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北海道にある世界平和統一家庭連合の「聖火の郷・慰霊塔広場」が、「世界平和孝情慰霊塔広場」と正式に命名されました。本映像を通じて、広場内の一つひとつの記念碑と聖火の郷の美しい四季に触れていただければ幸いです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.31
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全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会ホームページからの新着です。広島夫婦拉致監禁事件 民事裁判 判決下る!~被告らの不法行為認め281万円支払い命じる勝訴判決!!~2020年2月18日、広島夫婦拉致監禁事件の民事裁判で広島地方裁判所が判決を言い渡しました。この拉致監禁事件は広島在住の家庭連合信者夫婦がそれぞれ別々に拉致され、幼い二人の子供と引き離されて大阪市内のマンションに連行され、6日間に亘って監禁されるという極めて悪質な事件でした。広島地裁は、拉致監禁され脱会強要の被害を受けたとする原告夫婦の主張を全面的に認め、西日本福音ルーテル教会「青谷福音ルーテル教会」の尾島淳義執事はじめ被告6人全員の不法行為を認定し、賠償金の支払いを命じました。詳細はホームページにて確認してください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.30
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『天一国経典・真の父母経』からです。真の父母経 - 第10篇 - 第3章 - 第2節 サンバウロ宣言とジャルジン(Jardim)宣言第二節 サンバウロ宣言とジャルジン(Jardim)宣言サンパウロ宣言真の父母様は、一九九五年三月三十一日、第三十六回「真の父母の日」を迎え、ブラジ ルのサンパウロにおいて、「世界基督教統一神霊協会」を創立した一九五四年以降の四十年を締めくくり、新たな四十年路程を出発するという意味の「サンパウ ロ宣言」を宣布された。これを基盤とした「ジャルジン宣言」が、八度にわたって発表された。「サンパウロ宣言文」 真の父母様は、過去四十年間、個人から天宙まで、また僕の僕から神様まで段階を上げながら、犠牲と真の愛によって蕩減復帰路程を勝利してこられた。第三十六回「真の父母の日」を期して、全世界の統一教会員たちが真の父母様のこの勝利の基台を相続し、私たちの責任分担期間となる第二次四十年路程を出発することを宣布する「サンパウロ宣言」を発表された。 み旨の道には「自分」というものがあってはならず、ゼロ、すなわち無の境地に入って いかなければならない。驕慢や個人主義は禁物である。真の父母様の伝統的な生活は、神様のみ旨を成就してさしあげるという一念で、地を愛し、万物を愛し、 人を愛し、神様を愛してきた、すなわち真の愛を投入してきた生活である。このような真の父母様の生活伝統を相続しなければならない。それゆえ、私たちはみ な、地と万物と人と神様を愛しながら、氏族(的)メシヤの使命を完遂する真の愛の実践伝統を継承しなければならないのである。 第二次四十年路程の出発は、第三十六回「真の父母の日」である一九九五年三月三十一 日であり、(これは)二世中心の、また祝福家庭ごとに成就すべき、私たちの責任分担期間である。真の父母様が縦的、横的に勝利された基台を相続する私たちの責任分担は、天宙復帰までではなく、氏族メシヤの使命を完遂した家庭が心を合わせて一体となり、国家を復帰するところまでである。したがって、四十年期 間がすべて必要なのではなく、各自の信仰と責任分担をどのように果たすかによって、四年や七年で成就することもできるのである。 このような時点において、真の父母様が南米で理想村と理想的な国のモデルを造る活動を始められた摂理的意義は非常に大きい。南米摂理は、神様が立てられたアベル圏の勝利と祝福をカイン圏にまで移し、広げる摂理である。アベルの位置にある北米のプロテスタント圏の基盤を南米のカトリック圏に移し、一つにする摂理である。その次に、その一つになったアベル圏の勝利をユダヤ教圏に連結して一つ にし、さらに、一つになった広いアベル圏の勝利をイスラーム圏に連結させて大きくし、その大きく広がったアベル圏の勝利と祝福を他の宗教圏にまで連結させ るのが、未来の摂理の方向である。北米をはじめとする世界の統一教会は、精誠を尽くして南米を支援しなければならない。真の父母様の勝利圏を私たちが相続 するように、私たちは、私たちのカイン圏が神様の祝福を受けるように、範囲を広げながら精誠を尽くさなければならないのである。1 サンパウロ宣言とともに、南米前線に大移動するのです。ですから、「アメリカを離れると発表しなさい」と話しました。父母様はアメリカを離れ、南米に移動するというのです。ですから、すべての制度と機関を縮小するのです。アメリカに投入していたすべての経済力と人材を南米に投入します。今や、理想的な国をつくらなければなりません。理想的な家、理想的な村、理想的な都市、理想的な国家をつくらなければならないというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.30
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今日は『ファミリー』1989.1月号、「神のみ旨を中心とする宗教圏の統一」【1988年10月14日(興南出監記念日)、ソウル本部教会】からの一部のみ言を掲載します。 宇宙の根本は父子の関係 では、神様に必要なものはいったい何でしょうか。それが問題なのです。神様に必要なものは食べ物ではありません。もし皆さん霊界に行けば、そこで愛に酔って憧憬するものは、すべて直角になる世界です。何の話か分かりますか。愛に酔って皆さんが要求するものは、すべて直角に現れるというのです。他のお金の力でも動きません。知識でも動きません。権力をもってしても動きません。ですから愛に同和することにおいて、四方八方に対応できる主体になれば、すべての世界は対象圏として現れてくるのです。自身が愛の対象圏になれば、すべてが主体として作用するのです。ここで「パーン!」という音がすれば、あちらではさらに大きく「パーン!!」と鳴るのです。そして大きく「パーン/・」と鳴ったら、次には小さく「パン」と鳴るのです。いったん上がったものは、それ以上に上がれば飛んでしまうので、再び下がらなければなりません。すべて和音にならなければなりません。そこでは神様も笑うでしょうか。誰が神様を見たことがありますか。神様にも目、鼻、ロ、耳、体があるでしょうか。その点では既成教会の信者たちはでたらめです。神様に目があることも知らないのです。「神様の目を見ましたか?」と尋ねても、誰も分からないというのです。「神様に鼻や、口や、耳がありますか?」「神様は誰に似ていますか?」。「神様は神様に似ているのです」。いったいそんな答がどこにありますか。 神様は誰に似ているかというと、息子や娘に似ているというのです。ですから神は人格的なのです。人格的な神は、私たちに対して人格的最高の基準を要求しているのです。世の中には法度があり、また礼法があり、高低の均衡を取るようになっているのです。それに従っていけない人は脱落するのです。ですから先生は霊界のことをたくさん知っていても、そのことについての話はしないのです。もし先生が霊界の話をすれば、気が狂っておかしくなる人も多く出ます。婦人たちも自分の夫に対し、「なぜあのように生き長らえているのか、早く天国にでもいけばいいのに。先生がお話される天国はいい所だから早く行けばいいのに……」と思うのです。それでは天国には行けません。妻はまず夫を教育して愛さなければなりません。このような話をすれば時間が早くたちますね。もう何時になりましたか。 神様が好きな色とは何でしょうか。神様は白が好きでしょうか、赤が好きでしょうか、黄色が好きでしょうか? (白です)。なぜ白ですか。白は聖い色ではありません。七つの色を混ぜ合わせたものです。プリズムを通して見れば、白は七つの色でできています。それらがすべて調和されるので、きれいに見えるのです。本当はきれいではありません。神様が好きなものとは何かというと、先生が神様に会って質問したことがあります。「神様、宇宙の根本は何ですか? 世界の全人類は、宇宙の根本が何であるかを知りたいのです。そのために祈祷や、いろんなことを行っているのです」と。それに対する神様の答えは簡単です。宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、「父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ」と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。文先生がそのような結論を出したのです。神様にお尋ねして、「神様こういうものではありませんか?」。「お前(文先生)はそれをどうして知ったのか。お前は私よりも優れている」と、神様は言われたのです。アーメン。 先生はキリスト教徒の群れに会って、その牧師にこのことを話した時、「アーメン、アーメン」と彼らは言うのです。先生が一番嫌いなのは、その「アーメン」です。それは詐欺師の使う桶のようなものです。魔術師も魔法を使う時、そのような桶を置くのです。そして間違えば「アーメン」と言うのです。「アーメン」というのは、すべてを成し得た後に使う言葉なのです。ですから神様が一度だけ「アーメン」と言えば完成であり、千年、万年も「アーメン」と言うことはないのです。父子の関係というのは、父母と息子関係でもなく、最高なる関係なのです。そして、そのような父子の関係を永遠に一つにする力が真の愛なのです。ですから神の真の愛は、一人で成就できません。今日のキリスト教信者は、「神は真の愛の主体であられ、多くの人々を迎え入れるのです」と言うのですが、それはとんでもない話です。神御自身も対象がいなければ、どんなに大切な愛も完成させることができないのです。 では、神は一人でしょうか、二人でしょうか? (二人です)。天のお父様と天のお母様という二人ではなく、神には二つの性稟が入っているのです。今答えた人は良心がありますか。ありませんか? 体がありますか、ありませんか? それら二つが合わさってあなたという一人の女性なのです。神の性稟は二つありますが、体は男性格主体となっているのです。では、男性格主体というのはいったい何でしょうか。女性格主体であればどんなにいいでしょうか。しかし女性格主体といった時には、別に男性格が存在しなければならないので二元論になってしまうのです。分かりましたか。二元論になってしまうというのです。神は永遠に一元論であられるために、男性、女性の中和体として、主体的な性稟をもった初めての男性形なのです。なぜ男性形かというと、男性は女性 を治めなければならない責任があるのです。後ろからでも、横からでも、上からでも、下からでも女性 を治めなければなりません。それで女性が、真の主体に出会った時、秒速三億メートルのスピードを持つ光の速力でもって、西側からぶつかっていっても、男性はグルッと数回回るだけで、それを収拾していくのです。何の話か分かりますか。回りながら収拾するのです。 ですから男性は女性を治めなければなりません。父母は子女を治めなければなりません。人々はみんなそれを願うのです。ですから神様は男性的主体なのです。その主体が好むのは何かというと、お金ではありません。皆さんがもし霊界に行けば、先生のこの話が正しいかどうか分かります。先生の話が間違っていれば、先生に抗議しなさい。もし霊界で先生に会えなくても、「文先生は本当に悪魔の魁首だから自分たちがいる天上の霊界にはいないのだ」と考えてはなりません。先生は最上の霊界にいるのです。昼は神様のおなかの中に人って眠るのです。世の中にそのような話をする人があるでしょうか。そのような話は、愛の世界においてのみ可能なのです。あなた方の中で、夫の心の中に人って眠りたくないという女性は手を挙げてみなさい。そのような女性は良くない女です。「あなたの真に愛する夫の心が宮殿のようであり、そこで手足を延ばしてグルグル回ったり、鼻歌を歌いながら、眠りに付きたいと思う女性は手を挙げなさい」と言えば、みんなが手を挙げるのですね。 夫の心の中に人り込んで、ゴロゴロと回っている女性は幸せ者です。その愛は、そこから出たくなくて、誰が何を言ってもも千年、万年共に生きたいというのです。おなかが空いてきましたね。説教の途中なのになぜ「おなかが空いた」と言うのかというと、先生は皆さんのおなかが空いたことが分かるからです。朝食は食べましたか? (食べていません)。 先生もおなかが空きました。きょうはこれぐらいにしましょう。このような話を始めれば、十時間、百時間でも終わりません。先生がアメリカヘ行って立てた最高記録は十六時間半、立ったままで説教したことです。それほどよく話をする先生なのです。 真の愛による同位権、同参権、相続権、所有権 さて、先ほどの話ですが、世界の統一は、絶対的な神のみ旨を中心として行うのです。問題はそのみ旨が何に根拠をおいているかということです。み旨の根拠は何かというと、それは手段でもなく、お金でもなく、知識でもなく、真の愛の根でなければなりません。 真の愛の色は赤でしょうか、黄色でしょうか。どうですか? (分かりません)。「知らない」と言ってはいけません。「調和という内容をもっているので分かりません・」と答えなければなりません。 ……全体では60ページほどですが、引用は5ページほどです。今回のお父様のみ言からもハッキリしました。シムソン氏曰く、神様本体が「夜の神様(男性格のみ)」は二元論であると、お父様のみ言でした。このように、シムソン氏(亨進氏)の「夜昼の神様論」が間違いであったことが判明しました。彼の続編は、もはや、あり得ません。同じ過ちを繰り返すとなれば、「悪魔の書」です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.29
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前回記事(2020.03.28)を読み直して気付いた点がありましたので「追記」しておきます。シャボン玉さんの誤訳の一文ですが、誤訳であってもシムソン氏の「夜昼の神様論」を覆す実に素晴らしいものであったことに気付きました(以下)。https://simuson.muragon.com/entry/264.html#commentForm昼の神様があらわれる時、夜の神様の創造目的が完成される。昼の神様が神様の創造理想として願われた真の父母だ。真の父母の思想は創造以前から存在し夜の神様は目に見えない創造主であり、昼の神様は目に見える創造主である。夜の神様は内的な創造主であり、昼の神様は外的な創造主だ。アダムとエバが完成すれば見える昼の神様となる。アダムとエバが完成すれば見える創造主となり、外的な創造主となる。見える創造主と外的な創造主が昼の神様である。(1998.11.20)もっとありますが、これらのみ言はハングルからシャボン玉さんが訳したものです。日本語訳にはなっていないでしょう。上記の「昼の神様」、これを「真の父母」と置き換えてみましょう。昼の神様(真の父母)があらわれる時、夜の神様の創造目的が完成される。昼の神様(真の父母)が神様の創造理想として願われた真の父母だ。真の父母の思想は創造以前から存在し夜の神様は目に見えない創造主(心)であり、昼の神様(真の父母)は目に見える創造主(体)である。夜の神様は内的な創造主であり、昼の神様(真の父母)は外的な創造主だ。アダムとエバが完成すれば見える昼の神様(真の父母)となる。アダムとエバが完成すれば見える創造主となり、外的な創造主となる。見える創造主と外的な創造主が昼の神様(真の父母)である。少し読みづらいですが、シムソン氏の「夜昼の神様論」も引っ繰り返ってしまいました。私の「夜昼の神様論」、「上弦・下弦の神様」とも通じてきます。原理講論とも合致してくるでしょう。これまでブログ記事で引用文として掲載してきた真の父母様のみ言は、ここ2.3年で引っ張り出してきた『ファミリー』20冊ほどのパラパラ読みからのものでした(以下フォト)。このわずか20冊でもってシムソン氏に「神様のオッパイ」のみ言などしては、「盲人と象」の喩えを話してきました。それでもあなたは私に対してはこの程度の理解では、神様の誕生についても成長についても理解する基礎ができません。それを相手にする論争とは、不毛なやりとりに過ぎません。と、あなた(亨進氏)の「夜昼の神様論」を曲げようともせずに、私への説教ですか。考えてもみてください。『ファミリー』は月1回の発行で年に12冊、10年で120冊です。30年では360冊になります。シムソン氏はどれだけの『ファミリー』をお持ちですか?それらほとんどは「積読本」でしたが、調べ物で引っ張り出してきた一部に過ぎません。わたしもまだまだ「盲人」ですが、シムソン氏、あなたよりは少し広い範囲が見えていることは理解していただきたいですね。とうごま氏の「元光言社職員さんのビデオ」では、原理講論やお父様のみ言との「整合性」についての提起をしていました。シムソン氏には、『あなたの「夜昼の神様論」はその整合性についてはどうなのですか?』と私から問うていたものでした。果たして、どうなのですか?!読者の方々は、薄々気付き始めているのではないでしょうか。シムソン氏(亨進氏)の「夜昼の神様論」ですが、もう一度白紙に戻されて考えられることをお勧めします。そうでなければ「盲人が盲人の手引きをすると?(マタイ伝から)」でほかの方々も穴に落ちてしまいます。それからでは遅いでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.29
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シムソン氏記事(2020/03/27)コメント欄から:シムソン id:simuson >tomy4509さんあなたが夜の神様と昼の神様の関係性について、解説した内容がこれでした。>夜昼の神様、「心と体」「無形実体世界と有形実体世界」でしょう。<この程度の理解では、神様の誕生についても成長についても理解する基礎ができません。それを相手にする論争とは、不毛なやりとりに過ぎません。夜の神様は神様本体で永遠普遍に存在する実体があります。その実体は心情を根本として、知情意による愛の活動を為されています。昼の神様は、その夜の神様の愛の活動を、具体的に遂行して創造の御業を為す手足であり、身体の役割をします。その意味で、「心と体」の関係と言えるでしょう。しかし、昼の神様という存在は実体ではありません。創造原理がプログラムされ、神様の心情に従って活動するエネルギーです。ですから、エネルギーが万有原力として、被造世界の万物を造り上げて行きます。その働きの結実として、初めて昼の神様は、真の父・真の母として地上に結実するのです。従って、生まれた時から生心に神様本体が臨在する真の父となるアダムは、蕩減復帰すれば原罪の無い元の姿に帰れるのです。神様本体という原形となる実体があるからです。ところが完成して真の母となり、昼の神様の実体と成るはずのエバには、蕩減復帰しても帰るべき元の姿が無いのです。つまり、エバの蕩減復帰とは、地上界に罪ある立場で生まれ、地上で蕩減復帰するしか、無原罪の位置に帰ることはできないのです。アダムには神様本体、夜の神様という原形がありますが、エバは地上に創造された実体として初めて出現するものだからです。きっと、ここに記述した意味は、あなたの思考回路からすれば意味が分からないでしょう。でも、理解できる方々がいるのです。聖霊と相対している方々です。「神様を真の父母として奉る」という事は、夜の神様と昼の神様を一つとして解説しているのです。まだ、真のお父様が夜の神様・昼の神様を明確に分けていない時代の事です。なぜ、聖和の間近になって語られたかと言えば、神様が天のお父様であることを決定付けるためです。韓鶴子氏を通してサタンに奪われた家庭連合を、サタン分立し、全食口を羊と山羊に分けるためです。先ずは何度もお伺いしますが、シャボン玉さんの以下の誤訳「夜昼の神様」はどうなのですか?https://simuson.muragon.com/entry/264.html#commentForm昼の神様があらわれる時、夜の神様の創造目的が完成される。昼の神様が神様の創造理想として願われた真の父母だ。真の父母の思想は創造以前から存在し夜の神様は目に見えない創造主であり、昼の神様は目に見える創造主である。夜の神様は内的な創造主であり、昼の神様は外的な創造主だ。アダムとエバが完成すれば見える昼の神様となる。アダムとエバが完成すれば見える創造主となり、外的な創造主となる。見える創造主と外的な創造主が昼の神様である。(1998.11.20)もっとありますが、これらのみ言はハングルからシャボン玉さんが訳したものです。日本語訳にはなっていないでしょう。文鮮明先生み言葉選集297巻の原文を見ましたが、1998.11.20のみ言(P.272~)からは「夜昼の神様」の訳は出てきませんでした。「昼の神様」の1件のヒットは同巻の1998.12.22のみ言(P.300)でした。http://cafe.daum.net/rainbowKINGDOM/HjjW/324「夜の世界の王を受け止めて昼の神様をこの地上で夜の世界まで…」(google翻訳から)シムソン氏がシャボン玉さんの誤訳をそのままに容認されるともなれば、「み言改ざん」についても言及していかなければならないでしょう。さて、亨進氏メッセージにあるお父様が語られたというみ言(?)は、私自身確認が取れず保留の状態です。一方、シムソン氏の「夜昼の神様論」は亨進氏のそれを展開したもので、これもお父様直接のものではないと思います。となれば、お父様直接のみ言を探すか、ほかのみ言から類推していくしかありません。その一つが、ムンフンスク様の愛勝日でのメッセージでした。無形の神様(心)と創造理想を完成した第二の心(体)であるアダム・エバ(被造世界)です。堕落がなかったならば、夜昼の神様には分かれていなかったというのが、お父様の別のみ言です(『TWJ』から)。神様本体を分かれた「夜の神様(男性格)」と規定するシムソン氏のそれとは全く違った意見です。上弦・下弦の話もしていたでしょう。弦の心(属性の陽陰)と弦の体(属性の陽陰)が90度でかみ合えば円形になります。また、右弦・左弦とも言われていました。男性(心と体)は主体ですが、神様の半分でしかなく、女性(心と体)も半分です。これも合わされば円形になります。創造理想を完成した「四位基台」が思い浮かぶはずです。その上弦・下弦、右弦・左弦をつなぎ合わせるのが人間であったというのが創造原理に書かれた「人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界」ということでした。ところが、『TWJ』からは「夜昼の神様が分かれて闘っている」というみ言ですが、心と体が闘い、男性と女性が闘っているというのです。このように、かみ合っていない心と体、男性と女性が分かれたのが「夜昼の神様」ということだと思います。もちろん、「「神様が昼にいらっしゃるとすれば……」(2001年4月18日のみ言から)」というお父様のみ言がありますように、創世記からの「夕となり、また朝となった。第一日である。」を考えれば、夜はまだ間接主管圏(復帰摂理途上)のそれであり、夜昼の神様は未完成のままに分かれた天宙を比喩していたのではないでしょうか。シムソン氏(亨進氏)の「夜昼の神様論」を見れば、神様本体が「夜の神様(男性格のみ)」ともなれば、性形・陽陰の二性性相の中和体としての神様の説明がつきません。その神様の似姿として創造された被造世界、人間も男性格のみということになります。真の愛ゆえに対象として女性を創造されたの主張も、創世記からはアダムのあばら骨を取ってエバを創造されたのであり聖書の記述とも矛盾します。シムソン氏(亨進氏)が神様の男性格を強調する背景には、既存の価値観を継続していこうというものであり、男性上位社会では決して「平和」は訪れないことをお父様も見抜いていました。よって、「世界平和女性連合」を創設されては、女性を平和の旗手として家庭から夫や子女の教育を推進して来られたということです。原理講論にはまた、一つの預言めいたことが書かれていました(P.265)。イエスは男性であられるので、天(陽)において、また聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。聖和されたお父様は天においてお母様は地において今、役事をされておられるということです。ほか、シムソン氏のコメントからいくつかの意見を書き添えておきます。従って、生まれた時から生心に神様本体が臨在する真の父となるアダムは、蕩減復帰すれば原罪の無い元の姿に帰れるのです。神様本体という原形となる実体があるからです。ところが完成して真の母となり、昼の神様の実体と成るはずのエバには、蕩減復帰しても帰るべき元の姿が無いのです。「生まれた時から生心に神様本体が臨在する真の父となるアダムは、蕩減復帰すれば原罪の無い元の姿に帰れるのです。」は「創造原理の絶対性と完全無欠性のために」(原理講論P.129)に反します。生まれた時から神様の主管を受けたアダムが堕落したとなれば、神様も無能な神様となって二度と立ち上がることもできません。次に、以下も明らかな間違いの延長上のものですが、アダムには神様本体、夜の神様という原形がありますが、エバは地上に創造された実体として初めて出現するものだからです。これを少し言葉を変えれば、2000年前に来られたイエス様と同じ使命を担当する代理使命者が蕩減復帰すれば、イエス様の勝利基盤を継承してその使命を完遂することが出来るということです。真のお父様が16歳のときにイエス様に会われてその使命を継承された、という論理も成立します。その一方でエバですが、イエス様の誕生と合わせてその相対となる「独生女」も準備されていたというのが、お父様のみ言です。高気圧が生ずれば、自ずと低気圧も生じてくるといった具合です。神様が二性性相の中和体ですから、アダム(男性格)が地上に現われれば、そのあばら骨を取ってエバを創造することも可能となります。アダムの時がそうでしたから、イエス様の時に、また、第三アダムに対しても神様が「独生女」を送られたとしても創造原理がそうなのですから、サタンは一言も文句を言えません。最後の(統一思想の)「神様を真の父母として奉る」という事は、夜の神様と昼の神様を一つとして解説しているのです。まだ、真のお父様が夜の神様・昼の神様を明確に分けていない時代の事です。なぜ、聖和の間近になって語られたかと言えば、神様が天のお父様であることを決定付けるためです。なおも男性格中心の「天のお父様」呼称に固執されますか。神様を「天の父母(様)」と紹介していたのは「原理原本」(1951年)のその時からというのも、「天の父母様と真の父母様 - アンドリュー・ウィルソン教授」のビデオ(PeaceTV、2016-04-18登録映像。映像はこちらから)でも語られていたものでした(以下は映像より)。このように矛盾した数々の指摘にも耳を貸さず、見ようともしないで無知蒙昧な「夜昼の神様論」であることを知るべきです。シムソン氏、黒・天聖経の『三日行事』の部分は読まれたのですか?私自身、2019年1月から1年ほどカテゴリー「サンクチュアリ教会」の隅に居所を構えてみました。『「虎穴に入らずんば虎子を得ず」で得たものは『張りぼてのトラ(孤児)』』、「スカートのすそ離したサンクの亨進氏は「孤児」」でした。救命ボートだとの騒ぎで、そこに乗り移られた方々も今では「羅針盤」もない豪華客船となって海洋を右往左往しているようにも見えます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.28
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とうごま氏記事「連載「韓鶴子女史自叙伝」8・サタンの最終目的は「天の一人娘」による「主の路程」崩壊である!」他は、お母様の自叙伝に対してどのような論評を書かれるのかと思えば、これまでのとうごま氏が掲載してきた真のお母様や家庭連合組織への批判の繰り返しでしかなく、過去に挙げていた根拠のない過去資料も多くみられます。今回は、●はじめに家庭連合が着手した「原理講論(再臨論)」改編はサタンの所業であります。「真の母メシア論(天の一人娘)」に基づく、「主の路程」再編は、家庭連合による「反キリスト教団」公式表明に他なりません。実にサタンは巧妙と言わなければなりません!この「韓鶴子女史自叙伝」出版の目的は、家庭連合一般信徒が「原理講論(再臨論)」改編を受け入れるための「先兵(地ならし)」に他ならないのです!「原理講論」改変についてということですが、自叙伝にはもちろん書かれていないことだと思います。(残念ながら、私の手元に自叙伝はまだ届いていませんので未確認の状態です。)2014年7月1日・天正宮訓読会での真のお母様のみ言も挙げていました。この時のみ言映像はPeaceTVで視聴することが出来ますので、とうごま氏引用との比較をしておきます。PeaceTVからのそれに、とうごま氏の引用該当箇所を<赤字と取り消し線>で併記しました。 http://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=4206&mId=A01&page=172014.07.01 月初めの訓読会 真のお母様のみ言父母様の真の子女として、男女の区別はありません。誰がより父母様と一つになっているかによって、中心者にもなりうるというのを示しているのです。神様は天地創造をされて、アダムとエバまで創られて「見るに善である」と言われました。お父様が真の子女に名前をつけられるには、意味があります。私は息子たちに3年の期間を与えました。世界宣教本部本部長に「文善進」を任命することについてお話しします。この娘が統一家の祝福家庭、1世の献身的な苦労を真剣に受け止めています。彼らはすべての面で、天が望まれる基準まで責任を全うできませんでした。しかし「彼らなりに厳しい時代に父母様に侍り、最善を尽くした」ということを認め、理解する娘です。「真の父母様の前に、真の家庭や1世や2世は皆子女ではありませんか。1世も子女なのです。真の子女を見れば年下で、1世は年上なので、私は兄として礼遇を致します。」という娘です。立場にこだわらず、為に生きる真の愛を実践するのだと努力する娘です。それでこの期間に私を手伝ってくれる本部長として任命致しました。異義はありませんね?もうすぐ聖和2周忌、今日から数えて42日残っているでしょうか?聖和2周忌の準備をしながら、皆様の心では何を考えていますか?皆様は真の父母を知っていますか?祝福家庭として、天が望む基準の前に立とうとすると、責任が伴い行く道が遠くなります。皆様はそれぞれ責任を引き受けたにしろ、引き受けてないにしろ、最善の努力を尽くしていますか?もう一度頭を下げ、天の前にその献身的な大いなる愛の前に、心と体が統一されたところで悔い改めなければなりません。再び心と体を浄化する必要があります。そう思いますか?だから私は今日を期してもう一度皆様を許そうと思います。今から2年前、私はすべての訴訟を下ろすよう言いました。皆様はどのようにしましたか?聖和2周忌を迎えて申し訳なくて恥ずかしいです。皆様は真の父母を知っていますか?特に真のお母様について知っていますか?アダムとエバの堕落の後、天は失った子供たちをただ待ってるわけにはいきませんでした。サタンの讒訴条件に引っかからない道を歩いて来られたのです。その路程がどれだけ大変で悲惨だったでしょうか?悪魔が王となっているサタンの世界では、天の位相がどうなりましたか?せめてもの善良な民族を選び、4千年も育ててこられた摂理歴史を、私たちは聖書を通して、原理を通してよく知ってますよね?独り子イエス・キリストを、サタンの讒訴条件から外れたところで誕生させるまで、天の苦労を知っていますか?その頃イスラエルの国が、イスラエル民族が、国を持つことができる独り子と一つになっていたなら、国を持ってローマを越え、世界へと進むことができました。真の父母になるべきでした。しかし責任を全うしなかったイスラエルの民、ユダヤ教、その当時住んでいた人々は、どうなりました?天が4千年ぶりに立てた独り子の場は残っています。「再び来る」と言われました。ところで「独り娘」はいるでしょうか、いないでしょうか?神様の創造は、アダムのみを創造しましたか?アダムとエバです。復帰摂理の歴史で「独り子」がいれば「独り娘」もいなければなりません。そのような摂理歴史がなかったでしょうか?ありました。私達は原理の中で、天が選択した中心人物が責任を果たせない時は場所を変えると学びました。イスラエルを通して独り娘を送ってはくれません。全知全能の神様は、失敗することができません。独り娘を育ててこられました。サタンがこの世の王になっているので、善なるサタン世界であるが、王族王権を通して探して来られます。それを皆様は知っておかなければなりません。ここに座った真のお母様は、6000年ぶりに誕生した独り娘だ! [アジュ!]説明することができます。証拠が揃っています。<ここに座っている真の母は、六千年ぶりに誕生した独生女だ。全て証拠がある。>私が生まれたとき、サタンが「お前が生まれる故に、私は死ぬことになる。だからお前を殺さなければないのだ」と私を殺そうとしました。天は韓民族を通して、この摂理歴史を6千年前から繰り広げられたことになります。なぜ大韓民国、「韓」という文字が登場するようになったのでしょうか?摂理歴史におけるアジアの所有者は、韓王朝です。東の民族です。私たち韓民族です。これを選別し育ててこられたということです。私の家系を通して天子を送ろうと言われたのです。皆様のうち聞いた人は知っている事でしょう。趙漢俊というお爺さんが、たった三銭が引っかかり天子の代わりに天女を送ると言われました。この話を知っていますか?これは伝説ではなく事実です。そうして韓国にキリスト教が入ってきて定着し約100年経つか経たないかの時ですその後、解放と共に平壌を中心とした霊的な運動が起こっていました。既成のキリスト教徒たちは雲に乗って来る再臨メシヤを待ちましたが、新イエス教、金聖道、許浩彬は、肉体を持って来るメシアを待ちました。そして準備しました。そこに名前があった李鎬斌牧師の主礼で、私が誕生した歴史があります。イスラエル民族を通して独り子を送るまで選別してきた摂理歴史があります。血統転換、私は母胎からです。<血統転換、私は母胎からだ。>皆様がこれを信じなければなりません。そのため私を中心とした3代は、平壌がエデン宮殿であると、そう信じていました。それは私が6歳の時です。ところが解放と共に北の情勢は、共産化がされていきました。38度線が引かれました。それでも主が来られるからと、信仰があるゆえ平壌を離れることができなかったのです。その時、お父様は啓示を受けて北側に行かれました。また私の母方の叔父が早稲田で薬学を学びました。故郷に戻ってこなければならない人が、南の韓国で軍隊に入ったという電報が来ました。祖母、洪順愛大母、私、3代が一人娘です。避難で南下してきたのでなく、母方の叔父に会いに南下してきたのでした。しかしこれがまた摂理ではないと言えないのは、許浩彬がお父様と同じく大同保安署に拘束されているとき、お父様は許浩彬が入ってきたことを知り「すべてを否定して出て行け」というメッセージを書いて渡したのですが、どうなったと聞きましたか?苦難を受けられたと聞きましたね?その許浩彬の母親は、自分の娘が刑務所に行ったので、すべての霊的な仕事を引き受けたあるお婆さんがいました。その人が私を呼んで祝祷をしました。その許浩彬の集団は、肉体を持ってくる再臨メシヤを迎えることができる実質的な準備をした団体でした。お父様がそこに行かれて、先に接触していたならばどうなっていたでしょうか?彼が私を祝福したことでしょう。ところが南下して38度線が引かれたため、北側に行くことはできませんでした。