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森の声

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2025.08.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
お母さん達からの相談で多いのが「子どもが○○にしか興味がない」とか、「○○ばかりやっている」とか、「こだわりが強くて困る」というものです。

その対句として出てくるのが、「だから言うことを聞かない」「だから勉強しない」「だから困っている」「だから他のことをしようとしない」などというような言葉です。多くのお母さん達が、我が子に「偏り」がなく、まんべんなく「平均的」に、「みんなと同じように」育って欲しいようです。

では、何で子どもの「趣味」や、「興味の偏り」や、「こだわり」を欠点として考えてしまうのでしょうか。「みんなと一緒」「みんなと同じ」でないと不安を感じるからなのでしょうか。

その背景には「みんなと一緒」「みんなと同じ」を大切にする日本の学校教育があるのかも知れません。子どもが「自分の好きなこと」にしか興味を持たず、「好きなこと」しかやろうとしなければ、間違いなく、「みんなと一緒」「みんなと同じ」を求めてくる学校には適応できませんからね。

でも、欧米のように「個の才能」を大切にする社会では、必ずしも「みんなと違う=欠点、問題児」とは考えないようです。(〝そう考える人が日本よりは多い〟ということです)

人は生まれたときから、一人一人異なった感覚や感性やからだの特性を持っています。音に対する感性、色に対する感性、光に対する感性、人間関係に関する感性、動きに対する感性、匂いに対する感性、触覚に対する感性、味に対する感性などの基礎的な部分は、生まれたときから、一人一人異なっているのです。

規格品やロボットのような「みんな同じ」という人間は「頭の中」には存在していても、現実世界には存在していないのです。みんな何かしらの「偏り」を持っているのです。

でも、教育の場ではその「偏り」を無視して、みんなに「みんなと同じこと」を教え、「みんな一緒に行動すること」を求め、「みんな同じ結果」にたどり着かせようとしています。学校の先生は、「一人一人の個性につながった才能」を伸ばすよりも、「全体の平均点」を伸ばすことの方に熱心です。

「教育の結果」を「教育を受けている子ども」ではなく「教育を与えている大人」が一方的に決めてしまっているのです。それは「医者の善し悪し」を患者ではなく医者の方が決めてしまっているようなものです。



これは第二次世界大戦後の学校教育でも同じです。今度は「経済力で欧米に追いつけ、欧米を追い越せ」というスローガンを実現するために学校教育が使われたのです。ですから元々、学校教育に「子ども一人一人の幸せを考える」という発想はないのです。

そのような教育のおかげであっという間に日本は欧米に追いつきました。国も国民も豊かになりました。(今その陰りが見えていますけど・・・)私たちはその恩恵を受けています。でも今、その「お国のため」という教育が破綻しかかっています。国が「国民が夢と希望を持てるような目標」を提示できなくなったからです。先生も知識を教えるだけで希望を語ることが出来なくなりました。子どもたちも「何のために勉強しているのか」ということが分からなくなりました。

そのような状況の中での「希望」は、「子ども達一人一人が大切にしていること」、「大好きなこと」、「こだわっていること」の延長上に子ども自身が見つけていくしかないのです。親(大人)に出来るのはそのサポートだけです。

「子ども達一人一人が大切にしていること」、「大好きなこと」、「こだわっていること」をきっかけにして、それと接している分野にまで興味を広げ「狭い世界」から「広い世界」へと導いてあげるのです。「自動車」が好きな子を、自動車を作る工場に連れて行って「自動車を作る現場」を見せたら、さらに興味が広がるのではないでしょうか。「虫」が好きな子には「図鑑」を与えたり、実際に色々なところに行って捕まえたり、飼ってみたりすると、また興味が広がるでしょう。同じ興味の子と出会わせてあげるのも効果的だと思います。それは、 「国のための教育」 ではなく 「子どものための教育」 です。

そして今、求められているのはその「子どものための教育」なんです。そしてそれがまた、「未来の日本」を支える力にもなっていくのです。

「好きなこと」だから試行錯誤するのです。「好きなこと」だから失敗しても諦めないのです。「好きなこと」だから考えようとするのです。「好きなことしかしない」とか「こだわりが強い」というのは欠点ではなく、自分の才能を切り開くための鍵なんです。「違い」が分かるからこだわるのです。「違い」が分からない子はこだわらないのです。そして「違い」が分かるというのはそれ自体がもう才能なんです。

でも大人達はその才能を「こだわり」として否定して、「みんなと同じ」を押しつけ、「みんなと一緒」を強制しています。「子どもに振り回されたくない」と言う人もいますが、子どもはお母さんを振り回しているのではなく「お母さんの世界」を広げようとしているのです。





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Last updated  2025.08.11 08:25:54
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