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【高山寺】(栂尾高山寺)(とがのお・こうざんじ)真言宗 開基 明恵(みょうえ) 世界文化遺産に登録 過日、世界遺産でペルーの【マチュビチュ遺跡】で豪雨のため邦人595人が取り残されられたニュースが有りました。世界遺産と言うことで、海外まで出向かれる魅力が有るのでしょうね。京都だけで、17箇所有ります、魅力の有る無しに拘わらず、先ず御紹介して参りたいと思います。辛抱してお付き合い願います。 臨済宗(禅宗の一派)が続きました。池泉回遊式庭園・枯山水の庭園が評価されたのでしょうか、いずれにしても、何処の臨済宗の寺院は、手入れが、【修行】の一つとなって、心が清く洗われそうで、清々しい気持ちで訪問できました。 今回、【真言宗】は、弘法大師の説かれた宗派で、【高野山】が大本山に成っています。【高雄】は、京都では、紅葉の名所で、其の周辺に【槇尾】(まきのお)【栂尾】(とがのお)と紅葉が美しく、【三尾】(さんび)と言われています。その最も奥に高山寺が有ります。大きい駐車場から、急な山道を登り詰めた所に、お寺の玄関口に辿り着きます。廊下伝いに暫し歩みますと、国宝【石水院】(せきすいいん)があり、廊下には、影絵の様な形で【蟇股】(かえるまた)のシルエットがとても芸術的に美しいです。本間で坐って外の景色も、山が見え、紅葉は一段と美しいです。額には、「日の出先ず高山寺を照らす」と漢文で書かれています。床の間には、国宝【明恵上人の樹の上で座禅姿】の屏風が飾られています。又、本間の横に、国宝【鳥獣人物戯画】全4巻の写しが置かれ、蛙と猿が人物的表現で戯れている図で、愉快に成ってきます。鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の筆と言うことです。 この様に【国宝級】が3個あるだけでも、寺の建物は小さくても、文化的価値は、高いと、思われます。京都検定1級の試験に出題されました。又本間に運慶作の可愛い「子犬の像」が何とも微笑ましくお客様を迎えています。 外に出ると、日本最古の茶園が狭いですが、存在し「明恵上人」が「栄西禅師」から、中国から持ち帰った茶の種を贈られ。馬の歩む足跡に従って植えることを教えられました。 宇治の「黄檗山万福寺」にも門前に有ります。 再び、大駐車場から道路を奥に進めますと、直ぐのところから、有名な【北山杉】の植林地が広く広がっています。一幅の絵にも成ります。皇太子殿下・妃殿下もご訪問為されました。
2010.01.31
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【左大臣は、右大臣の上位】広辞苑にさ‐だいじん【左大臣】「律令制の太政官の長官。太政大臣の次、右大臣の上に位し、諸般の政務を統轄した官。左丞相。左相府。左府。左のおとど。いちのかみ。ひだりのおおいもうちぎみ。右大臣。」とあります。 京都及び奈良観光で、注目すべき【配置関係】と考えられます。常時目の前に現れます。1.【紫宸殿】京都御所にある紫宸殿の前に【左近の桜】【右近の橘】が飾られています。桜即ち【杠】橘は、白い花が咲きます。【白】 即ち紅・白の位置関係です。然し、嵯峨大覚寺とか、青蓮院の宸殿では、【左近の梅】に成っています。南北朝の、100代後小松天皇の時代まで、梅だったようです。一昨日ご紹介しました【天龍寺】の【多宝塔】の前は、【紅梅】【白梅】でした、天皇から見て、左が上位、右はそれに次ぐかたちです。2.天皇・皇后のお二人の場合、アメリカ・欧州あたりでも、レディーファストの観点から本人から見て左に位置されているようです。現代の天皇の肖像写真でも西洋に倣って皇后さまは、【左】に居られます、然し「明治天皇」は「左」。「昭憲皇太后」は「右」のお写真になっています。西洋外交に、合わされての宮中のご配慮かもしれません。3.【雛祭り】【内裏】と【お姫さま】ひな壇で、明治以前は、左に雄雛・右に雌雛が、現代売り場では、その逆になっています。京都【宝鏡寺】(人形寺)では、「和宮」が御使いになっ雛も、明治以前の様式を採っています。4.【仏像】特に【三尊像】では、「釈迦如来」の左に「文殊菩薩」右に「普賢菩薩」が構え、文殊菩薩を主にしています。「阿弥陀如来」には、「観音菩薩」そして「勢至菩薩」「薬師如来」には、「日光菩薩」「月光菩薩」と判り安いですね。5.【仁王像】「阿形」「吽形」あ・うんの呼吸。門の方から左側は、口を大きく開け、右の方は、口を結んでいます。例外が、【奈良の大仏の仁王門】ここでは、あの有名な「運慶」の作で、左右逆になっているのです。地元のガイドさんの説明では。奈良の都では、大仏さんよりも、「春日大明神さん」の方が、位が高いので、「春日大社」を主としたのかな。真意は判りません。6.【狛犬】やはり主たる神社、寺院から見て、「左」が口を開け、「右」は口を閉じています。こまいぬ、普通は、犬ですが、「護王神社」では、「猪」がお稲荷さんでは、「狐」他にも「鼠」「虎」等見落としがちですが、意識すると面白いです。7.【劇場舞台】【上手】は舞台から見て左側【下手】は右側ですNHK紅白歌合戦では、何故か男性が上手女性が下手になっています。時代に沿わないとも考えられ、投書しましたが無視でした。
2010.01.29
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【西芳寺】(さいほうじ)(苔寺)臨済宗 開基 行基 特別名勝・史跡 か世界文化遺産に登録 嵐山から阪急電車嵐山線の「松尾」「上桂」で下車の位置にあります。然しバスかタクシーを利用された方が便利です。 昔は一般寺院並みに観光客に拝観出来ていたのですが、心なき訪問者より、貴重な「苔」がむしり取られ、あちこち「はげ状態」になったようです。従ってお寺さんも「寺は、観光目的でなく参詣と言う目的で、来訪を受けたい」とその後「予約制となり、【参拝冥加料】として、3,000円」として受け入れられるようになりました。「1ヶ月前までに予約」 もう一つの理由は、狭い山道に掛る場所にあり、駐車場が狭く、多くの自家用車での観光客により、地元の方々にご迷惑を掛けた。との意向もありました。 当時は、表総門より入場、例にって、「洗心の道」を伝って奥に入りましたが、現在では、裏の通用門に、予約時間に成れば、僧侶が受付、直接【本堂】(西求堂)に案内されます。先にご紹介しましたとおり、「銀閣寺」は、西芳寺を模して造られました通り、銀閣寺では、(東求堂)と称します。本堂には、禅宗では珍しく、阿弥陀如来が本尊で、東を向き、浄土から向かわれて居られる様でした。僧侶3名と50名ほどの参拝者とで、「般若心経」を一諸に唱え、お寺に訪問したと言う、貴重な体験もさせてもらいました。 庭園は、【夢窓疎石】の作庭で、池泉回遊式、【黄金池】と山腹に掛る枯山水の瀧との上下に分かれ、これも銀閣寺が真似ている様です。苔は100余種あり、天龍寺の広大さはなく、こじんまりして、幽玄の世界を垣間見る落ち着いた庭園と思われます。池の側に【湘南亭】(しょうなんてい)の茶室があり、千利休の次男、少庵が再興したと言われ幕末には、「岩倉具視」が一時滞在したとのことです。訪れる人も限られ、静かに心身共に和やかに癒される苔寺でした。 近くに【地蔵院】(竹の寺)参道竹薮に囲まれ、外人婦人お一人で、書を眺めながら訪問され印象的でした。殆ど人影がなく、日本人として是非鑑賞をお勧めいたします。【華厳寺】(鈴虫寺)修学旅行生に人気のようです。年中欠かさず鳴いています。何でも和尚さんの奥様が、病床で「鈴虫の鳴く音を聞きたい」との希望で、優しい和尚さんの一念で、年中聞かれる鈴虫は、数多く鳴いています。庭園では、珍しい「黄金竹」「四角竹」等珍しい竹の薗が鑑賞できます。
2010.01.29
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【天龍寺】臨済宗天龍寺派大本山 世界文化遺産に登録 開基 夢窓疎石 五山第1位庭園 特別名勝・特別史跡(国宝第1号の庭園)世界文化遺産の御紹介も清水寺・西本願寺・金閣寺・銀閣寺・二条城そして天龍寺まだまだ見尽くせませんね。嵐山渡月橋から「美空ひばり館」の前を経て、天龍寺に着きます。【足利尊氏】が南北朝の戦で、吉野で崩御された【後醍醐天皇】の菩提を弔うために、開山【夢窓疎石】を迎えて建立されました。この地は、元々後醍醐天皇のご幼少の頃の学問所で御霊の安らぎを考えての尊氏の配慮と想いが有ったものと考えられます。建設資金捻出のために、途絶えていました中国「元」との貿易を再開し【天龍寺船】を往来して経済や文化の輸入にも貢献しました。私たちの高齢の歴史観では、天皇に背いた逆賊の謀反者と教わり、神戸湊川神社では、「ああ・忠臣楠氏の墓」と「楠正成」を謳歌してまいりました。でも京都でのお寺の遺される事で、又の日に述べさせていただきます【等持院】は、尊氏一族「足利」の菩提寺で、「寺」と「院」では寺格が違い、尊氏の思い遣り、一歩引く謙虚さが、見えるように思えるのです。 順路として「山門」から静かな敷地を歩み、心を静めます。1.【法堂】(はっとう)は選仏堂(座禅堂)ともいわれ、正面から覗きますと【釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩三尊】と天井に【雲龍図】「加山又造画」が描かれています。以前は「鈴木松年画」2.受付でパンフレットを見ますと表紙の庫裏の写真で、庫裏の実物を見上げながら、龍安寺でご説明させてもらった「懸魚」「蟇股」が大きく見られます。そして「三尊石」も在ります。3.【方丈】白砂と苔の境界線で、「心字」が画かれています。屋根瓦の端には「天龍寺」の文字が目立ちます。4.【曹源池】(そうげんち)日本で最初の庭園形式に基づいて、夢窓疎石が作庭した素晴しい庭園で、嵐山愛宕山も借景して、更にスケールが大きく感じます。正面に枯山水「瀧」をそして「三尊石」日本最古の「石橋」周りに「鶴島」「亀島」そして「船石」と庭園の要素を採りいれています。5.「亀島」から道なりに進むと池にそそぐ「遣り水」(やりみず)が【曲水の宴】形式になっています。貴族の歌読みの、のどかな姿が浮かびます。6.【多宝塔】後醍醐天皇の尊像を安置、紫宸殿形式で、左近の紅梅・右近の白梅が備わり、その前庭の苔に包まれた小高い位置に後醍醐天皇の菩提塚が古びて立っています。7.観音像と「トレビの泉」から裏口を出ますと、「嵯峨野の竹林」に出ます。8.裏門を出ずに、小山を登って、枯れ瀧の裏を通って、正面元の位置に帰ることも出来ます。次回は、「西芳寺・苔寺」に参りましょう。
