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今日はいい天気でしたね。でも急激に気温はさがってきてますね。うちの子はそろそろ1歳6ヶ月になるのですが、かなり大きいらしいです。とくに頭がおおきいみたい。トレーナーやTシャツを着せるのが大変です。本人も窮屈らしく、着替え中は大騒ぎ。帽子も52cmサイズでないとかぶれないし・・・。そして、よく動きます。運動能力の発達が早めかな?いま登ることがたのしくてしょうがないらしく、イスからテープルへテーブルから棚へ・・・っていつの間にか移動して本人大得意で拍手してます。以前はここなら届かないだろうってよけてあったところに手がとどいちゃうのです。でもこんなことできるようになったんだなあ・・・としみじみしたりもしてしまいます。去年の今頃はまだハイハイだったのに・・・。結局なにをしてもうれしくてしょうがない親バカな私なのですけどね。いたずらしても「もうそんなことできるのね。」とかいってぎゅーっと抱きしめてスリスリしてしまってちっとも叱ることができません。でもいまは信頼関係を築くときだわ!と割り切ってとにかくかわいいかわいい、でよしとしたいとおもっているところです。どんどん成長して去年の服がつんつるてんになっている姿をみるだけで、とにかくうれしくてたまらない毎日です。アンパンマン よくばりビジーカー押し棒+ガード付き 室内用あんよの練習のために購入しましたが、最近は後ろ向きにすわっていたり、ひきずってきたりと使い方がちょっとおかしいです。それでもしょっちゅういじっているところをみると気に入ってはいるようなんですけどね。
October 31, 2009
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久しぶりの更新です。風邪ひいて休んでました。調子がよくなってきたので、ベビーカーをおして買い物にでかけました。歩道橋のエレベーターをまっているときです。後ろからいきなりどなり声が!「ジャマなんだよ、ベビーカーが。とぼけてんじゃねーよ!」??なんだ?なんだ?エレベーターをまっているのは私(とベビーカーにのったマイベイビー)だけだったのでたぶん私にいってきたとおもうんですが、わけがわからないのです。だって、いきなり怒鳴った小太りのおばさんはエレベーターをまつわけでもなく、ただ通っていっただけなんですよ。私が進路のジャマになるようなところにいたっていうんなら、私も悪いのですが、そういうことがないようにエレベーターの手前によけるようにして待っていたのです。だからはじめだれか他の人にいったのかとおもったのですが、周りにはベビーカーの人はいないようです。おばさんはそのまま私と目もあわせずに去っていってしまったし・・・。もしかして、病気の方?とかおもって顔をみてみたんですけど、小太りで気難しそうな顔をしていましたが、服装も紺色のTシャツにデニムパンツと普通で、別におかしい感じはなかったし・・・。通り魔みたいなもの?意味不明にやつあたりされたようです。そういえば、わたしそういう目によくあうみたいな気がします。昔、会社の帰りに同僚とホームで列に並んで電車をまっていたら、いきなりしらないおじさんにふっとぶほど体当たりされたこともありました。あんまりいきなりだったのでわけもわからず、一緒にいた同僚に「私なんかした?」と聞いてしまいました。同僚も「ううん!ひどいねえ。」と憤慨してくれました。あと信号を急いでわたろうと早足でいこうとしたら、いきなり隣の女性(たぶん20代後半か30代ぐらいの小太り女性)が進路をふさぐように私の前に走り出てきて仰天したこともあります。じろりとにらまれたので、あきらかになんか私が気に入らなかったみたいです。なんか目をつけられやすいものがあるんですかねえ・・・。世の中イライラしている人が多いのかなあと思う反面、なんかそういうことするのは子供じみて恥ずかしいなあと思う気持ちが減ってきているのかしら、ともおもったりもします。でも子供が一緒のときにそういうことされるのいやだなあ。あんまり子供にへんな大人を見せたくないです。入園入学式にも人気のお受験定番サブバッグ【人気商品】【縦型】完全自立型リボンサブバッグ【...この年になると、ご葬儀に参列、またはお手伝いということがあるようになるものです。そのときにこちらのバックはとても役にたってくれます。デザインもシンプルで上品なのでひとつあるととても助かるアイテムです。
October 29, 2009
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長々おつきあいいただきありがとうございました。彼がなくなってしばらくは、なんだか頭が混乱していて、眠っても彼を探している夢ばかりみていました。目がさめて、「病院・・・あ、ちがうんだ・・・。」とおもったりする毎日でした。でも学んだことが多い経験でもありました。まず親のありがたみが身にしみました。彼の最後のときまで、無理な手出しをせずにしっかりと見守ってくれて、ご葬儀のこともすべて私の両親まかせでした。そして、舅、姑は所詮、他人ということも思い知りました。あてにならないどころか、まあ・・・。思い出すのもうんざりするので、書きませんが。たとえ彼がいなくなっても、自分は生きていかなければならない。だれよりつらくてさびしいのは一人で見知らぬところへ旅立たないといけない人なのだから、残された者がいつまでも自分を哀れんでいるわけにはいかない。それにいつまでも私がぐったりしていると、彼が悪くいわれるかもしれない。そうやって自分をふるいたたせるようにしていました。私は闘病中彼と一緒にいることができて幸せでした。彼も私とすごした時間を満足してくれていると思っています。だから私は下を向いている必要はないとずっと思っていました。私がもし彼の寿命が長くないことを知っていても結婚したか?と聞かれたら、間違いなく結婚したと答えます。彼とのことは運命だったんだといまは思っています。彼のおくりびとに私は選ばれたんだと思っています。彼の出棺のときに私はこう声をかけました。「バイバイ、また遊ぼうね。」彼も笑って手を振ってくれたと思います。きっと私があの世にいくときに、方向音痴の私をちゃんと案内してくれるでしょう。私にとって彼の存在は誇りです。そして宝です。再婚して、子供がうまれた今でも彼のことは私の大切な一部です。いまでも彼は私や私の家族をしっかり守ってくれていると信じています。
October 26, 2009
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彼が亡くなったあと、私は彼の最後の着替えを手伝わせてもらいました。普通は着物を着せるようですが、私は彼が普段着ていたものを着せてあげました。だって、まだ着物をきて静かに旅立つような年齢じゃないもの・・・。着替えを手伝っているときにさわった彼の体はなんともいえないぬるい体温となっていました。暖かいけど、明らかに生きている人の体温ではない・・・。彼の体はもう動かないんだ・・・。おもいしらされました。そして着替えが終わると、部屋をでて安置室へ移動となりました。私も部屋をでて、廊下にいた両親のところへいきました。母は私によってきて、「よくがんばったわね。最後までちゃんとついてあげたわね。」と声をかけてくれました。私はこみあげてくるものが抑えきれずに母にしがみついてわあわあと泣き出してしまいました。「でも、もう彼は焼かれてお墓にはいっちゃうんだよ・・・。顔もみられないんだよ・・・。どこにもいなくなっちゃうんだよ・・・。いなくなっちゃうんだよ・・・。」ただ泣き続けました。母もなきながら、私をささえてくれていました。しばらく泣き続けて私がおちついてきたのをみて、母が言い出しました。「ご葬儀だけど、斎場にする?それともお家でする?」「ご葬儀なんてしたくないな・・・。」と私はおもわずいってしまいました。「そうね。でもさびしいことだけど、ちゃんとけじめをつけておくってあげないと。おくさんの最後の仕事よ。ずっとがんばってきたんだから、きちっとおくってあげなくてはね。」と母はいってくれました。そうだ、彼を妻として、家族としてちゃんとおくりだすことまでが私と仕事なのだ・・・。しゃんとしなければ・・・。ご葬儀は自宅で行うことにしました。斎場だと彼を斎場に一人にする時間が長すぎる気がしたので。すこしでも彼といっしょにいたかった・・・。病院から、自宅へ彼の亡骸と一緒に帰りました。そして、祭壇をたてる場所に彼を休ませました。母は私を彼の亡骸のそばで眠らせようとはしませんでした。私は呆然としすぎていて彼の後を追う気力すらない状態でした。ただいわれるままに動いているだけ。私は眠ることができず、目をさますとふらふらと彼の亡骸のほうへ歩いていく・・・という状態でした。そして少し眠ると、「彼の具合はどうかしら?病院にいかなくちゃ。」とかいいながら飛び起きたりする有様。私はショックを受けすぎていて、当時の記憶がぼんやりしているのです。(この日記も内容がまとまりがないかも・・・。すみません)こんな状態でなにもできるわけもなく、葬儀はほとんど私の両親が段取りしてくれました。(彼のご両親はなにもせず、お金もださなかったです・・・。そのあとも大変でしたが、思い出すのも不快なので、ここには書きません。彼の思い出を汚すのもいやだし。)そして、会社の同期入社の方が彼の亡骸を担いで送り出してくれました。彼を大事におもってくださっている人がこんなにいるんだ・・・。また涙がでてきました。ともかく、たくさんの方に助けられて無事にご葬儀はすみました。そして、私は未亡人となってしまったのです。
