全21件 (21件中 1-21件目)
1
相変わらず私は花粉症と仲良しだ。一時小康状態になったものの、特に3日前位からはまたひどい発作が始まった。もともと私の花粉症は、4月頃に始まって5~6月頃まで続く「遅めの」タイプだ。じゃあこれは「スギ」ではなく「ヒノキ」じゃない、などと周りの人に言われるが、もうこの期に及んでは、アレルゲンが何であるかなどもうどうでもよくなった。オマケに今年は始まりも人並み(2月頃)だったから、そうするとヘタをすると1年のうちの半分近く、花粉症さんとお付き合いをせねばならないということだ。マスクも相変わらず手放せないでいる。これももはや花粉をブロックするというよりは、容赦なく垂れてくる鼻水を公衆の視線から隠すためのツールとなってしまった。ただこれだけ気温が上がってくると、マスクの中がどうしても蒸れてくる。その不快感をどうするかが、これからの季節の課題だ。
2007年04月30日
コメント(0)
連休最初の休日は天気も上々で、子供たちを連れてどこか近場にでも出かけようと思っていたら、あいにく子供たちは既にそれぞれに予定があって、かえって私が弾き飛ばされてしまった格好になった。それなら、ということで映画に出かけた。今回は『バベル』だ。何かと前評判の高い映画だったので、それなりに期待感もあったものの、見終わった時には何だかちょっと、消化不良の感覚だけが残った。モロッコ、メキシコ、そして日本という、3ヶ国を舞台とした3つの物語が結構細かく入り混じりながら、物語は進行していく。この3つの物語はそれぞれがリンクし合っているというのだが、関連性はあっても、それが物語の主題を解明していく上でどのように影響を及ぼしていくのか、よく見えない。先日観てきた『ボビー』のように、いくつもの「糸」が絡み合いながらラストに向かって次第に1本にまとまっていくのではなく、私の中では、3つの物語は最後までバラバラだった。確かにこの映画の持つテーマ―――すなわち「言葉の通じない、心の通じないもどかしさ」―――というのはよく伝わってきたのだが、では私たちが感じたそのもどかしさを一体どうすればいいのか?「言葉と心の通じない不幸」を嘆くだけで終わってはいないか?私の見方が浅いのかもしれないが、それに対する、製作者側のメッセージなり問題提起のようなものが感じられなかったのが、ちょっと残念だ。
2007年04月29日
コメント(2)
「山梨大生が急性アルコール中毒死、サークルの飲み会で飲酒」まったくいつまでこんなことをやっているんだろう?記事の中では、「イッキ飲みは無かった」という談話が載っていたが、普通の飲み方をしていて、急性アルコール中毒になることなどあるはずが無い。「死人に口無し」とも言うし、ここは何らかの無理な飲ませ方をさせられた可能性が高くはないか?私自身、アルコールには弱い体質なので、酒の無理強いをされる辛さはよく分かる。いまでこそ「アルコール・ハラスメント」という言葉も出来たが、私の若い頃はそんな概念すらなく、酒の弱いものはただただ肩身の狭い思いをするほか無かった。まだ大学時代は、たまたま私の属していた様々なグループのどれもが、酒の無理強いをするような無茶な先輩の居ないところだったので、それなりに平和に過ごせたが、卒業後に就職した先の会社には、今思えば理不尽な先輩・上司が居た。会社の宴席ともなると、「如何にして逃げるか」ということばかり考えていて、私には苦痛でたまらなかった。「注がれた酒は飲まないと失礼だ」......なるほど確かにそうかもしれない。しかしどうしても飲めない時の、礼を失しない断り方など、誰からも教えてもらえなかった。「誰でも練習すれば飲めるようになるから、お前は鍛え方が足らんのだ」......いや、そういう人ばかりではない。体質によってはいくら練習しても強くなれない人もいることは、科学的に実証されている。とにかく酒飲みの論理というものは、時として常軌を逸するものがあるが、不幸なことに言っている本人にはそういう認識が無く、また周りの雰囲気も彼に同調したりするから始末が悪い。これをお読みになっている賢明な方々には、よもやこういう理不尽な方はいらっしゃらないとは思うが、本来楽しいはずの酒の席が苦痛な席になったり、ましてやそれで命を落とすようになるなどもっての外である。