2010.01.27
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【嵐山】京都観光の「嵯峨野巡り」は、最も女性に人気が有ります。その入り口が【渡月橋】を含む此処「嵐山」です。「山紫水明の景勝地」として訪れる人々の心を遺憾なく癒してくれます。「角倉了以」が「保津峡」を開削、豊かな渓谷は、JR「亀岡駅」からの「保津川下り」でも、スリル満点で、此処嵐山が「終着船着場」となっています。その船着場から、少し川上に、丘に登る階段が有り、少し上ったところに中国の「周恩来総理記念詩碑」が建っていますが、有名な【雨中嵐山】の詩の表現は、嵐山の表現を遍く伝えて下さっています。(グーグルで検索して見て下さい、写真も)中国の要人が来日の際は、どんなに忙しい日程でも、此処を表敬訪問されます。最近では、「温家宝首相」が訪れられました。更に「亀山公園」を登りますと、「角倉了以」そして「津崎村岡局」の銅像あります。特に村岡局は、嵯峨野「直指庵の創設者」で、幕末の影の立役者でNHK大河ドラマ「篤姫」の味方・理解者でも有りました。 戻って、「渡月橋」は南北に架かっています。見所はブロの写真家が佇む、京都市内から訪れた、渡月橋の手前から嵐山を背景に、シャツターチャンスです。そして渡月橋を南に渡った所から、川べりに降りて、堰を含めて背景に、お饅頭の様に、まあるく構えている「小倉山」(小倉山百人一首)そのバックに「「愛宕山」が見える場所も一服の絵に成ります。 此処から更に、南へそして石段を登りますと、「虚空蔵菩薩」(こくうぞうぼさつ)(知恵の仏)を祀る、【法輪寺】があります。地元での言い伝えですが、子供さんたちの「七五三」のお祝いで、智恵を授かる為に、法輪寺で祈祷して、渡月橋を南から北へ、「振り向かないで、渡り切ると、その子に智恵が授かる」ということで、子供たちは真剣な様子で前を見つめて渡る姿は、とても微笑ましいです。川の名が渡月橋の上流・下流で堰と堰とで変わります。上から「保津川」「大堰川」そして「桂川」と嵐山の景勝を求めて、多くの観光客がお見えですが、その殆どの方が、目にとまらないのが、渡月橋の北東詰に在る【琴きき橋跡碑】です。此処には、嵯峨野の女性悲話の一つが静かに潜んでいます。あの有名な「黒田節」の二節に「峰の嵐か松風か、尋ぬるひとの琴の音か、駒引き止めて立ち寄れば、爪(つま)音高き【想夫恋】(そうふれん)」 宮中一の美人でお琴の名手であった【小督局】(こごうのつぼね)は、高倉天皇の寵愛を受けていましたが、中宮であった【徳子】(建礼門院)の父である「平清盛」は「わが娘をおいて何ごとぞ」と烈火のごとく怒り、小督を宮中から追い出してしまいました。高倉天皇は、愛しさのあまり部下の【源仲国】に命じて嵯峨野に身を隠していました小督局を探しに行かせました。嵯峨野の此処嵐山を訪れたころ、高倉天皇を恋い慕う想いを込めた【想夫恋】の琴の激しい曲が聞えてきました。そして出会って事情を話し、宮中へ連れ戻されました。今でも「国道1号線東山トンネル」西出口のそばにある、高倉天皇の御陵の側に天皇の遺言により、眠っています。 小督局の屋敷跡が、渡月橋の少し川上の「局茶屋」の北側に碑が建てられています。馬を止めて琴の音を聴き入る仲国の姿がまぶたに浮かびそうです。次回は「天龍寺」へ伺いましょう。
2010.01.27
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【京都と水】は、欠かせぬ大切な事柄でも有ります。愛宕山から北山そして東山・西山何れからも【伏流水】(ふくりゅうすい)は貴重に、京都の街を潤わせています。【伏見の酒】奈良街道の泉涌寺道角に、【一の橋】【伏水街道】の石碑が、今も建っています。側には【一橋小学校】があります。(いっきょう)小学校でした。稲荷大社の前を通り、「二の橋」「三の橋」経由、「伏見」に至ります。【伏せ水】から伏見と何時しか、称するように成りました。北の方では、【茶道の家元】が有り、澄み切った、良き水は大切です。又【湯豆腐】も、自然に湧き出る、清水が、言うに言われぬ美味さを味わう事ができます。ある東京のお客様は、京都の湯豆腐を是非にと楽しみながら、訪れられるほどです。【京料理】も同じく、水の効力により、何とも言えない美味を提供してくれます。【友禅】自然の川の流れで、染料を流し落とすことが、美しい染めの世界に役立っているようです。【友禅流し】は、京都の風情からは消えましたが、屋内で行なわれているようです。 【清水寺】も日本一の名水として、絶えることなく、瀧から清らかな水が流れ落ちています。【錦市場】の老舗の店が、並んでいますが、地下水まで地下深く、階段があり、伏流水の流れの場所では、自然の「冷蔵庫」の様に成っている所を、テレビで放映していました。 古の中国の故事に、「治山・治水に長けるものは、国を治められる」と。今の公共工事に消極的に経済上の政策としても、本来は大切な国の繁栄と、国民の安心に繋がるものの、今の施策に懸念を感じます。 京都の都も、山を護り、河川の大工事を施した、【秦氏一族】そして【角倉了以】の御蔭で、「治山・治水」主流の鴨川・桂川・宇治川の地形が安泰で、過ごせる事に安んじています。 水の益・害は、世界中考えさせられますが、京都は「山紫水明」恵まれている事に、時には感謝しなければいけないでしょぅね。【弘法さんと天神さんとは仲が好くない】どちらかが、晴・雨と逆らうようです。京都での誰言うとなく言い伝えと成っています。どちらも「市」が立ちます。昨日25日は、「初弘法」でした。お天気は「晴」のはずが、「曇り一時小雨」でした。今年の21日「初天神」が「曇り後雨」なので。仲良く引き分けと成りました。気候の周期が為せるのでしょうが。「弘法さん」は「弘法大師」を慕い【東寺】(教王護国寺)にお参りに、大勢の善男・善女で賑わいます。一方「天神さん」は「菅原道真」学問の神様として、【北野天満宮】に参詣。受験学生さんも真剣です。
2010.01.26
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【京都は、冬は底冷え。夏は蒸し暑い】今年も【大寒】が過ぎ、節分そして、立春へと夢は膨らみます。「今朝は、よう、冷え込みますなぁ」「今日は蒸し暑ぉすなぁ」京都での出会いの挨拶です。車中での、お客様との会話でも、よく聞かれる事柄ですね。 何故でしょうか?「京都は盆地だから」との一説も有ります。そこで京都の地層を、見たときに、今から100万年昔は、水に覆われていたようです。それが時の経つに従って、湖底が現代の様に現れたそうです。でも「地下水」は未だ【伏流水】(ふくりゅうすい)として、大量に残されています。京都盆地の北面に、鞍馬山があります。そこでは、貝の化石が出土するそうですし、その近くに、貴船神社が有ります。「神武天皇の母君・玉依姫」が「黄船」で難波から着かれたとか。 従って、冬は、身体の心底より、冷え込み、夏は、湿気で蒸し暑いとされています。湿気も、多いところから、身体の健康にも、影響有り、【労咳】(ろうがい)現在の「肺結核」で、年若くして生命を落とす人が多かったようです。都としては重要な拠点ですが生活するには恵まれていなかったかも知れません。現代では、医学も発達し適度に栄養も採れますので、「肺結核」は見当たらず、長寿の地と化しています。私もその一人で、25歳で「肺結核」を患いましたが、幸い軽くって済み、現在81歳の長生きをさせてもらっています。 二条城でも、述べました様に、番所で年に2組(1組・50名)が春に交代します。武士として剣豪でも、健康上では、弱いので、鎌倉幕府も徳川幕府も健康的な鎌倉並びに江戸に構え、一部を都に留め置く政策を摂ったものと考えられます。 梅雨時には、ただでさえ水を含む上に、川は氾濫し、【疫病】が蔓延しやすかったようです。田植えのため、「水乞い」の祭り、「葵祭り」で梅雨が訪れます。そして河川が溢れ、疫病が蔓延します。「疫病退散行事」として夏祭りの「祇園祭」が、季節に応じて年中行事が盛大に行われています。 次回は、【京都と水】の良い方をお話してみましょう。
2010.01.25
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【二条城3.】大広間を過ぎますと、更に奥に、【黒書院】と【白書院】があります。【黒書院】は、奥御殿で、将軍と親しい諸藩の大名の内輪の対面所です。特に紀伊・尾張・水戸の「御三家」で、「大政奉還」の審議は、この部屋で行なわれたといわれています。注目すべき襖絵は、「狩野探幽」の弟「狩野尚信20歳」の桜の絵が、描かれ、兄の豪壮に対して、とても和やかな、優しい落ち着きを感じさせる襖絵です。【白書院】いわゆる、【大奥】で、将軍を囲み、将軍にお茶を運ぶ「女官」控える「局」と控える「女官」が、人形で表しています。襖絵は、狩野兄弟のお師匠「狩野興以」の「山水画」です。此処より、折り返し、牡丹の間・ソテツの間そして、二条城から手渡される、パンフレットに「鷹」の図がありますが、大広間の裏「四の間」に豪快な「老松にとまる鷹」の絵に、目を輝かせてくれます。この部屋の左方の欄間には、牡丹、往路大広間の三の間がその裏側になり、同じ欄間に「孔雀」が彫られている事に、ご注目下さい。厚さ35cmの幅で、異なった「彫刻」がなされています。老中の間そして最後に「勅使の間」を見て、下足した場所に戻ります。部屋数33室・畳数800畳余り有るそうです。 とても広くって、第一段階ここから時間がないので、引き上げるが多いです。更に、玄関の出て、右手に「庭園入り口」があり、【二条城二の丸庭園】(特別名勝・国宝並み)小堀遠州作庭。豪壮な石が並び、瀧が流れ、石橋・鶴島・亀島と配置良く、庭園の「要素」を備えています。 庭園入り口を入って、直ぐ右手に、先ほど巡った「二の丸御殿廊下」の軒下をのぞいてみますと、「鴬張りの仕組み」が見えます。此処で、引き返す方も有ります。堀の橋を渡りますと第三段、【本丸御殿】天明の大火で、焼失、現在は京都御所に在った、旧桂の宮御殿を移築されました。庭園は明治時代に作庭、精洋風に作られています。【天守閣跡】天明の大火の直前、落雷で焼失しました。現在平坦な空き地に、なっています。帰路。【清流園】江戸時代に「角倉了以屋敷」から建物の一部と庭石800個を譲り受け全国から名石300個と集め、「和風庭園」と「洋風庭園」を作庭。茶室もあり、大茶会とか、国賓の接待所に利用されました。土蔵。収納庫(米蔵)そして台所・御清所には、人形が有り、「お毒見役」も、見られます。如何でしたか?大変広いので、観光時間に制限ある方は、全部を観るのは至難な事ですね。次回は、観光寺院を離れて、京都ってどんな、環境下にあったか、車中お客様との対話について話したいです。
