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2020年10月17日津留さんが旅立ってから、早20年が経ちました。時代は21世紀へ。そして平成から令和へと移り変わり私たちは、時々に様々な壁や課題に直面しながらも、その歩みを進めてきました。情報発信の手段は、今や多岐にわたり、より手軽で身近なものとなっています。そして、私たちは膨大な情報にアクセスできるようになりました。、斬新な発想、自由な生き方・・・枠にとらわれない「自分らしさ」を探し求め、選び、表現することができる時代。しかし、ともすると、多すぎる選択肢のなかで迷いさすらったり他との比較で、常にアップダウンを繰り返したり、以前とはまた違う、窮屈さやストレスを感じることも増えたように思います。そんな情報の大海の中で、翻弄されずに進んで行くには、自らのハートに響くもの、自らの真実と共鳴するものを、感じ取り取捨選択していくことが大切ですよね。ふと自らの中心(大我)に立ち返れば、そこには温かな安らぎが満ちています。あるがまま、ありてあることの至福が、そこにはあります。一個人の小我、背負っている役割、握っている信念、に意識を戻せば、様々な感情を体験することができるでしょう。それらに優劣、善悪はなく、どちらも神(愛)の内であり、そしてどちらを選ぶのも自由です。母なる地球を舞台に、どう遊ぶのか、何を想い描くのか・・・誰もが、大我小我を観自在に生きることができる、今この時代。そのための道標となるメッセージを津留さんは、私たちに残してくれました。本日、YouTubeに「津留晃一公式チャンネル」を開設し、津留さん自身の声で、そのメッセージをお届けしてまいります。文字の行間から、声色の奥から、その波動を、エネルギーを、お感じになってみてください。どうぞ、必要とされる皆様のもとへ届きますように・・・
2020.10.17
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3月3日の 再誕生ワークショップ3月11日の 津留さん交流会3月17日の『お金』浄化ワークショップいずれも 素敵な皆さまと集い、共振しながらかけがえのない体験を 共同創造させていただきました。いつでも、ドンピシャのタイミングや組違い前後賞の ユニークなタイミングで起きてくるシンクロニシティ―にはにんまりしたり、感嘆したり・・・おおいなる導きの 完璧さの前には幼く可愛い自我ちゃん達も、うっとり!すっかりくつろいで、コントロールを明け渡しています。春のかぐわしい香りに満ちた 甘やかな大気を全身で吸い込み 至福と感謝の吐息を捧げます。万物をはぐくむ慈雨を、雨音や肌で感じながらすべての境界や滞りが 流れ去っていくのを眺めています。今ここは、こんなにも美しく、愛おしい。「私」を手放し、そして同時に受け入れることはこんなにも自由で、楽しい。もう正々堂々と「ぱっかーん」久寿玉も 扉もひらいて、次のステージへ。皆さまも ご一緒に ね。先日、桜の蕾もほころぶ 温かな日差しの中、娘と自転車を走らせ 河川敷グラウンドへ 息子の野球の試合を応援に行きました。エラーした姿も、歓声の上がるファインプレーもリードして勢いづく様も、逆転された焦りも勝てた喜びも、負けてしまった悔しさもかわいらしくも、かっこいい男の子たちが全身で感じ味わい、表現している姿・・・その「生きている喜び」とでもいうような いのちの輝きにただ 感動し、心から拍手を送っていました。全部OK~! みんな最高~! かっこいい~!その時からずっと内に流れているテーマソングSuperflyさんの『Beautiful』春分を過ぎ 宇宙規模の新たなスタートに・・・ 祝福と歓喜の歌声をぜひ
2018.03.25
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2018年に入り、神秘的な皆既月食も過ぎてはや節分・・・明日には、立春を迎えようとしています。新たなスタートのとき。みなさま、いかがお過ごしでしょうか?おかげさまで、1月12日~14日に、初開催させていただいたうさと展には、多くの方々にお越しいただき 楽しくてたまらない、夢のような時を過ごさせていただきました。(詳細はこちら)共催として、何から何までご指導くださった、すなべさん夢の実現をサポートしてくださった、うさとジャパンの皆さまそして、デザイナーのさとううさぶろうさん本当に、ありがとうございました。好きなこと・・・うっとりするような 美しいもの心や体にやさしく 心地よいこと調和や共生のエネルギーに 満ちたものそれらに囲まれていたら、きっと自然と笑顔になりますよね~津留さんのメッセージもうさと服もわたしにとっては、美しく 心地よい 調和に満ちた大好きなもの・・・そんな周波数をお伝えし、広げていくお手伝いができること、ただ嬉しく、ありがたく感じています。ただ、最初から、何の苦労もなくそのようにできていたわけではありません(笑)これまでの全てが、統合されつつある 今。振り返れば 何一つ 無駄はなく何もかもが 貴重な体験でした。理想を思い描き、それに近づこうと努力や挫折をしたこと。そのおかげで理想を抱く心の奥に潜む、今の自分や環境に対する否定 不足感 欠乏感また 過去や未来に囚われた 恐れや不安それらのエネルギーに気づき、手放すことができました。変わりたいのに、変われない。幸せになりたいけれど、幸せになるのが怖い。出口が見えず、焦り、答えを探していた日々。そのおかげで頭(思考)と心(感情)理性とエゴ顕在意識と潜在意識内側がバラバラで 対立・葛藤している苦しさを味わうことができました。そんな内包している矛盾を丸ごと認め、受け入れ、解放してあげることで膠着していた状況に 光が差し込んできました。今となっては、どのような体験も美しい光のグラデーションとなって、内側でハーモニーを奏でています。新たなスタートのとき。あるがままを受け入れ、受け入れがたい思いも、そのまま認めてあげ「そうか、そうか~」と見つめてあげてください。内側は、認められること、わかってもらえることそして何より、まるごと愛されることを待ち望んでいます。本当の意味でそれができるのは自分自身。ご自分の最適のタイミングで無理のないペースで癒され、統合され、愛の光へと戻っていくそのことを、ただ信頼して・・・※第2回うさと展開催が決定しました。 4月20日~21日@船橋市民ギャラリー 詳細はこちら
2018.02.03
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2017年11月11日11時再誕生ワークショップが産声をあげました。遡ること 二か月前の9月11日、早朝、徐々に目覚めゆく まどろみの中でこのワークショップを行うことを知らされました。その日から準備を始め、都内や横浜を視野に入れ、会場を探しました。しかし結局、ピンと来るところがなく灯台元暗し、地元市川で 広々とした 眺望の良い和室を 用意することが出来ました。秋分の9月23日に、告知をスタート。内なる対話を通して、ワークの組み立てを精査し、選択・決定していきました。そして、とうとう迎えたこの日。新たなスタートを、晴れやかに、ご一緒に迎えるべく集ってくださった皆様との 共同創造です。 ◎これまで歩んできたすべての道のり、 ただ 今 あるがままの自分、 を認め、受け入れること。 ◎充分体験しつくしてきた、 記憶・エネルギーを、浄化・解放すること。 ◎感覚をひらいていくこと。 ◎内なる中心・源とのつながりを思い出すこと。 ◎祝福と共に、自らの意志で、再誕生を迎えること。ボディー・ワーク、ワーキングメディテーション、浄化ワーク、アファメーションなどを組み合わせた体験・実践型のワークショップとなりました。ありがたいことに、小人数で、ゆったりと空間を使えシェアや質疑応答も 随時交えつつ、じっくり ワークと向き合うことができました。行程が進むごとに、皆さまの気づきが深まっていかれ解放が進んでいかれ、表情が輝かれるご様子は、とても感動的で 心ふるえる、美しいものでした。終盤、窓から さっと夕陽が差し込みました。その日、空一面を覆っていた雲が割れ、富士山と沈みゆく夕日のコラボレーションその見事な光景が 姿を現したのです。そんな 天地の祝福を浴びながら神聖な 再誕生の時を迎えました。皆さま おめでとうございます!!貴重な時を ご一緒させていただきありがたい体験を 分かち合ってくださった皆さま心より、深くお礼申し上げます。最初から最後まで、サポートしてくれたひでさんいつも本当に、ありがとうございます。おかげさまで、無事全うすることができました。私にとってもこれまでの学び、気づきをあらためて振り返りそれらが統合された、素晴らしいチャンスでした。完璧な導きに、心からの感謝を・・・また機会がありましたら、再誕生ワークショップ、行って参ります。どうぞよろしくお願い致します。参加者の方から頂戴した、ご感想・体験談を HPに掲載いたしました。こちらも是非、ご覧ください。 Illustration by Vector Graphics
2017.11.15
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台風が過ぎ、ハロウィンも過ぎ早、11月となりました。子供たちと過ごした夏休みが、つい この間のことのよう・・・なのにもうあっという間に、冬休みがやってきそうです。うかうかしていると、置いていかれそうな、時の疾走感!焦り、はやるような感覚に気づいたら、浄化しつつ。ゆったり深呼吸をして、内側を感じていきます。今ここに意識を戻し、そこから味わい、表現していきます。今年、私にとっての大きな気づきは「好き」をもっと味わい、表現していい・・・ということ。生理的、感覚的な「好き」「嫌い」はもちろん感じるもののそれをあからさまに表現することを、自らにOKしていなかったようです。「好き」を主張すると、その裏に「嫌い」を匂わせてしまうし「嫌い」を主張すると、批判したり傷つけることになってしまう。そんな風に感じていたのですね。もともと、感情的に淡泊な傾向があり色濃く、激しくぶつかり合う 周囲の人々の自己主張に影響を受け、振り回されていた、かつての記憶がそうさせていたようです。またそれは、よりニュートラルでありたいと「嫌い」と感じる感覚を、浄化してきたことも関係しています。これも大切なプロセスだったのですが、「好き」も「嫌い」もなく、「どっちでもいい」になった方がいい・・・どこかで、そう握ってしまっていたようです。「好き」でも「嫌い」でも、「どちらでもいい」一周回って(笑)肩の力も抜けてそう感じている、今があります。これからは、もっと「好き」を認め、楽しんでいきたいと思います。まずは、「好き」の事始め。年明けより、新たな活動をスタートいたします。夫のひでさんと共に、長年愛用してきた「うさとの服」それは手つむぎ、手染め、手織りの、呼吸する自然服であり、愛、祈り、喜びが込められた、身体も心も満たされる服。タイ、ラオスで織りなされた パワフルな布にデザイナーさとううさぶろうさんが 命を吹き込んだ 美しい服。この度、ひでさんが「うさとの服」のコーディネーターとなり私共で、「レムリアの記憶」として展示販売会を、主催させていただくことになりました。すでに、うさとファンの皆さまは、もちろんのこと興味はあるけど、まだ・・・とおっしゃる皆さまとの 橋渡しになれましたら、とても嬉しいです。ステキな うさとデビュー、お手伝いさせてくださいね。第1回の展示販売会を2018年1月12日(金)~14日(日)まで スペースあむりたにて 開催します。大好きな一着と出会いに、ぜひお越しください。詳細は、HP「レムリアの記憶」をご参照ください。
2017.11.01
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水の次は、火のエナジ―。女神ペレの住まう、キラウエア火山へ向かいます。ハレマウマウ火口の展望台からは、吹き上がるマグマの火柱が眺められます。日が暮れると、火花はますます赤々と輝き、その熱量が伝わってきます。女神の熱き血潮、鼓動、吐息を感じます。また、プウ・オオ火口からは、今も溶岩流が海へ向かって流れ続け、新たな大地が生まれ続けています。オーシャンエントリーのポイントを目指し、冒険へ!レンタサイクルで、真新しい溶岩が黒々とうねる広大な大地を走ります。アップダウンの激しい砂利道、子供たちも必死です。日もとっぷりと暮れてきた、そのタイミングでようやく展望ポイントへ、たどり着きました。真っ暗闇の中、足元を懐中電灯で照らしながら凸凹の溶岩をよじ登り、海を見渡せる場所へ。たくさんの人たちが、そこで思い思いにスペクタクルな光景に見入り、感じ入っていました。まるで光の滝のように、深紅の龍のように・・・崖から海へと流れ落ちる、灼熱の溶岩流。海からは絶えず水蒸気が吹き上がり、煙が空へたなびいています。距離は離れているのに、マグマの熱が伝わってきます。足元の溶岩からも、脈打つような熱気、強いパワーが放たれています。その場にいるみんなの顔を、赤く照らしながら今まさに、溶岩は流れ続け、新たな大地が生まれ続けている。「誕生の瞬間」に立ち会っている、という厳粛な気持ちが胸を満たします。感謝が湧き上がり、祈りをささげているとビジョンがやってきました。カリフォルニアの海岸で受け取った、「ハワイ島から生まれ、世界へ広がる、虹の架け橋」のビジョン。それは、まさにこの火と水(カ・ミ)の融合により生まれ出るもの。大地より湧き出ずる火と、天より降り注ぐ水が出会い、まじりあうその瞬間のスパーク!変容!火であり水であったもの(物質)は、蒸気(スピリット)へと昇華し、大空へ。その吹き上がる蒸気から、きらきらと輝く スプラッシュレインボーが生まれていく。ハワイが、守り伝えてきた、Alohaスピリット。それは、遠いレムリアの記憶・・・愛と喜びを皆で分かち合う、その意識が受容と慈愛にあふれた、その周波数がスプラッシュレインボーとして、大きく羽をひろげいつも世界にあまたの橋を渡し、繋げている・・・そう、受け取りました。こんな大きな愛、完全性に、内包されている私たち・・・同時に私たちも、限りない愛や完全性を内包しています。ただ、静かに、満たされた悦びの中、座っていました。2月9日、私の誕生日は、サウスポイントへ向かいました。アメリカ最南端の岬であり、かつてポリネシアンがカヌーでの大航海を経て、たどり着いた場所でもあります。ナアレフの町から、一路岬へ向かっていくと、最果ての地特有の、時間が止まったような、荒涼とした野原が広がっています。初めてなのに、懐かしい場所・・・岬の先端に立ち、遥か広がる大海原と向き合います。その質量に圧倒されるような、底知れない怖さを受け入れます。すると、内なる水面は凪ぎ、澄んだ鏡となります。そこに映る、記憶を愛おしく見つめ、解放していきます。自然と口をついて流れ出す、メロディ、祈り・・・しばらく、海と風と大地と一つになっていました。気がつけば、後ろで、素敵なお兄さんが、即興の演奏を添えてくれていました。それは、先ほど、強風に吹き飛ばされて、海へ落ちてしまった、娘の帽子を颯爽と飛び込んで、拾い上げてくれた方でした。なんてイキな バースデイプレゼント!次に、プウホヌア・オ・ホナウナウ国立公園へかつて、厳しい階級社会と掟があった時代、死罪を免れないタブーを破っても、この地へたどり着けば浄められ赦されたという、聖域「逃れの地」広い公園の中には、神聖な祭祀の場ヘイアウや復元された王族の霊廟、神殿など、数々の遺跡があり昔と今の時空間が重なり合う、不思議な体感の場所でした。黄昏時、とろけるような空と海を眺めながら全てを赦し、浄化、解放する 「今」というタイミングに感謝をささげ聖なる祝福の光に たゆたっていました。その後 私たちは、カイルアコナのリゾートホテルへ 2泊して海の音を聞き、満月を浴びながら、ゆっくり過ごしました。その他にも、標高4,205mのマウナケア山で サンセットを眺めたりハワイ島の北端、かわいらしいハウィの街を訪れたりルアウショーとハワイアンディナーを楽しんだり挙げればきりがないほど、思い出深い、美しい旅となりました。各所で、祈り、つなげ、明け渡し、受け取った巡礼の道程のようでもありました。大地、火の女神のパワーを全身全霊で受け取り、そのパワーを持ち使うことを、自らに許可することができました。内なる火と水の質を、まるごと認め、統合することで虹の架け橋が 広がっていくことを、教えられました。ハワイが伝える このエネルギーを体現し、今ここを生きていこう。もともとすべてが Aloha(愛)であることを知っている内なる我が、静かに微笑んでいます。
2017.10.05
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2月5日朝、オアフ島を離れいよいよ、楽しみにしていたハワイ島へ上陸です。津留さんに、「すごくいいよ~!」と勧められてからずっと気になっていた、ビックアイランド。でも、全てを溶かし、燃やし尽くすマグマのエネルギーが当時は、荒々しく、なんだか怖いようにも感じられて「私には、まだ早いのかなぁ・・・」と思っていたのです。その後、内なるマグマのエネルギーを認め、受け入れ浄化や解放、融合のプロセスを経てきた今だからこそ、この地を訪れることが出来た・・・「時は満ちた」そう感じました。コナ空港へ到着し 実際に降り立つと、そこは 本当に活きた火の島でした。見渡す限り、真っ黒いゴツゴツとした溶岩の大地。ガイアの生命を、全身で体感しました。まず向かったのは、マウナラニベイホテル。詳しい方から「ぜひ!」と勧めていただいた、パワースポットです。この地は、コハラ、マウナケア、マウナロア、フアラライというハワイ島の4大火山とそして美しい海の対岸には、マウイ島のハレアカラ火山これらにぐるりと囲まれた、類まれなる場所。古代から「マナが宿る神聖な場所」として大切にされてきたそうです。敷地を散策していると、たくさんのラバチューブ(溶岩が流れ去ったあとの空洞状になった洞窟)が見られます。盛んに繰り返されてきた、噴火の記憶を生々しく感じ、その猛々しい炎の大地で、生き抜いてきた古代の人々の叡智に、敬意が湧き上がりました。中でも、古代住居跡である、シェルターケイブは洞窟の奥の天井に小さな穴があいており、晴れた日には光線が差し込みます。その真下に立つと、オーラが見えるとか!敬虔な気持ちで洞窟へと入り、皆で写真を撮りました。その先で出会った、フィッシュポンド(王族の為の養魚池)が、もう想像を絶する素晴らしさで、言葉を失いました。まるで時空の狭間に迷い込んだよう・・・この世ならざる周波数の、精妙でなめらかな水面は周囲の緑と青空を鏡のように映し、まばゆく輝いていました。冒しがたい神聖さと、底知れない受容性・慈愛を併せ持つ聖地・・・ただ、うっとりとため息がこぼれます。この地で、全身全霊祈りをささげました。マザーガイア、ハワイ島の神々、自然界の精霊、あまたの御霊へ畏敬を込めて、感謝と愛を捧げ、この地を訪れた目的を伝え、その許可と導きをお願いしました。肉体を超えて拡大していき、すべてと溶け合います。細胞一つ一つに、ハワイの息吹、Alohaが浸透していくような。気が付くと、風がぶわっと吹き抜け、木々をゆらし、水面を渡り、空は晴れているのに、霧雨が降り注ぎました。一瞬の出来事・・・静かな感動が、心を満たしています。目に見えない世界との交流は、いつも予想を超えてきます。ありがたい導きの元、ハワイ島の旅は、心震わす、素晴らしいものとなりました。東京都の5倍ほどはある、自然豊かなビックアイランドをぐるりと一周しながら、大地とエネルギー交流していきます。太古の、調和に満ちたエナジーを保持する ワイピオ渓谷や豊かなジャングルに包まれた、荘厳な アカカ滝など風光明媚な光景に、ただただ感動~!日系移民の方々のご尽力によって発展したオールドタウン「ヒロ」のレトロな温かい街並み。リリウオカラニ公園やココナッツアイランド、そしてヒロ湾に流れる穏やかで美しい時間に、なつかしい幸せを感じました。私たちは、プナ地区パホアの、海を見下ろす高台に位置する、美しい別荘地に、バケーションレンタルで滞在しました。まるで 楽園! 夢の我が家のよう!広いお庭には、フルーツやアボカド、野菜が豊かに実り自由に散策し、収穫することができます。小鳥のさえずり、カエルの合唱に癒され朝な夕な、やわらかな風に吹かれながら、ラナイでの食事。フレッシュ&オーガニックなベジ生活を満喫できました。ハワイで暮らしている気分を、存分に味わえました。ここは、カリフォルニア発祥の、ヒッピームーブメントが理想を求め、流れ着いた場所。こじんまりした町は、ラブ&ピースな飾らない雰囲気。ジャングルには、自給自足のコミュニティーが点在し世界中から、そんな暮らしを求める人たちが集まっています。地域のマーケットで、地元の方々が持ち寄ったナチュラルな食べ物や手工芸品、アートを見て歩くのもとても楽しい体験でした。カポホ・タイドプールという、透明度の高い、大きな潮だまりやシャンパン・ポンドという、温泉の湧き出す、美しい入り江でシュノーケリングを楽しみ、色とりどりの魚たちと触れ合いました。標高4,000m級の山々をいただくハワイ島は雪も降れば、雨も多く(島の東側)、湧き水も豊かなので海水が澄んで美しいことに、感動しました。身も心も、どんどん清められていくようでした。
2017.09.23
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「OK!次は、ハワイね~」 そう受け取りながらもその日はいつ来ることやら。何年か後には行けるかなぁ・・・そんな風に思っていました。ところが、いつも「それ」は突然やってきます。「それ」とは、直観の閃きやタイミング。制約や常識に基づく予測を、軽々と超えてひょいっと 「それ」はやってきます。今回の「それ」は「私の誕生日を、ハワイで迎える」こと。今年の夏にアメリカ旅行をしたばかりなのに年が明けて2月に、もうハワイ旅行?私一人で行く?家族で行くなら、子供たち学校休ませないと。思考がすぐ走り始めます。今回も、浄化をしながら余計な心配を手放し、内なる声に従って淡々と、情報収集、検討、準備をしていきました。スパルタに見えるときもあるけれど実は親切な、宇宙の導き。ハードルが上がってはいますが、アメリカ旅行での経験も、活きてきます。そんなこんなで、おかげさまでめでたくハワイへの旅が 実現することになりました。家族にとっては初めての、そして私は20年ぶりのハワイ・・・長女を身ごもっているとき、ハワイに満ちる女神の周波数を 全身で浴びたくてカウアイ島とマウイ島を訪れ、母と滞在したのでした。以来、その風と海と空、たおやかなエナジーは、いつも私の中にありました。今回は、オアフ島に1泊し、ビッグアイランド ハワイ島に6泊する7泊9日のプランです。2月4日立春、『津留さん交流会』を終えた私たちは夜遅い便で、羽田から旅立ちました。初めて乗ったハワイアンエア、快適なフライトでした。着いたのはオアフ島ホノルル空港。日付変更線を超えるので、こちらはまだ2月4日の午前中です。「長~い 立春だね。」家族で笑いあいました。冬服から水着に着替え、まずはワイキキビーチへ。ハワイの海に身を沈め、ご挨拶(禊)です。久しぶりに、また家族と共に、訪れることができた感謝を伝えます。ハワイ特有の、やわらかな波動・・・受容性に満ちた、まさに女神、まさにAlohaなスピリットが風に海に空に、とけ込んでいます。なんという、優しさ!なんという、解放感!すべてが、ありのまま許され、迎え入れられ、祝福される大きな大きな愛(Aloha)に包まれただ、幸せで、胎児のように海に浮かんでいました。お逢いしたかった ダイヤモンドヘッドは濃い緑に覆われ、みずみずしく優美な佇まい・・・堂々とした威厳を保ちながらも、麗しく一目で心奪われてしまいました。カピオラニパークの見事な芝を裸足で歩きながらバニヤンツリーの巨木に抱きつき、エネルギー交換をしたりダイヤモンドヘッドと、この大地へ祈りをささげたり全身で、ハワイとの一体感を味わっていました。ホテルの部屋は、ダイヤモンドヘッド・ビューを予約していましたがラッキーなことに、最上階のペントハウスへ、グレードアップ!見晴らしは最高で、足元にはホノルル動物園と、広大なカピオラニパーク。そしてダイヤモンドヘッドの美しい全景が、まさに目の前!余すところなく眺められます。日が暮れていき、変化していく美しい光のグラデーション宵闇に包まれ、やがて夜明け、日の出を迎える・・・そんな、ダイヤモンドヘッドと空や海の 美しい姿を部屋にいながら、堪能することが出来ました。至福の時間を、ゆ~っくりと満喫しました。
2017.09.09
