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2024年09月09日
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カテゴリ: 御朱印:宮城県
日本三景として有名な松島から車で十数分、製塩で有名な塩竈市が見えてきます。海沿いを走っていたのですが、ナビに導かれ小高い丘の方へと登っていくと、ひと際大きな鳥居が見えてきました。これが名に負う鹽竈神社、もうテンションはMaxです


志波彦神社・鹽竈神社


実際に参拝したのは今から一年前、東北三十六不動の巡礼中にでした。瑞巌寺とこの鹽竈神社に時間をとられたせいで、秋保の不動尊の御朱印をのがしたのは今では良い思い出です。だってその二つもとんでもなく素晴らしい神社仏閣だったからです。後悔はありません。

広い駐車場に車を停め、坂道を登ると二つの神社それぞれの入り口があります。ちなみに境内はこんな感じです。今いるのは丁度真ん中下半分の広いところです。ここには売店や製塩の博物館があり、本当に一日中居れるような場所になってます。



では最初に両神社のご由緒を見てみましょう。




延喜式名神大社 旧国幣中社
志波彦神社 (例祭日 3月29日)

祭神:志波彦神(しわひこのかみ)

由緒
当神社は、もと宮城郡岩切村(現在の仙台市宮城野区岩切)の冠川(七北田川)の畔に鎮座し、明治天皇の思召しにより、明治7年(1874年)、鹽竈神社の別宮本殿に遷祀された。その後、国費により社殿を造営し、昭和9年(1934年)起工、昭和13年(1937年)に遷座申し上げた。


昭和38年(1963年)、本殿以下 塩竈市の文化財に指定された。


陸奥国一之宮 旧国幣中社
鹽竈神社 (例祭日 7月10日)

祭神:別宮 鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)、左宮 武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮 経津主神(ふつぬしのかみ)

由緒
当神社は、武甕槌神と経津主神の二神が鹽土老翁神の案内により陸奥国を鎮定して当地に祀られたのが始まりとされる。鹽土老翁神は、当地に留まって人々に塩づくりを教え広めたと伝えられる。平安時代編集の「弘仁式」並び「延喜式」に「鹽竈神を祭る料壱萬束」と記されていることから、当時すでに重要な神社であったと考えられる。その後も武家による崇敬を集め、特に江戸時代には、仙台藩主伊達家は厚い崇敬を寄せ、歴代の仙台藩主は、社領などを寄進するとともに、自ら祭事を司った。

社殿
現在の社殿は、宝永元年(1704年)に竣工したもので、江戸時代中期の優れた神社建築として、平成14年(2002年)、国の重要文化財に指定された。



先ほどの広場には鋳銭釜という精錬に使用する設備が飾られています。



説明書きです。




甑炉型 鋳銭釜


その後も藩は、再三に渉り幕府に、鋳銭願いを出し、享保11年(1726年)、四月に領内産、銅のみで鋳造することを条件に許可されました。
この時、北上川河口の水上交通の至便な石巻に鋳銭場を設置し、享保13年(1727年)より鋳造を開始し、明和(1746年)以降は、鉄銭も作るようになり、明治維新まで続きました。
この鋳銭釜は、この石巻鋳銭場で使用されたものです。
使用法が重ね合わせて米などを蒸す甑に似ていることから、甑炉型と呼ばれています。日本に現存する鋳銭釜甑炉で、上・中・下三段共揃って保存されているのはこれだけで、貴重な産業遺産となっています。
尚、甑炉の使用法は、図の通りです。



一、素灰かけ
鉄甑の溶けるのを防ぐ為に、内面に粘土と木炭粉末を練り交ぜた素灰を塗って乾燥させる。この工程を素灰かけという。

二、溶解作業
上段より鉄や銅と木炭を入れる。
中段から風を送る。
下段に溶けた鉄、銅が出てくる。

三、甑を外す
溶解を終えた後は、甑炉を倒して残滓と素灰を取り除き、再び、一の工程を繰り返す。


では、それぞれの神社を見ていきましょう

志波彦神社


ここが僕が初めて行った式内社になります。
写真では分かりづらいですが、この鳥居すごく大きいです。遠くからでも見える、まさにシンボルマークみたいな感じです。かかっている扁額も非常に味があります。



手水と門が有りますね。こちらも大変立派です。



門をくぐると狛犬がお出迎え。躍動感ある狛犬です。
狛犬:阿



狛犬:吽



拝殿です。赤と黒、金で装飾された色鮮やかな社殿が目を引きます。屋根は入母屋造で上部に二つ巴の装飾があります。
特に大きい社殿というわけでは無いんですが、独特の存在感がある神社でした。下に詳しい御由緒などを載せます。一緒に祭神:志波彦神についての面白い話も掲載されていました



