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2025年08月02日
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カテゴリ: 東京十社めぐり
文京区の一画に白山という町があります。その名の通り、白山神社が鎮守として置かれており、こちらも東京十社のひとつに数えられています。そこから上野方面に歩くと、多くの寺院が立ち並ぶ本駒込に出て、寺院と寺院の隙間を縫うような小道を進みます。すると、だんだんと大通りが見えてきて、坂を下ると根津の町に到着です。
この根津にも地名を冠した鎮守の社があり、それが今回紹介する根津神社です。


根津神社


東京メトロ根津駅から、徒歩数分。立派な社号標と赤鳥居が境内の入口となっています。



ここでまず境内の様子を見ておきましょう。この鳥居をくぐると直ぐに楼門が見えて来て、その奥に根津神社の社殿が置かれています。境内の左手には境内社の稲荷神社が2社鎮座しており、今回はそちらの方から見ていきたいと思います。



楼門をくぐり、まずは手水で清め、それから稲荷神社へ。趣のある橋の先に、豪華絢爛な随神門が見えています。



随神門を正面から見てみます。​ 日光山 中禅寺 ​の山門にも似たる勇壮な門ですねぇ!こちらを含め、境内の社殿7棟が国の重要文化財に指定されています。



楼門の先には、早くも根津神社の社殿を取り囲む唐門や透塀が見えていますが、それらは後にして、まずはこの趣ある神楽殿を眺めましょう。正式には”舞殿”と呼ばれ、ここで区指定無形文化財”三座ノ舞”などが執り行われます。



そして手水舎です。文化財等には指定されていませんが、こちらも歴史を感じさせる佇まいです。







稲荷神社が見えてきました。舞台造りのような華々しい外観です。



参道にはいくつもの鳥居が建っています。崇敬はかなりのものでしょう。



鳥居の近くには不思議な石積みが置かれています。こちらは江戸徳川氏六代家宣公の胞衣を納めた塚だと言われています。胞衣とは胎盤のことであり、境内がもとは徳川綱重公の下屋敷だったことから、こちらの塚が残っているんでしょう。
最近夢枕獏先生の”宿神”を読んだんですが、この作品の中でも胞衣が取り上げられています。なんでも胞衣を被った状態で生まれた子供は”袈裟”と称され、巫女や僧侶に向くとの謂れがあるようです。胞衣を僧侶が着る袈裟に見立てての事だと思いますが、なんとも不思議な文化です。



説明書きも併せて見てみましょう。




徳川家宣胞衣塚

文京区指定有形民俗文化財 昭和49年(1974年)11月1日指定

 六代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてある。
 この根津神社の境内は、もと五代将軍綱吉の兄綱重(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱重の長子家宣は寛文2年(1662年)4月25日ここで生まれた。
 胞衣とは、胎児(母体の中の子)を包んだと胎盤をいう。われわれの祖先が、胞衣を大切に扱ったことは、各地の民間伝承にある。例えば、熊野では大石の下に納めたと伝えられる。関東では、家の床下や入口の敷居の下に埋めたといわれ、また屋敷の方向をみて埋めるという所もあった。
 一方上流の階層では、胞衣塚を築くことが早くから行われた。愛知県の岡崎には、徳川家康の胞衣塚がある。
 この胞衣は誕生の敷地内に納められた。徳川家の他のものとくらべ、形式が素朴であるなど、将軍の胞衣塚ながら庶民の民俗の理解の上で貴重なものである。

 家宣が将軍綱吉の後継ぎとなり江戸城に入ると、屋敷跡に家宣の産土神(氏神)である根津神社を移し、華麗な社殿が綱吉によって建てられた。
文京区教育委員会 令和2年2月



胞衣塚を過ぎ、鳥居をひとしきりくぐると、乙女稲荷神社の社殿に到着です。伏見稲荷の様に紅白のカラーリングとなっています。



社殿奥には古めかしい稲荷の祠が置かれています。穴稲荷とも称されるとおり、壁面の穴を利用した建築です。詳細は不明ながら面白い境内社です。



池を挟んで反対側から乙女稲荷を眺めてみます。ここから眺めてみると、社殿の周りにはいく本ものツツジが植えられ、春には素晴らしい絶景が拝めるのではないでしょうか。



それでは次の境内社に向かいましょう。透塀の脇に伸びる参道を進みます。







境内は古社の雰囲気に溢れており、由緒が気になる所です。



参道の脇には使いの狐が置かれており、自然岩のような台座の上に生き生きとした姿を見せてくれます。他でこのような狐はなかなか見られないのではないでしょうか。福島県の話にはなりますが、まるで飛翔獅子のような風情でした。



