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整理してたら出てきた写真です。10日ほど前にI子さんのおうちにいって食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んできた帰り道、ぼーーっと酔ったまま深夜過ぎのメトロに乗ったら、車両に1人ぼっちだったのでびっくりして思わず撮ってしまったのでした。いつもなら安全面を考えて(途中で変な人が乗ってきた場合にも1対1にならずに済む様に)誰かまともそうな人の居る車両を選んでいるんですけどね・・まぁしょうがないか、あれだけ飲んだのだから。まぁここは、「酔っていても終電を逃さなかった私はエライ!!」という事にしておきましょう。それにひきかえディノは・・・この話はちょっと長くなるので次に書きますね。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.29
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アカデミーの4部門にノミネートされ、オリジナル脚本部門を受賞した「JUNO」(ジェイソン・ライトマン、2008年)を観てきました。(写真は映画館のブロックされているドアの向こうに貼ってあったポスターです。)きっかけはというと、シャンゼリゼで食事をした後主人と映画を選ぼうとしたのに観たい作品がなかなか一致せず(2人が好きなリバイバル系映画は場所柄NGだった為)折り合いがついたのがこれだけだったからです・・。高校生のジュノ(純粋な女の子ですよ)が超・予想外の妊娠をしてしまったものの堕胎する事ができず、生まれてくる子供を養子として託すための理想的なカップル(マークとヴァネッサ)を見つける・・・というのが最初の数分間のストーリー。私達にとって思いっきり他人事なテーマだななんてお気楽に構えていたけど考えさせられる部分も多く、でも最後はそれなりに爽やかな気持ちで観終わる事ができる秀作でした。(ネタバレの部分はマークの中に白字で書きますので読みたい方だけドラッグで反転させてください。)私は今回も観る前から「この映画はきっとジュノが両親と一緒に子供を育てるという結末にちがいない」と勝手に思い込んでいたら、あれよあれよと予想が外れ・・・いい感じに裏切られました。この作品のテーマはティーンの妊娠にとどまっておらず、愛する人と一緒に居続ける事や、親から子供への思いが様々な年代の登場人物を通して問いかけられてきます。子供を持っているorいつかは子供が欲しいと思った事のある人なら誰でも感動できる映画だと思いました。16歳のちょっと風変わりなジュノを20歳で演じたエレン・ペイジには感心したけれど、個人的には潔癖すぎるほど純粋なヴァネッサを演じたジェニファー・ガーナーにぐっときました。(年代が近いのと、見終わって「ヴァネッサと子供は幸せになれるのかな」とちょっと心配になったのも込めて。)その他、大人になれない(彼はこの後どうなったんだ?)マークを演じたジェイソン・ベイトマン、(確か)元海軍の、不器用だけど娘を愛するエレンの父親と、言葉遣いは悪いけど理解と協力を惜しまない義母を演じたJ.K.シモンズとアリソン・ジャネイ、そしてお腹の子供の父親にあたるブリーカーを演じたマイケル・セラ(まさかあなたとハッピーエンドになるなんて思わなかったよ・・)も、皆どこかにいそうな人物像を見事に体現していました。6月の日本公開も決まったそうですが、かなりおススメです。(まぁ、先日の「潜水服は蝶の夢を見る」ほど映像の力が強い訳ではないのでDVDで観てもいいかもしれませんが・・・。)「Juno」日本版公式ホームページhttp://microsites2.foxinternational.com/jp/juno/投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.28
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昨夜初めて私は、主人のマンションの管理組合の会合に参加してきました。面倒だし正直行きたくないぐらいだったのだけど・・・これからずっとフランスで生きていくうちに、いつどんな場面で主人の代わりに私が動かなきゃいけない場面が出てくるか分からないから・・・それに夫は文学オタクでこういった事に疎いので、私も少しずつサポートしていかなければと思って、出席したのでした。今回は入門編にふさわしくテーマが1つしかない臨時総会で、召集をかけたのは最近マンションの6階と7階を購入したM夫妻。(両方買うなんてすごいねぇ・・・。)売主のムッシュVは7階の床を1m四方の正方形に切り取り、そこに梯子の様なものをつけていました。これで素敵な2階建てマンションが完成した訳です。ところがM夫妻は購入後に、切り取られた床部分の梁がきちんと補強されていない事、しかも梁の辺りはマンションの共有部分なので壊すのにも補強するのにも管理組合の許可が必要なのに、ムッシュVが何の申請もしないまま工事をしていた事を発見したのです。そこでM夫妻は<・無許可のまま開けられてしまった床の穴を、管理組合に認可してもらいたい・梁の部分を補強したいという2つの希望を掲げていました。予算は全てこの夫婦が持つと言っているし、私達には反対する理由が一切思いつかないので、「許可」の投票をするためだけに軽い気持ちで出かけました。その日集まったのは15人ほど。うち半数以上が50歳過ぎで、私にとっては久しぶりに年齢層の高い集まり。今思えばこういうメンバーだからこそ、昔の愉快系フランス映画で観る様な展開がなされたのかもしれません。まず最初に話を始めたのは、テレビの司会者の様にテキパキと進行を進める管理会社のムッシュD。彼の年齢は30ぐらいでしょうか。あとで眼鏡をはずしたところを見たら、かな~りカッコよかった続いて今回の被害者(だと私は思う)M夫妻から、前もって私達に郵送していた文書の内容を確認する為の説明が開始。年の頃は40ぐらいで、ご主人はいかにも銀行務めといった感じの真面目な、雰囲気のいいカップル。会場の大体全員が彼らに同情的だったと思うのだけど、そこに水を差したのがマダムFの代理で出席していた、ちょっとインテリ風な50代の男性。マンションの共有部分に関する事なのに、(M夫妻のせいではないとはいえ)事後承諾になってしまっているところが許せないんだそうです。そこに割り込んできて、M夫妻に助け舟を出す形になったのがムッシュZ。もう70歳を過ぎていそうなのに、とても聞き取りやすい声で意見を明確に述べていきます。私は最初、「うちの主人よりも的確に論を進めているわ!!老後の自分もこんな風でありたいなぁ」なんて思って尊敬の念も込めて、ムッシュZの話を聞いていました。だけど・・・みんながじっと耳をすましているのでつい調子が出てしまったのか、ムッシュZの話はだんだん違う方向に・・・。「ところで7階にあるテラスなんですけどねぇ、そこは共有部分なのでよろしくお願いしますね」「中央暖房の温度を上げすぎるともったいないから、もしできるなら壁に断熱材を入れた方がいいですよ。もちろん1番質のいいものをね!」「あそうそう、防音装置も付ける事をお勧めますよ。このマンションは58年に建てられたんだけど、当時はそういうものがなかったもんですからねぇ・・」「中央暖房といえば、勝手に台数を増やしている人が居るんですよ。そういう人には暖房代を多めに払ってもらわなくちゃいけないんですけどね。Mさん達のお宅はどうですか?あ、ムッシュD、これ次回の総会のテーマに入れましょう!」などなど・・・。このマンションを持っているのは私の主人なのだけど、実際に住んでいるのは義弟(次男)なので、今までこの会合には彼が代理出席してくれていました。(ちなみに私達は義弟(三男)の持っているマンションに住んでます。)なので私も主人も知らない事柄満載のムッシュZの話にそれなりの関心を持って聞いていたのだけど、1番後ろに座っていたユニークな顔の、やはり70前後の女性が割って入ってきたあたりから、だんだん話についていけなくなりました。だって彼女ったらまだムッシュZの話が終わっていないのに(というか、いつまでも終わらない恐れもあったけど・・・)3回も同じ事を言い続けたりするんだもの。でもそこで、業を煮やしたムッシュDが裁判長さながらにペンで机を何度か叩き「静粛に!!」と、暴走気味の2人をを収めてくれました。(やっぱりカッコいい)しかし・・・おしゃべりな人っていうのは、1度はじけちゃうと止まりません。(己を振り返っても、自分が今まで関わってきた人達を思い出しても、そう思う。)M夫妻に好意的ではありながらも、ムッシュZは本当にたくさんの質問をし続けました。挙句の果てにムッシュZが「ところでその穴のサイズは幾つですか?」と訊くと、生真面目なムッシュMは寸法を思い出せないらしく「えーと・・・たぶん事前にお送りした資料に書いてあるんじゃないかと思いますが・・・」と、とても困った顔をしながら応えました。でもそこで貴族出身の伊達男(60歳近く?)ムッシュDが「ムッシュZ、郵送で受け取っているこの紙を見てください」といいながらひらひら提示した紙には細かい寸法がイラスト入りで書いてあったので、みんな爆笑。(送られてきたものをよく読んでから質問すればいいのに・・・ムッシュZ。)結局50分の間、最後の最後になってまたもやムッシュZと最後列の女性が暴走しました。(彼女なんてわざわざ立ち上がって、ムッシュZの隣に移動してまで主張していました。)彼らの言う事は間違っていないのだけど、ふだん気づいた事を全ていっぺんに取り上げる2人にリードされた会合はごった煮状態・・・いかにも「おフランス」な光景に(笑)。またもやムッシュDがボールペンでテーブルを叩いて2人を鎮めてくれ、なんとか投票を始められましたけどね。結局M夫妻達に反対したのはマダムFの代理人ただ1人で、彼らの希望は通りました。(本当に良かったですね。)例の最後尾の女性が投票が終わるやいなやコートを着込み帰り支度を始めたのに、ムッシュZがそれからも何度も同じ話を蒸し返して会合を終了させないので、彼女は立ったり座ったり自分も発言しだしたりで、そこが個人的にはかなり笑えました。私と主人はずっと聞いているだけだったけど、会が終わってからほぼ全員と軽くあいさつを交わし、その気になれば誰でも気軽に発言できる管理組合の雰囲気とムッシュDの有能さに満足して家路につこうとしたら・・道端のピンクのお花に気づきました。私が「最初は桜かと思ったけど、梅の様な気もする」と言ったら、主人は「梅・・・ウメシュが飲みたいなぁ・・」と呟きました。私が内心「日本食レストランに行きたいな」と思っていたらディノもそう声に出して言ったので、2人でシャンゼリゼまで出て食事をし、それから思いつきでふらっと「Juno」を観て深夜に帰りました投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.28
