全4件 (4件中 1-4件目)
1
《C年》130 主をたたえよう【解説】 この詩編66は大きく二つに分けられます。前半の1-12節は主語が「わたしたち」で全世界に向かってイスラエルになされた神の救いが呼びかけられます。後半の13-20節は主語が「わたし」となり、個人的な救いに対する言及とそれに対する感謝と賛美が語られます。この主語の対照は、巡礼者が集まる民族的な祭りが背景にあり、このような祭りでは、最初に共同体の感謝が行われ、続いて、個人的な感謝の奉献が行われたからだということです。 さて、この「主をたたえよう」は一つの答唱句で最も多くの詩編唱が歌われます。答唱句は、詩編136:1〔131〕から取られています。この詩編はグレゴリオ聖歌では復活徹夜祭に歌われます。八分の十二拍子の答唱句の冒頭は、トランペットの響きで始まります。なお、『典礼聖歌』合本では、最初、テノールとバスは、H(シ)ですが、『混声合唱のための 典礼聖歌』(カワイ出版 2000)では、四声すべてFis(ファ♯)-Dis(レ♯)-Fis(ファ♯)-H(シ)-Dis(レ♯)となっています。このユニゾンのほうが力強い響きに聞こえると思います。 「主をたたえよう」では、バスがGis(ソ♯)からFis(ファ♯)へ下降することで、ことばを延ばす間に、和音も二の和音から四の和音へと移り、さらに「主はいつくしみ」までE(ミ)からDis(レ♯)へと深まります。その後は、旋律も和音も落ち着いており、神のいつくしみの深さと限りないあわれみを穏やかなこころでたたえながら、答唱句は終わります。 詩編唱は、冒頭、最高音のH(シ)から、力強く始まります。主に、詩編唱の1節全体で、一番重要なことばが多い第三小節は、最も低いDis(レ♯)を用いることで、重厚さと、低い音への聴覚の集中を促しています。詩編唱の最後は、主音Fis(ファ♯)で終わり、そのまま、答唱句へとつながります。【祈りの注意】 答唱句の旋律は、主音:Fis(ファ♯)⇒旋律の最低音:Dis(レ♯)⇒主音:Fis(ファ♯)⇒旋律の最高音:H(シ)と動きますから、この旋律の上昇の力強さを、全世界への呼びかけの強さへと結びつけましょう。八分の十二拍子のこの曲は、八分の六拍子の曲と同様に、八分音符ではなく、付点四分音符を一拍として数えましょう。「主をたたえよう」の「た」を心持早めに歌い、続く八分音符への弾みとすることで、全体のテンポが引き締まります。 「たたえようーーー」と延ばす間、さらに cresc. を強めることで、呼びかけがすべての国に広がるでしょう。このとき、バスがGis(ソ♯)からFis(ファ♯)へ下降することで、和音が変わりますから、他の声部はしっかり呼びかけを続け、バスは地球の裏側にまで、この呼びかけを深めるようにしましょう。その後、八分休符がありますが、この休符は次の「主」のアルシスを生かすためのものですから、きちんと、入れてください。 「主」がアルシスでよく歌われると、このことばがよく生かされるばかりではなく、続く、滑らかな旋律の信仰告白が、ふさわしい表現となります。最後の「深く」の四分音符が、必要以上に延ばされるのをよく耳にしますが、それでは、答唱句の重要な信仰告白のことばが途中で途切れてしまい、答唱句全体のしまりもなくなります。ここで、ややrit. するからかもしれませんが、この rit. はことばを生かすためのものですから「その」に入ったらすぐにテンポを戻しましょう。あくまでも「ふかくーその」は八分音符三拍分の中であることを忘れないようにしてください。最後は「そのあわれみは」くらいから徐々に rit. して、答唱句を締めくくります。「えいえん」で八分音符を五拍延ばす間、まず、dim. (だんだん弱く=いわゆるフェイドアウト)しますが、きちんと五拍分延ばしてください。その間、作曲者も書いていますが「神様のことを」神のいつくしみの深さもあわれみも永遠であることをこころに刻み付けましょう。最後の「ん」は「さーぃ」と同じように「え」の終わりにそっと添えるように歌います。 この日の「ことばの典礼」では「平和」が主題となっています。第一朗読ではエルサレムにもたらされるイスラエルの回復と繁栄が語られています。イスラエルの回復、エルサレムの繁栄は、地上の国家としてのレベルではなく、すべての民へのしるしです。