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いよいよ大晦日を迎えましたこの一年皆様の応援により京都観光も続けることができました心より感謝するするとともに 来年もよろしくお願い申し上げますそして皆様も良いお年お迎え下さるよう願って止みません親鸞聖人の師匠法然上人の開かれた浄土宗総本山知恩院も徳川二代将軍秀忠によって再建しているようです 鐘楼-【知恩院の除夜の鐘】大晦日と言いますと、テレビでも表題のシーンが放映される事が多いですね。108つの煩悩を振り払う、僧侶十数人掛かりで、撞かれます。【重さ70トン】 御影堂(みえいどう)大瓦の頂上の真ん中に瓦が三枚ほどくくられてあります 何故?建物は未完成のままで永久に 謙遜人も控えめにとの僧侶のお話しでした。 【知恩院】 (ちおいん)は、浄土宗の総本山とされ、法然上人が開祖で、一般大衆でも難しいお経を唱えなくっても、ただ 【南無阿弥陀仏】 と唱えるだけで阿弥陀さまの世界【西国極楽浄土】 に召されるということで、日本全国信者さんが大勢信仰を持って居られます。 御影堂(みえいどう)は法然上人が祀られ、大きい建物です。何でも、 【左甚五郎】 の作と言われています。 長い竹の棒で位置を説明します。 有名な 【忘れ傘】 が正面向かって右側の軒下に見上げるとひなびて居ますが、見られます。実は忘れたのでなく、木製の建物として、最も恐ろしいのは、【火災】です。それに対応して、水に関係する【傘】を置いたのでしょうね。 屋根の頂上の中央に【瓦三枚】が縛られて置かれています。和尚さんのお話では、作者は半永久的に残したい意味で、「この建物はまだ未完成ですよ」の意図と考えられます。人間も慢心しないで未だまだ足らない事が多々あります謙虚さを説かれていました。寺社では、隠れた為になる教訓が気付かない所に有るようですね。 西側に阿弥陀如来の祀る阿弥陀堂があります。 更に奥に行きますと、廊下が【鴬張り】になっています。そして更に進みますと、大柄杓(ひしゃく)が手の届かない、梁(はり)に掛けられ、【シャクに触るな】につながります。又、柄杓は、多くの人を救いとるの意。 あまり上手に画けて、【抜け雀】【三方正面真向の猫】観る者が位置を変えても、親子の猫の目がこちらを見ている。日本一大きい三門 一度は観られると良い豪華な【三門】は日本一大きいとされています。その上層部には、建築の責任者寺社奉行【五味金右衛門夫婦】の【白木の棺】と像が置かれています。予算超過でその責めを採り自刃。三門は、徳川二代将軍秀忠公によって建てられ、楼上には、お釈迦さんが、祀られて居ます。 三門から御影堂まで、急な石段【男坂】となだらかな【女坂】があります。七不思議のひとつ【瓜生石】 二条城に通ずるミステリ地下道の出入り口される【瓜生石】この石の上に祇園の牛頭(ごず)天皇が降り大石から瓜が実った。 以上を【知恩院の七不思議】とされています。知恩院は、徳川のお城でも有ったようです。 御殿の東北には、東照宮があり、家康・秀忠を祀って居ます。庭薗も観られます。 知恩院境内の最も聖なる地法然上人御廟所石段を登りつめた場所 御影堂の東に急な石段を登り詰めますと、【勢至堂】(せいし)即ち法然上人のご幼名でありそして、【御廟】が有ります。その勢至堂の裏側即ち北側に、NHK大河ドラマ天地人で話題となった、徳川家康の孫、豊臣秀頼に嫁がされた【千姫の墓】 京都の市街が、美しく見渡せます。千姫の墓千姫も。父秀忠公と静かに京都を見守ってくれていましょう。 東照宮への庭園御影堂の東側から勢至堂・御廟への石段登り口どうぞよいお年を
2014.12.31
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今年もあと二日とおし迫って来ました 慌ただしい内にもくれぐれも健康第一にお過ごし願います京都観光を1年間愛読していただいて感謝の気持ちで一杯です有り難うございました 慶長7年、徳川家康は、信徒の結集に畏れ、本願寺に土地を与え東西に勢いを分けたことから東西の本願寺があります。国宝が無いので世界文化遺産には登録されていません。東本願寺御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り千畳敷の畳は日本一祈りと法話を聞く所京都タワーを望む右東本願寺勅使門左、イチョウの樹本願寺の火災の時に、水を吹きだして消火に役立ったとの謂れ。京都駅前が近いです本願寺前の噴水イチョウの樹御影堂廊下堂内入り口 堂内撮影禁止千畳敷の一部を龍の手水京都タワーと伽藍JR 京都駅JR京都駅正面駅構内の吹き抜け改札口入場した改札口1番線 2番線に電車右手の建物が 新幹線乗降の場所。京都駅のご紹介で、旅情を楽しんで下さい。明日は除夜の鐘 知恩院に参ります
2014.12.30
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親鸞聖人は800年前 日野に生まれ天台宗青蓮院で得度をうけられ比叡で修業 下山して法然に仕え法難を得て本願寺まで建つようになりました大河ドラマ軍師黒田官兵衛が面白かったですね戦国時代と寺院を辿りますと 先に織田信長によって【石山本願寺】(大坂城の当り)逆らうとして焼き討ちに会いました豊臣秀吉は本願寺を庇護して 西本願寺が建ちました国宝飛雲閣は 秀吉の建てた【聚楽第】(じゅらくだい) から移築二条城の北にあって 関白と奉じた甥の豊臣秀次に住まいさせましたが謀反として全て焼き討ちしてしまいました 文化財として惜しまれます西本願寺 浄土真宗 世界文化遺産 阿弥陀堂 御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り、祈りと法話が行われます 国宝飛雲閣と国宝書院の特別拝観がされました。 飛雲閣 特別名所(国宝) 虎渓の庭 国宝 能舞台 日本最古のものと言われます。国宝 唐門 常時、観られる国宝【唐門】(からもん)は、西本願寺の南通用門の側にあり、黄石公の馬上 張良が沓(くつ)をおし戴く 中国の故事が、表裏で物語っています。良く観ると馬上の白髭を生やした師匠 【黄石公】(こう せきこう)の沓(くつ)が片方脱げて有りません。その左側に跪いて、沓を捧げ持つ人物が観られます。【張良】その人でした。 黄石公が兵法の教示を願う張良を試す為に、幾たびか、沓を投げ飛ばし、それを、堪えて沓を捧げたと。結果黄石公から太公望の兵書を授けられたそうで、後に天下統一を果たしたと云います。 瀧の水で汚れた耳を洗っている 下流で牛に水を飲ませるのを汚れた水として、手綱を引きとめてのまさないように 滝が流れ一人の人物【許由】(きょゆう)が耳を洗っています。側に川流れに牛を連れた【巣父】(そうほ)が立っています。 許由は、中国の神話上の穏者で、当時の皇帝【堯帝】(ぎょうてい)が許由に帝位を譲ろうとしました。許由は思いも掛けない誘惑と大層心を乱す言葉を聞いたと汚れた耳を洗って清めています。一方その事を知った巣父も汚れた川の水を牛に飲ませまいと手綱を引き挙げている姿が観られます此の故事はお寺さんの守衛さんもご存じなかったですそしてほとんどの方が 美しいとだけで 素通りされるのでもったいなと思いました昔の中国人は 素晴らしい思想を持っていたのですね明日は東本願寺です
2014.12.29
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昨日27日では、知恩院で除夜の鐘の試し撞きが行われました僧侶16人で掛け声「えい。ひと~つ」と 勇ましく知恩院の開祖法然上人も此処親鸞聖人も比叡のお山で修業されて高僧と成られました 伏見区【日野】は、醍醐寺のそばにあり、足利将軍の代々奥方の出身地でもあり、あの京都の悲劇応仁の乱の主役「日野富子」も此処の出でした。従って醍醐寺の金堂・五重の塔そして此処日野法界寺も応仁の乱の火災から免れました一方、浄土真宗(本願寺)の開祖 【親鸞上人】のお誕生の地として【日野誕生院】がのこされています。側には、宇治の平等院並みの国宝阿弥陀如来(定朝模様)の祀られた坐像が、【日野法界寺】として幼き頃より、親鸞さんも手を合わせていたのでしょう。 【親鸞上人お誕生日・承安3年(1173)5月21日】 【日野誕生院】楠が樹齢800年。得度を受けられた京都の【青蓮院】の4本の楠と同時期。 浄土真宗の開祖【親鸞上人】は今から約800年前、ここ「日野の里」でお生まれに成りました。醍醐寺の南方少し、離れた場所で京都市伏見区に属します。父は日野氏の一族で【日野有範卿】(ひのありのりきょう)母は、清和源氏の出身で【吉光女】(きっこうにょ)日本全国に浄土真宗の信者さんが多いですが、此処がその発祥の地とは言え、至って静かな、簡疎の地でも有ります。 【えな塚】 【産湯の井戸】【えな塚】とバックに【日野法界寺】の屋根が見えます。【乳薬師】とも云われ、安産・子育ての「薬師如来」が祀られて居ます。えな塚は、幼稚園の園内に属し、お断りをして、撮らして戴きました。さでした。 