2010.01.24
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【二条城2.】 お城の中って、どんな構造に成っているのでしょう。下級武士から、殿様まで、そして「大奥」と、テレビで紹介されますが、実際に目の前に、見せてくれますのが、ここ【国宝・二の丸御殿】です。玄関には、龍安寺で、ご紹介しました【懸魚】(げぎょ)が、目立ちます。下足を脱いで、スリッパに履き替えます。順次各部屋ごとに、説明付のボタンが、設置されていますので、短いですから利用されると面白く見られます。【二の丸御殿】(国宝)桃山時代武家風書院造りの代表的な建物です。1.車寄】(くるまよせ)・遠侍に付けられた御殿の玄関です。欄間を見上げますと鶴・牡丹・鳳凰が見られます。聚楽第の遺稿といわれています。豪華ですね。2.遠侍】(とおさむらい)・柳の間・若松の間・勅使の間 お城に参上した大名や外来客の控え室と成っています。柳の間・若松の間・襖の絵により名付けられました。共に「目付役」が、来殿者の受付をする所で、来殿者の心を和らげる雰囲気があります。虎の間・三部屋に分かれています。大名の控え室で、虎と豹の絵が描かれています。説明では、当時生きた現物を見たことがないので。敷き革で、虎を雄・豹を雌との構想で画かれた物で、微笑ましいです。城の威厳。武将の厳しさを表現したのでしょう。何れも【狩野派】の絵とされています。3.【廊下は鶯張り】知恩院でも、紹介させてもらいましたが、皆様が廊下を歩かれると、「きゅつ・きゅっ」と音がします。「忍びの者が、潜入してきても直ぐわかる仕掛けとも言われています。後ほど、庭園に出られたときに、建物の廊下の下部を覗きますと、仕掛けが解かりますよ。先日、放映の伊達政宗ゆかりの「瑞巌寺」でも同じ手法とかで鴬張りの廊下を紹介していました。4.式台】式台の間・老中の間。老中の間 老中と参上した大名と挨拶を交わした場所 【狩野探幽25歳】豪華な老松が襖(ふすま)に描かれています。「切手」に登場しました。 東入り口の杉の戸の【八方睨みの獅子】何処から見ても正面を向きます。5.【大広間】 「一の間・二の間」将軍と緒大名との対面所。最も大切な場所です。人形がずらりと並んでいます。将軍は、小姓と、上座に控え、「武者隠しの部屋」も控え、「桃山時代」の「武家風書院造り」典型をなします。違い棚・付書院、天井は二重折り上げ格天井(ごうてんじょう)この部屋で、【大政奉還の儀】が行なわれました。265年間の徳川幕府でした。廊下伝いで、この場所がもっともメイーンに成っているようです。次回は、【黒書院】【大奥】へと進みます。
2010.01.23
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【二条城1.】世界文化遺産登録 修学旅行生が、近年タクシー観光を各社利用される学校が増えて来ました。一見贅沢の様ですが、案内による【見所】貴重な時間の有効性、迷わずに目的地が、多く観られます。そして何より大切な事は、【安全管理】要所に先生方が、待機して居られ生徒さんたちに、安堵感を与え、微笑ましい光景が、見られます。他校生へのトラブルも避けられます。 二条城の周囲は、2km(京都御苑は4km)ジョギングされる方を多く見かけます。それだけに、広く、観光コースも三通り1.二の丸御殿の内部だけ見て帰られる2.二の丸御殿と池を廻って帰る。3.本丸庭園も観られる方。でしょうか。 二条城のあらまし1.徳川家康が、上洛の際の宿所として、1603年造営2.徳川家康と豊臣秀頼との、二条城会見がここで行なわれました。3.家光の時、後水尾天皇をお迎えすることで、外堀の西半分を拡大し、城郭として、盛大な宴が、模様されました。4.家光以降は、将軍の上洛もなく、幕末14代家茂の上洛が有りました。5.1750年落雷で、天守閣焼失。1788年天明の大火で、建物一部焼失しました。6.1867年(慶応3年)15代将軍徳川慶喜の【大政奉還の儀】が二の丸御殿大広間で行なわれました。7.1884年徳川幕府の終幕で、宮内庁の所管となり、二条離宮と改称されました。現在は、京都市管轄となりました。8.【国宝・二の丸御殿】9.【特別名勝・二の丸庭園】小堀遠州作庭(近江の国出身)テレビでのクスズに良く出ます。「二条城に実際訪問した、徳川の将軍は?」順路1.駐車場前の受付。2.東大手門(重要文化財) 暴れん坊将軍によく出てきます。3.番所 江戸から毎年2組(1組50人)が、4月に交代で派遣されます。裃姿(かみしもすがた)が上役の人形です。坐姿は、番士の人形です。4.土塀に5本の筋が見かけられます。【筋塀】(すじべい)と称し、門跡寺院等寺格を表すと申しますが、京都では殆ど5本です。寧ろ「飾り」と思えます。5.【唐門】二の丸御殿の正門。西本願寺の唐門と同じく、「伏見城」から移築されたとの伝えです。良く観ますと「雲龍」「竹に虎」「牡丹に唐獅子」等豪華で鮮やかで、盛んにシャツターを切って居られます。6.二の丸御殿の入り口前庭、プロの写真家が記念写真をと待機しています。他でも、シャツターチャンスと考えてよいでしょう。次回は、二の丸御殿内へ。
2010.01.22
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【相国寺】(しょうこくじ)臨済宗相国寺派大本山 開基 夢窓疎石京都御所の北側に位置し、あの有名な【金閣寺】と【銀閣寺】の【大本山】で有る事は、意外と知られていません。同志社キャンパスの北側に拡がる、広大な敷地内にあります。有名なのは【法堂】(はっとう)で、天井には「狩野光信筆」の【龍の絵】が画かれ、「下から手を叩くと」「るるるん・・」と共鳴音が、響く所から「鳴き龍」と言われています。【承天閣美術館】(しょうてんかく)禅の総合美術館で、寺宝が展示されます。近代的な豪華な美術館です。 【大光明寺】(塔頭)(たっちゅう)普賢菩薩の霊場、現在相国寺の管長有馬和尚の住寺。 足利義尚の墓があるそうで、寧ろ、西南の墓地には、父の【足利義政】と「群鶏図」で有名な、【伊藤若冲】(いとうじゃくちゅう)の墓が並んで、眠っているのが、印象に深く、残ります。「宗旦きつね」の祠」千宗旦がお茶席を留守にしている間に、狐が宗丹に、身を化けてお茶を立てた。という微笑ましいエピソードを祠に残しています。 【花の御所跡】同志社キャンパス内にあり、当時の立派な「敷石」が窓越しに、観られるように構えています。足利義満が建てたものです。 【大文字】の位置。 お盆の送り火に、「大」の字が灯されますが、一説に京都御所に向かって、とあり、杯(さかずき)に酒を酌み、揺れる「大」の字を写して飲んだと、風流な光景ですが、銀閣寺の上にある「大文字」は、やや北西に向き、大本山「相国寺」を正面に「金閣寺」の「左大文字」と対向の位置に、有る事を、意識された方は、殆ど少ないと思います。 室町時代の栄華そして悲劇、歴史上の真実は判りませんが、関連して考えるとき、奥深さを覚えます。こうして、観光も、一箇所を部分的で見るよりも、関連して、総合的に観ていくと、興味が沸くのではないでしょうか。 又、各宗派を知って、観ることも意識的に見方が深くなると思います。ガイドブックには、見る所を網羅していますが、観光の順路・見所・所在位置は、個人で行動される方にとつては、至難な業と思います、京都に住む友人から、「夫婦で、昨年清水寺に行ったが、門を潜っただけで、今回のを見て、もう一度、確かめて観光してみたい」と。励ましのメール戴きました。この方の為にも、可能な限り、お話しを進めて行きたいです。 次回は二条城にご一緒しましょう。過去のブログを観たい方は、カレンダーのアンダーラインのある日をクリックして頂ければ、その日の文が、表現されます。前月も下部の前月にクリックされれば、12月分の開始された日から観られますよ。文章ばかりで、読み辛いでしょうが、訪問されるときに、拙文ですが、ご利用されれば、便利と存じます。
2010.01.21
