仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2026.05.12
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カテゴリ: 宮城


田尻の謎を解く(その1) (2026年05月09日)に続く記事です。前回記事では、解ききれなかった謎に、今回ついに踏み込んでいます!

前回は昭和58年の田尻町史を調べたが、実は、それとは別に、田尻町史編纂委員会編纂、桜井宇京編集、『田尻町史』(昭和35年8月)があるのだった。読んでみた。昭和の合併における新町名と役場の場所についての部分を、下記に記す。(当ジャーナルで適宜まとめている。)

1 昭和の合併の経緯(なお、前回記事とも内容は重複)

町村合併促進法施行(昭和28年10月)頃から、合併機運は旺盛。しかし、実際に動きが具体化したのは、田尻町が12月中頃に、4か町村(田尻町、沼部村、大貫村、中埣村。通称河北4か町村)による合併案を呼びかけたのが始まり。各村の与論は区々で必ずしも田尻町案に同調する機運ではなかった。

しかし、翌29年1月に至り、沼部村の与論が田尻町案に傾き、村当局も積極的に。たまたま県試案が発表されたが、4か町村案と、小牛田町、不動堂町、北浦村、敷玉村のうち堀切・松ヶ崎・梅ノ木、及び中埣村による合併案となっていた。これは中埣村住民の与論が、田尻ブロックと小牛田ブロックの二派に分かれたことを考慮したものだった。

県試案の発表を契機に合併の機運は益々高まる。中埣村は3月7日、帰趨を決する住民投票を行い、投票総数1624(うち持ち帰り4,無効3)、小牛田ブロック賛成945,田尻ブロック賛成672をもって、中埣は脱退にいたった。

このことが田尻、沼部両町村を強く刺激し、両町村から大貫村に対する働きかけが強力に行われた結果、3月15日、合併期日を5月3日とし、法定の合併足趾協議会を設置することで一致した。3月27日の第1回協議会を皮切りに数回協議を重ねる。その過程で、町名、役場の位置等で紛糾もしたが、ついに基本的事項の決定をみ、4月10日沼部大貫両村議会、11日田尻町議会が議決に至った。