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シャスタでの、美しく優しい時間もあっという間に過ぎ、最後に向かえたイベントが、スウェットロッジでした。長年夢見ていた、ネイティブアメリカンの神聖な浄化の儀式。「子宮の形をイメージしたドーム型のテントの中で その中央に、真っ赤に熱しあげられた石を入れていき 真暗闇の中で、メディスンハーブを焚き上げながら メディスンマンのリードで、祈りを上げていきます」そんな説明にある通り、真っ暗なテントの中で、熱気・蒸気・煙・祈りに包まれ流れる汗と共に、身も心も浄化されていく、儀式です。シャスタでは、スチュワートミネラルスプリングスという温泉施設の敷地で、毎週土曜日に開催されていることのこと。今回の旅のハイライトとして、楽しみにしていましたが私は月経が早まって、参加できなくなりました。そのタイミングといったら・・・まさしくお仕組みです!人智を超えた導きで、それが最善だったのでしょう。ヒデさんが参加して、貴重な体験をシェアしてくれましたしまた、子供たちと、距離をおいて儀式を感じることができたので、素晴らしい思い出となりました。様々な人種、国籍、多くの人々が一期一会のご縁でこの場に集い平和・調和に満ちた沈黙の中、神聖な浄化の儀式に心身を投じている様子・・・そして耐えきれないほどの熱気の中、テントが開かれ、人々が一斉に、そばを流れる清流へと歩みより、その冷水に全身を沈め、たゆたっているときの、無垢で至福な表情・・・みな尊く、ありがたく、幸せでいっぱいになります。自然界の精霊たちの祝福が、光となって降り注いでいました。一夜明け、聖山シャスタと、いよいよお別れです。豊かな緑、清らかな水、慈愛に満ちた透明な空気・・・どれもが、私たちを包み込み、癒してくれました。もはや、第二の故郷のような大切な場所。想っただけで愛があふれてきます。これからは、たとえ離れても、いつも一緒です。一歩踏み出す勇気をギフトとして受け取り、さあ進みましょう。車はフリーウェイをひた走り、サンフランシスコへ向かいます。内陸部を抜け、海岸線が見えてくると、ガラッとエネルギーが変わります。何とも言えない開放感!ゴールデンゲートブリッジを颯爽と走り抜け、洗練された大都市の雰囲気を楽しみました。サンフランシスコからさらに南下し、モントレー湾へと向かいます。海沿いの町は、どこも雲に覆われ霧雨が降り、ひんやり肌寒いほど。猛暑の中を旅してきた身には、心地よい天然のクーラーでした。毎度のことながら、夜遅くにモントレーの宿にたどり着き、周りの景色が見渡せたのは、翌朝のことでした。地図で調べて、わかっているつもりでいましたが、海洋生物の宝庫、モントレー湾は徒歩数分の距離!憧れの、アシロマカンファレンスグラウンズの敷地を散策しながらあっという間に、アシロマステートビーチへ到着です。しっとりやわらかな触感の真っ白な砂浜が、そこにひっそり佇んでいました。どこまでも受容してくれそうな、やわらかな女性性に満ちたビーチ。静けさと深い愛に満ち、でも流されない凛とした美しさを併せ持つ・・・思わず、感嘆のため息がもれます。なんて、すてきなの・・・裸足で波打ち際に歩み寄り、砂浜と海と空を全身で感じていきます。意識がひろがり、どんどんひろがり体や自我やいろいろな境界を超えて、溶けていきます。あぁ、その心地よさ、自由さ、安らぎ・・・上手く言葉にはできません。すべてがパーフェクトなのだと、ただわかります。ヴィジョンが広がりました。果てしなく広がる、太平洋。無限に寄せては返す、波のリズム。この海は、はるか日本へとつながっています。レムリアの記憶そして現在の文明社会においても幾度となく繰り返されてきた、アンバランス、混沌、対立。そんなエネルギーも、まるごと抱きしめながらいつも海はたゆたい、風を運び、この星をはぐくんでいる。海は、国や人を隔てるものではなく、全てを繋ぐもの・・・すべてがノーサイドなのだと、ただわかります。カリフォルニアと日本の中間地点に島が見えてきます。ハワイ島です。島からは、霧状の噴水が、天高く盛大に噴きあがり、そこから、いつも虹のエネルギーが生まれているようです。その美しい虹は、弧を広げ、架け橋となっていきました。ハワイと日本、ハワイとアメリカ、そして日本とアメリカ世界を繋ぐ大きな虹の橋が、きらきら輝いています。すべてが愛なのだと、ただわかります。「私たちは、この虹の橋を渡っていく旅人。 愛を呼吸し、愛を感じ、愛を体現し、愛を伝えていく・・・」そう受け取りました。感動の余韻に浸りながら、子供たちが遊び疲れるまで、いつまでも海を眺めていました。モントレーの味わい深い港町を散策した後、風光明媚な海岸沿いを走る、パシフック・コースト・ハイウェイを、最後のロングドライブです。曲がりくねる海岸線や、断崖絶壁、ダイナミックに変化していく風景。アザラシやトドなどの海洋生物たち。飽きることなく、大自然の見事な美しさを、堪能することができました。夜は、LAの隣町、レトロな街並みが優雅なパサデナに宿泊。明けて、この旅の最終日です。午前中は、ハリウッド観光を楽しみ、空港へ向かいました。5,000kmもの行程を、走行してくれたレンタカーとも、そろそろお別れです。グランドキャニオンの虹から始まった、13日間のアメリカ旅行。思い返せば、体当たりの発見や気づきの連続でした。浄化や解放へと導かれ、癒され、愛と美で満たされた、大冒険の旅でした。やり切ったような、名残惜しいような、感謝と寂しさと・・・その時です。路地から一台の車が現れ、、私たちの目の前に入り込みました。フッと目をやると、その車のナンバープレートは、何とハワイ州のもの。そこにはきれいな虹が輝いていました。胸の奥から、喜びと笑いがこみあげます。この旅は終わらない。始まったばかり・・・「次は、ハワイね」気がつけば、そう宣言していました。
2017.07.16
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アニメ映画「あらしのよるに」を、今日初めて、何気なく見ました。ずいぶん有名なお話ですが、私はあらすじしか知りませんでした。突然の嵐。雨宿りをしていて出会った狼と山羊。互いの正体を知らず、友達になった二人は、再会の約束をします。狼と山羊・・・埋めがたい違いを知ってからも、二人は「秘密の友達」として友情を深めていきます。しかし、狼の仲間と山羊の群れに、その付き合いが露見しそれぞれ、激しく反対されたり、叱責されたりします。「騙されている。利用されている。そのせいで、仲間を危険にさらしている」と。二人は「同胞のため、相手から有利な情報を引き出せ!」とスパイ役を背負わされ川越しに対峙します。一度は離れた、心の距離ですが、向き合うほどに、言葉を交わすごとに互いへの想い、友情や信頼が蘇ってきます。振り返れば、双方の同胞たちが、固唾を飲んで成り行きを見ています。かつての仲間たち。固定された枠組み。決まりきった毎日。一緒にいれば、安全だった群れの中。それはそれで幸せだったけれど、今はそれを超える喜びを知ってしまった・・・二人は自分の心に問います。「戻るか?進むか?」優しい狼と勇敢な山羊は、見つめあい、頷きます。次の瞬間、二人は渦巻く川の濁流へと飛び込んでいました!『あぁ、この瞬間のために、これを見たんだなぁ』そうわかりました。ハートが開き、全細胞が波打っています。『まだ見ぬ地平へ・・・ 信頼と共に、飛び込もう・・・』あらしのような夏至の日に、そう受け取りました。
2017.06.21
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セドナでは、思いがけずバーシング・ケイブに巡り合うまでのトライアルがありました。そこで教えられたのは、『信頼し、委ね、明け渡すこと』と『情熱や意図、行動力』のバランスこれまでならば、「見つからないなら、行く必要がないんだ。」とさっさとあきらめていたでしょうが、「あきらめきれない。やっぱり行きたい!」その衝動を尊重し、素直に行動した結果、扉が開きました。「どちらか」、に偏れば停滞し、「どちらも」、で臨機応変にバランスをとり進んでいける・・・そのレッスンでした。そして、ここシャスタでも、トライアルが待ち受けていました。名付けて「ハートレイクを探そう」私たちは、シャスタ・シティーからレイクシスキューを通り、山道を登っていきました。目指すは、キャッスルレイク。透明な水を満々と湛えた、清らかで美しい湖です。冬場は凍結するキャッスルレイクですが、真夏の熱波で温められ、多くの人々が、水遊びを楽しんでいました。私たちも、水着に着替え、その身を清水に浸し、ご挨拶(禊)をしました。何とも心地の良い水温で、いつまででも泳いでいられそう。子供も大人も、ひたすら無邪気に遊んだ、とても楽しいひと時でした。でも本番はここから。着替えを済ませ、トレッキングシューズを履き、杖代わりの枝を手に「ハートレイクを探そう」探検隊の出発です。キャッスルレイクを横目に、森の中のトレイルを進み、急な登りや岩場も、ずんずん登っていきます。たくましくなった子供たちの後ろ姿に、感動しきり・・・「一年前のこの子達では、こんな体力も気力もなかっただろうし、 一年先のことなんて、何がどうなっているか、わからない。 まさに、今、このタイミングで、この旅に来られて、完璧だったなぁ!」感慨深く、喜びと共に、一歩一歩を踏みしめていました。途中、森の主のような立派な大樹が目に留まり、思わず抱きしめてこの地に来ることが出来た感謝を伝えました。「ドクン・ドクン・・・」 大樹に流れる、遥か昔から続く脈動が、私のハートとシンクロし、この胸の中で響いています。「よく来たね。待っていたよ・・・。」そんな声が聴こえてきました。しばらく進むと、森は途切れ、木陰のない開けた場所に出ます。そこからはトレイルがいくつにも分かれていて、見当をつけて進んでみるも手ごたえがなく、すっかり迷ってしまいました。意気揚々としていた子供たちも、暑さと疲労でぐったりしてきました。ヒデさんは、皆を気遣い、あちこちのルートを先回りして確かめに行ってくれました。「湖があったよ!」嬉しい知らせに、皆元気を奮い立たせ、そのルートを進んでいきました。途中にきれいなお花畑が広がっていて、じっくり見つめるとそれらは野生のルピナスと、オダマキでした。園芸種とは違って草丈が低く、花も小振りで、控え目な色味でしたが、なんとも可憐な花々が、風に吹かれて揺れていました。「両方とも、パパが大好きな花だ!このあたりが原産なのかなぁ。 パパはこのあたりで暮らしていた記憶があって、それであんなに好きなのかな?」ふと、そんなことを考えていると、思いがけず涙がこぼれました。「あれ?なんか・・・泣いてる」後から、後から涙があふれてきます。ぼたぼた涙をこぼしながら、草原を歩きます。ビジョンがやってきました。ネイティブアメリカンの家族がこの山を越えて、追っ手から逃れようとしています。私はそのリーダーである男性の視点で、追体験しています。妻や子を守ろうと必死で抵抗しますが、力及ばなかったようです。ハートブレイク・・・苦い後悔や無力感、罪悪感を感じていました。その守れなかった妻は、ヒデさんなんだなぁ・・・そうわかりました。彼女の愛した花々・・・愛おしい平和な日々の記憶しばらくしゃがみこんで、声を上げて泣きました。私の体を導管として、忘れられていた記憶が、未消化の感情が解放され、光へと還っていきます。その美しさ、完璧さに魂がふるえているのを、同時に感じます。光はイーグルの翼となって天翔け、空に溶けていきました。一足遅れでたどり着いた湖は、探していたハートレイクではありませんでした。人気のない、静寂の森に佇む、リトルキャッスルレイクと呼ばれる湖。でも上から眺めると、ハート型に見えました。「もう一つの、秘密のハートレイク、見つけちゃったね!」皆の健闘を称えつつすべての必然に畏敬の念を感じていました。その日の探検はそこまで。翌日は、マウントシャスタへご挨拶に行きました。雪が解けた夏場だけ、五合目(バーニーフラット)から先のゲートが開き、標高2,390m(オールドスキーボウル)まで、車で上がっていくことが出来ます。車から降り立つと、そこは、別天地・・・あまりに透明で純粋な愛のエナジーにみたされていて感動を通り越して、その気高さに圧倒されてしまうほどでした。彼方から、インディアンフルートのメロデイーとインディアンドラムのリズムがさざ波のように響いてきます。ひんやり心地よい空気には、甘くかぐわしい香りが溶け込みこれは夢?現実?・・・そのリアリティを実感したくて、何度も深呼吸しました。「愛の呼吸・・・」「呼吸は愛・・・」そんなメッセージが舞い降ります。いつも吸っていたのは、ただの空気ではなかった・・・・それも、愛。愛を吸い込み、愛をめぐらせ、愛を送り出していく・・・それが呼吸!それが生かされている、ということ。ありがたい気づきをいただき、背筋がピンと伸び、呼吸がぐんと深くなりました。私たちは、トレイルを歩いて進み、清冽な湧き水をいただきました。シャスタのお水は、どこで汲んでも、みな素晴らしく美味しいのですが、こちらは、聖水といった趣で、パワフルな癒しのお水でした。男の子チームは、さらにルートを登り続け、万年雪のあるあたりまで行ってきたそうです。女の子チームは、水辺で小鳥たちやシマリス、山野草を愛でたり変わりゆく雲の姿や空の色を眺め、まったりと過ごしました。夕暮れ時、大空は刻一刻とその色合いを変えていきます。ブルー、ピンク、ゴールド・・・うっとりするようなグラデーション。遥か地上の景色も、クリアに見渡せて、まさに絶景でした。ハートがうるうる満たされて、喜びで輝いています。シャスタ山、シャスティーナ山に、心から感謝を伝えました。内なるバランスを見出すことができますように・・・と祈りました。そして次の朝、いよいよ「ハートレイクを探そう」探検隊、再アタックです。まだ涼しい午前中、記憶に新しい道のりを、余裕で登っていきます。前回、あんなに迷った分かれ道も、今度はすんなりクリアして、ドキドキワクワクで進んでいきます。とうとう発見!ハートレイクのきらめく湖面が、視界に飛び込んできました。「やったー!!」喜びを爆発させて、子供たちと夢中で駆け寄ります。ハートレイクはこじんまりとした可愛い湖で、きれいなハート型をしており開けた高台に、その青い水を湛えています。穏やかな温かいバイブレーションを放ち、そっと包み込んでくれるよう・・・さらに道を進むと、すぐ先に小さなハート型の池?が現れます。私たちは「ミニ・ハートレイク」と呼びました。周囲に美しいお花畑が広がり、自然の倒木が白鳥のアートのように見えてまるで妖精の世界! 異次元の周波数を感じました。水辺で、感謝の祈りをささげると、そよ風が吹き抜けキラキラと光が水面にふりそそぎました。振りむけば、正面に、マウントシャスタの神々しい姿。そして見下ろせば、足元に、キャッスルレイクの深い青。なんと! キャッスルレイクこそ、完璧なハート型をしていたのでした。童話「青い鳥」のお話みたいですね。近くにあっても、旅してからでないと気づけないこと、たくさんありますね。皆でゆっくり景色を堪能し、たくさん写真もとって、心身ともにフル充電。帰り道は、翼が生えたように軽々と、駆け下っていきました。さいごに、キャッスルレイクでひと泳ぎして、この探検はフィナーレ!皆の情熱とぶれない意図、あきらめない行動力が必然を信頼し、導きに委ねる、オープンハート・直観と融合し今回のトライアルも、想像をはるかに超えた結果へ。その貴重なプロセスを一つ一つ味わえたことが、私たちにとって、何よりの宝となっています。
2017.05.26
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なんだかずっと夢を見ていたようです・・・夢うつつで目覚めたら、そこはマクラウドのB&Bストーニーブルックイン憧れの地 マウントシャスタの麓でした。もう日は昇り、レースのカーテン越しに、純白の光が部屋を照らしています。からだをうーんと伸ばし、深呼吸。シャスタの光と空気をいっぱい吸い込みました。やさしいベルの音が館内に響き、朝食の時間を知らせてくれます。地元の新鮮な卵やミルク、野菜や果物で、愛情込めて手作りされた目にも美味しい朝食に、私たちは感嘆の声を上げました。ステキなお庭や、マクラウドの町並みが見渡せるテラスで身も心もゆったりと朝食をいただきました。他にも、日本人のグループやご家族が何組か泊まっていらっしゃりご挨拶したり、情報交換させていただいたり、日本語が通じる安心感、嬉しさを感じました。その中でも、ビジネスで日本とハワイ島を行き来されている方から「シャスタはもちろんだけど、ハワイ島も素晴らしいよ!是非行ってみるといいよ!」というお話がありました。私の行ってみたい場所ランキングで、シャスタ、セドナに次いで第三位がハワイ島だったので、この出会いにワクワクしました。ストーニーブルックインの経営者、スサナさんに貴重なお話を伺う機会もありました。サンフランシスコで仕事をしていた頃、突然自動書記がはじまり自分探しの旅が始まったこと。イースター島を旅していた時、何時も聞こえてきた「ホテルカリフォルニア」その曲に導かれるように、シャスタ山に魅了され、このインに出会い奇跡的な流れの中、移り住まれたこと。(確かに北カリフォルニアのホテル!)この地は5次元の周波数だから、自らのありのままに向き合わざるを得ないこと。地球上で今、思い出されつつあるレムリアの記憶のこと。語ってくださるスサナさんの瞳は、どこまでも澄んで美しく正面から内なる導きと向き合ってこられた、凛とした清々しさが溢れていました。さあ、このインをメインの拠点として、4日間いくつかのスポットを訪れる予定です。ずっと5次元の周波数にいるって、どういう感じだろう・・・どんな体験が待っているんだろう?静かなときめきを感じていました。インから少し離れると・・・とうとう、マウントシャスタの山容が望めました。単独峰ではなく、シャスタとシャスティーナ、二つの峰が仲良く寄り添う、男性性・女性性が融合した美しい山。マクラウド側から眺めると、二つの峰はほぼ重なり、富士山を思わせる神々しさ。その荘厳な、しかし愛あふれるお姿に、強く心打たれ、ただ立ち尽くしていました。この麗しい聖地に、ようやく(戻って?)来ることができた・・・湧き上がる喜びや感動に浸りながら、マウントシャスタと周辺地域へのご挨拶、そして感謝の祈りをささげました。この地には、聖なる太古の周波数を保持した、「清らかな水」の気が満ちている。そう、感じました。その場にいるだけで、全身の細胞が目覚め、その水の周波数に共振してくような・・・まずは、マクラウド側のスポットから巡りました。豊かな森の中にある、美しいマクラウドリバーと、マクラウドフォールズ。川沿いのトレッキングルートを歩き、シカやリス達、そして2つの滝に出会いました。子供たちとパパは、清らかな滝壺で水遊びをエンジョイしました。それにしても、滝に打たれるヒデさんは、とても様になっています(笑)私は、岸辺でゆっくり自然と一体となり、エネルギー交換を楽しんでいました。迫力の存在感を放つバーニーフォールや、映画スタンドバイミーのロケ地・鉄橋。廃線になった線路の上をちょっとだけ歩いてみたり。子供にかえり、仲間と一緒に夏休みの冒険をしているような気分になりました。次は、シャスタ・シティーへ・・・マウントシャスタを正面に仰ぐ、素晴らしい景観の町。そこには、ハートフルなコミュニティーがありました。アートギャラリーや、パワーストーン等を扱うスピリチュアルショップが集まり、こじんまりしたオーガニックストアやカフェは、地域の社交場となっています。オープンハートで、シンプル&ナチュラルな人々が、自然と引き寄せられ、聖山の懐に抱かれたこの地で、母なる大地に根差し、暮らしているようです。まさにレムリアの再来を感じさせます。そんな町や、人々の雰囲気に浸っていると、こちらまでハートが開いていきます。もっともっと軽やかに、柔らかく、こんな風に暮らしていきたいなぁ・・・懐かしさ、愛おしさとともに、そう感じました。不思議なことに、この町で、ハート型の石が私の元に出現しました。しかもそれは、水晶まじりのレッドロックで、直観でセドナの石とわかりました。セドナの石をシャスタで、それもハート型で受け取るなんて・・・両方の地のエネルギーを繋ぐ、そんな役割の一端を担えたサインと感じました。そう、ここシャスタでは一貫して、ハートがテーマでした。ハートが優しくノックされ、古い記憶が浄化・解放され、ふんわり花開いていく体験を、何度もしていくのでした。
2017.05.18
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人はみな、人生という旅をしているのかもしれない。この世に肉体をまとい 生まれ出でてからいつか力尽き あるいは突然 肉体を去り ひとつ(故郷)へ戻るまでその旅路に 一つとして同じものはなくその道のりの 長短、起伏、険易にかかわらず その価値に 差はない。源より分かれし魂は、衝動のままに、望みのままに自由に宇宙を旅していく。次元も時空も超えあらゆる我を体感・理解するために・・・それは 今ここ・この一瞬に包括された「全て」でありまた 永劫・永遠に果てしなく広がる 「ゼロ」でもある。だから人は、旅に憧れるのだろうか?慣れきった日常を離れ、見知らぬ地の 風景や文化、新たな発見や刺激を求めて。古い殻を破り、固定観念を覆して見知らぬ 素の我に出会うため。私がよく旅をしていたのは、学生時代。アルバイトで貯金をしては、海外へ旅立った。オーストラリア、オランダ、ベルギー、ドイツ、オーストリアトルコ、ギリシャ、エジプトなど・・・魂がふるえる、深い縁を感じる地へとこの身を運び、各地の周波数と共鳴・共振することが喜びだった。社会人になってからは、「津留さんと仲間たち」との旅が始まった。日本各地の神社・聖地を巡り、またアメリカ・セドナを訪れた。人生の転機を迎え、母となり 子育てを通して自分と向き合う日々。外へ旅に出ることはなくなり、内なる旅を続けていた。生死の境をさまよう体験も経て、再び与えられた この旅路・・・やがて 新たな登場人物が 目の前に現れた。彼は、「ザ・トラベラー」ともいうべき人。理想と自由を追い求める 情熱的な 魂の旅人。しかし それゆえに 傷つき、孤独でもあった。私の中にある、同一の要素、そして対照的な要素が彼を私の人生に招き寄せたのかもしれない。その出会いが、私の人生を、よりカラフルで起伏に富んだものとした。それは想像もイメージも、はるかに超えた体験だった。結婚し、ニュージーランドで過ごした数か月。帰国し、外房いすみの田園で暮らした数年間。娘を抱え、私一人では、とてもたどり着けず、目にすることもなかったであろう 内外の光景。その驚くべき美しさと、深淵への気づきを・・・彼はもたらしてくれた。11年前、N.Z.滞在中(新婚)の私たちを訪ねてくれた友人が、一冊の本を貸してくれた。パウロ・コエーリョ著 『ザーヒル』その物語は、こんな一篇の詩から始まる。 君がイタケに向けて旅立つとき どうか君の旅路が長いものでありますように、 それが冒険に満ち、知恵に富んだものとなりますように。 ライストリュゴネスもキュクロプスも、 また猛りたつポセイダオンも恐れることはない、 君が道中、それらに出会うことはないだろう。 もし思いを高く保ち、 気持ちが君の身体と君の精神をけっして離れることがなければ。 ライストリュゴネスもキュクロプスも、また猛りたつポセイダオンも 君の道にはあらわれないだろう。 もし君自身の魂の中にそれらが住みついているのでなければ。 もし君自身の魂がそれらを君の通り道に置くことがなければ。 私は君の行く道が長いものであることを願っている。 たくさんの夏の朝がありますように、 初めての港を目にする歓びが これまでにない歓喜をもたらしてくれますように。 フェニキアの市場を訪ねるがよい、 そして最良の品々を手に入れるがよい。 エジプトの都市に行くがよい、 そして教えるものを数多もっている彼らのもとで学ぶがよい。 イタケを視界から失ってはならない、 なぜならそこにたどり着くことが君の目標なのだから。 しかし歩みを急いではならない、 旅路は幾年も続くほうがよいのだから。 そして君の船が島に錨を下ろすのは 道中で学んだものごとによって 君がすでに豊かになってからのほうがよいのだから。 イタケが君にさらなる富をもたらすことを期待してはならない。 イタケはすでに美しい旅を君にあたえたのだから、 イタケがなければ、君は旅立つこともなかったのだから。 イタケはすでに君にすべてをあたえたのであり、 それ以上あたえるものはないのだから。 もし、最後にいたって君が、イタケは貧しいと思っても 騙されたと思うことはない。 なぜなら君は賢人になったのであり、濃密な人生を生きたのだから。 そしてそれこそがイタケの意味するところなのだから。 ――コンスタンティノス・カヴァフィス(1863~1933) パウロ・コエーリョ著『ザーヒル』より引用この詩篇を目にした時、全身が総毛立ち、身震いしたがそれは、私の人生が序章から本編へ入っていく前の、武者震い。その奥深さは、当時、まだ知る由もなかった・・・平坦な道ではなかったが、私たちは歩み続けてきた。いつしか旅の仲間に、長男と次女も加わり彼らの成長に伴い、旅の形態もどんどん進化している。私たちはこれからも、それぞれの道をゆく旅人なのだろう。ときに一人で、ときに協力し支えあいながら。まだ見ぬ地平を、魂が求めるままに・・・彼が地球へ降り立った日に心からの感謝をこめて。
2017.04.02