October 25, 2009
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彼は痛み止めを投薬後、まったく話ができる状態ではなくなりました。しかし、声は聞こえているということだったので、「おはよう。今日はいい天気みたいね。」とか「ずいぶん暖かくなってきたよ。」とか普通に声をかけながら、ずっと彼の枕元にすわっていました。私は彼が再入院してから食欲はほとんどなく、差し入れも少し手をつけるのが精一杯の状態で4日で4キロやせてしまいました。そんな私を見かねて彼の両親も私の両親も差し入れをしてくれたり、自宅で少し休むよううながしてくれたりしていたのですが、ほんとうに30分でも離れているのが怖くて私は病室から離れようとしませんでした。自分では気がついていませんでしたが、見るからにひどい状態だったのでしょうね。病棟の婦長さんが私に声をかけてきて、「奥様のほうが病人のようなお顔をしていらっしゃいますよ。少し外にでて散歩でもなさって気分転換していらしたほうが・・・。ご主人様も安心なさいますよ。」とおっしゃってくださいました。病室には彼の両親がついてくださっていたときだったので、ちょっと病院の庭にでもでてみることにしました。よい天気でした。そして、桜がほころび始めていました。ピンク色の雲のように見えました。春風がふきぬけていく感じがしました。桜の色がきれいで、涙がでました。彼はこの桜をみることができないんだ・・・。私とならんで桜をみることはもうないんだ・・・。桜と青空がぐちゃぐちゃになってみえました。涙がとまりません。「一緒に帰ろうっていったのに・・・。ずっと一緒にいるっていったのに・・・。」上を向いたままいつまでも泣いていました。しばらく泣いた後、顔をあらって病室にもどりました。そして笑いながら「ねえ、私がダンナの闘病記を書いてベストセラーにして印税生活!ってなったらどう?そうしたら、私が養ってあげるよ。」と突拍子もないことを言い始めました。働けなくても、病院で寝たきりでもかまわないから、できるだけ一緒にいてほしい・・・そんな気持ちだったのです。すると病室にいた私の母が「あら、こんなに能力のある方をただ休ませておくなんてもったいないじゃない。」と笑いながら調子をあわせてきました。私はすかさず、「じゃあ、ベストセラー作家になったら、研究費を私がだしてあげるよ。ダンナはすきな仕事だけしていればいいの。だったら、すごくよくない?」と笑いながら声をかけました。すると、ほとんど反応のなかったダンナがにっこりとわらったのです。おどろく母をみながら私は彼に近づいて「期待してます・・・って笑ったでしょう。まったく、ありっこないとおもってるな、まったく。」とわざと彼にじゃれるように声をかけました。彼はますますやわらかな表情になったようです。でもそれが彼の笑顔をみた最後となってしまいました。彼は自発呼吸もままならなくなり、痛み止めも意識を完全になくすレベルのものを投与さrれることとなりました。呼吸器をつけて投薬されたあとのベットの上の彼はまるで機械のような規則的な呼吸をして、目は白目をむいています。さすがの私ももう強がることもできなくなり、「いやだ!そんな顔しないで・・・。お願いだから・・・。」と彼の手をにぎりながら声を上げて泣きました。ふるえながら、彼のややほてった手をなでていました。すると突然、規則的だった呼吸が、変に不規則になりだしました。そして、呼吸がなくなったのです・・・。私は必死でナースコールを押しました。「早く来て!早く来て!ダンナが・・・ダンナが・・・いや!!いやだ!!」悲鳴をあげるように叫んでいました。すぐにお医者様の看護師さんがとんできました。そしてしばらく蘇生措置がおこなわれていたようです。しかし、私はなにがなんだかわからなくなってただ震えていました。母は私をしっかりと抱えていました。そして、お医者様からの言葉。「・・・時、お亡くなりになられました。」私は震えながら、「ありがとうございました。」と頭をさげました。そして呼吸器や点滴がはずされて静かに眠っているような彼の顔を覗き込みました。本当に眠っているようです。でも呼吸はしていない・・・。彼の顔をそっとなでながら「もう、痛くないよね・・・。」とだけいうとただただ泣き続けました。彼は旅立ってしまったのです。
October 21, 2009
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体にいくつも管がついた状態の彼の枕元にすわると、彼は「自分は病院でみてもらっているのだから、心配いらないよ。それより、おくさんが倒れちゃったら困るんだから、うちに帰って休みなよ。」と改めて私に声をかけてきました。私は笑いながら、「顔をみないでいるほうが落ち着かないよ。こうしてとなりにいるほうが安心するんだから追い払わないでよ。」といいました。すると彼はほほえんで、それ以上はなにもいいませんでした。私は彼のとなりで、いろいろたわいのないことを話していました。しかし相槌をうつのもつらそうです。「無理に答えなくていいよ。聞いていてくれるだけで、私の気がすむんだから。」と声をかけると、「女の子は話すことがいっぱいあるんだね・・・。」とよわよわしく笑いかえしてくれました。「だって・・・。いっぱい声をかけておかないと、話してくれなくなるような気がして・・・。」と思わず私はいってしまいました。すると彼は「そんなことあるわけないでしょう・・・。」とつぶやくように答えました。突然、彼がはげしくしゃっくりをし始めました。胃から逆流があるようで、横隔膜がすぐに刺激されてしまうようです。あわてて、私は背中をさすりました。でもとまりません。とっさに私は人口呼吸をするようなつもりで、鼻をふさぎ、口をあてました。するとしゃっくりはなんとかとまったようです。「キスするととまるんだね。」と笑いながらいうと、彼も一緒に微笑みました。その後も何度かしゃっくりがとまらなくなると、キスで口をふさぐ・・・をしてました。夜になると痛みがつらくなるようです。「痛み止めってまたしてもらったらだめなのかな・・・。」と彼は私にいってきました。「痛みがつらい?痛み止めうってもらってあんまり時間たってないけど・・・。」というと「さっき痛み止めをうってもらったあととても気持ちよかったから、またうってもらえるといいなー・・・とおもったんだ。」と冗談めかして彼はいいました。かなりつらかったんだと思います。「じゃあ、看護師さんにいってみるね。」とだけ私は答えました。そして、彼のひたいに手をあてて「いたいの、いたいの、とんでけー。」とおまじないをしました。すると彼はすこし笑いながら、目をつぶっていました。彼の額はすこし熱かったです。熱が下がらないのでしょう。思わず涙がこぼれました。「しんどいよね・・・。痛いよね・・・。夫婦なんだから、痛みも分けられるといいのにね・・・。そうしたらすこしでもラクになるんだったらいいのにね・・・。」と泣きながら私がつぶやくと、「夫婦で病院に入院じゃしょうがないでしょ。それに、おくさんまでたおれたって、僕は看病できないし。・・・ごめんね。新婚早々、こんな思いばっかりさせて。」と彼はいいました。私は涙をぼろぼろこぼしながら「本当だよ。さっさと病気なんか治して、早く一緒に家でくらそうよ。今回のことで疲れて、私が家でごろごろしているからそのときはダンナが私の看病をしてくれなくちゃだめなんだよ。」と答えました。「もちろんだよ。ちゃんと看病するからね。」と私をそっとなでながら答えてくれました。もちろん、そんなことはまったくの夢であることは2人ともわかっていました。でもそんなことを語りながら、短すぎる夫婦としての日々を共有していたのです。3日目のことでした。お医者様がわたしに声をかけてきました。「痛みがおさえきれていないようなので、さらに強い薬を投与することになるのですが・・・。ただ、意識がなくなってしまうので、お話したいことがあれば、今のうちにしておいたほうがいいかと。」覚悟はしていたつもりです。確かに痛みがおさえきれていないのもわかっていました。でも意識がなくなってしまう・・・・それはとてもつらい宣告でした。病室にもどり、私は彼に「なにか、私にしてほしいことはない?漫画かってくる?車の雑誌とかは?」と声をかけました。すると彼はしばらく考えて、意を決したように「じゃあ、ひとつ。これから、なにがあっても僕は奥さんを信じているから、落ち込むなよ。」といってきたのです。私は思わず「ダンナが病気治って帰ってきてくれれば、落ち込んだりしないよ。」と叫ぶとボロボロと涙がとまらなくなりました。彼は「うん、わかってるよ・・・。」と私をなでながら悲しげにほほえみました。そして、それが、彼の私への最後の言葉となったのです。
October 20, 2009
