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あいにくの雨の日曜日となったが、以前CS放送でオンエアされて、ビデオテープに撮っておいた『ホテル・ルワンダ』をようやく観ることが出来た。戦慄の映画だ。1994年に起こった「ルワンダ内戦」をテーマにした映画だが、実話に基づくストーリー(主人公も実在の人物らしい)だけに、ある意味ドキュメンタリー的でもある。内戦などにはまったく縁の無いこの日本で暮らしている分には、まず遭遇することの無いであろう悲劇、これは直視しなくてはいけない。そしてその内戦を目の当たりにしながらも、介入に躊躇して何も出来ない国連や先進諸国へのアンチテーゼも、多分に含んでいると思われるが、それと同時に、この映画に出会うまで「ルワンダ内戦」についてほとんど理解がなかった私自身にも、警鐘が鳴らされた思いがした。ところでこの映画は当初、あまりに地味で興行採算が取れないなどの理由で、ほとんどの関係者が興味を示さなかったのだが、一部の熱心なファンの署名活動に後押しされて、ようやく日本で陽の目を見たという経緯があったそうだ。しかしこれほどの映画に対して、まったく理解が無かったというのも、今となっては解せない話だ。
2007年09月30日
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先日近所のホームセンターで、レジに並んでいたときのこと、私のひとり前に並んでいた人が「どこかで見たことのある人」だった。しばらくあれやこれや考えた後に、彼女が私がよく行く某ドラッグストアの女性店員であることに気が付いた。その女性店員というのが、これまた素晴らしく愛想のいい、笑顔の素敵な方なのだ。決して若いというわけではないのだが、私はこの方の気持ちのいい接客に魅力を感じて、そのドラッグストアに通っている(?)と言っても過言ではないほどだ。もちろん私とはお互い面識が有るわけではないので、この時は特に声を掛けるでもなく黙っていた。ところがその方にレジの順番が廻ってきて、レジで係員と接触しているのを何とは無しに見ていて、ちょっと違和感を感じた。私の知っている彼女は、常に他人とは溢れんばかりの笑顔で接し、受け答えもハキハキとしているなずなのに、このレジ係の人に対しては終始仏頂面で、レジ係の言うことに答えることも無く、ついにひと言も口を利かずにレジから立ち去ったのだ。終始その光景を見ていた私は、何だか複雑な気持ちになった。でもまあ、これは私の一方的な思い込みに非があるわけで、職場にいるときに彼女がどんなに愛想が良くても、それはあくまでも「業務上」での態度であり、それをプライベートにも期待しても仕方の無いことだ。要するに、「ON」の顔と、「OFF」の顔という風にも言い換えられるだろうか。ただこれは人ごとでも無い。私も同じように見られている可能性があるからだ。私も自分の店では“超”愛想良くしているから、うちに来られるお客さんのほとんどは私のことを、そういうキャラだと思っておられるだろう。しかし私も人間だから、プライベートでもいつもそのようにしているワケはないし、そうしなければいけないということも無いだろう。プライベートでもいつでもどこでもニコニコしながら歩いていては、単なる「アブナイおじさん」になってしまうが、とりあえず他人に接する場面では、やはり愛想良くするに越したことは無いな。私の「OFFの顔」を見て、どこの誰がどういう感じを抱くか分かったものではないし、特にウチのような「客商売」だと、それが即、店のイメージに結びついたりしかねないだろうからね。
2007年09月29日
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プロ野球セ・リーグもいよいよ大詰めだ。一応現在中日にマジック「6」が点灯しているものの、こんなものが何の意味も持たないことは周知の事実。一昨日の巨人最終戦に敗れて、形勢がガラリと変わってしまった。その時点での残り試合は、中日「7」に対して、巨人は「2」。実質的な話として、どちらも優勝するためには残り試合を全部勝たなければいけない。その場合、中日が「7勝」するのと、巨人が「2勝」するのとでは、どちらがカンタンか?そんなことは子供でも分かる、絶対巨人の方だ。つまり現在、中日ではなく巨人に「マジック2」が点灯しているのに等しい。要するに中日としては、とにかく目の前の試合を全部勝っていかなければいけない。まるでトーナメント戦だ。そしてその7戦を勝ち上がったとき、“奇跡”が起こる。まさに球史に残る“奇跡”だ。その「Vロード」の出発点が昨日の阪神戦。内容的には普段の勝ち試合のパターンとそう代わり映えはしないが、“奇跡”への序章プレリュードと思えばこそ、いつもの1勝以上の感慨がある。さあ、“奇跡”を見にいこうじゃないか!とかなんとか言っても、その後の「クライマックス・シリーズ」で負けたりしたら、マジに腹立つだろうなー。やっぱりやめちゃえ!こんなもの!!