2007年04月27日
コメント(10)
ウチにたまに買いに来られるあるお客さんが、「ウィスキーのスキットボトルを探しているんだけど、どこを探しても売っていない。おたくで取り寄せることは出来ないか?」と訊いてこられた。あいにくウチでは売っていないが、知り合いに業務用の厨房用品などを扱っている店が有るので、そこで訊いてみますよ、と答えた。ただそこに問い合わせたところ、結構値段の高いものしかなく、最安値で6千円の物しかなかった。これではちょっと予算オーバーだろうと思い、参考までにネットで検索してみたら、複数の店で2千円前後の物がいろいろ出てきた。そのあたりの状況をそのお客さんに伝えたところ、やはりさすがに6千円は出せない、かといってネット通販などやったことが無い、ということだった。そこで私は、ウチが代わりにネット通販で購入してあげましょうか、という提案をした。そのお客さんが、是非お願いしたい、ということだったので、ウチで購入して彼に引渡した。手数料など取らない、まったくのボランティアのようなものだが、お客さんがとても喜んでくれたのでまあいいか、という気持ちになった。ウチの周りの住民は結構高齢化していて、インターネットなどまったく使えない方もきっと多いと思うが、こういう代行サービスをやってあげると、結構需要はあるかもしれないな。ただこれで手数料をとって「ビジネス」にしてしまうのはちょっと気がひけるから、やるのならあくまでも無報酬だと思っているが、それが廻りまわって本業の方に良い影響が出ればそれでいいかな、とも思う。
2007年04月26日
コメント(4)
先日、妻に頼まれてゴミ箱のゴミをゴミ袋に移し替えているときに、ふっと思い出した。今ウチで使っているゴミ箱の中の一番の古株は、私が大学を卒業して、初めて勤めた会社の寮に入る折、近所のスーパーで買ったものだということを。どこにでもあるようなプラスチック製の安物のゴミ箱だが、もう20年以上使っているのだなあ。その間に住まいも4回替わっているが、ずっと一緒だったということだ。しかしそうやって見てみると、私の周りには意外と長持ちしている物があることが分かった。例えばそのゴミ箱よりもさらに遡って、大学時代に下宿で使っていた「毛布」と「洗濯用ハンガー」が、いまだに現役だ。極めつけは「ドライバーセット」だ(もちろんゴルフクラブではなく、工具の方である)。これは確か中学生時代に、某カセットテープ会社から景品で貰ったもので、その会社のロゴが入っている。そのころカセットテープの市場では、「M社」と「T社」が2大メーカーとしてしのぎを削っていたが、お互い販促策として、定期的にキャンペーンを実施していた。カセットテープのラベルに付いている点数クーポンを集めて送ると、その点数に応じてカタログに記載された様々な景品がもれなく貰えるというものだ。当時必死になって集めていた記憶があったが、その“戦利品”の中のひとつが、いまだに生き残っているというわけだ。しかし何事にも、「上には上がいる」というものだ。私の妻は、小学校3~4年生の時分に、プールに持っていく為にと買ってもらったスヌーピーのバスタオルを、今なお使い続けているそうだ。よっぽど丈夫な縫製だとみえる。
2007年04月24日
コメント(2)
昨日の日記の中で取り上げた2冊の本の内容には、読む人によっては偏った考え方がなされているという印象を与えるかもしれない。特にお燗を礼賛し、「『吟醸酒』や『生酒』などを冷やして飲ませる習慣が、日本酒をダメにした。」とこれらの酒を否定的に捕らえているくだりがあるが、これは決して「吟醸酒」や「生酒」を根底から否定しているというわけではない。著者が何を言いたかったかというと、造りのしっかりしていない酒は燗をすると腰砕けになってしまうので、そのカムフラージュのために敢えて冷やで飲むことを提案するとか、造りの悪さをごまかすために、醸造用アルコールを添加したり高い香りの出る酵母を用いたりして、敢えて軽やかで香り高い酒に仕上げるとか、そういう姿勢の蔵が少なからず存在するということなのだ。