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晩秋11月も本日までになりました紅葉ももう少し見ごろです 京都観光で嵯峨野に次いで女性に人気が有をる【大原の里】をご紹介一生涯を捧げられました。その遺徳を偲びたいです。 生涯の住まいとして【建礼門院徳子】 は、平家が滅びて、その追善を弔うため此処を 本堂 境内 参道の門 本堂参道の坂道【寂光院】 (じゃくこういん)天台宗 開基 聖徳太子 山号 清香山 建礼門院は「徳子」と言い、平清盛の娘で、80代高倉天皇の中宮(皇后)で、81代安徳天皇の生母で、源平合戦「壇ノ浦」で平家滅亡の際、母子ともに入水されましたが、源義経に母だけが助けられ、一時京都東山の「長楽寺」で、出家され、一説に寄れば安住の地を求め山道を超え大原の里に辿り着かれ、「極楽往生院」の「阿弥陀如来像」の優しさに触れ、「平家一門」の菩提を弔うに相応しいと、余生を「寂光院」で静かに送られたということです。 中宮(皇后)・建礼門院の御陵 侍女・阿波内侍の眠る翠黛山ご主人を常に見守っている 阿波内侍の墓今回初めて辿り着け見つけました 翠黛山・墓地への階段参道謎の苔道の階段初めて訪問 阿波内侍の墓は谷を経て向かいに位置す「翠黛山」(すいたいさん)に階段を登った所明日に続きます
2014.11.30
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【霊鑑寺】 臨済宗南禅寺派 非公開門跡尼寺で、谷御所とも云われています。特別拝観のときしか内部は観られません。本堂・書院・居間が佇み立石を多く使った石組みで、池泉回遊式庭園はこじんまりしても心和みます。特別拝観時庭園書院と観音堂樹齢350年の紅葉 【大豊神社】 哲学の道沿いにあります。神社は、此処「鹿ケ谷」(ししがだに)・南禅寺地区の産土神(うぶすな)として信仰されています。鼠の狛犬が珍しいです。 ねずみくんの狛犬阿吽の呼吸 片方は口を「あ」と開け、片方は「うん」と口を閉じています。 4月5日の桜結婚式の後哲学の道 哲学の道は、「道」として日本百選に選定されています。京都大学教授哲学者 西田幾多郎博士が 何時も考えもって散歩されたところから誰言うと無く その名が付けられたそうです。東天王町にある 【岡崎神社】 にも狛犬に変わり「兎」が居ました 狛犬の「うさぎ」 場所は京都御所の西側には、猪の狛犬が有ります。 護王神社 祭神 和気清麻呂九州大隅に流された時、野原の周囲か参りますら火攻めに会った時に、千頭の猪が火を踏みつけて消したとのいわれで、猪を狛犬として奉じています。明日は大原に参ります
2014.11.29
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今朝の京都は7度、来週は12月に入り1度の予報が出て居ます紅葉も落ち葉、敷かれた毛氈の鑑賞ともなりました昨日午後近くの醍醐寺に取材に行ってきました真言宗醍醐派本山です 世界文化遺産にも登録されています観音堂のいちょうともみじ太閤の醍醐の花見行列の桜の馬場 桜の葉は殆ど散りました左・白い壁の中に国宝の醍醐三宝院の庭園があります正面仁王門から奥へ背景の山は上醍醐の山です仁王門からの参道金堂(国宝)醍醐寺の本尊 薬師如来坐像 日光。月光菩薩何れも国宝京都府内で最も古い五重の塔(こくほう)応仁の乱の消失から免れました祖師堂向かって右 弘法大師 左 理源大師 醍醐寺の祖師 弘法さん孫弟子祖師堂鐘楼のもみじ鐘楼いちょうの絨毯観音堂 准胝観音菩薩を祀る西国三十三ヶ所観音霊場 第11番札所本来なら上醍醐山上4キロの一番の難所でしたが落雷のため焼失 現在平地で納経受付されていますこの山の頂上までお遍路さんは登られました池に映された紅葉弁天堂水神さんで音楽学芸に秀でた弁天さんです池に映ったもみじもみじの絨毯池に注ぐ醍醐水の瀧弁天堂の前弁天堂と赤い橋谷川に黄色のもみじも見られました京都も矢張り12月上旬まではもみじを愉しむことができると思います
2014.11.28
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本日、日和も良いので午後から近所にある醍醐寺にもみじの様子取材に行ってきました ライトアップのNHKの映像に誘われました一番境内の奥にある弁天堂です池面に映され ライトアップも秘境のようでした三重県からはるばる来られた観光バスです醍醐三宝院の入口です庭園が特別史跡名勝指定[国宝]で見応えはありますが庭園すらも撮影禁止で皆さんにご説明出来ないのがとても残念です今回もパスしました国宝の勅使門です勅使の方たちをお迎えするときは豊臣の家紋は隠れますそして菊の御門で歓迎ですでも勅使が帰られたら五三の桐が真ん中に侍って位置しますこの奥に三宝院の素適な庭園が有りますこの後は明日更新します
2014.11.27
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字数制限のため 2回に分けて更新しました哲学の道沿いに悲しい歴史が有ります昨今特別拝観の【霊鑑寺】の北側そばに其の場が有ります後鳥羽上皇の逆鱗は恐ろしく、兼ねてより意向に適わぬとして、住蓮・安楽上人は斬首。 法然上人は讃岐国(高松市)・親鸞上人は越後国(上越市)に流罪。【建永の法難】 (1107年) 仏道の僧でありながら罪とされました。 (謹んで訂正しました。)心無い権勢は出来ません、それから14年後に【承久の変】(1221年)鎌倉幕府を打倒されるはずが失敗後鳥羽上皇は隠岐に順徳上皇は佐渡島へ天皇が配流され土御門上皇は自ら土佐で過ごされました。天皇が配流なんて、私の時代には教わりませでした。 松虫・鈴虫尼僧は、自分の行いが原因で、両上人が、殉教されたと知り、嘆き悲しみその後、瀬戸の生口島(いくのしま)(尾道市)で念仏を捧げ松虫35歳・鈴虫45歳で入寂。 後に、法然上人が戻られ、此処に両上人の菩提を弔う為、草庵を復興「住蓮山安楽寺」と名付けられました。 仏足石【鹿ケ谷かぼちゃ】(ししがだにかぼちゃ)無病息災のために、7月末の夏場の健康維持のためにも、寺院で炊き出し行事が行われます。帰路からみた表門明日は更にその周辺を散策しましょう
2014.11.27
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法然院の側にやはり念仏修行の安楽寺があります。(非公開)キリスト教への弾圧だけでなく、解かり易く一般民衆にも会得出来る法然上人・親鸞上人の説かれた宗教に法難の歴史がありました。安楽寺山門の前に掲げた「京都市の立札」です。 安楽寺住蓮山と号し、浄土宗の寺院である。鎌倉時代の初め、現在地より東一キロメートルばかりのところに法然上人の弟子住蓮坊、安楽坊二僧が、念仏場を建てて人々に念仏をすすめた。たまたま後鳥羽上皇官女松虫、鈴虫が教化をうけてひそかに出家する事件がおこり、上皇の立腹をうけ、「念仏停止」の宣下によって、二僧は死刑、法然上人は土佐へ親鸞上人は、越後へと配竜流された。これがいわゆる建永二年(一二0七)の法難であるが下って室町時代の末、天文年間(一五三二~一五五五)二僧の供養のため伽藍を之の地に再興したのが、当寺である。本尊阿弥陀尊像を安置し傍らは、住蓮、安楽両上人松虫、鈴虫両姫の座像、法然上人張子の像等をまつっている。また境内右手に住蓮、安楽両房の五輪石塔東方山林中に松虫、鈴虫両姫の五輪石塔がある 京都市 入口の門 本堂 本堂の背景庭園 千両 【安楽寺の縁起】「紫の庵の明け暮れに 心を澄ます谷水の流れを人の聞き伝え 人里まれなる鹿ケ谷(ししがだに)なお山深く分け入りて 紫の庵を結びつゝ」 「御門の寵愛浅からず 数多の官女の嫉妬よりとかく浮世を厭い捨て 菩提の道を求めんと一念心を傾けて 剃髪染衣を求めんと」 安楽寺和賛 住蓮上人・安楽上人お二人の念仏のお話に惹かれて、大勢集まり、精進の妨げと更に山深く庵を求められたとき、一匹の白い鹿に導かれ鹿ケ谷の山中で姿を消したので、仏の導きと、其処に紫の庵を設けられました。 一方、後鳥羽上皇の寵愛を一身に受けた 女官、松虫・鈴虫は、当初清水寺で法然上人のお話に救われ、後に 上皇の紀州へのみゆきの留守に、宮中を抜け出し、此処「紫の庵」に駆け込み、上人の宮中へ帰ることを進めるも、仏道への志高く、両姫は見識も高く美しい姿も投げ捨て、両上人によって、剃髪をされ、出家されました。松虫19歳・鈴虫17歳でした。 女官 鈴虫・松虫の五輪石塔 五輪石塔に至る 小さい門