また2年後に朝鮮戦争が起きたでしょう。その時も私の人生は天の保護を受けました。それをいちいち説明することはできません。考えて見てください。日本が最後の戦争のために韓国のすべての鉄、金属、さらには法事に使う器まで、すべて供出して行きました。ところがその物品がなぜか私が生まれた庭に全部入ってくるかという事です。それをどのように説明しますか。お父様の歴史はそうです。イエスの顕現と共に、イエスの仕事を承継したその時その瞬間が、お父様は独り子の資格を持ったのです。わかりますか?それを知る必要があります。今まで2千年の歴史は、独り娘を探し求めてきた歴史です。<アボジの歴史は、イエス様の仕事を引き継いだその時、その瞬間がお父様は独生子の資格だ。分かったか。そのことを知らなければならない。これまでの2千年歴史は、独生女を探して来られた歴史だ。>この歴史的な秘密を私が明らかにしています。真の父母は、6000年という時を通し天が歯痒さを我慢しながら苦労してて見つけてきた、これ程にも苦労して見つけ出した独り娘です。皆様は私に出会ったので幸運です。<この歴史的な秘密を私が教えてあげた。真の家庭はこのような困難な中で、六千年の時間をかけて、天が心を焦がして探され苦労して探して来られた独生女を皆さんは知っていたか。知らなかっただろう。だから私でなければならないのだ。皆さんは私に出会えて幸運だ。>1960年度は、それこそ天と地が喜んだ日であり、万物が喜んだ日であり、神様が待ちに待ったその瞬間だったのに、現実はどうでしたか?天の王子王女なのに、最も低い位置から....だから神様の日が制定されるまでのお母様の苦労を皆さんは知っておくべきです。孝進、興進の二人の息子の勝利の基台の上に立てることができた日です。皆様は興進を愛さなければなりません。産む時もサタンが殺そうとしました。育ちながら作られた環境ではなく、この世はサタンの世界であり、さらに共産主義の脅威を受けるお父様を知っていたので、自分がお父様のために代わりに死の場にも行くと決心した息子です。このような子女たちがいなかったら、今日のこのような摂理歴史につながることができないものです。実際には歳も若かったけれど、20年以内に14人を生むことは容易ではありません。それも楽にじっとしていて産むわけでもなく、戦場のようなところに行きながら、それも4回も帝王切開手術をして出産したのです。この一つだけを見ても、皆様がお母様を崇め生きなければなりません。私がすべてをまとめました。今は皆様の責任が残りました。そこまで私がやってあげることはできないでしょう。皆様、氏族メシヤの責任を全うしなければならないでしょう。皆様だけが真の父母様の特恵圏の中にいてもいいですか?70億の人類はどうするのですか?真の子女に苦痛があっても、私は真の父母であるため、世界70億の人類を考えずにいることはできません。み旨は分かり知れないとしても、私を尊敬し高評する人が数日前に「お母様は非常に大変そうにしておられますが、全て忘れて楽に暮らされたら良いですね」と、このような言葉を伝えてきました。皆様は責任者ですが私の心をわかっていますか?そして皆様がもう一つ知っておくべきことは、この清平役事です。ここについてああだこうだ言わないで下さい。大母様の特別な権限です。ここは天が聖別し、選別して育ててきた独り娘の家門です。他の方々は、それはできません。大母様のみが行うことができることです。ここで肉体を借りて働いている訓母についてああだこうだ言わないで下さい。私が生きている限り、私がいる限り、皆様が心配するような恐れはありません。?<それから清平のことであれこれ言うな。大母様の特別権限だ。これは、天が聖別して育ててきた独生女の家系だ、分かったか。他の人たちは、お父様に近い人だとしても、これはできない。大母様だけができることだ。肉身を借りて働く訓母に対して、あれこれ言ってはいけない。分かったか。私が生きている限り、皆さんが心配することは何もない。分かったか>この時期は前後が一つにならなければなりません。心身統一から家庭・教会・氏族・民族、一つになる方向へ努力しなければなりません。教会は伝えないといけません。伝道しなければなりません。 すべての機関も同様です。何度言いましたか?分からないからそうなのです。「無知には完成がない」というお父様のみ言もあったように伝えなければなりません。この民族が責任を負わなければならないのです。責任を果たせる事ができるよう伝えなければなりません。今全世界的に起こっているすべての問題があります。真の父母様を知ると、方向をすべて変えることができます。私は数日前、アルプスの12の霊山を登って来ました。なぜそうしたか分かりますか?もう一度皆様を許し抱こうと思ったからです。お父様が言われましたよね?「一つの世界になると、裁判官、弁護士が必要ない世の中になる。」と。私たちがそのように作っていかなければなりません。何が優先であるかを皆様は今知っておくべきです。もう一つ私が発表するのは、来年聖和3周忌に平和賞を与えることになります。韓国協会は基元節の行事に全力投球し、世界の前に見本となって食口の倍加運動、伝道、すべての面で各機関と一体になり民族復帰、国家復帰のために全力投球すること!わかりましたか?来年の3周忌は世界宣教本部の主管で行います。わかりましたか?世界の大陸会長と総使、UPFすべての機関を動員して世界的に次元高く進めていきます。今、世界中の協会は、内的な実りを見込まなければなりません。中途半端ではいけません。色がはっきりしなければなりません。そのような点で、この40日の期間で足らなかった事は悔い改め反省し、残りの人生、何年残っているかわかりませんが、皆様が最善を尽くして、天が望む期待の栄光を報いたいという心と体で、私たちの教会にサタンが入ってくる隙間を与えてはなりません。一つにならなければなりません。様々な事を言ってはいけないのです。声を一つにしようということです。わかりましたか?ですからこの国と世界の前に見せなければなりません。生きておられる天の父母様、真の父母様の位相を立ててあげなければなりません。違いますか?私がいるときにしなければいけませんね。そうしないと皆様がこの時代を生きた人として、祝福家庭として子孫の前に恥じることはないのです。そのような体と心構えで、この40日を祈祷の精誠をつくす気持ちで、聖和2周期を迎え、新しい3周忌に向けて出発することとし、天の前に約束してください。わかりましたか?真のお母様が話された家系については、印刷物『真の御父母様の生涯路程 10』にもなったもの(お父様のみ言を含めて)があり、それからも確認が取れるものです。とうごま氏(サンクチュアリ教会)はそれを批判し否定することは出来ないはずです。【参考記事】真のお母様(韓鶴子総裁)の証し(2011.03.04)--天に保護され、導かれた道1977年5月3日お母様の証以下がその『韓鶴子女史 み言選集 愛の世界』の一文である。……17周年聖婚聖婚式でのお父様み言から一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.28
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HJグローバルニュース (2020年 3月 28日)FFWPU PeaceTVチャンネル登録者数 9860人1.特集- 共生・共栄・共義の平和世界のために- 世界平和言論人連合 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.28
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光言社のwebサービスが障害が発生したため利用できなくなっているようです。復旧には1・2か月かかるとのことです。現在、光言社からの情報の代替処置として光言社LINE@とFacebookで一部対応しているとのことです。光言社LINE@登録は以下からを試してみてください。家庭連合会員でない方の登録もお勧めします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 光言社ホームページからのお知らせhttps://www.kogensha.jp/
2020.03.28
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U-ONE NEWS 2020年3月27日号世界平和統一家庭連合公式チャンネル「各地でのネット礼拝の取り組み」の特集をはじめ、「小山田秀生・天議苑日本苑長の韓鶴子総裁自叙伝についてのメッセージ」(3月23日東京・松濤本部)などが収録されています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ -
2020.03.28
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シムソン氏記事(2020/03/25)コメント欄からです。盲人と像の話をいつまで続けられますか?数十ページの中から数ページを私が掲載したものを云々しているに過ぎません。ほかのファミリーみ言からも神様の性形・陽陰の二性性相についての検証と確認のみ言もUPしています。>tomy4509さんtomy4509さんが提示してくれたみ言から、理解を進めて解説しているわけではありません。これまでの記事でも書いているように、創造開始から天一国創建までの、神様と真のお父様による一貫した摂理的内容と真相はすでに与えられています。ただ、言葉として表現するのが不可能と言えるほど難しいのです。しかし、真のお父様は鍵となるみ言を、全て地上で語られています。私を批判する方々が、私が間違っていると提示してくるみ言の中に、逆に肯定し証明してくれる鍵が秘められています。これも、神様の御業だと思っています。>シムソンさん上記シムソン氏の>tomy4509さんが提示してくれたみ言から、理解を進めて解説しているわけではありません。>しかし、真のお父様は鍵となるみ言を、全て地上で語られています。私を批判する方々が、私が間違っていると提示してくるみ言の中に、逆に肯定し証明してくれる鍵が秘められています。これも、神様の御業だと思っています。ですが、結論を言えば「お父様のみ言」から理論を展開しているのではないと言われているようです。私からの原理講論やお父様のみ言ですが、「盲人と象」の譬えそのままによくも調べようともせずに・盲人が盲人の手引きをすると?(マタイ伝から)https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202003190000/-----原理講論や黒・天聖経などに書かれた「天の父母様」「独生女」を見ることが出来ない盲人がいます。その盲人がまた盲人の手引きをするならば、どうなると書かれていますか。「ふたりとも穴に落ちこむであろうと」。-----(引用終わり)です。「夜の神様」ではなく、『シムソン氏、「神様が昼にいらっしゃるとすれば……」』のお父様のみ言からはどうなのですか?https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202003260000/夜は夜なのですがあなたの「夜昼の神様論」とはまったく別物です。聖人もいれば聖子、サタンまでいては、糞尿の悪臭まであります。この一文も、また、「盲人と象」なのでしょうか?同じみ言からは、お父様とお母様の関係についても付記してあります。お母様がお父様のご健康を心配されて時間を気にしてのことなのでしょうが、以下も付記しておきました。「不平を言いながらも、ついて行くようになっているのです。赤ん坊は、泣きながらでもついて行けば、息子になるのです。たたかれたとしてもです。母親のスカートのすそをつかんで、えんえん拉きながらついて行けば息子になりますが、スカートのすそをつかまずに、つばを吐いて背を向ければ、離れていくのです。そのようなことを、皆さんは知りません。」泣きながらでもスカートのすそをつかんでいけば、息子になり、夫になり、父にもなるということです。これが四大心情圏の完成者の道でしょう。その一方で、お母様のそれを離してしまった子女様方ですが、天の父母様(神様)から出発してお父様、お母様の子宮から出てきた息子・娘(血統)ということをどのように証明しますか。これまでのキリスト教がそうでしょう。イエス様お一人が「独り子」であって、いくら篤実な信徒が「天のお父様」と呼んでも神様の実子にはなれませんでした。ただ十字架後に天から降りて来た「聖霊(霊的母親)」の懐に入ることによって霊的に重生されてきただけでした。お母様の「スカートのすそをつかまずに、つばを吐いて背を向ければ、離れていくのです。そのようなことを、皆さんは知りません。」。このように、サンクチュアリ教会の亨進氏は「孤児」であり、母親が誰であるかも分からなければ、まして、その父親すらも理解していません。それに追従されるサンクの皆様はどこへ向かっているのかも理解していない「盲人」と同じでしょう。最後は穴に落ちるだけです。シムソン氏の「夜昼の神様論」を難しくしている原因としては、原理講論に規定された「聖霊」までも自分勝手に歪曲しているところにもあることを一言申し添えておきます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.27
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今日は『ファミリー』2001.6月号、『「米国五十州巡回講演」祝勝会におけるみ言』(2001年4月18日、米国・ニューヨーク イーストガーデン)からです。 五十州では、それぞれ別の話をしました。毎回、できる限り、その前日に話したことを繰り返さないようにしました。対する角度が東西南北、三百六十度の方向から中心に向かってくるので、中心となっているわたしは、一つの話だけをすることはできません。 先生は、そのような位置に立って、道を築いてあげなければならないので、行く道において、それぞれ語る内容が異なるのです。内容は一つでも、異なるというのです。調べてみてください。重複してはいません。 お母様は、「ああ、アトランタのときの話は簡単だったのに。」と言うのです。それは、十八分で終わりました。お母様は、「そのようにすべて三十分以内で話せば、いくら遅れても一時間二十分、一時間半あれば、すべて終わるのに、なぜ二時間半、三時間半もかけるのですか?」と言うのです。 それは、方向が違うのです。そこには山もあり、川もあるのです。そして、高い山を越えようとすれば、ひもを縛りつけてよじ登るか、そうでなければ穴を開けなければなりません。そのようなことを知らないのです。不平を言うなら言い……。 そのように、いつでも先生に忠告するのです。そのようなお母様を連れて行きたいでしょうか、連れて行きたくないでしょうか? どちらだと思いますか? それは、自分の十字架です。 不平を言いながらも、ついて行くようになっているのです。赤ん坊は、泣きながらでもついて行けば、息子になるのです。たたかれたとしてもです。母親のスカートのすそをつかんで、えんえん拉きながらついて行けば息子になりますが、スカートのすそをつかまずに、つばを吐いて背を向ければ、離れていくのです。そのようなことを、皆さんは知りません。… 略 … それは何かというと、水が水平になるのです。潮の干満によって、一日に二度ずつ水が入ってきます。十二時間入ってきて、十二時間出ていくのです。これは公式的です。一つは夜を象徴し、一つは昼を象徴するとして、神様が昼にいらっしゃるとすれば、わたしが夜を処理しなければなりません。 蕩減条件さえ立てれば、よいのです。神様が降りてきて、してくださるのならば、心配することがあるでしょうか? 代表的なことをしてこそ、すべて解決することができるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? ですから、夜の世界に聖人がいて……。そうではないですか? 堕落した世界に聖人がいて、"聖子"がいます。そして、潮の干満によって、夜の間に水が出ていくのです。真っ暗ですが、だれにも分からないように出ていくのです。 それでは、だれが出ていくのでしょうか? そのとき、先に、聖人たちが出ていかなげればなりません。そうではないですか? 入ってきて、大海の近くにいるので、この水が流れていくときには、中心から流れていかなければならないのではないでしようか? そうして、すべて出ていくので、最後は、この殺人鬼たちが流れて出ていくのです。濁り水や、糞尿が混ざり、あらゆるものが混ざったものが、そうして出ていくのです。 それでは、そのように水が出ていくときには、聖人が先に出ていくのですが、入ってくるときには、だれが先に入ってくるのでしようか? 殺人鬼たちが、先に入ってくるのです。夜の暗い所に入ってきて、そこに落ち着くのですが、満水になると、入ってきた水回るのです。回って、先に出ていった水が、上を覆います。 それは、なぜでしようか? それは、澄んだ水だからです。澄んだ水は、軽いと思わなければなりません。汚い水は、下に行かなければならず、澄んだ水は上に行くので、すべてを覆ってしまうのです。そのようにして回るのです。 そのとき、神様も嘆息され、息が詰まるようになっています。ザタンも、水の中に倒れるようになっています。聖人たちもそうであり、サタンもそうであり、すべてが死ぬようになっているのです。 そのようになれば、神様も自分の思いどおりになることはできません。「退きなさい。」と言うことはできません。分かりますか? サタンもそうであり、聖人も分からないので、どうすることもできず、サタン世界も、どうすればよいのか分かりません。 それでは、主人はだれでしょうか? 神様も、真の父母を捜し求めるのです。真の父母が、これを解決しなければなりません。解放してあげる者は、真の父母しかいません。サタンもできず、神様もできません。神様ができるのならば、すでに、すべてなさっていたことでしょう。絶対権限を持つことができるかたは、だれかというと、真の父母なのです。 それで先生は、"原理を通して、天地のすべてのものを統治することができる絶対権を中心として、このような最後の障壁をけ散らしていくことができる決意をしているのか?"と、自間自答したのです。何のことか分かりますか? (「はい。」)死ぬか生きるかの境地が問題ではありません。深刻なことです。ですから、この闘いを……。 闘いというよりも、救ってあげることのできる、この環境を開拓したのが真のご父母様である、ということを、皆さんは知っていると思います。 先生が、神様に「神様。今まであなたは、このために失わないようにと……。」と申し上げれば、神様は、「ああ、そうだ。」と答えられるのです。そしてサタンに対して、「今までおまえは、サタンとして、神様にお返しすることもせずに、このようにしただろう?」と言って、「宗教圏は、中間で行ったり来たりして、橋を架けて水平を成すことができずに、谷間になっているので、山になっている所を崩して、水平になるようにしただろう?」と言うのです。 ところが、この水平が、まだ成されていません。ですから、その水平をつくらなければならないのです。 ※ それでは、その水平をつくって、何をしようというのでしょうか? 神側もサタン側も、だれが、その水平をつくるのか、自分たちでは知りません。サタンは、サタン側だけを知っているのであって、天のことを知っているでしょうか? また、天の側を知っている者が、サタン側のことを知っているでしょうか? 知らないのではないですか? それでは、だれが、これを埋めてくれるのでしょうか? 先生が、埋めてあげるのです。高い位置にいる者は引き降ろし、低い位置にいる者は引き上げるのです。 それは、堕落した人類の先祖が、偽りの父母になり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統に汚してしまったので、真の父母が現れて、真の愛、真の生命、真の血統を中心として調整しているのです。 それは、神様も願われることです。神様をも助けてあげるのです。そして、神様に尋ねるのです。「あの死にそうなサタンは、どのようにしなければならないでしょうか? 戻ってくるようにしなければなりませんか、助けてあげなければなりませんか?」とお尋ねすれば、神様は、わたしに対して何と言われるでしょうか? 神様ご自身には、権限がありません。「わたしの思いどおりにするのだ。サタンを助けてはいけない。」とおっしゃることはできません。ご自分が同情されたのならば、神様も、今度は同情してあげなければならないでしょう? ですから、神様は、「それは、自分が助けてあげることはできないが、助けてあげなければならないだろう。」と、それくらいの言葉は言わなければなりません。そうではないでしょうか? そのようにしてこそ、霊界と肉界が和合するのです。 このようにして、神様とサタン双方を助けてあげて、その次に何をしようというのでしょうか? サタンを解放したなら、その次には宗教圏を一つにしなければなりません。宗教圏は、すべて死に瀕するようになり、「助けてください。」と言っているのです。 ……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.26
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第61回真の父母の日(天暦03.01)おめでとうございます2020.03.08付「「天のお父様」に『おっぱい?』ですか!!」では、『ファミリー』2004.6月号から『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』を掲載しました。同じ『ファミリー』2004.6月号P.40~にはまた、「神の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で」(2004.05.01、韓国・鮮文大学校)も掲載されていました。今日はそこからごく一部の引用文を紹介します。 人類が堕落していない善の本性の父母を通して生まれていれば、「神様がいるか、いないか。」という論議は必要ありませんでした。生まれながらにして、自動的に分かるようになっているのです。 赤ん坊が腹の中で、お乳を飲む方法を学んでから出てくるのではないのと同じように、人間先祖の堕落がなかったならば、人間はだれでも自動的に神様を父として待って暮らすようになっていたのです。 人間先祖としてつくられたアダムとエバを、神様ご自身の実体として立てるために、神様の男性性稟はアダムの心の中に、そして女性性稟はエバの心の中に定着して、永生するようになっていたのです。 だからといって神様が二つに分かれるのではなく、アダムとエバの心の中に臨在しながら、二性性相の中和的存在として、愛を中心とする統一的存在として永存されるのです。UCI(FPA)、サンクチュアリ教会がこぞって家庭連合の神様呼称「天のお父様」から「天の父母様」への変更に反対していますが、原理講論はもとより文鮮明総裁のみ言からも神様自身が性形(心と体)の二性性相の中和体であり、また、性形それぞれの属性で陽陰(男性と女性)の二性性相の中和体として無形におられることを語っておられました。であれば、反対される方々は何を根拠としてされているのでしょうか?「三大王圏」は認めています。第一代の神様が「祖父母」、二代が夫婦(王、女王)、三代が子女(王子、王女)です。祖父母は子女から見てのものであり、これからも「天の父母様」を否定することは出来ないのでしょう。一方、サンクチュアリは亨進氏を「二代王」と呼んでいます。となれば、その初代はどなたでしょう。シムソン氏の説く『夜の神様(男性格)』ということであれば、それに匹敵する存在が天使長ルーシェルがあります。果たして?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.24
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2020.03.21付の「韓国・「韓鶴子総裁自叙伝『平和の母』」ベストセラー情報(2020.03.11~2020.03.17)」ではお母様の自叙伝が17位は「教保文庫」調べのベストセラー情報でしたが、03.24付の韓国ブログ「ピース展望台」からは、「永豊文庫」のベストセラー情報で、韓鶴子総裁自叙伝「平和の母」が総合1位に初めて上がったということです。http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=peacepeace2018&logNo=221870209027永豊文庫のベストセラー情報は以下URLから確認できます。https://www.ypbooks.co.kr/book_arrange.yp?targetpage=book_week_best&pagetype=5&depth=1一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.24
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『ファミリー』2005.6月号、P.46~また、同じ『ファミリー』のP.23からは神様は人間の「父母」になりたかったのだとのお父様のみ言です。このように見た時、真のお母様が2013年1月に神様の呼称を「天の父母様」に変更されたことは、神様が喜ばれたことでしょうか? それとも?お父様のみ言がそのようになっています。それを否定することは出来ないでしょう。万が一にそれを否定される方があるとすれば、お父様と何の関係があるというのでしょうか。それを知るべきです。黒・天聖経「地上生活と霊界」からもまた一 神様が人間を創造した目的 神様は、人間を何故造ったのでしょうか。第一は、神様自身が父母の立場に立つ為です。その父母は、霊界でも無形です。形がありません。それで、形をもった人間の父母に成る為には、形をもたなければなりません。そうでなければ、中心になり得ないのです。 二番目は何かと言うと、垂直線は一点にとどまります。面積がありません。すなわち、霊界では繁殖をする事が出来ないのです。垂直の次元で、それを横的に展開して三六〇度の球体になってこそ、多くの空間が生じる様になります。 三番目は、愛の相対圏の永遠性を維持する為です。神様の相対に成るのは、アダムとエバだけではないという事です。アダム・エバが相対の位置に立つのと同時に、その子女たちも相対の位置に立つ様に成るのです。ですから、神様の相対の位置を永続的に保存する為、人間を創造したのです。 アダムもエバも神様をお父さんと呼びます。では、その子女達は神様を、おじさんと呼びますか、お爺さんと呼びますか。お父さんと呼びます。 相対というのは、平等なものです。神様の愛を横的に繁殖し、その愛の価値を完成しなければなりません。完成した愛の価値は、一つです。平等なのです。 そこには、三つの理由があります。一番目は、形が必要なのです。形態が必要です。父母としての形が必要です。アダムの父の様な顔で、霊的にその形態を得るという事です。 二番目は、天国の国民の生産地が必要です。ですから、夫婦は生産工場です。生産工場なら、大量生産するのがいいでしょうか、少量生産するのがいいでしょうか。大量生産するのがいいのです。 生産工場が自動化され明確に大量生産する様になれば、天国は一杯に成るのです。ですから、女性は多くの赤ん坊を産む様になっています。(二二二―三三八)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.23
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シムソン氏・サンク皆様へ 懐かしのお勧め映像です。PeaceTV・2012年3月21日天正宮訓読会(国進氏のお子さん)信便様1歳御聖誕日映像です。http://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=1037&mId=A01&page=24一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 文亨進(문형진)様:神様・真のお父様・真のお母様は実体的三位一体を成した
2020.03.22
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孝情奉献 文妍娥様 書信天の父母様 天地人真御父母様本日どれほどまでに待ち焦がれたこの2020年の栄光の日を出発するこの時間私たちは天上の真のお父様の守りとお母様の涙と精誠により この地に立つことができました天地人真の御父母様 感謝致します2012年夏の暮れ 天暦7月 その日の空は天聖宮を包み込む夕日がひときわ輝いていましたまるで天が胸を痛まれるお母様の心を慰労するようでそして夕日を見つめる真のお母様の後ろ姿があまりにも孤独で寂しそうで見つめていると心にぽっかりと穴があくような気持でしたあの時を思うならば…お一人病院の待合室で辛い思いを抑えながら落胆されるお母様が思い出されます「どうしよう お父様が聖和されるかもしれない」どうしようもなく辛く 落ち着くこともできず心が揺れ動くお母様の心情がその姿を通して伝わってきましたこの世の全てのものを抱いていかなければならないお母様のあまりにも大きい責任を前にかけて差し上げる言葉は何一つ出来ませんでしたその状況下で慰労もできず沈黙してしまいました最後の瞬間まで苦労の道を行かれた真のお父様の前に真のお母様は約束されましたそのみ言は簡潔な内容ですが世の中のどの言葉よりも重たい一言でした「私の生涯が終わるまでに天一国をこの地上に安着させます」真のお父様に誓われた天一国安着の約束その当時 誰一人として約束の重みと意味を深く知ることはできませんでしたそれでも真のお母様は目的地を見つめながら目をそむけ ふらふらする全世界の子女達を引き連れながら前に 前に 前進されました無知で不平を前面に出す私たちを生かすために真のお母様は 忍耐し胸痛い心情を打ち明けることもできず前だけに前進しなければなりませんでしたそのような状況の中 天の父母様の前に 全世界の前に天一国基元節を宣布されました真のお母様は天一國眞聖徳皇帝であることを宣布されましたそのような栄光の日に 涙で切願された真のお母様の祈祷が天を泣かせました天地人真の父母様の苦労により成された 栄光の日天の大きな祝福と恩赦の日に立つことができない不足な子女達を最後まで守ってくださることを天の父母様のみ旨を世界に広げてくださることを懇切に切実に祈り願われましたそれほどに私たちを愛してくださる独り娘 真のお母様が願われることは絶対信仰・絶対愛・絶対服従で真の御父母と一つになる立場において全世界の隅々まで祝福に導くという責任を成し遂げることでした……(続きは映像で)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.21
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HJグローバルニュース (2020年 3月 21日)FFWPU PeaceTVチャンネル登録者数 9730人1.特集- 共生・共栄・共義の平和世界のために- 世界平和学術人連合2.主要ニュース- 神アメリカ:アメリカ聖職者連合ワークショップ- 神アメリカ:ファミコン会議- 大韓民国キリスト教聖職者協議会(KCLC)■日本語http://www.ipeacetv.com/vod_view/11513一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.21
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韓国・エッセイ部門(2020.03.11~2020.03.17)での「韓鶴子総裁自叙伝 平和の母」のベストセラー情報です。http://www.kyobobook.co.kr/bestSellerNew/bestseller.laf#一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.21
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「真の父母様宣布文サイト」から03.20付で「真のお母様および家庭連合を貶めようとする中村仁史氏の悪意」がUPされています。2020.1月の中村仁史氏ビデオに対するものであり、中村氏の曖昧な憶測からの発言ではなく、事実確認を踏まえた内容となっていました。一読をお勧めします。2020.3.20 真のお母様および家庭連合を貶めようとする中村仁史氏の悪意を掲載しました。 サンクチュアリ教会の中村仁史氏(元・光言社の翻訳担当)は、2020年1月29日公開のサンクチュアリ教会の礼拝「天運と聖霊の宿る『8大教材教本』~『統一原理』から見た独生女論の問題点~」で、2014年に御言研究室(当時)が金榮輝先生に宛てた「お伺い書」を引き合いに出し、真のお母様批判をし、家庭連合本部に対する不信感をあおろうとしています。 今回は、「お伺い書」を悪用する中村仁史氏の欺瞞を指摘し、天一国三大経典に関する彼の〝虚偽〟の主張を暴くと共に、亨進様の〝変節〟した言動について取り上げます。…… ところで、中村仁史氏は「お伺い書」のいくつかの内容、すなわち①「真のお父様のみ言との整合性」、②「聖書との整合性」、③「真のお父様の生涯路程との整合性」を取り上げ、いかにも真のお母様が間違っていると「御言研究室」(当時)が語っているかの如く述べ、真のお母様や家庭連合本部をおとしめようとしますが、これは上述した当時の状況を踏まえずに、また、家庭連合本部の分派問題に対する〝取り組み〟の意図を無視した、とんでもない発言です。 すでに述べたように、キリスト教の初代教会においては、反対派や分派との論戦を交わす中で〝正統〟と呼ばれる教理が形成されていきました。それと同様、家庭連合においても、天一国の永遠の中心であられる真の父母様の位相をお守りし、み言の整合性をまとめあげ、永遠不変の公式見解を出していく必要性があるのです。「お伺い書」の内容はそのための準備資料です。それは、人々に公開するために書かれたものではありません。…… 以下、囲み記事の内容は、かつて亨進様自身が2009年1月18日の日曜礼拝で語った内容です。 以上のように、かつて亨進様は、 「私が第一に言いたいことは、新しい王はあり得ないということです。真の父母様が我々の永遠なる王なのです……次の父母様はいないのです。次の王も、中心者もいません。真の父母様は私たちの永遠なる中心なのです。私は神学を学んだので、そこが重要なポイントだと信じています」などと語っていました。2020.3.18 「独り娘」のみ言は真理である は、2018年12月6日に公開済みですが、要望が多いので再度お知らせします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.20
