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2026年04月22日
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カテゴリ: 御朱印:福島県
皆さん、福島県会津地方の地名の由来をご存知でしょうか。時は2.3世紀の古墳時代の頃、崇神天皇の詔によって四道に派遣された武人の内、北陸道を進んだ大彦命と東海道を進んだ武渟川別命とが再開した所が丁度この会津の里だと言われています。2人は父子であり、涙ながらに再開を喜んだんだとか。この物語がそのまま会津という地名の由来譚として語られているのです。
この由来譚が伝わるのは会津美里町に境内を構える伊佐須美神社。かつて最大版図を誇っていた時の陸奥国二之宮であり、解体後に成立した岩代国一之宮です。規模的にも会津地方では最大で、崇敬はかなりのものと思われます。

2024.10.19
伊佐須美神社


福島出張の時に参拝しましたが、特に三連休でも無いのに参拝客であふれていました。さすがに当国一之宮、伽藍も立派です。
境内入り口には赤い権現鳥居が建っております。注連縄も太く、菊花紋の装飾もあるなど、格式の高さが伺えます。



境内に進む前に、鳥居から土手の方に進んでみましょう。ここには末社の1つ、殺生石稲荷神社が鎮座しています。ものものしい名前ですが、幾重にも並ぶ鳥居は美しいんですよね。



こうした石祠もあります。多分稲荷社ではないでしょうか。



殺生石稲荷神社の拝殿です。
朱塗りの社殿が美しく、色付く前の青紅葉とのコントラストが絶妙でした








殺生石稲荷神社

祭神:宇迦之御魂神
例祭日:毎年2月:初午の日、毎月1日:月首祭

由緒
 当神社の創始は中古の頃か詳らかではないが、天保年間(1831~1845年)殺生石の霊を慰め災害をなくしようと祭祀を復興した。以来160年会津開拓の祖神を祀る伊佐須美大神と相共に普く庶民の崇敬を専らにし、殖産興業・商売繁盛に霊験*かな神として敬仰されてきた。
 然るに昭和の現代、特に終戦後、思想の混迷と神祇崇敬の念衰微とに加えて御社殿の老朽化甚だしきため、久しく高天原の渡御殿を仮宮に奉遷していたが、天皇陛下御即位満50年の佳辰を記念して奉賛会を組織。篤志家の浄財によって御社殿を造営し、祭祀を興隆した。維時、昭和51年12月20日也。

殺生石の由来
 昔から宮川の氾濫と落雷と火災とに、当地の住民にとって最も畏怖すべき天変地異であり、災難であった。
 伊佐須美神社の御手洗であり、川として左程大きくない宮川の洪水に多くの犠牲者が出るのに、殺生石の祟りではなかろうかと、その恐怖は幾代か語り継がれてきた。ある時、在村の藩役人 三村某が発願し、村人と共にその霊を手厚く祀ったのが天保12年(1841年)。この時水神もまた奉祀された(この水神社は当社の南手 瓢箪池の側に立つ赤鳥居の紳祠がそれで、数年前再建、祭祀は復興した。祠に天保12年の刻印がある)。
 ところでこの殺生石は、至徳2年(元中2年・1383年)会津の名僧 源翁和尚が、人民を苦しめていた殺生石を説き伏せ、教化した際に打ち砕かれた化石の1つが、会津のこの地に飛来してきたと伝えている。栃木県那須湯本 ​ 温泉神社 近くには、今尚湯けむりが立ち込め、毒気を孕んだ岩石が「史蹟 殺生石」として保存されている。



やはりというか、​ 那須温泉神社 ​と関連する社だったんですね。ここの他にも、福島県の中通り地方にも殺生石のかけらが飛来したと伝わる寺院があるんです。もともと奇怪な岩石の伝承があって、それと殺生石の伝説とが結びついたとかなんでしょうか。どうしてこの様な伝説が生まれたのか興味がありますねぇ!また福島を巡礼してみたいもんです。