【日野法界寺】日野法界寺・国宝阿弥陀堂宇治の【平等院】の「阿弥陀如来坐像」は、仏師 【定朝作】(じょうちょう)で、此処も【定朝様作】として、本尊【阿弥陀如来坐像】も国宝に指定されています。建物は、鎌倉時代に再建されたもので、「応仁の乱」からは、焼失を免れています。写真の右手に屋根だけ見えますのが。【乳薬師堂】で、「えな塚」「産湯の井戸」と隣接した位置にあります。親鸞上人は、幼少のころより、この眼差し優しい「阿弥陀さん」に手を合わせ御育ちになったといいつたえられています。 親鸞上人9歳のお姿の銅像です。「日野誕生院の境内」に建てられています。 出家決意のおん歳9歳での歌碑です。お父上は、4歳時そしておん母上は、8歳のときに浄土に召されました。世の中で最も大切なご両親を幼児期に亡くされ、阿弥陀さんにすがりつつも、仏道に決意なさったのでしょう。明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に 嵐の 吹かぬものかわ 京都の【青蓮院門跡寺】【天台宗】で 【得度式】(とくどしき)を挙げられました。そして 比叡山で修行を受けられました。今や、「西本願寺」「東本願寺」を初め全国に、【浄土真宗】の信者さんが多く居られます。難しい、お経を唱えて救われるものでない。ただ「南無阿弥陀仏」と【念仏】を唱えることで浄土に召されると。大衆庶民を対象に布教されました明日明後日は西本願寺・東本願寺に参ります
2014.12.28
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【四明ケ嶽】 (しめいがたけ)839m比叡山の頂上】 一般に比叡山と言われる山の頂上を 四明ケ嶽と称されています山頂の回転展望台比叡山の頂上には、遊園地と360度回転展望台があります。遊園地の各所に、「モネの陶画」が飾られ、池には、モチーフの蓮が咲いている時があります。回転台からは、京都市街・鞍馬・大原・琵琶湖大橋・大津・瀬田大橋が順次眺められます。 苑内各所に「モネ」の絵が見られます。 「将門岩」(まさかどいわ)・「純友岩」(すみともいわ)が頂上近くに存在します。•935年 藤原時平(左大臣)・菅原道真(右大臣)の頃、平の将門と、海賊の首領藤原純友とが、この岩の上に立ち、広大な絶景を見渡していた将門が純友に「お前は西日本を取れ、わしは東日本を取る。同時に事を起こして、再び此処で会おう」と約束したが、反乱は鎮められ再会は適わなかったという、言い伝えが有ります。岩だけが未だに残っています。以前は「将門岩」の標識が立っていましたが、今は苑内の案内書からもなく、苑内の管理女性に聞いて確かめました。ロマンがなく惜しまれます。将門岩眼下に琵琶湖が見渡せます。琵琶湖帰りは、京都方面に、「空中ケ-ブル」と「ケーブル」で 「八瀬」(やせ)に降りました。 空中ケーブル 空中ケーブル ケーブル 八瀬(高野川の上流)比叡山いかがでしたか
2014.12.27
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昨日25日は クリスマスだけでなく北野天満宮では 【終い天神】といって菅原道真の亡くなった25日の命日今年の最後の市が立ち 大勢の参拝者が訪れられました一方知恩院では 法然上人の木像の 御身拭式が360年続けて行われました850年前の法然上人の 生涯は荒波でした 【東塔】 【阿弥陀堂】阿弥陀堂 阿弥陀如来像 阿弥陀堂前に【水琴窟】 根本中堂の本尊が、薬師如来でした。 【西塔】常行堂と法華堂弁慶が担ったという。 「東塔」から奥比叡ドライブウエイで自動車から降りて、暫く歩を進めますと、【常行堂】(じょうぎょうどう)と【法華堂】(ほっけどう)とが廊下で結ばれています。弁慶が両堂を担ったという伝説から「弁慶のにない堂」と称されています。 【常行三昧】(じょうぎょうざんまい)慈覚大師円仁が五台山から伝えた修行法で90日間堂内を阿弥陀仏の名を唱えながら回る行といわれています。断食・苦行そして祈り皆功徳となるのですね【釈迦堂】国宝・釈迦堂 【横川】 (よかわ)【横川中堂】 慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩 【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。 続いて山頂に参ります
2014.12.26
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クリスマス おめでとうございます神の豊かな恩寵が皆さんに与えられますように 私の青春期に育った天台宗の環境でした。伯父二人が麓、坂本の地の大僧正で、特に二番目の伯父は天台宗第250世天台座主にまでなりました。とても慈悲に富んだ心の優しさが心に残ります1959年11月遷化 末っ子の弟であった父も其の12月何も患うことなく亡くなりました余程頼りに成っていた兄であり高僧だったのでしょうね【比叡山】 【延暦寺】比叡山から琵琶湖を望む世の中に 山という山は 多けれど山とは比叡の 御山をぞいう 慈鎮和尚 根本中堂根本中堂延暦寺は東塔・西塔そして横川(よかわ)の三塔からなり、【根本中堂】 (国宝)(こんぽんちゅうどう)【阿弥陀堂】【釈迦堂】さして【横川中堂】があります。 見渡す緑の山林の一木一草にも、伝教大師の精神が染み渡り人々の心のふるさととも申すべき聖地でもあります。根本中堂 開基 最澄(伝教大師) 世界文化遺産に登録 平安京の王城鎮護の役も務める。都の丑寅(北東)鬼門の位置にあります。 今から1200前延暦4年(785) 伝教大師最長が、19歳の時に山上に草庵を結ばれ、山川草木一切のものに、「仏性」が宿ると感得され日本仏教の母山と称せられる様になりました。 伝教大師の教えで、 【亡己利他】 (もうこりた)己の欲を無くし、人の利になるよう、常に心掛けること。 (注 私のプロフイールの座右の銘としています。)【一隅を照らす。これ国の宝なり】 その人の存在により、その周囲を明るく照らす。されば世の中は、平和であり、国の宝となるでしょう。 【東塔】【大講堂】僧侶の学問所で、本尊 大日如来 脇侍 弥勒菩薩・観音菩薩延暦寺を本山とする、伝教大師を始祖とするも、経典の解釈に従って、山で修行の結果、各宗教の始祖として、分かれて行きました。空也・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・一遍 等その扁額が堂内飾られています。他には、桓武天皇・中国天台大師・聖徳太子・伝教大師・十大弟子大講堂【開運の鐘楼】自由にお願い事して撞けます。合掌されて余韻の音を聞かれると何ともいえない神々しさを感じます。【根本中堂】 【国宝】【延暦寺の総本堂】三代将軍徳川家光が再建•1. 本尊【薬師如来像】は、伝教大師最澄が刻まれた•2. 本尊の前に1200年間と灯し続けられています【不滅の法灯】が輝いています。織田信長の焼き討ちに会いましたが、山形県立石寺の分灯により、受け継がれています。ここから【油断】が生まれました。•3. 須弥壇のある【内陣】が【参拝者】の坐る中陣・外陣より低い谷底の様な場所にあり、仏像や法灯が参拝者の目の高さに来ているのは、「仏も人も一つ」と言う仏教の【仏凡一如】の思想を表現している意で、僧侶は低い内陣から祈祷されています。即ち天台宗の仏殿様式は、僧の謙虚さを表しているとも思われます。•4. 中陣は、挌天井形式で、板には、百花の図柄が掲げてあり、家光により、各大名が献花したもようです。•5. 太い檜の柱は、一本の木の芯を避け、4分の1の柱で、原木の太さが想像されます。同じ「東搭」ですが、「講堂」より西の方に、【阿弥陀堂】が有ります。阿弥陀堂阿弥陀如来像【西塔】 「東塔」から奥比叡ドライブウエイで自動車から降りて、暫く歩を進めますと、【常行堂】(じょうぎょうどう)と【法華堂】(ほっけどう)とが廊下で結ばれています。弁慶が両堂を担ったという伝説から「弁慶のにない堂」と称されています。この両堂で、修行僧が、「朝題目」そして「夕念仏」日毎に唱えておられます。【常行三昧】(じょうぎょうざんまい)慈覚大師円仁が五台山から伝えた修行法で90日間堂内を阿弥陀仏の名を唱えながら回る行といわれています。【転法輪堂】(てんぽうりんどう)【釈迦堂】三井寺の「金堂」を移築された建物で、山内で最も古いものとされています。 【横川】(よかわ)【横川中堂】慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩【恵心堂】(えしんどう)恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が念仏三昧にすごした所です。【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。「横川中堂」からの道中に、西国三十三ヶ所観音霊場が第1番から順次観音像を辿っていきますと、「元三大師堂」に至ります。殆ど人気がなく、静かな雰囲気で回れます。明日は、西塔の写真と比叡山の頂上にまいります。
