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1993年12月10日 父81歳 "義母からの歳暮の返礼" 拝呈 昨日は御心尽の品御送り戴き厚く御礼申上ます。 本年は、冷害に依る御米の大不作で有り、押し迫った現在の米の問題、テレビ等で見て居て國民全体が心配して居る事と想ひます。最全を尽して努力してくれる事を切に願ふ気持です。 御母様、其の後御体如何ですか。向寒の折柄、折角御自愛下さいます様御願ひ申上ます。 尚、現在の不況の深刻さも大変な様で、産業戦士で有るHE"私"さん達の御苦労も拝察出来る様に想われます。 御蔭様で婆さん外家内一同○い今は元気に過し居りますので、御正月休みは十二分静養され体力をつけて下さいます様御願ひ申上ます。 尚、TA"次兄"、SI"三兄"達も変り無く居り様子です。 後半ヶ月余りで新しい年を迎えます。御体大切にされ佳いお新年を迎えられます様。 IE"義母"様 SI"父" HE"私" 外一同 ME"妻"様 十二月十日 敬具
2014年06月23日
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周辺全て駐輪違反のひろば、唯一駐輪違反を放置するハンバーガー店 (5月29日 14時半ごろ) (5月31日 13時半ごろ) (6月6日 11時ごろ) (6月14日 13時半ごろ) (6月21日 14時ごろ)
2014年06月22日
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駅周辺駐輪禁止区域で、唯一駐輪を許しているハンバーガー店!!! もしかして、販売促進のため、積極奨励しているのか?!(2014年5月10日 14時ごろ)(2014年5月3日 12時ごろ)
2014年05月11日
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父からの手紙17回目をお届けします。 1992年12月 父80歳 "義母から贈答品に対する返礼" 拝啓 本年も愈々(?)残り少なく成って参りました。相変ず御無沙汰致し居り申訳有りません。 此の度は、美味しい煎餅御送付戴き美味しく頂戴致しました。 老人クラブ秋旅行が、長野の湯田中温泉行きが先月有りましたが、SI"三兄"達が、飛騨路の高山と下呂の中程の小坂から東に二、三里入った湯屋温泉に(飛騨川支流小坂川沿い)連れて行ってくれるとの話、御好意にあまえて婆さんと二人で行って来ました。 丁度、前に眞紅な紅葉が川に映えて正に美観、其れに部屋から其れを見ながら食べる食事も、実に美味、団体旅行に無い家族旅行の楽しみ満喫させて貰ひました。 帰り中央高速で恵那山トンネルぬけて、昼神温泉にマワりました。山々の紅葉が実に美しく、雄大な自然の紅葉美に打たれました。 先般、ラジオでしたか、予報に依れば、此の冬はやゝ寒い由(昨年が暖か過ぎた?・・・)、元々冬は寒いが当然、私の子供の頃はもっともっと寒かった様に想える。併し、私には風邪を引く事は入院と通じて居ると想ねば成らぬので、十分注意する心算ですが。 皆々様も向寒の折、くれぐれも御体大切にされ、明るく佳い正月を迎えられます様。 乱筆平に御許し下さい。 IE"義母"様 SK"父" HM"私"様 ME"妻"様
2014年05月11日
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1992年10月10日 父79歳 ‘義母からの贈答に対するお返しに添付された手紙' 久しく御無沙汰申志居り申訳有りません。 其の後、御体の様子如何ですか。御父様が居られませんので、何かと御苦労も多く、御心労と推察申上げます。御体十二分御自愛下さいます様、切に御願申上げます。 先般、結構な品頂戴致し、折返しの御?書親と入違いに御便り頂戴致し、一度御?書差上げねばと想ひながら、延引致し誠に申訳御座いません。 私も今年丁度八十才に成り‘翌月が誕生日で80歳'、自分ながらよく此れ迄生きれたと感謝致し居り、婆さん共々よたよたですが、生有る間は出来るだけ迷惑をかけるのを少なくする様にと、心掛度いと想って居ります。 昨日は、老人クラブの慰霊祭が有り、相憎の雨天でしたが、東公園に世尊寺と云う寺行はれました。(此の寺は、岡崎生まれの世界的な地理学者、志賀重昂が昭和初年頃、市依り土地の寄附を受け建立した寺です。) 先日、SI‘三兄'達から話が有り、今月二十一日、二日岐阜県の湯屋温泉に(飛騨小坂?)連れて行ってくれると云ふ話が有り、婆さんは体がえらいからと余り進まぬ口振りでしたが、近いし車で行くので、無理はしないからとの話で、連て??つて貰ふ事に致しました。下呂温泉のすぐ上の辺で、飛騨川べりで大変渓谷の美しい処の様で、私は楽しみに致し居ります。 此の前の日曜日(十一日)梅園小学校の運動会が有り、御蔭て快晴に恵まれ、近いので半日遊んで来ました。KO‘姪'は、親りで尻から二番でした。私はいつも尻から一番でしたので「じいさん」譲りかも知れません。 (旧道で見付けました。御笑味下されば幸です。) 御体、皆々様大切にして下さいます様 SK‘父' 皆々様
2014年03月15日
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(2014年3月11日 午後1時半ごろ) 周辺は駐輪禁止区域、その中で唯一、駐輪違反を規制しない「有名なハンバーガー店」 格好の自転車置き場に変身!