2007年09月28日
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ずいぶん前のことになるが、私の右足の親指が「陥入爪(かんにゅうそう)」というのになっている、ということを書いた。この治療のためには爪の裏側にワイヤーを入れて、丸まって食い込んでいる爪を持ち上げる作業をしなくてはいけない、そのためには爪をうんと伸ばさなければいけない、そう医師に言われてしばらくの間、爪が伸びてくるのをひたすら待った。そしてその間、爪が食い込んだためにその上に乗っかってしまっている肉がジャマになるということで、液体チッソで焼き切る作業が何回か行なわれた。これがまた痛かった。簡単に言えばドライアイスで「低温やけど」の状態にするのと同じ原理なのだ。ドライアイスを押し付けるわけだから瞬間的に皮膚の感覚が麻痺するのだが、しばらくすると何とも言えない“じんじん”した鈍い痛みが襲ってくる。で、この痛みがその日1日中は残るのだ。そしてある程度爪が伸びた段階で、例のワイヤーを使った治療となるはずだったが、過日医師に見せた段階では、患部が予想以上にきれいになっているし、爪自体も思ったほど丸まっていないから、ワイヤーを使った治療は見送り、このまま様子を見ようということになった。もとより私自身もその数日前くらいから、まったく痛みを感じることは無くなっていたから、もう勝手に「全快宣言」をしていた。おそらくこれ以降、悪化することは無いだろう。とりあえず医師から以前聞かされていた、「正しい爪の切り方」だけは実践するようにしている。「正しい爪の切り方」とはどういうものかというと、爪のサイド部分を切らずに出来るだけ残しておくというものだ。爪のサイド部分を残しておくことで、爪がカールしようとする圧力が掛かっても、それを支えることが出来るからだ。ただこれはあくまでも「陥入爪」にならないための、足の親指の切り方であるから、その他の爪はこの限りではないと思う、念のために。
2007年09月27日
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日曜日に電車で、ちょっと離れた映画館までいってきたことを書いたが、その映画館が駅からも離れていたため、電車を降りてからバスを利用した。普段クルマで移動することの多い私は、当然ながらバスなどほとんど乗る機会は無い。だから今回も本当に久し振りのバス乗車だ。余談だが私はバスに乗るとき、座るポジションには結構こだわる。私にとっての最も「上席」は、左側最前列だ。これは前方の景色がよく見える、という、ただそれだけの理由だ。そこがふさがっていた場合、次に探すのは「“タイヤの上”の席」。これらの席は他の席に比べて、一段高いところにあるから、外の景色を見る際にも高いアイポイントを保っているのでとても見易いし、他の席を見下ろすような格好になるので、何となく気分がいい、といった他愛も無い理由からだ。まあそんなどうでもいい話はさておいて、バスを降りるくらいのときに初めて気が付いたのだが、車内に「『バスの日』にちなんで、本日はバス料金が半額になります」という案内文があった。へぇー、『バスの日』なんてのがあるんだ、と感心しながら、偶然にもその恩恵に授かることが出来たわが身のラッキーさを、密かに喜んだものだ。ちなみに帰ってからネットで調べたところ、『バスの日』とは、日本で初めてバスが走った「1903年9月20日」にちなんで制定されたそうだ、参考までに。しかしそれはまあいいとして、最近のバスはこんなに高くなったのか、ということにも改めて驚かされた。何せ初乗り運賃がいつの間にか200円になっている。ご老人などクルマを持たない方々も含めた、庶民の足という役割を考えれば、この200円というのはちょっと高いような気がするのだが。
2007年09月25日
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南仏・プロヴァンスを舞台にした映画『プロヴァンスの贈りもの』を観に行った。今回はいつものシネコンでも、閉館間近の近所の単独館でもなく、珍しく電車に30分揺られて、ちょっと離れた市の映画館まで来た。ここでしか上映されていないから仕方無いことだが、これからはこういうことも増えてくるかもしれないな。まあそれはともかくとして、この映画の内容だが、 ロンドンの敏腕トレーダーである主人公が、 ひょんなことから南仏プロヴァンスにある叔父のシャトーを相続することになり、 そこで慣れないワイン造りに悪戦苦闘し、幾度もの失敗を重ねながらも、 数年の後にようやく納得の行くワインが出来上がる..........。予備知識もほとんど持たずに私は、勝手にこのようなあらすじを想像していたのだが、現実的にはシャトーを相続するまでの様々な心の葛藤とラブロマンスがメインの話で、そこに住み着くようになった段階でこの映画は終わってしまう。その後のワイン造りの悪戦苦闘振りを期待していた私としては、ちょっと肩透かしを食らったような気になった(オマエが勝手に想像しただけじゃねえか、と言われればそれまでだが)が、まあそれはそれで、この作品の評価を貶めるものでも何でもない。ストーリー的にはさして凝った作りにはなっていないが、全体的な映像美、特に「陽光」の扱い方が抜群に素晴らしいと思った。また生き馬の目を抜くほどのせわしなさのロンドン株式市場と、とにかくのんびりとしたプロヴァンスの田舎、この好対照を上手く組み合わせながら物語を進行させたのも良かったかもしれない。プロヴァンスだけが舞台では、ちょっと間延びしてたかもしれないからね。そしてやっぱりこういう映画が良かったかどうかというのは、その日の夜にでもワインが飲みたくなったかどうかで決まる、ということも言えるのではないか。ちなみに私は、やっぱりワインを飲んだ(プロヴァンスではなかったが)。
2007年09月24日
