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長い間、ここで日記を書いてきましたが、お引越しすることにしました。僕は元々、大学卒業後に設立にかかわり、5年後に生まれた次男が入部して楽しんだジュニアヨットクラブのHP担当でした。今でも担当してるけど・・・次男がジュニアを卒業後、ジュニアヨットの全国理事とかをやり、ジュニアスポーツの明るい面と暗い面を知るようになりました。日本では、まだまだ多い、わが子を親がやってたスポーツに引きこみ、泣く子にガンガン親が罵声を飛ばし、お尻を叩いて鍛えることに、違和感を覚えました。僕は母親にとても感謝していますが、勉強に対して上記のような接し方をされたのが、とても嫌でした。勉強は、知らないことを知り、出来ない計算が簡単にできるようになり、とても好きでしたが、100点でないと叱られるのに、閉口しました。僕をわが子をもっと信じて、失敗もサボリも大きな心で抱擁してくれていれば、もっと楽しく勉強できたと今でも思っています。スポーツだって、勉強だって、どっちも同じです。勉強することを辛いと感じたことがないし、学校は楽しいところでした。「ゆとり教育」として、学校に行く時間を削っても、僕にはなんで子供から楽しい時間を取り上げるのだろう?としか感じません。勉強なんて、スポーツと同じ、点取りゲームです。あ~僕はまだ60点しか取れないんだ~、もっと勉強して100点取れるようになるぞと机に向かうのが、楽しいのです。もし、勉強にテストがなかったら、かなりつまらないものになります。サッカー同様、点取りゲームで楽しみながら、いつの間にか技術(知識)が身についてるって感じです。ジュニアクラブのHPに、僕の日記コーナーを作り、「もっと楽しくおだててヨットしようよ、それでも十分上手になるよ」って趣旨で、書いていました。それを、ヨット以外の題材でも書いてみたくなり、この日記を立ち上げました。まだ学生だったわが子とのライブも題材にしました。僕は、母が僕に対した接し方とは反対の笑顔・楽しい・褒めるで、我が子と接しました。家内と結婚する時の決め手の1つは、「親に叱られたことがないの」という言葉でした。きっとこの人は、怒らないと思いました。で、僕は子供と喧嘩した経験なしに子育て期間を終えました。子供たちも、親に叱られた経験なしに大人になりました。でも、変な大人にはなりませんでした。2人とも、子供時代から、仲間のリーダーとして信頼を得るようになりました。そして、勉強でもスポーツでも、立派な結果を残してきました。僕ら親が小さな時から、信じて見守る転ばぬ先の杖を教えない姿勢を貫いたので、自分の次の行動や大きな選択は、自分で決めなくてはなりません。相談されるまで、親の意見を子どもには言いませんでした。すると、何も言わなくても、次の学校を選択し、就職し、子育てで辛い思いを一度もせずに親を終えることができました。今、子供たちが巣立ち、もう、子供とは、親子から仲間の関係になりました。日記の内容が、第2の青春や第2の新婚時代になりました。僕にはもう、「褒めて育てようよ」のライブな題材がなくなりました。そこで、一区切り付けるために、僕もこの日記から卒業しようと思います。まあ、このままこのサイトで続けてもいいのですが、アダルトな書き込みがあり閉口したりとか・・・僕の日記を訪問してくれた方を見に行くと、アダルトな方で閉口したりだったり・・・何かを売るためのページだったり・・・楽天市場のサイトだから仕方ないけど・・・なにか書きこむと宣伝が毎回出てくるとか・・・楽天市場のサイトだから仕方ないけど・・・そんなことも、このサイトから離れたいなという気持ちになりました。書いた日記を、僕のアドレスに送ってくれて、記録に残るという素敵な機能もあったけど・・・まあ、そういうことです。これからは、別のサイトで、題名も同じで書いていきます。 心のポテトサラダ沢山の方に、ご訪問いただき、いろんなご意見を頂き、誠にありがとうございました。
2011/06/10
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「母公堂」の女人結界まで下りてきました。道端の車から、行者装束の方が山に入ろうとしてるのかな?僕は2度目だからそうでもないけど、独特の雰囲気を家内は楽しんでいます。お墓のような石標がたくさん建ってますが、修行記念の石標が多いです。ここは、修行に励む役行者さんの母親が、ここで住まわった所だそうです。息子を心配する母心というところでしょうか。洞川の湧き水・取水所の前に、五代松鍾乳洞がありました。前回は、もう1つある鍾乳洞に入りました。今度はこっちを体験するつもりでした。が・・・、何と昼休み休憩中でした。12時を数分回ったところです。次は1時からだって。昼食を取りに、洞川の街に下りました。修行者さん向けの宿が並んでいます。全国区では、吉野ほど有名じゃないけど、こっちの方がよっぽど人が多いです。現役修行者の中心地の魅力なんでしょうか。白装束の行者服の方が、たくさんいます。法螺貝が似合う本格的な方もいます。洞川温泉の駐車場は、バイク無料です。天の川に面したお店で、アマゴの塩焼き定食1380円を賞味。塩焼きも美味かったけど、香の物もうまく、これは大変美味しいお店でした。修行者の根本寺「龍泉寺」に入ります。前回はここの池で水に浸かり、お経を唱えながら滝に打たれる修行者がいましたが、今回はいません。大型バス2台で帰る団体さんがいたので、修行を終えた後かもしれません。龍泉寺から天の川に向けて、湧き水が大量に流れだしています。名のとおり、地下水が湧く泉があるのでしょう。この水量は、相当なものです。「五代松鍾乳洞」に戻り、ケーブルカーの切符を買いに入ると、2時のになるとか。あと40分もありますが、待つことにします。歩いたら15分ですが、ケーブルだと6分です。というより、ここの見所は、鍾乳洞よりこのケーブルです。みかん農園など山仕事で高いところに資材や人を運ぶ簡易ケーブルカーです。こんなのめったに乗れませんよ。前の水汲み場は、駐車場の順番待ちが列を成す人気です。少し飲んでみましたが、味覚音痴の僕には、普通の水としか感じません。小屋に戻り座って待ってると、ケーブルが下りてきました。1:45の便の出発です。お客さんの座席は4、だけど定員は6だそうで、一番後ろにお若いカップルが2人で腰掛け出発です。50cc原付みたいに軽い音を出しながらゆっくり登っていきます。登り6分・下り6分・残り諸作業で、15分間隔です。かなりの急勾配を、ゆっくりですが確実に安定して上がっていきます。家内は、この日一番の体験だったそうです。下で全員ヘルメットを被ります。僕はバイクのヘルメットを被ろうと持っていたのですが、「それでもいいけど、狭いところがあるから傷つくよ」とのアドバイス。備え付けのヘルメットを被り、手荷物になってしまいました。五代松鍾乳洞モノレール・ムービー確かに急坂だけど、頭に当たる枝もないから変だなと思っていると、ヘルメットが必要なのは鍾乳洞内でした。僕も2~3度頭をぶつけるぐらい狭い所を抜けました。ヘルメット必須です。鍾乳洞自体は、前回寄ったもう一つの方が広くて良かったかな。でも広さは、しれています。家内は、狭いところをくぐるのに閉口していました。洞内は、係の方の先導・説明付きで15分。ケーブル駅に降りると、次のケーブルが上がってくるというルーチンになっています。ここから帰路です。r21でR309に出ます。ローソンそっくりの看板で、ローソンをもじって「モーソン」の看板を上げたお店が模様替えしていました。ローソンからクレームがあったのか、今度はユニクロをモジって、モリクロになっていました。モリクロではまたクレーム対象になると思ったのか、「モリクロ・フラフラ」となっています。ただでは起きないご店主の心意気が素晴らしい。R309をグーンと、「道の駅・吉野路黒滝」に。修験道修行者装束のおじさんたちが、こんにゃくを食べています。額に丸い物を当てたかっこいい修行者が、ソフトクリームを食べています。家内が、「ソフトクリーム食べないで」って、笑っています。走ってきた山岳路をひたすら歩く修行者の崇高なイメージが、ソフトクリームで崩れていくのでしょう。僕らは、屋台でこんにゃくの串刺しを食べました。これがうまいです。辛の微妙な味付けが素晴らしい。100円。R309をグーンと、「近鉄・下市口駅」まで。ここで家内と、しばしお別れです。往路と同じ電車を反対に戻るのですが、ちゃんと帰って来るでしょうか?方向音痴なので、一抹の不安が・・・。僕も、ひたすら往路を同じ道を戻ります。6時に地元帰着。家内に電話すると、既に駅から歩き出しているようです。ブーンと家に向かうと家内発見。「暑くて~」と釣り用スーツの上を脱ぎ、プロテクターの胸ファスナーを大きく下ろしています。「電車はクーラーが効いてたから平気だったけど、歩き出したら暑すぎて・・・」。またまた、楽しい1日になりました。
2011/06/08
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ここからタンデムです。「こんな坂上がれるの?」と家内が聞くぐらいの急坂ですが、110ccなので坂途中からでも加速する力強さです。すぐに吉野の伽藍の中心・金峯山寺です。参道に駐車場がありません。門前の饅頭屋さん横に駐車し・・・ここはそれ、朝食用に饅頭を数個お持ち帰りします。山門をくぐってすぐのスペースで饅頭を頬張ります。うまい。修験道開祖の役行者さんが開いた修行の地です。吉野~大峰山~熊野本宮~那智大社と、修験道の修行の地が紀伊半島に広がっています。仏教寺院と少し雰囲気が違うんだよね。天台宗や真言密教などの厳しい修行を伴う古い仏教に近い雰囲気があります。家内によると、吉野線の途中の駅で、修験道行者スタイルの方が数人降りたそうです。在野修行者が、濃くやってくる地です。現在の修験道・修行者の中心地・洞川まで、吉野~熊野本宮間の峰伝い熊野古道(奥駈道)の一部を、これから辿ります。ワクワク。吉野山を奥に入っていきます。山道なのでぐにゃぐにゃ曲がり、方向感覚がおかしくなります。詳しい地図を持ってこなかったので、「水分神社」を目指していたら、いつの間にか急坂の下りになり、眼下に宿などの集落が見えてきました。これは元の場所に戻ってしまいそうです。山内地図を見ると、「金峰神社」を目指さなければいけないみたい。さっき、それとの分岐をこっちに来てしまいました。Uターンして、「金峰神社」まできました。道路の中央に停めても、迷惑などかかりそうもない交通量ほぼゼロの道でした。でも、神社前には、4月1ヶ月間の一方通行のお知らせが立っています。すごいな吉野山の桜。横に、「林道・吉野大峯線」の注意事項が書いてあります。路肩保全・法面落石防止が不十分なので、降雨・降雪時はスリップの危険があります。20km/h以下で走行。夜間・濃霧時の走行を避ける。見通しの悪い場所での駐車を避ける。と、書いてありました。いよいよです。GO!徒歩で熊野本宮を目指す熊野古道と何度も交差しながら、舗装林道が続きます。標高は800m・1000mオーバーと、高所の峰を回りながら進むので、ぐっと気温は下がり、右に左に紀伊半島の峰が雄大な景色を提供してくれます。この熊野古道は、さすが修行の道でもあり、わざわざ山頂に登り返して熊野を目指すようです。忘れたころに車が駐車されています。きっと山登りの方の車でしょう。この道から上がるのであれば、意外に簡単に上がれるかもしれません。黒滝村と天川村との分岐に着きました。夜なんか歩くと、熊に食われてしまいそうです。ここまで、法面の崩れは無数にありました。道の1/3ぐらいまで土砂が来てるところもありました。路上に川が流れてるところもありました。木々の根の仕業か、路面陥没なのか、道がうねってるところもあります。20km/h以上出せません。この道は、台風や梅雨の大雨の後は通行止めになってる公算大です。道の脇に滝が落ちてるところがありました。記念撮影。ヤマボウシの木が白いシャッポを綺麗に被っています。川上村と天川村との分岐に来ました。ここは、僕がバイク免許を取って、最初のロングツーリングで来た場所です。R309で天川村に入り、r48で戻ろうと思ったら、あまりにハードな道だったのでUターンし、ここからR169に抜けました。ここからは、既走路です。「大天井滝」がありました。これは見事な滝です。寄り道してパチリ。前回は、滝だとわかったけど、坂に停車できずにスルーしました。今見ると、全然急坂ではありません。あの時は、ニュートラルでサイドスタンドでしか駐車出来なかったので、少しの坂でもバイクが動き怖かったです。今はいつでもギア入れて停めるから、バイクは動きません。平気です。「五番関トンネル」通過。登山者の車が数台停まっています。バスも1台。前回もバスが停まっていました。きっと修行バスですよね。ここから上がる五番関に、修業の場があるのかな?TVで見た岩の上から足を持ってもらって下を覗く行場かも?思い返せば、前回、ここでバイクの初コケしました。バイクを停めて、ステップ出したつもりが、出来っておらずバイクを下りたらゴロンとバイクがなりました。微妙な傾斜でビビっていたのでしょう。今見れば、なんてことない傾斜です。3年で成長しました。案内板とか見てると、家内が「五番関」と書いてある登山道を登っていきます。「何処行くの?」と聞くと、「え、登らないの?」だって。ヘルメットに付けた「クールロボ・イージートーク」で無線会話してるから、すぐ後ろに僕が続いていると思ってたみたい。
2011/06/07
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日曜日は、また雨の確率が高い予報が出ていました。しかし、日曜日に近づくほどに、予報が好転し、晴マークさえ予報されるようになりました。先週に続き、家内も予定がなかったので、「夫婦でお出かけ」になりました。「夫婦で自転車」も、真夏ほど暑くなくいいのですが、前々から走ってみたかった「林道・吉野大峯線」に行くことにしました。自転車で走る猛者も多いようですが、僕らには無理なので通勤リード110・タンデムです。我が家から吉野まで80km・2時間半です。この間、家内は電車移動してもらいます。交通量の多い所も通り、快適ではないので、ここで疲れさせては本番で楽しめません。万一の事故の可能性もあるしね。夫婦とも、夏用プロテクター上下+ダイワ釣り用レインスーツで、6時半に家を出ました。電車でも、高速道路に乗れないリードでも、2時間半の行程です。最寄り駅まで家内を送り、r13をドカンと南に下ります。R43を東進し大阪府に入り、天王寺駅の横を30分後に通過。家内も天王寺までJRで、ここで近鉄に乗り換えます。僕がかなりリードしてるはずです。道なりにR25に入り、平野の辺でR309にチェンジします。ここらの西は、奈良と大坂の間にそびえる生駒山系の南縁と、金剛山系の北縁の切れ目です。奈良・大阪の交通の要衝で、JR・近鉄・国道・高速道路、みんなこの辺を通ります。昔はもっと地形が重要だったので、河内の国の中心は、平野・松原・藤井寺・羽曳野のここらでした。古くは、鎌倉幕府・源頼朝、室町幕府・足利尊氏を輩出する清和源氏流れの河内源氏の本拠地であり、室町幕府の三管領家の一つ・畠山氏の本拠地でもあります。徳川家康軍の大坂城攻撃陣も、北の淀川流れに沿って南下した軍と、ここを通る大和川を西進する軍に分かれました。外堀・内堀を埋められた大坂方の真田幸村は、大和川を下ってくる家康本体をここに奇襲をかけ、殲滅する作戦を立てました。兵力が、徳川方の半分ですが、全力をここに向ければ、互角以上の戦いができます。この作戦は受け入れられませんでしたが、幸村隊や後藤基次隊・毛利勝永隊など、大坂方の猛者達がこの地で徳川方と接戦を演じ、家康が切腹を覚悟するほどに追い詰めた。今回は、大和川に沿うR25ではなく、R309で吉野に向かいました。攻城しようと思ってる楠木正成の本城のある千早赤阪村の土地勘を磨くためです。金剛山系の雄山、金剛山と葛城山のタワ部下をトンネルで抜けて大和入りします。旧道が残ってるようで、時間があれば走ってみたいところです。そのままR309一本で、近鉄・下市口駅に出ます。吉野川(紀の川)に沿うR370を吉野方面にさかのぼります。ここでガソリンが少なくなってきたのでGSを探します。ここでも日曜日休みのGSが多く、吉野山へ渡る橋まで来てしまいました。吉野山に入れば、GSなんてなさそうです。地域の草刈りをしておられるおじさんに声を掛けると、基本親切な地域柄、丁寧に教えてくれました。一旦、吉野川の橋まで戻り、R370をあと100m行けばありました。ついでに空気圧も2.3にします。空気圧の低下は、山道で石ころパンクを誘発します。燃料費721円。燃料半分で家から出てきて、半分以上残して家に帰りついたので、この日の交通費は700円ほどでした。家内の電車代が、片道1800円ほどだから、バイクはお得です。r15とr37の2本の県道が吉野に向かっています。家内と待ち合わせの「近鉄・吉野駅」へは、線路に沿うr37だけど、時刻は10時前、抜群の流れで来ない限りまだ余裕があるはずなので、r15で吉野山に上がってみます。方向音痴の家内のことだから、30分ぐらいロスするはずだとの読みです。ケーブル山上駅から、急坂を下って吉野駅に下ります。r37と合流したところで、地図を見ていると、草刈りのおばさんが、「何処に行くね?」と声を掛けてくれました。さすが観光地、土地勘のない方への親切が代々受け継がれているのでしょう。駅は横なので、「何処で待つかな?」とゆっくり駅前広場に入ると、家内はそこにいて手を振っています。家内も、今着いたところのようです。吉野駅下車のお客さんは、家内ともう1人だけだったそうです。南北朝時代の南朝方朝廷があった場所なのに・・・、いくら有名な吉野千本桜の季節じゃないと言っても・・・、寂しくないかい?もっともっと、賑わっていると思っていました。
2011/06/06
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今朝は、1週間ぶりに早朝バイクしました。雨が多かったもので仕方ないです。昨夜、夕食時にニュースを見ていると、濃霧注意報が出ています。そして、今日の午前中の降水確率は、0%。「おお~」朝霧好きの僕の胸が高鳴りました。3時に目が覚めれば、雲海を観に行けます。バイクで上の方まで上がれる新たなポイントが、数ヶ所脳内リストに載せています。篠山の春日の雲海を見下ろすポイントに行こうかな?竹田城址からの見事さまでは行かなくても、そこそこ美しそうです。今朝目が覚めたら、4:15でした。あ~・・・朝日に染まる雲海には遅すぎます。でも、雲海を観に行こう。即効で用意して、表に出ると、なんと曇っています。「快晴じゃないの?」一気にテンションが落ちてしまいました。高速で春日までドーンと行こうと思ってたのに・・・ガソリン補給し、近場の北摂里山地区の朝霧で、お茶を濁しました。長尾山トンネル~r325~r33~r68。「香下寺」から、羽束山に登って、千刈ダムの雲海を見下ろそうと思ったけど、駐車場から山頂が見えています。霧が濃くないです。仕方ないので、枝道探索に切り替えました。駐車場からr68まで下りてくると、農家のお若い方が鍬一本担いで歩いてきます。6時前だけど、仕事開始のようです。「おはようございます」「おはようございます」。刀を肩にかけて戦場に向かう素浪人みたいで、かっこいいです。金曜日なので、通勤前の一仕事かもしれません。ここらは兼業農家が多いですからね。香下から、有馬富士CCへの分岐を入る枝道を探索すると、隠れ里みたいな農村があり、いくつか枝道に分かれ、三田CC横からR176三田に下る道でした。千刈CCへの道から、r68方面を見上げると、いくつか谷が繋がってそうで、枝道に入りましたが、ことごとく行き止まりでした。光明寺への道を、初めて上ってきました。最も高いところにバイクを置き、武庫川渓谷への展望を探しに山歩きしましたが、三田の町が眼下に見えるだけでした。テーマのイマイチな中途半端な早朝バイクになりましたが、寄り道もいろいろ出来、これはこれで楽しかったです。早めに帰宅したので、詰め物が無くなってグラグラになった電源供給ソケットをしっかり固定し直しました。
