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先刻お風呂に入りながら、次の参院選で民主党がまた勝った場合日本の将来はどうなって行くのか、頭の中でシミュレーションを始めてしまい、止まらなくなってしまった。想像はどんどん悲観的な方向へと進み、段々息苦しく気分が悪くなって行った。お風呂から上がるや部屋の窓を開け、扇風機をつけてその風を体に浴びながら暫くしゃがみ込んで居たのだが、それでも気分が良くならないので、キャンプ用のマットを床にひいてその上にごろりと横になった。そのままの恰好で暫く扇風機の風を浴び続けて居る内に大分気分が楽になって来たので、意を決して起き上がりもう一度シャワーを浴び直した。それから暫く経った今現在、ヘッドホンを耳に当ててバッハを聴きながら、斯うして机の前に座って居る次第である。こんな事を書くと、民主党支持者の人達は、お前馬鹿ではないのかだとか、頭がおかしいのではないのかだとか思うかも知れないが、私のような気持ちで居る人は少なくないのではないかと思う。私にしても、ちょっと深刻に考え過ぎなのではないかと思いたい処だし、そうであって欲しいのではあるが、事態は本当にそれ位に深刻なのだと90%位は確信して居る。「日本人よ、ほんま頼むで」と、偉そうにも何度も呟いてしまった。私がどのような将来を想像したのかは、知らぬが仏と云う事で、取り敢えず今のところは書かない事にするが、つくづく思うのは、自分の心が落ち着ける場所が有ると云う事はどれだけ有り難い事なのかと云う事だ。何とか無くならないで欲しいと願うが、一度失ってしまえば取り戻す事は不可能に近い程難しい事だろうし、仮にもしそうなってしまったら出家でもして隠遁生活を送るかどうかするしかない様に思う。だが果たして、心安らかに隠遁生活を送れる場所を見つけられるかどうか。或いは民主党寄りに自分の頭を改造して、濁った川の中でも暮らせる様にするのが正解なのかと思ったりもするが、頭はそう簡単に改造出来るものではないし、また改造したくもない。兎に角今は、もっと多くの日本人が目覚めて、民主党が無事惨敗する事を願うより他ない。それにしても民主党は人を騙すのが本当に上手いものだなと思う。菅政権に変わるや否やまともな事をチラホラと言い出し、私も一瞬、あれっ菅さんってこんなにまともな人だったのかとつい騙されてしまいそうになる。だが前にも書いた様に、この一年弱の間に民主党の本質は嫌と云う程に見せつけられたし、もう民主党の言うことなんか何も信用しない。マニフェストにしても読む必要を認めない。どうせ選挙が終われば平気で手の平返しをして好き勝手を始めるに決まって居るのだから。それにしても、善良で人の好い日本国民を平気で騙すこの卑劣さは誠に腹立たしく許し難い。実は、この一連の日記を書き始める前は、民主党の批判は極力控えて、政治に関係する一般論のみを展開するつもりだったのだが、いざ書き始めてみると露骨な民主党批判が連続してしまって居る。私の中でそれ程までに民主党に対する怒りが募って居ると云う事なのか、私の心の未熟さ故なのか。世界のグローバル化、均一化が進んで久しいが、やはりこれはあまり好ましい事ではないだろうと思う。同じ言葉を話し、同じ価値観を有する者同士が集まって心地よい生活を送ると云うのを基本線とするべきだろう。此の事の有り難さを日本人はもっときちんと認識するべきではないだろうか。アメリカを始めとして、世界の趨勢は、均一化を良しとしこれを金科玉条として居るようであるが、どうか日本はこの趨勢に惑わされないで居たいものだし、欧米諸国は日本をそれに巻き込まないでもらいたいものである。だが残念ながら、この流れに抵抗する事は非常に困難な事である様に思われる。今政治の世界に於いて極度に欠けて居ると思われるのは人文学的な知恵である。例えば、哲学であるとか、文学であるとか、心理学であるとか、そう云ったものの知恵だ。我々人類一人一人は心を持った生身の人間である。私達は決して理性的な生き物ではないし、逆説を多く抱え込んだ得体の知れない不可思議な存在である。理想やアイデアや政治学や経済学やと云ったそう云った無機質なもの一辺倒で上手く推し量れるものではない。人間は綺麗事だけで済ませられるものではないし、実体はもっとドロドロとして居るものである。兎に角今、政治の世界で人類は神を忘れ増長し過ぎて居る様に思える。もっと身の程を知るべきと云うか、自分たちをセーブする知恵を持つべきである様に思える。頭を使えばどんな事だって何とかなるのだと思い込んでは居ないか。実際ドバイでバベルの塔が建築された訳だが、最近旧約聖書の勉強をして居て、現在の世界と旧約聖書の世界との間に類似点が多い事に気づかされる。