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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2023.08.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類
そして、対話ができる人は退屈しません。一人でいても、雲や草を見ているだけでも、オモチャやゲームがなくても退屈しません。それ故、待つことができます。


「学ぶ」ということは、単に「暗記する」ことではありません。単に良い成績をとるためだけだったら暗記が一番手っ取り早いのですが、いくら山のように暗記しても、それが自分自身の成長につながっていないのなら全く無意味だし、無駄なことです。

また、人生で色々なことを学ばなければならない大切な時期に、「暗記させるだけのお勉強」をさせるのは子どもに対する冒涜でもあります。

でも、「子どもの成長」ではなく「子どもの成績」にしか興味がない大人たちは平気で子どもたちに「学び」ではなく「暗記」を強いています。
大人たち自身が「学ぶとはどういうことなのか」とか「学ぶ喜び」ということが分からなくなってしまったのでしょう。
でもその結果、肉体は成長しても、心や知性が成長できない子どもたちが増えています。
そのまま大人になっている人もいっぱいいます。
名探偵コナンの逆です。「見かけは大人、中身は子ども」なんです。

そういう人は、自分の頭で考えることも、自分の感覚で感じ、自分の意志と責任で行動することができません。そして、常に人と自分を比較し人目を気にしています。


まず、味わい咀嚼しますよね。それに相当するのが「対話」なんです。

「1+1=2」を暗記するだけでは学びにはならないのです。「1+1=2」を味わい、咀嚼することでそれが学びになるのです。

「どんぐりクラブ」という所がやっている算数の学び方がありますが、「どんぐりクラブ」では問題の文章を絵に描かせることで、問題と対話させているようです。絵を描いて問題と対話しているうちに何がどうなっているのかが自然と分かってくるのです。

私は自宅では造形教室をやっていますが、造形の場でも同じです。対話能力がある子は、あれこれやってみます。そうやって対象と対話しているうちに「どうしたらいいのか」が自然と見えてくるのです。
でも対話能力が乏しい子はただ頭の中だけで考えようとします。

でも、それ以前に様々な体験を通して学んできた子なら頭の中だけでも考えることができるのですが、ただ暗記するような学びしかしてこなかった子は、何をどう考えたらいいのかということ自体が分からないのです。
子どもたちは、手を動かし、体を動かしながら対象と対話することで、思考力を育てています。ですから、体験が乏しい子は思考力自体が育っていないので、「考えなさい」などと言われても、どうしたらいいのかわからないのです。

そのため、対話能力がない子は最初から「やり方」を聞いてきます。そして、そのやり方にこだわります。そしてすぐに行き詰ります。
大まかなやり方を教えても、その時に使う木も紙も、一つ一つ違います。また、子どもの能力も違います。A君はそのやり方で出来ても、B君もそれと同じやり方でできるかどうかは不明なんです。

ノコギリやトンカチが上手な子と下手な子とでは、当然のことながら同じやり方はできないのです。
だから自分の能力に合わせたやり方を、対象と対話しながら自分で発見していくしかないのです。

あと、対話が苦手な子は応用も苦手です。「あのパーツがないからこれで代用しよう」という発想ができないのです。工作の本を読んで作るときに、本に書いてあるのとまったく同じ材料がないと作れないのです。

そんなの「○○センチでなくて、こっちの方もそれに合わせればいいんだから何センチだって同じだよ」と言っても、本に書いてある通りに作ろうとするのです。
でも、そういう子はほぼ必ず途中で挫折します。

対話能力が育っていない子は、自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意志と責任で行動する能力が育っていないので、すぐに、誰かや何かに依存しようとします。





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Last updated  2023.08.27 08:19:49
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