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【銀閣寺2.】【洗月泉】の瀧の側から、山道が始まります。その坂を見て、登るのを諦めて平坦な帰路に向かわれる人が、多いです。思い切って登ってみましょう。苦労した甲斐が、待っています。坂を登り詰めた所に、石組みの崖が、眼前に広がります。ある人は、「何だ瓦礫の山崩れの様だ」とガッカリする人も有りますが、実は、「枯山水の瀧」を敢えて作成されたもので、「西芳寺の庭園」にも、存在している貴重な石組みとして、観察して欲しいのです。側には義政が茶の水を汲んだとされる、「お茶の井」が存在しています。 近年、開発された順路として、更に平坦な山道を辿りますと、先ほど観た、銀閣寺庭園を眼下に全景を観る事が出来ます。その他前方に、「三高校歌」で有名な、「くれないもゆる・・・」の吉田山が眼下に眺められ、京都市街の一部の景観も眺められます。吉田山の向こうが、京都大學が広がります。 大文字は、この位置の真上となり、如意が嶽と称し、同様の眺望とも考えられます。 道なりに、下山、真正面に、「錦鏡池」に映し出された「銀閣」が見所で、【銀閣】(観音殿)国宝屋根には「宝形造・(こけらぶき)」金銅製の【鳳凰】(ほうおう)が輝き、上層を「潮音閣」観音坐像が祀られ、下層「心空殿」千躰の地蔵尊が祀られて居ます。 此処も、禅宗のお寺の雰囲気として、掃き清められ、訪れる人への癒しともなるでしょう。【応仁の乱】1467~1477 京の都で、最も悲劇は、一女性から発端。11年間の戦火で、殆どの文化財と言える物が、焼失してしまいました。数少ない、社寺に対して、「応仁の乱を免れた」と添え書きしています。足利家の奥様は、代々「日野家」(伏見区醍醐の南部日野)から選ばれています。義政の正室「日野富子」に男子が死産。義政は、政治を嫌い、文化的方面に興味を持ち、将軍職を実弟「義視」(よしみ)に譲ると約束しました、矢先に、男子「義尚」誕生。富子は、黙っておられず、わが子を次期将軍にと、実弟「義視」は「細川勝元」そして、「富子の押す義尚」「山名宗全」との戦が、東陣と西陣に分かれ、11年間も続きました。勝敗の尽きぬままに、双方の将が、夫々病死。幕は閉じました。結果義政は、義尚に九代目将軍職をゆずりました。義政【観音殿】起工式 1489 義尚25歳戦死(近江の国で先陣として)その霊を弔う為に、大文字を設置(詳細不明・一説に拠れば)・義尚の初盆1490不思議と同じ年の7月 父義政55歳逝去。銀閣の完成を見ずして、歴史は悲しいことも、物語っています。 次回は、金閣寺・銀閣寺の本山【相国寺】と左右大文字の位置関係を知っていただきたいです。
2010.01.20
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【銀閣寺1.】(慈照寺)臨済宗相国寺派 世界文化遺産に登録【慈照寺】(じしょうじ)は、八代将軍足利義政の戒名から名付けられています。開祖が【夢窓疎石】(むそうそせき)で造園にも、著名な僧でもありました。嵐山の「天龍寺」・西芳寺(苔寺)そして南禅院 等、此処銀閣寺は、義政が「西芳寺(苔寺)」に模して、作庭しているのが、特徴です。 みやげ物の賑やかな、参道を経て、慈照寺の門を潜りますと、背の高い潅木に包まれた、【洗心の道】を歩みます。娑婆から禅の世界へ招かれた落ち着きを取り戻します、受付を終えて、二番目の門を潜りますと、こじんまりした、「五葉の松」と白砂で築かれた庭園が観られ、正面の「花頭窓」(かとうまど)越しに、本庭園の姿が、かいまみられます。いよいよ庭園入り口に差し掛かったときに、発する言葉が「何だ、これは」とがっかりの表情が有り、金閣寺からの期待感からか、感歎の声は、余り聞かれませんでした。銀箔が張られたものでなく、古い二層の「銀閣」が佇んでいました。修学旅行生では、その印象が多かったようです。然し、関東の生徒さんが、「銀閣は、歴史を感じる」と評価してくれました。嬉しかったです。その通り、銀閣は、【国宝】に指定されています。本堂の前からの【銀砂灘】(ぎんしゃだん)は、白川砂で、向月台(こうげつだい)となっています。中国の西湖(さいこ)に模して造られました。夜に月の光で白砂が煌く姿が浮かびます。本堂前から銀閣は、シャツターチャンスです。【東求堂】(とうぐどう)【国宝】義政の持仏堂。西芳寺には、か「西求堂」義政の木像を安置しています。しばらく歩を進めますと、二つの池が有り、手前の池には、鶴島を現し、道から【三尊石】が見られ、その側に、立て札で、「大内石」と記されていました。何の関心もなく、殆どの人は見向きもせず、通り過ぎますが、これには、「いじめ」の深い意味が潜んでいました。義満が各首領に、その地の名石を献納を命じた時に、和泉・紀伊(大阪泉南・和歌山)を治めていた大内義弘」は、「将軍に捧げるは、武力であって、優雅な、庭園如き贈り物は如何なものか?」と拒否した所、義満より冷遇を受けたそうです。従って、此処、義政には、一番に贈ったとされる「名石」です。もう一方の池には、銀閣を水面に写す「錦鏡池」(きんきょうち)には、亀島が構えています。【洗月泉】(せんげつせん)・【月待山】(つきまちやま)瀧があり、月待山からの月を写して、月を洗うの意味です。 “我が庵(いお)は 月待山の麓にて かたふく空の 影惜しぞ思う” 義政の詠んだ詩です。 金閣を太陽とすれば、銀閣は月の世界で、侘び(わび)と歴史を感じます。次回は、高台にお誘いします。半数の方は、山に登らず、銀閣を眺めて帰る方が多いです。
2010.01.19
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【金閣寺2.】美しい金閣を中心に、池泉回遊式庭園として、本来は池の周りを巡れるように造られていますが、半周は入れません。庭園は【特別名勝・特別史跡】(国宝級)に指定されていますが、金閣は、昭和25年7月25日未明に、学僧の放火により焼失しました。“三島由紀夫著作”の「金閣炎上」が有名です。従って国宝ではありません。 池を後にして、道なりに進みますと、【龍門瀑】(りゅうもんばく)の瀧が見られます。鯉魚石(りぎょせき)が、瀧に今や登らんとして、斜めに構えています。鯉が瀧を登ると、龍と化す。中国の故事で有名です。いわゆる【登龍門】(とうりゅうもん)東大に合格する等をさします。 更に坂を登り詰めますと、【安民沢】(あんみんたく)が在り、池の中央に「白蛇塚」が島に立っています。白蛇は、弁天さんの化身で、水神ともいわれています。この池の手前に背の低い竹垣で、これを【金閣寺垣】と名付けられています。 【夕佳亭茶室】(せっかてい)金閣も此処からの眺めも佳しとされています。床の間に「南天の床柱」(難を転じて福となす)「萩の違い棚」が有名です。茶室前の飛び石に、丸い大き目の石が有り、「見回り石」と称します。その場所に立って、一周すると、銀閣寺を建てた、八代将軍「義政」が祖父の為寄贈したと言われる、「富士型の手水鉢」があり、更に見返ると、金閣が美しく、そして更に廻ると、安民沢が、眺められます。 人間、前ばかりの景色に捉われず、たまに後ろを振り返ってみると、素晴しい、景色が見られるもので、時には「振り返ること」で「宝物」を失わずに済みます。「反省も必要では、と私のお客様に説明していましたら、横から、紳士風の方が、「その話貰った」と声掛けられ、添えて云われるには、「明日の会社の訓示に、使わして貰う」ということでした。とても恐縮しました。でも、関心持って聞き耳をされる紳士にも感心しました。【石不動堂】(いわふどうどう)弘法大師作といわれます。 足利義満は、天下人として、その栄華を極めますが、37歳で4代義持に、将軍職を譲り、享年51歳 戒名「鹿苑院太上法皇」天皇並に名付けられますが、何故か墓は無く、戒名の位牌が、嵐山の「臨川寺」にあるだけで、足利氏菩提寺は、「等持院」にあります。義満の妻「日野康子」が゛義持をうとんじ、金閣寺は、義持にとって「恨み」「憎しみ」としてしかなく、義満の亡き後、金閣のみ残し、全て焼失してしまったようです。親子の仲関係がもたらしたとのこと昔も今も有ったようです。次回は、「銀閣寺」をご一緒しましょう。
2010.01.18
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【金閣寺1.】(鹿苑寺)(ろくおんじ)臨済宗相国寺派・世界文化遺産鹿苑は、三代将軍・足利義満の戒名から、名付けられました。 “好き・好き・好き・好き・愛してる。一休さん”頓智問答で有名な相手の将軍足利義満が建てた、禅寺です。何故将軍と対等に話せたのでしょうか、実は、一休さんのお父上は、後小松天皇で、側室とは言え、皇子さまでした。寺社奉行でも、「一休殿」と敬称で漫画でも、一休さんと呼んでますねちなみに、一休さんの墓所は、京田辺市「一休寺【酬恩庵】(しゅうおんあん)境内」に宮内庁の御陵があります。 金閣寺は、京都観光において、清水寺に次いで、観光のお客様が多い観光地です。禅寺で共通に感ぜられることは、修行僧のご苦労か、塵一つ無く清浄で有る事に感心させられます。従って訪問する者も、心洗われます。雑音の街から、境内に入ると、洗心の道を辿り、拝観券を買って、入り口の門をくぐり、暫し、建仁寺垣根のたたずむ通路を曲がった途端に、燦然とした金閣が目の前に現れます。殆どの人が、思わず歓声を口にされます。そして池の側に立ち寄り、記念写真を金閣をバツクに撮影されています。 そこで、見所は、金閣そのものも、さることながら、池に映し出された、素晴しい光景を見逃さないで、下さい。作者も【鏡湖池】(きょうこち)と称しています。龍安寺でご説明させてもらった、同じ趣向と考えます。鏡に映す姿も。 暫し、歩を進めますと、右手に、本堂が垣根越しに見られ、(非公開)そして更に進みますと、皆様左手の金閣だけに、見とれられ、見損じられるのが、右手に、「五葉の松」であしらった、【陸舟の松】が【帆を揚げた宝船】の様に見えます。義満が盆栽から育った物といわれています。船は、西向きで、極楽浄土を、この金閣寺庭園に、なぞらえているようです。「池泉回遊式庭園」で、池に浮かぶ、島・名石そして松は、各地諸大名から寄贈させたものです。金閣の正面には、鶴島・亀島そして葦原島(日本列島を表現)の中央に【三尊石】が構えています。鶴島の左方に醜い石がありますが、豊臣秀吉の名石狩から、逃れた、中国から採り入れた「九山八海石」(くせんはっかいせき)の名石が、観られ、葦原島の先に船頭が船を漕ぐよう、「細川石」が見られます。金閣には、一般に入れませんが、此処からも衣笠山が、池に映し出されるそうです。 金閣の初層は、【法水院】「寝殿造り」公家 二層は、【潮音堂】武家風書院造り、そして三層は、【究竟頂】「禅宗様仏殿造り」金箔は、仏殿造りと、武家風造りに施され、寝殿は、真下で構えて、金箔は貼られていませんね。武家が上位と、義満の意図が計られます。調和としては、芸術的にも美しいですが、他に、「畠山石」「赤松石」が見られます。内外を問わず、人は、金に憧れるようですね。
2010.01.17
