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2025年11月11日
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カテゴリ: 御朱印:山形県
9月の三連休に行った最上・村山地域遠征にて参拝しました。寒河江市に来たのは今回が2度目、以前は慈恩寺だけしか見れませんでしたが、今回は市内の神社仏閣を数ヵ所参拝出来たんです。その内の1つに今回紹介する寒河江八幡宮があります。
寒河江八幡宮は城跡に鎮座する八幡宮で、社殿だけでなく別当寺院までもが良好な状態で保存されているレアな神社なんです。丁度この日、例大祭が斎行されるようで、境内に幾人もの氏子が集い準備をしていました。秋の三連休はどこも例大祭で賑わっており、普段感じられない祭の空気感を味わうことができて面白かったんです

2025.9.15
寒河江八幡宮


赤く大きな鳥居の側に、立派な幟が挙がり、風ではためいていました。雲がまばらにかかった気持ちの良い秋空の下、参道を登っていきます。



参道右手には別当寺院が置かれています。



境内には古めかしい仏堂。この中には十三仏霊場の札所本尊である文殊菩薩が祀られています。



中央に文殊菩薩、両脇に聖観音と不動明王が置かれ、奇妙な三尊形式となっていました。更に文殊菩薩の手前に置かれた小さな厨子には、生まれ年守り本尊の7尊が置かれています。



別当寺院の本堂です。
寺院名は西方山 神宮寺。寒河江市史にて、由緒などを確認できました。



西方山 神宮寺

慈恩宗 瑞宝山本山慈恩寺末寺
本尊:阿弥陀三尊

・・・。
 寒河江八幡宮の別当は、真言宗幡光山満徳院であった。満徳院は、慶安2年(1649年)江戸幕府が従来の黒印地を朱印地に直すさい、「神人等随意僧籍ニ転ズルヲ許セリ、因ッテ神主幡野右近満徳ナルモノ官允ヲ請ヒ別当トナリ、真言宗佛式ヲ以テ奉仕。満徳院ト称ス」とあって近世初期の創建を記すが、室町末の『寒河江大江城古絵図」に満徳院が画かれてあり、別当としての創建はもっと古いと考える。しかし、『寒河江大江城古絵図」が江戸時代に書かれたものという可能性も検討されなければならない。

 寒河江八幡宮には、もう一つの別当神宮寺があった。神宮寺なる名称は、神祇に仕える目的で神社に付属して建立された寺院のことで、神護寺や宮寺などともいい、神仏習合思想の具現化を示す標識であり、明治元年3月の神仏分離令で廃仏毀釈がおこなわれ、全国的に神宮寺の堂社、仏像以下が廃壊されたことは周知の事実である。寒河江の神宮寺は、現在六供町の八幡神社鳥居脇にあり、今に神宮寺の名称を遺存する珍らしい例である。全国的に神宮寺は、一部を除いておおむね天台・真言いずれかの宗派に属したが、寒河江の神宮寺は 新義真言宗 で、宝暦・寛政などの近世文書によると、惣持寺の末寺になっていた。
 八幡神社の記録によると、神宮寺について「元八幡宮社僧ニシテ本地阿弥陀仏ノ守護役ナランモ貞享2年(1685年)満徳院社領綜合ノ際、八幡宮ヲ離レテ阿弥陀領トシテ朱印状ヲ受ケタルナルベシ」とある。すなわち神仏習合の中で生まれた本地垂迹説によると、 八幡神の本地仏は阿弥陀如来であり、寒河江八幡宮の阿弥陀如来像に奉仕してきたのが神宮寺であった というのである。『乩補出羽国風土略記』には、「一阿弥陀堂」として「六日町に有、仏餉料26石7斗、慶安以後御朱印頂載別当真言宗安養山神宮寺といふ」と書かれている。
 明治の神仏分離に際して、寒河江八幡宮の阿弥陀如来像が神宮寺に移された。銅像の小像であるが、鎌倉時代の鋳造にかかるものと推定されている。
 神宮寺は江戸時代に満徳院との紛議によって、阿弥陀堂領を奉持して、八幡宮との縁を切ったもので、そのため明治初年の廃仏毀釈による廃寺をまぬがれたものであろう。
 現在神宮寺は、慈恩寺派として、山号を西方山と号し、貞観2年(860年)真済の開基を伝えているが、八幡宮と分離した後、新しい縁起を生み出したものであろうか。
・・・。


以前は真義真言宗に属していましたが、現在は瑞宝山本山慈恩寺を本山とする慈恩宗に属しています。寒河江市は慈恩寺にほど近いことからも、このように慈恩宗の寺院が多そうです。

別当寺院を後にして、参道を更に進みます。
二之鳥居は石鳥居、ここから本格的な登りになります。



鳥居脇には古井戸?の様なものがあり、おそらく水神を祀るであろう祠が置かれています。うーん、かつては水垢離の場所とかだったんではないでしょうか?