それゆえ、詩編唱の1節では「すべての人はあなたを伏しおがみ、み名をたたえて喜び歌う」と言われるのです。たびたび指摘しているように、教会は(イスラエルも本来は)、神と人類との親密な交わりのしるしであり、人類一致の道具(『教会憲章』1項参照)であって、それ自体で完結するものではないことをわたしたちは知っていなければなりません。 今日の詩編は、わたしたちに行われた神のわざを、すべての人が知る(体験する)ことで、神が、また、神のもらされる「平和」をすべての人がたたえることを促しています。わたしたちが互いに愛することで、すべての人が、神とキリストを知ることができるのです。詩編のことばを味わいながら、わたしたち自身、それぞれの共同体がそのような共同体になっているかを、改めて考えてみたいものです。 なお、今日の閉祭(派遣)の歌には同じ作曲者による「アシジの聖フランシスコによる 平和の祈り」をお勧めします。楽譜はオリエンス宗教研究所から発行されている「典礼聖歌 合本発行後から遺作まで」に所収されています。【オルガン】 前奏のテンポのとり方、模範が会衆の答唱句の祈りを左右します。上記の祈りの注意を前奏でしっかりと守ってください。言い換えれば、オルガン奉仕者の答唱句に対する、情熱が、前奏、伴奏を決め、それが共同体全体の答唱句のあり方を決めるのです。オルガン奉仕者が、ただ、オルガンを弾いていればよいというものではないことが分かると思います。答唱句の性格からは、鋭くないものであれば2’を入れてもよいでしょうか。あるいは Quint Terz といったストップを使う方法もあります。人数によっては、少し強い4’にしておくとよいでしょう。詩編唱も、力強く歌われますので、声量が豊かな人の場合には、フルート系の4’を入れて、Swell を閉める方法も考えられます。詩編先唱者の声量とのバランスを考えましょう。
2016.06.30
《C年》 98 しあわせな人【解説】 詩編16は元来カナンからイスラエルに移り住んだ人が、改宗ときに行った、信仰告白と思われます。詩編作者は主である神との一致が死よりも強いと感じ、まことの神との一致にこそ、しあわせと永遠のいのちがあると確信した美しい歌です。死に打ち勝ち、復活したキリストの父との一致こそ、この永遠のいのちをもたらすものに他なりません。それゆえ、使徒たちはこの詩編を詩編118(87「きょうこそ神が造られた日」)と同様に、キリストの復活のあかし・預言として用いました(使徒2:21-33参照)。 答唱句は冒頭から5小節目の「喜びに」までは、八分音符の細かい動きと四分音符+付点四分音符と八分音符(2小節目のバスとアルト、4小節目のテノールとアルト)のリズムで、神の豊かな恵みを受ける人のしあわせなこころの喜びを活き活きと表現しています。最後の3小節は付点二分音符や二分音符という、長い音価の音符を使ってこの恵みに生きる安心感が表されています。さらに、「喜びに」では旋律で最高音のE(ミ)が用いられて、強調されています。 詩編唱は最終音の2度上(一音上)のH(シ)から始まり、歌い始めやすくなっています。そして次第に下降しE(ミ)に至りますが、この音は答唱句の冒頭の音と同じです。なお詩編唱の最後の和音はE(ミ)-Gis(ソ)-H(シ)ですが、これは和音の位置こそ違いますが答唱句の最初の和音と同じです。ちなみに、この曲はA-Dur(イ長調)ですがこの和音は、主和音ではなく五度の和音です。答唱句が主和音ではなく五の和音から始めることで、次の「しあわせな」に向かう勢いを付けているのです。【祈りの注意】 上にも書いたように、冒頭は勢いを付けて歌われ始めます。最初の「し」はマルカート気味で歌います。冒頭の速度指定は四分音符=112くらいとなっていますが、最初はこれよりもかなり早いテンポで歌い始めないと答唱句の活き活きとした感じを出すことができません。この速度は、答唱句の終わりの rit. したテンポと考えてよいと思います。付点四分音符や四分音符の後の八分音符、すなわち「しあわせ」や「しあわせな」、「かみの」、「そのよろこび」が遅くなると、どんどんテンポが落ちてゆきますので注意しましょう。なお、続く連続する八分音符もきびきびと歌ってください。 