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“布団着て寝たる姿や東山”松尾芭蕉の門下の【服部嵐雪】(はっとりらんせつ)の俳句です。 新幹線等で、「京都駅」に着かれ、京都の街を見渡されるときに、あまり高層ビルは、見当たらず、三方に山並みが、目立ちます。市の景観措置令で、制限されていますから、そして特に東山は、北に「比叡山から、南は、「稲荷山」まで36の峰が、あり、【東山三十六峰】と称されています。 服部嵐雪は、この句を御所の南側の鴨川沿いに、住まいしていますので、36のどの部分を観て、詠んだのか?全体的に詠んだのか?判りませんが、大変京都らしく、のどかな風情とも採れます。 でも面白い、観察方法として、京都駅から七条大橋または、五条大橋の西詰目から眺めますと、阿弥陀ケ峰が頭で清水山(音羽山)がお腹を横たわり、そして高台寺山が、伸ばした足の様に見られます。 豊臣秀吉は、遺言により、「わが屍は、京の都を見下ろせる所に葬れ」と、七条通りの東山通に接する所を更に、東へ行きますと、「京都女子大学学園」があります。更に坂を登り詰めると広場があり、そこから、石段550段登り詰めたところに、五輪石塔が建てられています。そして秘かに寂しく秀吉の豊国廟が建っていました。とても石段は難航で、脚はわらい、帰りは、這うようにして降りました。1回だけの訪問でした。確かに京都の街の眺めは、素晴しかったです。 そして豊臣秀吉の夫人【北の政所】は「夫が高い所を望んだので私は高台寺の地中深く掘った位置に眠らせて下さい」と謙虚な態度を見せられました。、未だに、高台寺への、参詣は絶つことがなく、夜景までライトアッブされるほどの人気があります。 京都は、山に囲まれ、緑が心を癒してくれます。次回は、二番人気の【金閣寺】へ、ご一緒しましょう。タクシーのお客様で、おばあちゃんにお尋ねしました。金閣寺の側に、お住まいでした。「お客様、金閣寺に行かれた事がありますか?」お応えは、「何時でも行けるもの、第一お金出してまでは勿体無いわ」と。【何時でも】と言う考えは、誰しにも有る様で、時には【思い切って】も悔いが残らずに人生を豊かにするのかも、知れません。
2010.01.16
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世界の観光地「清水寺」は、如何でしたか?唯訪れるのと、見所をある程度理解して、訪問・参詣される事とで、歓びも一入のものがあると存じます。 清水さんを訪れられた方は、再び、【三年坂】に戻り、【高台寺】へと向かわれます。その三年坂について、「ここをさんねん坂というは、子安の塔につづきたる坂なるゆえ、産寧坂とももいえり。産はうむとよみ。寧はやすきとよむ」(京童)「この坂にて躓きころべる人、必ず三年を過さず身によからぬ」(洛陽名所集) 特に産婦の人は転ばぬよう、用心して歩くようにの意です。でも、若し躓き転んだ場合は、三年坂の石段の途中に、(大井人形店)がありますが、そこには、厄除けの縁起物である、(ひょうたん)を売っています。表にいわれが書かれ、買うとよいとされています。 三年坂の石畳は、京都の叙情をあまねく表現しています。和服姿など絵になります。清水焼・西陣織小物そして竹細工工芸品等、土産の品に目が映りそうです。重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。二年坂との接点の先に、【法観寺・八坂の塔】(臨済宗建仁寺派)【五重の搭】が、目立ちます。五条坂等坂が多く、八坂神社と云うほどです。京都には、【五重の搭】が五つあります。「東寺・東寺の宝物館内・仁和寺そして、醍醐寺」て何れも、真言宗に属します。 三年坂・二年坂そして一年坂をそぞろ歩きして、大通りに出たところに、【高台寺】の石碑が目立ちます。車では、大駐車場の入り口が向かって左寄りに有り、本道を真っ直ぐ東へ急な坂道【維新の道】を登り詰めると、【京都霊山護国神社】(りょうぜん・ごこく)があり、境内には、今年の大河ドラマ【坂本龍馬】の墓があります。中岡慎太郎・木戸孝允と明治維新の立役者が眠っています。かなり高台にあり、此処からも京都の市街の眺望が素晴しいです。感慨深気に訪れる方が、後を絶ちません。 【霊山観音像】戦後戦没者の慰霊のため建てられた、大きく目立ちます。【高台寺】(臨済宗建仁寺派)は、豊臣秀吉夫人北政所が秀吉の冥福を祈るために建てられ、何れは、【霊屋】(たまや)には地中深く葬られたとされています。「大阪城落城」の焼失する姿が見えたそうで、どのような思いで眺められた事でしょう。向かいに、【円徳院】があり、ねねさんがお休みになられた場所とか、此処から丸山公園に掛けて、【ねねの道】と散策道路になっています。
2010.01.15
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【清水寺6.】 ここも。人気があり、水を救って呑まれる人の列は、堪えません。27.【音羽の瀧】数千年来、音羽の山中から湧き出る清水です。【日本十大名水の筆頭】と称せられ、【清水寺】の名が付けられました。バスガイドサン達は、観光客に興味を持たせる為三本の瀧を分けて説明されていますが、お寺では、水の出所が1箇所で、水垢離の行をされる為に三箇所に分けています。と迷惑そうでした敢えて、聞く所では、向かって左から、若い人には、1.ロマン2.智恵3.健康年長者には、1.家内安全2.商売繁盛3.不老・長寿で、真剣に取り組んで居られる姿をよく見掛けます。28.【舞台下から見上げる】奥の院も含み、139本の柱が、崖に架かっています。過去幾人かの人が、実際に飛び降りたことはあるそうです。生死の程は判りません。29.【舌切り茶屋】(近藤)後述しますが、西郷隆盛の居場所を突き詰められ、(近藤正慎)が舌を噛み切って自害。その忠臣の子孫のために現代にも境内に遺されています。30.【忠僕茶屋】同じく、(忠僕・亀助)が、近藤氏に仕えていました。31.【アテルイ・モレの顕彰碑】坂田田村麻呂の蝦夷征伐の際連れてこられました。平安遷都1200年を記念に清水寺に建てられました。(とてもリーダーとして秀でた方であった)32.【念彼観音力の石碑】故大西良慶和尚の筆観世音を念ずればね観音の妙智力によって、世間の苦を救い給うと、和尚さんは、説かれていました。33.【岸駒の虎の石碑】(がんく)32.と同じ広場に在ります。虎の目は三方から見ても、正面に向ってきます。(七不思議の一つ)最後に、特別公開ですが、【成就院の庭園】故大西良慶和尚さんが、109才まて゜、音羽の水で、長寿を全うされた住寺です。一名【月の庭】とも称せられ、とても静かで趣の深い庭園です。最も感動的なのは、清水寺北法相宗の寺務所【大講堂】です。講堂の屋内では、高い場所から、底に大きい【仏足石】が画かれています。(西村公朝和尚画)妙なる音律と共に、「散華」を撒くと、別世界に、誘われます。この体験は、私の場合会社の外商から、依頼しました。皆様も、予約で、寺務所に問い合わされて見られてはと、存じます。成就院から、清水寺の拝観受付に向かう途中に、先に記しました、勤王の師【月照・信海和尚】に使えた、【近藤正慎】と【忠僕亀助】の石碑が建っています。西郷隆盛と成就院で蜜会されていたと伝えられています。 「清水寺」何回参詣しても、尽きぬ想い出を残してくれます。
2010.01.14
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【清水寺5.】 明治時代になって、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で多くの価値ある仏像が、消されましたが、その後、神仏一体の形式が採られ、此処清水寺でも、お寺の境内に、神社・祠が存在します。鎮守の神様と一体に存在します。17.【地主神社】(じしゅじんじゃ)若い人に人気が有ります。大国主命を祭神としています。神前の広場に、恋占ないの石が両サイドに設置され、一方の石に触った後、両目を瞑り、もう一方の石に辿り付き、振れることが、出来れば、その人の想いを寄せる恋が実る、と言うことで、皆真剣にアタックしているようです。若し誘導を受けて、達成すれば、その人の援助も必要とのこと。拝殿天井に龍の絵が画かれています。狩野元信筆です。地主桜も歌に読まれ、有名です。18.【西国三十三所観音霊場・納経所】地主神社の石段を降りた、直ぐ左側(東側)19.【釈迦堂】釈迦三尊が祀られて居ます。釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩20.【百体地蔵尊】愛児を亡くした人がここに詣でると、亡き児によく似ている地蔵尊があるといわれ、その冥福を祈られます。21.【阿弥陀堂】法然上人が、最初の常行念仏を始められた場所。22.【奥の院】阿弥陀堂の直ぐ南隣にあります。国宝の本堂と同年代に建立されました。本堂の仏像のミニ形式で、観音菩薩及び二十八部衆及び風神・雷神が祀られて居ます。此処奥の院の舞台から、本堂の茅葺(かやぶき)の屋根を含め、写真の絶好のシャツターチャンスです。 外陣の絵馬を良く観られますと、過日、記しました、行叡居士が延鎮さんに霊木を授けている図が描かれています。23.【濡れて観音】奥の院の裏側に居られ。常に観音さんが、濡れて立って居られます。医者から見離された病も癒されると言う、信仰があり、折鶴などお礼の印が廻りに掛けられています。24.【変形四交差路】奥の院より、南へ約5分ほど歩かれた所に22.絵馬の実際有った場所。石像群が有ります。25.【子安の塔】三重の搭が建っています。ここからの清水寺全景のパノラマは、最高の絶景です。26.【泰産寺】(たいさんじ)お産が安らかにの意。「今年の漢字」で有名な【森管長】の住持のお寺でもあります。子安の塔の側に位置します。昨年は【政権交代】でしたね。 次回は、【音羽の瀧】から、ご案内したいと思います。
2010.01.13