私自身も「吟醸酒」も「生酒」も、あくまでも選択肢の一つとしてお客に提案してきたし、これからもそうしていくだろう。ただひとつ、その中で気が付いたことがあるのだが、「吟醸酒」や「生酒」を気に入ってそこから入られた方が、日本酒のコアなファンに育っていく確率は案外低い、ということだ。即ち「吟醸酒」や「生酒」の魅力は、日本酒“本来の”魅力とはイコールでなく、言ってみれば「亜流」のようなものだと言える。端的に言えば、日本酒“本来の”魅力とは「米の旨味」と「熟成感」であると考えられるが、「吟醸酒」や「生酒」などの魅力はある意味その対極で、「薫り高さ」と「瑞々しさ」だと言える。もちろん、どちらかが正しくてどちらかが間違っている、というようなことではない。しかし「本流」の魅力を理解せずして、「亜流」にばかり接していると、いずれ飽きが来ることになるというのは、何も日本酒に限った話でもないだろう。事実、「吟醸酒」や「生酒」のブームを迎えても、その段階で日本酒の売上数量自体は決して増加に転じなかった。日本酒の人気が衰え、蔵元がバタバタと廃業しつつある今こそ、日本酒“本来の”魅力でお客を掴んでいかなければいけないと思う。ちょうど野球のピッチャーになぞらえると、「ストレート」が走ってなければ「変化球」が生きてこないのと同じことだろう。つまり「吟醸酒」や「生酒」のような、いわば「変化球商品」も必要だけれども、それも「ストレート」たる「基本の酒」がキチンと造られていなければ何もならない。また我々売る側も同様に、日本酒“本来の”魅力をキチンとお客に理解していただいた上で、TPOに応じて「吟醸酒」や「生酒」を勧めていくのが王道なのだろうな、と改めて感じた。
2007年04月23日
コメント(4)
![]()
最近読んだこの2冊の本、 『世界一旨い日本酒』 『純米酒を極める』それぞれに書かれていることには、共通していることが多い。かいつまんで説明すると、・日本酒は本来、「純米酒」が基本である。・それを熟成させて、なおかつ「燗」で飲むのが、最も旨く飲める飲み方である。・「吟醸酒」や「生酒」などを冷やして飲ませる習慣が、日本酒をダメにした。・キチンとしっかり造った日本酒は、それほど早く劣化することは無く、十分熟成に耐え得る。・そうやってキチンとしっかりとした造りをしている蔵が、案外少ない。などなど......。細かい部分では私とはやや考え方の異なる部分もあるが、概ねこれらの意見は、私が今後の日本酒の将来を見据えて感じていたこととほぼ重なる。「キチンとしっかりと造られた酒」を見極める能力は、恥ずかしながら私自身、十分に持ち合わせているとは言えない。しかしそういったものを提案していくことが、結果的に日本酒ファンの裾野を広げていくことに繋がるのは、間違い無いだろう。
2007年04月22日
コメント(6)
テレビのスポーツニュースを見て、気が付いたことがある。今日本のプロ野球には、韓国人が何人か在籍しているが、民放では彼らの名前はすべて「漢字」で表記されているのに、NHKでは何故かみんな「カタカナ」表記なのである。新聞の表記も漢字だし、球場のスコアボードを見ても漢字で書かれているから、それに合わせればいいと思うのだが、そこまで頑ななのには、何か訳があるのかもしれない。NHK内部の、自主基準なのかもしれない。まあそれはどうでもいいのだが、韓国人といえば、野球選手以上にメジャーな存在なのが、いわゆる「韓流スター」だ。で、こちらはと言うと、名前はほぼ100%カタカナ表記だ。これはそもそも、韓流ブームの火付け役となった『冬のソナタ』が、NHKで最初に放送されたことが、大きく影響しているのかもしれないな。そうすると、『ぺ・ヨンジュン』にしても『チェ・ジウ』にしても、それに相当する漢字表記があるはずだ。しかしそれはまったく日本では見られない。見てみたいなー、『ぺ・ヨンジュン』を漢字で書くとどうなるのかを。ひょっとしたら、、『ぺ・ヨンジュン』が漢字で書かれていたら、今のような「ヨン様」ブームはちょっと違った様相になっていたかも......!?