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セドナでのパワフルなリ・バースを経て次は、憧れのマウントシャスタへ向かいます。広大なアメリカ大陸を、陸路で移動するにはとにかく時間がかかります。フリーウェイを時速75マイル(120km/h)で走っていても2日がかりの行程でした。初日の移動距離は、なんと約1,000km!デスバレーを横目に、砂漠地帯の熱波の中を焼けつくような、ギラギラした日差しの中を何時間も走り続けていると、物の大きさや、距離や時間の長さ・・・といった日常、常識的にとらえていた概念がゆらぎ、そして吹き飛ばされていきます。すべてが幻のような、白昼夢の陽炎のような時がとまってしまったような、不思議な感覚・・・そう、この日は7月25日。マヤンカレンダーでは「時間をはずした日」と呼ばれています。新年元日を目前に控えながら、暦には属さない、特別な一日。この、ふわふわした浮遊感は、しばらく続きました。シエラネバダ山脈の懐へと入っていき、青々とした草原、森林、湖を目にする頃になって、徐々に鎮静化していきました。ぐるり360度、はるかに山々が見渡せる、美しい高原のまっただ中に手作り感あふれた、天然温泉の露天風呂があります。ヒデさんが見つけてくれた、その素晴らしい、オープンな場所で、私たちは、ゆったり温泉につかり、神秘的な夕暮れの光景を楽しみました。身も心も、すっかりくつろぎ、大解放されていきます。改めて、アメリカの大地、火、水、緑、風のエネルギーを全身で味わい、また、心からの敬意と感謝を伝えました。その晩は、突如ゾクゾク震えがきて、高熱が出ました。フィーバー(熱)で古い枠を焼き尽くす、大浄化のお仕組み。こういう場合、大抵一晩で熱は下がり、スッキリしてしまいます。マンモスレイクで、爽やかな高原の朝を迎えました。身体が軽くなった感覚!針葉樹の森ごしに輝きはじめた、柔らかな朝日を全身で浴びます。マヤンカレンダーでは、7月26日は元日、初日の出にあたります。清らかな光の粒子が、全身を満たしていきました。この日は、長距離移動は小休止。ヨセミテ国立公園へ一泊し、白い奇岩と深い緑が織りなすアメリカが誇る絶景を見て回りました。川遊びや滝までのトレッキング、シカやリスなど野生生物との遭遇・・・子供たちも、はしゃぎまわり、大喜び!とても夏休みらしい、家族にとって思い出深い滞在となりました。翌日はお昼過ぎにヨセミテを発ち、一路、シャスタを目指します。残る移動距離は、約600km・・・山深い景色から、牧草地帯、穀倉地帯とどんどん様相が移り変わり大きな街もいくつか通り過ぎ、陽が落ちていきました。宿のあるマクラウドは、シャスタシティの隣にある、小さな町。ようやくフリーフェイから一般道へ入ったものの、田舎道は真っ暗。疲労のピークを迎えていたヒデさんは、もうフラフラで祈るように、励ますことしかできない私。休み休み、なんとか宿まで走り切ってくれた彼。本当におつかれさまでした!ありがとう!心の底からホッとして、シャワーを浴びるのもそこそこにみんなベッドに倒れ込みました。
2017.04.01
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20年ぶりに訪れたセドナは、素朴な面影も残しつつアーティスティックなオシャレタウンに進化していました。古来より、ネイティブアメリカンの聖地であったワイルドなレッドロックカントリーに広がる、清潔で上品な一大リゾート地・・・それらは、絶妙なバランスで共存していました。時代が、人々が、それだけこの地のエネルギーを認め、求めてきたということでしょう。視界を遮る、高層建築物は一切なく、どこにいても、強い磁場を放っている、赤い山々の雄姿を眺めることができました。街全体がパワースポットのセドナで、私たちは、プールやレストランなどのホテルライフも、ゆったりと楽しみました。四大ヴォルテックスとして知られる、エアポートメサ、ベルロック、ボイントンキャニオン、カテドラルロックはそれぞれ車で数十分の距離に点在しており、いずれもパワフルなスポット!敏感な長男は、しばしばエネルギー酔いするほど。私たちは2日がかりで、じっくり見て触れて感じて回りました。カテドラルロックのふもとを流れるオーククリークのせせらぎ(レッドロッククロッシング)を裸足で歩きながら、大地に超グラウンディング。広々した空のキャンバスに、黒雲が湧き上がり、縦横無尽に稲妻が走ります。通り雨の後の、ピンクゴールドに染め上げられた世界・・・もう、この世の周波数ではありません。エアポートメサの頂上では、皆で日の出を待ちました。足の裏で大地のパワーを感じ、両手は岩肌や木々を抱きしめます。眼下に広がるパノラマを眺めながら、大の字で立ち、吹き抜ける風に身を任せます。(この景色を、あの時受けとっていたんだ・・・とわかりました)サンライズの閃光!その瞬間の眩さ・ときめき!そして徐々に広がる金色の光の帯・・・しみわたるぬくもり、ふりそそぐ慈愛・・・すべてのいのちが、生命力で満たされていくのを感じました。私たちは、その場で、メディスンホイールのように四方に座り、手をつなぎました。子供たちも、神妙な面持ちで静かに目を閉じ、共に祈り、感謝をささげました。すべてのいのちに。すべての存在に。すべての体験に・・・目をひらくと、み~んな金色に光輝いていました。最も時間をかけたのは、ボイントンキャニオンの近くにある(であろう)バーシング・ケイブへのトレッキングでした。津留さんや母と、セドナを訪れた際、ガイドさんに案内していただいた母なる地球の子宮・・・再誕生の聖地といわれる洞窟です。詳しい情報の得られぬまま、大体、たぶんこのあたり、のはず、と探索すること数時間。行く道、行く道空振りで、日は高くなり気温が急上昇。子供もバテバテです。行く必要があるなら、たどり着けるだろう・・・と思っていましたから、必要がないのかな? とあきらめ、一度はホテルへ戻ることに。美味しい食事やおみやげショッピングで、気分転換!部屋で休息していると、次の流れがやってきました。ヒデさんが、とうとうその場所を特定できる、有力情報をゲットしたのです。私たちの意思は一つ。「行こう!もう一度!今度こそ!」暑さのピークを過ぎ、和らいだ日差しの中、まるでミッションに挑戦する冒険家のように、わくわくしながら、歩を進めます。ふいに現れた、犬とお散歩中のお兄さんが、ケイブへの詳しい経路を教えてくれました。扉は開かれた! ケイブが私たちを招き入れてくれたのを感じました。教えてもらった分岐点を曲がり、ブッシュとサボテンだらけのルートを歩いていると目の前を何かが大きくジャンプして、通り過ぎました。「えっ!今のなに?」体長30cmほどでしょうか、動きは蛙を思わせるそれは、全身半透明でパウア貝のような、金属光沢を帯びた深い青緑色に、きらきら光っていました。そのままガサゴソと、茂みの中にもぐりこみ、すっと消えてしまいました。自然界の精霊たちと交信できているのかな?見守られているような、温かさ、心強さを感じました。改めて、聖地を歩かせていただいているという、謙虚な感謝の想いが湧きました。そして、ようやくたどり着くことが叶った、バーシング・ケイブ・・・赤い山肌に深く刻まれた、ハート型の洞窟を見上げると、まるで生きているよう。脈打ち、あたたかな熱を放射しているかのように感じます。周囲にはいくつものハート型サボテンが生えていました。山道を登り、とうとうケイブの中へ。まずは、皆で聖域へのご挨拶。「還ってきた・・・」そんなじんわりと熱い想いがこみあげてきました。中はひんやりとして、すっと落ち着く、静けさに満ちた空間。そこから見渡す、サンダーマウンテンなど山々の眺めは格別です。私たちは、達成感・満足感にみたされて、その場のエネルギーに浸っていました。洞窟の一番奥、小高い位置に、ちょうど人ひとりが座れるほどの丸いくぼみがあります。岩壁を滑り落ちそうな怖さと向き合いながら(20年前はこんなに怖くは感じなかったなぁ・・・笑)ヒデさんのサポートで、何とかよじ登り、くぼみに収まることができました。目を閉じると、周りを取り囲む岩山の質量を感じます。大きな大きなものに包まれている・・・暗くて狭いけれど、温かく安心できる感覚父なる宇宙、母なる大地に対して、幼子が親を慕うような純真な愛が湧いてきます。大好き、だいすき・・・・「ああ、私はこんなに地球を、今この体験を愛しているんだ」自ら望んで生まれてきたこと、宇宙に地球に望まれて迎え入れられたこと・・・そんな記憶をしっかり取り戻し、抱きしめて今、再誕生です。くぼみから這い出て、よろよとろ心細い足取りで急斜面を降りていきます。「不格好でも、ゆっくりでも、完璧じゃなくてもいい!自分の手で足で進んで、それを味わっていこう。」それでよし!という力強い自信、内なる芯を感じました。平らな場所に帰り着くと、家族が笑顔とハグで迎えてくれました。「おめでとう!」「ありがとう!」
2017.03.22
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子供たちが夏休みに入ったその日、いよいよ私たちはアメリカへと旅立ちました。 旅行を計画し、あれこれイメージを膨らませて、準備に夢中になっていた日々のなんと楽しかったことか。 「実際の旅へ、その体験の中へ入っていくんだ!」というワクワクとした高揚感とともに、 「夢見る日々は過ぎ去り、もうこの本番をやり遂げたら、全てが終わってしまうんだ…」という寂しさも感じていました。 「人はこんなにも物質化・現象化までの創造のプロセスを愛おしみ、楽しんでいるんだなぁ…」 イメージが即現実化するのではなく、タイムラグのあるこの次元(プレイグラウンド)。その素晴らしさに、改めて気づかされました。 旅の詳細は、ヒデさんが書き残してくれているので(ブログ「迷悟」)私の印象に強く残った体験を、シェアさせていただきますね。 今回のプランは全13日間、ロサンゼルスからレンタカーで5,000kmの行程をめぐる壮大なもの。 英語や運転が得意な、ヒデさんが居てくれるからこそトライできたルートでした。 私もドライバーとして少しはヘルプできるかな?と思っていましたが、あえなく撤退…(笑) ヒデさんのおかげです。ありがとう! とにかく、走れど走れど変わらぬ景色。 砂漠や荒野が果てしなく続く、アメリカ大陸の想像を絶する広大さを、身をもって実感しました。 ようやくたどり着いたグランドキャニオンは、夕暮れ間近。展望台には雄大な渓谷でのサンセットを楽しもうと多くの観光客が集まっていました。 様々な言語が飛び交い、年代や国、バックグラウンドの異なる人々が、喜びとともに、その場を共有していました。 時は満ち、太陽が山影に沈み始めると、あたり一面、金色の光に包まれました。 母なる大地の裂け目は、美しい陰影をまとい、刻一刻、黄金・オレンジ・赤・紫・・・と、その色合いを変化させて行きます。 太古の昔より繰り返されてきたであろう、大自然の営み。その人知を超えた働きを目の当たりにした時、人は言葉を失い、立ち尽くします。 人々から溢れる、感動・感嘆・畏敬の念・・・その場が、何とも言えない、清らかな平和のエネルギーで満たされました。 ロイヤルブルーの空に、美しい虹が現れ人々の思いに、自然界の精霊が応えてくれたのを感じました。 最後はスコール、浄化・祝福のシャワーです。「はい解散!お疲れ様!」とばかりに、人々は一斉に駐車場へと走り出しました。 皆「キャーキャー」とはしゃぎながら、笑顔満面でダッシュ! これまたなんと、和やかな光景でしょう。子供の私・・・台風の中、何だかウキウキして、雨も風も全身で感じながら、走り回っていた頃を思い出しました。 「楽しんでいこう!」そう受け取りました。
2017.03.17
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私はかなり感覚的な方で「なんとなく~したいから」と選んだり、行動したりすることが多い。 それが大きな決断、判断だったりすると、エゴちゃんが活性化して、迷ったり悩んだりもあるけれど(→浄化します) それほど重大事でなければ、シンプルに直感のまま動く。 すると後から、その深い意味やタイミングの必然性、シンクロニシティーに気づかされる。 何のご縁か、お導きのままに訪れてきた土地、地域、国々。 いつも、うわべの知識や情報をはるかに超えた、何か言葉にならないエネルギーを、感動とともに受け取り、帰ってくる。 その地との絆、繋がりが太くなり、シンパシーが強まって、改めてそこの歴史、文化などを興味深く調べ出したりする。 すると「あそこで感じたあの感覚は、これだったのか!」とわかってくることがある。 最近ではハワイやフラについて学ぶことにはまっている。 今まで知らなかったこと、意識していなかったことに知覚が拡がっていくのは、いつもとても刺激的だし楽しい。 薄ぼんやりまどろんでいた脳の一部が、クリアに目覚め、生き生き輝いてくる感覚。 先日は映画「プリンセスカイウラニ」を借りてきて観た。ハワイ王朝最後のプリンセスの人生を描いた作品。 カメハメハ大王がハワイ統一王朝を創り上げたものの、アメリカ人が布教、開拓、プランテーション化で権力を握っていくプロセスはなんとなく認識していたものの、 アメリカがハワイ王朝を終焉させ、国を属州としたいきさつは知らなかった。 プリンセスカイウラニの、静けさの中に秘めた大きな愛や情熱、気高さが、満月に大潮を迎える清らかな入江のように、心に満ちてきた。 そしてラストに、彼女は若くして1899年3月6日に他界したとの字幕が。 まさに今日は3月6日、彼女のご命日だと気づき、しばらく立ち上がれなかった。 そのまま祈りの中へ…繰り返し紡がれてきた、不調和、対立、支配の歴史。 まずはハワイの地へ、そこに残る記憶、エネルギーへ、愛と感謝、癒しや調和の光を注いでいく。その光は、世界が経験してきた様々な痛みの記憶をも包み込んでいく。 私の体は導管(光の柱)となり、ただ流れるままに光を送る。また自然と湧きあがってくる、過去のエネルギーを昇華させていく。 導管とは言え、身体は震え、ハートもふるえ、とめどなく涙が流れる。 通り過ぎていく、悲しみ、苦悩、後悔、絶望、の涙。でもその奥には、至福がたおやかに横たわっている。 それを見つめて居る。その時、内に溢れてきたのはメロディー「花は咲く」。 どんな生も愛おしい…美しい… その儚さゆえの、甘美なきらめき 天上のメロディに身を任せていると、全細胞が開き、さざめき、光を放って、ひとつに溶けていった。 その後、内なる調べそのままの、天の歌声をみつけることができた。国境を越えたハーモニー。融合。 歌詞の深さ、その表現も素晴らしく…ここ数日、繰り返し聞いている。 これもタイミング? これらの出来事も同時に思い起こされてきた。 3/3 母 山口潤子の命日 3/10 東京大空襲(夫の祖父の命日) 3/11 東日本大震災 美しくもせつない歌(映画)で涙腺を開いてあげるのはおすすめの浄化法。泣けると、ハートがやわらかく花開いていく。 私も、これまで感じ残してきた痛みや悲しみが、蘇り、涙とともに解放されていった。 懐かしい、愛しいみなさまへ、想いを馳せながら…天の調べをぜひ・・・
2017.03.09
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私の内側では、旅立ちはほぼ確定していました。物質次元に身を置いている私たち、何を実行に移すにも準備が必要です。そこがもどかしく、まどろっこしい所でもあり、でも、夢を形にしていく!という最高に楽しいプロセスでもあります。プロセスを丁寧に味わいながら、また同時に湧き上がり気づかされる、思考や感情、不安や恐れを浄化していきました。私は、アメリカ旅行への想いを、何度かヒデさんに話してみましたが、「それはゆうこさんが決めることだから・・・」とノリ気でない返事。日程や予算の目途が立たなければ、話し合い、検討する余地もない!と私は夢中でルートやホテル、エアーやレンタカーについて、情報収集を始めました。夢の地図が、どんどんカラフルに立体的に広がっていくようでした。何より、私自身が旅を求めていたのですが、むしろそれ以上に、夫や子供たちにこんな風景を見せてあげたい!みんなで冒険や感動を共有したい!という想いがふくらんでいきました。夏休みのスケジュール、月の満ち欠けや、マヤンカレンダーと相談しながらおおよそのルート案や予算案が、何パターンか出来てきました。ここで改めて、ヒデさんに提案?相談?を持ち掛けました。(ヒデさんのブログ記事によると)彼はこのタイミングで初めて、私が本気でアメリカ旅行を計画していると、認識したようですね。体験は本当に人ぞれぞれ違うんだなぁ~と、面白かったです。私の本気に、腹をくくってくれたのか・・・ここからは、ヒデさんのアドバイスや提案が加わり、旅の計画が修正され、より具体的に現実味を帯びてきました。彼の活躍で、ベストなエアチケットも入手することができました。パスポートや国際運転免許証を用意して、準備は着々と整っていきました。
2017.02.28
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「そうだ。旅に出よう!」そう思い立ったのは、突然でした。20年前、津留さんや母と共に訪れたセドナ・・・あのレッドロックの聖地へ、再び身を置きたい。ボルテックスの岩山に立ち、風に吹かれている自分の姿がもうすでに、ありありと見えていました。すると次に、長年憧れていた、マウントシャスタのことが脳裏をよぎりました。手の届かない高根の花だと、心のどこかであきらめていたその聖山シャスタが、手招きしてくれているのを感じました。胸はときめき、羽が生えたように舞い上がりそう。あふれる微笑みを止められません。しかし、日常のルーティンワークに埋没しエゴちゃんが活性化してくると途端に恐れや不安が押し寄せて、迷いが生じます。「そんなの無理だ、行けるはずない」その理由を、10でも100でも挙げつらねてきます。ふんわりと膨らんだ風船が、しぼんでいくように私のハートも、しょんぼりさみしそう。そんなタイミングで、子供が車のドアを大きく開けてしまい隣の車を傷つけてしまう、という事故が起きました。すぐお詫びをし、保険で対応させていただくことになったもののすっかり気分は落ち込んでしまいました。「ほらね。やっぱり、とても旅行どころではないな~。」そんな声が、頭の中をこだましていました。数日後、ヒデさんを誘って、ランチデートへ出かけました。都心の路地裏にある、お気に入りのイタリアンレストランです。近所の金毘羅さまへご挨拶をしてから、入店しようとするとふいに携帯が鳴りました。保険会社からの連絡でした。お相手のお車の状態を点検したところ、塗料が付着していただけで、傷にはなっておらず、軽く研磨してきれいになったので、保険での対応は不要です、とのこと。何と幸いなことでしょう!ずっと心に居座っていた重さから、解き放たれた気分でした。「金毘羅さま!ありがとうございます!」思わず手を合わせていました。ようやく入店して通された席の隣では、女性2名がお食事中。聞くともなしに聞こえてくる、その楽し気な会話・・・テーマはなんと!!「私はいかにしてシャスタ山へ導かれたか」背筋を電流が走りました。 「行けるなんて思っていなかったけど、突然誘いが降ってわいてね~。仕事どうしようとか色々考えたけど、もう行くって決めちゃったの。そしたら、なんだかとんとん拍子に話が運んで!」そしてお話はとどまることなく、いかに素敵な場所だったか、どんなに楽しい体験だったか、と続き「今度はあなたも一緒に行きましょう!」と盛り上がっていました。あぁ、呼ばれているんだ~!導きに従い、流れにゆだねよう・・・そう、全身で感じました。
2017.02.15
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あけましておめでとうございます。穏やかな 清らかな 晴れやかな 年末年始でした。みなさまにとって、素晴らしい日々、一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。昨年の私は、観ずるところあり、個人セッションなどの活動を控えさせていただいておりました。「自分や家族と向き合う時間を、ゆっくり とりたい・・・」「何より内なる浄化に専念したい・・・」そんな思いが強まり、これまでのやり方を続けることに小さな違和感を感じておりました。ヒデさんにありのままを話し、理解と協力を得られたので甘えさせてもらうことにしました。おかげさまで、スケジュールに縛られない自分のために時間を使える自由な感覚を、味わうことが出来ました。そんな日々を過ごす中で、改めて多くの気づきがあり深い浄化や解放が起ききました。頑張ってきた自我ちゃんの記憶・・・「私がやらなければ、しっかりしなければ!」「止まってはいけない。休んではいられない。進まなきゃいけない。」繰り返し、認め、解放していきます。その下にある、認められたい自我ちゃん(インナーチャイルド)の想い・・・「こんなに頑張っていること、わかってほしい。」「必要とされたい。尊重してほしい。愛してほしい。」繰り返し、抱きしめ、癒していきます。 さらにその下にある、ひたすら自己否定してくる、エゴちゃんのダメ出しプログラム・・・「成果が出ないからダメ」「評価されないからダメ」「努力が足りないからダメ」「なまけちゃダメ」「逃げちゃダメ」「役にたたなきゃダメ」「そのままじゃダメ」「どうせムリだからダメ」「なんの保証も自信もないしダメ」「はい、今のそれダメ!」繰り返し、気づき、浄化していきます。軽い名残のようなエネルギーから重く濃く熱いエネルギーまで、さまざまな質感・質量の、記憶・感情・プログラムが内奥から湧き上がり、その存在を表現し、光の中に溶けていきました。どんなに恐ろしく、醜く感じるエネルギ―でも、その表現を見守っていると最後にはまばゆい光へと還っていきます。それはいつも、感動と畏敬の念を覚えずにはいられない、美しい体験です。私たちは、この体験を望んで、今ここにいるのですね。この1月から、私も個人セッションに参加させていただきます。内なる浄化を、尊重しつつ・・・一人の自由な時間も、大切に・・・気負うことなく、もっと委ねて・・・風通しよく与え、受け取り・・・そんなバランスを意識しながら、歩んでまいります。どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。
2017.01.06
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九州地方の震災・・・被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。あたりまえにあった日常住居、家族、学校、仕事、暮らしそういったものを、突然失ったときのショック絶望や悲しみ、やり場のない怒り・・・お察しするに余りあります。少しでも、わずかでもお役にたてれば、とはせくらみゆきさんがFacebookで呼びかけられていた祈りのTPPの記事を、シェアさせていただきます。私も祈りを送ります。みなさまも是非・・・(以下 転載)【チームプレプロジェクト―祈りのTPPのお誘い】熊本の大地震は、まだ収まっておりません。九州の皆様、大丈夫ですか? 被災された方のお気持ちを想うと、心が痛みます。どうぞ、ご無事でありますように…。早く元の暮らしに戻れますように…。本日は、ある提案をさせていただきたく、これを書いています。それは、以前、私がお世話役として定期的に発信していた、祈りのフラッシュモブを、今だからこそ、もう一度、御一緒にやりませんか? というお誘いです。名前は、祈りのTPP(チームプレプロジェクト)といいます。これは、夜11時11分に、1分間ほど、大切な人やこと、もの、場所のことを思い、その「愛している」、「大好き」という想いを、身近な空間から地球まで広げて、すっぽりと愛で包んでしまおう、というお祈りのことです。今回は、この11:11のお祈りを、4月22日の満月の日まで、一週間続けて毎晩、一緒に、心を込めてやれたらいいなと思いました。イメージとしては、穏やかで美しい九州の地を中心に、日本全体を包むイメージをして、お母さんが、愛しい我が子を抱っこするように、人も、花も、鳥も、獣も、大地も空も、しあわせであるよう、愛を送り、抱きしめます。実はこれ、単なるファンタジーではありません。集合的無意識、潜象下の領域において、すべて繋がっている私たちは、現に今も、あらゆるものが相関している、有機的な世界―参加型宇宙の中に、住んでいます。つまり、私たちは無力な存在、などではなく、現象次元において、影響を与える可能性を持つ、ポテンシャルな力をすでに持っている、ということです。とりわけ、強く美しい波を放つ、愛をベースにした、「祈り」という振動波は、とてもパワフルで、現象次元に届きやすい波模様を有しています。その波は、一人よりも、二人、三人…と、強く純粋な波が増えれば増えるほど、濃くなります。その波を、一緒に放とうよ、というものです。よければ、御一緒にお願い致します。…今、私が感じていること。必要なのは、同情ではなく、共感。心配ではなく、信頼。不安を、愛に変え、今、艱難を乗り越えんとする友たちの、それぞれの内なる力を信じ、出来る一歩を重ねたいと、意図します。(転載 以上)母なる地球、そこに暮らすいのち、すべての同胞へ愛と信頼、そして感謝をこめて・・・
2016.04.18