歴史

志波彦神社は志波彦大神をお祀りしております。あまり馴染みのない御神名ですが、『延喜式』の神名帳に記載されている2861社の中でもわずか225社しかない「名神大社」と言う格別の崇敬を朝廷より受けていた神社です。

元々は東山道より多賀城に至る交通の要所宮城郡岩切村(現仙台市宮城野区岩切)の冠川の辺(現八坂神社境内)に鎮座しておりましたが、中世以降衰微の一途を辿り境内も狭隘だったため、明治4年の国幣中社列格の際に社殿造営の事が検討され、明治7年12月24日この地を離れ鹽竈神社別宮に遷座され、この際の御祭文に後日鹽竈神社境内に社殿を造営する旨が奏上されました。

大正11年当時の宮司山下三次が政府に造営の陳情をしましたが、翌年の関東大震災発生にて効を奏せず、次代古川左京宮司が時の政府に強く訴えかけてようやく昭和9年に着手、明治・大正・昭和の神社建築の粋を集め昭和13年に完成したのが現社殿です。造営前の社殿地には2階建て社務所が建っておりましたが現在の場所に降ろし、その場所に志波彦神社を建立しております。

鹽竈神社とは趣を別にし、本殿・拝殿ともに朱黒漆塗りの極彩色社殿となっております。又全額国費を以て造られた最後の神社とも言われております。


御祭神の謎

記紀を始め各書にも神話伝承の見えない志波彦大神とは如何なる神様なのでしょうか。 そのヒントが御神名であり志波とは「物のシワ」つまり端を指す言葉で、仙台市内に志波町、栗原市志波姫に志波姫神社(式内社)、岩手県紫波郡に志波城跡、志和稲荷神社・志和古稲荷神社とシワの名を持つ所が点在します。これは大和朝廷の統治範囲が北進するにつれ、シワの地(朝廷勢力圏の端)が遷っていったと思われ、この地方で信仰されていた国津神(土着神)を志波彦神或いは志波姫神と呼んだものと考えられますが詳らかにはなっておりません。但し農耕守護・殖産・国土開発の神としての信仰が伝わっており、農耕を生業としていた人々の守護神だったのでしょう。

志波彦神社が鹽竈神社境内に遷された理由には、鹿島・香取両神宮の御祭神(鹽竈神社左右宮御祭神)の東北地方平定に協力された御神縁に拠るものと言われております。 

志波彦神は相当古い神格みたいですね。土地の神ということは、この陸奥の歴史とも大きく関わっているのかもしれませんね。蝦夷との領土争いに負けないようにと、この地の和人が祀り願をかけていた、そんな神格なんでしょうか。気になります・・・。
以上です。



鹽竈神社


この鳥居はそこまで大きくありませんが、扁額や注連縄、鳥居の色などからシブさを感じられます。左右の行燈もデカい!



緑に囲まれた参道を進みます。



参道の左右にユニークな表情の狛犬がいました。
狛犬:阿



狛犬:吽



立派な門が見えてきました。東神門と言うそうです。
門の脇の方には陸奥國一之宮 鹽竈神社の社号標が有りますね。



説明書きです。




東神門奉納由来

鹽竈神社を詣でる全国各地の人々が必ず通る豪壮なこの東神門は、東京の実業家片倉直人氏の敬神の至誠の発露により寄進されたものである。彼は片倉チッカリン株式会社の三代目社長である。
同社は、大正9年(1920年)創業で東京に本社を置き全国各地に営業所を持ち、配合肥料を作って農業界に寄与している著名な会社である。
昭和16年(1941年)4月鹽竈神社東神門造営費として金壱万五千円を寄進。同年6月25日に地鎮祭が斎行され国粋建築研究所の設計のもと仙台の佐藤源吉氏が工事を請け負い同年10月竣工した。
茲(ここ)に東神門奉納の由来を永く銘記するものである。