2007年04月19日
コメント(3)
昨日の日記で、映画『ボビー』の感想を書いた。書きながら、志半ばにして凶弾に倒れた「ロバート・F・ケネディ」の無念さを思いやっていたら、なんと今度は日本でも、同じように政治家が凶弾に倒れるという、とんでもない事態が起きた。この2つの事件は、その背景や動機などは異なったケースではあるが、武力によって言論を封殺するという点ではまったく同じだ。何年経っても、人間というものは賢くなれないものなのか。
2007年04月18日
コメント(2)
地震の恐怖もものともせず、一昨日は昼から映画を観に出掛けた。“ボビー”の愛称で親しまれた『ロバート・F・ケネディ』が銃撃を受けた日の、その現場である『LA・アンバサダーホテル』の1日の模様を、多様な人間模様を織り交ぜながら描く映画、『ボビー』だ。この映画の最大の特徴は、タイトルにもなっている主役の『ボビー』が出てこないということだ。いや正確には、『ロバート・F・ケネディ』が演説したりしている当時のフィルムが、場面場面に散りばめられている。それらと、他の22人の登場人物の演技をシンクロさせながら、クライマックスへ向けて進んでいくのだ。そういう意味では、この日にこのホテルに集った22人全員が主役であるとも言える。その中にはお客もいれば、ホテルスタッフもいる。シンガーもいれば選挙関係者もいる。この22人の登場人物の人生観の中に、ボビーが透けて見える。ここに登場する人達は、皆等しく自分なりの幸福と平和を追い求めているが、それはボビーが追求していた理念そのものなのだ。彼は争いを拒み、差別を否定した。ベトナム戦争からの撤退も、彼の最大の公約だった。そうした彼の崇高な理念に基づいたスピーチは、今私たちが聴いても、とても感動的だ。「美しい国」を標榜する、どこかの国の首相にも是非聴いてもらいたいものだ。しかしその理念もさることながら、なぜあちらの国の人は、皆あんなに演説が上手いのだろう。言葉に魂がこもっているのだ。わが国の政治家の皆さんも、言葉に力を入れてはいるが、魂のこもった演説というのは、ついぞ聴いたことが無い。それにしても、ホテルに集うバラバラな人間模様をクライマックスに向けて次第に収斂させていくこの手法...........、どこかで観たことがあるなー、と思ったら、あの三谷幸喜の『THE・有頂天ホテル』とそっくりなのだ。別にどちらかが真似したというわけではないだろうが、非常によく似ている。ただ、クライマックスが「楽天的」か「悲劇的」かの違いはあるけどね。
2007年04月17日
コメント(2)
今日の昼頃、結構強い地震があった。亀山市が震源だそうで、ここからは20数kmの距離だ。体感した限りではおおよそ震度4程度かなと思ったが、あとでテレビで確認したところ、やはりこのあたりは震度4であった。ここまで大きく揺れたのは、本当に久し振りだ。しばらくは電話も繋がらない状態だったが、外を見ても何ら異常は無く、ただいつもどおりの風景が広がっていた。特に死亡者は無かったみたいだが、ウチの店ではワインが1本、床に落ちて破損した(売値1,890円)。まあこの程度で済んでよかった、というところか。
2007年04月15日
コメント(13)
今日妻から、ちょっと信じられないような話を聞いた。子供同士が同じ幼稚園の同級生だった縁で妻がお知り合いになった、Mさんという方が居られる。ただ特に親密なお付き合いをしていたわけではないので、子どもが幼稚園を卒園して以来、疎遠になって、もう何年にもなる。そのMさん夫婦が2年前に離婚した、という話を、妻が別の共通の知り合いから聞いてきた。奥さんが2人の子どもを引き取って、実家のある町に引越して行ったそうだ。そしてここからがスゴイ。独りになったMさんの元ダンナさんが最近再婚したそうなのだが、その再婚相手がなんと、Mさんの子供が通っていた幼稚園のS先生だというのだ。その歳の差、ちょうど「干支一回り」だ。S先生にはウチの子供も担任を持ってもらったことが有ったのでよく知っているが、志穂美悦子(古いなー)に似た感じの、ワリと美形な先生だ。元ダンナさんの方も、私は直接会ったことは無いが、歳のワリには若々しいイケメンタイプらしい。いやいや、年齢や容姿のことはどうでもいい、問題はここからだ。Mさん夫婦の離婚が2年前ということは、その時点で彼らの子供は既に小学生になっているので、幼稚園とはとっくに縁が切れているはずだ。たまたま離婚して独りになった元ダンナさんが、何かの機会にどこかで偶然S先生に出会い、お互いに愛が芽生えた........なんてことが有り得るだろうか?それはちょっと考えにくい........