或いはただ私がこれまで気がついて居なかっただけで、世の中と云うものは常に旧約聖書の世界のようなものなのかも知れないのだが。アフガニスタンに、イランに、メキシコ湾に、北朝鮮に、中国に、各国の財政問題に、そして人口問題にと、よくもここまで難題が次から次へと集まるものだなと驚く程に、今の世界は大変な状況である。アメリカのオバマ大統領が有能な大統領なのかどうか、私にそれを判断する能力はないが、これらの問題を一手に引き受けて居る様にも見えるオバマ大統領には兎に角頭が下がる思いがする。オバマ大統領の心が挫けてしまった時、或いはアメリカの世界の盟主からの陥落がいよいよ現実のものとなった時に世界はどうなるのか、其れを想像するのは難しいし又あまり想像したくないような気がする。あまり悲観的な事を言い過ぎるのも何なので、今回はこれ位にしておこう。先刻お風呂に入って居た時は、次は社会主義に就いて書こうと思って居たのだが、図らずも上のような内容になってしまった。
2010/06/28
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民主党の好きな言葉に「一致団結」と云うものがある。恰もこれが政権与党にとって好ましい事であるかの様に彼らは堂々と唱えて居るが、これは政権与党にとって決して好ましいものではないと云うことは多くの人が感じて居るのではないだろうか。民主党に関する報道を目にして居ると、恥ずかしげもなくよくもこんな事を堂々と言えるものだなと、その厚顔無恥ぶりに呆れさせられる事が多い。マスメディアも不思議なことに、それらが何でもないことであるかの様に報道して済まして居る。マスメディアに就いて、そして、我々一般国民に求められるメディアリテラシに就いては、またいずれ書く機会があるだろう。民主党が「一致団結」と云う時、それは誰かの考えに他の全員が無批判に従うことを意味して居るようだ。知恵を寄せ合って良い解答を見出そうと云うプロセスはそこにはない。その誰かの考えが正しいものであるのかどうか、良いものであるのかどうかに就いて考察しようと云う態度がそこにはない。何はさておき一致団結することが大切とされて居るようである。ところで、その「誰かの考え」はどうやって決められるのだろうか? 誰かの出鱈目な思いつきなのか、何らかの明確な理念のようなものでもあるのか、何か陰謀のようなものでもあるのか、どうも判然としない。明らかな問題点を多く含んだ政策を、党内での議論も碌にせず、また国会での審議も碌に行わずに、数の論理で次々と成立させて行く。兎に角自分たちの提案する政策は絶対正しいものであり、議論などする必要はないし、正しさを説明する義理もない、と言わんかの様に。「民主党」を名乗って居る割に、民主主義を尊重しようと云う姿勢はそこには全く見られない。鳩山前首相は退陣表明の挨拶で、「国民の皆さんが聞く耳を持たなくなってしまった」と言ったが、この言葉にもそう云った民主党の姿勢がはっきりと表れて居る。兎に角自分たちがみんな正しいのであり、其れが分からないのはどうかして居るのである。おまけに鳩山氏は、民主党両院議員総会で退陣の挨拶をしたのみで、国民に向けての退陣記者会見は開かなかった。そして、マスメディアはそれをスルーした。民主主義が金科玉条だと言いたい訳ではないが、独裁政治や寡頭政治によって良い政治が行われることは上手く想像出来ない。良くも悪くも民主主義を基本線でやって行くしかない様に思われる。民主党がやって居る政治は、実質上、独裁政治か寡頭政治か、或いは何かよく分からないが兎に角それに類したものである。或いは、それらと行き当たりばったりの票集め政治のごった煮である。どのようなやり方であれ結果が良ければ良いのだとも云えるが、民主党の政治が将来の良い結果を招くとは到底思えないし、そもそも結果云々以前に、民主党の指導者の様ないかがわしい連中に支配されるのは真っ平御免である。これからの政治のあるべき姿に就いての考察は、民主主義への反省も含めて、またここに書く機会があるかもしれない。一致団結を党是とする民主党にあっては、指導者以外の党議員は全員唯の数字である。小沢氏が言う「一年生議員は次の選挙に当選するのが仕事」と云う言葉にもその事はよく表れて居るが、それにしてもこの様なことを平気で言う神経はどうかして居るし、それをスルーするマスメディアもどうかして居る。この様なおかしな事が平気でまかり通って居ると云う現実は、どうにかならないものか。これは前にも書いた様に、もっと多くの国民が、個人として自分の頭で考える様になること、責任感を持って賢くあろうと努めること、に掛かって居るのではないかと思われる。此の事に就いても又いずれ詳しく書く事があるかも知れない。話に取り留めが無くなって来たので今回はこれくらいで止めて、又仕切り直すことにする。