2014.11.27
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『冥に薫じ 密に益(ヤク)す』神仏の存在は目にはみえません、然し暗いところでも花や香のかおりは体験することが出来ます、善行をつくせば冥利を賜り、神仏は何時しかご利益を賜る。開経偈(かいきょうげ)お経の始まりの中に採り入れていました。過日平和行進で、僧侶のお弟子さんにもらった「はがき」のちらし経文であって、僧でも聞いてもわからないといわれたそうです。お経はとても難しいです。読経で念仏がとなえられるのですね。依って唯「南無阿弥陀仏」と唱えることで信仰が守られ広まりました。 此処暫く【法然上人さん】の威徳を偲んで、更新しています。 銀閣寺から岡崎・円山そして清水寺に亘っての足跡が遺されています。特に清水寺では、釈迦堂と並んで阿弥陀堂があり、その場所で法然上人が念仏道場として初めて開かれたとされて上人像も祀られています・【法然院】 浄土宗 開基 万無 山号 善気山「安楽寺」を更に北へ歩きますと、茅葺(かやぶき)の優雅な門が見当たります。明日安楽寺ご紹介します。 参道 此処でも法然上人が住蓮・安楽坊と念仏を唱えた道場で、須弥壇(しゅみだん)には、四季折々の生花25組が飾られ、彩りしています。阿弥陀如来御来迎の三尊の外に、眷属25菩薩を表現しているそうです。 本堂には、恵心僧都(えしんそうず)作と伝えられる「阿弥陀如来坐像」と「法然上人」自作の木像が安置されています。 境内 境内 境内 萱葺の内から撮った門 椿の名所でもあり、墓地には「谷崎潤一郎」「河上肇」が眠っています。 かくして鹿ガ谷は、「法難の地」でもあり、「哲学の道」も西田幾多郎博士が、考えを深くして、歩まれた道で、歴史的にも過去を振り返る場所でもありました。
2014.11.26
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昨日快晴の連休最終日に哲学の道伝いに特別拝観 【霊艦寺】【光雲寺】取材に行ってきました今朝は乾いた空気を潤す恵みの雨が降っています【霊艦寺】 臨済宗南禅寺派後水尾天皇の皇女 宗澄尼(そうちょう)のために建てられ五代の皇女によって守られ 谷御所とも言われます天皇の好まれた椿寺としても有名で黒椿もあります日頃非公開で11月21日から12月7日まで特別公開されました表門玄関書院と本堂立石組と燈籠の枯山水庭園坂道を登りました本堂には如意輪観音さんが祀られていました快晴に映えました見ごろでした苔も映えています椿も頑張っています椿と紅葉の共演です説明が有りました 京洛の名木に指定された樹齢350年扇方に開く紅葉でしたお寺の建つたのが360年前で歴史を感じます降り路 振り返りつつ写真を右の人 苔を撮っていました其の苔庭です帰路にもう一度あおぞらを 門前で人力車で説明美しい紅葉を知らずに惜しまれますバック東山哲学の道桜の葉は殆ど無し哲学の道子の右下に降りたところに光雲寺【光雲寺】 臨済宗南禅寺派東福門院の菩提寺 二代将軍 徳川秀忠の子に千姫 家光 和子(まさこ)徳川は皇室と縁戚を設ける為 後水尾天皇のお妃として和子を嫁がしました後の東福門院です 二条城では兄の家光か 後水尾天皇の行幸を仰ぐ際に妹の和子妃のためお城に特別の屋敷を用意したとあります特別公開は今回初じめて見ました 東山を背に表門本堂本尊 釈迦三尊と 東福門院の座像が祀られています玄関には菊の紋と葵の紋が飾られていました菊の花も清楚でした小川治兵衛の作庭瑪瑙(めのう)の手水鉢加藤清正が朝鮮より招来したもの徳川家の手に入り 東福門院かこの寺に寄贈庭園東山が借景もみじも見ごろでした京都の現在の紅葉の状況観て来ましたが12月初旬までは鑑賞されそうです明日は本来の記事に戻り 哲学の道沿いの法然院に参ります
2014.11.25
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大河ドラマ軍師黒田官兵衛もいよいよ佳境に入りました常に官兵衛は ねねさんに 謀は相談し阿吽の心で戦の無い天下を望んだようで 今回も 石田三成を謀って味方から欺いて 天下取りを徳川家康に仕向けて行くようですそのねねさんの菩提寺も家康の心遣いで立派に残されましたねねさんは 独りよがりの夫を天下人に押し上げてくれた官兵衛に何時も感謝していたようです高台寺の紅葉霊屋が望まれますねねの道に最近飾られた ここでは秀吉とねねさんが地元では慕われているようです高台寺から祇園閣を望む庭園入り口のもみじ屋敷から方丈庭園 唐笠のアート臥龍廊下前のもみじ東山を借景に庭園池にももみじが映る霊屋に向かう坂道苔庭勅使門園徳院 秀吉の妻北政所ねねさんの終焉の地 77歳没す寝泊りもされたねねのみち玄関を入った処にねねさんの好きな「ツワブキの花」方丈への門方丈へと導かれます方丈傍のもみじ方丈庭園方丈庭園北庭のもみじ北庭 枯山水の石組み北庭北庭北庭のもみじツワブキの花の由来NHKで報じてましたねと挨拶すると今回は気持ちよく写真はご自由にと言われましたやっと家路に最寄りの京阪六地蔵駅と並木道遠くの山は伏見桃山御陵です
2014.11.24
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11月19日京都で最も代表的なもみじの名所【東福寺】に行ってきました約2000本のもみじが【通天橋】から渓谷【洗玉澗】(せんぎょんかん)に亘り豪華なものでした 平日でも人込みが多く 外国語で話す人も多かったですお寺では本日からの連休には 日和も良さそうで 一日3万人から3万5千人との発表でした通天橋を望む通天教の人の列通天教からの眺め人の列外国語を話す人渓谷から通天橋渓谷渓谷から通天橋を望む平地渓谷の下へ降りる渓谷の底には谷川出口のお堂 惜しみつつ通天教越しに渓谷の紅葉退蔵院の玄関塔頭の玄関道すがらのもみじ通天橋を望むこの写真を撮るとき「各自1枚だけで移動願います」と警備員の人も必死明日は高台寺と円徳院に参ります
2014.11.23
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衆議院解散 敢えて国民の信を問う安倍政権の議席を減らすかもしれない姿勢徳川家康の亡くなった日は 元和2年4月27日(太陰暦) 1616年6月1日何でも鯛の天ぷらに食中毒してその後75歳でなくなったとか。たまたまその前の年1615年6月に大阪夏の陣で豊臣勢力を滅亡させた直ぐ後でした。豊臣秀吉 醍醐の花見行列4月の後慶長3年8月18日(1598年)62歳にして伏見城でなくなっています。両者とも当時としては天寿を全うしたともいえます。朝廷より 神号を賜る豊臣秀吉 豊国大明神徳川家康 東照宮大権現織田信長 建勲 【二条城3.】大広間を過ぎますと、更に奥に、【黒書院】と【白書院】があります。【黒書院】は、奥御殿で、将軍と親しい諸藩の大名の内輪の対面所です。特に紀伊・尾張・水戸の「御三家」で、「大政奉還」の審議は、この部屋で行なわれたといわれています。注目すべき襖絵は、「狩野探幽」の弟「狩野尚信20歳」の桜の絵が、描かれ、兄の豪壮に対して、とても和やかな、優しい 落ち着きを感じさせる襖絵です。【白書院】いわゆる、【大奥】で、将軍を囲み、将軍にお茶を運ぶ「女官」控える「局」と控える「女官」が、人形で表しています。襖絵は、狩野兄弟のお師匠「狩野興以」の「山水画」です。此処より、折り返し、牡丹の間・ソテツの間そして、二条城から手渡される、パンフレットに「鷹」の図がありますが、大広間の裏「四の間」に豪快な「老松にとまる鷹」の絵に、目を輝かせてくれます。この部屋の左方の欄間には、牡丹、往路大広間の三の間がその裏側になり、同じ欄間に「孔雀」が彫られている事に、ご注目下さい。厚さ35cmkの幅で、異なった「彫刻」がなされています。老中の間そして最後に「勅使の間」を見て、下足した場所に戻ります。