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昨日の土曜日のことになるが、子どもたちの通う小学校の運動会があった。土曜日が休みでない私は例年の如く、プログラムとにらめっこしながら、子供の出番になると仕事の合間を縫って、店と小学校の間を何度も往復した。しかしとにかくこの日は暑かった。このあたりでも30度以上の気温があったと聞いたが、さもありなんといった感じだ。日差しも異様に強く感じ、私なども全日程の半分も居なかったにもかかわらず、ほんのりと顔が日焼けしていた。そんな状況下で行なわれた運動会だけに、ちょっと見られない光景にもお目にかかった。普段なら父兄の観覧スペースには早くからござやレジャーシートが我先に敷かれているのに、この日はところどころ空きスペースも見られるほどに空いていた。その分、トラックからやや離れた木陰の場所はどこも一杯。そりゃそうか、別にすべての競技を“かぶりつき”で観る必要はなく、自分の子供の出番だけ傍に出て行って観るなり、ビデオに撮るなりして、それ以外は木陰でのんびりと涼んでいればいいわけだ。そして昼食は父兄と子供が一緒に観覧席で弁当を食べるのだが、学校側が気を利かして解放してくれた体育館にみんな大挙して殺到し、体育館はたちまち満杯になった。その分トラックの周りは閑散として、とても運動会の昼食時の光景には見えなかった。しかし暑い暑いと言ってるうちはまだいい方で、聞くところによると昨日運動会が行なわれた中には、体調不良を訴える子供が続出して、運動会そのものを中止にしてしまったというところも幾つかあったようだ。雨で運動会が中止になるのは毎度のことだが、逆に「天気が良すぎて」運動会が中止になるなど前代未聞のハナシだ。しかしこのところの異常気象を見るにつけ、こういうこともこれからは頻繁に発生するのかもしれない、そんな気がしてきた。
2007年09月23日
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今週の月曜日あたりから、何となくみぞおちの辺りが痛む。常時ではないが、30分くらいのインターバルを置いて思い出したように、「キュゥゥゥゥゥゥン」と痛んで、ほんの数十秒で消えていく。今まで腹痛なら、もう記憶に残らないほど経験してきたが、それらはすべて「下腹部」の痛みであって、今回のような「みぞおち」の痛みというのは、初めて経験するものだ。月曜日にはひどい下痢も伴っていた。水曜日に医者に診てもらったが、ただの胃炎ではないか、ということで、薬を処方してもらった。とりあえず今それを飲んでいるが、下痢の方は治まったものの、みぞおちの痛みはまだ完全には治まっていない(少しインターバルは長くはなったが)。何だろうなー.......。
2007年09月21日
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ヤクルトの古田兼任監督が、選手引退とともに監督辞任を正式に表明した。私はドラゴンズ以外の球団から好きな選手を挙げよと言われれば、真っ先に彼の名前を出すほどのファンだ。特に私と誕生日が同じということもあって、とても他人とは思えないのだ。ついでに言うと私もかつて中井美穂が好きだったということもあり、やはり他人とは思えないのだ。まあそれはともかくとしてだ、選手引退は致し方ないとしても、監督まで辞めることは無いだろう、というのが私の率直な感想だ。まあ、球団は慰留したということだが、実際のところはどうなのかはわからないし、水面下で新監督に栗山氏の名前が浮上してきているということ自体、球団側からの何らかの動きが無かったとも思えない。とにかくこの2年のチームの不振をみて、彼の監督としての力量を云々するのは時期尚早だと思う。なんといっても戦力がガタ落ちになった割には、さしたる補強がされていない。岩村が抜けたサードは、結局ぽっかりと穴が開いたままだった。せっかく中村ノリを獲れる絶好のチャンスだったのに、みすみす中日に持っていかれる始末だ。それに抑えピッチャーも不在のままだ。なにより「選手・古田」の後釜がまったく育てられていない。もうこうなってくると、球団の編成担当の責任だろう。確かに監督というのはシビアなもので、メジャーでも結果を出せないと、監督がビシビシクビを切られるのは毎度のことだ。しかしそれはあくまで戦力が充分に揃っていてのハナシで、メジャーでも戦力を揃えるべきゼネラルマネージャーがそれを怠ると、ゼネラルマネージャー自身がクビを切られる。今回の場合で言えば、責めを負うのは球団フロントであり、古田氏にはもっと腰を落ち着けてじっくりとチーム改革に当たって欲しいと思う。なによりそうさせるためにわざわざ抜擢したのではないのか?球団が満を持して彼を監督に据えたのであれば、ある程度長期的なスパンでチーム作りをさせるべきものだろうし、その間はたとえ結果が出なくても、古田本人がさほど責任を感じる必要も無いと思う。結果がすべての世界とはいえ、目先の結果だけで、しかもそのベースになる条件の良し悪しの考慮も無しに、その力量が判断されるのも、ファンにとってはちょっと違和感が残ったりする。
2007年09月20日
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昨日の夜は、近所の商店街でちょっと大きな火災があった。火元は鉄筋コンクリートの建物だったが、その周りというのが木造のかなり老朽化した建物が密集しているところだった。防火設備やセキュリティも何も無いようなところだけに、瞬く間に火は燃え広がり、類焼は十数軒に及んだようだ。アーケード街だったことも災いした。消防車から放水しようにもアーケードがジャマになって水が届かないので、その分鎮火が遅れたようだ。また屋根で上が塞がれている分、煙が抜けていかずに充満してしまうので視界が悪くなり、消防活動に支障をきたしたようだし、これは一歩間違えば大惨事になりかねない。それと今朝の報道などを見ると、火が「アーケードの屋根を伝って」広がったという書き方もされている。こうしてみるとアーケード街というのも、意外な盲点を持っているものだ。