全18件 (18件中 1-18件目)
1
なんか大河ドラマが面白く感じられない・・・。昨日は放送されているのをみましたが、今までは録画で見ていたのですが、段々見るのが金曜日や土曜日になってきた・・・。以前、「光る君へ」の中の恋愛部分は大石静さんにお任せすると書きました。うーん、本当にソウルメイトとは言え、ちょっと無理がないかな。平安時代の一夫多妻の時なので、余計こんがらがる。赤染衛門には、お方様を傷つけることだけはしないように、と釘を刺されていましたね。でも、それはまひろが昔からの知り合いだから❓道長には7人位妻や召人(めしうど)がいましたが、紫式部は召人にも入っていません。時々手がついた、というような感じ❓ まぁ、妾ではなかった説も多いですね。彰子の女房の大納言の君や小少将の君等道長のお手付きの女房は良いのでしょうか。倫子はあまり妾を気にしなかったようなのに、なぜ衛門はまひろにだけそう言うのでしょう。単に2人の恋愛❓をドラマ的に危うい物にする為?もうまひろの方はあまり想っていないように見えるのは私だけ❓ドラマの中では、道長の方が娘のことが心配でまひろに頼っているように見えますし、一般に男性の方が想いが強いと長続きする、とも言いますね。、ただ、ソウルメイトとは言え、ずっと思っていても突然娘を身ごもってしまう、で「❓」。彰子はもちろん、帝まで紫式部を買っていて、更に「枕草子」もまひろのアイデア、とか、これは主人公を引き立てる為でしょうが、ここもちょっとやり過ぎかと。主人公を上げ過ぎて不自然。まひろが道長のことを想っていても、どちらも結婚して数年に一度会うような関係で、子作りします❓そういう仲になるのが男と女なのかもしれないけれど、それで、相手が身ごもる可能性を考えない道長もどうかと思うし、無理が無いかな。盛り上がる場面だったのかもしれないけど。まひろが里ではまた切り袴なのも。1人も使用人が増えない。まひろは中納言まで上がった曾祖父宅で伯父とも暮らしていたようで、本当は雨漏りがするようなぼろやでもないし・・・。 (C)NHK 紫式部邸宅跡とされる蘆山寺 https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQbaxh68-4fXFGPMv_Cs7Q-TsPUDV6rL4cY9Q&usqp=CAUより道長が段々闇落ちしていく感じはしてきましたね。最後まで悪人にはならない、と聞いていましたが、段々変わって行く方がおもしろそう。今までの道長は弱い感じがしたから。史実のままあくどい部分も描いた方が、大河ドラマっぽい。主人公はまひろなので、道長の方の立場に立ちつつ、時々心中で批判するとかね。想い合う2人が反対の、いや、道長を批判しつつ、想っているとか。その方が人間らしい気がする。実際「紫式部日記」の中で、彼女が殿=道長を批判することはないし、普通に雇われている彰子を尊敬し、道長のことも良く思っているようです。でも、敦康親王に対する態度の変化とか、敦明親王を廃太子に追い込んだりした道長をどう見ていたのでしょうか。それにしても、敦成親王役の赤ちゃんかわえ~~~~。で、あの猫はまさか”こまろ”❓いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 30, 2024
コメント(0)
自民党総裁選、高市さんと石破さんが決選投票となりましたが、その前に、小泉さんの議員票の多さに、思わず「嘘でしょ~」と、声を上げてしまいました🐽そんなに後ろから操りたいのかしら❓やはり高市さんは、党員票が多かったですね。それなのに、最後は石破さん。そうかぁ。でも、青山繁晴さん以外は、誰も消費税を下げることには言及していないんですよね。どうやって、経済を回復するのでしょう。高市さんなら、策を考えているでしょうが、石破さんは財務省とはどのような関係❓消費税が下がれば、庶民はものすごく助かりますよね。石破さんでは期待薄どころか、期待はマイナスの様な嫌な気がする・・・そして、一番小さい1歳になったばかりの孫のK。予防接種後、腕が腫れあがってしまい、一旦は飲み薬(抗生剤)と塗り薬(リンデロンが必要とは思えないのだが。どこに塗るのよ)が出たそうですが、月曜再診の前に、日曜に何かあったら日曜もやっている所なので、診察を受けて、と。また、最悪1週間の入院で点滴、となるかもしれないと。写真を見たら、本当に腕ごともう片方の腕の倍の太さに😰その前に何とか収まって欲しいです。1週間、孫のRを預かることになるな。それは構わないけれど、子供の入院、て子供用のベッドに母親は一緒に寝るんですよね❓私は経験が無い(子供の入院はもちろん、子供達が予防接種で腕が腫れあがったこともない)ので、昔ママ友から聞いた話。現在でもスペース的に、ママ用のベッドを置くとは考えにくいですね。まぁ、入院はあくまでその可能性もある、ということなので、何とかKの体力で頑張って欲しいです。いつもポチっと応援ありがとうございます💉にほんブログ村にほんブログ村
September 27, 2024
コメント(0)
私が大学生の時、サブゼミとして「古事談」を取っていました。1年で「古事談」を全部読めはしませんでしたから、家で読んでいた時、清少納言についての話もありました。結婚した時、「古事談」は持ってこなかったようで、覚えているのは2つ。 1つは、若い殿上人達が車に乗って、清少納言の家の前を通りました。家はもうボロボロ。「清少納言も落ちぶれたなぁ」と言うのを聞いて、清少納言が簾を掲げて鬼の様な尼姿を出し、「駿馬の骨は買わないの」と言ったというもの。駿馬の・・・というのは、ご存知の奥さんも多いと思いますが、昔、中国の燕の王が、賢者を集めたい郭隗(かくかい)聞いた時、「名馬を集めるなら、死んだ馬の骨を集めると良いでしょう。同じように、賢者を集めるなら、まず私を臣下にして下さい。そうすれば、私より優れた人材が沢山集まることでしょう」と言った故事から来ています。この話は、「死馬の骨を五百金に買う」「まず隗より始めよ」の元となったものです。清少納言は、駿馬なら骨でも買うように、優れた女性は年老いても大切にする、そういう心掛けを持っていないと出世も出来ませんよ、ということだと言われています。漢籍の知識も気の強さも相変わらずの清少納言、といったところですが、鎌倉時代はじめに書かれたものなので、本当の話かどうかはわかりません。