2014年03月11日
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1992年4月?日 父79歳 拝啓 此の処寒さが一寸戻って来た様ですが、早や四月も半ば、此の寒さが過ぎれば、春本番の暖かさが来るでは無いかと期待して居ります。 皆様其の後御変り御座いませんか。御母様如何ですか。折角、御自愛下さる様御願ひ致します。 此の冬は、当地では風邪が大変はやり、KO‘姪’が一番ひどくやられ、学級閉鎖とかで熱も高く回復がやゝ遅れ、私も腹をこわし心配しましたが、御蔭で入院迄ではゆかず有難く想って居ります。 本宮山の裏に作手村と云う処が有り、四、五年前、明正大学(高令者教室)の社会見学で一度行った事が有り、寒狭川の上流でも有り、アマゴが釣れる由、私の釣りの友人で鈴木さん(名鉄を退職された方)が、車でわらび採りと釣りを兼ねて、今月の終り頃に?当持ちで一日遊びに行こうと誘って戴いて居り、楽しみに志て居ります。 わらび採りも箱柳や隆生寺の様な近くでは採る処も少なく、駄目に成ってしまひました。 岡崎も昨年、プロの野球も出来る立賑な野球場が隆生寺に完成致しました。 SI‘三兄’の処の長女昨年成人式、当年は次女が短大に入りました。TA‘次兄’の長男は昨年高校に入り、次男が来年、高校に入ると想ひます。 KS‘母方の叔父’君宅には久しく御無沙汰志て居り、暖かく成ったので一度遊びに行く心算で居ります。KZ‘母方の伯父’の七回忌(「回」は略字)の法事が今年は有ると想ひますが、流れる年月の早さ志みじみ(「じみ」は繰り返しの記号)と感じます。 老人クラブの総会も終り、一寸暇に成り、想付くまゝに近況一筆致しました。(SI‘三兄’の奥さんの御父様が亡くなられ、先日葬儀に行って参りました) 皆様のご健康切に御祈り申志居ります。 皆々様 SK‘父’ 拝
2011年04月03日
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1992年1月5日 父79歳 ‘新年に帰省したことに対する手紙’ 拝啓 此度、貴重な御正月休み、遠路御来が○(?)戴き、御二人の御厚志感謝の外御座いません。深く御礼申上ます。ME‘妻’さんには大変明るく、御元気な様に見受けられ嬉(「嬉」は略字)しく想ひました。 先般、ME‘妻’さんから御便り戴いた時申されました様、貴殿には年令的にも人生で最も多忙な時と拝察申上ますが、そうで有るだけに御体には十二分注意され、大切にされる様、切に御願ひ申上ます。 三日朝早く帰途に付かれた様で、御見送りもせず申分有りません。御許し下さい。 三日、KS‘母方の叔父’君宅に行って来ました。退院後一度も行って居らず(内祝の時、やゝ体頂を悪くし、KO‘長兄’達が行ってくれ、其の後、遂々御無沙汰致し居り)、丁度、KE‘叔父の妻’ちゃん妹達が来て居り、賑やかに楽しく遊ばせて戴きました。 御正月も幸ひ好天に恵まれ大変楽しく過ごさせて貰ひ感謝致し居ります。昨年は、今頃入院中で家族に大変迷惑をかけましたので、此の冬は十分注意して其の様に成らぬ様、注意する心算で居ります。 若し、御都合出来れば本年の桜時に、是非一度御母様達と御遊びに来て戴ければと想ひ居ります。 御母様、足の方は如何ですか。(KSの奥さん、KEさん)も一昨年頃から足がいたくて座れないので、同じ様な病気では無いかと想はれますが、見て居て可哀相に想はれ、御母様の御苦労が推察されます。少しでも快方に向はれます様、切に御祈り申上ます。 寒さも○(?)々これからは本格的に成って参ると想はれます。 皆々様の御自愛切に御願ひ申上げます。(乱筆、御許し賜り度し) SK‘父’ KO‘母’ 拝 御母様 HM‘私’ ME‘妻’様 一月五日
2011年02月19日
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1991年11月22日 父:79歳 ‘妻への手紙。妻から手紙を出したことがあるようですね' 拝復 御便り有難く頂きました。 御母様には、足の治療で町医者様に便って御いで御様子、大変と想ひます。快方に向はれます様願って居ります。唯、御話の様に余り無理できない程度なら、私も歩きは大賛成です。此の頃、少し寒く成って参りましたので、朝の犬君(柴犬)の運動はT子‘義姉'が行ってくれますが、出来るだけ歩く様に務めて居ります。 当地は、元々雑木林の多い丘陵地帯ですが、宅地造成でどんゝ切り佛われて明るく様変わり志て、誠に情無く想ひ居りますが、時代の流れ、これも仕方の無いことかと想って居ります。 御便りに依れば、湯河原に行かれ、大変紅葉がよろしかった由、佳かったですね。 