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森の声

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2025.09.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類
(私が書いていることは全て私の推測に過ぎません。ですから、「一つの考え(物語)」として、軽い気持ちでお読み下さい。)

昨日書いたような、幼い子どもたちが持っている「真・善・美」の感覚は、人類が、厳しい自然の中で、みんなで助け合いながら生き延びて来た中で育って来たものなのではないかと思います。

昨日、テレビで「群れで生きている野生動物」たちの番組を見ましたが、「群れ」を維持しながら生き延びるためには、「群れ」を維持するためのルールが必要になります。象の群れでも、傷ついたり、弱ったりしているものや幼い子どもは、みんなで助けようとしています。家族や、仲間を大切にします。子どもや、家族や、仲間を助けないことには群れが弱体化してしまい、群れ全体が危険にさらされてしまうからなのでしょう。

また同じ理由で、群れの中に、「意地悪な個体」がいたら、すぐに排除されてしまうでしょう。意地悪な個体は群れの秩序を乱し、群れ全体を危険にさらすことになってしまうからです。

馬や犬など人に飼われている動物たちだけでなく野生の動物でも、「優しい人」にはすぐなつきます。でも、「意地悪な人」にはなつきません。人間の子どもも同じですよね。「善」の感覚は「頭の中」にではなく「からだの中」に組み込まれているのでしょう。

また、「真・善・美」の中の「美へ意識」は自然との関わり合いの中で育ってきたのではないかと思います。

「花」は、命を維持するために必要な「実り」や「豊かな自然」の象徴でもあります。「虹」の後には青空が広がります。電気がなかった時代の「光」は、安心と、安全と、希望の象徴でした。自然界における調和は、自然界の安定を暗示しています。人間が本能的に「美しい」と感じるものの多くは、私たちの安心や、安全や、希望を暗示するようなものが多いような気がするのです。

実際、「不健康な人」よりも「健康な人」の方が美しく見えますよね。「希望を持っていない人」よりも「希望を持っている人」の方が美しく見えますよね。

では、「真・善・美」の中の「真を感じる感覚はどこから来たのか」ということですが、私は「真を感じる感覚」は、人類が「言葉」を使うようになって生まれた感覚なのではないかと思っています。



「空」という言葉は、誰が使っても基本的には「同じもの」を指しています。「木」や「水」という言葉でも同じです。というか、「同じもの」を指しているから会話が成り立つわけです。実際にはそこに存在していないものであっても、言葉を使えば、そのイメージを他者と共有することが出来るのです。言葉を使えば、「愛」や「勇気」といった物理的には存在していないものまで仲間と共有することが出来ます。そしてそこに「真」が生まれるのです。

ですから、「言葉の発明」は「真理の発明」でもあるのです。そして人類はその言葉を使って、さらにもっと複雑な真理についても考えるようになりました。でも、「真理」は「言葉」に依存していますから、「異なった言葉」を使っている人たちは「異なった真理」を持っています。「真理」は、その言葉のイメージとは異なって世界共通ではないのです。

「緑」という言葉を持っていない人たちは「緑」が真理として価値を持たない世界に生きているのです。「真実」は一つでも「真理」は多種多様なんです。だからトラブルが起きるのです。

また、日本語しか知らない人たちでも、「異なった真理」を持っている人たちは「異なった言葉」を使っています。使う語彙も違うし、同じ語彙を使っても使い方が違うのです。ですから、「その人がどのような言葉をどのように使っているのか」ということを知れば、「その人にとっての真理」を推測することが出来るのです。





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Last updated  2025.09.01 08:42:46
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