社殿の手前には塞之神の石碑が置かれています。もともとは駒込の追分石として建てられたもので、道路工事に伴い根津神社に遷座されました。



説明書きです。




塞の大神碑

 この塞の大神碑は、もと通称駒込の追分(向丘一ノ一)にあった。ここは現在の東京大学農学部前で、旧中山道と旧岩槻街道(旧日光将軍御成道)との分岐点で追分といわれた。
 この追分は、日本橋から一里(約四km)で江戸時代一里塚のあった所である。今も角店は江戸時代から続く老舗の高崎屋である。この高崎屋よりに一里塚があり、榎が植えられていたが、明和3年(1766年)に焼け、その跡に庚申塔がおかれたが、これも文政7年(1824年)の火災で欠損した。
 その跡地に、この塞の大神碑が、明治6年(1873年)建てられた。同43年、道路の拡幅のため、碑は根津神社に移され、現在に至っている。礎石に移転の事情が刻まれている。
郷土愛をはぐくむ文化財
文京区教育委員会 昭和56年3月



塞之神の石碑の脇には、庚申塔を集めて六角形に配したものがあり、こちらにも説明書きが付いていました。何やら謂れのあるものみたいです。
碑面にはいずれも青面金剛が刻まれており、なかなかの豪華さです。



その説明書きです。




庚申塔(六基・根津神社境内)

 ここに六基の庚申塔がある。道の辻などに建てられたものが、明治以後、道路拡幅などのため、根津神社に納められたものである。
 正面から左回りに刻まれた像、銘文を見ると、

①青面金剛・猿・鶏・寛文8戌申(1668年)駒込村・施主**
②観音像・庚申供養・施主12名
③日月瑞雲・青面金剛・鬼・鶏・元禄5壬申(1692年)施主12名
④日月・青面金剛・猿・延宝8庚申(1680年)願主1名
⑤梵字・庚申供養・寛永9年壬申(1632年)・都島(庚)馬氷村・施主7名
⑥日月・青面金剛・鬼・猿・駒込千駄木町・施主10名
宝永6己丒(1709年)

 この中で、⑤の庚申塔は、寛永9年(1632年)の建立で、区内の現存のものでは最も古い。都内で一番古いのは、足立区花畑にある元和9年のもので、これより9年前の建立である。青面金剛は、病気・悪魔を払う庚申信仰の本尊として祭られる。猿は庚申の神の使いとされ、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿は、そのようなつつしみ深い生活をすれば、神の恵みを受けられるとされた。
 庚申信仰は中国の道教から生まれ、60日ごとにめぐる庚申(かのえさる・十干十二支の組合わせ)の夜は、人がねむると、三尸の虫がその人の体からぬけて天に昇り、天帝にその人の罪を告げて命を縮めると説かれた。これが仏教と融合してわが国に渡来し、古来の天つ神を祭るおこもりの習慣と結びついた。
 江戸時代に、特に盛んになった民間信仰で、庚申の夜は講の当番の家に集り、般若心経を唱え、和やかな話合いで一夜を過ごした。また、祭神も猿田彦神・塞の大神=道祖神であるとの説もある。
郷土をはぐくむ文化財
文京区教育委員会 昭和56年9月



それでは社です。門の奥の方に祠が見えます。
稲荷神社とは言いますが、祭神は稲荷大神に列するものだけにあらず、計5柱の神格が祀られています。↓に詳細を載せました。



駒込稲荷神社



 根津神社が千駄木村より遷座する前、この地は六代将軍の父 徳川綱重公の山手屋敷であった。その屋敷の守り神として、寛文元年(1661年)に祀られた古い社である。
 綱重公は他の江戸別邸・桜田屋敷・三田屋敷・浜屋敷(今の浜離宮)にも同じ稲荷を祀っており、浜離宮内の祠は当所同様今も残っている。
​境内説明書き より引用

