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小児はり&鍼灸の研修旅行です。対象は鍼灸師または医療関係者です。ベトナム研修・山岳少数民族訪問期間2015年 8月16日(日)〜8月23日(日)フエ市での小児はりと鍼灸のボランティア活動も15年目を迎えました。今回も小学校や郊外の診療所、障害児親の会、幼稚園や孤児院、病院などで鍼灸・小児はりでの治療活動をいたします。それに加えて山岳少数民族の居住区訪問を予定しています。普通では入れないところなので得難い経験になると思います。旅行日程8月16日 成田集合13:25 成田発15:25ダナン着 18:55 チャーター車でホテルに 17日〜20日 フールー小学校、キムロン病院東洋医学科&小児科、フーハウ診療所、子どもの家、希望の家(幼稚園、孤児院、シスター)、ビーザー地区・スンフー地区障害児親の会での治療活動21日 山岳少数民族訪問 ※この訪問は参加自由です。8月22日夕方までフリータイムその後ホーチミンに移動22日深夜 ホーチミン発23日 朝 成田着 成田で解散します。フエ滞在中は 午後4時半からフリータイムです。夕べの散歩やショッピング、川辺にある水上レストランなどでゆっくりと過ごしてください。ホテルはバオ・ミンホテルです。清潔でアットホームなホテルで、日本語通じます。全行程に日本語堪能なスタッフが添乗します。事前に研修がありますので、不安なく過ごせると思います。旅行代金 19万5千円 旅行用の傷害疾病保険代、成田を発って帰るまでの旅費(サーチャージ空港税を含みます)朝・昼食事、ホテル代を含みます。※ホテルは1室2名です。個室希望の方は別途料金が発生します。 山岳少数民族を訪問しない人は18万になります。申し込み締め切り 7月10日 主催 子どもハリの会 連絡先 047-712-5842 ハリ・キュウ モモの木Email noranekoyaya@yahoo.co.jp鍼灸Osakaにモモの木が紹介されました。【楽天ブックスならいつでも送料無料】鍼灸OSAKA(106(2012.Summer) [ 鍼灸OSAKA編集委員会 ]価格:2,097円(税込、送料込)
2015年06月03日
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来る5月4日より10日まで海を渡り越南国へ、小児鍼を主体に治療活動へ行ってまいります。誠に勝手ながらその間休診となりご迷惑をおかけいたしますが、何卒、ご了承のほどよろしく申し上げます
2014年05月02日
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ここのところ闘病で忙しかったけど、やっと一息つけるようになった。去年は鍼灸院を閉じて身辺整理して、入退院を繰り返していた。スタッフのみんなごめんねー。迷惑かけたね。もっといっぱい教えておけばよかった。去年の8月13日に手術して、8月23日に退院。経過は順調にきている。ドクターは的確な判断と腕前で、とにかく私を生還させてくれた。本当に感謝している。闘病で何もかも失ったけど、とりあえず歩けるしハリもうてる。去年12月24日に新しいモモの木をスタートさせた。出会った人たちが親身になって支援してくれた。市川市役所、T信用金庫、リフォームのKさん、不動産屋さん、大家さん、本当にありがとうございました。忘れずにエールを送ってくれた人たち患者さん皆さんに支えられてとにかく一歩を踏み出せました。スタッフのみんな、温かい励まし本当にうれしかった。また一緒にやれたら本当に幸せなんだけど、お給料が出せそうにない。涙を呑んで一人でスタートです。幸い息子が鍼灸師の資格をとったので、しばらく無給で使う予定です。またみんなと一緒にやれるよう仕事に邁進します。
2014年04月04日
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こどもはりの研修のチラシの内容を以下に貼りつけました。詳しいことは主宰者までお問い合わせください。こどもはり研修の旅ベトナム研修 3月14日~3月20日6泊7日主催 子どもはりの会2000年から始まったベトナムでの子どもはり治療は10年の節目を迎え、さらに地域の子どもたちの中に溶け込んでいます。障害児親の会、病院の小児科、東洋医学科、水上生活者の医療キャンプ、小学校、子どもの家と広がりを見せています。子どもはりが初めての人でも出発前に3回講習をして使い方をマスターします。現地でもベトナム人医師による講習があり、万全の態勢で子どもはりの施術に臨むことができます。日本語通訳が常に同行し、移動はチャーター車、ホテルは秋篠宮も泊ったという老舗のホンジャンホテルで、セキュリティには細心の注意を払いました。快適な環境で、研修期間を豊かに過ごしてください。募集対象 子どもはりに関心のある人募集締め切り 2011年1月末(講習日程は締め切り後にご連絡します)旅行代金 26万円(航空券・現地移動・食事ホテル・保険・講習・子どもはリ器具代) 2回目以降の参加の方は器具、講習代合計の3万円を引いた金額です 一人部屋希望の方は3万円増しです。費用に含まれないもの 成田空港までの旅費、個人的な支出(喫茶、お土産、クリーニング、オプションの観光など)ホテル HUONG GIANG HOTEL 51 LE LOI STREET, HUE CITY, VIETNAM主催/連絡先 子どもはりの会〒272-0033千葉県市川市市川南1-1-2-303 TEL・FAX 047-324-0732代表 大極安子 Email noranekoyaya@yahoo.co.jp http://plaza.rakuten.co.jp/nekonohari/後援/協賛JASSベトナムオフィス 12 CHU VAN AN HUE VIETNAM子どもの家を支える会ベトナム
2011年01月04日
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肩が痛い時、反対側の三里の下あたりに出ている反応点に深めの斜鍼。時々自分で痛い肩を動かしてもらうと、あらら、楽になっている。中医の本に載っていたのを応用したのだが、重宝している。治療が楽だし、鍼一本というところが気に入っている。胃が痛い時は足に反応が出ていることが多いが、案外手の曲池のあたりに反応が出ていることもある。最近痛いところは手をつけないで終わることが多い。
2010年12月22日
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3月14日に日本を発ちベトナムフエに行きます。19日にベトナムフエを発って20日の朝、日本に帰ります。細かなことはこれからアップします。フリータイムがなくなりそうなほど治療の密度が濃いです。今日はしおりの制作です。気がついたらもう夜でした。
2010年12月19日
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平滑筋肉腫と診断されたのが去年の10月。足にできたふくらみが急に大きくなって、どの病院でも診断がつかないまま摘出手術したら平滑筋肉腫。すでにおしりの筋肉内に転移していたようす。手術後1ヶ月のMRI診断では長さ7センチ幅5センチに育っている。手術によって、急激に転移の肉腫が大きくなったようす。歩くと足の裏にピリッと痛みがはしる。転移肉腫が大きくなって神経を圧迫しているのだろう。10年前に摘出した子宮筋腫との関係を疑われる。あれも急に大きくなって摘出したら赤ちゃんの頭ほどあった。この時点で某大学病院から築地のがんセンターにクリスマスの12月25日に丸投げされる。がんセンターでは、年が明けたら即刻再手術といわれる。増殖のスピードが速く、なんだか体中が肉腫に埋め尽くされているような気持ちになる。些細なふくらみでも見つけようものなら頭から血の気が引く。やはりかなり落ち込んでいたと思う。でも、忙しかった。同居していた三男の卒業、巣立ちの引越し。別居していた夫のところから逃げてくる病気の長男と次男を引き取るための引越しの手配。自分の事ばかり考えていられないのが幸いした。12月の末から、信頼している鍼灸師から教わったゲルソン療法を開始。彼はお兄さんを肝臓癌から生還させたとのこと。ゲルソン関係の本とコーヒー浣腸の器具一式をもらう。感謝。ゲルソン療法は厳格な食事療法と1時間おきに飲む絞りたての野菜ジュースと、4時間おきのコーヒー浣腸を骨子とするアメリカではすでに認められた治療法とのこと。私は仕事を持っているので、簡略版星野式ゲルソン療法を採用。ジュースは一日5回にする。コーヒー浣腸は一日4回。食事はオートミール、ジャガイモのゆでたの、玄米、野菜の煮たの。一切の塩、砂糖、油、動物性のたんぱく質を抜くこと。食べられるものを探すほうが早い。3週間後に手術入院のための検査をするためにがんセンターに行く。即刻手術といわれていたので覚悟を決めていたら、1ヵ月後の経過観察でよいといわれる。やったー!!!1ヵ月後に行ったら、2ヵ月後でいいといわれる。で、2ヵ月後に行ったら3ヵ月後の経過観察でいいといわれ、様子を見ていこうといわれる。自分でおしりを触っても、硬いしこりがやわらかくなってきている。何よりも足の裏の痛みがなくなる。現在体調はすこぶる快調。肉腫はまだあるけど大きくならないし、退縮しているのではとひそかに思っている。前向きに戦っているのでなんだかいつも楽しい。もちろん同じ療法をやっている仲間同士の支えあいも大切。平滑筋肉腫と診断されてから9ヶ月。ゲルソン療法を開始してから7ヶ月。平滑筋肉腫は大変な病気と理解している。某大学病院の説明では私は高度悪性でこの病気で死ぬといわれた。でも、今は日の光の明るさを心から楽しんでいる。これからどうなるかは誰にもわからない。ひとつ言えることは、私はこの食事療法を生涯にわたってやっていくこと。人任せではなく自分の手に病気との闘いをおさめていくつもりだ。
2009年07月28日
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時間がないので、チラシに自分たちの伝えたいことばかり書いてしまっていた。ベトナム研修は、JASSベトナム事務所あってのことです。全面的に小山道夫さん、ミンベトナム事務所長、ベトナム事務所のスタッフの皆さん、こどもの家のセン委員長とスタッフの皆さんの協力のおかげです。そのことを一行も書いてなかった!!!いくら時間がなくて慌しかったとはいえ。。。。JASSの皆さんごめんなさい。今日そうだと気がつきました。トホホです。日本語の通訳もベトナム事務所のスタッフが同行してくれるから成り立つのです。今からチラシをすりなおさなくては。大変だ!!!!