2010/06/27
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民主党の議員が「国民の皆様」と云う言い方をするのをよく耳にする。また彼らは、「自民党さん」と云う様な言い方もよくする。私の思い違いかも知れないが、この様な言い方を始めたのは民主党議員が最初ではないだろうか。この様な言い方を耳にする様になってからもう大分経つ様な気がするが、未だに強い違和感を覚える。国民に対するこの様な「営業トーク」は、国民を代表する為政者がすることではないだろう。「国民の皆様」と言う時、その発言者の中で国民は「お客様」となって居る。その機嫌を取って自分たちに有利な様に事を運びたいと云う思いがその裏には隠されて居る。真に国民の事を思って居るのであれば、「国民の皆様」と云う様な言い方はしないはずだ。自分が政治家だったら国民の事をどの様に呼ぶか想像してみて欲しい。「国民の皆様」と云う様な言い方をするだろうか。そもそも私は、民主党に対して今程のはっきりとした嫌悪感を前々から持って居た訳ではない。小沢、鳩山、菅の所謂トロイカ体制なるものが長年に渡って続いて来た事などから、そして民主党議員達の顔つきや態度からも、胡散臭さをずっと感じて居たのは事実だが、どうも胡散臭い人達だなと思う位に留まって居た。この人達はやばいとはっきりと感づいたのは、昨夏の衆院選前にあった所謂「国旗切り裂き事件」を受けての鳩山氏の答弁映像を見た時だった。あの映像を見て、この人達は日本国民の事などちっとも考えては居ない、自分たちの事しか考えて居ないと、はっきりと気づかされる事になった。民主党圧勝の予想が報道されるのを目の当たりにして絶望的な気持ちになり、何かの間違いであって欲しいとの思いで選挙結果を待ったのだが、結果は報道されて居た通りのものであった。選挙直後に鳩山氏は「強引な国会運営はしない」、「自民党さんにも頑張って頂きたい」と云う様な発言をし、あれっ意外とまともなのかと一瞬思い直しそうになったが、蓋を開けてみれば、想像して居た以上に酷い現実を見せつけられる事になった。具体例を挙げて行けば切りがないので其れは又の機会に譲る事にするが、衆院選後の半年以上の間は、このままだとそのうち気が狂って仕舞うのではないかと心配になる位に憂鬱な日々が続き、いっそのこと政治報道は読まない事にしようとすら考えた位だった。「民主党起因性神経症」なるものが日本国民の間にじわじわと蔓延しつつあるのではないかとさえ想像した。最近一ヶ月位の間に多少の光が見えて来た様な気がするし、気持ちも幾分楽になっては居るが、憂鬱な気分は勿論消えては居ない。政権与党と云うものは言う迄もなく国民の生活に大きな影響を与える。その政治運営により国民生活に影響を与えるだけではなく、政治、報道、等々を通して国民の精神にも影響を及ぼす。子供の精神形成への影響力も大きい。最も効果の大きい徳育方法は、自分の身を以て見本を示す事であると云う。どんなに立派な言葉を言おうが、その人自身の行動や態度が立派でなければ子供に徳育上の良い影響を及ぼす事は出来ない。その人自身が立派であれば、そもそも何も言わなくとも自然に振る舞って居さえすれば良い筈である。この点に於ける子供の嗅覚の鋭さは、ある程度の観察力を持つ者にとっては自明のことだろう。だからこそ、凡そ子供の上に立つ者は自分の襟を正さなければならないのであるし、殊に教育者と政治家、とりわけ一国の首相たる者には、この点の自覚を持って頂きたいものである。毅然とした正義感を持って頂きたい。それにしても鳩山前首相の首相辞任後の民主党支持率の急回復は一体何なのだろう。来る参院選を前にしてこれから民主党は巧言を色々と並べて行くだろうし、既にそれが始まって居る様子でもある。しかし、政策云々と云う以前に、日本国民を代表する政治家としての民主党議員達の能力と姿勢が信用出来ない物であると云う事は、此の一年足らずの間にもう嫌と云う程に見せつけられたはずだ。朝日新聞を始めとして、マスメディアの報道が民主党寄りに偏って居る所為か、この事に気づいて居ない有権者が未だに数多く居るようであるが、誰しもがその事に気づかざるを得ない様な状況になって仕舞った後ではもう後の祭りである。人間と云うものは得てして、自分の聞きたい言葉だけを聞き、聞きたくない言葉は無視するものである。又、自分の信じたい言葉だけを信じ、信じたくない言葉は無視するものである。だから簡単に旨い言葉に乗せられ、後になって「しまった」となる訳だ。兎に角もう私は、民主党の言う事はどんな旨い言葉であっても信用しない。かと云って自民党が信じられると云う訳ではないが、民主党、社民党、国民新党、共産党等に比べれば、少なくとも日本の政党としてまともであるし、色々問題は多いにしても、概ね日本人の利益を代表しようとしてくれて居る様に思える。