「ひと」や「受け」の付点二分音符で旋律が音を延ばしているところは、しっかりと音を延ばし、一瞬で息継ぎをして次の四分音符を歌うようにします。この延ばしている間に「ひと」ではバスとアルトが、「受け」では、テノールとアルトが遅れてこのことばを歌います。ここでしっかり延ばすことでひとまとまりの文章である答唱句がひとつの祈りとして継続されますが、早く音が切れるとこの祈りが続かなくなります。答唱句の後半は「喜びに」から、徐々にrit. して終わりますが、いつ、rit. が始まったか分からないようにできれば最高です。一番最後の答唱句(歌い終わり)は、最もていねいに rit. しましょう。 ところで、この答唱句で歌われる「しあわせな人」とはだれでしょうか?実はこの答唱句を歌う、わたしたち、一人ひとりがしあわせな人なのです。わたしたち一人ひとりが「神の恵みを受け、その喜びに生き」ているのでなければ、この答唱句が活き活きと歌われないのではないでしょうか? 詩編唱は1から3節が歌われます。まず、技術的な注意ですが、答唱句が小気味よいテンポで歌われますから、詩編唱も早めに歌いましょう。1節の1小節目と2節の2小節目は、少し歌詞が長いので「ゆずり」と「おられ」の後で息継ぎをします。息継ぎをするときは、その少し前に、やや、rit. して、一瞬で息継ぎをし再び、元のテンポに戻して歌います。 第一朗読ではエリシャの召命が福音朗読ではイエスの弟子になる覚悟が語られます。神のしもべ、キリストの弟子になるためには、この世の中のものへのこだわりを取り去る必要がありますが、いったんキリストの弟子になれば、この世のものとは比較にならない喜びを受けることができます。キリストによって開かれた「道」を歩むわたしたちは、すでにその喜びを神から与えられているのです。それをかみしめながらこの詩編を祈りたいものです。【オルガン】 答唱句のことばや、主に従うという、ことばの典礼の焦点から、やや、明るめのストップを用いたいものです。基本的に8’+4’で、会衆の人数によっては、2’を加えてもよいかもしれません。前奏の時に一番気をつけなければならないことは、祈りの注意で書いたように、テンポが遅くならないことです。一般的に、会衆のテンポは、オルガンの前奏より、かなり遅くなりやすいので、しっかりと、テンポを維持できるようにしましょう。 詩編唱と答唱句のテンポのバランスも難しいので、詩編先唱者と一緒にきちんと準備をするようにしたいものです。詩編唱の時に気を抜いていると、音が変わるところや詩編の頭で、ずれたりすることがあります。 もう一つの注意点は、答唱句が四声または二声で歌われる場合、それぞれの声部とオルガンがきちんと合うようにすること。会衆が斉唱の場合も、オルガンの内声がきちんと聞こえることで、延ばしている長さが、短くならないようにすることです。
2016.06.21
《C年》 10 荒れ地のかわき果てた土のように【解説】 この詩編63は、150ある詩編の中で、最も親しく神に呼びかけます。一連の答唱詩編の答唱句は、この詩編の2節から取られています。表題(1節)には、「ダヴィデの詩。ユダの荒れ野で」とあり、ダビデがサムエルから逃れてユダの荒れ野にいたとき(1サムエル19章~)に歌ったとの伝承がありますが、実際にはもっと後代の作でしょう。 詩編唱の1節の4小節目にある「求める」の語源は「あけぼの」で古代語の訳では「朝早くからあなたはわたしとともにいる」と訳されたことから、この詩編は『教会の祈り』の「朝の祈り」(第一主日および祝祭日などの第一唱和)で用いられています。神から離れた生活を「水のない荒れ果てた土地」と歌う作者は、まさしくそのように神を慕い、聖所=典礼(礼拝)の場で神と出会い敵から救われます。6節=詩編唱の3節の3小節目「もてなしを受けたときのように」は、直訳では「髄と脂肪で」だそうで、動物の髄と脂肪は、当時最もおいしい部分と考えられていたそうです(個人的にはわたくしも最もおいしい食べ物です)。今流に言えばグルメでしょうか。 答唱句では、旋律、伴奏ともに音階の順次進行や半音階を多く用いています。これによって、荒涼とした荒れ地の様子が表されています。とりわけ「土のように」では、バスが最低音になり、荒れ地の悲惨さを強調します。後半は「かみよ」で旋律が四度跳躍し、神を慕う信頼のこころ、神へのあこがれを強めます。