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2025年12月05日
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カテゴリ: 御朱印:滋賀県
琵琶湖の東のほとりには、津軽に見られるような広大な田園地帯が広がっています。田んぼの隙間を埋めるように民家が建ち、それがいつしか村となり、今日の風景をかたち作っています。
田園地帯の一画には昔の面影を残す松並木。学校の横を通り、その先には今回紹介する神社が鎮座しています。



2025.11.23
兵主大社


駐車場に車を停め、足早に境内へと向かいます。蒼天のもと、すがすがしい気持ちで大社に臨みます。神橋を渡り、その先には鳥居、そして大きな随神門が立ち並んでいます。



鳥居をくぐった先にあるのが手洗御前社。小さいながらも萱葺風の屋根がステキです。調べましたが祭神は分かりませんでした。おそらく祓えの神格ではないかと思われます。



そんでさぁ・・・こんな随神門、反則です。あまりにも美しすぎます解体修理時に出てきた墨書きによると、建立されたのは天文19年(1550年)だとされています。寄進者はかの足利尊氏とされていますが・・・。檜皮葺の屋根がなんとも言えないアジを醸しており、見ごたえ抜群!随分長いことうっとり眺めてしまいました・・・。



楼門の両側には舞殿のような建物が突き出していますが、懸かっている扁額からも、これはおそらく境外末社の遥拝所ではないでしょうか。右側には矢放神社・狩上神社・戸津神社の3社。



左側には二ノ宮神社・浅殿神社・矢取神社の3社が並んでいます。




  • 兵主若宮神社:事代主神
  • 乙殿神社:稲背入彦神
  • 戸津神社:三穂津姫神
  • 八幡神社:十五代応神天皇
  • 四之宮神社:光殿姫神?
  • 稲荷神社:倉稲魂神
  • 杜若神社:素戔嗚神
  • 野々宮神社:天照皇大神
  • 天満宮:菅原道真公
  • 八幡神社:十五代応神天皇
  • 矢放神社:天少彦名神
  • 下堤神社:大国主神
  • 苗田神社:稲田姫神
  • 苗田日撫神社:天照皇大神
  • 三之宮神社:高光照姫神
  • 吉地神社:五十猛神
  • 浅殿神社:事代主神
  • 城之神社:事代主神
  • 二ノ宮神社:天児屋神
  • 比利多神社:経津主神
  • 木部神社:素戔嗚神
  • 高木神社:高皇産霊社
  • 長澤神社:天瀬織津姫尊
  • 矢取神社:手力雄神
  • 三河神社:事代主神
  • 牛尾神社:素戔嗚神
  • 服部龍神宮:龍神
  • 南産土神社:天孫瓊瓊杵尊
  • 北産土神社:天孫瓊瓊杵尊
  • 千原神社:素戔嗚神
  • 狩上神社:事代主神
という感じで計31社の末社があるそうです。参拝した時には、兵主大社で全ての末社の御朱印を出していました。なんというやり込みコンテンツでしょうか。当然今回は断念。



楼門くぐり参道右手、境内社の乙殿神社が鎮座しています。一応社格は村社となっています。



単に社だけが置いてあるのではなく、それを囲むように瑞垣が貼られ、その一画が拝殿の様になっています。まさに上方の神社の造りといった感じです。



境内の御由緒書きを見てみましょう。


乙殿神社 御由緒

祭神 :稲背入彦神、菅原道真(天満宮・明治42年11月13日合祀)

縁起
 養老2年(718年)兵主大神降臨にともない、五条小森立の地にあわせて鎮座する。兵主の神の主(氏の上)の祖神として現在に及ぶ。それ以来豊積の里農地開田の神にして崇敬され、兵主祭渡し当番に際しては兵主十八郷の第一として神事を務め現在に至る。

祭礼日
  • 1月1日:元旦祭
  • 1月15日:左義長祭
  • 1月25日:初天神祭
  • 4月8日:内祭り
  • 5月5日:兵主祭
  • 6月下旬:寅御前祭
  • 7月上旬:御千度祭
  • 10月中旬:御日待祭
  • 11月下旬:新嘗祭
  • 12月25日:仕舞天神



瑞垣内にはこの通り2つの社が置かれています。
大きな方が乙殿神社、小さな方が天満宮でしょう。



随神門の先に広がる参道を今一度眺めます。両側に樹叢が繁り、枝葉の間を抜けて少し冷たい風が吹いていました。頭上から射す日差しが心地よく、自然と表情も緩んでしまいました。ああ、これほど趣深い境内がどれほどあるでしょうか、いや、これ以上のものはそう無いでしょう。