2つ目は、兄と一緒に兄の家に住んでいた清少納言ですが、この兄が人に恨まれて殺されてしまいます。その時、屋敷にいた清少納言も殺されかけますが、私は女だと言っても信じてもらえません。絶体絶命の彼女は、衣の前をはだけて開(つび)、つまり下半身を見せた、というもの。清少納言が兄の家に住んでいたことはあったようで、その兄が1017年に殺されたのも事実です。でもねぇ・・・。清少納言らしい❓話なのでしょうか。機転が利くのは彼女らしい❓殺されるとなれば、彼女でなくてもこうするしかないとも思えます。確かに年を取って、しかも出家していれば、男女の区別はつきにくくなるでしょう。でもでも・・・。この話が本当だとすると、長和6年=寛仁元年(1017年)には、まだ清少納言は生きていた、ということです。他には、やはり鎌倉時代に編纂された「無名草子」にも清少納言について書かれています。乳母子について遠く田舎に住んでいた清少納言は、青菜というものを干す為に外に出て、「昔の直衣姿が忘れられない」とつぶやいていた、と言う話。粗末な着物にボロ布を頭に巻いていたのが哀れであったそう。ただ、こういう清少納言落ちぶれ説ですが、紫式部に一因があるとも言えるかも。と言うのも、「紫式部日記」の中で清少納言についても酷評していますが、最後に「そんな人の最後が良いわけがありません」と書いています。清少納言が既に落ちぶれていたとしたら、それもひどい言い方だけど、(紫式部日記は日記の他に消息文があり、それが日記と同じ時期に書かれたとは限らない。後に書いたのかも)、清少納言の行く末がろくなものにならない、と書いたことで、世間にもそのような認識が出来てしまったかもしれないからです。それに、清少納言が宮中から去った後に産んだ娘は、長じて彰子の女房となっています。女房として出仕出来る位はまともな生活をしていたのでしょうし、女房として娘が出仕していたら、清少納言も落ちぶれることはなかったと思います。当時は、息子ではなく娘が(夫となった人と)親の面倒を見たので。だから、そんなにひどい状態で最期を迎えたとは、あまり思えないのですけどね、私は。和泉式部や赤染衛門とは和歌のやり取りをしていたし(いつまでかは、私は調べていないのですが)。どうでしょう。どう思われますか、奥さん いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 27, 2024
コメント(0)
二度までもUPに失敗して二度も全文が消え、心が折れたみことです彰子のお産は、「紫式部日記」に忠実に描かれていました。お産の時の様子、一条帝の土御門邸行幸、五十日のお祝いの騒ぎ、と総てそのままです。ただ、まひろ達女房が白い装束で無かったのは不思議でした。お産が進む中中宮の気に障ってはと、道長は倫子、最高位の女房2人程を除いては、少し離れた所に移るように言いました。その場所では、40人もの女房がいたので、裳の裾は絡まるわ、大きな袖が重なるわで、身動きもままならない状態でした。でも、不思議なのが彰子付きの女房なら、白装束のはず。衣装だけでなく、家具類まで総て白にするのですから。それなのにまひろ達は普段の装束でしたね。白い装束を揃えるのがたいへんだったとか❓時代考証も付いているのに、何故でしょうか。 難産で、僧侶たちはもののけを調伏するどころか、引き倒される程だったと言います。そんな中、色々指示を出す道長の声は、大勢の僧侶の読経の声より大きく、良く通り、また道長が唱えるお経の声が何に増しても頼もしかったと紫式部は書いています。道長のように気がしっかりした人がいると、このような場合とても心強いですよね。 彰子は仏の加護を受けるべく、頭頂部の髪を少し切って出家の真似までしています。そして、そんな様子を知った女房達は、どうなることかと涙を流します。無事にお産が終わると、汗と涙ですっかりお化粧が崩れてしまった女房達。中には、小中将の君のように、馴染みの源頼定(後に一条帝女御元子の夫になります)に声を掛けても、誰だかわかってもらえなかったという笑い話も。 どんだけ塗ったくっていたのかと思いますが、時代はかなり下って徳川慶喜の御台所である一条美賀子の写真をば。 手の色と比べると、かなり塗っていますね。それでも目が大きいことや鼻や口の形はわかるから、普段はそれで判断していたのが、すっかりおしろいが剥げたら逆にわからなくなったようです彰子は、お産の後、好きだと言う青い衣裳を身に着けていますね。自分を持てた、つまり自信がついたということでしょう。 両方(C)NHKでも、ここにきてまひろの同僚女房達による意地悪が。出仕当初、紫式部は同僚のいじめで半年も里に籠っていましたが、それをスルーしていたので、まさかここで出るとは。思ってもみませんでしたよ、大石靜さん赤染衛門にまで、左大臣様との仲は❓とか聞かれていたし、さてさて、これからどうなるのかな❓いつもポチっと応援ありがとうございます👶にほんブログ村にほんブログ
September 26, 2024
コメント(0)
先週か先々週に新しいスマホを頼んだら、翌日には届いてしまいました容量がいっぱいなのか(5年目だしね)、サクサク動かないことが多くなったので、お婿ちゃんに頼んで私に合ったよさげなスマホを選んでもらったのです。私に良さげなだけではなく、どこが一番安いか、また値引きもしているか、まで調べてくれましたで、昨日、お婿ちゃんに時間があるようなので、来てもらいました。前のスマホと繋いで・・・ここでうちには無いケーブルが登場。これが無ければデータを移せない。流石、持ってきてくれていました。で、データは移ったのですが、ラインがおかしいと。やり直した後、ラインは注意が必要とかで、自分のスマホで何かを調べてから、何かをダウンロードして(多分最初からラインを入れ直した模様)OK色々試して、これで大丈夫です、と。ありがとうございます、長期出張前にすみません。本当に本当にありがたい。前のスマホに続いて2度目です。ついでに、外では遅くて、検索が出来ないと言ったら、それも調べてくれました。なんと 私ったら、携帯会社のHPで、節約モードにしていたみたい(記憶にございません)。それを解除してくれたのですが、今日外で使ったら、あら、普通に早いじゃない。