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この間(といっても2週間くらい前)お昼過ぎに何気なくテレビを点けたら、日本生まれのあの方が目に飛び込んできました。モンチッチ!!私はテレビの前に釘付けに・・・というのも、以前の日記にも書いた通りいま私のパリの家には幼少時代からのモンチッチがいるのですが、ここ最近になって「あれ?」と思っている事があったからです。この写真の通り、私のモンチッチの背中には、ぬいぐるみにありがちなラベルの様なものが縫い付けてあるのですが・・・そこには何故か「Kiki」と印字されているのです。その事は何年も前から知っていたくせに、モンチッチに興味ゼロの私は全然気にせずにいました。・・・が、先日ふと思ってその文字の下を見てみたらなんと!!擦り切れかかったラベルの端っこにかろうじて残っている「Made in France」の文字が読めたのです。確かにこのモンチッチは私が4~7歳の間フランスに住んでいた時から所有していたけれど、きっと渡仏前に日本で買ってもらったか、それとも日本の祖父母達がプレゼントで送ってくれたものなのだと思い込んでいました。まさかモンチッチがこの地でも製造・販売されていたなんて・・・近年フランスで人気のキティちゃんよりも先に上陸していたの???番組内では数分間様々な写真を見せつつ、モンチッチの紹介をしていました。その中でも面白いかなと思ったのは、浦島太郎になったモンチッチ・・・よくも悪くもハマっていると思いませんか?(キティちゃんではこうはいくまい!)ありとあらゆる種類のモンチッチのうち、こんな感じのも画面に写っていましたよ。ちなみに日本でつけられたオリジナルの名前「モンチッチ」の由来は「モンキー」の「モン」に、おしゃぶりなどを吸う時の擬音を合体させたもの、フランスでの名前「キキ」は「rikiki」から来ているとか。(「rikiki」という言葉を知らなかったので辞書で調べてみたら「ちっぽけな、貧相な」と出ていました・・・・。)モンチッチの特徴といえば体に動物的な部分と人間的な部分があるところで(私はそこが苦手なんですが・・)ぬいぐるみなのに「着せ替え」をできるところが人気の出た秘密なんだそう。写真だと分かりづらいかもしれないけど、私のモンチッチのボディーの部分は「毛」というよりも擦り切れたフェルトみたいになっています。私は昔からモンチッチの写真を見るたびに「うちのモンチッチと写真のモンチッチは全然毛並みが違うなぁ。私のは古いからかな?」と思っていたのだけど、もしかしたらフランス製のは日本製のとは違う素材で出来ているのかもしれませんね。(この辺、古いモンチッチを持っている人の情報求ム!!)それにしても・・・以前の日記にも書いた通り、このモンチッチは6年前に母が詰めてくれたダンボール箱の中になぜか紛れ込んで、私の居るフランスまでやってきたという経緯があるのですが(私にも母にもダンボールにモンチッチを入れたという記憶は無し)、もしかしたら生まれ故郷に戻ってきたかったのかもしれませんね・・・。ぬいぐるみに優しい私なのに、どうしても「ダサダサ」としか思えなかったモンチッチ。(特に私のは毛並みが最悪で全然魅力的に見えないのです。)でもこう考えるとけなげに見えて、大切にしようと思えてきます。こちらがArteというチャンネルのホームページ内のモンチッチに関する記事。写真が1枚しかない上、概要しか書かれていませんが、興味のある方はどうぞ。http://www.arte.tv/fr/connaissance-decouverte/chic/petite-histoire/1907778.html投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.27
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ジュリアン・シュナーベルの「潜水服は蝶の夢を見る」は、フランスでは去年の3月に公開されていたのですが、今年監督部門と外国語作品部門でゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー賞とセザール賞にもノミネートされていた(*注)のを受け、先週水曜からパリの幾つかの映画館で再上映されているので、観てきました。(*注 今月22日には、マチュー・アマルリックがセザールで主演男優賞を受賞。)デプレシャンの「そして僕は恋をする」(1996)は気に入っているけど、ここ数年になってなぜか主演のマチュー・アマルリックがあまり好きではない私。そして、役者さんの顔の見分けがヘタな私。(さすがにこの映画に出てくる女優さん達は個性様々だったので大丈夫だったけど・・・それでも何度かとまどった瞬間があった為、ストーリーが混乱してしまいました。)こんな状態だったので細かい部分までは見尽くせなかったのだけど、それでも観てよかったです。映画は、脳梗塞で倒れたジャン=ドミニク・ボビーの、左目以外の全身が麻痺して以降の日々を描写しつつ、彼が実際にまばたきで記した作品「潜水服は蝶の夢を見る」の世界を、様々なジャンルの映像と音楽で華麗に表現していました。中には「クリップみたいだなぁ」と思わされるところもないではなかったけど、まさしく映画館で観るにふさわしい作品です。(でもDVDも欲しいかも・・。)また、個人的な話だけど、今年に入ってから義母が一時的に入院していたり、実は数年前に友人が同じ様に倒れた事があったので(不幸中の幸いで今は一応仕事に復帰しています)、余計に健康や生命の重みについて考えさせられました。私がこの映画を観に出かけた理由には、実はジョニー・デップが褒めていたからというのもあるのですが・・・もしも最初の予定通り彼が出ていたらどんな作品になっていたのでしょうね?マチュー・アマルリックよりもジョニー・デップで観たかったというのも本音ですが、ELLEの編集長に起こった実話がベースの作品なのでこれで良かったのだとも思います。観にいくか迷っている人が居たら勧めたいし、サントラを買いたいなとか、夫に本をプレゼントしようかなとか思わされる映画でした。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.26
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すいません・・去年あれだけ(この辺の日記参照)ノリにのっていたはずのプール通いなのに、気づくとストップしていました。しかもいまだに、要ダイエットの主人(しつこい様だけどあくまで「美容のため」ではなくて「健康のため」)を、1度も連れて行ってなかったのです。が、一冬を乗り越え、自分のボディーラインのおばさん化にまたもや急に焦りを感じてきていたのも手伝って、先週ようやく主人をプールまで引率してきました水着をどれにしようとか、本は3冊持っていってもいいのか、などどうでもいい事を悩んでいるディノの身支度を待ちに待って、やっと出発!ロッカールームとシャワーが男女共同(着替えは各自キャビンで)なので足並み揃えて準備する事ができました。2人してプールに入り淵につかまりながら「泳ごうか」と言って、水泳スタート!一緒に海に行った事はあっても、実はプールは今日が初めて。主人の本気の水泳を、ようやく見れる事になります。私はいつもクロールで泳ぐのですが(それしかできないから)息継ぎは右側に顔を上げながらします。主人はちょうど私の右側に泳いでいたので、様子をちらっと見るのに都合がいいなぁなんて思い、水面から顔を上げると・・・バタ足をしながら、手を犬かきの様に動かしている主人が目に飛び込んできました。お・・・おかし~っ!主人のプヨプヨした体が懸命に動いているのが面白すぎて、私は本気笑いに・・25mを泳ぎ切る事ができませんでした。ごめんね、ディノ。でも今思い出しても爆笑してしまうくらい、ウケたのよ・・・。実はディノ、きちんとした水泳を習った事が無いらしい。(ド田舎の実家の庭には、小型プールがあったのにね。)でも私もフランスで小学校1年生をしていた時何度かプールに引率されたけど指導らしい指導を受けた記憶ないものね。顔をあげたまま犬かきスタイルの手ぶりで泳ぐなんて体力消耗しそうだけど、こちらの学校が日本みたいに厳しく体育指導をしているとは思えないし(いいよねぇ・・羨ましい・・)こういう泳ぎ方しか出来なくても仕方ない事なんだろうなぁ。もちろんこんな事本人に言えないので黙っていましたが、実はその後にまた一緒に泳いだ時も、その後も、その後も・・・・主人が右に居るとつい毎回笑ってしまって、どうしても25mの途中で立つ事になった私でした。次に行く時は大丈夫かなぁ???(主人が背中に居るのに書きたい放題の私。こういう時日本語って便利。)そういえばディノと出会った頃も、その独特の感性と喋り方が面白くて私はよく意味もなく笑っていたのです。決してロマンチックではないけど(むしろ逆)、昔を思い出した私でした。あと全然関係ない話だけど、日本人とは感覚の違うディノは時々プールの淵で私に抱きつくようにしてくるので、「としまえん」の若いカップルじゃあるまいし、恥ずかしかったです・・・。そう言ってもイマイチ分かってもらえず、しかもディノは向こうの抱き合っているカップル(!ここ、ただの市民プールなのに・・)を指すだけでしたが・・・。次回はこれはしないでね!上の写真はブローニュ間近のポルト・ド・サン・クルーの小さな広場です。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.25
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お菓子更新ラッシュ、これで最後です。これは去年夏、フロリダに行かれたTさんからいただきましたガイドさんイチオシの商品だったそうですが、食べて納得。サクサクのビスケット(クッキー?)の上に付いていた、緑色のお砂糖が何より美味しくて、ビスケットから落ちた分も拾いながら食べました(笑)。今思うとお菓子自体の写真がなくて残念ですが、缶が可愛いので今でもとってあります。何に使おうかな?投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.24
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いつの間にお菓子ブログになったんだ???という感じですが・・・あともう少し、美味しかったものを紹介していきます。これ(写真を撮る前に表面が汚れちゃいました)は、確かスイス近くのスキー場に行った知人からいただいたものです。手にした瞬間はその形から「バームクーヘンかな?」と思ってしまったのですが、表面には「くるみのタルト」と書いてあります。顔を近づけるだけで香ばしい香りが漂ってきます。開けてみると、タルトというよりもパイといった感じのお菓子だったけど、くるみがたっぷりで最高でした。またいつか食べる機会があるのかどうかは分かりませんが、パッケージによるとメーカーは「Alpinoix」というフランスのものらしい事をメモっておきます投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.24
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これもロンドンからのおみやげでいただいた、ハロッズとフォートナム・アンド・メイソンの紅茶です。緑色の箱に入っているハロッズのお茶は予想を裏切らず、グリーン・ティー。フランスのスーパーでよく売られている中国風の「緑茶」が苦手な私にも飲みやすい、苦すぎないのに口がさっぱりする紅茶です。箱に書いてある通りミルクともよく合いますが、そうすると急に普通のダージリンとの違いが分からなくなります。(こう感じるのは私だけ?)正式名称は長いみたいで、箱には・・・Darjeeling Green Tea from Moondakotee Tea Gardenと書かれています。どうもヒマラヤで育てられたみたいです。 フォートナム・アンド・メイソンの方は「ロイヤルブレンドティー」です。日本版ホームページから抜粋すると・・・「ロイヤルブレンド」は、1902年の夏、エドワード7世(在位1901年-1910年)の国王即位をお祝いするためブレンドされました。北東インド、ブラマプトラ渓谷のアッサムGBOP(ゴールデン・ブロークン・オレンジ・ペコー)にセイロンFBOP(フラワリー・ブロークン・オレンジ・ペコー)を少々加えたブレンドティーで口当りの良い、コクのあるはちみつのような香りと深みのある金色が特徴の紅茶です。ミルクととてもよく合い、時間を選ばず楽しむことができます。う~ん・・分かった様な分からない様な・・・。とにかくこれもミルクと相性ぴったりで美味しいです。(個人的には牛乳を入れないとイマイチな感じがします・・・。)どちらも私がどんどん飲んでしまったので、もうほとんど残っていません・・。今度自分で買ってこよっと。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.24
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ちょっとフランスから離れてしまいますが、隣国という事で・・・イギリスからのお土産でいただいたフォートナム・アンド・メイソンの「イングリッシュシンビスケット(クロテッドクリーム)」です。いかにもバターたっぷりな感じが美味しく、我が家ではあっという間に品切れしました・・。決してまわし者ではありませんが(笑)パッケージも可愛いし、もちろん日本でも買えるし、ホワイトデーにおススメです。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.24
