ハワイ 0
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うちの息子は小1から地域のサッカーチームに所属しました。始めたきっかけは父親がサッカー好きということと、何かスポーツをさせたいという・・・つまり彼の意思に関係なく親のエゴ!?でありました。大抵はサッカーをやりたい!ボールを蹴るのが大好き!という子どもたちが親にせがんで入部するわけですが、うちの場合は親が嫌がる子どもを無理やり入れたわけですから、当然の報いというか、これが親も見ていられないほどの超ダメダメで、まずはボールを蹴れない、走れない状態でして、試合といえば、みんなが交代にピッチに立てる日でもひとり悲しくベンチを温め続けるような哀れな息子でありました。親としてはうちの子は仕方ない・・・と思っていても、そんな息子の姿を見るにつけ、胸が締め付けられる思いでした。そんな彼でしたが6年間クラブは辞めませんでした。もちろん途中で挫折する子どもはたくさんいましたが、彼はどんな時も「絶対にやめたくない」といいました。父親がクラブのコーチを引き受けたことも辞められない理由であったとは思いますが、『苦手』なサッカーがいつしか彼にとっては、自分の中では『得意』なサッカーに変わっていき、サッカーを好きになっていた事が何より大きな要素ではなかったかと思います。自分に自信がもてなかった彼が、サッカーに目覚めるきっかけとなったのはなぜか・・・それは5年生の時、2軍(いわゆるBチーム)の子だけが出場するリーグにレギュラーとして選ばれたことなのです。それから彼はリフティング練習にも力が入り、早朝などに自主的に練習し始めました。こうした練習が少しづつでも進歩に繋がり、やがてAチームの試合にも起用してもらう機会が出来ました。だから、彼は中2の今でも部活でサッカーを続けています。弱小チームですが1年からレギュラーにも加えてもらっています。母親の私もそんな息子にようやく安堵する日々。だって、何度心の中で『辞めちゃえば??もう無理しなくて良いよ。好きなように自由にしていけばいいじゃない。』って思ったことでしょう。息子は逞しくなりました。サッカーを通じて成長しました。でもそれ以上に成長させられたのは私たち親かもしれません。耐えることの繰り返しの中で、励ますこと、認めてあげる事がどんなに大切か学んだのです。世の中では強くて花形の選手だけがもてはやされ、多少性格が悪くてもボールを蹴れればいい!?みたいな理不尽な考えも容認されることがあるかもしれません。また、少しでも出来ると親も勘違いしがちというのはわからないでもない話です。でもまあそんな立場とは対極にいる私たちは、自分の子どもに熱くならないですんだ分(親としては嬉しくないことですが・・)結構冷静にチームを考えることも出来、弱い子もいるんだ、けれど子どもはみんな純粋に一生懸命やっているということを感じることができたのです。旦那は今、久々低学年SLのコーチです。親御さんたちも熱が入ってつい励ますより叱る方が多くなるそうです。でも練習の間に叱るのも褒めるのもコーチの役目。親はただ温かく見守って欲しいそうです。1、2年生の子どもたちは小学生になったとはいえ、たかだか6~7歳。人間としてもスタートを切ったばかり。子どもが大きくなって今思うのは、学校のことや家庭生活も満足じゃない1、2年生がよくサッカーやってるなあってことです。それだけでえらいんです!!もし自分の子どもが下手くそで悩んでいるお母さんがいたら、私はいいたい!!子どもは褒めて育てましょうよ。早咲きの子より、遅咲きの方が子育ては楽しいですよ。SLの子のサッカーが上手い下手なんて些細なこと。問題は子どもなりの努力をたとえ他の誰かにわかってっもらえなくても親が一番わかって認めてあげることなんじゃないでしょうか。何でも辞めるのは簡単。でも簡単に辞める子はきっとなんでも長続きしないような気がします。みんながんばれ!サッカー続けようね!!