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救急に飛び込むと、すぐさま彼は担架で運ばれていきました。青ざめてすわりこんでいる私に救急の看護師さんは、声をかけてくれました。「とにかく、奥様が支えなのだから、落ち着いてあげましょう。大丈夫。すぐに手術ですから。」とてもありがたかったです。不安と疲労でぐちゃぐちゃになった気持ちが少しおちついたようでした。そして処置をしている間に両親もかけつけました。待合室でただ無言で座り込んでいました。重苦しい空気が漂っていました。しばらくして、処置がすんで先生がみえました。「止血したのですが、完全には止まりきらないようです。血液が凝固する力もかなり弱くなっているようですし・・・。」「意識はまだはっきりしているのですか?」と私が聞くと「そうですね。まだ意識ははっきりしています。痛みもあるようです。」痛み・・・。そうか意識があるということは痛みや苦しみがあるということでもあるんだ・・・。とにかく彼の休んでいる病室へ向かいました。彼は点滴をつけ、あちこち包帯をまき痛々しい姿でした。そしてなによりも気になったのは、お腹が異常に膨らんでいるのです。肝臓だけでなく腎臓も悪化してしまい、水分を排出しにくくなっているのだ・・・と先生はおっしゃいました。私は彼のベットのかたわらにすわると、「お風呂はいりそこねちゃったね。あとでおしぼりで顔と首だけでも拭いてあげるね。ちょっとさっぱりするもんね。」といつもと変わらないように話しかけました。本人に知らせないときめたのだから、最後まで普通に話しつづけるんだ・・・。彼はすこし笑いながら、「そうだね。」と答えてくれました。でも痛みがあるせいか、すこしつらそうです。「また入院になるから、私帰って支度してくるね。それに一人で留守番いやだから、わたしも一緒にここにとまらせてもらうよ。」と私がいうと彼は「でもベットないし、落ち着いて寝られないよ。帰って家で休んだほうがいいよ。」と私を気遣ってくれました。「大丈夫、看護師さんに簡易ベットをお願いしたから。それに私はどこでも寝られるのよ。キャンプしているようなものと思えば楽しいじゃない。」と私は明るく笑ってかえしました。彼は笑ってそれ以上なにもいいませんでした。私の最後の看護生活が始まったのです。
October 19, 2009
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血管の止血後、一応退院となりました。でもやはり彼はずっと気分がよくなかったようです。帰ってきてから、まったく外にでなくなってしまいました。そして、まるで笑うことがなくなり、気難しくなっていきました。そのころとった写真が何枚か残っていましたが、やはり顔色がわるく、表情も暗く、どうみても病人の顔でした。彼も口にはださなかったけれど、もしかして・・・と思い始めていたのかもしれません。でも私は徹底的に彼の不安も自分自身の不安も見ないようにしていました。私が先につぶれたら、つらいのは彼だ・・・。外に出なくなってしまった彼に豆の皮むきを頼んだり、漫画を一緒によんだり、2人でテレビゲームをしたり、なんとか普通に一緒に生活するように努力しました。それぐらいしか、私にはできなかったのです。そうして退院してから1週間ほどたった日の夜のことでした。だるい・・・と彼がいいだしました。熱をはかってみると、微熱があります。解熱剤飲んでいるはずなのに・・・。とにかくその夜は早めに床につきました。私はずっと横で彼をみていましたが、一応ねむっているようにみえました。しかし翌朝、彼は苦しそうに顔をゆがめているのです。「お腹が痛い・・・」私は飛び起きてタクシーを呼び、病院の救急へと向かいました。今回は前回となんとなく違う・・・。私のなかで体の奥のほうでスースーするようないやーな予感がありました。なんとか目をそらそうとしていた本当の最後のときがいよいよ近づいてきてしまったのです。【トレー】ゴールドのイタリア製トレー(小)イタリア製リボントレーのミニサイズ。ドレッサーにおいてアクセサリーや、口紅、マニキュアなどをおいておくのに便利。
October 18, 2009
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その日は突然やってきました。2人で散歩をしている最中のことでした。彼が「お腹がいたい・・・。」といいだしたのです。私はついに・・・!とハラハラしながらもつとめて冷静に、「食べすぎでズボンがきつくなったのかも?ちょっとズボンゆるめれば?」と声をかけました。でも頭では救急車をよぶか?それともタクシーをつかまえるのが早いか?とできるだけ早く病院に向かう方法を必死でかんがえていました。ちょうどタクシーが見えたので、いそいでつかまえて「とにかくなにかあったらいけないから、病院にいこう。」とタクシーに彼を乗せました。彼はそのときはまだ意識もはっきりしていました。ただ、とてもつらそうです。タクシーで病院の救急にとびこみました。そして、救急につくとすぐに看護師さんをつかまえて、「あの、循環器科の先生に連絡をとっていただけますか?もしかして腫瘍の破裂かもしれないので、一刻をあらそうんです。」と彼に聞こえないように伝えました。彼は先ほどよりもさらにつらそうになり、脂汗をかいています。看護師さんがいそいで血圧を測ると200をこえる数値になっていました。すぐに彼は担架で運ばれて、即手術がほどこされました。私はふるえながら、彼を病室の外でまっているしかありません。腫瘍がやぶれたら、意識がもどらない・・・というお医者さんの言葉が耳鳴りのように聞こえてきました。お願いですから、もうすこしだけ・・・、もうすこしだけ・・・、彼と話をさせてください。彼をつれていかないでください・・・。祈りながら、泣いていることしかできない自分がむなしかった・・・。しばらくするとお医者さまがでていらっしゃいました。「今回はなんとか止血ができました。意識もまだはっきりしています。他の腫瘍もかなりおおきくなっており、いつ血管をやぶるかわからない状態です。」「はい・・・」ただ、私はうなずくしかできませんでした。でもとにかく意識はまだはっきりしている。よかった・・・。まだ話はできるんだ・・・。「とにかくしばらく入院して様子をみたほうがいいでしょう。ただ、できるだけご自宅ですごしたいというご希望であるならば、一度はご自宅に帰ることも可能かもしれません。」「ほんとうですか!帰れるんですか。」「あくまでも一時的なものではありますが・・・。」一緒に帰れるんだ。もう意識がなくなると思っていた私にはうれしい誤算でした。神様はすこしだけ、猶予をくださったんだ・・・。とりあえず、止血はできたこと、意識もはっきりしていることを両親に連絡しました。両親もとりあえず止血できたことを聞いてとても喜びました。「やぶれたら終わりだなんて、医者は診たて違いじゃないか。きっとそんなにすぐなんてことはないに違いないよ。」と私を励ましてくれました。私も少しだけそれを期待していました。ときどきこういうことがおこるけど、それでもきっとまた一緒にうちに帰れるということが続くのではないか?そうだったらいいのに・・・。涙の乾かない顔のままですこしだけ笑いました。でもそんなに甘くはなかったのです。 イタリア製銀仕上リーフ小皿・大おもてなしのときにちょっとお菓子をのせたりするのに便利アクセサリートレーとしてつかってもかわいい。
October 16, 2009
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彼は退院し、自宅ですごすこととなりました。相変わらず、見た感じは以前と変わっていないのです。熱も解熱剤の効果か下がっており、気分も悪くないようでした。そうだ、民間療法も考えてみよう。プロポリス、アガリクス、ウコン・・・。ガンに効果があったと話をきくものを、次々試してみました。きのこはがんに効くといわれれば、きのこを常備菜にしたり。脂っこいものはよくないと野菜の煮物をつくり、お酒はやめて・・・。毎日、一緒に散歩にでかけて運動不足にならないよう気をつけて・・・。どれも体によいことだし、きっともっと健康になれるよ・・・と彼を説得しました。彼もおとなしくつきあってくれました。でも、とても怖い毎日でした。いつ腫瘍がやぶれるかわからないのです。外を歩いているときに急におこるかもしれない。あるいは真夜中にいきなり・・・かもしれない。朝、私が目がさめたとき、彼はもう冷たくなっているなんてことがあるかもしれない・・・。そんな不安を抱えながらも彼と過ごした日々はとても楽しく、幸せなものでした。買ってきたお菓子を途中で一緒つまみぐいしたり、本屋にいって一緒に雑誌をみたり、散歩の途中にあった猫をなでてみたり、公園のベンチでのんびりひなたぼっこしたり、うちで一緒に料理をつくってみたり、スズメにえさをあげてみたり・・・。おだやかであたたかな日々をすごしていました。そして、今日1日一緒にすごせたということが、どれほどありがたいことかと日々に感謝する気持ちが生まれてきました。今日1日彼と一緒にすごせました。ありがとうございます。できることなら明日も一緒にいさせてください。毎日心の中で祈りながら床につくのが習慣となりました。しかしそんな日々も長くはつづかなかったのです・・・。 ハラコと牛革の愛されミニボストンバッグ【送料無料】アニマルスクウェア(スクエア)ボストン...ちょっとお出かけというときに便利でかわいいハラコ使いのちいさめなボストンバック。こちらはセミオーダーで柄と皮の色、持ち手の長さを選ぶことができます。
October 15, 2009
