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夜、小澤征爾の音楽番組を観た。
小澤の指揮する水戸室内管弦楽団に若いチェリストを迎えて、
ハイドンのチェロ協1番を演奏するというものだった。
この曲は、42歳で世を去ったイギリスのチェリスト、 ジャクリーヌ・デュ・プレ
の
自由奔放ではつらつとした演奏が有名だ。
彼女のダイナミックな演奏には、音楽を歌うことの喜びと陶酔感があった。
今聴いても、優雅な ミューズ
というよりも、
大胆で激しい デュオニッソス
が憑依したようで、聴くものを圧倒する。
ところが今夜のチェリストの演奏は精彩に欠け、
期待したデュ・プレのような野太い音が出ないのだ。
小澤は「もっと下品でもいい」と何度もアドバイスするのだが、
彼の優等生的性格なのか、どうにも迫力が出ない。
それどころかおとなしい彼のチェロは、オーケストラの音に埋没して、
いつしか聞こえなくなってしまうのだ。
★
「ソリスト」というものは、良くも悪くも「『自分の音楽』を聴け!」と、
聴く者に強くアピールするべきだ。
オケを引っ張り、聴衆を圧倒し、自分の音楽世界に引き込まなくてはならない。
かつてヴァイオリニストの諏訪内晶子が、40度の発熱の中、
お粗末きわまりないオーケストラを圧倒的な力でリードし、
チャイコフスキー・コンクールでみごと優勝を勝ち取った時のように。
オケの音に負けてしまうようでは、
ソリストとしての「資質に欠ける」といわざるを得ない。
★
演奏旅行の最後の二日、小澤は体調不良で指揮台に立てず、
指揮者なしの演奏になった。
指揮台には小澤の代わりに、この若きソリストが乗せられた。
水戸室内管弦楽団の音とくに弦楽器は、
サイトウキネン・オーケストラを思わせる澄んだ音色で好感がもてた。
指揮者なしでも演奏できる力と信頼感を、
オケ全体が培っていたからこそできたのだろう。
若いソリストの音にも力が入るのが分かった。
★
小澤の体調が悪いのは事実だと思うのだが、
彼は指揮者としての身を退くことによって、つまりこの若者を指揮台に引きずり上げ、
そうして「ソリストのなんたるか」を教えたかったのだ、と私には感じられた。
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