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立春を過ぎ、新月を迎え旧暦での新年が始まりました。あらためまして・・・あけましておめでとうございます。2月9日は、私の誕生日。夫とともに、津留さんのお墓にご挨拶してまいりました。お花屋さんで目に留まった 麗しい桜の花枝・・・墓前に手向け、感謝の祈りをささげました。すべての始まりに・・・すべての終わりに・・・すべての体験に・・・すべてのあるがままに・・・より深く闇も、混沌も、不調和も、無限流転するいのちの顕れのダイナミックな原動力であり恐れ、否定すべきものは何もないすべてを内包し、今ここにあることその輝きを そのパワーを感じました。さあ、毎瞬、毎瞬を、体験してまいりましょう。日差しはもう、春のまばゆさです。
2016.02.09
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2015年が早くも過ぎ去ろうとしています。本当にあっという間の、一年でした。加速して感じられる 時の流れ・・・その分、瞬間瞬間の輝きも 眩さを増しているようです。今年も多くの出会いがあり、体験があり・・・数えきれないほどの気づきが、感動が、解放がありました。みなさま、本当にありがとうございました。導かれてある、今ここ、そしてこれまでの全てに、感謝しかありません。その完璧さを見るとき、あまりの愛に、言葉を失います。地球へ受肉し、物質世界を生きるということは厳しく過酷な体験でありだからこそ貴重な気づきが得られる 素晴らしい学びの場です。津留さん式に、「この世はゲーム(遊び)です」と表現するならルールが多く複雑な構造の、リアル3Dフィールドで、敵キャラや トラップもあまた登場する中、どう生き残っていくか、どう自分に有利に勝ち上がっていくか・・・そんな宇宙最強のサバイバルゲームに、私たちは喜々として身を投じ、何度も果敢に挑戦してきました。勝者になることも 敗者になることもありました。長生きしたことも 短命だったこともありました。男性であったことも 女性であったこともありました。被害者だったことも 加害者だったこともありました。正直者だったことも 裏切者だったこともありました。清貧に生きたことも 欲望のままに生きたこともありました。そして、とうとう!ゲームの表面をやりつくす日がやってきました。ありとあらゆる設定、感情を体験しつくしてきた私たち!隠されていたゲームの裏面が、顕れ出てきたのです。おめでとうございます。まさに祝祭のときです。今度はサバイバルゲームではありません。ここでは仮に、覚醒進化ゲーム(神への帰還ゲーム)と呼んでみましょう。それは・・・自らと調和を図り、周囲と、自然界と、地球と、宇宙と調和を図っていくゲームです全てを受け入れ、赦し、認め、尊重し、融合していくゲームです。このゲームにおいて、これまで重要だったルールは通用しません。サバイバルゲームでは、恐れ、不信、欠乏が大前提の世界でしたから愛や関心、評価、仕事やお金など、あらゆる面でどうたくさん得るか、失わずに保持するかが、最重要課題でした。覚醒進化ゲームでは、愛、信頼、豊かさのあふれる世界へ入っていきます。その新たな世界を、実際に体感できるようになるにはこれまで身につけ、抱えてきた、あらゆる重荷をどれほど手放し、軽く、自由になっていけるか・・・が鍵になります。どうぞ、真新しいゲームを楽しんでください。無理なく、できるところからで構いません。最初から「赦そう!」「受け入れよう!」と意思の力で努力しても難しいでしょう。過去のエネルギーが、繰り返し押し寄せ、引き戻されるからです。ですから扉を開く鍵を使ってください。感じきらずに隠し、溜めこんできた感情を、終わらせてあげて自分を縛ってきたルール・価値観・観念を、手放していく・・・恐れて避けていたもの、弱さや醜さと嫌っていたもの、また良かれと思って握っていたものそれらのエネルギーは、役割を終え、喜んで光へ還っていきます。大いなる浄化です。美しい昇華のときです。すると不思議な変化に気づきます。常にリアルに感じていた「重さ」「痛み」「深刻さ」が薄れ、軽くなるのです。「私の人生は○○○、あの人はいつも□□□だった!」という確固とした信念がゆらぎ「そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない」といった感覚へやがて「どちらでもいい」「全てOK」「全て完璧!」と感じられるでしょう。そしてあるとき、「私」だと信じて夢中にゲームに参加していた「存在」は、ゲームを体感するための「アバター」のようなものであり「私たち」の本質は、このゲーム全体をみつめている、「純粋な意識」なのだ・・・という超越した視点に目覚めるときがくるでしょう。一人一人、体験も歩む道のりも、目覚めるタイミングも異なります。あらゆる角度、あらゆる視点から、あらゆる体験を極めたくてこれほど多様性に満ちた世界が創造されたのです。想像を絶する緻密な完璧さ・・・その全ては、ひとつであり、光であり、周波数であり、愛そのものです。その創造の妙なる調べを、楽しみましょう~!!!2016年も、どうぞよろしくお願いいたします。 Painter:Frederic Edwin Church Title :The River of Light
2015.12.30
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「逃げるな」「甘えるな」とても多くの方々が、この声に凄まれ、迫られ、追い詰められています。かなり浄化の進まれた方でも、最後にこの声がガンっと立ちはだかって立往生されていたりします。「逃げるな」「甘えるな」それはまず、外側の声として、肉親や先生、先輩、友人といった方々を通して、繰り返し語られ複雑な感情とともに、聴くことが多いでしょう。やがてその声は、自分の内側で、確固とした存在感を持ち、主張し始めます。24時間つながっている、インターネット回線のようにいつも、自分がどこで何をどうしようとしているのか?を見張っていて楽なこと、消極的なこと、断念すること等を選ぼう・・とすると「逃げるのか?また自分を甘やかすのか?ダメなヤツになるぞ!」と声高に責めたててくるのです。自分の力(意思・努力・知力・体力・行動力)で、目標(夢・理想)を達成していく。まさに痛快なサクセスストーリーですね。長い間、このような生き方が正しいとされ、このように生きましょうと教えられてきました。親から子へ、子から孫へ、その教えは伝えられてきました。その教えを守れる者は、承認され、注目され、尊敬されどうしても守れない者、挫折した者、守る気のない者は、役立たず、落ちこぼれ、ダメなヤツ、と烙印をおされ、見放されてきました。社会的集団生活を行っている人間として、この限りある物質の世界で何を得て、どう生き延びていくかがテーマの意識状態にあっては、見放されてしまうこと=存在を否定されることでした。社会、属する集団からそのように扱われることも、辛い体験ですが何より苦しいのは、自分で自分の存在価値を否定してしまうこと。そうなってしまうことへの強烈な恐れが、その声にパワーを与えています。そのような体験を、集合意識として充分に体験してきた私たち。そろそろ、次の体験へ入っていく時です。慣れ親しんだやり方は、愛着があるかもしれませんし、最期の砦を手放したら、自分はどうなってしまうんだろう?と恐れや不安を感じる方もいらっしゃるでしょう。もちろん、まだまだ自分の力で頑張ってみたい方々もいらっしゃるはず。皆さまそれぞれに、最適のタイミングがあります。期の熟した方々から卒業していきましょう。
2015.10.29
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秋分を過ぎ、秋も深まってきましたね。金木犀の甘やかな香りを、風が運んできてくれます。ドキュメントのファイルを整理していて、母のメッセージを見つけました。ご紹介させてください。*************************************本日は弟、津留晃一の「十回忌創生会の集い」にお集まり頂きありがとうございました。私は3人兄弟で、兄と弟がいました。そして10年前に兄を、その半年後に弟を、あちらの世界へ送り出しました。私たちは九州の久留米で生まれ、戦後は北九州市の小倉で生活しました。兄も弟も中学、高校ではバスケット部に属し、後にはキャプテンになって青春を謳歌していました。普通の学生でしたが、津留はお天気が自由に変えられたと後に話してくれました。おたがい、東京の大学に進み、そのまま東京と千葉で結婚生活を送りました。専業主婦だった私が結婚23年目に家出をし、一人で生活しているとき、弟から自分の会社の経理をやってくれないかと頼まれました。津留は会社倒産後、友人の名義をかりて社員5名程度の会社をつくり仕事をするかたわら、倒産の苦しみから自分の内側の探究を始め、勉強しているころでした。コンピューターなど全く知らない私に、コンピューターの本をポンと渡し、経理も勉強するように言われました。私は必死で勉強し、やっと仕事ができるようになった頃、「私はもう3次元の仕事はやめますから、会社をよろしくお願いします。」と、突然社長にさせられてしまいました。津留にとって会社を任せられる私の家出は、偶然ではなく、シナリオだったのでしょう。後にシャーリーンという方のチャネリングで、私は前世で、やはり先生役をしていた津留の追っかけをやっていたそうです。今回はサポート役をすることになっていたのでしょう。中小企業の社長さんの意識を変えることが先決だと考えた津留は、「経営塾」というタイトルで講演会をスタートさせました。それが1994年9月です。そして最後の講演会が2000年3月ですから、津留が活動したのは5年と数ヶ月ということになります。口コミで少しずつ参加者がふえ、女性の方が多くなってきたので、「経営塾」という名前をとり、「新人類の覚醒進化プログラム」というタイトルの講演会を毎月開きました。そして、その会報として創生会レポートを作り始めました。創生会レポートで毎月発信した文章が、ホ-ムページに載せているメッセージ集です。そこに書かれていることが、津留が伝えたかったことの全てです。私は1回目から最後の講演会までほとんど出ていますし、創生会レポートの編集も一人でやっていました。津留と一緒にいるだけで、そばで話を聞いているだけで私はどんどん軽くなり、変わっていきました。そんな事はできっこないと思うことは横へおいて、「そうだ、そうだ」というところから始めました。私はそれまで魂の存在や精神世界のことなど全く知りませんでした。この肉体が自分だと思っていたので、結婚5年目くらいから、この結婚は失敗だったと思いながらも、離婚して一人で働いて子供を育てていく自信がなかったので、いつも感情を閉じこめて生きていました。自分らしく生きると摩擦が起こり、ひどい目にあうので、自分を殺して生きていました。「もうこれ以上我慢できない」という時がくると、くるりと反転するようになっているようです。今まで働いたことがないので、一人では食べていけないと、じっとがまんしていた私が、家出した2・3日後に近くのレストランの求人広告を見て面接に行き、次の日から働きだしました。決心してゆだねるとうまくいくようです。ですから、今、最悪な状態だと悩んでいらっしゃる方も、思う存分、その最悪な体験をしてください。「ああ、もうやめよう」と思える日が必ずきます。決心した時からサポートが始まるということをもう少しお話します。人間には自由選択権が「初めの決め事」としてあるので、まず、「こうしよう」と決めない限り、宇宙の法則で、サポートしてはいけない約束になっているようです。「講演会を開こう」と決心した時、「聞きたい」という人も同時に生み出します。「本を作りたい」と決心した時、それを読みたい人も一緒に生み出しています。「セッションやヒーリングを始めたいけれど、まだまだ自分は完全でないので、もう少し勉強してからにしよう」と思う人は、「もう少し勉強しなければ、始められない」という事にいつも、いつも意識の焦点が合っているわけですから、いつまでたっても始めることは出来ないと津留はよく言っていました。 私にとってブロックをはずすのが最もむつかしかったのが、主人との関係でした。どうしても一緒に暮らす気になれないのです。しかし、私が私らしく、やりたいことを体験し、感情を味わっているのと全く同じように、彼も彼のシナリオをただ体験しているだけなのだ、彼を変えることなど出来ないのだということが腑に落ちたとき、家へ帰ることができました。3年かかりました。津留が一番言いたかったことは、「ここは体験の世界、そしてその体験によっておきる感情を感じる世界である」ということです。なぜ無限の神さまが、波動を重くして、人間になっているのでしょう。神さまでは体験出来ないありとあらゆる感情を、体験したかったとしか考えられません。生まれてくるときにシナリオを書いて、今回はこれと、あれを体験し、感じつくすぞと、決めてきたと思い込んでみて下さい。何かイヤな事が起きた場合、「これは自分が体験したくて決めてきたシナリオなんだ」と思うと、被害者意識が半分くらいになりませんか? そして感情に、良い感情も、悪い感情もありませんから、起きてくる感情をじっくり集中して感じてあげると、その体験が終わるので、次に同じような体験をしても反応が起きなくなります。それと同じように、他人も今、必要があってその体験をしている神様ですから、同じ力を持っています。だから他人を変えようとしてもそれはうまくいきません。宇宙は循環する輪ゴムのようなものです。私たちは、ただその上を循環しているだけなのです。神から別れて人間を体験し、また神へ戻って神を体験し、また人間を体験する。そのプロセスを楽しめばいいだけです。一番いい場所なんかどこにもないのです。今あなたがいる場所が、あなたの意識の進化に最もいい場所だからそこにいるのです。ですから、そこから逃げないでその場所を体験し、体験から起きる感情を感じつくせば、その体験は終わります。私達は常に何かに意識を合わせています。そしてその意識の焦点がピタリと合っているものを、現実の世界に引き寄せています。ですから、今、自分が何に意識あわせているのかを、瞬間に気づく練習をしてください。不安に意識を合わせていませんか? 病気やお金が足りないこと、嫌いな人に意識を合わせなくなると、ストレスが少なくなります。不安感がやってきたら、すぐに「今・ここ」に意識を合わせてください。一番わかりやすいのが、呼吸に意識を合わせるという方法です。呼吸はハイヤーセルフの担当ですから、呼吸に意識を合わせていると、不安感がなくなります。「今・ここ」に全てがあります。神の側から見ると、一瞬ですべてが見えますので、プロセスを体験することはできません。私達はプロセスを体験するために「今・ここ」にいます。私はまだダメだと思っている方も、今はダメな方がいいからダメなんだと、自分を否定することなく、ダメな私を丸ごと受け入れて下さい。ダメな私を体験しつくせばその体験は終わり、次のステージへシフトします。 どうぞ焦らないで下さい。「今・ここ」を楽しんで下さい。折角、人間として生まれてきたのですから・・・そして瞬間、瞬間、心地いい方を選択して、ストレスのない状態でいれば、行き着く先は初めから約束されています。そして選択に、いい選択も、悪い選択もありません。Aの選択をすればAの体験があり、Bの選択をすればBの体験があるだけです。あなたは誰とでも意見の相違点を持っています。それが、あなたが肉体を持つということです。一つの真実に対する違う見え方を表現するのが、あなたの役割です。地球に住む人の数だけの宇宙が存在しています。そして、あなたはあなたの宇宙の創造主です。みんな違ってみんないいのです。津留が良く言っていたのは、「一人一人がジグソーパズルの一片で、色や形は一つとして同じものはないけれどピタリとはまると完璧な絵になる。こうして宇宙はバランスしているのです」と。この瞬間に、今のあなたがいないと、宇宙は完璧にバランスしないのです。あなたはユニークな存在なのです。そして他の全ての人も・・・。ですから、今そこにいて、そこを体験し尽くしてください。感じつくして下さい。そして「知識としてはよく分かった」「ずいぶん楽になった」「でも分かってはいるけれど、いまいち幸せ感がない」という方々のために、津留は「幸せテクニック」を書きました。まずは真理を頭で理解することが大切です。そしてテクニックを実践して下さい。ストレスを感じたらすぐに実践して下さい。今、この瞬間が幸せなら、その今が点として続いていけば、いつも幸せということになります。常にハートの感覚に意識を向けていて下さい。ハートが閉じていると感じたら、すぐにテクニックを実行して下さい。やり方は本やビデオでくわしく説明してあります。これも津留の講演会での話ですが、「ガンですよ」と言われた夜、友人と食事をしながら、「ああ俺は生きているんだ!」と、ものすごい悦びがこみ上げてきたそうです。「死を目の前に突きつけられ、53年間生きてきて、これほど生きている悦びを感じたことはなかった」と言っていました。そしてその後、毎朝目覚めるたびに、「今日も生きているぞ!」と、ものすごい悦びを感じたそうです。「これほどの悦びのなかで、あと半年生きられるなら、それで充分だ」とも言っていました。自分にとって、ガンになることがいいことだから、ガンになっただけで、ガンがあるからといって、ガン患者になる必要はないとも言っていました。ガンといわれるまでの1年間、ずっと咳が出ていました。姉としては病院に行けばいいのにと思っていたのですが、津留には、全く病院に行くという発想がこなかったし、高熱が出て病院にいき、「ガンですよ」と言われても、治療しようというアイデアがなかったということは、この病気で肉体をぬぐというシナリオだったのでしょう。津留はこの生で、人間は卒業だと常に言っていました。最後に「その間にあるもの」という講演会の中で話している、私の好きな言葉をお送りします。死とは魂の飛翔の瞬間であり、急激な魂の成長が、もはやこの肉体に留まり続けることが不可能となり、おきてくる現象です。どんな死に方であれ、例外なしに死とは魂の急激な成長の時です。我々の本質は生でもなければ、死であるわけでもありません。「生」と「死」、その間にあるもの、それこそが我々の本質そのものです。そのどちらでもなく、その間にいて永遠であるもの、それが貴方です。
2015.09.24
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子供たちの学校も始まり、長かった夏休みが終わりました。旅行に出かけ、美しい自然と触れ合ったり、様々な人や場所と巡り合ったり家族それぞれが、素晴らしい体験をすることができました。また、特にどこかへ出かけなくても、普段は忙しい子供たちと家でゆっくり過ごすことのできるこの期間は、とても学びが多いものです。子供の言動は、まるで拡大鏡のように親の隠れたエゴを刺激し、握った観念を映し出してくれるからです。例えば、さっきまで仲良く遊んでいた兄妹が、突然ケンカをはじめるとします。どちらかが一方的に、またはお互いに、相手を責め・ののしる声が聞こえてきます。子供だけに、その言葉や態度には容赦がありません。すると内側には、こんな声が聞こえます。「なんでそんな言い方をするんだろう。なんで仲良くできないんだろう。」このように、「なんでそうなるの?どうしてこうなの?」と目の前の現象を否定的にとらえずにはいられない、内側の反応に気づきます。そのエネルギーに気づき、見つめていれば、手放していけるのですが無意識に見過ごしてしまうと、反応した思考が、過去や未来へ暴走をはじめます。「まったく、いつもいつも!この前だって・・・」「いったいいつまで、こんな大騒ぎが続くんだろう?」子供、親、兄弟、パートナー・・・絆の深い相手ほど思い入れや、期待が大きくなりがちです。(人は一般的にそれを愛と呼んでいますが)離れがたい相手には、自己の投影も濃く映し出されるからです。その分、心配したり、執着したり、絶望したり、嫉妬したり、憎んだり生じる反応も激しいものとなります。それは、この二元性が支配する物質次元という、ヴァーチャルな世界をリアルに体験しつくすための、精妙な仕掛けともいえるでしょう。本来ひとつである存在が、別々の人格のふりをして、お互いにドラマを演じ体験を深め、気づきを得て、やがて受容し、さらに超越していくためのプロセスを、歩んでいるのです。今、全てが起こっている「スペース」そのものが(またはその純粋な意識が)大いなる我・・・私たちの本質です。スペースに生じるエネルギ―、現象は、純粋な創造であり、それに善悪、明暗の判断をつけるのは、過去の記憶に基づく個我の反応です。それがエゴの反応に過ぎないのだと、いくら頭で理解できても反応を止めることも、苦しさを減らすことも難しいでしょう。浄化とは、その判断・反応せずにはいられない、過去の記憶(感情・観念等)を見つめ、感じ、赦し、手放していく、解放のプロセスです。人間としての体験を極めるべく、ために溜めてきた重荷を私たちは、自分そのものと感じ、そう認識してきました。その体験が充分に終われば、ハッと目が覚めるときがやってきます。そのために、事が起きてきます。完璧なる創造の顕れです。損な役回りを演じ続けるみじめさも、何一つ思い通りにならない悔しさも努力が報われない理不尽さも、予測不能な荒波に翻弄される無力感もどんな感覚であろうと、それは貴重な、かけがえのない体験でした。そのために、事が起きてきます。完璧なる創造の顕れです。事が起こる、内に反応が起きる、それに気づいていきます。出来る限り、見逃さないよう、見つめていきます。怒りだろうと、悲しみだろうと、ありのままに感じていきます。そのために、事が起きてきます。完璧なる創造の顕れです。感じつくし、手放すごとに、握っていた恐れが、軽く、薄くなっていきます。限定されていた視野が拡大され、俯瞰的に見渡せるようになります。起こるべくして起こる・・・ゆるぎない信頼が、内奥からよみがえります。それは、二元性を超えた在り方へのシフトです。加害者と被害者、支配と隷属、善と悪、ポジティブとネガティブ・・・そのような見方、感じ方を、否定するのではなく、卒業していくのです。
2015.09.17
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夕方、一人で近所まで、散歩がてら買い物にでかけました。じりじり焦げるような 厳しい日差しもアスファルトから照り返される熱も 和らぎ、緑の多い住宅街の小道を やわらかな風が吹き抜けていきます。まわりを包み込む大気、頬をなでていく風すべてが体温に近いのか、ぬるく 心地よく感じられます。まるで胎内にいるみたい・・・うっとりして目を閉じました。どこまでが身体で、どこからが外側かどこまでが私で、どこからが他なのか壁は消え、境がわからなくなります。とけて広がり まじりあい そして存在しています。ゆっくりした歩みは続いています。交互に足の裏で地面を踏みしめ、リズミカルに蹴りだすその感覚はリアルに感じますが、ただそれだけ。頭も思考も私も、そこにはいませんでした。しばらくして、ふと目を開くと、大通りへ差し掛かるところでした。体験の余韻は続き、内には静けさが、蒼い海のように広がっていました。外には、金色に淡いピンクの溶け込んだ、夕焼け空が広がっていました。「ああ、なんと美しいんだろう・・・」至福に満ちたため息がこぼれました。 何度、至福のワンネス体験をしても何度、奇跡のようなシンクロに鳥肌が立ってもいつも仏像のように微笑んでいられるわけではありません。感情が動くこともあるし、思考やエゴが声を上げることもあります。 それらの体験すべてを、愛しているし、受け入れています。それら一つ一つのプロセスを、今をできるだけ見逃さないように見つめ純粋に味わっています。そして味わったら、握らず手放します。今すべきことがあるとしたら、それに尽きるのではないか、とさえ思います。とはいえ・・・その思いすらも掴まず、流していきます。 この世には、様々な主義主張があり、物質世界をコントロールしようとする政治経済のみならず精神世界における教義や宗派・流派も星の数ほど・・・そして、それぞれが対立したり批判したりを繰り返してきました。たくさんの痛みが、生み出されてきました。違いがあるからと、対立しなければならないのでしょうか。自分の方が正しい、優れていると、証明しなければならないのでしょうか。これまでは、多くの魂がこのような体験を探求してきました。違いは、単なる役割の差に過ぎません。どのような認識・理解で、どのような体験を味わっていくのか。すべてが大いなる宇宙によって創造された必要なプロセスです。一つの山を登るのに、どの方面から、どのようなルートでどれくらい時間をかけて登ろうと、それぞれの選択の自由があります。いずれも貴重な経験であり、どの道が優れているなどとは言えません。もし一本道しか認められなければ、この宇宙の多様性は存在しえないでしょう。違いを受け入れ、認め合える、尊重しあえる・・・そんな在り方へ、私たちも、社会全体もシフトしていくことでしょう。それには、まず「そのままの私ではダメだ。理想とは違う。」と否定し続けてきたエネルギーに気づき、手放していくこと。そのままの私を受け入れられれば、今このままの状況を受け入れられ、周りに見えるあらゆる違いを受け入れることができます。そのときはじめて、愛や調和に満ちた在り方、選択や行動すら自然と顕れ出てくるのではないでしょうか。
