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兵主大社拝殿翼楼
建立年代:天保13年(1842年)
改築年代:昭和16年(1941年)
拝殿翼楼の建物は中央の拝殿一棟と左右の翼楼二棟とが組み合った大型の建物で、県下ではたいへんめずらしい型のものです。東面して立つ楼門にもやはり左右の翼楼が付き、兵主大社独特の様式として踏襲されてきたものと考えられます。
現在は埋まっておりますが、平安時代末期には拝殿翼楼の正面には建物に平行する形で水路が流れ、又本殿からの正中線上の川幅には橋がかかり、石敷の参道が楼門まで続いていました。
昭和16年(1941年)皇紀2600年を記念して改築されましたが、天保13年建立当時の部材も多く残り、天保時の大工は吉地村の長谷川若狭守繁行、改築時の大工は比留田村の加賀爪忠左ェ門と棟札に記載されております。平成13年10月吉日

兵主大社
由緒
「兵主」の神は、全国に50社近くお祀りされていますが、その内延喜式神名帳に記載されている社が19社、その中でも当社は大和国穴師坐兵主神社・壱岐国兵主神社と並んで名神大社に列せられています。元来、中国の八神信仰に由来する兵主(八千矛神)の神を、渡来人が奉斎し但馬国を中心に全国各地にお祀りしたと考えられます。
「兵主大明神縁起」によれば、御鎮座は養老2年(718年)と伝えられます。「兵主」を「つわものぬし」と読むことより、中世には武将の信仰が厚く、源頼朝・足利尊氏による社殿の造営を始め数多くの武器・武具類の寄進があり、社宝として伝えられております。一方では旧不動堂・不動明王立像を始め仏教色を残す宝物が多く残存し、当社の信仰圏の広さがうかがえます。
又、当社は「兵主十八郷」と称する氏子地域の総氏神として住民より心のよりどころと仰がれ、他方、三十番神信仰に代表されるように全国各地よりの崇敬者の参拝も跡を断ちません。
年中行事
- 1月1日:歳旦祭、初もうで
- 1月3日:元始祭
- 1月10日:初えびす
- 1月15日:神粥神事
- 2月3日:節分祭、乾湿伺神事
- 3月上旬:祈年祭
- 5月3日~6日(5日:神輿・太鼓渡御):兵主祭(春季例大祭)
- 6月30日:夏越の大祓(茅の輪くぐり)
- 7月1日:納涼祭
- 10月中旬:鮒寿司祭(秋季例大祭)
- 10月下旬:火まつり(護摩木供養)
- 11月15日:七五三詣
- 11月下旬:新嘗祭
- 12月上旬:八ヶ崎神事(おこりかき)
- 12月31日:師走の大祓
兵主大社と八ヶ崎神
概要
兵主大社は、祭神を八千矛神とし、養老2年(718年)に創建されたと伝えられており、流麗な朱塗りの桜問(室町時代・県指定文化財)が美しく、数多くの社宝や文化財を有しています。その文化財の中でも、平安時代後期に造られた池泉回遊式の庭園(国指定名所)は、紅葉の名所として知られています。
八ヶ崎神事は、毎年12月上旬に行われ、宮司が湖中に入って御神体を清め、神を向かえる神事です。白蛇の姿をした兵主神が大亀に背に乗って琵琶湖を渡り、鹿の群れに守護され、現在の社地にたどり着いたという伝説にちなむものです。
ストーリーの位置づけ
祭神が琵琶湖を渡り現在の社地にたどり着いたとの伝説がある。毎年、秋に湖岸で、宮司がご神体と共に湖中に入りご神体を琵琶湖の水に浸すという神事がおこなわれるなど水と祈りとの深いかかわりがある資産。
県指定有形文化財 兵主神社本殿
桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺
令和7年3月18日指定
兵主神社の創建は平安時代にさかのぼるとされ、その名称から中世から近世にかけて武士の信仰を集めた。現在の本殿は棟札等から寛永20年(1643年)に建立された事が明らかである。屋根の正面側が長い流造と異なり、正背面で屋根の長さが等しい切妻造の一間社は極めて珍しく、さらに一間社としては全国的に見ても大規模な本殿である。外観は控えめではあるが要所に優れた彫刻を施す。建築技法的には中世と近世の過渡期的な部分が認められる。また近世に野洲郡を中心に活躍した谷川(長谷川)姓の大工棟梁の代表的な作例である。
年代が明確で後世の改造も少なく、形式と規模において県内でも他に類例を見ない本殿であり、技術的にも意匠的にも優れた質の高い建築として貴重である。令和7年6月


兵主大社旧護摩堂
建立年代 江戸時代後期
棟札によると寛政6年(1794年)12月に、吉地村の大工、谷川若狭重道一族により上棟されて現在の形に改められたと思われる。本来は神社蔵の江戸初期絵図によると宝形造・二間四方・廻り縁付きで、兵主神の本地仏(不動明王)をまつる護摩堂として建立されたものである。
一部、丸柱・格天井などには中世の部材も多く残り、平成8年度の修理では、根継ぎ等による補強を加えて、歴史的な重みを加えることとなった。
又、内部には、氏子崇敬者三十六社の神々を祀り、江戸時代にはその御神徳は、現在の守山市・中主町・近江八幡市・野洲町の2市2町にまたがる信仰圏を形違っていたものと思われる。平成8年8月










多賀町:多賀大社 近江の東岸に居わすめ… 2025年12月12日