部屋数33室・畳数800畳余り有るそうです。 とても広くって、第一段階ここから時間がないので、引き上げるが多いです。 特別名勝史跡【国宝】・二の丸庭園更に、玄関の出て、右手に「庭園入り口」があり、【二条城二の丸庭園】(特別名勝・国宝並み)小堀州遠作庭。豪壮な石が並び、瀧が流れ、石橋・鶴島・亀島と配置良く、庭園の「要素」を備えています。 庭園入り口を入って、直ぐ右手に、先ほど巡った「二の丸御殿廊下」の軒下をのぞいてみますと、「鴬張りの仕組み」が見えます。本丸への門 内濠 本丸此処で、引き返す方も有ります。堀の橋を渡りますと第三段、【本丸御殿】天明の大火で、焼失、現在は京都御所に在った、旧桂の宮御殿を移築されました。庭園は明治時代に作庭、精洋風に作られています。 天守閣があった跡地【天守閣跡】天明の大火の直前、落雷で焼失しました。現在平坦な空き地に、なっています。帰路。【清流園】江戸時代に「角倉了以屋敷」から建物の一部と庭石800個を譲り受け全国から名石300個と集め、「和風庭園」と「洋風庭園」を作庭。茶室もあり、大茶会とか、国賓の接待所に利用されました。土蔵。収納庫(米蔵)そして台所・御清所には、人形が有り、「お毒見役」も、見られます。 清流園四季に季節の花が彩り、時間にゆとりがあれば、広域に散策を 楽しめる市民の憩いの場所でもあります。国宝二の丸庭園の桜二条城の苑内次回は 京都紅葉ナウ 東福寺です
2014.11.22
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京都の今朝の温度4度と冷え込みますこれから京都医療センターへ9週間目血液検査に参ります特定疾患再生不良性貧血の経過観察のためです国宝・二の丸御殿は、二条城訪問で最も貴重な見所です。旅で時間の忙しい人は、此処だけを観て帰る人が多いです。時代劇・特に徳川幕府のお城の御殿の雰囲気と襖絵の絵画は美術館を訪れた感激を覚えます。全て写真撮影禁止で残念です。 国宝・二の丸御殿の玄関 【二条城2.】 お城の中って、どんな構造に成っているのでしょう。下級武士から、殿様まで、そして「大奥」と、テレビで紹介されますが、実際に目の前に、見せてくれますのが、ここ【国宝・二の丸御殿】です。玄関には、龍安寺で、ご紹介した【懸魚】(げぎょ)が、目立ちます。下足を脱いで、スリッパに履き替えます。順次各部屋ごとに、説明付のボタンが、設置されています。短いですからね利用されると面白く見られます。【二の丸御殿】(国宝)桃山時代武家風書院造りの代表的な建物です。•1. 【車寄】(くるまよせ)・遠侍に付けられた御殿の玄関です。 欄間を見上げますと鶴・牡丹・鳳凰が見られます。聚楽第 の遺稿といわれています。豪華ですね。•2. 【遠侍】(とおさむらい)・柳の間・若松の間・勅使の間 お城に参上した大名や外来客の控え室と成っています。 柳の間・若松の間・襖の絵により名付けられました。 共に「目付役」が、来殿者の受付をする所で、来殿者の 心を和らげる雰囲気があります。 虎の間・三部屋に分かれています。大名の控え室で、 虎と豹の絵が描かれています。説明では、当時生きた 現物を見たことがないので。虎を雄・豹を雌との構想で、 微笑ましいです。城の威厳。武将の厳しさを表現したので しょう。何れも【狩野派】の絵とされています。3.【廊下は鶯張り】知恩院でも、紹介させてもらいましたが、皆様 が廊下を歩かれると、「きゅつ・きゅっ」と音がします。「忍びの 者が、潜入してきても直ぐわかる仕掛けとも言われています。 後ほど、庭園に出られたときに、建物の廊下の下部を覗きますと、 仕掛けが解かります。4.【式台】式台の間・老中の間。老中の間 老中と参上した大名と挨拶を交わした場所 【狩野探幽25歳】豪華な老松が襖(ふすま)に描かれています。 「切手」に登場しました。 東入り口の杉の戸の【八方睨みの獅子】何処から見ても正面を 向きます。5.【大広間】 「一の間・二の間」将軍と緒大名との対面所。最も大切な場所 です。人形がずらりと並んでいます。将軍は、小姓と、上座に 控え、「武者隠しの部屋」も控え、「桃山時代」の「武家風書院造り」 典型をなします。違い棚・付書院、天井は二重折り上げ格天井 (ごうてんじょう)この部屋で、【大政奉還の儀】が行なわれました。265年間の徳川幕府でした。明日は国宝二の丸庭園他を写真付きでご紹介します
2014.11.21
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昨日 もみじの名所【東福寺】ならびにねねさんで賑わう【高台寺】と【円徳院】取材に行ってきました見ごろでした 後日アップします 京都には、徳川に関係する遺跡が多いです。昨日の金地院に東照宮が建てられているように徳川家康には、側近の僧として金地院崇伝そして南光坊天海がいました。家康75歳で亡くなった後、神として祀るため贈り名に「明神」は先に秀吉が付けているので【権現】(菩薩の世を救う仮の姿)ときまったそうです。 御所の近くに徳川幕府は朝廷との交渉しやすく二条城を築城し伏見城は廃城となりました。徳川幕府は15代続き現代に至るまで、文化財は世界文化遺産の評価を得られるほどに脚光を浴びています。 本日は、修学旅行生では、欠かせぬ二条城です。【二条城1.】 世界文化遺産登録 修学旅行生が、近年タクシー観光を各社利用される学校が増えて来ました。一見贅沢の様ですが、安内による【見所】貴重な時間の有効性、迷わずに目的地が、多く観られます。そして何より大切な事は、【安全管理】父兄の方が一番我が子の安全を心配。要所に先生方が、待機して生徒さんたちに、安堵感を与え、微笑ましい光景が、見られます。二条城の外周 二条城の周囲は、2km(京都御苑は4km)ジョギングされる方を多く見かけます。それだけに、観光コースも三通り1.二の丸御殿の内部だけ見て帰られる2.二の丸御殿と池を廻って帰る。3.本丸庭園も観られる方、でしょうか。 二条城のあらまし•1. 徳川家康が、上洛の際の宿所として、1603年造営•2. 徳川家康と豊臣秀頼との、二条城会見がここで行なわれました。•3. 家光の時、後水尾天皇をお迎えすることで、外堀の西半分を拡大し、城郭として、盛大な宴が、模様されました。後水尾天皇の中宮が、家光の実の妹で【和子】(まさこ)後の【東福門院】で尚更に盛大にお迎えの設備が整いました。•4. 家光以降は、将軍の上洛もなく、幕末14代家茂の上洛が有りました。•5. 1750年落雷で、天守閣焼失。1788年天明の大火で、建物一部焼失しました。•6. 1867年(慶応3年)15代将軍徳川慶喜の【大政奉還の儀】が二の丸御殿大広間で行なわれました。•7. 1884年徳川幕府の終幕で、宮内庁の所管となり、二条離宮と改称されました。現在は、京都市管轄となりました。•8. 【国宝・二の丸御殿】•9. 【特別名勝・二の丸庭園】小堀遠州作庭 順路•1. 駐車場前の受付。•2. 東大手門(重要文化財) 暴れん坊将軍によく出てきます。東大手門 •3. .番所 江戸から毎年2組(1組50人)が、4月に交代で派遣されます。裃姿(かみしもすがた)が上役の人形です。坐姿は、番士の人形です。•4. 土塀に5本の筋が見かけられます。【筋塀】と称し、門跡寺院等寺格を表すと申しますが、京都では殆ど5本です。寧ろ「飾り」と思えます。 国宝唐門•5. 【唐門】二の丸御殿の正門。西本願寺の唐門と同じく、「伏見城」から移築されたとの伝えです。良く観ますと「雲龍」「竹に虎」「牡丹に唐獅子」等豪華で鮮やかで、盛んにシャツターを切って居られます。 国宝・二の丸御殿•6. 二の丸御殿の入り口前庭、プロの写真家が記念写真をと待機しています。 他でも、シャツターチャンスと考えてよいでしょう。次回は、御殿内へ。
2014.11.20
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一昨日京都のもみじの状態を一部観て来ました毘沙門堂と同じ京都市山科区に存在します 醍醐に隣接【勧修寺】 (かじゅうじ) 真言宗 山階派西暦900年醍醐天皇がご母堂の菩提のため創建されました庭園は「勧修寺氷室園」と称し 平安時代毎年1月2日に「氷室池」に張る氷を宮中に献上されていたそうですその氷の厚さに依ってその歳の五穀豊穣を占ったそうです参道氷室池御所風の門宸殿国家 君が代の さざれ石宸殿参道宸殿観音堂とはいびゃくしん樹齢750年水戸黄門寄贈の雪見灯篭観音堂不断桜池のそば紅葉の見ごろとして取材に行ってきました明日は二条城に参ります