2008年01月11日
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3月のベトナム行きに向かって走り始めました。フエのJASSオフィスと連絡を取り合っています。ホテルはリバービューを押さえようとしていますが、フエは今ヨーロッパ人に人気でとっても混んでいます。去年よりホテル代もあがったようだし、何よりもタクシー代の値上がりが激しいです。航空運賃の上に乗っけられるサーチャージ(石油値上がり代)も去年の倍以上になっています。ベトナムはミニバブルの真っ最中。以前の観光番組にあったような安さはもうなくなってきています。3年前1ドルだったスカーフは今は4ドルです。(それでも日本より安いか)トホホです。でも、そんなことより子どもたちが待っています。お母さんたちも待っています。キムロン病院のみんなも待っています。スンフー地区の診療所の親の会の人たち、フールー小学校のみんなも待っていてくれてます。ありがとう。また会いに行きます。とっても忙しいはずだけど、なにやら時間ができて、1週間行ってきます。毎年秋と春の私の行事になりました。モモの木の患者の皆様、暖かく認めてくれてありがたいです。明日、今回の旅行の詳細をアップします。今回は研修旅行なのでオープンにして参加を募ってます。興味のある方はどうぞご参加ください。
2008年01月10日
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今日は立て続けにキャンセル続き。こういう日もあるのだ。久しぶりに町に出て猫のご飯を買って来る。ゆったりとして得した気分。患者さんからいただいたフルーツケーキでお茶にする。あー生き返る。時が輝いている。忙しいからこそ時が輝くのよとお手伝いのスタッフに言われる。町で偶然あったゆう君。一回の治療で解熱して、今日はママと元気にお出かけ。ママの笑顔が一番。思い出して幸せな気分。さて、夕方の患者さんのためにベッドを整えて、とびっきりの笑顔でいい治療をしましょう。今日もいい日でありますように。
2007年12月07日
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忙しい忙しいで一年が暮れそう。介護、母の実家のお墓の問題などが山積み。避ければ避けられるのだけど、避けたらのっぺらぼーな生活になりそうなので、みんな引き受けてきたけどもう潰れそう。母を介護しているが、人が一人生ききるのって大変だと実感。それでも細々やってきた広場が軌道に乗ってきて、お母さんと赤ちゃんが口コミで集まってきて、11組の親子の日もあった。モモの木で去年の7月から細々と開いた広場は着実に成長している。お母さんたちと一緒に赤ちゃんの成長を喜び、人生のさまざまな悩みを分かち合って、大変だったけどしみじみと続けることの大切さを感じている。今年の最大の収穫といえる。とにかく潰れないで今を乗り切らねば。それにしても町を普通に歩いている先輩おばさんたちの凄さ。介護とそれにまつわることをやり遂げて、一人か二人の人生を見送っているのだろうな。おじの法事に出て、男たちのだらしなさを実感。誰かが最後はすべてやってくれると甘えているのだろうか。人生は一人。思い定めないと。とにかく潰れないこと。
2007年11月30日
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三男が10ヶ月のとき、文恵先生のビデオに出演しました。付き人として私も出ました。この後、三男は学会で小児はりのモデルも勤め、付き人である私は2度も先生の手を親しく拝見させていただきました。ビデオの赤ちゃんは二人で、息子は最初のモデルです。プロカメラマンの夫が撮影しました。当時駆け出しの私は、何がなんだかわからなかったのですが、プロカメラマンの夫は息子の顔色が瞬時に変わったのを見て本当にびっくりしたと言ってました。文恵先生が何度も顔色変わったのがわかる?と私に聞いているのに阿呆な受け答えをしている私です。わかってなかったのです。今見ると、オーバードーゼでむずがっている息子の頭維のあたりを、先生はさっと金鍼で触れたかなぐらで息子の顔色を変え、ゆったりとお風呂上りのような雰囲気に変えてしまいました。本当にあっという間のことでした。小児はりの極意を見せていただいていたのに、お馬鹿でした。もったいなかったなー。三男は今年19歳になりました。当時の意味がやっとわかりかけてきました。ビデオを見るたびに文恵先生の宿題の難しさに頭を抱えています。
2007年10月15日
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最近外国人を相手にした講演会を聞く機会があり、小児はりは、大人の刺激量を減らせばいいと講師が言ったのには本当にびっくり。外国人相手だからこそ間違ったことを言ってほしくなかったです。常日頃小児はり、タッチセラピーは簡単ですよと言ってしまっていた私。責任感じます。小児はリは、大人にする「なでばり」とは全然別で、刺激が多すぎると危険を伴うこともあります。やっていいときと悪いときもあり、触れて皮膚を読む技術が要求されます。でも、そんなこといったら誰もやりたがらないので、簡単ですよ(見た目は簡単なのです)と言って、とにかくやろうと言う気を起こさせていたけど、考えを改めねば。実は、小児はり、タッチセラピーは簡単そうに見えますけど、とっても難しいのです。初めての人にやらせるときは、やってはいけないこと。。。強い刺激、やさしくしようとするあまり、くすぐったくする、痛いのは論外。。。などなどを厳しくチェックして、私どもの監視下でやってもらいます。症状をよくすることはできなくても、子どもに不快感を与えず悪くしないと言うことを目指します。これが最初の一歩です。子どもにちょうどいい刺激がだせるようになったら、子どもが寄ってきます。経験を積むと、皮膚の異常な箇所が、なでながらわかるようになります。刺激で皮膚が変わることが見えてきます。(本当に一瞬で変わります。おー怖い。漫然とやっていたらオーバードーゼをすぐ起こします)刺激に対して皮膚変化の予測ができるようになります。ここまできて、病児に対処できるようになります。お母さんたちはいつも自分の子どもの皮膚を触っているので皮膚が変わることはすぐ飲み込みます。お母さんたちは自分の子のプロにすぐなれます。でも、プロの治療者になるにはさまざまな経験をしなくてはなりません。小児はり、タッチセラピーは簡単そうに見えますが、奥が深く、シンプルなものほど難しいという法則はここにもあてはまります。
2007年10月11日
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9ヶ月のご無沙汰でした。昔から頭で知っていたのだけど、最近本当に納得できたのがこれ。鍼は刺さなくてもいいんだ。そのほうが患者さんも楽だし。お灸しなくても接触鍼ならおんなじ効果が出る。我ながらびっくりのこのごろ。刺さなくて8割。刺して割かな。刺すと冷えが怖くて、本当に浅くさす。1ミリで充分かな。タッチセラピーの要領で肌をさすって、引っ掛かりを軽く押すと、ピンポイントでつぼがでる。金鍼で軽く刺激すれば皮膚は緩むし、皮膚が緩めば筋も緩むし。表面の気を操作すれば血も動くし。言い古されていたことだけど、本当に納得!今まではなんとなく半信半疑で刺してしまってたけど。刺さないな最近は。谷岡先生に言われていたことがよくわかるようになった。「小児はりはつぼを探る手を鍛える」と。いまさらながら先生に感謝。納得するまで接触鍼をしない頑固者で損したな。もっと素直に学べばよかったなと思っている今日この頃です。
2007年10月10日