2011/06/03
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先月は、3冊本を読みました。「畿内・近国の戦国合戦」室町幕府末期からの畿内合戦なので、四国勢力の三好氏中心に、摂津・河内・丹波の豪族が、幕府将軍と絡んでの展開です。堺の存在、寺社勢力も絡んで、我が家から少し走れば行ける山城の歴史を楽しく学ぶことが出来ました。「阪急電車」観に行った映画が面白かったので、原作を購入してみました。僕が10年間通った沿線の事であり、僕の思い出もある見知った場所ばかりなので、映画と合わせ2倍楽しませてもらいました。そして、昨日読み終えたこの本。ここ数年全部書いて残してる読書感想文を、そのまま転記しておきます。「ラスト・ソング」ニコラス・スパークス毎年恒例のスパークスさん作品です。年1冊のペースで新作が出ますが、ほとんど読んでます。相変わらずのノースカロライナで、相変わらずのラブストーリーですが、今回もまたいいです。母親と離婚した父親のスティーブとひと夏を過ごすために、ノースカロライナの海辺のロッジにやってきたロニーと弟のジョナ。ジュリアード音楽院の教師だった父親は、突然職をやめ、コンサートピアニストとして全国を回りだす。家族と疎遠になり、夫婦の絆も切れて離婚。そんな父親を憎んでさえいたロニー。「なんで、今更父親と夏休みを一緒に過ごさないといけないの?」。父親への反発から、ピアノの才能に蓋をして、自分の将来が見えない鬱憤も、ロニーの心を重くしている。そんな思いでニューヨークからやってきたロニーに、ノースカロライナの夏の陽光と、ニューヨークにはないのんびりした時間が、別の世界を与え出す。ジョナは、父親と共に火災で失われた教会のステンドガラス作りに精をだし、ロニーには、素晴らしい青春の出会いが待っていた。父親の穏やかな自分への接し方に次第にロニーの心が開かれ、やがて笑顔で親切な元のロニーに戻って行く。そんな幸せに満ちた夏が終わろうとする頃、父親の抱える大きな秘密が明らかになる。そして離婚の本当の原因も。父親がこだわったステンドガラスは?資金難で中断してしまった教会の再建は?行き違いから別れてしまった恋人のウィルとの関係は?そして夏を終えるロニーの次の道は?10代のスウィーティーな恋、親子の愛。それを包み応援するような匿名の寄付。スパークスさんの作品にはつきものの、揺るぎなく温かい愛をつぎ込む男性の姿があります。
2011/06/01
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R29で更に西進。途中でR482に乗り換え、「隼駅」に到着。世界最速バイク・スズキ隼乗りの聖地です。僕のは、250ccの遅速バイクだけど、来てみたかったんです。駅員のいない無人駅なのですが、たくさんやってくるバイク乗りさんのお相手をするために地元の駅守りさんがいます。売店も出来ています。と、駅守りのおじさんに教えてもらいました。「何処から来たね?」「この駅のことを、何処で知ったね?」と、おしゃべりしました。僕もバイクに乗ってることを聞き、いろんなバイクが来るよと教えてくれました。若桜鉄道隼駅の交通安全のお守りステッカーを購入しました。バイクに貼りましょう。R482を西進、岡山~鳥取主要幹線のR53を南下。横を走るJR因美線は電化されていないようです。ローカル線が好きな家内は、列車がやってくるのを期待してるみたい。「智頭」到着。更にR53で美作の雄峰・那岐山の肩を抜けます。トンネルやループ橋で標高を稼ぎ、南側に抜けました。那岐山が、岡山と鳥取の県境で分水嶺です。小さな「奈義トンネル」を抜けてすぐに、目指す「三穂神社」があります。僕の遠い先祖・美作菅家党の粗・三穂太郎を祀った神社です。僕だけが訪問したことがあるので、ずっと家内が来たいと言ってました。外に出ると、これまた雨が小康状態、「私たちラッキーね」と家内が喜んでいます。参道入口の三穂太郎の像を眺め、階段を上がって拝殿本殿に上がります。三穂太郎の謂れを読み、車道の方で車に戻りました。そのまま南下し、「美作IC」から中国道に乗ってもいいのですが、まだ13時前なので、一旦「智頭」まで戻ることにしました。那岐山の峠のドライブインで、昼食にしました。智頭からR373で「佐用IC」を目指します。以前「夫婦で自転車」でお世話になった「智頭急行」と、「鳥取道」に平行しながら南下します。宮本武蔵生誕地の大原を訪問しました。生家や宮本武蔵神社・武蔵の墓などを訪問。日曜日なのに、悪天候だからかお休みのお店が多いです。続いて、智頭急行の「宮本武蔵駅」。続いて、R373沿いの宿場町「平福」訪問。宿場町、代官屋敷が残る観光地です。「平福駅」に寄ると、小さいながら落ち着いた観光駅になっていました。地方鉄道の駅は、特色を出そうと楽しいです。列車を下車されたお婆さんなのか1人、お迎えの車を待っている風でした。平福の佐用川沿いの景観を眺め、最後に平福の外れの六地蔵に行きました。ここは、宮本武蔵の最初の決闘場所です。映画やドラマでは、必ず出てくる六地蔵河原。武蔵がまだ12~13歳の頃だったようです。28歳で、巌流島で佐々木小次郎と世紀の決闘に勝利するまで、生涯無敗だった剣豪です。ここも、雨脚が落ち着いていて、ほんとにラッキーでした。再び、R373で南下し出すと、すぐに「佐用IC」でした。帰りの高速は、往路より雨はマシだったけど、風が強くなっていました。強風で、50km規制です。ワンボックスなので、時折風で振られます。明石海峡大橋は、通行止めかな?と思っていたら、ニュースで二輪車通行止めと言ってました。台風並みの悪天候で決行した播磨北部・因幡東部・美作観光でしたが、大満足な1日になりました。宮本武蔵関連など、下見探索してた材料を家内に案内できて良かった。いつものように高速に乗ると、スヤスヤ寝だした家内の寝顔を見ながら、強風の場所では速度を落とし、ゆっくり帰りました。
2011/05/31
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日曜日は、台風2号の影響で梅雨前線が刺激され、雨風の強い1日でした。でも、夫婦で予定のない日でしたので、出かけました。町内会の溝浚いの日だったので、朝一仕事してから出発の予定でしたが、雨のため中止。よって朝一から出発です。まあ7時前だから、いつもより遅いのですが。雨なので、自転車もバイクも出来ません。電車も考えたのですが、車で僕の遠い先祖が祀られているお宮に出かけることにしました。ずっと家内が訪問したいと言ってたところです。現岡山県・律令国家で言えば美作の国なので、中国道です。NHKラジオで台風・豪雨情報を聞きながらの道中です。四国に大雨洪水警報が発令され、やがて京都にも発令されました。まさに発令中の中の道中ですが、車は快適です。横風に注意するぐらいで、叩きつける雨音でラジオの音が聞き取りにくいぐらいでしかありません。さすがにバイクは、走っていません。ところが、「加西SA」で休憩したら、GSに2台のスクーターが給油していました。風防が大きなスクーターですが、この天候では辛いのに・・・強者を見ました。「山崎IC」下車。R29で北上します。最初の目的地は、「岩屋堂」です。スキー場のある「戸倉峠」に向かって、少しずつ登り、とても良い景色がつながります。雨は降ってるけど、ゆっくり走りながら、「あ~ここいいなあ」なんて2人で。スキー場への案内板が増え、「戸倉峠」を越えました。ここから鳥取県です。4WD車を買い換えてから来なくなったけど、雪の便りを聞くと毎週のように通ったここらのスキー場エリアが、別の景色で見えます。そろそろ、ここらだなと思いながら道標に注意を払っていると、「岩屋堂」の案内を発見。もっと観光地だと思ってたけど、R29から枝道に入ると、すぐにそれがありました。車5台ほどの駐車場に入り、カッパを着て傘差していざ出陣。激しい雨が小康状態でマシです。岩盤を手彫りした中に、木造のお堂が作られていました。南北朝時代の創立で、修験道の盛んなこの時代の密教系の一院なんだそうです。小さなお堂ですが、凛としたものを感じさせます。この日見物した中で、2人共通して一番良かったところでした。浄土宗や浄土真宗は、庶民に仏教を広めた宗派ですが、葬儀仏教という感じがします。比叡山の天台宗、高野山の真言密教など古い仏教は、仏教本来の山岳修行を伴い、山深い質素な寺院からは、辛い修行からくる悟りを感じてしまいます。修験道修行者・山伏は、今でも出家せず在野修行者で、金銭がからまない悟りへの道を極めている感じがして、崇高な人に見えてしまいます。比叡山の千日回峰修行者のあの雰囲気が・・・。大峰山で経文をとなえながら、一心に冷たい水に浸り、滝に打たれる姿を見て唸ってしまいました。外来した仏教と、日本古来の自然信仰が融合して出来上がってきた修験道信仰・・・熊野信仰にも通じますね。惹かれます。観光客が誰もいないお堂を後に、R29を更に西進します。若桜鉄道「若桜駅」に到着。転車台があるということだったので寄りました。ここでも雨は小降りでした。駅に素朴な等身大の人形がおり、鉄道員さんの優しさを感じます。駅舎などを写真に収めてると、鉄道に乗ろうとしてたお客さんから声が掛かりました。「機関車に乗ろうとして来たんね?今日は雨で中止だよ。駅員に声をかければ、ホームにも入れてもらえるよ」と。田舎に来ると、人の優しさと人との間の垣根の低さに感動さえ覚えます。時刻表を見上げると1~2時間に1本の運行ですが、「本日雨のため、蒸気機関車の運行を中止します」の紙が下がっています。お願いすれば無料なのかもしれませんが、ここはちゃんと利益を上げてもらわないと。駅員さんに声を掛け、構内見学300円払いました。「ありがとうございます。これ首から下げてね。帰りに戻してくれればいいから」と、人懐っこい駅員さんが対応してくれました。プラットホームに入ると、ちょうどそこに列車が入ってきました。下りてこられたのは、お婆さんが1人。電化されていないので、ディーゼルエンジンのノスタルジーな音を残し、鳥取方面に折り返していきました。「見学順路」という案内板が立っていますが、どこでも見学自由という感じです。SLを見て、SLの前の転車台を見学、引込み線を囲う建物の中に、貨車が収まっていました。駅舎に戻ってくると、電気が消えていた待合横に部屋に電気が点き、駅員さんが中を説明してくれました。若桜鉄道グッズの売店であり、観光案内のようであり、楽しい部屋でした。枕木の小片キーホルダー、線路の輪切り文鎮、鉄道グッズもあります。この地で、雨でなければ訪問したかった「若狭鬼ヶ城址」について聞いてみました。小冊子を見せてくれ、外に出て、城山を教えてくれました。道順も聞きました。次回は、登城ですね。700円で、鬼ヶ城保存協会発行の小冊子を購入しました。地元有志や学術研究者が発掘調査した資料が、たった700円でダイジェスト紹介されており、僕にはなかなかの値打ち物です。ここで、大きな登山リュックを背負った若者が数人、駅舎に入ってきました。鬼ヶ城からの帰りなのだろうか?切符を求めていました。SLのことも駅員さんに尋ねました。第2第4日曜日に、通年運行しているようです。たまたま運行日だったので、僕らをそれ目当てのお客さんと思われたようです。家内は、1両の若桜鉄道が気に入ったようで、乗りたそうです。いずれSLや鉄道に乗りに来るでしょう。その時は自転車持って、半分サイクリングで楽しみましょう。
2011/05/30
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「誕生日はマイナス1」という題名の歌がありましたが、昨日家内の誕生日でした。僕らは、同級生夫婦ですが、家内の方が半年年上の姉さん女房です。毎年やってくる僕の方が若い「誕生日はマイナス1」期間が、今年も始まりました。昨日の朝、「誕生日おめでとう」と、皮肉を込めずに素直に・素直に、お祝いの言葉を掛けました。ここで、後ろからプレゼントを出して・・・となるのでしょうが、僕は数年に一度、「これ」というものがあったときにしかしないので、今年も何もなしです。毎年プレゼントしてたら、悪しき習慣になってしまいます。感動も激減するし・・・でも、僕の言葉は、Pricelessだと思います。前回のプレゼントは、2年前のクリスタル・シンデレラ・シューズです。結婚式の定番「コリント人への第二の手紙の一節」を刻みました。気持も新たに・・・というところです。昨夜帰宅すると、僕の連絡物置き場に、手提げが置いてありました。「おやっ?父の日でもないし・・・」着替えながら・・・わかりました。「これ、誕生日プレゼント?」「そう」「開けてもいい?」「いいよ~。メッセージも入ってるからね」手提げの中に、セロファンで包まれたポロシャツが2着入っていました。封筒を開けると、メッセージが。「お母さん、お誕生日おめでとうございます。・・・」長男のお嫁さんからでした。仕事でニューヨークに行ったそうで、そこで買ったそうです。「好きなブランドで、私も着ています。向こうの方サイズなので、そで丈が長かったりするかもしれませんが、お父さんと自転車やバイクに乗るとき、着てください」だって。「いやあ、やっぱり女の子は違うねえ・・・良かったなあ・・・」なんてお嫁さんを持ち上げると、次男からも母の日プレゼントを貰ったことを言い、男の子の良さも語ってはりました。今朝、ニュースを見ながら、「日曜日は、雨みたいねえ」とちょっと残念な言葉を掛けると、「日曜日、プレゼントに貰った服を着なくちゃならないから、出かけるよ~」と、前向きな言葉が返ってきました。プレゼント、喜んでますね。早速着たいようです。「舞子駅まで行って、バスで淡路島はどう?」「電車で、どっかに行く?」って、僕的にはイマイチな提案がありました。「山崎に行こうか」「京都の山崎?」「いいや、播磨のおばちゃんがいる山崎」雨なので、自転車もバイクも出来ません。車で、中国道を走り、山崎ICからR29で北上し、「岩屋堂」、ローカル鉄道「若桜駅」、若桜の山城(降雨により無理そうだけど)、バイク隼乗りの聖地「隼駅」、R53を南下し僕の先祖「三穂太郎神社」に参り、美作ICから中国道で帰宅のコースを描いています。那岐山は、夕方遅くに大雨の予報が出てるので、朝早く出発し、夕方になる前に帰宅するタイムスケジュールです。距離的にはいけそうだけど、どうなるのかな?
2011/05/28
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5時少し前に目覚めました。微妙な時間です。4時ぐらいに家を出られれば、「丹波守護代・内藤氏の亀岡・八木城址」に登ろうと考えて寝たのに・・・多分その時間に一度目を覚ましたのに・・・バイク装束に着替え、未踏の峠越え道に行くことにしました。去年挑戦しましたが、がけ崩れ通行止めで退却しました。r12~R173~R423で北上。「乳の泉」で京都府・亀岡に入り、しばらく走り左折してr732。「堀越峠」で左折し、目的のR477「地黄」に抜ける林道に入ります。「能勢妙見山・奥の院」への分岐で、前回は通行止めでしたが、今回はバリケードなしでした。舗装されてるけど、「大丈夫か?」な細い林道を、セカンドとサードギア半々ぐらいで慎重に走ります。石ころは転がってるし、倒木や枝も路上にあるし、先週の雨によって川になった名残水がまだ流れてるところもあります。もちろんそれによる流枝も残っています。湿地があるようです。もちろん、誰にも会いません。こんな寂しい道で、会ったら怖いです。「ぐふふ」楽しい。去年、奥の院トレッキングの時、下りてきた道と合流し、既踏道になり余裕が出ました。野良犬施設が、朝から鳴き声でやかましいです。棚田で作業してる方に向かって吠えてるのでしょうが、これが毎日だから、地元の方に大迷惑です。R477・地黄の郵便局のところに出ました。奥の院の山の裏側を回ったということです。「野間神社」前を西進し、R477バイパスに出て、それに乗って北上。「能勢氏の丸山城址」のある丸山の北で左折、また枝道です。この道、丸山城址の裏なので、堀切が道になったのだと想像しています。かなり深い堀切で、北からの防備をしたのでしょう。石仏さんが数体並んだところ、石仏さんが祠に入ってたりします。この峠は、その名もズバリ「仏坂峠」というらしいです。最近知りました。ここらは、能勢氏が信仰した法華経勢力が強く、石碑に法華経が刻まれています。r106側に下りてきました。続いて、2本目の未踏峠探索です。r106をゆっくり南下します。r4交差点を越え、西側の山の地形を見上げながら、西進する枝道を探します。「ん?ここかな?」入ってみます。「大丈夫かなあ?」な道を上がっていると、BMWのオープンカーが下りてきました。どう見ても地元車ではなさそうです。「あんな車が通れる峠なのか?」標高を増すと、何と道が広がりました。中央線まであります。「坂井峠」想像してたのは、「仏坂峠」のような道だったので、これは驚きです。r104に合流、さらにR173に合流。これで、予定の峠メニューを全てクリアしました。まだ時間がありそうなので、もう一本。「民田」からr603「阿古谷」に抜け、「阿古谷川」沿いを下り、r12・旧道に出て帰宅しました。2時間少々・70kmほどのショート・ツーリングでした。堀越峠~地黄林道2
2011/05/27
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最近の僕、月曜・夜10時といえば、NHK・ETV「チャレンジホビー・自転車で旅をしよう」です。お笑いの男爵さんと安めぐみさんが、先生についてロードバイクに挑戦しています。僕のロードバイクレベルは、男爵さんより体重がない分マシで、安めぐみさんと同じぐらいかな?家内と一緒に見ていますが、家内は途中でダウンか、始まる前にダウンして寝ています。速く走ろうなんて、僕らの「夫婦で自転車」では求めようもなく、お二方同様、ゆっくりでいいから楽しく走りたいレベルなので、楽しく拝見させてもらっています。それにしても、安めぐみさんは可愛いです。ETV「サイエンスゼロ」の司会でも、毎週のように見ていますが、チャレンジホビーの方が、素が出てさらに可愛いです。喋り方というか・・・ 仕草というか・・・「安めぐみさん、可愛いなあ」なんて言ってたら、彼女のピンク系の可愛いスカートが気に入ったようで、家内も自転車用じゃないけど、対抗して買って来てはりました。次の日曜日は、久しぶりに家内と休みが重なります。自治会の地区掃除を朝一番にやっつけてから、何処かに行こうと思います。早朝出撃できないので、遠くにはいけないけど、土曜日からの雨が残るようならかえって都合がいいです。さあて、どういうメニューにしようかな?
