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森の声

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2025.08.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
子どもたちは「きれいなもの」、「優しい人」、「ふわふわして柔らかいもの」、「直線」より「曲線」、「止まっているもの」よりも「動いているもの」、「大きい声」よりも「柔らかい声」が好きです。また、「知識」よりも「物語」、「一人でいること」よりも「仲間といること」、「単調な空間」よりも「多様な空間」、「暗い色」よりも「明るい色」が好きです。

「人工的な環境」の中にいるよりも、「自然の中」にいる方が落ち着きます。「人工的な環境」の中にいるときにはケンカばかりしていた子どもたちを森や野原の中に連れ出すと、仲良く一緒に遊び始めます。

夜、怖くて一人ではお便所に行けない子は普通にいます。大きな声を出すと泣き出す子も、緊張が強い人に抱かれると嫌がる赤ちゃんも普通にいます。

もちろん、気質的な違いや、何らかの障害などの影響による個人差もありますが、全般的な傾向としてはそのようなものです。大人になると、育ちの影響、社会の影響を受けてもっと多様な状態になりますが、まだ、自然の状態に近い幼い子どもたちが「好むもの」「嫌うもの」にはそれほど大きな違いがないのです。

ほとんどの子がビー玉が大好きです。貝殻や、きれいな石や、木の実などを拾い集めるのも大好きです。歌や踊りも大好きです。整理整頓された空間よりも、乱雑な状態の方が落ち着きます。

赤ちゃんに「人に意地悪している人」と「他の人を助けている人」の二種類の映像を見せると、まだ、社会的な善悪など分からない時期の幼い子どもでも、「他の人を助けている人」の方に好意を持つということを確認した実験もあります。

そこに子どもたちが生きている世界の「真・善・美」があります。これは人類の「命の歴史」の中で育まれてきた「真・善・美」だと思います。人類は何十万年と自然の中で仲間と共に生きてきました。ですから、現代社会に産まれてくる子どもたちも、仲間や自然と共に生きることを前提にした状態で産まれて来るのです。

ちなみに「整理整頓された状態の自然」など存在しませんよね。だから「ちゃんと片付けなさい」などと言われても、その「ちゃんと」の意味が理解できないのでしょうね。

大人が生きている世界の「真・善・美」は「自然とのつながり」よりも「社会とのつながり」の方が大きくなっています。その時代時代の社会の価値観によって「真・善・美」が決まってしまうのです。



大人になると「野原に咲いている花」よりも、「人工的に作られた高価なもの」の方を「美しい」と感じる人も多くなります。

キリストは

「 烏(からす)のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏(からす)を養ってくださる。」「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」
(「ルカによる福音書」12章24節‐27節)

と言ったそうですが、幼い子どもたちはこのキリストの言葉に表されているような「真・善・美」の世界に生きているのです。

「東大を出た」と威張っている人よりも、他の人に優しくしている人の方を尊敬するのです。

でも、キリスト教はその繁栄と共に世俗的な栄華を求め始め、イエスの言葉とはかけ離れた状態になってしまいました。それに違和感を感じたのが、小鳥に説法したと伝えられている「アッシジのフランチェスコ」です。

私は「アッシジのフランチェスコ」が大好きで、30才の頃バックパッカーで色々なところをうろついている時、駅からアッシジまで歩いて行きました。

そんな子どもたちも、成長し、社会的な価値観に染まることで、「他の人に優しくしているだけの人」よりも、「東大を出た人」の方がすごいと感じるようになってしまいます。悲しい話です。





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Last updated  2025.08.31 06:58:47
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