一通り境内社も見終わったので、いよいよ社殿の方を見ていきましょう。
随神門を背後に社殿の方を見てみると、まず目に入るのが唐門とそれに連なる透塀です。どちらも漆で仕上げられた美しい赤色をしており、国の重要文化財に指定されています。



唐門の奥には金と朱のコントラストが素晴らしい社殿が鎮座していました。こちらが根津神社の拝殿になります。随神門や唐門同様、こちらも国の重要文化財に指定されています。
現在の拝殿は宝永3年(1706年)に五代将軍徳川綱吉公によって奉納されたものです。



ご由緒です。
根津神社

御由緒
 今から1900年余の昔、日本武尊が東夷征定の途次、武神 須佐之男命の御神徳を仰ぎ千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間(1469~1487年)には太田道灌が社殿を奉建しています。
 神仏習合の時代には、根津権現社と呼ばれ、御祭神素盞烏尊(本地:十一面観音菩薩)、相殿に山王大権現(本地:薬師如来)、八幡大菩薩(本地:阿弥陀如来)を祀り、根津三社大権現と呼ばれていました。

 現在地は江戸時代、甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の三男、六代将軍家宣の父)の山手屋敷であり、のちに六代将軍となる綱豊(家宣)の生誕の地でありました。
 五代将軍徳川綱吉が兄綱重の子綱豊(家宣)を養嗣子に定めると、家宣の産土神である根津権現社にその屋敷地を献納、現在の社殿を奉建し、宝永3年(1706年)千駄木の旧社地より遷宮、永代社領500石を寄せています。

 明治時代には、神仏分離令によって社名を根津権現社から根津神社に改称し、明治天皇御東幸にあたっては准勅祭社と定められ、御勅使が国家安泰の御祈願をされています。
 昭和20年戦禍により社殿の一部に損害を受け、復旧工事をし昭和34年に竣工しました。引き続き、唐門、透塀、楼門の修繕も行い、昭和37年に完成、宝永の昔さながらの威容が復活しました。

御祭神
・須佐之男命
・大山咋命
・誉田別命
・相殿:大国主命・菅原道真公 

例祭
・9月21日

都内にある神社の中でも相当な歴史のある古社であるようです。ですが延喜式内社ではないようで、実際の創建は何年になるのかが気になる所。

扁額です。この書体がそのまま御朱印に使われています。



御朱印を貰いに社務所の方に行くと、文化財の説明書きも有りました。




神輿三基 付 獅子二頭  区指定有形文化財(工芸)

 根津神社(根津権現)は、五代将軍綱吉により、世継ぎの家宣(六代将軍)の産土神として、宝永3年(1706年)千駄木にあった社を移して建てられた。
 造営記念の祭札が、正徳4年(1714年)に、いわゆる天下祭、宝永祭として盛んに行われた。この時、神輿三基が奉納されて御神幸に用いられた。
 神輿は、漆塗や金具などに後補があるが、本体部は初めのもので、製作年代の明らかな江戸神輿として貴重なものである。
 獅子は、頭、尾および背布からなる二頭である。『江戸根津大権現神前額面之縮図』によれば、宝永祭の神輿行列を先導する獅子二頭が描かれている。神輿と同時の製作と考えられ、天下祭を偲ぶ貴重な遺品である。
 神輿と獅子を一対として指定した。
郷土愛をはぐくむ文化財
文京区教育委員会 昭和57年2月



これらの文化財の他にも、徳川綱吉・家継によって奉納された太刀(国の重要文化財)や、三座ノ舞にて使用される神楽面(区指定有形文化財)などもあるようです。
これらの文化財は​ 公式サイト にてご覧になれます。

斜めから。
都内にありながら、かなり落ち着いた雰囲気の境内を持つ寺院でした。ここはツツジの名所でもあり、ビル群の中にありながら、季節の花々を楽しめる稀有な神社です。歴史も景色も楽しめる、そんな古社でありました。



今回貰った御朱印です。



公式サイトへのリンクです。
・根津神社

以上です。






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最終更新日  2025年08月02日 20時29分59秒
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