手水舎では亀が清らかな水をはき、参拝者の身を清めます。




中央の二重屋根の部分と両側の社は舞殿の様になっており、内側は吹き抜けになっていました。参拝時には玉垣内が良く見え、壁がないので神鏡が浮いている様に見えます。面白い造りです。
境内の説明書きをば・・・。
兵主大社拝殿翼楼
建立年代:天保13年(1842年)
改築年代:昭和16年(1941年)

 拝殿翼楼の建物は中央の拝殿一棟と左右の翼楼二棟とが組み合った大型の建物で、県下ではたいへんめずらしい型のものです。東面して立つ楼門にもやはり左右の翼楼が付き、兵主大社独特の様式として踏襲されてきたものと考えられます。
 現在は埋まっておりますが、平安時代末期には拝殿翼楼の正面には建物に平行する形で水路が流れ、又本殿からの正中線上の川幅には橋がかかり、石敷の参道が楼門まで続いていました。
 昭和16年(1941年)皇紀2600年を記念して改築されましたが、天保13年建立当時の部材も多く残り、天保時の大工は吉地村の長谷川若狭守繁行、改築時の大工は比留田村の加賀爪忠左ェ門と棟札に記載されております。
平成13年10月吉日
​​


では御由緒!
兵主大社



由緒
 「兵主」の神は、全国に50社近くお祀りされていますが、その内延喜式神名帳に記載されている社が19社、その中でも当社は大和国穴師坐兵主神社・壱岐国兵主神社と並んで名神大社に列せられています。元来、中国の八神信仰に由来する兵主(八千矛神)の神を、渡来人が奉斎し但馬国を中心に全国各地にお祀りしたと考えられます。
 「兵主大明神縁起」によれば、御鎮座は養老2年(718年)と伝えられます。「兵主」を「つわものぬし」と読むことより、中世には武将の信仰が厚く、源頼朝・足利尊氏による社殿の造営を始め数多くの武器・武具類の寄進があり、社宝として伝えられております。一方では旧不動堂・不動明王立像を始め仏教色を残す宝物が多く残存し、当社の信仰圏の広さがうかがえます。
 又、当社は「兵主十八郷」と称する氏子地域の総氏神として住民より心のよりどころと仰がれ、他方、三十番神信仰に代表されるように全国各地よりの崇敬者の参拝も跡を断ちません。

年中行事
  • 1月1日:歳旦祭、初もうで
  • 1月3日:元始祭
  • 1月10日:初えびす
  • 1月15日:神粥神事
  • 2月3日:節分祭、乾湿伺神事
  • 3月上旬:祈年祭
  • 5月3日~6日(5日:神輿・太鼓渡御):兵主祭(春季例大祭)
  • 6月30日:夏越の大祓(茅の輪くぐり)
  • 7月1日:納涼祭
  • 10月中旬:鮒寿司祭(秋季例大祭)
  • 10月下旬:火まつり(護摩木供養)
  • 11月15日:七五三詣
  • 11月下旬:新嘗祭
  • 12月上旬:八ヶ崎神事(おこりかき)
  • 12月31日:師走の大祓
神社パンフレット より引用​

八神信仰とは、陰陽道における方位の神格である8柱の神格を祀るものです。仏教の十二神将とは異なり、それぞれの神格が東西南北・北東北西南東南西の8方位に対応しているようです。これらの8柱の神格は牛頭天王の御子神ともされており、神仏分離によって牛頭天王が素戔嗚神と同一視されると、八神も素戔嗚神の御子神である八王子神と同一視されました。そんな八神信仰に登場するのが蚩尤という怪物。そして兵主神とは蚩尤と同一だという説もあります。真偽は分かりませんが、実際に大陸の神格が伝わり、それを奉斎したのが始まりなんではないでしょうか。実際近江国は渡来系の氏族が多く居住していたとされており、彼らが自国の神格を持ち込んだとしてもおかしくはないと思います。


祭祀の中でも面白そうなのが八ヶ崎神事です。まずはどのような祭祀なのか見てみましょう。
兵主大社と八ヶ崎神

概要
 兵主大社は、祭神を八千矛神とし、養老2年(718年)に創建されたと伝えられており、流麗な朱塗りの桜問(室町時代・県指定文化財)が美しく、数多くの社宝や文化財を有しています。その文化財の中でも、平安時代後期に造られた池泉回遊式の庭園(国指定名所)は、紅葉の名所として知られています。
 八ヶ崎神事は、毎年12月上旬に行われ、宮司が湖中に入って御神体を清め、神を向かえる神事です。白蛇の姿をした兵主神が大亀に背に乗って琵琶湖を渡り、鹿の群れに守護され、現在の社地にたどり着いたという伝説にちなむものです。