April 18, 2005
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昨日、息子の英語スクール最後の日でした。息子は4年生から、まる4年英会話を習いました。息子は系列の中学に進学予定で、きつい受験勉強はしなくてすんだのですが、そこの中学は帰国子女の受け入れをしていて、英語のレベルがものすごいという話。それで内申が取れず、希望高校に受験できないと聞き、そちらに進学するなら英語…といっても会話中心の教室に入れようと考えました。何故4年生からだったかと言えば、それ以前はまず日本語の勉強をしてほしかったし、せっかく英語をやるなら中学まで3年間はさせたいなと思ったからなのです。とはいうもの、どこの教室に行けばいいかさっぱりわからず、とりあえず近所の英会話スクールをあたってみました。まあどこも値段が高い割りにやっていることが見えてこない。体験にも行かせたけど、ピンと来ない。そんな時出会ったのが大手進学塾の経営する英語スクールでした。そこはフォニックス教育を売り物にしていて、教師はネイティブあるいは限りなくそれに近い人ということでした。私の惹かれたのはこの教師の部分。他はみんな「教師は外国人!」が売りでしたが、そこの話では「外国人教師は英語を話すかもしれないが教育者は少ない。うちは厳しい研修制度を経て、教育者としてやっていける人を教師に選んでいる」ということでした。う~む、なるほどぉ。子どもを預ける人がただのお友達じゃあ高い月謝を払う意味が無い・・・と私は納得。すぐさまここの体験授業に行かせることにました。するとこれがまた楽しい!!その日は8人ぐらいの教室でした。アクティビティでは生徒たちにゲームをさせたりしながらの、体も使う生き生きした授業。息子も夢中であっという間に1時間が過ぎ、即入学を決めました。授業料も高いといっても他よりは断然安かったですし・・・そこで息子を小学校の3年間教えてくれたのは、ご自信が帰国子女だというとってもかわいらしい女の先生でした。20代かなと3年間思い続けていたら、実は中学生の娘がいるお母さんと知りびっくり!でも先生のかわいらしさが息子たちに安心感を与え、また、さすがにおかあさんらしく厳しい部分もあり、すごくバランスが取れたよい先生でした。授業では会話のほかに毎回書かせることもしますし、単語もどんどん増えていくので、これはかなり役にたつなと思いました。3年後、中学進学の際、先生が代わるということになりました。6年生になっても別に英語をしゃべりだすわけじゃなかったし、3年間の効果も具体的にわからなかったので、当初の予定通り、ここでひとまず辞めさせようかと思いましたが、躊躇しているうち新学期の学費が引き落とされてしまい、そのままずるずる中学も続けることなってしまいました。が、しかし・・・中学に入学した途端、驚くべきことがあったのです。息子の英語能力は知らず知らずのうちにかなり進化していたのでした。それが分かったのは前期の中間テスト。息子の英語の成績はかなりなものでした。それから後もほとんどのテストが些細な1問間違い程度。1年生にしてはレベルの高いリスニングテストはパーフェクトで・・・力は着実についていたんですねぇ。中学と同時に学習塾にも通い始めましたので、そちらで文法はマスターし、ますます英語が楽しくなる毎日。中1の4月に英検4級から受験し、今は3級の資格を持つまでにいたりました。これはどう考えてもフォニックスで力を付けたことを認めざるを得ない状態です。というか、行かせてよかったなぁとつくづく思っています。まもなく2年で学習塾のほうが忙しく、時間的に無理なのでフォニックスをやめることになってしまいましたが、本当は中3までやらせたかったです。昨日の授業参観、恥ずかしそうに、でもちゃぁんと受け答えできる息子。もう私届かないレベルにいってしまいました。私なんて中学・高校で、英語・英文法・英会話・宣教師の先生の英会話・英語の聖書と週何時間も英語関連授業があったのに喋るとなるとまったく・・・です。日本の英語教育は間違っていたんですね。今や喋れるだけじゃ就職活動の武器にならない時代とか。息子の頃はどうなってるんでしょ・・・とにかく息子には臆せず、自由にいろんな人と会話の出来る人間になってほしいな。今はまだまだスタートラインだけど、とりあえず躓かなくてよかったよかった!