ということは、Mさん夫婦の離婚に何らかの形で、S先生が絡んでいたと見るのが自然だろう。そう、ズバリ「不倫」だ。ひょっとするとMさんの子供が在園中から、ふたりの間に何かあったのかもしれない。まあ断定は出来ないが、状況から見るとかなりその確率は高そうだ(というより、母親同士の噂話レベルでは、完全にそれが規定路線になっている)。しかしもしそれが真実だとしたら、子供たちには何らかの形で、心の傷を負わせてしまっていることになる。母親がどういうタイミングで、どの程度のレベルまで真実を話すか分からないが、子供たちも大好きだった(であろう)S先生が、実は父親を奪っていった憎い女だという事実は、あまりにも残酷だ。幼稚園の卒業アルバムなんてのも、見るのもおぞましいという心境だろうが、逆に捨てることの出来ないものでもあるしね。S先生にしても、初婚が決して祝福されない結婚になってしまい、彼女のご両親の心中も察するに余りあるし、幼稚園の園長先生への風当たりも強くなりそうだ。しかしまあこういう、映画や小説の中のような出来事が、こんな身近で起こるとは........。
2007年04月13日
コメント(2)

先日の日記で私が絶賛した「花見団子」だ。もちろん画像では味は分からないが、もっちりもちもちとした食感を感じ取っていただけるだろうか。
2007年04月12日
コメント(10)
一昨日の日記で、映画『不都合な真実』のことに触れたが、この映画はもともと他の地域では2~3ヶ月前に封切られていたものだ。それが私の街では今頃になって初めての上映と、かなり後れを取っているのだが、これにはちょっとワケがある。私の街には映画館が2ヶ所あり、ひとつは大手資本の経営による「シネコン」、もうひとつは地元で細々と続いている「単独館」だ。この『不都合な真実』は当初「単独館」で、もっと早い時期に上映される予定になっており、私もそのつもりで楽しみにしていた。しかしある時、その「単独館」の予定表から『不都合な真実』の名前がパッタリと消えて無くなっているのに気が付いた。そのころはもう他の地域で上映が始まっており、メディアなどでも結構頻繁に取り上げられて話題になっていたから、おかしいな、と思っていたところ、もう少し経ってから今度は逆に「シネコン」の方で、4月に入ってからの上映予定が掲載された、といった顛末だ。私は映画業界についてはまったくの門外漢だからよく分からないが、察するところ、「単独館」としては「シネコン」に横取りされた、といったことではないだろうか?この2つの映画館を今まで見てきた限りでは、いわゆる「大作」とか「話題作」といったような、お客の入りがかなり見込めそうなものは「シネコン」で上映され、それ以外のものが「単独館」に回されているようだ。だから「単独館」で上映される作品は、相対的に“地味な”作品が多い。で、ここからは推測であるが、『不都合な真実』は当初、いかにも地味でそれほど話題にもならないだろうと踏んだ「シネコン」側が、自分の所での「上映権」(そんなものがあるのかどうか知らないが)を放棄したものの、予想外に反響が大きいということで、「単独館」側に無理を言って回してもらった、といったところだろうか?だとしたら、かなり都合のいい話に思えるが........。しかし先ほど、「単独館」で上映される作品は相対的に“地味な”作品が多いということを書いたが、私としては“地味”であっても“佳作”であれば、その分逆に得した気分になれる。いや、“地味”ゆえに“佳作”たり得る、とまで言っては、言い過ぎだろうか?実際ここで観た映画には、“地味”ながらも非常に心に残る作品がいろいろあった。昨年観た『かもめ食堂』や『ユナイテッド93』、今年に入ってから観た『麦の穂をゆらす風』など、みなシネコンからお呼びの掛からなかった“地味”な“佳作”たちだ。
2007年04月11日
コメント(4)
あ~あ、とうとう今年も花見に行けなかったなー。 そういうわけで、配達に出た時にちょっと遠回りをして、そこいら辺の桜を眺めたりしている今日この頃。
2007年04月10日
コメント(0)