2011/05/26
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また雨が止んだので出発。12時半なので予定通りです。ここから「金屋」まで長い下りです。「龍神スカイライン」じゃない方のR371に入ります。旧道なのかな?この道、高野山のとこからすぐに細めの舗装山道でした。しばらく走ると道路が広くなり快走路になりますが、ここで雨脚が強くなってきました。「こりゃあかん」樹の下に避難し、車載カメラを収納し、カッパを上に着ました。夏用メッシュジャケット&パンツの上に、ダイワブランドの釣り用カッパ上下を着ているので、平気なんでしょうが、ここは無粋な色合いだけど職人さん用のしっかりしたカッパを上から着ます。その後、「金屋」到着まで、時雨雲が来ると降り、通りすぎると上がる繰り返しでした。いくつかの交差点で迷い、じっくり地図を見て正しい道を選択できました。交通量のない楽しい道でした。こんな不便な山奥でも集落があります。日本人凄いです。20~30km/hでしか進めない細いワインディング・ロードですが、こんな道好きです。木々が切れると、山並みが広がり、谷底が見えない渓谷にビビります。高所恐怖症気味だから、遥か下が見通せると、足から血の気が引くのを感じます。北摂の低山とは、スケールが違います。この道、延々走っても、地図上ではなかなか進みません。R480になり、「有田川」上流沿いを下ります。深山の渓谷道が終わり、道が広がると、「道の駅・しみず」の案内がありました。休憩しようと案内に従って橋を渡るも、どこにあるのか見えへん。国道沿いに道の駅作らなわかりませんがな。R480に戻り、少し下ると、「あらぎの棚田」の案内がありました。棚田百選の上位ランクで、近畿ではトップランクの棚田です。国道から見えると思ってたのですが、少し逸れて山道を2分ほど走ります。50人ほどの団体さんが下ってきます。見物の柵があり、30人ほどの人がいます。この人ら何処から来たんだ~。ずっと交通量のない道を来たので、ちょっと驚きました。小雨でしたが、円形棚田が有田川の蛇行で残された土地に・・・見事です。ちょうど田植えの時期で、観光客さんが田植えをしています。お百姓さんが指導する観光田植えなのでしょう。R480に戻り、すぐに「道の駅・あらぎの里」がありました。棚田で激写休憩したのでパス。「二川ダム湖」がありました。赤い吊り橋に惹かれて停車。高所恐怖症気味克服のため、橋の1/3ぐらいまで歩いてみました。雨に打たれる静かなダム湖がいい雰囲気です。吊り橋上で、傘差して一眼レフ構えるおじさんがいます。きっと棚田からの帰りでしょう。r182への分岐がありました。Mさんのみかん畑はこの道沿いだと思うけど、雨降ってることもあり、この枝道はパスしておとなしくR480を南下します。金屋に下りてきて、「道の駅・明恵ふるさと館」に入りました。Mさんに電話して道順を聞こうとすると、「近くだから、迎えに行きます」と。お宅は、すぐ近くでした。農園の脇に住んでおられるのかと思ってましたが、街中でした。子供の学校のこともあり、住むのはこっちの方がいいよね。まあ街中とはいえ、南も西もみかん畑で、西のみかん畑の向こうの竹林は、有田川土手とのこと。「う~ん、羨ましい環境です」ちょうど12時に到着したので、お昼をご馳走になりました。こちらは午前中、結構な雨が降ったようで、農園作業はしなかったそうです。浜で買ってきた「しらす」と「かつお?の刺身」を頂きました。僕の為に買いに行かれたのでしょう。申し訳ないです。ここから3時間以上、おしゃべりしました。南の山から、雨雲の霧が晴れていき、竹林にいるというキジの鳴き声が時々聞こえ、羨ましい羨ましい自然を堪能させてもらいました。おしゃべりのうちに、空模様は晴天にまで回復しました。予報より数時間、天気の流れが早くなったようです。カッパをしまい、通常春秋ルックで帰路に着きます。お土産に、しらすをもらっちゃいました。ご飯&しらす&自家製タレがうまかった。下ればすぐに有田ICです。海南までの上りはいつも混むのですが、2日前に上りも2車線になったようで、渋滞解消成ったようです。でも天気も良くなり、高速じゃあもったいないので海南まで山越えすることにしました。Mさんから教えてもらったルートは、3月に「南部梅林ツーリング」の帰りに使った道r18でした。あの時は、10台ぐらいのグループツーリングだったので、ついて行くので必死で、景色を堪能する余裕はありませんでした。R480からr18にルートチェンジ。楽しいワインディングです。海南側に出た時の景色が最高です。激写タイムしました。「海南東IC」から阪和道に乗り、「紀の川SA」で休憩。ガソリン補給、242km/6.75L=35.9km/L。山の中を2速・3速多用だったのに、伸びますね。雨だったのにバイクが30台ぐらいいます。山では会わなかったけど、僕同様、雨平気バイク乗りも多いようです。「貝塚SA」で2度目の休憩。そして、家まで一気に帰りました。ああ面白かった。念願のMさん宅訪問も出来た、有意義な1日でした。
2011/05/25
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日曜日は、バイクで四国初上陸の予定でした。しかし、天気予報は無常にも雨・・・四国カルスト目的なので、山の上は更に雨だろうと考え、清く断念することにしました。晴れの国・岡山、和歌山・奈良南部・兵庫北部などの天気予報を調べ、和歌山・金屋の丸山さんとこの農園を訪問することにしました。友人Mさんにコンタクトすると、在宅のようでOKです。高速でブーンと行くだけだとつまらないので、高野山から有田川沿いを下るルートにしました。高野山への登りも既走の道はつまらないので、新規開拓です。下市市からR309~r20~R168~r53が、良さ気です。高野山より標高の高い峠を通るみたいで、山深い紀伊山地の景色に期待できそうです。高野山の天気予報は、15時から雨なので、このルートだと、5時出発~下市7時~高野山9時~金屋12時なので、山の中で雨はなさそうです。平地で雨に降られても、雨平気な人なのでどうってことないです。4時台に目を覚まし、5時過ぎに出発できました。まだ早いけど、まずは給油。147km/4.63L=31.7km/L。早朝バイクで、山城に上ったり、峠三昧したのに素晴らしい燃費です。北の空に暗い雨雲が浮かんでいます。ここらは午後から雨の予報だけど、今にも降ってきそうです。中国道~近畿道・松原JCT~西名阪・柏原IC下車。近鉄南大阪線沿いを南下したところで、GPSをON。「下市駅」までルート案内お願いしました。右手に「葛城山」「金剛山」の勇姿を望みながらr30を南下。楠木正成の本拠ですね。いつか「千早赤阪城址」なども探索しなきゃね。GPS指示に従って、R309で下市到着。予定通りの時間です。天気は晴れ。「雨なんか降るの?」って感じの行楽日和です。紀の川を渡り、R309を進みます。もうGPSルート案内切って、現在地表示のみです。大まかな方角さえ間違っていなければ、道標と野生の勘で迷うのもまた楽しです。ルート案内されてると、道標や東西南北を考えることをしないようになるので、ツーリングとして面白くないんです。で、いきなりr20への分岐をロストしました。「行き過ぎたな」と感じ、止まってタンクバックの地図見て、アナログ・リルートして、r20に乗りました。最初、拍子抜けするほどいい道でしたが、だんだんそれなりの山道になり、景色を楽しみながらのんびり走行です。交通量がないのがいいです。R168に合流。この道は何度も走ってるので、気楽なものです。交通量も少ないし、追いついてくる高速車に上手に抜いてもらうだけです。「道の駅・吉野路大塔」でトイレ休憩を取りました。目の前に、「天誅組本陣跡」があります。資料館もあったのですが、まだ開館前の時間で訪問はできませんでした。出発しようかなと思ったら、パラパラと雨が落ちてきました。山に入ってから雲が出てきたけど、予想外に早い時間帯の雨です。でも車載ムービーを収納するほどの雨ではなく、すぐ上がりそうです。幸いすぐに上がり、「猿谷ダム」からr53に乗りました。ところが、GPSでは東に向かってる・・・あれ~・・・r53は合ってるけど、反対方向に走ってるようです。Uターンです。静かなダム湖では、バス釣り?ボートが出ています。素敵な景色なので激写数枚。r53は交通量ほぼゼロの道でした。でも案内板がしっかりしてて、迷うことはありませんでした。細い舗装山道でどんどん上ります。木々の切れ間から、雄大な紀伊山脈の連なりが望めます。素晴らしい景色です。激写タイム。高野山から橋本に下りるR371のトンネルのところに出ました。また小雨が降って来ました。奥の院横から金堂の方に、高野山メインルートを進みます。和菓子屋さんを見つけ寄ります。6個入りの和菓子をお土産に買いました。葛餅が美味しそうだったので、店内で頂きました。
2011/05/24
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数日前、4時過ぎに目がさめたので、「早朝バイク」に出ました。出勤まで3時間以上あるので、少し遠出です。先月チャレンジして、アプローチ道が見つけられず撤退した、「神尾山城址」に再チャレンジです。r12・旧道~R173、ウィークデイなので走れるr604~r106で北上します。R477との交差点手前で左折し、気になっていた道を走ってみます。摂津国と丹波国との国境である「ひいらぎ峠」に至るので、旧街道と思われます。寺社・旧家探索です。屋根は替えられていますが、立派なお宅がありました。「ひいらぎ峠」で休憩。R477を亀岡側に下り、R372との交差点手前で左折します。前回は、もう一本手前で左折し、ロストしました。旧街道を西進しながら、目指す神尾山と照らし合わせ怪しげな道を探索します。Uターンして目星をつけた交差点で曲がり、山に向かいます。「金輪寺」という小さな案内板を見つけ、この道がビンゴだったことがわかりました。城址のすぐ下に「金輪寺」があります。GPSをONすれば、案内してくれるのですが、野生の勘で見つける喜びの方が、いいものね。中央コケのコンクリート道という素敵だけど、少々緊張する道を上ります。ここで、まさかの・・・山歩き装束のお父さん・息子2人という親子連れとすれ違いました。「こんにちは」こんな道で人に会うとは・・・「金輪寺」駐車場に到着。そこに謂れ板がありました。奈良時代最後の創建の天台宗寺院で、国指定のものなど重要文化財が数点あるそうです。「神尾山城」は、全国史では、明智光秀の丹波平定の最難敵・波多野氏を高城山・八上城に兵糧攻めし、和議成ってここで光秀と対面したことが残ります。信長以前は、丹波守護代・内藤氏、それを討った丹波最強・波多野氏とともに勇猛で知られた柳本賢治の居城で、守護・管領細川家と三好家との京都を巡る抗争に何度も駆り出されている。機内・近国の合戦を読むと、時々顔を見せます。「金輪寺」は、修理中でしたが、裏の道から「神尾山城址」に登りました。「金輪寺」側からは10分ぐらいで、主郭があったと思われる山頂に達します。途中、素人目にも段曲輪跡と思われる人工的な扁平地が見られる。空堀も縦堀と思われる地形も見られ、少しですが石垣まで残っていました。なかなかの保存状態で、登った甲斐がありました。松尾芭蕉が謳った「強者どもの夢のあと」は、単なる原っぱ・河原でしたが、こういう打ち捨てられた山城こそ、当時の様を想像させる「夢のあと」のように思います。往路の逆ルートで帰宅しました。神尾山城址4
2011/05/23
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東京電力の社長が交代するようです。当たり前ですね。大事故を起こして、初動の重要な時期に入院してちゃ、話にならないです。体調が悪かろうが、動けるなら這ってでもカメラの前に出て謝罪しなくちゃ。自分に体調不安があるなら、すぐにトップ交代して、トップが陣頭指揮に当たらくちゃ。そういう心意気が、世間に受け入れられ、全社員の士気を高めると思う。中小企業トップのバイタリティーがないなあと思う。僕が、平安~室町~戦国時代の武将に惹かれるのは、トップが先頭に立って戦に望み、討ち死にすれば、一族郎党が結束して次の当主を立てるから。トップは、支配地や一族郎党の利益を守るために、戦に臨む。朝のニュースで、原発避難指定地域の2度目の一時帰宅と、地域の復興に全力を注ぐというコメントが流れていた。避難指定地域が、指定解除になると思っているのだろうか?僕は、チェルノブイリの先例を見ても、最低数十年は無理だと思う。半減期数日のヨウ素131はまだいいとして、セシウムの半減期が30年らしい。それが土壌に積もっているのだから、放射線を放出しなくなるまで、そこで暮らせないのは僕でもわかる。「復興に全力をつくす」などの僕から見れば絵空事を並べるより、辛い事実でも「この地域は50年使えないでしょう」と現実的な将来像を伝えないといけないと思う。僕は、事故数日後、燃料棒が水から出て冷やせなくなったと報道され、メルトダウンしたと判断した。この日記にも書いたが、やっと東電が認めました。燃料棒が水から顔を出し、冷やせなくなったら溶けると言われてるのに、原子力の専門家は当然そうなることを知ってるのに、確認できるまで言わない。「最悪こうなる」「たぶんこうなってる」と、言わなきゃいけないでしょう。「国民がパニックを起こす」ということで、言わないのだろうが、馬鹿にしてるものだ。日本国民は、もっと賢いと思う。とても生活できない地域は、早く切り捨て全額保証し、復興できそうな汚染度の低い地域に復興資源を投入すべきなんじゃないだろうか。辛いけど、その線引きをしないと、中途半端に被災者を苦しめると思う。僕が学生を卒業して数年後、父親が癌で余命半年と宣告された。それで、僕の気持ちが吹っ切れた。父亡き後を考え、商売の人員配置やルーチンを見なおした。父の看病は母に任せ、その後僕が当主として、母・僕の家族・弟・従業員さんの生活を守るために、仕事に集中した。大胆に、父を仕事から外した。幸い父は持ち直し、僕の息子たちが成人するまで命を永らえたが、あの時医師が父の余命をきちんと教えてくれたことを今でも感謝している。「父を直すために、全力を尽くします。死が確認できるまでは、将来を軽々に口にできません」では、ズルズルと中途半端なままで、気持ちの切り替えができません。原発周辺の多くの被災者が、「こりゃ先祖代々の地も捨てなきゃなんないな」と思って、次の永住の地に移動し生活に踏み出そうとしているだろう。僕が原発から10kmに住んでいたなら、とうに諦めて、家族や親戚にそれを伝え、行動を起こしているだろう。そして、当地での生活再建など考えず、東電と全額保証交渉を始めるだろう。歯切れの悪いどっちつかずの言葉は、非常時には迷惑なだけです。電力会社も、1つの事故で超優良会社でさえ一発倒産し、数十万人の人の生活基盤を一瞬にして奪うような設備は、考え直さなあかんわ。企業として、社会的存在意義があるのか自ら考えないと。
2011/05/21
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昨日、「早朝自転車」を少し早めに切り上げました。前ギアに入れたとき、変な音がします。「ギアの変速がおかしいみたい」昼休みに帰宅し、自転車屋さんまで乗って行って見てもらい解決しました。原因は、シートステイに固定してる携帯空気入れが外側に少しずれていて、それがチェーンに当たってるだけでした。「あっ、これだね」と自転車屋さんに言われ、はい解決。「自分で気づけよ!」って、自分に突っ込んでおきました。「お騒がせしました」と低頭して退散。朝、早めに切り上げたのは、これだけが原因ではありません。帰宅後、通勤リード110に2人乗りし、車の通らない道に行きました。そこで、30分ほど家内のバイク練習です。川を挟んで右岸と左岸を橋を渡りながらオーバルコースします。ウインカー忘れてるし・・・スピードにメリハリないし・・・、でもこける感じは全くせず、気持ちよく走ってる風に見えます。いいんじゃないのかな、これで。などやりながら、新企画「バイクで北海道」が着々と具体化しています。来月後半に旅立ちます。7月からがラベンダーの季節でいいらしいけど、観光客が増え、いろいろ高くなるし・・・、それに案外雨が多いみたいです。富良野の辺は、6月が最も雨が少ないらしいので。3日間しか時間が取れないので、富良野・美瑛に絞って北海道バイクを体験してこようと思っています。バイクは千歳空港でレンタルします。フェリーだと、北海道に入るまで1日半、出てから1日半必要です。時間貧乏の僕には、ブルジョワな乗り物です。6月の平均気温は、最高気温で20度、最低は10度。道中、標高の高いところも走るでしょうから、最高で10度を覚悟しています。大阪の冬気温です。ということで冬服装で行きます。近所の旅行社に行き、往復の飛行機を手配しました。4万円。長男が、マイレージで切符買ってあげると言ってくれてるのですが、自分は我慢する親分肌の所がある子だから、親父だけの旅行に使わせたくないです。また母親が一緒の時、お願いします。レンタルバイク屋さんに電話しました。昨秋に、系列の上野店でバイクを借りて2人乗り東京ツアーしたので、僕は会員さんになってました。CB400SB保険付・2日間25000円+レンタルヘルメット1200円+GIVIボックス1700円+電源ソケット500円+車両保険4500円で、借りる前に32125円払って、3時間ほど超過するだろうから、超過分は後払いするそうです。北海道は、スキーでしか行ったことないので、楽しみです。
2011/05/20
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先週土曜日、朝5時前に目がさめたので、「早朝バイク」に出ました。田植えの季節になったので、「長谷の棚田」の風景が変わっただろうと目的地にしました。お気に入りのr12・旧道を北上し、r604で阿古谷集落を抜けて「三草山」の肩を越えて長谷を目指しました。三草山の北側に下ったところで、キジを発見しました。畦道を歩いていました。オスのキジで綺麗です。しきりにあの声で鳴いてたので、メスでも探しているのでしょうか?きっと恋の季節です。一眼レフを出動させていたので、パシャパシャいい写真が撮れたでしょう。続いて、いつもの交差点で左折し、長谷川沿いに「長谷の棚田」方向に入りました。鷺が田の数話降りており、いつもながら素敵な景色です。数度、激写タイムを繰り返しながら、「才ノ神峠」まで上がりました。ここで大失敗に気づきました。一眼レフの記憶媒体挿入を忘れていました。よって、キジさんの写真も残っていません。「ああ~」気をとりなおして、「槻並」方面に下りはじめました。車ではとても走れないコンクリート舗装路を、慎重に下ります。セカンドでもスピードが上がる勾配です。急カーブもあり、僕の技量では上りはきつそうなので、下りでしか走っていません。数日前の雨で、この道は川になったようで、その運搬物が路上にたくさん残っていました。「槻並」の集落に下りてくると、藤の花が路肩からいくつも下がっています。r12・r329・r33で帰宅しました。2時間ちょっとのお散歩です。長谷の棚田~才ノ神峠2
2011/05/19
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2時を過ぎ、ここから帰路です。旧西国街道で帰るつもりですが、ダイレクトに狙うと車の多い京都中心部を通るので、「今出川通」を西進します。「同志社」「御所」を通過。家内が「同志社小学校は、ここにあるのね」だって。今回、新兵器を投入しました。ヘルメットに付けるバイク用インカム・トランシーバーです。「デイトナ・クールロボ・イージートーク・ワイヤレスインターコム2台セット約2万円」。PTPスイッチ操作など必要ない双方向性インカムです。常時繋がってるので、電話で話しているような感じで、走行中、横向いて大声で話すなどしなくてもOKです。これは大変便利です。単4電池1個で使えるので、電源確保が簡単です。エネループ予備2個用意してたので、1度交換しましたが1日OKでした。道は、「京福電鉄・嵐山線」の側道になり、知らんうちに、「大沢の池」の横を通る道になりました。「嵯峨野」まで出て、「嵐山」に向かって南下。嵐山は、相変わらずの人でした。ちょうど今日は、京都三大祭の「葵祭」でした。御所~下鴨神社~上賀茂神社のコースなので、当然これにかち合うと当該道路は通行止めです。昼食を下鴨神社で摂るようなので、走る時間帯をずらしました。「渡月橋」を渡り、阪急電車に沿ってR9まで南下。道なりにr67で「向日市」。ここはもう「旧西国街道」です。平安京の前10年ほど都があった「長岡京市」。「大山崎」で「油座」の全国総元締めの「離宮八幡」で休憩。サントリー大山崎工場をかすめ、「JR島本駅」横で休憩。ここは、ずっと後醍醐天皇・南朝方だった楠木正成・正行親子別れの場・「櫻井の駅」跡です。僕はアイス、家内はヨーグルトを駅前コンビニで購入し、ベンチに座って食べました。続いて「郡山宿」で休憩。旧道は、長屋門のある旧家や趣きのある寺社が時々出現し、速度は出ないけど楽しいです。箕面・牧落交差点からR171・西国街道現道でギューンと帰ってきました。京都~自宅は下道でも2時間なのに、寄り道ばかりで4時間、帰宅は7時前になってしまいました。でも家内が一緒だったので、楽しい1日になりました。このインカムは、ツーリングで2台で走っても会話しながら走れそうです。ナイスなアイテムです。