私も今月六、七日、老人クラブの旅行で城ノ崎、天の橋立の一泊旅行(当部が当番でも有り)(鳥取、島根、三朝、玉造、二泊が変更)行って来ました。 此の頃は、家族旅行が多く成った為か、老人クラブの旅行もやゝ人気が下降気味の様にも想われます。始めての道で、旧但馬街道とかで、山間を縫っての城ノ崎に行く自動車道路でしたが、紅葉はやゝ早い様で残念でした。 途中、松茸三本千円ののぼりが十本位も立って居る処が有り、バスは止まりませんでしたが、宿で其の事が話の種に成りましたが、其んな安いもの有るはずが話の種に成り、笑い話で終わりました。 城ノ崎は、二十年位い前に一度行った事が有り、今も割に古い旅館が多い様で懐かしく想ひました。好天に恵まれのが幸した佳い旅でした。 家内の白内障手術は、都合で今月二十七日入院、二十八日手術ですが、退院も壱週間位いで出来るとの話。友人(婆さんの)話に依れば、手術も割に短時間で終わる様な話です。 TA‘次兄'、SI‘三兄'達も皆元気に暮して居ります。 此れからは、私の最も恐れる寒い時に入ります。風邪を引かぬ様注意する心算です。皆様も、御体くれゞも大切にして下さいます様。御正月来て戴ければ大変有難く想って居ります。御母様、HM‘私'にも宜敷しく御伝下さいます様。失礼致します。 ME‘妻'様 SK‘父' 乱筆御許し下さい 十一月二十二日 (今日が私の誕生日、満八十才に成りました。自分ながらよくこれ迄生れたと感謝して居ります) ‘父の勘違いの様です。満ではなく数え年ではないかと想います'
2010年08月08日
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1991年5月27日 ‘退院の内祝いの品に添付された手紙?' 拝呈 御便り有難く拝見致しました。 皆様大過な(「な」変体仮名)く御過に拝し安心致し居ります。当方も変り無く居ります。 ゴールデンウィーク、弘前、函館の桜見て来られた由、私も老人クラブで裏磐梯へは一度行った事が有りますが、彼れから向ふは行った事が有りません。弘前の桜、大変佳い様な話ですね。私も、一度、仙台から向ふ一度行って見度いと想っていましたが、退院後体力が一段と落ちた様ふ気がして、一寸今の処自信が有りません。 先日、町内の弁天様‘子供の頃はよく遊んだところです。立派な社と池がありましたが、私が中学頃には世話をする人もなく朽ち果てていたのを、父達老人クラブで再整備し、今では昔より立派な程です'の祭例が有り、今迄、私が責任者でしたが、変って戴き、老人クラブも会計を変って戴き、やゝ気が楽に成りました。もう、無理のきく体では有りません。 先日、KO‘長兄'達がTA‘次兄'達と、SI‘三兄'達を招んでくれ、自宅でさゝやかな私の内祝ひしてくれました。好意、感謝して居ります。 誠にさゝやかですが、退院出来た内祝として、私の気持だけ御送付申上ます。 御納め下さいます様 SK‘父'拝 HM‘私'様 ME‘妻'様 五月二十七日 敬具
2010年07月24日
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1991年4月?日 父78歳 ‘退院連絡の手紙' 拝啓 久しく御無沙汰致し居ります。 皆様御変り御座いませんか。御正月には、忙路の中、遠路帰郷下さいまして、御幸志感謝致し居ります。 私、入院後約一ヶ月位い全然食事進まず、遂に、二十四時間点滴と成り(家政婦さんに全部世話に成る)、私自身は当然ですが、家の者も覚悟志て居た様ですが、全く、自分でも不思議に想える程少しづゝ快方に向ひ、四月六日、先生の御許しを戴き退院する事が出来、皆々様に只々深く感謝するのみです。 陽春、桜の季と成り、御地もほゞ同様と想われますが、只今、八分から満開です。昨日は午前中、生憎の天気でしたが、午後は雨も上り、伊賀川堤、岡崎公園など大変な人出と想われます。今年は、善光寺の御開帳との話、出来れば、婆さんと御参り出来れば想って居ります。 一昨日は、犬君‘当時飼っていた柴犬(太郎)'を連れて梅園公園方面散歩に行き、土筆見付け少々採って帰りました。 新緑の最も心地佳い季節に入ります。 皆々様、御体大切にして下さいます様。 (退院出来た事を謝し、一寸御便り申上げました) SK‘父' 御母様 HM‘私' ME‘妻'様
2010年07月18日