昨日は統一地方選挙の投票に出かけた後、遅ればせながら話題の映画『不都合な真実』を観てきた。前・アメリカ副大統領のアル・ゴア氏が環境問題について語る、ドキュメンタリー映画だ。なかなかいい内容の映画だ。考えさせられることも多々あった。ただ家に帰る道すがら、いつもいい映画を観た後に湧きあがって来る、「胸いっぱいの充足感」とでもいうものが感じられず、ちょっと違和感だけが残った。またこの映画の感想をアップしようと思って、昨日からパソコンの前に座り、あれやこれやと文章を練っているのだが、これがなかなか上手くまとまらない。単純な感想だけ羅列しようと思えば、「へぇー、地球はこんなにも危機的な状況になっているんだ」、「何とかしないとそのうちに大変なことになってしまうなー」、「とりあえず出来ることから何か始めなきゃ」程度のことはいろいろと出てくる。でも、それだけなのだ。つまり、さまざまな観測データや映像を見せられて、事細かな説明を聞いて理解はするものの、それが「印象」としては心に深く染み入っていないような気がするのだ(以前から知っていたことも多かったし)。別に映画に問題があるとは思わない。私の見方がおかしいのかもしれない。ただひとつ感じたことは、これが「ドキュメンタリー映画」の限界なのかな、ということだった。これが普通のストーリー性のある映画で、その中にある種のメッセージが込められたものだったら、印象度はまた違ったものになるのかもしれない。つまりある程度の演出効果があったほうが、心の中にスッと入って、強く印象に残るのではないか、ということも言えるのかもしれない。もちろん何度も言うように、この映画を批判するつもりは毛頭ないし、この映画自体の質の低下を示唆するものでもない。ただ私の心への「引っ掛かり方」が、映画を観る前に期待していた形と少々異なっていたのが、「違和感」の正体ではないかと思う。こうやって書いていながらもなお、まだ頭の整理がついていないので、非常に読みづらい文章になってしまっているかもしれないが、お許しいただきたいと思う。ところでアル・ゴア氏といえば、2000年のアメリカ大統領選挙の際に現・ブッシュ大統領と大接戦を演じ、あの悪名高い「フロリダ州の不手際」の末に僅差で敗れた男だが、もし彼が大統領になっていたら、アメリカは今頃どうなっていただろうか?京都議定書にはサインしているだろうか?もしかするとアル・ゴア氏がこの映画で語っているのも、世界の人々に向けて、というよりは、環境よりも経済を優先させるブッシュ氏をあえて選んだアメリカ国民に対して、とりあえず観てくれよという想いがあるのではないだろうか?映画を観ながらそんなことも考えたりしていた。
2007年04月09日
コメント(4)
昨日は悪天候にもかかわらず、あちこちでお花見に興じる姿が見受けられた。この時期によくある要望のひとつに、「屋外で生ビールが飲みたい」というのがあるが、そういったときには、「生ビール簡易サーバー」を貸し出して使ってもらう。ちなみにこの簡易サーバーはウチの店で所有しているわけではなく、その都度メーカーや問屋で借りるものである。コレは氷を使って冷やす仕組みになっていて、電源の取れないアウトドアでは非常に重宝されるので、シーズンに入ると特に土日などは早めに押さえておかないと、間際では取れないことがあったりする。で、昨日もあるお花見のグループからの依頼で、そのサーバーを近所の公園へ持っていった。持っていったついでにセッティングも全部済ませようと、ホースを樽や器具、ガスボンベなどにつなぐ作業を始めた。こういう機器は一般の方はあまり見たことが無いらしく、私がそういった作業を始めると、グループのメンバーがみな物珍しそうに覗き込んでくる。そうやって注目されているのは、私も悪い気がしない、訳も無しに何となく得意気になる瞬間だ。さてひととおりセッティングを終えると、「ビールの出し方を説明しますので、ちょっとコップを貸していただけますか?」と言って、ガスのバルブを開けようとした。そうしたら次の瞬間、機器本体とホースの継ぎ目から勢いよくビールが漏れてくるではないか!おかしい、今まで何十回も使ってきたが、こんなことは初めてだ。とりあえずあわててガスのバルブを閉じたが、漏れはすぐには治まらない。完全にアタマがパニクってきた。「どれどれ、どうやってビールが出てくるのかな?」と興味津々で集まってきていたグループの人達の視線が、トゲの様に背中に突き刺さって、痛い。「コイツは不良品だ!とにかく連絡を!」と思って、この機器を借りた問屋の担当者の携帯を呼び出したが、あいにく土曜日だったからか応答なし。いよいよ焦る.......。ここで、とりあえず何とか漏れを防ぐための、苦し紛れの方策をひとつ思いついた。漏れてくる部分を何かで塞ぐしかない。すぐに自宅に居る妻に電話を掛け、「緊急事態だ!大至急、ビニールテープか輪ゴムをたくさん、ここまで持って来てくれ!」と叫んだ。電話をし終わってからこのグループの幹事の方に、「ちょっと機械の調子がおかしいようですが、今何とか致しますので、少々お待ち下さい(汗)」と告げたのだが、一部始終を見ている幹事さんの顔はちょっと引きつっているようにも見えた。「あー、ごめんごめん、遅くなって。もう始めてる?」「いやー、それが今それどころじゃなくて.....」「どうしたの?」