2011/05/18
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r50に入り、「越畑」を越えた次の集落・たぶん「嵯峨密原」で、素晴らしい古民家を見つけました。立派な家だなあと見上げていると、ここらの家は総じて立派です。こんな標高の高い山奥にあるのに、この集落の経済力は何故?なんて考えてしまいました。「JR保津峡」に向かう下りに入り、柚子畑が山肌に現れ、そして「清和天皇陵」がありました。バイクを置いて、御陵まで歩きはじめましたが、片道20分の案内板を見て・・・往復40分かあ~・・・と断念しました。軟弱夫婦です。3月末にここを通った時は、路肩に雪があり、JRまで対向車1台だけでしたが、この日は天気が良く、バイクにロードバイク・ハイキングの人と、数組とすれ違い、この細い道にしてはきっと大賑わいでしょう。上り坂を平地同様のスピードで上がっていくロードバイクに驚かされました。僕らだったら、歩いています。「JR保津峡駅」で休憩です。3日間の雨の影響で水量が多く、駅の下を保津川が勢い良く流れています。こんなだったら船頭さんは漕がなくてよく楽ですね。その分、岩を避ける竿さばきが冴えないといけませんが。駅にはロードバイク2台、バイク2台、電車から下りてきたハイキングさん数名がいました。露天売店が開いており、烏龍茶ボトルと玉子を購入しました。おばちゃんに「ゆで卵ちょうだい」と言うと、「出汁玉子」の方が美味しいよとのこと。そっちを食べました。お蕎麦のつゆに3日間漬けとくといいんだって。嵐山・嵯峨野方面に出発。すぐに、「トロッコ保津峡駅」で、また休憩。橋を渡っていると、保津峡下り船がやってきたので手を振ります。観光船のお客さんが皆さん手を振り返してくれます。ちょうどそこにトロッコ列車到着。例の鬼さんがご乗車。きっと小さな子を泣かすのでしょう。出発の合図が鳴ったので手を振ります。沢山の方が振り返してくれます。観光地の地元の人(僕は地元じゃないけど)と小さな交流があると、それだけで印象アップだからね。世の中、楽しく行きましょう。さらに下り、自転車の場合の最大の難所・「六丁峠」に差し掛かります。バイクだから平気だけど、自転車だったら歩き押しだね。峠を越え、嵯峨の赤鳥居に下りてきました。その先は、朝8時からバイク通行禁止です。夏に長男夫婦と歩いた「嵯峨野五百羅漢」の方に進み、「清滝トンネル」手前から嵐山方面に下ります。「大覚寺・広沢の池」に寄り道。お寺なのに菊の御紋が入っています。謂れを読むと、京都に遷都した桓武天皇の20年後に即位した嵯峨天皇が、ここに別邸を造営し別御所だったそうです。それで、菊の御紋なんだ。続いて「広沢の池」、大沢の池より広いです。世界遺産ロードを東進し、「仁和寺」「龍安寺」「金閣寺」前を通過します。「加茂川」「高野川」を越え、東大路交差点から南下して百万遍に至りました。百万遍駐車場は、長蛇の列。この界隈の喫茶店外にも行列ができています。百万遍知恩寺さんには、分骨の下調べで数度来ていますが、観光ルートから外れ、いつも閑散としています。ところが・・・「なにこれ?」って家内が驚いています。僕も驚きです。ここまで、「百万遍・手作り市」が人気だとは知りませんでした。いつものイメージで来ました。百万遍交差点を銀閣寺方面に東進し、歩道にバイクを停め、百万遍さん境内に入ります。ものすごい人です。子供の頃のデパートや、正月のえべっさん状態です。出店者は自らテントを張り、思い思いの手作りの品をテーブルに並べています。この大勢の人の中を全部見てまわるのは至難の業と思われます。この状態なら、僕らの没後も賑やかそうです。適当に切り上げ、昼食に。前食べた「京大テラス」に向かいましたが、ここも並んでいます。家内から「京大学食」を提案され、歩いて向かいました。体育館の手前の「関西日仏会館」前を通ると、ここにもレストランがあるみたいです。ここにしました。ちょうど、「英検」ならぬ「仏検」の試験日でした。日仏会館で仏検なんていいですね。まさか仏教の「仏教検定」の略じゃないと思うけど。フランス料理なのでしょう、昼食コース料理を食べました。1500円。家内はケーキ300円も追加してました。京大サークル 「ウェルかも」 鴨川で楽しくゴミ拾いだって
2011/05/17
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昨日の日曜日は、15日でした。以前から訪問してみたかった毎月15日に境内で開催される「百万遍知恩寺さんの手作り市」に行ってきました。僕ら夫婦は、智恩寺さんに分骨しようと思っています。家内の実家は、京都・永観堂さんに分骨しています。僕らもそれに習い、我が家のお寺さんの本山・浄土宗智恩寺さんにお世話になることにしました。浄土宗総本山・知恩院さんの下の本山七大本山の1つです。浄土宗開祖・法然さんが加茂川で教えを説かれた屋が前身とか。後醍醐天皇の世、京都を襲った疫病平易のため、当山住職が百万遍祈祷し、流行病を退治したそうで、「百万遍」の名を後醍醐天皇から賜ったそうです。まあ僕らの希望はそうだけど、長男が「骨を2ヶ所に分けるなんて、あかん」と言えば、分骨にならないけどね。家内の実家のお墓にも参るけど、京都・永観堂に参るのを口実に、定期的に京都訪問してる生活もいいなと感じています。最初、亀岡から自転車で保津峡沿いを走って嵯峨野まで下り、そこから東進して百万遍を目指そうと思っていましたが、数日前に3日間も雨が続き、亀岡~JR保津峡間のがけ崩れ多発箇所が危険な状態かもと思い、通勤リード110ccタンデムにしました。日曜日は、その前に一仕事しました。バイク友人のグッチさんが、自転車でしまなみ海道を渡ったTV番組を録画したので、それをダビングしてくれるということで、その受け取りに西宮北IC付近に7時の約束です。6時に出れば間に合うだろうと、5:30に家を出発し、1時間も早く着きすぎたので、有馬川探索、北六甲台住宅地内で景色のいいところを探索、生野高原住宅地から三田方面を眺めたりしました。待ち合わせ場所のローソンに30分前に到着すると、Gさんは既におられました。今日は車です。ブルーレイディスクを受け取り、少々あ~だこ~だしゃべり、R176で帰宅しました。予定より早く7時過ぎに帰宅しましたが、朝食とか朝風呂とかして8時半に出発です。r12・旧道~R173~R477で「亀岡」に入り、r73で「八木」でR9合流。ここのGSで燃料補給とタイヤ空気圧チェックです。これから山道なので、準備は万全に。R477を走ってると、ツーリングバイクが抜いていきます。さらに10台ぐらいのツーリング集団に道を譲ります。この10台、R9でガソリン補給の時、前を通り過ぎた集団です。遠回りしたみたいですね。女性ライダー数名、子供タンデム1台、と和やかな感じです。r50との交差点「廻り田池」で激写タイム兼ねた小休憩してると、あの10台が戻ってきて同じく休憩されました。休憩中もツーリングバイクが、2組ほどR477を東進していきます。
2011/05/16
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通勤リードに、新装備を投入しました。「デイトナ・エアロショーツスクリーン・リード110用・14000円」昨年12月に、VTR250に「ガイラシールド大」を投入しました。その結果、胸に当たる風がなくなり、冬バイクで胸の寒さから解放されました。自作・ハンドルカバーで、手の寒さからも解放されました。副作用で、高速道路燃費が15%改善され、バイクでの風対策の有効性を切実に感じました。そこで、片道10分通勤とショートツーリングにしか使わないけど、リード110にも風対策をしてみたくなりました。通勤では、真冬でも雨でもリードに乗ります。冬は、胸の寒さを感じ、雨の時は、もう5年は使ってるくたびれたカッパ使用もあり、長時間運転すると、胸のところから下の服も濡れてきます。VTRで、スクリーンは雨対策にもなると実感したので、シールドを付けることにしました。いろんなのが出ていました。銀行さんカブ仕様の大きなのが、効果抜群であるのは容易に想像できますが、あれを付けてしまうと、バイクカバーが使えません。バックミラーぐらいの高さがあるものがあれば・・・ありました。でも、カラーがスモークしかありません。クリアの方が、いいんだけど・・・でも、これ以外に良さ気なのがないので、デイトナさんにしました。自分で取り付けました。30分ぐらいでしょうか。朝めし前にやっつけました。スクリーン専用ステイを、バックミラー基部ネジに取り付けてお終いです。専用ステイに、バックミラー取り付け穴があるので、そこにバックミラーを取り付けます。単純に取り付けただけで、バックミラーは左右とも2cmほど外側・上方に移動します。僕は、後方視界を良くするために、元々バックミラー取付基部に1段ネジ下駄を履かせていたので、さらに上方に2cm上がりました。これにより、さらに後方視界が良くなりました。そして、スクリーン本体も2cm上がり、風防効果が上がりました。オリジナルの高さだと、スクリーン上縁を超えた風が、喉とジェットヘルスクリーン下部に当たるかんじだったのが、喉に当たらなくなりました。2日間、これで通勤しましたが、Goodです。前方からの見た目も、スモークカラーなので、引き締まった印象になりました。でも、僕の好みはクリアの方だけど。バイクカバーも、今までのものが使えて問題なしです。
2011/05/14
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日曜日、岡山広域農道ツーリングから帰宅して、バイクの手入れをしました。帰りに、チェーン擦れの音が聞こえ始めました。月1回ぐらい、チェーンにオイルを差さないといけないらしい・・・毎回、ツーリングから帰って来る度に差してる人もいるらしい・・・僕は、マメにバイク屋さんに定期点検出してるけど、日頃のメンテナンスが疎かです。メンテスタンドでバイクを立て、チェーンクリーナーとチェーンルブで、しっかりとオイルの手入れをしました。家にはまだ家内は帰っておらず、風呂に入りました。早朝の高速走行だったので、厚着し過ぎでした。途中1枚脱いだのですが、それでもまだ暑く、結構汗をかいてしまいました。ここは家内が帰って来る前に、さっぱりしなくちゃ。というのも、六甲山山頂に夜景デートの約束があるからです。風呂から上がり、「もう終わったかな?」と家内に電話。応答なしです。しばらくして電話が掛かってきました。大阪の会合の終了が少し遅れたようです。最寄り駅に迎えに行き、逆瀬川から山頂に向けて上ります。山頂は、やはり寒かったです。大坂のホテルでの会合用のスカートと薄着なので、僕のジャンパーを貸してあげました。いつも思うけど、女子は寒がりのくせに、なんで薄着なんだ?家内のカメラも持って行ったのですが、靴も持って行ったら良かったようです。ハイヒールは、しんどいよね。景色のいいお店で、お肉の載ったお弁当で夕食にしました。暗くなってきて眼下に夜景が広がっていきます。家内のお目当てだった「六甲枝垂れ」も点灯され綺麗です。この時間になると、お若いカップルが目立ちます。今でも、デートスポット健在のようです。夜の気温が上がるこの時期、夜景を観たくなります。前は、日本三大夜景・六甲摩耶山にケーブルとロープウェイで登りました。車より、ケーブルカーなんかで登る方が、雰囲気出るね。また逆瀬川に下り、楽しい1日が終りになりました。
2011/05/13
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昨日は、1日雨でした。仕事で垂水に行く用事がありました。電車で行けば楽ですが、面白く無いので、通勤リードで出撃しました。西宮から須磨までは、阪神高速の下を走るR43で西進しました。内側車線を走ると、高速道路が傘の代わりになって、濡れません。快調に走りながら、そういえば阪神の震災の時、この高速は横倒しに倒れてたんだなあと、感慨にふけりました。用事を終えての帰り、行きに見えてた高層マンション群のあるところに寄り道しました。神戸長田・・・震災の時、一面焼け野が原になったところです。昔ながらの低層地区に、再開発で、高層マンションが数棟建ちました。行きの雨の中、それの高層階が霧に隠れて見えませんでした。よくTVで紹介されていた長田の市場のアーケードを見てみました。自転車やバイクがアーケード入口に停められ、お買い物のお客さんがたくさんでした。そして、長田駅前広場に・・・巨大鉄人28号が、雨の中右手を斜め上に伸ばして、頑張っていました。10年後も、ここで頑張っててほしいな。前の日曜日を前にして、次男から母の日プレゼントが届きました。「ピンクの紫陽花」です。家内は大喜びで、食卓に飾り、続いて玄関に飾っています。去年僕が父の日プレゼントでもらった「盆栽の松」と並ばせて、記念ショットを写して、次男に送っていました。何にも言わないのに、ありがたい事です。「来月の父の日に、また盆栽が送られてくるんじゃない?」と家内。「え~、去年の盆栽はギャグやろ」と僕。親父がいなくなって、庭の手入れが僕の仕事になったけど、基本趣味ではないし。草花や樹花を愛でるのは、人並み程度だし。息子たちも、父親が和服着て盆栽いじってる姿なんて想像できないと思います。去年、盆栽が送られてきたとき、「あいつ~」って笑ってしまいました。その時、頭に浮かんだのは、波平さんの姿。僕は、頭のてっぺんに髪の毛1本・・・にはなりたくないなんて。こうやって、我が家も僕ら夫婦が親から世代を継いだように、次世代にバトンタッチして行くのだろう。我が家も、阪神高速同様、あの震災のえらい損害からなんとか持ち直すことができた。東北も、10年後、新たな顔をして蘇っているでしょう。唯一の不安要素は、原発。どこまで被害が広がるかわからない。原子炉に注入した水の相当量が行方不明だそうな。海に流れだしてるのは明白。さらに、原子炉核燃料が今のままおとなしくしてる保証はない。内側から高温で格納容器を壊して露出する勢いで進んでいると、僕は思ってる。半径30km圏内退避で済むのか?チェルノブイリの先例を考えると、最低数十年は立ち入り禁止です。こんなことが各地の原発で起これば、日本という国が存在できなくなりそうだ。事故を制御できないような技術を、僕らは使ってはいけない。多くの生命が、脈々と世代交代を繰り返してきた地球、今その将来のキャスティングボードを握ってるのが人間。牛だって馬だって、猿だって鹿だって、細菌さえもみんなつながり合って共存してる。避難地域におられた方の無念さを思うと心が痛む。先祖代々耕してきた農地を捨てる人も多いだろう。我が子に、それを渡せないんだ・・・我が家の本家が、その地域に指定されたら、どんな気持ちになるだろう。指定地に田舎があって、都会で暮らす人も多いだろう。今度の原発事故で、トレジャーハンターの映画で主人公が発見するスーパーパワーを持つ禁断の箱を元の場所に戻すシーンが脳裏に浮かびました。スーパーパワーを、元の場所に戻す時期なのかもしれない。
2011/05/12
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またフリー走行です。「岡山自動車道」を中国道合流の「北房JCT」まで走り、西に向けて中国道に合流して、すぐの「北房IC」出たとこで集合。Gさんは僕のより非力なシングル223ccなのに、スーッと行っちゃいました。後ろから見てると、運転もスムーズで、僕もあと10年ぐらい乗ったら、あんな風に乗れるようになるのだろうか?CB223はウインカーが小さいですね。「曲がりそうだな」と見てるからわかるけど、意識していなければ、日中は見落としそうです。追突されそうで、危ないかも?「北房IC」は、今年「吉備路~高梁・松山城」ツーリングしたとき乗ったICです。その時利用したR313を高梁の方に少し戻り、ここから2本目の広域農道「奥吉備街道」が始まります。ここも、広域農道の表示が何も無いので、普通なら見過ごします。「有漢常山公園」までフリー走行。「吉備高原街道」より広めの道ですが、こちらも交差点は少なく、信号が1つだけです。道なりに走ると難なく公園に到着。快走路です。数台トレインで走っていくバイクとすれ違いました。走り屋さんは、こっちの道を選ぶのですね。こんな道が、大阪近郊にあったら、間違いなく走り屋さんバイクの練習路になり、やがて二輪通行禁止になるでしょう。お城の形をした展望台がありましたが、眺めは駐車場からとさほど変わりません。石の風車が回る広い芝生公園「風の舞台」がありました。人は少ないですが、小さな子連れで来ると楽しめますね。さっき通った「岡山自動車道」の有漢IC横を抜けて、ぐにゃぐにゃ曲がりながら東南東に進みます。途中で交差するR429の所にある「道の駅・かもがわ円城」に寄ります。ここはバイクのたまり場とのこと。30台ぐらいのバイクがいました。ここから「奥吉備街道」に戻り、またフリー走行。いやあ、交通量はほぼナシと言っていいぐらいの快走路で、実に気持ちがいいです。横に斜面に牛がいます。止まって写真撮ってると、牛が「何してんの?」という目で見ています。r71にT字路でぶつかり終了。ここで待ち合わせました。r71で東進。「奈義山」の方に行くR53で、「旭川」沿いの「福渡」という町で昼食です。Gさんの思ってたR53沿いではなく、「JR福渡駅」の方に少し入ったところでした。お勧めを聞いたら「ハンバーグ定食」ということだったので、それにしました。お肉屋さんのやってる小さなお店ですが、「1DAYドライブ岡山」で取り上げられてるぐらいで美味でした。11:30。R484で東進。R484は、国道だけど交通量は少ないです。また「?」と思うところに、最後の広域農道「美作やまなみ街道」の入口がありました。これで「津山」まで北上します。地図上では交通量の多いR53と平行して走っていますが、向こうは川沿いで、こちらは山中ぐにゃぐにゃ道。バイクでは、こっちの方が数段楽しいです。ここもフリー走行です。桃(岡山だから勝手にそう思っています)?梨かな?のビニールを被った畑が広がっています。橋の上でバイクを止め、少し歩いてバックし、橋とバイクを写したり、「美作やまなみ街道」と大きく書いてある交差点で記念撮影したり・・・、津山の町に下りてきて終了です。「津山IC」から中国道に乗り、「勝央SA」で集合し、ここで解散になりました。ややこしいところだけトレインで、その他ほとんどがフリー走行というツーリングでした。寄り道好きの僕に合わせてくれました。初めての僕でも、迷うことなく辿りつけました。Gさん、待たせてばっかりですいません。・・・ありがとうございます。「晴れの国・岡山」がさらに好きになりました。「勝央SA」で話してると、スズキのアメリカンバイクで入ってきた方が、停めるときサイドスタンドが出きっておらず立ちゴケされました。大型エンジンガードのおかげで斜めにしかならず、3人で楽々起こせました。「ありがとう。疲れてんのかなあ~」なんて、言ってはりました。僕はアイス食べて休憩で、Gさんスズキアメリカンさんも、先に行かれました。次の「加西SA」でも、スズキアメリカンさんに、会いました。「加西SA」から、いつもの宝塚トンネル渋滞にも遭わず、ノンストップで帰宅しました。
2011/05/11