2014.11.19
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今回の大河ドラマ 天下をと五大老の前田利家に向かって石田三成側に着いた病身で余命幾ばくも無い者がと黒田官兵衛が諭します徳川家康には、日光東照宮という、豪華な祀られた場所がありますが織田信長の祀られた此処建勲神社は、人知れず密かに建っています。 枯山水の庭園と茶室に恵まれた大徳寺を出ますと近くに織田信長を祀る 【建勲神社】 があります。 建勲神社 (けんくんじんじゃ)または(たけいさおじんじゃ)入り口の鳥居平地から石段を可也登っていきます。偉い人は高いところを好むののでしょうか。 石段の参道 参道 幾つか屈折した石段の最上部やっと石段の参道を登りつめました。本殿が見えてきました。 本殿で静まり返っています 本殿からは、京都の都が見下ろせる位置に鎮座まします。本殿前からの写真です、彼方に大文字山がみえます。本殿の境内は広くその奥に隣接した、市民の広場が開けます【船岡山】 と称します。昨日ご紹介しました大徳寺塔頭の弧蓬庵(こほうあん)は寺院の庭園の借景として、船岡山を小堀遠州は採り入れています。頂上ではこのラジオで朝のラジオ体操がおこなわれています。 頂上広場頂上からは、京都市街並びに御室嵯峨方面の北山連峰が見えます。 京都市街 御室・嵯峨北山連峰 一番奥が愛宕山船岡山を西に降りますと、金閣寺が直ぐ側です。賑わいの陰にひっそりと佇んでいます。船岡山は中国の風水によりますと、京の都の基点になり、二条城側の神泉苑に風水の瑞線が繋がっていると言う、神聖な山とも言い伝えられています。都の西北に織田信長の神社が、そして明治維新以降に建てられた豊臣秀吉の豊国神社が東南に斜線で繋がっているのも偶然でしょうか。平安遷都で、都造りにも、中国の易を大切に、【四神相応】【風水】を基盤に、厄害呪い等を避けるべく、大切に扱いました。船岡山は、風水の霊地として存在価値があります。四神 百虎(東) 西龍(西) 朱雀(南) 玄武(北)亀・黒現在の【千本通】゛風水の道で、都が出来たときの大内裏から朱雀大路(100m幅)が広がっていました。明日は勧修寺です
2014.11.18
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本日京都の紅葉で見ごろと言う事で 勧修寺と毘沙門堂のもみじを取材して来ました【毘沙門堂】 天台宗五門跡寺のひとつ 山科本堂と弁天堂参道前の急な石段参道玄関玄関前のもみじ本殿弁財天堂庭園に注ぐ意思橋参道の急な石段 上からの眺め勧修寺は明後日ご報告します
2014.11.17
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偶然大徳寺塔頭では、初めての公開とも云える二ヶ所をたまたま訪問することができました。金毛閣の直ぐ側に建てられている興臨院に先ずまいりましょう。【興臨院】石川県能登の戦国大名 畠山義総 の戒名からの命名で畠山家の菩提寺です。火災に逢いその後加賀の前田利家により再興以後前田家の菩提寺でもあります。昨夜大河ドラマに出演興臨院唐門は室町時代のものムラサキシキブ方丈庭園蓬莱山方丈裏の庭園 もみじ みつけました茶室【黄梅院】 織田信長公28歳のころその父君 織田信秀の追善菩提のため当時の羽柴秀吉により小庵を造営しました。 開祖の僧の出身地中国黄梅県破頭山により寺名がつけられました。従って日本の禅寺で一番古いとされています。秀吉は、庭園として千利休に命じ【直忠庭】を遺しています。三尊石を中心に広々とした苔の庭でした。後に信長公が本能寺の変で急逝するや、庵では、小さいとして【総見院】 を建て大徳寺焼香も盛大に催しました。後に、毛利元就の子小早川隆影が普請奉行となって、両親元就夫婦の墓も信秀と共にあります。庵を院に改めました。寺格として 寺・院・庵・坊・軒黄梅院の入れ口玄関前の苔庭参道間口は小さいので小さい寺院と思いました女性群写真撮って居ます。もみじがありました茶室直中庭回廊があって向かいまで廻ります。広さを感じます。恐らく織田信長の菩提寺総見院と同じ広さ枯山水の一部破頭庭の方丈枯山水三尊石と一直線の砂の紋単純的ですが中国の景勝地そして厳しさの伝統を忍ばせます大徳寺の時代を偲ぶに相応しい訪問でした。明日は、織田信長の祀る 建勲神社に参ります。
2014.11.17
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大徳寺は非公開寺院が殆どですが今回主役ともいえる千利休の菩提寺を特別公開で訪れました。 聚光院の門聚光院の玄関千利休の墓京都に住みそして観光に何回か大徳寺を訪れましたが、86歳にして初めて、念願の千利休さんのお墓詣でが実現しました。【聚光院】 (じゅこういん)織田信長が眠る、【総見院】の東隣に位置します。【方丈の襖絵】狩野永徳画 4箇所 国宝指定真珠庵 特別公開 一休さんの寺左参道は、【大仙院】です真珠庵の入口受付の女の方に尋ねましたが、此処も庭園全て撮影禁止でお寺さんが決めておられるのでとのことでどうもとで、諦めました。七五三の庭園が有名で、一休さんが僧侶として務められたお寺でもあります。大仙院前のもみじです大徳寺境内を西へ出たところに今宮神社が゛ありました。【狐篷庵】です。 【狐篷】とは、中国でよく見かける、苫の屋根で作った舟をいみします。映像は、Google画像 狐篷庵で見られます。 狐篷庵境内狐篷庵玄関狐篷庵大徳寺への参道 大徳寺境内より、飛び地になったやはり塔頭の【狐篷庵】が今宮神社の参道を越えたところに位置します。此処も非公開で、特別に予約して、見せていただいても、撮影は全て禁止で、とても残念です。 大徳寺は、戦国時代の各武将家の菩提寺が集結しています。でも此処には、豊臣も徳川もありません。【狐篷庵】 (こほうあん)非公開 (中国風景に出てきます、苫の帆かけ小船)「小堀遠州」が故郷「近江八景」を庭園に作庭。「船岡山」を借景に採り入れています。茶室 【忘筌】 (ぼうせん)中国の諺に「得魚忘筌・得兎忘蹄」 (とくぎょぼうせん・とくどぼうてい)があり、其の中から名付けられたようです。説明では茶人の心得といわれました。魚や、兎を手にすると、人は、お世話になった魚や兎捕獲の器に感謝する事を忘れてしまう。戒めとも考えられます。功成れば師の恩を忘れてしまいがちの戒めでしょうか。中国の漢詩は、随所に、ことば短くして至言を伝えます。中国の歴史に、何故中国の人たちは、誇りを持てないのでしょうか、次回大徳寺最終回を更新します。
2014.11.16
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本日、砂川小学校でゲートボールの指導員として京都市教育委員会 教育長より表彰状の栄誉を受けて来ましたあなたは永年にわたり地域に根ざした指導者としてスポーツ活動を通して子どもたちの健全育成に尽力し本市教育の進展に寄与されましたよってここにその功績を称え表彰します何も代価を求めることなく ボランティア精神で 少しでも子どもさんたちがゲートボールに興味を持ってもらえたらの気持ちで小学校の意向もあって続けて来ました とても光栄に感謝しています表彰式会場表彰状第6回京都市地域児童スポーツ指導者表彰式典京都市教育委員会 京都市で26名 推薦途中で他に故人に成られた方も有りましたご冥福を祈ります
2014.11.15
