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2026年03月17日
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カテゴリ: 御朱印:神奈川県
相模之国の一之宮、寒川神社と言うと知らぬ者はまずいないでしょう。数ある関東総鎮守の社の中でも取り分け荘厳華美な社殿を有しています。一説には縄文の頃からの祭祀の場に、弥生時代以降社殿を建てて神社とした、などの話もある程、長い歴史を持つ古社中の古社です。
初めて相模国に足を踏み入れた日の夕暮れ、寒川神社に無事到着。駐車場は激コミで、第三だったか第四まで行ってやっと停めることが出来ました。七五三の時期という事もあってか、境内は親子連れで溢れ、まるでちょっとした縁日の様。人ごみをかき分けつつ、時にはそれにかだり、境内を散策します。陽光心地よく、いつまでも居たいくらいでした。

2025.12.6
寒川神社


駐車場から参道の起点まで向かいます。この鳥居は何之鳥居かは分からないんですが、寒川神社の長い参道のはじめ、線路の辺りにある巨大な鳥居が一之鳥居だと思われます。参道は車道となっており、停まるわけにはいきません。撮影を断念してここからスタートです。

この鳥居の側には2つの寺院があります。鳥居正面にあるのは霊信山 西善寺。参道東の奥まった所にあるのが龍寶山 興全寺です。前者はもとの供僧寺(社僧のようなものか)で、後者は寒川神社神官の菩提寺とのこと。
特に西善寺は寒川神社別当 薬王寺の仏具類を継承しているため、寒川神社とは切っても切れない関係と言えるのではないでしょうか。



鳥居をくぐると、公式サイトで何度も見返した”あの参道”が伸びていました。当然ながら公式サイトの映像そのままで、発狂気味に喜んでしまいました。これまでネット上でしか見られなかった古社たちに参拝出来るという喜びは、何にも代えがたいものです



参道を左に逸れて、末社の宮山神社を参拝します。末社と謂えども、鳥居や庭園が付随しており、これだけで1つの神社と言っても遜色ないくらいです。



最奥の祠も大きく立派です。








寒川神社末社  宮山神社

御祭神(合祀神社名と祭神、旧鎮座地)
  • 琴平社:大物主神:神戸鎮座
  • 八剱社:須佐之男神:八剱鎮座
  • 雷社:武甕槌神:雷鎮座
  • 若宮八幡社:十六代仁徳天皇(大鷦鷯命):旭鎮座
  • 祢岐志社:聖神:根岸鎮座
  • 稲荷社:宇迦之御魂神:中洲鎮座
  • 三峰社:伊邪那岐大神、伊邪那美大神:上合鎮座

祭典日
  • 月次祭:毎月1日午前8時半
  • 例祭:9月29日:御前10寺

御由緒
 寒川神社末社宮山神社は、古くよりこの宮山地区に鎮座しておりました7社の小祠を、現在の社地に御社殿を建て合祀いたしております。
 明治41年12月琴平社に八剱社・雷社・祢岐志社・若宮八幡社の4社が合祀され、大正3年9月稲荷社が合祀されました。
 大正12年の関東大震災により、社殿が半倒壊するなどの被害を蒙りましたが、昭和5年国費を以って復旧いたしました。
 昭和44年9月、三峰社が合祀されております。

御神徳
 宮山神社に白豆腐をお供えして祈ると母乳に恵まれる、と云われています。子供の安産の願い、母子の健やかな生育を願う祈願等の信仰が今に伝えられています。
 また、御祭神の御神徳は厚く、家運隆昌・家内安全・無病息災・商売繁盛・五穀豊穣の神として、宮山地区の人々はもとより、広く一般に崇敬されております。



この地区に祀られていた小さな祠の神格が集められ、宮山神社として祀られることになったようです。由緒は完全に村社のそれですね。
何よりも面白いのが、白豆腐の奉納でしょうか。垂乳根ではありませんが、こちらも乳の出に神徳があるようです。

再び参道に戻りまして、手水舎です。・・・デカくないですか?