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日曜日は、3人乗りのポイントレースでしたが、今月のレースメンバーから外れたので、岡山県の広域農道を初体験しに行きました。2週間前に高速道路・ウェルカムゲート巡りに連れていってもらったバイク友Gさんに案内していただきました。毎年のように、岡山広域農道を走りに行ってるようです。朝7時に、山陽道岡山IC近所の「吉備SA」集合です。僕が体験したスマートICを、体験してみたいということで、こうなりました。自宅から2時間少しかかるので、4時起床・4時半出発の予定を組みました。遅れてはいけないので目覚ましを掛けましたが、3時に自然に起きました。早寝早起きが習慣になってるので、ここ数年、目覚ましのお世話になることがありません。4時に家を出ました。宝塚ICから中国道に乗り、一路西に。体力温存のため、80km/h走行+SA毎休憩のペースに入ります。まず「三木SA」で休憩し、本線に戻り走ってると、前方にバイク。その前の乗用車の後ろについて走っています。ここまで2台、大型バイクに抜かされたけど、前方のは僕のと同じぐらいの車格に見えます。「ひょっとして・・・」と思って抜くとき横を見ると、シルバーのヘルメット、CB223。やはりそうでした。前回のツーリングでは、集合場所手前で僕が追いつかれたけど、今回は僕が追いつきました。前回は僕と同じVTR250でしたが、今回はお持ちのもう1台の方です。先月買ったばかりの新車です。手を振りながら、前に入ります。前の乗用車が遅いので、抜きました。すぐに僕に追随し、僕の80km/hペースで並んで西進しました。僕は、60kmほど先の「龍野西SA」で休憩でいいですが、Gさんは神戸からなので休憩を取っておられないことも考えられ、手前の「白鳥PA」で休憩しました。トイレと昼食(またイチロー真似の朝カレー)を済ませ、集合場所の「吉備SA」まで走りました。PAで休憩したので70kmほどの距離に増え、最後ちょっと疲れました。SA間隔60kmを休憩含めて1時間のペースが、僕にはいいみたい。休憩し、ガソリン満タンにして、スマートIC前まで横に寄せてストップ。写真を写しておられます。スマートICはゲート前白線で一旦停止してから、ゲートが開きます。ここから出たことがあるので、r72交差点まで先導し、ここで先導交代です。信号が少ないからと選択されたr61を北上。気持ちのいい道です。前方に池の土手みたいなのが見えてきて、「ははあ、ここだな」と。最初の訪問地は、「岡山空港」です。Gさん曰く「しょぼい二輪置き場」にバイクを入れます。確かに、トタン屋根が錆びてるし、10台も置けない小スペースだし、高校の自転車置き場にも負けそうです。「地方空港の割に、便数が多いんですよ」との説明。空港ターミナルには、お客さんが次々入ってきて、コリアンエアと中国東方航空が定期便を飛ばしています。国際空港です。100円払って展望デッキに出ると、ちょうどANAが飛び立つところでした。空港の横から、僕の初岡山広域農道が始まります。「吉備高原街道」。山沿いを走る快走路という広域農道のイメージとは違い、山間部を縫うアップダウンの激しい舗装路でした。標高が高いので、数々の低山の峰を見通せたり、下界の集落を囲む棚田が一望できたり、交通量がほぼナシなので、直線では50~60km/hで走れるけど、そんなに速く走ってはもったいない最高に気持ちのいい道でした。満開の藤が至る所に下がっています。交差点はありますが、終点まで道なりなので間違いようがありません。フリー走行というお達しで走ってるので、自由に休憩し写真撮ってOKです。Gさんはもう何度も走ってるので、先に行ってしまいました。僕は、ゆっくり・キョロキョロ走りながら、写真休憩も挟みます。エンジンを切ると、ウグイスの鳴き交わしが降り注ぎ、素晴らしい道でした。待ち合わせは、吉備高原街道終点近くの「賀陽IC」から「岡山自動車道」に入り、北上した次の「高梁SA」。「いやあ、最高の道でしたわ」と満面の笑みで、バイク置き場に帰着。すぐに隣のCB1300さんから声を掛けられました。「タンデムひこにゃん」「ビニールテーブルクロスお手製ハンドルガード」の事、「暑いねえ」・・・。続いてヤマハの大型バイクVMAXが入ってきました。存在感のあるバイクです。僕でもわかります。ヘルメットを取ると、70才越えてるだろうおじさん。「蒜山高原って、どう行けばいいかねえ?」。バイク乗りって、初対面なのに、待ち合わせしていた知り合い同士みたいにフレンドリーです。
2011/05/10
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自転車に戻り、浜大津港に向かって下りました。ミシガンが接岸し、芝生には家族連れが楽しそうにしています。琵琶湖岸を東進します。いい風が吹いています。はるか沖のレース艇が見えます。全部で100艇ぐらい出てるようです。たくさんレースが出来そうです。次男もたくさん楽しめそうです。「大津プリンスホテル港」という桟橋があり、横を見上げると高層のランドマーク・プリンスホテルが建っていました。「近江大橋」から瀬田川沿い右岸を南下します。遊歩道が整備されており、釣り糸を垂れる人が大勢います。大津港からずっと釣り人だらけです。レトロな可愛い船で瀬田川を遊覧する遊覧船が桟橋にいます。その出発を見送り、自転車で桟橋から下りてきた係員さんに声を掛けます。「大人1300円で、1時間遊覧。次は石山寺桟橋から出ますよ」って、教えてくれます。ミシガンより随分小さな船なので、こっちの方が楽しそうです。係の方は、自転車で陸路石山寺桟橋に向かうみたい。なんだか楽しそうです。いつか乗りましょう。瀬田川は、ボートのメッカ。各大学の艇庫が並び、ボートを整備しています。「瀬田の唐橋」下の川沿いでお昼ごはんしてる女学生のところで休憩。そこに京大ボート部艇庫がありました。へえ~ここだったのか~。川沿いの散策道がなくなりR422に乗ると、すぐに「石山寺」でした。山門前に自転車を置こうと思ったら、駐車場整理の人がやってきて駐車場内にそのスペースがあるのだとか。石山寺は、紫式部が源氏物語を書いたところで有名ですね。伽藍を回り、紫式部の像を写真に収め、下りてきました。山門を出ようと思ったら、向こうから「おおつ光君」がやってきました。「おおつ光君で~す」と、お姉さんに手を引かれながら、ゆるきゃらぬいぐるみが来ます。家内との2ショットを写真に収めました。ここで昼食を目論んだのですが、4組待ち、お隣は「40分ぐらいお待ちいただかねがばりませんが・・・」の言葉で退却。仕方ないので、さらに南下し「瀬田の洗堰」を観て、ここで昼食・・・有名だと思うのに、お店屋さんがありません。「う~む」、家内が燃料切れになりそうですが、ここから帰路・石山寺方面に戻ります。地元の幸を賞味したいが、それにこだわらず適当なお店を探していると、ちょっと古めのお食事処が目に入りました。家内からのダメ出しが出るかなと思っていたら、お腹の減りがそれを上回ってるようで、あっさりOK。店内は、地元のお客さん1人、店主さんとその奥さんという、昔はどこにでもあったお食事処です。手書きのメニューを見て、「定食ありますか?」と聞くと、黒板を示され、「今日の定食はこれ、この品みんな付くの。ご飯の量だけ選んで」と。家内は小、僕は中を注文。魚・シジミの味噌汁・お漬物・・・840円にしては豪華です。目の前の瀬田川のシジミというご当地の幸も賞味でき、味もとても美味しい。2人して、「美味しいねえ。石山寺がダメで良かったねえ」と最高のお昼ごはんになりました。往路の道を帰るしかなく、時間的にもレース終了が迫り、京阪坂本線「石山寺」駅から電車に乗ることにしました。途中浜大津を通るので、混み具合が気になりましたが、座席が埋まることなく、自転車乗車でもヒンシュクを買うことはありませんでした。「皇子山」駅下車。再び自転車を組み立て、ハーバーに戻ります。3時過ぎですが、既にレース艇は着艇していました。自転車を車に載せ、艇庫に下りました。家内から次男との2ショットをせがまれカメラを出すと・・・次男の後輩OB君が撮ってくれました。ここで僕らは帰宅。名古屋方面は、京都ICからずっと渋滞でしたが、反対はスムーズで楽しい1日を終えることができました。
2011/05/06
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昨日は、琵琶湖に行ってきました。月曜日夕方に、長男夫婦が帰っていきましたが、それと入れ替わるように次男が帰ってきました。彼の会社は復興関連で忙しく、2日間だけの休みを琵琶湖のレースに出るために帰ってきました。東京から直接琵琶湖の艇庫に入り、そこで寝泊りする方が楽なのに、自宅で2泊しました。自分の顔を見せることで、母親が喜ばそうと思ってるね。火曜日、次男がレースに向かった後、「応援に行きたいなあ。もう少し早く言ってくれたら・・・」なんて家内が言ってました。その日仕事しながら少々思案し、家内の要望を叶えてあげることにしました。「明日、休んで琵琶湖に行こうか?レースは観れないから、出艇したら自転車持って電車で琵琶湖北部を走りに行こう」とFAXしました。しばらくして、「じゃあ、そうする」との返事。レースのタイムスケジュールを予想し、JR湖西線の時刻表を調べ、地図で自転車での所要時間を予想し、「海津大崎~マキノ・メタセコイヤ並木」と「メタセコイヤ~新旭町水巡り」の2ルートを考えました。出発時刻によって選択です。帰宅すると、家内は楽しそうに次男の食事とかやってます。僕が自転車旅の用意をし出すと、「自転車も持っていくの?」って質問。どうやらFAXの後半のメッセージは目に入らなかっら様子です。火曜日、6:00に出た次男は、連休渋滞で琵琶湖まで1時間40分もかかったようなので、水曜日は5:30出発しました。ところが渋滞はなく、ハーバーに早く着きすぎました。しばらく車内で話した後、学生たちがやってきたので、次男は準備に下りました。現役学生はもちろんいますが、次男同期もいます。2人で組むそうです。1回下の代のOBも2人来ています。出艇を見送り、車に戻って自転車の用意です。「遊覧船に乗るの?」って聞いてきます。琵琶湖遊覧船に乗れば、レース海面の近くを通るからだそうです。予約もしてないし・・・乗船時刻も分からないし・・・で、パッと閃いたレース海面を望観できる湖岸の寺社巡りに予定を変更しました。まず、「近江神宮」に参ります。家内は、今年初めての自転車です。「夫婦で自転車」の復活です。「近江神宮」前で自転車を置き、大鳥居から厳かな雰囲気の大社を巡ります。近江神宮の裏山山頂に、森可成最期の地になった去年登った「宇佐山城跡」があります。織田信長が、大坂の石山本願寺攻めしているとき、浅井朝倉連合軍に背後を突かれないように、森可成が守備しました。大兵力の連合軍との戦に敗れ討ち死にしますが、ここで踏ん張ったおかげで、信長は退却の時間を稼げました。森蘭丸以下数名の子息を御側衆に置いたのは、可成への信頼の証ですね。続いて、天智天皇が築いた「大津京の遺跡」に寄りながら南下します。「皇子山運動公園」横を過ぎると、すぐに「三井寺」前になりました。山門前に自転車を置き、散在する伽藍を観て回ります。ここは「弁慶の引き摺り鐘」で有名ですね。天智天皇が産湯に使ったという湧き水が大事に覆い屋で保護されていました。この「御井戸」が、三井寺の名の謂れだそうです。水の湧く音もします。「ホホ~」と聞いていると、「CDが流れてるの?」って家内。う~む、そうかも知れないけど夢の広がりがないなあ・・・。弁慶の引摺鐘にちなんだ風鈴を買いました。山をトレッキングする時の、熊鈴の代わりです。いい音すぎて、反対に熊が寄ってくるかもしれませんが。レース海面を望観できる高台の茶店で休憩しました。家内は、お抹茶セット。僕は黒蜜トコロテン。トコロテンの原料は寒天。我が家近在では能勢町で作られ、全国的には長野県が生産トップ。寒い山間地方で作られる寒天の原料は、何故か海藻のテングサ。昔は輸送に時間がかかるのに、この辺の結びつきがよく分かりません。三井寺を順路に従ってぐるりを回ったら、南の「長等神社」に下りてきました。翌日のお祭りの準備で、皆さん忙しそうです。天狗の大きなお面とか、お祭りの出し物とかいろいろ拝見できました。ここから、自転車を置いた所まで三井寺に沿って北上します。この道、琵琶湖疎水の取水口の真上の道でした。前から見たいと思っていた所だったので、ラッキーでした。
2011/05/05
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日曜日10時、義姉の家に行くために、長男夫婦と車で出発です。R176、宝塚を過ぎr51・有馬街道で一本です。つづら折れで高度を増し、蓬莱峡の横を通るこの道は、僕の早朝バイク定番道でもあります。住所を聞きGPSにインプットしますが、かんぽの宿の前だからすぐわかりそうです。早朝バイクでは、いつも有馬ロープウェイで折り返すのですが、いつもの道沿いにかんぽの宿がありました。実に簡単。温泉街の急坂沿いだったらややこしいなと思っていたのですが、マンションにエントリーするのも楽々です。マンション前で電話すると、姉たちが下りてきました。部屋からの眺めは南の六甲山向きで、見上げる眺めです。北向きは有馬の町が一望できるけど、日が入らないからこっちにしたんだって。そして姉たちの還暦の祝いのビデオ。姉たちも僕ら同様同級生夫婦なので、2人で赤いちゃんちゃんこと帽子を被っています。子供たちが万事整えてくれたんだって。長男くんの司会です。小雨の中、有馬温泉の中心部を散策して、予約してくれたレストランに入ります。マンションから道を隔てた東急の施設です。マンションも東急不動産なので、同時期に建てられたのかな?気の知れた僕らなのに、コースを用意してくれてました。いつもはかんぽの宿でバイキングしたり、温泉街の中のうどん屋だったりのようですが、僕らのために奮発してくれたようです。姉たちも初めてのレストランのようで、レポートリーを広げるためのようです。温泉街が一望で、おいしい料理に舌鼓みしました。北海道の話が出たので、僕の「バイクで北海道」計画を披露すると、「僕のマイルで買ったらええねん」て長男から。「でも自分たちで使ったらいいやん」「貯まりまくってるから、全然平気だよ」だって。お言葉に甘えて、またまた航空券をプレゼントしてもらおうかな?おみやげ買って一旦車に戻り、小雨が上がったので再び温泉街散策に出かけます。今度は神戸電鉄・有馬温泉駅まで下ります。ただこの有馬温泉、急坂の町なので、戻ってくるのが大変です。有馬川に掛かる橋で信号待ちしてると、「あれっ?・・さんじゃない?」と姉がそこにいた人に声を掛けます。「あれ~、なんでこんなところで?」家内の実家の数軒お隣さんでした。その界隈ではとても大きなお家で、僕もすぐわかりました。横におられた方はお嬢さんで、某TVキー局にお勤めで、TVで見るお顔です。そう言えば、前家内から聞いてたな。休暇を取って、母娘で有馬温泉旅行のようです。ホテルの送迎バスを待っておれる所でした。うだうだ話してると、送迎バスがやってきて・・・でも橋に来ずに、そのまま川沿いを上がっていきます。「ありゃ?」、走ってってバスの運転手さんに合図します。で、目出度く乗車。トコトコ散策して、お猿の芸をやってました。さっきのバスは、歩くのと同じぐらいでしか動かないね。また挨拶。子宝・安産のお宮にお参りし、「裏道から行こか」と、地元の方しか知らない道を兄に付いて上がります。「おお、かんぽの宿の横に出ました」部屋に戻り、新婚旅行のケニアの写真をワイワイ言いながら見て、鍵を渡されました。前々から、鍵渡すから自由に使ってくれたらいいと言われていました。ただ職員さんとバッティングしたらあかんから、連絡だけするようにと。鍵貰っても、僕らだけで来ることはないように思うけど・・・姉たちがいたら来るけどね。僕達が付き合ってた学生時代、兄は結婚後また学生に戻り、貧乏生活の補給路として、家内の実家から生活物資を車に積んで兄たちの家に何度も遠征しました。いい兄弟持ってるなと、家内との結婚の意志をさらに強めました。兄・姉とも温和だから、子供たちもみんなゆったりした子になってます。わが子たちの素晴らしい従兄弟です。長男とお嫁さんがマンション内の大浴場に入るというので、兄に案内してもらいながらついていく。金泉・銀泉両方の温泉が引かれてなかなかいいので、僕も入ることにしました。銀泉の方が、ぬるっとします。屋外露天風呂の金泉の方が肌にピリっと来て、塩分が高いです。「金泉の方が効く感じがするなあ」って長男。僕が先に出て、女湯との間にある休憩室に入ると、お嫁さんが既に出ています。「金泉の方が、効く感じでしたよね」って、さすが夫婦、同じ感想だ。部屋に戻ると、姉夫婦はもう帰ったみたいです。職員さんがやった仕事のチェックを資格持ってる兄がしないとお金をもらえないようで、この日は早めに退散し、月曜日の仕事を終えてまた来て、3白するそうです。
2011/05/03
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長男が金曜日に東京から帰ってきて、お嫁さんは仕事だったので、土曜日に帰ってきました。土曜日、僕の仕事終わりを待って、遅い夕食を回転寿司しました。2月に行ったケニアの新婚旅行の話などで盛り上がり、楽しい夕食になりました。でも翌日曜日の朝は、まだお腹が満腹で、朝食抜きになりました。この日の予定は4人で、有馬温泉ケーブル駅から六甲山山頂にケーブルで上がり、トレッキング下山でしたが、天気が思わしくなく、土曜日に義理姉にコンタクトを取りました。前々から来いと言われていた有馬温泉のマンションに、来てるのかな?と思って。すると、ちょうどマンションに行くから、昼食を一緒に食べようということになりました。結婚式の前日晩に話しましたが、もっとお嫁さんと話したかったのでしょう。うちの子達がちびの頃、2家族でキャンプしたりいろいろ遊んだので、姉夫婦はうちの子達をわが子のように思ってくれています。「11時に有馬においで」とのことなので、10時まで暇です。で、家内のバイク練習に出ました。小雨の心配がある空なので、カッパを着ます。でも少しかっこいいよ。釣具メーカーのブランド物・ダイワの釣具防寒・防水スーツです。バイク乗るときの春秋用として購入したのが気に入ったので、家内用にも買っていました。AT小型二輪免許取得記念プレゼントです。黒・灰色・赤しかなく、僕が赤買っちゃったので、家内も赤でお揃いです。この年になってペアルックもなんですが・・・。「これ、私用?」って、喜んでくれたので良しです。ペアルックのことは不問でした。通勤リード110に2人乗りして坂を下り、川沿いの交通量のない道へ。ここで交代です。300mほど行って、国道側道の橋を10mほど渡って、また川沿いをここに戻って、ここの橋を渡るというコースにしました。全線見渡せるので、何があっても走って行けます。30km/h程で颯爽と出発しました。国道の側道まで行って、側道に入らずUターンし始めました。ゆっくり足を着きながら回って・・・ドコッ。道の縁石に前輪がぶつかってストップ。少し坂になってるので、バック出来ないようです。下りてバック・・・前進してドコッ。それを繰り返し・・・手を振っています。「ありゃ、ヘルプです」。まさかほんまに、走って行かないといけない状況になるとは思っていませんでした。走って駆けつけます。交代して、ドコッ・トラップから脱出させました。ドコッっとなってからバックするのはいいですが、ハンドル角度がそのままなので、当然前進しても同じところにドコッです。僕の脱出を見てたので、ここは何も言わず、「じゃあ、今度はこっちから行こうか」、また30km/hぐらいで快調に走り出しました。でもまた向こうで、ドコッ・トラップにはまっています。今度は斜度がないので、数回で脱出して戻ってきました。「あんな、バックするときハンドルを反対に切ったら、ほら」。教習しました。「うわっ、ほんとだ~」って、あんた小学生か?自転車でこうなった時、どないしてたんやろ?可笑しいというか、可愛いというか・・・心の中で、大笑いしました。最初にドコッとなった縁石の横はマンションでした。そこの方が、植木に水やりをしていました。「何してるんだろう?って、ジロジロ見られたよ」って、家内がその時のカッコ悪さを教えてくれました。
2011/05/02
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先週は3回も「早朝バイク」に出られたのに、今週はゼロ。おまけに「早朝自転車」もナシでした。いつも通り、朝早く起きていたのですが、ずっと庭の手入れをしていました。今日、長男が帰省し、明日仕事明けにお嫁さんが帰ってくるからです。去年は、あと1ヶ月ほどジャングル化し、垣根も美的限界に近づいたところで、重い腰を上げたのですが、ちょっと早めにやっつけはじめました。先週、僕が早朝バイクで遊んでる時に、家内は長男夫婦が泊まる実家を掃除していました。仏壇の世話と空気の入れ換えをほぼ毎日やってたぐらいで、どこを掃除する必要があるのか分からないけどやってはります。僕も、何かしないと・・・やれることは庭掃除ぐらいしかありません。草刈り器具を右手に、左手で草を引っこ抜く・・・電動枝切りで、伸びて邪魔になってる枝を払う。90Lのゴミ袋にして10袋は頑張ったと思います。それも今朝終了し、電気が入った実家の冷蔵庫を覗くと、いろんなものが入っていました。どう考えても、たった2泊の2人分には多い量です。テーブルの上には、ティーセットが2脚用意されてるし・・・いつもながら家内は、息子が帰ってくるとなると、嬉しそうに掃除や準備をしています。まあ、残ったものは、僕の食料になるから、僕にも恩恵があるんだけど。美人のお嫁さんだから、僕も嬉しいんだけど。
2011/04/29