2 紛糾の内容



●合併協議会議事録、第2回(3月31日)から
田尻、沼部、大貫の順に、第一項(新町名)の提案を説明。
沼部(宮崎):町名の審議は後回しとして審議しては如何
田尻(高橋):本日の審議の進行はいかなる方法で決定するや
議長(富田沼部村長):できるだけ満堂一致で決定したい。
田尻(沢田):小牛田ブロックの方法は
遠田地方事務所長(餅):満場一致で決定した。できるだけ満場一致で決定してほしい。小牛田ブロックは最後に決定した。
議長:沼部宮崎氏の発言通りで如何。賛成の声有り。
(中略)
第三項(町村役場支所又は出張所の統合整備に関する事項。内容は、1号役場の位置、2号増改築方針、3号支所出張所の位置など)について。
田尻(山村):役場は、増改築が不要な旧田尻町役場を本庁としたい。
沼部(宮崎):将来の新町の発展を考えるべき。
田尻(山村):庁舎位置は町名とともに重要だから、休憩して座談的に決定すべき
沼部(中峯):町名とは関係がない。
田尻(山村):関連性ではなく、重要ということだ
沼部(宮崎):いままで何か話し合いがあったのなら、紳士的に満場で決定すべき
沼部(柳原):新町の中心部におくべき
大貫(高橋):休憩せず決定すべき
田尻(後上):他官庁との問題、人口密集等を考えた場合、また、旧中埣村の一部合併問題もあるので、旧田尻町役場とすべき
大貫(林源):役場は中心に置くべき。また大貫村民には遠くなる。
大貫(遠藤):大貫村としては何も利益のない合併なので、旧田尻町役場とすれば、合併して不便となる
田尻(菅原):田尻町案は現在当分の間ということでその後は移転されるもので、田尻町案に賛成
議長が休憩を宣言。15分後再開。
沼部(宮崎):大貫案に賛成。賛成の声1、2名。
田尻(佐助):田尻町としては引くことができない。地方事務所長の参考意見は
沼部(加誠):我々委員で決定すべき
田尻(宮崎):田尻案は合併に経費がかかるので当分の間の庁舎であり、将来沼部に新築は何も差し支えない
沼部(宮崎):田尻も沼部も言葉に表し得ぬことがあると考えるので一応大貫村案に賛成。裁決(ママ)すべきなり。
裁決、裁決とさけぶ声有り
大貫(佐々木):当分の間田尻に置くのは良いが、役場位置を決定しておくべき
田尻(佐助):大貫としては1号(役場の位置)の問題は了承したのではないか
大貫(佐々木):当分どこで事務を執るとも、場所はここで決定すべき
沼部(加稔):役場の位置は大貫村案のとおりで、位置は沼部村富岡、として、仮庁舎の件は2号(増改築の方針)で定めるべき
田尻(佐々敬):田尻町案の書き方は間違っているのでないか。2号で審議すべき
沼部(柳原):位置を沼部に置く、ただし増築新築までは旧田尻役場を使用するのは村民に知らす方法を知らず、反対
大貫(遠藤):田尻町案の修正はいかに
田尻(佐々敬):当分の間とは、仮庁舎の意味
田尻(山村):将来の新築計画は合併後にすべき
大貫(伊藤):田尻町助役(山村)に反対。この会議で決定せねばかえって後に禍根のこす。
議長裁決せよとの声1人
田尻(宮崎):役場の位置を決定していた場合、将来議会で変更できるか
地方事務所長:禍根を残すからここで決定してほしい。ここで決定した場合、その決議は有効
議長休憩を宣言。再会(ママ)は午後1時30分。
議長:休憩中いろいろ審議せるも結論を得ず。よって本日はここで散会に決定。
沼部(加稔):議長、散会とは何か。休憩中にいかなる状況か説明もなく納得いかない。
その通りの声が多し
議長:散会の決定を取り消す。改めて、散会か続会かを諮る。
田尻(佐助):二三日おいて再開が良い
沼部(柳原):続会して審議を
田尻(菅原):議長の取り消しはいけない
田尻町側委員が退場退場との声あり。騒然となり記録不能。田尻町側7名退場せり。
大貫(佐々木):退場が今後悪例となるので会議を続行してほしい
議長:再会を諮る
沼部(加稔):続行してほしい。田尻の理由を示さず退場は遺憾
佐々木田尻町長、田尻町委員の無断退場を陳謝
田尻(山村):二三日考慮したい旨述べているので、その点議長から伝えてほしい
議長:ただ今の田尻町助役の言を全員に伝え、続会か散会か一堂に諮る。議長は非常に苦しい立場で迷っているから皆さんの意見をはっきりしてほしい
大貫(林源):続会に賛成だが、田尻の二三日の余裕は見通しあってのことか
田尻(佐々敬):5月3日の合併に支障ないよう努力する
沼部(加稔):佐々木町長と助林役の意見は了承するが、退場した田尻町議長(佐々木助五郎)は遺憾だ
田尻(山村):田尻町としては全部取り入れられない状況なので、二三日研究させてほしい
沼部(中峯):退場は遺憾だが、後日田尻が同意された場合考えることとして2か村の意を考えてはどうか
沼部(加稔):3か町村合併を2村のみで会議はできないから、本日は閉会してほしい
沼部(柳原):退場した委員は田尻町の半数だから続行して差し支えない
大貫(林源):退場の理由を明らかに
議長:柳原に、半数でなく5名(おだずま注、合併協議会は各町村から12名の委員で構成)、林氏に対し、1号の役場位置は沼部村富岡に置くことは田尻も了解、2号の仮庁舎は、新築まで旧田尻町役場に置く点は大貫村は絶対に譲ることができないとのことで、この2の点で意見の相違あり退場したと思われる
大貫(林源):それを二三日研究してどう決定しても、大貫村は絶対に譲歩できない
田尻(佐々敬):大貫林氏に対して了解できるよう説明した
大貫(遠藤):どこまでも続会を希望。2か村の合併も考えている
沼部(加清):議長の宣言の非をせめる
議長:散会は取り消したので非はないから了承を。田尻の委員5人も残留しているので、続会か散会かを諮っている。改めて続会かどうか諮る
続会の声多く、異議なしの声も。
大貫(伊藤):続会も良いが、田尻の残留委員は参加するのか、2か村だけでやるのは違法だ
議長からこの旨たずね、田尻町委員回答なし
沼部(柳原):同席していれば参加したことになる
大貫(佐々木):議事規則には過半数で進行できるが、一応二三日待つ方がよいかと。
同じことをしばらく繰り返す。違法問題で騒然となる。休憩状態にはいる。
大貫(伊藤):前言の違法を取り消した
議長:再会の宣言を明確にして議事進行してもよいのだが、田尻町委員が半数以上退場しているので、今後退場等の絶対ないこととして、本日は散会しては如何
大貫(遠藤):田尻の修正案は今までの会議の線に近づけて提出を
議長休憩を宣言。再会して第三回協議会日程を決定す。