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1月28日に小山道夫氏が医療功労賞を受賞して、30日の読売新聞の顔の欄に小山さんの顔写真と簡単な経緯が載りました。つい先ごろ、心無い中傷記事がインターネット上に載り心を痛めていましたが、やっぱり本当のことはきちんと評価されるのですね。文字どうり命がけでベトナムのストリートチルドレンと障害児支援をしてきたのです。支援のはじめでは、日本のスパイといわれ、軟禁、監禁、投獄、逮捕は数知れません。ベトナムのフエの「子どもの家」は、困難にめげず彼が立ち上げたものです。孤立する障害児親子のための障害児親の会は、集会禁止令のためになかなか実現しませんでした。今でも小山さんには秘密警察の監視がついています。小山さんがやってきたことがきちんと評価されて嬉しいです。2月4日に小山さんを支援するJASS(ベトナムの「子どもの家」を支える会 日本事務所)主催の総会と12周年記念式典があります 日時は 2月4日(日) 13時30分から16時30分が総会です。 17時から19時30分が 式典です。 会場は 北区教育会館です tel 03-3940-5764 式典のみ参加費1000円(簡単な食事と飲み物つき。)高校生以下は無料です。 総会はもちろん無料です。よかったらどうぞご参加ください。子どもの家とフエの活動のビデオ上映や、小山さんの近況報告などがあります。3月にマブベえがおの会は、ベトナムのフエの「子どもの家」と障害児親の会に出席して、タッチセラピーの研修をします。フエの子どもたちと触れ合いたい方のご参加をお待ちしています。日記の上にあるベトナムの写真をクリックするとマブベえがおの会にとびます。詳細はそちらをごらんください。
2007年01月31日
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昨日の午前中は、車椅子の母と市川大野界隈の散歩をしました。小さな草が少し生えてきて、可憐な青い花がちらほらあります。風もなくお天気で、空気が少し緩んでとても気持ちよかったです。今年の鶯を初めて聞きました。もうかなり上手にないてました。午後は近代美術館で横山大観の生々流転をみて、ちょっと足を伸ばして山種美術館の千住博展もみてきました。日本の美って朧な空気感にあるのでしょうか。素敵なものに出会い、充実した日でした。
2007年01月29日
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昨日はモモの木の広場をひらきました。お母さんと赤ちゃんが集まって、1時間半ぐらい遊んでおしゃべりする場です。スタッフはベテランの保母と、鍼灸師で子どもの心理相談をやってきた私です。8人の赤ちゃんと、8人のママと1人のグランマで熱気あふれる会になりました。お薬の使い方に悩む新米ママに先輩ママからの経験談がでたり、おっぱいをいつ取るかの話が出たり。楽しく遊んでいっぱいおしゃべりして、あっという間の2時間でした。(いつの間にか時間オーバーしてました)5人の赤ちゃんがタッチセラピーを希望しました。目の前で変わる皮膚の色と艶にママたちはびっくり。今のシーズンは乾燥して肌のトラブルが多いとき。タッチセラピーを自分でもやってみたいとママたちの希望があり、その時間を検討中です。午後の患者さんから、発音が赤ちゃんぽいと小学校で言われたというお子さんのことで相談される。今まで気にしてなかったけど、学校から教育相談に行ったらと言われたのでと。幼稚園では気にならなかったのに。。。。まったく学校ってとこは。。。ポッキーを使って舌の動きを助ける簡単な練習法を教える。ちょっとしたアドバイスで済むかもしれないのに。みんなが持っている知恵を気軽に出し合ったら、もっとゆったりと楽しく暮らせそうな気がしてきました。
2007年01月27日
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忙しくってしばらくご無沙汰してました。現在はベトナム研修ツアーに向けて準備をしています。小山道夫氏と打ち合わせ。フエの「子どもの家を支える会」の事務所と打ち合わせ。日本のマブベの仲間と細かいことの詰め。旅行社との打ち合わせなどなど。日本での事前研修のテキスト製作もあります。研修後のお楽しみ観光はフエの史跡めぐりを考えていたのですが、これはフリータイムでも行けますので、普段あんまり行けないDMZ(ベトナム戦争当時の非武装地帯。激戦区で今でも当時のまま保存されています)をラオスの国境地帯(映画によく出てました)から海岸線までめぐってみようかなとも考えてます。もちろん専用車で、現地のガイドと通訳を頼みます。これは研修に参加する人の希望しだいですけど。去年のフォンニャ洞窟も普段行けないところで、心に残りました。感動のうちに終了した去年のツアーを思い出して、今年もいいものを創ろうとがんばってます。去年の暮れから我が家の愛猫のグレートとリオナが耳と頭を痒がってるので病院に連れてってます。検査したらノミやダニではないのだそうです。ストレス?お医者さんはいろいろ頭を悩ませてます。今回で3度目の投薬です。アトピーみたいなのもあるのでしょうか。食事かな?市販のキャットフードを食べてます。
2007年01月25日
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いろいろあってここまでやってきた。母は養護施設に8月から入っている。どんなにがんばっても、転げ落ちるスピードが違うだけ。母が一時いい状態を保つためには、つらい訓練が必要とわかる。それで一ヶ月ぐらい自分の力で立てたとしても、母と私の支払うつらさは大きい。痛みもなくのんびりと母が過ごせたらそれがいいのではと思う。たとえそれで母が自分で立てなくても、介助すればいいのだから。きりきりがんばっていた自分から頑張りが抜けて、まあるい心が動き始める。おとといは久しぶりにサントリーホールでヨーヨー・マとアックスのベートーベンプログラムを聴く。生きていてよかった。モモの木は4月からお手伝いの人に入ってもらい、体制が落ち着き始める。日曜日は母との面会があるので自由になる時間はほとんどないけれど、自分の中で何かが芽吹きはじめている。無駄なことはないみたい。のびやかに何かが羽化し始める。母との10数年にわたる介護生活があり、歳月を経て手にしたものは微細な心の動き。私の胸の奥でかすかに震えている。
2006年11月08日
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外で甲高い子猫の声。ミーミーと切羽詰って聞こえる。野良が子を産んだらしく、時々子猫の声が聞こえたが。。。今日はずいぶんとなきわめく。おっぱいが膨らんでいたのは小柄な三毛。。。まだ一才になってないような。。。育てきれないのだろうか。雷もなってきて。。。もしも見てしまったら、拾ってしまうのでは。。。。ああ!またないている。大丈夫だろうか。もう6時間ぐらい鳴いているが子猫の姿は見えない。。。。どうしよう。家にはすでに二匹猫がいて、去年拾ったグレートは先住猫のリオナとうまくいってないし。そろそろ仕事を切り上げて帰りたいけど。。。。見るのがこわい。泣き声が聞こえるたびにおろおろしちまう。
2006年07月14日
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昨日の夜、母が泣き言を言う。「あたしの足はどうしてこんなにいたいの。もういい。施設にいきたい」と正直言って私も落ち込む。温灸と鍼をする。やはり施設がいいのかな。今朝、母はいつの間にか自分で起きている。ベッドにちょこんと腰掛けている。やりとげた事に嬉しそう。ベッドの上で曲げた足を踏ん張って腰をあげて後ろににじることができる。足の踏ん張りが出てくる。股関節はいまだ固いけど動きが昨日より軽い。軽いマッサージと指圧をひざ回りにする。嬉しいらしく何べんもベッドから起きることをする。自分の体が動くことはそれ自体嬉しいことなのだ。今日仕事から帰ったらまた鍼をしよう。便通いまだ。ガスは本当によく出ている。