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つい一昨日、Fossier(フォスィエ)というメーカーのマカロン(フランボワーズ味)をいただきました。マカロンというと・・・大きすぎるものだと食べているうちにパサパサしているのばかりが気になってきたりで、ハズレも結構多い気がするのですが、このフォスィエのマカロンではそんな心配はありません。なぜなら、今まで見た事がない位小さいから。(フランス人の友人も一目見て「これ、マカロンというよりもメレンゲじゃないの?」と言っていました。)食べてみると確かにマカロンなのですが、小さいせいかいつもよりもサクサク感があって美味しく、甘味は控えめでお上品。1つを一口で食べ終えてしまう事もあってかなり後を引く、ダイエットには向いていなそうなお菓子でした。チョコ味でないお菓子を立て続けに5個もつまんだのは一体何年ぶりだろう・・。気になってちょっとネットで調べてみたら、すぐにフォスィエのサイトが見つかりました。http://www.fossier.fr/(サイト内では英語バージョンも選べます♪)フォスィエは創業250年の、シャンパーニュ地方はランスの老舗なんだそう。現地では見学ツアーもあるのですね、見てみたいな。今回私がフォスィエを素晴らしいと思ったのは、「創業250年」と書くととても高級そうなイメージがするのに、そういう訳でもないところです。ざっとネットで見た感じだとフランスのスーパーでも売っている様子だし、こちらのページ(http://www.bienmanger.com/1F2257_Macarons_Noix_Coco_Chocolat_Maison_Fossier.html)ではお手頃な値段で買う事ができます。(*注 私自身このページを使って買い物をした事はないので、安全性などについての責任は負いかねますが・・・あくまでも参考にどうぞ。)可愛くて、美味しくて、歴史があって、値段がお手頃だなんて、日本へのおみやげにぴったりですねあ・・・運んでいる間に崩れちゃうかな・・・。今回はとっってもいいものを教えていただいたので、ご報告でした。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.24
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私はあまりお菓子を食べません。なにしろ幼い頃から飴は食べたくなかったし、甘いものにあんまり執着がなかったのです。ただチョコレートだけは例外で、数年前までは「チョコレート命!チョコ無しに過ぎる日はありえない!」状態だったのですが・・・長く生きている間にどんどん飲兵衛になってしまったせいか、最近はチョコレートさえ食べない日の方が多くなっているのでびっくりです。もちろん疲れている時なんかに甘い物を食べると美味しいなぁと心底思いますが、「お菓子を食べよう!」とか「お菓子を買おう!」という発想に自分からは至りません。せっかくお菓子の本場に住んでいるのに・・・。なので日本から遊びに来た友人に「お土産を買いたいから、美味しいお菓子を知ってたら教えて♪」と言われると困ってしまいます。めったに自分で買わないお菓子についてブログで書くのはずっと躊躇していたのですが、今後のための覚え書きとして、ここ数ヶ月にいただいたものの中から美味しかったものを連続アップしたいと思います。まずはいかにもおフランスな、そして日本でも知られているジャン=ポール・エヴァンのトリュフです。(写真は外箱と、その中に入っていた缶です。)最初に食べた時は甘みが足りない気がして私も主人も素直に「美味しい」と言う言葉が出てこなかったのですが、しばらくしてからまた食べたら、クリーミーさと控えめなんだけどしっかりしているコクにやみつきになりました。270gも入っていたし、お菓子担当の主人は「私がもらってきた」という事実に遠慮してあまり自主的に食べなかったので、箱の裏に「12月末までに食べるといい」と書いてあったのにも関わらず1月半ばまで残っていましたが(・・・最後の数粒は味が落ちてたかも・・・)、長い間に渡って美味しい思いが出来て良かったです。日本のジャン=ポール・エヴァンのホームページはこちらです。http://www.jph-japon.co.jp/#追記:「ジャン=ポール・エヴァンが認めた、最もチョコレートに合う日本酒」を見つけました。エヴァン氏おススメの飲み方が出ています。これを見て、そういえば今から10年前の私は友人達との飲み会の最中にチョコレートを食べていたなぁ・・・なんて、思い出してしまったり。今思うとお酒とチョコだなんておかしな組み合わせなのだけど、当時は他のみんなもお酒飲みながらチョコを食べてたね・・・もしかしたら意外に合うのかな?投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.24
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こちらの日記の通り、今回ディノがノルマンディーからパリの家に戻ってくるまでには莫大な時間がかかったのですが、帰宅寸前に撮っていた写真が出てきたのでアップします。(そういえばこの日、待ちかねた私がスーパーへ出かけようと雨戸を閉めかけたところで、ディノの姿が見えたのでした。)・・・本を読みながらちんたら歩いてきたのね、人の気も知らないで投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.23
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主人がノルマンディーの実家からパリへ戻ってきたのは今から一週間前の事だけど、今回は「あまりにも・・・」な事態で、かつ「あの夢(1つ前の日記に書いた夢)は何かを暗示していたのかしら」と思ってしまう感じだったので、記録してみます。元々は2月14日(木)に戻ってこようかなんて考えていたらしいディノ。その日受け取ったバレンタインのカード(何度も催促して送らせた)にも「後で会おうね」なんて書いてありました。が、その日の夕方になっても彼はまだ実家に居ます・・・・パリまでは確か車で4時間以上かかるのに!!私は、ディノが遅い時間(真夜中)に戻ってくるのが好きではありません。「今か今か」とずっと待っているのもツライものがあるし、荷物を家に降ろした後に駐車できる場所を探しにまた出て行く(*注)彼を再度待っているうちにもどんどん夜は更けていくし、変なところで潔癖な彼は持ち帰った荷物を全て片付けてからでないと寝られないから結局バタバタしたあげくなんとなく疲れて、再会の喜びが薄れてしまうのだもの。(*注)私達の住んでいるマンションには駐車場がないので、車はふだんはディノの実家に置いています。パリまで乗ってきてしまった場合には路上駐車しなくてはならないのだけど合法的な場所はいつも混み合っているので、空いているところを探すのが大変です。本人も暗い中を運転してくるのは気が進まないらしく結局翌15日にパリに帰ってくる事になりました。(ディノ自身もそんな予感があったのか、実はカードには「後で会おうね」の言葉の後ろに「今日か、明日か、1ヶ月後に・・・」とも書いてあったのです。それが当たった形になってしまいました。)そしていざ迎えた15日。この日もディノは準備と行動が遅く、結局我が家に着く時間が深夜を越える見込みになってしまいました。私はイライラ。電話でそんな気配に気づいたディノはとんでもない提案をしてきました。「ぼくが遅く帰るせいで再会の感動が減るのが嫌なんでしょう?だったら・・・ぼく、今夜はブローニュ(パリの真隣の町)のアラン(弟)の家に泊まろうか?」・・・・。確かにアランはまだノルマンディーの実家に居て彼の家は空き家状態だから物理的にはそれも可能なんだけど・・・・私そこまで鬼じゃないよ。「お昼すぎには出発するよ」と言ってたくせに実際には19時過ぎに出発したディノには腹が立っているけど長旅で疲れた主人を家から追い出す訳ないじゃないの・・。その案は却下したものの今回は「またか!」と、かなり腹が立っていたので、彼が戻ってくる前に眠りに入ってしまう事にしました。(ちなみにこれを提案したのはディノです。私にブツブツ文句を言われるよりは寝ていて相手にされない方がいいと思ったのでしょうね・・・。)ところが(ディノ程ではないけど)かなり行動の遅い私。ベッドに入ったのは真夜中の零時過ぎ。しかもすぐには寝付けずもう一度トイレに行こうと思って体を起こしたらドアの方から鍵の回る音が・・・。しまったぁーーっ!遅かった!久しぶりに会うのに(ノーメイクなのは、家に居る時いつもだからいいとしても)寝巻き姿だし、頭はバサバサだわ!!こういうのも嫌だから、いっその事寝ていたかったのに!!焦った私は背中を向けて数語を交わしてから、「こっちに来て」と言い、電気の消えている寝室に向かいました。急に暗いところから明るいところに出ても眩しいだけだし、こんな寝ぼけまなこで顔を合わせたくなかったからです。暗闇の中で手を繋いで、ディノと少し話をしました。すると彼は、「駐車できる場所を探してみたけど、見つからないの。もう少し頑張ってみるけどもしどうしても無かったからやっぱりアランの家に行ってそこの駐車場に車を停めてくるね。その場合には(終電ももうじきなくなるし)、アランの家に泊まってくるよ」なんて言うのです。せっかく帰ってきたと思ったのに、私はびっくり&がっかり。私はその後すぐに睡眠につきましたが、それはディノが夜の間に戻ってくるのか(=これは近所に路駐できた場合)、それとももう明日まで帰ってこないのか(=車もディノも、弟の家で一夜を明かす場合)を気にしつつ、かつ「もうこの間の様な夢は見たくない!!」という変な気合いも入れつつの、どこかヒヤヒヤしながらのものでした。結局、その晩ディノはアランの家で寝たのですが・・・・。弟のアランの家に深夜過ぎに着き翌日は寝坊したいだけ寝坊し、そこの郵便受けに溜まっていた手紙を選別したりアランが近所のお店に取り置きしてもらっている新聞を引き取りに行って、しかもその後それらを読んだりしていたディノが我が家に戻ってきたのはなんと翌日の18時過ぎでしたとさ。(最初に2人が理想としていた時間を48時間も過ぎてる・・・・。)普通の家庭の旦那さんがこんな事をしていたらその奥さんは「もしかしてうちに帰ってくるの、イヤなの???」と疑ってしまいそうですが、我が夫の体内時計は狂っているのでもうどうにも仕方ないのでした。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.23
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(上の写真は今日の日記の舞台になった我が家の廊下を、寝室側から写したところです。手前のドアの向こうがバスルーム。)体力の回復しきらない義母を手助けする為、つい一週間前までノルマンディーの実家に戻っていたディノ。義母を助けたいという思いもある一方で、パリの自宅に帰りたいという気持ちもあれば、私をずっと1人にしておくのが心配という焦りもあり、電話口ではいつも「もうじき戻るからね」と、繰り返していました。私としては事態が事態なだけに出来る限り義母のそばに居てあげてほしかったのに、毎日の様にそう言われるとディノがいつ・どの瞬間に戻ってくるのか分からない様な錯覚に襲われました。ディノが遠方から帰宅する日には家をきちっと片付け、食事もしっかり用意しておきたいので、予告なしに帰ってこられるのも夜中に戻ってこられるのも、かなり迷惑なのだけど・・・。そんなある日の真夜中、私が寝室のベッドで1人すやすや寝ていると、我がマンション内の廊下から足音が聞こえてきました。私は反射的に「もしや泥棒?!」と思い、どきっとしました。我が家は居間と寝室の2間しかないので、泥棒が貴重品(?)を探しに寝室までやってくるのは確実です。見つかったら目撃者として殺されるかも・・・隠れるのはムリだから、せめて寝ているフリをしよう。目をぎゅっとつぶりつつ、耳を澄まします。・・・あれ?泥棒さんなかなかこっちに来ない、おかしいなぁ・・・なんて思っていると、浴室から水音が聞こえてきました。な~んだぁ、足音の正体はディノか・・・。私を起こすまいと気を遣って、寝室まで来なかったのね。話しかけに行こうと思って体を起こそうとした私ですが・・・そこで目を覚ましました。そう、これは夢だったのです。やれやれと思って私はまたすぐに眠りにつきました。すると・・・また足音が聞こえてくるではありませんか!!もしや泥棒?それともディノ?とりあえずは正体が泥棒だった場合に備えて寝たフリをしなくては、と思って目を閉じて耳を廊下の方に傾けていると・・・あれ?また水音がしてる!!これはディノなんだ、よし、起きよう!!そう思った瞬間に・・・また目が覚めました。なんだ、また夢だったのか。そしてそれからすぐに気を取り直して寝入ったのですが・・・またもや足音が聞こえてきました・・・・。もうお分かりですね、ごめんなさい。これもまた同じパターンの、夢だったんです。という訳で私は翌日になって「『夢の中で見た夢の、またその中で夢を見ていたところ』から昨日の夢は始まったんだな」と思っていたのですが、今こうして書いてみれば、ただ単に同じ夢を3回見ただけなのかもしれませんね。他人の夢の話ほどつまらないものは無いとも思うのだけど、滅多に夢を覚えていない私にとってはなかなか忘れられないものがあったので、書いちゃいました。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.22