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シムソン氏へお父様が語られていた「夜昼の神様」は何も真新しいものではなく、コメント欄に記載した「上弦・下弦」の変形です。ほかにも「圓球」という話もされていました。夜昼の神様、「心と体」「無形実体世界と有形実体世界」でしょう。過去にお父様は夜昼の神様ではなく、上弦・下弦という話もされていました。無形世界の男性と女性と有形世界の男性と女性の結婚式です。神様がアダムとエバの体に入るということです。文鮮明・韓鶴子総裁の体に入られての「子羊の婚宴」でした八大教材教本からお父様が語られた「上弦・下弦」のみ言を探してみました。重複のみ言は極力省いています。八大教材教本「真の神様」から: 子供を生む立場は、結婚から上弦世界を占領するのです。神様の位置に上がることによって子女を愛することは、神様が創造以後に人間をいかばかり愛したかという内縁を体恤させることです。八大教材教本「真の父母」から:三、真の父母の必要性一)普遍的父母も必要 本来神様は、アダム・エバを創っておいて、自分の中に父母として子供に対する実を自分が持つと同時に、子供が父母に対する実を持つようになることで、二人とも完成させうることを願ったのです。このようになれば、神様は二人とも収めて持つことができるという言葉も成立するのです。 では、なぜ父母が必要であり、なぜ子供が必要かということです。神様は霊的でしょう? 分かりますか? 神様は霊的です。息子は地的です。分かりますか? 神様は霊的であり、息子は地的です。父子関係がそうなのです。 そのような見えない神様が、見える息子を通じて実を結ぶことによって、見えない神様が、息子の心の中に見える神様の価値として現れるのです。それはどういう意味か分かりますか?(はい)。見えない神様が、息子の心の中にも開かれて、息子の実も結ばれ、また、父の実までも息子の中に移してやることができるというのが可能だということです。ですから、神様に対しては、神様の実も結ばれ、父母の実も結ばれるのです。同等な価値を持つということです。 では、父母をなぜ必要とし、子供をなぜ必要としますか? 神様でも愛を持ったら、相対が必要なのです。我々は子供でも愛を持ったら相対が必要なのに、この相対的関係が何かというと、天と地の関係です。垂直条件です。 この半分を切ると、半分は霊的世界であり、半分は肉的世界です。見えない神様の息子娘として生まれて、役事してみなさい。相対的極です。極から生まれて、これが大きくなるのです。もっと大きくなりながら、見えない神様も見出さなければならないと言って、初めて新郎新婦になり、夫婦が愛で一つになることによって、霊的上弦と肉的下弦が統一をもたらすのです。 父母を必要とするのは、天国を占領するためであり、父母が子供の愛を願うのは、地を占めるためだという結論が出てきました。父母の心は天の心です。この天の心をいつ知るかというと、子供のときには分かりません。父母になってこそ分かるのです。分かりますか? 二つの世界を占領して、一つにするためのこのようなことをするのが愛だというのです。このようになるとき、父子関係は栄えある父子関係だということです。同じなのです。誰も後ろに回すことができず、誰も前に回すことができません。一つです、一つ。そうでしょう? そうするとき、栄えある父子関係だということです。分かるかいな、分からんかいな?(分かります!) それで人々は、父母がいない人をかわいそうだと言うのです。なぜ? 霊界と肉界を占領する道がないからです。また、子供がいなければ、かわいそうだと言うでしょう? 神様の創造理想が、子供と父母が合わさって天宙を愛で結ぶよう、創造的原則モデルがそのようになっているのに、一等モデルに不合格になりうる立場にいるから、等外品になることによって、これはごみ箱に入るのです。地獄へ行くのです。それで、子供がなく、父母がない人は悲しい人です。(二二二・三一〇)八大教材教本「人間の生と霊魂の世界」から: 5.夫婦愛が愛の理想の中心の花 神様は縦的二性性相をもった方であり、人間は横的二性性相をもった実体として、二つが一つと成って、完全な丸いりんごの形をなして、四つの性相形態をもった東西南北に愛の理想を引っ張ってくっつける事が出来る母体にしようというのが、夫婦の理想です。 * 結婚をしたとするなら既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結される時は、垂直的概念が生じるのです。平面的な歴史は宇宙を収拾したり、天宙を収拾出来ないのです。垂直と水平が出合って九〇度を成す時、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろに、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦どの面を付けてもぴったり合うのです。地上完成基準は、霊界の全ての完成につながるのです。八大教材教本「祝福家庭」から: 天国生活はどこから始まるのでしょうか。正に家庭です。他の所から始まるのではありません。天国は家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭園を離れたものではありません。ですから皆さんが自分の妻や夫を抱くとき、これは世界のすべての男性と女性が一つになるのだという考えをしなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることができる場が、正にこの家庭です。 父子の関係の真の愛は縦的であり、夫婦の真の愛の関係は横的であり、兄弟の真の愛は前後の立場として、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦に上弦下弦、横には左弦右弦、前後には前弦後弦を全体的に連結した一つの中心点で統一は成されるのです。その点が球形体の中心点になるのです。いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかといえば、神様を中心として人間が結婚して初愛を結ぶ場が、すべての完成の結実点であり中心になるのです。したがって結婚は、天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するものです。結婚は真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。 一家庭を中心として、一番良いものとは、皆さん自身で決定されるものではありません。それでは家庭での最上の価値は、何になるでしょうか。父母です。皆さん一個人においても、権力や知識、または名誉やお金も貴重なものになるでしょうが、そのすべてのものに勝って良いものは父母以外にないというのです。その次は皆さんの妻や夫になるでしょうし、さらには皆さんの子女になるでしょう。 事実、皆さんの家庭で皆さんの父母や妻、そして子女たちよりも大切で価値あるものがありますか。ないというのです。では何ゆえ、父母が良いものになるのでしょうか。そしてまた夫と妻、子女が何ゆえ、良いものになるのでしょうか。愛があるからです。父母の愛、これは夫と妻にとって、絶対的に必要なものになります。そして兄弟間の友愛とか、子女が父母に対して抱く孝行の心も、一家庭で絶対的に必要なものです。 神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されればすべてが同じ体になります。父母は神様の代わりに生きている神様であり、夫と妻はお互いに片方の神様であり、息子、娘はまた一つの小さな神様です。このように三代が真の愛を中心として成された家庭組織が、天国の基盤です。そのような基盤を成さずしては天国が成されません。家庭とは、宇宙の中心です。家庭完成は、宇宙完成の基礎となるために、家庭で愛するとともに宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。こういう場合、神様は宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の場にいらっしゃいます。八大教材教本「宇宙の根本」から: 神様が願われることも、真の愛による神人一体です。神人一体、神様と人との一体圏です。神様が喜ばれる理想の基準と人間が願う基準がずれれば、大変なことになるのです。真正面で一体にならなければなりません。水平に一体になり、垂直に一体にならなければなりません。これを前後左右九〇度に合わせれば、上弦と下弦と右弦と左弦、十二箇所をすべて九〇度の角度で、どこに合わせてもぴったり合うのです。 赤ん坊を生む位置は、神様の上弦世界を占領するのです。神様の位置に上がっていくことによって、子女を愛することで、神様が創造以降に人間をどれほど愛されたのか、その内縁を体恤させるのです。 平和の立て札、碑石を立てるのが、女性の節操と男性の志操です。そのようになれば、男性でも女性でも絶対に信じます。これが水平にならなければなりません。永遠に水平になるのです。そうなれば幸福でしょう? なぜですか。自分たちの宝物の中の宝物が何かといえば、半分のかけらだった女性が夫を占領することです。夫も占領しましたが、天地が半分のかけらだったものが一つになるのです。上弦の神様側に下弦の息子、娘が生まれるのです。上下関係が生じるのです。 その次には夫婦関係です。これを中心として四方に広がっていきます。そのようにして、前後を中心として初めて家庭が定着するのです。前後関係は兄弟です。兄弟をもたないといけません。上下関係、左右関係、前後関係です。その器官を完全に定着させなければなりません。 それゆえに、唯一私にあるものは何ですか。男性には妻一人しかいません。財産でも何でも、全部捨てるとしても、これは取り替えることができないのです。ただ一つの宝物は妻だというのです。八大教材教本「天一国主人の生活」から:4.天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の祝祷 愛するお父様! きょうは、天一国三年二月六日、この日は、真の御父母様の、八十三回と六十回を迎える聖誕の日であると同時に、「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を挙行する、歴史的な転換の日でもございます。「天一国」という名は、神様が、堕落していない本然の創造理想を中心として完成したアダムとエバを中心として、祝福する事によって、霊的父母と実体父母が一体となり、新しい真の愛を中心として真の生命と真の血統を連結させ、家庭定着を願った希望の一日でありました。人類始祖が実体圏を中心として、アダムは男性的代表格、エバは女性的代表格として、高い無形の神様の位置から、上弦に代わる相対の位置である下弦の低い子女の立場に立ち、東西南北に広がっていく事ができる四方を備え、男性と女性が東側と西側から、無形の天地父母様と中央で一つになって完成基準となり、子女時代を成熟させ、その次には、約婚時代と結婚時代を備える事によって、地上の一つの下弦的完成基準と上弦的完成基準が、東と西、男性と女性の完成基準が、合徳する事ができる、中心位置における祝福結婚によって、無形の天宙父母と有形の天地父母が愛の理想を中心として、創造理想の最高の頂上の位置で合徳する事によって、神様的中心の愛を中心として、上弦を中心としてはアダムとエバと神様、下弦を中心としてはアダムとエバと子女、右弦を中心としては神様とアダムと息子、左弦を中心としては神様の女性性相とエバと娘を中心として、四位基台をなすのでございます。その四方、前後、左右、上下が、一体理想の定着をする事ができる、四位基台の中心である神様の真の愛を中心として、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦が一体理想を備え、神様が一代ならばアダムとエバは二代であり、三代となるアダムとエバの息子、娘を中心とした、相対的一体理想である四位基台の安着が、祖父、祖母、父、母、夫婦を中心とする、六数一体とともに、子女を中心として八数圏を、種として決着し、全天地において完成的愛の理想家庭の出発をなそうとした全ての事が、堕落によって、このようになってしまいました。そのようにして、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦が一体的理想をなす事ができず、父子である神様と子女が、男性と女性が、兄と弟が、闘う怨讐関係の立場となり、神様を頂点として、真の愛で連結した真の生命と真の血統を中心として、安着の家庭理想を願われたのが神様の希望でありましたが、神様が臨在なさる事ができる中間の位置に、逆に、天使長が入り込んできて、アダムとエバと一体になる事によって、天地父母の位置を悪なる父母が占領するようになり、その結果、心と体が怨讐となり、男性と女性が怨讐となり、天とこの地が怨讐となり、兄と弟が怨讐となり、その闘争の結果、神様は、孤独な立場、囹圄に閉じ込められた立場となり、サタン全権時代になるという、悲しく、恨めしい歴史が展開したという事実を、統一教会の教会員はみな知っております。お父様!その怨恨にとらわれた天の父母、理想的位置で、一心、一体、合徳し、勝利の覇権的家庭の出発をなし、万世に愛を中心として、太平聖代圏に、たった一つの国、たった一つの血族、たった一つの民族、たった一つの文化世界を、永遠に創建するという事が、全ての面で反対となる闘争の歴史によって、この地、今日の人間の歴史、先祖たちの歴史が、血に染まってきたという、無念で悔しい事実を、統一教会の教会員たちはよく知っております。そのような環境を見つめながら耐えてこられた天の父母の前に、誤った罪状を悔い改める事ができない子女の立場を、神様が哀れみで包まれ、赦され、代わりに蕩減してくださる事によって、天が先に、個人的な蕩減の峠を越えるうえでも苦労され、家庭的峠、氏族的峠、民族的峠、国家的峠、世界的峠、天宙的峠を越えるうえで、この地上の人間たちが無知であるがゆえに、行く所が分からず、代わりに犠牲となりながら、これを開拓するための代表的な機関として宗教を立ててこられました。その宗教の中に選民イスラエルを立て、ユダヤ教とイスラエルの国を中心として、内的・外的、カイン・アベルを基準とする統一圏を中心として、そのうえに来られるメシヤを中心とした、父母の位置を策定し、家庭的勝利の覇権のうえに勝利的基盤を築き、国家的勝利の覇権を願い、国家的勝利の覇権のうえに勝利的基盤を築き、それによって世界と天宙史的な勝利圏を願った希望の一念を、全て失ってしまわれたという、天の悲痛な事実を知っております。不忠で不孝な私たち子女の罪によって、そのような立場に天宙父母を立たせるようにしてしまい、宗教を中心として、超宗教、超政治、超国家、超NGO、超世界、一つの国を成し遂げようとされたみ旨、メシヤを送るとイスラエル民族に約束され、そのメシヤが男性完成者として来て、失ってしまったエバを取り戻す為に、国家的基準においてアダム家庭が失敗して失ってしまったエバの基準を立てる事によって、家庭基盤を築き、そのうえに民族を超え、国家的基盤のうえに勝利の覇権を立て、エデンで理想としていた神様の愛の主権を復帰しようとされた全てのみ旨が、このように悲しみに包まれて、黒く汚れ、転がり落ちてしまいました。 それを暗中模索しながら、真っ暗闇の中で、お一人、僕の僕の立場から僕の立場、養子、庶子の立場、そのようにして直系の子女迄、そして、母を捜し立て、父母の立場に迄立ち、カイン・アベルの共産圏と民主世界を収拾し、これを抱いて、本然の父である真の父母に奉献してさしあげなければならない、地上の母、エバの使命を中心として、全ての民主世界、自由環境を破綻させるサタン圏の主権と闘いながら、個人克服、家庭、氏族、民族、国家、世界、今日の国と世界の限界線を越えて克服する事によって、お母様が再び出産の苦労をされ、真の父母のあとに続いて従う事によって、初めて、この天地間に、勝利した母、霊肉完成した実体をもつようになりました。今から、天の国の王権を受け継ぐ事のできる天一国を開門する事によって、地上世界の天国の基盤と天上世界の天国を準備し、一心、一体、一念が動ずる、愛の理想的、真の愛、真の生命、真の血統、真の家庭定着という、解放された名を取り戻して復帰する事によって、怨恨の多かった惰性の世界を除去してしまい、希望に満ちた未来の勝利的愛の主権を再び建国し、天の前に奉献する事ができる、この式典をもつようになった事を、感謝、感謝、感謝申し上げます。天にいる全ての霊人たち、祝福を受けた長子圏、天使長圏の祝福家庭たち、そして、地上のアベル圏、堕落していない本然の家庭のアダム的アベルの立場で祝福を受けた兄弟たち、天使世界にいる先祖である兄たちが地上に来て、アベル的弟の立場を兄として侍る事ができ、一体となる事によって、天上・地上一体圏のうえに、縦横に天地父母をお迎えし、地上における個人時代祝福、氏族、民族、国家、世界、天宙の祝福の平面途上における解放的基準、立体途上の個人祝福、氏族、民族、国家、天宙的祝福家庭が、縦的な位置にいるのですが、この兄と弟の祝福の位置が交差する事によって、天上にいる兄の祝福家庭が地上に来て、弟の立場にいる全ての祝福家庭を縦的な位置に代置する事によって、天地開闢的大転換、反対に復帰、転換する事ができる時代を迎えたのでございます。そのようになる事によって、天宙父母、天地父母、真の愛を中心とする平和統一家庭王即位式を拡大した平面的世界水準と縦的な世界水準が、本来のアダム家庭で一体となり、一つのところから出発する事ができなかった事を、元返して、それを成し遂げ、地上・天上天国天一国理想圏の出発をなす事ができるように、宣布し、祝福の王即位式をもつようにしてくださる事によって、天宙父母、天地父母が真の愛を中心として、一心、一体、一念、和合し、真の愛を中心とする、真の父母から真の子女の真の血統を中心として、完成した真の家庭定着をアダムとエバが失敗する事によって、偽りの父母が汚した血筋を全て征服し、きれいに復帰された立場において、一つのアダム家庭を解放させた祝福の位置を、天地父母を通して……。 真の父母は、汚れたサタンの血筋を清める時迄、数千億の霊界と地上の人たちを、一心、一体、一念で祝福する事によって、天宙父母と天地父母の腹中に一つになって宿った息子、娘の姿となり、出発的基準において、天上、天の国を中心として地獄と楽園を解放し、三六〇度、どの方向にも天の玉座に向かって直行する事ができる、自由解放圏をもつようにしてくださった「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」をもつようになる事によって、本然の形態の姿勢を整えた場において、新たに神様と真の父母が一心同体となり、全体、全般、全権、全能の行事を万宇宙に出発し得る、家庭的天国理想世界に出発する事ができる事を、宣言、命令するようになった事を感謝申し上げます。 きょうを期して、悪の権勢は後ろに退かなければならず、善の権勢は、前に立って全体を指揮、指導し、新しい天国文化世界の創建に向かって前進し、天の国の栄華と栄光を全天宙に充満させ、万世の祝福された家庭が相続し、天上・地上における解放の主権的愛の主権を受け継いで相続するうえで、天上世界と地上世界の前に不足のない、天国に入籍した祝福家庭の国となるように許諾してくださる事を、懇切にお願い申し上げます。 この日、天宙父母と天地父母が、一心、一体となった場において、天国開放を中心とする天一国の統一の世界に、一体理想の主権の世界に前進する事を、真の父母の名によって、命令、宣布しながら、懇切にお願い申し上げますので、願うとおりに成就するようにしてください。真の御父母様のみ名によって御報告いたします。アーメン! アーメン! アーメン!神様本体である「夜の神様」が「男性格」と明確に規定されたなか、無形世界で唯一それに該当するのが天使世界、特には、堕落天使長ルーシェルがその正体であった、ということです。サンクチュアリ教会の信奉する「神様」がそれであると明言していました。シムソン氏の著書「夜の神様と真のお父様が勝利された極秘戦略の全貌(第1巻)」にも亨進氏はサインされては男性格の「夜の神様」がサンクチュアリ教会の神様であると認定されたたりもしていました。モーセがシナイ山に登ったとき、それを待つイスラエル民族は「金の子牛」を造っては拝んでいました。同様にして、サンクチュアリ教会もまた、文鮮明総裁・真のお父様聖和後はその「夜の神様」を「金の子牛」として崇めてきました。「夜昼の神様論」はサタンが牛耳っていたと私から明言した上は、シムソン氏の続巻は、もはや期待できないと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.19
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世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 1.6万人1999年4月16日に韓国・中央修練院で語られた「第40回真の父母の日」の文鮮明師のみ言をはじめ、韓国で制作された韓鶴子総裁自叙伝のお知らせ、特集:「UPeace発足から9年」などが収録されています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.19
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「盲人が盲人の手引きをすると」どうなるのでしょうか?マタイによる福音書15章13 イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。14 彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。原理講論や黒・天聖経などに書かれた「天の父母様」「独生女」を見ることが出来ない盲人がいます。その盲人がまた盲人の手引きをするならば、どうなると書かれていますか。「ふたりとも穴に落ちこむであろうと」。 盲人の寓話 前記事「シムソン氏の「夜の神様」の正体、実は「サタン」であった?!」のコメント欄には、なおもシムソン氏が以下のメッセージを書き込んでいました。とうとう真のお父様のみ言さえ、否定し始めましたね!夜の神様は創造以前の神様です。韓鶴子氏の指示を信じていると、本然世界の本質を破壊していきます。内的な愛の本質の意味も理解できず、恐ろしいほど軽率な思考に感嘆しています。より軽やかに思索を展開し、新しい韓鶴子教を展開して行ってください。 (2020.03.18 06:30:01)お父様が語られていた「天の父母様」「独生女」が八大教材教本の中にありながら、それを破壊しているのは誰でしょうか?シムソン氏(亨進氏)が語る神様本体「夜の神様」は「男性格」のみ、無形世界でそれと一致する存在は天使長です。二性性相の中和体の神様ではありません。誰がお父様のみ言を否定(爆破)しているかは一目瞭然です。皆さんは、その盲人の手引きを受けますか? それとも?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.19
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上記映像は「真の父母様宣布文サイト」で2018年12月6日付で公開されたものですが、今回サイトにて再掲載されたものです。サンクチュアリ教会の礼拝ビデオで元光言社職員・中村仁史氏の「お伺い書」発言に対して過去の家庭連合側の意見を再度確認したものです。お父様のみ言を誤訳、または、隠蔽してのサンクチュアリ教会が家庭連合やお母様を批判していたものであったことに気付かされるでしょう。とうごま氏は当然このビデオはご覧になられると思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.18
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先ずは、前回記事の私のコメントの乱文をご容赦ください。昼食時間の限られた中での投稿でしたので校正しないままに載せました。シムソン氏記事「「天の父母様」と崇める家庭連合には「真の愛の起源」が分からず不倫の愛も真の愛になる!」(2020.03.17)からです。昨日の私の記事「再検討を要するシムソン氏の「夜昼の神様論」」にあるように、『ファミリー』2005.1月号を手にされていないシムソン氏は、私が記事に転載した文章からでしか判断することが出来ません。「盲人と象」の逸話はどなたも耳にされたことがあるでしょう。以下のイメージは「ほぼ5分でわかる統一原理 第7回 「群盲撫象」」(U-ONE TV)からですが、参考までに映像はこちらです。となれば、私tomy4509を批判されるシムソン氏も『ファミリー』に関しては盲人の一人でしかないということです。さて、シムソン氏記事タイトルからも家庭連合を批判される彼の「夜昼の神様論」は、共産主義思想が根底にあるようですね。シムソン氏記事本文以下の引用が気にかかりました。「真の愛の起源」を明確にするために語られたみ言こそ、「夜の神様、昼の神様」です。創造原理の「第一節 神の二性性相と被造世界(一)神の二性性相」の解説は、次のように結論付けられています。「このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。上述した内容を要約すれば、神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。」中和的主体の中和の意味は、これまで調和・和合などの、一体となり統一体となっている事が主となっていました。しかし、夜の神様が「無の暗闇の状態」と表現されてから、中和の次の意味が重要になってくるはずです。「互いに対立する性質をもつものどうし(正負、陰陽など)が作用しあい、それぞれの属性が打ち消し合うことをいう。」つまり、調和・和合の上での無の状態です。上記の中で原理講論・創造原理からの引用は、昨日のtomy4509でも挙げていたものでした(以下)。このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。上述した内容を要約すれば、神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性(天のお父様)と本形状的女性(天のお母様)との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。同じ創造原理の一文でありながら、何故、私とシムソン氏とではその解釈が違ってくるのでしょうか?これもまた、「盲人と象」の逸話ということになりますかまた、引用に関してですが、サンクチュアリ教会は「黒・天聖経」にも記載のある「天の父母様」「独生女」まで否定されながら、都合の良いところ取りの「黒・天聖経」引用は通用するでしょうか?黒・天聖経「宇宙の根本」からの冒頭の2番目にも「天の父母様」を示唆する内容が記載されているでしょ!!第一章 宇宙の根本秩序一、神様の二性性相の大展開 1.神様は二性性相の中和体 宇宙を観察してみれば、すべての存在において、陽性と陰性の二性性相が相対的関係を結ぶことによって存在していることを知ることができます。これは、鉱物という次元から始まって、すべての場合に適用されています。分子は、陽イオンと陰イオンの結合を通して形成され、植物の場合、生存と繁殖は雌雄を代表する雌しべと雄しべの結合を通じて成されます。このような二性性相は、動物の場合より一層明らかです。魚類、鳥類、ほ乳動物等、すべての動物は雄と雌によって存在します。最後に、神様の最高の創造物である私たち人間も、男性と女性で区分されています。最初の男性アダムと最初の女性エバは、人類の始祖です。このような二性性相の存在目的は、何ですか。神様は、なぜこのような方式によって創造されたのでしょうか。 * 神様が男性と女性を造られて何をしようとされたのでしょうか。見ようとされたのです。神様は、女性ですか、男性ですか。女性にもなり、男性にもなられます。男性性稟だけをもっているとするなら、女性だけを見つめられるようになるのです。アダムは、陰で生きなければなりません。そのように、女性も見つめて男性も見つめることができる二種類の性稟を、共に備えていらっしゃいます。ですから、結局縦的な立場に立ち、男性も好まれ女性も好まれる、二性性相をもった中和的主体だというのです。それが神様でいらっしゃいます。男性も必要であり、女性も必要であり、どこへでも行って迎え入れ、いつでも主体の位置にいらっしゃるので主体格です。それゆえに、格位では男性格位です。そして、横的というものは女性格位をいうのです。 * 神様はお一人でしょうか、お二人でしょうか。お一人です。お一人なのに、どのようにして二人の人に入っていくのでしょうか。この人に入ってからあの人に入っていき、あの人に入ってからこの人に入っていってと、そのようにするのですか。また世界には数多くの人々がいますが、数多くの人々にどのように入ったり出たり、出たり入ったりされるのでしょうか。これが問題になるというのです。それで、私たち統一教会の「原理」で、神様は二性性相の中和体であるという話が出てきたのです。ここには規則があります。神様は二性性相でいらっしゃる中和的本体です。これは真に素晴らしい結論です。ここからが本論です。「夜昼の神様論」、実は「夜の神様」の正体が「サタン」であった、ということについてです。「互いに対立する性質をもつものどうし(正負、陰陽など)が作用しあい、それぞれの属性が打ち消し合うことをいう。」つまり、調和・和合の上での無の状態です。●シムソン氏記事の「プラス・マイナス」、「陽陰」が対立(?)とはどういうことですか。統一原理からは「正分合」ですよね。ところが「対立物」という発想は弁証法ですか。神様本体の「夜の神様」を「男性格主体」と規定した時点で「女性格対象」が弾き出されて「別れて」しまいました。対立・闘争がそこから始まっています。夜の神様の中に無い「女性格対象」をどのようにして中和させることが出来るというのですか。「真の愛」によってですか? 本性相本形状の陰陽が打ち消し合いながらも、心情の永遠普遍の存在となっていた神様は、真のお父様が「神様には愛が無い」と語られた、内的な愛によって存在していました。「神様には愛が無い」のに出来ますか。神様は全知全能だから、といっても原理原則を決して曲げられないお方でもあります。根本的「夜昼の神様論」の間違い(矛盾点)がここにあります。何度もシムソン氏は、【あなた(tomy4509)が「夜の神様、昼の神様」の関係性について、まだ理解できていないので】、とのあなたの説教も今日で終わりにしてください。●シムソン氏「夜昼の神様論」は、神様本体の「夜の神様」を「男性格主体」と規定していた家庭連合は原理講論の「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性(天のお父様)と本形状的女性(天のお母様)との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。」から、神様の呼称を「天の父母様」に変更したということです。しかしながら、サンクチュアリ教会の亨進氏はそれを否定しており、それに追従するブロガーは必死になってその(矛盾だらけの)論拠を列記してしているようですが……シムソン氏の神観「夜昼の神様論」もその一つです。神様本体は「夜の神様」であり「男性格」だから、神様の呼称は「天のお父様」だとの主張で、家庭連合の「天の父母様」を否定しようとしていました。長く書くのも疲れてきましたので、結論です。サンクチュアリ教会の説く「神様本体は「夜の神様」であり「男性格」」ですが、無形世界の中で「男性格」として存在するものと言えば何ですか?「天使世界」です!!天使世界には3天使長がおり、その中のルーシェル天使長がエバを誘惑して堕落させたというのが堕落論です。となれば、サンクが崇める「夜の神様」とは堕落天使長・ルーシェルという結論になります。1999年3月21日は『サタン完全(自然)屈服の日(ルーシェルが謝罪)』でしたが、(これまでの私tomy4509の検証からも)サンクは八大教材教本のみ言との整合性に欠け、原理ならぬ「非原理」を語っては亨進氏を相続者、「二代王」と言っています。私からは、そのサタンの跡目相続をされていないことを祈るばかりです。「サンク」、並べ替えれば「サクン(左君)」、角を一つ加えれば「サタン」になります。良心の声にもう一度耳を傾けてみてください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.18
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文孝進様追慕2008Uone一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ああ! D-51よ貴方のカラダはたくましいその黒光(くろびかり)は暗黒を寄せ付けない釜は鉄(ブキ)を溶かす溶鉱炉ライトは天空を照らす火の柱だ!先頭行く汽笛は闇を切り裂き我々に勇気・希望を与える長兄として弟妹(きょうだい)を引く手は暖かい愛に満ちているカナンステーションはもう間近だ! 汽 笛最後まで従うと言った私世間には中性になれという偏見ばかりだが男の行く道には正道というものがあるあなたの願われる自分を見つけよう※高鳴るこの胸は あなたのために走る汽笛なのさ ために生きる私たちには 怖れなどありえない誰がためにこの胸は 高鳴っているのだろうかああ 愛するあなたたちよあなたに従おう 永遠にこの身捧げてと誓いあった私たち男の歩みに分かれがあってはいけないあなたの願われる自分を見つけよう※REPEAT by HJ MOON
2020.03.16
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著書も出されたシムソン氏ですが、奇知外記が「代表的食口」ですか?買い被りもいいところです。サンデー食口のブロガーの一人に過ぎません。ところが、『ファミリー』2005.1月号の1冊を巡って右往左往されるシムソン氏、あなたの姿はどうなのでしょうか?原理講論・総序から: 人間の堕落を知的な面から見れば、それはとりもなおさず、我々人間が無知に陥ったということを意味するのである。……堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。人間において、知情意がその役割を果たすことができなくなれば、そこから人間らしい、人間の生活が開かれるはずはない。人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。しかし、神の実在性に対しては、聖書をいかに詳しく読んでみても、明確に知る由がない。ましてや神の心情についてはなおさらである。それゆえ、この新しい真理は、神の実在性に関することはいうまでもなく、神の創造の心情をはじめとして、神が御自身に対して反逆する堕落人間を見捨てることができず、悠久なる歴史の期間を通して彼らを救おうとして心を尽くしてこられた悲しい心情をも、我々に教えることのできるものでなければならない。と書かれていました。原理講論にも「天の父母様」の記述を発見することが出来ます。原理講論P.47からは、 神を中心として完成された被造世界は、ちょうど、心を中心として完成した人間の一個体のように、神の創造目的のままに、動じ静ずる、一つの完全な有機体である。したがって、この有機体も性相と形状とを備えなければならないわけで、その性相的な存在が神であり、その形状的存在が被造世界なのである。神が、被造世界の中心である人間を、神の形状である(創一・27)と言われた理由もここにある。したがって、被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。コリントⅠ一一章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証しているのである。このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。上述した内容を要約すれば、神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性(天のお父様)と本形状的女性(天のお母様)との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。また、ほか原理講論(P.235)からは、 堕落人間においても、その一人の子女でも不幸になれば、決して幸福になることができないのが、父母の心情である。まして、天の父母なる神が幸福になり給うことができようか。ペテロⅡ三章9節を見れば、「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」と記録されている。したがって、神の願うみ旨のとおり、成就されるべき理想世界に、地獄が永遠なるものとして残ることはできない。そしてマタイ福音書八章29節を見れば、イエスの当時、直接サタンがイエスを神の子であると証したように、終末の日においても、ときが至れば、悪霊人たちまでも、各々同級の地上の悪人たちに再臨して、彼らがみ旨のためになるように協助することによって、結局、悠久なる時間を経過しながら、次第に創造目的を完成する方向へ統一されていくのである。と「天の父母なる神」、つまりは「天のお父様」「天のお母様」を現わした記述もあります。私tomy4509はまた、『ファミリー』2000.12月号(以下)ほかからも「天のお母様」について語られていたお父様のみ言を確認の上で記事を書いています。では、原理講論やお父様のみ言にもある「天の父母様」を否定されては、「夜昼の神様論」を主張されておられるシムソン氏ですが、何を根拠として書かれているというのでしょうか?多分、サンクチュアリ教会の文亨進氏のそれでしょう。https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202003130001/『TWJ』2012.天暦1月に掲載されていた亨進氏の「夜の神様、昼の神様」(P.14~)をさらに詳細にしたものがシムソン氏のそれですが……。『TWJ』2012.天暦1月ですが、また別の方がお父様の「夜昼の神様」について話されていました。第29回「愛勝日」の記念式典においてムンフンスク様のメッセージの中にありました。 真の父母様は、神様を中心とする生涯をとおして、無形の神様でいらっしゃる夜の神様と有形の神様でいらっしゃる昼の神様を一体となるようにされ、夜昼の神様、天地人真の父母様の実体として私たちの前にそびえ立ちました。 天地人真の父母様は人間の体をまとってこの地に送られましたが、人間としての人生を放棄されたかたでいらっしゃいます。真の父母様は、神様を最もよくご存じのかたでいらっしゃり、神様が好まれる方法で神様を愛されるかたでいらっしゃいます。 …… 天地人真の父母様の実体の中には、神様と真の父母様が共にいらっしゃいます。それゆえ、私たちは、神様と真の父母様をこれ以上区別しません。いや、これ以上区別する必要がない時代に生きています。 今世の中は、夜昼の神様、天地人真の父母様を中心に回っています。世界は本当に大きな変化を遂げていくでしょう。 …上記引用を見れば、文亨進氏とは別にムンフンスク様も「夜昼の神様」について話されていました。解釈が全く違っていますがどうなのでしょうか?この捉え方の違いについて、私が考えるには、一つは男性・女性の違いがあるかもしれません。しかしながら、お父様が話される韓国語の習熟度についてはどうでしょうか。米国育ちの亨進氏です。また、ムンフンスク様は興進様の相対者でもあり霊肉界も知られる方です。真の父母様との心情的距離においては亨進氏よりも近いと思われます。その一方では、黒・天聖経にも記載のある「独生女」をも否定される亨進氏のみ言への理解にも疑問を投げかけざるを得ない、というのが私の意見です。となれば、シムソン氏が書かれている「夜昼の神様論」が、果たして、正しい「神観」なのか再検討してみる必要があるのではないですか?!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.16
