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森の声

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2025.08.19
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「正義」と「平等」は似ています。どちらもその言葉を使う人は、それを「絶対的に普遍なもの」として相手に押しつけますが、ほとんどの場合、その相手もまた自分なりの「正義」と「平等」を持っています。

男性の考える正義や平等は、女性にとっては不正義や不平等かもしれません。その逆に、女性が考える平等は、男性にとっては不正義や不平等かも知れません。

実際、韓国の人が考える正義や平等と、日本の人が考える正義と平等は異なっています。その結果、両者が納得するような答えを得ることが出来ずに、ずーっとトラブルの種になっています。

大人が考える正義や平等と、子どもが考える正義や平等も異なります。それを「正解」という一つの言葉で言い表せば、「正解」は一人一人違うのです。

キリスト教の正解と、仏教の正解は異なります。人間の正解と、自然界の正解も異なります。

昭和の人が考える正解と、令和の人が考える正解も異なります。問題は、「絶対的正解」「普遍的正解」なんてどこにも存在していないのに、みんな自分が持っている正解を「絶対的な正解」だと思い込み、相手に押しつけようとしたり、相手に求めてしまうことです。そこで新しい不平等が生まれます。

最近、相手の言葉に耳を傾けずに自分の理屈だけを言って「はい、論破」と話を打ち切ってしまう若者がいますが、それも同じです。そのような人は、「相手にも相手の正義があるんだ」ということを認めようとしないのです。

平等も、自分が考えた平等を一方的に相手に押しつけて、相手に不平等を与えていることがあります。「俺は金を稼いでくるのに、お前は子どもと遊んでいるだけで金を稼いでこない。これは不平等だ!」と言う男性もいます。確かに「お金」だけを基準にして平等、不平等を論じるなら確かにその通りでしょう。

でもその結果、ご主人と対等のお金を稼ぐためにお母さんが仕事に出てしまったら、残された子どもにとっては大変な不平等になります。



最近、「○○ガチャ」なる言葉がはやっていますが、これは「運命の不平等」を嘆く言葉なんでしょう。「運命の平等」なんてどこにも存在していないのに、ただ待っているだけで自分から能動的に自分の運命を切り開こうとしない人は、「ガチャ」(運命の不平等)を理由に、最初から自分の人生を諦めてしまうのでしょう。



そのためには「思いやりや」「優しさ」といったものが必要になります。「思いやりや」「優しさ」を持って、お互いが満足できるようなバランス点を見つけるのです。平等はその結果生まれるのです。平等は与えて貰うものでも押しつけるものでもなく、自分達の力で創り出すものなんです。


「家が貧乏だったから習い事も出来ず・・・」と「親ガチャ」を嘆く人もいますが、「家が貧乏だったから、一生懸命に勉強して・・・」と、ガチャと肯定的に向き合う人もいます。実際、貧しかったが故に努力して大成した人もいっぱいいます。

女性に産まれたことを嘆く人もいれば、女性に産まれたことを喜ぶ人もいます。男性に産まれたことを嘆く人もいれば、男性に産まれたことを喜ぶ人もいます。

「運命を選べない」という点ではみんな平等です。「誰も死を避けることが出来ない」という点でも平等です。それは「絶対的平等」です。「だからこそ、自分の人生は自分で切り拓いていくんだ」と考える人は「ガチャ」を呪わないでしょう。でも、「与えられるのを待っているだけの人」は「ガチャ」を呪うでしょう。

「自分の人生は、自分の意識や、学びや努力の結果である」ということもまた、私たちに平等に与えられている仕組みです。





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Last updated  2025.08.19 06:00:26
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