●合併協議会議事録、第3回(4月3日)から
・議長(大貫村長):本日の議長は前回のゆきがかり上、富田副会長に。なお、会議の前に懇談30分行う
・議長(富田):10時30分まで懇談を
懇談が時間が延びて、その間昼食。
・議長、午後1時再開を宣する
・議長:第三項1号の件(役場の位置)について、懇談中の結論に基づいて決したい。
・田尻(佐助):沼部案に賛成
・沼部(中峯):その地区内としては如何
沼部案に賛成の声多数
議長:1号の件、沼部案に賛成の声有るが如何、
満堂賛成。
2号(増改築の方針)上程。
田尻(佐助):大貫案に賛成
満堂賛成。
3号(支所出張所など)上程、大貫案に満堂賛成。
4号上程。
田尻(佐助):4号は田尻案に決してほしい
大貫(遠藤):大貫案にしてほしい
田尻案多数の賛成有り、田尻案に決定。
5号を上程、田尻案に決定
6号を上程、大貫案に決定。
以上で第三項を全部決定。
田尻(佐助):第一項にもどって審議を。
賛成の声多数
議長:第一項、町名の件を上程す
大貫(遠藤):大貫案通り遠田町としてほしい。遠田の遠、田尻の田とした
大貫(門間):過去の状況、田尻米のこと等から、田尻町としてほしい
大貫(岩井):合併合体の意味から遠田町
県(二上地方課主事):番外として発言、合併町村の町村名の状況を説明
沼部(加稔):町名は自主的に決定したいので番外者は発言を遠慮を
田尻(佐助):田尻米として全国に知られている、田尻町で
沼部(加誠):田尻案に不賛成
沼部(中峯):沼部村の委員だけの協議を希望
大貫(遠藤):中峯氏の案には不賛成
議長、休憩を宣言
午後2時10分再会を宣言。休憩中の結果について、
沼部(中峯):決定しかねたので今日は閉会してほしい
大貫(遠藤):遠田町に関わる適当な町名であれば、あえて遠田町を固持(ママ)しない
大貫(瀬戸):続行して決定を
沼部(宮崎):休会して研究することにして今日は散会を
沼部(宮崎):賛意
大貫(遠藤):休憩を要求
議長休憩を宣言。大貫村委員、田尻町委員、各別室で審議。
大貫(遠藤):町名は遠田町とし、高校と病院は旧田尻町新町付近に建築を。もし町名を田尻とするなら、病院は駅より大貫村寄りに。また高校は廃止して沼部村に小牛田農林高校分校を置いてほしい。
議長:田尻町の委員の意見は
田尻(山村):田尻町の案は私心がないもの。なお、役場は駅近くにするので病院は旧田尻町にしてほしい
大貫(遠藤):消防本部は旧田尻町にして遠田町とする
田尻(山村):病院は大貫診療所を病院と同じ設備にしてほしい。なお、家政専門学校を大貫村に設置は差し支えない
議長:一同に諮る。
田尻(佐助):第三項の案で譲歩したのだから、今また町名に異議があるとは考えていなかった。駅名をとることでは如何
大貫(遠藤):遠田町を固持(ママ)
田尻(宮崎):病院は大貫村にあるので、田尻・沼部の中間に立ててほしい。高校は、小牛田農林分校は反対。田尻高校の独立校として場所はどこでもいいから存置を希望する
大貫(遠藤):大貫の病院は独立で建築したもの
田尻(山村):田尻が全国的に知られている
田尻(千葉):町名の話に病院や学校が条件づけられているが、提案事項のみの審議とせよ
大貫(遠藤):7項と同時に審議を。
議長:休憩を宣言。15分後再会。
田尻(菅原):第1項の町名を譲歩したという経緯を明確に。