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シムソン氏記事(2020.03.14)「家庭連合の食口が意味を理解すれば、脳と生殖器が爆発するだろうお父様のみ言!」https://simuson.muragon.com/entry/260.htmltomy4509からの応答は以下です。-----「ペアシステム」の話をしたはずです。創造を始められる前の神様本体が「夜の神様」であるとすれば、その時点で「昼の神様」はないはずです。ところが、「夜」となれば、そこには「昼」の概念も既にあったという論理が成り立ちます。シムソン氏の創世以前からの夜昼の神様論は「二元論」ということになります。原理講論では「喜び」について以下に規定しています。-----(引用開始)(二) 神の喜びのための善の対象神の創造目的に関する問題を詳細に知るためには、我々がどんな状態にいるときに、喜びが生ずるかという問題を先に知らなければならない。喜びは独自的に生ずるものではない。無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。一つの例を挙げれば、作家の喜びは、彼がもっている構想自体が対象となるか、あるいはその構想が、絵画とか彫刻などの作品として実体化して対象となったとき、その対象からくる刺激によって、自己の性相と形状とを相対的に感じて初めて生ずるようになる。ここで、構想自体が対象として立つときには、それからくる刺激は実体的なものではないために、それによる喜びも実体的なものとなることはできない。人間のこのような性稟は、みな神に似たものである。ゆえに、神もその実体対象からくる刺激によって、それ(神)自体の本性相と本形状を相対的に感ずるとき、初めて喜びに満たされるということを知ることができる。-----(引用終わり)このように実体のない構想も対象として成り立つということです。夜の神様が本体(主体)だとすれば、その構想理想は分かれた対象です。(シムソン氏)記事本文からの引用(以下)-----神様の成長過程において、母親の位置に立つのは真の愛です。その真の愛の胎内で、真の愛を、永遠普遍の神様の全身で飲みながら成長したのです。それを地上界で形状化しようと発想したので、親子の生命システムとして被造世界に実現したのです。真の愛は実体がありません。ですから実体のないものを母の心情とか、母の性質と表現できても、「母」という呼び名を付けることはできないのです。-----(引用終わり)ここでも神様本体とは別に「母」とは呼ばない【真の愛】が対象物として登場して来ました。神様が真の愛の胎内で【真の愛】を飲みながら成長、そして、「親子の生命システムとして被造世界に実現」ということは、神様にもまた上の親神様がいたということですかね。さらには、その親神様にも親が……。お父様の語られる「真の愛」と兄弟、夫婦、父母、親子を一つにする力のことではないですか?危弁を弄しては翻弄しようとしているのですか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.16
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シムソン氏、あなたは『ファミリー』2005.1月号をお持ちではないでしょう。ですから、私が提供した情報からしか判断することは出来ませんし、「私無存」からではなく「恣意存」で書かれています。『ファミリー』2005.1月号P.20からの引用です。 父子関係は宿命的なもの 最近は、仏教の人たちは、「因縁」を語るでしょう? 男性の前には女性が、女性の前には男性が最も因縁が近いのか、男性同士であれば、父子の関係の因縁が近いのか、その次に、男性同士の兄弟関係の因縁が近いのでしょうか? その順序が異なれば困るのです。どれが最初に立っていなければなりませんか?(「父子関係です。」)父子の因縁が関係して、父子関係を分けるこはできないので、「関係」と言うのです。「因縁」から一段階、発展したものが「関係」です。……このことからtomy4509が次のことを書いていました。『神様を「天のお父様」と呼ぶとき「神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか?」と問うていました。キリスト教では「天のお父様」と呼んできましたが、「兄弟関係」止まりだと語られていたものでした。それ以上に近いのが「父子関係」だというのがお父様のみ言です。ために、男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、「天のお父様」と天の息子・娘が生じてくる、ということです。』以前には、天のお父様に弟(天使長ルーシェル)がいたという訓読会での文鮮明総裁のみ言を伝えたはずです。兄弟関係が最も近しい関係だとすれば、愛の神様は天使世界(無形実体世界)の創造で大満足され、それ以上は必要なかったと思いますが。ところが何故? 人間アダムとエバを創造されたというのでしょうか。キリスト教でも神様を「天のお父様」と呼び兄弟愛を説いています。ところが、『原理講論・総序』からはすべての人類はみな同じ父母(神様)から生まれた子孫であるという教理に従って、それを教え、かつ信じているキリスト教国家の国民たちが、皮膚の色が違うというただそれだけの理由をもって、その兄弟たちと生活を同じくすることができないという現実は、キリストのみ言に対する実践力が失われ、灰色に塗られた墓場のごとく形式化してしまった現下のキリスト教の実情を、そのまま浮き彫りにする代表的な例だということができよう。ここにこれまでのキリスト教の限界があり、「天のお父様」と呼んでも一つとなることが出来なかった原因があるということです。唯一絶対の「天のお父様」と呼んでも観念的でその実体が伴っていなかったからです。なるほど、イエス様は神様を「天のお父様」と呼び、キリスト教会でもそのように呼んでいます。しかしながら「お父さん」といってもそのお父さんがバラバラであり、お母さんもまたバラバラであるため、兄弟といっても(神様の)一つの血統となることが出来なかったのです。こんにちまでクリスチャンたちはイエス様の血の代価で救われたと喜んでいますが、その現実を見たときに肌の色が違うといっては席を同じにすることが出来ず、数多くの宗派で争ったりもしてきました。ために、2000年前にイエス様はニコデモに「もう一度生まれなければ神の国を見ることが出来ない」と言われたのは、その兄弟関係を一つにまとめるために唯一絶対の神様の血統を持って来られたのがイエス様であったし、また、十字架で亡くなられるためではなく結婚しては、また、人類を神様の血統に生み変えてくださるためでした。仕方なく十字架の道を行かれるイエス様が「また来る」と再臨の約束をされては、その時「小羊の婚宴」をなさると言われたのもこのためでした。さて、最初の『ファミリー』2005.1月号P.20からの引用ですが、神様と人間の関係において「兄弟関係」以上に「父子関係」が最重要であることを文鮮明総裁は語られていました。兄弟関係といっても義兄弟、異母兄弟もあったりで血統が一つとは言えませんが、「天のお父様」と天の息子・娘と言えばどうでしょうか。「父子関係」がどれだけ近しく感じられるか分かりません。ところで「父子関係」ということですが、父親が息子・娘を生むことが出来るでしょうか?そこには当然のことながら「母親」があって然るべきです。夫と妻が「真の愛」によって一つとなることによって生命が誕生しては「父母」となり、代を重ねることで血統が連結されていくようになります。これまでは神様を「天のお父様」と呼んで来ていましたが、文鮮明総裁が過去に「天の父母様」と呼んでこられたものであり、家庭連合(旧・統一教会)ではここ数年前から「天の父母様」に変更されています。神様と人間が「父子関係」だとすれば、私からのこれまでの説明から「天のお父様」では観念的で血統もバラバラですが、神様を「天の父母様」と呼べば、誰もが同じ一つの血統から生まれた息子・娘としての実感もあるというものです。イエス様は「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」とあるように、この地上で「真の父母」が現れない限り神様も「天の父母様」とはなれないという原則がありました。アダム・エバが堕落したことによって成し得なかったそれを果たすために神様はメシヤをこの地上に送られました。それが、2000年前のイエス様であり、こんにち家庭連合では文鮮明総裁・韓鶴子総裁をその「真の父母」と呼んできました。これまでは私のブログでの「天のお父様」と「天の父母様」の呼称に関する論議を展開して来ましたが、サンクチュアリ教会の文亨進氏は文総裁夫妻の七男さんとはいえ、「天の父母様」呼称には否定的な意見を打ち出しており、それに追従するブロガー「とうごま氏」「シムソン氏」らもそれを受けての「天の父母様」呼称を否定するキャンペーンを展開しています。つまりは、神様の一つの血統からなる「ワンファミリー・アンダーゴッド」が神様の夢ですが、サンクチュアリ教会の主張するところは、文総裁夫妻ではない元弟子であった姜賢實女史を継母として立てては、その血統を異にしたために、「天の父母様」呼称に反対する理由はここからのものであることを悟るべきです。姜女史の霊界祝福の相手は誰ですか。キリスト教のアウグスティヌスであり、サンクチュアリ教会がこれまでの曖昧な兄弟関係に留まる一派に格下げされたことを認めておられるようです。もちろん、全人類が願ってきたことは「自由と平和と統一と幸福な世界を完成」することであることは言うまでもありません。人間は男女問わず「母親」から生まれてきます。文鮮明総裁は、自叙伝「平和を愛する世界人として」とあるように生涯を歩まれ、また、1960年の御聖婚後の半世紀余りをともに二人三脚で歩まれた韓鶴子総裁も、こんにち、各界の著名人らから(自叙伝)「平和の母」として慕われています。サンクチュアリ教会はその「天の父母様」の方向と逆の方向に向かっているようです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.16
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韓鶴子総裁自叙伝『平和の母』(韓国語)のプレビュー(30ページほど)は以下URLでも読むことが出来ます。http://www.yes24.com/Product/Viewer/Preview/87313220さて、今日は『トゥデイズ・ワールドジャパン(TWJ)』2011.天暦3月号から韓鶴子総裁の証しを紹介していきます。 真のお母様の証し 天基二年天暦一月三十日(二〇一一年陽暦三月四日)米国・ラスベガス、天和宮天に保護され、導かれた道三月四日、真のお母様は米国・ラスベガスの天和宮で、真のお父様の願いを受けて証しをされました。以下は、その証しを翻訳し、整理したものです。なお、タイトルは編集部で付けました。(文責・編集部) 再臨主を待ち望んだ祖母、母と共に南へ 神様が理想となさった地上天国をアダム・エバの堕落によって実現できなかったため、復帰摂理歴史がなされてきました。四千年が過ぎた後にイスラエル民族にメシヤを送り、イエス様に出会わせましたが、イエス様は、真の家庭を成すことができなかった立場のまま保護すべき民族と国を持てなかった立場において、十字架上で逝かれるしかありませんでした。 その神様の悲愴な事情の前に、「再び来る」と約束して逝かれて出発した二千年のキリスト教歴史において、韓国の地を中心に神様が経倫してこられ、解放(第二次大戦終戦)直後の驚くべき、直接天が役事される新しいキリスト教文化がありました。特に以北(現在の北朝鮮)を中心に盛大なものとなりました。神様の内的なアダム・エバを捜すためのキリスト教を中心とした歴史でした。 今までのキリスト散文化圏においては、再臨役事は知ってはいたものの、雲に乗って来られる主を信じていました。ところが、天は、新たに、新イエス教を立ててその当時に韓国では実体で肉身をもって来られる、主を迎える準備をする、そのような天の役事が起きていました。そこに内的にエバを捜してくる役事が金聖道(キムソンド)女史の集団と許孝彬(ホホビン)女史の腹中教を通じて、極めて驚くべき天の復帰摂理歴史の内容として展開されてきました。 そのとき、私が一九四三年一月六日の明け方四時三十分に生まれました。それ以前には、新しい教会を率いていく李浩彬(イホビン)牧師の主礼により父と母が立てられ、そのときに人が特別に善男善女のこの夫婦を通じて天の大きな祝福の恩賜があるだろうと言われました。 そのような過程において、母方の祖母である趙(チョ)氏の祖母と洪(ホン)氏の母は、全てを捨てて、新しく来られる主を迎えるため、そのような新しい契機になるなら何事も厭わず渾身の力を尽くして捜し回りながら、熱心に精誠を込めて最善を尽くそうという、そのような立場から私が生まれてきたのです。 それゆえ、その時代に平壌を中心に新たな復興運動が活発に展開されていました。そして、祖父母と父母は全てのみ旨が、天の摂理がその平壌を中心として成されると思い信じていました。 ところで、母方の叔父が一人いて、そのかたが日本で薬学を学んでいたのですが、解放(終戦一)後も平壌に帰って来ないで南(韓国)に行って軍隊に入ったという消息が届きました。祖母には子供が少なく、息子はそのかた一人しかいませんでした。ですから、そのかたが南に定着するようになった理由を知らなければならないということで、趙氏の祖母と洪氏の母と私が南に行くことになったのです。祖父は以北にそのまま残っておられました。平壌がエデンになると徹底して信じておられたので、「私はこの平壌の地に残るから行ってきなさい」ということで、それで祖母たちは南に行く歩みになったのです。 ところでその頃、私が六歳の時の記憶ですが、許孝彬女史が監獄に人っている時に、お父様のみ言の中にも出ているように、お父様は、同じ監獄にいる人を通してそのかたに「全てを否認し、そのまま出なさい」と伝えられました。そのとき、許孝彬女史は監獄にいたのですが、私の母が代わりに許孝彬女史の立場で精誠を立てている中で啓示を受けていたのです。 その頃、そのかたが(監獄に入る前に)私を特別な所に呼び出し、一階ではなく二階だったという記憶が残っていますが、特別に私を一人連れて行って頭に手を載せ、祝祷をしてくれました。その祝祷の内容が何だったかはっきりとは覚えていませんが、「おまえは特別な子だ、天が愛する子だ」といったような内容だけ記憶しています。そうして母について南に行った二年後に六・二五動乱が起こったのです。 うまく表現することはできませんが、この間、何か我ならぬ大きな力によって私が育てられ、導かれてきたということを感じさせられています。ですから、その時代、一九四三年度と言えぱ本当にまだ韓国が真っ暗な時代でした。母が夢示によって、どういうわけか私が生まれたその部屋に、庭先を通って、海を通って、玄界灘を通って……、その当時は戦争を起こすために韓国から金物という金物を全てかき集めていきましたが、それらの品物が、私が寝ていた部崖に全て戻って来るというのです。限りなく入って来続けました。それは変な話ではありませんか。 その時はその内容を母が夢で見ただけだと思っていましたが、今になって思うと、私が知らない中で、天はお父様に出会わせ、また真の父母の立場で全ての物質が入って来るようになるという、そういう啓示ではなかったかと思われます。 多くのことがありましたが、はっきりと記憶に残っているのは、その物質の祝福の他に、サタンが「おまえが生まれることによって私が亡びるようになったので、おまえを殺さなければならない」と言って正に首を絞めて殺そうとしたのですが、私を出産して間もなかった母が渾身の力を尽くしてサタンを防いで私は生き延びたということです。 そして、六・二五動乱の時にも、その当時は韓国の全国民が非常に苦労しましたが、母方の叔父によって私は比較的楽に南に避難することができました。南に果て大邱で避難生活をやや長い期間続けましたが、その当時、祖母と母は雑貨屋のような店をしていました。私はその頃まだ十歳にもなっていなかったのですが、その店の前で遊んでいると、そこを通りかかった修験者か修行僧のような人が、母に「あなたの娘ですか?」と尋ねるので、母が「そうです」と答えると、「息子を十人くれると言われても取り換えてはいけない。大切な娘だから、しっかりと育てなさい」と言ったのです。そして、当時はまだ避難生活中で、何もかもが困難な中にあったのに、「この子は十七歳で結婚するようになるだろうが、その夫になる人は少し年齢が行っていて、陸海空を支配するお金持ちだろう」と、十歳にもならない少女にそういう話をするのです。 このような多くのこと、行く所ごとに、私を保護し、証しした出来事は無数に多いのです。その全てを話すことはできませんが、私が言いたいのは、私も知らないうちに天の導きによって私がこの場に立つようになったことは間違いないということです。ですから、私としては最善を尽くそうとしましたが、天から見れば、また真のお父様から見れば、不足な点が多かっただろうと思われます。 ところが最近、三十六家庭の人たちが集まって、こういうことを言っていたという話を聞きました。それはつまり、統一教において私たちのお父様がお母様に出会わなかったら、どうなっていただろうか、というのです。天がお母様を立ててくださって本当に良かったと言うのです。三十六家庭のおばさんたちが集まって、「私たちはお母様に対し感謝しなければ,ならない」ということを言っていたという話を聞く時、私が努力したことをそれでも認めてくれているのだなあと思います。 天に与えられた七人の息子と七人の娘 それで、最初は何も知りませんでしたが、十七歳で結婚するようになるはずだと言った、通りがかりの修行僧の言葉を忘れて過ごしていました。ところが、自分も知らないうちに十七歳になる年に聖婚することになったではありませんか。 そして、そうなってから、私として復帰摂理歴史に鑑みながら、聖書歴史を見てみると、非常に複雑なのです。本来神様が理想とされた創造理想を実現してさしあげようとするにはどうするのか、私には難しくても自分にできる最善の努力を尽くして、私は複雑な諸々の事情を一つにしようと決心しました。それで天から賜ったものですが、子供たちも一生懸命に生んできました。 その当時、一九六〇年度から始めて、一九七二年度、そして本格的に一九七三年度にアメリ力で摂理なさる間はあまりにも大変でした。共産党は直接お父様が行かれる所に付きまといながら、さまざまな妨害をし、到底言うこともできないような脅迫をするなど、危険な問題が数多くありました。あまりに神経を使い、またずっと車に乗って移動し続けたので、およそ五年の間は何度も流産しました。 一九七五年に権進が生まれ、その後にさらに五人の子供が生まれましたが、実はとても大変でした。 病院でも、「今生んだ子供たちのためにも母親が健康でなければならないはずなのに、どうしてこのように自分のことを考えないのですか?」と言われました。 しかし、私の立場からは「もう(子供を生むのを)やめます」とは言えません。天は私が何人子供を生むことを望まれるのか尋ねようと祈祷しました。それで、私はどうすればよろしいでしょうかと天に尋ねるために、よく霊通する教会の勧士のかたに特別祈祷を頼んだりしました。 それゆえ、その勧士のかたが約三日間特別に山へ行き祈祷をしてきて、「お母様、十三人だけ生んでください」と言うのです。その頃は榮進が生まれた時で、自然分娩する途中で子供の頭があまりに大きくなっていたために生死の境をさまよいました。 その頃、お父様はドイツヘ行っておられたのですが、三十分内に決断しなければ母子共に危険ということで、仕方なくその時に帝王切開手術をして榮進が生まれました。 一度、帝王切開手術をすると、自然分娩は難しくなるのです。メスを入れた部位の伸縮性がなくなるので不可能なのです。ですから特別祈祷をせざるをえませんでした。するしかなかったのです:それなのに天は私が十三人の子供を生むのを待望しているというのです。 その後、息子としては一番の末っ子の亨進が生まれ、その次に娘を二人生みましたが、それも本当に不思議なことです。 一九六O年代には尹清浄心(ユンチョンジョンシム)女史(仏教徒の霊通者)が非常に多く協助してくれ、熱心に教会にも通って祈祷もしていました。その頃のこと、私がある日そのかたに子供を何人生めばよいのか尋ねたところ、その数は答えてくれずに、「最後に娘が二人できるだろう」と言うのです。実際、どうせ生むのなら息子だけ生めばよいだろうに、「最後に娘が二人できる」という答えでした。ですから、最後に娘が二人生まれて、そのかたが思い出されるわけです。 息子としては亨進が七番目になり、最後に娘を二人生んだので娘も七人です。ですから、息子も娘も同じく七人ずつ全部で十四人生んだわけです。(お父様「オンマ、きょうはいい話をしましたね。ありがとう」)(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.15
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今回も『ファミリー』2005.1月号からのお父様の『第四十五回「真の子女の日」のみ言』の一部(P.36~)を掲載します。…… 世界がお母様をお迎えして、 初めてお父様が解放される きょうの「真の子女の日」は、偉大な日です。分かりますか? 四十四というのは何かといえば、一度やってみてください。「44」の上と下を合わせれば、「母」の字になるのです。 どうしてこのように四十四なのですか? 害いてみてください。これを中心としてこのようにして、これが下に長くなっているのですが、これをこのように逆さまにすれば、ここでこのようになるので「母」の字になるではないですか? ですから、米国が四十四代において、お母様をお迎えしなければ、滅びるのです。きょうここに、四十四周年を中心として集まった子女たちが、今から自分たちの行くべき孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を完成するのは、イエス様が願った天地が一体となった地上天国の上で、父母が座ることができる王座を解放して奉献してさしあげるということであり、それが最後の願いであったということを知らなければなりません。(「アーメン。」)(拍手) 日本を蹴飛ばして抜け出すために、わたしが韓国と蒙古斑の大陸までも教育するので、日本の国の人たちが、どこに行っても母の国を定着させることができる基盤を築くことができるのです。 それをしているのに、日本が反対しているのですか? それは雷に打たれなければなりませんか、そのまま順調にいかなければなりませんか? 火で燃えて死なずに、天の罰……。ソドムとゴモラに硫黄の火を降ろして滅亡させたでしょう? 先生が取り戻そうとしているのは、日本の家庭です。天地を超えた統一家庭です。 父母を王子、王女の位置に即位させ、それでも千年万年不足であるという悔い改めの涙を流し、忠臣の道理、聖子の家庭の道理を果たすことができなかったと、あの国に行って天国のいちばん底、地獄で再教育をしなければならないというのが、日本人の責任であるということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 実践した記録がなくて、どのようにして教育するのですか? はっきりと知らなければなりません。 韓国はそれ以上にしなければならないでしょう。北朝鮮に行ってそれをやり、中国を一つにしなければなりません。 きょうの「子女」という名分が、どうして貴いのかという事実を大体理解し、「四十四」が、このようにお母様の席を日本に迎えなければならず、母とカイン・アベルが争つて分かれ、父を追い出してしまったことが、家庭から始まったので、国家基準、世界基準でも、家庭を代表したその位置にお母様の席をつくり、皆さんの家庭において、お母様をお迎えすることができる天下の女王の位置を立てなければなりません。 そこに孝子、忠臣、堕落していない神様の血統と生命と愛の一体圏の血統を受け継いだ、直系子女の名分を取り戻さなければ、天の国に入つていくことができず、この地上に存続することができないのです。 ですから、あらゆる精誠を尽くして、この目的基準を克服、超越するための精誠を尽くしていくのです。ソドムとゴモラに、最後の何人までいれば、「赦してください。」とアブラハムが祈祷しましたか? 最後の何人までですか? (「十人です。」) そして、一緒に死ぬことはできないので……。ですから、危険な目に損う前に、早く韓国に、ソ満国境(ソ連と満州の国境)を越えて、旗を掲げて、救いの道を行き、中国、蒙古斑同族の同志たちを解放しようとしなければなりません。 韓国と日本の同胞をすべて動員するのは、問題ではないのです。そのような至急な時代が来ました。話だけではありません。 先生がそのように願った標準の前に、妥当となりえる相対的基準となり、神様を王として侍り、その家庭で天宙天地天地人父母が直接解放的な祝賀をして、感謝の涙を流しながら、「一体圏を代身して、神様に永遠に侍ります。アダムとエバの堕落の恨の根を抜き、影までもない『正午定者』の世の中をつくります。」、このような解怨、整理してあげる祈祷をして、神様の前に敬拝をささげて出発してこそ、新天地の王族と王国が始まるということを知らなければなりません。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) 多くは語りません。先生が願い、神様が願われるのは、天の国で永遠に誇ることができ、天上、地上天国の上で、孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭を凌駕した天の国の王国を受け継ぐことができるひとり子であり、ひとり娘です。 天の全権を相続され、代行することができる主人の位置を立てておいて、再び受けることができる資格者となるのが、わたしの家庭であったのです。「わたしの家庭。」と言ってみてください。(「わたしの家庭。」) そのようになって、神様がわたしの家庭を中心として息子、娘であると思われるのです。アダムも愛することができず、エバも愛することができず、その孫と孫娘も愛することができず、今まで数千万代の息子、娘を誇ってきましたが、自分の息子、娘として愛することができなかった神様を、初めて皆さんの家庭で解怨成就するのです。 すべての家庭の代身者、家庭の相続者として、天宙まで、八段階以上まで、すべてわたしが代身して奉献したので、永遠、不変の一つの家庭において、すべてのみ旨を代身し、相続の家庭として王権を代身した、天上天下の王宮の王族になるのです。アーメン。(「アーメン。」) このような系列のわたしの家庭になろうという人は、立って両手を挙げてください。把手。(拍手一)下ろしてください。それでは、祈祷します。(祈祷) お母様をこの日にお迎えしなければならず、このアジアに、世界にお母様の席をつくってあげて、お父様が解放されるのです。分かりますね? (「はい。」) 今まで、日本の者同士、韓国の者同士で行おうと考えたでしょう? はっきりと知らなければならないのです。それでは、もう決意したので、そのとおりに生きてみてください。(感謝の敬礼をささげる)……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.14
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HJグローバルニュース (2020年 3月 14日)FFWPU PeaceTVチャンネル登録者数 9610人1.特集- 超宗教国際連帯機構 世界平和宗教人連合・WCLC2.主要ニュース- 真の父母様、新型コロナウイルス感染症克服のための募金3億ウォン寄託- 支援奉仕団体愛苑、新型コロナウイルス感染症募金キャンペーン「温かい行動」実施- 天宙平和士官学校、鮮文大学神学純潔大学業務提携式一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.14
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韓国・エッセイ部門(2020.03.04~2020.03.10)での「韓鶴子総裁自叙伝 平和の母」のベストセラー情報です。http://www.kyobobook.co.kr/bestSellerNew/bestseller.laf#一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.14