2014.12.25
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今夜はいよいよクリスマスイヴ 全世界でで祝われることでしょう 早いもので 退院後 難病対策で息子の進めてくれた希望のブログを手探りで続けて昨日で丸5年になりました皆様の温かい応援が伴っての今日のとそのお恵みに感謝します ブログ名:京都観光をご案内し・・・総アクセス数:234882 アクセス(平均 129 アクセス/日)開設日数:1827日(開設日:2009/12/23)日記記入率:96.3% 【阿弥陀さんの九印相】阿弥陀如来は、西国極楽浄土を支配されてると言う事で鳳凰堂の壁画も、 【御来迎の図】 が画かれ、九壁画に分かれているそうです。 極楽浄土も九段階平等院の阿弥陀如来像は、 【上品上生印相】 (じょうぼんじょうしょうのいんそう)で最高位。阿弥陀さんの手の指が、「親指」と「人指し指」 【上品】「親指」と「中指」 【中品】「薬指」と「親指」 【下品】円く交わる事で、夫々、「上品」「中品」「下品」と称し、阿弥陀さんの両手の位置か゛「膝の前で結ぶ」 【上生】「両手を開いてお説教するように、上に揚げる」 【中生】「右手を揚げて、左手は手の平を開けて膝の上に」 【下生】 (施無畏・与顔)(施無畏・与顔) (せむい・よがん) Google画像で出て来ます奈良の大仏さんの形右手は不安畏れを無くす施し。 主の平安(キリスト教)左手願いを適う与えましょう。 求めよ開かれん(キリスト教)「上生」「中生」「下生」(げしょう)と称します。この組み合わせで、九印相の阿弥陀像が表されます。極楽浄土への位置付けでしょうか。「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」太秦の広隆寺には、「中品中生」の阿弥陀像が見掛けられますが、殆どは、「上品」クラスのようです。 御家庭での仏壇では、「上品下生」(じょうぼんげしょう)の即ち、施無畏・与願の型で指は親指と人差し指を交えた形の阿弥陀さんが多いです。一度試してみてください。 宇治上神社から宇治川を渡って平等院への橋 魚の供養のための十三重の塔 源氏物語・紫式部の像宇治橋の側に建っています。 宇治橋次回は同じく世界文化遺産比叡山4回シリーズでお送りします
2014.12.24
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私の京都観光シリーズも12月末でサイクルの大詰めに成って来ました宇治市まで来てしまいました年寄りとなると気を付けて居てもちょつとした段差に転倒するもので投票所の入り口で5回目やってしまいました胸が痛むのでレントゲン検査異常なしでした お互い怪我にもご注意願います 私の住む伏見区のほんの近所に、世界文化遺産の社寺が三ケ所もありとても恵まれています。醍醐寺・宇治平等院そして宇治上神社です。 阿弥陀さん の指と手の形の組み合わせ しるしてみました。浄土にも段階があるようです。此処は最高位の上品上生の阿弥陀さんです。 【平等院】 宗派は単立(天台宗と浄土宗) 開基 明尊 琵琶湖「瀬田」から流れてきました「宇治川左岸」に「宇治上神社」と対峙して存在しています。 国宝・鳳凰堂 池に写される 初代仏師【定朝】 じょうちょう)作の【国宝】【阿弥陀如来像】が実に落ち着いて素晴しい一語につきます。付随した【天蓋】【雲中供養菩薩】そして【壁画】も【国宝】で 「藤原頼道」が1000年前に末法思想が取り沙汰された時代で、生前中でも「極楽浄土」を再現しょうと考え、(金閣庭園を足利義満も同じ)貴族と僧侶によって、建てられました。 阿弥陀さんの座します【鳳凰堂】(ほうおうどう)もそして屋根の両端に飾られる【鳳凰】一対も【国宝】です。お堂の前に池があり鳳凰堂を池越しに眺めますと、池にも反射してとても美しい情景が観られます。「十円硬貨のデザイン」ともなっています。 丸い窓を設けて、庶民にも阿弥陀さんのお顔だけ拝せる仕組み 頼道の思い遣りが、「阿弥陀さん」の顔の前面に、「丸窓」が見えます。「極楽浄土」を庶民にも一部垣間見ることが出来る様に、存在しています。 国宝・鳳凰堂 【日本三名鐘】「形の平等院」【国宝】 「音色の滋賀・三井寺」 「銘の高雄・神護寺」 日本三名鐘の形の美本物は宝物館で観られます。【鳳翔館】(宝物館)では、名鍾・雲中供養菩薩像・壁画・鳳凰【国宝】その他が展示されています。次回も宇治の平等院続きます 【藤棚】藤の花が咲く頃は、とても美しいです。
2014.12.23
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黒田官兵衛 戦の無い世に徳川家康に託し終わりました 宇治上神社の鳥居【宇治上神社】 (うじかみじんじゃ)日本最古の神社形式(平安・鎌倉時代)世界文化遺産に登録【祭神】菟道稚郎子命 (うじのわきのいらつこのみこと) 【宇治の地名】父・応神天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、異母兄・大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られるます。応神天皇第15代。菟道稚郎子命の父。仁徳天皇第16代。菟道稚郎子命の異母兄。 近代的でまさかと思いきや、【さわらびの道】を 早蕨の道の入口付更に通り過ぎて、少し坂を登った所に【宇治上神社】が有りました。世界文化遺産と言うことで訪問しても、実にこじんまりとして、古さだけが目に映ります。歴史的には貴重な建物【本殿】【拝殿】共に【国宝】に指定されています。 拝殿 清めの砂 上賀茂神社にもありました。 本殿 本殿の狛犬 阿吽の狛犬 宇治上神社の蟇股 宇治の名水 桐原水 もう一つは、【桐原水】(きりはらすい)と言って、「宇治の七名水」の一つとして、未だに、清水が、湧き出ています。【源氏物語】にも関係するようです。明日は世界文化遺産 宇治の平等院に参ります
2014.12.22
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【三室戸寺】西国三十三箇所観音霊場代十番の札所です。宇治の平等院から、京阪電車一駅目に三室戸があります。 三室戸寺脊柱坂を上るまえの表門蓮池を伴う本堂前広場兎歳に作られた兎、地名を莵道(とどう)と名付け宇治上神社でご紹介しますが宇治の地名に繋がります。本堂鐘楼と三重塔源氏物語【浮舟】歌碑新緑の三室戸寺 つつじ苑 一人で鑑賞もよいですが、家族で「あつ、綺麗」とことばをかけあつて観るのも、また幸せを一層深めるものです。アジサイもツツジに代わって、 10,000株が見られます。次回宇治上神社です
2014.12.21
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【黄檗山万福寺】 (おうばくさん・まんぷくじ) 黄檗宗総本山 総門は、龍の頭総門 龍の蛇腹を象った菱形の敷石 (禅寺では多く見掛けます) 龍の蛇腹を模した参道 菱形石山門山門の前の碑 にんにく・酒を口にした人、入るべからず。中国風の門 「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄 菊舎尼【布袋尊】 (ほていそん) 都七福神 巡礼所のひとつ。正月には、七福神巡りで賑わいます。 布袋尊 みやこ七福神のひとつ写真撮影許可をもらいました。僧の姿だけは撮らない様にと 開版(かいばん)魚版で、木魚の原形となっているものです。広々とした境内開版 お魚の形 時を知らせるもので、禅寺の座禅で、魚は寝ていても目は開くことを諭しているとも言われています。本堂には、三尊釈迦が祀られています一般には脇侍(きょうじ)は、釈迦如来の場合。【文殊】【普賢】菩薩ですが、此処では 十大弟子の筆頭 【迦葉】 ()【阿南】 尊者が祀られていました。 羅怙羅 (らごら)父の釈迦の顔を胸に抱いている姿の像羅怙羅(らごら)尊者 お釈迦さんの実子で、出家して修行の末悟りを開かれ、心に仏性を抱くとして、胸を開けた場所に仏の顔が仏像として祀られていました法堂舎利殿隠元和尚の開山堂隠元は中国人で万福寺を創設されました明日は三室戸です[観音三十三ヶ所霊場]
2014.12.20
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【酬恩庵】 (しゅうおんあん)通称【一休寺】臨済宗大徳寺派京都市と奈良市との中間点に位置する、京田辺市に有ります。足利義満と頓知比べしたことで有名な【一休禅師】の創設であり、仏に仕えられた所でもあります。高僧【大応国師】が中国で禅を学びその教えに従った一休禅師が、師のご恩に酬いる意味で、名付けられました。一休さんは、第100代後小松の皇子で、皇位継承は成さらなかったのですが、出家されました。境内に宮内庁の御陵としてご廟所があり、88歳に示寂されました。漫画「一休さん」義満も「一休どの」と敬称の言葉使いです。81歳のとき、大徳寺【真珠庵】の住職も兼ねられました。本堂・方丈庭園も素晴らしく、参道も新緑に包まれて清楚でした。禅寺は、何処も掃除が行き届いて、塵一つ無く清潔な雰囲気が一面漂っていました。一休さん像、三体、箒を持つ像、木魚を抱えての寝姿はねずみが添え寝しています。「あわてないひとやすみ・ひとやすみ」可愛いです。「このはしわたるべからず」の小さい橋もありました。酬恩庵表門参道の新緑宮内庁御陵・後小松皇子・一休宗純墓地本堂・参道方丈庭園方丈庭園丈庭園一休さん像このはしわたるな本堂本堂参道掃除姿の一休さん時にはお昼寝も綺麗に掃けましたね次回は宇治市万福寺