ストーリーの位置づけ
 祭神が琵琶湖を渡り現在の社地にたどり着いたとの伝説がある。毎年、秋に湖岸で、宮司がご神体と共に湖中に入りご神体を琵琶湖の水に浸すという神事がおこなわれるなど水と祈りとの深いかかわりがある資産。

兵主の神の遷座の様子を再現する神事みたいですねぇ。実際に動物たちが付き従っていたならば、かなり神秘的な風情があるでしょうね。滋賀県はやはり琵琶湖と関連する神事などが多いです。どれだけ琵琶湖が生活と深く関わっていたかが伺えますね。
実際の八ヶ崎神事の様子を載せたいと思います。こちらからどうぞ!

・YouTube / 野洲市観光物産協会 / 日本遺産 兵主大社と八ヶ崎神事 ‐八ヶ崎神事と水辺の舞楽‐



右脇から本殿を拝めます。境内の中で最も高いところに座し、威風堂々です。植物溢れる美しい玉垣内陣は見どころの1つです。
境内の説明書きも載せますね。
県指定有形文化財 兵主神社本殿
桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺

令和7年3月18日指定

 兵主神社の創建は平安時代にさかのぼるとされ、その名称から中世から近世にかけて武士の信仰を集めた。現在の本殿は棟札等から寛永20年(1643年)に建立された事が明らかである。屋根の正面側が長い流造と異なり、正背面で屋根の長さが等しい切妻造の一間社は極めて珍しく、さらに一間社としては全国的に見ても大規模な本殿である。外観は控えめではあるが要所に優れた彫刻を施す。建築技法的には中世と近世の過渡期的な部分が認められる。また近世に野洲郡を中心に活躍した谷川(長谷川)姓の大工棟梁の代表的な作例である。
 年代が明確で後世の改造も少なく、形式と規模において県内でも他に類例を見ない本殿であり、技術的にも意匠的にも優れた質の高い建築として貴重である。
令和7年6月



社殿右手のエリアを見てみましょう。まず社務所の隣にあるこちらから。これは神武天皇遥拝所と呼ばれています。名前からしておそらく橿原神宮の遥拝所だと思われます。



その隣には神仏混淆の痕跡も。こちらは旧護摩堂、かつてあった神宮寺の堂宇の1つだと思われます。ここでは兵主大社の本地仏 不動明王が祀られていました。
境内の説明書きです。
兵主大社旧護摩堂
建立年代 江戸時代後期

 棟札によると寛政6年(1794年)12月に、吉地村の大工、谷川若狭重道一族により上棟されて現在の形に改められたと思われる。本来は神社蔵の江戸初期絵図によると宝形造・二間四方・廻り縁付きで、兵主神の本地仏(不動明王)をまつる護摩堂として建立されたものである。
 一部、丸柱・格天井などには中世の部材も多く残り、平成8年度の修理では、根継ぎ等による補強を加えて、歴史的な重みを加えることとなった。

 又、内部には、氏子崇敬者三十六社の神々を祀り、江戸時代にはその御神徳は、現在の守山市・中主町・近江八幡市・野洲町の2市2町にまたがる信仰圏を形違っていたものと思われる。
平成8年8月



堂内には大きな幣を取り囲むように祠がズラリと並んでいます。脇には地蔵尊像も。



旧護摩堂の近くには両大神宮の祠が鎮座しています。恐らく伊勢神宮 内宮・外宮の神格を祀っているものと思われます。



拝殿左手には文化財に指定されている庭園へと続く門があります。



入ってすぐの浮嶋には祠が。恐らく弁財天か。



平安時代の遺構が残る貴重な庭園は、紅葉の時期にピッタリ!参拝時には無料で拝観できました。季節によって有料・無料が切り替わるみたいです。



斜めから。
風光明媚の喩えを欲しいままにするうつくしの社、兵主大社でした。祭神や歴史などには不明な点が多いですが、それも悠久の歴史があったことの証明でしょう。境内・社殿全てが古雅・秀麗であり、こんな古社にはなかなか出会えないでしょう。よい神社でした



今回貰った御朱印です。



紅葉の御鈴



以上です。

​​​​​​​​​

調子に乗って撮った写真ギャラリー

うつくしの門






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最終更新日  2026年03月01日 20時18分22秒
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