iPhoneじゃないからかな、なんてアンドロイドをバカにした訳ではないけれど、こんなに早いなんて、逆に言うとこの会社、節約モードが効き過ぎて良くないんじゃないかで、昨夜初めてラインをしようとしたら、文字がアルファベット入力になってた🐽それを直せたのが強のお昼過ぎ。でも、これは設定を見ればわかると思ったので、お婿ちゃんには聞きませんでした。もし、聞いても、私が電話やラインでわからなければ時間掛かるしね(^-^;娘もいつもお婿ちゃんにやってもらっているとか。お友達のパソコンの初期設定もしてあげたりするそうなのだけど、私のパソコンが壊れかけているのを、頼んでも良いのだろうか。奥さん、パソコンがこんな風になるって信じられます❓上も下もよ。 上の白いパッドの所が、まず浮き上がりました。昨日はお婿ちゃんが好きそうな上等なお菓子を用意出来なかったので、近所で買ったカヌレやらを出したけれど、お婿ちゃんはお菓子作りも得意なので、カヌレの型はやはり分厚い金属の出ないとうまく焼けないそうです、と言っていました。シリコン型だと安いけれどね。で、金属製のカヌレ型は1個1000円したので、まだ買っていないとか。んー、彼が言うように、1個だけ買う、ていうのはちょっとないですよね。さて、新しいスマホは写真も今までの機種と違ってキレイ🌟孫も可愛く撮れました・・・ いつもポチっと応援ありがとうございます📲にほんブログ村にほんブログ村
September 22, 2024
コメント(0)
やっと「光る君へ」35回を見ました。道長が金峰山詣でを行いましたね。番組の最後で取り上げられていましたが、その時、つまり寛弘四(1007)年に地中に埋められました。 (C)NHK山中のシーンもスタッフも俳優も大変だったと思いますが、このシーンも良く出来ていますね。かなり深く掘っていて、こちらも大変だったことでしょう。その後、掘り出されたのは江戸時代の元禄四(1691)年だそうですが、紺地に金字のお経は現在五島美術館に、外側の金の経筒は金峰神社にあるそうです。なんで、別々❓紙に書いた方は、管理が大変だから美術館に入ったのかも。経筒の方は金が分厚く塗られているそうで、今でも金色に輝いているみたい。表面には500字が漢字で刻まれ、経筒がなにであるかが書いてあるそうです。この経筒は国宝です。 https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/kouko/88kiniro/ より 五島美術館HPより一方、道長自筆のお経の方は重要文化財です。現在五島美術館では、『一生に一度は観たい古写経展』を開催していて、出品目録を見たら、道長の金峰山埋経もあります奥さん、10月14日までよ途中❓特別展示予定として、国宝「紫式部日記絵巻 五島本第一・二・三段」が10月5日~10月14日 だそうですあれ、これ、ちょっと私が見たい。10月5日からね。紫式部日記絵巻を中心とした絵巻展の全目録を持っているので、ちょこちょここのブログでも載せていますが、見たことあるのでしょうけれど、私、「源氏物語絵巻」しか記憶にない・・・道長の綺麗な字も見てみたいですね(笑)お経は、何故か「御堂関白記」によると・・・となっていて、⭐法華経八巻⭐無量義経⭐観普賢経⭐阿弥陀経⭐弥勒上生経⭐弥勒下生経⭐弥勒成仏経⭐般若心経が収められているそうです。金峰山が霊験あらたかであることは、この翌年である寛弘五(1008)年9月11日(旧暦)に彰子が敦成親王を産んだことでわかりますね。 全部(C)NHKお父さん、頑張りました 「やれやれ・・・」「やれやれ・・・」いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 20, 2024
コメント(0)
昨日はお彼岸の法会に参加し、お墓参りをする為にお寺に行って来ました。午後の会にしたので、13:50頃に待ち合わせ。受付をして冷たい麦茶とサツマイモのきんつばを頂き(私は腸が動くのが嫌なので、いつも家族へのお土産として持ち帰ります)、2階の本堂へ。ご住職の入場、読経、お焼香、卒塔婆を申し込んだ人と法要する方の戒名の読み上げ、まぁ、これは仏様に報告❓(もうね、何て言うか知らないのよ)ですね。読み上げの後焼香だっけな❓読経は、般若心経、知らないお経、修証義と回向文、最後にご住職のお話、説法❓でした。お墓参りをし、いつも多分母の側にいるであろう父に挨拶をし、帰りには、「お父さん、お母さんに着いて行ってね」なんて言う私。ここは法会の日は結構多くの、そして普段から花が枯れたら取り除いて、花立てをひっくり返しておいてくれるので、掃除もあまりしなくて大丈夫です。ボランティアの方やシルバーの方なのかな、お墓の中にいて、花束の紙を檀家の人から受け取ってくれたり、水桶に水を入れておいてくれたり、帰りは水桶を受け取って余った水は捨ててくれたり。至れり尽くせりです。有難いことです。春秋の法要には毎回100人位かな、昨日は暑かったので少なく感じましたが、出席します。このお寺、前に書いたかな、私が大学生の時、学芸員の実習でお世話になったことがあるんです。主人も学芸員課程を取っていたから、中にいましたね。ご縁を感じましたが、確か私は忘れていて、主人からそのお寺、てさ・・・と言われてから記憶を呼び覚ましたような次第です、私の場合。その時は、いきなり先生から、お墓の・・・あ、忘れたなんたら図を描くように、と言われてお寺に連れて行かれたに等しい感じでした。で、学芸員は毎年全大学生の中で20~30人しかいないのですが、その20何人かで頭を捻りながら図を描きました。そしたら、全然違いました。大学に帰ってから説明を受け、もう一度後日行って描き直しとなりました。雨の中、一所懸命頭を捻りながら描いたのにぃ、と不満。でも、誰もそのなんたら図を知らなかったんですよね。その後も別のお寺で大型の石碑の拓本を取ったり(私はこの作業はやっていません)、住民の方々に話を聞いたり、小さな民俗資料館でも収蔵物のデッサンをしたり、海岸で化石や海藻を収集したり、レタリングを習ったり、最後はそれぞれ希望の館での(水族館もあったな)実習でした。これは、教職課程での教育実習の学芸員版ですね。2週間だったかな。3年間で5回の実習、うち2回は泊まりがけで、国家試試験はなくてとれますが、他の大学でここまでするのはないんですよね。だから、私はこの大学を選んだのですが。