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藤壺の宮 のお歌
袖ぬるゝ 露のゆかりと思ふにも なほうとまれぬ やまとなでしこ
について、すこし私見を述べたいと思います。
私はこれを、
「あなたさまのお袖を濡らす涙の種ではありましょうが、
それでも私には撫子を疎ましく思うことができないのでございます」
と訳しました。
藤壺の宮は源氏との密通に罪悪感と後悔の念を抱いていますし、
御子まで為した関係を疎ましく思ってはいますが、
決して 源氏
のことが嫌いなのではありません。
故に生まれた皇子についての「疎まれぬ」は
「あなたさまにとっては涙の種かもしれませんが、
私にとっては疎ましく思うことができない(可愛い存在)のです」
という、母親らしい素直な否定の意味と捉えていました。
ところが 岩波・古典文学大系
では
「 大和撫子
、即ち御身(源氏)の袖が濡れる涙の露の縁(種)だと思うにつけても、
私はやっぱり、自然に疎まれ(嫌な気がし)てしまうのであった。大和撫子(若宮)が」
また、 新古典文学大系 の解説でも、
「藤壺の歌。あなたの袖を濡らす露(涙)のゆかりと思うと、やはり大和撫子(若宮)を
そっけないものに思ってしまう、の意。『うとむ』は疎遠である意。
『ぬ』は完了の助動詞。打ち消しとする一説はとらない」
とあって、明確に「打ち消し」を否定しているのです。
しかし残念ながら、その理由までは説明されていません。
藤壺の宮はこの後源氏とタッグを組んで若宮を帝位につけるほどの
頭脳的・策略的な女性で、
しかも源氏との秘密を一生胸に納めたまま出家し、この世をさります。
私はこの藤壺の宮の「弱者としての女」あるいは「女の被害者意識」
を強調しない生き方に、ある種の潔さと好ましさを感じています。
それにしてもこの歌の解釈の違いは、訳していての面白味の一つだと思いました。
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