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1990年6月8日 ‘上京のお礼の手紙。日にちは覚えていませんが、結局、鎌倉巡りを私の車で案内出来る平日(休日は車では駐車がとても大変)が良いとの事で、6月に入っていたと思います。' 拝啓 此度は大変御世話様に成り御二人には深く感謝申上げます。鎌倉は歩く処が多く、車で巡って戴きほんとに助かりました。老いたら若い者の云う事を聴きねばを実感致しました。緑が大変多く、落付いた街、京都に佳く似て居る、其んな感じを受けました。 電車に乗ってから気が付き、母さんが帽子を忘れて来た、かんかん照りだと暑いと心配して居りましたが、御蔭で曇りで助かりました。 宿屋は、御承知の様に前がすぐ砂浜ですので、ガラス戸を開け(私達は二階の八帖前四帖付部屋でした)ると大変眺めが良く、朝の日の出を楽しみにして居りま志たが、残念ながら雨降りでした。雨の砂浜を見て居て、子供の頃の遊んだ故郷の大塚海岸‘愛知県蒲郡市'を想い出し、砂止めの松林が続く美しい海岸線、現在のコンクリート護岸味気無さ、自然は出来るだけ残して置き度いの感が切でした。 九時半頃、宿を出て、御手伝いさんが駅迄で送って下され、藤沢駅に着いたら丁度熱海止りの車が入り、其れで熱海に下車、貴殿も御承知と想ひますが、二キロ位東だった思ひますが、山上に立派な美術館が有り(宗教関係の‘MOAのことらしい')私は一度行ったのですが、時間が無くもう一度見ても佳いと想ひましたが、エスカレーターで五六回‘「回」は略字'乗替えて上る(途中の展望台も佳し)様に成って居り、母さんはエスカレーターお断りとの事ですので、取止め、食事をし、土産を買ひ、四時一寸前に帰宅致しました。 大切な休息日を私達の為に御使ひ下され感謝の外有りません。 重ねて厚くお礼申上げます。 SK‘父' KN‘母' 拝 HM‘私'様 ME‘妻'様 ‘義母への手紙' 謹啓 風邪を引かぬ様心掛けて参りましたが、御蔭で暖冬にも恵まれ、順頂に春を迎える事が出来、此度念願の御邪魔申上げ、御佛壇にも御参りさせて戴き、家内も大変有難く申志居り、其の上宿泊迄でさせて戴き、御世話に成り重ねて厚く御礼申上ます。 帰途、鎌倉参拝も曇り日でしたので、暑くも無く、梅雨期前の新緑の美しい好季節でも有り、処々楽しく巡らせて戴き大変佳い想出と成りました。併し、平日なのに観光客の多いのにも一寸驚かされました。流石、古都鎌倉と想はれ、客の多さと、亦小さな寺でも迎える側の細い心使ひが偲ばれ、心地佳く感じられました。 HM‘私'君達は、小田原迄で送って下さる心算で居られた様ですが、私は民宿でも結構ですので、一泊の予定で居り、江ノ島で電話で予約して下され、江ノ島の前の片瀬海岸の弁天屋旅館に入り、古い造りですが、屋号が江ノ島弁天屋と有り、昔からの江ノ島泊りの宿戸では無かったかと想はれます。 風呂もタイルは張って有るが古く、階段も巾広く、全体が昔風な‘「な」は変体仮名'感じでしたが、前は砂浜で夏は海水浴客で賑やかな処と想はれます。食事も品数多く有りませんが、大変美味しく魚類が余り好きで無い婆さんでも賞める程でした。老人クラブで入る大旅館に無い家族的な暖かさが有り、私達には大変有難い想出を贈ってくれました。 御母様には足が不自由で大変ですね。義弟の嫁が全く同じ症状ですのでよく分かります。少しでも、快方に向かわれます様、切に御祈り致します。 HM‘私'君、ME‘妻'さん御二人には、此度、大変お世話様に成り、誠に申訳無く想ひ居ります。 梅雨期も近づき炎暑の季も遠く有りません。皆様、御体大切にして下さいます様。 御母様には、特に御自愛下さる様、切に御願申上ます。 乱筆御許下さい。 SK‘父' KN‘母' 拝 I様 六月八日
2010年07月11日
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1990年4月10日 父:77歳 ‘前回(3月20日)の便り対して、おそらく電話で返事をした事に対する便り' 追信 三、四日続いた雨も上り、今日は快晴と成り、K子‘姪'も四日が入学式との事、T子‘義姉'と二人で四日市の妹さん宅に遊びに出掛けました。明日妹さんの子供達と花と緑の博覧会に行く様な話でした。春休みでも有り、大変な人出で疲れて帰って来る事と想はれます。 当地も丁度桜が満開ですので、例年の様な賑わいが予想されます。 先般、想付きのまゝ一寸御便り致しましたが、折角の御好意でも有り駅迄で迎えに出て下さる様なれば、何日が宜敷しいか、どちらでもよろしく、未だ日が有りますが一寸御知らせ下さいませんか。 (私は、出来れば上旬と想って居りましたが、母さんが十五日過ぎが都合が良いと云いますので宜敷しく) (迎えに出て下さるなら、豊橋発新横浜駅着の時間御通知致しますので、何日が宜敷しいか御願ひ致します) SK‘父' HM‘私'様
2010年07月05日