2014.12.19
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NHK 連続小説マッサン山崎工場も川の向かいに【石清水八幡宮】 (いわしみずはちまんぐう)御祭神 東御前 神功皇后(じんぐうこうごう) 中御前 第十五代 応神天皇 西御前 比女大神(ひめおおかみ)【日本三八幡宮】宇佐八幡宮(大分)・鶴岡八幡宮(鎌倉)・石清水八幡宮【三大勅社祭】葵祭(京都上勅社)・石清水祭(下勅社)・奈良春日祭皇室の崇敬も深く勅使が、毎年拝礼に来られます。京の都の表鬼門として比叡山延暦寺に対し、裏鬼門として石清水八幡宮があり、厄除け国家鎮護のため鎮座まします。源氏にゆかりあり、源義家が「われは八幡太郎義家なり」は有名です。本殿の再興は、三代将軍徳川家光が此処も手掛けています。天慶2年(939)平将門と藤原純友が乱を起こしたときも、八幡の神が神威をもって鎮められたとされ、【武神・弓矢の神】として、必勝祈願もされています。 男山からは清水が湧き出て、石清水の名となったそうですが、宇治川・桂川(途中鳥羽で鴨川と合流)・そして木津川の大きい川の合流地点で八幡(やわた)からは淀川となって大阪湾に至ります。【天下分け目の山崎の合戦】も此処【男山】と【天王山】の狭間で大軍が、ひしめき合った合戦場でもありました。 男山は、京阪「八幡駅」下車で、ケーブルがあり、頂上に本殿がありますが、展望台からの景色は、高速道路が渦巻き活気のある通過地点と考えられました。【エジソン記念碑】エジソンが電球のフィラメントに男山周辺の竹を使い、長時間の点灯を可能にした偉業を永く顕彰するために、昭和9年に記念碑がたてられました。八幡神社の全国の数 4万社といわれています。八幡宮と天満宮は、祈願の目的が違うのですね。男山ケーブル6月水無月の大払い【茅の輪】くぐると厄が逃れる。本殿お手洗い所エジソン碑電球のヒラメントのモニメント天下分け目の山崎の合戦手前が男山真ん中が天王山そのはざまを淀川が流れる狭い地点豊臣軍と明智軍が合戦した場所です。一番右手の山が比叡山表鬼門桂川・宇治川・木津川の合流点次回は一休寺に
2014.12.18
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爆弾低気圧がやってきています 皆様くれぐれも 気を付けてお過ごし下さい[醍醐寺】 世界文化遺産 真言宗醍醐派 京都府で一番古い五重塔【国宝】醍醐天皇を弔うために建てられました。高さ38m、屋根の上の相輪は約13m相輪が塔の1/3を占め、安定感があります。 【国宝】金堂です。醍醐寺の本尊【薬師如来坐像】【国宝】が祀られて居ます 弁天堂と取り巻く池の水面にも新緑が美しく映っています。秋 彼方に見える山が、「上醍醐」です。山道3キロ、西国観音霊場の最難コースとされていました。新緑が美しいです。 観音堂霊場の納経は此処でして戴けます 国宝【唐門】勅使門真中が豊臣秀吉花紋「五七の桐勅使が入られるときは真中は開かれ菊の御紋でお迎え帰られたら桐の紋が真中に治まります。秀吉の考えそう?太閤秀吉が醍醐の花見行列をした場所この年の夏に伏見城で逝去します辞世の句 露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢【醍醐三宝院】【特別名勝史跡】勅使門 表門の側にあります。門を四面に分けますと、菊・桐・桐・菊の紋が刻まれています。桐は「五七の桐の紋」で秀吉の紋です。菊は「皇室の紋」で、勅使の一行が訪問するときには、真ん中の桐の紋は、観音開きで隠れます。勅使を歓迎した意図の様ですが、閉めれば、桐が中央に構えた形になり、豊臣を謳歌したように工夫されています。 京都で此処の庭園だけ、写真禁止で、見張り役を置くぐらいでとても残念です。藤戸石・醍醐棚は、Google画像で確かめてみてください。表書院【国宝】揚舞台之間・孔雀蘇鉄の間。畳を揚げると「能舞台」になります。中段の間・上段の間は柳の四季を表し、床の間は松が画かれ、各部屋に段差があり、能の鑑賞が出来る様になっています。加茂の三石。川の流れに沿った縞模様が見掛けられます。激流または、緩やかな流れと変化した表現がなされています。藤戸石】(ふじといし)庭園の中心的存在で、【玉座】からも「真正面」に観られます。「三尊石」の形式を採り、【天下人石】十五代足利義昭・織田信長・豊臣秀吉と天下人が、引き継いで、自分の物にしたと言う名石となります。ふじとを「不死人石」に掛けて願ったのでしょう。庭園に「橋」が三種類あります。「石橋」「木橋」「土橋」と変化を表現しています。庭園全体が変化に富み、左方片隅から、瀧の水の流れと静かな雰囲気の音も聞えます。そして「鶴島」「亀島」が松の木を背負って飾っています。護摩堂。本尊「弥勒菩薩」(快慶作)「弘法大師」「理源大師」が祀られて居ます。前庭には、「苔」で瓢箪と杯(さかずき)とを現しています。藤吉郎時代、ねねの進言で、「功績」を成すにも誰も、「千成瓢箪」 【奥宸殿・玉座】正面に「藤戸石」が眺められます。喜んでくれずだだをこねる主人に、瓢箪を飾ることを始めたとか 【日本三棚】 「醍醐棚」「修学院離宮棚」「桂離宮棚」見所豊富で、桜の咲くころは、訪れる人で満杯となります。京都観光も此処まで訪問できれば最高と思います 次回は石清水八幡へ
2014.12.17
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更に寒波が押し寄せて来そうです 最高3度とかお互い体調に気を付けていきたいものです一昨年、天皇両陛下もご参拝がありました。過っては、豊臣秀吉が 伏見城を桃山に築城、醍醐の花見のあと ここで まだ夢を果たしきれずに亡くなりました。その城の遺跡は、御陵内に存在し、宮内庁の管轄下で一般には見られませんが、参道の側に 石垣の遺石群がみかけられました。 明治天皇御陵 参道伏見城石垣の遺石参道が続きます御陵に近づきました正面の左側 青空が桃山を美しく見せてくれました御陵正面の眺望と石段の高さに驚きますもう一度 石段上から 振り返ってみました御陵近くに降りて来ました昭憲皇太后の御陵明治天皇より一歩下がられて 共に安らかに眠っておられますそして、日本の国の行く末を優しく見守って下さっているようです真下に 緩やかな道をおりてきましたがこの坂を若い人たちは 登り降りておられます次回は世界文化遺産醍醐寺にないります
2014.12.16
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国民の信意を問うべき衆議院選挙も終わりました日本の経済・福祉そして外交の安定するように頑張ってほしいです 伏見の代表は【伏見稲荷大社】に尽きます。 全国初詣でも10の指に加わるほどで、商売の神様として、参拝する自家用車の殆どが大阪ナンバーでひしめいています。参道入口参道背景が稲荷山楼門 就学旅行生記念写真お使いの狐楼門の裏手本殿前の建物本殿奥の院への千本鳥居鳥居のトンネル鳥居を奉納する数の多さに圧倒されます奥の院のおもかる石外人さんにも人気 両手で持ち上げておられるおもかる石灯篭の前で願い事を祈念して石灯篭の空輪(頭)を持ち上げそのときに感じる重さが自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い重ければ叶わないとする試し石で一般には「おもかる石」で親しまれています。次回は伏見桃山御陵 明治天皇の御陵です
2014.12.15
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今朝の京都0度 いよいよ衆議院選挙投票日今、家内と投票を済ませました12月上旬のもみじを求めて12月10日の訪問最終です直指庵 幕末のころ 篤姫も京の都で世話になった近衛家老女津崎村岡局が再興 浄土宗として土地の子女の訓育に努められました想い出草観音菩薩入り口本堂前の竹林もみじの絨毯本堂本堂庭園想い出草 ノート普段は此処本堂の中で したためられます苦しみ、悩み、この地を訪れた感動を5000冊に及んでいるそうですまだもみじが残っていましたもみじの絨毯本堂の横に津崎村岡の墓本来の想い出草を綴る屋形特別公開の時に解放屋形の庭を眺めながら裏山に囲まれて想い出草観音菩薩 このノートに綴られたさまざまの苦しみ悩み悲しみを取り除いて下さり願い祈りをくみとって福楽を与えて下さる観音さまです開山堂 臨済宗南禅寺派 独照ら性円和尚開山堂への山道 窓近き竹の林は 朝夕に 心をみがく 種とこそなれ 津崎村岡局大沢の池大沢の池 遍照山を池に映す時代劇によく出て来ます経堂経堂もみじがかろうじて残っていました 時代劇ロケもみじはほとんどありません広沢の池広沢の池大沢の池シンボル 遍照山が此処に有ります年に1回池の水を干して 育った鯉を分け与えます明日は稲荷大社に参ります