まあこの一件だけを取り出して、即「アーケードは不適当」という結論を出すわけには行かないだろうが、少なくとも定期的なメンテナンスを行なったり、素材を再考したりする必要はあるのかもしれない。ただそれ以前の問題として、そういった諸々のことに掛かる費用に対して、商店街がその負担に耐え切れるか、ということがある。他所の都市の例にもれず、当市でも中心街の商店街は長期低落傾向に歯止めが掛からないから、現実的に今以上の負担は厳しいかもしれない。しかしいつまた同じような火事が起こるとも限らないわけだから、急を要することには違いない。難しいことだな。余談だが、今回火元となったのは老舗の楽器店だ。最近でこそ私もまったく行くこともなかったが、昔高校生の時分にバンド活動に勤しんでいた頃は、この楽器店の中の貸スタジオでしょっちゅう練習させてもらったものだ。またこの楽器店主催のバンドコンテストにもよく出させてもらったし、私にとっては何かと思い出深いところなので、少々寂しい。被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。
2007年09月17日
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テレビで人気のあったドラマを映画化して公開する、という、フジテレビあたりでよくやる手法、これには私自身あまり良い印象は持ってなくて、よって観に行きたいと思うこともほとんど無い。観に行きゃいったで、それなりには楽しんで帰ってこられるとは思うのだが、それでも良い映画を観終わったあとの充足感というか、そういうものに欠けるような気がするのだ。しかし今公開されている『HERO』は別だ。当初放送されていたTV版も良い出来だったということもあるし、キムタク、というよりも主人公の久利生公平が好きだからだ。たった一つしかない真実を突き止めるために、たとえ一見ムダとも思えるようなことでもコツコツと積み重ねていく不断の努力、そしてその先にある隠れた真実、それが明らかにされるとき、観ている私たちは何か胸のつかえがスカッと降りたような気になる。水戸黄門やウルトラマンなどに代表されるような、日本人のDNAに根ざしたこれまでの“勧善懲悪的”HERO像とはちょっと異なる、いってみれば「市井のHERO」、あるいは「“プロジェクトX”的HERO」とでもいうべきものだろうか?『HERO』という、ある意味「ベタ」なタイトルが付いていて、キムタクが主演を張っている以上、キムタクの「カッコ良さ」がヒロイックに捉えられるのもある程度仕方ないとは思えるが、物語の本質はこういう地味でコツコツしたところにあるんだろう。そして久利生に振り回されながらも、少しずつ変わっていく周りの人々、このあたりも脇を固める面々が好演している。ただ“変わっていく”といっても、その行き着く先が検察の「本来あるべき姿」なのかもしれないけどね。とにかく突っ込みどころも無くはないが、全体としてまあ楽しく観ることが出来た。今回は珍しく妻と長男の3人で観に行ったのだが、まったくドラマ時代のことを知らない長男が話についていけるかどうか心配したが、あとで話を聞く限り、一応理解はしていたようだ。ただラストシーン、あれはちょっと無いよな~..........というのが正直な感想(詳しくは映画を観られたし)。
2007年09月16日
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ナイターであれデーゲームであれ、プロ野球の試合の行なわれる時間帯は、私はたいてい仕事中だ。よって外に出ているときにはカーラジオ、店にいるときにはもっぱらネット観戦に頼っている。ネット観戦では、「YAHOO!スポーツ」の『プロ野球一球速報』を利用している。こういったものはあくまでもプレーの結果を伝えるだけで、その場の状況を肌で感じられるものではないが、まあそのあたりは贅沢言っても仕方ないだろう。こういう形で試合の状況を掴むことができるというだけでも、有り難いことには違いない。しかしこの「YAHOO!スポーツ」の『プロ野球一球速報』、ここ最近ちょっとグレードアップしたようで、細かなプレーの注釈がつくことが多くなった。例えば送りバントの失敗、これなど以前だったら単なる「内野ゴロ」としか表示されていなかったのだが、今では「送りバント失敗」という注釈がつくので、その状況がよく解かる。また「いつの間にかアウトカウントが増えていて」その状況がわからないということもよくあったが、これも「盗塁失敗」という注釈を入れてくれることで、その原因がわかるようになった。しかしこれだけではないのだ。例えばファインプレーが出ると「ダイビングキャッチ」というような注釈が付くし、ホームランが出ると、「高々と舞い上がる」という情景描写まで付いてくる。他にも見逃し三振では「まったく手が出ず」、内野ゴロだと「バットに当てただけ」など、結構これに携わるスタッフが、現場の状況をできる限り具体的に伝えようとしている、そんな努力が垣間見えるようになった。最近では、バッターが三振を喫したときに出た「投手ガッツポーズ」という記述、これには笑ってしまった。
2007年09月15日
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この9月はどうもおかしい。何がおかしいって、売上が全然振るわないのだ。とにかくウチの売上は、良くも悪くも納入先の飲食店筋の数字次第なのだが、これが軒並み苦戦しているのだ。まあだいたい例年、お盆過ぎからは数字が落ちてきて、9月というのもその流れで比較的低調に推移するのがここ数年の傾向だから、私もそれなりの想定はしていたが、それでも今年はどの店もその想定をはるかに下回る落ち込みようだ。何より奇怪なのは、今まで周りの店がどれだけ落ち込もうとも、比較的堅調だった一部の「繁盛店」までも、ここへ来て同じように落ち込んでいるということだ。だから単なる「二極分化」などという理屈で片付けることも出来ないのだ。ウチの店に来店されるお客さんも、時期を同じくして激減している。原因がさっぱり思い当たらない。一体何があったんだろう?