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前回記事「シムソン氏へ」では古いファミリーはお持ちでないでしょうからと思い資料として提供したのですが、その一文の深意をつかむことが出来なかったようですね。次の映像「永遠のお母さん」、4分弱のものですので見られてください。前回記事資料からの一部を以下に引用します。 それで、キリスト教では、千年前のおじいさんたちも「天のお父様」と言い、万年後の子孫たちも「天の」何と言うのですか? (「お父様です。」)お父様です。 それでは兄弟の関係ではないですか? はっきりと天のお父様と呼んで、このような心情的一致圏の関係を結ぶためには、その因縁を知らなければなりません。 神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか? ……神様を「天のお父様」と呼ぶとき「神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか?」と問うていました。キリスト教では「天のお父様」と呼んできましたが、「兄弟関係」止まりだと語られていたものでした。それ以上に近いのが「父子関係」だというのがお父様のみ言です。ために、男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、「天のお父様」と天の息子・娘が生じてくる、ということです。さて、シムソン氏記事(2020.03.10)コメント欄にtomy4509が投稿していたものです(以下)。シムソン氏は、『ファミリー』2005.1月号のほか部分も読まれて私を批判されていますか?教理研究院からは原理講論にも「天の父母」の記述があることを紹介していました。https://trueparents.jp/?page_id=5749原理講論P.61を見れば、 ここにおいて、我々は、人間始祖として創造されたアダムがもし完成したならば、彼は被造物のすべての存在が備えている主体的なものを総合した実体相となり、エバが完成したならば、彼女は被造物すべての存在が備えている対象的なるものを総合した実体相となるという結論を、直ちに得ることができる。神は被造世界を主管するように人間を創造されたので、アダムとエバが共に成長して、アダムは被造物のすべての主体の主管主として完成し、またエバはすべての対象の主管主として完成され、彼らが夫婦となって一体となったならば、それがまさしく、主体と対象とに構成されている被造世界の全体を主管する中心体となるべきであったのである。 また、人間は天宙の和動の中心として創造されたので、すべての被造物の二性性相の実体的な中心体であるところのアダムとエバが、完成されて夫婦になってから、彼らがお互いに和動して一体となったときに、初めて二性性相として創造された全天宙と和動することができるのである。このように、アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、正に愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、初めて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。ほか、原理本体論然りです。・サンク推奨『原理本体論』映像からも「天の父母様」!!https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201903170002/・サンク教会の推奨映像紹介『原理本体論 はじめに』https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201903220002/黒・天聖経に書かれた「天の父母(様)」については過去のコメントにて一部を引用していましたが、私の調べでは少なくとも23個確認されていました。https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201901100000/https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201901100002/このように、お父様も神様を「天の父母(様)」と語られておられたにもかかわらず、亨進氏ほかサンクチュアリ教会メンバーがそれを必死になって否定されるということは、中村仁史氏のビデオでも取り上げていた「「天運と聖霊の宿る『8大教材教本』」とは別の教えをサンクで教えているということになります。シムソン氏、あなたもその一人です。サンクはまた、「真の父母様」不在であり「不母主義」を教義としているようです。『TWJ』2011.天暦1月号には夜昼の神様のことも書かれていましたが、P.18~の引用(以下)----- そのときも(お父様16歳のとき)も信仰生活をしてはいましたが、祈祷するときに私が神様に対して「天のお父様」と呼ぶのが父親だとすると、母のいない父がありうるのか? イエスは男で、……花嫁もいて家庭もなければならないのに、家庭もなくて妻もいません。 なんと、そのかた(イエス様)が現われ、この天地の公的な責任を任せ、それだけでなく相続して代身者になれという話をしても、そんなことは信じられないというのです。そのようなとき、祈っている神様が、どこかにピタッと合うようになります。 …… ですから神様といっても、その神様が本当の神様なのか、何も分かりません。神様はおひとりでなければならず、夜の神様も昼の神様も、神様が二人であるはずがないので、一つの神様が体と心が一つになったその立場における根が一つにならねばならず、根が夜なら夜の根であって、昼の根にはならないということです。 ……真のお父様の生命を中心とした精子と真のお母様が息子、娘を生んだ、そのお母様の子宮を中心に精子と卵子がいつ出会って結婚式をしましたか? 夜の神様と昼の神様が、……-----(引用終わり)お父様は「天のお母様」は居られないと言っているのでしょうか? それとも?「天のお父様」だけでは不完全です。真の愛ゆえに「ハナニム」が夜(+)昼(-)に分かれました。単独では愛することが出来ないからです。説明図は「ハナニム」(正)から夜・昼(分)、そして、子女(合)となるべきです。(シムソン氏)記事本文からの引用>「神様はお父様なのですが、お父様は父母様でしょう。」のみ言は、父と表現されているのは神様本体の夜の神様であり、母と表現されているのは被造世界の構想理想が組み込まれた昼の神様の事です。ですから、女性格対象の霊的な働きです。そこで、実体のない存在を「お母様」と呼ぶことは出来ないし、神様本体を父母様と呼ぶことも出来ません。創造を始められる前の神様が「夜の神様」(単身)だとすれば、「夜の神様」もまた実体のない存在の「お父様」ということになります。「上」というときは「下」、右であれば左、男性であれば女性を想定して語るものです。「ペアシステム」、これはお父様のみ言でしょう。「独生子」の相対としての「独生女」もお父様が語られていた「ペアシステム」です。「父母」もそうでしょう。「母無くば父無し」、それが先に挙げたお父様の16歳のときの疑問だったということです。男性に子宮がありますか? 息子、娘も母親から生まれてきます。これが原理(自然の理)です。イエス様といえども母マリヤからでした。さてシムソン氏、「天のお父様」の「オッパイ」の話も聞いてみましょうか?(tomy4509コメント引用終わり)シムソン氏記事「韓鶴子氏は真のお父様の全偉業を我がものにしたつもりだが肝心要の神様の母性を奪えなかった!」(2020.03.12)ですが、「オッパイ」の話はどうなりましたが?以下にシムソン氏記事からの引用:tomy4509さんはそのみ言の中で、「父母である神様」と語られている事から、神様が天の父母様だと、真のお父様自身が語っているみ言と受け止めているようです。「父母である神様」と「父母様である神様」は全く意味するところが違ってくるという事を、tomy4509さんは理解しがたい事のようです。「父母である神様」は神様お一人でも成立する表現ですが、「父母」を「父母様」にしてしまうと、神様は父と母の二人であるという事になります。それに引用してくれた全文を読めば、神様は男性格主体の天のお父様であることを強調しているみ言だと理解できます。それも、神様は男であると断言しているのも同然のみ言です。「様」の敬称の有無で単数にもなれば複数にもなるとは驚き桃の木山椒の木です。一般に英語では父母は "father and mother" 、あるいは、"parents" です。では、「真の父母」と「真の父母様」という場合ではどのように英訳すればよいでしょうか。それが問題です。英語ではどちらも " True Parents" です。敬称の有無は関係しません。シムソン氏の言うところのそれは危弁としか言いようがありません。ではでは、「天の父母様」は英語ではどうなんでしょうか。"Heavenly Parent" 、単数です。>「天のお父様」だけでは不完全です。真の愛ゆえに「ハナニム」が夜(+)昼(-)に分かれました。単独では愛することが出来ないからです。説明図は「ハナニム」(正)から夜・昼(分)、そして、子女(合)となるべきです。(私からの引用)これは「ペアシステム」の一例としてあげたものですが、シムソン氏説明図からはどうなのでしょうか?また、シムソン氏の以下の一文からは>神様本体が愛し合う対象を創造する為に、構想理想を練った訳ですが、夜の神様から(昼の神様となる)心情エネルギーが発動されるという事象も、正分合作用で理解しないと気が済まないようです。創造を開始される前の神様の本体(夜の神様)→ (真の父、真の母による)構想理想 → 昼の神様(心情エネルギーが発動)、と仮面ライダーのような「変身!」を遂げたとなっています。「心情エネルギー」ともなれば、つまりは、主体と対象の授受作用がなされて生存と繁殖と作用の力が発生したということです。説明図では「構想理想」と誤魔化しているようですが、「男性・真の父」と「女性・真の母」の授受作用がなされたということです。神様の本体(夜の神様)が『天のお父様」とすれば、分かれた『男性・真の父』も「お父様」は誰も否定はしないでしょう。ところが、それとは別に『女性・真の母』とも書かれていました。この方はどうお呼びすればよろしいのでしょうか。『天のお父様?』。私には分かりません。これを取ってみてもシムソン氏の語るところの「夜昼の神様論」は、果たして、正しいと言えるのでしょうか。というよりは、『TWJ』2012.天暦1月に掲載されていた亨進氏の「夜の神様、昼の神様」(P.14~)をさらに詳細にしたものがシムソン氏のそれですが……。『TWJ』2012.天暦1月ですが、また別の方がお父様の「夜昼の神様」について話されていました。第29回「愛勝日」の記念式典においてムンフンスク様のメッセージの中にありました。 真の父母様は、神様を中心とする生涯をとおして、無形の神様でいらっしゃる夜の神様と有形の神様でいらっしゃる昼の神様を一体となるようにされ、夜昼の神様、天地人真の父母様の実体として私たちの前にそびえ立ちました。 天地人真の父母様は人間の体をまとってこの地に送られましたが、人間としての人生を放棄されたかたでいらっしゃいます。真の父母様は、神様を最もよくご存じのかたでいらっしゃり、神様が好まれる方法で神様を愛されるかたでいらっしゃいます。 …… 天地人真の父母様の実体の中には、神様と真の父母様が共にいらっしゃいます。それゆえ、私たちは、神様と真の父母様をこれ以上区別しません。いや、これ以上区別する必要がない時代に生きています。 今世の中は、夜昼の神様、天地人真の父母様を中心に回っています。世界は本当に大きな変化を遂げていくでしょう。 …また、ムンフンスク様のメッセージを挟んで映像「鷹の選択」の視聴がありました。今日はこの映像で締めくくります。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.13
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U-ONE NEWS 2020年3月13日号世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 1.57万人「韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』の発刊」(3月10日 東京・愛美書店)を記念した特集、「第7期天一国青年宣教師からマスクなど進呈」(3月10日 東京・松濤本部)が収録されています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 教会を介して光言社から自叙伝販売に関するお詫びと今後の予定についての連絡がありました。第2刷が3月18日以降、第3刷が4月6日以降に入荷予定とのことです。手元にまだの方はもうしばらくお待ちくださいとのことでした。我が家でも注文していましたが……
2020.03.13
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これまでのサンクチュアリ教会・とうごま氏記事は、自己中心的な主張にすぎないものばかりです。「連載・文鮮明師の伝統破壊者「韓鶴子女史の自叙伝」その1 3枚の巻末掲載写真の意味するもの。」からも真の父母様の子女様の写真は長男の孝進様だけだということですが、サンクの亨進氏が韓総裁の息子だと主張できる資格でもあるというのでしょうか? 亨進氏自らが韓総裁に離縁状を突き付けては、文総裁と姜賢實女史と偽装結婚までされいたでしょう。姜賢實女史は霊界のアウグスティヌスと祝福結婚をされた方ですので、サンクでは継母の姜賢實女史・アウグスティヌスを崇めています。血統からみれば、アウグスティヌスの系列でしょう。さて、とうごま氏は「60の論題」にしてもこれまでの身勝手なサンクの主張を羅列しただけでその真偽には一切触れようとはしませんでした。中村仁史氏のビデオはどうでしょうか? 金栄輝先生へのお伺い書のその後はどうなったのですか。第二弾ビデオの「天の父母様」呼称については?中村氏はお母様と文総裁のみ言の整合性について問いただす一方で、「天運と聖霊の宿る 八大教材教本」を前面に立てながらサンクの亨進氏こそが「八大教材教本」の相続者だと示唆してたようですが。ところが、私からの結論をいえば、「独生女」批判、「天の父母様」呼称を否定、加えてはそこから派生する「真の父母」までも八大教材教本から抜き去って、我こそが「二代王なり」といって真の父母様にとって代わろうとしているようです。「独生女」「天の父母様」「真の父母」、これらはお父様のみ言(八大教材教本)にあるものですが、亨進氏がそれらを否定しているともなれば八大教材教本の「相続者」とは認めることも出来ないでしょう。家庭連合に反旗を翻した亨進氏、とうごま氏ほかサンクブロガーが騒いでみたところで、 すでに!!その結論は出ています。亨進氏が家庭連合に返ったとしてもそのトップに返り咲く可能性は「0」ということです。原理から見ても失敗した中心人物を再び用いられる天の父母様ではありません。韓鶴子総裁自叙伝「平和の母」批判も、とうごま氏記事は最初からつまづきです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.11
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シムソン氏、資料不足でしょうから『ファミリー』2005.1月号のP.22も提供しておきます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.11
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昨日の記事「サンクチュアリ教会の方々、「天の父母様」は?」では、『『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』(2004年4月19日、米国・ニューヨーク ニューヨーカーホテル)』からのみ言を抜粋したものを挙げました。これをどなたが翻訳して『ファミリー』2004.6月号に掲載されたかは分かりません。今日もPCの周りに散在している『ファミリー』の整理を兼ねて数冊を(パラパラ)読みしました。その中から『ファミリー』2005.1月号の一部ですが。 それでは、神様に対して分かりますか? 神様はどのようなかたですか? 因縁の主体として人間を考えれば、神様はどのようなかたでしょうか?(「お父様です。」)神様が何ですか?(「お父様です。」) 神様がお父様であり、また神様は、その次には何ですか?(「父母様です。」)神様はお父様なのですが、お父様は父母様でしょう。お父様の次は何ですか?(「お母様です。」)女性側がお母様でしょう、男性側がどうしてお母様ですか? 男性側の話をしているのに、お母様であると言えば、いかれた人ですね。 神様はお父様であり、その次には何ですか? 神様はお兄様でしょう。お兄様です。縱的なお兄様なのです。分かりますか?「お父様」という言葉は、横的な面でお父様なのであって、縱的に見れば、兄弟関係です。 ……ここでも、文鮮明総裁は「神様は父母様でしょう。」。また、「女性側がお母様でしょう、男性側がどうしてお母様ですか?」と語られていました。一見すれば「お母様」という呼称を否定しているかのようですが、文章の前後からは、神様の男性的側面から「神様はお父様であり、お兄様でしょう。」という話をされておられたのであり、当然、女性的側面からは「神様はお母様であり、お姉様でしょう。」も暗示されておられたということです。2000年に入り、文総裁は「母子協助時代」から「父子協助時代」になったみ言を挙げては、顕進氏ほかは真のお母様を否定するキャンペーンを重ねていたようですが、『ファミリー』2005.1月号み言からは真のお父様は、祈祷とみ言の中で、「真の子女の日」四十四周年の「44」は、「母」の字をを表すことを語られ、「アジアにおいて、カイン・アベルを一つにして母を迎え、お母様の位置を定めることが、天が願う最後のみ旨である。」と強調され、「世界がお母様をお迎えして、初めてお父様が解放される」と。手元に『ファミリー』2005.1月号がある方は一読をお勧めします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.09
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『ファミリー』2004.6月号、『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』(2004年4月19日、米国・ニューヨーク ニューヨーカーホテル)からの抜粋です。サンクチュアリ教会の方々、「天の父母様」は?真の愛を中心ヒして成長された神様 それでは、神様ご自身も、生まれるために心と体が一つになったのと同じように、その心と体が真の愛を中心として一つになっているので、真の愛を中心として心と体のようなものが、小さな所から大きくなってきたということです。 神様も大きくなっていったのです。神様も大きくなり、アダムとエバが造られる時までにはすっかり大きくなり、もう一回り回って、すべて包括できる立場に入ってきたのです。無形の神様は、実体対象圏と関係を結ばなければならないのです。 無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。「創造原理」を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか? 二性性相の中和的存在です。格位では、男性格を備えた存在であるのです。これは偉大な言葉です。神様が二佳世相の中和的存在として、心と体が一つになり、神様を中心として胎内にいる双子と同じです。 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。 ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包指し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。 ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。 ここからこの実体を中心として抜き出したものが骨と体なのですが、そこに器官として入れておいたのが人間の五臓六脈です。あばら骨の中にあるすべてのものは、のどから肛門まで切って、すぱっと抜き出せば、五臓がさっと出てくるのです。 鳥などを捕まえてみれば、骨と肉がすべて一つになっていますが、その中で五臓は、上と下がつながっています。この体の中で五臓が動くことができるのと同じように、無形の神様が、そのような立場で心と体が、骨と肉が大きくなっているのです。 それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか? アダムとエバの創造は、神様が真の愛を中心として成長したご自身の歴史を、実体で見るのと同じです。そのような実体対象が子女の位置になるので、神様が成長してこられた姿を、再び実体で見ることができるのです。 ですから、これは双子です。アダムとエバは双子と同じなのです。これが分かれていませんでした。初めから、神様からすべて一つになっていたのです。 胎内にいる双子と同じ立場で生まれて、無形の実体も完全に大きくなったので、実体対象も、それと同じように大きくなることができる位置を中心として、見える愛の相対存在が息子、娘であったのです。それがアダムとエバの創造であったということを知らなければなりません。 一緒に生まれ、成長したアダムとエバ それでは、アダムとエバはどのようになるのですか? 神様が成長してきたのと同じように、アダムとエバの二人は、大きくなっていかなければなりません。 見えない二性性相の中和的存在として大きくなってきたその道を、二人が一つになることによって、赤ん坊が生まれます。双子の息子、娘を生み、赤ん坊が、父親よりも母親を中心として乳を飲ませるようになると、その二人の赤ん坊が母親の懐を中心として、一緒に乳を飲んで大きくなったということを皆さんは知らなければなりません。 右側をアダムが飲めば、左側はエバが飲んで大きくなったということです。お互いに裸で大きくなったのです。服を着て大きくなったでしょうか、裸で大きくなったでしょうか? (「裸で大きくなりました。」) なぜ裸で大きくなったのですか? 服を作って着たでしょうか、着なかったでしょうか? それを言ってみてください。 服を作って着れば、人の親戚のような猿が人間になったという進化論の見解から見れば、猿も服を着せて結婚式の祝福をしてあげたでしょうか、着せないでしてあげたでしょうか? 答えは何ですか? すべての万物が雄と雌になっているのは、恥ずかしいことではありません。誇りです。誇りなのです。分かりますか? 男性が雄ならば、雄が誇るものは何ですか? 目があるといって誇るのではなく、鼻があるといって誇るのではなく、ロがあるといって誇るのではなく、耳があるといって誇るのではなく、手足があるといって誇るのではありません。誇ろうとすれば、自分に向かって誇るのではなく、鏡を見て誇るのです。 だれに誇るのですか? エバに対し、相対の前で誇り、神様の前で誇るのです。「男性の性を中心として、わたしを造ってくださったことを、神様、感謝します。」と言うのです。 なぜ感謝するのですか? その男性がだれに似たのかといえば、神様に似たのです。神様に似せて造られたので、神様に不平を言わなければなりませんか、"ありがとう。"と思わなければなりませんか? 造ってもらったので、"感謝します。"とありがたく思うのです。 何のために「感謝します。」と言うのですか? 性を中心として、男性として生まれたのですが、一人は、男性格主体の姿に似るようにしたことが誇りです。その誇りは、神様の顔、鼻、耳、四肢五体ではなく、"ほかのもの"が似たのです。"ほかのもの"とは、「雄を代表して、神様に似たので感謝します。」ということです。分かりますか? また、エバは、何をもって感謝するのですか? 神様の中にある創造本然の見えない骨と肉が一つになった、見える体、アダムです。それで、見えない世界を、原理で見れば「天宙」という言葉で表示し、見える実体圏である相対圏は、天地を中心として、父母である神様を見ることができる実体として育ち、十八歳、そして二十一歳まで越えていかなければなりません。 神様が成長するのと同じように、アダムとエバも造られたので成長するのです。そのためには、お互いに母親の懐でお乳を飲むときに、足で蹴飛ばしながらお乳を飲むでしょうか? 習慣になっているので、右側のお乳を飲みながら手を伸ばして触るのは、エバならば、おっぱい以外に双子のお兄さんを触るのです。 お兄さんに触ってみると、"自分よりも頑丈だ。"と思ったでしょう。 ですから、お互いが相対的な立場で触りながら、母親の懐でお乳を飲みながら一緒に大きくなってきたのです。出生の根本から、根源から、一つになって出発したのです。分かりますか? すべての存在物は、根本から、一つのものから始まったのです。 二つの目が生まれるとき、何年か間をおいて生まれたでしょうか? 目は一緒に生まれたでしょうか、別々に生まれたでしょうか? 鼻も、右の鼻と左の鼻があるとき、別々に生まれたでしょうか、一緒に生まれたでしょうか? 唇も、下唇と上唇が一緒に生まれたでしょうか、別々に生まれたでしょうか? 耳も、左の耳と右の耳が別々に生まれたでしょうか、一緒に生まれたでしょうか? 一緒に生まれざるをえないということは、相対がいなければ存在世界には生まれないからです。相対がいなければ、生まれる必要がありません。それでは、男性は男性のために生まれたのかといえば、違います。なぜ息子が生まれたのですか? 父のために生まれ、母のために生まれました。そうでなければなりません。 存在の起源は、存在するものがとても小さなものであっても大きなものであっても、プラスとマイナス、主体と対象が授け受けをするカから生じたのです。それが三数圏になります。 神様は、息子、娘を生むときに、わたしの骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、それから何ですか? 皮の中の皮です。ですから、どれ一つ抜くことはできませんし、どれ一つとして、神様の二性性相から抜けた部分は息子、娘にはありえないのです。……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.08
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참아버님, 참어머님께 ‘천모지모 지경지모(天慕之母 地敬之母)’ 휘호 하사 (2004.03.07, 한남국제연수원)2004년 3월 7일 서울 한남국제연수원 훈독회 후, 참아버님께서 ‘천모지모 지경지모(天慕之母 地敬之母)’ 휘호를 참어머님께 하사하셨다. 휘호의 의미는 ‘하늘이 사모하는 어머니, 땅이 공경하는 어머니’라고 말씀하시며 한평생 뜻만을 위해 살아오신 것을 높이 칭송하셨다. 양위분께서는 휘호를 펼쳐들고 사진을 찍어 이 날을 기념하셨다.말씀‘하늘 천(天)’ 하면 다 들어가요, 두 사람(二人). 선생님이 왜 저렇게 썼느냐 하면 ‘2004년 3월 7일, 새 아침 문선명’이라 했는데, 가운데로 집약시켰습니다.‘천(天)’ 자는 사모한다는 모(慕)에 가까이 갖다 붙이고, 그다음 쌍쌍으로 ‘갈 지(之)’ 자는 어머니(母)한테 갖다 붙였어요. 두 패 두 패를 엮어 놓았어요. 천모 지경, 지모 지모. ‘2004년’부터 쭉 해 가지고 선생님 이름도 이렇게, 모이게 썼어요. ‘따 지(地)’도 ‘경(敬)’ 자한테 갖다 붙이려고 했어요. ‘천’ 자와 사모한다는 자를 한 자로 만들려고 한 것과 마찬가지로 ‘갈 지(之)’ 자도, 어머니(母)한테 갖다 붙이려고 했어요. 뭉쳐서 패가 돼 가지고. 아래 ‘모’ 자는 위가 좁아지고 위에 ‘모’ 자는 정상적이 됐어요. 천모지모(天慕之母) 하늘이 사모하는 어머니, (지경지모) 땅에서 공경하는 어머니예요. ‘땅’이라는 것은 밑창에 들어가서 떠받드는 것입니다. ‘따 지(地)’ 자가 ‘공경 경(敬)’ 자를 떠받들게 해서 갖다 붙였어요. 그렇게 보면 ‘선생님이 함부로 쓴 것이 아니고 무슨 뜻이 있다.’는 것입니다. 그래서 선생님이 ‘위 엄마’, 남편이 아래에 내려가고 엄마가 위에 올라가서 ‘위 엄마’ 했습니다. 기념날에 쓴 것입니다. (469-320, 2004.09.22)<출처 : 선학역사편찬원>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.08
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韓国・エッセイ部門(2020.02.26~2020.03.03)での「韓鶴子総裁自叙伝 平和の母」のベストセラー情報です。http://www.kyobobook.co.kr/bestSellerNew/bestseller.laf#一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.08
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とうごま氏記事「中村仁史氏に対する「教義研究院」公式批判文書・7つの根本的な誤り。」のNo.4からですが、●「根本的な誤り」その4真のお父様が公式記録で「天の父母様」と祈祷したのは2010年1月1日の一度きり。その後も真のお父様は聖和まで「天のお父様」と祈祷している。「天の父母様」という祈祷は2010年1月1日の一度切り、ということでした。ところが、2001年1月13日の神様王権即位式で以下のような祈祷もされていました。フォトはその時の「神様の玉座」--「天のお父様」と「天のお母様」--です。 ① 神様への最初の祈祷 《祈祷Ⅰ》 新千年を迎えて十三日目を迎えるきょう、真の天上父母の王権即位式を挙行しようと思います。全天宙の万象とすべての存在が、そしてまた、祝福を受けた天上の先祖たちと地上の後孫たちが一心一体となって、歴史的な恨の蕩減期間を越えることにより、第四次アダム圏心情時代を迎え、新しい天上世界において、地上と天上が連結された天国を開門することができる時代を迎えるようになりました。 偽りの父母によって誤った結婚をし、真の愛に反対し、真の生命と真の血統に反対する恥ずかしい歴史が始まり、その恨の歴史を経てこられることに苦労された万軍の主、天のお父様であられ、師であられ、王であれられる御主人を、今まで蕩減と受難の道に追いやっていました。 真の父母がこの地上に来て、偽りの父母のすべての過ちに責任をもち、蕩減の役事を経てその解放を願いながら八段階の勝利の権限を立てました。このようにすることによって、偽りの父母の実践の場となっていたすべてのものを天が引き継ぎ、そして、その勝利圏を中心として真の父母が最高の基準において血統を転換する祝福儀式を通して万国と全天宙を連結させ、その愛の祝福の恩賜によって解放的基盤を連結させました。 心身紛争の解放、夫婦の解放、父子関係の解放、兄弟関係の解放、国と国の解放を経て、天上世界と地上世界をふさいでいる壁と国境をすべて崩し、この勝利した蕩減基盤の上に本然の創造理想として願われた自由解放的世界を立ててくださり、御覧になるすべての世界は、今から新しい天国が地上から天上世界まで一元化されました。 真なる家庭、真なる氏族、民族、国家、世界、天宙、あなたの解放された地上天上天国を連結した勝利を、真の父母の権限と真の師の権限と真の王権のすべてを代表した天地の大創造主であられる御主人のもとに結束させ、すべてのものを再び奉献しようと願うこの式典を喜んで受けてくださることをお願いいたします。 天上世界にいるすべての天軍天使たちと祝福を受けた家庭、そして地上にいる真の父母と連結されたすべての中心家庭を連結した祝福家庭が、地上を中心として兄弟の因縁である長子権を復帰した中で地上が長子の隊列に立ち、真の父母の特権的権限を中心として、堕落した世界を個人から天宙まですべて転覆させた勝利の解放圏を迎えました。 天地の真の父母を中心とした解放的真の父母と地上の解放的真の子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のあなたの願いであるみ旨を蕩減、解放することによって、今から真の父母があなたをお迎えして、本然の基準に即位することができる喜びの式典を奉献しようと願っております。 お喜びの心をもって歴史を忘れ、解放された勝利の基盤の上に立ってくださり、創造本然の心情を備えた愛の理想に一体化することができる勝利圏を中心として、万宇宙にあなたの国の権限を行使することができる全体、全般、全権、全能の解放式の祝典を奉献し、あなたが本然の立場に即位なさることができるこの式を奉献いたしますので、喜びの中で受け入れてくださることを願いながら、真の御父母様のみ名によって懇切に報告いたします。アーメン! アーメン! アーメン! アーメン!《祈祷Ⅱ》 愛するお父様、アダムとエバの堕落によって失ってしまったものを取り戻すために、地上の真の父母が個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の蕩減の峠を乗り越えました。イエス様が願った国家を越え、世界を越え、今では国連を中心として、神様が旺臨なさることができる全人類を代表したNGO(非政府機構)の基盤の上で教育を終え、WANGO(世界NGO連合)の組織を中心として「世界平和超宗教超国家連合」と連結し、地上に天の国を代表した主権を立て、国民を立て、地を立て、天上と地上にあなたの祖国光復のための基台を準備しました。 このような基盤が成されたのち、今この清平においては、祝福を受けた地上の家庭が先祖の代を受け継ぎ、入籍という祝福の恩賜を受けることによって、南北統一の限界線を越えて世界へ行くことができる世界的入籍をなし、イエス様のイスラエル圏勝利が備えられました。万物を中心とした分立の役事を通して旧約時代を踏み越えていき、息子、娘を中心とした分立の役事を通して新約時代を踏み越えていき、そして、祝福家庭を中心としてサタン世界と区別し、個人的家庭から八段階すべての家庭が天の血族としてあなたの愛の標準を中心としたモデル的基準の主人の立場に立つことができる時代を迎えるようになりました。 そのことにより、偽りの父母によってゆがめられた地上のすべてのものが蕩減復帰され、地上と天上世界をふさいでいた数多くの壁がこの基準まで開放され、解放的権限を備えました。そして、万個人と万家庭、万氏族、民族、国家、世界が今、一つの帰結点と真の父母との心情因縁を備え、失ってしまったすべての被造万物を蕩減復帰し、真の父母の名とともに総生畜献納という名を中心として、お父様の前にすべてを奉献できる新千年の十三日を迎え、このように奉献することができるようになったことを感謝いたします。 神様は、もうお座りになってくださり、あなたの権限を行使され、全被造万物を主管することができる主人の立場に、主人だけでなく王権の基準にお立ちください。そして、アダム家庭において成し遂げようとされたあなたの創造理想をすべて飛び越え、霊界と肉界、過去の三時代をも越えた自由自活の立場にお立ちください。そして、このすべての天地が一つとなった世界的基盤の上で、祝福家庭が一時にあなたの愛の権限に属し、王権即位式とともにあなたの国に属することによって、自己主張することができる時代へと入城いたします。 ですから、お父様、万世にあなたの栄光をもたらし、勝利の栄光が全天宙に満ちあふれるよう、許諾してくださることを懇切に、懇切に、懇切に真の父母の名によってお願い申し上げます。 この時間、真の父母が再び蕩減復帰して取り戻した神様王権即位式の即位権限を、あなたの本然の基準である権威の位置に奉献いたしますので、お父様、この日を期して、真の父母が約束し、宣言したすべての基準の上で行使なさることができる自主的な解放的天下をあなたの愛の圏に連結してくださることをお願いしながら、この式を奉献することができることを感謝いたします。 このすべての式典を喜んで受け入れてくださったことを感謝しながら、霊界で祝福を受けたすべての家庭と、地上で祝福を受けたすべての家庭が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を成す伝統を中心として、継続する真の父母の血族が、万代の血統を中心として、そして人脈、人を中心として、公的な万物を中心とした三大要件を神様の直属の前に付加いたしますので、その上で万世を太平盛大に導くことができる王の中の王、神様王権即位式の主人となられることを、真の父母は千万年歴史を越える心をもって宣布いたしますので、宣布したとおりに成就されたものを受け入れてくださることをお願いいたします。 真の父母の懇切な心と懇切な心情ですべてを報告しながら宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! 《祈祷Ⅲ》 愛する天の真の御父母様の前に、地上にいる人類が一つになり、地上の真の父母と天上と地上の祝福を受けたすべての家庭が一心一体となって、二〇〇一年を中心として三〇〇〇年に向かって出発する年頭に語ったみ言の内容と同様に、きょうの栄光の日を宣布いたしました。 「解放された天地父母と解放された子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という年頭の標語とともに、神様と地上の真の父母が一体の心情を備えて新千年すべての人類の前に宣布した言葉として、万有の存在が標語を受け入れ、今から地上において神様が即位することができ、根となる時代を迎えましたので、今日の祝福を受けた家庭は、天地の王権に侍る直系のアダム完成の立場に立つようになり、万国万象を代表した立場で天の前に報告するときにも、「祝福の中心家庭誰々の名によって懇切に報告します」と言う新しい歴史時代を迎えました。 振り返ってみれば、旧約時代においては、物質を両分してサタンと神様が分けなければならなかったという恨めしい事実があり、新約時代にイエス・キリストを中心として心と体が分かれ、心に当たる霊界の整備と体に当たる肉界の整備を残したという事実がありました。その霊肉が一つになることができる時が第二次大戦後でしたが、霊肉を統一してすべてを蕩減復帰し、この地上に本然の理想世界を完成して、地上の真の父母の名をもって天上の真の父母を解放する立場で神様王権即位式をすることができなかったという事実が残ったのです。 今、四十年という歳月を経て、第二次大戦直後に旧教と新教が一つになることができず、東洋と西洋が一つになることができなかったことを再び蕩減した基準を立てて蕩減復帰し、第二次大戦直後に、キリスト教文化圏においてカインとアベルである旧教と新教が一つになって受け入れることができなかったことを今この時に、八十歳を越え、二〇〇〇年を越え、新しい三〇〇〇年に向かって出発する今年の最初の月の十三数、イエス様の十二弟子と中央数、イエス様が失敗した恨の歴史を再び歩んで整備し、ローマだけでなく、世界だけでなく、地上・天上天国の解放圏を備えて十三数の中心の日を定めることによって、このような神様の即位式を挙行するようになりました。 今から、二〇一〇年、あるいは二〇一二年までのこの期間に、神様の前に総生畜献納物を奉献するものを再び戻して受け取ることができ、地上の統一天下と、地球星はあなたの故郷であること、そしてあなたの祖国光復を宣布することができるその時まで、あらゆる精誠を尽くすために、南・北韓の統一を中心として、国連の統一と天上・地上世界統一の一線上に立って、平均、平面上で連結させなければならないという切迫した最後の整備時代を迎えました。 神様王権即位式を挙行いたしましたので、全体、全般、全権、全能を行使なさり、あなたが願われるすべての宗教圏の霊界を動員してください。地上において平和の世界を迎えることができる自主張時代を迎えましたので、その自主張権限を地上と天上世界の歩調に合わせ、地上の真の父母が天地に成した勝利の大解放時代を望みつつ、新しく一月から全世界と天上世界の祝福を受けた家庭が一心一体となって、地上定着のためのアダム圏地上基盤を中心とした長子の位置と父母の位置と王権の位置を復帰し、天上世界においては、代を受け継いでいく基準において長子権復帰、次子権復帰が成し遂げられ、次子の権限が長子の権限を身代わりすることができる天地開闢時代を迎えました。 最後尾にお立ちになった神様が、真の父母によって、最後尾ではなく先頭に立つことができる即位式を挙行いたしましたので、あなたが願われるみ言の内容はすべて宣布され、天の国の構成において、個人の統一問題、家庭の統一問題、氏族、民族、国家、世界、天宙の統一問題、すべての問題を知っておりますので、今からは実践躬行(注:自分で実際に行動すること)してその実体圏を地上に成し、真の父母の名と天の真の父母の名を奉り、最後の勝利的権限をすべて備えた祝福家庭、中心家庭としてすべてを終結させることができる天宙の永遠な解放の時代に前進することを許諾してくださいますように。 そのようにすることによって、天の真の父母と地の真の父母の主権国家を中心として、万万世の太平盛大な王権を勝利し、あなたが理想とされる、万民皇族圏と神様に侍る天上直系の子女たち、すべての地上と天上の祝福家庭たちの上に一律的な恩賜を分け与えてくださることを、真の御父母様はこの日を期して願いますので、特権をもたれた王権王座にいらっしゃる神様の権限として、このすべてのことを約束とともに実践してくださることを懇切に、懇切に、お願い申し上げます。 今、この一年から、あすから出発するすべてのことは、統一家のすべての祝福が勝利の覇権的旗を掲げ、万国を治めることができる天の国の大使と天の国の総督の名をもち、一方通行、勝利、勝利、万世に前進することができる解放者となることを許諾してくださることを懇切にお願い申し上げ、天の真の父母と地上の真の父母が共に一体となるこの場を通して懇切に報告、報告、報告、宣布、宣布、宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! 感謝いたします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.07
