を離れているのだけどたまにお会いするスタッフの方から利用者さんが僕のことを気遣ってくれているという話を聞く。 本当にうれしい。
2006年03月02日
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あなた方の飾りは、髪を編んだり、金の装飾を身に着けたり、外衣を着たりする外面のものであってはなりません。むしろ、もの静かで温和な霊という朽ちない装いをした、心の中の秘められた人を飾りとしなさい。それは神の目に大いに価値のあるものです。 結婚のきずなを緊張させる事柄が多くあります。責任を担わない男性もいます。夫の頭の権を受け入れようとしない女性もいます。ある結婚生活では配偶者の一方が他方に虐待されています。結婚生活、特に現代社会における経済面のストレス、人間の不完全さ、不道徳やゆがんだ価値観を好む世の霊を考えると本当に結婚による幸せとはなんだろうと考えてしまいます。 先の聖書の言葉で述べられているように外見の装いより内奥の人格の美しさを培うことが原則だと本当に感じます。 もの静かで温和な霊がさわやかで魅力的であることに気づかれる人も多いことでしょう。 夫であろうが妻であろうが子どもであろうが人格を美しくする努力をしたいものです。
2006年02月25日
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自分の配偶者に対して抱くしっとは、それがふさわしいしっと、つまり配偶者の益と福祉のための熱心であれば良いものです。 しかし、ふさわしくないしっと、つまり根拠のない不信は間違ったもの、愛の欠けたものであり、結婚関係を台なしにしかねません。 愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思い上がらず… すべての事に耐え、すべての事を信じ、すべての事を希望し、すべての事を忍耐します。
2006年02月16日
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聖書は、理由もなく言い争いや口論にかかわってはならないと助言しています。 人があなたに何も悪を行なっていないのなら、理由もなくその人と言い争ってはならない。 通りすがりに自分に関係のない言い争いに憤怒する者は、犬の耳をつかむ者のようだ。 愚鈍な者の話は容易に言い争いに至り、愚かな者は言い争いを避けるための抑制力を働かせません。 愚鈍な者の唇は言い争いに加わり、その口はむち打たれることを呼び求める。 人が抗論をやめるのは栄光である。しかし、愚かな者は皆[それに]躍り[込む]。 言い争いは「怒りを押し出す」ことから生じるので、怒ることに遅ければ逆の効果が生じます。 激怒する人は口論をかき立て、怒ることに遅い者は言い争いを静める。 個人の利益だけを求めることが善いとはいえないのではないかと考える人はいないのでしょうか。 勝ち組、負け組みという言葉に拘る人はそれに何の意味もないことに気づかないのでしょうか。 要点が逸れましたが、先の原則は日常生活に適用すれば無駄な問題を呼び込むことにはならず、心の平安を保つことにもなります。
2006年02月14日
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地の人のうちにあって望ましいものは、その愛ある親切である。 資力の乏しい者はうそをつく者に勝る。 真の識別力を欠く指導者には詐欺的行為もまた多い。 しかし、不当な利得を憎んでいる者は[自分の]日数を伸ばす。 どのような言い開きをするか。また、マスコミが騒がしくとりあげることだろう。
2006年02月13日
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腐ったことばをあなた方の口から出さないようにしなさい。むしろ、必要に応じ、どんなことにせよ築き上げるのに良いことばを[出して]、聞く人たちに恵みとなるようにしなさい。 すべて悪意のある苦々しさ、怒り、憤り、わめき、ののしりのことばを、あらゆる悪と共にあなた方から除き去りなさい。 これはパウロの警告だがこれの根底にあるのは、腐敗した魚や腐った果物と関連したギリシャ語。次のような場面を想像してみてください。 。 その人は一体だれですか。わたしたちのうちのだれかがそうなったとすれば、何と恐ろしいのでしょう。しかし、もしわたしたちが『腐ったことばを自分の口から出す』としたら、そのような描写はぴったり適合するかもしれません。 激昂して辺り構わずわめき散らしている人を見た時みなさんはどう思われるでしょうか。
2006年02月12日
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わたしの魂は自分の命に対して確かに嫌悪を感ずる。 わたしは自分についての気遣いを漏らそう。 わたしは自分の魂の苦しみのうちにあって語ろう! なかなかその気持ちを打ち明けることのできる相手はいない… 自分は何者?洗いざらい曝け出すことのできるほど素直じゃないし真っ直ぐでもない…。
2006年02月11日
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コートジボアールなんて内戦中の国。それであれだけやれるんだから。 とにかく、以南アフリカの治安情勢の悪いのは周知の事実。 日本なんて…といっても道徳的には退廃しているのは間違いない。 しかし、人間は争いばかりしている。やはり、自分の歩みを永遠に制御できないことに気がつくべき。 自由意志は賦与されていても、創造者の目的に沿った者として造られたことを謙遜に認めるべきだよ。絶対的自由なんてない。あるのは相対的自由なんだから。