March 17, 2005
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リトミックも、体操も、幼児教室もチャレンジ失敗に終わった私ども親子でしたが…世の中では松本サリン事件をはじめとする一連の事件が起き、便乗犯の仕業か横浜駅でも異臭騒ぎが起きたりで、いよいよ世紀末に向かってカウントダウンが始まったのかように物騒なことが多くなってきたちょうどその頃、お気楽な私と息子は再び体操教室に通い始めておりました。今度の体操教室は大手でも少人数制でもなく、地元では中堅で、その上スクールバスが家の近くに来るという好条件でした。そこでの息子は見違えるようになんとまあ仲良く仲間と関わり、15人ばかりの教室でしたが生まれて初めて(!?)順番を守り、前転、ブリッジ、壁倒立、平均台など次々上手にこなし…。私も週に1度その教室に彼を連れて行くのが楽しくなりました。やっぱりうちの子は体操に向いているんだわ!末は体操選手か!?なぁんてことは思いませんが…結構いい線いってる息子にちょっぴり満足しておりました。さてさてそれから9年。現在中1の息子は、体操選手どころか鉄棒もマット運動も超苦手マン。つい最近、後転がまぐれで1回出来た事を大喜びしておりましたっけ…今となってはブリッジのやり方すら思い出せないほど。結局お金の無駄遣い…トホホ~
March 4, 2005
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私たち家族が横浜市北部のD園都市線沿線から南部のK急沿線に引っ越してきたのは息子3歳8ヶ月の12月のことでした。本来なら年明けの4月に幼稚園年少組入園というところでしたが、言葉も遅い、おむつもとれたての息子。その上集団にも馴染めないし、それでなくても引っ越してきたばかりで親子共々友達もいない状態だし、そんなこんなで結局、幼稚園は1年見送ることにしました。とはいえ、4月生まれの息子。体は妙にでかいし、昼間連れて歩いていると「お兄ちゃん今日は学校休みなの?」なんて見知らぬ叔母さんに声を掛けられるし、何より、私もこの息子をもてあまし気味。そこで私の頭に思い浮かんだのはそうだ!何かを習わせようというまたまた懲りない計画なのでありました。毎日は自信がないけど、習い事なら週1ぐらいだし、そうやって徐々に集団に慣れさせるのは幼稚園へのステップとしてももってこい!と思ったのです。そこで前回の体操教室の失敗を踏まえ…。まず、大勢集まるマンモスなところは避けようと思いました。やんちゃだけど案外小心者の息子です。また気後れして泣かれても堪らないから、今度はアットホームな少人数な場所にしようと思いました。それから肝心の「何」を習わせるかということですが、まず体操教室はまだ息子の心の傷が癒えないのでNG。息子が好きなことと言えば字を読んだり、知育おもちゃで遊んだりだし…体も動かし知育遊びも出来て集団性も身につく…!!といえば行き着く答えは「幼児教室」しかありませんでした。当時、ネットもやっていなかった私はタウンページで片っ端からあたって、2駅先にうってつけ(その時はそう思った)の教室を見つけました。さっそく体験に行くと息子も若い女の先生をとても気に入り、すぐに雰囲気に馴染んで、こりゃぁ~いい!とばかりに即決して帰ってきました。そこは、大手の系列だけど個人的にやっているのが売りの教室でした。個人的っていうのがマンツーマンの親身の指導に思えたんですね。でも…結果、とんでもない間違いでした。そこに限っては、「個人」=「大手ほどのノウハウも信用も実績もない」…だったのです。その実情といえば、ハリーポッターに登場する魔女みたいな室長を名乗る叔母はんの無責任なワンマン経営。大手の系列っていうのも今思えば、はったりの誇大広告だったのでしょう。先生は20代の保母経験者(らしい…)で、みんな子どもには優しいけど常に室長の顔色を見ていて、1ヶ月ぐらいで入れ替わりました。担当の曜日が変わったかなぁと初めは思いましたが、実際は、辞めていったということでした。この狭いワンルームマンションの一室は、子どもがいなければまるで何かの如何わしいセミナーみたいな雰囲気。先生たちはどこか暗くて洗脳患者のようでした。(よくあんな所に行ってたなって、それも今思えば不思議です。もしかして私も洗脳されてた!?)それでも毎回息子は楽しみにしているようだし、私は「ここに通って何になるの?」という言いようの無い不信感を募らせながらも半年も付き添いました。(我ながら呆れる!)一方、息子は母の気持ちをよそに、通いだしてまもなくからすっかり慣れてしまい、教室でもじっとしておらず、勝手気ままに踊ったり、ワンワン言いながらハイハイしたり(犬のまねをしてお友達の気を引きたかったのかもしれません)。