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ミケランジェロ・アントニオーニの「砂丘」(1969年)をLe Champoで観てきました。数年前にはシネマテークで特集があったり、パリでは何かと観る機会の多いアントニオーニ作品。だけど私は最初に観た「女ともだち」(1955)「太陽はひとりぼっち」(1962)「さすらいの二人」(1975)「愛のめぐりあい」(1995、これはヴィンダースとの共作)の4作品が個人的にいまひとつだったので「アントニオーニはもういいかも」なんて思っていました。でも去年アントニオーニが亡くなった直後に「欲望」(1966)が上映された時、過去にレポートの準備にと、映画を未見のまま一生懸命Jacques Aumontという教授の「欲望」に関する長~い記事を読んでいた記憶が蘇ってきたので「仕方ない」という気持ちで観にいったのです。そうしたらこれが私の中で大ヒット!こうして私は、今まで観た5本のうち1本だけがやたら気に入っているというおかしな統計を抱えつつ、「砂丘」鑑賞を開始しました。この作品も結局のところ、すっごく良かったです!私は映画を観るときにストーリーを重視するタチ。(なので黒澤映画が大好きだし、急に終了する感じのある市川映画には時々あっけにとられます。)あらすじらしきものがあまりない「砂丘」について書く事なんて私にはできませんが・・・不条理なお話なのに主人公達に同調している自分に驚き、どの瞬間をとっても絵になる映像に魅了され、最後にカタルシスと圧迫感の両方をおぼえて帰宅した感じでした。(ちなみに、隣に座っていた夫がストーンズなどに合わせて小声で歌うのがうるさかったです。幾ら観客が私達を入れて6人しか居なかったからってねぇ・・・。)最初に観た4作品だけでアントニオーニを放棄しなくて、本当によかったです・・・。日本では、この右側の写真が有名ですよね 投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.21
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(1つ前の日記の後日談です。)それから私は地方大学で期末試験の残りの科目を受け、7月の初めにはパリのホテルに泊まりながら家を探しました。在パリ中に友人からの電話で私が今年度の学年を修了できたと教わり、とても安心したのを覚えています。この時はまだ要領が悪くて部屋を見つけるのにとても苦労しましたがそれでも何とかクリアし、地方の自宅に戻る前に「滑り止め」のつもりで、第二志望の大学に「とりあえず」の学生登録もしておきました。(これには2~3万円しかかからなかったのですが、後日、期限内に入学をキャンセルしたら全額返してもらえました。)7月末には荷物を全部郵便局まで運び、私自身はテレビと一緒に(!)列車に乗り、遂にパリへお引越し。とても親切だった大家さんとお別れの挨拶をしてから涙が止まらなくなったのは一生忘れません。パリではまだ知り合いがほとんど居なかったものの、7月末から9月の間に日本の友人達が2組パリへ遊びに来たり、また数少ないフランス人友達のそのまた友達を紹介してもらって一緒に飲んだりしていました。そしてその間に滞在許可証を更新しに行くなどの事務的な手続きをこなし、また、引越し先の住み心地が最悪で色々気を揉んだりで、いい事も悪い事も含めて毎日があっという間に過ぎていきました。9月半ばには本命の大学から編入許可の手紙が届き、10月4日には正式な登録が完了!そこは今まで漠然と「入ってみたい」と思っていた大学で、しかもここで私は、ずっと名前だけしか知らなかったけれどお会いしてみたらサイコーだった教授の指導を受けながら、論文を書く事ができる・・・信じられないくらいだけど・・・夢って叶うんだな・・・。1年目にはあらゆる人達のお世話になりっぱなしで、でもそのおかげで色々乗り越える事ができました。もちろん思い出したくない様な辛い出来事だってあったけど実際問題、この時期から数年の私は本当にツイてたのだと思います。私は自分の事をずーーっとあまり運が良くないと思っていたのですが・・・なので日本を経つ前に母がカードに書いてくれた「自分をラッキーな人間だと思って頑張ってね」という言葉もどこか他人事だったのですが・・・今ならそう思う事が、できます。ひたむきに行けば道は開けるものだ、とも。(ただしここ数年はぬるま湯に浸りっぱなしですけど・・・。)それも留学生活の収穫の1つかな。本当はパリに来てからの方が私の留学生活の本番なのですが、序章部分がとてつもなく長くなってしまったので、そのお話はまたいつかにしようと思います。この記録は、留学前に不安だった自分を思い出してこの経験が誰かの役に立てばと思い、また、自分の人生の大事な一時期を振り返ってみたいとも考えて、書き始めました。なかなか難しかったですが、でもとにかく、これ以上忘れる前に記せておいて良かったです。読んでくださった方々、ありがとうございました。投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.20
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(1つ前の日記の続きです。)こうして面談はとても穏やかに、でも双方がなんとなく興奮しながら進みました。1週間前まではただの「夢」だったものが「近い現実」に変ったのに驚きつつも、その実現性にようやく確信を持てた私は、数日後の期末試験対策のために今日これから地方の自宅に帰るという事を告げ、来月にはパリに来て家探しをするとも宣言し、握手をして教授宅を後にしました。今になって一層不思議に思うのは、教授がこの最初の面談時から私を100%信頼してくださった事です。私自身はフランス語で100枚前後の論文を書けるのかどうか不安で仕方なかったのですが、先生の頭の中にはそういった考えが存在しない様子でした。(ちなみに私が「フランス語で書くのは大変」と言ったら「もしも英語で書く方が楽ならそれでもいいですよ。私が翻訳してあげます」とおっしゃってくださいましたが・・・それはさすがに本当だったのかな)その時の私には「論文の完成」という1年後の課題よりも、目先の「期末試験のクリア」や、「書類専攻をパスして正式に編入許可を得る」などの課題が山積みだったのですが、その話をしても教授は「大丈夫」という確信を持っている印象を受けました。もちろん、他人事だからというのもあるのかもしれません。でも教授からは一度もそういった態度が感じられなくて・・・私はその後も何度も精神的に救われるのでした。さて話を戻して・・・先生のおうちを出た私は晴れた空の下の美しいパリの町並みを歩きながら、心が舞っている様な不思議な感覚を受けました。今でもその界隈を歩くと、この時の気持ちが蘇ってきます。公衆電話を見つけたので日本の母に今日の様子を報告し、さらに嬉しい気持ちになりました。・・・とはいえ、先生のお宅から数分のところに郵便局を見つけると、パリから3時間もかかる自宅から持ってきた封筒をおもむろに出し「万一」の場合の滑り止めにする為の他大学の願書を送付したのですが(笑)。この時はなにしろ毎日本当に時間がなくて、私は地元の郵便局にさえ行きそびれていたものですから・・・。(このシリーズはあと1・2回だけ続きます。)上の写真は昨日に引き続き、ノートルダム寺院です。ヒコーキ雲がお気に入り。投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.19
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(1つ前の日記の続きです。)そこで、教授に私の論文指導を引き受けていただけるのかどうか(=私の大学院編入がかかっている)を聞いてみました。するとやはりその気でいてくださったらしく、ここから急に編入に関する事務的な話が始まりました。この頃になって私は、この先生は研究者肌で興味のある話(今回で言えば論文の計画など)が出るとそこにのめり込んでしまう方なんだなと実感していましたこの段階の私にとって、論文の内容を煮詰めるのももちろん大事ですが、指導教授を確保する事と、その教授の在籍する大学から編入を承認してもらう事は必須でした。指導教授は見つかったので、今度はこの先生が教鞭をとっている大学から編入を承認してもらう必要があります。この大学の願書最終受付日は9月、正式な編入許可が出るのはもちろんその後なのでずいぶん先になります。早く安心したいのになぁ・・・。・・・それにしても、願書を受け取った大学は一体何を基準に学生を選別するのでしょう?せっかく前々からお名前だけ知っていて(これも何かの縁でしょう)、しかも私の論文にとても乗り気で親切な方に論文指導をお願いできる事になったのに、大学側の書類審査で落ちる事もあるのでしょうか?(これはその前年に、一足先に大学院留学を始めた私の友人も抱いていた不安です。そして当時の彼女が言うには、誰1人としてこの質問に対して明確な答えを言えなかったらしい・・・。日本ではどうなのか知りませんがこういったところがどうも不透明です、フランスは。)私が不安になってこの質問を投げかけると、教授ご自身もこういった事務的な事には詳しくないらしく、ちょっとだけ考え込んでいました。(少なくとも、私にはそう感じられました。)でもすぐに「大丈夫です。大丈夫なはずです。私が論文指導をすると決めているのですから」とおっしゃいました。私もそう聞いて「そうだな」と何となく納得しました。そして、願書に教授からの推薦文を添付する事を考えつき、用意していただける様お願いしました。先生は私の目の前でサラサラッと手紙を書いてくださいました。(続きます。)こうして私のパリ生活がほぼ確定したワケですが・・・上の写真はある意味パリの象徴(?)のノートルダム寺院です。投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.18