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気がつくと朝になっていました。寝たのか寝ていないのか自分でもよくわからない。いままでのことがただの悪い夢だったらいいのに・・・。頭もぼんやりしたままでした。でもすぐに現実にたたきおこされました。とにかく、病院にいかなくてはならない・・・。ぐらぐらする頭で、なんとか身支度だけして病院へ向かいました。今後のことを相談しなければなりません。やっぱり、彼に病気のことは知らせられない。私はきめました。彼は先が長くないなんていわれたら、ショックを受けて病気と闘う気力をなくしてしまうだろう。たしかに直る病気じゃないのかもしれない。でもあと何ヶ月っていわれたわけじゃない。もしかしたら、あと数年一緒にいられることだってあるのではないかしら・・・。自分にいいきかせました。そうだ、あと3ヶ月っていわれて何年も病気と闘っている方だって世の中にはたくさんいるんだ。彼は若いのだし、もともと元気なひとなのだから、きっと本人の気力しだいでお医者さまをびっくりさせるようなことだって起こせるのではないかしら。そうだ、私が彼をまもって、死神にまったをかけることだってできるかもしれない。このさい私が死神とケンカしたってかまやしない。そこまで、おもっていました。そして、病院でお医者さまには、彼には告知をするつもりはないこと、また病院にいてもただ安静にしてもらうしかできないのだから、退院してもらって家で一緒にすごしたいとおもっていることを伝えました。お医者さまは「ご本人の覚悟のためにも告知をしたほうが・・・、ご家族との信頼関係にも問題がでるのでは?」とおっしゃいましたが、私は「直るなら告知してもいいとおもっています。でも直らないのに告知するのは彼をがっかりさせるだけです。彼もなぜあえていわなかったのかわかってくれると思いますし。」と答えました。するとお医者さんは、「では告知はなしということで、退院は病院の側の都合ということでお話するようにします。」とおっしゃってくださいました。そしてあらためて彼と一緒に初めてきたような顔をして話を聞きました。お医者さまは「こちらの病院は古いので工事がはいっていて、いまベット数がたりないのですよ。ですから、いまこれといって心配ない方には退院をお願いしているので・・・。」と笑いながらお話になりました。すると彼も納得したようで、「そうですね。自分でもなんだかさぼっているみたいで、心苦しいぐらいです。」と笑いながら返していました。私も一緒にわらって聞きました。本当にそうだったらいい・・・。彼にとって私とゆっくりいられる長期休暇なんだ・・・。ぼんやりと夢みるように考えていました。そうだ、どのぐらいの期間かはまだだれもわからない。でも1日でも一緒に長くいるために私は彼の盾にもなろう。そして彼の精神的支柱、心の杖となって彼を支えてあげなければ。そうだ、私がしっかりたっていなきゃいけない。だれよりも心細くて、悲しくて、不安なのは彼なのだから。すっかり笑わなくなってしまった彼の笑顔を久しぶりにみながら、私は決意していました。 キャンディーポット(菓子入れ)クリアライトシルバー(さびない銀器)のキャンディーポットちょっとおしゃれなギフトです。値段も4,980円と手頃。
October 14, 2009
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彼の検査はお医者さまの働きかけもありどんどん進んでいました。そしてわかった結果は最悪のものでした。悪性腫瘍である、そして肝臓に転移とおぼしき腫瘍もみつかった。手術は無理。そして腫瘍はどんどん大きくなるのでその腫瘍が血管を破ったときに倒れて、意識はもどらないのではないかということでした。ただ、呆然として座り込んだまま動けませんでした。なにがなんだかわからない・・・。ただいつまでも座ったままでもいられないので、ふらふらと一人で家に帰りました。そして両親に結果を電話で報告しました。すると両親は「間違いではないのか?そうだ、他の病院でもう一度みてもらったらどうだろう。」といいだしたのです。そうだ、間違いだったらどんなにいいか!他の病院でこの結果を否定してくれたら・・・。本当に祈るような気持ちで、両親とともに他の病院へ相談にいきました。ダンナにはもっと大病院の有名な先生にみてもらえるから、いってみようとだけ伝えて転院をすすめました。最初、超音波検査をしてもらい、その時の所見は「うーん、たぶん良性ではないか?」ということだったのですが、改めて精密検査をしてもらうことになりました。そして、しばらくして転院した病院からの連絡がありました。やはり、悪性。残念ながら直るということは考えにくい。ご本人が好きなものを食べ、体が動くうちに好きなことをなさったほうがいいのではないか・・・ということでした。つまり、もう長くはないから好きなことさせてあげなさいということです。電話をもったまましゃがみこんでしまいました。どうして?あんなに元気なのに?まだ結婚したばっかりなのに?これからいっぱい一緒にいて家族として暮らしていくはずだったのに?どうして?どうして?どうして?なんで彼なんだろう?こんなにいろんな人に必要とされて、大事におもわれ、たくさんの人に愛されている人なのに・・・。なにより、本人だってまだまだやりたいこといっぱいあるのに・・・。いっそ私がかわってあげられればいいのに・・・。結果をとりあえず両親に報告だけして、その日はひたすら泣き続けました。このまま泣いて泣いて、いっそこのままあの世にいってしまえたらラクなのに・・・。でもいくら泣いても、彼の病気がなくなることはないのです。どうしたら、いいのかまったくわかりませんでした・・・。 淡水パール/オニキスロング ネックレス◆【pearl-int-7】大人の女性は本物を普段使いしたいもの。こちらのロングネックレスは淡水パールとはいえ4,800円ととてもお手ごろ。とてもそんな値段にはみえない高級感のある上品なネックレスです。
October 13, 2009
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更新が遅くなり申し訳ありません。でも、やっぱり未だしんどいんですよね・・・。ゆっくり書いていきますので、おつきあいください。 両親が帰ったあと、私は一人になって考えました。手術ができるのであれば、どれほど可能性が低くてもきっと直ってくれる。たとえ手術ができなくても、医者から見離された患者が何年も生きている例だっていっぱいあるじゃないか。もとが元気な人だもの、きっと直ってくれるに違いない。私の存在が彼のよりどころになってくれれば、すこしは病気と闘う原動力になってくれるかもしれない。とにかく直るんだ、と信じて一緒に闘うんだ。たとえ隠し事やうそだって、彼を助けるためのうそならいくらでもついてやる。えんまさまとだってケンカしたってかまわない。そんな気持ちになりました。そして病院にも私は彼の病気のことを悪性腫瘍であることを伝えるつもりはないことを伝えました。すると、お医者さまはいいにくそうに「できる限りのことをするつもりですが、抗がん剤治療でお子様をあきらめなければならなくなるかもしれないんですが・・・。」とおっしゃいました。体になにかがチクチクとささっているような痛み・・・。子供をあきらめる?思ってもみなかったことでした。そうか、治療をしていたらそういうこともあるんだな・・・。でも、そのときは「とにかく今は彼を優先でお願いします。」と伝えました。しかし、あとでダンナのご両親に電話で伝えるときに、「もしかして、子供はあきらめざるを得ないかもといわれてしまって・・・。」といいながらおもわずボロボロと涙がこぼれてしまいました。正直、ダンナが長くないかもしれないのに、子供のことどうこうって思っていたことにあきれられるかもしれませんが、やっぱりつらかったです。私にとって母になれないってやっぱり考えられないことだったんですね。とにかく、彼が生きていてさえくれればそれでいいんだ・・・と自分にいいきかせたのでした。しかし、現実はもっと厳しいものでした・・・。 リボンクッション大 オフホワイト プリンセススタイルなリボンクッション実はゴロ寝用枕に重宝してたりします・・・。
October 12, 2009
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ダンナは解熱剤をもらったおかげで、熱はさがっていたので、それ以外になにか気分が悪いということはなかったようです。しかし、お医者さまいわく「良性の腫瘍で熱が出るということはあまりないので、悪性の可能性が高いです。」と聞かされました。そのときから、私の闘いが始まったのです。まず病院へ入院の手続きをし、会社にも検査入院であると伝えました。そして両親に伝えることになりました。まずダンナの両親へ伝えました。詳しいことは病院でお医者様に説明していただこうと思い、とにかく入院の必要があることそしてあまりよくない病気である可能性がありご両親に伝えるように病院から依頼されたことだけをつたえました。ご両親はあまり信じておらず、ただただ驚いておられました。とにかく病院に説明を聞きに来ることは承知してくださいました。そして私の両親にも伝えました。すると、もちろん驚いていましたが、とにかく私が先に倒れたりしないようにあわててとんできてくれました。ダンナは私を心配して、入院中は実家にかえっていたらどうかといってくれましたが、病院は自宅のすぐそばだったので私は自宅で待っているからと伝えました。そんなわけで、ダンナのいないところで病状の説明がありました。