狭い空間で他の5~6人の「お利口な子どもたち」に迷惑を掛け始めました。この教室がメインにしている知能開発みたいなレッスンだけはダントツに成績が良かったのですが、なにしろどんなに注意しても大人しく出来ないため、私もストレスが溜まり、いろんな意味で我慢の限界がきていました。そんな私の気持ちに追い討ちをかけたのは、1ヶ月に1度の室長との個人面談でした。そこでは室長の自慢話(たとえば自分の子どもはいかに出来がよいか、それは私の教育がよいから…みたいな)と、全く信憑性の無い国私立小学校合格実績を聞かされ、あげくに「まぁお宅の息子さんははまったく無理ですが」なんていうイヤミを連発されました。いったい、なんなんだ!こっちはお金払ってるお客さんでしょうが!何様のつもり!…そんなことの繰り返しで半年過ぎましたが、その頃には室長のわが子に対する態度も冷たく、他の「お利口な子」とは明らさまに差別している状況で、息子もそれを察知するのか「行かなくてもいい」と口にするようになったので、すっぱり辞める決心をしました。辞める日、玄関で靴を履いていると、背後にやってきた室長が息子に考えられない事を言ったのです。それは「いつまでも犬(以前犬の真似をしたことを言っているのでしょう)になってがんばってね~」とかなり大人気ない捨て台詞でした。息子は何のことかわかっていなかったけど、私はその瞬間、「やっぱり辞めてよかったぁ!」と思いました。確か月謝が¥15000。半年分無駄遣いしてしまったけど、学んだこともありました。教育の基本は家庭だっていうこと。(気づくのが遅い??)息子の最大の見方で、理解者で、教育者は私自身であること。息子の欠点を熟知してそれを良い個性に導けるのは母親しかいないのだということも確信しました。そして転んでもただでは起きない私は、その日からある計画(野望!?)を胸に抱いたのでした。フッフッフッ…そのお話しはまた後日。そうそう数ヵ月後、その幼児教室は潰れていました。なんであんなに子どもに愛情もてない人が幼児教室なんて開いていたのか疑問ですが、ああいう人ってきっとどこかで同じこと繰り返してるんだろうなぁと思う今日この頃です。
February 25, 2005
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わが息子3歳の初夏。オムツが外れたのを期に体操教室に入れることにしました。今日はそこでの失敗談です。うちの息子はとにかくやんちゃで(そのやんちゃっぷりは「リトミック」の中にも書きましたが)まったく落ち着きがありません。家の近所には同じぐらいの年齢の子どもがたくさん集まる公園があり、買い物に行くつもりでも、お店までの道すがらにあるその公園の前まで来ると、急に私の手を振り払い、公園の中に行方不明。広い公園を私と息子は追いかけっこ状態で、とっ捕まえるに一日かかったなんていうこと年中でした。とにかく公園内では神出鬼没で、ある時は遊具のてっぺんに上って得意になり、下から来る子どもたちをガンガン蹴飛ばしていたかと思うと、またあるときは公園内の土手を登ったり滑ったり体中どろどろ。逃げ足も速く、行った先々でよその子のおもちゃは取り上げるし、挙句に叩く、つねるのやりたい放題。私は謝るのと追いかけるのでもうへとへと。やっと捕まえた時にはこちらの怒りは頂点で、結局買い物もしないで、泣き喚き、暴れる息子を抱え上げそのまま帰ってくるという悲惨な毎日でした。もうこんな生活うんざり!!と辟易していた日々。ふっと閃いたのです。「そうだ体操教室に入れよう!」この息子のエネルギーを消耗させ、集団性を身につけさせるにはもうそれしかないと思いました。なぜいきなり体操教室かと言うと「彼の才能!?」をひそかに感じていたからなのです。そもそも私の勘違いは彼1歳の時に始まりました。今では私自身信じられない話ですが…。息子はその頃、私の鏡台の小引き出しを階段に見立ててよじ登るとそこから敷いてある布団めがけて飛び込み前転をしていました。(あまりやりすぎてまもなく鏡台の引き出しは破壊されました。)そのほかにもダンナの両手の平の上に手放しで立ち上がるという芸(?)をもっていたり、部屋用のジャングルジムの最上部では曲芸まがいのスタイルを披露。ダンナに両足首を握られ、逆さ吊りにされ、8Fのベランダの欄干の向こう側にぶらぶらされては(けして虐待ではありません)うきゃうきゃ喜ぶなど数々のエピソードに、私は「ひょっとしてこの子には体を動かす抜きん出た才能があるんじゃないかしら」とだんだんその気になっていくバカ親でありました。広告で知ったP体操教室に入れたのはそれからまもなくのこと。健康診断に行き、お揃いの体操服を買い、「どれほど楽しくやってくれるか、ここで才能爆発!!