2015.08.18
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夏本番、蒸し暑い日が続きますね。子供たちは、夏休みまっただ中! 皆さまには、いかがお過ごしでしょうか? ちょうど2年前の今日、2013年7月26日に スペースあむりた はオープンしました。 月に一度の、津留さん交流会を皮切りに、徐々に 浄化実践講習会や、個人セッションもスタートし 気がつけば多くの ご縁ある皆さまと 出会わせていただきました。 皆さまとの素晴らしい出会いをとおして、 私たちはさらに鏡と向き合い、他人ごとではなく我がこととして 浄化を 気づきを 深めることができました。 叔父や母が遺してくれた、メッセージや浄化が このように皆さまに響き、浸透していくとは・・・ 父が遺してくれた、この小さな事務所が このような皆さまとの出会いの場となってくれるとは・・・ すべての巡り会わせの完璧さには、 感動を超えて、畏敬の念を覚えずにいられません。 これから、変わっていくこともあるでしょうし、変わらないこともあるでしょう。 何が、どこで、どのように起こってきても 受け入れ、流れに乗り、今を味わい表現していきます。 この美しい星 地球に 肉体を持って 限りある生を体験している 個として 自と他を分け さまざまな体験を味わっている 大いなる一つの ひとしずく その一瞬一瞬の顕れとして・・・ 感謝をこめて
2015.07.26
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夏至がやってきます。一年で太陽が最も長くみられる日であり、大きな節目の一つです。太陽の恵み、地球の恵み・・・感謝してもしつくせません。どうぞ、大いなる宇宙の営み、その神秘に思いを馳せてみてください。その美しさ、完璧さには、畏敬を感じずにはいられません。大いなる宇宙(ワンネス)の、ひとしずくとしての、今のあらわれ・・・そこにも、美しさ・完璧さが存在しています。とてもそうは感じられなくても、視点を変えることで、気づいていけるはず。今を受け入れるとき、今とひとつになれます。分裂し、相克し、葛藤し、問答してきた、内なるパワーが、穏やかに、力強く、統合されていきます。ちょうどピッタリなタイミングで、素晴らしいご質問をいただきました。ご快諾をいただき、ここにシェアさせていただきます。Tさま、ありがとうございます。****************************************おはようございます。先日の個人セッションでは本当にお世話になりました。お忙しいところ恐縮です。一つだけ質問させてください。以前から興味があったマクロビオティックを勉強し、師範クラスも終了しました。1年ほど前から小さな保育室で週1回だけ、マクロビ給食を作らせてもらっています。津留さんのメッセージを読んでから、特にこの仕事に関しては時間軸のところが、とても腑に落ちて順調です。しかし、経済的な心配から、いろいろな派遣会社の仕事も並行してやっています。どんな仕事も楽しもうと言い聞かせやっているのですが、どこかで失敗や叱責を恐れる自分がいます。いつか故郷に戻るだろうという思考もあり、長期の仕事はしていません。マクロビオティックの仕事だけで生きられるだろうかとか、自給自足の田舎暮らしに憧れている思いがあります。これらの思考は、足りないものを求める思考でしょうか。やはり日々の浄化で安心や決心が起きてくるのでしょうか。こんなことを話せる友人もいないのです。友達の前では強がりの自分がいます。ネガティブな話ができないし、たぶん聞きたくもないのかもしれません。申し訳ありませんがよろしくおねがいします。**************************************** こんにちは。お返事が遅くなりました。申し訳ございません。 以前から興味を持たれていた、マクロビオティックを学ばれたのですね。そして、その学びを生かす場も、すでに得ていらっしゃる。素晴らしいことですね。 まずは、今の状況、今のご自分を、すべてまるごと認めて、ほめてあげてください。今すでにあるもの、今すでにお持ちのものに、改めて気づき感謝をしてあげてください。 例えば・・・今、雨風をしのげる住まいがあるということ。今、食べられ、着られるものがあるということ。今、身体が自由に動くということ。今、見たり聞いたり、味わったり、触れ合ったりすることが出来るということ。今、ご自分と向き合う時間が取れているということ。どんなに小さなことでもかまいません。 それが、一番大切なことであり、ファーストステップでもあります。今ある喜び、今ある幸せ、今ある安心とつながり、その心地よさを体感してみてください。 そして、セカンドステップが浄化です。 「そうは言っても、やはり心配だよ。不安だよ。」さまざまな声(思考)が聞こえてくるでしょう。「そんなことをしている場合ではない!このままではいけない!」という咎めや自責の念。「早く何とかしなきゃ。きちんと考え・判断し・行動しなきゃ。」という焦り。「~が足りない。~があるべきだ。~だったらどうしよう。」という恐れ。 また、さまざまな感情や体の感覚(痛みや、不快感や違和感)を感じられることでしょう。重苦しいような、窮屈な、窒息しそうな感覚。もやもや・ちくちくするような感覚。居心地の悪さ、リラックスできない、落ち着かない感覚。 それらの湧き上がってくる感情・感覚・思考(エゴの声)を、否定せず、どうぞそのまま見つめてください。それらに気づいていることが、とても大切です。気づいて、見つめていれば、それに巻き込まれ、同一化してしまうこともありません。 そして、それらのエネルギーを、感覚そのものを、集めて手放してあげます。「ありがとう。おつかれさま~。」気づくそばから、どんどん光に還してあげましょう。 >経済的な心配から、いろいろな派遣会社の仕事も並行してやっています。>どんな仕事も楽しもうと言い聞かせやっているのですが、>どこかで失敗や叱責を恐れる自分がいます。>いつか故郷に戻るだろうという思考もあり、長期の仕事はしていませ ん。 >マクロビオティックの仕事だけで生きられるだろうかとか、>自給自足の田舎暮らしに憧れている思いがあります。 >これらの思考は、足りないものを求める思考でしょうか。>やはり日々の浄化で安心や決心が起きてくるのでしょうか。 お尋ねのことで申し上げれば、まず、経済的な不安を徹底的に浄化しましょう。どんな仕事も楽しみたいのに、楽しめないご自分への咎めの気持ちを浄化しましょう。どこかで失敗や叱責を恐れているその気持ち、感覚そのものを浄化しましょう。現在感じている、湧き上がってくるエネルギーに取り組み、まず浄化します。そして、次に、関連する過去の記憶、似たような経験、その痛みや辛さ、悲しみのエネルギーを浄化します。 いつか故郷へ戻るだろう、いつかはわからない、はっきりしないけど・・・その先の見えないもどかしさ、不安定な仮ぐらしのような、心もとない感じいつ来るかわからない変化にそなえ、今に全力投球・集中できないような感じそんな感覚・エネルギーをじっくり見つめ、浄化していきます。 マクロビオティックの仕事だけで生きられるだろうか、という不安・心配をしっかり感じてあげ、浄化します。やりたいことだけを仕事にして、それで生活していく・・・そんな在り方に抵抗している、否定している、自信を持てない感覚や記憶を見つけ、浄化してあげます。 自給自足の田舎暮らしに憧れていらっしゃる、とのこと。これからの地球の文明は、そのような全てと調和のとれた方向へシフトしていくでしょう。純粋な望み・憧れならば、魂や直観からのビジョンなのでしょう。大切にされてください。しかし、もし、今の暮らしと比較して落ち込んだり、今を否定したり、焦りを感じたりされるようならば、それらのエネルギーは、ぜひ浄化してください。 浄化が進めば、思考は純粋な創造のツールとなってくれますが、現在の人々の思考は、過去の情報・記憶と未来への恐れに基づく、エゴの声に、ほぼ占拠されている状態です。しかし、それも必要があって体験してきたことです。否定したり悲しむことはありません。頭の中でぐるぐる繰り返される思考・問答・葛藤に気づくとき、それは、浄化への道を示す、道標となってくれるでしょう。そして、はい!日々の浄化で、安心や決心が起きてきます! >こんなことを話せる友人もいないのです。友達の前では強がりの自分がいます。>ネガティブな話ができないし、たぶん聞きたくもないのかもしれません。 内面的な話、ネガティブな話ができる友人がいない。そのことに関して感じる寂しさや虚しさ、否定的な感覚をどうぞ、見つめてあげ、浄化してください。友達の前で強がらずにはいられない、その感覚そのもの、そのように自分を必死に守っている感覚、弱さをさらけ出すことの恐ろしさ、それらのエネルギー・記憶を、浄化してください。 そのままの自分では、認められない、許せない、満足できない、足りない、安心できない・・・抑えようとしても、にじみ出て、湧き上がってくる、駆け巡るエネルギーそれらすべての感覚が、感情が、思考が、記憶が、情報が、観念が、みな浄化対象です。 それらの量が減ってくれば、自然とファーストステップの状態であれるようになってきます。しようとしなくても。見失っていた、感じられなくなっていた、ありのままの喜び・自由・輝きがあふれてきます。これが、今この瞬間、内なる叡智とのつながりを、取り戻していくプロセスです。それは、貴方にとって最適なタイミングで起きてきます。その目には見えない大いなる流れを信頼し、焦らず、プロセスを体感していってください。それこそが魂の望みなのですから。 もしまた、ご質問等ございましたら、浄化実践講習会や個人セッション等にお越しください。 では、今日も素晴らしい一日をお過ごしください。ありがとうございました。****************************************本当にありがとうございました。私のメールにひとつひとつ丁寧に、そして暖かいお答えを頂きまして、読み始めてすぐに嬉しさで涙があふれてきました。今、与えられていることに感謝し、起きてくることや感情を受け入れそして、浄化をしていきます。お忙しい中、えご満載の質問にお答えいただいて本当に感謝しています。また、アムリタに伺いますので、よろしくお願いします。
2015.06.21
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オーラソーマワークショップ @スペースあむりたスペースあむりた初!! 講師をお招きしてのワークショップです。私の親友であり、敬愛する女性、北澤蓉子さんがナビゲートしてくれる魅惑のオーラソーマワールド。きらめく色をとおして、内面と向き合う、素晴らしいひと時を、ぜひ~♪*** オーラソーマって? *** オーラソーマは意識の進化と成長を促す魂のカラーケアシステムです。 112本の美しいカラーボトルの中から、直観で4本選んでいただくと その色の中にあなたの本質やギフト、潜在的な可能性、未来の情報などが 鏡のように映し出されます。 光を含んだ美しい色と、脳にダイレクトに働きかける素晴らしい香り、 ハーブと鉱物による純度の高いオーラソーマ製品が、オーラを浄化・保護し、 ライトボディをケアしてくれます。 美しい色と香りを楽しみながら、遊び心をもってご自分の色を選んでみませんか? あなたが選ぶ色があなた自身です~ *** ワークショップについて *** 日時: 2015年7月11日(土) 10:30~12:00 場所: スペースあむりた(千葉県市川市・詳細はご予約後にお知らせいたします) 料金: 2000円 内容: オーラソーマの誕生した経緯や背景を含む、オーラソーマとは?のお話から、 色とチャクラの関係について、オーラソーマ製品の効果と効用についてetc.の プレゼンテーションをし、実際にオーラソーマ製品を使ってその香りや波動の 素晴らしさを体感していただきます。 その他、参加者全員にボトルの一本リーディングを行い、またポマンダー、 クイントエッセンスを使ったプチ瞑想など、盛り沢山で楽しい内容です。 (10名限定・10歳以上ならどなたでも参加できます) *ワークショップ終了後、ご希望の方には別途個人セッションもいたします。*** 講師プロフィール *** 北澤蓉子(きたざわようこ) 千葉県いすみ市在住 20代は海外に在住。さまざまな職業を体験しながらヨガ・マクロビオティック・ ホメオパシー・フラワーエッセンス・オイルマッサージ・占星術・数秘術etc... に出会い自己ヒーリングを行う。 帰国後、鍼灸師でヒーラーの夫と結婚し4人の子に恵まれるが、2000年に長男が 4歳半で急逝。悲しみのどん底からオーラソーマに出会い、再生された経験から、 2003年より自らもオーラソーマセラピストとして、個人セッションをスタート~ オーラソーマをツールとして、多くの方々の意識の変容に携わっている。 井瀧家とは家族ぐるみで親交があり、津留さんのメッセージは生き方の指針となって いるため、オーラソーマの個人セッションの中でも、たびたびクライアントにシェア しています。 ニューエイジの魂をもつ子どもたちの母として、自主保育サークルやホームスクールetc. ユニークな子育てを実践してきた経験から、夫婦関係・家族・子育てに関する相談が多く、 親子やカップルなど2人の関係性をみていくシナジーリーディングも得意としています。*** ご予約・お問い合わせ *** comunikayoko@gmail.com または 090-7011-4949 北澤蓉子までお気軽にどうぞ~
2015.06.01
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夏日が続く中、今日は空気もひんやりと涼しく、火照った地上のエネルギーを、やんわり鎮静化させてくれているようです。一人静かに、部屋に座っていると、様々な鳥たちの歌が・・・また、ゆっくり外を散歩していると、咲きこぼれる花々が・・・それらの美が、内に沁みわたって行くのを感じます。それらと一つに溶けあい、静かな喜びに包まれます。早いもので、もう5月も終盤ですね。ご自分をとりまく状況が目まぐるしく変化し、どんどん葛藤と直面させられている方。反対に、まったく状況が動かず、先も見えず、焦りや不安で居たたまれない方。また、眠くてたまらない方や、体調を崩されている方も多いようです。いずれも、大いなる解放・変容のプロセスでありそれぞれの方にとって、最善のタイミングで体験されていることですからどうぞ、その「大いなる一つ」の顕れを信頼してみてください。私たちは「大いなる一つ」のひとしずく、として今ここを生きています。感じるべきでないこと、感じてはいけないことなど、何一つありません。体験すべきでないこと、体験してはいけないことなど、何一つありません。ネガティブ、悪、闇、いじわる、不道徳、非生産的、不合理・・・どんなラベルを張り、どう分別してもかまいませんが、そのように「良くないもの」と判断する、感情・思考、言動や体験であってもそれは、ただ、体験したかったから体験した。それだけです。ですから、ご自分を咎め続けるのは、否定し続けるのは、気づかれた方から、もう充分体験された方から、卒業して行きましょう。楽になりたいから浄化をする。もう不快なエネルギーを味わいたくないから浄化をする。苦しみから解放されるには悟りしかないから、そのために浄化をする。この「浄化」という言葉を例えば、「瞑想」とか「修行」とか「魂磨き」など他のものに置き換えてみてもいいでしょう。そのような、藁をもすがる思いで、そのような動機で、浄化にご興味をもたれ、スタートされることは、素晴らしいことです。まさにベストなタイミングであり、お導きなのでしょう。ですが、そのまま続けられていくと、やはり行き詰ります。「こんなに一生懸命浄化をしているのに、まだ不快な感情・思考が消えません」「浄化してもしても、次々に湧いてきて、きりがないようで、不安になります」「どれだけ浄化をすれば、安らぎを感じられるようになるんでしょう」よく伺う、ご相談です。これは、例えば「こんなに瞑想に時間を費やしてきたのに、まだ覚醒体験ができない。」「こんなにつらい修行に耐えてきたのに、まだ光明が得られない。」そんな苦しさ、悔しさ、焦り、いら立ちと同じ感覚でしょう。なぜ、そこにはまり込んでしまうのか?それは今この瞬間、今ここのありのまま、今のご自分を否定し続けているからです。今の状態ではダメだから、苦しいから、目標を設定します。悟りでも、安らぎでも、平和でも、それを目指すべき聖域に祀り上げます。それは、「今ここには、それはない!」と宣言していることです。いつかはそうなれるかも。いつかはそうなりたい。いつかはそうなってやる。でも、それは、いつまでたっても今ではありません。その「目指している」「待ちわびている」「夢見ている」状況を、今は、ただ表現しつづけることでしょう。繰り返します。感じるべきでないこと、感じてはいけないことなど、何一つありません。体験すべきでないこと、体験してはいけないことなど、何一つありません。何を感じようと、何を考えようと、どんな体験をしようと、OKです。どんなカルマ、どんなトラウマ、どんなブロックがあろうと、OKです。どうぞ、他の何かになろうとしないでください。より善いもの、より崇高なもの、より偉大なものであろうとそんな目標、そんな型に、ご自分をはめようとはなさらないでください。そのままの、ご自分を受け入れ、認め、向き合ってあげてください。繰り返し上がってくる、ネガティブな感情・・・大丈夫です。何の問題もありません。ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。全然進歩、前進しないことへの焦りや不安・・・大丈夫です。何の問題もありません。ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。もうこれ以上苦しみたくない、楽になりたい・・・大丈夫です。何の問題もありません。ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。これまで、散々苦しんできた、頑張ってきたご自分を認め、ねぎらい、感謝し、愛で包んであげてください。「もう、あんな思いはしたくない」その恐れや不安、「まだ、こんな思いが湧いてしまう」その失望や自責の念、「いつになったら、安らぎを得られるのか」その焦りやいら立ちもそれらの起きてくる反応、感覚、すべてを咎めず、裁かず、ただまっすぐ、見てあげてください。弱い自分、変われない自分、評価に値しない自分醜い自分、意地悪な自分、臆病な自分、妬む自分そんな自分の一面を受け入れられず、嫌っていることに気づいてください。今許せないなら、今認められないなら、そのままでOKです。あるがままの自分を許せない、今の状態を、許してあげましょう。今の自分じゃダメなんだ!と感じる、今の気持ちを、認めてあげてください。「そうか、わかったよ。そのままでいいんだよ。いつもありがとう。大好きだよ。」まるごと包み込み、抱きしめてあげてください。今をあるがままに、受け入れていくこと・・・それが、扉を開く鍵です。
2015.05.29
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ゴールデンウィークいかがお過ごしですか?29日は、初の青空交流会を開催することが出来ました。初夏の爽やかな日差しの中、広い芝生の公園で、海を見ながら身体を動かしてのボディワークや、グランディングのイメージワークそして皆さまとの楽しいシェアタイム。貴重な体験・気づきについてのお話しや、それに対する質問がポンポン飛び交いとてもイキイキとした、のびやか、おおらかな交流会となりました。ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。また今後も、このような場を設けていきたいと思います。さて、私のゴールデンウィークは・・・夫が、小学生の息子と娘を実家に連れて行ってくれているので高校生の長女とのんびり休日を楽しんでいます。何時に起きて、何時にご飯を食べさせて、そんな思考が一切起こらない(笑)何にも縛られていない、とても自由な感覚。逆に言えば、普段は、日常では、そのような思考に追われ、そのような不自由さに縛られているということですよね。気づくたびに、はい。浄化です(笑)私たちは、「無意識」に「無自覚」に滑り込むことが、とても上手ですよね。これは意識的でない状態、エゴや肉体の反応と同一化した状態と言えます。それは、「役割」や「立場」といった仮面をつけて、さも当然のようにやってきます。母親、父親、妻、夫、恋人、子、経営者、上司、部下etc…親と居れば、「子」としての振る舞い、反応が起こり子と居れば、自然と「親」の立場で思考・行動してしまう。パートナーと接する時、また上司や顧客と接する時ではそれぞれ演ずる役割は違ってくるのではないでしょうか?それらは、いつもお馴染みの感覚であり、「無意識」に「無自覚」に、とにかくず~っと続けてきた習慣であり、まさに自動的・反射的な反応なのです。あまりに慣れ親しみすぎて、それらの反応が「私」「自分自身」であると思いこんでしまっているほどです。それが、本当のストレスの原因であるにもかかわらずそこに安心を見出し、執着を感じています。外側の状況、関係が際限なく続き、巻き込まれたままではその習慣、思い込みから離れ「意識的」でいることは、なかなか難しいかもしれません。ですから多くの先達が、瞑想を勧めているのですね。まずはもろもろのしがらみから離れ、一人になること。一人静かな時間と空間を、自分に与えるのを許すこと。そして常に外を向いている肉体の目を閉じて内なる目を開き、内側に広がる宇宙を感じ、向き合うこと。これが「意識的」な状態です。観察者の視点であるということです。瞑想でその感覚が体感できたら、これまでの日常に、どんどん観察者の視点をもたらしていきましょう。続けていると今度は、この「意識的」な状態が習慣となってくれることでしょう。でも、油断すると(笑)すぐ「無意識」に「無自覚」に引き戻されます。それは、ただ単に、長年染みついた習慣だからです。あせらずに、取り組んでいきましょう。引き戻されれば、ストレスや不快感・違和感が感じられ思考のお喋りが騒がしくなることでしょう。そこでハッと我に還り、また「意識的」であることを選択すればいいのです。浄化は、そのプロセスを強力にサポートしてくれることでしょう。内側を見つめ、どうしようもなく起こる反応、そのエネルギーを一つずつ見つめ、感じ、手放していってあげましょう。「子」としての自分が感じている哀しみ・無力感を「親」としての自分が感じている苛立ち・責任感を「社会人」としての自分が感じている怒り・束縛感を「パートナー」としての自分が感じている不満・欠乏感をそして、そんな風にいつもいつも反応してしまう「弱い自分」「醜い自分」を嫌悪している、許せない、認められない・・・そんな思いもまるごとやがて、今まで「私」「自分」と認識してきたものがいかに限定的な矮小化されたものであったかがわかるでしょう。それが夢のような儚いものであったと理解するでしょう。同時に、困難と葛藤に満ちたそれらの体験も、愛であったと大いなる受容が、解放が起こってくることでしょう。
2015.05.05