2006年07月08日
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やせて硬くなった大腿四頭筋に鍼をうつ。硬い筋肉がほぐれる独特の響き。顔をしかめる母。硬くすじの様になった筋肉がグンニャリとほぐれてくる。痛みが楽になったような気がすると母。母が帰って3日目。やっと生活にリズムが出てくる。老健施設に母を入れて気になっていたことがやっとわかりかけてくる。好きなときにおきて、好きなときに寝て、好きな孫と一緒に好きなものを食べて、トイレもベッドから起きるときも自分のペースで動けること。当たり前のことが老健施設ではないのだ。安全と清潔は充分行き届いているし、職員の仕事に対する誠意と真面目さは感謝しつくしても足りないぐらいだ。施設の行き届いたお世話には本当に感謝している。でも、施設である限り、施設の限界はある。施設のペース内で動くことを期待されていたので、母は自分で動くことを忘れてしまった。家に帰って、私がキリキリと痛む腰をかばいながらベッドから起こし、ズボンを下ろし、オムツをはずしポータブルトイレに座らせ、汚れを拭いてあげてまたオムツを当ててとやっていると初めて、「ああ!大変!立たなくては」と気がつく。施設では手馴れた人が二人がかりでやってくれるので、キリキリと筋肉を傷めながら介護する息遣いが直接肌に触れてこないためだろうか。使わなくなった足は萎えて筋肉は廃用性萎縮のため痩せて骨に張り付いている。車椅子によいように曲がって動かなくなった膝頭。さて、どれだけの時間で回復するか。下剤でコントロールされた母の便通も、今日母が下剤を拒否する。「あれ、お腹がとっても痛くなるのよ」手の神門に鍼をする。うまくいけばこれで便通がつくのだが。母に鍼をすることは意図的に避けてきた。頭が壊れてきているのにいまさら体だけを元気にしてどうするのよと。言っていられなくなる。ひとつは最低限立つことが生活の快適さの絶対条件だとわかったから。介護するものにとっても、されるものにとっても。自分で立てれば介護者の腰の負担は本当に減る。母にこのままでは大変という気持ちがあるので、立つことだけは回復するのではと思っている。母とはいろんなことあったけど、私にゆとりがあったからぐずぐず言えたのだなと思う。そんなこといってる暇ない!母との共同目標。私の快適さのためにも。一人で立つこと。短い時間なら何かにつかまって立っていられること。これで着替えやオムツはずしがずいぶんと楽になる。シンプルに生活が決まって今が楽しい。後ろを振り向いている暇がないことはいいことなのかもしれない。鍼の効き目にワクワクしている自分がいることも充分自覚している。賭金は私のぎっくり腰という賭けの面白さと言ったら変だろうか。
2006年07月07日
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母を預けて2週間目。最初は皆が足繁く通ってくれたので、行くのはパスしてた。二週間目からみんな飽きはじめる。で、いつものことだけど私が日常を支えることになる。先週の土曜日、今週の月曜日と洗濯物を取りにいって母に会ってきたけど、二回目に行った時は、私が誰だかわからなくなっていた。しばらくして思い出してくれたけど。入所して一週間で立てなくなる。トイレは職員が二人つききりでお世話しているといわれた。家では、どうやらこうやら一人でトイレに行って、一人で出てこられたけど。職員にそう言ったら、困ったような顔をして、「歩けないんですよ」と言われてしまった。別に責めているわけではないんだけど。施設では事故を起こさないための方策が先行するため、思い切ってやらせることは無理だろうし。家では骨折してもいいから自分でやらせていたのがよかったのだろう。痛くてもなんでも、とにかく忙しい家なんだから自分で動いてもらわなくては私たちが破綻してしまう。「いつ帰れるの」それしか言わない母。「ここはいいとこで楽しいけど、いつ帰れるの」なにを話してもここに戻ってくる。壊れたラジオのように同じ言葉しか言わない。あんなに物に対する執着があったけど、ベッドとささやかな身の回りのものしかここにはない。戸棚には鍵がかかって自分では空けられない。ベッドから降りると、センサーが作動して職員が駆けつける。人は最後にはボストンバッグ一つの荷物も自分のものとは出来ないのだ。私のほうが参ってしまいそう。家で、次男と母を再び引き取ることの話し合いをする。
2006年04月12日
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昨日、E保健所の最終日。いただいた薔薇が治療室で匂っている。どうしても子どもを叩いてしまうというお母さん。自分の子ども時代の記憶は彼女が生き残るために、自分で書き換えている。子どもを育てるということは、もろい自分の記憶の壁を突き崩すこと。葛藤が明るみに出ることよりも子どもを突き放すことで自分を守っている。そんなにまでしてしがみつかなくてはならないほど痩せた子ども時代。他のカウンセラーに託してさよならを言う。さよならうまく生き延びてね。多重人格ではとおびえるおかあさん。そうではなくて今の塞がれ孤立したあなたが助けを求めているのです。保健所のカウンセラーとして30年以上関わってきたが、子育てするお母さんの孤立感はますますはげしくなっているように感じる。人は誰でも傷物です。傷を抱えながら、お互いに補い合いながら生きなくては破綻してしまう。昨日、私も母を姥捨て山に捨ててきた。市川の北にある老健施設。どんなに立派な施設でも、私のうちに母を捨てたという感覚が残る。後ろめたさと、肩がふっと軽くなるこの感じ。2ヶ月間の私の休暇。割り切れない葛藤を抱えながら、破綻せずに生き延びること。時々木漏れ日のようにきらめく瞬間、の小休止。夜、仲間と今年度の方針の話し合い。こういう現実的な話が一番安らぐ。男達が仕事にのめるのもわかるような気がする。午前0時30分帰宅。母がいないことがこんなにもホッとするなんて。
2006年03月29日
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19日に日本に帰ってきて20日は目いっぱいの仕事。さすがに21日はお墓参りにいけないで家出ゴロゴロしていました。で、今日は朝から快調に飛ばしていましたがヤッパリ体が重い。午後からチョッと休みたいな-と思うと、キャンセルの電話。そしてキャンセルの電話。2回も。。。開業していつも不思議なのは、患者さんには私の体調がわかるのかしら。体調が悪いなーと思うといつも立て続けにキャンセルが入る。不思議だ-。でもおかげさまでゆっくりとこんなことをして日記が書ける。。。。忙しい時は、気力が満ちて体調のいい時。次から次と予約が入る。バリバリバリバリと仕事する。。。きっとまだベトナムボケなんだな。楽しかった研修。ホテルでのリッチな朝ごはん。フエの市場での食材の買出し。そしてベトナム風の昼食作り。ホテルのテラスでの優雅な夕涼み。そしてあの心を奪われたフォンニャ洞窟(NHKの取材が私たちの3日前に入ったそうです。日本では初めての紹介だそうです。来年あたりから観光の目玉になりそうですね。)よかったなー。こんな調子だとまだまだキャンセルの電話が鳴り響きそう。今日マブベで写真がアップされました。マブベのベトナムでの活動2006年にあります。子どもの顔がいいですよー。
2006年03月22日
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3月19日の朝7時半にベトナムから戻りました。短い期間でしたが有意義な研修だったと思います。近いうちに日記に書きます。まず患者さんを大切に。長らくお待たせして申し訳なかったです。今週は目いっぱい働きます。今回初めて訪問したフーハウ診療所は、水上生活者のためのもので、病院船の代わりの所だそうです。一番貧しい人たちの為のものです。障害児親の会に出席して、タッチセラピーと家庭でのケアをお母さん達にお教えしましたが、あまりにも取り巻く環境の苛酷さに、一同言葉を失いました。マブベの会に明日あたり写真がアップされます。そちらも見てください。