2014.12.14
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今年の漢字一字は 【税】でした恒例の清水寺で昨日 森清範貫主によって描き出されました正に14日の選挙戦の国民の声ともいえましょう嵐山の代表的世界文化遺産 天龍寺 臨済宗後醍醐天皇の菩提寺 足利尊氏が創建国宝第1号 特別名勝史跡の庭園 夢想国師作庭 台所入り口 三尊石 国宝 曽源池最近 砂紋部分を設置 方丈の前庭正面に瀧組 石橋 飛び石枯山水嵐山を借景振り返って 方丈 最初此処からの眺め 右嵐山池に映る後醍醐天皇の供養塔(右)多宝殿 左近の紅梅 右近の白梅 前庭に供養塔と枝垂れ桜後醍醐天皇の菩提のためのお堂足利尊氏は 敵で有りながらも菩提を大切に弔いました天龍寺船で交易までして建設費に努めました僅か残った紅葉孟宗竹 の名札 外人さんも撮影 手招きで案内 英語・中国語・韓国語竹林 孟宗竹 向こうが大河内山荘へ野々宮神社 黒の鳥居本殿野々宮神社の苔庭斎宮行列の写真野々宮神社の小柴垣次回は直指庵から大沢の池 広沢の池に参ります本日も今年最後のゲートボール親睦会に只今から行ってきます
2014.12.13
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京都の今朝の温度6度日中は11度の予報です皆さんから京都の紅葉情報を進めて来ましたがやはり今年は12月上旬では遅きの感じがします 特別公開も12月8日までで 今は紅葉の木を探すほどに殆ど落葉していました12月10日取材に行ってきました 嵐山 天龍寺 野々宮神社 直指庵 大沢の池 広沢の池 順次画像でご紹介します京福電鉄 【嵐山駅】クリスマスで歓迎 12日から花灯路 イルミネーション渡月橋 嵐山に紅葉が残っています琴きき橋跡は橋のたもとにあり 小督の琴の音を秋霧の中で聞こえたと大堰川の左岸 小倉山 愛宕山が背景に渡月橋の全景堰から上流が保津川 嵐山 正午 午後からだと山は太陽の陰に成ります小督(こごう)の塚 邸宅跡 13塔が背景に人知れず誰も訪れません 綺麗なお花が供えてありました黒田節に出て来ます 黒田官兵衛との関係は?保津川下りの終点紅葉を見付けました保津川の上流団体さん船から降りて来ました時雨殿 (しぐれでん) 小倉百人一首展示 もみじ1本寶巌院 12月8日まで特別拝観バック嵐山 もみじこの1本だけ寶巌院の羅漢さん像
2014.12.12
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良尚法親王の遺された、人間の一生を仏に護られて過ごしていく様を 曼殊院枯山水の庭園のテーマー 【人生の流れ】薬師如来の世界 来迎への遣送仏 過去仏 瀧石で表現釈迦如来 五時八教 仏の教え 現在仏 灯籠五基阿弥陀如来 浄土への来迎の仏 未来仏 真っ赤なキリシマツツジ 縁側を船に庭園(人生の移り変わりを観想)[曼殊院4.]人間の一生が仏の担当の守護により遣送されるさまを表現 隠れた仏教思想を表現14.【枯山水の庭園】小堀遠州好みの庭園。 先ず、薬師如来の世界【過去仏】庭園の中心的【滝石】は生命の発生とも取れます。 立っている石を「瀧石」と瀧の流れを表現左の白砂の中に【水分石】 人生の分かれ道を表現 現在は新緑に包まれて瀧石が隠れています次いで 釈迦如来の世界【現在仏】庭園の中心部分全体で表現。【亀島】【鶴島】【石橋】【水分石】【蓬莱島】そして【五基の燈籠】 亀島 謎解きの五基の燈籠 (灯窓3・2・1・1・1計八灯窓)はお釈迦さんの50年の説法を【五時八教】に分けて説かれたことで、燈籠で表現。【鶴島】は【宝船】にも見立てその松の下に【キリシタン灯篭】が有り、燈籠の下部に「十字架」が刻まれています。「良尚法親王」の母上が若狭丹後の京極家で、クリスチャンで有ったことから、偲びつつ置かれたようです。そして、阿弥陀如来の世界【未来仏】「宝船」は西へと庭園の西一帯に赤い霧島ツツジが植えられ、正に夕陽に包まれ西国極楽浄土に迎えられる形式を取っています。 平常 謎解きの一つ、5月初めのキリシマツツジ宝船が西向きに極楽浄土を真っ赤な「キリシマツツジ」で西側の此処だけに迎える姿に作られて居ます。15.【宿直の間】(とのいのま)から通路に「華道」の「立花図」「香道」の「書式」「親王「竹」「書道」「竹筆」で書かれた展示が見られます。 良尚親王を訪ねて農家の人が作物を届ける時の鐘「おお 心の籠った収穫の野菜をありがとょ」ふれあい場
2014.12.11
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みなさんおはようございます今朝は8度雨降りです昨日 紅葉情報として京都の12月上旬の様子を取材して来ましたが殆ど落葉 観光客も少なく 外人さんが目立ちました嵐山・天龍寺・野々宮神社・直指庵・大沢の池そして広沢の池明日からご紹介したいと思っています矢張り今年の見ごろは11月までだったようです
2014.12.11
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[曼殊院3.]5.【孔雀の間】此処でも親鳥と二羽の子鳥が仲良く餌をついばめているシーンから、一羽は母さんと飛び立ち、一羽は残され「しょぼん」としている、そして親鳥は天へと孔雀の一生を江戸後期の絵師「岸駒」 (がんく) が画いています。「しょぼん」姿が「良尚法親王」か?岸駒は「清水寺でも虎の石碑」が有ります。 又「長野の善光寺の出張先」として「仏間」が兼ねて有ります。 一生に一度は「牛に引かれて善光寺詣うで」ここでも済ませます。以前、同じ部屋に、民家に有った「幽霊の絵」円山応挙画が寺院で供養する意味で有ったことでも有名でしたが、今は部屋の外に隠れておかれていました。6.廊下伝いに【大書院】へ「華の間」では、法親王の画かれたカラーの屏風が置かれています。其の隣の間は、天井の桟が、正面に対して突き刺さっている仕組みで、不吉な感じがしますが、後程の「宿直の間」(とのい)も正面床に突き刺さっています。法親王の寝所として何時命を奪われるか、覚悟を決めて居られました。武士の居間の床にも敢えてこの形式を採るそうです。7.【大書院】「滝の間」の襖絵に中国人が囲碁を楽しんでいます。襖に向かって碁盤を眺めながら、蟹歩きのように移動しますと、碁盤が小さく成ったりします。欄間に卍型が見られます。「十雪の間」は【仏間】でもあり本尊は「阿弥陀如来」で他に十一面観世音菩薩(北野神社にあったものを当院に移されました)【曼殊院棚】 は仏間の隣に有ります。 【桂棚】 に似せたもので、「違い棚」は段違いも有りますが、材質も細かく違っていて、芸術美を感じさせます。【大書院】の外側に【塵慮尽】(じんりょじん)の額が飾られています。「よこしまな心を払い取り除くの意が有ります。8.「大書院」からの庭園 宝船を表現または鶴島とも申します。9.小書院】の屋根が、 【雁行形】 (雁が規則正しく飛ぶ群れの形)は 屋根が二重に、雁が群れをなして飛ぶ姿 「桂離宮」にも有ります。兄弟同じよう建てて鑑賞したのでしょう10.「小書院」の廊下の屋根は又、 【屋形船】 の様に造られ、庭園を船に乗って観ることを意味して居るようです。 庭園に沿った廊下が屋形船に乗船して見渡すような作られています。11.その廊下の側に【梟の手水鉢】が有ります。月をこの手水鉢の水面に写し、又反射して側の白壁に月の揺らぐ姿を鑑賞します 月の光を鑑賞 12. 「小書院」 は、門跡が客を迎える為の最も貴重な場所で、一番奥に構えて居ます。二部屋あり、庭側に【富士の間】客人が座す部屋で、廊下の低い欄間越しに、立って見るのでなく、坐って鑑賞しますと更に美しく落ち着いて観られるように、作者は作庭しているようです。 左端に三つの灯袋の燈籠があります中心に「瀧石」が見えます 13. 「小書院」【黄昏の間】 (たそがれのま)玉座と床が有り。最高の間といえましょう次回 庭園に隠れた形で人間の一生を仏教思想で見事に枯山水庭園で表現しています
2014.12.10