そして、検査の結果はまだでていないが、悪性の可能性が極めて高いこと、また心臓にあることしかわかっていないが、転移があれば手術も無理だろうということ、そして心臓の悪性腫瘍はきわめてめずらしい症例で抗がん剤治療もどの程度有効かわからない・・・といったことを説明されました。つまりはっきりとはおっしゃいませんでしたが、あまり長くはないだろうというようなことを伝えられたのです。正直、同席していた家族は全員うけとめられず、内心パニック状態に陥っていました。いまダンナをみても元気でいつもとかわらないのです。末期のがん患者になんか到底みえないのです。お医者さまの話がおわったあと、両親は「あの医者はヤブ医者だ。あんなに元気なのにガンなんかであるはずがない。だいたい心臓にガンができるなんて聞いたこともない。」といいだしました。私もそうだったらいいな・・・と心からおもいました。それより転移がなくて、手術ができる可能性のほうを信じていました。私の両親は「大丈夫、あんなに元気なんだし、2人が仲良くしていたら病気が嫌気がさして逃げていくよ。」と励ましてくれました。両親の気持ちはありがたかったです。でもそのときに思いました。やっぱり病気と闘うのはダンナと私なのだ。でもダンナは病気が悪性腫瘍であることを知らせる必要はいまはない、だってがっかりして病気と闘う気力をなくしてしまったら大変だもの。そして絶対にダンナに悪い病気であることを知らせないよう、私が守らなければいけない。結婚したばかりだって、私たちは自立した家なのだから責任は自分でもたなきゃいけないんだ。私は両親の前では泣きませんでした。そして、ダンナは入院してから笑わなくなってしまったのです。 山田平安堂【宮内庁御用達漆器】料理記者"岸朝子さん推薦"の老舗銘菓をお重に詰めて~《引き...高級漆器の山田平安堂さんに老舗銘菓の入った格の高い贈り物。年齢を問わずどなたにでも喜ばれる逸品。結婚式の引き出物として用意するのもおすすめ。
October 11, 2009
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また、タイトルがすごいことになってますが、当時の心境を一言で言いあらわすとまさにそんな感じだったのです。それは新婚旅行から帰ってきて1週間たったぐらいのころだったように記憶しています。ダンナが体調の不良を訴えはじめたのです。せきやくしゃみがでるわけじゃないけど、熱があるらしく非常にしんどい・・・といいだしました。しかも仕事が新婚旅行の最中に結構たまってしまったようで、そうそう休んでもいられない・・・といいながら解熱剤を飲んで会社へいっていました。もともと元気な人だし、結婚式だの新婚旅行だのとあわただしかったから、疲れもでたのだろう。ちょっと風邪をひいてしまっただけだろう・・・と私は思っていました。ダンナもそう思っていたらしいです。しかし、1週間も熱はさがらず、あいかわらずしんどい・・・といっていました。さすがに風邪で1週間熱がさがらないのはちょっとおかしい、病院にいってみようと言い出しました。私もそのほうがいいと賛成しました。今まで仕事でずっと忙しくしていたのだから、ちゃんと検査してもらうのも悪くないだろう・・・ぐらいに思っていました。そして、ダンナは病院に向かいました。私はいつもどおりに会社にいっていました。するとめったに会社には電話をかけてこないダンナから電話がかかってきたのです。なんだろう・・・まだ、私はその時そんなに心配はしていなかったのです。だから、家に帰ったときに話を聞けばいいか・・・とおもっていたのです。それなのに、会社に電話って・・・よっぽど緊急なことなの?「どうも心臓のまわりに血液がたまっておできのようになっているようなんだよ。」?心臓のまわりにおでき?なんなの?しかも血液がたまってるって?「よくわからないけど、病院でもっときちんと検査をしたいから、あらためてきてくださいっていわれた。できればご家族もご一緒にってことだったよ。」それでも私は事の重大さがまるでわかっていませんでした。おできだったらほっといても大丈夫なんじゃないの?でもダンナも初めての病院じゃ心細いだろうし、一緒にいって帰り外でご飯でも食べればいいかしら。なんか病院に付き添うって妻って感じでいいわね。ほんとに能天気でした。でも私はダンナをたよりにしきっていたし、ダンナと一緒ならなにも怖いものはないと思っていたのです。それだけ頼りになる人でしたし。しかし、それは急転直下のできごとでした。病院にダンナにつきそっていったとき、ダンナが検査室にはいっている間に、主治医の先生が私を呼び止めたのです。「あの、ご主人のご病気なのですが、まだはっきりとはわからないのですが、悪性腫瘍の可能性が疑われるのです。」????悪性腫瘍???つまり、ガンってこと?「しかもできた部位が非常によくないし・・・。珍しい症例なので進行がどの程度といった予測も難しいのでとにかく検査を急いではやめに入院の手続きをとられたほうが。」・・・・・正直、真っ白になりました。・・・・・寒くないのに、体がつめたくなっていく感じで、ふるえてしまうのを我慢できませんでした。返事もそこそこに、いそいでトイレにかけこんで泣き出しました。なにそれ?どういうことなの?なんなの?悪性腫瘍って、もしかしてダンナが死んでしまうかもしれないってことなの?なにがなんだかわからなくなって、一人でしばらく泣き続けました。しばらくして、すこし落ち着きをとりもどしました。ここで、私が真っ赤な目をしていたら、ダンナが不安になる・・・。おちつけ・・・おちつけ・・・。なんとかもちなおしてダンナを待合室で待ちました。そして、なにげない風に「どうだった?おできなんだったって?」と聞いてみました。「うん。あんまりはっきりわからないから、検査のために入院したほうがいいっていわれたよ。」と答えました。ダンナには悪性腫瘍の可能性をお医者さんはつたえなかったようです。「そっか。せっかくだから病院ですこしゆっくりするのもいいんじゃない。ちょっとした療養って感じでいいじゃないの。」とつとめて明るく笑いながら答えました。「そうはいってもねえ・・・。」と苦笑いをするダンナをみて、私はこの人をどうしても守りたい!と思ったのです。死神なんかに私の大切な人を渡してなるものか!本気でそう思っていたのです。 ママも赤ちゃんも嬉しいちょっぴりお洒落なベビーの普段着です。【23%OFF】ふあくぷ hua kupu ...おしゃれでかわいいベビーウエア。ふあくぷはおしゃれで、着心地がよさそうな服がいっぱいです。
October 9, 2009
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なんか暗いタイトルですみません。こんどは無くなったダンナとのことを書いていこうかなとおもっております。うつ病の大きい原因に「配偶者との死別」っていうのがあるそうですが、すごくわかるなー。やっぱり喪失感はすごいですもんね。自分できめて離婚しても、そのあとがくーんとウツになってしまう人も多いと聞きます。私はウツにはなってなかったと思いますが、かなり精神的に不安定だったような気がします。(いま思い返してみると。)ダンナの葬儀後、会社に通っていたのですが、電車に乗っている最中にいきなりボロボロ泣き出したり、歩いている最中に泣き出したりとかなり挙動不審だったと思われます。本人は普通のつもりだったんですが、ちょっと時間があるとすぐにいろいろなことを思い出してボロボロ泣く・・・っていうのがしょっちゅうだったんですよ。結婚して、まだ子供もいなかったし、会社もやめていなかったので、生活の面での心配はあまりしていなかったのですが、なにしろダンナとのことを思い出しては泣くばかりでした。いまでもガンの闘病記とかみるともうだめです・・・。まったく知らないところへ一人でいかないとならない不安や、まだまだ生きていたかったという無念の気持ち、そして愛する人を残していく寂しさ・・・そういうものが突き刺さるように感じられて、心がひりひりします。それでも去り行く人は残していく人のことを思いやるのですよね。自分がつらい顔をすれば、残されるものはもっとつらい・・・そうおもうのかつらいとか、痛いとかそういうことはいわないのです。それがよけい残される側はつらい・・・。でも一番つらいのはもちろん去り行く人なのだから、そばにいるものはいつものように笑いながら、1日の出来事を話たりするのです。趣味の雑誌を買ってもっていったり、好物をつくってもっていったり、会社で受け取った書類を渡したり・・・。毎日、会社帰りには病院に通って、「今日はこんなことしてしくじっちゃった。」なんて自分のことを話したりしてました。それでも、生きていてくれるだけで、よかったんですよ。意識が遠のいて話がきこえていないかも、っていわれてもずーっと私はいつものように「今日はだれだれさんにあって、こんな話をしたよ。」とか「こんな料理のレシピおそわったから、うちに帰ったら、一緒につくってよ。」とか話しかけ続けてました。すると意識が混濁しているはずのダンナがときどきにっこり笑うのです。やっぱりずっと一緒にいたいんですよね。もちろん私だって・・・。ダンナとの闘病生活をすこしづつ書いていきたいとおもいます。しかし私の人生いろいろありすぎだ・・・。 お花ボールペン 花束ローズボールペン ★フラワーボールペン★上級レディーは小物から♪お花とリボンの愛らしいボールペン♪【メール便不可】こういうボールペンがオフィスにあってもかわいい。あとイベントの受付とかでこういうものがおいてあると華やかでいいですね。
October 8, 2009