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1990年3月20日 父:77歳 ‘正月に帰郷した時に話があったようですが、母が一度も上京したことが無いので、 当時の自宅(目黒、緑が丘の妻の実家に居候)に来たい旨の依頼の手紙' 拝啓 大変暖かく成って参りました。 御変り有りませんか。当方皆元気です。私も、一月に一、二度一寸心配しましたが、其の後の暖冬に助けられ、陽春の季を迎える事が出来感謝志て居ります。 御正月は遠路帰郷下され有難う。其の節御話しました様に、一度是非御尋ね仕度いと云う母さんの願ひで有り、御蔭で私も今の処体頂も宜敷しいので、出来れば四月中に御邪魔したく想って居りますが、四月十二日から十五日迄弁財天の祭礼連合総会(老人クラブ)など有りますので、その前後に如何かと想って居ります。 貴殿には年度切替時で、新年度に入り最も多忙な時期と推察致しますので、暇な私達の為に御迷惑をかけては心苦しく想ひますので、此の度は必ず間違えませんから、新横浜駅下車し、東横線に乗り替え、 一、東横線の何と云ふ駅で下車するか 一、何線に乗り替え何駅で下車するか 右、恐縮ですが返信下さませんか。 駅を下りたらタクシーでと想って居ります。 尚、鎌倉に一度も行った事が有りませんので、帰途二、三ケ処御寺、御神など無理をせずに参拝仕度く想って居ります。 尚、ガイドブックで調べて見ましたら、東海道線横浜駅から横須賀線が出て居る様ですので、鎌倉で下り御寺が多く産有る様ですが、平地はまだよいのですが、坂道は息が切れてすぐ休み度く成りますので(肺塵症ですので)余り欲張らずのんびり廻‘略字'り一泊して帰り度いと想って居ります。 (江ノ島にも参拝し、江ノ電で藤沢に出て帰路に付く予定です) K子‘長兄の長女'も二年生に成ります。TA‘次兄'、SI‘三兄'達も皆元気です。御世話に成りますが、其の節は何卒宜敷しく御願ひ致します。 HM‘私'様 ME‘妻'様 SK‘父' 三月二十記日 敬具 (別紙にて、義母宛に) 拝啓 御無沙汰致し居ります。其の後御変り御座いませんか。当方、変わり無く過し居ります。風邪だけは引かぬ様注意して居りましたが、春暖の季を迎え有難く想って居ります。家内が一度御訪ね申上度いと常々申志て居り、御蔭で私も体頂が只今順調ですので、来月中に御邪魔申上度想って居りますので、其の節は何卒宜敷く御願ひ申上げます。 今年は、全国的に暖かい様ですが、当地も桜が早や三分から五分咲き位に成って居りますが、時々急な戻り寒さが来る事も有り気を付けねばと想ひます。御母様にも何卒御体大切にして下します様。 常々に御世話様に成って居り、感謝申上げ居ります。 今日は雨に成り暇なまゝに一寸御便りで、御願申上ました。宜敷く御願ひ申上げます。 I様 三月二十記日 TU
2010年06月27日
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1989年5月22日 父:76歳 ‘退院の連絡の手紙' 拝復 御便り有難う御座いました。 連休には、能登方面に行かれた由、魚が美味な処ですし、二、三日は天気も佳かった様ですので、新緑の季でも有り楽しい旅行で有った事と拝察致します。私も昨日退院致しました。此度は、入院した時が先回‘「回」は略字'に比べ割に楽でしたので、もっと早く(四月中には)退院出来ると想って居りましたが、一週間ほどやゝ高‘旧字'い熱が續き其の後下痢状態が中々治らず、想ったよりやゝ長く成ってしまひました(丁度二ヶ月) 此れからわ、余り風邪を引く事も無いかと想いますので、適当な運動(散歩位い)をすれば、後の具合も次第に修って来るやと期待致し居ります。何分にも、病上がりですので、御医者の言葉を守り無理せぬ様、務める心算で居ります。 雨期も近づいて参ります。皆様、御体大切にして下さいます様。 御母様に何卒宜敷しく御伝え下さいます様。 御二人様 5月22日 SK‘父'拝
2010年06月19日
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1989年4月10日 父:76歳 ‘先の手紙から5年が経過しています。この間手紙が無かったわけではなく、これまで紹介した手紙を何かの機会に見付けて、その時以後の手紙から保存しておくようにしたのだと思います。' ‘父の見舞いに対するお礼の手紙。 父はいわゆる「石屋」さんだったのですが、石屋さん特有の病気で長年苦しんでいました。俗に「硅肺症」という病気です。製陶業に多い職業病ですが、石や砂の細かい粉塵が肺に溜まる病気です。当時は、石屋さんを長くやっていれば必ず罹る病気と言われていました。' 拝啓 新緑の最も○‘?’ぎ佳い季期と成りました。 先般は御来岡下され有難く想ひ居ります。此度は想わぬ再度入院と成り御見舞下され、御二人の元気な‘「な」は変体仮名'様子拝見安心致しました。 