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HJグローバルニュース (2020年 3月 7日)FFWPU PeaceTVチャンネル登録者数 9450人- 人類と世界のための超国家的ネットワーク 世界平和国会議員連合■日本語http://www.ipeacetv.com/vod_view/11482PeaceTVサイトでは、よりたくさんの映像がご覧になれます。ipeacetv.com一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.07
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「私には夢があります」文信出様 書信一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.06
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U-ONE NEWS 2020年3月6日号世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 1.54万人「真のお父様(文鮮明師)聖誕100周年及び聖婚60周年記念ビデオ『神様のもとの人類一家族』」が収録されています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.06
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韓国ニュース検索(2020.03.06)から。世界平和統一家庭連合韓鶴子総裁、コロナ19克服のための寄付金3億ウォンを寄託一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.06
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とうごま氏記事「中村仁史氏告発証言第二弾!再臨主伝統破壊クーデターは天の父母様呼称変更から緻密に計画されていた!」(2020-02-25)からの引用は以下です。●はじめに元「光言社」職員、「天一国三大経典」日本翻訳責任者を務めた中村仁史氏が、第二弾の告発証言となる動画を公開しました。私は、再臨主文鮮明師の聖和後7年間、韓鶴子女史が掲げた「家庭連合VISION2020」の総括は、「伝統破壊の完成」であると考えています。真のお父様が築き上げた壮大な天国に至る「御言」と「伝統」を粉々に粉砕した(負の業績)以外、韓半島を取り巻く国際情勢ひとつをとっても、暗澹たる気持ちにさいなまされます。私が考える韓鶴子女史の唯一の業績は、「私を信じ、私に絶対服従を誓いなさい!2020年までに7カ国を復帰しなさい!」と「叫んだ」こと。これ以外ありません。今や家庭連合は、まったく異質な宗教団体(あえて名称をつけるならば「清平韓鶴子教」)に衣替えしてしまったようです。そのような状況の中に、一点の光明の光が「中村仁史氏」の登場です。中村仁史氏は、家庭連合が「清平韓鶴子教」に衣替えする緻密な「クーデター計画」の第一歩は、だれも気づかないような、「天のお父様」から「天の父母様」への呼称改変にあったと指摘します。このだれにも気づかれない一点の改変(神観変更)が、その後の家庭連合を激変させる出発点であったことに当時気づいておられたのは、文亨進様ただお一人しかおられなかったという事実は、神様の最大の悲しみともいえるのではないでしょうか・・・。これまでの自称ルポライタイーtomy4509の検証を見ても、「天のお父様」から「天の父母様」への変更は文総裁も語られていたことで、基元節をもって変更を予定されていたものではないかと思います。それを韓鶴子総裁がされた、ということではないでしょうか。文亨進氏始めとしたサンクの方々の主張はあまりにも偏り過ぎたものばかりで、その情報も虚偽・ねつ造によるものが数多くみられました。また、今回とうごま氏(中村仁史氏のビデオ)を見ても然りです。なるほど、中村氏は元光言社職員として韓国語の翻訳に携わってこられたかもしれませんが、文総裁が語られていた二性性相の解釈そのものにも問題が見られましたし、多くの文総裁のみ言(韓国語)を目にされながらも「独生女」を知らないといったウソまでついていました。黒・天聖経の韓国語「독생녀(独生女)」は「ひとり娘」の翻訳を付けられたのは中村(その)仁史氏かいません。サンクに中村氏ありと書かれたとうごま氏、これは誤訳だとの否定は出来ないでしょう。とうごま氏の過去記事(https://www.kateirengou.jp/entry/2019/01/25/091111)、実名者を名乗られているというのであれば、間違っても 家庭連合の食口は、独生女論をしっかり見極めなければなりません。当たり前に考えてください。「独生女」など、聖書にも、原理にもありません。私たちは「独生女」という単語すら知りませんでした。無原罪の独生女など、3年前の2016年末から、家庭連合の学者が食口に説き始めた、にわか作りのインチキ神学です。第一、第二のお母様が勝利していたならば、独生女論など、そもそも、あり得ないものです。こんなものが人を救うことなどできるはずはなく、むしろ、食口を地獄へ引き入れるものです。家庭連合の食口の皆さんは、独生女論など偽りであることを知ってください、目を覚ましてください!などとのウソ・デタラメはこれ以上は書かないでください。自称ルポライタイーtomy4509としては、自分自身で検証したものを書いています。実名を出されたからといってウソ・デタラメでこの世を惑わしていて何の価値がありますか?正式ハントルネームは「とうごまとヨナ」氏ですが、『本当に神様からの託宣を告げておられる「ヨナ」ですか』と言いたいです。ところで、中村仁史氏のビデオ第1弾の金栄輝先生への「お伺い書」から随分と話が逸れてきていますが、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた真のお母様の「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」その結論はどうだというのですか。私tomy4509からは中村氏ビデオで挙げた引用文のほかも調べては、旧約・新約・成約の三時代を経た「ひとり娘」としての韓鶴子総裁が1960年に文鮮明総裁と聖婚式(小羊の婚宴)をされたことを論拠としてお母様の「私は母体からです」とお父様のみ言との整合性を照明していました。さらには、2000年前のイエス様「独り子(独生子)」が基督教の信仰によって受け継がれてきたように、お母様も「皆さんはこれを信じなければなりません。」と私たちも信仰による以外にないということです。サンクはお父様のみ言を隠蔽しては、ウソをつかないでください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.06
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前回記事「とうごま氏、結論お母様にケチを付けたいだけでしょ?!」のお約束です。中村氏ビデオで挙げていた引用について:●中村仁史氏が引用したアボニムの御言『神様は1人ですか、2人ですか? (「2人です」)。何ですか? (「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか、1人でしょう? 2つの性稟が入っているのです。(あなたには)良心がありますか、ありませんか? (「あります」)。体がありますか、ありませんか? (「あります」)。その2つが一つになって1人の女性です。(神様は)性稟は2つありますが、体は男性的主体としていらっしゃるということです。その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体がいれば、また他の男性格主体がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとするので、(神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性型としていらっしゃるということです。』 (『文鮮明先生御言選集』 182-61 1988.10.14) これに関しては次の記事で『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をあげますので、皆さんで判断してください。中村氏が引用した部分は赤字にしていますが、中村氏以外の方が翻訳されたもののようですので少し違っています。男性格主体に女性格主体となれば「二元論」となるとお父様のみ言から読み取れると思います。男性格主体と女性格対象の中和体ということでしょうか。創造原理から正(神様)から分かれた人間の男女を見ても、陽性のみが男性、陰性のみが女性とはなっていません。合(夫婦)となってもどうでしょうか。『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をお読みください。(以下に全文。『ファミリー』1989.1月号に掲載)文鮮明先生御言選集 19881014 - 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一1988年10月14日 宗教の道と哲学の道 宗教生活は一般の生活と違うということを、私たちはよく知っています。宗教とは神に出会って、神と共に生きる道であり、哲学とは、すべての知識と文化的背景による世界観や思想的観を中心として、神を探し求めていく道なのです。ですから、今日まで歴史を動かしてきた人々は、哲学者ではありません。既に、皆さんが御存じのように、歴史上には四大聖人がいましたが、彼らはいかなる人々であったかというと、それぞれの宗教の教祖でした。イエス様がそうであり、釈迦がそうであり、孔子がそうであり、マホメットがそうです。彼らがなぜ歴史上の数多くの人々の中において、四大聖人という名をもつようになったかというと、彼らは、ただ単に人間と共に生活することにあこがれをもって生活した人たちではなく、神の遠大なるみ旨にあこがれて、そのみ旨に歩調を合わせて生きた人だからです。 人間、その志すものはいつしかみんな流れ去ってしまいます。優れた人、愚かな人、人それぞれに生きる道は違いますが、すべては流れ去ってしまうものです。しかし、愛国者の生活伝統は、その国が存続する限りいつまでも残るのです。しかし、そのような愛国者の志も、いつか国家の興亡とともに流れ去ってしまうものです。それはなぜかというと、人間世界の歴史は、国家や社会や家庭を背景にした志を分別していく道であり、ある国家や社会、家庭、また個人の目指す道は、神のみ旨とは一切関係がないからです。それは堕落圏内にある世界だからです。 神のみ旨の立つべき位置は、堕落した世界を越えなければなりません。ですから、この世界の全人類を理想的世界へ、より次元の高い世界へと導くための道を収拾してきたのが、歴史的な代表者としての四大聖人なのです。そのような聖人たちを中心として、ヨーロッパにおいては、キリスト教を中心とした文化圏をつくり、インドにおいてはヒンズー教を中心とした文化圏をつくり、さらに極東においては、儒教、仏教、仙教による文化圏をつくり、中東においてはイスラム教を中心とした回教文化圏を形成してきたのです。そのような文化圏は今日まで、神の理想的生活圏の土台を形成するためのものだったのです。ですから、そのような宗教同士の中でも、互いに紛争が絶えなかったのは、それぞれに自分たちの宗団を中心としてのみ、神の理想的生活土台を形成するということを願っていたからです。そのような願いの上に立っているので、今日も宗教同士の戦争が絶えないのです。このように宗教紛争が絶えないということは良くないけれども、宗教の目的とする基準が成就されない限り、どんなことがあっても神様は、宗教を残していかざるを得なかったのです。分かりましたか。 このように見た時、神と共に生きた四大聖人の残した世界は、その民族や背景によって、それぞれが異なった文化圏なのです。そのような各々出発地の違う東洋と西洋を収拾しなければなりませんが、神が四大文化圏を形成してこられたその目的はどこにあるかというと、宗教によって世界を破綻させるためではなく、宗教を連合させて、その基盤の上で世界の全人類を救うためなのです。 それでは、世界の全人類を救ってどこへ連れていくのでしょうか。仏教を信ずる人々は、仏教の世界へ行くことを願います。キリスト教を信ずる人々は、キリスト教の世界へ行くことを願います。さらに回教を信ずる人々は、回教の世界へ行くことを願うのです。そして、各自が処しているそれぞれの宗団を中心として世界的な生き方を願うのが、すべての教祖たちの所願であると同時に、神のみ旨もその一点にあるのです。しかし今日まで、各々の教祖に分からなかったことは、各々の文化圏を形成してきたのですが、その終末においては本来の出発である神のみ旨を中心として、個人的なみ旨、家庭的なみ旨が合致する時、氏族、民族、国家、世界、全天地が一つになるということです。世界的な文化圏を形成して次に何をするかというと、国家を中心として、民族を中心として、氏族を中心として、家庭を中心として個人が一つになれる軸による統一をするのであり、それを成すのは、神のみ旨のみです。個人が歩むみ旨、家庭が歩むみ旨、それぞれに範囲は違っても、その道は同じなのです。 ですから統一されなければなりません。神様は絶対的な方であられるのです。四大文化圏の一人一人がみ旨を受け継いで、世界の文化的背景の異なる四方の地域から、結局は山頂に至るようになるのです。そこで「あ! あなたは東から来たのですね。あなたは南から、あなたは西から、あなたは北から来たのですね」と。このように出会ってみると、それぞれに誰しもが神を求めてきたというのです。山頂に至るまではそれが分からないのです。それは、山頂に登ってくる人々を見下ろして、摂理されている神様以外には誰も分からないのです。ですから宗教間において、歴史上に多くの複雑な問題も残してきたのです。キリスト教は、すべてにキリスト教を中心として、「自分たちが第一である」と言うのです。それは一側面からだけ見ているのです。頂上から見れば違った答えになるはずです。すべて頂上に登らなければなりません。谷間にいながら頂上にいるような行動を取れば、それらはみんな肥やしになるだけです。 ですから、神のみ旨のみを中心として生きるのが宗教の道です。そして、神のみ旨の道とは、絶対者のみ旨であり永遠に一つなのです。二つはないのです。では、絶対的な一つのみ旨を中心として、個人がその絶対的な神のみ旨のみを中心として生きれば、その人は個人天国に属することができるのです。それが家庭であれば、神様と共に生きる家庭天国となるのです。そのように民族を越え、国家を越え、世界を越えて、神のみ旨を中心として世界が一つになっていくのが地上天国です。分かりましたか。 それでは、統一教会とはいったい何をする所なのでしょうか。統一教会も同様な道をたどっているのです。統一教会はレバレンド・ムーンという人によって始まったのですが、その教えは自分を中心として生きるということではありません。神のみ旨の道にあって、すべての宗教が様々に混乱している現状から、最終的には、本来の神のみ旨を中心としてすべてを合わせなければなりません。数多くの工場から部品を集めて、青写真によって、一つの製品として組み立てていくように、もし神様が最も喜ばれる一つの製品を作り出すブループリントによって世界を一つにする運動の理想がないとすれば、宗教を立ててこられた神御自身も不正当な方だとなるのです。ですから聖人を訪ねて、共に生活を指導してこられたというのは、個人のためではなかったのです。彼らと共に、世界的生活理想圏をつくるために、時代を経つつ、彼らが同じ喜びをもって世界的に生きることを願い、宗教を通して歴史と世界を収拾してきたのです。 世界の統一は宗教圏の統一から さて、世界の統一はいかにして成されるのかという問題を考えた時、まず宗教圏の統一が成されなくては、この地上世界は統一されません。それはなぜかというと、この世界は堕落した世界だからです。堕落した世界は戦いの歴史があるだけです。堕落した世界は、自分を中心とすることをまず第一主義に考えるのです。何事においても自分を中心として生きようとするのです。エバが堕落したのも、自分を中心としたからであり、天使長の堕落の動機も、自分を中心としたからです。すべてにおいて、自分の利益のために相対的環境を処理したのが堕落なのです。 では、このような世界から逃れるためにはどうすればいいでしょうか。まず第一に、神のみ旨の道を尋ねていかなければなりません。神のみ旨とは何かというと、悪魔の道と正反対の道です。この世で生きようとする者は、天の国においては死のうとする者です。このように正反対なのです。ですから聖書にも、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と記されているのです。そのように逆説的な論理なのです。皆さんは、聖書がなぜそのようになっているのかというその根拠を知らなければなりません。先生の話は大まかな歴史的結論だけです。 では、これからの世界を統一できる宗教になるにはどうすればいいのかというと、人間は死ぬ時はいかに死すべきかという個人としての死を知り、家庭を犠牲にしても氏族、民族、世界を犠牲にしても、必ず神に帰るという思想をもった者とならねばなりません。そのような者が神様に出会うことができるのです。ですから、統一教会で活動することは、統一教会のためではありません。より大きなもののために投入して、犠牲になるためです。大きいものが生まれるためには、まず小さいものを投入しなければなりません。これが原則です。発展的原則であり、分野的原則でもあるのです。 それでは、神様の創造理想は何かというと、大宇宙は統一的世界を構想しているので、この宇宙形成の理想圏を促すためには、宇宙形成圏から何かを取り出すのではなく、この宇宙も何かを取り入れなければならないのです。まず宇宙目的が形成されなければ、宇宙はこのまま存在することはできません。宇宙の目的を包むことのできる何かが存在し、その中に宇宙自体も入らなければなりません。そこに入ってからは、千年、万年、じーっとしていなければなりません。自分自身を主張しようとする人は、宇宙の大理想圏が形成できません。そのような中で、忠臣とはどのような人かというと、別に特別な人ではありません。歴史を代表するいかなる人が投入したより以上を投入する人が忠臣なのです。そして孝子とはいかなる人かというと、父母のために自らを投入することにおいて、誰よりも投入した人がより孝子なのです。 では、これらの四大聖人の中で、一番の聖人とはいったいどのような人でしょうか。それはより犠牲的な内容をもって、この世間の道理のゆえに否定されるという論理の上に立っている人でなくてはなりません。でなければ、この堕落した世界にあって、完全にXとYを変えることはできないのです。何の話か分かりますか。左が右に行こうとすれば、必ず左右が交差しなければなりません。これと同じように、世の中の万事が堕落のゆえに逆になっているのです。堕落した世界が正しくなるためには、左と右が今までと反対に交差すれば神側に立つようになるのです。ですから聖書にも「誰よりも人をより愛せよ」とあるのです。イエス様も「父母、兄弟よりも私を愛さない者は、私の弟子にふさわしくない」と言われたのです。それに加えて、「自分の十字架を背負って私に従ってこない者は私の弟子にふさわしくない」とも言われたのです。 さて、皆さんはこの社会の中で、父母、夫や妻、子供と共に生活しているのですが、一国の愛国者の道理や世界を中心とした聖人の道理に従っていくことによって、果たして理想世界ができるでしょうか。これが問題です。終末になってなぜ宗教が疲弊してきたのかというと、世の中と歩調を合わせているうちに、右も左も分からなくなってしまったからです。左が問題なのであり、右は問題ではありません。左を取り替えなければなりません。そのためには、誤ったものに制裁を加えることのできる反対のものが出てきて、ぶつかっていかなければ新しいものは出てきません。それで終末とは、交差時代のことをいうのです。今日のキリスト教はそういうことが分からないのです。そこで、統一教会の責任をもっている文なにがしという人が出てきて、この世界をどのようにするかというと、まっすぐに走って、直線にサーッと切ってしまうのです。 まず、世界的個人と対決して勝利しなければ、世界的個人の代表として、神様を迎え入れて共に生きることはできません。先生はこのように世界的個人の代表として、個人解放圏を準備するための土台を再現したのです。それは単一民族です。その単一民族の中でも、歴史上最も混合されていない民族でなければなりません。それがこの韓民族なのです。韓国の人たちは他の人の意見をなかなか聞き入れません。喜んで聞いているように見えても、全く別のことを考えているのです。そして、その人の後頭部を打とうとさえ思っているのです。このように最もややこしい民族が韓民族なのです。サタンもそれを知っているし、神様もそれを知っているのです。そのような意味から、北側のサタンの群れと、南側の神の群れに分かれて戦っているのです。そして南の人々は、積極的に神様を受け入れようとし、北の人々は積極的に神様に反対しようとしているのです。そこで共産党は、「神はいない」と言うのですが、それは、父親が元気に生きているのに、その息子に対して「あなたの父は死んだ」と言うことと同じです。皆さんはそんなことを言われて黙っていますか。そんな人は気の狂った人です。 皆さんは、全世界の民族に対して影響を与えなければなりません。全氏族に対して影響を与えなければなりません。全世界の人々に影響を与えることのできるそのような立場に立って、共産党を追い出し、サタンを追い出すための働きをしなければなりません。統一教会は共産党を打ち砕くことのできる先駆者なのです。南韓で一番金日成を嫌う人は誰でしょうか。大統領ですか、誰ですか? それは文総裁なのです。それは既に世界的にも知られていることです。しかし文総裁は、共産党を打ち砕くのに銃をもって行うのではありません。一人も殺すことなく、すべての共産党の人々を解放しようとするのです。このような主義を主張できる人は、歴史始まって以来先生しかいないのです。そういう意味で、共産党を擁護しようとするどんな個人も、家庭も、氏族も、民族も、国家も、世界も許すことはできません。なぜかというと、神様がそれを許すことができないからです。神の本来の理想の中にはサタン、悪魔、共産党は存在しなかったのです。神様が嫌うような存在はありませんでした。神様が嫌う世界的な主義、主張は悪魔のものです。今日、終末が来るまでは全部サタンの思うままでした。サタンは神様の代わりの立場で全人類に侍られてきたのです。しかし、神様が人類を半分に右翼、左翼を分け、万民を神様の前に帰そうとするので、悪魔の失策的転換が共産主義理論となったのです。よく見ると人類が神側に戻ることは明らかなので、自分(サタン)にも、神にも侍られないようにするために詐欺的術策として作り出した哲学です。すべてが偽りなのです。 ですから、世界の三分の一までしかサタンは食べることができません。それで、あとの三分の二に影響を及ぼそうとしているのです。しかし神様は、「これは私のものだ」と言うのです。そこで共産党は反対に、「これは自分のものだ」と言うのです。金日成は四十年間「南韓は自分のものである」と言い続けています。ひどい話です。統一教会は全世界的に防衛線を張って、これを収拾しようとするのですが、それは武器ではできません。真理でもできません。聖書には「真理を知る時、真理はあなた方を放す」と記されており、人々を自由にすることはできますが、解放することはできません。それは神の真の愛のみです。 神様の創造された広大なる宇宙 神様は宗教をつくって、今日まで人類と共に生きたいと願ってきたのですが、それは何を中心として生きようとされたのかというと、神様は物質によって良い暮らしができるようにすることなどは関心がありません。霊界に行けば食べる心配も、着る心配もないのです。それを知っていますか。先生が霊界の話をすれば、これから死にたいと思う人が多くなるので、このことは話しません。(笑い) 果たしてキリスト教において、主様を選挙で選び出せるでしょうか、どうでしょうか。主は天から来られるのです。対象が主体を決定することはできません。何の話か分かりますか。対象は主体が自分のようでなければならないという概念をもつことはできないのです。対象は第二の存在なのです。自分で権限を評価できない対象圏の位置にいるのです。これは少し難しい話です。 さて、神様はお金もうけもせず、ただ黙って座っておられる無識の大王なのです。神様は黙って飢えている大王なのです。じっとしている無力の大王なのです。誰でも来て打つことができるのです。神様は黙っておられるのです。仮に、一番の知識の大学者がいたとしましょう。歴史始まって以来の大きな権力をもつ為政者がいたとしましょう。世界一お金を持っている人がいたとしましょう。皆さんは、これら三人の中で誰の手が先に伸びることを願うでしょうか。神様も考えてみられるのですが、皆さんであればどのような人の手が伸びることを願いますか。女性はお金持ちの人の手が伸びてきたらいいと思いますか。お金があればどんなにおいしいものでも食べることができるのですね。知識の手が伸びてきたらいいなと思う人は、知識をもって何をするのですか。何をしますか。それが問題です。先生の前ではみんな泥棒のようなものです。先生の手がいかに大きいか、それは全世界を代表する大きな手なのです。神様の手も大きいのですが、その神様もすべて握ることのできる大きな手なのです。さらに、子供のような小さな指がそこについています。それはどんな手かといえば、お金もないし、知識もないし、権力もないけれども、ただ一つ母親の愛だけは知っている手なのです。その手は愛を求める手です。では、神様はどの手に最も関心をもつでしょうか? (子供の手です)。それはカニの足のように小さく見え隠れするような手なのに、神様は関心をもつのです。 この宇宙がどれほど膨大なのかといえば、ある科学者などは二一〇億光年かかる大きさだともいっています。以前、一五〇億光年の星を発見できる電波望遠鏡があるということを聞いたことがありますが、この宇宙はどれほど大きいことでしょうか。光の速さは、一秒間に三億メートルです。三億メートルといえば、地球を七回半回る距離です。それが一秒間に進む光の距離であれば、一分間ではどんなに遠くまで進むことでしょうか。さらに一時間たてばどうでしょうか。光が進むその距離は、どれほど遠くなることでしょうか。それが一時間でもなく、一日でもなく、一年かかって進む距離を一光年というのです。そのような速さをもった光が二一〇億光年かかる距離は、これから皆さんが千年、万年を生きて数えようとしても数えきれるものではありません。そのような距離をもつ膨大な宇宙も一つに連なっているのでなく、それぞれ分かれて運動をしているのです。そして互いに関係を結んで大きな固まりになって、回転運動をしているのです。それは自然に生じたものでしょうか、それとも誰かがつくったものでしょうか。自然に生じたのですね? (いいえ)。どうして「いいえ」ですか? すべての存在は、根源があって生じたものであり、何の動機もなくて生じることはないのです。 そのような宇宙を動かすことのできる神の力がうらやましいですか。「宇宙には、ダイヤモンドの星が一〇〇〇個、一万個存在する」と言っても、「無い」と言い切れる人はいません。黄金の星、ダイヤモンドの星、五色に輝く星が数多くあるというのです。それは誰がつくったのでしょうか。神様に宝石が必要でしょうか。神様が好きなダイヤモンドは何カラットでしょうか。英国のロンドンの博物館に行けば、世界で一番大きいダイヤモンドは五一七カラットだといわれています。卵ほどの大きさです。皆さんが結婚する時、一カラットのダイヤモンドでも喜んで受け取るのですが、神の創造においては、五一七カラットのダイヤモンドなど問題ではありません。ダイヤモンドの星もあり得るというのです。そのような広大な宇宙も、共産主義者は自然に生じたというのです。そして、宇宙はそのまま存在するものとして論法を立てていくのですが、そうではなく、宇宙の根本を訪ねていかなければなりません。 神様はどれほど素晴しい方でしょう。そのような神様にも、いとこやはとこが必要なのでしょうか。人間は、いとこやはとこを必要とします。人間は国も必要とします。神様はどうなのでしょうか。皆さんは、いとこやはとこがなぜ必要ですか。困った時、お金を借りるためでしょうか。(笑い) 知らないことを教えてもらうために必要でしょうか。人間は生活の中で、親戚と共に踊りを踊ったり、歌を歌ったりして、上下、左右へと和音をつくり出していくのです。そのような親戚が数百名も集まって、コーラスするその和音には、すべての人々も引き込まれてくるのです。そのような、全体の美と全体の調和を成すことのできる、和合した美化的感覚が必要なのです。 宇宙の根本は父子の関係 では、神様に必要なものはいったい何でしょうか。それが問題なのです。神様に必要なものは食べ物ではありません。もし皆さん霊界に行けば、そこで愛に酔って憧憬するものは、すべて直角になる世界です。何の話か分かりますか。愛に酔って皆さんが要求するものは、すべて直角に現れるというのです。他のお金の力でも動きません。知識でも動きません。権力をもってしても動きません。ですから愛に同和することにおいて、四方八方に対応できる主体になれば、すべての世界は対象圏として現れてくるのです。自身が愛の対象圏になれば、すべてが主体として作用するのです。ここで「パーン!」という音がすれば、あちらではさらに大きく「パーン!」と鳴るのです。そして大きく「パーン!」と鳴ったら、次には小さく「パン」と鳴るのです。いったん上がったものは、それ以上に上がれば飛んでしまうので、再び下がらなければなりません。すべて和音にならなければなりません。そこでは神様も笑うでしょうか。誰か神様を見たことがありますか。神様にも目、鼻、口、耳、体があるでしょうか。その点では既成教会の信者たちはでたらめです。神様に目があることも知らないのです。「神様の目を見ましたか?」と尋ねても、誰も分からないというのです。「神様に鼻や、口や、耳がありますか?」「神様は誰に似ていますか?」。「神様は神様に似ているのです」。いったいそんな答えがどこにありますか。 神様は誰に似ているかというと、息子や娘に似ているというのです。ですから神は人格的なのです。人格的な神は、私たちに対して人格的最高の基準を要求しているのです。世の中には法度があり、また礼法があり、高低の均衡を取るようになっているのです。それに従っていけない人は脱落するのです。ですから先生は霊界のことをたくさん知っていても、そのことについての話はしないのです。もし先生が霊界の話をすれば、気が狂っておかしくなる人も多く出ます。婦人たちも自分の夫に対し、「なぜあのように生き永らえているのか、早く天国にでも行けばいいのに。先生がお話しされる天国はいい所だから早く行けばいいのに……」と思うのです。それでは天国には行けません。妻はまず夫を教育して愛さなければなりません。このような話をすれば時間が早くたちますね。もう何時になりましたか。 神様が好きな色とは何でしょうか。神様は白が好きでしょうか、赤が好きでしょうか、黄色が好きでしょうか? (白です)。なぜ白ですか。白は清い色ではありません。七つの色を混ぜ合わせたものです。プリズムを通して見れば、白は七つの色でできています。それらがすべて調和されるので、きれいに見えるのです。本当はきれいではありません。 神様が好きなものとは何かというと、先生が神様に会って質問したことがあります。「神様、宇宙の根本は何ですか? 世界の全人類は、宇宙の根本が何であるかを知りたいのです。そのために祈祷や、いろんなことを行っているのです」と。それに対する神様の答えは簡単です。宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、「父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ」と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。文先生がそのような結論を出したのです。神様にお尋ねして、「神様、こういうものではありませんか?」。「お前(文先生)はそれをどうして知ったのか。お前は私よりも優れている」と、神様は言われたのです。アーメン。 先生はキリスト教徒の群れに会って、その牧師にこのことを話した時、「アーメン、アーメン」と彼らは言うのです。先生が一番嫌いなのは、その「アーメン」です。それは詐欺師の使う桶のようなものです。魔術師も魔法を使う時、そのような桶を置くのです。そして間違えば「アーメン」と言うのです。「アーメン」というのは、すべてを成し得たのちに使う言葉なのです。ですから神様が一度だけ「アーメン」と言えば完成であり、千年、万年も「アーメン」と言うことはないのです。父子の関係というのは、父母と息子関係でもなく、最高なる関係なのです。そして、そのような父子の関係を永遠に一つにする力が真の愛なのです。ですから神の真の愛は、一人で成就できません。今日のキリスト教信者は、「神は真の愛の主体であられ、多くの人々を迎え入れるのです」と言うのですが、それはとんでもない話です。神御自身も対象がいなければ、どんなに大切な愛も完成させることができないのです。 では、神は一人でしょうか、二人でしょうか? (二人です)。天のお父様と天のお母様という二人ではなく、神には二つの性禀が入っているのです。今答えた人は良心がありますか。ありませんか? 体がありますか、ありませんか? それら二つが合わさってあなたという一人の女性なのです。神の性禀は二つありますが、体は男性格主体となっているのです。では、男性格主体というのはいったい何でしょうか。女性格主体であればどんなにいいでしょうか。しかし女性格主体といった時には、別に男性格が存在しなければならないので二元論になってしまうのです。分かりましたか。二元論になってしまうというのです。神は永遠に一元論であられるために、男性、女性の中和体として、主体的な性禀をもった初めての男性形なのです。