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春爛漫・・・このあたりの桜は、すでにほぼ散ってしまいましたが、雨で潤った大気は、淡いピンク色の精気で満ちています。ほこほこの大地からは、次々と草花が芽吹き、成長していきます。この愛おしい命、完璧なる循環そして「今」という存在・体験の奇跡に心ふるえ、喜びと感謝があふれてきます。皆さま、春を迎え、いかがお過ごしでしょうか?芽吹き、成長を始める春の、うきうき・いきいきとしたエネルギー。進学・就職・転居など、大きく環境が変わられた方も多いことでしょう。慣れ親しんだ状態から離れ、未知なる状況へと入っていくときそれが客観的に見て、ポジティブと言われる変化であってもとまどいや緊張、不安や恐れが、感じられるかもしれません。エゴは、非常に変化を恐れるものだからです。過去の経験・情報に基づく、判断・予測しかできないエゴにとってデータを持たない未知なる状態へ入っていくことは危険に満ちた真っ暗なジャングルを、手探りで進んでいくようなもので安全の保障がない、無謀な行為なのです。ここで、大切なのは、エゴの声に引きずられその不安や恐れのエネルギーの中へ、引っ張り込まれないようにすることです。外から受け取る刺激(による内側の反応)で、いっぱいいっぱいになりがちですがそんな時こそ、目を閉じ、ゆったりした呼吸を感じてください。緊張や不安は、吐く息と共に溶け出して流れ出ていくとイメージしてみてください。それだけでも、多少リラックスできるはずです。そしてご自分の意識を、内側に向けます。内側で肉体、頭や心に起こっている反応を、冷静に見つめていきます。湧き上がってくる衝動や感情、思考を、ただ見つめていきます。それらのエネルギーと一体化せずに、一歩引いた視点で、見つめていきます。これを、津留さんは「想念観察」と呼び、皆さんにお勧めしていました。ストレスに感じていること、焦りや、咎めや、自信のなさ・・・さまざまな恐れに基づく声が、頭や心の中をぐるぐる廻り肉体に緊張や不快感をもたらしていることに、気づかれるでしょう。さて、それに気づいている、それを見つめているのは、誰でしょう?ただありのまま、その空間に起きてくることを観察している、その視点、その存在。それこそが、私たちの本質である・純粋な「意識」なのです。内なる叡智、大我、神、宇宙、ハイヤーセルフ、何と呼んでもいいでしょう。今まで気づかなかっただけで、忘れていただけでそれは今ここに、自らの内に、在りつづけています。いえ、むしろ、それだけが真実で、主体で、実在で、それ以外の物事は、みな夢・幻に過ぎないのです。今、もうすでに、私たちはそれを思い出しました。夢から醒め、真実の目を開いて、その視点で、その周波数で、ありのままを見つめていきましょう。内側に湧き上がる反応、エネルギーは、ただの過去の残像です。感じきらなかった、やりつくせなかった、全うできなかったエネルギー。渡され、受け取り、握りしめてきた常識、価値基準、固定観念。嫌い、裁き、憎み、恐れて封印してきた、闇や影と感じる部分。それらすべての根元には、分離・欠乏・死(=生きること)への恐れがあることでしょう。内なる目をしっかりと見開いて、それらのエネルギーを受け入れただまっすぐ見つめてあげましょう。存在を認められず、表現を許されず、行き場なく抑え込まれていたエネルギーたちをどうぞ解放してあげてください。純粋な「意識」の光(=愛)が注がれるとき、そこに癒しと解放がもたらされそれらのエネルギーは、本来の質、ニュートラルな光へと昇華、変容していきます。そのプロセスの中で、自然と深い理解・気づきを受け取ることができるでしょう。やがて、何一つ無駄はなく、失敗も誤りも遠回りもなくすべては必然で、完璧で、導かれ、繋がっていること、ひとつであることがわかってしまいます。これ以上の安心が、開放感があるでしょうか・・・安堵の笑いがこみあげてきます。ゆだねること、明け渡すことの意味が、初めてわかります。日蝕、月蝕などの天体ショーが相次ぎ、宇宙レベルでエネルギーシフトが起きていますね。精妙な周波数のパワフルな光が、地上に降り注いでいます。クラクラ、フワフワ感じられる方、眠くてたまらない方も多いのではないでしょうか?ますます、内に留め抑えていたエネルギーが、揺り動かされ噴出せざるをえない、向き合わざるをえない状況が起こってくるかもしれません。変化は、循環は、宇宙の理。いつまでも同じ状態で停滞しているわけにはいきません。でも、どうか安心してください。どのような変化が起ころうと、それも必然なのです。信頼してください。すべては完璧なのです。出てきたものは、ウェルカム!正面から向き合いましょう。泣いても、笑っても、怒っても、いいんです。悟りすました、善い人じゃなくてもいいんです。ありのままを感じていきましょう。どんなしがらみも、制限も、手放していきましょう。そのプロセス、その瞬間を味わっていきましょう。あなたの本質は、いつだって、傷つきも損なわれもしません。それは、光そのもの。愛そのもの。宇宙そのものなのですから。illustration by freedesignfile.comP.S.我が家でも、母の一周忌や末娘が卒園、入学ということもあり3月はバタバタしていました(笑)春休みは、家族で沖縄へ。一気に春を通り越し、真夏の陽気。晴れ渡る空に、どこまでも凪いだ青い海。全身が脱力し、毛穴が開いて、深呼吸をしているのがわかりました。身体の境界線が溶けてなくなり、海に、風に、鳥に、花に・・・意識は拡大し、自由にはばたき、共振していきます。ホエールウォッチングでザトウクジラに出会いシュノーケリングでエイや熱帯魚と泳ぎ子供たちは、イルカとも触れ合いました。沖縄の地に御霊に、祈りをおくらせていただきまた、皆既月食のパワーも受け取ってきました。そして、真っ黒に日焼けしてまいりました(笑)心身ともに浄化された、喜びに満ちた休日でした。すべてに感謝を・・・
2015.04.15
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2月19日、旧暦の新年がスタートしました。旧暦は月の周期を基とした暦。新月が月の始めとなります。満ちては欠けて、の大いなるリズム・・・安らぎに身を委ね、その波に乗って、瞬間・瞬間を体験していきましょう。先日、いただいたご質問。「これって、どう折り合いをつければいいんですか?」伺ったとき、電球が光りました(笑)私自身の経験でも、もちろんのこと。多くの方が、必死に、もしくは無意識のうちに自分をとりまく状況と「折り合い」をつけようと、努力されていることでしょう。だだをこねても、感情をぶつけても、コントロールしようとしてみても結局、相手を、周囲を、外側を、上手に変えることはできなかった・・・むしろ自分が、怒られたり、嫌われたり、孤独を強めたりする結果になった。そんな体験を通して、エゴは学習します。自分の気持ちの方をコントロールしなければならない、と。そして、我慢します。気持ちを抑え込み、無かったことにします。相手に、周囲に、外側に、上手く合わせようとします。それがきちんとできないときには、罪悪感を感じます。これらの、スッキリしないモヤモヤ感を何とかするため、さまざまな観念、理論を駆使して、頭で納得しようとします。「~だから、仕方がない。」と、頭が心を説得しようとします。これが、「折り合い」をつけるということです。そのような、涙ぐましい努力によって、今までは上手く折り合いをつけ良い人として、正しい人として、立派な社会人として自他ともに認められてきたわけですが、それが限界を迎えるときが、やがてやってきます。頑張り続けることに、疲れてしまったり、張りつめていた心が折れてしまったり、耐えきれる許容量をはるかに超える状況が、起こってきたり今まで慣れてきた対処方では、通用しない。もうお手上げで、降参するしかない。自分の表面をいじくり、取り繕うだけでは、どうにもならない。もっと深く、内奥を見つめざるを得ない。「こんな状況で、どう折り合いをつけろっていうの~!」それは、まさに内なる叡智、ハイヤーセルフからの贈り物です。例を挙げて、見てみましょう。今、目の前にある状況に関して、心地よくない感覚がある。不快感や、怖さ、窮屈さ、批判、さまざまな感情やストレスを感じている。もう折り合いをつけられない。耐え忍ぶことはできそうにいない。さあ、その時、皆さまならどうされますか?その状況から立ち去る、断る、ノーと言う選択肢が、ご自分の中にありますか?そんな選択を考えたとき、エゴの声が、響いてきませんか?「始めたことを途中で投げ出すのか?」「また嫌なことから逃げようとする!」「断ったりしたら、相手から信用を無くす。嫌われる。」「ノーと言えば、相手を不快にする。傷つける。和を乱す。」また、津留さん含め、スピリチュアルな教えでよく言われている「目の前の状況は自分の内面を鏡として映し出しているだけ。内面を変えなければ、どこへ行っても同じパターンを引き寄せる。」というメッセージが、足かせになっている場合もあります。さあ、ここで申し上げたいのは、「逃げましょう」とか「逃げてはいけません」とかそういうことではありません。もちろん、どちらの選択、体験もすべてOK!です。折り合いをつけきれなくなってきたのは、次の段階へ進むサインだということです。何かの罪でも、罰でも、前世の因縁でもありません。(その考え方がお好きなら、もちろんそれもアリ。それでOK!です)こういう視点で見てみてください。感じてみて下さい。すべては、完璧に、導かれている・・・と。大いなるひとつ によって。 内なる叡智、ハイヤーセルフ によって。その信頼から、安心から、「折り合い」ではない本当の理解が、納得が、腑に落ちていきます。肩の力が抜け、責めたり、耐えたりする必要がなくなっていきます。導かれ、目の前に展開していく状況は、ただ、自分が知らず知らずに背負ってきた、過去の重荷(エネルギーブロック)を教えてくれているだけなのだ、と。それらに気づき、認め、見つめていく、手放していくことが次の段階のプロセスなのです。この例でいえば、 その状況を前にした、耐えがたい不快感・ストレスな感覚 折り合いをつけたい。つけなきゃ。でもできない。という葛藤 逃げ出したい気持ちや、ノーと言いたい気持ち それをすることへの、咎めや恐れ(エゴの声)などを見つめていき、浄化します。また、こんな思考もわいてくるかもしれません。「なんで、こんな目に合わなければいけないのか?」「私の何が、こんな現実を創造してしまったのか?」「私のどこを変えれば、この状況が変わるのか?」それらを知りたい、わかりたい、納得したいという焦り、不安、いら立ちを浄化します。表面を浄化すると、さらにその奥に潜んでいるエネルギーに自然と気づけるようになります。忘れていたことを、ふっと思い出したりもします。過去の関連する出来事の記憶や痛みが、表面に上がってきたりこれまで繰り返していたパターンが見えてきたらそれらも、丁寧に浄化していきます。ブロックを積み上げていくプロセス、それも完璧でした。そして今、この3次元世界で2極を極める体験をめでたくマスターして浄化、統合のプロセスがスタートしているのです。その素晴らしい体験を通して、2極を超えていくのですね。頑張って折り合いをつけようと、努力されてきたこれまでのご自分にどうぞ愛と感謝、温かいねぎらいの言葉をかけてあげてください。そのままのご自分を抱きしめ、「大好きだよ」と伝えてあげてください。今ここにいる、そのままの貴方で、完璧なのですから。
2015.02.20
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あまりの大雪に交通機関がマヒ。都会で遭難し、帰ってこられなくなった娘を待ちながら徹夜で迎えた去年の誕生日(笑)今年は、おかげさまで、穏やかに、その日を迎えることができました。受け取ったメッセージは「心願成就」。今あるすべてに、心から感謝しています。内側を見つめていくプロセスには、両面があります。肉体、欲望、感情、思考、価値観、観念との自己同一化を見切り「あぁ、これは自分ではなかった!」「おぉ、これも自分ではなかった・・・」と、一つ一つはがしていく、落としていく。そして「自分」と認識していたあらゆるものは幻想で「自分」というものは、はじめから無かった、と思い出す。そぎ落とし、そぎ落とし、ゼロへと向かっていく道。同時に、すべてを受容していく道も。肉体の緻密な構造・働き、その完璧さに感動し、感謝する。扱いかねて抑え込み、恐れてきた感情や、疑いなく受け取ってきた観念など、過去のエネルギーを、ありのまま認めて見つめていく。そして鏡に映るすべては、どんなものであれ自分なのだと、理解・体感が深まる。これまでのあらゆる出来事・歴史を、すべて貴重な体験であったと赦し、受け入れる。今ここ、この瞬間の完全さに心ふるわせる・・・善悪も、人も、星も、宇宙もすべてを抱きいれ、内包していく形や時空、次元を超えて、無限のワンネスへと拡大・拡張していく道です。男性的、女性的と表現することもできるかもしれません。これらは表裏一体であり、どちらを進んでも、行きつくところ、還るところは同じです。一方の道をすすむことも、両方を味わうことも、全部OK!すべての存在、すべての可能性が内包された、無限のゼロなのですから。illustration by Undertow851
2015.02.09
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春を思わせる、あたたかな日もあれば、身震いするような、寒風吹きすさぶ日もあり、でも一歩一歩着実に、本当の春へ近づいていますね。間もなく立春。新たな節目でもあります。つい、本当の春を待ち焦がれてしまいますが、今ここをしっかり味わい、感じつくしていきましょう。「私のところへは、わがままになれずに苦しんでいる人たちが来るんですね~」時折、津留はそんな話をしていました。人間は縦型と、横型、二つのタイプに分けられる・・・そんな事も言っていました。縦型とは、外向的、直情的、パワーゲームやコントロールを好むタイプ横型とは、内向的、内省的、諍いを好まず自分の思いを犠牲にするタイプわがままになれずに苦しんでいる人たちとは、この横型タイプのこと、と言えそうです。津留は、自分がどちらかといえば横型タイプで、その体験を超えてきたがゆえにそういう傾向の方たちに、より深く響くのだろうと、笑っていました。私たち一人ひとりの中には、本来すべてが内包されておりあらゆる要素がまじりあっているわけで、スパッとどちらかのタイプに分けきれるものではないでしょう。ですから、この場合、ご自分の認識している自己イメージやこれまでの人生で、記憶の多くを占めているパターンまたは、今現在おかれている、上手くいかない状況そんなものに基づいて、ご自分の傾向を感じてみて下さい。私の場合、この分け方で言えば、ずっと自分を横型タイプだと思っていました。縦型タイプな大人たちに囲まれ、彼らの激しい感情の応酬を見聞きしながらその不調和なエネルギーが不快で怖くて、ますます自分を表現できなくなる・・・そんな体験を探求していたんですね。そして、自信のなさ、被害者意識といった感覚が強化されていきました。人見知りで、口下手で、不愛想、そんな自己イメージが定着していきました。私はそのような仮面をかぶり、窮屈な衣装を身に着けていったのです。その一方で、縦型タイプを嫌悪し、軽蔑し、見下している自分がいました。それにより、自分の存在価値を、無理やり見出そうとする切実な思いがありました。ですから、常に縦型タイプの配役を傍に必要とし、体験を極めていたわけです。まさに望み通りのダンスを、踊り続けていました。幸いにも(笑)、その体験に飽き飽きするタイミングがやってきました。もう不要となったエネルギーを、手放すステージへ移行していったのです。それは、仮面も衣装も脱ぎ捨てて、素の自分を思い出すプロセスでした。横型タイプとしての自己イメージや、過去の記憶、何より、それらに付随する、これまで溜め込んできた感情を、どんどん感じ、見つめ、浄化していくと・・・自分の内側に、縦型タイプの要素をしっかり持っていたことに気づきました。それらの存在を否定し、表出を許していなかっただけでした。そのことに気づけてからは、内側で訴えてくる縦型タイプの要求や恐れを正面から見つめ、浄化できるようになりました。やがて、内なるすべてを受け入れ、認められるようになってきます。愛おしく思えるようになってきます。安心して、自分自身でいられるようになってきます。すると、自然と、外にみえる世界に対しても、否定する必要がなくなってしまいます。仮面舞踏会(武闘会?)だった人生が、愛おしく、安らぎとともにある人生へと変容してしまうのです。大いなる源から、神(無限)ならざる体験を求め、分かれ分かれてきた魂(意識)である私たちは、この2極(有限)の物質世界の中へと、喜んで飛び込んでいきました。その舞台・地球で、壮大な絵巻物を繰り広げるための配役として縦型も横型も、王様も奴隷も、大富豪も貧者も、ただそこに居てさまざまな体験を味わっています。それぞれの喜び、悲しみ、葛藤、絶望を・・・一生を、頑固一徹、同じ配役で通す場合もあるでしょうし、シーンに応じて、器用に色々な役を演じ分けたり、絶頂からどん底へといった、極端な役替えに挑戦したりもします。配役によりかぶった仮面、身に着けた鎧・衣装をパーソナリティーやアイデンティティーを、自分自身と信じこみ忠実に、恐ろしいほどリアルに、その感情体験に没頭してきました。ワンネス・大我とのつながりを、見事に忘却した私たちは分離感・恐れに基づく、小我・エゴ・思考の声に振り回され、踊り続けます。そこに、本当の安らぎや、満ち足りた感覚はありません。そこで、自分の表現している立場を、何とか正当化するべく相手を敵視したり、貶めたりそれはもう、涙ぐましい努力で考え付く限りの自己防衛、理論武装の壁を張り巡らせ常に外側と格闘してきたのです。それらは、すべて、貴重な体験でした。ここでしか味わえない、かけがえのない体験でした。飛び込んでみると、想像以上に過酷な体験でしたね。本当にお疲れ様でした。今まで地球上で積み重ねられてきたそれらの体験、それらのエネルギーそこに身を投じてくださった、同胞の炎のような献身に・・・また私たちを受け入れ続けてくれた、母なる地球に・・・心より感謝申し上げます。ただただ、ありがとうございます。そして、何よりありがたいことに、3次元舞台であった地球は、もう新たなステージへと移行しています。盛大な仮面舞踏会は、終演の時を迎えました。繰り返されてきたお馴染みの悲劇は、今までのような、魅力を失っています。次第に、うわべだけの、白々しい作り物に見えてくるでしょう。「え~、またなの?もういいよ~!もう飽きたよ!」配役を演じることに夢中になっていた人々が、その悪夢から目覚めていくことでしょう。早めに目覚める人も、まだまどろんでいたい人もいるでしょう。それぞれに最善のタイミングがあるのです。それでも地球上すべてが、目覚めの時を迎えます。大いなる喜び、お祝いの時です。気づいた人から、思い出した人から・・・先延ばしにする必要はありません。今、手放すことが出来ます。仮面も、鎧も、その下にある恐れも。illustration by cici_luis
2015.01.29
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あっぱれな日本晴れ・・・惚れ惚れする青空です。この週末、三連休の方々も多いことでしょう。皆さま、いかがお過ごしですか?さて、「尾張(おわり)名古屋からはじめよう」を合言葉にスタートした、集合人編集局の2015年地方イベント。昨日から、ひでさんが名古屋入りし、ご縁をいただいた方々との 光の共振を楽しんでいます。そんな折、いつも何かとシンクロしている、シャンタンさんからまたドンピシャ!なタイミングで、お電話がありました。「今度は1月11日に、名古屋で光の柱を立てま~す。」とのこと。やはり、名古屋からはじめるとのメッセージを受け取られたそうです。以下に、シャンタンさんのブログをご紹介しますね。*********************************皆さんこんにちわ シャンタンですが今年2015年、1月11日、午前11時11分11秒この時ボクは沢山の人達と名古屋で光の柱立てをしますそしてその光の柱を立てたそのエネルギーを日本中に送りますのでそれを、それぞれの皆さんの場所で受け取ってくださいそうすると皆さんが居る、その場所に、光の柱が立ちますやり方は、その時、立ってやるのも座ってやるのも寝てやるのもそれはどれでも構いません自分の好きな体勢でどうぞ☆立ってやる場合 呼吸するとき、「頭の上から光を吸い込んで 足の裏から、はき出していく次に 足の裏から「光」を吸い込んで 頭の上から、その「光」をはき出していきますこれを立ってやっても、寝てやっても良いですそうすると、自分の身体(そのものが)光の柱に変わっていきますそして、それによってあなたの居るその場所に光の柱が立ちます☆座ってやるときは 頭の上から「光」を吸い込んで 尾底骨から、はき出して 尾底骨から「光」を吸い込んで 頭の上から、はき出してこのやり方ですこのやり方で、皆さんの『居る場所』そこに、「光の柱」が立ちます。・・・日本列島全体を一つの龍体と見立てた場合の あなたの居る場所に光の柱が立ちますそれが、龍体が目覚めていく上での、一つの大きな働きをします今年、1月11日、午前11時11分11秒沢山の人達と名古屋からエネルギーを日本中に送りますのでぜひ受け取ってください例えその時間に正確に合わせて参加出来なくても祈りには時間も空間も関係ありませんからその前日でも後日でも、この2015年の、1月11日、午前11時11分11秒に焦点を合わせて頂ければ、それは実現します是非参加してください (転載 終了)*********************************ひでさんは名古屋から、私は自宅で光の柱立て、祈りを行います。心惹かれる方は、ぜひ、ご一緒に・・・
2015.01.10
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西暦2015年が、静かにスタートいたしました。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。しかし、大きなエネルギーの流れは、12月22日の冬至からシフトしていたように感じます。今回は、冬至を出雲で迎えたいと直観し、家族旅行を決めていました。その後、今年は、冬至と新月が19年に一度のタイミングで重なる「朔旦冬至」であると聞きました。19年前、1995年といえば、津留さんが内なる世界の情報発信をスタートさせ、小規模ながら講演会やカウンセリングを行い、口コミでご縁が広がっていった年です。それからの19年を一つのサイクルと見てみると、本当にさまざまな体験、変化、手放し、気づきが起きてきました。太陽と月の再生を象徴する、この大切な節目を清しい周波数に満ちた、出雲の地で迎えられたこと・・・そのお導きを、ありがたく嬉しく感じました。心機一転、生まれ変わったようなフレッシュな感覚で今ここを生き、感じ、味わい、表現してまいります。感謝とともに、神魂(かもす)輝かせてまいります。
2015.01.01
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2014年が 過ぎゆこうとしています。時の流れは あっという間ででもその分、体験の密度が上がっていくような・・・今年一番の大きな変化、人生のターニングポイントは個人セッションを 始めさせていただいたことです。皆さまの人生体験、そこからの見方や感じ方、得られた気づきを伺っていく中で、どれほど多くを学ばせていただいたことか・・・飛躍的に増えた、出会い・ご縁、そのうねり・エネルギーにただ感動し、感謝するほかありません。本当にありがとうございました。2015年も、繋がりあえた皆さまと、素晴らしいハーモニーを奏で愛と光で共振していきたいと、そう願っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。また、振り返れば・・・今年は激動の年であり、大きな波をいくつも乗り越えてきました。末娘が、突然意識不明となり、生死の境をさまよう、そんな出来事もありました。娘の退院と前後して、今度は母が入院となり、間もなく旅立ちの時を迎えました。その後1ケ月間ほど、私も体調を崩し、生と死、健康と病、といったテーマを見つめることになりました。起きてくること、すべてがベストで最善である、とも言えるし起こることはただ起こるだけ、そこに何の意味もない、とも言えるでしょう。ですが私は、それらの出来事から、かけがえのないギフトをいただいています。たくさんの感情が生まれ、涙を流し、エネルギーが体を通って流れていきそして同時に、そんな全ての体験を、愛おしく見つめている意識である我。その静けさ・その安らぎ・その大いなる愛・・・さあ、恐れることなく、感じていきましょう。咎めることなく、感じることにオープンになっていきましょう。感じることは 神に魂にとって、魅惑の体験。そして、感じつくし、受け取った気づきは、まばゆい至高の輝き。自らの内を見つめ、受け入れ、赦し、癒し、愛してまいりましょう。ぜひ、ご一緒に・・・では、2015年が皆さまにとって素晴らしいものとなりますように・・・ P.S. 29日は長女の17歳の誕生日。 ステキなお店で、イタリアンのフルコースをいただきながらお祝いを。 また、この日は夫ヒデさんとの9回目の結婚記念日。 夜はおうちで祝杯をあげました。 色々あったけれど(笑)、すべて貴重な体験でした。 いつも、今までも、これからも、ありがとうございます。 これからもお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。
2014.12.30