2006年03月20日
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自分に花粉症が起こるとは夢にも思わず、突如として始まった、鼻水と目の痒さ、そして若干の顔のむくみ。で、いろいろやってみました。 頭の圧痛点への鍼 鼻水にいい。これは素人の人には面倒くさい。それに何箇所かツボが出るし。目の痒さには、あまり効果なかった。最大のお勧めは、孔最(変動穴)に円皮鍼、金粒鍼、なければお米の粒をセロテープで貼ればよいお手軽さ。注意しなければならないのは、内臓にもよく効くこと。痔の治療の名穴として使われているぐらいです。私は胃が気持ち悪くなって、次の日トイレに4回かよいました。胃腸症状のある人は途中ではがすといいでしょう。目の痒さにも効きました。場所は手のひらを上に向けてテーブルの上に伸ばします。肘の内側のすじ真ん中あたりから親指の付け根向かって指三本分ぐらい下ります。そのあたりを指先で探ってください。糊を紙につけるよりやや弱めぐらいの圧力です。プックリしたお米粒みたいなのが触れます。チョッと押すとツーんとかなり来ます。詳しくはハーリーナインさんの (http://plaza.rakuten.co.jp/hari9deegaoni/diary/200502110000/)去年の2月11日を参照してください。この孔最変動穴は正式の教科書の孔最ではありませんが、名人と言われた沢田先生は、この変動した場所を孔最としていました。この変動した孔最が、あまりに面白いのでいろいろ遊びました。以下は鍼灸師用の遊びですので余禄です。とばしてください。孔最をズート押さえたりもんだりしていると、胃に圧迫感がでて、ガスが出ました(オナラデス)。そしてまたしてもトイレに行って大きいのが出ました。もしかしたら沢田流神門より便秘の人に使えるかも。と言うことは沢田流神門を花粉症に使ってみたら面白いかも。これからの課題ですね。胃が重くなったので自律神経にかなり影響を及ぼしたということでしょう。自律神経といえば安保先生のあれ。指もみ。でも、あれはまだ臨床的には荒っぽいので、やはりここは臨床経験の多い浅見鉄夫先生のやり方に従って、爪の下を刺激してみました。薬指はもむと胸がスーとします。これは副交感神経を刺激する所だそうです。他の指はもむと胸のおくが圧迫感を受けました。孔最と同じです。内臓が収縮するのでしょうか。遊びついでに薬指の爪の下小指側三焦経の井穴を瀉血(針で突いて血を出すこと)しました。胸のおくの胃の圧迫感がスーとしました。お腹が気持ちよくなりました。で、そのあとくしゃみが連発。。。関係あるかな?でも、これって、胃潰瘍や胃炎に使えそう。ここまで遊んで体の変化についていけないのかめまいが出てダウン。しばしベッドで休息。イヤー鍼っていつも思うけどすごい。遊びはこれまで。もっと体力があればもっと実験できたのだけど。。。でも体力あると体の反応が鋭く出ないから遊べないかなと自分をなぐさめて。その後の経過は、くしゃみが出てぶり返したかなと思いましたが一日あけて今日も小康状態です。今日は、治療中トイレに行くと困るので孔最を使わず、鼻水が少し出たので頭の鍼でしのぎました。目のかゆみはないです。昨日の井穴瀉血はどう響いているか不明。理論的には孔最と逆の神経を刺激するはずですが(寫血後すぐにくしゃみが連発した?)、気分は上々で、頭すっきりです。さて、これから花粉症本番です。どうなるか楽しみです。
2006年02月15日
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昨日、ハーリーナインさんがコメントで教えてくれたツボ、手の孔最のあたりの反応点に円皮鍼(お米の粒をセロテープで貼り付けるのもいいですよ)は、最初とっても気持ちよかったけど、夜になって、胃が妙に気持ち悪くなりました。はがしたらスーとしました。鼻炎は小康状態で気分がいいです。効いてます。今朝はトイレに三回通いました。ややゆるめです。腹痛なし。むしろすっきりした感じ。恐らく内臓の収縮を強め、余分な水分を外に出したのでしょう。思うにかなり強いツボみたいです。恐らくゲッケツ(漢字がないのです)孔最の変動穴だと思います。私のようにあんまり体を動かさないで、いつも気持ちばかりあせっている鬱タイプの人間には、短い時間の刺激の方がいいようです。でも、これはいいですね。水を外に出すようです。第一簡単だし。おすすめです!ただし、やりすぎは下痢するようです。ご注意!そしてつくづく思うのは湿の処理です。肺、脾を上手に使うか。直接手の合谷あたりで勝負するかですね。その人の体質でしょうね。私は虚弱なので、肺や脾をのんびりと補いながら行きたいけど。辛い時は孔最の変動穴をチョッと使って、足の三里、陽陵泉も長い目で見ればお勧めでしょう。なんだかやっぱりごちゃごちゃしてしまった!花粉症は、余分な体の水分の貯留をどう出すかが大事なようです。季節の変動も関わるし、強い弱いの体質もあるしで、やり方は人によって違うからなのだと思いますが。ゲッ穴(漢字がない)は症状の頓挫によく使われます。孔最を上手に使う(反応点が変動している可能性が高い。やはり手が頼り)と、辛い症状を一時的に押さえてくれるようです。そのあいだに体質をよい方向に持っていくことだと思います。さて、孔最はどのぐらいの間効くのでしょうか。これから自分の体で実験してみます。報告は後ほど
2006年02月14日
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この間は、突然の鼻水騒動があって、頭に鍼して一件落着したけど、今度は目がかゆい。鼻水は現在少しあるけど、日常生活に支障ないレベルまで落ちてきてるので、まあいいかと放ってます。いろいろネットで治療法を調べたけど、みんなにぎやかにツボを使って、めんどくさそう。それに平均22回もかかるんだって。症状は一回である程度楽にならなくては患者さんはかわいそうですよ。そういえば8年前にお腹を開く手術を受けて、その年の春にひどく目がはれて大変だったことを思い出した。薬で症状を押さえていたのだけど、たまたま、谷岡賢徳先生の研修会に出たとき、私の背中の一箇所に軽くお灸をして症状を押さえてくださったたことを思い出す。にぎやかにやらなくても、症状だけなら少ないツボでも押さえられるのです。肩甲骨の下、右膈関か魂門をさらに右、ほとんど脇に寄った所にツボを見つけてお灸してくださった。お灸もふんわりと柔らかくて。これで治るの?というほどのあっけない治療で終わり。で、治ったのです。3日間は大丈夫でした。あのあと、症状が軽くなったので放っておいたけど、つぼをしっかり確認しとけばよかった。恐らく胆経の変動穴なのではと思ってます。谷岡先生の手が見つけ出した穴です。結局アレルギーなのだから、自律神経に作用させるには、微弱な刺激がいいのでしょうね。接触鍼が効くかも知れません。花粉症は湿病なのでしょうね。根治させるには脾経、肺経を使って陽明に湿がたまらないようにするのでしょうけど。とりあえずは症状の辛さをどうするかです。背中は自分ではできないから、ヤッパリ頭かな。目窓のあたりに結構きつい圧痛。さて、鍼をおいてみます。顔は嫌です。目の周りは内出血しやすいし。シミ取りと、痛み以外は使いたくないです。反応だけを取るのなら三焦経か胆経かなと考えてますけど。あと、アレルギーなら督脈に反応が出てるはずだけど。。。自分では治療できないので、頭でやってみます。ご報告は後程。何かい穴があったら教えてください。でも面倒なのはいいです。簡単で効果があるのがいいです。
2006年02月13日