議長:一案は遠田町、二案は田尻町で条件付き
大貫(議長):3号は決定されたので町名とは別。
田尻(佐々敬):総合的に審議しても良い
沼部(中峯):条件付きで田尻町として良いとの話なので、病院を考えず授産場等を拡大すべき
大貫(岩井):急がずに進めていくべき
議長:本日は結論にならないので、散会と本協議会解散の重大なる2案が出たが如何
沼部(久保):散会が良い
大貫(伊藤):一問題ごとに散会しては
議長:県では19日の県会で審議決定するので、本日散会では5月3日の合併がどうかとなる
再び休憩、午後5時10分再会
沼部(柳原):町名は田尻町として、7項の問題を考え、学校病院等は田尻駅付近として、総合的に考えて町名は田尻町とすべき
沼部(加誠):田尻町の名は不賛成
沼部(加稔):第一項第1号の審議も必要だが、総合的に全部審議の必要あり、小委員会を設けてその後本協議会で審議では
沼部(宮崎):紳士的に定めていきたい。総合病院は旧田尻町、高校は旧田尻町新町へ
沼部(加誠):町名は総合審議してはどうか
沼部(柳原):委員付託としてその報告通り決定する方法も
議長:沼部加誠案はどうか諮る。賛成の声、不賛成の声あり
田尻(佐々敬):小委員会にて総合調整委員会としては
大貫(遠藤):大貫の代表意見として、町名は新町名、病院その他は全部田尻町へ、他は何も要求せず、遠田町は譲らず
議長:小委員会は必要か
必要ないとの声有り
田尻(佐助):調整委員会でいくべき
大貫(林源):委員を引き受ける人はない
沼部(中峯):このまま会議を進めるべき
大貫(遠藤):役場は少しくらい遠くていいが町名は遠田町
沼部(中峯):町名は田尻、病院・学校は沼部に置けばいい
大貫(遠藤):町名は賛成できず
沼部(宮崎):町名は田尻町で大貫に了解いただいてその他の事項は後日研究では
沼部(加稔):結論出ないと思う
議長:皆さんの意見で
沼部(柳原):歩み寄りの線が残るよう散会して後日再会しては。そうでなかったら解散が良い
賛成の声有り
議長:町名の問題で散会となると後の審議にも影響
沼部(宮崎):町名を田尻町とすることで大貫村の公式発言あるのか
議長:田尻町とした場合、病院は大貫寄り、高校は小牛田農林分校とするよう、第二案として発言有った
沼部(加稔):ここまでくれば結論出ないから閉会を。打ち切り解散は希望しない
議長:5日に再会で如何
休憩状態となり、議長休憩宣言。再会。
議長:大貫村提案の第一案か、第二案か
再び休憩状態、午後6時40分再会宣言
議長:休憩中に話し合い結論が出たようなので、町名の件審議を得たい。
大貫(佐々木):署名員は如何に
議長:前回同様
一同了承
大貫(遠藤):休憩中に第7項の問題と関連していろいろ話し合いされたので、その点了承した。喜んで町名を田尻町とすることに賛成する。
妥結の要点は以下。
1.旧大貫村直営診療所を拡充して丁型の国保病院とする
2.旧田尻町・旧沼辺村中間道沿いに、病院を新築する
3.旧大貫村に講堂兼体育館各150坪を新築する
4.旧大貫村の家政研究科を整備拡充して、家政専門学校とする
5.高等学校を統合し、家政科を併置して、田尻駅付近に建設する
議長、休憩を宣言、休憩中に一同了解。再会を宣言して、大貫遠藤氏の言を再確認するため一同に諮り、満堂賛成。これにより議長は第一項新町名を田尻町と決定する旨を宣言した。


