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以前にネットでいじめられたらしいけれど、 具体的にはどういうことなの? 元カレが自撮りで撮った貴方とのキス動画を第三者の女の子に送り、 その子がSNS上で公開してしまったんだね。 その子は貴方の元カレの前の元カノだったんだ。 貴方の元カレはその子に振られたことの腹いせもあって、 「おれは今、お前以上の彼女とつきあっているんだぞ」 ということで送りつけたということなんだね。 当然、騒ぎになって貴方はその彼と別れた。 今は元カレだけど、不用意と言えばあまりにも不用意な振る舞いだった。 元カレは19歳の大学生、貴方は高2で、元カレの前の元カノは高3か。 みんな若くてみんな不用意だよ。 ところで、貴方がやった仕返しというのはどんなことだったの? 元カレの前の元カノはYouTubeで自分のちょっとセクシーな姿態とともに、 日記風のことを喋ったり、歌をうたったり、 耳で集めたグルメや、ファッションの情報を流しだしたんだね。 それが人気を呼んでPV数が凄いことになっているんだ。 その子はアイドルになった気分でいるし、キス動画を公開された恨みもあって、 匿名掲示板に中傷のコメントを何回か投稿したということだね。 それでなぜ自己嫌悪に陥ったの? 自分が惨めな気持ちになり、自分で自分を傷つけてバカみたい、 と思ったのか。 それだよ、大事なことは。 貴方が行った仕返しはキス動画をSNS上に公開されたことから見れば、 30分の1ぐらいなものだろう。 でも、ネットで中傷する虚しさによく気づいた。 偉いよ。 これからは素敵なネット利用を見つけるんじゃないかなあ。 女子高生なんだから勉強も忘れないでね。
2015.12.22
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貴方は来春、卒業予定のJKか。 2歳上のお兄さんがいて、とっくに家を出てGSで働いているんだね。 お母さんは3年前に家を出てどこか遠くの街で男と暮らしているんだ。 お父さんは昔から酒癖が悪く、酔ってよくお母さんを殴る蹴るしていたから、 同情すべきところもあるけれど、連絡1つしてこないところは許せない、 ということだね。 お父さんは何をしているのかな? 工務店に勤めている大工さんか。 酒が入らなければ静かすぎるほどだし、 外では愛想がよく借りてきたネコのようなことも多い。 酒癖の悪い人にはそういう人が多いんだよ。 お母さんがいなくなってますます酒癖が悪くなって、 暴力がお兄さんや、貴方に向かうようになったんだ。 お兄さんは受けて立ち、お父さんと壮絶な取っ組み合いを演じて、 双方ともに痛み分けとなったんだ。 その翌日、お兄さんは家を出た。 そのとき、一緒に出るか、と言われたが、貴方は断った。 どうして断ったんだろう。 急に黙っちゃったね。 お父さんを1人にしておくのが心配だったんだ。 優しいんだね。でも、貴方1人が暴力の矢面に立たされたんじゃないの。 えっ、酔ってグチグチ愚痴っても暴力は振るわなくなった。 なぜなんだい? ある夜、殴る蹴るして眠りこけたお父さんを揺り動かして起こし、 カッターナイフをその首筋に当て、 今度やったら殺すよ、と言ったんだ。 本気だった。今度やったら本当にお父さんを殺し、 自分も死ぬつもりだったんだ。 それが伝わったんだよ。 お父さん、心底から怯えたんだと思うよ。 貴方と同年齢の女子高生が殺人事件を起こしているし、 そんな事件が続いているしね。 それに貴方は進学校に在籍して成績もいいらしい。 品行方正なんだってね。 そんな貴方に本気を出されリゃ僕だってビビる。 お父さんがビビり過ぎたんで後悔しているらしいけど、 よくやったって僕は言いたい。 お父さんは酒癖を治すチャンスかもしれない。 勤務先の社長にお父さんは心服しているらしいね。 社長に相談してお父さんを病院に連れていってご覧。 断酒できるかもしれないよ。 貴方は奨学金もう問題なく受けられるし、 大学へ進学したらいい。 お父さんが断酒できて心を入れ替えたら、 崩壊した家庭を再建できるかもしれないよ。
2015.12.15