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【清水寺4.】 現在は、【五条大橋】は五条通りに有り、橋の西側緑地帯に、【牛若丸と弁慶】の石像が飾られていますが、「京の五条の橋の上、牛若丸と弁慶が・・・」の橋は、鴨川の一つ北に架かった【松原橋】が、当時の橋とされ、松原通りを、東へ行くと、「清水道」となります。以下昨日の続きです。9.【参拝券受付】京都市内で最も安いです。10.【轟門】本堂への入り口の門です。門前に手水鉢が有り、龍があしらって有ります。11.【仏足石】(ぶっそくせき)廊下伝いに、北の庭に外れた所に、見掛けられます。お釈迦さんの歩かれた、足跡で、盛んに手に触って、お願い事している方を見掛けます。扁平足にご注意。お釈迦さんは、全てに平等に慈悲を与えられる意。12.【弁慶の杖と下駄】13.【弁慶の爪跡】本堂の周りに、深くえぐられた筋が残されています。実は、信者の【お百度詣で】で、籤を堂の周りに沿って、筋が370年もすると、深く刻まれて出来たものだそうです。(七不思議) 是非お堂の周りをご覧下さい。14.【大黒天】15.【清水の舞台】139本の柱に支えられ、釘は使われていません。京都市街が美しく広大に眺望されます。思わず飛び降りたくなる心境も、何事も一大決心する時、「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と表現されます。京の商人は、「ええい、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、まけときまひょう」と掛け声するようです。舞台では、舞楽も有ったようで、両側に楽器を鳴らす人の坐る場所も兼ね備えています。京都市街の景観もさるものながら、紅葉の景色も素晴しいです。向かい正面に「子安の塔」が構えていますが、その背後に、東山三十六峰の一つ【阿弥陀ケ峰】が見られます。【豊国廟太閤坦】(ほうこくびょう・たいこうだいら)山の頂に、豊臣秀吉が遺言により、「京の都が見下ろせる位置に葬れ」と言うことで、眠っています。16.【本堂】先に述べましたように、内陣に入って拝んで下さい。付け加えて、観音菩薩の両側に、厨子が二つ有ります。一つは【地蔵菩薩】一つは【毘沙門天】が祀られて居ます。坂上田村麻呂が蝦夷征討(えみしせいとう)の際に、苦戦したため、延鎮上人が、戦勝祈願をされたことで、未だに祀られているそうです。 地主神社・奥の院そして音羽の瀧にっていては,次回に記します。
2010.01.12
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【清水寺3.】 清水寺の参詣は、お姫様と一寸法師の鬼退治のおとぎ話にまでに、多くの方々が、訪れられます。時間の急ぐ方、じっくり見所を観光したい方も居られます。その方のご都合で、主だった所、または詳しく時間を掛けてご案内する方に分かれます。二日間は、貴重な場所の紹介と、お寺の由来を記してまいりました。本日は一般の観方と特別の見所に就いて、ご一緒しましょう。 観光バスの大広場の駐車場の、登り詰めた辻に、【七味屋】さんがあります。その角から、三年坂(産寧坂)が始まります、石段だけでも、一服の絵に成ります参詣道を多くのみやげ物屋さんを突き当たると、広い石段に出くわします。正面に【仁王門】があり、その前には、珍しく二体両方とも、口を空けた狛犬が皆様を「ようこそ」と歓迎しているようです。多くの人は、記念写真を撮って居られます。問題は、石段を登らないで、下の広場から、向かって左方を見て下さい、小さい祠が有り、如意輪観音像が見かけられ、その横には、地蔵菩薩が、手には赤ちゃんをだっこして居られます。そして有名なのは、祠の外に、 1.【首振り地蔵】が安置されています。舞妓さんが、ご贔屓(ひいき)の人の方角に首を回し、お願い事をされたと言う事で、どなたでも地蔵さんの首を方角に回す事が出来ます。2.【馬留め】石段の左側に有ります。今で言う駐車場。馬を繋ぐ柱の1本の金具が、違った角度になって居る。(七不思議)3.【仁王門】一名【赤門】とも呼ばれています。両サイドの桟の端を拳骨で叩くと、奥の桟の端で、もう一人の人が耳を添えると「こつこつ」と音が聞こえると言う、370年経つと、えぐられている事に驚きです。(七不思議)4.【鐘楼】の北側に、坂上田村麻呂が射止めた、雌鹿の供養として、【鹿間塚】の燈篭があります。5.【爪観音の燈籠】【隋求堂】(ずいくどう)の前に存在します。平家の家臣、悪兵衛影清が爪で観音像を彫って燈籠内に納めたと言われます。6.【隋求堂】(ずいくどう)【隋求観音菩薩】が祀られています。その人の望まれる求めに随って、何でも適えて下さる観音さんです。7.【三重の搭】家光の再興。わが国最大の三重の搭。大日如来を祀っています。子安の塔から眺めると、一段と極めて存在します。8.【開山堂】坂上田村麻呂夫妻・延鎮上人・行叡居士像が安置。 参拝受付から次回でご紹介しましょう。清水寺は、何回参詣しても、新発見があり、見所の夢が含まれて居ます。
2010.01.11
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【清水寺2.】 昨日の清水寺の宝物、是非試してみて下さいね。【清水寺】を一つの言葉で表現してみますと、【安産】ですね。故大西良慶和尚さんが、五つ子(山下家)の名付け親にもなられた事でも、頷けます。109歳の長寿を全うされました。寺伝によりますと、開祖延鎮(えんちん)上人が、小僧であった頃とても足が速く大和の高市郡の子島寺(南観音寺)で夢のお告げがあり、未だ京都は都で無かったころ宝亀9年(778年)此処音羽山の麓に辿り着いた時に、観音さんの化身とも云われる、白髪の白い髭を生やした、行叡居士(ぎょうえこじ)に会われました。そして「此の霊木で観音像を彫り此処に祀りなさい」と言って姿を消されました。この対面の場所が、昨日お話しました、奥の院の更に奥の変形四交差路に石像群が残され、立て札にそのいわれが書かれています。 その後何年か後に、【坂上田村麻呂】(征夷大将軍)が高子夫人の安産のため、雌鹿(めじか)の生き血を飲むとよいと聞かされ狩りの帰りに、喉を潤すため、音羽の瀧を訪れ、そこで貧しい草庵で修行中の延鎮さんとと出会い、鹿を安産のために、殺生することの非を諭され、「この観音さんを信仰しなさい」と勧められ、納得して夫婦揃って、仏門に帰依されたところ、「玉のような男の赤ちゃん」が授かったそうです。そして田村麻呂の奉納により、山の中腹に立派なお堂が建てられました、この噂を聞いた村人達が多くあやかりたいと参詣に訪れる事になり、「清水の舞台」が必用となりました。その名残は現代でも継続していますね。 開基は延鎮そして開山は坂上田村麻呂宝亀11年(780)ですから平安京遷都794(なくよ)ですから、京都に都で無かったころからの存在ですから意義深く感じ取られますよね。入場受付の前には、開山堂があります。此処には坂上夫妻と延鎮と行叡居士の像が飾られていました ちなみに、【西国三十三観音霊場・札所第16番】の観音さんで、清水寺は、南都北嶺の闘い(奈良興福寺と比叡山)で度々本堂は、焼失。現在は徳川三代将軍家光の再建で、「清水の舞台」の京都市街が見渡せる先から手前二本目の擬宝珠に、【寛永拾年建之】と刻まれています。西暦では1633年今から370年前に建てられたものですね。奇しくも1633は、三十三ヶ所札所十六番と一致しました。 安産の祈祷寺であれば、三年坂は産寧坂とも称され、お産が安らかに、そして石段は、妊婦の方は、気をつけてね。の意味も含まれます。 そして赤ちゃんが、無事産まれましたら、子供が健やかに育つようにと、「舞台」から正面に「子安の塔」が望まれます。そして子安の塔に辿り着けば、清水寺の全景が、パノラマの様に絶景に写しだされます。 次回は、清水寺の七不思議を含め、参詣順路をご案内してみたいです。
2010.01.10
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【清水寺1.】北法相宗(きたほっそうしゅう)大本山(奈良の宗派) 世界文化遺産【音羽山・北観音寺】 京都観光に訪れられる、ベスト1.が此処清水寺です。世界的にも有名で、外人の観光客が多いです。そして修学旅行生の生徒さん達も、必ずと言ってよいほど、訪れられます。何が魅力なのでしょうか?多分【清水の舞台】に有ると思います。地主神社の【恋占いの石】も生徒さんは、はしゃいで居られます。【音羽の瀧】日本名水の筆頭にあるところから、【清水寺】と称せられるようになったそうです。 でも、殆どの方が、最も大切な場所を見損じて、ただ廻ってきたと言う、勿体無い箇所が2箇所ありますね。皆様にだけ、ご紹介しましょう。 一つは、清水の舞台に在る。本堂です。内陣を覗いて、参拝される方が、殆どです。内陣の入り口に【土足禁止】の立て札が置かれています。入場禁止と、感違いするのでしょう。靴等土足を脱げば、内陣に入れるのです。但し靴は各自持って入って下さいね。そして内陣の奥には、本尊は秘仏ですが、【お前立ち像】として、両手を頭の上まで、挙げられた。【清水型観音菩薩】が奉じられ、何とその周りに、観音さんの眷属である【二十八部衆】及び【風神・雷神】が観られるのです。外からは、その存在すら、判らずに9割の観光客は、通り過ぎられます。そしてお客様が一番歓ばれた事が、観音さんに願い事されるときに、【大きい鐘と大きい叩く棒】で、座してね一礼した後、ご自分で、鐘を叩かれます。鐘の音の余韻を聞きつつ手を暫し合わせて、此処有名な、清水寺で、体験された事。とても感動したと。とても大きい鐘の音は、生涯良い想い出になりました。と、礼状をよく戴きます。今年の年賀状にも、山形の方が20年ほど前のこと懐かしいと添え書きありました。本堂には、太い檜柱が何本か有ります。その太さは、原木の1/4で、建築では真ん中の芯部は弱いので、避けています。だから原木の太さが4倍と想像できます。 今一つは、奥の院から5分ほど歩くだけで、変形四交差路に出ます。殆どの人は、宝物を失って、迂回して、音羽の瀧の方に向かわれます、多分人間の本能がそうさせるのでしょう。此処を【子安の塔】への道標に従い。僅か二十歩山道を登る事で、【清水寺の全景】の眺望の開ける絶景の場所に至るのです。外人さんは素直ですが、その交差点で、日本人の連れに言葉を掛けても、無視されます。素直で有りません。外人さん「ベリーワンダフル」そして「ありがと」と。 【子安の塔】は是非ご訪問して見て下さい。清水寺で一番景色の美しい場所でしょう。NHK京都放送の気象通報のバックの景色は、この場所で、日毎に京都の良さを味わっています。 次回は、寺伝についてお話しましょう。