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今朝の京都も5度でした東福寺の紅葉が見ごろと言う気象庁の便りでです嵐山・清水寺は色づくでした戦国時代が最も歴史で様変わりのある時代でした。織田信長 鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス 豊臣秀吉 鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス 徳川家康 鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス臨済宗(禅宗)の寺院は、京都に世界文化遺産17箇所の内、 金閣寺・銀閣寺・天龍寺・龍安寺・西芳寺と5箇所含まれるほどに、文化的に高く評価されている傾向にあります。大徳寺シリーズも今回まで、此処だけでも心が和みます。大徳寺では、多くの塔頭が有りますが、特別公開以外には4箇所の常時拝観できる塔頭(たつちゅう)が有ります。【大仙院】【高桐院】【瑞峰院】そして【竜源院】です。【大徳寺5.】【竜源院】 大徳寺塔頭能登の畠山氏、豊後の大友氏、周防の大内氏が建立しました。 参道本堂は、室町時代最古の応仁の乱以前に建てられた禅宗方丈建築で 本堂庭園は土塀を背景にした飾り気のない枯山水の竜吟庭と苔庭と一枝坦(いっしたん)そして小さい壷庭があります。 竜吟庭 苔庭 一枝坦の庭園 壷庭 部屋には豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝える碁盤があります。 秀吉と家康が対戦したという豪華な碁盤臨済宗禅宗の寺院では、龍の絵画を大切に表現しています。庭園の清掃は行き届き、観る人の心に清浄感を与えます。次回は、今回初めて、特別公開した塔頭で、【黄梅院】撮影禁止撮影は遠慮してくださいとされていました。
2014.11.15
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京都は昨日から急に冷え込む様になりました 昨日思い切って課題の 大徳寺山内の 【呑湖閣】(どんこかく)を求めて取材に行って参りました 始めて写真に収められました【芳春院】1608(慶長13年)加賀の前田利家夫人松子の法名 芳春院の創建現在の建物は明治以降の再建です呑湖閣花頭窓が美しい 渡り廊下打月橋と小堀遠州作庭の 飽雲池加賀から京の都に参上するたびに琵琶湖を通り遥か山を越えて望まれたようです山門参道門門門の屋根に加賀百万石の家紋梅の花が飾られていました門を入った処にお地蔵さんツワブキの花方丈庭園の入口の花頭窓方丈庭園縁側から東 花頭窓が見えます縁側から西方向三尊石の石組みが観られます方丈から西側廊下伝いに裏庭に見えました【呑湖閣】が 更に進みます恋人にやっと会えた感動を覚えました二重楼閣には前田家一族の位牌が安置されています小堀遠州は二条城の国宝庭園も造っています岩組が豪華でした楼閣山水園岩組です 泳ぐ鯉が和やかです右手は茶室【霊屋】非公開 前田利家と松子芳春院尼 息子利常が祀られているそうです京都四閣金閣銀閣飛雲閣 西本願寺呑湖閣 芳春院何れも池の伴なっていることに共通な面が有ることに気付きました明日から又大徳寺の続きとなります
2014.11.14
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本日 大徳寺塔頭 特別公開 芳春院に取材に行ってきました呑湖閣 明日更新します紅葉の情報として鷹峯に足を延ばしました【源光庵】曹洞宗(禅宗)矢張り龍の蛇腹の道本堂血天井があり徳川家康の家臣 鳥居本忠及び家臣の霊を弔っています庭園のもみじこの写真を撮っているときに写真はご遠慮願いますと咎められ肝腎の悟りの窓および迷い窓越しの紅葉は撮れませんでした以前は自由に撮れたのにと残念でなりません従って映像は Google 「源光庵」で検索された上部に【画像】を選ばれますと観ることが出来ます円い窓 四角の窓 禅宗でもこの前の真言宗【雲龍院】でも写真ご紹介させてもらった代表的に有名な源光庵でした
2014.11.13
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今朝の京都の気温11度昼間も11どから9度に下がる寒さです高雄では紅葉の最盛期をテレビで放映していました昨日のキリシタン 細川ガラシャ夫人についで大徳寺境内にはキリスト教禁令の中での大友宗麟の菩提寺をご紹介します。 枯山水の庭園で、荒波をあしらった表現は珍しく印象に深く残ります。私の最も好きな枯山水です。 【瑞峰院】 (ずいほういん)公開。キリシタン大名【大友宗麟】(おおともそうりん)が菩提寺として建てました。豊後の戦国武将大分出身霊名 ドン・フランシスコ瑞峯院は禅宗の戒名から名付けられています。 枯山水の庭園でも 怒涛逆巻く 砂紋の激しさは 類例がありません禁令下のキリスト教 そして戦国時代を象徴しているようです玄関入り口 禅宗の入り口に【韋駄天】が祀られ守護されています。 坪庭庭園の一箇所に、十字架の庭がわかり易く、鑑賞出来ます。 十字架の庭石組みが斜めに十字架と組まれていますが隠れた形で信仰を保っています。何と云っても【方丈庭園】は、枯山水で、荒波が岬に。怒涛の如く押し寄せる風景に、砂をするどく、深めに形作っています。外に類例が無い、豪壮な姿を表現しています。 方丈庭園・枯山水の怒涛逆巻く豪壮な砂の彫り方は他に類例ありません。信仰を貫く精神が垣間見られて、私の最も好みの枯山水です。茶室で国宝は3箇所その一つ、大山崎に有る【待庵】(たいあん)のモデルが新装なり、特別に申し込まれましたならば観られると思います。【聚光院】 (じゅこういん)非公開 千利休・三千家の墓有り菩提寺。 【龍光院】 黒田長政が父官兵衛(如水)の菩提のために建てました。 大河ドラマ 黒田官兵衛の菩提寺に国宝茶室もあったのですね。非公開寺院長政もキリシタン大名で、官兵衛も洗礼名シメオン 如水の別名も旧約聖書から採り入れたもの 日本国宝三茶室 【蜜庵】 (みつたん)が有ります。 外に愛知県犬山市 【如庵】 (じょあん) そして京都府大山崎の 【待庵】 (たいあん)です。 【三玄院】 非公開 石田三成の墓があります。【芳春院】非公開 前田利家夫人芳春院の創建です。【呑湖閣】(どんこかく)小堀遠州作といわれ、前田家は、上洛の際「琵琶湖」に関係有り、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)と京都の四閣にあたります。特別拝観時観られます。 塔頭が外にもあり、何れも織田信長・豊臣秀吉に関係した武将達の菩提寺で、「茶室」もあり、京都では、【大徳寺】 を 一名 【茶面】 (ちゃづら)とも云われています。明日に続きます。
2014.11.13
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【大仙院】 塔頭で公開している中で最も大きく、見所も多いです。入り口の隣に一休禅師の住持された【真珠庵】が有ります。非公開で特別公開の時は、七五三の石組みの庭園などが観られます。入り口で、ブログ取材のため写真をと尋ねましたが、庭園すら撮影禁止で皆様にはご紹介で残念です。 大仙院 臨済宗(禅宗)の寺院を訪問するときに、掃除の行き届いている姿に、驚き且つ気持ちよく拝観が出来ることに、幸せを感じます。禅宗では、座禅を主としますが、日常の「作務」(さむ)として特に掃除する事を大切にされます。 「大仙院」の入り口を入ると、お釈迦さんに関係する樹が植わっています。一つは「菩提樹」で、お釈迦さんが、こ樹の下でよくお説教なさったそうで、他の一つは「沙羅双樹」で、お釈迦さんが、亡くなられたときに回りに有った樹とされています。「涅槃図」(ねはんず)に良く出てきます。更に門をくぐると、十二支に因んだ石が、各方向に並べて有ります。庫裏の入り口に【何妨】(かほう)の額が掛っていました。禅宗では来訪者は、どなたでもさまたげないの意味だそうです。 受付を済ますと、直ぐに【庭園】に遭遇します。【特別名勝・史跡】ですから国宝級です。院内庭園も含め撮影禁止でみなさまにご紹介できず残念です。渡り廊下の【花頭窓】から【透渡殿】(すいわたどの)が庭園の中心にあり、それを通して、枯山水の絵が美しく、瀧の滔々と流れる姿を想像させます。そして下流には、船石が有り、何れは、【方丈庭園】の白川砂で広がる、大海へとそそぐ形式を採っています。 庭園の中程の茶室は、過って「豊臣秀吉」と「千利休」が対峙した場所で、当時何を語り合ったのか、考えさせられます。