何分、体力が弱って居るので、一寸の油断が此度の様な‘「な」は変体仮名'事に成る様ですので、これからは陽気も佳く春本番ですので、十分注意しながら体力の回復に努める心組です。退院も此の一、二日熱が戻りましたので、間近と想って居ります。 御高志に深く感謝申上げます。 御礼右まで SK‘父' KO‘母' HM‘私'様 ME‘妻'様 四月十日 ‘別に義母宛てに。当時は、妻の実家に居候をしており、義父は2年ほど前に他界していた' 拝啓 退院後大変順調に回復し体重も二KG程戻り、喜‘略字'んで居たのですが、再度入院と成り(肺炎)、一日大変寒い日が有り一寸油断したかと想ひますが、先回‘「回」略字'は四、五日で平熱に成り、其のまゝ退院出来たのですが、此度はやゝ熱が高‘「高」は旧字'く、此の一、二日平熱に戻りましたので、此の分なれば、遠からず‘「ず」は変体仮名'退院出来るでは無いかと想ひ居ります。 何分、体力が有りませんので医師の言に従い十分注意する心算で居ります。 先日は、結構な品御見舞に頂戴致し、其の上御高‘「高」は旧字’志迄御拝意‘?'下され厚く御礼申上げます。 乱筆御許し賜り度御礼迄で SK‘父' IE‘義母'様
2010年06月12日
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1984年1月10日 ‘正月に帰省し、親戚に挨拶廻りをしたことに対する手紙' 拝呈 寒に入り一段と寒さが益して来た様に想われます。今年は先年に比しやゝ寒さが厳しい様ですね。 御正月帰郷下され御心使ひ戴き感謝致し居ります。慌しい日程で疲れた事と申訳無く想ひ居ります。御父様始めKB様‘仲人'、SK様‘義兄'、FT様‘義母の親戚'、IK様‘義父の親戚'、SZ様‘義兄'依り賀状戴きました。尚、SZ様依りは「新年に作ル」漢詞頂戴致し教養が偲ばれ老人の私には奥床かしく有難く拝受致しました。 私の造った万成石(岡山の日本の名石)の花器(盃型水鉢定紋浮出し入れる予定でした)外照出磨きとして御母様に差上度想い居りましたのですが、KO‘長兄'の許しが出ず誠に残念に想って居ります。 本年は市議改選の年で有り何かと煩らわしい春に成りそうに想われます。‘「す」は変体仮名?' 私も本年こそ町の役はやめさせて戴く心算で居ります。 風邪を引かぬ様体大切にして下さい。 奥様によろしく御伝え下さい。 敬具 SK‘父'拝 HM‘私'様 一月十日
2010年06月03日
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1983年12月11日(葉書) ‘前回(12月2日)の手紙の追信' 拝呈 賀状に併せて婚儀出席戴いた御礼状差上度想ひ居りますので、IK様、IT様‘義父の親戚'の住所御通知下さい。友人の方々は御前が出してくれると想ひますので、取止めに致します。尚、会社関係主だった方だけ会社あてゞ出して置きます。(自宅住所分かりませんので) 蒲団着いた事と想ひます。体に気を付けて良い年を迎えられる様。 右まで 父 十二月十一日
2010年05月26日
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1983年12月2日 父:71歳 ‘結婚式(11月27日)後の最初の手紙'拝呈 本年も最終の月に入り、毎度の事ながら何となく慌たしく師走の月は過ぎます様で正月もすぐですね。擧式までは何かと心忙しい日々で有ったと想ひますが、これでやゝ落付かれたと想ひます。 皆様方の暖かい祝福を戴き和やかな内にも盛大に擧式も終り、晴れて一人前と成り家庭を持ってくれた事は私達には何にも勝る嬉びで有り、御前の結婚の遅いのが何依り心配で有りましたが、親不幸もこれで解消です。MEさん‘妻'を幸せにして下さい。其れは御両親に對する御前の責務でも有り、自身の幸にも通ずるはずです。 新婚旅行の話次回‘略字'来られた時の楽しみに志て居ます。KB様‘仲人:当時の上司の部長'、御両親には早速礼状差上て置きましたが、IK様、IT様‘義父の親戚'の住所御知らせ下さい。(親族書に入って居ませんでしたので) 尚、KK様、YH様、SW様、KS様‘以上、会社上司、同期、大学友人等' 上記出席志て戴いた会社関係の方々が○○‘読めず’に併せ礼状差上度想ひ居りますが、会社あてで宜敷志いでしょうか。自宅が良い様であれば御知らせ下さい。 蒲団着物宅送便で月曜日(五日)送る心狙で居ます。六日には着する予定で居ります。 SS様、SH様‘以上妻の義兄'には御礼状差上げる予定で居ります。 今度来られる時には、KO、MO、KS宅‘以上母方の叔父'には是非寄って下さる様、出来ればSI‘三兄'、TA‘次兄'、へもたのみます。 