2007年09月14日
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『ユッスー・ンドゥール』という、アフリカはセネガル出身のシンガーがいる。セネガルといっても、ピンと来ない方が多いかもしれないが、あの「パリ・ダカ」の終点「ダカール」を首都とするアフリカの西海岸の国だといえば、少しはイメージしやすいかもしれない。まあそれはともかく、この人は90年代に、折からの「ワールドミュージック」のブームに乗って世界的に紹介されており、洋楽ファンの間ではそれなりに名前は通っていると思う。1998年のサッカーワールドカップ・フランス大会の大会歌を歌ったのも彼だし、日本では彼が歌ったビートルズのカヴァー、『オブラディ・オブラダ』が、クルマのCMソングに採用されたこともある。ただ私自身、アフリカの音楽自体にそう造詣が深いわけでもなかったので、以前チラッと耳にした彼の音楽に対して、確かに個性的ではあるけど、あくまでも今風のファンキーさが前面に出過ぎていて、あまりアフリカっぽさを感じるようなものではないな、という程度の浅い認識しかなかった。その後彼の音楽のこともすっかり頭から離れていたのだが、つい最近ネット上で、偶然彼のライブラリーを目にする機会があり、そのとき1枚のCDジャケットに妙に惹かれるものを感じてしまった。『Nothing's In Vain』と題されたこのアルバムのジャケットには、ほとんど「廃墟」となっている街角でサッカーに興ずる子供たちの写真が使われている。そうかー、ユッスーはこんな風景のところで生まれ育ったんだなぁ、と思わせるジャケットだ(ただ実はこれがとんだ誤解で、本当は戦下のアフガニスタンのカブールの光景だということを後になって知った)。 ナッシングス・イン・ヴェインネットの視聴機能を使って一部の音源を聴いてみたところ、これが今まで私の知っていたユッスーの音とはまるで違う、何とも素朴な感じの音がした。意識的に現地の民族楽器を多用している点も、他の作品とは明らかに一線を画しているようだ。まあ音の方はともかくとして、このジャケットに見入っているうちに、次の瞬間には思わずネットの購入ボタンをクリックしていた。かつてレコード店で、あまり情報が豊富で無いジャンルのレコードを買う際に、よくジャケットの雰囲気だけで「エイヤッ!」と“ジャケ買い”したことがあるが、ネットショップで“ジャケ買い”などするということは、ほとんど有り得ない。ところが実際にCDが手元に届き、早速プレーヤーで再生してみると.........これがなかなかいいのだ。ただこれはある意味、好き嫌いが真っ二つに分かれてしまう作品かもしれない。音はあくまでも「土着的」で、たぶんこれまでのファンキーなサウンドに慣れている人には、ちょっととっつきにくいかもしれないし、ヴォーカルスタイルもこのアルバムに限って言えば、一語一語を噛み締めるような、非常にねちっこい歌い方をしている。しかしそのことでかえって、このアルバム全体を貫いているテーマである「愛」だとか「平和」といった、ある意味シンプルかつ普遍的なコンセプトが、極めてストレートに心に響いてくる気がするのだ。もとより彼の歌う言語は、セネガルの公用語である『ウォロフ語』と、かつてセネガルを植民地支配していた『フランス語』のふたつで、いずれも私には理解不能の言語だということも、余分な先入観を持たずに聴けるという点では良いことかもしれない。どちらかというと素朴な雰囲気のサウンドも、それを後押ししているかのようにも思える。ジャケット写真に、アフガニスタンのカブールの風景が使われていることからも推測されるように、この作品自体、例の「9・11テロ」とその後のアメリカの軍事行動に影響を受けて作られたという側面もあるようだ。前述したジャケット写真の光景と、『Nothing's In Vain』―――ムダなことなど何も無い―――というアルバムタイトルは、社会的にも影響力を持つといわれている彼なりのメッセージなのだろう。
2007年09月12日
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以前の日記で紹介させていただいた、末娘の夏休みの自由研究『野菜のリサイクル』が、学校代表としてめでたく市の科学展なるところに出品されることになり、今日その会場へ見に行ってきた。しかし他の子の作品なども見ていると、みんな結構力が入っている。時間も掛けているだろうし、また着眼点も良い。ひょっとするとある程度、親の手が入ってたりするのも有るのかな、などと不謹慎なことも思いながらも、感心しながら見入ってしまった。
2007年09月10日