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貴方は共稼ぎの30代前半の女性だけど、 なぜ障害者の相談員になったの? そうか、東北の実家のお祖母ちゃんが介護を受けていて、 介護という仕事の重要性を認識するようになったんだ。 それに自分も高齢になったら介護を受けなければならない身の上になるかもしれない。 つまり、他人事ではないという思いもあった。 それで最初はヘルパーの資格を取り、 それから平成25年4月に施行された障害者総合支援法にもとづいて計画相談支援を行う相談支援専門員になったということだね。 それで貴方の勤務先は計画相談支援を行っている特定非営利活動法人の某事業所か。 何か一般にはなじまない言葉ばかりが出てくるけれど、 計画相談支援は計画相談、相談支援専門員は相談員と略称していいんだね、 相談員としての貴方の仕事内容は、障害者に対する障害福祉サービスの利用の相談に乗り、 その計画の作成をし、それにもとづいてモニタリングを行うことなどか。 そうすることで障害者(児)の自立した生活を支え、適切なサービスを利用できるよう支援する、 ということかな。 大体理解できたけれど、もっと簡単に言えば、 こういうサービスがありますが、どうですかと提案して、その計画を作成する。 区役所などの担当部署がそれをもとにして支給を決定したら、 モニタリングを行って状態を把握し、次の計画作成に反映いさせるということだろう。 なかなか難しいところのある仕事のようだね。 Q それで、貴方は何人の障害者を受け持っているの? A 22人です。そのうち精神障害者が18人です。 Q ほう、精神障害者の割合が多いね。 A 他の相談員の利用者数の割合も似たようなものです。 Q 22人という数は多いの? A 考え方にもよります。私がモニタリングしている人に、 21歳の男性の双極性障害者がいるんですが、いつ行っても留守なんです。 両親のうち母親は昼間働いていて夜も水商売の店で働いています。 父親は殆ど帰ってこない。家族から必要な話を聞くことも困難な状態です。 彼は本好きで図書館にいることが多いんです。パチンコ屋や、ゲームセンターにも行きます。 心当たりを探しまわってやっと見つけてもあまり会話をしたがらない。 濃い関係を作ろうと思うんですが、なかなか大変です。 モニタリングは半年でいいという人もいますが、 彼のような場合は1月に1回ぐらいやらないと、 心を開いてくれないし、効果的な計画作成ができないんです。 そうか、貴方のように使命感、責任感が強くて、 利用者のためを思うと10人が限界だということだね。 いずれにしろ、事業所にとって採算が取りづらいサービスなので、 事業所は質より量でいきたいのがホンネかな。 他のサービスで埋めてやっと採算を取っている事業所も多いんだろう。 貴方はそれでも今の仕事は絶対辞めたくないというんだね。 解るよ、貴方がこの仕事にかけている思いのほどは。 じゃ、歯を食いしばって頑張ろうか。 22人を完全にカバーしてあげてほしい。 酷なことを言うようだがね、 このサービスは社会が必要としているから、 これから徐々に見直されて改善されていくだろう。 その社会が今必要としているのは貴方のような人なんだ。 だから、やり抜いてほしい。 見る人はみんな見ているよ。
2015.12.11
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尾張一宮市の皆さん、 明後日12月12日(土)にシビックホールでお会いできますことを大変楽しみにしております。 「楽しく生きるヒント~今こそゆっくりさわやか人生を~」と題して、 14時30分から開演させていただきますが、実は今回の講演は僕にとって大きな節目になるもので今から胸を躍らせています。 と申しますのは、僕は1998年秋に読み聞かせ活動を開始し、翌1999年8月に「よい子に読み聞かせ隊」を結成しました。 講演活動はそれ以前から行っていましたが、読み聞かせ活動を開始して以来、読み聞かせ以外の講演でもその活動に触れ、場合によっては講演時間内で読み聞かせの実演を入れることも多くなりました。 そういう経緯もあって以来、読み聞かせ&講演として回数をカウントするようになりましたが、 このたびの尾張一宮市立図書館100周年記念講演がその1800回に当たります。 全国で展開している読み聞かせ活動は今では僕のライフワークになっており、講演活動はその側面を支えるものになっています。 1800回目を尾張一宮市での講演で迎えることができるのも市民の皆さんの暖かいご支持があったればこそ、と勝手に思い込んでおります。 大いに盛り上がる講演にするつもりです。 講演会終了後、市立図書館に場所を移して読み聞かせ会が開催されますが、これにより読み聞かせ&講演の累計回数は1801回になり、尾張一宮で一から新たなスタートを切らせていただくわけで本当に嬉しい限りです。 さらに嬉しいことが重なります。 一昨日、岐阜にお住まいの編み物をおやりの未知の女性が、僕に着てほしいと毛糸の手編みのロングドレスを贈ってくださいました。 色使いといい柄模様と言いデザインと言い、とても素晴らしい作品で、重厚にして華やかな印象です。 当日、それを着て尾張一宮にまいります。 尾張一宮の皆さん、僕にではなく、どうかその毛糸手編みのロングドレスのデビューに拍手をpyレゼントしてください。
2015.12.10