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最近は婚活ブーム。負け犬だのアラフォーだの、挙句肉食系女子だのとどうしても女性ばかりいろいろいわれるんですかねえ。べつにいいじゃん、ほっといてくれよ!っておもっている女性少なくないんじゃないかしら。それなりに学生時代は受験をがんばって、卒業するときは一生懸命就職活動して、せっかく就職できた会社だから、がんばるぞ!って仕事してきた女性。でも会社でがんばっていても、結局なにがどうなんだろう?べつにすごい高給取りになれるわけじゃないし、出世できるわけでもない、だいたい会社にとって自分がいなくてもいつでも代わりは用意できる人材にすぎないんじゃないか・・・とかむなしい気持ちになってしまう。そもそもOLは腰掛ぐらいにしかおもわれてないんだから、さっさと結婚して若い子を採用してもらったほうがいいんじゃないのかしら・・・。同じ会社に長くいるとそうおもってしまいませんか?かつては新卒女子が大企業に入社するのは大企業の有望な男性と結婚するためというのが暗黙の了解だったんですね。実際私はバブル期の短大卒入社だったので、同級生はほとんど大企業に就職してました。そして、その就職した会社に出向していた系列会社の人と結婚した子は親に「なんのために大企業に就職させたとおもっているの。」と面と向かっていわれたそうです。そういうものだったんですよねえ・・・。でも私は大企業に就職して、そこの有望な社員と結婚しましたが、とんでもないことがおこりました。なんと結婚してまもなくダンナは亡くなってしまったのです。そういうこともあるから、大企業に就職して、有望社員と結婚すれば順風満帆ってことはないとおもうんですけどね。現在のダンナは再婚相手です。とても理解のある人間のおおきい人。(背はそれほど高くないけど。やせてるし)そしてすごく子供を大切にし、しっかり面倒みてくれています。すばらしい方と結婚できたとおもっています。いまのダンナとであったのはいわゆる「結婚相談所」でした。なので、私は婚活もアリ派です。でも、私は最初の結婚のあと就職した大企業に正社員として働きつづけていられたおかげで、とくに生活に困ってはいなかったので、べつに結婚とかいいや・・・と正直思っていました。同じ会社で他の方と結婚する気にはなれないし。それに最初のダンナはいわゆる三高の方だったため、なかなかそのレベルの方って他にいなかった・・・っていうのもなくはないです。でも両親は心配していたらしい。本人がその気にならないなら、仕方ないけど、女一人なんて親が両方とも死んだあとはどうなるのか?と言いたいけど、いいだせない・・・って感じで悩んでいたようです。やっぱり結婚してすぐ死別となると、再婚しなさいとは周囲も言い出しにくかったんでしょうね。おかげで私はのんびりしてたんですけど・・・。でもやっぱり母は決意したらしく、いきなり私を「結婚相談所に登録したから。」と電話してきたのです。なんでまた?と思いつつも、やはり親の心配を見てみぬふりもそろそろ限界・・・とおもっていた私は素直に応じて、お見合いの予約日に相談所へ向かいました。で、お会いした方が今のダンナです。あんまりにもあっさり決まっちゃったんで、そんなもんなのかな・・・と思っていたけれど、ダンナはそんなにあっさりではなかったみたいです。私よりずいぶん先に登録していてお見合いもずいぶんしたらしい。そうなの?そりゃ、ずいぶん大変だったんだね。とひとごとのように感心。私は最初にお会いしたときに、この人がいいなとすぐに思ったのです。ダンナはあまり話しをしない人だけど、成約がきまって相談所に2人で報告にいって報告のお知らせみたいなのを書いたとき、「やっと運命の人に出会えました。」と書いてくれてました。へへへ・・・照れるじゃない・・・。まあそんなわけで、どんな婚活でも結果いい人にであえれば、よしとおもうんです。相談所に登録してたけど、結局他で結婚したって言う人も多いし。いま婚活でがんばっている方や、結婚できないかも・・・って悩んでいる方にエール大丈夫。あなたは充分にがんばっているんだから。あなたを心配してくれるご両親の一番の望みはあなたの幸せ。あなたが元気で生きているだけでそれでいいのです。みなさん、自分にあった幸せを見つけられるといいですね。 不老長寿の果実「ハスカップ」を使った北海道スイーツ♪ゆのみのんの(16個入)北海道のお土産といえば、私はこれ!六花亭マルセイバターサンドが有名ですが、こちらのサンドクッキーのほうが私はすき。北海道に旅行にいくと千歳空港で仕入れ!?って勢いで買い込んでます。どうしても食べたくて送料かかってもインターネットショップでも購入してしまう、大好物です。
October 7, 2009
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無事に不妊治療から妊娠、出産までの流れを全部かくことができました。しかしところどころ忘れているところとかぬけているところもあるかも・・・。でも、不妊治療で赤ちゃん待ちで悩んでいる方がこちらをみてちょっと元気になってくださるとうれしいです。玄米とトランス脂肪酸ぬき生活おすすめですよ。だからといって不妊治療を否定するわけではないです。実際に不妊治療で妊娠できている方もたくさんいることでしょうし、不妊治療のお医者様は日々勉強して努力をして結果を出そうとがんばっていらっしゃるのだと思います。それは、すばらしいことだし、尊敬できることだと思います。たまたま私は通った不妊治療専門病院の医者と相性がよくなかっただけです。でもどこも悪いところがないのに、赤ちゃんが来ないのは生活に問題があるのでは?という考え方は変わっていないです。それに、生まれた後もお母さんは大変だから、赤ちゃん以上に元気でないといけません。そのためには食生活を気をつけるのは大切なことだと思います。それにお医者様も過去のデータを分析していろいろなことをおっしゃっているのだと思います。でもかならず例外というのはでてきてしまうもの。だから治療さえすれば、なんとかなる!治療でうまくいかなければ、赤ちゃんは無理だ!ときめつけて自分を責めてしまうのはよくないと思います。治療に加えて、ご自身の生活習慣をかえていく努力をすればより高い効果がでるのではないかと思っています。そういえば、看護師をしている友人の話を思い出しました。彼女いわく「有名な野球監督(長島さん、王さん)はたしかにすばらしいお医者さんについて最高の医療スタッフや設備のもとで治療をしてもらっているだろうけど、社会復帰がはやかったのはそれだけじゃない。手術後のリハビリをご自身が相当がんばったのだろうと思う。社会復帰できるかできないかはご本人のリハビリに対するがんばり次第なのだから。」といっていました。そうなんですよね。なんでもお医者さんにたよりっきりってわけにはいかないんですよね。社会復帰したいとか赤ちゃんほしいとかそういうためには治療に対する自分自身のがんばりもとても大切なんだなあとつくづくおもったのです。なぜ自分には赤ちゃんがきてくれないの・・・、自分の年齢のせいで赤ちゃんがきてくれないのでは・・・と後ろ向きにかんがえるのではなくよし、もっと健康な体になって赤ちゃんがぜひ来たいお母さんになるぞ!っておもいながら治療をつづけていくのがいいのではないかな?といまは思っています。 キラキラ可愛い■□■チェーン付き携帯バッグハンガー◆丸型ストーン◆ピンク■□■ETBH051おでかけのときにあると便利なバックハンガー。チェーン付のものは普段もバックにつけておくことができるのでかわいいものを選びたいですね。こちらはお値段も780円とお手ごろ。
October 6, 2009
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いよいよ、母子同室初日です。いままでは、授乳室で赤ちゃんがまっていてくれて(もちろん保育師さんが新生児室からつれてきてくれるのですが)オムツをかえて、ミルクをあげる時間が赤ちゃんとのふれあいタイムだったのですが、今日から、ご飯を食べるときも、夜寝るときもずーっと一緒となるのです。うれしい半分、不安半分といったところ。まだお腹の傷も痛いし・・・。そして、いよいよ赤ちゃんが部屋に運ばれてきました。なんて、かわいい・・・。もちろん授乳室であってましたけど、やっぱり隣で寝ていると喜びもひとしおです。それにとっても機嫌のいい子で目がさめている間あまり泣いたりせずに、まだ見えない目できょろきょろとこちらを見てくれています。うれしくなって、そーっとなでてみるとさかんにこちらに顔をむけてくれます。まだ笑えないとおもうのですが、なんかすこし表情がやわらかくなったような気が・・・。笑ってくれたのかしら。うれしい。おもわず、涙がでてしまいました。「よくきてくれたね。お母さんずっと待ってたよ。」そっとなでながら笑いかけました。そんな幸せでのどかな時間はすぐ終わり。というのは3時間ごとに授乳をしないといけないのです。3時間っておもった以上にせわしないです。いそいで、オムツとおしりふきをもって授乳室へいきまずオムツをかえたあと、いそいでミルクの支度。それ!とミルクをのませると赤ちゃんのオムツの状態を看護師さんに報告するためのメモを記入。そして部屋にもどるのです。幸いうちの子はミルクをすごくよく飲んでくれる子で、あっというまに一通りおわっちゃうんですが、ミルクをあまり飲んでくれない子もいたようで、お母さんはとても大変そうでした。