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日常、いつも、つねに、つきまとっていた イライラ・チクチクが静まってくると、穏やかに、淡々と、そして幸せに、今へ集中していくことができます。・お弁当を作りながら、呼んでもちっとも起きてこない子供にイライラしたり・洗濯物を干しながら「こんなことしている場合じゃないのに。あんなに仕事が たまっているのに!」とストレスを感じたり・仕事をしながら「もう、お昼の時間?仕事を中断して、また食事の支度をしなくちゃ」 と不満に思ったり・幼稚園や学校から帰ってきた子供たちに、おやつを食べさせ、お話をききながらも、 やることリストが頭から離れず、その時を楽しめないことにチクチク胸が痛んだりふふふっ・・・これらはみんな、以前私が感じていたストレスです(笑)では、これらの反応を例題として、どのように浄化していけばよのか、見ていきましょう。まずは、想念観察を心掛け、それらのイライラ・チクチクに気づいていきます。外側ばかりに向かいがちな意識を、積極的に内側へと向けて反応が起きてきたとき、できるだけそれに気づき、観察するようにします。どういう時に、どんな反応が起こるのか。どんな思考がわき、どんな声が聞こえて、どんな感情を感じるのかまた肉体の反応とその感覚(痛みや重さや緊張や収縮を感じる部位やその様子など)日記にメモをしていってもいいでしょう。そして、気づいた反応のパターンについて、浄化していきます。まず始めは、表面に上がってきている感覚そのものを見つめながら集め、手放します。上の例からすれば、「こんなことしている場合じゃないのに!」という焦りやいら立ち、何かに追い立てられているような感覚そのものです。また、そんな風に感じている自分を咎めている、その罪悪感も浄化していきます。一度で手放せなくても大丈夫。気づくたび、その反応が上がってくるたび、何度でも浄化してあげてください。それらの感覚、感情的な反応が落ち着いて、軽くなってきたら、その下にある、観念を見つめていきます。この例でいえば、以下のような観念が見えてきます。・きちんと、テキパキとしなければならない。・「私が!」しなければ(してあげなければ)ならない。・女性は、母は、妻は、家事をするものである。・仕事には優劣・優先順位がある。・優先順位どおりにこなしたい。・家事は、対外的にお金を稼ぐ仕事や、クリエイティブな仕事に劣る。・やるべきことをせずに、くつろいではいけない。サボってはいけない。・誰かの、何かの役に立たなくては存在価値がない(必要とされない)・やり遂げ、結果を出さなくてはならない。たくさん、見つけられますね。まだ、他にもあるかもしれません。これらの観念、それを持つに至った過去の記憶、情報に基づいて、エゴちゃんは反応し声をあげます。その声が頭の中に、心の中に騒がしく反響し、渦巻いて・・・それにより、不快感やストレスが生じているのです。とても、今ここに集中することなどできませんよね。そこで、気づいた観念、思い出した過去の記憶、それらを一つ一つ見つめ手放していきます。それらの与えてくれた、貴重な経験に感謝をしつつ、「もう充分に体験しました、ありがとう。」と光に還していきます。浄化していく中で、さらに奥深い根や、長年持ち越してきたエネルギーに触れ思い出していくことも、自然と起こってきます。それは深淵な体験であり、自ら得た真の気づきとなります。今回、例題として挙げた、これらの反応とその浄化・・・私にとって、本当に大きな学び、気づきであり、大切な愛おしい経験でした。そんな経験をさせてくれたエゴちゃんに、感謝・感謝。その舞台で役を演じてくれた家族に、感謝・感謝です。それらの経験があったからこそ、今ここにいる安らぎ、喜び、そのパワフルさを全身全霊で感じることができるのですから・・・Photo by paul bica
2014.11.20
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今、目の前で、何か事が起こる。それを見たとき、聞いたとき、体験したとき何をどのようにに感じるか・・・どんな想念がわき、どんな思考が駆け巡り、どんな感情がこみあげてきたかそれをただ見つめ、観察している意識。この目線。この意識。この存在が、本来の私たちです。たとえ、それが、過酷に見える体験であったとしてもこの意識においては、本当に、善いも悪いもなくただすべてを、貴重な経験として、もしくは、わくわくする遊びとして純粋に味わっています。そして、その意識は、つねに私たちの内に、中心にあり、内なる平安・至福とも呼ばれます。それは、すべてと繋がったワンネスの意識であり、光そのもの、愛そのもの、叡智そのもの、豊かさそのものです。その意識は、一瞬たりとも、私たちから離れたり、隠れたり、見放したりすることはありませんでした。永遠の今において、つねに、この体験を観察し味わう主体として中心で輝き続けていました。しかし、私たちが、3次元での2極に囚われた体験を深めていく中であまりにリアルな、シリアスなドラマにはまっていく中でその分離と忘却のサイクルの渦中で自らの中心・主体・源とのつながりを感じられなくなってしまうのは当然だったことでしょう。私たちは、この肉体と、この思考・感情と、この個性(アイデンティティ)それだけが、それこそが「私」「自分」だと信じ、そう知覚してきました。その限られた見方、感じ方は、人生のすべてに更なる深刻さをもたらしました。そのおかげで、私たちは、存分に、分離感、欠乏感、無力感、罪悪感を体験することができました。恐れを不安を、悲しみや憎しみや怒りを、葛藤や苦悩を、孤独や絶望をその感覚を知り尽くすことができました。そんな中でも、もちろん、喜びや幸せも体験してきました。ささやかな穏やかな日常が続いていく幸せ。夢や目標が達成される喜び。人や物、富や名声、望んだものが手に入る喜び。愛し愛される幸せ。ですが、その喜びや幸せには、必ず条件がセットになっているため外側の状況が変化してしまえば、たやすく手から零れ落ちていってしまいます。儚く、移ろいやすく、不確かなもの。それでも、私たちは、その一瞬の喜びを、幸せを(その記憶・その感覚を)もう一度!せめてもう一度!と求めてやみません。それはきっと、私たちの忘れてしまった本質が、喜びそのもの、だからなのでしょう。充分に分離の2極のドラマを演じつくし、もう飽き飽きしてきたらまさに陰極まって陽となる・・・とばかりに自らの源・本質を思い出していく、そこへと還っていくステージが始まります。これを読まれている皆さまも、すでにそのステージを歩まれていることでしょう。ここでのキーワードは・・・「全肯定」である、と受け取りました。◎今のご自分、ありのままのご自分すべてに「全肯定」「すべてOK!」◎今起きてくることすべてに「全肯定」「すべてOK!」いかがでしょう?そのように受け入れることができますか?ご自分に、今、実際にそう言ってみて、どうお感じになりますか?何か、引っ掛かりや、抵抗や、咎めや、さまざまなエゴちゃんの声が聞こえてくるのではないでしょうか。「そうは言っても・・・すべてをOKとは思えない」「だってこれは正しくない」「これは許せない」「ここが足りない」「あの部分が嫌い。怖い」「もっと~だったら、OKなんだけど」そこです。その部分が、ご自分で握ってこられたエネルギーブロックです。過去のデータ、情報に基づく、エゴの防衛本能による条件付け。または、過去に生じたものの、感じつくすことができなかった、未消化な感情。単なる知識として蓄積してきた、数々の固定観念。それを教えてくれるためだけに、事は今起きてきます。他人のふりをした私が、そこを刺激してくれています。気づいたならば、そのブロックを認め、感じつくすことで、手放すことで、そのエネルギーを元々の光そのものへと、還してあげることができます。自分をがんじがらめにして、身動き取れなくしていたエネルギーを脱ぎ去り、軽やかに、自由に、今ここを生きることができます。浄化は、そのための効果的な手段の一つです。ですが、あくまでも手段にすぎないので、どうぞ、それを達成すべき目標や執着、「~ねばならない」にはしないでください。そして、もっと大切なこと。それは本質とのつながりを取り戻すということです。私たちの本質は、決して私たちを咎めたり否定したり、問題だと思ったりはしません。その意識はもちろん私たちを、そのすべてを「全肯定」しています。「すべてOK!」「ありのままで完璧!」「存在そのものが美であり愛である」ですから、どうぞその感覚、その視点を日常にもたらしていただきたいのです。最初から、心からそう思えなくても構いません。そう思えない部分については、浄化も併用していただきつつ・・・今の、そしてこれまでのご自分に対し、ねぎらい、感謝、愛の言葉を惜しみなくかけて、温かく包みこんでいただきたいのです。その大いなる受容と赦し、癒し、滋愛のエネルギーを存分に注いで、内側を満たして差し上げてほしいのです。誰にわかってもらえなくても、誰に受け入れてもらえなくてもいい。ご自分が自らの救世主として、ハイヤーセルフとしてすべてをありのまま受け止め、わかってあげてほしいのです。「全肯定」です。その温かい感覚・・・わかってもらえた、受け入れてもらえた、満たされた感覚。それは、呼び水となって、枯れていた内なる泉をよみがえらせることでしょう。内側にすべての源泉があったことを、体感として思い出されていくでしょう。見失っていた源との、本質とのつながりを、再び見出されることでしょう。 Picture by.Luxt Design
2014.11.01
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忙しさや、心配事などに気をとられ、家の掃除が、おろそかになってしまうこと、ありますよね。そんなとき、あちこちに埃が積もり、ゴミが溜まっていきなんだか、家全体が汚れ、くたびれてしまったような、落ち着かず、居心地が悪い、安らげない感覚を感じられるかもしれません。その不快感を無視して、または、その不快感に慣れて平気になってそのまま、埃やゴミを積み重ねていくこともできます。また、「エイッ!今日は覚悟を決めて掃除するぞ!」と埃やゴミと正面から向き合うこともできます。そして、家じゅうの埃やゴミを、ほうきで掃き集めてみると「あれれ?こんなもの?」そんな意外な驚きを感じるでしょう。家じゅうに漫然と散らばり、広がっていたときには地味ながらも強い存在感を放ち、自己主張していた、埃やゴミたち。でもそれらと向き合って、見つめながらほうきで掃き、普段は見逃しているような、部屋の隅や物陰なども丁寧に掃き清めていくとやがて、それらの全容が見えてきます。あんなに、居心地悪く感じていたのに、その原因は、たったこれっぽっち?家自体の価値が下がってしまった、とすら感じていたのに・・・集まった埃やゴミを捨ててしまうと、今まで薄ら汚れて、暗く見えていた家の中が突然、すっきり広々と、きれいに明るく見えてくることでしょう。そして、元々、この家は素晴らしい輝きを持った、心地よい、安心な場所でその価値は、本当はいつでも、何によっても、変わることはなかった・・・とそう、気づかれるかもしれません。その輝きに降り積もり、覆い隠していた、埃やゴミが絶えず、不快感・違和感を刺激していたにすぎません。さあ、家をご自分に置き換えてみてください。みなさまは、それぞれに、素晴らしい輝きを持った存在です。ご自分の内に、安心してくつろげないとき、そこには、過去の記憶・・・というエネルギーが積り、溜まっています。イヤな思い出、辛い出来事、満たされなかった想い、後悔の念自己否定、無力感、欠乏感、悲しみ、怒り、恐れ「~ねばならない」という、義務感・正義感・道徳観念・・・漫然と散らばった、それらのエネルギーを見渡してみると果てしなく積もり積もっているようにも感じられ、「きりがない!」と、不安や怖さを感じるかもしれません。しかし、それらのすべての根は、「分離」という幻想から来ています。執着を手放せるものから、向き合い、解放する・・・そうやって、淡々と浄化(お掃除)をしていくことで、覆いが取れていき隠されていた元々の輝きが、漏れ出し、やがてあふれ出してきます。そして、「分離」は幻想であった・・・と体感する時がやってきます。すると、それまで、どんなに強烈な存在感を放っていたエネルギーであっても小さく、弱々しく、かわいらしいものに、感じられることでしょう。かつては、あんなに恐れ、パワーを譲り渡し、影響を受けていたのに。まさに「あれれ?こんなもの?」という感じです。そうなれば、もう、安心して、リラックスして、堂々とありのままの自分の内に憩えることでしょう。必要を感じれば、またちょっとお掃除をすればいいし、それ以外の時は、くつろいで、今を味わえばいい・・・さあ、できるところから。マイペースで大丈夫。お掃除、はじめてみませんか?
2014.10.17
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大きな台風による、2度の祓い清めを経てまた、皆既月食という天体イベントによる、シフトを経て降り注ぐ光の質も、私たちを包み込む大気の躍動感もより微細にパワフルになったのを、全身で感じます。一段と深まった秋の、しっとり艶やかな風情を日々、感動しながら、堪能しています。みなさまには、いかがお過ごしでしょうか?私は、10月3日から5日まで、京都を訪れていました。よくよく考えてみると、今生初の一人旅で、ちょっと驚きました(笑)日帰り旅や、一人でツアーに参加することは何度もあったのですが。初日は、神社仏閣をいくつか巡り、天地人和合の感謝の祈りを捧げてきました。月読命、神功皇后、聖徳太子、秦氏・・・さまざまなエネルギーに触れながらすべての和解・融合・解放・昇華を祈らせていただきました。各所で、あたたかいおもてなしを受け、不案内なバスの乗り継ぎも、バッチリ!で流れに委ねる心地よさ、安心感に包まれていました。三位一体を象徴する場所で、祈らせていただいているときあらゆる出来事・体験の泥沼のなかに太くたくましい根を、豊かに育み、張り広げそして すっくと茎をのばし、葉を茂らせやがて まばゆく花開く 大輪の蓮の花・・・そんな美しいビジョンを受け取りました。まさに、その瞬間近くの保育園から、元気な園児の歌声が届きました。てをたたきましょう たんたんたん、たんたんたんあしぶみしましょう たんたんたんたん、たんたんたんわらいましょう あっはっは わらいましょう あっはっはあっはっは、あっはっは、ああ おもしろいおこりましょう うんうんうん おこりましょう うんうんうんうんうんうん うんうんうん ああ おもしろいなきましょう えんえんえん なきましょう えんえんえんえんえんえん えんえんえん ああ おもしろい鳥肌が立ち、その後笑いがこみあげてきました。全ては、喜びでしかないのだ と、深刻さを 笑い飛ばしましょう と、そう 受け取りました。その後、2日間は、マイケル・J・ローズさんの週末セミナーに参加しました。イギリス出身で、オーストラリア在住のマイケルさん。日本でも、多くの著書を出版されています。十数年前、「魂との対話」を読んで以来、しばらくその後の著書には 触れていませんでしたが、昨年、「愛の目を通して」というシリーズに出会って 心惹かれ3作品を大人買いして(笑)夢中になって読みました。マイケル(ミクサエル)は、肉体を離れ、光の存在として、多次元の領域を旅します。その愛の目を通して、この3次元をも含む、さまざまな次元を見つめ、体験していきます。その貴重な体感が、3D映像を見るようにダイレクトに伝わってきて一緒に多次元を旅している感覚になってきます。普段、どうしても肉体レベルに制限されがちな、感じ方・見方・捉え方の限界がぎゅーんと引き伸ばされ、高みに引っ張り上げてもらえるような・・・私は、この本との出会いで、知覚が広がったのを実感しています。そのマイケルさんが、年に一度来日されるというので、是非お会いした~い!と、スケジュールが決まるやいなや、セミナーに申込みこの日を心待ちにしていたのでした。念願かなって、お会いできたマイケルさんは、77歳にはとても見えない、若々しくエネルギッシュでチャーミングな方でした。2日間にわたって、たくさんのお話を聞かせていただき、インナーエクササイズを誘導していただき、多くの気づきを得ました。マイケルさんのメッセージを集約すると、こうなるでしょうか・・・ 「この世界は、長年にわたりシリアスなゲーム、深刻さという病に囚われ、 身動きがとれない状態になっています。 それはゲーム・幻想であると気づき、自分でそこから離れることが出来ます。 あなたは、肉体ではなく、アイデンティティでもなく メタフィジカルな、愛と光の、多次元的な、永遠の存在です。 あなたは、素晴らしい。あなたは、特別。 そしてすべてがあなたであり、すべてが素晴らしく特別なのです。 そこには、愛しかありません。幻想ではなく愛を選びましょう。」マイケルさんの大きな愛に包まれ、たくさんハグしていただきまた、素敵なお知り合いも増えて、素晴らしい2日間でした。この気づきを、また今後のセッションなどでも活かしてまいります。寒暖の差が激しい毎日ですが、どうぞみなさまもご自愛ください。美しい秋を、ご一緒に、じっくりと味わいましょうね。
2014.10.16
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個人セッションを受けてくださったMさまより、 すばらしい気づきのシェアをいただきました。 ぜひご紹介させてください。***************************************先日は、セッションでお世話になりました。ご報告したいことがあり、メール差し上げました。娘をかわいがりたいが、嫉妬がありできない、ということをお話しました。セッションでは、昔の 弟への思い、両親への思い、対人関係で舵取りを避けるために、存在を薄くしてきたということについて直接 娘へのエネルギーブロック以外のことで、浄化をしていただきました。娘は、肌が弱く、ひじやひざの裏が年中アトピーになっていて、「ママ、かゆい」と訴えます。今までその声を聞くと、反射的に(面倒くさい)という思いが湧き上がり、しぶしぶ塗り薬を塗ったり、「かいていいよ!!」とそっけなく言ったりしていました。セッションの後、「ママ、かゆい」の声を聞いても、心になんのエネルギーも浮かばず、たださすったり、塗り薬を塗ったりする自分を発見しました。そして、9/23のことです。娘と一緒に、母がひとりで暮らす実家に 遊びに行きました。行く道中で、娘の頭にしらみが大量にいるのに気がつきました。今までだったら、まず(やっかいなこと、面倒なことが起きた)との反応娘へのケアより、自分のエネルギーに振り回されるパターンだったのですが、しらみをまさにしらみつぶしに 手で駆除し始めました。心はまったく静かです。娘に心のケアもできました。娘と添い寝している自分の頭にも、バッチリしらみがいることが分かりましたが淡々とした気持ちで、やるべき駆除をやるということだなと思うだけでした。今、少し前のことです。ふっと、「見事だ!」と気付きがやってきました。しらみを娘の頭に見つけ、自分の頭にもしらみがいる事象を作ったのは自分だ・・・エネルギーブロックが消えたことを分かりやすく確認するためにこのひとつの出来事を経験するという、シナリオを書いてきた自分(神)の愛情深さを、細やかさを思ったら、号泣が止まらず、「見事だ!見事だ!!」と言いながら、泣きながら感動しています。裕子さん、ひでさん、本当に優れたセッションを、自分にぴったりのタイミングで受けられたことに、心から感謝しています。お二人に出会ったのもシナリオのうちだと思うと、完璧すぎる・・・と涙があとからあとから出てきます。これからまたエネルギーブロックを手放していけること、やれることがあることが心から楽しみです。来月またお会いできることを楽しみにしております。長文になり、失礼しました。お身体大切に、美しい秋を楽しまれますように。。************************************* こんにちは。 すばらしい気づきを、受け取られたのですね! おめでとうございます。 シェアしていただき、ありがとうございます。 Mさんの内側からあふれ出した光が、愛が、喜びが まばゆく、あたたかく広がっていくのを観じています。 この身体も、リアルに感じる外側の世界も、そして目の前に起きてくることも なんと完璧にできていることでしょう。 本当に、見事!というほかありませんね・・・ どうぞ、その感動を、心ゆくまで味わい、涙を流してください。 その体感を得られた今、これからは、 その完璧さへの信頼、安らぎ、愛を中心に据えながら、 必要があれば「淡々とした気持ちで、やるべき駆除(浄化)をやる」 そんな感覚になられることと思います。 いつでも最善のタイミングで、導かれていること 驚き、感謝し、喜びながら、今ここを体験していきたいですね。 もし、お願いできるのなら、この体験談を ブログで、ご紹介させていただきたいと思いました。 個人名はもちろん伏せますが、ご家族のことが出てきますので もし気になるようでしたら、気楽にお断りください。 しっとりとした美しい秋、ご一緒に楽しみましょうね・・・***************************************ご丁寧にあたたかいお返事をいただいて、本当に嬉しかったです。おふたりの愛に、エネルギーに優しく包んでいただいているビジョンが浮かびます。どうもありがとうございます。気付きとは、大げさなものではなくて、ふっと心に浮かぶものなのですね。。初めての体験でした。娘の存在がこんなに愛しく、言動ひとつひとつが可愛いと思える日がまさかくるなんて・・・起きてくることを ありがたく受け止めていきたいと思います。これから先のシナリオ、どんなことを書いてきたのか、本当に楽しみです。映画館の席に座っている例えを 津留さんがされていましたが、本当にぴったりの表現ですね。。ワクワクして観ていればいい。物事に良い悪いはない・・・しっくり腑に落ちました。ブログで扱ってくださるとのこと、とても嬉しいです。拝読するのを楽しみにしています。ありがとうございます。
2014.09.26
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お盆休みで、久々にゆっくりのんびり過ごされている方々も、多いことでしょう。どうぞ、素敵な夏休みを満喫されてください。私は、この夏、二つの大きなイベントに参加してきました。一つ目は、交流会にいらしてくださった、シャンタンさんからお誘いいただいた『放射能汚染から日本を守る』~否定的エネルギーを解消し、覚醒を促進させる~という1000人集会です。インドの聖者、カルキバガヴァンの提案により、企画されたこの一大イベント。「皆で集まり、祈り、ディクシャ(と呼ばれる覚醒の光)を水に注ぎましょう。そして生まれたディクシャ水を、被災地や必要とされる場へ撒きましょう!」そんな趣旨に賛同した方々が、7月27日東京に集結しました。私は、肉体をもって参加することはできませんでしたが、シャンタンさんにエネルギーを中継していただき、意識で参加させていただきました。まずはとても巨大な、カルキバガヴァンの存在を感じました。彼の全身、特にその大きな目や、広げた両手から、光があふれ、流れだし、その光は、会場で瞑想をリードしている方々へ、また参加者のみなさまへと注がれ、各々がつながりながら広がっていきました。その様子は、まるで網目のよう。草の根が、互いに絡み合いながら、ひろがっていくように。また、会場にはいない、参加者それぞれの縁ある方々、志を持たれた方々へも光のネットワークは、ネズミ算式にどんどん広がり、地に満ちていきました。その光は愛そのものでした。「恩寵だ・・・」そう感じました。その光・愛を、導管となって、水に注いでいきました。人類がこんなに水を汚してしまったことへの、謝罪の思いが湧き上がりまた、水という存在への感謝と、愛の思いも溢れてきました。同時に、人類が握っている、放射能汚染や環境汚染、天変地異などへの恐れ・不安・怒りといったエネルギーが、水にもたらしている不調和を感じ、そこへ愛の光を注ぎ続けました。次に、大地に沁みこんでいる地下水へ、光を送りました。気づくと、私の意識は水と一体になっていて、水の分子として、母なる大地に、深く浸透していくのを体感しました。私は、小さな水の分子でもあり、そして地球を取り巻くすべての水とも一体でした。地球と水は切り離すことはできず、水は、大気を・大地を潤し、山を削り、風を・雲を生み、すべての循環の中で、命をはぐくんでいる・・・水は地球をこよなく愛し、その大いなる愛で包み込み、地球は水に守られ輝いている・・・その完璧さ、その美しさ、その喜びを、ただ見つめ、感じていました。そして地球を取り巻くすべての水に、この恩寵の光が広がっていくのを見ました。地球上空に風が起こり、雲がわき、その上を多くの龍が飛び交っていました。「ディクシャの雨を地上に降らす。」「地を清め、人々の恐れを清める、祝福の雨を。」そう受け取りました。その後、しばらくして、雷が鳴り、黒雲がわいて、大粒の雨が降り始めました。みなさまの祈り、光が届き、大きな変容をもたらしたのだと感じています。会場で生まれたディクシャ水は、実際に原発の周囲にも撒かれたそうです。どうぞすべての不調和が癒され、調和の世界が花開きますように・・・二つ目のイベントは、8月9日に八ヶ岳南麓の北杜市で行われた『北斗祈り祀り』。サウンドヒーリングをご指導いただいている、増川いずみさんのプロデュース。こちらも、日本各地から500人が集う、大きなお祀りでした。5日より、家族と共に富士山、諏訪湖を巡り、祈り、感謝をささげ、そして豊かな自然の中で、楽しく遊びながら、最高の夏休みを過ごしてきました。旅行最終日のこの日、子供たちは夫にお願いし(ぱぱ、いつもありがとう)私は心置きなく、瞑想と祈りに集中することができました。会場は、地元産の木材をふんだんに使用した、音響のすばらしいホール。聞けば、方舟を型どったデザインなのだとか・・・舞台中央には、美しい祭壇がしつらえてあり、すべての演目は、祈りとなり、祭壇に捧げられていきます。「かつて縄文文明の中心地であったここ八ヶ岳から、調和・分かち合い・循環の中で生きていた、その叡智・喜びを目覚めさせよう。愛の光と祈りの響きを発信し、日本列島、そして母なる地球へ、人類全体へ届けよう。」周波数の専門家、増川博士だけあって、このイベントのテーマは「音・響き」笛の音と、肉声による「音開き」に始まり、様々なゲストによるトークの後、ハープ演奏、岩笛奏上と続きます。北の大地から、アイヌシャーマンの方が。南の島から、沖縄シャーマンの方が。舞台の上で同時に祈り、メッセージを伝えてくださいました。また、Infinity Arts Mugen(IAM)というユニットが奏でる変幻自在そして幽玄の世界・・・祝詞や、般若心経、古事記「天地初発~国生み」などを見事なサウンドと、重厚な肉声・言霊が重なり合い、響きあう中で次々と表現し描き出していきます。魂が震え、自然と涙があふれてきました。最後は、音叉・チャイムバーなど、皆で持ち寄ったサウンドツールを使っての舞台と客席が一体となった共振タイム。次第にうねり、高まっていく喜びのバイブレーション・・・ネイティブアメリカンのドラムも多数登場し、興奮は一気に高まります。壇上へ上がって、一緒にドラムをたたく人、輪になって踊る人。客席にいる人々も、みな手をつなぎ、肩を組み、バイブレーションに身をゆだねています。そこへ、星々の周波数を奏でる、大音響のゴングシャワー・・・全身を開いて、その周波数を受け入れ、流していきます。古いもの、持ち越してきたもの、もう不要になったものエネルギーの老廃物が粉々に砕け、ふるい落とされていくのを感謝を込めて、ただ見つめていました。そして、静寂が会場を包んだときみなで心を合わせた、瞑想と祈りの時間となりました。「地球上で体験されてきた、ありとあらゆる分離・対立が、痛み・恐れが、その記憶が、許され、癒され、解放され、光へ戻っていきます・・・」そんな祈りをささげていると、また私は、ちいさな一滴、水の分子になっていました。分子としての私の意識もありながら、地上のすべての水と完全に意識は一体であり、そこに分離はあり得ませんでした。私は、自由に地下の鉱脈の間を流れ、泉から湧き出し瀧から流れ落ち、川を下り、大海へ至り、深海へ潜ってクジラたちと遊び再び海面に浮上して、空へ舞い上がりました。甘い大気に抱かれながら、風に乗り世界を一巡り。素敵な場所を見つけて雨雲となり、また大地へと飛び込んでいきました。すべては、循環・・・ すべては、ひとつ・・・静けさと、至福のなか、この会場からあふれる光を、皆さんと共に送り出していきました。美しいハーモニーを、そこに感じました。旅行中は、大好きなおなじみの場所を訪れ、大切な方々に再会することができとても懐かしく、嬉しく、ありがたく、幸せでした。また、わくわくする初めての出会いにも、数多く恵まれました。お世話になった皆さま、ご縁をいただいた皆さま、ありがとうございました。この身体を通じ、日々貴重な出会い、貴重な体験をさせていただいていること、改めて気づかされました。慣れ親しんだ日常から飛び出すことも、とても大切ですね。この夏、ずっと内側で響いている音楽「大地讃頌」です~♪