2010.01.09
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【西本願寺】浄土真宗本願寺派本山 世界文化遺産に登録 親鸞上人の年忌記念として、【平成大修理】が行なわれ、昨年立派に完成しました。見るも豪華で鮮やかに模様替えされました。東本願寺と同じく、御影堂(ごえいどう)は、本堂阿弥陀堂より、大きく広く造られています。位置関係だけ、何故か、地元で呼ばれている、【お東さん】の方は、御影堂が北側、そして阿弥陀堂は南側に位置し、【お西さん】の方は、その逆に成っています。大きいお堂に入ると心が落ち着き、旅の疲れも癒され、聖なる場所だけに、心の引き締まる思いもします。 通常は拝観出来ない、国宝の数々も、今は、行事の機会に特別拝観の機会が有りそうです。寺努所に前以て、問い合わせなさる必要があると思います。 国宝白書院・黒書院・対面所の内部の豪華なこと、私も一度しか訪問したことが無く再度機会が有れば、お目にかかりたいです。同じく国宝能舞台、池に伴う飛雲閣(ひうんかく)京の四閣、金閣・銀閣・呑湖閣(どんこかく)大徳寺塔頭芳春院、加賀前田家の菩提寺。 特別名勝(国宝)【虎渓の庭】枯山水 機会が有れば、是非ともご鑑賞をお勧めいたします。 常時、観られる国宝【唐門】(からもん)は、西本願寺の南通用門の側にあり、龍谷大学・大宮学舎正門附近に存在します。伏見城の遺構で、とてもカラフルで豪華な門構えです。タクシーも門前まで行けるので、ご案内します。中国の故事が、表裏で物語っています。良く観ると馬上の白髭を生やした師匠 【黄石公】(こう せきこう)の沓(くつ)が片方脱げて有りません。その左側に跪いて、沓を捧げ持つ人物が観られます。【張良】その人でした。 黄石公が兵法の教示を願う張良を試す為に、幾たびか、沓を投げ飛ばし、それを、堪えて沓を捧げたと。結果黄石公から太公望の兵書を授けられたそうで、後に天下統一を果たしたと云います。NHK大河ドラマ【坂本龍馬】の第1回の、堪えるシーンが、一国の大事に関与することを改めて脳裏を巡りました。 裏側は、通用門の守衛さんに、挨拶して入れてもらえます。滝が流れ一人の人物【許由】(きょゆう)が耳を洗っています。側に川の流れに牛を連れた【巣父】(そうほ)が立っています。許由は、中国の神話上の穏者で、当時の皇帝【尭帝】(ぎょうてい)が許由に帝位を譲ろうとしました。許由は、思いもかけない誘惑と大層心を乱す言葉を聞いたと、その聞いた汚れた耳を洗って清めています。一方その事を知った巣父も汚れた川の水を牛に飲ませまいとした姿が有ります。 麒麟は、キリンビールの商標に参考にされたとか、龍等色彩豊かに豪華に飾られ、眺めているうちに、日が暮れるほどに、【日暮門】とも称されています。
2010.01.08
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【東本願寺】浄土真宗 大谷派 京都駅の表玄関に【京都タワー】が目立ちます。京都は戦災から免れ、お寺の数も多いですね。幾つぐらいあるのでしょうか?うそ八百の倍・千六百余、あるそうです。高層のタワー建設に当たり、【蝋燭型】が東本願寺の伽藍に、適応しているのではないかと言う意見で、お寺の街の象徴に相応しく建てられたそうです。観覧の窓まで、高さ100m、その上部31mは、建設当時の京都市人口131万人に合わせたそうです。京都市に来られても、何処に行かれても、迷うことなく、良き道標となり、京都駅が確認できますね 浄土真宗は、法然上人のお弟子さんで有った親鸞上人が説かれた宗派で、先にご紹介しました、知恩院浄土宗と関連して、御影堂(ごえいどう)に親鸞上人を祀り、阿弥陀堂を本堂として、建てられています。大きさは御影堂の方が広く、畳・千畳足らず、敷かれています。中に入りますと余りの広さに感動します。真ん中に【見真】の額が掲げて有りました。幼少の頃、座して、母がこの額を指差し、人様に迷惑かけずに。真に生きて行くのよと、諭された事、不思議と未だに覚えて居ます。 【真を見よ】 廊下に【毛綱】が奉納されています。西本願寺よりも、更に大きい建物として、棟木を揚げようとしても、普通の綱では、切れてしまって、失敗でした。然し、信仰厚い女性の頭の髪の毛は、命の次に大切な物を集めて、毛綱にして、棟揚げは、成功しました、北陸地方の方が多かったようです。 飛び地に、渉成園(しょうせいえん)一名枳穀亭(きこくてい)即ちからたちの意。【源氏物語】源融の六条河原院の跡地とも言われています。回遊式庭園で徳川家光の命で、石川丈山(詩仙堂)の作庭とも言われ、こじんまりしていて、優雅な雰囲気が漂っています。京都駅前の通りを「塩小路通」と称します。大坂難波から塩を枳穀邸に運び、融は、奥州の塩釜の景を作って過ごしたと言われています。 特に、国宝級が無いのか、西本願の様に世界遺産には今の所登録されていません。次回は、西本願寺について、記してみたいです。
2010.01.07
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【龍安寺5.】 表玄関から、石段を降りて、来られた道を戻らず、更に西へと秋には、紅葉のトンネルを、春には桜の園を観る事が出来ます。時間が無くって戻る人が多いですが、素晴しい風景を、実損じて勿体無いです。【藤棚】の手前に、湯豆腐の食事処が有ります。店内の入り口から、少し入った所に、【猪脅し】(ししおどし)が見られます。本家は比叡山の麓に位置する、【詩仙堂】の庭園内で見られます。 本題に入りまして、その藤棚周辺から、大きな池に目を遣って見てください。何となく眺めるだけでも、心の洗われる感動を覚えられる事でしょう。池の名称は、【鏡容池】(きょうようち)そして背後に【衣笠山】(きぬがさやま)が、そして池の水面に、くっきりと衣笠山を映し出しています。この鑑賞方法は、外人の方も良く心得て、シャツターを切っておられます。心して観ないと、見損なう風景です。 金閣寺も同じで、池に写し出された金閣を見損なう方が多いです。日本の漢字は良く出来ていまして、見えると観る 聞えると聴くやはり観光は、後者の心構えで、訪れられると、数倍楽しくなるようです。私なりに、私のお客様に説明していますと、周りから少しでも聴こうとして、質問までされる有様に戸惑います。 鏡と付く池が、京都に三箇所有ります。 此処龍安寺の【鏡容池】・金閣寺の【鏡湖池】そして、銀閣寺の【錦鏡池】で、鏡に映し出した姿を作庭者は、望んだのでしょう。 そして、【衣笠山】の名称の由来は、仁和寺から眺められた、【宇多上皇】が夏の暑い季節に「朕はあの山の雪景色を観たい」と、所望され、山上の樹木に白衣を一面に被せて、雪景色を再現されたそうで、扇子を扇ぎながら、冷気を味わいながら満足されたそうで、その後、何時しか衣笠山と呼ばれるようになったそうです。 借景として、金閣寺そして等持院も採り入れていましたが、等持院の場合は、立命館大學の学舎によって、完全に遮られてしまいました。時代の推移を感じます。 外人の方は、弁天島に架かった。円形の橋が池に映し出されている部分も撮っておられ、共感を覚えました。暫し、池を巡り、【水分石】(みくまりいし)の立て札が立っていました。庭園の要素の一つで、池全体を眺めますと、鶴島(弁天島)そして亀島もありました。池を後にして、駐車場へ何とも余韻を多く残しつつ。 いかがでしたでしょうか?龍安寺は、観光に何かと深い要素が含まれていました。
2010.01.06
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【龍安寺4.】 此処龍安寺を拝観するだけで、寺社の見所の、基本と申しましょうか、他でも、共通した形式の現し方が、伺えそうです。【枯山水】然り【方丈庭園】【龍】【三尊石】そして、これから述べます【懸魚】(げぎょ)【蟇股】(かえるまた)は、日本全国の寺社で観られる建築様式の一部に飾り取り付けられています。龍安寺の売店の東側、陳列棚に、建て替えた昔の物品を並べ【名札】に上記の名前が、紹介されていました。その位置は何処に、実は庫裏を出た所で、建物の上部を見上げましたら、屋根の交差の軒に、【懸魚】がありました。正に魚の頭がぶら下がっているようでした。そしてその下部に【蟇股】が見かけられました。蝦蟇(がまがえる)が構えているように見えます。そこでお客様にクイズを出してみました「双方の共通点は何でしょうか?」とお聞きすると「水」と答えられました。「ピンポン」正解です。建物で最も恐ろしいのは、「火災」です。従って魔除けの意味に於いても、守護の意味に於いても、装飾の意味に於いてもと、採用されて居るようです。知恩院の左甚五郎の忘れ傘然りでした。 そして屋根の先に丸い円の中に三つ巴があしらって居ます。三つ巴は、雲を表現していますね。更に民家でも屋根の形は波を表現「甍(いらか)の波と・・」と歌いますね。 更に庫裏から西へ少し歩を運べば、本玄関(国宝)があり(一般人人は、通行止め)、其処の蟇股の中には、尻尾の多い、浦島太郎が乗った様な【亀】が他にも【龍】が刻まれていました。 日光東照宮の有名な【眠り猫】【三猿】も蟇股の中に存在していますよね。こうして、解かり易く観光して行きますと、興味は倍増するのではないでしょうか。ご来訪の切は、是非探し求めてみて下さい。 次回は、美しい池を巡りて、衣笠山の水面に映る姿を観賞して見ましょう。
2010.01.05