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(1つ前の日記の続きです。)ついに見知らぬ、でも親切そうな教授のご自宅のドアの前に立つ私・・・そう、なんとこの日私達が会う約束をしていたのは、大学ではなかったのです。面識のない方に論文指導をお願いしに来たのでもちろん緊張していたのですが、着いたのが待ち合わせ時間ギリギリになってしまったのでためらうヒマもなく呼び鈴を押しました。すると出てきたのは・・・背が高く細身で清潔感あふれる、広いおでこの下の眼鏡の奥の優しい瞳が印象的な方。(ずいぶん経ってから、私の母と同年代と分かりました。)玄関を入ってすぐ左手の小綺麗な居間に通された私は勧められるままにソファーに腰掛け「何か飲みますか?」と聞かれたので一瞬迷ったものの、お水をお願いしました。お天気が良いこの6月の日に急いで歩いたせいで汗ばんでいたし、いざ座ると急にドキドキ緊張してきたので、とにかく「何でもいいから」「何か」が欲しくって・・・。教授がお水の入ったコップを持ってきてくださると私は改めて簡単な自己紹介をし、論文の計画について話し始めました。とはいえ、この間計画書を送って以来なんの進展もないので「書いた事を繰り返すだけになってしまうなぁ・・・」とちょっと困っていたのですが、なんと教授が私の論文にかなり乗り気で、ご自分が今までに吹き替えや字幕について気づいていた事についてペラペラと話し始めるではありませんか。私としては正直、とても助かりました。この教授とお話ししている間に私の不安感はどんどん、予想外なぐらいに拭われていきました。以前にも書いた通り私は「資料の少なさ」にもちょっと困っていたのですが、先生はご自分の著書の中に映画吹き替え用の翻訳をしている人達について書いた章があるからと言って、題名を教えてくださいました。ある種の偶然で私が論文計画書をお送りしたこの教授、実はすでに吹き替えに興味を持っていらしたのね私って本当にラッキーだなと思いました。資料の少なさを補う為にも、そしてせっかくフランスに居るのだから、私はやはりできるだけ自分の足で調べていきたいと思っていたのですが、先生はその考えに賛成して、映画字幕や吹き替えの為の翻訳をしてきた方達の連絡先を教えてくださいました。すごく幸先がいいわそんな調子であっという間に1時間半が過ぎました。教授が(まさにお手紙に書かれていた通り)私の論文を手助けしたいと思ってくださっているのがとっっっても良く分かったので、今日の時点で話し合うべき事と言えば、あとは実質的な事、つまり私の「指導教授」になっていただけるのかどうかを確認するだけになりました。実はかなり盛り上がって話していた割に、この点については一切話題に上っていなかったのです・・・。(続きます。)上の写真は私が大好きなサン・ミッシェル界隈です。投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.17
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(1つ前の日記の続きです。)封筒の消印や当時のスケジュール帳から推測するに、このお手紙を受け取ったのは6月10日の出来事だったのではないかと思います。それはちょうど後期試験の真っ最中で・・・そう、試験最終日は6月17日だったのです。なので編入準備に時間を取られて試験対策が思うように出来ていなかった私は、お手紙を読んだ時反射的に「今、片道3時間もかけてパリまで会いに行くのはキビシイから来月にお会いしよう」と思っていました。以前にも書いたけれど、せっかく編入先が決まってもこの学年を留年する事になってしまったら意味がないですからね。(夏休み明けの追試を受けるという手段もあるにはありましたが・・・。)でも面会を先に延ばしたいという気持ちの裏に「自分に自信がないけど、お会いするのを来月に持っていけばその間に色々準備できる」という気持ちもあったのは確かです。なのに・・・それからすぐ日本の母に報告の電話をして気持ちが更に興奮してくるにつれ、そして先生からのお手紙の「その前後」という文字の「前」の字の真下にアンダーラインが引いてあるのに気づくにつれ、やはり「善は急げ」で、試験があろうがなんだろうが今週中の面会をお願いしようと思うに至りました。思い切って教授のおうちに電話してみると、落ち着いた温かみのある声の男性が出てくれました。なんとそれがご本人!!もちろん私の事を覚えていて、ご出発の前にお会いしたいと言うととても乗り気でした。(ほっ。)そしてその週の14日(金曜日)を提案いただいてからいったん電話を切り電車の時間について調べに駅に向かいました。その道すがら私は、お天気のいい日にすごく嬉しいニュースを抱えていたので、もしも走ったならスキップになってしまいそう。窓口でパリに向かう列車数本の時刻を教えてもらってからまっすぐ帰宅し教授にもう一度お電話して会う時間を最終決定しました。そしてその4日後には・・・パリの中心部にあるお洒落なアパルトマンの4階のドアの前に立っている私が居たのです。(続きます。)上の写真は、先日RER(郊外電車)の駅を降りた時に目に映った光景です。相変わらず影が長いのでうまく伝わらないのですが・・・鴨もいてとっても素敵駅前がこれだなんてさすがは高級住宅地ねぇ。投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.16
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(1つ前の日記の続きです。)びっくりした私はすぐに封筒を開けました。(今でもこのお手紙はもちろん、幸運を運んできてくれた封筒も大事にとってあります。)早速読んでみるとこんな内容でした。「お手紙ありがとうございます。あなたの計画はとても興味深いので、手助けをしたく考えています。この研究は多くの人々に有用なものになると思いますよ。つきましてはアポイントを取るために、私にお電話をいただけますか。私は6月15日から30日までパリを留守にしますので、その前後にお願いします」やったぁーー!!落ち着いて読み返すと、この手書きのお手紙にはな部分がありました。手紙の頭にはフランスの手紙作法にならって、差出人(=教授)と受取人(=私)の名前と住所が書かれていて、教授はご自分の住所の下に電話番号とメールアドレスも明記してくださっているのですが・・・なんと教授は手紙の2枚目の最後の文章の後に、もう一度改めてご自分の住所と電話番号を書いているのですおそらくたぶん急いで書かれたせいで重複してしまったのでしょうが、私にはそれがまるで教授が私からの電話を真剣に待ってくださっている証拠の様に思え、励まされました。忘れられない瞬間の訪れたこの日はいいお天気で、私は大好きだった自室に居たのをよく覚えています。(続きます)投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.15
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(3つ前の日記の続きで、留学生時代の回想です。)ようやく(ここまで読んでくださった方もお疲れさまです)、手紙・論文計画書・履歴書・返信用封筒などのセットをパリの大学の教授4人に送り終えると、大仕事をした様な気分になりました。・・・が、ゆっくりしている時間はありません。実は、肝心の後期試験は私が教授達に送る書類を準備している間にもとっくに始まっていました。・・・たとえ編入先が決まっても、この学校のこの学年を今年いっぱいで終わらせないとそのイミが全くなくなってしまうのだから、なんとかしなくては。がんばるぞそんな私の手元に、1通の封筒が届きました。それを見た瞬間に「これは私が教授達に送ったものだ」と認識して、私の胸は高鳴ります。差出人は偶然にも、1年以上前に私が飯田橋の日仏学院の図書館で映画について書かれた本のコーナーを見ていた時に唯一、名前を覚えた教授でした・・・。(続きます。)1番上の写真ですが・・・晴天続きだった今週のパリ。気温はまだ低いものの、急に春めいています。桜に似た花が咲いていたので撮ってみました。投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.14
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市川崑監督が亡くなりました。今思えばここ数年のパリでは意外なほど市川崑の作品を観る機会が多かったし、私と主人が仲良くなるきっかけも2003年の2月にパリで行われた市川崑特集でした。今からちょうど5年前の日々を、ちょっとだけ振り返ってみたいと思います。(ちなみにこれは、今書きかけの留学時代の回想《つまり、留学1年目が終わろうとしていて、パリの大学に編入しようとしているところ》の翌年の事です。)その頃パリ日本文化会館では80年代・90年代の日本映画特集が組まれていました。念願叶い、文字通り「手探り」ながらも字幕と吹き替えについての論文を準備し始めた当時の私は、少しでも多くの日本映画を観ようと決めていたので、1月28日を皮切りに毎日2本の映画を観に、日本文化会館へ通っていました。この特集の事を教えてくれた友人ダニエルと鉢合わせすると、上映後に意見交換をする事もしばしば。2月6日に是枝裕和の「ワンダフルライフ」(1998)を観た後もそうでした。作品に満足した私とダニエルがエレベーターを地上階で降りると「ダニエル!」と呼ぶ声が。その主は、大きな体をでっかい黒コートに包んだ、伸び放題の髪の毛がボエームな感じの男・・・つまりはディノでした。簡単な自己紹介をした後に、ディノが一緒にいた日仏ハーフの青年も交えて4人で会話をしたところ、ディノが日本に対してとても興味と情熱を持っている事が分かりました。「大声で夢中になって喋って、面白い人だな」と思いつつ、少々呆気に取られる私。でも割と好印象を受けました。途中でディノが「今夜は『カルチェ・ラタン』にコン・イチカワの映画を観に行くつもりなんだ」と言った時、私は少し驚きました。(映画館「カルチェ・ラタン」についてはこちらに書きましたので、どうぞ。)実は私もその市川崑特集はチェック済みで、その夜早速「ぼんち」を観る気マンマンだったから。「私も観るつもりなんですよ」と言ったものの、22時の回まではまだ何時間もあったので、私は家に帰ってから出直す事に。時間はたっぷりあったはずなのに、夕食を食べてから映画館に向かうと到着が上映開始ギリギリになってしまいました。入り口で急いでチケットを買い地下にある上映室に走ると、昼間に出会ったディノが私に気づいて手を振ってくれたので、そちらに向かいます。私が移動する最中にも部屋の明かりがスーッと消えていったので、ディノと同じ並びには座ったものの会話らしき会話はしないうちに映画が始まりました。1960年のこの作品は市川雷蔵演じる「ぼんち(「ぼんぼん」と同じ意?)」の主人公の一見華やかな女性遍歴を中心に進んでいきます。以前にも書いたけど・・・この翌年に増村保造が撮った「好色一代男」と途中の経過がかなり似ているのよね。役者も私が今思いつくだけで市川雷蔵、若尾文子、中村玉緒、あと一応船越英二がかぶっているし。そういえば、ディノが夢中の若尾文子を私が知ったのもこの時でした。「ぼんち」は途中でちょっと長く感じられたけど、豪華なキャストのおかげもあって見応えのある作品。満足した私はその翌日以降も「炎上」(1958)「鍵」(1959年)「破戒」(1962)「雪之丞変化」(1963)を観ました。ほとんど毎回、ディノと一緒に。後に私が「時々よく分からない作品を作る」と思うに至ってしまう、作品の完成度にムラのある市川崑だけど(すみません・・・)、この時に観た映画はどれも濃密な人間関係を描いていて良かったです。個人的には「破戒」がとてもスジの通った作品だったのと、身近に居る人の事を考えながら、つまり感情移入しながら観たのとで、1番よく覚えている・・・かもしれません。実は当時はディノと恋愛をする日が来るとは思っていなかったけど(ごめんね)、2人で何度も「カルチェ・ラタン」で会ううちに、彼のとにかく誠実で優しく面白いキャラクターがとても気に入ってきたのは確かです。日本文化会館の「80年代・90年代映画特集」のおかげで(ダニエルの他にも)ディノと共通の知り合いができたし、実はこの2つの映画祭は結婚へ向けてのとても控えめな序章だったのかもね。長くなりましたが・・・こういう訳で「ぼんち」は私達にとって、「『初デートの、特別な思い出のある映画』として君臨すべき作品」なのです。当時何も考えていなかった為、この思い入れは思いっきり後付けでけど・・・。おまけ写真です。これはディノが当時、自分の予定を書くために自宅で使っていたボード。「2月7日22時に『炎上』(を観る)、または『Djakarta Bali』でディナー」と、書いてあります。そう、これは私達が出会った翌日の予定なんです。この「予定」は5年経った今も消えていないのですが、それはディノが私との初期の思い出を大切にしたいからではありません。彼はなぜかこの日、この文字を油性ペンで書いちゃったんです。だからもう消せないんですって・・・ま、あなたの人生から私が消えなくなったのと同じね。(フフフフフ・・・。)ところで「『炎上』または『Djakarta Bali』で」って書いてあるけど・・・「Djakarta Bali」っていうインドネシア料理のレストランに行こうかと思ったのは、私となの?それとも???帰ってきたら聞いてみよっと。投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2008.02.13