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秋山さと子先生にお会いしたのは私がマスター2年の時。児童学科に魔女みたいな人が来て講義していると、同じ学部の1年生からの情報でのぞきにいったのです。女性だけの大学の児童学科はとっても暖かくて家庭的で、私たち教育心理の連中にもわけ隔てなくお茶をいれてくださいました。当時は畳の部屋があり、そこで秋山先生はみんなとお茶をすすりながら、雑談するように講義を進めていきます。雑談みたいだけれども、ユング研究所の話、分析家の話、トリックスターの話など、最新のトピックがいっぱいあって贅沢な時間でした。講義の後はタクシーに分乗して、秋山先生の早稲田のお宅(禅宗のお寺の中にある)にうかがって、贅沢な器に紅茶という、サロンのような雰囲気で、先生からユングのお話を聞いてました。上智や大正大など、宗教関係の学校からの学生もチラホラいました。秋山先生がブレークする寸前の牧歌的な時間でした。最近秋山先生のことがしきりに思い出されます。電話での秋山先生とのやりとり。私の分析家を誰にするかと。最終的に私の分析はK先生が受けてくれたのですが。秋山先生がスーパーバイザー的なことをしてくださいました。秋山先生の知的で奥行きのある華やかな雰囲気は、ヨーロッパの神秘主義と日本の禅が融合されてかもし出されていたのだと思います。この思い出も、先生の言うシンクロニティ-に乗っかって出て来たのかもしれません。
2006年02月10日
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この三日ばかり突然のくしゃみ、大量の鼻水と、診療の妨げになることおびただしい。ん?風邪?ならばお灸ですよと脾経の大都変動穴を使い、背中のお灸をすえてもらう。ついでに陽明の瀉血で気休め。これで万全。明日にはいつもどうり収まっているはずと。次の日も変わらず。。。風邪の治療。。。その次の日も変わらず。。。風邪の治療。。。さすがに変かなと考える。。。もしかしたら花粉症?突然のくしゃみ、それも日中の暖かい時、夜はくしゃみがない。。。これって風邪でないな。。。脈は少し早いけど浮いてないし、むしろ湿ってびちゃついている脈。風邪の脈ではないな。。。うーん。きちんと脈を診ればよかった。面倒くさがるといけません。さて、花粉症はみんなどうしてるかなとブログをのぞく。ナニナニ経渠、ニ間、液門に灸?熱そうだなやってみるかで、途中で患者さんが来たのでニ間と経渠で中断。。なになに迎香と印堂にはり?やってたら患者さんがやってきて笑われて ぺけ。尺沢に金粒鍼と長沼氏から聞いていた。これなら診療中もできる。尺沢にウワ-と言うほどの痛み。。早速やるけど、効果あったかな?と言うことでその日も終わり、自宅で寝る前に治療しようと思ったけど、くたくた。面倒くさい。いつもの鼻水用の鍼をやるか。頭の痛いところ。絡却、承霊、後頂のあたりに飛び上がるほどの圧痛。フンフンと鍼をおいて疲れたからそのまま寝ちまって。次の日鍼を外す。意外と頭についている。で、効いたのです。今日は晴れ晴れ。さて、何が効いたのかしら。元々風邪で今日治ったと言うことも考えられるし。先にやった治療が今ごろ効いたか?金粒鍼は、左手だけはがれないであるし。。でも、アレルギーは自律神経が関係しているので、案外頭の鍼が効いたのかもしれない。そうだと思いたいけど。。もう一度くしゃみ鼻水が出たらわかるけど、もう嘘のようにすっきりしている。頭の鍼、誰かに試してみたい。私は寝ている間やってたけど、置鍼はどのくらいやればいいのだろうか。誰か追試してみて教えてくれるとありがたいけど。そうそう、頭の飛び上がる圧痛は取れていました。
2006年02月09日
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先日の日曜日に、恩師と私が勝手に決めている谷岡先生の直伝の会があるというのでご挨拶にうかがいました。講集会は熱気があるとても素敵なものでした。けど、本当のことは先生の手をみなければ伝わりません。手なのだとつくづくおもいました。集まった受講者に、手なのだということが伝わればいいのですが。「経絡なんかないのだ。」という先生の言葉は極端に聞えますが、先生の苛立ちをよく言い表しています。どんなに有名な本にツボの配列が書いてあっても、病む人の体をまえにしたら、謙虚に体があらわしていることに従うしかないのです。井上恵理先生は経絡治療家のように言われていますけど、毎日積み重ねたタオルの下に小さなお米を置いて、微妙な手の感覚を鍛えたといわれています。学説はどの場所を探したらよいかの地図をくれますけど、そのツボを使うか使わないかの判断は手なのです。谷岡先生はこの手を小児はりで獲得したと言ってます。よくわかります。小児はりの手技で皮膚をなで、手が離れる瞬間に指先に引っかかる場所がツボです。例えば咳が1ヶ月以上続いて、眠れない。でも強い薬は使いたくない人など。背中に不規則に指にひっかかる硬結が出てきます。ツボの配列からは外れますが、そこを使うと即座に胸のつかえた感じが楽になってきます。即効性に本人はびっくりしますけど、これが鍼灸なのです。ツボの不思議ですけど、これは本には出ていません。手が頼りなのです。勿論、先人の残した智恵を否定するのではありません。常に謙虚に学ばなければ。さっきの不規則なツボは深谷伊三郎先生のお灸の話の中にチラッと出てきました。あとで、本を読んで合点が行きました。深谷先生も皮膚をなでてひっかかりをさがしておられました。自分で探したツボは、すでに先人も捜し当てていましたが、ツボは2ミリ違えばもうはずれなのです。小児はりの皮膚を軽くなでる手技がこの手を与えてくれたと確信しています。谷岡先生の言うとうりでした。柔らかく敏感な子どもの皮膚に触れること。実践が大事なのだと思いを新たにしました。ベトナムでは今度650人の小学校に治療に行きます。これだけ触れると、また違った見方を獲得できるかもしれません。「浅く刺して効かなければ、もっと浅く刺してみたら」井上恵理先生のこの言葉は、彼が藤井流の小児はりを会得したことを考えると納得できます。最弱刺激が一番強いのです。子どもの皮膚を読めればわかることです。
2006年01月25日
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昨日、おとといと、母を預ける施設を見てきました。みんな立派できれいです。設備はどこも似たり寄ったり。んーむ。どんな基準で選んだらいいのだろう。3ヶ月ほどの施設入所です。長いか短いか。母を終生ズーと預けるのは、まだ決断できません。一つ一つ迷いながらです。そのうち、ずーと預けるようになるのでしょうか。長生きするのも、提出する書類がいっぱいあって大変なものです。何から何まで大変な時代です。私の時はどうなっているのでしょうか。
2006年01月19日
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痛みを訴える患者さんがそのうちポロリと話してくださる。実は、少女時代からの痛み。物心ついたときからの心の痛み。家族間の秘密。。。重い。。。腰が折れそうになるわ。手が上がらなくなるわ。喉が締め付けられるわ。他の治療院ではどうなのだろうか。心と体が複雑にからみあった症状。。。心と体、裏表。つくづく思う。ボケると癌も経過がいいと患者さんから聞く。。本当?でもわかるような気がする。。。
2006年01月18日