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【龍安寺3.】本堂の方丈の前庭と後庭で、同意義の深い教えを学ぶ事が出来ました。【知足の蹲踞】(ちそくのつくばい)が回廊の東北角に、有りました、手水鉢で、這い蹲って、手を洗う所から、つくばいというのでしょうね。真ん中四角の水を入れた区画の、上部に【吾】(われ)右側に【唯】(ただ)下部に【足】(たるを)左に【知】(知る)と口の字を四文字に使用された、工夫が素晴しいと思いました。 水戸の黄門さんが発案されたつくばいで、「吾、唯、足るを知る」と読めます。立て札には、茶道の精神と称されていました そしてその横に、「知足の者は、賎しくと雖も、富めり」(ちそくのものは、いやしといえどもとめり)「不知足の者は、富めりと雖も賎しい」(ふちそくのものはとめりといえどもいやし)これで充分ですと。足ること知った人は、外見貧しそうに見えても、心は満足で豊かな人といえましょう。足らんたらんと、まだあれも欲しい、是もほしいと、愚痴を言っている人は、外見、金持ちの様で、実は、不平だらけの心の貧しい人といえますね。 表の石庭の様に、13~14見えてて、腹八分目で健康をたもてそうです。黄門さんが、【大日本史】編纂に当たり、資料を龍安寺から提供を受けたお礼に置かれたものだそうです。 実は、ここに飾られた物は、イミテーションで、本物は、東向かいに見える【蔵六の茶室】(ぞうろく即ち亀)の前に、本物が据え付けて有ります。燈籠の下部に見え隠れしています。 売店には、「知足の蹲踞」が栓抜きとして、売っています。箱の中にいわれの説明書きが入っています。 表の【三尊石】は、ほかの寺院にも置かれています。金閣寺・銀閣寺・南禅寺・醍醐三宝院そして大徳寺大仙院・天龍寺その他 仏像の見方で、【阿弥陀如来】には【観音菩薩】【勢至菩薩】【釈迦如来】には【文殊菩薩】【普賢菩薩】がそして【薬師如来】には【日光菩薩】【月光菩薩】の形式で、奉られて居るお寺を見掛けます。 薬師如来は、右手薬指を曲げられ、そして左手には、薬壷を持っておられるのが定説で、薬壷を持っておられない仏像も有ります。 ここから【三尊石】を仏として、石で表現しているのかもしれません。次回は、寺社の建物に飾りとして、全国的にも参考に成る、【懸魚】(げぎょ)【蟇股】(かえるまた)の話題に触れてみたいと思います。
2010.01.04
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【龍安寺2】 エリザベス女王にまで、ご紹介したと言う【石庭】世界的にも写真に映し出され、謎解きが深まります。 一言で、言えば現実には、15個の石が設置されていることは事実です。でも廊下の見る位置によって、15個が数えられないミステリーです。修学旅行生など、予備知識で得て居るので、真剣に数を数えている風景をよく見ます。。 長方形の横長の正面及び西側廊下から右側は、【油土塀】で、前庭を引き立てるような、落ち着いた感じを受けます。石の配置として庭前方左側2石は【鯨】右方向に塩を吹いて前進しています。この石の裏側に作庭者と思われる、阿波の徳島【小太郎】【清?二郎】の名が刻まれています。前方右隅の二石は【亀】廊下沿いの手前右側三石は【水鳥】この三石の右端の石が左側の廊下では隠れています。そして中国伝来の【虎の子渡し】の三石これも虎の子の一石が隠れます。 そして仏の世界の五石の内の真ん中【三尊石】の左側の石が、右側廊下から見えません。石は一見無造作に変形的に置かれているようですが、石をなぞらえて一字を描くと【心】が書けます。隠れた心で鑑賞して下さいと。禅の心でしょうか。 夫々動物たちが、大海原を泳ぎ、大きく右回りに、仏の世界へと、進む姿が描かれているようです。 そして、【15】と言う数字は、中国では、満ちた数、完成した数、心理の数といわれているそうです。だから【十五夜満月】と言うでしょう。とバスガイドさんが説明されると、一同“どぅ”と感歎の声が、沸き起こりました。因みに15歳・元服。七五三の祝い三三九度の杯、何れも合計すると15になりますね。足利・徳川も奇しくも15代で幕を閉じています。何故か自民党宮沢政権も15代で中断。不思議な数です。 意義としては、真実は15の石が有りますが、人間の目では、欠けた13~14しか見えない、知恩院の瓦と同じように、満腹でなく控えめの謙虚さを問うて居るのかもしれません。 白砂を海と考えれば、石群は、島の様に、白砂を雲として見れば、石群は、山の峯とも見られます。さて皆様はどの様に観賞されることでしょうか。 廊下を右に回りますと、苔庭で樹木の根が龍がうごめいて見えるところから、【雲龍の庭】と称され、特別拝観の時は、その奥に、龍安寺の創設者、応仁の乱の東軍の将、【細川勝元】の御廟の建物があります。 更に裏側に、これまた表の思想そのままの徳川光圀公の【知足の蹲】(ちそくのつくばい)があります。次回にご一緒に味わって見たいです。
2010.01.03
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【龍安寺1.】臨済宗妙心寺派 妙心寺の外塔頭の一寺。【世界文化遺産】 早速、世界文化遺産の龍安寺(りょうあんじ)にご一緒しましょう。龍も頭に付くと、(りょう)と呼ぶ様です。明日からNHK大河ドラマが始まります、【坂本龍馬】(りょうま)も然りです。天龍寺(てんりゅうじ)中の場合は(りゅう)と。 お客様から、良く聞かれるのは、「京都に余り滞在時間がないのですが、運転手さんの、ここ一番のお寺を紹介して欲しい」とその時「往時、英国のエリザベス女王が西本願寺へはその祖父の方が訪れられ、僧侶とテニスをされたから、御意志で来られました。 京都に来られ、せめて一個寺でも、ご紹介しょうと京都観光局が推挙したのが。【龍安寺】でした。いわゆる「ロックガーデン【石庭】」でした。外国でも話題に成り、旅行案内にも紹介されているのでしょう、外人の観光客が多く見かけられます。」「それならその龍安寺を案内して下さい」他社では、現地まては行っても案内せず社内で待っている風景をよく見ます。気の毒なお客様と心配です。 石庭に向かう道すがら、広大な池を左手に、そして離れ島に橋が架かり、渡ると【弁天さん】の祠が有ります。弁才天は、水を司る神様で、他にも金閣寺でも見かけます。そしてさらに、進むと両側に菱形に竹で編んだ【龍安寺垣根】と風情がとても落ち着いて、歓迎してくれています。シャツターチャスですね。庫裏(くり)に入る前にこの龍安寺垣根に囲まれた石段は絵になります。庫裏に入りますと正面に【韋駄天】(いだてん)が祀られて居ます。禅宗では、多いです庫裏の守護神で。足が速く、お釈迦さんの骨が盗まれたとき、一途に捉えたというエピソードがあります。いよいよ【石庭】です。 石庭は、禅宗の本堂とも言われる、【方丈】(ほうじょう)の前に廊下を越して拡がる、方丈庭園として存在します。 方丈とは、仏壇を前にして、一丈四方の位置に坐られる最高位の僧侶のことを【方丈さん】と称されています。ここ龍安寺本堂の前額に【方丈】と書かれた額が飾られています。そして内部を見渡すと、襖に昇り龍と降り龍の絵が描かれています。龍は雲を呼び雨をもたらす意義もあるそうで、禅宗は各地で、存在します。 方丈庭園を前にして、僧侶は廊下で座禅を組み、瞑想に耽られるそうです。従って、石庭の真の意義を解明出来ませんが、皆さんが「なるほど」と思わせる解釈が、種々為されます。私なりに過去何回かお客様と訪れるごとに、お寺の昔のスピーカーによる説明とか、バスガイドさんの説明を横で聴かせてもらって、会得した幾つかの内容をご参考に、披露したいと思います。「なるほど」と皆様もご一緒に瞑想してみて下さい。何も知らないより、ご興味が沸くと思いますし教訓にも成ります。内容は次回に記述したいと思います。勿論ご観想は、皆様の得られたことが大切です。
2010.01.02
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【世界文化遺産】 新年明けましておめでとう御座います。皆様も、心身共に清々しい気持ちで、お正月を迎えられました事、お慶び申し上げます。 京都は794年に平安京として、誕生しました。1100年には、記念として、【平安神宮】がそして1200年目の1994年【平成6年】には、京都にはユネスコ【世界文化遺産】の社寺が17箇所制定されました 都道府県で、1箇所だけでもその地区は話題に成るでしょう。京都は文化的にも大変恵まれた環境下にあります。日本中の人は、言うに及ばす、今や世界的にも注目され、観光に訪れる方が、年々多くなっています。 エムケイでは、十数年前から、大学新卒のいわゆる【学生ドライバー】を採用しています。外国人にも、その国の言葉で対応出来る様に、サービスの一環でしょうか。そして乗務員の資質の向上にも、繋がり、失職すればタクシーの乗務員にでもの社員も含めての研修は、厳しいですし、他社のタクシー経験者からは、原則として採用してないようです。素人歓迎何故なら、サービス運動の組織的向上のためのエムケイ精神の浸透がしやすいためと考えられます。 だけに、私達もお客様のご要望に少しでも役立つ為に、観光の勉強も必須条件となります。余暇の日には、仲間と実際社寺を訪問、和尚さんに会って生の見所を教わります。 在職当時、学生ドライバーと観光のお話をする機会が1期生の時有りました。殆どがお寺ってこんなに意義深いものとは知らなかったと、【曼珠院】に現地実習してみました。後でその子たちが、外人を案内している所をテレビが採り上げて下さいました。私もとても嬉しかったです。 17箇所の世界文化遺産のお寺に関しては、尚更よく勉強しなければ成らないでしょう。元日に、17個所の名前をご紹介して置きます。内容は浅智恵ながら追ってご案内出来ればと考えています。 1.延暦寺 滋賀県大津市・左京区 2.清水寺 東山区 3.東寺 南区 4.醍醐寺 伏見区5.仁和寺・6.高山寺・7.天龍寺・8.龍安寺・ 右京区 9.西芳寺 西京区10.金閣寺 北区 11.銀閣寺 左京区 12. 西本願寺 下京区 13.平等院 ・14.宇治上神社 宇治市 15. 上賀茂神社 北区 16.下鴨神社 左京区17.二条城 中京区
2010.01.01
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