「鶴島」「亀島」そして「石橋」もあり。庭園の要素を全て整っています。 方丈の北側には、【拾雲軒】(しょううんけん)が有り。「沢庵禅師」の書院で、「宮本武蔵」とも対面したことでしょう。 【方丈】(本堂)は【国宝】で、襖絵 【四季花鳥の図】狩野元信筆 【四季耕作の図】狩野之信筆 【四季山水の図】相阿弥 筆広々した方丈庭園も、座して暫し眺めますと、心が静まります。右奥に【沙羅双樹】が配置されています。芳春院【芳春院】 加賀前田家の菩提寺 非公開【呑湖閣】(どんこかく)加賀藩から琵琶湖を眺めながら都へ上洛するために付けられたようです。金閣・銀閣・西本願寺の飛雲閣と呑湖閣で 京の四閣と呼ばれています。此処も【総見院】と共に特別公開を11月30日まで 600円です 近日取材に行ってきますわが国の歴史では、「踏み絵」等でキリスト教徒への、弾圧が厳しく公には信仰を保てなかった中で、此処大徳寺の塔頭で2箇所公に信仰を守っこうた人物の菩提寺が有ります。一つは【高桐院】 (こうとういん)【細川ガラシャ夫人】です。公開しています。明智光秀の娘で、千利休の七哲の一人細川忠興の正室【玉】でした。石田三成の「人質政策」に反抗して死を選ぶ際に、キリスト教徒は、自殺は禁じられていますので、家臣の刃で亡くなりました。【欠灯篭】 豊臣秀吉の名石狩りをさけるためと、銘に「無双」と印し完全を忌(い)む公自身が一部を欠いたそうです。茶室【松向軒】(しょうこうけん)は、黒壁で質素に造られています。高桐院の入り口参道・玄関庭園細川忠興とガラシャ夫人の墓所今は、安らかに憩われておられることでしょう明日も大徳寺の塔頭を続けます。
2014.11.12
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大徳寺 織田信長一統の墓のある総見院 平成26年秋季特別公開期間: 平成26年10月11日(土)~11月30日(日)
2014.11.11
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昨日アクセス222,222達成に対し 多くの方々からお祝詞戴き有り難うございました 毎日平均の3~4倍の応援に励まされています 昨夜の大河ドラマ 軍師黒田官兵衛で 遂に堪忍の緒が切れて明智光秀の「敵は本能寺にあり」となりました愛宕神社のおみくじは 何度いひても 凶 でした信長は世界を目指し 我が息子 信忠に後を命じていましたにも拘らずあるじの織田信長の葬儀も、シメヤカに営なまず。自己誇示のための全国の諸将に号令して、総見院の前でいわゆる【大焼香】をしました。功績と捉えればこの大徳寺には最も大切に菩提寺が有ってしかるべしで、その上心の師匠千利休をも切腹に追いやりました。石田三成の菩提寺すら有りながら、秀吉の菩提寺は有りません。大焼香の前には、その横暴さに僧侶の中で秀吉暗殺計画もあったそうでその師匠によって未然に防止されたほどで、当時の世情が察せられそうです。豊臣秀吉と千利休、大仙院でお茶をかわしたとされる部屋が ありました。美しい枯山水の庭園を眺めながら、然し秀吉には自分より秀でる者をも疎みました。利休の弟子が「金毛閣」の二階に師匠を崇める木像を安置、その門を秀吉に潜らしたと難癖を付け怒って切腹を命じてしまいました。利休のことなら、誤ってくれるだろうと信じての 戯言、でも理は通らずお前が頭さえ下げてくれればそれで済む事じゃ。頼む」と事の重大さを知りましたが、利休は切腹を選びました。 1582年豊臣秀吉は、全国大名に対しての威信を保つ為、主人「織田信長」 の葬儀を 「総見院」 で執り行いました。いわゆる 【大徳寺焼香】 として、歴史に残されています。たまたま、特別公開に恵まれ写真が撮れました。日頃は、非公開寺院のため、中には入れません。総見院 入り口の門本堂茶室茶室織田信長一家の墓中央織田信長長男信忠 そして向かって左端には濃姫も 千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、 「聚光院」 にあり、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。何故か「石田三成」も有ります。石田三成の墓所400余年前戦国時代の歴史的出来事が 各菩提寺の存在で語られているようにその足跡の何かと判じさせてくれているようです
2014.11.11
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ブログ名:京都観光をご案内し・・・総アクセス数:222222 アクセス(平均 125 アクセス/日)開設日数:1784日(開設日:2009/12/23)日記記入率:96.1%2014年11月10日16時 達成しました皆様方の絶大なる応援の賜物と心より感謝します NHK大河ドラマ【軍師黒田官兵衛】 【秀吉の最後】昨夜の放送の後記醍醐 勅使門 桜明治天皇陵 伏見城跡伏見城石垣跡国宝 西本願寺唐門 伏見城から秀吉辞世の句露と落ち 露と消えにし 我が身かな浪花の事は 夢のまた夢
2014.11.10
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今朝は朝から雨です紅葉便り嵯峨の天龍寺がみごろとか 他は染まり初め 禅宗・臨済宗大徳寺派の本山に参ります。戦国時代の将者の菩提寺になっています。何故か豊臣秀吉の名は有りません。 【大徳寺】 済宗大徳寺 開基 宗峰妙超 (大燈国師) 山号 龍宝山紫野大徳寺と言う、広い境内の中に21の塔頭 (たっちゅう)が有ります。殆どが一般公開されていませんが、4箇所は、常に公開されていますので、序々に訪れたいです。 先ず本坊からまいりましょう。「大燈国師」により、創建され、位も臨済宗として「五山」の上位に有りましたが、三代足利義満により、十刹(じゅうさつ)の内9位に寺格を下げられた為、辞しました。現代「南禅寺」が「五山」の上位にされたままです。応仁の乱で、焼土化し衰退しましたが、一休宗純により、難波堺の豪商の支持で再建されました。一休さんの庵は、「大仙院」の隣に「真珠庵」として今も残されています。千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、 「聚光院」 にあり、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。【大徳寺の七堂伽藍】 (ひちどうがらん)【勅使門】 御所の陽明門を後に下賜されました。桃山時代の遺構です。 勅使門 【三門・金毛閣】 (きんもうかく)初め初層のみの唐様の三門の上に「利休」の弟子たちが上層の【金毛閣】を建て増し、「利休像」を置きました。そして秀吉をその門をくぐらしたことから、秀吉の 逆鱗に触れ、遂に切腹の原因の一つと成りました。秀吉は、自分より秀でる者は難癖をつけても押さえつけたいとして敢えてと承知で三門を潜りました。切腹を命ずれば利休もきっと命乞いすると踏みました然し、利休は泰然として切腹を選びました。秀吉は慌てて「頼むから頭だけ下げてくれればすむことじゃ」利休に懇願するも時遅く、素晴らしい側近の味方を失いました。 金毛閣【仏殿】(本堂) 本尊 釈迦如来 狩野元信の図があります。 仏殿の釈迦如来本尊【法堂】(はっとう)法要を営む。狩野探幽の龍の図があります。 法堂【浴室】昔、和尚さんが入浴された場所。浴室【経蔵】(きょうぞう)天平時代から、南北朝時代の写経が納められています。経蔵【鐘楼】(しょうろう)この鐘の合図で、現在も一山の和尚さんたちの諸行事に、出頭されます。【大徳寺本坊】 (非公開)【唐門】 本坊に据え付けられています。「聚楽第」(関白豊臣秀勝の御殿)の遺構とされています。本坊が非公開でも、外から観られます。獅子・松・孔雀・滝に鯉。見渡している内に日が暮れると言うところから、【日暮門】とも言われています。 七堂伽藍の参道順次、大徳寺境内にある、塔頭をご紹介してまいります。
2014.11.09