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日曜日、ウェルカムゲートツーリングから帰宅しました。「早かったね」、家内がいました。バイク用品店に、家内のバイク装束を買いに行きました。先週木曜日に、明石運転免許試験場にて、AT小型二輪免許を取得してきました。合格ぎりぎりの90点だったそうです。僕と同じコミネのプロテクター・メッシュ・ジャケット&パンツを購入。ジャケットは、サイズSがなんと定価の半額近い5980円でした。2割引になってたプロテクターグローブを購入。女性用の小さいのは、種類が少ないね。おしゃれなのはプロテクターないので、安全性に問題ありそうだし。「ゆっくりしか走れないのに大げさねえ」「小さなバイクで、こんな格好して乗ってる人はいないねえ」「僕も着るから一緒やん」なんて言ってますが、貰い事故ってやつもあり、バイク壊れても家内には怪我してほしくないから必要です。僕は、車でシートベルト着用が義務になる前から必ずしてたし、海水浴でもフェリーでも家族全員ライフジャケット着用する人です。一旦帰宅し荷物を置き、讃岐製麺にスクーター2人乗りで昼食に繰り出しました。帰宅後、リート110で、家内公道デビューしました。自宅周辺をぐるりと回ってくるだけだけど、自信なさそうです。まあ僕も、四輪免許取得後、初運転で町内をぐるりと回ってて、狭い道で内輪差で電信柱にぶつけてドア凹ませたし・・・。怪我しなかったらOKですよ。映画の時間になるまで、自宅で昼寝TV。その間、僕が買ってきたロールケーキの箱を冷蔵庫で見つけ、「これ何?」「お土産、真っ黒なロールケーキがあったので買ったの。イカスミかなあ?」「黒豆じゃないの?映画の後食べようか」ということで、またスクーター2人乗りで、映画館に向かいました。「阪急電車」という映画で、阪急の食材宅配に入ってたパンフレットで、家内が観に行きたいと言ってたやつです。僕が10年通った阪急・西宮北口~宝塚までの車内・駅・その周辺での出来事をオムニバス風に紡いだ素敵な作品でした。この沿線なら最も絵になるのできっと出るだろうなと思ってた母校の正門~中央芝生~時計台~甲山の風景がやっぱり登場し、母校学生やそこを目指す女子高生が重要なストーリーを展開していました。この1年でNo1作品でした。僕らは、大学の同級生夫婦です。学生時代に知り合い、卒業2年後に結婚しました。2人の母校が太線で登場し、僕らが結婚式を挙げた学校内チャペルが正門から時計台風景の脇に映り、披露宴をした宝塚ホテルが、物語の中の最初の重要シーン結婚式で登場。「あ、あそこだ」とわかる校内も映ってました。これ以上僕らを喜ばせる映画はないでしょう。先行上映2日目ということもあるでしょうが、「三丁目の夕日」以来のお客さんの数でした。阪急沿線ローカルでは、大ヒット間違いなしです。ルンルンで帰宅し、ロールケーキのおやつ時間です。「イカスミ?」「黒豆?」、両方不正解で、黒い元は「竹炭」でした。見た目は真っ黒ですが、お味はビューティフルでした。またまた素敵な休日になりました。
2011/04/27
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神戸電鉄「三木駅」の横を通りました。とても趣きのある駅で、1人だったら寄り道してたでしょう。こないだ探索した「三木城址」横を走って北上。三木城址探索の時、竹中半兵衛のお墓探して反対に曲がった交差点を曲がり、「クリーンセンター」と書かれた交差点を曲がって丘に登ると、「三木SA・ウェルカムゲート」がありました。ここの交差点も「ウェルカムゲート」の表示なし。ウェルカムゲートには、上りSAと下りSAを周遊する一方通行ルートの図が書かれています。面白い。お客さんを呼びたいけど、この駐車場の大きさで、従業員さんや納入業者さんの車のことを考えると、いっぱい来られると対処できません。苦渋の姿が容易に想像できます。「グリコショップ」などSA内を探索し、お土産に真っ黒なロールケーキを買いました。バイクに戻り、周遊コースを走って反対側の「三木SAウェルカムゲート」へ。こちらで朝食。僕はまたイチロー真似で朝カレーとしてコロッケカレーを食しました。「呑吐ダム、行ったことありますか?」バイクが集まり、珍しい車も集まるところだそうです。行ったことないので、連れていってもらいました。三木城址探索で利用したr38を東進し、その時寄り道した神社の交差点を南に入るとダムでした。バイクのたまり場になってる駐車場は、想像していたより小さく、売店もトイレもありません。自販機が数台あるのみですが、バイクが10台ほどいます。オープンにしたダイハツ・コペンがいます。年配のご夫婦と思われる方が乗ってきたみたい。奥さんが乗馬のロングブーツ+ハンティングキャップでかっこいいです。ああいう夫婦になりたいな。おお~ホンダS800。オーナーさんは、外車と思われる2シーターの小型オープンカーの方と話しています。ホンダのS8の維持には、随分お金が掛かるでしょう。すごいな。2シーター・オープンライトスポーツの現役は、コペンとマツダロードスターしかないけど、楽しそうです。同じオープンでも、メルセデスとかだと、ラグジュアリーだけど、軽快にクキクキ走る感じじゃなさそうです。昔のゼロ戦じゃないけど、ライトウェイトなのは、動かしてて楽しそうです。霧はすでに晴れましたが、風が強めで空模様があれです。雨に降られないうちに帰宅ということで、ここで解散です。r85をそのまま進み「箕谷」。r15で「唐櫃台」~「有馬温泉」。r51で宝塚まで下りてきて、帰宅はお昼頃になりそう。ううむ、家内の予定を聞いてないから、帰っても1人かもしれない・・・R176を右折しr33で北摂里山地域突入しました。r33・r68・r49で「母子」方面に向かい、r49とr308の間の山道を母子に抜ける道探索することにしました。「ここかな?」・・・またr49に戻っちゃったし・・・。「ここかな?」・・・「この先行き止まり。渡れません」の看板で撤退。「ここかな」・・・3度目でビンゴ。数軒の家・・・別荘のようです。さらに進むと、「ありゃ、地道に」。はたと思案しますが、踏み固められてる感じなので、行けるところまで行きましょう。ここで、ポツポツと雨が落ちてきました。山に入り、上空を暗い雲が流れて来たけど、小さい雲なのでGOしてました。木陰に避難。通り雨だろうから、舗装路まで引き返そうとUターンし、軒先のある小屋の手前まで来て、前方の舗装路はどしゃぶりになってます。典型的な小さい雲から降ってくる雷雨模様です。「え~」って小屋の前でバイクを停め、軒下に緊急避難。「ザ~」って大雨になってしまいました。ヒョウも混じってるし・・・雷は鳴っていませんが、結構な雨です。でも空の半分は薄い雲のエリアなので、カッパを着ながら休憩。10分ほどで雨が上がりましたが、探索の地道の状態は想像でき、本日の探索は終了・退却となりました。r49志手原まで戻ってくると、濡れてる路面具合もマシだし、r68・r33で「長尾山トンネル」まで来ると、雨が降った形跡なしです。
2011/04/26
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日曜日は、バイク知り合いGさんとツーリングでした。当初、岡山県の「広域農道はしご」の予定でしたが、夕方雨確率が40%ということで、播磨ウェルカムゲート・ツーリングになりました。タイヤを変えたところで滑りやすいから、ウェット路面は走りたくないそうです。ウェルカムゲートなんて、僕は利用したことなく、新世界に踏み入れが楽しみです。朝6時に第二神明明石SA集合なので、4:30出発予定を立てました。遅れたら迷惑かけるので、一応目覚ましを掛けましたが、4時前に目覚め、いつものように目覚ましは必要なしでした。家内と今日のことを話していなかったので、置き手紙しました。「播州にツーリングしてきます。午後帰宅予定。映画「阪急電車」観に行こうか?18:10~」。「夏用プロテクタージャケット・パンツ+釣用シマノ防水上下」という春秋装束です。宝塚ICから中国道に入り、西宮北から阪神高速7号線で明石に向けて南下。途中縦溝区間があってちょっとおっかない。制限速度表示が上がっていました。スピード違反ドル箱路線だから、減収になってるでしょう。第二神明に合流して、75km/hほどで走ってる車の後ろで、ちょうどいい感じで明石を目指します。大型バイクがギューンと抜いていき、バイクが1台後ろにつきます。抜かしていかないので、Gさんのようです。明石SAで左ウインカー出すと、後続バイクも同様に。同じVTR250。新型いいな。僕のと違い手入れが行き届いてピカピカです。バイク置き場に停め、「おはようございます」の次の言葉が、「えらい霧ですね~」でした。大久保付近から、霧が出ていました。で、「龍野西ウェルカムゲート」から探索する予定が、さらにショートバージョンに変更です。まず、「別所PA」まで自由走行。第二神明から加古川バイパス・姫路バイパス走行。「別所IC」を下りて、「権現湖原PA」に向かいます。途中コンビニでホットタイム。僕は着込んでるから平気ですが、寒いのでコーヒーで温まり生き返っておられました。「神吉」は、有岡城より前に惣構えの平城があったところ。探索予定地です。r65で家内の実家の前のお墓横をかすめ、「平荘湖」到着。平荘湖道標は、家内の実家に帰るたび、何度も目にしたところだけど、初訪問です。周囲をランニングコースが巡ってるようで、トイレやお風呂がある施設があります。自転車で一周するのもいいね。「夫婦で自転車」で、北条~三木した時走った道を北上。「権現湖」脇を通って、枝道に逸れて小高い丘に入る・・・と、そこには「権現湖PA・ウェルカムゲート」がありました。「ウェルカムゲート」って、先月岡山で初利用した「スマートIC」とは違うものでした。スマートICは、SAに併設されたETC専用出入口ですが、ウェルカムゲートは高速道には入れません。PA従業員用の駐車場を開放して、高速利用者以外にも来店してもらおうというもの。駐車場にバイクを置いて、徒歩でPAに入ります。「なるほど~」、こんなのがあるのを初めて知りました。一般道からここに入る交差点には、何も表示がなく、枝道のようなアプローチ道なので、ここにたどり着くのは大変です。Gさんも、何度もミスロードして発見したのだとか。続いて、「三木SA・ウェルカムゲート」へ。JR加古川線の現在の家内実家お墓最寄りの「厄神駅」横を通過。見覚えのあるr20を東進。「夫婦で自転車」でここも走りました。あの時は、廃線になった「三木鉄道」の駅を訪問したな。
2011/04/25
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朝日新聞に、「関西電力が美浜原発の代替原発計画を一時凍結する」と書かれていました。福井原発事故による地元民の反発を考慮しての計画凍結ですが、代替機建設方針には変更がないとのこと。今回の福井原発事故で、東京電力は実質倒産しました。自民党政府が、原発推進で各電力会社を動かしてきたので、政府も賠償責任があり、実際には倒産しない(させない)でしょうが、一私企業としては、到底まかなえる補償額ではありません。今、電力会社トップは、苦渋の選択の上に座っているでしょう。原発がたった1機壊れただけで、世界有数の企業が倒産してしまいます。水力発電所や火力が潰れても、倒産までには至りません。この原発リスクを、GOと最終的に印を押すトップは、脳天気な人でないと無理なんじゃないだろうか?日本政府は、原発推進、さらにあまりに危険なので他国が建設、さらに研究までやめてしまった核爆弾に使うプルトニュームを燃やす、プルサーマル原発も推進しています。日本は、フランスと並び原発大国です。総電気量に対する原子力発電比率が仏に次ぎ高い国です。僕は、「いつでも核爆弾作れますよ」というメッセージの裏付けとして、大手を振って研究開発できる原発の意義があると思って、消極的賛成派でした。アメリカやロシアで事故がありましたが、日本の設計と施工技術ならまあ大丈夫だろうと思っていました(初期のは輸入ものだけど)。僕はゆるい放射線も受けないし、バリウムも飲みません。専門家が別の部屋に逃げたり、体の中が透けて見えるものなんて、体にいいわけありません。もっと強いCTスキャンなんて、よっぽどのことがないと必要ないと思っています。日本の病院は、放射線機器を乱用しすぎだと思う。導入したら償却しないと損になるから、健康診断程度で勧める医療機関はどうかと思ってます。喜んで被爆する日本人は多く、わざわざ海外からそれを受けに来る人に気持ちがわかりません。今回の事故被害を見て、さらに「直ちに健康被害の出る状況にはない。冷静な行動を」「想定外の・・・」とのコメントを繰り返す政府・マスコミを見て、これはあかんなと思いました。超過激反対派とまではいきませんが、積極的反対派(ソフトランディング原発ゼロ派)に宗旨変えしました。1回のみのレントゲンやCTスキャンを、常時浴びる可能性が高い屋外数値と同じ表に並べ、この程度ですという趣旨の説明をする。1回のレントゲンでも、レントゲン技師や医師は別の部屋に避難し、レントゲン科の医師の中には、奇形児誕生の可能性を恐れ、避妊してる方もいると聞くのに・・・放射性物質が風に流されて飛び、数キロ・数十キロ離れた土地に落ち、地下に地下水に染み込みます。海に垂れ流された放射性物質が、魚介類に入り、食物連鎖によって大きな魚に濃縮されて行きます。汚染された土地は、チェルノブイリのように、長い間使えない場所になる所もあるでしょう。その保証は、一企業で負担できる金額ではなく、政府支援といっても、その元は税金というみんなで出し合ったお金です。事故が起きなくても、原発が運転を続ける限り、決して人に触れてはならない汚染物質が増え続けます。一般ゴミだって、ゴミ処理場に困ってるのに、その処理をどうするのでしょう。今までは、新しい技術が開発されて、穏便に解消していくと期待していましたが、大事故が起こったこの機会を捉えて、エネルギー政策を大きく方向転換しなければ、ズルズル続いてしまうでしょう。日本には、商業原発の廃炉がまだないです。福島も新聞に載った美浜もそうですが、設計耐用年数30年を超えた原発(福島・美浜は現在40年)は、当初予定の廃炉にならず、耐用年数の延長が行われいます。うがった見方をすれば、廃炉ごの現実を白日の目にさらすことで、原発行政推進が立ちいかなくなる恐れをいだいているのだと思う。一度原発が稼動し始めたら、炉の中は放射性物質の塊になります。それらは、放射線を出し続けながら、だんだん衰えていきます。その費用は、小型原発で1000億円、最新鋭原発で千数百億円、現在稼働中原発約50基の解体・撤去・廃棄物処理に少なくとも30兆円と試算されています。廃棄物処理といっても、ドラム缶に入れて地中深く埋める処理までで、安全な物質に戻ることではありません。解体と行っても、放射性物質満載の炉を船の解体のようにバラバラにすることなど出来るわけないので、外部から固めてコンクリートの大仏殿にして埋めるぐらいだろうと、想像しています。定期点検で停止した炉は、核燃料を冷やし続けるなどのお守りが必要です。廃炉のお守りを何十年・何百年としていかなければなりません。電気など一つも益を産まない物を、ずっと子守し続けなくてはなりません。25年で世代交代します。僕の年齢では、今子の時代です。25年経てば孫の世代になり、50年経てばひ孫の世代です。僕らの得た益から出た負の遺産を残していっていいのだろうか?「原発反対なら電気を使うな」という極端な意見もあります。現在の電気使用量に占める原子力の比率は25%ですが、これは政府の原発主力政策によってこうなっているだけです。定期検査停止もあり、原発稼働率は80%。過去に作った水力発電所の稼働率は25%・電気使用量に占める割合10%、火力発電所稼働率は50%・電気使用量に占める割合70%。これは、新潟地震で最新鋭の柏崎原発が停止したのに、東京で停電が起こらなかったのを不思議に思って調べたものです。原子力発電所は、政府方針に従い、目一杯稼働させ総電力に占める比率を上げています。水力・火力は、半分以上遊んでいます。停止している発電所を再稼働させるには時間も準備もいりますが、現在でも原発なしでやっていけそうです。ドイツは、原発ゼロを政府方針として長年やってきています。代替エネルギー研究開発に政府が投資し、年々化石燃料消費型の火力・原発比率が下がり、風力・水力・太陽光など再生可能エネルギー比率が上がっています。日本が、再生可能自然エネルギーでの発電が遅いのは、政府が原発中心主義で動いているからです。再生可能エネルギー主力に舵を切れば、日本人の技術は、いずれ世界をリードするでしょう。今回の事故で、国内はもとより世界各国で原発新設機運はしぼむでしょう。では国内は?政府保証がなければ、地震列島ではおっかなくて新規原発は電力会社として設置できないでしょう。造ってしまったのだから、お守り費用負担しながらも、老朽化原発から廃炉にしていく、脱原発エネルギー路線への転換を願います。
2011/04/23
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目が覚めたら、また真っ暗でした。何時だろう?トイレに階下に下りたら4:10。またまたGoodです。家内が起きだす1時間後まで、起こすと悪いのですることがありません。ということで、バイク装束に着替えて出発します。ごそごそ着替えたり、玄関ドアの音がしたりするので、多分家内を起こすことになってるでしょう。探索したい枝道もあるのですが、4:30出発なので3時間という時間があります。これは、篠山まで行けます。「亀岡・神尾山城址」を探索してみることに決定。池田からR173に乗り、「一庫ダム」でr604・r106経由R477に合流し、R372交差点まで北上です。以前調べた時の脳内情報では、城址少し手前のお寺まで車で行けるとなってたし、お寺の名前は忘れたけど、目指す山容も大体わかってるので行けるでしょう。脳内地図頼りに、R173合流手前の道を左折して篠山方面に西進します。いきなり雰囲気のいい苔むした神社があったので、まずここを探索。「広峯神社」。謂れによると、「出雲系に屈した人たちが、由良川をさかのぼってこの地に住み着いた・・・須佐之男命を祀っているが、その昔は牛頭天王を祀っていた・・・」とのこと。神社の謂れを読んでると、出雲の豪族が日本海側から瀬戸内海側や畿内に戦闘しながら勢力圏を広げ、本拠地を移動していく図が見えるような感じになってきます。篠山や亀岡・丹波は、たいてい北方からです。畿内で大きな勢力になった天皇家が、古事記や日本書紀に、先祖からの言い伝えを自分たちに都合のいいように書き残したのだろうと、想像されます。昔の人にとって最も大事なのは、天皇なんかじゃなくて、食べること。食料を得る農耕に大きな力を発揮してくれる牛は、神様のような物。インド渡来の牛崇拝とも重なって、「てんのう」と言えば、「天皇」ではなく「牛頭天王」が一般的だった。明治の世に、強力な天皇中心主義・中央集権富国強兵を成し遂げるために、牛頭天王のお宮が、軒並み天皇家の先祖を奉るお宮に衣替えした。ここも、そんな歴史を経たようです。そのお宮の横にある、暗く怪しげな道を山に向かって登りだしました。が・・・小さな住宅街になり、袋小路でした。道は、獣避けフェンスに遮られています。鍵はかかってなかったので、自由に入れるのかもしれいけど、説明板がなく撤退しました。元の道に戻り、さらに東進し、めぼしい道を探ってみましたが、どれも空振りに終わりました。お寺への道標が立ってると思ってましたが、甘かったです。山際の田舎道の交差点には、道標もなく、この道を山に上がれば、どこに行くのかさえわかりません。詳しく調べて再挑戦することにして、R372旧道中心に脇道にもうろうろしながら、亀岡に向かいました。神社や造り酒屋を見つけては探索し、R9まで東進し、R372・R432、r732でr106に出て、往路そのまま帰宅しました。ちょっと後ろめたい気持ちで帰宅しました。というのは、前日に運転免許試験場で、家内がAT小型二輪免許に合格しました。そのお祝いで、昨夜ミスタードーナツでドーナツを買ってきたのです。夜ということもあり、今朝に祝の宴を持ち越していました。にもかかわらず、7:30帰宅です。庭の草刈りしながら待ってたようで、玄関脇には90Lの大きなゴミ袋に草がいっぱいになっていました。「ごめん、遅なった・・・お腹空いたんちゃう?」「パン1枚食べたから大丈夫。コーヒー作るね」って、あ~だこ~だ試験の話をしながら、2人だけのドーナツお祝いをしました。
2011/04/22
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数日前の「山田川ムービー」は、通勤リード110初ムービーでした。VTR250より、タイヤ径が小さいので路面の凹凸をより拾い、飛び跳ねをよりしますが、スクーターでのカメラマウントシステムは、これが良いように思います。リード110+RAMマウントシステム+NikonL20
2011/04/21