姉の大学なんか、講義を幾つか取り、最後に博物館で茶碗か何か小さなものの拓本を取ったら資格が取れたそうです。館に入っての実習も無し。あ、姉も持っているのか。今、気付きました。それでも博物館に行くのはまだ良い方なのかもしれない。現在はどうなんだろう。海外では、美術館に勤めたい場合は大学院を出ていないと行けなかったり、学芸員自体試験に受からないと資格をもらえなかったりなのですが、私が取った頃は試験はありませんでした。あ、現在は、短大か大学で文科省の定める科目を取得するか、文科省主催の「学芸員資格認定」に合格するか、どちらかで学芸員になれるそうです。資格認定は、高卒でも受けることが出来ますが、実務が8年以上あるなど、既に高度なスキルを身に着けている人ですね。え❓実務、て博物館等で8年も経験していれば、大卒で学芸員課程を勉強した人より遥かにプロですよね。あ、都立博物館等が運営する博物館や美術館だと、まず地方公務員にならなければなりません。昔、都立近代文学博物館だった旧前田家本邸で、学芸員の方に伺いました。学芸員になるのも、縁故が必要だったり(大体募集が少ない、名古屋の徳川美術館の若い学芸員の方は、『僕は縁故採用なので、学芸員の仕事についてはまだ良く知りません』、と言っていました。そりゃ、徳川さんですものね。下手な人は雇わなそう)、自分が大学で学んだ専門以外の館には応募出来なかったりしました。国立博物館や国立美術館などは、当然もう”学者””博士”レベルの人達ですが。お墓詣りが終わって腕時計を見たら丁度15時。意外とササっと終わるのですね。思い出した、父の納骨の日、読経が終わった時、孫の5歳だったRが「ブラボー」と言ったそうで、次男のお嫁ちゃんが噴き出したそうです。(聞こえなかった~、聞きたかった~)いつもポチっと応援ありがとうございます📿にほんブログ村にほんブログ村
September 20, 2024
コメント(0)
「更級日記」の作者(菅原孝標の娘)が「光る君へ」に出演すると聞きました。ご存知かもしれませんが、「更級日記」の作者は「蜻蛉日記」の作者の姪に当たります。道綱の母同様やはり和歌が上手く、勅撰和歌集に12首程入っています。彼女は物語が大好きで、若い頃はひたすら「源氏物語」をはじめとする物語を読みまくり、夕顔や浮舟のように、どこか田舎に匿われて、源氏の君の様な素敵な方を年に一度で良いからお迎えし、時々お手紙をもらえたらどんなにうれしいことか、と思うようになり、やがてそれしか自分の将来を考えられなくなっています。因みに、いくつかの物語は、一条天皇第一皇女脩子内親王から下げられたものを、脩子内親王に仕えていた親族からもらっています。その後、つてがあり、御朱雀天皇の第三皇女祐子内親王に仕えるようになります。それでも、両親は彼女がいない寂しさや心細さに耐えられず、彼女を結婚させてしまいます。彼女の結婚は紫式部のように晩婚だったようですが、夫との年齢差は6歳位だったようです。恐らく正妻ではないと思います。子供は複数いたようで、長男が17歳の時に夫が亡くなっているので、33歳頃の結婚で、その後17~18年間夫婦でいられたのでしょう。結婚しても、源氏の君に憧れていたのもあるのでしょう、その様は豪華で立派なわけでもなく・・・と、最初は思った彼女でした。しかし、いざ夫に死なれてみると、その悲しさは例えようもなく、彼女は悲嘆にくれています。たった2年の結婚生活でも、頼む人を亡くした紫式部も同じ気持ちだったでしょう。菅原孝標の娘は、度々夢の悟しを受けています。経を習いなさい、とか、天照大神を拝みなさい、とか、稲荷からのしるしの杉ですよ、と何かを投げられたり・・・。そして、最後が、天喜三年十月十三日の夢に阿弥陀仏が来迎し、恐れている彼女に対して、「では、また後で迎えに来よう」と仰います。この夢だけを後世の頼りに、彼女は生きていくことになりました。他に、「更級日記」の中には、行成の娘の死、彼女の家で飼っていた猫が、行成の娘の生まれ変わりだと姉の夢に出てきたので、大切に扱い、行成に知らせる方法はないものか、と書いています。丁度「光る君へ」と同時代に、若いですが生きていたのですね。菅原孝標の娘がどんな場面で出て来るのかわかりませんが、今のドラマの進み具合だと、紫式部は史実と異なり、道長より先に死ぬかもしれません。そうだとすると、菅原孝標の娘が宮仕えに出るのは道長の死後のことなので、宮仕えとは関係ない場面での登場でしょうか。あ、「源氏物語」の、大ファンだったからか (C)NHK いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 18, 2024
コメント(0)
妾を正妻以外の妻とすると、召人(めしうど)は、夫に対して身分が低い女性のことを指します。為尊親王や敦道親王に愛されても、身分が違い過ぎた和泉式部は召人の代表例でしょう。紫式部が道長と男女関係にあったとしても、良くて召人、実際は召人として名が見られないので、何度かそういう関係があったに過ぎないようです。それに対して、倫子の姪にあたる2人の女性、大納言の君と小少将の君は、共に道長の召人でした。親を早くに亡くしたので、倫子に言われて彰子付きの女房となりましたが、道長の手が付きました。これに対して「栄花物語」では、倫子は自分の身内だからと許しています。 大納言の君 どちらも(C)NHK自分の姪だから、1世代下の若い女性。大納言の君は1度結婚しているようですが、どちらにも良い夫を見つけてあげるのと道長の召人になるのと、どちらが幸せでしょうか。結局大納言の君はしっかりして気も利く性格だったようで、彰子の女房達の中でも、最上位の数人に入ります。あ、最初から倫子同様天皇の血を引くので、高位の女房扱いでしたが。敦成親王誕生時には、産湯の迎え湯を担当したり、その後敦成親王が後一条天皇として即位すると、宣旨となって最終的には従三位に叙されいます。反対に引っ込み思案の妹である小少将の君は、公卿達の応対も苦手で、あまりのことに紫式部を心配させていましたが、若くして亡くなったようです。道長は明子と先に結婚したようですが、倫子に子供が生まれるまで、いや、倫子が彰子を産み、更に4年後に頼通を産んだ後に、明子は最初の子である頼宗を産みました。これにより、中には、倫子に男の子が生まれるまで明子が妊娠しないようにしていたのではないか、と論じる人すらいますが、それは無理でしょー。 (C)NHKだよん道長には、倫子や明子の他に、5人ほど妾や召人がいましたが、その中では1人しか子供は生まれず、僧籍にいれています。不思議なのですが、だから、道長の子供達は総て倫子と明子腹なのです。中には流産だったり、想像妊娠もあったようですが、妾達には子供が生まれませんでした。ここで、道長の長男頼通の妻を見てみると・・・。正妻の隆姫を愛していたので、頼通は三条天皇の内親王を妻にと言われた時も涙ぐんで、道長から、「男は妻(め)は一人のみやは持たる。痴れのさまや。」と、叱られています。また、この内親王様はきっと子供を産んで下さるだろうとも。何しろ頼通は子供に恵まれませんでした。 (C)NHK実は、隆姫が嫉妬深く、また隆姫の亡き父である具平親王の霊も、頼通が手を付けた女性に祟ったりしたので、頼通は大っぴらには浮気が出来なかったようです。それでも、隆姫以外の女性との間には子供が生まれましたが、これに対して隆姫は、倫子とは反対に「身内に手を出すなんて」と、不愉快になっています。私だったら❓・・・身内の方が嫌かな。隆姫は誰でも自分以外の女性はイヤだったのでしょうが、特に頼通が子供を作ったのが、自分の従兄妹の娘で、身寄りがなくなったのを引き取ったのに、という考えでもあったでしょう。道長も、娘姸子の女房に召し出した女性に手を付けていますから、困ったものです。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 15, 2024
コメント(0)
TOLAND VLOGさんの動画ですごいこと言っている人がいました。こちらです。5分位から。秋〇宮様、との字幕で、その方が・・・え❓そんなこと言っている人達がいることは知っていましたが、まさか。ただ、この松田さん、ちょっと違います。今上陛下出産後の肥立ちが悪くてご静養されたのではなくて、今上陛下の後、流産されて体調を崩されてご静養だと思います。だから、今上陛下と弟宮は年齢が少し開いているのですね。その後大王(おおきみ)の御意向であり、愛子様のご意向でもある、というくだりがあり、それには皇室典範を変えなくてはならない、というのはその通りで、これは昔日本には女帝がいらしたのだし、現行の皇室典範は明治に作られたものだから、変えることは可能ですね。また、コヤッキースタジオさんでは、イギリスの預言者❓グレッグ・ハミルトン・パーカー氏にインタビューした中で、彼は、愛子様が天皇になられる可能性と、そうなれば彼女は世界的に活躍するでしょう、と言っています。7~8分頃。悠仁様が帝位に就かれるまで、愛子様が就かれるのが良いかな、と思いますが、その悠仁様が❓→TOLAND VLOGさんの動画へ。個人のどうでも良い私のブログだけど、こんなこと書いて大丈夫かな。まぁ、私自身の考えではないけどね。ただ、愛子様が帝位に就かれた後は❓旧皇族の方とご結婚出来ればそれでモーマンタイですが。動画の中でGHQによる皇室解体というか、皇室潰しに触れていますね。本当にそうです。旧皇族の復帰について、80年も皇族で無かった人達を。。。と言いますが、たった80年です。2600年(とされている)日本の歴史の中で、天皇の直系が途絶えたら、皇族から天皇を立ててきました。江戸時代に新たに閑院宮家が世襲親王家となり、ここから光格天皇が出て、現在の天皇家へと続いています。つまり、男系の血が大事なのです。んー、でも、秋〇宮様がそうでないとすると、上皇様はそれを許してこられたと❓ちょっとそんなこと、ご静養中でもあり得ないように思うのですが。それに、廃嫡の予定なら、立皇嗣の儀式なんてする必要が無かったでしょう。ビックリして書いちゃったけれど、真偽はこんなふつーのばあさんにはわかりません。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 15, 2024
コメント(0)
もうね、自民党もここまでクソになるとね、おばさんはどうすることも出来ないですよ。おまけに小泉進次郎さんが一位みたいな報道。年寄り達が、小泉氏を前に立てて派閥政治を復活させようとしているだけ🐽大体小泉さん、て、「皆さん、知っていますか、プラスチックは石油から出来ている。これは意外と知られていない」なんて大真面目にほざいた人ですよ。環境大臣の時のセクシー発言もフィゲレスさんの言葉を借りたのでしょうけれど、具体的な案がないなら言わないでおけアメリカのシンクタンクに2年だか3年いて、何を勉強してきたかと言うより、どれだけ恥をかいてきたのでしょうか。でも、30代や60代の人(女性❓)には人気なんですってね。「爽やかだから」。政治への考えとかはいいの❓もちろん、爽やか、とか誠実そうとかもまぁ大事だれど、中身が空っぽでは話にならない。小泉さんが嫌いなのではなく、マスコミの世論誘導が酷過ぎる。ハナから小泉さんをトップで報道し続けている点や、青山さんが出馬すると会見しても、それでも尚、青山さんのことは立候補予定者として一切報道しない。驚く程マスコミが徹底しているのに呆れます。そして、何より自民党。生まれ変わるのではなかったっけ❓結局、総裁メイカーの菅さん、派閥解消に反対の麻生さんが後ろにいる。中国大好きの河野さんやハニトラに引っ掛かっているとされる林さん。唯一信頼出来る候補が高市さん。中国のブイも”撤去する”と言っていますね。外務省は、国連にブイを撤去するという項目がないから・・・なんて、ほざいているとか。尖閣に来ている中国の漁船と言う名の軍艦を1隻でいいから沈めれば、しばらく来ないのに。フィリピンを見習って、自国を守るのが政治家でしょうが。青山さんは謝罪と感謝の動画をUPしていますね。そんなに青山さんが怖いのかな。中国にも物を言うでしょう。喧嘩をしたいのではなく、他国が侵犯してきた外国に言うのと同様のことは言う、ということ。中国は、若い政治家で、後に大物になりそうな人や2世3世議員には早くから目を付けて、何かと優遇しているとか。そうしたら、親中になりますよね。せめて高市さんが総裁になったら、言うべきことはきちんと言ってくれることでしょう。ネット上では高市さんか青山さんだったのに。自民党もマスコミも、やっぱりヘンいつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 13, 2024