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ずつと強くなろうとしてきたんだね。 その努力は大いに認めよう。 でも、弱いから強くならなければいけない、 と自分に課していないだろうか。 そうだとしたら貴方は誤っている。 ボクシングのフライ級の選手がその王座になって、 今度はヘビー級の王座を獲りたいと思っても、 それは無理な相談というものだろう。 肉弾相撃つ格闘技にたとえたけけれど、 精神面でも同じことだと思う。 貴方が弱い自分をどのように強くしようとしても、 生まれながらの素質的に強い人を超えるのは、 至難の業になる。 そりゃ血の滲むような切磋琢磨を忍耐強く継続すれば、 素質的に強い人に肩を並べられるぐらいには 自分を変えられるかもしれない。 でも、消耗して途中で挫折する人が多いんだよ。 大体、弱いって悪いことなのか。 じゃ強いって何なんだ。 2+1=3や、3-2=1みたいに答えは出ないんじゃないか。 強い弱いと言ったって基準なんかないんだよ。 強いも弱いも同じじゃないか、ってことになる。 当てにならないんだよ。 戦前は思想犯として捕まると、まず拷問が待っていた。 組織で羽振りを利かせてね、 筋金入りと見られていた奴が、2,3日で拷問に耐え切れず、 洗いざらい喋ったという例もあれば、 見るからに弱々しげな奴が叩いても叩いても、 耐えぬいてね、黙秘を通したケースもある。 芯に1本、見えない筋金が入っていたんだろうね。 僕の体験を聞いてくれるかな。 僕は今も弱い。 でも、中学時代まではとても弱かった。 心だけじゃない、体も虚弱で貧弱だったのだよ。 クラスで前から2番目ぐらいで、 体つきが見るからに虚弱だった。 中学に上がった年に別の街に建てた新居に引っ越したから、 僕には友だちが1人もいなかった。 1年の新学期が始まって間もなくの昼休み、 制服の上衣を脱いだ途端、 「何だよ、それ?」 怒声とともにクラスのワルガキグループが僕へ駆け寄った。 小学時代からのグループで、 どういうものか僕がいたクラスに固まって編入されていた。 昭和27年(1952)年のことで、まだまだ日本は貧しかった。 僕には2人の姉がいたが、そのお古のブラウズを 母が僕のシャツに仕立て直してくれた。 花柄模様のシャツになった。 ワルガキグループはそれを見咎めて、 僕を小突きまわした。 それだけですめばよかったが、 数日経っての放課後、僕が母に頼まれてオカラを買いにいったことで、 本格的ないじめが始まるきっかけを作ってしまった。 豆腐屋と間違えて隣の魚屋に飛び込んで、 「オカラください!」 と、叫んだ。 たまたま、通りかかったワルガキグループに目撃されてしまい、 翌日、登校すると、オカラ、オカラ、と囃し立てられた。 以来、ことごとに囃し立てられ、 ワルガキグループではないクラスの者たちも同調し、 他クラスにも波及していった。 ワルガキグループはただ囃し立てるだけではなかった。 輪に呼び込み小突き膝で蹴りまわした。 学校に行くのが本当に嫌になったけど、 当時は不登校なんて言葉すらなかったから、 学校は体調がひどく悪くないかぎりは必ず行くものと思い込んでいた。 校庭を横切ると、窓からオカラ、オカラと囃し立てられる。 2学年3学年までが囃し立ててきた。 早く校舎に入ろうと途中で駆けだしたことがあった。 初めオカラオカラだった合唱が途中で乱れ、 オケラオケラになっていった。 虚弱な体つきの僕は駆けると両手を不自然に振る癖があった。 ケラという前肢がモグラの前足のような虫は、 背中を挟んで捕まえると、前肢を激しく振る。 2階から僕が駆ける姿を見下ろして、 誰かがそのときのケラを連想したことが始まりだった。 以来、オケラが僕のあだ名になり囃子言葉になった。 オカラのときより苦痛だった。 それからだいぶ経っての頃、 校庭を横切っていたらオケラオケラが始まった。 そのときの僕は開き直ったのだろう。 駆けだして意識して両手を異様に振り回した。 ワルガキグループから爆笑が起こり、 それはすぐに全体へ波及し、 凄まじいほどの大爆笑が降ってきた。 以来、ワルガキグループの態度が変わった。 異分子の排除型のいじめから奇妙な親近感を抱いたような態度になったのである。 オケラ、おいで、とニコニコしながら手招いてエロ写真を見せ、 おくての僕の反応を楽しんだ。 手を出してくることは一切なくなった。 以上で僕の体験談を終えるけど、 弱い僕がいじめを受け開き直れたのは弱いゆえだったんだよ。 開き直るという行為は強いものとして受け取られているよね。 ということは、強いも弱いも同じじゃないか。 自分を弱いと思うのはいいよ。 でも、あえて強くなろうとする必要はないんだ。 弱いままで弱いからできることを見つければいい。 弱いということは素晴らしいものを秘めている、 ということになる。
2015.12.08
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