2006年02月10日
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寝ついてから決まって2時間ほどで目が覚める。 いま、アフリカネーションズカップでエジプトがPKで優勝を決めた。 5回目の優勝とか。北アフリカのヨーロッパスタイルは伝統的だが最近はカメルーン、ナイジェリアが目立っていた。とにかく身体能力がずば抜けている。 今度のドイツW杯でのアフリカ勢の活躍に期待したい。エジプトは予選突破できなかったが、アフリカの力は侮れない。 って、どうでもいいとにかく観戦するつもりのないものを見てますます眠られなかった。 また、今日もおもいやられる。
2006年02月10日
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われらが年をふる日は七十歳にすぎず、あるいは健やかにして八十歳にいたらん。されどその誇るところはただ勤労と悲しみとのみ。その去りゆくこと速やかにして、われらもまた飛び去れり。 生きるにはあまりにも短い年数…。もちろん、今の社会にあって生きてゆくことは苦難が伴う。故に現状で長生きをすることは苦痛を増すことだろう。そして、地球上でのあらゆる戦争、紛争、テロ、犯罪の犠牲になることだってあれば、事故や病気により命を失うこともある。 これが本当の命のあり方なのだろうか。 生き変わるなどということはないのだから。人生の本当の目的にたどり着けなければ、人の命なんて「ただ食べたり飲んだりしよう。あしたは死ぬのだから」という考えで消えてしまう。
2006年02月06日
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それらの日の患難[偽りの宗教の滅び]のすぐ後に、太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされる。 またその時、人の子のしるしが天に現われ。そしてその時、地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき、彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、天の雲に乗って来るのを見る。 ニュースを見ていると間近いかもしれない。
2006年02月05日
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温和な答えは激しい怒りを遠ざけ、痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす。
2006年02月05日
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表現し難い…。やる気が起きているのに、無気力のように体が動かない… たくさんやらなきゃならないことがあるのにそれができない。 この苛立ちと惨めさと焦りが交じり合ったなんともいえない感情。 体の異常…。見た目では解らない、理解してもらえない。 なった者にしか解らない苦しさ。 ただ、この状態には誰もなってほしくない。なぜなら、これほどしんどいことはないから。でも理解してもらいたい…矛盾…。 エネルギーが尽きたのか…充電できるのだろうか…。 思い煩う日が続く…。
2006年02月04日
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今日の道徳的風潮はどうでしょう。今の時代の多くの人は、性を主な関心事として生活しています。そのような人たちは、「いっさいの道徳感覚を通り越した」と描写されまた、「貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして、身をみだらな行ないに」ゆだねている人も少なくありません。 ポルノ、結婚前の性関係、児童に対する性的虐待、同性愛などがありふれたことになっています。ある人々はすでに、性感染症や家庭崩壊その他の社会悪という形で「十分な返報を身に受けて」います。
2006年02月03日
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きまって、午前1時から2時に目が覚める。 それからあと睡眠に入れない。 いまは、PCに向かって作業できる気力があるからましだが…。 一切の気力が失われた時には、自己憐憫に陥る。 頭からそれを消そうとすればするほど考えは袋小路に入ってゆく。 この、脳という臓器は御し難い。 地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。 自分の歩みを導くことさえ、歩んでいるその人に属しているのではありま せん。
2006年02月03日
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悪人をうらやむな。彼らと一緒になることを渇望してはならない。 彼らの心は奪略を思い巡らし、彼らの唇は難儀を語りつづけるからである。
2006年02月02日
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自分を愛してくれる者を愛したからといって、あなた方に何の報いがあるでしょうか。収税人たちも同じことをしているではありませんか。 また、自分の兄弟たちにだけあいさつしたからといって、どんな格別なことをしているでしょうか。諸国の人々も同じことをしているではありませんか。
2006年02月01日
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