お手並み拝見だ!」とばかり私も結構わくわくしながら1日目のレッスンに参りました。身支度をさせると親と子は入り口で別れ、子どもはコーチに連れられ体育館、親は体育館上のガラス張り歩廊から体育館内の子どもを見られるというシステムでした。さぁどんなものかと下を見下ろすと…子どもたちの集団のどこにも息子がおりません。「あっちゃ~!逃げやがったなぁ!」と慌てる私…と…しばらくして私の目に映ったのは??わが目を疑う光景。なんと体育館の端っこで膝を抱えて号泣している息子の姿なのでした。それは今まで見たことの無い悲しい顔で明らかに「ママ~ママ~」と私を呼んでいるではありませんか。あんなしおらしく哀れな息子を見たのは初めてでした。普段私に叱られた時意外はめったに大泣きしない息子がしゃくりあげ震えながら泣いているのです。結局、どんなにコーチがなだめすかしてもその場からは動かず体操どころではありませんでした。授業が終わって戻ってきても彼の涙は止まらず、私は思わず抱きしめて体中を擦ってやりました。それでも懲りない私は、「初めてだからなのかな」と考え、(何しろ言葉を達者に話さない息子ゆえ本心もわかりません。)月謝や入会金を払ってしまった以上、元も取らねばという気持ちもあり、その後2ヶ月も通いました。そのうちいつかは慣れるだろうとかすかに期待もしていたのです。結果はNOでした。息子は何回通っても泣き続け何もせず体育館の端っこのオブジェのように固まり続けました。最終的にはダンナが見学に行った日、見たことの無い息子の哀れな姿に「あいつのこんな姿見たことないぜ。やめさせよう」との一言で辞める事を決心しました。才能開花…以前の問題でした。それより何より親の勝手な判断で子どもに悲しい思いを強いてしまった事を私は深く反省しました。子どもが泣いている時って自分の心の中にも涙がいっぱい溢れてしまうんです。「ごめんね。」って何度も心の中で叫びました。まもなく家も引越し、その悪夢の体操教室の記憶は彼の中からきれいさっぱり消え去りましたが、彼にというより、むしろ私にとって痛い思い出となってしまいました。次回は懲りていたはずが再びぃ!?…なお話し。
February 21, 2005
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私は息子が生まれ歩けるようになって、音楽に親しませたいなぁと思うようになりました。そして息子が2歳の時リトミック教室に通いました。今、I子様も習っているらしいですね。生まれて初めてのお稽古事にリトミックを選んだ理由は歩いて1分の場所にお教室があった事もありますが、何しろまだピアノは早いだろと思ったのとピアノの前にじっとしていられないであろう落ち着きの無さを発揮しまくる息子には、音楽に触れながら体も動かせてもってこい!と思ったからです。先生は定成淡紅子先生。日本のリトミック教育に力を入れていらっしゃる先生のお一人です。(ラッキーなことにたまたまそこの講師でした)リトミックはかなり楽しかった。お遊戯って言うのとも違って、リズムに合わせていろんな動きをしたり、打楽器を触ったり、ある時はイメージのお絵かきもしましたっけ。親子で一緒にやるのでとっても安心で、誰が優位っていうこともないので思いっきり楽しめましたね。でもただひとつ汚点が…発表会があったのですが、(息子にとってはいわゆる初舞台だった)ビデオを回し始めたとたん、画面からその姿が消えたのです。あろうことか息子はあまり高くない壇の上からひとりだけ降りてきてしまい、(後の5人の生徒さんはちゃんと演技中)観客席の周りをひたすら走り始めたのです。(彼にとっては演技中??)結局最後まで私は彼を追い掛け回し、捕まえることができませんでした。さすがに穏やかな先生にも「前代未聞です」といわれ、とんだ笑い種でした。その後、引越しと共にリトミックはやめましたが2年後幼稚園選びをしていた時、偶然にも定成先生が教えられていらっしゃる幼稚園が歩いていける距離にある事を知り、息子も大喜びでその幼稚園を選び、再び卒園までリトミックを学ぶことができました。うちの息子は年長でガラッと人格が変わったので(そんなに早く!?…でも本当なんです)定成先生にもお褒めの言葉をいただくようになり、楽しいリトミック生活を終えることができました。中学生の今も音楽は大好き。結局ピアノは習わせませんでしたが音感もリズム感もよく、本人は記憶に無いこととはいえ親としては良い経験をさせたんじゃないかなと満足している今日この頃です。こちらが定成先生の著書です。ご参考に!ピアノでポン!かきかたノート 3 〔全音〕
February 17, 2005
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