他がこの様な有様である以上、自民党で駄目ならもう仕方がないと云う気になって居る。願わくは前記の様な政党が弱体化し、自民党を含む政権担当能力のある複数の政党間で切磋琢磨為合える様な状況になって欲しいものである。政権担当能力のない政党が大きな力を持つと -- 仮に野党であったとしても -- 国政にとって碌な事がない。自民党その他の中に居る良心的な日本の政治家達には頭が下がる思いがする。民主党政権の政治運営のやり方を見せつけられ、有権者の間に未だに斯く迄も民主党支持者が多いと云う現実を見せつけられては、心が挫けて仕舞っても仕方がない気がする。何とか頑張って頂きたい。他人を批判したり文句を言ったりするのは簡単だが、それだけでは無責任と云うものだろう。政治の批判をするからには、良い政治のために自分も何か出来る事をするべきである様に思える。と云う訳で、今の日本の政治に対する私の考えを斯うして書き始めた訳である。それが政治に対する批判的な内容にならざるを得ないと云うのが些か逆説的ではあるけれども。
2010/06/22
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ちょっとだけ日本の政治のことに就いて書きたいと思う。昨夏の衆院選前から日本の政治に関して鬱屈した思いで居た。勿論それ以前の自民党政治に就いてもうんざりとして居た訳だが、民主党政治に就いてはそれとはまた質を異にする苛立ちを覚える。何処からどう語れば良いのか分からない位に問題点が山積して居るのだが、さて何処から語ればよいのか。昨夏の衆院選の前後から何人かの人と政治に就いて話をし、メディアを通じて他の人達の政治に就いての考えを聞いて来たのだが、驚きをもって改めて強く感じるのは、政治に就いての考えは人によってあまりにも異なると云うことだ。価値観、思想、生活状況、利害関係等々、人によって大きく異なるのだから其れはよく理解出来ることなのだが、それにしてもこの民主党政権であっても、これだけの根強い支持者が居ると云うのには愕然とさせられる。まず問題点として挙げられるのは、1)多くの有権者の中に物事を批判的に見る態度が欠けて居ると云うこと、また国政に関与する有権者としての能力と責任感の欠如、2)メディアの偏向報道、3)有権者の中に正しい政治判断を求めることが酷な程に生活状況が悪化して居ると云うこと、つまり、一有権者として国政のことを責任を持って考える余裕が無くなっており自分のことのみを考えて投票行為を行わざるを得ない状況になって居る有権者が多くなって居ると云うこと、4)まともで真剣に日本の国政のことを考える人は政治家になりたがらないと云う状況があること、等々が考えられる。他にもまだまだあるが、取り敢えずこれだけ。それにしてもつくづく思うのは、良い政治が行われるためには多くの有権者が賢くなければならないと云うこと、そしてそのための教育の大切さだ。残念ながら日本の教育は、特にこの点に関しては惨惨たる状況と云わざるを得ないだろう。そしてメディアもこのような状態なのだから、所謂衆愚政治状態になるのは理の当然と云える。こんな状況の中最近つくづく感じて居るのは、一人一人の個人の自覚にしか救いを求めるべき場所はないと云うことだ。組織の力なんて頼りにならない。一人一人が自覚と責任感をもって賢くあること。勿論大衆の力に比べて一人一人の個人の力なんて微々たるものであり、大勢に影響を与えることなど大して出来ない可能性が高い。とは云え結局の所そこにしか救いを求める所は無いのだから、僅かばかりでも希望を持って、少なくとも自分だけは賢くあろうと努めるしかない。そして意図的に他人を変えることなど基本的には出来ない。特に自分の力で他人を変えようなどとは思わずに、まずは自分だけは賢くあろうと努めること。そうすることによって、少しは周りに影響が及ぶことを微かに期待しながら。古代中国のある賢人に次のような言葉があるらしい。「目を開かれた人が正しく考えていれば -- 仮に唯独りして考えて居るだけであったとしても -- その声は千里の彼方へも届く」迷信のような言葉ではあるが、あながち迷信とばかりは云えないと思って居る。とは云え、実際問題としては、ささやかながらも自分の考えて居ることを人に発信することは大切なことであり社会の中の大人の一人としての責任でもあるとも最近よく考えて居る。そんな訳で、舌足らずな乱文にはなったが、今後続けるかも知れない一連の日記への取っかかりとして、取り敢えず書いてみた。
2010/06/18
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