3 田尻駅の名称について

東北本線が本町を貫通したけれども、停車場は小牛田と瀬峯(ママ)に頼る不便があったので、庁内に停車場を設置してほしいというのが宿願であった。とくに地方物産の米穀その他の移出と地方開発に痛切な必要を感じたのは田尻地区町民であった。29年以来、設置について地元沼部地区の有志と協議の上、再々、停車場設置の請願書を帝国鉄道庁に提出し、他方、代議士菅原伝に陳情した。遂に認可され、明治41年起工、同年俊成、業務開始。

昭和35年町史には、上記の趣旨が書いてある。駅名はスンナリだったのだろうか。

4 郵便局の名称

気になったのは、郵便局の名称。現在の郵便局は、「本田尻」と「田尻」だ(ほかに大貫も)。昭和58年町史には郵便局の記載がないが、昭和35年町史には数ページにわたって、記載がある。ごくごく一部だが、下記の通り。

・田尻郵便局(局員19)、明治7年創設。明治29年田尻町字町の大火で類焼。
・沼部郵便局(局員23)、昭和4年設置。区域は新田尻町のうち、旧沼辺大貫の両村

なお、郵便関係の歴史をまとめた資料では、昭和55年1月時点で、次のように記されている。

・本田尻 田尻町田尻字町浦、定員14


以上から、昭和55年までに、沼部局が田尻局に、田尻局が本田尻局に、それぞれ改称していることになる。日本郵政グループのサイトでは、「もとたじり」と読む。

5 感想

私は、人家密集している田尻と沼部の対立の図式化と予想したのだが、新町名については大貫村が遠田町を主張したが、沼部村は沼部の名を主張することはなく、役場位置については田尻町が自町を主張したいようだが、病院や高校の配置とも相まって、新町の中央の沼辺におさまったという感じだろうか。

駅名は、すでに知名度がある一帯の名として田尻の名として、沼部も反論がなかったものと推察。なお、本田尻(もとたじり)の表現は、郵便局だけなのか、地域でも浸透しているのか。やはり、地域の人に聞いてみようか。


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大崎八幡社は後冷泉帝の天喜5年(1057年)に源義家によって創建されたと伝える。頼義、義家父子が安倍貞任を討ったとき糧食に乏しく飢渇に苦しんだが、義家が一夜八幡様の夢を見たので、陣頭に社壇を設けて勝利を祈願し、小松の柵(田尻)を攻め、逃げるを追って遠く衣川や厨川の柵をも陥れた。そして凱旋の際に、大崎、営ケ岡、胆沢の3社に武具等を奉納して祀ったのである。
営ケ岡八幡宮は、延暦年間に田村麻呂が東征の際に勧請した。その後上記の通り頼義義家父子が凱旋の際に奉納した甲冑が今も保存されている。営岡(屯岡)の名称は田村将軍がここに屯(たむろ)して蝦夷と対陣したことから生じたという。
田尻の大崎八幡は後に仙台藩祖政宗公によって仙台に奉遷されて今に至る。





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最終更新日  2026.05.12 22:31:40
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