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約1年前に『この道の果て』という日記で、ウチのすぐ近所を通っている国道365号線というのが、私が考えていたよりもはるか遠く、越前海岸まで通じていてビックリした、ということを書いた。そしてそのときに、いつかこの道を通って、終点までドライブしたいものだ、とも思った。昨日の日記に書いたように、今日は末娘のバトントワリングの全国大会で、出場する末娘と観覧する妻+長女は東京に行っているし、長男は部活で1日中家に居ない。こういう「誰もクルマを使わない日」というのはそう滅多にあるものでは無いので、これはチャンスとばかりに、朝から国道365号線に沿って、一路越前海岸を目指すことにした。 ↑ココが起点。朝8時頃に自宅を出発。明け方に土砂降りだった空は、今はどんよりとしている。1時間ちょっとで三重・岐阜の県境を越え、関ヶ原に到着。ここまでは何度も通ったことのある道だ。ただ古戦場としての関ヶ原というのにはじっくりと触れたことはないのだが、今日もちょっと脇道にそれただけで、古戦場後をチラッと見物する。しばらく走って滋賀県に入ると今度は沿線に、関ヶ原よりちょっと古い『姉川の戦い』の古戦場があり、ここでもちょっとだけ立ち寄る。この辺りになると晴れ間も見えてきた。ちなみにこの辺りで自宅から電話があり、誰かと思えば長男だ。野球の試合のはずじゃないか、と思ったら、試合開始前に雨がひどくなってきたので、試合は中止となり早々に帰ってきたのだという。悪いが彼には、私が帰るまでの留守番をしてもらう羽目になってしまったが、しかしこちらは天気が回復してきてるというのに........。さらに走ると今度は次第に山の中に分け入って行く。周りにも民家などが見られなくなってくる。JR北陸本線や国道8号線よりも、ずっと内陸の位置をキープしつつ、そしてここで滋賀・福井の県境を越えるのだ。西の方向の海側に眺望の開けたこの高い橋が、県境になる。福井県にはいると今庄という町があるが、ここは「そば」で有名なところだ。『今庄そば道場』という、そば打ちの体験できる施設もあり、ちょっと早いがここで昼食を済まそうと決めて行ったのだが、残念ながらここはあくまでそば打ちをした人が、自分の打ったそばを食べるだけのところなので、食事のみの客は受け付けていないという。それなら、ということで近所のそば屋を紹介してもらったところ、『おばちゃんの店』というところが良いよ、と紹介された。地元農協の敷地内に在って、その関連団体か何かが運営しているような店だ。ここで800円也のそば定食を食べる。ここのそばは「おろしそば」が主流のようで、定食にもおろしそばが付いていたが、なかなか美味しかった。そこからさらに北上し、旧・武生市内(今は「越前市」という名前に変わっている)を抜けると、あとは一直線に日本海に向かう。そして、365号線の起点から165km、時間にして4時間ちょっとをかけて、無事終点の「越前町・梅浦」に到着。本当に私の地元とこの漁村が、1本の国道で繋がっていると思うと、何だか妙な気分になってくる。↑ココが終点今回のように、「ひとつの国道の基点から終点までの行程」でのドライブというのも初めての試みだし、他人から見たら極めて酔狂な行為に映るかもしれないが、これはこれでなかなか面白いものだ。当たり前の話だが、出発から終着まで、常に[365]の標識に見守られながらのドライブだが、それが不思議な「安堵感」として私を包み込む。そして走行している間にこの道が様々に表情を変えていく、その変遷を眺めるのが実に面白いのだ。また365号線というのが、例えばいわゆる“一ケタ”号線などのような幹線道路でもなく、長さも交通量も適当だし、各部分々々がいずれも古からの人々の往来の舞台となっていたそういう歴史の一端が垣間見えたりして、興味深くもあった。せっかくだからということで、終点からちょっと足を伸ばして越前海岸の景観を堪能し、土産を買って、帰りは高速で帰ってきた。ちなみに今日アップした写真の画質が押しなべて悪いのは、末娘のバトンを撮るのに妻にデジカメを分捕られて、仕方なく私のケータイで撮ったからなのだ。
2007年09月09日
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ウチの小3の末娘は、バトントワリングのクラブに入っている。最初は幼稚園の頃、ホンのお遊び程度のクラブに入ってやっていたのが、年齢が上がるとともにだんだんとグレードアップしてきて、今入っているところは結構厳しい指導の、本格的なところだ。その間についていけなくなって辞めていった子も多かったが、ウチのムスメは生来の能天気さで何とかついて来ている。で、このクラブが、明日東京で開かれる『ジャパンカップ』という、バトントワリングやらマーチングバンドの全国大会に出場する。というわけでムスメは今朝、他のメンバーたちとバスに乗って、一路東京に向かった。中には一緒に親がついて行く子もいたようだが、ウチの場合は店があるからそれは無理。その代わりに明日の大会には、妻が長女を伴って日帰りで見に行くことになっているし、ばあちゃん(妻の母)も東京で合流して一緒に観るらしい。まあムスメにとってもこういう大会はいい経験・思い出になるだろうけど、下世話な話をさせていただくと、親の立場からするととにかくカネが掛かるのが悩みのタネだ。初め遊び同然のレベルでやっていた頃には微々たる額だったのが、レベルが上がるのに比例して出費も増え、また大会に出場するとなると、普段以上の特別レッスンはあるし、衣装代がまたバカにならない。その上、東京までの交通費と滞在費などを含めると、結構な額に膨れ上がる。決して裕福なわけではないウチとしては、毎年のように大会で東京に行かれると、家計的には非常に苦しい。かといって、カネが無いからバトンを辞めろ、ということも言えない。しかし妻はぶっちゃけたハナシ、バトンを続けていくにしても、毎年大会には行かせられないよ、という様なことは言ってあるそうだ(一応大会は任意の参加となっている)。まあひょっとしたらムスメの方から、嫌気がさして「辞めたい」といってくるかもしれないし、とりあえず大会が終わったらちょっとはゆっくりするだろうから、落ち着いて話をしてみたいところだ。