「いやね、ビールが出ないらしいんだよ」「えっ、マジー!?どうすんだよ?」「それで今、酒屋さんがあれこれやってるんだけどね」「ビールが無かったら、シャレになんないなー」妻を待つ間も、問題の接続部分をあれこれいじっていたのだが、背後から漏れ聞こえる、遅れてきたのであろうメンバーともうひとりのメンバーとの会話が、より一層私を惨めな気分にさせた。このままもし直らなかったらどうしよう、お詫びに缶ビールでもサービスしなきゃいけないな、何ケースぐらい出せばいいかな、あ、でもその分は問屋に請求しなきゃ........、などといろんな想いが頭の中を駆け巡っている間に、一度外したホースのコネクション部分のパッキンが、ちょっとずれているのに気がついた。これか!コレが原因か!?それを真っ直ぐにはめなおして、再度本体につなぎ、祈るような気持ちでガスのバルブを開けたら.........おー、漏れは無くなった!万事OKだ。現地に早めに到着していたこともあって、何とか開宴時間には間に合った格好だ。まだ妻は到着していなかったので、電話をして、もう用は済んだ旨の報告をした。そしてグループの皆さんに、お騒がせした旨のお詫びを言って、ほうほうの体で帰ってきたのだった。しかし今回は、機器の不良ではなかったからまだ良かったものの、これが本当に機器の不良でどうにもならない状態だったら、果たしてどうなってただろう?本来なら貸し出す前にテストでも出来ればいいのだが、テストとはいえそのためにビール樽を1本開けるわけにも行かないから、実質上事前テストは無理だ。貸してくれたメーカーなり問屋を信用するしかない。ただトラブルはまったく無いとは言い切れないから、それに対処する方法は自分なりに考えておかないといけないか。
2007年04月08日
コメント(4)
今度中2になる長男が、隣の市にあるスポーツショップに1人で自転車に乗って行きたいという(彼はスポーツショップめぐりが好きなのだ)。自転車ならここから約1時間の道程だ。妻は反対している。というのも、コイツは今まで自転車でそのような遠出をしたことが無いし、妻の血を引いているのか、割りと「方向音痴」なところがあるからなのだ。しかしこのスポーツショップは、以前クルマではあるが、私と一緒に行ったことがあるので、まったく未知のところに行くわけでもない。それに実は私は、コイツが今まで1人で遠出したことが無かったことに不満を持っていた。単純な比較はあまり意味が無いかもしれないが、私自身中学時代は、1人で汽車に乗ってあちこち飛び回っていた。中2の夏休みには、友人と2人で1泊旅行もした。そういう私から見れば、今のウチの子供たちは「出たがらない」。それが私には、ちょっと不満に映る。男の子は冒険をしなきゃ。少なくとも国内であれば、正常な目と耳と口があれば、どこにでも行けるのだから。
2007年04月05日
コメント(4)
昨日の選抜高校野球・決勝戦は、実に見応えのあるいい試合だった(といっても、終始観ていた訳ではないが)。個人的には「希望枠」での選出であるということと、守備力重視で勝ち上がってきたことから、『大垣日大』にシンパシーを感じてはいたが、『常葉菊川』が接戦を制したことにはまた違った感慨を覚えた。それは『常葉菊川』がほとんど送りバントをやらないからだ。ノーアウトor1アウトでランナーが出ると、打順もあまり関係なく判で押したようにバントでランナーを送ることが当たり前のようになっている昨今の高校野球では、ともすれば『常葉菊川』のようなチームは奇異に移るかもしれないし、批判の対象とされる可能性もある。そんな中で自らの信念に基づいた野球を実践した、『常葉菊川』の監督には拍手を送りたいと思う。よく、高校野球とプロ野球は違う、と言われる。先ほど述べた送りバントの例など、その典型だろう。そして高校野球は、「教育の一環である」とも言われる。その論法でいくと、送りバントを多用するのも「教育の一環」だからだ、と言うことも出来るだろう。ここから先は私の仮説でしかないが、送りバントは「自己犠牲」の精神に基づくもので、「フォア・ザ・チーム」という考え方につながる。またコツコツと1点1点手堅く得点していくことが、「1点を大切にする」という思想につながる。「高校野球=教育の一環」と考える人達は、おそらくこのような根拠に基づいて指導しておられるんだろうと思う。それはまったく間違ってはいないと思う。しかしそれと正反対の野球は、してはいけないのだろうか?ノーアウトランナー1塁で強行するのは、ある意味「バクチ」的な要素が強いが、“清らかな”高校球児にそんなことをさせちゃいけないのだろうか?もちろん点差や打順、試合展開などに応じて、バントを含めていろんな作戦を使い分けていけばいいはずだが、どのチームを見てもあまりそういう雰囲気ではなさそうだ。