2014.08.14
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夏も本番ですね。暑い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?今日は8月1日。亡き母の誕生日です。母のエネルギーと、久しぶりに、ゆっくり繋がりました。言い尽くせないほどの感謝の思いが、あふれてきます。それは、母にとっても同様なようです。結局は、愛と感謝しかないんだなぁ・・・そう感じる毎日です。先日7月26日(土)は、第13回目の津留さん交流会でした。昨年の同じ日にスタートした、この交流会。おかげさまで、一周年を迎えることができました。支え、励まし、導いてくださった、皆様に、心よりお礼申し上げます。数年前、田舎暮らしを探求していた頃・・・田畑、里山に囲まれ、鳥や虫やカエルの鳴き交わす声だけが響く桃源郷のような場所に身を置いていました。朝日を浴びながら瞑想し、夕暮れの移り行く美しさに感嘆しながら散歩し・・・そんな日々の中でも、悩みも葛藤もまだ色々と体験していたわけですが(笑)その中で、最も強く感じられたのが、焦りのような感覚でした。何かもっとやるべきこと、やりたいこと、役に立てることがあるんじゃないか?でも具体的に何がしたいのか、何ができるのか、わからない。先が見えてこない、もどかしさ・・・透明な檻に閉じ込められているかのような、窮屈さ・・・このお悩みは、個人セッションでもよくご相談いただきます。でも、どんなに焦ろうが、ジタバタもがこうが物事が動かないときは、どうやっても動きません。今ここを飛び越えて、どこか違う場所へ、もっと違う自分へワープすることはできません。当時は、数年後に、ここでこうして皆さまと触れ合い、光を分かち合っているなんて、知る由もありませんでした。私にできたのは、そんな焦りを自覚しつつ、折に触れ見つめ、感じて、ゆっくりと浄化していくことだけでした。叔父の津留さんと過ごした日々、津留さんが遺してくれたメッセージはいつでも私を支えてくれました。「あんな風に、皆さんの前で堂々と話せるなんて、すごいな~。人見知りで、恥ずかしがりやで、口下手な私には、とても無理だな~。」あるとき、そんなことを思いながら、裏山を歩いていると、耳元で津留さんの声がしました。「ゆうこちゃんの体験したことなら、話せるでしょ? それなら、難しくないでしょ?大丈夫でしょ?」その言葉を、ずっと大切に、胸にしまってきました。今、振り返ると、わかります。すべて、なるようになっているのです。私には、準備期間として、これだけの年月、これだけの体験が必要だったのです。そのことに、善いも悪いも、早いも遅いもありません。身震いするほどの完璧さを、そこに見ることができます。理不尽な体験や、暴力的な体験などに関しては、頭(思考)や心(感情)で、特に強いショックとして記憶しているため「どうして、私がこんな目にあわなくてはいけなかったの?」と、とても必要な体験だったとは納得できない、理解できないかもしれません。なぜなのかは、おそらく、ず~っとわからないままかもしれません。頭や心が満足する回答は、一生得られないかもしれません。わかる必要もないのかもしれません。ただ、頭や心、人智を超えたところに、その必然は存在しているのですね。だから、ただ、あきらめるしかない(笑)わかることも、納得することも・・・「あきらめるなんて、許すなんて、泣くほど嫌!とてもできない!」そんなときは、どうぞその体験をもうしばらく味わって、味わい尽くしてください。もう充分!と思えるまで。私にも、浄化するどころではない、どっぷり葛藤にひたっている時期がありました。その苦しみ、その辛さ、とてもよくわかります。もういい。もう手放したい。自分も他人も許したい。でも、現にここにある苦しみ、悲しみ、怒りをどうすればいいのか?それには、そのエネルギーを認め、ありのまま見つめ、感じて解放していく・・・浄化のステージとなります。皆さまと直接交流させていただく場を設け、様々なシェアをいただいてきました。また、個人セッションもスタートさせ、お一人お一人の浄化のプロセスをサポートさせていただいています。皆さまのご質問や、ご相談、お悩みや苦しみをお聴きしていく中で、どれほど、私のこれまでの体験が、皆さまへの共感に役立っていることか・・・その実感は、日々、驚きと共に、増していくばかりです。そのためであるならば。これまで、辛かった・悲しかったと感じてきた、ありとあらゆる体験も、たちまち貴重な宝物に姿を変えてしまいます。それは、芋虫が、さなぎを経て、蝶になり大空に羽ばたいていくようなまさに変容のマジックです。クライアントさまの、そのような浄化、そのような気づき・変容の場面に光栄にも立ち会うことができたとき、そのあまりの美しさ、神々しさに、思わず涙があふれます。そして、これまでの自分の体験に、感謝することしかできなくなります。その感謝の光は、過去の自分へも届き、道を照らしてくれることでしょう。今、ここにいましょう。愛おしいこの身体と共に。今ここでしか味わえない、甘美な体験を見つめるために。体験するためにこそ、この地球に生まれてきたのだから・・・
2014.08.01
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昔話をします(笑)物心ついたころから、私は父が苦手でした。感情的で、支配的で、自己主張が激しく、子供っぽい人でした。声も動作もオーラも、すべてが「僕を見て!認めて!」と叫んでいる、そんな感じでした。さて、そのような父に対抗するため、母や私たち姉弟は無意識のうちに被害者同盟とでも呼べるようなエネルギーで結束していきました。大魔王 対 三蔵法師御一行 の構図です。理不尽なネガティブアタックを繰り出してくる 悪役けなげに耐え忍び、時に団結して正当防衛する 善役 当時は、いたく真剣に、サバイバルな日々を体験していたと思いますが、味わい尽くし、浄化し、和解・融合した今となってみれば、貴重な体験をしていたんだなぁ・・・と、ありがたく感じます。今なら、父の寂しさ、虚しさ、憤りも、心から理解できるしそんな父を、甘えん坊で寂しがり屋のかわいらしい人だったなぁ・・・と愛おしく抱きしめることができます。また、被害者意識がどういう性質のものなのか、自らの長年にわたる体験から、多くの気づきをいただきました。何か、目の前で事が起こったとき、私たちは無意識のうちに何らかの反応を自動的に、反射的に行っています。どのような反応をするかは、その方その方の、過去の経験やパターンによってさまざまです。『「起きたこと」自体に、プラスもマイナスもなく、何の意味もない』としても私たちは、そのことがもたらす反応、感情や感覚に一喜一憂しています。さあ、この見方、捉え方から、被害者意識に光を当てていきましょう。外側に見えるものなら何でも、自分を傷つける加害者になりえます。他人はもちろん、肉親、配偶者、子供、恋人・・・動物や虫、植物のこともあるでしょうし、人生や、運命や、社会システムそのものが対象となることもあるでしょう。自分が、ある出来事により、何らかの痛みや、困難を感じ、「私は何も悪くないのに、理不尽に、一方的に傷つけられた!」とその不当さに、ぐつぐつ怒りをたぎらせるとき。その怒りを直接、または間接的に発散・表現することもできるしそうできずに、また、あえて、そうせずにそのマグマのような怒りを、握り続けることができます。ここでも誤解を恐れずに申し上げましょう。「被害者でいること、居続けることは、自らの選択です。」それが、善きこと・悪いこと、という話ではありません。ただ、無意識で自らが選択し、握っている立場、その体験なのだ、ということです。被害者でいること、善良な弱者でいることは、ある意味心地良いもの、と言えます。何故なら、良心の呵責なく正々堂々と、加害者を責め・恨むことができるからです。「かわいそうな私。健気な私。耐え忍ぶ私。善良な私。正しい私。」被害者でいる状態には、さまざまな自己イメージがくっつけられています。そして、それによって、自分の存在に価値を見出している限り敵役である加害者を必要とし続けます。皮肉なことに、自分の無意識の望みにより、外側に加害者を生み出し続け自分はか弱い、何の落ち度もない被害者であり続けるわけです。そして、自分が楽になること、幸せになることを、拒み続けます。表面意識では、もちろん、被害を受ける状況に、苦しみ悩んでいます。なんとか、その状況から脱したいと、願っていることでしょう。しかし、いくら外側の環境を変えても、例えば家出をしたり、転職したり、離婚したり、退学したり・・・してみてもまた、しばらくすれば、おそらく新たな加害者を見つけることになるでしょう。なんだか、厳しい言い方になってしまったかもしれませんね。私も、自分でそのパターンに、はっきり気づいたときは、愕然としました。しかも、気づいてもなお、なかなか手放しきれず、葛藤を握ったままでした。「私が、相手を加害者役に縛り付けている。」そう認識してしまうと、これまでのように、正々堂々と相手を責め、自分を正当化することができなくなります。ただでさえ苦しいのに、自分で自分を責める思いまで加わって・・・でも、どこにも逃げ場はありませんでした(笑)機が熟すまで、本当に「もういい。」と手放せるまで、自分も相手も許せるまでかなりの時を要しました。人類の集合意識に深く刻まれた、加害者VS 被害者、強者VS弱者のエネルギー。私たちを突き動かしている、それらの記憶、痛み、憎しみ、対立のエネルギーも、私たちが手放し・浄化を進めて行く中で、癒され解放されていくことでしょう。すべてが融合へ、和合へと向かっていく、今このときです。対立のエネルギーを握ったままでは、ますます苦しく感じられることでしょう。ご自分で選択することができます。被害者役を続けるか、もうこのゲームから降りるか。ご自分の闇の部分を見つめる怖さは、よくわかります。ですが、闇なのは、これまで光が射しこんでこなかったからです。薄々気づいてはいても、見て見ぬふりをしてきたからです。もしくは、完全に無いものとして、忘れ去り、蓋をしてきたからです。内なる目で、愛をもって見つめ、意識の光で、照らしてあげればそこはもう、闇ではありません。無理せず、マイペースで、ご自分のタイミングでどうぞ内側を見つめ、感じ、手放していってあげてください。自らを解き放ち、軽やかに、自由に羽ばたきましょう。photo by pink sherbet photography
2014.06.29
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限られた生、肉体のみを命ととらえる見方、そして、大いなるつながりから切り離された、個別意識が死、喪失、欠乏、失敗、敗北、変化・・・あらゆるものを恐れさせてきました。同じ痛みは繰り返すまいと、過去のデータを蓄積し、発達させてきたのが、自我(エゴ)であり、無意識の領域でガードロボットのように作動し続けてきました。善悪、優劣、美醜、あらゆるものをデータと比較し、判断し常に足りないものを数え、まだ見ぬ未来を追い求め続けてきました。肉体の安全、人生の安定を求め、発達させてきたはずの自我(エゴ)・・・しかし、無意識の領域にコントロールされればされるほど、人生はより混乱し、複雑になり、がんじがらめになっていきました。「苦しくてたまらない。」「もう、このままではどうしようもない。」「今までのやり方では、どこへも進めない。」そんな風に、体験し尽くし、そして、もろ手を挙げて降参してしまうとシフトが起こってきます。周囲を変えよう、状況をコントロールしようより良く、より有利に、より幸せに・・・外側ばかり、結果ばかり、今ここにないものばかりに意識を向け続けていた生き方から内側をみつめよう、状況とともにあろうあるがままに・・・今ここにある すべてとつながりながら・・・ という、調和に満ちた在り方へもう不要になった過去のデータ(エネルギー)記憶、イメージ、感情、感覚、価値観、固定観念・・・これらを、手放していくことを、浄化と呼んでいます。湧き上がってくるまま、気づいていくままそれらのエネルギーを意識で捉え、集中して見つめながら手放していくことができます。また、自分の中の既成概念、信念体系、自己認識・・・あらゆるものを、積極的に掘り下げ、見つめていくこともできます。「今まで、そう信じていたけれど、本当かな?」「今の私に、その考え方は、本当に必要かな?」「その考えが、私を制限したり、苦しめたりしているんじゃないかな?」もう充分だ。もう必要ない。そう思えるエネルギーからどんどん手放してみてください。※詳しい浄化方法は、本「幸せテクニック」や浄化実践講習会でお伝えしています。さて、ここでちょっとしたポイントがあります。自己否定や、外側への恨みつらみなど、いわゆるネガティブなエネルギー感じると不快になるエネルギーは、その存在に気づきやすくまた自分も早く手放したいと感じるので、速やかに解放が進んでいきます。気づくのが難しいのは「良かれと思って」握っているエネルギーです。いわゆる道徳的な価値観、秩序やルール、マナーといった価値観。また自分や家族の、幸せや健康や安定を願い求めるがゆえの信念。「きちんと」「しっかり」しなければならない。「こつこつ地道に努力」するのが良いことだ。「人のために尽くす」のは大切なことだ。「何かの役に立ってこそ」一人前だ。「心配をかける」「迷惑をかける」ことはしたくない。「体に良いこと」「地球に優しいこと」をしなければならない。確かに、それの何がいけないの?と言いたくなること ばかりかもしれません。なぜなら、直接自他を傷つけたり、不快にさせる質のエネルギーではないからです。今までの人生で、周囲から受け取ってきた、良いこと、正しいこと。それを自然と、自分の「正しさ」という物差しにして握ってきているのです。その「正しさ」に基づいて、選択・行動してきて今の自分がある、と認識しているわけですから、そのエネルギーは、自分のアイデンティティと一体化しており切り離して認識することは、難しいかもしれません。ですが「正しさ」さえも執着でありそれを握っている限り、ストレス・葛藤が起きてきます。相反する選択・行動を見ては「良くない」「正しくない」と批判し続けその通りにできなかった自分を責め続け真綿で首を絞めるように、じわじわ自分を苦しめていくのです。「これが良いことだ。正しいことだ。」そう、思うとき。考えるとき。それに気づいたら問いかけてみてください。「どうしてそう思うの?」「どうして?」そのエネルギーは、こんな風に教えてくれるかもしれません・・・「だって、親や先生にそう教わったから」「だって、みんなそうしてるから」「だって、そうしないと認められない(嫌われちゃう)から」「だって、・・・怖いから」さあ、そのエネルギーは、まだ必要ですか?もっと体験していたいですか?photo by rotherz67
2014.06.22
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葛藤から抜け出せないとき、苦しくてたまらないときたまりにたまった思考や感情や記憶・・・さまざまなエネルギーが、行き場をなくして、ぐるぐる渦を巻き、頭も心も、パンパンに膨れ上がっている、そんな状態です。その状態では、光が、叡智が、気づきがもたらされる、スペースはありません。まずガス抜きが必要ですね。これまで溜めてきた感情、今、現に、生々しく感じている(でも見たくない)感情を正面から見つめ、その存在を受け入れ、認めてあげてあげる。その痛みに寄り添いつつ、その記憶、エネルギーを集めて、手放していく・・・何度か、浄化・解放をしていくと内側にスペースが生まれ、自らの光とつながり、気づきがもたらされるということが、自然と起きてきます。感情の奔流が落ち着いてきたら、その下にある恐れや不安、悲しみや欠乏感が、くっきり見えてくるかもしれません。そのエネルギー、その存在・・・自我と呼んでも、エゴと呼んでも、傷ついたインナーチャイルド、ロウワーセルフと呼んでも、構いません。その存在をしっかり認め、受け入れて、見つめてあげてください。思考がまた邪魔をしてくるかもしれません。「そんな(ネガティブな)こと、思っちゃいけない。」「また良くないこと、嫌なことを引き寄せてしまうかもしれない。」「相手を責めてもしかたがない。」「相手も大変で、そうせざるを得なかったんだから。」etc・etc・・・・騒がしい思考のお喋りに気づいたら、そこから意識的に離れます。今は、そんな思考は放っておいて(笑・・・後で浄化します)感じる方へ、内側へ内側へ意識を集中させていきます。その存在を、あるがままに見つめ、意識を向け続けます。そして、話しかけてあげてください。「そんなところに居たんだね。今まで気づかなくて、ごめんね。」「怖いの?何が怖いのかな?」「どうしてそう思ったの?」「どうして?」「どうして?」「そうだったんだね。それが嫌だったんだね。」「辛かったね、悲しかったね・・・でも、もう大丈夫だよ。」「よ~くわかったよ。ありがとう。」責めることも、裁くこともなく、ただそのエネルギー自我ちゃん、エゴちゃんの訴えに耳を傾けてあげます。自我(エゴ)との対話です。意識は光そのものです。意識を向け続けるとき、感じ続けるとき、対話に集中しているとき今まで無意識の深淵に潜んでいた、そのエネルギーに光のシャワーが降り注ぎます。また、その存在を丸ごと受け入れ、認めてあげることでそのエネルギーは安心して、満足して光に溶けていきます。そのまま、完全に光へと昇華していくまで、感じつくしてあげてもいいし、M2テクニックを使って、宇宙の中心へ送り届けてあげてもいいでしょう。深いレベルの解放、浄化が起きてきます。これまで受け取り握りしめてきた観念、感じきることができなかった感情さまざまな過去の記憶が、エネルギーブロックとなり鎧や盾となって、自我やエゴを強化させてきました。ですが、それ自体は、過ちでも失敗でもなくただその体験をしたかった・・・純粋にそれだけなのです。神ならざる体験を。ワンネスと切り離され、孤独と恐怖におびえながら、抗いながらそれでも光を見出そうともがく、その貴重な体験を。さあ、その葛藤もストレスも、充分に体験し、おなか一杯味わったならもう手放すときです。自我(エゴ)との対話、始めてみませんか・・・
2014.06.19
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6月の声を聴くやいなや、早くも梅雨入り。5月後半の熱波に、浮足立ち、のぼせていた様なエネルギーのトーンがこのひんやりした雨に鎮められ、清められ、スーッと芯の通った、落ち着きを取り戻していくのを観じています。変えなければいけない人(もの・こと) は ない救わなければいけない人(もの・こと) は ないそれが、津留の伝えた 光のメッセージ「すべては 今こここの瞬間 あるがままで 完璧である」の意味の一つです。自分自身に対して、また、外側に見えている他人や、状況に対してこのままじゃダメだ!・・・変えよう。変えたい。このままじゃいけない!・・・救おう。救いたい。と、恐れや不安、否定や咎め、怒りや悲しみを握ったまま自動的に反応していると変えなければいけない人(もの・こと) は ない救わなければいけない人(もの・こと) は ないと、感じること、信じることはできず、また「すべては 今こここの瞬間 あるがままで 完璧である」と、納得し、体感し、腑に落とすことも難しいでしょう。頭で、その言葉を読み、理解し「そうだよな~」「そうなれたらいいなぁ~」と思う方、考える方はたくさんいらっしゃるでしょう。でも、またそれを「ねばならない」と握ってしまうとそうできていないご自分を咎め、ストレスを感じてしまうというややこしいことになってしまいます。さあ、どうしたらいいのでしょう?その答えの一つが、「浄化・クリーニング」です。もちろん道はいくつもあり、どんな道をどんなタイミングで歩まれるも各々の選択なので、すべてはOKです。ただ、津留も私たちも、効果を体感し、おすすめしている方法が内に溜めてきた、エネルギーブロックの浄化、ということなのです。私たちが、個人セッションの場で、クライアントさまと向き合う時その方ご自身や周囲の状況について変えなければいけない人(もの・こと) 救わなければいけない人(もの・こと) という風には拝見しておりません。もちろん、お辛い立場や、葛藤の苦しみ、孤独の悲しみなどそれぞれに抱えてこられた、感情や記憶のエネルギーがおありでしょう。その重さ、痛みには、心より共感させていただきます。でもあえて、誤解を恐れずに申し上げるならその困難な状況さえも、やはり、こうなのです。「すべては 今こここの瞬間 あるがままで 完璧である」ご自分を含めて、誰かを何かをそのまま、あるがまま、起きてくるがままでOK!と受け入れられず変えたい!救いたい!何とかしたい!とストレスが、葛藤が、むくむくと頭をもたげてくるならそれはすべて過去に握り溜めてきた、エネルギーに基づく、自動的な反応であり恐れや、自己(=肉体)防衛本能に基づく、エゴの声に過ぎません。それらは、みな、本来のご自分・・・大いなる我、とわのいのち、在りてあるもの、愛、光とはかけ離れた物質次元、2極の世界、有限の世界を、この肉体を通して体験するうえでのオプションのようなもの。オプショナルツアーを十分に堪能し、経験したら愛あふれる、安らぎに満たされた我が家へと、ご自分の意志で、帰っていくことができるのです。浄化をするには、握っているものを手放すには感情にせよ、価値観にせよ、執着にせよ、イメージにせよそれが、自分自身(と一体)ではないと、単なるエネルギーであると気づくことです。変えなければいけない人(もの・こと) 救わなければいけない人(もの・こと) そう、エゴが激しく主張してくるとき、ストレスがやってくるときどうぞ、その声に気付き、観察するようにしてみてください。浄化は、そこから始まります。
2014.06.07
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