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出発の二・三日前には、宵闇にまぎれて左大臣邸にお出でになりました。
質素な網代車で、女車のようにして隠れてお入りになりますのもたいそうおいたわしく、
昔の栄華が夢のようなのです。
亡き女君のお部屋はひどく寂しげで、すっかり荒れ果てたような心地がなさいます。
若君の御乳母たちや女君亡き後も変わらずお仕えしている女房たちは皆、
こうしてお渡りになられた事を珍しがって集まってきました。
源氏の君を見たてまつるにつけても、特に思慮深くもない若い女房たちでさえ、
自ずと世の無常を思い知られて涙にくれるのでした。
若君はたいそう可愛らしく成長なさり、
父君がおいでになりましたのではしゃぎ回っていらっしゃいます。
「長くお会いしなかったのに、父を忘れないとは何といじらしい事よ」
と、お膝に乗せて、いかにも忍び難いご様子でいらっしゃいます。
左大臣がこちらにおいでになり、対面なさいます。
「あなたさまが官位を失われ、寂しく蟄居していらっしゃる間、
参上して徒然の慰めに昔のお話など申し上げようと存じましたが、
我が身の病が重く左大臣としての任務も遂行できず、
位階をも返したてまつりまして、今では無位でございます。
あなたさまの御もとへお伺いすれば
『私用では曲がった腰を延ばして、好きなように出歩く』などと、
世間では曲解して噂する事でございましょう。
辞職しました今では世の中を憚るような身ではございませぬが、
右大臣方による今の世の中がたいそう恐ろしく感じまして遠慮申しておりました。
あなたさまの御事を拝見いたしますにつけても、
命ながきはつくづく情けなく恨めしく思われます。
たとえ世の中を逆さまにしても、思いもよらぬあなたさまの御有様を拝見いたしますと、
世の中の全ての事がひどく空しく思えまして」
と申し上げて、すっかり肩を落としていらっしゃいます。