コメント(0)
カレーには、アルツハイマーを予防する効果があると聞いてから、カレー粉をつかった料理を作ろうと思いながら、あまり作っていないみことです。カレールーには、身体によい成分が入っているので、特に甘口はよく食べると良いと言いますね。実際、アルツハイマーになった父も、カレーを食べた後は話をしたり、元気になったりしていました。祖母がボケ、父も92歳で高齢者マンションに移ったのがきっかけでアルツハイマーを発症してしまったので、私もボケる可能性はあると思うので、カレーでなくても良いので、カレー粉を使った料理をもっと取らねば。インドでは、アルツハイマーの患者はあめりかの1/4なんですって、奥さんこれを聞いて、私はカレー粉を信じるようになりました。カレー粉の中の、ターメリック(ウコン)に効果があるそうですね。それが、アルツハイマーの発症に関係するアミロイドβの凝縮を抑えたり、アミロイドβが脳内に溜まる速度を抑えたりするとか。また、抗酸化作用があったり、ご存知肝臓を保護する効果もあるので、健康に良い食材❓調味料❓なんですね。お腹が4日ぶり位に治ったと思ったら、また今朝からヘン。ちょっとカレー粉を食べたい気分ではないので、また今度、ですが、明日は孫のKをちょっと見ないといけないので、頑張ろうと思います。いつもポチっと応援ありがとうございます🍛にほんブログ村にほんブログ村
September 12, 2024
コメント(0)
今回の大河ドラマは、曲水の宴が催されたり、「源氏物語」が宮中や貴族達に読み広められていく様子が描かれていましたね。 (C)NHK 大河ドラマでは良い人の道長ですが、史実としては、結構痛いというか、ひどいというか・・・は、奥さんもご存知ですよね。同母兄姉の中でも5人兄姉の末っ子ですから、それだけでも気が強い性格になるのは普通でしょう。それに加えて、兄2人が相次いで亡くなったことで自分が藤原北家の長となり、またそれを他家に渡さないようにと頑張ったので、最初は随分辛かったと思います。実資の「小右記」には、道長が一度怒ると、鬼の様な形相で怒鳴り散らすので、家族は声を潜めて気が収まるのを待つ、というように書かれています。些細なことが自分の家の存亡にかかわるなら、イライラしたことも多かったでしょう。江戸時代のドラマなどでは、貴族は弱々しく描かれますが、従者同士の争いでは死者がでることもあり、駒競べや蹴鞠、弓を射る競技が好きだったりと、そこは男性ですから、身体を動かすことが好きだったり、カッとなると相手を殴ることもありました。道長は、詮子四十の賀の時の様に、自分が詮子や天皇を自邸に呼んでおきながら、倫子腹の頼通の舞よりも、明子腹の頼宗の方が帝から称賛されると、不貞腐れて奥へ引っ込んだまま、何度も帝から戻るように言われてても、なかなか戻らない、といったようなことを平気でします。自分の家や娘達を最優先に考えるので、それ以外の障害となるものに対しては、徹底的にいじめます。今回のドラマでは、敦康親王は伊周を嫌い道長を慕っていますが、もうこの時期道長はそろそろ敦康親王を見限っています。その証拠が金峰山詣でです。 内裏が焼けた時、史実では一条帝は彰子の局で休んでいたように、既に2人は夫婦となっていましたが、彰子が身ごもらないので道長は仏様に祈願することにしたのです。つまり、敦康親王<彰子の妊娠(皇子誕生)。それまでは、敦康親王は道長邸を訪れたり、行事の際は見物に連れて行ってもらったり、帰りは倫子が牛車に同乗して内裏に送ったりしていました。それが、彰子が敦成親王を産んでからはピッタリとなくなります。もう本当に、少しも世間体など気にしません。それどころか、敦康親王の所有であった一条院を取り上げようとして、代わりに自分が持つ二条邸を差し上げようと言います。一条院は広く、一条院が内裏として使っていた由緒ある邸なので、道長はそれを敦成親王に譲りたかったのでしょう。結局敦康親王は一条院から出されてしまい、しかも二条院の権利も永久ではないという、不条理な扱いまで受けます。これは、当時の貴族達からも非難されています。これに怒ったのが親王の姉の脩子内親王です。敦康親王と一緒に二条院へ、と恐らく言われていた内親王は、当日二条院へは行かずに、叔父である隆家の屋敷に入ってしまいます。 抗議の意思を表した内親王に、道長は”不愉快そうだった”とかですが、それ以降は、度々脩子内親王を訪れてご機嫌伺いをしています。 (C)NHK実は、敦康親王は三度に亘って春宮になりそこねています。一度目は、父一条帝が亡くなった時。女御ではなく、后腹の第一皇子が春宮に立てなかったのは、彼が初めてでした。二度目は、三条帝が譲位した時。これは、三条帝が自分の第一皇子である敦明親王を春宮に立てました。そして、三度目は、その敦明親王が春宮を辞退した時。この時も、道長が彰子腹の敦良親王を春宮に立ててしまいました。以前も書きましたが、三度目で敦康親王が春宮となっても、結局女子のしか生まれず、20歳で薨去したので、敦良親王は春宮になれたはずです。それでも、それは歴史を知っている今だから言えることで、その当時道長はなんとしても皇統を自分の娘が産んだ皇子に持ってくることしか考えないのは、当然のことですよね。ところで、まひろの髪形は次第に変わって行っていますね。身分や人生を細かく表しているのでしょう。 みんな(C)NHKもうこれ以上は豊かにならないかな❓あと、胸にかかる髪はまだ変化するとか❓楽しみいつもポチっと応援ありがとうございます👘にほんブログ村にほんブログ村
September 11, 2024
コメント(0)