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嵐山も紅葉始まりました 「夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも、よに逢坂の関はゆるさじ」 清少納言(966~1027)夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人を騙そうとしてもこの逢坂の関(男女が夜に成って過ごす)は決して許しませんよ。中国の故事函谷関のようには、鶏の鳴き声を部下にさせて、関守をだまして、関を開門させた逸話。清少納言は66代一条天皇の時、中宮定子(ていし)に仕えましたが、定子が24歳の若さで亡くなり宮仕えをやめました。そして晩年は定子の墓「鳥戸野陵」の近く、つまりこの辺り「東山月輪」で余生を送ったそうです 泉涌寺には、幾度か訪問してきましたが、ついぞ時間的余裕もなく同じ境内に塔頭として、京都らしい素晴らしい庭園のある寺院を初めて訪問しました。そして感動受けました。【雲龍院】 真言宗泉涌寺派広い庭園を囲んで赤い毛氈がひかれた畳部屋からの眺め悟りの窓 迷いの窓 障子越しに紅葉鑑賞悟りの部屋から庭園拝観清浄の間から紅葉鑑賞この和服姿の方は殆ど動かれず 観想の世界へ 掃除の行き届いた美しい庭園大輪の間 大石良雄の額 (大輪の間)伯父様が来迎院の住職で此処にもよく来られた 霊明殿 霊明殿前提燈籠の下菊花のご紋徳川慶喜が寄進した燈籠本堂薬師如来・日光菩薩・月光菩薩が祀られています障子4枚に夫々ガラス窓を配し しきしの景色を部屋から味わう梅・燈籠・楓・松と4枚違った眺めを間接的に観る仕組み玄関に真言宗ですが、龍の絵が皆様を迎えてくれました東福寺そして清水寺の大勢の観光客に押されることなく、静かにそしてお部屋の仕組みで間接的に紅葉を鑑賞をゆっくりたのしめました。足腰の悪い人のために部屋からも腰かける小さい座椅子が用意されお寺さんの心遣いが籠っていて嬉しかったです。次回は大徳寺に参ります
2014.11.08
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朝の続きです アクセス数 222,222が近づきました最近毎日の異常なアクセス数に戸惑っています 【泉涌水屋形】 (せんにゅうすいやかた)今でも泉が涌いて居ます。泉涌水屋形 【清少納言の歌碑】屋形のそばに建てられています。皇室のお傍に仕えられて歌碑が遺されています。 清少納言の歌碑並んだ位置屋形のもみじ菊花展 泉涌寺境内を盛り立てていました華道のお師匠さんが和服姿で京都らしいです。明日は、泉涌寺の塔頭【雲龍院】に参ります。最も静かに綺麗な紅葉の鑑賞の出来た穴場と感じました
2014.11.07
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京都の紅葉だより 高雄神護寺見ごろ 清水寺・東福寺もみじはじめ嵐山 紅葉はまだ本日は、一転して、京都は 東山の南部にある東福寺の側に、皇室にゆかりのある泉涌寺があります。【泉涌寺】 (せんにゅうじ)真言宗泉涌寺派總本山 開基 月輪大師(がちりん) 山号 東山 御寺と書いて、 「みてら」 と称します。皇室に縁あり、天皇両陛下お揃いで、「京都国際会館・世界大会」に御臨席の際に、行幸が有りました。当初、弘法大師が草庵を建てられ、「法輪寺」とされましたが、後に月輪大師が再興されたその落慶の時に泉が湧き出したので「泉涌寺」と改名されました。現代でも残っています。 「山門」をくぐりますと、左側に 「楊貴妃観音像」 の祀られたお堂があります。 楊貴妃観音堂そして再び「山門」に戻り、広場の坂道を下った正面に、【仏殿】があり、高坐に「運慶作」と言われる「釈迦・阿弥陀・弥勒」の三尊が祀られています。天井の龍の絵と堂裏に画かれた「白衣観音菩薩」絵は、「狩野探幽」の作です。「涅槃図」も有名です。仏殿が坂下にそして仏殿にまつられた三尊像の高さと門をくぐる人間と同じ高さに仕組まれています。人仏一帯の精神です 【霊明殿】四条天皇を始め、歴代の天皇・皇后・親王のご位牌が奉納されています。 霊明殿 特別に別拝観料を払って、入れます。是非皇室の雰囲気を味わって下さい。本坊霊明殿の奥には、別世界の様に、東山を背景にシーンと鎮まり返った雰囲気の御陵「十二帝陵」が有り、今回も両陛下が玉串の奉納を捧げられました。小鳥もさえずり自然の静けさは心が洗われます。御陵の入口 十二帝御陵東山が背景【舎利殿】(しゃりでん) 御釈迦さんの分骨を祀る舎利殿字数制限のため続きます
2014.11.07
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11月3日 自宅より京阪電車2駅目黄檗を降りて万福寺の三門が初めて特別公開しているということで取材に行ってきました東福寺は臨済宗そして万福寺は黄檗宗と何れも禅宗の寺院です三門 階上に人影先ず総門から 龍の頭屋根の両側に摩伽羅(まから)インドの神話によります聖域を護るほかでも 仁王門 インドの護法神 仁王が護る敷石は龍の蛇腹三門に通じる敷石歌碑山門を 出ずれば日本ぞ 茶摘み唄 菊舎尼茶所 銀杏庵門中国風の城壁 銀杏庵山門前の石塔 「 不許葷酒入山門」くんしゅ 山門に入ることを許さず葷酒とはニンニク等匂いのきついまたは酒を飲んだ者修行の妨げとなるため特別拝観で三門の急な階段を一人づつ登りました 足が笑ってしまいました然し二階では釈迦十大弟子の等身大の写真パネルが有るだけで写真は駄目でした 上から境内だけは初めての鳥瞰図でした正面のお堂に布袋尊が祀られています開祖 隠元和尚の御廟所 左三門の外側 総門が見えます三門とは 説明では 三解脱門(さんげだつもん)と称し 解脱とは悟りを求めることで 仏教を学びたい者がこの門をくぐれるとされ難しくは 三昧(さんまい) 瞑想 涅槃(ねはん) の心境を目指すと 三の意味は解しましたがそれ以上はとてもとても 要するに門は参拝する人のための入口ということで石塔には山門?とは 寺院では山号を付けるので黄檗山 万福寺三門のすぐそばに特別公開として 【松隠堂】(しょういんどう)も観て来ました枯山水庭園枯山水庭園 円い窓と四角い窓円い窓 室内写真禁止三門を眺める 紅葉ぼちぼち七福神 布袋尊開版 お食事の合図等時を知らせますお魚は寝ているときも目を開く 魚版 木魚の原型とされています釈迦の子供 十大弟子のひとり 羅怙羅像(らごら)お釈迦さんの顔を胸に抱く法堂 【本堂】開祖 隠元禅師和尚さんの御廟所 中国人が日本で眠っておられます禅宗の寺院は何れも綺麗に掃き清められています明日は御寺(みてら)泉涌寺に参ります
2014.11.06
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朝8度 昼17度 京都も冷え込んできました11月3日自宅の近くの黄檗山万福寺の三門が初めて特別拝観で取材に行ってきました明日ご紹介します同じ禅寺です 涅槃図東福寺 猫が描かれていることで話題 Google 画像で検索されますとみられますお釈迦さんは旧暦2月15日に亡くなられたとされ この時期にその遺徳を偲ぶために 【涅槃会】 が各地で行われます。写真が撮れないのですが、左下に矢印で ネコ とひょうじされています過日ご紹介しましたように、十二干支及び涅槃図からは一般に猫は参加していません。お釈迦さんが、中毒で倒れられ、天から麻耶婦人(母)が薬袋を投薬されましたが沙羅双樹の枝にひっかかり ネズミ君がそれを採りにのぼろうとしたとき猫君が阻んでお釈迦さんに間に合わなかった画像は画僧【明兆】の作 仕上げに絵具が足りず近くにある絵具屋から飼い猫が絵具を加えてきてくれたので 明兆が画きくわえたと伝えられています。猫君神妙にかまえていますでもよかったね 東福寺の本山の境内には塔頭寺院があり、夫々見所が有ります。本坊だけ観て、訪れない方が殆どです。 退耕庵 (たいこうあん)塔頭 北門の近くに有ります。小野小町作と伝える高さ2mの【玉章地蔵】(たまずさ)(文)と「小町100歳」像が有ります。伏見区醍醐の「小野の随心院」にも有ります。後日ご紹介します。 玄関までの路 入口の門 入った右側に お地蔵さんがあります。 岸信介基総理大臣の植樹 岸家の菩提寺【霊雲院】 (れいうんいん)塔頭 重森三玲作枯山水庭園。【臥雲の庭】(がうん)と 【九山八海の庭】 (くせんはっかい)金閣寺にも「九山八海の名石」(中国より取り寄せた)が有りました。凹凸に飛んだ又美しい庭園です。九山八海は、 「須弥山」 (しゅみせん)の形を現しています。これを須弥檀と言います仏の世界でお寺に行きますと仏像を祀っているお逗子とか祭壇があります。。 九山八海石塔 九山八海石塔 霊雲の庭龍吟庵にも黒い雲の表現としてありましたね。 庭園 六地蔵尊六道の担当 【地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天】入口に新しいお地蔵さんが歓迎してくださいました。