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だってどうやら義理チョコとか無さそうだし、なんと言っても日本とは違って男性が女性に何かしらのプレゼントを贈る日なのだもの。今までで1番嬉しかったのは今から3年前のバレンタイン。ディノがをくれたんです。(画像がイマイチなのでよく見えないけれど、花束の下の部分のビニールは袋状に膨らんでいて、中にはお水がたっぷり入っています。ラッピングが花瓶の役割を果たしてくれているというワケ・・・お水の交換をできないのが困りものだけど。)彼は「真実の愛(よね?)」という花言葉を知らなかったみたいだけど、私は赤い薔薇のみで構成された花束をもらうのが初めての経験だったので感激しました。ちなみに3年前とは打って変わって私、去年と一昨年には何をもらったのか全然覚えていません。たぶんバラを一輪+食事だったんじゃないかなぁ?「3年前はバラの花束、その翌年以降はバラを一輪のみ」と言うと、どこかから「そうそう、付き合いが長くなるとそんなものよね」なんていう声が聞こえてきそうですが、違うんです。別に3年前が特にアツアツで、その後だんだんダレてきた訳ではないんです。だって、3年前にディノが花束を用意してくれたその理由ってただ単に・・・遅い時間にお花屋さんに行ったら「1本単位から買える薔薇」が既に売り切れていて、薔薇といえばもう花束になったものしかなかったからなのです・・・。その日は「うちの息子はバレンタインの事を忘れているんじゃないかしら」と私のために気を遣ってくれた義母が、そして「早く行かないとバラ売りの薔薇が売り切れてしまうわ」と主人のお財布まで心配した義母が、午後イチでディノに「とっととバラを買ってらっしゃーい!!」と電話してきていたらしいのに・・・やっぱり出遅れたのね。ディノらしいよ、全く。まぁ一応彼の名誉の為に書いておくと、ディノは(確か)毎年バレンタイン当日になると「花束買ってこようか」と張り切ってくれるんですよ。ただ私がかなり即物的なので「いいよ、バラ1本で」と応えてしまうんです。うーーん・・・結婚前からすでに、いい主婦根性してたのね・・。今までディノから結構な数の花束をもらったから満足してしまったというのもあるし・・・ね。ところで個人的にちょっと不安なのは・・・フランス在住の日本人女性には、バレンタインに備えて彼やご主人にチョコレートやプレゼントを用意している方が多い気がするのだけど・・・それって・・・「日本の風習」をこちらに持ってきたっていう解釈でいいのよね?私は「フランス流バレンタイン=女性側がプレゼントをもらえる日」と思っているのだけど・・・私、勘違いしていないよね?日本式よりもフランス式の方が自分にとって都合がいいから、私はフランス式を採用していてバレンタインにはディノに何もあげた事がないのだけど・・・これってフランスの一般常識から見て「鬼嫁」じゃないよね???(時々「チョコぐらいあげようかな」とも思うのだけど、彼は年中お菓子を買いまくって私に「食べろ食べろ」とうるさいので、それを思い出すとどうも買う気になれないし・・・。)私って誕生日がクリスマス・イブで毎年なんとなく「プレゼントしてもらう」機会を損している気がするから、その分も兼ねて今後一生、バレンタインは尽くしてもらうだけのつもりでいたのだけど・・・喜ぶのが目に見えているから、次の機会にはチョコケーキでも買ってきてあげようかな。ちなみに今年のバレンタインですが、実は今ディノはまだ体力の回復しきらない義母を手伝いにノルマンディーに帰っているので、初めて離れ離れで過ごします。とりあえず明日の14日には(郵便局がいつも通り機能してくれれば)カードが届く予定ディノも数日中にはパリに戻ってくる事になっているので、それから美味しいものを食べに連れて行ってもらおうと思ってます(特に今欲しいものないし。)それってきっと、「バレンタインだったから行く食事」というよりも「ディノが帰ってきたから行く食事」っていう雰囲気になってしまうんだろうけど・・・楽しみだなぁ~投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.12
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ここのところずーーっと「論文指導をしていただく教授探し」についてばかりを書いていたのですが、大学編入をする為には、それ以外にもすべき事があります。各大学から願書を取り寄せ、必要書類とともに期限内に事務室へ送り返す作業です。なので私も論文計画書の準備と並行して、映画学科のあるパリの各大学に手紙を書き、願書を送ってもらっていました。その頃は指導教授探しと後期試験の準備で頭がいっぱいいっぱいだったので受け取った願書にはちらっとしか目を通さずにいたら・・・ある日パリ第8大学への願書返送期限がその4日後に迫っている事に気づいてびっくり!(この学校だけ、ずば抜けて締め切りが早かったのです。)しかも面倒(失礼!)な事にこの学校の願書は自分で記入するだけでは済まされず、なんと「現在在籍している学校」に埋めてもらうべき欄もあったので、不本意だったけど急遽授業を休んで事務室に向かいました。向こうは慣れている様であっという間に必要事項を書いてくれたのが幸いでしたが・・・願書に対してのんびりしすぎでしたね・・・私。それから急いで始めた願書を埋める作業は論文計画書の作成に比べたら楽でしたが、それでもいざ外国語で書くとなると自信のない箇所があったりで、いっぺんに数校に対応するのはやっぱり大変でした。細かい質問が多くなりクラスメートに聞くだけでは回せなくなってきた私は、大家さんが私の部屋の真下で開いている猟具屋さんを訪ねて質問したり、これまた知人のリボン屋さんにも足を運んだり・・・本当にたくさんの人にお世話になりました。さて、パリの大学から願書を送ってもらうと大体の場合、学部の説明や教授陣の経歴が簡略に書いてある用紙も同封されていたので、私はどの方に指導教授をお願いすべきか選ぼうと、目を皿の様にしてリストを眺めました。もちろん「字幕」や「吹き替え」なんてマニアックな部門を専門にしている教授なんてどこにも居ないので、ジャンルとしては少しでも近そうな「台詞」や「台本」について研究されている先生達をピックアップ。私は自信がなかったので元々は「ヘタな鉄砲、数うちゃ当たる」戦法で行こうと思っていました。つまりパリの(映画学科のある)全大学から1人ずつ教授を選び、その全員に「手紙・論文計画書・履歴書+返信用封筒」の「3点+α」を送りたかったのです。でも時間の関係もあり、まずは4人の教授達のみにそれらを郵送する事にしました。その中の1人の名前だけは知っていたものの、もちろんどの教授とも面識が無かったのでこれまた一種の賭けでしたが・・・。それは今思えばまさに、ルーレットが回りだした瞬間でした。今日の写真は、たまにはベタベタにという事で「凱旋門」です。投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.11
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2つ前の記事の続きです。拙いフランス語を駆使してようやく論文計画書を書き終わった私。その他に簡単な志望動機書と履歴書も作成し、ネイティブの友人達に文章をチェックしてもらえば用意はほぼ完了です!ここまでが長かったので、この時には我ながら「よくやった!」と思いました。さて、私はせっかくチャレンジするなら、失敗しても悔いが残らない様に最良の策を取るべき努力をしようと決めていました。そして頭を巡らして思いついたのは・・・今在籍している大学の先生に推薦書を書いてもらう事でした。これが一般的な方法なのかそれとも異例な手段なのかは分かりません。でも、一切面識のない私からいきなり郵送で「手紙・計画書・履歴書」の3点セットを受け取る教授達の身になって考えると、推薦書も無いよりは有った方がプラスに働く気がしますよね?どの先生に推薦書を書いていただこうかと考えて結局なんと、以前に来年の論文指導をお願いしてしまっていた社会学の教授に白羽の矢を当てました。急に話を覆して「パリの大学に行きたいです」なんて言ったら気を悪くされるかなという恐れもあったけど、この先生なら私の気持ちを理解してくださる気もしたので(&私に特別に執着している訳でもないのは分かっていたので)、思い切ってお話ししました。「以前は本当に、この大学に残って先生の指導の下で『天井桟敷の人々』について調べたいと思っていました。でも今は『字幕と吹き替え』について書きたいという気持ちがとても強くなったんです。そしてまだ文献の少ないこのテーマについて書く為に、首都のパリで実地調査をしたいと考えています。・・・それに私は外国人なので、やはり1度は首都に住んでみたいという気持ちがあります・・・。(この最後の1文、自分勝手ですね・・。)」これを聞いた先生は嫌な顔1つせず「頑張ってください」と言い、推薦書の作成を引き受けてくださいました。出来上がったのを見ると、私がいかに熱心な学生で・・・うんぬんの優しい事ばかりが書いてありましたよ。ありがとうございました、先生こうして無事、社会学の先生に私の気持ちの変化を告げる事と、推薦状を書いてもらう事の2つがいっぺんに叶ってほっとしたのですが、安堵すると同時に「これで、もしもパリの大学への編入が叶わなかったとしてもこの大学には残りづらくなっちゃったな」という気持ちもありました。パリの大学の映画学科が大人気で希望者が多ければ倍率も高いのは去年の経験で知っていたし、選考基準があまりに不透明なので、私の心の片隅にはこの不安な気持ちが、学生証を手に入れるまでいつもずーーーっと棲み続ける事になります。(あと少し続きます。)上の写真は、私達の家のそばにある教会(?)の窓です。写真では伝えられないのが残念ですが、時々夜9時くらいに中から賛美歌が聞こえてくる事があって、「寒い寒い」と急ぎ足で歩く私を和ませてくれます。投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.10
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今日(といっても日本では昨日)は私より1つ年下の妹の誕生日なので、彼女を紹介しちゃいます。写真はパリの私達の家で縫い物をする彼女。手にあるのはクマさんの頭・・・そう、去年11月16日の日記にもちらっと登場したウェディングベアは、妹の手作りだったんです。結婚式の数日前に東京からパリへ来た妹は、サプライズで作ったというリングピローを見せてくれました。ここまではいわゆる「いい話」なのですが、その後に「『さすが我が家』な話」が待っていて・・・妹「実はウェルカムベアもお姉ちゃんに内緒で作ったんだけど・・・」私「えっありがとう」妹「いやー、それがまだ終わっていないのよ。お姉ちゃんも一緒に作らない?」私「」そう、会社勤めをしている妹には時間が足りず、パリに着くまでにベアーを完成させられなかったのです。せっかくだから数針縫ってみたい気もしたけれど、実は私も結婚式の準備が全く終わっておらず、残念ながら参加できませんでした。その翌日には母と末の妹もパリに到着したのですが・・・その2人も私の準備にずっとつき合ってくれていたのでベア作りにはほとんど加勢できず・・・なんと結局、ベアの完成は式の当日に間に合いませんでした(笑)。式の準備が当日になっても終わっていなかった私と、ウェディングベアの製作が間に合わなかった妹・・・悲しいぐらいに姉妹だなぁ。でも幸運な事に私達はフランスでの結婚式の約40日後に今度は日本で結婚パーティーを行ったので、クマ君たちもそこで日の目を見る事ができました。パーティーの始まる前にその名の通り「ウェルカムベア」の役割を果たしたクマの夫妻は、その後私達のテーブルにやってきて、華やかさを添えてくれました。ディノはこれが手作りと聞いてびっくりしつつ、とても喜んでいましたよ。(彼に言わせると、オス熊の方が顔つきが柔和らしい。「ぼく達と一緒だね」だってさ。ふん!)気楽な集まりだったので、司会をお願いしたFさんの提案でディノの紹介を私が、そして私の紹介をこの妹がしました。かなりイヤイヤ引き受けた(=母と私から押し付けられた)妹のスピーチは意外なくらい面白く、感動的な箇所もあり、でも彼女らしい少しいびつなところ(急に早口になるなど)もあり。おかげで場は早々から盛り上がりました。(後になって「妹さん面白いねー。さすがはみにかーちゃんの妹だね」と言われた・・・。)スピーチの直後にFさんがおっしゃった通り、物心ついた時から一緒だったYちゃんにしかできない紹介だったよねちなみにこのパーティーの会場を決めたり、会場の担当の方と連絡を取ったり、カメラ&DVDビデオを自分自身のお友達ご夫婦にお願いしたり(これまたものすごく優しい方達でした)、事前に色々と動いてくれていたのもこの妹です。色々ありがとう。あなたの番が来たら・・・家庭科で2を取った事のある私なのでウェディングベアーを作れるかどうかは分からないけど、もしスピーチを頼まれてしまってもあんな面白いのはできないと思うけど・・・できる事があったら言ってね。そして、何よりお誕生日おめでとう。追記そういえばこの日は、私達が大好きな叔父の誕生日でもありました。おめでとうございます投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.09