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【曼殊院2.】「良尚親王旗」にも 【竹】 を、図柄に採り入れられています。「竹の内御殿」とも言われます。随所に「竹」が現れます。何故なら、「開基是算」は「北野天満宮」にも関係しその「梅」そして天台宗の本山「比叡山延暦寺」の「松」合わせて「松竹梅」となり、修行の一つに経を唱えながら、わらじ姿で小走りに「阿闍梨」(あじゃり)さんはこのルートを通られます。 【桂離宮】は宮内庁事務所から許可証が必要ですが、此処【曼殊院】も父上と兄上の意に、適う為、 「雁行型の屋根」等に離宮の類似点が観られます。「桂棚」に対しても「曼殊院棚」も其の一つで、「桂離宮」の面影が伺い知れます。 徳川家光の時代に、民主主義的な考えを持たれた 良尚法親王徳川家光八条の宮(桂の宮) 智忠親王 長男 桂離宮良尚法親王 同じ時期に存在【桂離宮】 は、良尚法親王の親・兄で八条の宮家として建てられ天橋立が庭園に採り入れられているようでした。母さんが京極家で、丹後を偲ばれての心遣いでしょう。 【曼殊院】 では、寺院でありながら、庭園の中心に五葉の松を宝船としてその真中に、【キリシタン灯篭】 が立っています。母さんがクリスチャンだったからとのことです。次回報告します。 キリシタン燈籠謎として庭園に五基の燈籠が据え付けてあります新緑の茂みでみにくいですが 二つ窓の灯袋の燈籠 一つ窓の燈籠 瀧石の左に何と三つ窓の灯袋の燈籠が 田舎風の小道を、登り詰めますと、「曼殊院」の勅使門に辿り着きます。門前は急な石段が構えられ、周囲は石垣の上に 白壁で五本の筋が入った格式の高い寺院として圧倒されそうです。勅使門の前には、各皇族の方々のご訪問を記念された「植樹」が目立ちます。 順路として「北門」から拝観出来ます。媚竈(びそう) 何気なく通り過ぎる方が多いです。 1.【庫裏】(くり)の玄関面に良尚法親王の直筆で 【媚竃】 (びそう)の額が掲げて有ります。 竹筆の隷書です。論語に「その奥(目上)に媚(こ)びるより、(かまど)で働く人に媚びよ」から掲げられたようです。現世でも中々実行しにくい事柄です。訪問して筆頭考えさせられる、民衆的優しい思い遣りが伺われます。2.台所から大玄関への廊下伝いに、「皇室」の来られた写真が、飾られています。3.表玄関の手前の部屋では、日本初の版画で 「竹」 模様の襖が見られます。 「竹の内御殿」 の趣からでしょう。4.【大玄関】(先入関)は高貴の方の入り口【勅使門】からの玄関です。来客に威厳と興味を、持たせる為に 「竹と虎」 の襖絵が構えています。 「狩野永徳」 の絵で、此処での見ごたえは、正面の虎が何故か、竹を噛み締めている異常な絵なのです。思考しますに弟ゆえに出家、と言う「竹」という権威・制度に噛み付く絵師の「良尚法親王」への心遣いとも採れます。Google【画像】【曼殊院襖絵】で参照
2014.12.09
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本日も多くのご訪問そしてコメント頂きながらもお返事の書けなかったことご免なさい間もなくアクセス230,000戴けそうです12月上旬ぐらいまでは京都の紅葉見ごろが残っています寒さも少し緩みました 曼殊院の側の圓光寺 12月6日写すどちらも 毛繊殆ど散ってしまっていますね
2014.12.08
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世界文化遺産の寺院に劣らぬ素敵な場所をご紹介します。本日からの4回分の【曼殊院】は、私の京都観光として、最高の奥深い意義の濃い内容の観光地と心得ます。堂内は、写真撮影が、禁じられていますので、充分に理解を得られないことが残念です。 勅使門平成24年12月 天皇両陛下ご訪問壁には最高位の寺格「5本線の筋塀」があしらつてあります。 新緑が美しいです【曼殊院1】 (まんしゅいん)天台宗の五門跡の一つ 開基 是算(ぜさん)(菅原一門の出身)大原街道も街中に、「白川通り」から東山山麓に位置し、【修学院離宮】と広域の隣接地に【曼殊院】が静かに存在しています。素晴しい観光地でありながら、観光バスが入れ切れない状況で、コースから、外されています。従ってタクシー貸切を利用されます。天台宗の格式高き門跡寺で、京都の寺社数ある中で、皇室のご訪問されたのは、少なく、此処では、皇太子殿下・秋篠宮殿下の学生頃に、そして「紀子妃殿下」もお一人で来られた写真が展示されています。浩宮親王 植樹 礼宮親王 植樹 主人公は、 【良尚法親王】 (りようしょう)で、今から380年前、徳川三代家光の頃、「八条宮智仁(としひと)の次男坊に産まれたばかりに、寺を与えられ僧となられました。いわゆる出家されました。同じ母親から腹を痛め、長男「八条宮智忠(としただ)親王」は父君と【桂離宮】を造られました。【修学院離宮】を造られた「108代後水尾天皇」とは従姉妹同士の関係です。 次男坊のゆえに後継に参与出来ない世襲制に 「良尚親王」のお気持ちを推し計ってか、襖絵などに、それらしく画かれた部屋が有ります。 然し、ご本人は、度量の大きい方で、五道の達人の結果を遺して居られます。そして封建時代に有って、今で云う「民主主義」の優しい志を持たれたことも、遺産として随所に遺されています。書道(竹筆)・華道(立花図)・香道・茶道(八窓茶室)・画道(色彩採用)そして仏への道と。 その上「小堀遠州好み」の「枯山水の庭園」を眺めながら、一生を優雅に過ごされ72歳に遷化されました。 キリシマツツジの真っ赤に咲く曼殊院を写真に初めて治めることが出来ました。映像の様に、宝船より西のみに作庭者はツツジの配置をしています。なぜ? 詳細は後日記しています。 枯山水庭園の西側にキリシマツツジを配置 宝船の近づく姿 フクロウのの手水 奥から眺めたツツジの配置 一方宮家を継がれたお兄様は、宮家の護持に気を配られてか僅か35歳の若きご生涯を閉じられました。何れが幸せであったのでしょうか?
2014.12.08
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今朝は0度曇りです昨日の【蓮華寺】の素敵な庭園を造られた 【石川丈山】 の住持された【詩仙堂】をご紹介します。 月と庭に咲く花そして自然をこよなく愛でられて余生を送られました。【詩仙堂】(しせんどう) 曹洞宗大本山【永平寺】の末寺 開基 石川丈山 山号 六六山 宮本武蔵の一乗寺下がり松 松ヶ崎より白川通りを南下、東に坂を登りますと、 「宮本武蔵」と「吉岡門下」との「一乗寺下がり松決闘地跡」を眺めつつ、更に登りますと、「詩仙堂」の小さい門に辿り着きます。 過っては、皇太子殿下浩宮様が推奨されて、英国の故・元英国皇太子妃 ダイアナ皇太子妃 が訪れられた写真が悲しくも飾られています。 ツツジが東山三十六峰を表現しています。燈籠が八坂の五重の塔 額縁に 【酔花醒月】 (すいかせいげつ)と丈山の隷書で書かれています。花の美しさに酔っている内に、何時しか月が出て目が醒めました。 鹿威し有名な 【僧都】 (添水) (そうず)一般に「ししおどし」の元祖 「蓮華寺」の庭園も造園された 【石川丈山】 が寓居された山荘でもあり、仏間も有ります。 59歳の時造営、90歳で亡くなられました。三河の国の出身で、三河武士として25歳のとき駿府城火災の際に、徳川家康の第11子「頼房(のちの水戸藩主)」当時5歳と乳母を救出した功労も有りましたが、大阪夏の陣で家康より「一番乗り」を禁じられていたにも拘わらす、決行してしまい。33歳で蟄居(ちっきょ)を命じられてしまいました。そして髪を切って「妙心寺」に出家、禅僧の修行をしました。 幼い頃より、自然の美しさ特に「富士山」の霊姿が心に焼きつき漢詩を残しました。そして此処一乗寺村に小さな庵を建て、好きな詩と自然の風景、観月も含め一生を過ごしました。 「詩仙堂」の名の由来は、中国の三十六歌仙を一室に、肖像画は、 「狩野探幽」 が画き、「詩仙の間」を中心に呼ばれる事に成りました。 入り口の額には、 【蜂腰】 (ほうよう) 蜂の腰は曲げて居ます。謙虚を表わすようです。 仏間は、比叡山根本中堂の様に、僧の礼拝される場所を低くして、仏と私たちは同じ高さから拝めるようになっています。 仏間の前に、台所で働く人への注意書, 【六勿銘】 (ろっこつめい)の掲示板が懸けられていました。その裏には、【既飽】 (きほう) の字が書かれ、既に満腹、腹八分目の大切さを説いて居られる様です。【六勿銘】 【火の用心】【戸締り用心】【早起き】【粗食】【倹約・勤勉】【清潔・掃除】 一例を記しますと、 「勿妄丙王」(丙王を妄(みだ)りにする勿(なか)れ)「火を粗末に取り扱うな」の意です。丙王(へいおう)を妄にする勿れ 火を粗末に取り扱うな 根族(こんぞく)を忘るる勿れ 盗賊を防ぐことを忘れるな 晨興(しんこう)をいとう勿れ 朝早く起きることをいとうな 糲食(れいしょく)を嫌う勿れ 粗食をいとうな 倹勤(けんきん)を変ずる勿れ 倹約と勤勉を変えてはならぬ 払拭(ふっしょく)をおこたる勿れ 掃除をおこたるな 石川丈山が庫裏(台所)に掲げて下働きの人の心掛けを促した。嘯月楼 【嘯月楼】 (しょうげつろう) 庵の屋上に、丸と四角の窓が有り。一説には幕府に敵対する怪しい者の見張りが、何時しか観月詩歌を詠まれ自然を謳歌されるように成ったと言われています。 明日は、近くにある 【曼殊院】 に参ります。
2014.12.07
