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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.09.03
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ブログでもご報告したとおり先週の土・日と総勢47名で泊まりがけで遊んできました。半数くらいは幼稚園児と小学生の子どもたちです。


普通、このようなイベントを企画する場合は、細かくプログラムを決めたり、料理のメニューを決めたりしますよね。でも、冒険クラブの集まりではそのプログラムも、食事のメニューもないのです。
ですから、“そろそろ食事の準備をするから遊びをやめて集まれ”などというような呼びかけはありません。

簡単に言ってしまうと、冒険クラブではみんなで一斉に同じことをする、同じことをしなければならないという発想自体がないのです。
食事のメニューは各自考えてきてもらっています。そのメニューに必要な食材も基本的に持参してもらっています。それで、各自が色々なお料理を作ってバイキングのようにテーブルに並べて自由に取って食べるのです。その時、自分で作りたいメニューがなかった人は、他の人のお手伝いに入ります。結果として少人数グループでのお料理作りになります。
ですから、食事は単一のメニューではなく非常に多様性のある、豪華なものになります。珍しい料理もいっぱい並びます。

また、“○○時にご飯だよ”というような大まかは時間配分があるだけで、“○○時から夕食づくりの準備”というようなきまったプログラムもありません。結果として○○時にご飯が食べられるように自分で考えて動いてもらっています。
ですから、数人のお母さん達が一生懸命にお料理を作っている時に、別のお母さん達は子どもたちと遊び回っているという状況が生じます。普通は、これで怒り出す人もいるのでしょうが、冒険クラブではそれもOKです。遊んでいる人がうらやましいと思うのなら、自分も遊べばいいのです。妬んだり、非難する必要などありません。


その時、大切なことは人を非難しないことです。人を非難し始めたらそこで流れは止まってしまいます。そして、分裂してしまいます。
でも、非難しないでみんなでその状況をどうにかしようと知恵を出せばちゃんと流れていくのです。非難合戦にならなければちゃんと結果はうまくいくのです。そして、分裂どころかつながりも強くなります。子どもたちだって一生懸命に手伝うでしょう。ちょっと食事の時間が遅くなるだけのことです。

私は、この会の参加者が決まった段階でメーリングリストを作りました。そして、上に書いたような考えを流しました。長くこの会に参加している人にとってはこのような私のやり方はもう周知のことですが、新しく参加してくださる方にもしっかりと伝えておかないと混乱が起きるからです。

食事のメニューに関しても“私は○○を作ろうかな”などと、各自そこで申請してもらいました。そして、“私は○○”とか、“私はアイデアがないから△△さん一緒に混ぜてください”というやりとりがありました。
私は、情報の公開とコミュニケーションというものを非常に大切に考えています。少数の人が企画して、その企画通りに動くのではなく、コミュニケーションによるつながりによって各自で考えて動くのです。そして、それでちゃんとうまくいくのです。
私は、人間の賢さと優しさを信じています。だからそれに任せているのです。

でも、プログラムやマニュアルで人を動かそうとする場合はその人間の賢さは否定されてしまいます。だから、受け身になってしまうし、生き生きとしてこないのです。そして、文句ばかりが出てきます。

私はそのメーリングリストで、“人に迷惑をかけない範囲で自分の自由に動いて参加してください”というようなメッセージを流しました。
ですから、遊んでいる人たちがいる時にお料理を作ってもいいし、お料理を作っている時に遊んでいてもいいし、また寝ていてもいいし、話し合っていてもいいですよ、ということです。

なんといい加減な会なのでしょうか。これではバラバラになってしまうし、混乱してしまうに違いないと思われるかも知れませんが決してそうはならないのです。

ここで視点を変えてみましょう。
あるお母さんがお料理を作っている時、遊んでいるお母さんがいます。でも、そのお母さん達の周りには遊びたい子どもたちが集まって来ます。そして、一緒に遊んでいます。お料理を作っている自分にはできないことをそのお母さん達はやってくれているのです。これはありがたいことです。



子どもたちは遊び回って笑顔と喜びをいっぱいまき散らしています。子どもの笑い声がすると元気が出ます。これもありがたいことです。

そもそも現代人は“何かをしなければならない”という強迫観念にとらわれすぎです。資本主義の社会では何かをすることで対価を得ています。仕事をしないと生きていけないのです。ですから、人間の価値は仕事が出来るかどうかで決まってしまいます。
そのため、昔の教育では人間性を育てていましたが、現代では仕事が出来る人間を育てる作業になってしまいました。人間性には価値がないからです。

このような社会では、何にも出来ない子どもや老人や障害を持った人たちの価値は肯定されません。“いてくれるだけでありがたい”という価値は社会的に受け入れられないのです。

でも、この“いてくれるだけでありがたい”という発想というか、考え方は非常に大切なんです。この考え方があるから人と人はつながることが出来るのです。
寝ているだけの人でも側にいてくれるだけでありがたいのです。


そして、この“ありがたい”という考えがあったから昔の人たちは自然と共生することができたのです。
花が咲くありがたさ、実がなるありがたさ、魚や獲物が捕れるありがたさ、風が吹き、雨が降るありがたさ。子どもの笑顔のありがたさ、そういうものを感じることが出来たから自然と共に生きることが出来たのです。

そういうものを想い出していきたいのです。





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Last updated  2008.09.03 08:19:49
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