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留学時代1年目の思い出の続きです。フランス語での資料を探している間に、日本の母から本が4冊届きました。論文計画書を書くにあたり少しでもヒントになればと思い、字幕関連の本などを適当にみつくろって送ってもらったのです。(この時、和書まで自分で探す時間は全くもってありませんでした。ちなみに母は吹き替えに関連のある本は見つけられなかったみたい。)そのうち1冊は雑誌だったのでパスし、残り3冊を2日かけて読破しました。(あぁ、日本語で読むのってなんて楽なんでしょう・・・。)その中にあった「字幕仕掛人一代記 -神島きみ自伝ー」という本は戦後からずっと字幕製作をしている「テトラ」という会社の社長さんが書いた珍しいもので、そのガテン系のお仕事ぶりに驚きながらも興味深く読めました。(アマゾンの紹介はこちらです。)そしてとりあえず何でもかんでも論文計画書に取り入れたかった私は、「フランスにおける日本映画の字幕と吹き替えをメインに据えながらも、日本におけるフランス映画の字幕・吹き替えについても触れたい」という一文を加えようだとか、この3冊の本のタイトルを「参考文献欄」に載せようだとか、決心しました。後になって考えると結局、私は論文内で日本におけるフランス映画についてはほとんど言及しなかったのでこれらの日本から届いた本はあまり役立なかったのですが・・・読んでいて面白かったし元気が出たので良かったです。さて、自分に可能な範囲内でできる限りの資料集めをした後、ようやく「論文計画書」を執筆するタイミングになりました。ここでとまどったのが、友人Aが「論文計画書というものは、A4の紙1枚に収まっていないといけない」と言うのに対し、友人Bは「そんな事ない。数枚書く方が普通だと思う」と言っていた事です。迷ったけれど、自信のなさを隠そうとして無理矢理様々な要素を寄せ集めてきた私の場合、計画書を1枚にまとめるのは難しいし、友人Bは前年度にフランスの大学で指導教授を見つけたという実績のある人だったので、私も彼女と同じく3枚程度の計画書を書く事にしました。そういえば彼女「恥ずかしいから門外不出にしてね。でも、もし参考になれば・・・」と言って、自分が前年に書いた計画書をメールで送ってくれたのよね・・・。・・・本当にありがとう・・・。計画書の執筆はまさに「無から有を生む」感じで楽ではなかったので、終えた時にはひとまずホッとしました。(ちなみに論文計画書をA4の用紙1枚にまとめた友人Aも、その年無事に指導教授を見つけていました。枚数に関しては、どちらでも良かったのですね。)上の写真は、いいお天気が嬉しくてパリ16区ポルト・ド・サン・クルー(Porte de St-Cloud)で何となく撮影しました。まだ影は長いけど、ここ数日のパリの日中は明るい日差しに恵まれています。投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.08
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1つ前の記事の続きで、留学時代1年目の思い出です。論文計画書の下準備のため、ある土曜日私は街の本屋さん3軒に向かいました。本屋さんに「映画の字幕か吹き替えについて書かれた本を探しているんですけど」と伝えると「は?」という反応が戻ってきます。もしも日本の本屋さんで同じ事を言ったなら、とりあえず戸田奈津子さんの「字幕の中に人生」などを勧められる気がします。・・・が、こちらでは字幕や吹き替えについて堂々と書かれた本はないのでしょうか?どこの本屋の店員さんも私の要望を聞くと不思議そうな顔をするし、映画コーナーを探してみてくれても1冊しか見つかりませんでした。それが、上の写真の本です。これは吹き替えや、撮影後の音声処理のテクニックについて説明してくれるものなのですが、フィルムとフィルムがおしゃべり(交信?)している表紙がなんとも可愛いと思いませんか?この本はかなり真面目で、中には写真はあってもこういった絵は一切ないので、なぜこの表紙なのか不思議といえば不思議です。本屋さんで1冊しか参考文献が見つからないのを見て、「調べ物は自分の足でしたい」と思っている私もさすがにこれはマズイなぁと感じました。自分に欠けている知識をまずは本で補う必要があるし、数人の見知らぬ教授に送らなくてはいけない「論文計画書」にも幾つかの「参考文献」を書かない訳にはいかないのに・・・。(面識のない方に論文指導を引き受けてもらうには、「この人の計画は面白そう」と思わせるだけでなく「この調子なら書けそうだな」と納得してもらう必要もあるので。)「ここならどうにかなるかな~?」と思いながら、本だけでなく論文も探そうと大学の図書館に向かいました。それまでの私の大学図書館の用途といえばコピー機を使うか(クラスメートのノートを借りた時など)、自習コーナーに座って勉強するか、それとも映画ビデオを借りるかしかなかったのだけど・・・そして常々「せっかく留学したけど、図書館の本や資料を活用しないうちはまだ本当の学問じゃないよね」と思っていたのだけど・・・ついに、その時がやってきた感じ(注:今だからこの部分にハートマークをつけちゃいますが、別に当時ウキウキしていた訳ではありません。念のため。)やっぱり本は見つからなかったけど、過去に2人の学生がフランスの大学で映画の字幕や吹き替えについての論文を書いていた事が分かりました。それらはミクロフィッシュという機能で保存されていたので早速その見方を教えてもらい(論文の1ページ1ページがスライドの様なものに焼き付けられています)、論文に軽く目を通す私。2つある論文のうち1つは字幕と吹き替えの両方について書かれたもの、もう1つは吹き替えのみを扱ったものでした。そしてどちらも題材としては、英語圏の映画を取り上げています。すぐに読みきれる量ではないしその頃の私には後期試験の準備も控えていたので、自分に役立ちそうなページのみを印刷して図書館を後にしました。「その気になれば『字幕と吹き替え』で論文は書けそうだな」という安堵感と「まだ『日本映画の』字幕と吹き替えについては誰も書いていないんだな」という、もう1つの安堵感を胸に。そう、私はまだ誰も扱ったことのないテーマで論文を書きたかったのだから。もちろんその一方で、とても臆病な私には前例が無いテーマを論文の軸に据えるのが無謀な賭けに見えて、とても怖くもあったのですが・・・。投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.07
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2つ前の記事の続きで、留学生時代の思い出です。なんだかんだ言ってこの時期の私はとってもツイていました。いつも悩みに悩んだ後に答えが向こうから勝手にやってきてくれる感じで、私が探していた「論文の主題」にはなんと母がアイディアを貸してくれたのです。母がメールに書いた「映画字幕について調べてみたら面白いんじゃない?」という言葉。私はそれを読んですぐ、ただ単純に「いいかも!」と思いました。そしてフランスに居る以上、「フランス映画につく日本語字幕」ではなく「日本映画の仏語字幕」の方が調べやすいだろうと思い、日本映画数本を題材にする事に。・・・が、これではコンセプトがまだあまりにも漠然としています。字幕だけで100ページ近く書くのはムリかもしれないと思い、論文では吹き替えも扱ってみる事にしました。(字幕と吹き替えを比較する事で発見もありそうだったしね。)さて、どこかの大学の教授に論文指導を引き受けていただくためには、納得してもらえる様な「計画書(projet)」を用意しなくてはいけません。そしてまともな「計画書」を書くには、過去にどんな研究がされてきたのかを探っておく必要があります。「どんな結果が出るだろう」とドキドキしながら、さっそく大学の図書館と小さな町の本屋さん数件をあたってみる事にしました。(続きます。)上の画像は本文とは関係なくて、今日ご馳走になった貝類の盛り合わせです。大量すぎて5人で取り掛かったのに食べ切れず、一昔前の恋愛ソングにありがち(?)な「幸せなのに苦しい」状態になりました・・・・。(ちなみに私が今回幸せなのは「舌」で、苦しいのは「お腹」ですが。)今は消化を助けるハーブティーを飲みながらこの記事を書いてます。)投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.06
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私が去年の暮れにやっと観た(その時の日記はこちらです)「レミーのおいしいレストラン」、フランスでも今月1日にようやくDVDが出ました。宣伝を街のあちこちで見かける日々ですが、特に目をひかれたのはこの車。2人乗りの小型車smart、パリでは宣伝をボディーに纏ったものと、そうでないものが見られます。(日本ではどうなんでしょう?)以前に生理用ナプキンの宣伝を載せて走るsmartを見た時は「うっ、かわいそう」なんて思った事もあったけど、この車はいいなぁ。小型車の上に乗っているレミーの身長が意外に高くて注目を集めます。実際に私はこの車の前を3回通ったのですが、そのうち2回は通行人(私を除いて、ね)が撮影していたし。車に一切興味がなくてしかも免許を持っていない私だけど、これを1日乗り回してみたいななんて思ってしまいました。・・・冷静な自分に戻るとレミーを「かわいい」なんてどうしても思えないのにね・・・でも作品としては気に入ってるのよね。ほんとにどーでもいい追記:写真に知らない人が写ってしまったので撮り直したかったけど、カメラのバッテリーがなくなってきたのでこの写真で我慢しました。おじさんの頭が車よりも注目されてしまわない様、禿げている部分に黒を塗ってみましたが・・・。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2008.02.05
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(前回の続きです。)来年もその同じ大学で『天井桟敷の人々』について書く事が可能になってほっと安堵した私は、その後も考えあぐねました。そして、気づかないフリをしたかった気持ちにどうしても気づいてしまったのです。それは・・・「やっぱりパリに住んでみたい!」という本音。パリに行きたいという気持ちはクラスメートに影響され、都会好きの母にも後押しされ、ついには「もうこのままこの学校に留まっていられない!」と思うほどになりました。それまでに数々の日本人の留学体験記を読んでどうも私が当時通っていた地方大学よりもパリの大学の方が厳しい事は分かってきていたし、また全てがゼロからのスタートだと思うと面倒で、不安で、どうしても「もしこのままここに残っていたら辛い思いをしないで済むのに・・・学位もこっちの方が確実に取れそうなのに・・・これでいいのかな・・・」という心の声もしょっちゅう聞こえてきたけれど(一体どっちちなんだ?私・・・)そんな時も「今、パリの大学へ行こうとしなかったら後で後悔する」と思う様に頑張る事にしたのです。その当時、もう1つ考え悩んだ事があります。それは「やっぱりできれば、自分ならではの事を書きたい!」という事。もちろん「天井桟敷の人々」について論文を書くにしても、最終的に求められるのは自分なりの考えと視点です。だけどそこに至るまでには、まず今までに様々な人々が記した書物にあたる事から始めなくてはなりません。そういった研究はもちろん大切なのだけど、学者にも教授にもなる気のない私は「せっかくフランスに居るのだから、今まで誰も書いた事がなくてだからこそ自分の足で実地に調べられる事をテーマにしたい!」と考えました。同時に「そんな主題って・・・一体何があるっていうの?」と自分で自分をツッコんでしまうものがあり、独り言が増え、おでこにはシワができそうな毎日でしたが・・・。かくして私は後期試験の足音が聞こえてくる頃、またも手探りで新規の受け入れ大学と指導教授と論文テーマを探す事になったのでした。投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.05