なぜ男性形かというと、男性は女性を治めなければならない責任があるのです。後ろからでも、横からでも、上からでも、下からでも女性を治めなければなりません。それで女性が、真の主体に出会った時、秒速三億メートルのスピードをもつ光の速力でもって、西側からぶつかっていっても、男性はグルッと数回回るだけで、それを収拾していくのです。何の話か分かりますか。回りながら収拾するのです。 ですから男性は女性を治めなければなりません。父母は子女を治めなければなりません。人々はみんなそれを願うのです。ですから神様は男性的主体なのです。その主体が好むのは何かというと、お金ではありません。皆さんがもし霊界に行けば、先生のこの話が正しいかどうか分かります。先生の話が間違っていれば、先生に抗議しなさい。もし霊界で先生に会えなくても、「文先生は本当に悪魔の魁首だから自分たちがいる天上の霊界にはいないのだ」と考えてはなりません。先生は最上の霊界にいるのです。昼は神様のおなかの中に入って眠るのです。世の中にそのような話をする人があるでしょうか。そのような話は、愛の世界においてのみ可能なのです。あなた方の中で、夫の心の中に入って眠りたくないという女性は手を挙げてみなさい。そのような女性は良くない女です。「あなたの真に愛する夫の心が宮殿のようであり、そこで手足を伸ばしてグルグル回ったり、鼻歌を歌いながら、眠りにつきたいと思う女性は手を挙げなさい」と言えば、みんなが手を挙げるのですね。 夫の心の中に入り込んで、ゴロゴロと回っている女性は幸せ者です。その愛は、そこから出たくなくて、誰が何を言っても千年、万年共に生きたいというのです。おなかが空いてきましたね。説教の途中なのになぜ「おなかが空いた」と言うのかというと、先生は皆さんのおなかが空いたことが分かるからです。朝食は食べましたか? (食べていません)。先生もおなかが空きました。きょうはこれぐらいにしましょう。このような話を始めれば、十時間、百時間でも終わりません。先生がアメリカへ行って立てた最高記録は十六時間半、立ったままで説教したことです。それほどよく話をする先生なのです。 真の愛による同位権、同参権、相続権、所有権 さて、先ほどの話ですが、世界の統一は、絶対的な神のみ旨を中心として行うのです。問題はそのみ旨が何に根拠をおいているかということです。み旨の根拠は何かというと、それは手段でもなく、お金でもなく、知識でもなく、真の愛の根でなければなりません。 真の愛の色は赤でしょうか、黄色でしょうか。どうですか? (分かりません)。「知らない」と言ってはいけません。「調和という内容をもっているので分かりません」と答えなければなりません。 皆さんは愛を知っていますか。世の中で普通に結婚して、夫を千年万年信じて生活していたのに、もし夫が隣の家にめかけを住まわせるならば、妻の心はどうなるでしょうか。夫は、自分の妻は女性の中でも最高なので、自分がどんなことをしていても「よくやりましたね」と褒めてくれるだろうと言うのですか。女性たち、どうですか。それは命を懸けても許すことができないことです。そうですか? (はい)。なぜですか。男性のゆえですか、愛のゆえですか? (愛のゆえです)。そうです、愛のゆえです。愛がいかに強いかといえば、一度に十人の首を、愛によって切っても、誰も痛いとは言わないのです。愛は命に屈伏しないのです。真の愛の道の前には、反対する者のその数百人の首を切ったとしても降伏しないのです。ですから夫の不始末を聞くや否や、心を治めることができず、大根を切るように夫の首を切りきざみたくなるのです。「この心がいったいどこから出てきたのか。なぜ、自分はこれほどまでに暴悪で、これほどまでに悪なる人になってしまったのか。数十年間祈祷を続けて、聖人の母になろうとしてきたにもかかわらず、小さなバッタみたいな者が飛び跳ねながら、少しばかりいたずらしたことに対して、なぜこうなるのか。このようになりたくないのに、どうしてこうなるのか」と思うほどです。どんなに小さな女性であってもこうなのに、もし偉大な神様が愛を踏みにじられ奪われたとすれば、神様は果たして黙っていられるでしょうか。どうですか。神様はどうされるでしょうか。神様だから黙っているのでしょうか。どうされるでしょうか。より大きな雷を落とすでしょうか。それとも「フッフッフッフッ」と笑うでしょうか? (大きな雷を落とします)。神様とても同じです。では、千年後の私たちの後孫はどうでしょうか。最近では、中、高校生にもなれば、その両親が、「私の子女たちのデートの相対がいないかなあー」と言っているのです。それは滅びの兆候です。それは真の愛と関係ありません。「あのような女性とは結婚させたくない」と、どんなに父母が言っても、一族が騒いでも、「あなたの娘は、私の一族を売ったとしても嫁に迎えたい」と言う、そのような男を婿にしたいですか、それともこじきのような男を婿にしたいですか。どちらですか? (前者です)。神様もそのような愛には気が狂うでしょうか、狂わないでしょうか? (狂います)。それを見たことありますか? では、「神様すらも愛においては気が狂う」と言った時の感じと、「神様は愛においては気が狂わない」と言った時の感じと、どちらのほうがより皆さんに近いですか? (前者です)。前者ですね。それは正しい答えです。 神様が愛に酔って、その目も真っ赤になり、五感とすべての表示体が麻痺したとしても、次に何を中心として動き出すかというと、愛を中心として動いて、愛の焦点を合わせるのです。愛の力がどんなに強いかというと、いったん愛の関係を結んだ人は、もしそれが王家の王女と僕であれば、王に対して「あなたが王様であるかどうか、私には関係ありません」と主張するほどです。愛の因縁を結べば、すべて自分のものになってしまうのです。その相対のいる所にいつでも行くことができるのです。それを妨げることはできません。愛にはそのような同位権があるのです。愛の性禀の中において常に同じレベルに立つのです。ですからお母様もここに来られて座っているのです。もし、近所のおばさんがここに来て座っているとすれば、それはいかに見づらいでしょうか。(笑い)お母様がここに来ているのはなぜでしょうか。先生を愛しているからです。美しく着飾っていても、そうでなくても、また手足の不自由な人であっても、愛で一つになれば同位権が生まれるのです。それから同参権です。 先生が急に登山に行くと言った時、お母様が「あなた一人で登山に出掛けてはいけません。私も共に行きます」と言えば、先生は、いけないとは言えないのです。また下山して、急に「韓国にいないで、私は東京に行かなければならない」と言った時でも、お母様は「あなたは行ってはいけない」とは言えないのです。「どうぞ、そうなさってください」と言わなければなりません。愛にはそのような同位権、同参権があります。そして次に相続権があるのです。 ですから、統一教会の人たちは賢くなければなりません。天国へ行くのも賢くして正しいチケットを持って行かなければなりません。もし誤ったチケットをもらえば死んでしまいます。色の黒い小さい男性が、世界一美人の立派な女性に向かって、「あなたは私の妻である」と言った時、美人のその女性は気持ちがいいでしょうか。その男性に対して、「あなたはそういうことを言ってはなりません」とは言えないのです。愛にはそのような所有権があるのです。 神様と人間が相関関係を結んで、神様が離れることができない愛で一つになった時には、すべてが終わるのです。同じ原理に照らして、神様は誰のものになりますか。答えてください? (自分のものになります)。そこで神様は前後、左右、上下においても自分のものになるのです。愛にはそのような相続権、所有権があるのです。それを否定することはできません。そこではすべてが自由なのです。 愛と自由 この社会では、男性と女性に自由はありません。通りがかりの男性が、「自由だ!」と言って、横にいる女性の手をつかんでみなさい。平手打ちされます。しかし、愛の関係を結べればそれが自由になるのです。きょうはお母さん方がたくさん来ていますね。あなた方が夫の部屋に入る時、「私は今から入ります」とノックして入りますか、それとも、サーッとノックもしないで入りますか。世の中の道理に合わせてノックして入るほうがいいですか、それともそっと入ったほうがいいですか? (そっと入ったほうです)。愛に同和すると自由が生まれます。もはや制裁はありません。何でも与えることができるし、何でも受けることができるのです。 それでは、神様と私たちが愛で一つになれば、神の宝座に共に座わることができるでしょうか、できないでしょうか。神様のひざの上に座ることができますか、できませんか? (できます)。もし神様にひげがあるとすれば、そのひげをつかんで自分の首に巻きつけたとしても、神様は「このような者は殺してしまえ」と言うでしょうか。「あ! あ! すべて自由にしなさい。天下の平和とはこのような所でも渦を巻くのだ……」と独り言の詩を歌うようになります。愛の魔術の世界には、そのような詩が生まれるし、文学の切々さがそこで交差する、のぞき眼鏡の境地が連結されるのです。愛する者同士が出会えば喜ぶように、神様との愛の関係を結んだとすれば、神様はどんなに喜ばれることでしょうか。 上品でおとなしく、ひげを長く伸ばした、聖者になるような人は、神聖さをもたなければなりませんが、その聖者には妻が必要でしょうか? (必要です)。「あ! あ! 私は聖者様の妻になったので、聖者様の妻らしく行動しなければなりません」と。部屋に入る時もリズムに合わせて入り、あいさつも儀典に従って、すべて厳守した生活をしなければならないでしょうか? 妻が、「これは何ですか?」と言って、その儀典を守らないで、聖者様の祈祷される生活にただ合わせて生きるだけではどうにもなりません。それで、毎日のようにけんかするのではなく、互いに愛でもって溶かさなければなりません。愛でもって妻を感化させて、それ以上の幅の広い聖人にならなければなりません。そのような聖人の所へ、妻が「あなた、私はこれからそちらへ行きます。自由奔放にすべてを解放して渡っていきます」と言って、服を脱いで戸を開けて入ってきたら、聖人といわれる夫は、天地の道理を悟ろうとして瞑想して座っているのに、そのような姿で妻が入ってきた時、叫び声を上げて後ろ向きになるべきでしょうか。そのまま迎え入れるべきでしょうか? (後者です)。そうです、後者です。 皆さん夫婦同士では、どんな姿で踊っても、何をしても罪ではありません。神様も愛する時は喜ぶでしょうか。笑うでしょうか。踊るでしょうか。神様はどうされるでしょうか。神様も同じなのです。神の目には、服よりもその人のすべてが見えているのです。全身の細胞が作動する運動もすべてを見ておられるのです。神の世界においては、すべてが解放圏なのです。ですから文総裁はどんな型にもはまりたくありません。先生が市場に行けば、露天商の古着屋さんとも友達になってよく服を売ってあげたりします。先生が売り子になってあげるのです。「あなたの夫の代わりになって売ってあげましょう」と。ある時は、その人が姉のような年であれば、先生が弟になってあげて売ってあげたのです。先生はそのような訓練をしたのです。ですからどこへ行っても多くの友達がいるのです。 このように、愛には世界的解放があり、自由があります。皆さんは自由と解放のどちらを願いますか? (解放です)。解放のあとに自由が来るのです。人間は堕落したため、いまだ解放されていないのです。自由がないのです。サタン圏内からの解放が必要なのです。人間は天理の大主であられる神の愛を中心としていまだに解放されていないのです。 その神様も、いったい誰に絶対的服従をするのかというと、まず神様は、「先に絶対服従してから、服従されなさい」と言うのです。それが偉大なことです。ある時、先生は皆さんに対しても無慈悲に命令したりするのですが、それは先生が皆さんに無慈悲に命令している以上に、先生は実際そのことを神様を通して知り、また行ってきたので、命令することができるのです。 真の愛を中心とする者 さて、きょうの話の統一世界を神の永遠に不変なる一つのみ旨を中心として収拾するという、その内容は何かということですが、聖書の旧約、新約を見本として、神様はプログラムをつくって、世界を収拾されるのでしょうか。人類始祖の堕落以前には、聖書の新約も旧約もなかったのです。既成のキリスト教会にいた人にとっては、このような話は本当に異端の話のように聞こえるかもしれませんが、それを疑うことが異端の魁首です。神様は聖書に従って動かれるのではありません。聖書は病人を治療するための処方箋のようなものです。自由人には必要ないものです。神様に出会って、「あなたは、旧約聖書でこのように語ったでしょう。ですから私に対してこのようにしてください」と言うことが可能でしょうか。愛はすべてを越えるものです。愛には規制がありません。ですから父母や親戚同士がどんなに反対していても、この愛の道を知れば、誰もがこの道へ直行するのです。たとえ正面衝突して、頭が飛んでしまっても直行するのです。では何を中心としてみ旨を成就するのでしょうか? (真の愛を中心としてです)。 真の父母とはどういう人かというと、自分が生まれたのも子女のためであり、生涯苦悩して生きるのも子女のためであり、死ぬのも子女のために死ぬというのです。それが真なる父母なのです。自分の生命の起源から、すべての生涯路程を経て、生死を越えてまでも、子女のために生きようとするそのような父母が、真なる父母です。では、真の子女とはどういう人かというと、全く同じ道理なのです。自分が生まれたのも父母のためであり、生活のすべても父母のためであり、死ぬのも父母のために死ぬ人が真なる子女なのです。分かりましたか? (はい)。真の兄弟も同様です。真の兄とは、弟のために生まれ、弟のために生き、弟のために死のうとする人であり、すべてにおいて生命を懸けている人です。 ここにいる年老いた女性たち、真なる妻としてそのように年老いたのですか。どうですか。女性たちが愛されるためにお嫁に行くというのは、堕落した先祖のエバと同じです。エバは愛されようとして堕落してしまったのです。本来は愛を受けようとするのではなく、愛そうとしなければなりません。そうすることによって愛が返ってくるのです。分かりますか。 では真なる教育者、真なる指導者とはどういう人でしょうか。その人に従っている千人、万人の人々がいるとすれば、その中で自分だけが楽な道を行き、千万人の人々に苦労させようとするのではなく、千人、万人すべてが休めるようにしてあげて、自ら最も苦労する道に責任をもとうとする人が真の指導者なのです。この先生を見なさい。アメリカにおけるダンベリー事件を知っているでしょう。アメリカの法務省がレバレンド・ムーンを起訴した時、先生は韓国にいたのです。法務関係の協定がないので、アメリカには行かなくてもよかったのです。アメリカの国民ですら、自分が法に触れた場合には、アメリカから逃げ出すのです。先生はそのまま韓国にいれば、アメリカへ行って刑務所生活をする必要はなかったのです。しかし先生は起訴された翌日、ドイツを回って飛行機でアメリカに入ったのです。アメリカの法務省では、判事や検事たちが集まって、「レバレンド・ムーンは絶対に出頭しないだろう。なぜなら、アメリカ人でさえも、アメリカを離れて法の網から逃げ出すのに、何の関係もない異国の人が、なぜアメリカに来る必要があるのか……」と言っていたのです。 神様に主管されて生きる先生は、アメリカの法の上で生きる人間です。法の下に生きるのではありません。それ以上のことをしなければならないのです。そこで、アメリカに入った文総裁は滅びましたか、勝利しましたか? (勝利しました)。勝利したのです。最近ではアメリカの大統領までも先生の世話になるようになりました。先生はそのような基盤をつくったのです。今や、アメリカの国民もレバレンド・ムーンを尊く思っているのです。統一教会の信者はどうですか? (尊く思っています)。では昼になったのに、なぜ昼食もさせてくれないのですか。(笑い) 待遇されようとして待遇されるのはサタン世界のことです。先生は、「あいさつをせよ」とか、「再臨主」とか教えたことはありません。先生はそういう話をしましたか? 金元弼(先生)は、「再臨主」とか「メシヤ」とか言っていますが、メシヤとは、日本語で食堂の主人のことです。(笑い) 先生にはそのように聞こえるのです。また再臨主とは、死んだ夫が天国に行って再び訪ねてくることです。先生は再臨主が偉いとは思いません。そのように思っていたら、愛の話をすることもできません。悪口も言えないのです。再臨主が悪口を言ったらどうなりますか。(笑い) 先生は、再臨主という名が嫌いです。名は嫌いですが、再臨主が今まで神聖なるこの道をつくってきたのです。何の話か分かりますか。一番苦しいことを再臨主ができなくても、先生にはできるのです。ですから、その位置においては、もし再臨主が現れれば、神様の代わりとして侍らなければなりません。これはいかに恐ろしい話でしょうか。 先生は監獄に入って、最も困難なことを成し遂げました。そこで三つの与件を出発させました。まず、共産主義の脅威からアメリカを救うことです。次にアメリカの青少年を救わなければなりません。これは最も難しいことです。それから腐敗したキリスト教を再復活させることです。このような三大与件です。これは、アメリカにおいて誰もできなかったことです。学者にも、宗教者にも、政治家にも、いかなる方法手段をもってしてもできなかったことです。お金をもってでも、世界中の科学文明をもってでもできなかったことです。先生は、アメリカを共産党の魔の手から解放する門を開きました。七〇年代には、言論機関も、共産主義によって左傾化されていました。それを先生がひっくり返したのです。このように先生は多くのことを成したのです。学者世界においても、多くの迫害を受けながら、東西四方へと散らばって戦ってばかりいる学者の群れを一つにして、その方向を提示しました。世間で学者といわれる人々は、なかなか話を聞きません。そのような群れを集めて、文総裁が「このような世界に向かわなければなりません」と、方向を示したのです。それで絶対的価値を中心として約十五、六年間教育した結果、今は議長が先生のみ言を研究するようになりました。 アメリカの神学校にも、「AR」という組織があり、年に一回牧師、神学者約六〇〇〇名ほどが集って大会を開いています。しかし私たちは、その門前にも行けなかったのです。今はその理事会の半分が先生の側です。その展示会の重要なコーナーに統一教会を紹介したとしても、「どうぞおいでください」と言うのです。反対できないのです。アメリカへ留学した群れが、韓国に帰って、「自分は神学者だ。文総裁に反対する」とか言っているのですが、あなた方の学んだ神学校の校長が、既にレバレンド・ムーンの教えを受けているのです。どうです。気持ちがいいですか、悪いですか? (気持ちがいいです)。では、反対する者が偉いですか。反対する人々の声を聞きながらも、それらを相手にしない人が偉いですか? (相手にしない人です)。それは偉くありません。悪口を言われながら、気持ち悪くも思えない人は、愚かな人ではないでしょうか。女性としてそのような息子を生みたいですか。もしある村で、殴られて帰ってくる息子がいれば、「どうして泣いて帰ってくるのか」と言うのが母親でしょう。先生の母親もそうです。先生に「どうして悪口を言われながら黙っているのか。復讐すればいいのに」と言ったのですが、先生が知った真の道がそのような教えではなかったのです。 それで今回、四十年ぶりに広告を出したのです。先生は悪いことはすべて忘れようとしますが、良いことは覚えています。刑務所の話もすべて忘れようとしているのです。思い出せば、今でもすべての話ができますが、もしすべてを話せば、皆さんは涙を流すことでしょう。昔、先生は有名な日曜学校の先生をしていたので、文学的専門用語を使って、どんな話も、童話も、長編小説もできるのです。馬に乗って荒野を疾走する内容などを話す時、当時の教会の若者たちは、先生がますます好きになったのです。先生はどこへ行くにも、説教を準備していくことはありません。何の準備もしなくても、先生は感銘を与える説教ができるのです。一日中語り続けても、数カ月は語れるし、説教だけでも生活できる先生です。 さて、統一の話ですが、宗教圏の統一は何をもって成すことができるでしょうか。それは武力ではできません。不良息子が悔い改めることができるのは、父母の愛からです。愛は死亡の世界から創造力を発揮できるのです。死の場から復活圏をつくり出せるのです。今回のソウルオリンピックの時、「一二〇カ国から宣教師と代表二人ずつ韓国に来なさい」と言ったのです。旅費は各自が準備したのです。先生に助けてくださいと言うような人は一人もいないのです。皆さん、もし先生が天国へ行って、皆さんに「天国に来なさい」と言った時、先生が準備してあげるべきでしょうか、それとも皆さんが準備して来るべきでしょうか? (準備して行きます)。それと同じなのです。先生の真の道を知ったならば、先生が行うとおりに皆さんも行わなければなりません。その道がいかに険しくとも、その道を開拓していくのです。たとえヒマラヤの山頂へ登っていく道であっても、これが公式の道なのです。その山頂を越えて天国へ入るのだとすれば、すべての人々は越えなければなりません。 ですから、先生はこのような道を知ったので、一生涯この道を行くのです。この道はただ楽に行くことはできません。サタン世界の最も深い谷底にも、神の愛を中心として、真の愛の根を下ろさなければなりません。そこに根を下ろさなければなりません。そこに根を差して、そこから出発して、サタン世界の個人的時代、氏族的時代、民族的時代と、すべてにおいてサタンが打ってくる中で、神様の本来の愛の伝統を築くのです。先生はこのようなサタン世界のすべてに迫害されながら、世界の位置にまで上がってきたのです。今や中天に名声を翻す時なのです。これからは大韓民国においても、文先生に反対する者は打たれるでしょう。 迫害は神様が恵みを与えるための架け橋 先日もこんな話を聞きました。ある喫茶店に入っていた時、ある軍人が文総裁の悪口を言った既成教会の人の胸ぐらをつかんで、殴ったのです。「この野郎! お前は文総裁に対してどのくらい知っているというのか!」と。これから先生に反対する者はこのように殴られることでしょう。そして、死ぬ者も現れるでしょう。なぜこのような話をするかといえば、一九五五年、李承晩博士の時代に、文教部、広報部、内務部、法務部、外務部の五人の長官が一つになって、文総裁を打ってきたのです。その時、李承晩大統領の妻のフランチェスカと、金活蘭と、李起鵬の妻の朴マリヤたちが一つになって打ってきたのです。そして一瞬にして、梨花女子大学、延世大学において迫害が始まったのです。このまま統一教会を認れば、賢い青年男女が、神学校の学生が数週間のうちに完全に伝道されていって、そのまま放置しておいたら、数年以内に既成教会が滅びてしまうと思い、「どんなことをしても統一教会を打ち砕かなければならない」と言って、騒ぎ立てたのです。しかし、何の罪状もないので先生を殺すことができなかったのです。 散々調べ尽くして、「兵役忌避」ということで打ってきたのです。先生は北で監獄生活をしてきたので、既に兵役の年齢も過ぎていたのです。どんなに法に照してみても問題にならないので、無罪釈放になったのです。しかし悪いことには、その時大騒ぎして連れ出したのに、無罪釈放になったことは誰にも知らされず、今になってもそのことで先生を打とうとする人がいるのです。 先生は個人的に打たれ、家庭的に打たれ、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、天と地においても打たれてきました。共産主義者から、またアメリカ人から、アメリカの政党全体から、さらに仏教、儒教、すべてから打たれてきましたが、誰一人として宗教者で、この先生に同情した人はいませんでした。誰一人として男性も、女性も先生に同情した人はいませんでした。しかし先生は、そのような中でもすべての人々に、この道を教えてあげました。監獄の中でも話してあげました。そして、世の中がこれほど悪なる世界になっていることを、先生はよくよく知りました。しかし先生は、これらすべてを自然屈伏させてきたのです。 本当は監獄のことはすべて忘れなければならないのですが、殴られて痛かったことを記憶しているのです。先生の体には多くの傷が残っているのです。既成教会が与えた傷です。先生がもし人間的に生きるならば、彼らの腹を切り裂いて、禿鷹の餌にしても足りない気持ちです。先生の性格は、そのように強烈なのです。少年時代にも、もし先生の村で誰かに殴られたかわいそうな人がいれば、先生はその人を訪ねていって、責任をもってその人を殴った者を処分する魁首の役をしたのです。先生は火のような男なのです。このような先生を監獄に入れたのですから、たとえ無罪釈放したとしても、その日その時のことを、長い公文書にして発表し、謝罪しなければならなかったのです。 しかし、なぜこのように迫害されたのかといえば、恵みを受けるためのものだったのです。罪なくして打たれる人は恵みを受けることができます。打った人が長官の友人であれば、長官の友人の恵みを受けるのです。もし長官の位置で打ってくれば、長官の位置の恵みを受けるというのです。先生は濡れ衣を着せられました。「文なにがしは、大韓民国の大統領になろうとしているのだ。李博士をポケットに入れようとしているのだ」と言われてきたのです。「文なにがしはこの国を手中に入れようとするのだ」と悪口を言われながらも、先生は黙々と歩んできたのです。最近になって、ようやく「南北を統一できる代表者は文総裁しかいません。金日成にも誰にもできません。文総裁だけです」と言うのです。さらに「文総裁を南北統一の大統領にすべし!」と言う人も多いのです。たとえ大統領に打たれることになっても、それを耐えて、その迫害が世界へ広がっても滅びないで成長していれば、その国の大統領以上の大きな位置を与えられても交換できない人になるということです。迫害は、神様が恵みを与えるための橋を架けているのだということを知ったので、先生は黙してきたのです。先生はすべての橋を渡ったのです。 もはや統一教会に対して、既成教会が全力をかけて打ってきても先生には勝てません。どんなに強い青年の闘士の群れをもって挑んできても、統一教会の人たちには勝てません。最近では円和道という武術を習っているのです。霊界から教えられたこの武術を全世界に広めるのです。円和道は素晴らしい武術です。神様いわく、「武術はこのようであらねばならない」。円和道は原理を中心とする、世界の総合的な武術とすべく今回指示を出したのです。そして、世界中の円和道の人々を再調整して、かつて三国時代に花郎道の力を発揮して、三国を統一したように、今や万国統一時代なので万国を統一できる武術を習わなければなりません。それで、共産党も先生を恐れているのです。日本でも同じです。もはや私たちの若者を思うままにすることはできません。すべての人々が円和道を習うのです。 この中で八〇パーセントの人々は、今でも先生と相撲を取ったら負ける人たちです。「七十代の老人が何を言うのだろう」と思ってはいけません。(笑い) 実際にもそうなのです。昔、漢江の岸でも先生と相撲を取って勝った者がいましたか、教会長どうですか? (いません)。(笑いと拍手) 真の愛の真理体 このごろ共産世界では、「文総裁を殺せ!」と騒いでいます。アメリカでも一部の人々が「レバレンド・ムーンは韓国に帰れ!」と言って騒いでいます。先生は何の負債もありません。罪のない先生に対して、間違っても打ってくれば大変なことになります。 ですから今は、アメリカが文総裁の前に永遠に屈伏するのです。先生はこのようにして西欧社会を、白人社会をこの韓国へ連れて帰ってきたのです。さらに最近では、アメリカのホワイトハウスの周囲にいる人々も先生の世話になっているのです。「ああ文総裁、どうかアメリカにおいでください」と。先生はアメリカに行って何をするのでしょうか。先生がアメリカを助けてあげるとでも思っているのですか。今回も、どれほど先生の世話になった人々がいたか知れません。先生が力を与えなければ誰も何もできません。こういう話を信じられますか。先生が何をしているか、どんな人なのか知っていますか。「お父様」と呼びながらも、自分の父が今何をしているのか知っていますか。今や大統領を教育する、王様を教育する先生なのです。 先生の話は膨大です。既成教会の牧師たちは、「悔い改めれば天国に行ける」と言っていますが、先生は違います。解放されてこそ天国に行けるのであって、悔い改めても解放されなければ天国には行けないのです。ですから、神の統一のための絶対的内容は何かというと、知識ではありません。皆さん、真理とは何でしょうか。真理の根本は何でしょうか。自分以上の真理はありません。天国の真理は一人の男性、一人の女性以外にはないのです。何の話か分かりますか。全世界の男性を代表する真なる男性がいれば、その真なる男性の四肢五体が真理なのです。真理は文字ではありません。真なる女性が真理なのです。そして真なる真理の父とは、真なる愛をもった人です。また真なる真理の夫婦という真の愛をもった真理体が一つになる時、真なる真理の殿堂になるのです。真なる真理の子女とは、愛を中心として兄弟が一つになった真理体です。では、何がそれを成すのかというと、生命が成すのではありません。生命よりも先に愛があったのです。 皆さんは生まれる時、父母の生命から生まれたのですか、愛から生まれたのですか? (愛からです)。生命が激動する男性と女性の生命が、燃えて一つになったものが愛なのです。自分という存在は、このような愛の同参者なのです。これは実に偉大なことなのです。父母が絶対視し、天地が公認する愛を中心として、その絶対的な愛の基盤の上に同参した存在なのです。さらにその根は神様を中心としているのです。神様の骨髄にも通じているのです。それで、もし人類始祖が堕落することがなかったならば、神様は人類の本然の善なる先祖として縦的な愛を代表した父母であったのです。 今日、既成神学では、「創造主と被造物は、相関関係を結ぶことはできない。なぜならば創造主は神聖なるものであり、被造物は俗なるものであるから」と言っているのです。俗なる人間と聖なる神の愛がいかに結ばれるのでしょうか。ではなぜ「父」という言葉を使うのでしょうか。それ自体が既に矛盾しているのです。神様がなぜ人間をつくったのかといえば、その動機は愛の対象を探すためなのです。神様は独りなので、縦的な存在のままでは何の創造力も生じないのです。横的な父母としての、堕落しない人類の真の父母を立てて、神の縦的基準に応じられる横的対象圏を広げていかなければなりません。神の国は、このような横的父母を通して生じるようになっているのです。 では、なぜ父母が必要かというと、神の子女を天地すべてに生み殖やすためです。それでは神様はいかなる方かというと、真の愛を中心とする縦的な父母なのです。その縦的な父母の前に、九十度の水平線に立った横的な父母が必要なのです。アダムとエバが、この横的な父母となるべきだったのです。一方は東から、一方は西からそれぞれに成長して、神の垂直線に対する水平線の中心的代表として、個人的な時代、家庭的な時代、氏族、民族、国家、世界、宇宙的な時代を経て、天と地を一つに連結すべきだったのです。中央線を中心にして出会うために、男性は成長して女性を訪ねていかなければならないし、女性も成長して男性を訪ねていかなければならないのです。ここで生命を受けて生まれてくる時、天地に同和できる愛の同和圏となり、すべての核がそこに集約されて、球形になって、そこから新しい芽が出て縦的に連結されるのです。 軸は一つしかありません。真の愛の軸として、神様と、堕落していない本然の先祖が一つになった軸をつくらなければならなかったのです。これが破れてしまったのです。この軸を復帰しなければなりません。それで統一教会では、「真の父母」という言葉を使うのです。真の父母とは、縦的な真の愛を中心とした父母の前に、横的な真の愛を中心とした先祖の立場に立った方なのです。このような立場で一つになる「零」の位置に、神様も下りてこられるのです。ここに天地のすべての運勢も下りてくるのです。では、そこで縦が中心になればいいでしょうか、横が中心になればいいでしょうか? 縦横の神の愛を中心として、骨のような神の愛に対して、アダムとエバが成長して体のような真の父母の愛を完成し、愛の調和体となり、天と地を主管する王権の主人として生まれるべきであったのです。もし、そのごとく人間が生まれていれば、いかに高貴な人生であったことでしょうか。そのように完成していたならば、その個人は自動的に神様の血統圏に属するのです。神様の血統、神様の心情圏を受け継いで生まれていれば、そこに宗教は必要ありません。宗教の道は、愛の道に従って生きることです。愛の道を学んで生きることです。ですから愛の世界においては、宗教は必要ありません。絶対的な愛の対象として創造された人間の代表として、真の祖先という観点に立つ時、絶対的な真の愛に一致する神の永遠なる理想圏になるのです。人間の永生論理はここに形成されるのです。 私たち人間は、神の愛の対象としてつくられたのですから、真の愛においてのみ永生するというのです。堕落したこの世界においては、これが一八〇度回って、天が地になるようにならなければなりません。そこで統一教会が現れて、個人的に世界の東西を一つにして、家庭的にも東西を一つにして、氏族的にも、民族的にも、国家的にも東西を一つにすることのできる天地の運勢を結集したのです。西洋は東洋のために生き、東洋は西洋のために生きるという愛の交流体として連合される時、ここに初めて神様が中心となって、すべての文化世界を新しい愛の世界へと包んでいくことができるのです。そのような神聖なるみ旨の成就に酔って、このような世界になっていくのです。 すべての出発は真の愛から すべて、真の愛から出発しなければなりません。そこにおいて初めて、個人の統一がなされるのです。個人が歩む理想の道、家庭が歩む理想の道、氏族が歩む理想の道、すべてこの道は愛の道なのです。ですから人類始祖がもし堕落していなければ、夫や妻が完全に絶対的な価値の愛を中心に生活するので、地獄は存在しません。すべてが天国に行くようになっていたのです。 神の国の民となって、神の国の王宮法に従う皇族になるためには、神様を誰よりも愛し、人類を誰よりも愛さなければなりません。そのような意味において、イエス様は神様を愛することにおいて狂った方であり、人類を愛することにおいて狂った方です。さらに怨讐までも愛するために狂った方です。神の国の皇族になるには、怨讐までも愛さなければなりません。それは個人のレベルにとどまらず、国のレベルまで愛さなければなりません。それで今回、統一教会で祝福を受ける人は、大韓民国内の男性や女性同士の結婚ではありません。なぜ不思議そうな目をしているのですか。もう一度繰り返しますが、今回合同結婚式で祝福を受ける人は、大韓民国の人同士で結婚できますか、できませんか? (できません)。これは何の話か分かりますか。 では、大韓民国の人はどうなるのでしょうか。外国へ行って、大統領の夫人の義理の兄弟になることと、韓国大使館の大使になるのは、活動を行う場合、どちらがより効果的でしょうか。答えてください。大統領夫人の義理の兄弟になるほうが、いかなる国の大使になるよりも素晴らしいというのです。それは、すべての国の大使を一堂に集めてどんな訓示をしても、「そのとおりでございます」となるのです。 では、統一教会の人たちはよく考えてみてください。もし先生が日本に行ったとしても、食口以外の日本人の家には行きません。日本の青年と結婚した韓国の女性が生活しているその家を訪ねていって、共に生活したいと思います。食事を作るにも、韓国の女性と日本の男性で共に協力して作るのです。その時、「仲人をした先生は、なぜ私たちをこのように苦しめるのだろうか。薬を盛って殺してしまいたい」と、話し合うのでしょうか? (いいえ)。皆さんが国境を越えて怨讐を愛することのできる驚くべき価値でもって、天上世界の因縁を新しい軌道へ向けて回転できる力の母体となっている事実を知った時、その偉大な恵沢圏に入れるようにしてくださった方に出会えたことは、どれほどありがたいことでしょうか。それは父親よりも、国の王様よりもありがたい方です。では、その方にどのような礼を尽くせばいいのでしょうか。皆さんがよく食べている魚のカレイのようにすることです。常に大地にひれ伏して、おなかが真っ白くなるほどにです。