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今日、ケアマネージャーさんと話し合う。母を老健施設に預けると。結局この決断が一番いいのだ。そう自分に言い聞かせる。次男が引きこもりを始めてから三年目。母に目がいっていて、あまり深く考えなかった。このお正月に長男が心配して次男を外に連れ出そうとする。一回目の近所の焼肉屋はよかったけれど、二回目の電車に乗っての外出の提案は次男の発作を誘発する。次男から電車に乗ると発作を起こすとは聞いていたけど、次男の性格から考えて、そうだろうなと妙に納得していた私。それでも少しずつ外にでるようになっていたし。私にとっては普通の子だし。と、忙しくて何となく毎日を過ごしていた。それは私の逃げだったのでは。次男は苦しんでいるのだ。それでも私には「このままでいいよ」と言う次男。「おかんでなければ暴力に走っていた」と言う次男。少しいい気になっていた私。母を看ることで、自己満足を得ていた私。いい人って思われたいのだし。次男より自分が大事なんだわ。決断を兄達にメールして、涙が出てくる。今まで何だったんだろう。母を看取ろうと思っていた。それも、兄達に対する意地とエゴからかもしれない。何も自分の思いどうりにはならないのだ。今の私の心理状態なら、母は施設に居た方がよいのでは。いや、私はキイパーソンなのか?次男が家に居てくれたから、母を看ていられたのだ。母を預け次男の受診をすすめなければならない。もう限界なのだ。どんなに世の中が変でも、この世の中でしか次男は生きていけないのだから。最低限適応できる状態まで持っていかなくてはならない。涙が出てくる。なぜだろう。わからないけど涙だけが出てくる。
2006年01月11日
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長男が帰ってきて、我が家は普段とは違う賑わいです。で、小猫のはずのグレートに異変が起きたのです。グレートが保護されたのが8月の22日、今日は1月の7日、どう数えても4ヶ月半なのに長男に向かって求愛を始めたのです。 ウフーンニャゴニャゴ と、誰が見ても猫のさかりなのです。小猫なのにさかりが来ちまった!どうしよう。暮れから始まったこの異変はまだまだ続いています。で、昨日長男の友人達が家に来たら、みんなの前で色っぽくさかりの猫をやってました。長男以外でもいいみたい。んーむ。恐れていたことが起こったのかしら。人間に育てられていたので、目が開いたときに見たものを親と認識すると言う、ロレンツ博士が言ってた、あれです。インプリンティングというやつ。なのかな?自分を人間と思っているのかな。先住猫のリオナは相変わらずグレートを威嚇して寄せ付けないし。悪い条件が重なりすぎている。にしても、おませすぎる。ヘルパーさんからは、かまわなかったからみたいなこといわれるし。どうしよう。(ここまでは午前中に書いたの)で、ここからは続き。人間でも、母子関係が充分でないと、代償として性的な対関係に早く移行しやすいとなんだかえらそうな学説があるし。母子関係なるものが果たしてグレートにあったか?家中が母的なかかわりをしていていたが、それぞれの関係は希薄だと思われるし。唯一の猫であったリオナはいまだグレートがそばによると、フーッ!と威嚇するし。猫としてのアイデンティティーを獲得するために、母子関係に匹敵する濃厚な関係が欠けていたのか?そうかなー。一生懸命やってきたんだけどなー。やっぱりヘルパーさんが言うように遊び足りなかったのかなー。私仕事もってるし。なんだか思春期の子どもの親みたいになってきた。そうそう、家の男どもには、さかりの色っぽさは出しません。夫はそばによると、フーッ!と威嚇されました。いまだかってなかったことです。まるで思春期の娘が親父に「あっちいって」とやるように。でも、まだ4ヵ月半です。一体どうなっちまってんだろう。
2006年01月07日
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年が明けたけど、忙しさに変わりはない。お正月はヘルパーさんがいないので、母の介護はどっとわたしにおぶさってくる。なんだかんだと奇麗事を言えたのは逃げ場があったからなのだ。。。軽い鬱状態になって、恨みがましい気持ちになってくる。餓鬼のようになった母のオムツをひき下ろすと、練り固まった排泄物の臭い。。寝言のように歌うように「悪いね。あんたにこんなことさせて」と毎度言う母。帰ってきた長男がたまりかねて、「ばあちゃん、感謝の気持ちなんかないのがわかるよ。気持ちがないのに言うなよ」と言ってくれたけど、よけい私は惨めになっていく。楽しい思い出、母に感謝すること。果たして私にはあったのだろうか。。。いつも後ろをこずかれて走らされていたような気がする。どんなに大変な時でも、嘲ることはあっても、包み込んではくれなかった。初潮のときも、母のあらわな嫌悪にあい、女であることが心底恥ずかしく嫌になった。かばってもらえない私はその後、自分の生理すらも母に知られないようにした。何をされるか、何を言われるか、そのことが恐かった。私の要求選択はすべてわがままと否定されたし。中学二年の三学期の時、進学のため無理やり転校させられた。高校はめでたく母の願いをかなえる有名進学校に入る。勉強ができると認められて。。でも、女の子なのだから結婚もしなくては、でも、いい学校は入って、でも女の子だから、そこそこの名のある学校で、できたら出世できる男と一緒になって。私に対する身勝手な母のシナリオは限りなく続く。この母との戦いが始まったのは14歳になったときから。当然のことだが精神を病んで。それすらも母には隠しとおし。潜り抜けたと実感できたのは38歳の時。長かった。それから母の発病。60歳半ばにはまだらボケの症状が出始める。泥棒が入ったとひんぱんに言い始める。私の悲しみは。。。きのうふと気づいた。この身勝手に生きてきた人に、私は抱きとめて欲しかったのだ。願いがかなわないまま、母は確実に崩壊し始めている。母の生きてきた人生の当然の報いだという思いは密かに私の中にある。それでも、母の面倒を見る人は私と私の家族しかいない。母の自慢の息子達は電話を半年に一回ぐらいかけてくるだけ。係わり合いになどなりたくないのだ。ささやかな私の願い。でも、もう私が母を抱きとめる立場になってしまっている。次から次と好き勝手をする母。自分が死ぬことを忘れるために急いで痴呆に走る母。痴呆は、無防備に生きてきた母の防衛でもあるのだ。母の人生の最終楽章は近づいてきている。いや、ひょっとしたら私のほうが先か?私を人生の道具としようとした母の枯れた感性は、どうして形作られたのだろう。母も人生を豊かに生きてきたとは言えない。他人との比較に生きる人だった。「ああ、もうお金はいらない。皆に囲まれていいねー」時々洩らす母の言葉は本音だと思う。やっと、自分に戻れたのだろうか。それでも、私の中にある幼い願い。母に抱きとめてもらったという思いもなく、私は母を見送らなければならない。確実にその日が近づいてきている。その後の話あれ、トラックバックが入ってる。こんな零細ページに誰?で、見てびっくり。思わず笑ってしまった。そうだよね。鬱を抜けるにはちょうどいいね。ありがとね。まあ、日記書き終わった時点で浮上を始めてるけどね。とまれ笑えたよ。ありがと。
2006年01月06日
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今日は新宿の朝日カルチュアーに講師としていきます。初めてなので緊張しています。グレートの写真を見て、和んでから行きます。肉球すい。(指しゃぶりです)寝てるとこ、さて、肩の力が抜けました。グレート、いつもありがとう。では、行ってきます。
2005年12月03日
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ハア-ーー・・・・・ ん?? なに?猫って、猫って・・・・・・・ あの頃はなにも考えてなかったのね・・・・・
2005年11月28日
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つまんないなーーリオナ姉さんは遊んでくれないし ・・・・・ ・・・・・・・・・・・ ねよ・・・・
2005年11月26日
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チュパチュパチュパ!!こちらから見ると。。。指。。ん??肉球すい?? あーに見てんのよー!!!
