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4/1:最終日:沖縄→… New! 天地 はるなさん

Welcome to Ichiro’s… Ichiro_Kishimiさん
沖縄でウエディング… 上等沖縄司会屋さん
2006/03/17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ずっと以前に、54歳で亡くなった兄は気が弱かった。気の弱い私から見てそうみえるほどだったその兄が予科練に応募したことがある。でも、適性検査で目を回し不合格になったという。

 私とその兄は年がかなり開いているので、聞いたはなしだが、よくその気になったものだ。

 その後、本で読んだり、人に聞いた話では、周りの雰囲気や教師の勧めが大きかったらしい。いずれもつくられたものである。

 弱気な兄はその後、なんとか54歳まで生き延びたのだが、もし合格しておれば特攻隊でいのちを落としていたかもしれない。

 戦争が終って、予科練行きを進めた教師は誰も責任を足らなかった。戦争に協力した教師のほとんどが、きちんと総括せず、責任について考えず、知らぬふりをするか、逃げた。そして、ちゃっかりと「民主主義教育」を唱え
た。

 戦後平和教育、民主主義教育が今、ほとんど覆されようとしているのも、そこに原点があるのではないだろうか。

 もっとも、厳しい総括、反省、吟味、責任の追及がなされなかったのは、ほとんどすべての分野にいたる。戦前、戦中の残滓は今もいたるところにのこり、息を吹き返そうとしているかのようだ。

 さる雑誌で、元予科練生の投書を読んで浮かんだことである。





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Last updated  2006/03/17 02:19:38 PM


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