尚、TK‘父の弟'の二男YH(愛大卒)来年正月擧式の用です。 取敢ず‘「ず」は変体仮名?'右‘原文縦書きのため'迄で 尚MO‘母方の叔父'の家今月中旬迄で俊工志ます。二階家でSI‘三兄:不動産関係'が責任で建てました。 HM‘私'殿 父より ‘別紙にて' MEさん‘妻'へ 擧式前やゝ風邪気味で有った由心配致して居りましたが、如何ですか。式前は何かと御多忙な日々で有り気疲れも多く、御両親様共々大変で有ったと推察致し居ります。 旅行も終りやゝ落付かれたかと想ひますが、日々に寒さも加わって参ります、体には特に注意して下さいます様。 此度の擧式は特に御母様に大変な御心使ひを戴き誠に申訳無く想ひ居ります。尚、御姉様始め親族の方々とも御禮、御話申上げる折も少なく申訳無く想ひ居ります。今迄での御付合ひで大体分って戴いたと想ひますが、のんびり者で貴女の御世話に成るタイプですので何卒今後末長く宜敷しく御願ひ申上げます。 十二月二日 SK‘父'拝
2010年05月12日
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1983年11月5日 父:70歳‘挙式(11月27日)も近づき、当日の上京時刻など諸連絡の手紙' 拝呈 擧式迄一ケ月たらず‘「ず」変体仮名?'と成り、御無さた‘「さた」は変体仮名?'のみ致して居りますので、I様‘妻の父'に挨拶状出して置きました。何かと御多忙な日々と推察志ております。写眞幼い時のが有りませんので残念です。‘男ばかり4人兄弟の末っ子で、もうそんな気にならなかったんでしょうね' 「HM‘私のこと’に贈る言葉」は友人からの依頼かと想ひますが、どの様に書いて良いか分かりません。想ひ付いたまゝですが、御前の意見が有れば書直します。 先日、母さんの父親の五十回‘略字'忌の法事が有り、KS、MO達‘以上母方の叔父'も二人で来る由でしたので私も出席志ました。墓参後KO、KS、MO達‘以上母方の叔父'と、擧式、豊橋発こだまの出発時間等に付き話致し、別紙の様、十時三十一分発、東京駅十二時五十二分着で行く予定で居ります(KN‘長兄'も同意見で有り多少ゆとりが欲しいとのこと)。先般書面で申し上げた通り、TS‘父方の叔父'も東京駅で待合せて一緒に行く様になると想ひますが。 待合せ場所(出口及場処)通知ください。尚駅より式場までどの様に志て行くのか(タクシーかと想ひますが)亦普通で何程の時間かゝるのか等念の為通知して下さい。 尚、法事の後の話合の時、KO‘母方の叔父'から話が有り、MO‘母方の叔父'が宮城の方へ廻ってから式場へ入ってはとの話が有りましたが、私の考えでは其の事は断る心算で居ります(たゞ若し其の様にすれば何程余分に時間がかゝりますか) キリスト教会の擧式に付、一應本で讀んで大体の事は頭に入れ有りますが、始めての事ですので一寸不安です。 尚、食事は洋食のフルコースでは無いとの事安心して居ります。‘どこから聞いたのかわかりませんが、ホテルの洋食のフルコースでした'注意する事が有れば、種々の点に付きまとめて一言御便り下さい。 只今、I様‘妻の父'依り御返書戴き拝讀して居ります。十月二十九日社宅へ行かれた由、尚三日に御母様、MEさん‘妻の事'御一緒に掃除をして戴いたとの事、有難く感謝致し居ります。田園風景も残り空気も清澄な様子、嬉‘「嬉」の当て字’こんで居られる様、有難く想ひ居ります。‘新婚生活は、横浜ながら郊外の社宅でスタートしました。1年半ほど暮らしましたが、都会育ちの妻の希望もあり、妻の実家の目黒に転居し15年ほどマスオさん生活をしました。' 住所、番地併せて御通知下さい。尚、文面に依れば、I様も娘に贈る言葉の一文を三百字位い短いもので書く予定との事、私も一寸だらゝ長かったかと想ひますので、もう一度考へて見る心算で居ります。 何かと御世話様に成りますが、御母様、MEさん‘妻の事'にも宜何しく御伝え下さる様、御願ひ申上げます‘「す」は変体仮名「春」'。 (蒲団、着物等御送付します‘有難く頂きましたが、蒲団は重くて妻の実家で眠っています。着物は正月に1,2度着た記憶があります。これまた、妻の実家で眠っています') (KO‘母方の叔父'依りの祝儀戴いて居り、まとめて当日御渡します。(五万円)) HM殿 父より ‘別紙:到着予定時刻’ (東京駅下車改札口-10分-式場まで20分計30分として下書の様に成る) 豊橋発 こだま ◎10時31分-12時52分-1時22分-(約1時間) (東京着) (式場着) (式場デノ待時間) 10時55分-13時16分-1時46分-(約40分) 11時31分-13時52分-2時22分-( 8分) 私は10時55分でとも想ひましたが、KN‘長兄'始め皆さんが多少ゆとりが有った方が良い様でしたので、10時31分で行く事に致します。 付記‘別紙’ I様‘妻の父'が三百字位いでとの事、書直して見ましたが如何でしょうか。何か忘れもの志て居る様で何と無く落付きません。成るべく必要な事だけ早く書面で御通知下さい。‘原稿が添付されていたのでしょうが、見当たりませんでした'