2005年11月23日
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朝お庭に出てほらほら、すぐお口に入れるんだから
2005年11月23日
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今日、仕事を辞めることを伝える。といっても、鍼灸でないもう片一方の仕事だけど。。。母の介護に時間をとられ、仕事が負担になってきたのも半分の理由。。。介護のため仕事をやめていった人たちのこと、以前は理解できなかったけど、今は少しわかりかけてきている。。。偉いわねーと言われるけど、ただ、母と暮らしているだけだし。。。一緒に暮らしてホッとお互いにできれば、その生活を大事にしたい。でも、理由はそれだけでないな。保健所の心理としてその仕事の創生期からかかわってきたけど、鍼灸師として独立した仕事を始めた私が変わってきたのか、周りが管理的になってきたのか。おそらくその両方だと思う。いじめもあって、それは耐えられるけど、相談を続けていたお母さんが、保健所に電話して、私を指名しても断られてしまったこともあり。。。担当の人からえらい剣幕で、「困ります!電話での相談はやめてください!」と言われる。。。エッ!サービス業でしょ?今まではよかったじゃない。私がやることは何でも嫌みたいで、私の予約簿からケースの名前を削ったりされて。。。おいおいそんなことやってる暇があるんだったら、お母さん達にもっとサービスしろい!淡々としていたら、いじめはやんできたけど、ぎこちなく振舞っている自分に気づく。保健所に行く時、胃が重たくなるのがわかる。。エネルギーをこんなことに使いたくないな。新しいことを始めよう。そうおもって辞めたのがもう半分の理由。あーさばさばした。契約は来年の三月まで。でも、辞めると決めたら、エネルギーが解放され、固くなっていた体がふんわりとしてくる。自由にできるんだー!!!保健所を辞めたら、孤立しているお母さんの為のフリースペースを仲間とやろう!言葉の遅れがあったって、発育が遅れたって、皆で悩みを話し合っているうちに、だんだん乗り越えられるって。こういう能天気さが保健所で私をいじめてた人の癇に障ったんだろうな。鍼灸の独立開業してから、道をどう開いていくかしか考えてないし。。能天気でないと、開業なんてやってられないし。ノラ猫の匂いがするんだろうな。さてさて心理職を捨てしまったのだけど。。。飼い猫からノラ猫になるのだけど。。。ノラは来年には何を拾うのかな。。。少し舞い上がりすぎているノラでありました。
2005年11月17日
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育て方が悪かったのか、生まれつきか。小猫の可愛らしさがあんまり無くて。。。のぼる親父はひょうきんネコといっている。挙動に不審な所が多く、落ち着いているのは寝てるときだけ。寝顔もなにやら苦労した風で。。。麗しのリオナ嬢、再登場です。比べてはいけないけど、お転婆の田舎娘とお嬢さんの違いかしら。。。どうしてこうなってしまったんでしょう。
2005年11月12日
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今日ふと手を見ると生命線からはっきりと真っ直ぐ小指に向かって線が出ている。ふーんこれなにかな?と思い、ネットで調べたら、健康線なのですって。。。わたしのは、手の付け根の生命線から、はっきりと分岐して小指に向かって比較的はっきり上がっている。心臓疾患に注意!えっ!!ナニナニ肝臓が悪い?んーむ。。。酒はのむし。。。このところ胸のあたりに何となく違和感があったり。。。。血圧は普通だけど、このところ忙しすぎてチェックをしていない。。。。手相は比較的健康状態を反映しますと追い討ちをかけられて。。。。アーんどうしよう。忙しすぎて不摂生してたのがいけなかったのかな?手相を見たばかりに、落ち込んでいるねこでありやした。。。。とほほ。。。
2005年11月08日
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昨日はソニーロリンズのラストコンサートに行ってきました。もう演奏は止めてしまうということで、東京フォーラムは立ち見も出る程の超満員。ペンギンみたいにヨチヨチあるくロリンズおじさんが、音を出したとたんに、空間が変わってしまう。ギター二本、ドラムとコンガ、トロンボーンを従えての6人編成だけど、あの広いステージがぎっしりと詰まってしまうほどの凄さ。それぞれのソロもよかった。もう聴けない。もうあえない。最後にこんなに素敵なライブをありがとう。総立ちのみんなの拍手の中、ロリンズおじさんは一度カーテンのすそから顔出してこぶしを振り上げ挨拶をして行ってしまった。アンコールはなし。でも、最後の力いっぱいの演奏をありがとう。ペンギンのように歩いて行ってしまった。天国でまた会えたら、絶対聴きに行きます。ありがとう!!
2005年11月07日
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視線の先には。。。。あらたな出来事が。。。ピキピキ、、、視線の先にあるのは。。我が家のリオナ嬢は初登場です。ゴクリ。。。。。ウウッ!!リオナねえさんごめんなさい!!! ギターねこになりました。
2005年11月04日
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グレートのおきゃんぶりに振り回されている毎日。8月の22日に保護したのだから、まだ2ヶ月ぐらいなんだけど、あんまりにも存在感があるので、ずーとむかしからいるみたいな不思議な気持ち。8月の23日はこんなだったんだ。小さかったなー。
2005年10月29日
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といっても、今日は猫ではありません。残念爪をいつ切るか。最近悩んでいるのです。以前に柔道をやっていた息子から、試合の前日は爪を切らない、バランスが崩れると教わっているときいて、勝負の世界は一瞬の気合なので、微妙なことをこだわるわいと思ってました。でも、ここ数年、そのことが自分にも起きてきたのです。爪を切った次の日は微妙な感覚がわからなくなるのです。勿論ある程度まではわかりますが本当に微細な感覚が失われてしまうのです。なるべく土曜の夜に切るようにしていますが、今週のように日曜に、難しい患者さんの往診に伺うと、切るチャンスが無くなってしまいます。以前、やすりを使いましたが、忙しくて、二本ほど利き指じゃないのを残したら、すっかりバランスが取れなくなって苦労しました。たかが爪なのですが、感覚が勝負の私としては大問題です。いい方法があったら、教えてください。他の人はどうしていますか。
2005年10月28日
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昨日帰るとき、ふと思ったのです。小さくてふわふわしていてあったかくて。ちび猫グレートにどんなにか心が癒されているか。あの子がいなかったら、家にはおさんどんと母の介護が待っているだけだし。。。別にそれが嫌と言っているのではないけど、育つ力がそばにある幸せ。。。時々母の介護がいったいどこまで続くかと考えると、少し落ち込むこともあるし。。。グレートを保護した時、またこれから先20年もお世話をするのは嫌だなと考えたこともあったけど。。。いい加減自分の時間が欲しいというのも正直なとこ。でも、いつのまにかグレートから喜びをもらっている私。育てるって、つかの間、本当にまぶしい光を感じることがある。育てさせてもらっているのかな。子育てと同じで、可愛さで恩を返しまくっているのかな。この子の命に責任もとう。腹を据えて取り組もう。リオナとのこと、私のあいまいさも影響していると思う。これで行くんだと思えば、リオナも納得すると思う。いや、リオナも納得するようにやろう。心なしか今日の猫たちは落ち着いている。でも、おまえ、その顔はないでしょ。母の後ろで。。。。オムツをしているのでゆるゆるズボンからはみ出た母の下着とグレートのいっている目。。。
2005年10月26日
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