2014.11.05
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【芬陀院】 (ぶんだいん) 東福寺の塔頭 雪舟寺とも参道洗心の道ともいわれます暫し心を浄めて寺院内を訪問 雪舟庭園【鶴亀の庭】 雪舟は少年時代備中(岡山)の【宝福寺】ですごしました。東福寺の末寺法縁あって東福寺に起居していました。たまたま絵描きだけでなく庭園も作庭していました。ある日亀島を造ったところ住職が夜半にそっと窓を開けると、亀が動き出したので、驚いて雪舟に知らせましたら「重石をつけましょう」と石を載せることでとどまったそうです。今も石が乗っかっています。此の話を聞いた、後陽成天皇第九皇子【一条家第十四代の恵観】が雪舟にお願いして、【鶴亀の庭園】を作庭されました。 鶴亀の庭 曲玉の手水鉢と崩家形灯篭 茶関白 一条恵観公好みの茶室が鶴亀の庭の奥にありました。 真ん丸い悟りの窓 四角張った迷いの窓 外側から 関白 一条恵観公の【図南亭】 表玄関 雪舟の逸話幼少のころ小僧として悪戯して、和尚さんから叱られお堂の柱に括り付けられて、お仕置きを受けました。哀しくって泣き仕切る内に涙が床に流れ、何時しか足先で床にネズミ君の絵を描いていました、すると画かれたはずのネズミ君が動き出したというエピソードは有名です。此処でも重い動く亀石に石を置くほどに。明日も塔頭3.を更新します。
2014.11.04
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臨済宗 禅寺では 特に龍がよくあしらわれます寺の名にもよく出て来ます法堂(はっとう)では 天井に龍の絵がその他襖絵にも 龍が画かれています龍は雲を呼び 雨をもたらすと言い伝えられます特に 龍は仏法の護持する護法神とも言われ仏の慈雨をもたらす意味でも大切にあつかわれるのでしょう それにしても 修行のためとはいえ 何処も掃除が徹底し清浄感の清々しい 禅寺の共通した 雰囲気に 心鎮まります本日より、平常に戻り、禅宗の枯山水庭園シリーズを掲載したいと思います。東福寺の塔頭で日頃は、非公開寺院ですが、昨年の秋に特別公開されました。【龍吟庵】 (りょうぎんあん) は、 東福寺第三世住持 大明国師の墓所が有り、室町時代 足利義満の揮毫の 龍吟庵の額縁を拝する 日本で最古の国宝の方丈が 遺されており 書院造り・寝殿造りとして 貴重な建物が拝観することが出来ました。足利義満の定めた禅宗寺院五山南禅寺 五山の上位一位 天龍寺 二位 相国寺 三位 建仁寺 四位 東福寺 五位万寿寺何の理由で順位を定めたかさだかではありません。大徳寺派そして妙心寺派は、誘いを断ったそうです。 通天橋と同じ渓谷洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた偃月橋(えんげつきょう) 方丈庭園 枯山水 竹垣は 龍を呼ぶ 稲妻模様 西側庭園 龍の庭龍が海中から黒雲を得て昇天する姿竹垣は稲妻模様唱和の作庭者 重森三玲 作庭龍の庭黒い雲を表現開山堂 東側の庭園 不離の庭長方形の赤砂はめずらしいです長石を臥せ その前後に白黒の二石を配し幼少のころ狼に襲われそうになられたとき国師の身を二頭の犬が守ったという故事により配されましたやはり竹垣には 稲妻模様国宝 寝殿造りの方丈額縁は正面から写すことは禁じられました方丈の額縁は五山設定の足利義満のが書いたとされます・ 熊笹 表門 重要文化財奥に寝殿造りの屋根がみえますもみじの美しさも少し見えました明日も東福寺の塔頭を巡ります。紅葉狩りは愉しまれますが本坊の庭園そして塔頭の素敵な庭園は殆ど訪れられません。勿体ないと思います。
2014.11.03
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11月下旬の紅葉京都で一番紅葉で人気のある東福寺 ご参考までに通天橋の周りは、もみじ鑑賞の人たちで行列ができるほどでした。 通天橋前のもみじ 人の行列 もみじの絨毯
2014.11.02
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+ 京都の禅宗には各派がありますが、今回は南禅寺を五山の上位とする第4位東福寺にまいります。 【東福寺】 臨済宗東福寺派総本山 開基 聖一国師 山号 慧日山「東福寺」をはじめ塔頭が、存在します。「紅葉」の時期には、京都駅にも近いことからか、立錐の余地も無いほどに、人出が殺到します。 足利義満の決めた、禅宗の五山の第四番目に当たります。大きさを誇張するように、寺名も奈良の東大寺と興福寺から、一字ずつ採って名付けられたそうです。【七堂伽藍】 (しちどうがらん)形式を採り、【伽藍面】(がらんづら)ともいわれています。 三門【三門】 【国宝】禅寺としては、日本一古く大きいとのことです。扁額には【名雲閣】(みょううんかく)と書かれ、足利義持公の筆跡です。三門の上に登りますと、正面に釈迦如来像・十六羅漢像は定朝作と云われています。特別拝観で内部は拝観出来ます。 法堂【法堂】 (はっとう)釈迦如来が祀られ、天井の龍の画は、【堂本印象】作です。時節(3月14日~16日)に【涅槃図】が、拝観できますが、此処も【猫】が神妙に構えて画かれている事で話題と成っています。何故なら「お釈迦さま」が亡くなる前に中毒の病で、空から「摩耶夫人」(まやふじん)母上が薬袋を投げられたところ【投薬の語源】【沙羅の小枝】(さら)に袋がひっかかり、【ねずみ】が木に登り取りに行こうとしたとき、猫が阻み、お釈迦さまのもとに間に合わなかったとのことで、十二支からも外され、功を得て、ねずみから始まる事に。 市松模様の庭園【本坊】方丈の西と北庭には、苔で 【市松模様】 で飾られ、芸術を感じさせられます。庭園は「重森三玲」(しげもりみれい)作です。塔頭寺院の【龍吟庵】も【霊雲院】の枯山水も同じ人の策定です。 方丈庭園 通天橋【通天橋】 (つうてんきょう)この周辺が、「紅葉」で最も楽しめるところです。渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)のもみじは、最高に美しいです。【開山堂】【普門院】開基聖一国師の入定の地で、ちょっとした庭園が広がります。
2014.11.02
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今年も早11月に入りました。秋のたけなは 紅葉もぼちぼち楽しめそうです 南禅寺は、鎌倉中期に禅宗として、建てられましたが、 応仁の乱または火災で焼失してしまいました。庭園は有る程度遺されました。徳川時代に再興された南禅寺そして塔頭が現代のこされています。本日の金地院(こんちいん)は徳川家康と懇意にあった崇伝和尚が庭師、小堀遠州に庭園を造りました。 【金地院】 東照宮への道 鳥居が立っています。 南禅寺の塔頭の一つで、「三門」の前の「中門」の外に位置します。徳川家康に仕えた「崇伝」が京の地に【東照宮】を造営し、今に残っています。 苔庭 参道 本殿入口 東照宮本殿 本堂の前には、枯山水の「鶴・亀の庭」として大きい岩が横たわっています。東照宮に対して吉慶を象徴した【祝儀の庭】とされ、「小堀遠州」 作と云われています。二条城の庭園も同じくです。 鶴・亀の庭枯山水庭園 方丈庭園「八窓席の茶室」は遠州好み「三畳台目」の茶席で名席とされています明日は 足利義満の定めた五山の東福寺に参ります
2014.11.01
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