随神門まで来ました。正面には提灯が沢山掲げられております。この上に毎年ねぶたが飾られるそうなんですが、参拝した時にはありませんでした。津軽出身としては、出来栄えを直に見てみたかったところですが、残念。またの機会という事ですね。







御由緒です。
寒川神社

祭神:寒川大明神(寒川比古命、寒川比女命を併せ祀ったもの)

 寒川神社は、古くから関八州鎮護の神としてこの地方の名祠とあがめられています。具体的な創祀年代はわかっていませんが、総国風土記によると約1,600年前、雄略天皇の御代に幣帛を奉納せられたとあります。関八州とは、江戸時代における関東八カ国のこと。当時既に関東全域において、著名な神社として知られていたと考えられます。


二柱の神を祀った寒川大明神
 寒川神社の正確な創祀年代は、現存する資料には記載されていません。ただし、雄略天皇(456~479年)の御代に奉幣、また神亀4年(727年)社殿建立と伝える記録があり、少なくとも約1,600年の歴史を有することになります。
 公の記録として残る最初のものは、仁明天皇承和13年(846年)神階従五位下を授けられたと『續日本後紀』に確認することができます。以来神階の授与が度々なされており、齋衡元年(854年)従四位下、元慶8年(884年)正四位下、延喜16年(916年)正四位上と進階されました。 また『延喜式』神名帳(927年編纂)によれば、相模國13社のうち、唯一の名神大社とされています。


戦国武将も信仰
 寒川神社の八方除は古くから全国に知られており、過去には源頼朝、北條義時、武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰を受けてきました。
 伝承によると、武田信玄は永禄12年(1569年)10月の小田原城攻めの際、寒川神社へ立ち寄り、兜を奉納し、信玄芝原で兵を休めた、という逸話が残っています。その際に奉納された兜は寒川神社に現存しており、神奈川県の重要美術品として指定されています。

続いて祭神の寒川大明神についての記述も見てみましょう。
千六百年以上の歴史

 寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)のニ柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。寒川大明神は相模國を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住など人間生活の根源を開発指導され、関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきました。
 寒川神社は江戸(東京)から見て南西(坤)の地に鎮座しており、江戸(現在の皇居)の裏鬼門にあたります。また、通常社殿は南向き、もしくは東向きに建てられるのですが、寒川神社は南西を向いています。そのため、古来より関八州の守護神として、また江戸の裏鬼門をお護りする神社として崇敬され、とりわけ八方除・方位除の神様として信仰されてきました。

関東開闢の時に開創された霊場なんですね。祭神の寒川大明神は、衣食住や開拓祖神としての属性があるようです。ここだけ見ると、大国主神に似たような神格に感じられますが、男女一対である点が異なります。相模国造の祖神だとか、その他の神格に比定する説もありますが、結局のところ詳しいことは分からないのです。

更に社殿の裏手には神嶽山神苑という庭園が広がっているんですが、かつては禁足地であったようです。この神苑の片隅にある”難波の小池”が、当神社の信仰において重要な場所とされているんです。公式サイトの説明を見てみましょう。
難波の小池

 古来より御本殿の真裏に位置し、寒川神社の起源に深く関わりがある神聖な泉として伝えられてきました。1月2日の追儺祭では、この池の水を竹筒に汲んで神前に供えたあと、境内に撒き一切の邪気を祓います。

こんこんと湧く清水に神性を感じたのか、池の水は祓いの神事に使用されているみたいです。仏に供える水のことを”閼伽”といい、それを汲むための井戸を”閼伽井”と言います。難波の小池の趣は当にそれで、何かしら仏教の影響を受けて↑の神事は成立したんでは・・・と妄想しています。


  • 1月1日:元旦祈祷祭・八方除祭
  • 2月3日頃:節分祭
  • 5月5日:國府祭
  • 6月30日:水無月大祓式、茅の輪神事、大祓祈願祭
  • 7月15日:浜降古式祭
  • 9月19日:商工祈願祭並献灯奉告祭、例祭宵宮祭、流鏑馬神事
  • 10月15日:人形感謝祭
  • 11月3日:明治祭
  • 12月14日:煤拂祭
六所神社 ​の公式サイトに詳細がありましたので載せますね。
相模國府祭(さがみこうのまち) 神奈川県無形民俗文化財