なお『混声合唱』版の修正では「あなたを」のバスの付点四分音符はC(『混声合唱』版の実音ではD)となります。 詩編唱はドミナント(支配音=属音)のGを中心にして唱えられます。どの節でも一番強調されることが多い、3小節目では最高音Cが用いられています。4小節目の最後の和音はF(ファ)-C(ド)-G(ソ)という「雅楽的な響き」が用いられていますが、バスが答唱句の冒頭のE(ミ)への導音となり、その他は同じ音で答唱句へとつながります。【祈りの注意】 答唱句、特に前半は、荒涼とした荒れ地の様子を順次進行や、特に半音階で表しています。レガート=滑らかに歌いましょう。「あれちのかわきはてたつちのように」で、太字の母音「A」は喉音のように、赤字の子音はかなり強く発音します。また「あれち」は、sf (スフォルツァンド)一瞬強くし、すぐに、弱くします。このようにすることで、荒涼とした荒れ地の陰惨さを、祈りに込めることが、また、この答唱句の祈りを、よりよく表現できるのではないでしょうか。前半は「~のように」と答唱句全体では従属文ですから「れ」以外p で歌います。和音も従属文であり、主文へと続くように、5度の和音となっています。 後半は、この答唱句の主題です。「かみよ」の四度の跳躍で、「か」の部分はその前の和音の続きで五の9の根音省略形、「みよ」はどちらも主和音で力強さが込められ、p から、一気にcresc. して神への憧れを強めます。その後は、f ないしmf のまま終わりますが、強いながらも神の恵み、救いで「豊かに満たされた」こころで穏やかに終わりたいところです。 関連する朗読は、ゼカリアの預言もルカの福音も、キリストの受難予告と復活の預言です。生前のイエスに従っていた弟子たちにとって、イエスご自身の受難予告は、全く理解できない以上に、あってはならないことでした。主のエルサレムへの道はイスラエルの国の復興のためであったと思っていました。しかし、イエスにとってエルサレムへの道は、栄光への道であることには変わりありませんでしたが、それは、十字架をとおしての栄光だったのです。これは、その後の弟子たちのみならず、キリスト者すべてが、何らかの形で通らなければならない、追わなければならない十字架の道ですが、その十字架はキリストがともに追ってくださるくびきでもあることを忘れないようにしたいものです。詩編唱も、神とキリストがともにいてくださるという、信頼のもとに歌われます。詩編を歌う方も、味わう方々も、この信頼をゆるぎないものとするために、詩編のことばをより深く味わっていただきたいと願います。【オルガン】 答唱句のことばからしても、フルート系のストップが妥当でしょう。基本的には8’だけ、会衆が多ければ、答唱句では、Swell の8’もコッペル(カプラー)でつなげて弾くか、深みのある、4’を加えても良いでしょう。パイプオルガンでは、「あれち」の sfを表現することは難しいですが(ペダルを使っている場合も同様です)、ペダルがないハルモニウム(リード・オルガン、足踏みオルガン)では、表現することができます。 手鍵盤だけで弾く場合、答唱句は、すばやい持ち替えや手を滑らすなどの熟練を要します。じっくりと考えて、時間をかけて練習しましょう。このような練習は、会衆の祈りがこの答唱句の信仰告白にふさわしくなるようにするためです。会衆が良く祈るためには、オルガンがよく祈らなければなりません。オルガンがよく祈るには、オルガン奏者が深く祈っていなければならないことを忘れないようにしましょう。 オルガン奉仕には、多くの試練、課題、困難があるかもしれません。準備の間、この詩編を何度も、歌いながら味わうことで、神への信頼のうちに、この、奉仕の務めを与えていただいたことを想い起こし、神と共同体への奉仕のために、勇気と知恵を与えていただくことができるのではないかと思います。
2016.06.12