参道左手には末社の菅原神社が置かれています。勉学の神格として有名な菅原道真公を祀っており、瑞垣には学生たちの絵馬が幾つも懸かっておりました。



天満宮と言えばの撫で牛もきちんと置かれています。



社殿はこんな感じです。
蝋燭をたてる所を見ると、元は仏尊が祀られていた可能性もあるでしょうか。



更に参道を進むと、随神門の右側に末社 道主命神社が鎮座しています。道主命も四道将軍の1人で、丹波国に派遣されたと言われています。現在では交通安全の御神徳があるとされ、交通関係者から篤く崇敬されているようです。





そんで手水舎です。その神社がどれだけ活発に活動しているかは手水舎に表れると思います。



随神門です。
いやぁ、 岩木山神社 ​ほどではありませんが、東北の神社の中ではかなりの美門ですねぇ随神門右手には、福島県各地から奉納された銘酒が並びます。



随神門には随神像ではなく大彦命と・・・。



武渟川別命の像が置かれていました。会津の地名由来譚に基づいて置かれた物でしょうね。この様に随神門に随神像以外が置かれている神社は中々に珍しいです。近場だと 筑波山神社 ​とかも日本武尊・豊木入日子命の神像を置いています。



随神門裏側には狛犬が置かれています。
狛犬:阿形!



狛犬:吽形!
どちらも他では見られない特徴的な作風ですね。表情がかなりいきいきとしています。



随神門をくぐって左側に社務所が有るので、先ずはそこに御朱印帳を預けます。引き換えに使う木札のなんとかわゆいこと・・・



社務所の向いには薄墨桜という神木がおがっています。いったい樹齢何年なのか、かなりの古木に見えますが・・・。



説明書きです。




町指定天然記念物  薄墨桜

品種:アイヅウスズミ
指定年月日:昭和46年4月1日指定

 薄墨桜は伊佐須美神社が明神ヶ岳からこの地に遷座された当時からの御神木であると伝えられる。何度か火災に遭うも芽吹き、会津五桜の1つに数えられている。
 花は八重に一重も交わり、白く淡墨を含んだ花色は薄墨桜の名にふさわしい。花が終わりに近づくと中心から紅色が濃く色づく。普通の桜より少し遅れて咲く。
 毎年4月29日にはこの桜樹の霊をまつる花祝祭が行われ、この花を入れた餅をついて祝う。香気深く花の色艶やかなので花時には多くの人が訪れる。
 またこの桜花を詠んだ歌も多い。

いかはかり 神やめつらん春ことに 匂ひは深き 薄墨の花
弘化4年(1847年) 水野清雄
令和2年12月 会津美里町教育委員会



会津五桜なんてのもあるんですね。いつか咲いている所を見てみたいですが・・・。花祝祭というのも気になりますね。桜餅を狙って参加してみたいですね

薄墨桜の根元には歌碑が建っております。
世の人の 心や深く染めぬらん うすずみ桜 あかぬ色香に
会津松平九代容保



それでは拝殿です。
現在の拝殿は仮設のもので、随神門に対してかなりこじんまりとしています。平成20年の火災によってかつての社殿は全焼してしまい、今では祭祀の奉斎もかなり制限されているんだとか。一応​ こちら から再建を推し進めている奉賛会のサイトにアクセスできます。令和12年に社殿類の落成を計画しているようですよ!



ご由緒です。
伊佐須美神社

祭神:伊佐須美大神(伊弉諾大神、伊弉冉大神、大毘古命、建沼河別命の総称)