道長と倫子は娘彰子の女房に、上流の娘を選んでいました。これは、下の妹達に至るまでどんどん激しくなり、しまいに女房として来てもらえる女性がいなくなるような事態にまでなってしまいます。大納言クラスは当然、しまいに故太政大臣の娘も女房として差し出すよう、半ば、いや命令します。最後には、花山法皇の娘(と言っても母親は下流の出)まで女房勤めに出る始末。でもこの人、里に下がっている時に盗賊にさらわれて殺され、遺体は犬に喰われたような状態で見つかっっています。当時、相当驚かれた話だったようです。確かに倫子自身が宇多天皇のひ孫、つまり天皇家の血を引いているので、娘達にも高貴な血筋の者を・・・というのはわかります。でも、紫式部が「日記」の中に書いているように、(超)お嬢様育ちの姫君達は、家では女房達に身の回りのことをしてもらっていた立場なので、男性貴族が中宮を訪ねてきても、恥ずかしがったり気が利かなかったりして、役に立ちません。倫子の血を引いている=天皇家の血を引いている彰子、そして、上流貴族の女房達は輝かしいけれど、女房としての働きには慣れていなかったり、中には”特別待遇で扱うから”と言うことで女房に来た女性は、男性貴族が簡単には近付けないようにしていました。これでは、どうやって働くの❓ということですよね。お飾りで終わっては意味がありません。それに比べて、定子の母である高階貴子は受領階級の出。定子に仕える女房達も、清少納言をはじめ、定子のサロンを彩るだけの実力を持った人達を選んでいます。貴子自身が円融朝の宮中に仕えていたので、内裏の様子もわかっていたのもサロン作りに大いに役立ったことでしょう。それは、実際に定子と彰子のサロンの当時の評判を見れば明らかで、公卿達は、定子のサロンを懐かしんでいます。紫式部は出仕当時同僚女房達からいじめを受けましたが、公卿達にとって役に立つのは紫式部のような受領階級の女房だったようです。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 8, 2024
コメント(0)
奥さん、お願い聞いて昨日はエアコンの修理が13時~14時半の間に来るとのことなので、少し早くお昼を軽く食べました。で。13時頃・・・。突然の腹痛。ついでに気分がひどく悪い。トイレに行ったら、ごく普通のお通じ。でも、痛い。これで終わる訳がない。次にトイレに行ったらお水ピー(という言葉があるのか)慌ててひっさしぶりにブスコパンを飲み、なんとなく横になったけれど痛みはまあ我慢出来る位❓だけれど、気分がどーにも・・・。もう話をするのも億劫かずに2階へ。窓を開けたままクーラーを入れたけど、毛布を掛けないと寒い。で、しばらくしたらブスコパンが効いてきて、何とか目が開いたけど、下に下りる気がしない。もう任せたのだから、と寝ている私。少しは良くなったかと思ったら、今朝まだ盛大に・・・大分時間が掛かっていたけれど、息子が顔を出して、今片づけをされていると。全面のパネルも替えるから、その日を決めて欲しいと。やっと下へ降りました。既にエアコンはついていました。奥さん、ここでもう一度「聞いて」。水漏れの原因は、水を外へ出す直径1cm位の管の中に引っ掛かっていた1匹のG。そう、G。Gがエアコンの中で何を食べるのですか❓と眼が点になりながら聞いたら、「ほこりでも食べて生きています」。 \(◎o◎)/!1cm位でまだ小さなG。死んでいました。でね、奥さん。ひどいお宅では、エアコンの前面を外すと、中一面にGがいることもあるんですって心配になりませんか❓我が家は2年前に外壁を塗り直した時、白アリもしたのですが、下に潜った業者さんが、「ゴキブリの(あ、書いちゃった)死骸やフンはありませんでした」と言っていたので安心しました。でも、その後に1匹の4mm程の赤ちゃんGを見たので、○○キャップみたいなのをちゃんと定期的に替えるようにしていました。でも、ここにいるなら、家の中の他にもいる❓わ~~~~ん💦あとは、カビが生えていて、においが気になってきていたので、手が入る所まではそうっと拭き取っていたのですが、その部分ごと交換してくれました。今日エアコンつけてもにおいませんまだ購入して4年ですが、クーラーの利きが良くなったような。カビについては、3~4年に1回クリーニングをすると良いと。うちが買ったメーカーに頼むと、3万円はかかるから、クリーニング業者で良いが、個人ではなくそれなりに有名な会社が良いと。個人だとひどい場合は、クリーニング後組み立ててONにしても動かない、といったこともあるとか。また、すぐ故障してしまうこともある、て。クリーニング中に水を基盤にかけてしまったりするからとか。ここはリビングでキッチンの油も飛んで来るでしょうから、2年に1回くらいクリーニングした方が良いかな。2階のエアコンが水漏れしたり、水滴が飛んでこないのも、使う時間が短いからのようですね。わたしは昨日、このメーカーのがそうなのか❓なんて書いたけれど。ごめんなさい。プロに色々聞けて良かったです。今日の一言。”エアコンの 中のGにも 注意が必要”いつもポチっと応援ありがとうございます🐞にほんブログ村にほんブログ村
September 7, 2024
コメント(0)
昨日は母の圧迫骨折後の定期検診日。でも、診察の予約が16時半。おいおい。何時に帰れるんだ。そして、ホームの車は16時半まで。ということで、母が、早目に病院へ行って待っていましょうと。15時半に出発して10~15分で病院に着き、受付やら何やらして、15時55分頃。そしたら、レントゲンを撮るのですぐに呼ばれ、結局16時20分に診察室に呼ばれました。その前に、後から来た人も予約時間が母より早かった為でしょう、先に呼ばれていましたが、予約時間より早く呼ばれてラッキー薬も無いので、17時前には戻れました。実は、16時半の予約では、17時頃に呼ばれ、ホームに帰るのは18時過ぎ❓とか思ったので、晩御飯は作ってから行きました。買って帰れる時間ではなくなりそうだったので。でも、18時40分頃自宅近くの駅に着き、自転車で行ったので程なく帰宅出来ました。いやぁ、思ったより2時間は早く帰れましたよ、お陰様で。あと、暑かったからかな、待合室がビックリするくらい空いていました。6月だったかな、もこちらは車出し、予約もあるから・・・と言った日が猛烈に暑い日だったけれど、空いていて、「こんな日に無理に来ることもないわね」なんて話しましたっけ。それでも昨日、一治っているしたね、奥さんさて、今日、明日はまた猛暑だから、お互い水分を摂って気を付けて過ごしましょうね。母の骨折は「治っている」そうだし、ホームでリハビリを受けているそう&骨折で入院し、退院してきた人に病院でのリハビリを聞き、それも自分で取り入れてやっているとか。歩き方が、コロナで外に出られなくなってから、歩幅が狭くなり、チョコチョコ歩きになっていたのが、普通の歩き方になっていて、姉と驚きました。骨密度も、運動をすると上昇する、とされる方の値がとても良くなっていました。安心しました。元から運動とか動くことが好きなので、このまま無理せず、でもリハビリを続けて下さい、お母さん。