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目が覚めたら、まだ夜でした。トイレに下りていく時、時計を見ると4時半。Goodです。急いで着替えて、早朝バイクに出発です。勇んで表に出ると・・・なんか、霧のようなものが降ってるような・・・空を見上げます。曇ってるようだけど、東の空に雲の切れ目発見。西の空の方が重要だけど、見なかったことにして出発です。池田から、R173。R423から箕面の山に上がり、箕面ダムから高山経由でR423に下りてくるルートを考えていたのですが、軽いものの霧から小さな粒の雨になり、五月山の上の方は雲の中なのでルート変更しました。そのままR173を北上し、一庫ダムに上がる手前の「山下」で右折。清和源氏・多田の末・塩川氏の居城・山下城址に初攻めです。城山を見ながら、適当に曲がっていると、趣のある建物。郷土資料館というのがありました。今度、開館時間に訪問して資料を拝見させてもらおう。資料館の裏側に回ってみると、右手に神社発見。さらに右にお寺もあるようです。資料館の駐車場に置こうと思ったら、チェーンが掛かってて無理だったので、住宅前のどん突き道に置かせてもらいました。定番の神社裏から登山道があるだろうと神社に向かって歩いていたら、それらしき道を発見。つづら折れの山道をハーハーしながら上がると、横には大きな縦堀が残っています。後世の人が立てた小さな石仏が現れだすと、祠の立つ小さな広場に出ました。そこからは勾配が緩くなり、細道が続きます。木々が切れたところから、山下の町や東の町が一望出来ました。猪が掘ったような跡もありました。しばらく歩き、最も高所を越えて下りだしたし、相変わらず小雨が降ってることもあり退却することにしました。まだ道は奥に続いています。比高を見て、すぐに山頂に行けると思ったのですが、意外に懐が深いです。そして、谷を隔てて西にある山の方が高く、その山の西にR173・能勢街道が通ってるので、普通に考えればあちらに城を築くだろうと思いながら歩いていた。歩いた道の奥で、西の山への道に繋がっていそうな予感がしました。半日ぐらい、しっかり時間を持って攻めるべき所のようです。麓の「平野神社」に寄りました。「マムシに注意」の看板が、数ヶ所に立っています。予想通り、塩川(本姓:源)氏縁の神社で、伊丹有岡城主:荒木村重との戦に負けたとき焼かれたと書かれてありました。前の道にモクレンが咲いていました。東隣の「大昌寺」に寄りました。場所的に、「塩川氏」代々の墓所かも?と思ったのですが、それらしきお墓はありませんでした。太平洋戦争の戦死者のお墓が多く目立ち、う~んと考えてしまいます。ここの鐘は、底部が円形ではなく波打っているちょっと変わった鐘でした。どんな音の響きになるのか興味をそそりましたが、朝なのでゴーンと衝くわけにも行かず・・・R173~r12旧道で帰宅しました。2時間のお散歩。
2011/04/20
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日曜日、先月ツーリングをご一緒した方々と桂PAで別れ、僕はすぐに「京都南IC」で下車。R1を「東寺」。五重塔を横目に「東大路通り」を北上し、大学正門到着。改修中で、時計台前に直接車が入れません。守衛さんから教えてもらったスペースに駐車して戻ると、昨秋の全日本470中、我が家で合宿した2回生T君がやってきました。現役や若手OBが車でやってきて、新入生も集まってきました。今日は30数名やってくるそうです。「えっと、恒例の折田先生像は、今年も出た?」「ありましたよ。もう撤去されちゃいましたけど」「ガーン、僕は毎年春最高に楽しみにしてるのに~」僕は第3陣で新入生を満載して出発しました。北白川から「山中越」で琵琶湖・近江神社に抜けます。戦乱の世、この山道を数々の軍勢が京都に攻め上り、敗走・凱旋したのでしょう。僕は京都・琵琶湖ピストンを1回だけで、レスキューに乗り込みます。2回生O君と、次男同期のI君と、同じく当時男子部員人気No1だったマネさんで、レスキュー担当です。この時期、各大学とも新人勧誘真っ盛りです。仏大はハーバーでなんやかややってるし、沖ではリッツも新入生を乗せて走っています。マークを4つ落とし、試乗会エリアを限定し、その中心にアンカリングします。インフレータブルでハーバーからやってくる新入生を各ヨットに載せ替える基地です。2種類のヨットに乗るので、トラピーズハーネスの着せ替えなど、仕事はいっぱいです。第1陣が乗ってきて、第2陣がやって来たときに電話が鳴り、なんと車が足らないから大学正門まで来て欲しいと・・・慌てて、アンカーを上げてハーバーに戻り、僕だけ下船。また山中越えして大学正門へ。また部員満載して琵琶湖に戻ります。艇庫で部員にレスキュー艇のことを聞くと、僕の代わりが乗ったとのことで、陸上待機することにしました。新入生にヨットの事を説明するのをひと通り聞き、マネージャー手作りおにぎりで腹を満たし、ハーバーうろうろに出かけました。琵琶湖ジュニアのお母様方と思われる方々が、お茶してます。元ボートレース建物横の倉庫が開いており、中を覗くとOPが入っています。お茶してるお母様方に声を掛けて、琵琶湖ジュニアの元艇庫を教えてもらいました。前の艇庫と、そんなに大きさも環境変わらないね。ハーレム状態で、コーヒーやお菓子をご馳走になり、あ~だこ~だおしゃべり。息子の大学先輩で、琵琶湖ジュニア選手現役パパさんのMさんが来られて、またペチャクチャ。夕方になり、OPが戻ってきたので艇庫に帰ると歩き出すと、「あれっ?何でここに?最近バイクに乗ってるんやてねえ」って、琵琶湖ジュニアパパOBのYさんに声を掛けられました。「いやあ、新人勧誘の手伝いで・・・」中学生の時、僕がアセアン選手権に連れて行った息子さんは、ロンドンオリンピックまっしぐらです。またあ~だこ~だ喋ってると、「あれ~、なんでここにいますん?」って、リッツのS君がやって来ました。早いもので、もう4回生になったそうな。親御さんも元気だそうです。またあ~だこ~だしてると、今日琵琶湖ジュニアコーチしてた次男と同学年の元琵琶湖ジュニアN君が、そしてTちゃんが・・・。結局試乗会が終わるまで、あ~だこ~だで楽しく過ごせました。試乗会が終わり、合宿所で鍋です。また手作りおにぎりで小腹を満たし、終了の7時半を待ちます。全部終了して、また新入生を満載して「山中越」で大学正門まで戻り、お終いです。
2011/04/19
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日曜日は、大学ヨット部の新人勧誘の手伝いでした。11時に京都の大学正門なので、朝に余裕があります。2週間後に迫った長男夫婦の帰省に供え、庭の手入れです。長く咲いてくれている黄色いスイセンとチューリップが見頃で、他に名前を知らない小さな花が咲いてくれています。が、春になりだんだん庭がジャングル化してきました。軍手はめて30分ほど、腰を落としてゴソゴソしました。いつも難儀な刺のある草がまた元気に復活しています。電動枝切りで、根っこの方までカットしてやりましたが、どうせ焼け石に水でしょう。暑すぎないことで汗はかかず、虫のいないのでネットを被らずにできるのでマシでした。8時になり車で出発です。家内は、午前中教習所のようです。ということは、木曜日の2度目の卒検もダメだったんだな。玄関出てから、わからんように「頑張れ~今日は絶対合格するよ~」と家内に向かって念を入れておきました。黄砂が飛んできているのか、フロントガラスの雨粒の跡がくっきりです。我が家の敷地は道路から数段上がっており、造作出来ない青空駐車場を借りるしかないので、仕方ないです。長男が帰ってくると使うだろうから、その前に洗車もしなきゃ。名神に乗り、京都を目指します。例年なら、朝一番に京都入りし、一眼レフで桜を写してから大学正門に向かうのですが、もう桜は終わりです。8時半過ぎに「桂川PA」到着。先月ご一緒したバイクグループさんが、ここで集合し、「三井寺」他を回るそうです。話をしに寄りました。9時半集合なので、まだ時間があります。最近通過ばかりの「桂川PA」をじっくり回ります。名神高速は、ここから作り始めたそうです。その記念碑や説明板を読んで、売店を冷やかし、たくさんいるバイクを見ながら車に戻ります。向こうから見たことのあるBMWのバイクとCB400が入ってきました。そして、僕の車の横に停まりました。「おはようございます」「あれ~、服装が違うから・・・」。ポツポツとグループのバイクが入ってきて、皆さんとおしゃべりし、一緒にPAを後にしました。京都と琵琶湖を、「山中越」で数度往復して、琵琶湖で試乗会のお手伝い。それが終わり、8時過ぎに京都に新入生を送って、名神でグーンと帰宅。家内は食卓でお勉強です。家内がつくってくれている夕食を用意しながら、目ざとく僕は見つけてしまいました。食卓のテーブルに貼ってあった卒業検定コース図が無くなっていることを。「おおっ、これは合格したな」トイレに張ってあったのも処分されています。「おお~、こりゃ確実」ということは、合格祝いケーキがあるかも?と期待しましたが、午後から出かけた神戸の帰り、阪急夙川駅構内にある美味しいお店で食べてきたのだとか。「朝食べたっきりで、エネルギーがなくなり、家に帰れつきそうになかったから~」「そりゃ大変」。家に無事帰る方を優先ですね。今朝持って行った仕事荷物箱に、美味しいのが入っていました。ぐふふ「見せてあげようか~」って、教習手帳を見せてくれました。第1段階実技・通常3時間のところを7時間だと思ってたら、9時間でみきわめ合格でした。第2段階・通常6時間のところ9時間でみきわめ合格。上達してるね。卒業検定1回目は、S字でポールにぶつかってアウト。2回目は、一本橋で脱リンアウト。3回目で目出度く合格でした。可愛いんだけど性格男で、度胸も座ってるのに、教習で失敗しないところでつまずいてたみたいです。珍しく小心になったのだろうか?「コースに3人、背広着た人がいたの。コースを作り替えると聞いてたから、その下見だと思ってたら、適正な卒業検定してるかどうか警察の人が来てたんだって」「警察の3人と、教官の試験担当官の点数も、ほぼ一緒でご協力ありがとうございました」って、試験後教官が言ってたのだそうです。「じゃあ、いつもより厳しかったのかも?すごいじゃん」と、いつものように、大いに褒めておきました。「明石免許試験場」に、いつ受けに行くの?「うんとね~・・・朝6時に明石駅に行くと、その日の試験問題を教えてくれる人がいるんだって」と教官が言ってとか。ほんまかいな?夕食を食べ、気持よく1日が終わりました。
2011/04/18
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昨日の朝は、通勤リード110で、早朝バイクに出ました。武庫川から、山田川をさかのぼって香下寺に、舗装路が続いているそうで、それを確かめに出ました。地図は点線道なので、抜き差しならない所に迷い込む可能性があり、いつものVTR250ではなく、最終人力で脱出できるリードにしました。朝、5時過ぎに出発。いつもの「長尾山トンネル」を抜け、北摂里山地帯に突入。今週3回目です。r33に合流し、「川下川ダム」方面に枝道を入り、ダムへ。水量が激減しています。雨が降っていないからでしょうか?このダムの上を渡る「新名神高速道路」の工事のために、意図的に抜いているのでしょうか?相変わらず里山地帯は湿気が多いが、これでは朝霧を供給できません。武庫川沿いに下り、遡っていると、前方に小動物発見。ゆっくり走りながら、ウリボウかな?と・・・動きが狸でした。さらに近づくと、僕を見つけて横の藪に消えていきました。今週4回早朝バイクに出て、3回動物に会ってます。確率高し。JR道場駅の横を通り、JR三田駅方面に北上。土手道は、桜が満開で散り始めています。それに気を取られていたら、一方通行に入ってしまいました。20mほど走って気づき、慌ててUターン。いつもの橋を渡り、JR線路を越え、以前から気になっていた「感神社」に寄り道しました。鳥居奥の参道に、濃いピンクの桜が満開です。ソメイヨシノの薄ピンクより、濃いピンクの方が好きです。植木屋さんの畑にはよく咲いてるのですが、なんていう種類なんだろう?お参りして、いつものように裏に回って本殿見物して・・・この裏山にあるという山城跡への登山道を捜すが、確認出来ずでした。バイクに戻り、「千刈CC」への道を走り、途中で山田川に沿う枝道に入りました。ここからが本番です。すぐに小さなダムに行き当たりました。「山田川ダム」とでも言うのかな?舗装路は狭いけど、右に曲がって続いています。突入。コンクリート道になった所に休坂がありましたが、リードでは楽々でした。VTRで対向車が来ると厳しいかも?1車線ないような道なので、賢明な車は走らないでしょうが。山道ほど暗くない細道をゆっくり進むと、視界が小さな里に広がりました。「おお~」、なかなかナイスな里です。このまま香下寺まで続くのかと思いましたら、すぐにまた森の中に。うねうね道を暫く走ると、香下の里に出ました。正面には、香下寺の裏山の「羽束山」の連山が見えます。これは、なかなかナイスな道を発見しました。きっと行き止まりだろうけど、里に枝道が数本交差し、これを探索しても面白そうです。香下寺前で、r68に乗り、「西谷農協」手前で、これまた気になっていたお寺に寄り道しました。ここらになんで住宅が立て込んでいるのかな?と疑問に思っていました。それらに隠れて、「宝山寺」。茅葺屋根の山門がお出迎え。なかなかいいです。バイクを置いて、急な階段を上がると、寂れ加減がいい感じのお寺がありました。宝篋印塔風の塔が建っています。お墓の墓石も適当に古い。ぐるりと回りを歩くと、周りに一部土塁が残っています。「ええ~」と、ちょっと驚き、ぐるりと敷地の縁を歩いてみました。全方位、急坂に囲まれています。中世の山城跡では?と直感しました。ここに城があると、香下や西谷の里に睨みを効かせられます。夢想して、ちょっと嬉しくなり、r33~長尾山トンネルのいつものルートで帰宅しました。
2011/04/16
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NHK・朝のニュース関西ローカルのキャスター井田寛子さんが夜のニュース9のお天気キャスターに移動し、がっかり気味です。全国版の鈴木奈穂子さんが変わらなかったのはありがたいけど、「街かど情報室」を最近見ませんが・・・ニュース9も見てるのですが、地震以来の特別時間が続いているのか?お天気の時間が前より遅くなってる気がします。僕は早寝なので、見ずに寝る時もあって・・・でも、朝の新しい楽しみもできました。NHK朝ドラマが、「ひまわり」に変わりました。好きな井上真央さん主演で、語りがこれまた好きな若尾文子さん、そしてすぐに亡くなっちゃったけど井上真央さんの母親役で原田知世さん。うぉ~安曇野が舞台なので、素敵な風景が時々バックに流れます。う~ん、これはナイスです。原田知世さんは、年齢不詳ですね。いっこも変わらん。映画「私をスキーに連れてって」・・・DVD持ってます。映画「彼女が水着にきがえたら」・・・当然、観に行きました。
2011/04/15
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暖かくなってきました。そして夜明けも早くなり、早朝自転車も再開され、早朝バイクにも多く出かけられるようになってきました。これから6月一杯が、最も楽しい朝を過ごせます。梅雨もありますが、雨が振らない日は早朝行動に支障ないので、梅雨期間も結構好きです。今朝も早く起きたのですが、2日連続で早朝バイクに出たので、今日はお休みしました。自転車のメンテナンスです。僕のは、頑張れば早く走れるロードバイクですが、僕の目的はタイムトライアルではなく、足の筋力が衰えないようにする散歩でありランニングの代わりだから、遅くてもいいんです。息が弾まない程度の有酸素運動で、楽に遠くまで走れると、旅気分も味わえるから、長続きするだろうと購入したものです。快適でないといけません。だから、サドルはかっこいい細身のを外して、ママチャリに近いでかいサドルにジェルカバーして、お尻が痛くならないようにしています。そしてもう一つ、ハンドルにもクッションをかぶせています。ママチャリより長く乗れるように、ロードバイクは前傾姿勢になります。お尻と腕に、上半身の体重を分散させるためです。そのクッションがくたびれてきました。昨日の昼休み、いつもの自転車屋さんで、分厚いクッションのついたグローブがないか聞きました。ありません。で、クッションを更新することにして、ホームセンターで金属の角の辺を保護するL字クッションを買ってきました。こいつをハンドルの持つ部分の長さに切って、結束バンドで留めました。去年付けたクッションより厚くてしっかりしているので、より快適になりそうです。玄関ドアを開けっ放しにして、玄関前のコンクリの上で作業していました。出来栄えに満足していると、家内の携帯電話が鳴りました。「はい」って、家内が着信したメールを見せてくれました。長男のお嫁さんからです。先月、1月に行ったケニア新婚旅行の写真などを見せに来てくれることになっていましたが、地震で流れていました。で、ゴールデンウィークにこっちに来るとの内容でした。僕らの休みの日曜日に合わせて3日間来るようです。「ちょうど仕事明けにお休みが取れました・・・」長男は暦どおりの休みですが、お嫁さんは日曜や祝日ほど忙しい仕事なので、きっとわざわざ休みを取ったのだと思います。そして、ちょっと嬉しかったのは、「行きます」ではなく、「帰ります」と書かれていたこと。関西の人じゃないし、東京で知り合い、東京で住んでいるので、こっちで住んだことはありません。自然に気遣いができる賢いお嫁さんです。長男も幸せ者です。
2011/04/14
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目的地は、「日吉ダム」とのことです。R173を北上、篠山側に下るところにある縦溝が嫌だなあと思っていたら、「はらがたわトンネル」を抜けたところで、右折。r731・r54で「るり渓」を抜けます。いつも僕はr453でR372に下りるのですが、r54~R372は初めてです。r453もいいですが、r54もなかなか楽しいです。R9を越え、r19に入ると「日吉ダム」です。いつもダムを通過し、美山の方に向かうのですが、初日吉ダムです。駐車場にバイクが多いです。日吉の周りの京都の山道に入るのか、プロテクター装着の本格的なオフローダーのグループもいます。ダム堤体に向かって歩きます。途中に、温泉と温水プール棟があり、一大レジャーゾーンになっています。横の桂川には、少々色あせてますが、鯉のぼりも渡ってます。寒いと大変だなと思い、冬装備で来たのですが、さすがに暑いです。たくさんやってきてるローディーは半袖の方もいるし・・・。もう冬装束はお蔵入りですね。堤体下まで行くと、エレベーターで上まで上がれます。ダム上を歩き、今度は下って花見公園で休憩です。ちょうどいい花の見頃ですが、お客さんは少なく、グループで宴会するにはもってこいの場所です。草地の鹿糞の多さが気にならなければね。駐車場前まで戻り、レストランで昼食です。僕は二種女子さんから教えてもらった「ダムカレー」にしました。ご飯がダム型になっており、古代米のご飯も載っています。ダムを決壊させて食しました。二種さん2二人は、五目うどんです。そばみたいに細めのうどんは、五目が入っているのでうどんの白ではなく、そばと勘違いしそうです。リーダーさんは、わらじみたいに大きなコロッケ定食。普通のコロッケの3倍ぐらいありそうです。日吉ダムで作られた「天若湖」の西岸を南下し、キャンプ場みたいな広い公園に寄ります。キャビンが点在し、散策路もあります。「山桜小道」を天若湖畔まで歩きました。帰りは山道を行こうと思いましたが、思いの外勾配を稼ぐようなのでやんぺ。ここから帰路。能勢のログハウスに向かって往路と同じ道を帰りました。僕が一番大きな排気量なのですが、皆さん速いです。グーンとアクセルを開けなければついていけません。僕の技量でこのスピードでは、山のワインディングに入ると、周囲の自然を愛でるいつものバイクツーリングは無理でした。まあこういう日もアリですが。深山を回りR173に戻り、「気遊」というログハウス喫茶店に寄ります。裏側の崖下がR173旧道でした。ここで新たにお二人と合流。堺の方から来られた方と、尼崎?から来られた方です。僕以外は、ログハウス喫茶店巡りをしておられるお仲間のようです。ここで2時間ぐらいおしゃべりしたでしょうか。ログハウス巡りのスタンプ押してはりました。スタンプラリーですね。僕はこういうスタンプ集めに手を突っ込まないようにしています。最後の1つとかが気になって仕方なくなるからです。「ダムカード」というのがあるらしいです。日本全国のダムの事務所で、無料でくれるそうです。でも北海道から沖縄まで渡り歩くことになり、ダム事務所はお役所仕事なので、日祝日は休みで、ウィークデーの5時までとかしか開いてなく、かなりな難度らしい。ダムカレー食べたとき、おまけでダムカードに似せたものが付いていました。う~む。清算し、ここの駐車場で解散です。アドレスさんが一抜けし、僕が二抜けしました。「森上」でr602に入り、r12「杉生」に抜けました。往路で桜が綺麗だったので、もう一度です。お墓に寄りました。バイクだったので、下の事務所でお花を買えませんでしたが、お墓の掃除をして満開の桜を両親と堪能しました。あと20年ぐらいは、しゃんと生きれるかな?ヨボヨボになる前に、あっさりと子供たちにいいイメージのままここに入ることにしよう。帰りは、いつもののんびり走りで、長尾山トンネルを抜けて帰りました。桜も綺麗でしたが、やはりコブシの白が素敵でした。次は「フジ」の紫の季節、そして「はなみずき」に続きます。今年も盛夏まで、山の樹花が僕を楽しませてくれるでしょう。我家の庭は今、黄色スイセンとチューリップが咲いています。お隣がこの時期だけ貸してくれる梅の盆栽も見事に咲いています。家内は枯らさないように必死ですが。
2011/04/13