更に登った所には注連縄がかかった洞があり、中にはまたもや謎の祠。水もわずかながらしみだしているようです。先ほどの古井戸?の水源でしょうか。



上の洞を基点に右の石段を登っていくと、駐車場に着きます。その脇には神仏混淆の痕跡でしょうか、鐘楼が置かれています。



左の石段が表参道。道の先には立派な随神門が建っていました。なんとこの随神門、去年落慶したばかりのピカピカの伽藍なんです。
以前の随神門は享保年中(1716~1736年)には既に建っていた様ですが、神仏分離の際に市内の寺院に移されてしまったみたいなんです。立派な随神像は残りましたが、それを納める門は無い、という状態が長らく続きました。それを受けて平成29年から数年の時をかけて随神門が再建され、随神像も元の伽藍に戻ることができたということです。とっちぱれ。



門をくぐり左手の方には、末社の高良神社 / 新山神社が鎮座しています。
こちらの御朱印もありますよ。



ご由緒です。




高良神社 / 新山神社

祭神:武内宿禰、大山祇神

由緒・沿革
 八幡宮の末社として応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三代に使えた武内大臣を祀り、後に新山より南町二丁目の安孫子医院に移り、明治時代に合祀され南町講中によりお祭りされている。





いつぞやの記事でも書きましたが、新山神社は修験と関係の深い神社です。もと仏堂や仏尊を祀る祠が新山神社となったのではないでしょうか。今では大山祇神を祭神としていますが、おそらく以前は別の祭神(仏尊)があったものと思われます。

社殿内には立派な厨子が置かれています。小さいながらも荘厳な外観です。



高良神社 / 新山神社の脇、社務所の手前には、”古代の王”と銘打たれた焼き物が置かれています。・・・銅鐸とかなんですかね?



随神門の右手から駐車場の方へと向かってみましょう。こちら側にも末社やら堂宇やらいろいろあります。ちなみにこれは神輿舎、祭りの日ということで開け放たれていました。



ここからは末社です。こちらは稲荷神社。







開運之神社、祭神は聖徳太子でしょうか。



そして本殿脇にはまたもや梵鐘です。こちらは以前使われていたものでしょうか。
基壇の説明書きによると、昭和42年に役目を終えるまで二百数十年にもおよぶ長きに渡り、人々に時を知らせていたようです。かなりの古鐘ですよねぇ!



ではいよいよ拝殿です。青空に映える美しいカラーリングの拝殿ですよねぇ!現在の拝殿は安永4年(1775年)に建立されたもので、市指定有形文化財に指定されています。



ご由緒も見てみましょう。
寒河江八幡宮

祭神:八幡大神(十五代応神天皇)

 出羽国風土記・古社縁起等に依れば、今の高瀬山(郊外、島地区)近くに血縁・氏族等の大集落の守護神あり、康平5年(1060年)源頼義・義家奥州平定(前九年の役)の祈願をし、その霊験あらたかに依り寛治7年(1090年)8月15日に八幡宮をお祀りし、神主1人を置き3,000坪を奉納した。
 後に、大江広元 文治5年(1187年)11月源頼朝より寒河江荘を賜り最上川西一円の地頭となり、建久2年(1191年)産土神鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を勧請し、社人4人と田地1,000石を寄進し併せて現在の地に鎮座せしめられた。以来400年の間大江城主は、神を敬い民を撫し水利を興し田畑を拓き、祭政一致殖産興業を勧奨し大いに仁政を布き氏子の信仰篤かった。
 出羽守最上義光に天正12年(1583年)に亡ぼされたが、義光公も敬神の念篤く文禄年間より黒印を与え、後江戸時代に至り幕府直轄の御朱印となり寒河江本郷17ヶ村と川西総鎮守として歴代尊崇変わる事なく氏子に維持され、神威ますます厳然として現在に至っている。

南東北に多い”源頼義・義家父子による開創譚”を持つ神社ですが、地方史などによると源頼義・義家父子は寒河江に陣を張ることなく奥州合戦に参陣しており、信憑性は薄いとのこと。おそらくその次の鎌倉御家人 大江氏による勘定が本当の開創ではないかと思われます。・・・そうだとしても相当に歴史のある古社であることは変わりませんがね!