2007年09月08日
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少々前の話になるが、中2の長男はこの夏休みに某予備校の「夏期講習」に参加していた。そこでは習熟度別に3つのクラスに分けられており、長男は一番上のクラスだった。ただそのクラスは「Aクラス」とでも呼ぶのかと思ったら「Tクラス」なのだという。ちなみに真ん中のクラスは「Hクラス」で、一番下のクラスが「Aクラス」というのだそうだ。でこのことを、妻が「どういう意味だと思う?」と私に振ってきた。ちょっと想像がつかなかった。よく私立高校に「特進クラス」というのがあるから、「T」は「トクシン」という意味かなー、などとおぼろげに考えたが、そうするとあとの「H」と「A」の説明が難しい。妻に教えてもらったところ、「T」は“トップ”クラス、「H」は“ハイ”クラスなんだそうだ。ただ妻も、最下位の「Aクラス」というのが分からないという。ただ子供たちは子供たちなりに独自の解釈をしているようなのだ。曰く「T」………「天才」「H」………「普通」「A」………「アホ」なるほど、その方がはるかに分かりやすい(笑)。
2007年09月07日
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ウチの店が商品の地方発送などに使っている、とある大手宅配便会社から電話があった。「あのー、実は先日お預かりした荷物なんですが、配達先の方が全然つかまらなくて戻ってきたんですが.......」ただその荷物というのは、ウチが先月初旬に出したものだ。つまりほぼ1ヶ月の間、放ったらかしになっていたということになる。ちょっと「有り得ない」ハナシだ。普通こういった宅配便だったら、不在票など入れて1週間も音沙汰がなければ、依頼店まで連絡が来るはずだが、この1ヶ月の間、まったくそういった話はなかった。案の定、電話を掛けてきた女性事務員の話によると、担当ドライバーがうっかりしていたということらしい。しかもこのドライバー氏の話によれば、配達先は不動産屋さんなのだが、何と「廃業」していたというのだ。ただこの荷物というのが、ウチのとある得意先から「お中元」(時期的に遅かったので、実際は「残暑見舞い」として出した)として依頼されたものなので、このままではちょっとまずい。ウチのミスではないが、恥を忍んでその依頼主に電話をして、コトの顛末をすべて話した。「えーっ、あそこ廃業なんかしてないよー!?」独りでやっておられるところなので、確かに留守がちになってしまうようだが、間違っても廃業などしていないという。とにかく配達に行ったドライバー本人にそのあたりの詳しい話を聞かないとどうにもならないので、その人から直接ウチまで電話してもらうようにお願いした。しばらくしてその担当ドライバーから連絡があり、その様子を事細かに尋ねた。それによると先方の不動産屋さんには10回ほど足を運んだが、いずれもシャッターが閉まっており、不在票も2回入れたもののまったく音信が無かったとのことだった。「で、シャッターには移転とか閉店とか、何かそういった貼り紙のようなものはなかったんですか?」と、まるで事情聴取さながらに問い質すと、「いや、特に何も無かったです」ということで、会社には「廃業したようです」と説明したという。「勝手に潰すなよ~!」結局は彼がろくに確認も取らないまま「廃業したようだ」と勝手に判断し、しかもそう判断するまで1ヶ月もの間、グズグズしていたわけだ。なんともいい加減な配達員だ。とりあえず会社には再度連絡を取り、依頼主から聞き出したその不動産屋さんの姉妹店の方へすぐに届けてもらうよう、指示しておいた。とりあえず電話に出た、責任者と思しき人は、「どうも申し訳ありませんでした」と終始平謝り状態だったが、会社としてこの一件について、どのような謝罪をするのか、あるいはしないのか、ちょっと見ものだ。
2007年09月06日
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先日大阪に行ったときに、立ち寄った酒屋で買い求めたものだ(別に大阪でなければ買えないものでもないが)。『獺祭 純米吟醸 遠心分離50』『獺祭』と書いて『だっさい』と読む。山口県の『旭酒造』という蔵元で造られている。ここのウリは「酒米の高精白」と、搾り時の「遠心分離システム」だ。ここの看板商品に『磨き二割三分』というのがあって、この商品の精米歩合<23%>というのは、おそらくは今日本で最も高精米だと思う。ただ私自身はさほど精米歩合にこだわるわけではなく、私の買い求めたこの商品は<50%>の純米吟醸だ。それよりも「遠心分離システム」の方が、以前から気になっていた。これはどういうものかというと、発酵した「もろみ」からお酒を搾るとき、遠心力を用いて酒と酒粕とに分離させるというものだ。通常の酒造りでは、もろみに圧力をかけて“文字通り”「搾る」わけだが、圧力をかけた分、雑味も一緒に出てきてしまうし、圧搾機械の素材のクセが酒の味に付いたりすることもある。だからどこの蔵でも超高級な酒を搾るときには、もろみの入った袋を吊り上げて、自然の重みで「ポタッ、ポタッ」と少しずつ落ちてくる酒の雫を下で受け止める、そんないわゆる『しずく取り』という手法を用いることが多い(『雫酒』、『斗瓶取り』、『袋吊り』などと呼ばれることもある)。