≪☆女神☆の広場≫

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Aug 7, 2006
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カテゴリ: 日記
七夕(しちせき/たなばた)は、7月7日または8月7日に多く行われる祭である。五節句の一つにも数えられる。古くは、棚機(たなばた)とも表記し、今日一般的にたなばたと発音するのはその名残である。元来中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、もとからあった日本の棚織津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。


1 時期
2 起源
2.1 織女星と牽牛星の伝説
3 風習
4 地方の祭り
5 予定
6 楽曲
7 姓
8 関連項目
9 外部リンク

時期

七夕の笹飾り
京阪土居駅前・旭通り商店街にて(2005年7月撮影)

七夕飾りの1例
愛・地球博長久手会場にて日本では、天保暦(旧暦)のような和暦7月7日の祭であった。明治6年(1873年)の改暦後は、グレゴリオ暦(新暦)の7月7日(行事によっては7月6日の夜)に、または月遅れの8月7日(東日本・北海道と仙台に多い)に行われるものがよく知られる。太陰太陽暦(いわゆる旧暦)の7月7日に行う地方もある。

新暦の7月7日は夏だが、旧暦の7月7日はほとんど立秋以降であるので、古来の七夕は秋の季語である。日本の多くの地域では、新暦の7月7日は梅雨の最中なので雨の日が多く、旧暦の頃からあった行事を新暦の同じ日付で行うことによる弊害の一つといわれる(しかし、統計的にみると旧暦で晴れる確率は約47%であり、旧暦だからといって晴れる確率が特別に高いというわけではない(新暦で晴れる確率は約30%))。なお、(新暦・旧暦どちらでも言えるが)七夕に降る雨を「洒涙雨(さいるいう)」といい、織姫と彦星が流す涙だと伝えられている。

起源
日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(現在のお盆)に中国から伝来した乞巧奠(きこうでん)などが習合したものと考えられている。もともと盆行事の一部が独立した行事として、行われるようになったと言われている。笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代が起源だと考えられている。

織女や牽牛という星の名称は 春秋戦国時代の『詩経』が初出とされている。七夕伝説は、漢の時代に編纂された『文選』の中の『古詩十九編』が文献として初出とされており、南北朝時代の『荊楚歳時記』、その他『史記』等の中にも記述がある。

日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説は『古事記』に記されており、村の災厄を除いてもらうため、水辺で神の衣を織り、神の一夜妻となるため機屋で神の降臨を待つ棚機津女という巫女の伝説である。「たなばた」の語源はこの巫女に因む。日本では奈良時代に節気の行事として宮中にて行われていた。また、萬葉集では大伴家持の歌「棚機の今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年はながけむ」など七夕に纏わる歌が存在する。

本来、宮中行事であったが、織姫が織物などの女子の手習い事などに長けていたため、江戸時代に手習い事の願掛けとして一般庶民にも広がった。

織女星と牽牛星の伝説
こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ会うことを許されていた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができない。その時は、二人を哀れんでどこからか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋をかけてくれるという。

中国や日本で使われていた太陰太陽暦では、必ず上弦の月となるので、これを船に見立てることもあった。

風習
祭は7月6日の夜、つまり7月7日の早朝に行う。殆どの神事は、「夜明けの晩」(厳密には午前1時)、つまり朝の前の夜に行うことが常であり、7月7日の夜明けの晩とは7月7日の早朝となる。

午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる時間帯でもある。

全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われている。短冊などを笹に飾る風習は、江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。

この時の笹を7月6日に飾り、さらに海岸地域では翌7日には海に流すことが一般的な風習である。しかし、近年では飾り付けにプラスチック製の物を使用することがあり海に流すことは少なくなった。

尚、下記楽曲の「たなばたさま」にある五色の短冊の五色は、五行説にあてはめた五色で、緑・紅・黄・白・黒をいう。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸をつるす。さらに、上記乞巧奠は技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願い事は芸事であるとされる。

この他、各地に様々な風習が残っている。

地方の祭り

七夕で飾られるくす玉(吹流し)
東大阪市布施にて(2004年7月撮影)仙台・平塚ともうひとつの都市(これは見解が分かれる)の三大七夕を筆頭に相模原市・安城市・高岡市(旧戸出町町域)・一宮市・静岡市清水区・ふじみ野市(旧上福岡市市域)・福生市・茂原市・杉並区阿佐谷などの七夕まつりが大規模なものとして知られている。これらは殆ど戦後からで、戦災で疲弊した地域を活性化する目的で始められたものであり、特に東日本に多い。

そのモデルとなったのが仙台七夕である。仙台では古くから干ばつや冷害などによる飢饉が多発していたため、天災を祓う目的で紙を合わせた短冊に祈りを捧げていたといわれる。そして伊達政宗公が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため、藩政時代から武家・町人ともに各戸の軒先に笹飾りを出していた。明治・大正期にも細々と続けられ、それを継承して1927年に商店街で大規模に飾りつけたのが現在に続く仙台七夕である。また、各地の飾りつけに見られるくす玉も仙台七夕が発祥である。

なお、愛知県一宮市で行われる七夕については、他と毛色が異なる。一宮は古くから織物で発展した都市であり、市内に祀る服織神社(はとりじんじゃ)の祭礼の一環として、織女星を機織の神に見立て、その感謝の意を表したものである。似た系統の七夕は、愛知県江南市でも行われる。他にも島根県の大東七夕や鹿児島県の七夕踊りなど、先祖供養や豊作祈願などに基づく伝統行事として根付いているものが見られる。

東京においては遅くとも明治のころには七夕が一般的祭事ではなくなってしまった。大正、昭和に至ると地方出身者あるいは好事家以外で七夕行事の存在を知る者もない状態であったが、東京市役所中にこれを遺憾とする声があがり、昭和2年より「日本風俗研究会」なる団体の指導の下に七夕祭を東京市の年中行事として行うこととし、今日の東京での七夕復興に繋がっている。

新暦に行う地域
平塚市(湘南ひらつか七夕まつり)
高岡市戸出地区(戸出七夕まつり)
静岡市清水区(清水七夕まつり)
旧暦・月遅れに行う地域
仙台市(仙台七夕は東北四大祭の一つで、全国的に最も有名な七夕祭である)
いわき市平(平七夕祭)
水戸市(黄門祭)
相模原市(橋本七夕祭り)([1])
土浦市(キララ祭)
狭山市(入間川七夕祭)
高岡市中心市街地(高岡七夕まつり)
香川県木田郡三木町(三木町いけのべ七夕まつり)
東京都杉並区阿佐谷(阿佐ヶ谷七夕まつり

【余談:Xファイルで主演を演じて居た、デビット・ドゥカブニーさんの誕生日です。
この番組は、凄く嵌ったものでした。】





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最終更新日  Aug 7, 2006 09:09:55 AM


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