結構点差が開いていても敢えてバントをするチームが多いことが、それを物語っている。送りバントを多用した方が、高校野球では勝てる確率が高いから、という考え方もあるだろう。しかしすべてのチームがコレについて何らかのデータをとって裏付けをしているとも思えないし、そうでなければ「結果論」でしかなくなる。ひょっとしたら、強行した方がより勝てた、というケースがあったかもしれないしね。当たり前だが、野球に「清らかな野球」とか、「やくざな野球」など、あるはずは無く、本来プロも高校生もやってる競技の本質はまったく変わらないはずだ。しかしながら、他の競技のことについては私も詳しくは解からないが、こと野球に関しては、どうも両者の隔たりが大きすぎるように思う。高校野球だって、もっとチーム間で多様な戦術があってもいいと思うのだが。確かに高校のクラブ活動とは教育の一環であるが、競技の内容、特に戦術面などにまで「教育」が持ち込まれているとしたら、それはいかがなものだろうか、と思わざるを得ない。
2007年04月04日
コメント(2)
桜の季節になると、やにわに店頭に出回るのが「花見団子」。そう、私はやっぱり、“花より団子”なのだ。しかしこの花見団子、「たかが花見団子」と侮ってはいけない。ウチの近所に、私の親の代から贔屓にしている、美味しい花見団子を売っている店があるのだが、ここのを食べたが最後、もう他の花見団子は食べられない。特にスーパーやコンビニなどでパック詰めされているようなものとは、天と地との差、いや、太陽と冥王星ほどの差はある。その店も決して有名店というわけではなく、どちらかといえばあまりパッとしない(失礼)佇まいの店なのだが、こと花見団子にかけては、私はこれ以上の物に出会ったことがない。
2007年04月02日
コメント(6)
ちょうど1年前くらいに、『ロゼワインを持ってお花見に出かけよう』という記事を書いた。ロゼワインの普及の一助になればと思ったのだが、残念ながらあれからさほど盛り上がりを見せないまま、今日に至っている。どうもロゼワインというのは、「飲まず嫌い」のような感じで敬遠されてるんじゃないか、という気がしてならない。前にも書いたように、このところのロゼワインは質的にも以前よりも格段に向上しており、かつてのような「色のついた白ワイン」といった感覚とはまた違った、「赤ワイン的な果実味」がふんだんに活かされたものが増えてきた。だから赤ワイン愛好家のニーズにも、十分耐えうると思っているのだが.....。ただこれが逆にスパークリングワインの分野となると、ロゼは結構盛り上がっている。もっともこの分野は「赤」がほとんど無いに等しく、その流れで言えば、まだまだ「ロゼ」は「“白”の亜流」という見方がなされているのだろうか?なんだかいつまで経っても、ロゼワインが不当な評価しかされてないようで、私としては面白くない。かつて『ロゼ・ダンジュ』のような“甘い”ロゼが一般ウケしていたがために、特にコアなワインファンからはソッポを向かれているのかもしれない。しかしながらある意味、ロゼ、しかも「辛口のロゼ」ほど日本人にマッチしたワインもないんじゃないかとも思う。これもまた約1年前に、『万能ロゼワイン』という記事に書いたが、料理との相性を考える上でロゼワインの守備範囲は意外と幅広い。というよりは、無難な選択肢として重宝する、ということが言えると思う。本来お酒と料理のマッチングというのは、双方の個性がそれぞれ相手の持ち味を引き出し合ってこそ意義のあることだ(日本では『料理の邪魔をしないこと』を、お酒と料理の相性を図る上での判断基準にする傾向があるが、コレは間違っている)。だからフランスなどでは、料理の一品一品に合わせるワインを事細かにセレクトする食文化が根付いている。それはそれでいいのだが、では我々日本人の、ごくごく普通の家庭の食卓において、ワインはどのような使われ方をすればいいのだろう。日本の食卓ではおそらく欧米の食卓に比べると、雑多な風味の料理が一度に食卓を賑わし、しかも日替わりでさまざまな食材が登場する。そんな中で一品一品に合うワインなど考えていたら大変だ。そういうときには、何にでもそこそこ対応できるものを1本用意しておくのが無難だ。そういうポジションに適応しうるのが、「辛口ロゼ」だ。確かにそれに合わない料理も中にはあるかもしれないが、レストランじゃないんだから、そんなことはあまり難しく考える必要は無い。日常の食卓を少々華やかに、且つ楽しくするためのツールとして、是非使っていただければ、と思う。
2007年04月01日
コメント(10)
全21件 (21件中 1-21件目)
1