《C年》 114 主は豊かなあがないに満ち【解説】 この、詩編32は、「回心の7つの詩編」(他に、6、38,51,102,130,143)の一つで、アウグスティヌスが好んで唱えた詩編です。詩編の類型としては、個人的な感謝の詩編で、罪の赦しを受けた人の感謝の歌です。詩編の表題には「ダビデの詩」とあり、バトシェバと姦通を犯したダビデが、預言者ナタンの叱責を受けて、自らに死刑宣告をした後、その罪を赦されたことに感謝して(サムエル記下12:1-15)歌った歌とされています。 答唱句は、詩編唱と同じ歌い方がされるものの一つ(他に「神よ あなたの顔の光を」、「父よ あなたこそ わたしの神」)です。バスは、常にD(レ)で持続しますが、この、答唱句の確固とした信仰告白を力強く表しています。 詩編唱は、第1・第3小節の終止音の四分音符(主に「、」)が、その前の全音符から、2度高くなっており、第2・第4小節では(主に「。」)2度下降しています。さらに、各小節の冒頭の音が順次下降しており(1小節目=A(ラ)、2小節目=G(ソ)、3小節目=F(ファ)、4小節目=E(ミ))、文章ごとのバランスをとりながら、ことばを生かしています。 この詩編唱は、当初、『典礼聖歌』(分冊第二集=31ページ)で、旧約朗読後の間唱として歌われた「主よ よこしまな人から」(詩編140)に用いられていました。現在、『典礼聖歌』(合本)で歌われる詩編唱の第3・第4小節が「主よ よこしまな人から」の答唱句として、第1・第2小節が、同じく詩編唱として歌われていました。「主よ よこしまな人から」が作曲されたのは、典礼の刷新の途上だったため、新しい詩編や朗読配分、などが確立したときに、この曲は使われなくなり『典礼聖歌』(合本)には入れられませんでしたが、新しい答唱詩編である「主は豊かなあがないに満ち」の詩編唱に受け継がれました。【祈りの注意】 解説にも書きましたが、答唱句は詩編唱と同じ歌い方で歌われます。全音符の部分は、すべて八分音符の連続で歌います。「豊かな」と「あがない」の間があいているのは、読みやすくするためです。また「あがないに」と「満ち」、「いつくしみ」と「深い」の間があいているのは、楽譜の長さ(答唱句と詩編唱の)をそろえたための技術的な制約によるもので、これら赤字のところで息継ぎをしたり、間をあけたり、赤字のところを延ばしたりしてはいけません。 答唱句のことばで太字のところは、自由リズムのテージス(1拍目)になります(*は八分休符)。 主はゆたかなあがないに満ちー*|いつくしみふかいー* 答唱句はその詩編のことばに対して「主はゆたかなあがないに満ち、いつくしみ深い」と答えます。詩編と同じく、八分音符の連続ですが「主・は・ゆ・た・か・な・あ・が・な・い・に・満・ちー」のように包丁がまな板を鳴らすような歌い方にならないようにしましょう。 詩編は解説にも書いたダビデに対するナタンの叱責の場面が読まれます。今日のミサのことばの典礼での朗読のテーマは、ずばり「回心」です。しかし、回心の第一歩は神のことばを聴くことです。詩編を歌う人も、まず、この日の朗読をよく味わって、自らの朗唱を深めましょう。なお、詩編唱の2節の3~4小節目ですが、「聖書と典礼」では読点(、)がなく、1行になっています。『典礼聖歌』の楽譜では、4小節目の冒頭=「おおって」が全音符の下にありません。ここは、詩編の特殊例で、この箇所は3小節目~4小節目を一つの小節のように歌います。すなわち、3小節目の「喜びで」を四分音符で延ばした後、最後の八分休符を省き「おおって」に続けます。つまり、 すくいのよろこびでーおおってくださるー (太字はテージス)となります。 冒頭は、きびきびと歌い始め、1小節目の終わりで、rit. し、ほぼ、そのテンポのまま「いつくしみ」に入り、最後は、さらにていねいに rit. して終わります。全体は、P で、最後の答唱句は PP にしますが、それは、この答唱句の信仰告白のことばを、こころの底から、深く力強い、確固としたものとするためです。決して、気の抜けたような歌い方にならないようにしてください。【オルガン】 詩編唱形式の答唱句ですので、前奏は歌う場合と同じ長さで全体を弾き、旋律が動く答唱句のように旋律を刻むことはしません。ストップは答唱句の内容からもフルート系の8’で、会衆の人数が多い場合は、鍵盤をつなげるか、落ち着いた音色の4’を加える程度にしたほうがよいでしょう。ペダルを使うのは答唱句だけなのは言うまでもありません。詩編唱の2節の3~4小節目のつながりを、詩編唱者ときちんと合うように、準備を怠らないことも大切です。
2016.06.07
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