そして祭事に関する記述も面白いので載せますねぇ。
寒河江まつりの由来
寒河江市文化財保護委員長 宇井啓

 寒河江の祭の最大のものは、寒河江荘の総鎮守であった寒河江八幡宮の祭である。鎌倉時代の建久2年(1191年)に大江氏が鎌倉から神霊を勧請したというから、かれこれ800年以上の歳月が流れている。
 このころの祭の様子はわからないが、室町時代に寒河江城を大修築して城下町を整備したころ、この八幡宮に馬場が作られていた。おそらく大江氏は、寒河江城の西方に八幡宮を奉り、 鎌倉八幡宮で行われていた8月15日の放生会の流鏑馬儀礼を取り入れたものであろう。 この祭は、生きている鳥や魚を放って神仏を供養し、弓馬の競技によって神意を占うものであった。
 江戸時代、寒河江は幕府の直轄地となり陣屋が置かれ、代官が派遣された。寒河江は、「寒河江千軒」の町として繁栄し、代官様のお膝元ということで、ゆったり空気が流れていた。紅花や青苧(あおそ)・漆を扱う大商人が軒を並べて、市の立つ日には大勢の人々が集まってきた。
 寒河江八幡宮の祭も、正徳年間(1711~1716年)ころから神輿が町を巡るという形態をとるようになる。神が町へ下り、人々に神徳を授けるものであった。「放生会」も舟橋川(沼川)で行われていた。流鏑馬も作試しと称して稲作の吉凶を占うものに変化していた。
 享保12年(1727年)八幡宮の神輿が新しくなった。この祭の時に、チャンチャンネンツンと称する若衆の手による「祇園囃子」も町を廻った。六供町・上町・西ノ町・新町・南町・七日町と7台も出て、寒河江の町衆の心意気を表した。六供町組のものは、元禄年間(1688~1704年)に京都に行って習ってきたものだから、他の町に教えるなと戒めた。
 文化・文政のころは、さらに寒河江の各町や富豪層は「山車」を出して祭礼を盛り上げた。六供町の又三郎は「風流三国志」、治郎兵衛は「日高川入相楼」、川嶋屋は「須磨浦塩汲」、高津屋は「龍宮」、六右衛門は「養老屋」、かどやは「足柄山」、新町も横町も石川も華麗な山車を出した。寒河江の祭は飾り屋台や山車が巡行して、それは見事なものであったろう。
 近代に入ると、神輿に武者行列と奴がつく。奴は「凱旋奴」と称し、六供町の猛者組が担当した。閏年の祭の日には、この奴と内楯獅子踊組が各所で衝突した。寒河江の祭は熱気を帯びていたのである。
 戦後の仮装行列も寒河江祭の圧巻で、谷地のドンガ祭の観衆が寒河江に流れてきたほどであった。
 寒河江の祭は、寒河江八幡宮の放生会・流鏑馬・神輿渡御を中心として、町衆の祇園囃子屋台や山車が盛り上げたのであった。

(平成14年発行 寒河江まつり「神輿の祭典」20周年記念誌掲載)

​分霊元が鶴岡八幡宮ということで、祭神だけでなく祭の方も同じようなものを行っていたんですねぇ。鎌倉武士団が統治した他の地域ではどうだったのでしょうか?そちらも気になりますねぇ!

扁額は金縁の豪華なもの。田中栄作首相による揮毫です。



拝殿もそうですが本殿はさらに荘厳です。本殿は貞享3年(1686年)の建立で、拝殿と共に市指定有形文化財の指定を受けています。ここからでは見えにくいですが、極彩色で着色されており見ごたえは抜群ですよ



斜めから。
祭りの空気が漂う境内は活気で溢れており、人々が楽しそうに飾りを付けたり、神輿を運んだりしていました。地域の鎮守とはかくやという感じで、相当に大事にされているようです。鎌倉幕府が出来た頃に勧請された八幡宮は、威風堂々とした姿で氏子に囲まれておりました。これからも寒河江の町を見守っていって欲しいですね



今回貰った御朱印です。



公式サイトへのリンクです。
・寒河江八幡宮

以上です。

​​​​​​

調子に乗って撮った写真ギャラリー

五色の幟と美社殿






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最終更新日  2026年03月13日 18時54分08秒
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