ただこの『しずく取り』というのは、もろみの量に対して搾られる酒の量が極端に少ない上に、おそろしく時間もかかるので効率が悪い。だからどこの蔵でも、よほどの高級酒にしかその手法は用いられていないので、なかなか日常的に口に入るものではないのが現状だ。そこで考え出されたのが、この「遠心分離システム」だ。詳しいメカニズムについては私にもよく解からないが、要は圧力をかけることなく、尚且つ時間も掛けることなく、『しずく取り』レベルのお酒を搾ることができるというものだと理解している。しかし日本発の導入ということで、コストやメンテナンスなどの面で幾多のハードルがあったかと思われるが、それでもこの内容で720ml@1,575円なら、決して高いとは思わない。肝心の味の方だが、残念ながら遠心分離システムの特質を酒の味の中に見出すというのは、ちょっと難しい、というか、そこまでする必要は無いかもしれない。結果的に美味い酒をリーズナブルな価格で飲むことができれば、それでいいわけだから。50%精白の純米吟醸のわりには、香りは控えめだが、吟醸香が鼻につくのがあまり好きではない私にとっては、これくらいがちょうどいい。スッと口に入って、口の中でふわっと膨らむ、余韻は残るがしつこさは無い。そして杯を重ねるごとに旨味が増していくようだ。試しにお燗もやってみたが、これがまたすごい。酒の中の米粒がキラキラと輝いてるようだ。こと日本酒に関しては「手造り」を尊ぶ風潮から、どうしても「機械化」というものには愛好家の間に多少の抵抗感があるようにも思える。この「遠心分離システム」にしても、一般的な評価がどうなのか、私にもよく分からない部分はあるが、例えば大手メーカーがコスト削減のために機械化を推進するのはともかくとして、常に「美味い酒を造りたい」という理念の下に進められるものであれば、それはそれでいいことではないかと思う。 獺祭 純米吟醸 720ml遠心分離
2007年09月04日
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今日から子供たちも新学期、元気に登校していった。さてこの9月の初日というのは(今年はたまたま3日だったが)、新学期という節目でもあるが、我々にとっても何か節目を痛感する。1年を3等分した最後のパーツの初日だということもあるが、それだけでなく9月1日は、他の月の1日とは、ちょっと意味合いが違う。実際暑さはまだまだ続くが、この前日で夏が終わり、この日からいよいよ秋が始まる、そんな期待感がある。秋が始まれば秋の商材の動きも活発化する。実際、秋限定ビールなども既に先月から発売になっているし、ボージョレ・ヌーヴォーの予約も始まっている。今月半ばには、いよいよ「ひやおろし」清酒もお目見えする。そしてこの9月から年末までというのが、また異常に早い。この4ヶ月は、他の時期の4ヶ月よりも確実に早い。秋物だ何だといっているうちに、今度はお歳暮商戦、そして忘年会シーズンと、怒涛の如く押し寄せてくる。ちょっとボーッとしていると、あっという間に乗り遅れてしまう、そういった時間の流れを毎年感じている。そんな4ヶ月間の始まりという意味でも、確かに今日は節目なのだ。
2007年09月03日
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夏休み最終日ということもあり、家族で食事に行こうということになり、自宅からクルマで20分ほどのところにある、私のお気に入りのパスタ専門店に行った。何だかここのところ、無性にこの店の『鉄板イタリアーノ』が食べたいと思っていたので、迷わずここに決めた(幸なことに家族でどこかに出かけるときの行き先決定権は、ほとんど親が握っていて、子供からリクエストが出ることはあまり無いのだ)。『鉄板イタリアーノ』とはどんなものか、画像があれば説明もしなくて済むんだろうが、何せこのブログの存在を家族に内緒にしている手前、変に料理の写真を撮っていたりすると、「オトウサンがまた変なことしてる!」などと訝られるのは必至なので、あえて写真には収めていない。が、要は、木枠の付いた鉄板の上に卵が敷いてあって、その上にケチャップ味の普通のイタリアンスパゲッティが盛られており、グリーンピースとウィンナーソーセージがお約束のように添えられている、そういったシンプルなものだ。今でこそあまり見かけなくなったが、私の小さい頃に喫茶店で出てくるスパゲッティといえば、例外無くこういうものだったという記憶がある。といっても私は幼少の頃から喫茶店に入り浸っていたわけではない。たまたま私が小学校の頃、一時期よく遊んだある友達がいて、彼の家へ毎日のように遊びに行っていた。その彼の家が喫茶店を経営していて、彼の母親はおやつの時間になると、よくスパゲッティを作って我々に食べさせてくれたのだが、そのスパゲッティがまさにそんな『鉄板スパ』だったのだ。だから私にとってのスパゲッティの味というのは、その友人宅で食べたものがノスタルジーとともにずっと残っていたのだ。その後今までにいろんなパスタ専門店へ行って、それなりに美味しいスパゲッティを口にする機会はあったが、やっぱりこの『鉄板スパ』のことを思うと、一抹の物足りなさを感じてしまうのだった。だからいまだにパスタ専門店へ行って、この手の『鉄板スパ』がメニューにあると、ついついオーダーしてしまうのである。
2007年09月02日
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