おかげでうちは「一番最後にきて、一番最初に部屋にもどる」っていわれてしまいました・・・。ありがたいんだけど、なんか恥ずかしい・・・。そして、問題は夜です。夜でも赤ちゃんは3時間ごとに授乳なのです。そして、初日は様子がかわったせいか、夜まったくというほど寝てくれませんでした。さすがに傷がつらくて、ギブアップ。新生児室に助けをもとめて、夜預かってもらうことにしました。そして2日目。やっぱり夜ぜんぜん寝てくれません。さすがに2日連続預かってもらうのは申し訳ない・・・。仕方ないので病室のソファにすわってひざに赤ちゃんを乗せてずーっといろいろ話しかけていました。そうしているうちにさすがに赤ちゃんは眠ってしまい、私も一眠り。とおもったら授乳室からの電話で起こされました・・・。うーん、新生児は大変なのね。でも3日目以降はだいぶなれたらしく、寝ている時間がずっと増えて、夜は私と一緒にねすごして、電話でおきたりしてました。そういえば、私、母親教室というものに一度もいかなかったのです。どこでやっているのか知らなかったのと、働いていたのでいくタイミングを逸したっていうのが理由なんですけどね・・・。だから、お風呂の入れ方とか抱っこの仕方、授乳のタイミング、おむつがえとかそういった指導をぜーんぶ病院でしていただきました。こういうときやっぱり高くても母と子さんでよかったあ・・・とつくづく思いました。私の母曰く、「市民病院だと、看護師さんに怒られるよ。」とのこと。そうか、確かに市民病院だと看護師さんいろんなことやらなきゃいけなくて大変そうだもんなあ。母と子さんは働いている方が多いのでいろいろなことを分担してやってくださっているのできめこまやかだった気がします。おかげでなんとなくひと通りの流れを覚えられました。母と子さんは退院の直前に同じ時期に入院していたお母さんたちと集まってビュッフェ形式で一緒に食事をすることができました。そこで、ご家族のことや、ベビーカーのこと、ベビーバスのこと、チャイルドシートのこと・・・いろいろお話できました。なんにもしらなかったので、ひたすら感心するばかり・・・。でもみなさん赤ちゃんとのこれからをご家族ですごく楽しみにしていらっしゃるのがよくわかって幸せを一緒に感じることができました。やっぱりここで出産できてよかった・・・。そして、無事退院。ダンナは新品のチャイルドシートをつけた車ではりきって迎えにきてくれました。赤ちゃんはチャイルドシートに乗せると、いきなり吐いてくれました・・・。びっくりしちゃったのかな・・・。こうして、我が家に長男をむかえて一緒にくらすこととなったのです。現在我が家の長男は1歳となり元気いっぱいでお父さん子やってます。いろいろ、びっくりすることもありましたが楽しく育児やってます。これからも楽しく一緒に成長していけたらうれしい。 ★リボもOK!!★送料無料★★NEW ベビーズ5 グレー 【日本育児】 一台で5役の優れものベビーカー!!こちらはチャイルドシートにもなるベビーカー。とても機能が充実してます。おねだりが許される場合はぜひこれをお願いしたかった。
October 5, 2009
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みなさま、育児がんばってますか?私は頭痛がひどい・・・。でもめげずにがんばっております。 とにもかくにも、無事に出産しました。手術後は麻酔もきいていたので、ダンナは手術後に声をかけてくれたようですがぜんぜん覚えておりません。それから、母と子の病院では出産前と出産後は部屋を変わるのです。荷物も移動してありました。移動後の部屋のベットに寝たまま運ばれました。私はほとんど意識ないままグーグー寝てしまいました。が、問題は次の日。朝おきるとしくしく、じくじく痛いのです。麻酔きれちゃったんですね。(当たり前)看護師さんが検温にきてくださって、「痛みはどうですか?」と聞いてきてくれたので、「痛いですが、のたうちまわるほどではないです。」というと「そうですね。麻酔がきれてくると傷口はしばらくは痛いし、まだしっかりくっついていないので安静にしていてくださいね。」「先生の検診がもうすこししたらあるから」とのこと。「検診ですか。」「今日はまだ移動はできないけど、明日ぐらいから検診は御自分で検査室のほうへいってもらいますから。」「へ、歩いていくんですか?」「そうよ。どんどん歩いて、傷口がへんなようにくっつかないようにしないと。赤ちゃんもこちらの部屋にくるのが遅くなっちゃいますよ。」そういえば、私まだ赤ちゃん見てない。新生児室にまだいたんだ。そーか!早くあうためにはうだうだしていられないぞ。と張り切って、さっそくベットから体をおこし移動をしようとしてみました。イタタタタ・・・。さすがにまだ痛い・・・。「まだ、つらいようだったら、ポータブルトイレ用意しましょう。」と看護師さんの提案。ポータブルトイレとは要するに大人用おまるですわ。部屋にトイレついているんですが、そこまで移動するのも難儀なときは用意してくれるそうです。うむ、少々なさけないが、仕方がない。1日目はそれでなんとかすごしました。ちなみに食事はお部屋でいただきました。あいかわらず、ご飯おいしいです。夜食のおやつもおいしい。栄養のバランスもきちんと考えてある食事だからたべていて安心感があります。2日目にはいると看護師さんが、「今日は点滴もって検診に自分でいってもらいますね。検査室までは案内しますから。」とのこと。よし、がんばるぞ。点滴台が動かせるようになっているのはこのためだったのね。よろよろとおきあがり、点滴台を杖代わりにして移動。なんとか診察をうけてきました。「傷口は順調についてきているようだし、食事もきちんとたべているので、あとはどんどん歩いて、体調回復をめざしましょう。」ということでした。よし、がんばるぞ。3日目 看護師さんがこちらの部屋にベビーベットを用意してくださいました。(そのまえにポータブルトイレはもちろん片付けられました)「赤ちゃんいよいよくるんですね。」と私がたずねると「そうですよ。すごく元気な赤ちゃんで、ミルクもよく飲むし、よく寝る子ですよ。」とのこと。わーい、楽しみだ。でもまだ完全に傷の痛みいえてないのがちょっと心配・・・。(つづきます) 【10%以上Off】【送料無料】 ハンナフラ Hanna Hula トートバッグ ショコラ とってもかわいい、ママバック。哺乳瓶入れ(ボトルケース)やオムツがえシートもついていて便利。もちろんオムツ卒業後もママのトートーバックとして充分使えるかわいらしさ。
October 4, 2009
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促進剤でうなりつづけること2日。それでも陣痛はきません。看護師さんは、PHSを貸してくださって(病院の中ですもんね)「ご主人、ご実家に帝王切開になることをご連絡しておいたらどうですか?」といってくれました。そういえば、今日はダンナは出張のはず。しかも今日は飲み会があるとかいってたなあ・・・。よし、電話しよう。あれ、まてよ、ダンナの携帯番号わかんないぞ・・・。世間の方はダンナ様の携帯番号って覚えていますか?携帯に登録してしまっているから覚えてないって人がほとんどだとおもうんですけど・・・。しかたなく、看護師さんに「あの、ダンナの携帯の番号わからないんですけど・・・。」というと、看護師さんは気をきかせて入院の申し込みのときの緊急連絡先をもってきてくださいました。おお、そういえば、入院申し込みのときそういえば、ダンナの携帯を記入した覚えがあるぞ。さすが気がきくなあ・・・。(でもすぐ持ってきてくださるって事はやっぱりそういう人多いんじゃないかしら・・・)さっそくお借りしたPHSでダンナの携帯にTELなんだか電波状態があんまりよくなさそうで、声がきこえづらい・・・。とりあえず、必要なことだけ・・・。「なんだか帝王切開になりそうなのよ。だからとりあえずこちらにきてもらえる?」するとダンナも一言「わかった。じゃあすぐ向かうよ。」とのこと。そして、実家にも電話。自宅は固定電話ですぐつながりました。「帝王切開になりそうなんだって。ダンナにも連絡したのでこちらにむかってくれてるけど。」というと母は「わかった。じゃあ、これからそっちむかうわ。」とのこと。母は後で「初めての手術を一人でうけることになったら心細いかとおもったの。」といってました。ありがたい母心でございます。うるうる・・・。連絡をすませて、しばらくうなり続けること数時間、結局赤ちゃんはまるで下がってきてくれず、結局帝王切開決定。「ストッキングを買ってもらわないといけないんですけど・・・」(帝王切開のときに専用のストッキングをしないといけないのだそうです。知りませんでした。)看護師さんが声をかけてきました。すると以前からついていてくださった看護師さんが「あ、ご主人きていたみたいだから、お部屋のほうに声をかけてみて。」とすぐにいってくださいました。そっか、もうダンナきてたのか。結構早くこれたんだな・・・とかぼんやりおもっていましたが、実はダンナは電話をうけてすぐとりあえず会社を引き上げてすっとんできたらしいです。そしてストッキングがとどけられ、手術の準備がはじまりました。最初に着替えて麻酔。麻酔の注射って結構痛いんですね。しかも何箇所もうたなくちゃいけないし。でも何回か麻酔をうっているうちに痛みを感じなくなってきました。麻酔きいてきたんですね。そうして、先生はいろんなところをつつきながら、「ここ、痛い?ここは?」と麻酔の効き具合を確認してくださってます。「痛くないです。」とぼーっとしながら返事をする私。そこへ看護師さんにつれられてダンナが手術室へきました。「お義母さん、きてるから。大丈夫?気持ち悪くはない?」と声をかけてくれました。「うん、大丈夫。」麻酔がきいてるせいか、眠くて、ますますぼーっとしながら答えました。「がんばってね。部屋でまっているから。」とダンナは声をかけてもどりました。いよいよ手術。なんですが、麻酔がとってもきいていたせいかまったく記憶がないんですよ。ただ、おなかから赤ちゃんが出た瞬間、「はい、おめでとう」と担当のお医者様がいっていたような気はするんですが・・・。そんなこんなで帝王切開は無事におわりました。でも帝王切開でも手術は手術なんですね。多少回復には時間がかかりました。後日談はまたあとで・・・。フォーマルな装いにブルーフォックスストール【kobe-family0612】結婚式の参列や、同窓会、謝恩会など、ちょっとフォーマルな席にぴったりなフォックスストール。着物でもドレスでもスーツでも使えます。お値段もとてもお得。(19,800円)
