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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.05.08
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日はちょっと目先を変えて、“言葉”という視点から子どもの育ちを考えてみます。


先日来から色々と今の子どもたちの状態を書いていますが、でも、実はそういうことのほとんど全てが子どもの言葉の育ちの中に現れているのです。
ですから、その子どもの発達の状態を知るためにはその子どもの言葉の育ち方を見るとすぐに分かります。言葉の中には心の状態、知性の状態、からだの状態、そしてどういう体験をしてきたのかという記憶までが含まれていからです。

それで最近気になるのは日本語を理解出来ない子どもたちが増えてきているということなんです。だからといって外国語が得意なわけではありません。とにかく、言葉がおかしいのです。会話をしていてなんかトンチンカンなんです。

まず、“説明”が理解出来ません。うちは自宅では造形教室ですから、子どもたちに色々と造形の指導をしています。ですから、説明しなければならない場面がいっぱいあるわけです。でも、いくら説明しても反応がないのです。それで“わかった?”と聞くと、“わかんない”と言います。
そういう子は自分でも説明が出来ないし、新しいことにも挑戦しません。
毎回、分かっていることだけしかやらないのです。

そしてまた、そういう子は言葉だけでなく、図を解釈することもできません。


図を見て何となく分かる子は言葉の説明も理解出来るのでしょうが、図を見ても何が何だか分からない子は説明も理解出来ないのです。

これは見て学ぶ能力と言葉の理解力がつながっているからかも知れません。
けん玉やコマなどの遊び方は見て学ぶしかありません。昔の子どもたちは、落語や職人の世界のように技を見て盗んだのです。そして、このような作業が言葉の理解力も育ててくれていたのではないかと思うのです。理解力も一つの技術ですから。
実際、言葉の理解力が乏しい子は、けん玉やお手玉といった遊びでも、見て真似することが苦手なようです。相手の動きを解釈出来ないのでしょう。それですぐ教えてもらいたがります。

今、学校でもカルチャーでもなんでも懇切丁寧に教えてしまいます。(お母さんも)
でも、この“教えてしまう”という関わり方が、逆に理解力を弱くしてしまうということに多くの人が気付いていません。今、教えることの方が教育的だと思いこんでいる人がほとんどですが、見せるだけで教えないという方法の方が教育的な場合もあるのです。(そのかわり、繰り返し見せるのです。だから最初は時間がかかります。)

私の太極拳の先生もそうでした。やってみせるだけで教えてくれませんでした。それで、“それはどうやるんですか?”と聞くと、“そんなことは自分で考えろ”と叱られました。ですから、必死で考えました。だって、教えてくれない癖に、出来ないと怒られるのですから。
これは一見不親切なようですがこういうやり方でないと伝えることが出来ないものもあるのです。

先日、ある遊びの会に五寸釘をいっぱい持っていって子どもたちと「くぎさし」をして遊びました。
最初、子どもたちは全然出来ません。こういう事は言葉で教えても出来るようにはなりません。それで子どもたちは色々と工夫していました。私はやってみせるだけです。

そして、しばらくすると刺さる子が出てきました。そうすると、そういう子は出来ない子に説明を始めるのです。

そして、こういう回路がいっぱい育っている子が言葉の理解力も育っていくのです。


しばらく、言葉の話題を続けます。





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Last updated  2008.05.08 07:10:46
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