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来年も、次学年にあたるメトリーズで留学生活を続けようと決めた私。ほとんどの文系学部のメトリーズでは、最後に論文を提出する事になっています。なので、もちろん今回も1年前の様に「願書を入手して提出する」という事務手続きを行わなくてははならないのですが、それに加え、論文のテーマを決めて指導教授を見つけるというステップも踏む事になります。(後になって、学校によってはメトリーズの学年度が始まってから指導教授を探してもいい事になっていると分かったのですが、当時の私は「何が何でも、新学年が始まる前に指導教授を見つけておかないといけない」と思い込んでいました。)もしこの大学に残るとしたらどの教授について何を書こうかななんて思っていたある日、解決策(?)が向こうからやってきました。いつもにこやかな社会学の教授が講義中、長々とマルセル・カルネの「天井桟敷の人々」について論じていたのです。これはいけるかも実は私の日本の大学での卒論テーマは「天井桟敷の人々の背景と源泉を巡って」でした。その大学では映画学部に在籍していた訳ではないのだけど、この曖昧なテーマが受理されたのを幸いと何度もビデオを観、日本語・仏語・英語で書かれた本を無理矢理読み、とにかく長々と書き連ねていったのです。作品自身の映像が素晴らしくてただ美しいだけでなく1つ1つに意味があり、シナリオが秀逸で作中人物と役者のコンビネゾンにも興味深いエピソードがあったり、またたとえば登場人物の「舞台」に対する姿勢を比較するだけでも発見が盛りだくさんだったり、撮影当時の状況と映画を比較すると隠れたメッセージが込められていたり・・・・・映画が奥深かったので調べたり考えたりするほど謎が沸くところもあったものの、その重厚さに助けられてとても楽しく論文を書けたのが記憶に残っています。いま目をやると髄分と輪郭がぼやけているなぁという感じですが、急いで作成した割には(当時の)自分としては勝手に納得できるぐらいのものにはなっていました。「この先生は親切だし、『天井桟敷の人々』についての論文を書けばゼロからのスタートにはならないで済む」と思いついた私はその次回の授業が終わった後、教授に来年は論文指導をしてほしいとお願いしました。すると先生はいつも通りにっこりしながら「いいですよ」と即、良いお返事を!今と同じ大学に居続ける訳だから事務的な手続きも簡単だろうし、論文テーマの大枠も指導教授も決まったし・・・と安堵した私は、その同じ先生に数ヵ月後、全く違う方向のお願いをする事になるとは思ってもみなかったのでした。(続きます。)投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ上の写真は本文とは無関係で、パリのシテ島(Ile de la Cite)にあるメトロの入り口と、植物を売っているマルシェ(?)の屋台です。滞在許可証更新の為に訪れた警察庁は、このちょうど真向かいです。
2008.02.04
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時事ネタ(どこが?)を書いたところで、留学生時代の思い出に話を戻します。前期試験が終わってから、よくクラスで一番いい点数を取っていた男の子に話を聞いてみました。すると彼は答案用紙の小論文には授業で聞いた事を書くだけでなく自分なりの知識を思いっきり盛り込んだり、教授の意見を発展させたりしている事が分かりました。考えてみたらそうですよね、先生だって新鮮な意見が欲しいはず。もちろんそれからは私も、事あるごとに自分なりのオリジナルな考えを入れる様にしましたよさて前期試験の結果も出揃って「なんとかこの学年は留年しなくて済みそう」と少し安心してきた頃に私は、今後をどうしようかと考え始めました。「最短1年・最長2年」のつもりで始めた留学生活。この調子だと1年目は学校の授業にヒイヒイ言っている間に終わってしまいそう。やはり2年間はフランスに居たいと思い、来年度も留学を続ける事に決定そこで考えなくてはいけないのは「来年の学校をどうするか」でした。外国人である私がこの国に留まる為には学生という大義名分が必要だし、私自身にももっと勉強してみたいという気持ちがあったのです。悩みに悩んだ後おもいきってフランスの見知らぬ土地にポンとやってきて、そこの学校での勉強がようやく軌道に乗ってきたと思ったらまた次の事を考えなくてはならない・・・弱虫の私は既にヘコみそうに・・・。なのでとりあえず、まずは1番無難な「この大学の次学年(=メトリーズ=Maitrise=当時は日本で言うところの「大学4年」と捉えられていました)に上がる」というプランをあたってみる事にしました。この頃にはこの地方大学の雰囲気はだんだん掴めてきていて、もし来年メトリーズに登録してもまたストレートで学位が取れそうな感じがしていましたからね投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ上の写真は本文とは無関係で、先日行ってきたパリの警察庁と同じ広場にある最高裁判所(Palais de Justice)です。
2008.02.03
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1つ前の日記で書いた通り、昨日(2月1日)は警察庁で滞在許可証をもらってきました。(注:フランスでは、今現在が2月2日です。)その後ジベール・ジュヌ(Gibert Jeune=大型の古本&本屋さん)に寄ろうと思い、セーヌ川を渡りかけ・・・ふとノートルダム寺院の方を振り返ったらびっくり!この写真で、私が果たして何に驚いたのか分かるでしょうか?一部を拡大してみますね。 なんと・・まだクリスマスツリーがあるのです!そういえばほんの4日くらい前に、近所の区役所前にまだ巨大なツリーが数本立っていてびっくりしたところだったけど・・・もう2月に入ったのになぁ・・・。ジベール・ジュヌに向かって歩いていくと、頭上にこんな飾りがありました。これもクリスマスを意識した飾りに見えるんだけど・・・?そして今日(2月2日)、「まさかね」と思いながら地元商店街の通りの上空を見てみたら、やはりここにもまだクリスマス前からのデコレーションがぶらさがっていました・・・。(さすがに電気はついていませんでしたけど。)クリスマスが終わった翌日にはもうお正月の準備に入っている日本とは異なりお年賀飾りの存在しないフランスでは、ツリーやクリスマスのデコレーションを1月7日あたりまでキープしておくのが常識ではあるのですが、公共の場所にこんなにも長い間クリスマス気分が残っているのは、今年が初めてな気がします。(今まで気づかなかっただけかなぁ?)日本とは時差(?)が一ヶ月以上あるのですね、まぁ面白くていいですけど最近、留学生だった時と比べると割とぬくぬくした生活をしているせいか、フランスをポジティブに受け入れられる様になってきた感じのする、私です。投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.02
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昨日(2月1日)は滞在許可証(=titre de sejour)を受け取りに、シテ島の警察庁(=prefecture de police)へ行ってきました。実は半月ほど前から「今度のテロはパリで起こるかも」というニュース(噂?)を聞いていたので、できるだけパリの代表的なスポットには行かない様にしていたのだけど(だから映画も観れてない)、社会保険(?)の事務所が新しい滞在許可証の提示を求めてきてから1ヶ月以上経っているので、おっかなびっくり家を出ました。いざ警察庁に着くと入り口に人々が並んでいます。(上の写真が警察庁の正面入り口です。)警察庁に入るには空港で搭乗したい人同様に、入り口ホールのベルトコンベヤーの上にコートやカバンを置き荷物検査を受けなくてはいけないので、前が少し詰まっていたのか3分ほど待ちました。私がようやく建物に入れる頃になって、アフリカ系(?)の男性が横からあからさまに割り込みしてきました。イラッとしたのは皆同じ。私よりも少し後ろに並んでいた男性2人がその男に文句を言いました。でも割り込み男はそんなのどこ吹く風。「俺は昨日から待ってたんだ!」と訳の分からない事を言って、私の真後ろに並びました。その後も口論が続き誰も前へ進めなくなってしまったので(警察庁はドアが2重になっていて、数人で一遍に入館しなくてはならないのです)、建物の中から女性係員が1人出てきました。事情を察した彼女は最初は割り込み男に強い口調で話しかけていたものの、やはり怖くなったのか彼を追い出す様な事はせず(女性1人じゃ無理ですよね)、結局説教をするだけにとどまりました。さて、そういう事情で割り込み男の前に並んだまま入館した私はベルトコンベヤーの上に鞄とコートを置きました。少し歩いてベルトコンベヤーの先で待っていると鞄はあっという間に出てきたのに・・・コートがなかなか出てきません。というより、ベルトコンベヤーの動き自体が止まっているのです。この異常事態に、横に立っていた係員は私に「どうしたのですか?」と聞いてくる始末。(私が知りたいよ!)おかしいなと、荷物検査官のまん前にあるテレビ画面を見た私はびっくり!なんとそこには私のコートと一緒に、かなり大きなバッグが写っていたのです。あの割り込み男、こんな大荷物だったんだ・・・そうか・・・ベルトコンベヤーを一時停止したのは、この鞄の中をじっくり見たいからだったのね・・・。「昨日から待っている」なんていう発言は頭がイッちゃっている証拠だし、もしかしたらこの人、自爆テロを起こす気なのかもしれない「昨日から待っていた」のは「警察庁への入館」ではなくて、「テロの実行」だったりして・・・その方がピンと来るなぁ。数分(といっても実際には2分ぐらい?)してベルトコンベヤーが動き出してコートが出てきたので、私は急いで「アジア・オセアニア地域」を担当しているブロックへ走りました。とにかくもう、一刻でも早くこの建物を離れたい一心で・・・。警察庁は大きくて、訪問者は自分の出身国に関係のあるブロックへ足を運ぶ事になっています。さっきの男はアジア及びオセアニア出身ではない気がしたので、私は走りながらも「もうあの男に会う事はあるまい」なんて思っていました。ところが急いで収入印紙を買って、急いで滞在許可証の受け取り窓口まで走ろうとすると・・・なんとあの男が居るではありませんか彼はなぜかエレベーターを待っています。私はいつも1階(フランス式には0階)で用が足りるのに、この人は一体なぜ上に行きたいのでしょうまさかまさか・・・何かを仕掛けるためじゃないよね怖い・怖い・怖い・・・。私はそのまま走り続け無事滞在許可証を得ると、急いでさっさと警察庁を後にしたのでした。「万一の事があったら、たった今私に許可証をくれた人はこの世から消えてしまうの?」とパニックになりながら・・・。(警察庁の出口は三色旗が立っているところです。入り口と出口が中庭を挟んで反対側にあるので、出口はこの写真の通りセーヌ沿いにあるんです。)結局昨日から今までパリのどこも爆破されていないから、思いっきり取り越し苦労だったのだけど、本当にヒヤヒヤしたよ・・・。警察庁を出ると目の前に広がる対岸の、大好きなカルチェ・ラタンのこんな風景には毎回心和まされてきたけれど、今回は格別でした。私も、あそこの職員さんも他の訪問者も、生きてて良かった・・・。投票(をクリック)していただけると嬉しいです。人気ブログランキングへ
2008.02.01
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