2010年04月29日
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1983年11月より前(10月28日?)父:70歳 ‘私の結婚間近で、式の出席者に配られた文集の執筆を依頼された父からの相談の手紙。結婚式は東京タワー前の教会で、この年の11月27日に行われました。’ 「HM‘私の事’に贈る言葉」の一文を書いて送れとの電話が有り、私自身学も才も無く徒らに歳を重ね今日に至って居り、改めて何を書いて良いか戸惑って居ります。親として敢えて望むとすれば、誠実であれ、常に前進する熱意と努力を持ってほしい、他から信頼される人間に成ってもらいたいと云う様な事だと想ひます。此の度は誠に有難い良縁に恵まれ、心から感謝致して居ります。どうか御両親様の期待に応‘旧字’えてMEさん‘妻の事’を必ず幸せに志てくれる事を切に希望致して居ります。 人生は苦しみ多きものです。私達の世代は特別で有ったかとも想ひますが、結婚時が支那事変が急速に深まりつヽ有り、大東亜戦争、軍需工場徴用、出征、敗戦と夢中で過ぎて来たのが実感です。私は過ぎた未だ多少若かった時代を振り返り、最も苦しかった時分を現在一番懐かしく想ひ出して居ります。最善を尽す、全力を出して努力する時何とか道が広けて来た様に想ひます。 「神は自ら助くる者を助く」と云う言葉が有りますが私は此の言葉が好きです。苦しい時ほど其れに立向ふ意気が大切では無いでしょうか。現代の日本は昭和一桁、其れに次いで二桁が世代を背負って居ます。次期の責任は御前達の時代であると想ひます。 岡崎も今年は大河ドラマの家康ブームで暮れそうに想ひますが、私達老人から現代の若(あか)るい世代の皆さんに希望する事は、耐え忍ぶと云う事の大切さと云う事の様に想ひますが如何でしょうか。明るい人生の門出に当りやヽ苦言めいた事を申上げましたが、今の様な佳い世の中が何時迄でも続く事を願ひ、二人の前途に幸あれと念じて居ります。 想ひ付いたまヽ書いて見ました。修成して一文にして下されは誠に有難く想って居ります。写真御送付しました。‘披露宴でスライドにして見せた子供のころの写真’着いた事と想ひ居ます。尚当日は式服で出席します。(着替せず) (其の様な話先般有ったと想ひますので) HM様 父より
2010年04月25日
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父が亡くなって、16年が経ちました。 本を読むのが好きで、筆まめな父でした。 そんな父から、ずいぶんたくさんの手紙をもらいました。 父からの手紙は、私が大学に入ってから、亡くなるまでの約25年間続きました。学生時代は特に毎月のように来ていた記憶があります。通算すればおそらく150通ぐらいは来たと思います。 残念ながら、その都度や引越しなどで処分してしまったのでしょう、そのほとんどは残っていません。 20年以上前になると思いますが、荷物を片づけていると父からの手紙が数通出てきました。その時に、「そう言えばずいぶん父から手紙もらったなあ、とっとけばよかったなあ」と、思ったのを記憶しています。そして、結果的には24通(はがきも含む)になりましたが、その時から、父からの手紙を保管することにしました。 そして、数年前から、引退したら父からの手紙を整理(Word化)して、皆様に読んでもらえたらと思うようになっていました。 現在生きていたら97歳になっている父ですから、私などと比べてもずいぶん古い感覚の人です。昔の人はこんな感覚だったんだというところ、ある意味で新鮮かもしれません。 24回で終わるブログですが、よろしければ、しばらくお付き合いください。 尚、手紙は句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。誤字脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名としました。 また、一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘ ’で囲みました。 それでは、あらためまして、次回分から「父からの手紙」UPします。よろしくお願いします。
2010年04月24日
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