にっくの日記
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
私は仏教的自我観に共感を覚える。万物は皆「私」であると云う考えである。仏教では、人間に限らず、動物も無生物もまた「私」であると云う事になるが、ここでは人間に限って話を進める。例えば、AさんはAさんの事を「私」であると考えており、BさんはBさんの事を「私」であると考えており、CさんはCさんの事を「私」であると考えて居る。つまり、Aさんも、Bさんも、Cさんも、皆それぞれに「私」なのである。また、AさんはAさんの痛みを自分の痛みとして感じ、BさんはBさんの悲しみを自分の悲しみとして感じ、CさんはCさんの喜びを自分の喜びとして感じる。即ち、これらは全て「私」の痛みであり、「私」の悲しみであり、「私」の喜びなのである。ならばどうしてAさんとBさんとCさんとを区別する必要があるのだろう? みんな「私」ではないのか?仏教的倫理の根本には上の様な自我観がある。更に仏教の人生観は、人生は苦の連続であると云うものである。この人生観から、人は皆共通して苦しみの宿命を背負った存在なのだから、互いに思いやり労り合いながら生きて行こうではないかと云う倫理が生まれる。英語で「思いやり」、「哀れみ」等の意味を持つ “compassion” と云う単語は、語源を遡れば「共に苦しむ事」を意味する。compassion は com- と passion とに分ける事が出来るが、前者はtogether を意味し、後者はsufferingを意味する。他人への思いやりが大切だと云われても、どうして思いやらなければならないのだと思う事もあるだろう。しかし、万人は「私」であると云う仏教的自我観に迄還らずとも、「人は皆共に苦しむ存在なのだから」と云われれば、成る程と納得出来る所があるのではないだろうか。それに引きかえ、キリスト教で大切にされて居る「隣人を愛せよ」、即ち、「愛」(agape, love, charity)と云う言葉は、どうも観念的に過ぎて押しつけがましく、しっくり来ない感じがする。閑話休題。万人は「私」であり、よって他人もまた「私」であるからと云って、他人の好き勝手を許しておいてよいと云う事にはならない。日常的意識のレベルに於いては「私」は唯この私一人であると云う事実は現前としてあり、この事を蔑ろにしてはならない。他人が過ちや不正義や悪事を働けば、必要に応じて断固として批判し、抵抗し、場合によっては罰を与える事が必要である。然もなければ人間社会の秩序も平和も維持されなくなる。仏教の人間観は、性善説よりは寧ろ性悪説に立つ様に思われる。仏教は、人間の徳に就いて語る前に悪徳に就いて語る。即ち煩悩である。人には逃れ難い煩悩が有り、放っておけばどんな悪事を働くか分からない。そこで地獄の思想なり、因果応報の観念なりが持ち出される訳である。しかし、これらは悪事に対する抑止力としてさほど有効には機能しない。だからこそ、何らかの方法により、人間同士が互いに牽制し規制し合う事が必要となり、これによって初めて人間社会の秩序と平和とを何とか維持する事が可能になるのである。さて、多くの日本人が気づいて居る様に、今現在、日本に於ける人間社会の平和が脅かされて居る。この脅威の原因を作って居る人達は例えば以下に挙げる様な人達であるが、彼らもまた実のところ「私」である事に変わりはない。1)日本の属国化を推し進めようとして居る中国共産党の幹部達。2)日中戦争が始まった暁には、無垢な一般の日本人をも虐待したり殺害したりするであろう中国の軍人達。3)中国共産党による反日教育や情報操作により反日精神を植え付けられて居る一般の中国人達。4)本年7月1日より中国にて施行された「国防動員法」により、中国共産党の声一つにて、忽ち民兵と化し、日本人に危害を加える事になるかも知れない、日本在住の中国人達。5)親中国共産党、親朝鮮の勢力に支配され、反日的偏向報道、世論誘導を行い、例えば、中国における「国防動員法」の施行の様な日本人の生命の安全に関わる重大な出来事すらも殆ど報道しない日本の大手マスコミの関係者達。6)親中国共産党、親朝鮮の勢力に支配され、日本人の命と財産と誇りとを守ろうとする意志のない民主党、社民党、共産党の議員達。7)金の亡者と成り果て、日本人の命と財産と誇りとを守ろうとする気概も責任感もない日本の財界の幹部達。8)戦後の反日的教育や、マスコミの反日的偏向報道に操られ、国家存亡の危機意識もなく、何時までも平和な日本が続くものと信じ込んだまま、反日政党を支持し、これにより他の目覚めた日本人の命と財産と誇りをも危険に晒して居る日本人有権者達。上に挙げた様な人達も皆、私と同様に「私」なのである。よって、根源的なレベルに於いては、私は、彼らを憎んだり、軽蔑したり、困った人達だと思ったりはしない。自他の区別が無いのに、憎んだり軽蔑したりする様な事は不可能なのであるから。しかし、日常的意識のレベルに於いてはそうも行かない。一端ここで一区切り置く事にする。
2010/10/17
コメント(0)