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今朝の京都も1度でした 週明けには寒さが緩む予報でしたこじんまりした小さい池にも、庭園の要素が揃っています。蓬莱山 瀧 石橋 鶴島 亀島 宝船 池泉回遊式庭園 詩仙堂の石川丈山作庭【蓮華寺】 天台宗山門派 開基 実俊 山号 帰命山 蓬莱山 「蓬莱山」に通ずる「石橋」の真ん中の下部に、「仏の手」 と言われる石が間を空けて受け皿のように、立っています。 「宝船」は「出船形式」で船の後ろが満載で沈みがちの表現を苔で表わしています。庭内には「薬草」が満ち満ちています。 蓮華寺型灯楼 庭園の奥に「仏殿」があり、其の前には、珍しい「蓮華寺灯篭」が構えています。六角形の急勾配の笠をあしらっています。 魔除の蝉 入り口の施錠には、 「蝉」 の金具が装飾として付けられ、魔除けの意味だそうです。堂内正面には唐獅子と牡丹の白木造りの「須弥壇」があり、左奥に「阿弥陀如来像」が祀られて居ます。 「天井」には、「愛宕寺」(おたぎじ)住職であった「故西村公朝和尚」 の画かれた「龍」が輝いています。 一応鑑賞が終わりました後に、別室で抹茶とお菓子を茶券で頂戴します。おうすをよばれる部屋の前の小川 前庭には、小川が流れ右手上流には、池と分かれた水が「水分石」(みくまりいし)の役目のように水を二手に分ける小さい島があしらってありました。人生の分かれ道とも申しましょうか。とてものどかな風情を味わうことが出来ました。 庭園全景次回は詩仙堂に参ります
2014.12.06
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京都の朝3度 これからも8度の予報です 晴れ週明けには 寒さも少し和らぐと報じていました未だ紅葉見ごろと報じています 南座顔見世は 師走の風物詩です 朝の続きです三千院の北隣り 呂川を挟んで在ります後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵【大原御陵】 「実光院」の真向かいに位置します。「承久の乱」 (じょうきゅうのらん) (1221年)武士から政権を取り戻そうとして北条義時追放の院宣を下され戦われましたが、敢え無く、鎌倉幕府に破れ「武家政権」が際立つように成りました。82代後鳥羽上皇は、隠岐に、84代順徳上皇は佐渡に配流されました。女官 鈴虫・松虫の安楽寺事件 法然・親鸞上人法難も関係しています何か因果を感じさせます大原の里で御霊は、静かに安らいで居られる様です。遠く歴史を偲びつつ礼拝。【来迎院】 (らいごういん)天台宗 開基 円仁(慈覚大師) 山号 魚山余程、時間の赦せる方しか望めませんが、「呂川」(南谷川)の上流に位置し、慈覚大師円仁の「声明」の根拠地とも言われています。平安時代の末期に「融通念仏の開祖・聖応大師良忍」によって、再興されました。本堂には創建当時の作と言われる薬師・釈迦・阿弥陀三如来の坐像が安置されています。 更に「来迎院」を過ぎて、「律川」(北谷川)の上流かなり山道を辿りますと、【音無しの滝】に出会いました。感無量でした。白糸をたらしたような美しい滝で、巨岩に落下する「水音」は山肌にすいこまれように静けさを深めました。聖応大師が「滝の音」と「声明」が相乱れるのを恐れられ、「呪文」で「水音」を止められたと言う伝説が伝わっています。近くに聖応大師の墓が有ります。今でも仏教音楽「声明」に心して居られる事でしょう。 大原紀行も、此処まで訪れられれば、悔いは残りません。紅葉のころ又賑わうでしょう。雑踏の中でも静かな三千院の奥も愉しんでみて下さい。次回は大原街道沿いの【蓮華寺】に参ります
2014.12.05
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勝林院に、隣接して此処も見どころが多いです。 【宝泉院】 天台宗 開基 円仁(慈覚大師) 富士の形した五葉の松 法然上人衣掛けの石 入口の小庭 奥の間への庭園門の正面に樹齢500年余の「富士山型の五葉の松」がどっしり構えています。受付で備え付けの「木魚」を叩くと係りの方が案内して下さいます。額縁の竹林【額縁の庭】 として、広いガラス戸の間から、片や「近江八景図の庭園」が片や「竹林」が額縁の中で鑑賞出来ます。「抹茶と菓子」が出され、三千院の鑑賞の疲れに、一服落ち着いて外の景色をゆっくり味わわれるのに最適です。竹林の背景には、翠黛山(すいたいざん)(阿波内侍の眠れる山)ほか大原の里が望まれます。【血天井】 が京都に数箇所有り、その一箇所が此処「宝泉院」でも弔っています。伏見城で豊臣秀吉は亡くなりましたが、その跡は、徳川家が護っていました。天下分け目の一戦で、石田三成に攻められ 伏見城で徳川の忠臣「鳥居元忠(とりいもとただ)一党が、篭城で死守して、援軍の届かぬ内に自刃して果てた、血染めの廊下を、天井に上げて、菩提を弔ったと言う。 宝泉院別の庭園宝泉院庭園 【実光院】 天台宗 開基 円仁(慈覚大師) 「声明」の音階・音律を味わえる場所でもあります。楽器は四国の自然石で自由に鳴らして体験が出来ます此処も、抹茶と菓子で庭園を眺めながら憩う事が出来ます。 又、庭を散策するための履物も、用意され冬でも花を付ける「不断桜」も楽しめます。 滝・の流れと小規模の庭園形式の「契心園」も落ち着きます。女性のみが、「宿坊」として利用も出来るそうです。朝に続きます
2014.12.05
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この寒さも1週間の辛抱のようです 【三千院3.】勝林院・大原問答 熊谷直実が座って待機した石法然上人の弟子として護衛のため 「桜の馬場」を更に北奥に進みますと、「律川」の橋を渡ります。その橋の袂に「法然上人」の弟子「熊谷直実」(くまがいなおざね)が坐って待ち構えていたという石が存在しています。更に突き当たりまで、歩を進めますと。正面に「大原問答」で有名な「勝林院」が有ります。【勝林院】 天台宗 開祖 円仁(慈覚大師) 山号 魚山(ぎょざん) 堂内に厳かな「声明」(しょうみょう)が聞かれます。其の雰囲気で本尊「阿弥陀如来坐像」を拝する事ができます。Google「天台声明]と検索し 上部の【動画】をクリックしますと聞かれます 親指と人差し指を交えて居られるのが阿弥陀さんです。 証拠の阿弥陀さん阿弥陀さんの目は拝する位置によって、怖く・優しく変化します。 僧侶の読経される坐が最も優しく見える45度の角度のようです。阿弥陀さんの手から紐がぶら下がって居ますので、手元の紐を引くと阿弥陀さんと握手した事に成るという事で、浄土へ導かれることを願って実行されています。この手法は、他寺でも良く見かけます。縁があればお試し下さい。 両台座に座して問答 【大原問答】 堂内の本尊阿弥陀如来の前、両側に梯子があり、壇上が備え付けて有りました。一方には、 「法然上人」 がそして、もう一箇所には、「叡山南都の学僧」と浄土念仏の教理を論議・問答して信服させられたと言います。 法然上人54歳対して顕真(けんしん)権僧正(ごんそうじょう)56歳でした。 既成仏教は、王朝貴族を初め、知恵者、特定の富者のみに適ったもので、貧者・大衆・凡俗は、何等仏の救いも無く、実に仏教とは他山の石・無縁の存在とされていました。そこで法然上人は、叡山で修行し会得された結果。誰もが「一意専心・南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで「極楽浄土に導かれる」と、説かれた時、本尊阿弥陀さんの手から、御光が射したと言うことで、 「証拠の阿弥陀」 と称されることに成りました。その後「浄土宗」として庶民の信仰と広がっていきました。 このとき師匠「法然上人」に危害が加えられるのではと、弟子の「熊谷直実」は懐に鉈(なた)を隠し持って、近くで構えて居たところ、法然上人にたしなめられ、鉈を竹薮に捨てたという事です。 前庭 前庭 次回も三千院の奥の様子をご案内しましょう
2014.12.04