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日曜日は、グループツーリングでした。今年に入って始めたグループツーリング。3度目ですが、毎回バイク知り合いが増え、楽しみが増えてきました。AM10時に家から30分ぐらいで行ける道の駅集合なので、それまでにいろいろ回ろうかと思っていましたが、県会議員選挙の日で中途半端な時間になってしまいました。朝7時から投票なので、朝風呂に入ったり食事しながらダラダラと過ごしました。去年、長男の結婚記念に植樹した庭の「はなみずき」は、相変わらず生きてるのか枯れちゃったのか不明なしょんぼり姿です。数日前に、購入した植木屋さんで「はなみずき」見てきたら、新芽が育ってるのはなく、我が家のとそんなに変わらずちょっと安心しました。相談して、肥料を購入し、金曜日に投入しておきました。きっと大丈夫でしょう。7時になり、家内と公園内の公民館に投票に行きました。4人立候補で3人当選です。1人は、我が家によく遊びに来ていた次男の小学校の友達のお父さんで現職、もう1人は僕の小学校同級生で市会議員からのステップアップ。民主党の女性候補があかんような気がするけど、投票前日にやってきたステップアップさんによると、落ちるんやったら僕か彼女やわなんて言ってた。はてさて・・・。公園の桜が満開で、鳥インフルエンザ禍で規制線が張られてた梅の丘も回りました。こっちはもう花が終わり、枝が剪定されています。池の周りに、バズーカレンズを備えた一眼レフさんが数人おられ、鴨撮るの?ってちょっと不思議な光景がありました。僕が小学生の時、釣りしたり泳いだりしてた池にバズーカレンズが押し寄せた。貴重な野生がおるのか?帰宅後、家内は教習所に向かいました。僕はツーリングに出ます。まだ早いので、長尾山トンネル抜けて北摂里山地帯に入り、r33・r319でr12に抜け、「杉生」からr602に入りました。うすピンクの桜もいい季節ですが、なんといってもコブシの白が里山の斜面に目立ちます。山はまだ若葉の薄緑ではありませんが、深緑の白を散らせたようにコブシがいいアクセントになっています。r602でR173手前の「森上」まで来て、「岐尼神社」に寄り道しました。謂れを読むと、祭神に古の神々に混じって「源満仲」が入っていました。さすが地元、清和源氏の祖ですね。裏山には「能勢氏」の山城があり、それを攻城した山下の「塩川氏」の戦闘で焼かれたことも記されていました。どちらも満仲の末同士の清和源氏流れの豪族ですね。その後、織田勢力の西進により再び焼かれ、江戸時代になって再建されたとか。ここらは、少し北の丹波篠山の波多野氏が、信長に反旗し光秀との激しい攻防があり、南の摂津では摂津守・荒木村重が信長に反旗し、大規模な攻防戦がありました。拝殿裏に回り、その桧皮葺の本殿を拝見。覆い屋でしっかり守られていました。なかなか立派な本殿でした。きっとこの神社から山城への取り付き道がありますね。探そうと思いましたが、そろそろ時間なので撤退です。すぐにR173です。この交差点にあるのが道の駅と思っていましたが勘違い。数分南下して、「道の駅・くりの郷」到着。バイクが多いです。どこかなと思ったら、すぐに分かりました。原付二種2台+リーダージュベル200さん3人来ておられ、二種さんとは初めましてのご挨拶。結局この4台でのツーリングになりました。僕が一番後ろを走ることになりました。
2011/04/12
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r25に戻り、保津川を渡ります。川沿いの道へのアプローチが分からず太めの道を下流方向に入ってみましたが、山裾住宅地の迷子道に入り標高を上げるばっかりです。とうとう行き止まりに行き着き、「亀岡・・」という力士生誕地の碑になってしまう。誰や?道を戻りながら、見晴らしの良さそうな枝道を見つけ、徒歩で偵察に行ってみると、崖の上です。下界を俯瞰し、目指す道を発見しました。保津川下りの川船がくぐる沈下橋の道がアプローチ道でした。「え~、また川を渡るの~」とがっくり。次の分かれ道を凝視すると、川に向かって下ってそうです。チャレンジするとビンゴでした。目出度く川沿い道にアプローチ。下流を目指します。「通行止め」の看板が立ってるが「請田神社」までは行けそうなので進みます。神社到着。ちょうど「ラフティング基地」の対岸でした。「保津川火祭り」で有名のようです。謂れによると、祀られている「大山・神、美保津姫命」は、亀岡を開拓した神で、出雲地方からやってきたとのこと。年代不詳のようで、「古事記」・「日本書紀」の時代、天皇家の勢力拡大の流れに合致しているなと、ちょっとフムフムしてしまいました。神々の戦いという神話になってるけど、地方豪族のダイナミックな攻防を、勝者の天皇家が自らに都合のいいように書き残したのだと思っています。「起点・F401A002・京都府」の四角い標識が立っています。府道401のようです。ここにも通行止めの看板がありますが、道が塞がれてる風でもなく、程度は良くないがアスファルトが続いているので進みます。すぐに舗装が切れ地道になりますが、最近穴ぼこを砂利で埋めている形跡があり、放ったらかしの道ではなさそうです。「土砂崩れあり。自己責任で」の看板。進みます。やがてアスファルト道になり標高を増し、保津峡渓谷を眼下にして素敵な景色の道になりました。「トロッコ軌道」も見えます。トロッコと渓谷を、JR山陰線鉄橋が渡る所に来ました。「もうすぐJR保津峡駅だな」と思った矢先、土砂崩れ現場になりました。元々1車線道だったのが、3/4土砂で塞がっています。渓谷側1/4は通れ、二輪車が何台も通った轍が残っています。が、僕のはオフ車ではないし、この先もっと大きながけ崩れ現場があったら、もう一度ここを通らないといけないし、今までも小さながけ崩れ現場が数ヶ所あったし・・・ビビリな僕は名誉の撤退決定です。何度も切り替えし、Uターンして帰路に着きました。それにしても気持ちのいい景色です。渓谷側に開けたところで、保津川下りの船が下っているのに出会いました。2隻続いています。遥か上にバイクの人がいる。どんな風に見えたのだろう?ビデオに撮りました。この道、当然だけど交通量ゼロ。暗くなったら鹿なんかの獣道になりそうです。今度は、沈下橋の上を通ってみました。観光川船の屋根ギリギリの高さにあるので、ここで船に出会ったら、たくさんの観光客さんのシャッターに収まるのでしょう。r25・R9・R423で家路につきました。帰宅後、家に入ると家内が勉強中。「ただいま」とだけ声を掛け、家の横でバイクを洗車。先週の雪解け水の道で大いに汚れていました。食卓で勉強中の家内の横で、夕食のうどんにおつゆを注ぎます。「あ~、やっぱり本人の予想通り、今日のテストは不合格だったんだなあ」と思い、そこには触れずにTVのとこに行って食べようと用意してると、「あのねえ、96点で合格したの」。「え~そりゃすごいやん。本番に強いねえ」「それでね、合格祝いしようと思って、ケーキ買ってきたの」って。なんだ、勉強中は演技だったんだ~。まあ国のテストも控えてるから、まだしないといけないんだけどね。食卓で、2人でなんだかんだ言いながら夕食を食べました。その後ケーキを持ってTVの前に移動し、途中になってたNHKドラマ「10年先も君に恋して」の最後のDVDを観ながら、ケーキで合格祝いをしました。今日も、楽しい日になりました。保津峡を走ろう5
2011/04/11
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日曜日に親戚を大阪空港から見送った後、家内は自動車教習所に行き、僕は、バイクツーリングに出ました。亀岡~JR保津峡間の保津川沿いの道の探索です。去年、長男夫婦と一緒に下った保津川下りで、船頭さんが川沿いに嵐山まで行ける道があると言ってたので、それを確認にです。「夫婦で自転車」のコースも考えています。その下見も兼ねて。亀岡に車を置き、嵐山まで自転車で下り、嵐山でごそごそしてJRで戻ってくるコースです。まずは亀岡まで。先週改修成ったR477を使ったので、1本東の南北の道であるR423利用です。池田からR423に入り、子供の時の思い出がいっぱいある「不死王閣」、余野川の渓谷沿いを走り北上します。午後なので車が多く、朝のように快走路とはいきませんが、豊能町に入るとそれなりに楽しいです。亀岡に入る前の斜度のあるヘアピンカーブで僕はゆっくりになるので、後続車もあることもあり、「柚原」でr733にチェンジしました。ここからは交通量がほとんどありません。r407へのショートカットで、山道に入り、r407を亀岡盆地に下りたR423合流まで走りました。R423直線で、やんちゃそうなお兄ちゃんが乗ってるスクーター数台が法定速度で走っています。・・・ネズミ捕りをしていました。京都縦貫道下の信号で止まると、「やっぱりやってたな~」と上機嫌です。誰かが「ゆっくり走れ」司令を出したようです。両側田んぼの見通しのいい区間ですが、制限速度40km/h・イエローライン。調子よく走る車を、容易にお縄に出来ます。むむ~。道なりにR372になり、R9を突っ切ってr25。そのまま「保津川下り」乗船場を越えて橋を渡る予定でしたが、「篠宮八幡」さんを探しに行くことにしました。ここは足利尊氏縁の神社です。清和源氏末源頼朝が作った鎌倉幕府末期、倒幕の狼煙を上げた後醍醐天皇方を討つため鎌倉幕府側から派遣された尊氏は、天皇方を破り天皇を壱岐に流す。再び伯耆の国で倒幕の旗揚げした後醍醐天皇を再び制圧に赴くが、今度は丹波のここ「篠村八幡宮」で、天皇方に寝返る。京都の幕府方守護・六波羅探題を落とした。鎌倉も新田義貞などに滅ぼされ、鎌倉幕府は滅ぶ。その後複雑な経緯で、新田義貞・楠木正成など後醍醐天皇側と戦い破れ、九州に落ちて行く。再び勢力を盛り返した尊氏は、「湊川の戦」いで新田義貞・楠木正成を倒し、京都に入った。後醍醐天皇は、「三種の神器」を足利側に渡し皇位を譲って和平し、室町幕府が成る。でもすぐ譲った「三種の神器」は偽物として、後醍醐天皇は吉野に逃れ、こっちが正式な天皇流れとして南朝を立てる。ここから長い南北朝の戦乱時代になる。「太平記」のハイライトの「篠村八幡宮」ですが、初訪問です。「六波羅探題」との戦闘に向かう諸将が鏑矢を盛り戦勝祈願した「矢塚」。「足利尊氏旗揚げの地」の碑。各地から集まって来る友軍の目印にした源氏の白旗を立てたやなぎ。僕には、「おお~」という名所ですが、お宮は小ぶりで拝殿も本殿も小さめ、観光客用駐車場もありません。「う~む」な感じですが、大満足でした。八幡様の裏道に「旧山陰道」と書かれていました。今まで思ってた表側の道とは違ってたみたい。バイクで裏道側に出て、これで亀岡に向かいました。予想通り、少し走ると表道に合流しました。京都側に走ったらどこで合流するのかな?さあ、本日のメインに向かいます。そうそう、境内に土俵がありました。大相撲は八百長事件の後始末で大変ですが、膿を出して復活して欲しいです。八百長試合なんて、興ざめです。プロレスが八百長興業だったことを知り、見なくなりました。プロレス団体が、盛衰を繰り返しているのは、八百長興業を多くの人が知ったからだと思います。勝負の行方が前もって決まってたら、プロ野球だってサッカーだって、観客はみんな勝負の行方に興奮しないでしょう。
2011/04/09
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日曜日、早朝自転車から帰宅して、洗車とかごそごそして10時前、早いけど車で空港に向かいました。通勤リード2人乗りを考えていたのですが、土曜日より気温が下がったので家内に風邪を引かせたらまずいので車出動です。たった10分の距離なのに、勿体無いです。空港に着いて、まずお店を探しました。日本料理のお店が良さ気でしたが、滑走路が見えるビッフェもいいです。他にもたくさんお店があり、目移りしてしまいます。お土産物屋さんを覗くと、美味しそうなケーキ類があちこちのお店で目につきます。今回のお土産は、宝塚ホテルのケーキ?お菓子?を家内が用意しました。前回は地元のだったので、今回は「宝塚歌劇団」で全国的に有名な隣町のを。軽くお使い物が必要なときは、百貨店ではなく空港に来れば事足りそうです。滑走路の見えるロビーで椅子に座り、家内とあ~だこ~だ。予定の11:15に近づいたのでJALカウンターに下りたら、ちょうど電話が入りました。モノレールの空港駅に着いたそうです。空港駅の方に歩き出すと、すぐに見つけられました。長男の結婚式の時1度会っただけですが、わかるものです。彼女の選択は、「せっかくだから滑走路の見えるところで」ということで、3Fビッフェの滑走路に向かう席で食事をしました。僕はまたカレー。声がお姉さんそっくりです。聞き上手なのでとても話しやすい。男の子にモテそうです。彼女はハワイで結婚式を挙げました。長男も一緒に行ったのですが、長男とお姉さんが英語がペラペラなので、尊敬しちゃったそうです。でも2人とも必要な仕事柄だから、どうって事ないと思うけど。で、「お父さんもペラペラなんですか?」って聞かれてしまいました。僕がペラペラな訳ないけど、ジュニアヨットのナショナルチームを国際レースに引率したこともあり、大会関係者とコンタクト取れるぐらいは大丈夫です。次男も1人で格安チケット取って海外に出るぐらいだから、大丈夫なんでしょうが、息子たちが英語を使ってるところを見たことがありません。次男がジュニア時代、アルゼンチンでのレースでお世話になったコーチが来日したとき、2人でサポートしたけど、僕ばかりしゃべってました。その時、「お父さん、英語出来るの」なんて驚かれた。海外レースに引率した時も、選手から「すごい」と言われました。そこいらのおっちゃんなのに・・・と思ってたみたい。笑顔とジェスチャーがあれば、大丈夫だと思ってるからね。普通に学校で英語の勉強してたら、発音を気にせずともゆっくり喋れば、案外通じるものです。英語でも、相当なまりがあるから、英会話の授業でイントネーションをワイワイ言うから、英語嫌いになるんじゃないのかな?ろれつの回らないお年寄りの日本語でも、たいがい理解できるやん。12:15になったので、またJALカウンター前に下りました。ちょうど一緒に帰る友達がモノレールで到着しました。ここでお別れです。僕らがこの世からいなくなっても、長男とは長く付き合うことになる人です。よろしくね。帰宅し、家内は教習所に向かいました。今日は学科のテストです。これに合格しないと、実技の卒業試験に臨めません。朝晩と、問題集をしゃにむに解いていますが、平均70点台だそうで、90点取らないと合格できないから今日は小手調べなんだとか。
2011/04/08
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日曜日は、長男のお嫁さんの妹さんが大阪にやってきたので、その見送りに伊丹空港まで行ってきました。お嫁さんは器量良しで、穏やかで強い芯を感じる女性です。美人三姉妹の2番目の妹さんが、友達の結婚式で大阪に来ました。土曜日に式・披露宴などがあり、お昼の便で帰ります。空港は自転車で10分ほどの距離なので、一緒にお昼を食べて見送りする予定でした。夜明け前に起きればバイクでひとっ走りしようと思っていましたが、目が覚めた時は外が明るかったので、早朝自転車にしました。荒木村重・有岡城コースにしました。有岡城は、日本の城作りには珍しく惣構えの城でした。中世ヨーロッパ都市国家と同じように、南北1.6km・東西800mの都市全体を城域に内包する形です。子供の頃から、同じ摂津の商業都市・堺を見てきたので、堺の都市国家に習ったのかもしれません。まず惣構え北の守り「岸の砦跡」の猪名野神社を訪問しました。土塁がそれとわかるように残っています。多分当時は2倍ぐらいの高さだったのでしょう。北側の川が流れる道と西側のバス道は、堀跡でしょう。東側は段丘なので、自然の崖で守られています。次に西の守り「上臈塚砦」。それに向かって自転車を走らせます。南に向かって少しずつ下がっていきますが、西側とは明らかに高低差があります。今は道路などで緩やかな坂に削られていますが、東側の段丘から続く丘の地形を利用し、西側の丘の切れ目までを城域としたのが分かります。この砦跡は、信長勢に落とされた時に虐殺された女子供の霊を祀ったお寺の敷地内になっています。この日は訪問せず。続いて南の守り「鵯砦」。ここが確認できないんですよね。この日の目的の第一は、ここの確認です。ここも東のJR線に向かって大きく下る場所にあり、南側も勾配を増して下ります。周囲から高くなってる丘全体を城域にしています。今までは適当に探索していただけですが、この日は念入りに探索しました。自転車を押して、路地の奥まで入りどん突きの民家まで行ったりしましたが、結局確認できませんでした。「ひよどり公園」という小さな公園があり、周囲を探索した地形や高低差を考えても、すぐ近くだと思うのですがありません。2つの砦跡が、他所の城跡同様神社とお寺になってるのに、最後の1つが行方不明です。日本人気質から考え、祠ぐらいは建ってるのが普通です。村重が滅んで以降も、酒造りの町として栄えた街域です。多くの死者を出した砦を、何も残さず他に利用するなど考えられません。公園の隣が大きめのマンションで、この塀の中なのかな?それとも周囲の民家の庭にひっそりと守られているのかな?縁のある方が代々守っている気がしてなりません。この日はJR駅前の天守閣には寄らずに家に戻りました。
2011/04/07
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メタセコイヤ並木を初めて見物し、用事のため京都市街地に入りました。JR京都駅ビル駐車場は、バイクが停められませんでした。駅南の八条口駐車場は、バイクOKで1回400円でした。用事は、コーチしてる大学ヨット部の卒業式です。今年の追いコンは、いつものところと変わり「グランヴェルジュ京都七条倶楽部」というところです。本職は結婚式場だそうです。七条に面し、JR京都駅にも近いこじんまりした2F(3F)建てです。1組しか出来ない広さなので、落ち着いています。OB会長さんの挨拶に始まり、乾杯・歓談・・・挨拶の最初は僕でした。いつもは、卒業生それぞれのエピソードなどを交えるのですが、今年は東北関東大震災に絡めて、我が家の阪神淡路大震災のことを。卒業生の次男の震災後の流れを話し、今までの人生・これからの人生の出来事が、みんな次に繋がっていることを話しました。それから、後にボランティア元年と言われるようになった避難所での若い子達の大活躍を、僕から見たその時の若者の姿をしゃべらせてもらった。避難所には震災2日目には、完璧な収容者名簿が出来上がっていた。子供たちが校庭でサッカーをして笑っており、それを大人達が見て笑っていた。卒業生たちに、自分たち若者の持っているパワーと、どんな境遇になっても前を将来を向いている力を、大いに笑って発揮して欲しいと。学部での自分の研究、ヨット部で身についたことを底辺に、これから進む次のステージでも一生懸命やって欲しい。避難所での若者のように、君たちの力で周りを盛り上げて欲しいと。午後8時に終了。JR京都駅まで歩き、いつものように円陣を組んで、卒業生へのエール、応援歌、琵琶湖周航の歌を歌い解散になりました。その後、またブレザーからバイク装束に着替え、名神高速で帰宅しました。京都市街地に入ってから給油しました。304km/9.34L=32.5km/L。山道・路肩に雪の盛られた道で、低いギアで超減速走行した割にはいい燃費でした。
2011/04/06
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「夫婦で自転車・海津大崎~マキノ~湖西沿い」を考えているので、湖西岸を南下し始めました。桜の名所・海津大崎のバックの湖北の山々、対岸の長浜のバックにある伊吹山はじめ湖東の山々も、雪を被ってとっても綺麗です。湖岸に別荘がポツポツ建っており、交通量のほぼない道をゆっくり走ります。湖岸に銅像が立っています。「ん?誰?」と思ってバイクを停めると、横に高島市にある道の駅「しんあさひ風車村」があったので、そこにバイクを停め銅像を見物しました。謂れによると、「瀬田川さらえに命を掛けた太郎兵衛親子三代」の銅像でした。琵琶湖の唯一の出口瀬田川の流れが少ないので、琵琶湖湖岸は毎年洪水に見舞われました。瀬田川を浚渫した「瀬田の洗堰」の先駆者ですね。ここの庄屋さんだそうです。ここからr23で安曇川沿いを西進しだしました。安曇川の周りの広がりが良く、気持よく走れました。「朽木」で「R367・鯖街道」に合流しました。山登りの方がバス停で待っています。周囲の山への登山口のようです。京都の大原の里に向かって南下を始めました。峠にかかると、周山街道同様路肩の雪がおっかないですが、その他は、走りやすいです。でも周山街道の方がバイクは気持よく走れます。R477分岐の「途中越」を越えると、交通量が増え面白くなくなってきました。大原の里で右折し、r40に入り「鞍馬街道」に抜けました。これで京都市街地に向かって南下。「京都産業大学」脇を通り、上賀茂神社・下鴨神社・鴨川沿いを七条まで南下し、七条で西進しましたが、日曜日の午後、メチャ混みでした。会場に到着したのが2時間前の午後4時です。バイク駐車場がなかったので、JR京都駅南のアバンティの24時間駐車場に入れました。
2011/04/05
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