姉と、私達こそ運動しないとね、と話しました。姉は、パーソナルジムに通っていたり、電車では立つことにしている、と言っていたな。で、その影響ではないけれど、帰りは早く帰宅したくて、準急を待たずに急行に乗り、当然混んでて座れないので立っていました。きのうは私にしては、とても元気でした。・・・・今朝から腹痛が出ていますが、多分疲れからでしょう。そして、やっとエアコンの修理日となりました。13時~14時半の間に来るそうです。あらー、暑くなってくる時間に大丈夫かしら❓まぁ、慣れているでしょうけれど。扇風機を回してあげるしかないですね。それにしても、前のリビングのエアコンも同じメーカーで、時々吹き出し口から水がピュンっと飛んできました。たまのことだったので気にせず、買って7年位でコロナで1人10万円もらった時に、今のエアコンに買い替えたんです。そしたら、今度はハッキリ”水漏れ”🐽他のメーカーのエアコンをクーラーで使っていて、水滴だろうが、水蒸気だろうが、出たことはありません。普通、出ませんよね、奥さん❓いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 6, 2024
コメント(0)
女房達が身に着ける「裳」につきまして・・・ https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/509377 よりこういうのが良く見られますよね。 現在のドラマや映画では、ほとんど白地に模様が描かれた物ですよね。でも、平安時代は様々な模様があったようです。また、地色も白だけでなく、単色で様々な色や裾の方を濃い色にしたり、全体的に模様を描いたりです。特に歌合せなどの行事の際は、袿の襲(かさね)色目に合わせて、紫一色だったり、緑色に銀泥で模様を描いたり、裳なのに二重織物にしたり・・・。歌合せのような特別な時は、主題に合わせて”なんでもあり”みたいです。表着(うわぎ)や唐衣に留まらず、裳にも鏡を付けたりと言うのは、道長が死んだ後、平安後期の文化の爛熟期に多く見られます。つまり、「ここまでやる❓」と言う程過剰な装飾です。でも、さぞ華やかだったことでしょうね。風俗博物館では、こんな裳が展示されているよう。 これは海の模様❓そうのような、ちょっと違うような・・・。当時人気と言うか、一般的だったのが、海の模様を描いたもののようで、松原とか海が遠くに描かれたようです。また、大海(おおうみ)の刷り裳と言うのは、「おどろおどろしい」と書かれますが、それはこんな感じかな、と平成、令和の即位の礼で、皇后陛下の女官達が着けていた裳の模様です。 動画から撮っているので醜くてすみません。んー、私には波に見えたのですが、どうでしょうか。白地に比べると、かなりのインパクトですよね。同じく風俗博物館の”裳”です。 この女房達は龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ・げきす)の舟に乗っているのか。下の写真は龍の頭ではないので、鷁首の舟ですね。・・・ということは、裳は池の中いずれも「末濃(すそご)」になっていますね。紫と緑ですが、他に黄色の裾濃もありました。ついでに、倫子が紫式部に贈った若返りや健康を願う「菊の着せ綿」の場面を。 前夜菊の花に綿を被せ・・・。 翌朝、朝露で濡れた綿で顔をぬぐいます。私、以前単色で十二単っぽい物を作ったけれど、結構大変でした。この博物館のお人形、装束を作るのも、小さいだけにしなやかさが無いこともあり、時間が掛かることでしょうね。いつもポチっと応援ありがとうございます🌼にほんブログ村にほんブログ村
September 3, 2024
コメント(0)
紫式部が彰子の女房として宮中に上がった時、これは「紫式部日記」に書かれていることなので全く紫式部視点での話ですが、同僚の女房達は挨拶をしても返事をしてくれず、無視されたそうです。紫式部としても色々考えて行動しても、結局は誰も話してくれないので、早々に里に帰り、その後半年は宮中には戻らなかったとか。 (C)NHKいやぁ、綺麗ですね。色とりどりの女房装束。でも、何故赤染衛門だけ喪服みたいなのでしょうか。これは、女房達が皆高位の生まれで、受領階級の娘である紫式部を低く見ていたこと、それなのに、彼女は一般の中宮の世話は免除され、物語を書くことを主な任務としていた特別待遇を妬んだ為かと言われています。ドラマでは、夜中眠れなかったまひろが寝坊した時に、「どなたかの足をもみに行っていたのかしら❓」位で終わっています。これが橋田壽賀子さんなら面目躍如、昔の「隣の芝生」ではありませんが、いじめは私が見たくない程巧妙に描くのでしょうが、今回はそこはほぼスルーして、「源氏物語」を重視したのかな❓初出仕後数日で里帰りし、それから半年も籠っているなんて、相当紫式部には応えた出来事だったでしょうに。具平親王家では、こんなに位の高い女房はいなかったでしょうから。でも、私はこういう話は好きではないので、ありがたいです。また、ドラマでもわかるように、宮中はかなりバタバタと忙しいのも、まひろの神経をいらだたせたようですね。さて、まひろは宮中に女童(めのわらわ)を伴って上がりましたね。以前、少女の正装である汗衫について書きましたが、今回、女童が着ていたのが汗衫のようです。薄物も白い生地でしたね。丈は、昔の絵巻などで見るより短くしていましたが、絵巻の方が実際より大袈裟に描いていた可能性もありそうです。 これで歩けるのだろうか❓ドラマでは・・・ 本当は紫式部が宮中に上がったのは、大晦日(その年の大晦日は12/29)で、だから汗衫もこのような薄物ではないでしょうが、動きやすいし、少女らしい軽やかさも出ますよね。流石に長袴の上の、表袴(うえのはかま)は省略しているようです。因みに、「栄花物語」を読むと、昔の后は女童を使わなかったが、彰子は使ったと。そして、「かたちを好ませ給ひ」と、容貌のよい子お好きで、「やすらい・やどりぎ」などと名付けていらした、とのことです。まひろの裳にも模様が入ったのですね。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
September 2, 2024
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1