社伝によると、凡そ2,000有余年前第10代崇神天皇10年(2.3世紀頃?)に諸国鎮撫の為に遣わされた大毘古命とその子 建沼河別命が会津にて行き逢い、天津嶽(現・新潟県境の御神楽嶽)において伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、国家鎮護の神として奉斎した事に始まると伝えられます。
 我が国最古の歴史書とされる『古事記』には「大毘古命は先の命のまにまに、高志国に罷り行きき。ここに東の方より遣はさえし建沼河別、その父 大毘古と共に相津に往き遇ひき。かれ、そこを相津と謂ふ。ここを以ちて各遣はさえし国の政を和平して覆奏しき。ここに天の下太平けく、人民富み栄えき。」とあり、“会津”地名発祥の由来と創祀を共にしております。
 その後、博士山、波佐間山(現・明神嶽)と会津の山々を巡り、第29代欽明天皇13年(552年)に高田南原(現・境内高天原)に遷られ、同21年(560年)現在の宮地に鎮座されました。以来1,400有余年、大毘古命、建沼河別命 父子も合祀し、四柱の大神を伊佐須美大神と称え奉りお祀り申し上げております。
 創祀以来、古代北限の地に奉斎され悠久の歴史を培ってきた当社は、鎮護神として朝野の崇敬篤く、様々な社格や神階の奉授がなされました。
 『貞観格式』において“正一位”の神階奉授の記録があり、『延喜式「神名帳」』には朝廷の名神祭に与る“名神大社”に列せられました。朝廷を含めて地方では“奥州二宮”と称えられ、開拓や東征が進むにつれ変遷があったとされる一宮に対して、古来揺るぎ無い不動の崇敬を得ておりました。寛政11年(1799年)には、第119代光格天皇より大神宮号宣下を受け“伊佐須美大神宮”と号し、現在でも扁額や御神札に名残を留めております。
 また、会津文化の生みの祖神でもある当社は“会津総鎮守”とも称され、会津蘆名家や会津藩祖保科正之公をはじめ御歴代藩侯には殊の外篤い信仰を寄せられ、社殿の修改築や社領、宝物等数々の寄進が多くなされました。
 降って明治維新以降戦前に至るまでは、“国幣中社”として官祭に与り、戦後は神社本庁の別表神社に列せられております。現在では、当地方の古大社である“岩代国一之宮”として、全国より多くの巡拝者が参拝に訪れております。

もとは山岳霊場で、伊弉諾大神・伊弉冉大神の2柱の神を祀った神社だったんですね。それが552年に現在の境内地に遷され、以来現在までの長きに渡り、地域の有力者から住民たちまで、貴賤の別なく広く崇敬を集めたようです。

因みに伊佐須美神社には境外摂末社がかなり多く、地域の総社の様な雰囲気も有るのです。境外摂末社は​ コチラ(公式サイト) から確認できますよ!
境外摂社の1つ、御田神社では御田植祭という豊穣を祈る神事が行われるんですが、詳しい説明は御田神社の記事に預けたいと思います。ここでは境内の説明書きを載せるに留めておきます。




国指定重要無形民俗文化財  伊佐須美神社の御田植祭(会津の御田植祭)

保護団体:御田植祭祭典委員会
指定年月日:平成31年3月28日

 「御田植祭」とは、田植えの時期に神田の畦に特色ある田植人形を立て、早乙女が田植歌に併せて儀礼的な田植えを行い、その年の豊作を祈る祭りである。伊佐須美神社の御田植祭は、この祭りの日本北限に位置する。祭りは7月12日を中心として11日から13日の間に執り行われる。
 起源については、少なくとも中世後期まで遡ると推察される。12日午前、神職により仮面獅子(獅子頭)が童子に渡されると、小中学生による獅子追童子が神社を出発する。獅子追は、伊佐須美神社ならではのもので、子ども達は「ワッショイワッショイ」と声を上げながら御正作田(神田)のある御田神社まで町内を駆けめぐる。御田神社に着くと、御正作田に入り田を掻きならす。邪気祓いとも、田の神の来訪とも考えられる。
 午後には、デコサマ(田植人形)を従えて、神輿渡御行列が御田神社へと進む。御田神社では、御正作田の時にデコサマが立てられ、楽人が歌う催馬楽(田植歌)につれて、早乙女が前進しながら御正作田に早苗を植える。なお、この催馬楽は歌詞の形式や旋律から、中世まで遡るものと考えられる。田植式終了後、神輿は再び伊佐須美神社へ向かう。

令和元年7月 会津美里町教育委員会



社殿後方には天海大僧正御手植えの桧など古木が多いです。↓の写真は県指定天然記念物となっているフジの木で、樹齢は100年以上と言われています。丁度数週間後にはキレイな垂花を見られるんではないでしょうか。



斜めから。
陸奥国の古社 伊佐須美神社でした。何よりも社殿の再建が楽しみです。いつまでもこのこじんまりとした社殿では物足りないですよね?公式サイトの予定図に有る通りの大伽藍に仕上がる事を期待して締めとします。



今回貰った御朱印です。



公式サイトへのリンクです。
・伊佐須美神社

以上です。






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最終更新日  2026年04月22日 22時31分28秒
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