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京都の今朝の最低気温1度でした 寒さが募ります 【三千院2.】拝観順序でご案内しています。8.【宸殿西の間】救世観世音菩薩像(くぜかんぜおんぼさつ)(重文)鎌倉時代作、当初秘仏で観られませんでしたが、今は公開されています。不動明王像。阿弥陀如来像が祀られて居ます。部屋の中まで入って、拝観されることを、お勧めします。9.【宸殿本堂】正面に112代霊元天皇の御親筆の額が掲げて有ります【三千院】と。 本尊は、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)で伝教大師の作とされています。 向かって右に歴代天皇の、左に歴代法親王の尊牌が祀られて居ます。本尊は秘仏で観られません。瑠璃光の庭薬師如来のことを別名瑠璃光如来とも称します。10.【宸殿玉座】 三千院の中で最も大切な場所です。高貴の方が坐られる事から、此処からの【瑠璃光庭】と【往生極楽院】の眺めが素晴しいです。 瑠璃光とは、薬師如来の世界往生極楽は、阿弥陀如来の世界 玉座は、高貴な方が坐られる為に、 「格天井」 (ごうてんじょう)になっています。 正面に「王義之」(おうぎし)の【鵞】(が)拓本の大軸が飾ってあります。【虹の間】玉座の前の部屋で、「下村観山筆」天皇を太陽に見立てて画かれた「虹の図」従来の襖絵の常識を破って、鴨居の上の壁にすべきところを、特に「釣り襖」として、天井まで貫く大胆な構図で「虹」が画かれ、世界的に有名だそうです。虹の七彩の美しさもさることながら、下部の壁にまで、「水草」が可愛く画かれているのにも注目して見て下さい。障子の外から手をかざしますと、指の間から虹が映し出されます。「紅葉」ごろは更に美しく反映します。是非試みて下さい。瑠璃光の庭 小さいお地蔵さん11.【瑠璃光庭】本堂前から履物を履き、苔むす広い庭園は、心を和らげます。大きい地蔵菩薩が庭に立って居られます。三千院の美しさ、静けさ、清らかさ、雰囲気を味わう絶好の場所です。「造った庭」ではなく「造ることもなく出来上がっている庭」井上靖が「東洋の宝石箱」とした「池泉回遊式庭園」で、 リュークエイセスの歌女性の着物姿が「水面にぬれた」と歌った場所かもしれません。想像して鑑賞して見て下さい。【紅葉】【雪】景色は表現の出来ない感動を与えて呉れます。 「薬師瑠璃光」の如来の道場のごとく清らかで自然の姿。「杉苔と杉木立」を満喫して下さい。【有清園】瑠璃光庭の一部で、「往生極楽院」の東側にあります。「さざなみの滝」水音が静けさを感じさせます。あちこちに「童地蔵」石仏が微笑ましく、皆様を歓迎しておられます。往生極楽院内部は写真が撮れないのが残念です。12.【往生極楽院】国宝 【阿弥陀如来】脇侍として【観音菩薩】【勢至菩薩】の坐像がゆったりと祀られて居ます。極楽浄土への御来迎の形で、「観音菩薩」は、蓮華坐を持って居られます。両脇侍は、あぐら坐でなく、「大和坐り」と言ってとても珍しく、腰をやや立て、今や迎えようとされる、動的感じを与えて居られます。「阿弥陀如来の印相」は「上品・上生」で極楽浄土への最高の迎え方をして居られます。仏さんを大きく囲う為、天井は、船底型になっています。彩色は今は剥げてしまいましたが、往時は、美しく極彩色で有ったと考えられます。板塀には、25菩薩三千仏、天井には飛天、柱には極楽浄土に咲く「宝相華」(ほうそうげ)も画かれていたようでてす。 お坊さんのお話では、「建礼門院さまが、この優しく心の安らぎを感じさせる阿弥陀さん三像を目の前にして、わが愛しき子と平家の菩提を弔うに相応しいとして此処大原の里に余生を送ることを決意されたのではないでしょうか」と。建礼門院さんが親しまれた 阿弥陀様三尊のお姿は写真禁止です。GOOgle画像で観られます次回は、三千院の奥に素晴らしい内容が潜んでいます。場所をご案内いたします
2014.12.03
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真冬並みの天候になりました 体調管理に気を付けてください【三千院1.】天台宗門跡寺 開基 最澄 【さいちょう】 (伝教大師)京都を訪れる若い女性にとって、嵯峨野巡りと並んで人気のあるところです。 「京都 大原三千院 恋に疲れた女がひとり 結城(ゆうき)に塩瀬の素描(そびょう)の帯が水面(みずも)にぬれていた 京都 大原三千院 恋に疲れた女がひとり」水面の池は 【瑠璃光池】を指しています デューク・エイセスの歌声が耳に残ります、作詞家 永六輔が京都の代表として選ばれたようです。 「寂光院」から紫色の「ちそ畑」を眺めながら、坂道を登ったところに「三千院」が有ります。「穴太積」 (あのうづみ)と称して、滋賀県坂本の穴太衆の作業で石垣が目立ちます。地震があれば余計に揺すられて固まる仕組みに成っています。フランスの女性客に説明していましたら、日本人より関心が深く、 「よっぽど自信(地震)が有ったのですね」とジョウクで返されました。桜の馬場と言いますが、紅葉が素晴しいです。 穴太積(あのうづみ)の石垣桜の馬場 大原は、 【声明】 (しょうみょう)の道場の地で、「声明」とは、お経に節を付けて、歌う様にお経を唱えます。とても荘厳で仏への世界へと誘われ落ち着きの保てる雰囲気になります。従って「三千院」桜の馬場の両出入り口「呂川」(りょかわ)と「律川」(りつかわ)が流れる「橋」が架かっています。何れも「声明」の音律から付けられたもので、節回しが上手く行かない時に、酒に溺れて酔っ払って言語のはっきりしない人を「ろれつがまわらない」という語源が出来たそうです。【天台五門跡】 妙法院(三十三間堂)・青蓮院・毘沙門堂(山科)・曼殊院・三千院格式の高い寺院で、天台座主の後継者候補が門跡として、仏事に坐しておられる方が多いです。 現在の比叡山延暦寺の総本山で「256世天台座主」になられた「半田孝淳(こうじゅん)座主」は「曼殊院門跡」でした。「三千院」の建物は、【往生極楽院】1143年建設を除き、明治以降にに修理改築された建物と比較的に新しいです。【順路】1.「呂川」に架かる「魚山橋」を渡り、「穴太積」の石塀と茶店で挟まれた「桜の馬場」を散策、【御殿門】の前の石段を登ります。門前に大きく「三千院」の立て札が掲げてあり、記念撮影に、シャッターを切っておられます。 三千院の正面の門 2.受付を済ませて玄関に入りますと、先ず目に付くのが、【香時計】です、朝灯した香の軌跡で時を図る仕組みで、珍しいです。3.同じ場所に、「往生極楽院」の阿弥陀如来の脇侍の一体「勢至菩薩」の大和坐りの写真が大きく飾られています。4.【坪庭】京の都では、昔、面玄関の間口の幅の広さで課税したそうです。そのため奥行きを長くして建造しました。いわゆる「鰻の寝床」と称します。健康上中間に太陽をと言うことで、坪庭を設けました。その雛形が此処にも有りました。家の中に庭を設けたところから「家庭」の語源ともなるほど大切な要素でもありました。「三尊石」植木「千両」そして苔が飾られています。 坪庭 小さくってもホッとする空間です。5.おみくじの元祖「元三大師」が祀られた部屋が有ります。「角大師」(つのだいし)とも言われお札が置かれています。帰って玄関入り口に飾る事で、魔除けになるとの信仰です。6.【聚碧園】(しゅへきえん)「芝法師琳賢(りんけん)」の原作で、庭師金森宗和が自ら手を加えて今日の清楚にして優雅な庭園が生まれました。池の源は、「音無川」の滝よりで、杉木立の間から「往生極楽院」が望めます。小さい池の奥に「枯れ滝の石組み」は古いです。 聚碧園(しゅへきえん)7.【客殿】最近内部が改造されて、開放的に成りました。客殿から「聚碧園」を眺める事も出来る様になりました。 以前は廊下伝いでした。明日に続きます
2014.12.02
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朝に【長楽寺】続きますとうとう12月に早入りました 明日から朝1度という急激な寒さに体調管理お気を付け願います【寂光院2.】庭園千代の姫小松枯れてしまいました祇王寺で仏午前の舞った歌雪見灯篭 庭園 湧き水此処からは一般には入れなくなりました。特別公開となりました。庵室の跡の碑 奥に宝蔵庫積み上げられた石垣は当時の姿を語ってくれそうです。 「建礼門院庵居跡地の碑」が有り、此処に入った途端、静寂と霊気が身に染みて、「寂光院」を訪れたな、と最高の雰囲気を味わう事が出来ます。 未だに「清水」が湧き出て、当時のお住まい方が偲ばれるようです 建礼門院は此処で採れた生花を摘み取り、仏前に供えられたと聞きます。優しい大原の里人に親しく見守られながら この庵室で静かに息を引き取られる時に、西(極楽浄土)から紫雲がたなびき薫香が庵室に充ち、空から妙なる音楽が聞えたと「平家物語」に記されているそうです。幾多の悲しみと苦労を体験なさり、御歳59歳で御逝去なされました。平清盛の娘として、幼くして高倉天皇の中宮として、迎えられながら栄枯盛衰平家滅亡でわが子安徳天皇を救うことも出来ませんでした御子 安徳天皇の御陵は 壇ノ浦近く 下関に有ります場所は遠く離れて居ても 心は母子よくつうじあったたことでしょう明日は大原三千ん院に参ります
2014.12.01
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八坂神社から円山公園に出ますと洋館建ちの明治の建物が目立ちます。【長楽館】というロマンチツクな様相を為しています。長楽館 長楽館円山公園円山公園を登りつめて行きますと、大谷本廟(東本願寺御廟)の入口に沿うて、長楽寺の参道に辿り着きました。 長楽寺特別拝観長楽寺参道 長楽寺三門 本堂【長楽寺】 東山三十六峰の「長楽寺山」があるほどに山道100メートル先に絶景の景色か眺望されると記されていました。将軍塚にいたるのでしょう。建礼門院の坐像掛け軸には平家物語の始のことば祇園精舎の鐘の音...がかかれていました 相阿弥作の園池銀閣寺の庭園も作庭その試作平安の瀧此処にも名水が堪えなく流れています建礼門院塔 釣鐘 右手に建礼門院塔この後【寂光院2.】を記します
2014.12.01
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