東神門をくぐると更に参道が続きます。左右には様々な奉納物や堂宇があります。



例えば神楽殿なども・・・。



こっちには石碑が・・・。どちらの石碑も鹽竈神社の繁栄に尽力した伊達綱村公に関する物です。




左石碑 伊達綱村公と塩竈

仙台藩第四代藩主伊達綱村公(1659~1719年)は、いわゆる伊達騒動と呼ばれる危機を乗り越えて諸制度の改革や産業の振興に尽力し、仙台藩を発展させました。政治・経済・文化の各方面にわたり、大きな足跡を残した名君です。
綱村公は神仏に対する信仰が厚く、数多くの神社仏閣を建立・造営し、手厚く保護しました。鹽竈神社の御祭神を明らかにする鹽竈神社縁起をつくり、社殿を現在の形に改築したのも綱村公の御代です。
綱村公は、様々な要因が重なって経済情勢が悪化していた門前町塩竈の様子を憂い、塩竈の人々の復興運動にも後押しされる形で、貞享2年(1685年)、貞享持令と呼ばれる九箇条からなる振興令を出して塩竈を救いました。仙台藩領に入る商人荷物、五十集(海産物)、材木の三種類の物資を積んだ船は必ず塩竈の港に入港することや、毎年250両の御恵金の下賜、様々な税の免除などを定めたこの振興令により、塩竈は賑わいを取り戻し、仙台への物資輸送の拠点として大いに発展しました。
綱村公の薨去後、塩竈の人々はその恩に感謝し菩提を弔うため、藩に願い出て東園寺に位牌を安置し、命日の前日にあたる6月19日に毎年法要を営むとともに、忌日には墓所のある大年寺に参詣を続けてきました。明治になり、仙台藩の庇護がなくなった塩竈が再び衰退の危機を迎えた際には、市民有志が綱村公の戒名を冠した「肯山講」という組織を作り、寄付金や労働奉仕を募って港の整備や浚渫を行いました。
綱村公は、塩竈を救い、現在のみなとまち塩竈の礎を築いた恩人として、今も市民に崇敬され、語り継がれています。
解説文監修 斎藤 善之



撫で牛もあります。天満宮によくあるイメージですが。首には注連縄を巻いており、何とも言えない神聖性を感じますね



一際立派な山門が見えてきました。これは後ろ姿なんですがね・・・。
この先に石段があり、降りると参道沿いにいろいろなお店が並んでいるとかいないとか・・・。この時は下まで降りてないんで分かりません。また行って確かめたい(切実)。



山門の向いには更に立派な門が有ります。ここをくぐればついに鹽竈神社の拝殿が見えてきます。お守りや御朱印もこの中でもらえますよ。



さっきの門のすぐ近くには樹齢何百年?と聞きたくなるような巨木が生えています。これは鹽竈神社の御神木として知られており、この近くに末社が3.4社並んでいました。



御神木のそばには錨も置いてあります。海の近くの神社ではよく見られる光景です。



いよいよ拝殿へ。
拝殿の前には”文治の燈籠”という松尾芭蕉が見たとされる燈籠があります。




文治の燈籠

元禄2年5月9日(1689年6月25日)朝、芭蕉は鹽竈神社に詣で、この燈籠を観たとされています。
扉の碑文には「文治3年7月10日和泉三郎忠衛敬白」と記されています。
芭蕉は奥の細道に「・・・神前に古き宝燈あり。・・・五百年来の俤、今目の前に浮かびてそぞろ珍し。かれは勇義忠孝の士なり。・・・」と綴っています。



拝殿です。右宮・左宮と二つの扁額が付けられています。ここからは分かりませんが、本殿の方も右宮と左宮に分かれています。白い壁に赤漆の木材、金の装飾が映えます。平日にも関わらず参拝者であふれていましたが、これも伊達綱村公のおかげでしょう

祭神
右宮:経津主神、左宮:武甕槌神



鹽竈神社拝殿から右向け右すると別宮が在ります。こちらも同じような造り・装飾となっています。祭神の鹽土老翁神は白髭の老人とされ、神話内の役割や外見がなんとなく猿田彦神に似ている気がします。実際猿田彦神を祀る白髭神社のうち、この鹽土老翁神を祭神としているところも少なくはないようです。何だか二つの神格のイメージが混ざっているようで面白いですね



説明書きです。




国重要文化財指定 鹽竈神社

古来「陸奥国一之宮」と称され、弘仁式主税帳(820年)の記録から、9世紀前半には朝廷より祭祀料をいただく有数の神社として存在していたことなどが鹽竈神社の創建や社名に関連していると考えられています。
現在の社殿は、仙台藩四代藩主・伊達綱村が元禄8年(1695年)に塩竈の町づくりと共に神社造営の工事に着手し、宝永元年(1704年)五代藩主・伊達吉村の時に完成したものです。
三本殿二拝殿という全国でも類例がほとんどない社殿構成で、整然とした配置計画も優れていること、本殿・幣殿・廻廊は正統で装飾を抑えた意匠で、拝殿の古風な細部様式や門等の華やかな様式と絶妙な諧調を創り出していることなどが江戸中期の神社建築として価値が高いと評価され、平成14年(2002年)12月、国の重要文化財に指定されました。
塩竈市教育委員会



今回貰った御朱印です。表題に”二社で一つの・・・”と付けたのは、このように御朱印に志波彦神社・鹽竈神社二社の朱印が押ささるからです。説明書きにもある通り、実際の陸奥国一之宮は鹽竈神社のみなんでしょうが、あまりにも御朱印が素晴らしかったのでそうさせてもらいました



下のリンクから鹽竈神社の境内の様子をご覧になれます。
・文化財デジタルコンテンツ / 鹽竈<しおがま>神社

以上です。






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最終更新日  2025年04月02日 22時11分53秒
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