 國府祭は毎年5月5日、​ 六所神社 が鎮座する神奈川県中郡大磯町国府本郷にて斎行される天下泰平・五穀豊穣を祈る祭典です。
 相模国の一之宮である寒川神社をはじめ、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮​ 前鳥神社 ​、一国一社平塚八幡宮、そして総社である六所神社が祭場である神揃山(かみそろいやま)、逢親場(おおやば)に参集し、祭典が執り行われます。
 神奈川県指定無形民俗文化財に指定されており、古くは「端午祭」・「天下祭」と呼ばれておりました。天保年間(1831~1845年)に編纂された「新編相模国風土記稿」には、「此祭事は、養老年間(717~724年)に始むと云えど、未詳にせず」とあり、非常に古くから伝わる祭事であることが伺い知れます。また同時期に編纂された「相中留恩記略」では、「これ、当国第一の祭祀にして、諸人湊ひ来りて群詣す」とあり、多くの参詣者で賑わう様子が見てとられ、現在でも毎年たくさんの人で賑わいます。

 國府祭は大きく分けて2つの神事から構成されています。1つは神揃山での古式座問答、もう1つは逢親場で行われます神対面神事・国司奉幣・神裁許の神事です。この2か所での神事を合わせて國府祭となります。
 古式座問答は寒川神社と川勾神社の一之宮争いを儀式化したものと伝えられております。神事は一之宮・二之宮・三之宮が中心となり執り行われ、神前に向け一之宮と二之宮が交互に虎皮を敷き進め、これを三度繰り返すと三之宮の宮司が「いづれ明年まで」と仲裁に入り神事は終わります。
 古式座問答が無事終わると、 六所神社 は125,000石の行列を整え、逢親場へ向けて出立します。五社の神輿も神揃山より逢親場へ向かいます。逢親場では、各社の神輿入場に合わせ「鷺の舞」が奉奏されます。
 六社が逢親場に集まると、まず各社へ神饌を献上する七十五膳献上の儀が行われます。次に、各社の宮司は六所神社の鉾神輿の前に立ち並び自社の御分霊を祀った守公神を奉り拝礼する神対面神事。次いで大磯町長が国司として五社へ幣帛を奉る国司奉幣の儀、そして最後に総社宮司が各社へ拝礼する神裁許の儀が執り行われ、神事終了となります。


相模國府祭「鷺の舞」
 大化改新の後、日本の国々に国府が置かれ、国司が都から派遣されるようになると、相模国では国司が年に1度、相模国内の六社を国府に招き国の平和と繁栄を神々に祈願し、有力者達をもてなしたといわれております。当時の貴族達は来賓をもてなす際に庭先の池に船を浮かべ音楽を演奏し歓迎を致しました。
 これが國府祭で奉奏されます鷺の舞の起源といわれており、舞台が船の形をしているのは当時の貴族文化の名残であります。当時は国司と共に都より同行した舞手、楽人が音楽を奏で鷺の舞を舞ったと伝えられております。
 鷺の舞は「流し」と「舞路」の2つの曲で構成されます。流しは國府祭において逢親場へ入場する六社の神輿を歓迎する曲であり、舞路は七十五膳の献饌の儀より奉奏されます。舞路では天下泰平を祈る「鷺の舞」、五穀豊穣を祈る「龍の舞」、厄災消除を祈る「獅子の舞」が舞われます。
 流し・舞路からなる鷺の舞は、当時の貴族文化を偲ぶ優雅な舞の中に、相模国国司が平和、豊作、繁栄の祈りを込めた舞であり、その祈りは現代にも通じ当時の人々の心も今に伝えております。

古社であればあるほど、神話の一場面を再現する神事が多いようです。有名な所で言うと西国の古社中の古社 宗像大社などが挙げられます。相模国の場合は神話の一場面ではなく、国が新たに成立した時の一場面を再現する神事を行っているんですね。律令国家の習わしが良く残っており、非常に面白いです。一之宮から五之宮までが総社の地に集まり、神事を執り行います。

寒川神社の公式YouTubeチャンネルに国府祭の映像が有りましたので、見てみましょう。

・YouTube / 寒川神社公式チャンネル / 【寒川神社】國府祭(こうのまち)【公式】



斜めから。
相模国一之宮 寒川神社でした。古の姿をそのままに、境内は樹叢に被われ、あふれ出る神域感が半端ではありませんでした。詳細な創建年代さえ不明な程、遥か上古の昔に祀られし寒川大明神。坂東八洲を鎮護せんとする古社は、今でも参詣人で賑わっていました。



今回貰った御朱印です。



公式サイトへのリンクです。
・相模國一之宮 寒川神社

以上です。

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最終更新日  2026年03月18日 22時13分52秒
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