October 3, 2009
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こんにちは。毎回日記が長い!すみません・・・。気楽におつきあいいただけるとうれしいです。 出産のために入院しました。まったく陣痛の気配もありません。(初めてなので陣痛の気配ってどんなものだかわからないけど)おかしい・・・。そこで陣痛促進剤の点滴が始まりました。人生初点滴。うーん、なんだろー、気持ち悪い感じがするなあ・・・。あとなんとなくおなかが張っている感じ?そんな感じがずーっとつづいていました。看護師さんが定期的に見回りにきてくれて、「どうですか、痛みとかありますか?」と聞きながらお腹の様子をチェックしにきてくださいます。しかし、ただただ気持ち悪いだけで、陣痛らしきものはまるでおこりません。看護師さんに「陣痛ってわかるものなんですか?いまなんとなくお腹はるなあ・・・って程度なんですけど。」と世にもマヌケな質問をすると看護師さんは笑いながら「わかると思いますよ。ものすごく痛いものだから普通に会話とかできなくなると思うし。」と答えてくれました。そうか、やっぱり陣痛はきてないのね。担当のお医者さまもときどき様子を見に来てくださいました。「調子はどうですか?」「うーん、気持ち悪いだけです。」お腹の様子をみてくださると「下がってないねえ。まだ陣痛がこないようだと、胎盤がよくなくなってくるから、お腹切らないといけないかもしれない。」「おなかきるんですか?」と私。「そうだね。あと1日がんばってみて陣痛こないようだったら、帝王切開にしましょう。」「そうですか・・・。」私は人生で入院ってまったく初めてなんです。しかもメスをいれるなんてこれまたまったく初めて・・・。かなり不安になりました。お医者さまは私のそんな様子をみて「とにかくあすまでがんばってみましょう。それでだめだったら帝王切開ね。元気な赤ちゃんにあえることが一番だから。」と声をかけてくださいました。そうだ!元気な赤ちゃんにあえるんだ!もしかして赤ちゃんは外に出るのを不安がっているのかも・・・。私が手術を不安がっている場合じゃないぞ!よーし、がんばるぞ。気合をいれて、点滴うけつづけました。・・・が結局1日目は陣痛なし、運命の2日目へと突入しました。またも点滴をうちながら、うーん気持ち悪いと病室のベットでうだうだしてました。するといよいよ気持ち悪さが強烈になり、思わず嘔吐してしまいました。点滴で動けなかった私は仕方なくナースコールをし、「あのすみません・・・。はいてしまったんですが・・・。」と連絡。するとすぐ看護師さんと病室を掃除してくださる方がとんできてくださいました。看護師さんは「お部屋を片付けないといけないから、ちょっと早いけど分娩室のほうへいっていましょうか。」といってくださいました。そこで看護師さんにつきそわれながら分娩室へ移動。分娩室のベットで点滴をうけながら陣痛待ちとなりました。うーん、陣痛よ、きてくれえ。(祈り)しかし祈りもむなしく陣痛はきません。お腹ははるし、今度は腰が痛くなってきてしまいました。うーん、痛い。でもこれ陣痛じゃない・・・。分娩室のベットは硬いのです。そして狭い。しばらくじたばたしていると、看護師さんがきたので「腰がとてもつらいです・・・」とうったえるとお腹をすぐさまチェックしてくださったあと、「陣痛はきていなそうだから、こちらならどうかしら。」と木馬みたいなイスにすわらせてくださいました。これは、よかったです。ものすごくラクになりました。あれ、でもラクになっちゃだめだ・・・。陣痛・陣痛・陣痛・・・・と念じつづけました。そうこうしているうちにお隣にも妊婦さんいらっしゃいました。そして、かなりツラそうな悲鳴が・・・。しばらくすると、かわいらしい新生児の泣き声がきこえて、私の横を助産師さんにだっこされていく真っ赤な小さな赤ちゃんが見えました。なんて、かわいい・・・。しかし私が見とれている間にさらにお母さんの悲鳴が・・・。「痛い・・・。」「体をよじっちゃだめだよ。危ないから」とお医者さまらしき声。出産のとき内臓が一部破裂したとかで、それを処置していたそうです。ええ?生まれたら、さっぱりすっきりじゃないの?恐怖と不安で頭がぐるんぐるんしてきました。イスにまたがりながら不安とだるさでうーん・・・とうなっていました。そして夕方お医者さまが診察に見えました。「様子どうですか?」「おなかがはっている感じはしますが・・・。」「陣痛はきてなさそうだね。陣痛きてたら普通に話しするのもつらいから。」といいながらお腹のチェック。そして、「だめだ、朝からぜんぜん下りてきてないね。帝王切開だね。」とおっしゃいました。やっぱりそうなったかあ・・・。(次回に続きます) 【半額SALE】ぺたんこシューズ☆お問合せ殺到の話題の人気アイテム300足限定販売フラワーラバーシューズ人気のラバーシューズこちらは値段も安くて、とってもかわいい!
October 2, 2009
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こんにちは。本日はおじいちゃん、おばあちゃんに山下公園につれていってもらいました。息子ははじめて見たあかいくつ(レトロ調の市バス)、船、かもめを指差して、「おー!」と声をあげていました。ちょこちょこ歩いていると、同じ年ぐらいの子がいっぱいいてうれしそうに一緒に歩いたりもしてました。とっても楽しんでいたみたいです。 おなかの中でも順調に育ってくれたのはよかったのですが、ちょっと大きくなりすぎたようです。出産時は3,800gでした。(ダンナは看護師さんが「わあ、大きいねえ」といっていたのが聞こえたといってました。)そうなんです。大きいんです。特に頭。頭が大きいとお母さんの骨盤を通れなくなっちゃうんですよ・・・。これが問題でした。出産予定は4月半ばだったのですが、お医者さんは「うーん、この子は大きいし、すごく元気だから3月中に生まれるかも・・・。」といわれていたのです。そうか、3月中か、それはそれでうれしい。「でも、下がってこないんだよねえ・・・。」と気になる発言。「下がってくるものなんですか?」「そうだね。下がってきて陣痛がおこるものだから。」「そうですか、じゃあがんばって下がってきてもらわないといけませんね。」「そうなんだよね。でもこの子おりてきてないんだよね。ちょっと刺激しておこう。」と処置してもらいました。「もしかしたら破水とかおこるかもしれないから、そうしたらすぐ来てください。」とお医者さん。「わかりました。」と私。破水かあ。どんなものなんだろう。やっぱり痛いのかな?ダンナがいないときにおこっちゃったら病院に連絡できるかなあ?とか不安だの期待だのをいっぱいかかえて1週間すごしていました。しかし、なーんにもおこりません。痛くもかゆくもならないんです。おかしいぞ・・・。そして、検診へ。「あの・・・破水も陣痛もおこらないのです・・・。下がってる感じもないんですが・・・。」先生はさっそく超音波で検診「うーん、下がってきてないねえ。予定は4月半ばだよね。今度の検診(4月15日ごろ)のときに状態が変わってなければ、入院しましょう。」とのこと。そうか、いよいよ出産のための入院か!楽しみだなあ。とピクニックにでもいくような気分だった私。ん?でも待てよ。普通自然分娩って陣痛がおこって大慌てでタクシーよんだり、救急車よんだりして、出産するものじゃなかったっけ?まあ、でも病院で陣痛がおこったほうがいろいろ安心だよね・・・と勝手に納得してダンナに報告。ダンナもよくわからなかったようで、そういうものかな?と思っていたらしい。初産なので・・・。結局、破水も陣痛もおこらないので入院。初日はケースワーカーさんに説明をしてもらって、あとはゆっくりお休みくださいとのこと。うふふ、ホテルに泊まりにきたみたい。ご飯もおいしい。上げ膳据え膳サイコー!しかし、甘かった。これからつづく長くつらい不安な時間を思ってもみなかったのです。(つづきます。) シャンタン使いのゴージャスバルーンスリーブのプリンセスドレスおしゃれで着やすいニットワンピースがいっぱいそろっているソードスミスさん。ちょっと高いかな?とおもいますが着てみるとお値段以上の価値を感じます。
October 1, 2009
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