(笑い) それほどに敬礼しても、「私はまだ足りません」と言える韓国人に皆さんをしてあげようと思っているのです。なのに、何ですか! 何が不足ですか。この者たち! 先生が思うには、神様は統一原理の材料を必要とされているのです。皆さんが統一原理の真なる材料となるためには、罪のない童男、童女でなければなりません。神様は、そのような世界的に歓迎される材料を願われているのです。そして、世界が喜ぶことのできる製品が必要なのです。何の話か分かりますか。世界が誇り、世界が欽慕し、天と地が尊敬するような材料でなければなりません。何の材料になるかというと、愛の材料です。どうですか、なれますか。 韓国人同士で結婚すれば、式の翌日から口論を始めます。三年もたたないうちにけんかが始まります。しかし、日本人と韓国人が結婚すれば言葉が不自由なので、約五年間言葉を学んでいるうちに、どんなに多くの事情や曲折も越えていけるのです。どんなにつらくても苦労しても、五年間共に生活しているうちに言葉も自由に通じ合うようになり、「ああ、あなたは偉大です。どうしてこのように日本人の私を愛してくださるのですか」「あなたこそどうして韓国人の私をこれほどまでに愛することができるのですか」と言えるようになるのです。これはどれほど素晴らしいことでしょう。 このような唯一の最高の喜びを得ることのできる道があるということを、神様はよく御存じなので、この先生を通して、愛する統一教会の童男、童女に祝福を与えようとされているのです。そのような決意をもった人々が二十日以後、日本からやって来るのです。 皆さんはまだ祝福がいかに恐ろしく、またいかに尊いものかよく分かっていません。これまで祝福を受けた家庭の伝統も乱れています。先生はこれを正さなければなりません。もし今、先生が正しておかなければ、このまま曲がってしまいます。このような先生の話に反対する人は手を挙げなさい。そのような人は、「私の子女は、今回の祝福には参加できません。私は白衣民族であり、倭賊ではありません」とでも言うのですか。最近、日本人のルーツは韓国人であるということが証明されているのです。七〇パーセントがそうなのです。時がたってしまったので、分からなくなったのであり、すべての系統をたどってみれば、すべてそうなのです。 この韓国でも、北韓からの離散家族と出会った時、お互いに系統をたどっていってみると、兄弟であったと言って、目を丸くしていたのですね。分かってみると、「私のおじの名前は何々です」と言うのです。そしてよく見ると姿形までもよく似ており、「アイゴー」と言って、抱き合っている場面を見たことがあるでしょう。韓国と日本は数百年間も分かれていたのですから、私たちは骨が折れるほどに抱き合って痛哭したとしても、神様はそれを見られて、「この者、けしからんやつだ。悪いやつだ」と言われるでしょうか。「よくやった」と、神様はおっしゃるのです。それで、韓国人と日本人とは怨讐同士だったのですが、統一教会では、この怨讐同士が結婚するのです。 では、この文総裁と地上の女性は怨讐でしょうか、怨讐ではないでしょうか。うん? 怨讐なのです。アダムにはエバが怨讐であり、エバにはアダムが怨讐なのです。またカインにはアベルが怨讐であり、アベルにはカインが怨讐なのです。そしてアベルとカインの兄弟の前には、父母のアダムとエバが怨讐になるのです。このように、怨讐として分かれたものを統一しなければなりません。神の愛を否定したのですから、今日、神の愛で同和して一つにならなければなりません。分かりますか。 なぜそうしなければならないかというと、神様が愛の対象をつくられる時、「私自体はあなたのために存在するのだ」とおっしゃったのです。これが真の天理の始まりです。これは偉大なる愛の思想です。神様がアダムとエバを御覧になって、「アダムよ、エバよ、私はお前たちのためにあるのだ。私が求めている愛は、お前たちを完成させるためにあるのだ」とおっしゃったのです。 永遠なる絶対者の前に、永遠なる対象の価値を表していくために、私たちはすべての相続を受けなければなりません。相続したその愛を再び満たしていかなければなりません。完全に与えれば、そこが真空状態となり、完全に与えることによる高気圧圏をアダム、エバがもつようになるのです。そのような神の軌道の循環法度を促すために、宇宙作用の法度が回転しているのです。 真なる愛の種に 神様は天地創造をされる時、まず御自分を一〇〇パーセント投入されたのです。ですから救援摂理が復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理なのですが、再創造するためには神様がこの宇宙を創造されたように、本然の自らの愛を中心として、すべてを投入しなければなりません。文総裁もその法度に従って生涯を生きていかなければなりません。まず自分のすべてを投入することです。心と体とすべてを投入するのです。投入したあとは忘れるのです。自分が投入した苦労も忘れて、成長していく子供たちを見ながら、自分の父母が私を生むためにどれほど苦労されたか、そして、それらをすべて忘れて、成長していく私を父母が見て喜ばれるように、私も自分が投入したものをすべて忘れてしまうのです。父母の愛が貴いのは、子女のために一生を生きて、それでもまだ足りなくて、千年尽くして足りなく、なお子女のためになりたいからです。そのような父母の愛が絶対的に必要なのです。そのような神様です。 なのに不平を言ったならば、この世のどこに残れる者がいるでしょうか。ために生きて、なおために生きようとする時、三六〇度回転して、自然にすべてが解けていくのです。ですから終末が訪れたのです。ために生きる時、このように回るので(先生がしぐさされる)、このように切れてしまって、偽りは清算されてしまうのです。完全に清算するために、神様は「ために生きる道理」を通してサタンを屈伏してこられたのです。サタンを打って屈伏させるのではなく、自然屈伏なのです。統一教会も今日まで、既成教会が自然屈伏できるような道をすべてつくってきました。アメリカから牧師が数千名また来るようになるでしょう。今度先生がアメリカに行ったならば、NCCに加入するつもりです。NCCの総責任者を通して、韓国支部の者たちに指命を出します。でなければ、アメリカの大統領をして、訓示を出します。先生はいつもそれぐらいの腹をもっています。それは可能な話でしょうか、ただ話してみたくてする話でしょうか? (可能な話です)。(拍手) そこから統一が始まるのです。まず愛の種になりなさい。結論がそうです。真の愛の種になる時、宗教の歩んだ歴史時代の統一圏を越えることができるのです。分かりましたか。種には根がありますか、ありませんか。幹がありますか。枝がありますか。花がありますか。香りがありますか。蜜がありますか。実がありますか。生命がありますか。これらがすべてあるというのです。では、皆さんは種になっていますか。 温度、気候学的に見れば、古代は熱帯文明であり、中世は温帯文明です。これが一回転する四季の周期が六十年から七十年なのです。この期間内に世界を風靡する共産主義が現れたことによって、寒帯地方から温帯地方へシベリアの北風が吹き寄せ、温帯圏内のすべての枝はみんな落ちてしまったのです。冬になるとすべての実が落ちてしまいます。しかし、その中でも真の命の種は、いかに北風や寒雪が吹き寄せても、制圧されることはありません。共産主義の脅威がいかなるものであっても、それを貫いて新しい人類の平和の春の園が訪れるために、解放と希望の春の園が訪れるために、人類の新しい時代を迎えるために、この天地に蒔かれて、緑の葉を出して、再び冬を迎えることのない、解放の温帯圏へと進出するのです。それでは皆さんは種をもっていますか。 種をそのままにしておけば芽が出ません。凍りついて割れてしまいます。中に湿りがあるので、四度以下になるとどんどん膨れていって割れてしまうのです。再生のためには、迫害と艱難の歴史的試練を割って、そこに新しい生命体として、緑の芽を出して春の青山の同参者となり、生命の理論をもって成長して、世界中で一番大きい木となるのです。飛びゆく鳥もそこで休んでいくし、動物たちはその木の下で休み、鳥たちは巣を作り、すべてから尊敬されて、道の標示体ともなり、安息所ともなって、すべての幸福の条件を提示できる、そのような勝利的大木のような人物とならなければなりません。分かりましたか。文先生がこのように生きたので、今や世界中の人々が文先生の胸に抱かれて生きるようになったのです。そういうことが分かりますか。 あなた方も結婚すれば、先生の胸の中で生きたいと願いますか、どうですか。この者たち! そうですか、そうでないですか? 最近では障害者オリンピックを行うのですが、先生はそのような各国の選手たちを見て、どれほど悲しく思ったことでしょう。自転車に乗るのも手でこのようにしているのですね(先生がしぐさされる)。それは罪でないでしょうか。障害者がバスケットボールをする姿を見ても、それは罪ではないでしょうか。罪の中でも悪い罪になります。世界各国ではチャンピオンを送ったと言って、彼らがバスケットをする時、「飛べ!」と歓声をあげるのです。そして金メダルを取ればその不具な選手の前に世界が完全にひざまずくことで、統一の時代が訪れるのだとでも思っているのですか。 それで先生は先回の障害者オリンピックの時にも援助したのですが、今回の障害者オリンピックでも助けてあげなさい。郭錠煥(先生)助けてあげなさい。(はい!)。そうしなさいよ。彼らは国を結ぶための一つの祭物となったのです。四年間運動をやってチャンピオンになることはどれほど大変なことでしょうか。そうですね。それで、霊界統一のチャンピオンになるためにも、祭物的な群れがなければならないというのです。そして、それが統一教会の文先生が教育したこの群れであるということを知らなければなりません。 それで、南北統一のために自分の故郷へ帰りなさいと言うのです。そこで、まず妻を故郷に帰したのです。そして次は子女たち、二世を連れていかなければなりません。国を愛することにおいては、大学などが問題ではありません。先生が統一教会を始めた時、迫害のために大学にも行けないようになった人々とこの道を開拓してきたのと同じように、あなた方も自分たちの故郷を救うために、父母や妻子、すべてを救うために、このことを断固として成し遂げなければなりません。教会長、分かりましたか? (はい!)。先生は世界的に、皆さんの先祖のためにこのことを成し遂げましたが、皆さんは自分の故郷のために、自分が故郷を愛するように、妻が故郷を愛するように、妻以上に、夫以上に、父母以上に、子女以上に愛する時に、その故郷から新しい根が出てきて、天地を覆うことのできる大木になれるのです。自分の兄弟よりも自分の一族よりも故郷を愛し、国を愛し、国を指導できる、世界を指導できる一族になるような愛の根を下ろさなければなりません。そこに希望が生まれるのです。分かりましたか。 天国の門の鍵、還故郷 では、結論づけましょう。統一は愛によって成されるようになっています。今や先生が、すべての蕩減路程を歩み終えたのです。個人的にも終わり、家庭的な戦いも終わり、氏族的な戦いも、国家的な戦いも、世界的な戦いもすべて終わりました。それらをまとめて父母の名においてのみ相続できる時代です。しかし、相続は第三者にはできません。真の父母を中心としての父子の関係による、自然的な愛の因縁を結ぶべきです。そこから骨と肉と血が生ずるのです。それで一切の理想をそこで相続することができるのです。これが父子の因縁なのです。 ですから統一教会では、皆さんが先生を父母と呼ぶことはどれほど恵みであるか知れません。先生は六十年の歳月を犠牲にして、万民の代表として越えてきたのです。それはなぜかというと、先生は父母の立場にいるからです。すべてを与えて忘れるのです。何の代価も求めず、すべてを与えて、忘れるのです。それを失った故郷へ植えるのです。皆さんはこのような統一の木となって、先生が神の国へ結んだ、神が共に住むようないちじくの木のようにならなければなりません。統一教会の木とならなければなりません。そこで人々がおなかが空いた時、果実を求める時、かつてイエス様がエルサレムに上っていかれる時、実のないいちじくの木を呪ったことを忘れてはなりません。実を結ばなければなりません。その実が皆さんの祖父母であり、父母であり、子女であり、皆さんの一族なのです。いま正に天地開闢時代が訪れたのです。祖父が孫になり、父が息子になるのです。そのような過程を経なければ天国へ入れません。先生が行く未来の世界に入籍することはできません。故郷をもたない人たちは入籍できません。 今や宗教歴史にあって初めて故郷に帰るのです。故郷に帰って、故郷に愛の種を蒔いて、故郷の氏族と氏族を連結して民族となり、民族と民族を連結して国家となり、国家と国家を連結して世界となり、世界と世界を連結していくのです。このように氏族圏と人類が一つとなり、それによって統一が成されるのです。愛を中心として統一されるのです。分かりましたか? (はい)。 先生は何度も刑務所に入りましたが、今になってみると、それは神様が先生を教育するためだったのです。先生がもし、共産党の統治のもとで三年近くの監獄生活をしなければ、共産党の本質はいまだに分からなかったでしょう。共産党の組織の中でも最も核心的な組織が監獄の組織なのです。 また先生がアメリカへ行ってもダンベリーの生活がなかったならば、アメリカをよく知らなかったでしょう。ダンベリーに入ることによって、小さな社会ではあるが、アメリカの最も悪い面と、最も良い面が分かったのです。誤解され、また謀略によって先生はダンベリーに入った結果、彼らを心情的に最も良い人、最も悪い人に出会うことができたのです。先生は彼らを心情的に一体化させて、先生の前にひざまずかせ訓示できる立場に立ったことは、神様が未来のアメリカの国民を教育するための心情圏蕩減条件を立てさせたということです。 先生がダンベリーに入るようになった時、人々は「レバレンド・ムーンはアメリカを滅ぼし、アメリカを売り飛ばすために来たのだ」と言ったのです。そのようなアメリカの逆賊の徒党の代表の先生が入獄するというので、「この野郎! ここに入ってきたからには、もし一つでも間違ったことを行えば即刻首を切ろう」と約束していたそうです。そこでは一夜にして人一人を殺すことなど問題ではありません。普通のことなのです。それを先生は知っていたのです。先生はその社会で戦わずに通過していかなければならないのです。そして六カ月後には、彼らが先生を尊敬するようになったのです。それは先生が生活で示した教育の結果なのです。何の話か分かりますか。ですから、あなた方が故郷に帰って一族を復帰できないというような話は、この先生には絶対に通じません。 先生が西大門の刑務所に一〇〇日間入っていた時、教導所長から拘置所の課長、看守までもが先生に従ってきたのです。その時は夏だったので、教導所の牧師が桃などを買ってきてくれたのです。不思議なことに彼らは自分が何か食べようとすれば、獄中の統一教会の文先生を考えて食べ物がのどを通らなくなるというのです。 ですから先生は北韓のこともよく知っています。共産党の治下に生きることが、どのようなことであるかをよく知っています。先生は南韓についても南韓の刑務所を経たのでよく知っています。日本についても日本の刑務所に入ったので、日本人とはどのような者かをよく知っています。アメリカでも刑務所に入ったのでアメリカがどのようであるかをよく知っているのです。これが最後です。今になって考えると、それらのすべてが、神様が先生に大きな恵みを与えるための準備的役事だったのです。そのために、その国の人々が先生を尊敬することができたし、地獄にいるすべての怨讐までもが、先生を称えることができるようになったのです。解放が始まったのです。何の話か分かりますか。監獄に行って反対を受けるだけの先生ではありません。監獄の中でも懐かしく思うのは、心情の世界であり故郷の便りなのです。彼らが懐かしく思うことは食事をすることよりも、楽しい慰労の時間なのです。ですから先生はよく話をしてあげました。いろんな話を毎日のようにしてあげたのです。 そして、先生が話を始めると昼食の時間になっても食事をすることすらも忘れて、先生の話を聞くのです。これ以上の福音はないのです。人間は、飢えれば体もやせ細るのです。先生が一時間、二時間と話を続けているうちに昼食はなくなります。そのように、先生の話に酔って、食事をすることも忘れて、そこに涙を流していた人々を先生は忘れることができません。ですから今でも、彼らの思い出の中に鮮やかにレバレンド・ムーンのイメージが残っていて、電話を掛けてきたり、訪ねてきたりしようとするのですが、今は先生がそれを止めているのです。分かりますか。 一度通過する場には必ず何かを残していかなければなりません。その中でも最も貴いものはお金でもなく、手段、方法でもなく、愛なのです。そのような愛の種を蒔いていくのです。それで神様は、先生を苦労させてきたのです。日本、アメリカ、韓国、共産世界、これらの四大国が、世界の代表として先生に獄中生活をさせたことは、歴史的な根をもった最高の愛の種を植えさせるためだったのです。深い愛の根から芽を出して、最も高く成長していく茎に完成していくための、神様の愛の教育だったのです。 このようにして、サタン世界のカイン圏のすべてに、神様が今日まで種を蒔いて育ててきたのです。それらのすべてを一カ所に集めて、収穫して新しい天国時代を迎えるために、先生を苦労させてきたということを知らなければなりません。その苦労の下敷になって、贈り物になるのではなく、苦労の中から勝利して、その栄光の中から勝利的賛美の権限をもって、神様が同居できる場における贈り物を、今日、統一教会の文総裁は父母の名をもって、世界の人々に無条件に分け与えたのです。 サタンはこれを妨げることができません。それで九月二十七日を期して「世界統一転換式」を行ったのです。すべてが回っていくのです。開天節を中心として四三二一年、数字的にもぴったり合うのです。そこで「世界統一国」という、新しい地上天国への出帆を天と地の前に堂々と宣布したのです。そこで統一教会の信者は、みんな故郷に帰るのです。故郷に住むチャンスをすべて分け与えました。自分の故郷に帰って家を建てて住み、子女を育てて天の公臣となることが今回の「還故郷」です。高次元の宗教は、今日まで出家することを教えてきましたが、故郷へ帰るということは、歴史が始まって以来の出来事です。そして帰る時には、父母を伴って、父母の国家レベルの相続を受けて帰るのです。分かりましたか? (はい)。 これから、統一教会の解散命令が出るでしょう。これ以上、統一教会があって何をするのですか。故郷へ帰って、故郷の人を復帰して、故郷と直結された国を、故郷と直結された世界を、故郷と直結された天国を成し遂げるのです。それは皆さん一人一人にかかっているのです。地上で結ぶのも皆さんが結ぶのであり、地上で解くのも皆さんが解くのです。地上で結び、地上で解くことは、天上世界でも結び、解けるのだという聖書の教えのごとく、先生は「天国の門の鍵」を皆さんたちに与えたのです。それが「還故郷」です。故郷で愛の種を蒔いて氏族復帰をするのです。 きょう、このような興南出監日を記念するため、先生が今日まで苦労してきたのです。天上世界の善なる世界、また悪なる世界、すべてを知り、そこから核を取り出して、勝利の世界的な土台をつくって皆さんに与えたのです。このことを正しく知らなければなりません。きょうのこの時を迎えることがどれほど難しかったことか、それは神様から見れば、人類歴史二五〇万年以上と言われるこの長い間、数多くの人々を犠牲にしてきたものを、先生一代において縦、横に蕩減させて、解放の旗を掲げたのです。今や高らかに前進し、北韓の解放の勇士として故郷に旗を立てて、天幕を張るのです。分かりましたか。 愛の陣立てを整えて出発しなければなりません。今後の命令一下、南北の統一の日は、そう遠くないと先生は見ています。そのような喜びの日を望みつつ前進しましょう。それがきょうの興南出監を記念する日としての贈り物です。分かりましたか? (はい)。ありがとうございます。 では祈祷しましょう。 愛するお父様。過去を振り返ってみれば、事情も多く、曲折も多く、行く手をふさがれて身もだえしたことも多くありました。しかし、お父様を愛し、お父様の息子としての責任を果たさなければならないという責任と、その遂行がどれほど重要であるかをよく御存じのお父様でありました。この息子は、千年を一日のごとくに歩むと言い、あなたのみ前に喜びの日をお返しすることよりも、憂慮の痕跡のみを多く残してきた事実を、この時間に再び回想するものです。 お父様、この大韓民国をお父様が引き受けてください。既に南と北が交流する時が来ております。物と物の交流も重要であり、人間の交流も重要でありますが、神様を中心として愛の交流をいかに成すかという問題が、最後の課題として残っており、あなたがこのことを、共産世界の瓦解、民主世界の零落のゆえ急いでおられることを知っています。 そのような中で、今日まで隠れていた統一教会が、完全に高く中天に掲げられる時となりました。レバレンド・ムーンの名が復活して、天上世界が地上世界を覆う時が来ました。名の復活によって、実体の復活圏が訪れることを考えた時、あなたが望んでおられた創造理想の愛の対象たる栄光の一時が、私たちの目前に近づいてきていることを知るものです。そのためには、真の父母と心情圏を受け継いで、真の父母と血統的因縁を結んで、真の父母の心情を相続し、万民、万国の前に、主体的な責任者として恥ずることのない、お父様の骨と血肉に連結された息子、娘として、子女の命令を果たすことのできる、神の子女とならなければならないことをよく知っています。 祝福のその日を目前に、あなたのみ前に善意のみをもって分別した歴史的な終末時代に、恥じることのない息子としての責任を果たすばかりでなく、神様の右側に立って、愛されて褒めたたえられるその場に向かって、千万の事情を耐えて、十年の苦痛も勝利していく統一の群れとなれるように、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。 あなたが歩まれた道が、どれほど険しいことかを、この息子も四十数年間、血と涙の闘争の道を歩んできて、神様の悲しみと、苦しみの中にいる万民がどんなにかわいそうであるかをより分かるようになりました。ただ自分の過去を忘れることに今まで努め、記憶した悲しい事実を消し去るために努めてきた生涯の路程を知っておられるお父様。その間、あなたはその背後にあって、忘れなければならない曲折の事情が、兄弟の間、父子の間における堕落によって残された事情であることを忘れなくては、再び立てることができないということを知ったので、そのことを見つめ記憶されるお父様は、この寂しい者の友となってくださり、追われる者の垣となってくださり、石を投げる者に対して盾となってくださったことを考えます時、おそれ多いばかりでございます。 日々訪れるお父様の時が近づければ近づくほど言葉なく、沈黙を守りながら、お父様の前に、万年の深い事情から、骨髄にまで憂いの涙を流しつつ、あなたのための孝の道、忠の道が何かを探し求めることに忙しかった日々が、今や年を取ってようやく悟れるようになったこのことを感謝いたします。 秋になれば、木々の葉も色を失うとともに、すべての万物が実となって頭を下げ、自分の価値をなくしても喜びの収穫期を見つめて、お父様が人類の歴史路程を耐えられたことを感謝申し上げます。そのような恵みと恵沢圏にあって、統一教会を万国の追慕の対象として立ててくださり、そればかりでなく、中心的な立場にあって、千秋の生命的因縁を万国へ広めるための源泉として立ててくださったお父様の驚くべき恵みの前に、感謝し、賛美できる群れとなれるよう許諾してくださることを、切にお願い申し上げます。 きょう、このように集うことのできた一九八八年は、解放後の二年八カ月を足せば四十年になるこの日であります。四十年間、曲折の多い路程を訪ねてこられたお父様の恨の四〇〇〇年の歴史。その節目、節目に波打つ四位基台を整えて、四十数を越えて、四方に統一圏を築かなければならないという、お父様の摂理の統一的な事情の内なる心情がいかなることかを知る時、御苦労されてこられたお父様の労苦をさらに追慕しながら、どうか私たちの前途に三数を中心とした解放の便りが訪れるように許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。 これから南北統一の召命的な責任を前にして、躊躇することなく、強く雄々しく、前進的な勇士として、先頭に立って戦っていく統一勇士として、頼もしく誇らしい姿となれるように許諾してくださることを、お父様のみ前に切にお願いいたします。たとえ死に別れても、あなたの愛の涙でその場を濡らすことのできる統一の役軍になれるようにしてくださいますことを、この日を期してお願いいたします。 日々訪れるその時が、お父様のみ前に栄光と喜びと誇りを残すことのできる日となりますように導いてくださることを、再度お願い申し上げながら、これらのすべてを真の父母の名によって祝願いたしました。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.05
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とうごま氏は知恵者であると信じた私tomy4509がバカでした。お父様が語られていた「独生女」まで隠蔽しては、なおの批判にどのような正義がありますか。実名を並べたところで同じです。デマを垂れ流しては恥の上塗りをしているだけです。今回のとうごま氏記事「中村仁史氏に対する「教義研究院」公式批判文書・7つの根本的な誤り。」(2020.03.04)は、「7つの根本的な誤り」などと7項目ですが、2013年に祈祷の神様呼称を「天のお父様」から「天の父母様」変えたということが主なものでした。原理講論やお父様のみ言の「天の父母様」はOK、祈祷呼称「天の父母様」はNGというものです。その論拠を見れば、まさに詭弁でしかありません。結論から言えば、「天の父母様」の呼称に変更した真のお母様にケチを付けたいだけのものです。一方では「神観」を挙げておきながら、中村氏の論点は「呼称変更」だといっては教理研究院は論点をする変えているとかですが、論点をすり替えているのはどちらでしょうか。重要なのは神観ですか? 呼称ですか?呼称は神観について回るものです。であれば、「神観」でしょう。以下もとうごま氏記事引用から:家庭連合(韓鶴子女史)は、神様に対する呼称を「天のお父様」から「天の父母様」に強制的に教義レベルで変更した。それを実践すれば、家庭連合は、「一元二性」の神概念から、「父なる神と母なる神」という「二元論」の神概念に転換した事になるという事実を指摘しているのである。(*これは大切な論点であるから今後大いに議論してもらいたい。)これに関しては既にお父様のみ言からゴミ箱行きは決定していました。私の記事「とうごま氏のデマには要注意を!! 「家庭連合は二元論ではない」」にて紹介したものでした。「天のお父様」「天のお母様」と分けて考えることが出来ないというのです。また、2011.01.22付のみ言(『TWJ』2011.天暦1月号P.18)で祈祷の呼称に関して以下のようにも語られていました。よくも調べもしないで情報が薄いです(笑いものです)。もはや議論の余地もなしです。とうごま氏の妄想のみが宙を舞っています。中村氏ビデオで挙げていた引用について:●中村仁史氏が引用したアボニムの御言『神様は1人ですか、2人ですか? (「2人です」)。何ですか? (「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか、1人でしょう? 2つの性稟が入っているのです。(あなたには)良心がありますか、ありませんか? (「あります」)。体がありますか、ありませんか? (「あります」)。その2つが一つになって1人の女性です。(神様は)性稟は2つありますが、体は男性的主体としていらっしゃるということです。その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体がいれば、また他の男性格主体がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとするので、(神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性型としていらっしゃるということです。』 (『文鮮明先生御言選集』 182-61 1988.10.14) これに関しては次の記事で『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をあげますので、皆さんで判断してください。中村氏が引用した部分は赤字にしていますが、中村氏以外の方が翻訳されたもののようですので少し違っています。男性格主体に女性格主体となれば「二元論」となるとお父様のみ言から読み取れると思います。男性格主体と女性格対象の中和体ということでしょうか。創造原理から正(神様)から分かれた人間の男女を見ても、陽性のみが男性、陰性のみが女性とはなっていません。合(夫婦)となってもどうでしょうか。『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をお読みください。この二つの引用文を語ったのは、誰なのだろうか?中村仁史氏が「公開礼拝Ⅰ」で「天一国経典」の翻訳編纂過程の問題点を告発したように、韓鶴子女史は、御言の「出典」「出典日」「誰が語った御言なのか」という「出典索引」をすべて抹消することを指示した。これに関しても私の記事「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」(2020.01.31)「今朝の訓読からです」(2020.01.31)にてその出典については別冊にて掲載されていることをすでに書いていました。そういったことも確認されずの反論では情報(心)が乏しすぎます。 教理研究院からも中村氏については以下のように書いていました。『サンクチュアリ教会に追随する中村仁史氏は、光言社で長年にわたって真のお父様のみ言を翻訳する業務に携わってきたといいます。しかしながら、彼は真のお父様の多くのみ言に触れながらも、み言の翻訳作業をしただけであって、真のお父様が語られたみ言の意味、本質までは理解できなかったと言わざるを得ません。』目の前に出されたお父様の韓国語み言を翻訳したかもしれませんが、そのみ言一つ一つの全体を確認してのそれではなかったはずです。また、ほかのみ言との関連性についての研究などもされてはいないでしょう。明らかに「元「光言社」職員さんの証言--「文字の奴隷」でしかない」「元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず」が彼の姿です。韓国語のお父様のみ言から「独生女」を見られては、それを隠蔽し批判されることそのものに彼の翻訳者としての良心は何と言っているのでしょうか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.05
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これまでとうごま氏(中村仁史氏のビデオ)の記事、何が論議されてきたのかを少し整理してみたいと思います。まず、発端となった中村氏ビデオ「天運と聖霊の宿る『八大教材教本』~「統一原理」から見た独生女論の問題点」からであり、とうごま氏がそれを紹介していたものを見ては、私からは教理研究院からその一つの回答を提示していたものを紹介していたのが「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」でした。とうごま氏記事からの引用:●この動画で知ることができる事1)日本の教理責任者が、韓鶴子女史の独生女論(韓鶴子女史無原罪誕生)に狼狽し、「金栄輝先生」にお伺い書を提出した事実2)「真の父母経」の御言の出典日時と語られた人物(真のお父様か、韓鶴子女史かの区別)の削除を命じたのは韓鶴子女史本人だった事実。3)その後、「日本家庭連合」が組織体制維持を優先、真のお父様の御言をねじ曲げ、韓鶴子女史に無条件服従。再臨主を背信した決定的事実。その金栄輝先生へのお伺い書とは真のお母様が、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言について、統一食口および反対派の間で、大きな話題となってきております。と、真のお母様の「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言についてのものでした。お伺い書そのものがどうとかという前に、すでにお母様のみ言からその回答が出されていたことに気付くべきでした。皆さんはこれを信じなければなりません2000年前のイエス様はどうだったでしょうか?こんにちではクリスチャンたちが「イエス様は神の独り子、救世主・メシヤだ」と信じています。だからといってそれを系統的に論じられては世界の誰もがそれを受け入れられるようなものは何もありません。キリスト教の信仰によって受け継がれては世界的に広まってきたものでした。同様にして、こんにちの真のお母様「独生女」も信じるしかないものです。ところが、UCI(FPA)やサンクがそれを信じることが出来ない、といっては騒いでいるということです。とうごま氏のこれまでの「60の論題」もそうでしたが、中村氏ビデオもそれの一環でしかありませんでした。金栄輝先生へのそれが実際にあったかは分かりませんが、「「金榮輝氏からも最高委員会からも日本への回答書は無かった!」とも、とうごま氏は書いていましたが無責任なものです。上記のとうごま氏引用のNo.3もまた、これまでの批判を踏襲してのものでしたが、日本家庭連合が組織的に何かを隠蔽してはお父様のみ言までも捻じ曲げているかのような悪イメージを与えようとしてものでしかありませんでした。自称ルポライタイーtomy4509のこれまでの検証からも、お父様のみ言、原理講論等ともお母様のみ言は一致しているとの結論が出ていました。それどころか逆には、中村氏ビデオで取り上げていた「お父様のみ言との整合性」についてサンク側が問われるべき内容であるとの反論に変わっています。中村氏ビデオでも彼が編纂した「天運と聖霊の宿る 八大教材教本」を挙げながらもサンクの亨進氏こそがお父様のみ言の相続者だと吹聴していました。では、お父様が語られていた「独生女は?」「天の父母様は?」「真の父母様とは?」等のみ言との整合性に当てはまらない亨進氏がクローズアップされて来ました。とうごま氏、中村氏はお父様の「独生子」「天の父母様」み言を開示された上で、「亨進氏が天福函(八大教材教本)の相続者」と言えるのかどうなのか、ハッキリとした態度を示されるべきと考えます。それもまた「信仰といえば信仰」ですから。とうごま氏の過去記事(https://www.kateirengou.jp/entry/2019/01/25/091111)、実名者を名乗られているというのであれば、間違っても 家庭連合の食口は、独生女論をしっかり見極めなければなりません。当たり前に考えてください。「独生女」など、聖書にも、原理にもありません。私たちは「独生女」という単語すら知りませんでした。無原罪の独生女など、3年前の2016年末から、家庭連合の学者が食口に説き始めた、にわか作りのインチキ神学です。第一、第二のお母様が勝利していたならば、独生女論など、そもそも、あり得ないものです。こんなものが人を救うことなどできるはずはなく、むしろ、食口を地獄へ引き入れるものです。家庭連合の食口の皆さんは、独生女論など偽りであることを知ってください、目を覚ましてください!などとのウソ・デタラメはこれ以上は書かないでください。自称ルポライタイーtomy4509としては、自分自身で検証したものを書いています。へブル人への手紙 第11章1節~さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、また見ていない事実を確認することである。「実は、神様に弟が居た!」もその一つです。http://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=958&mId=A01&page=21これ一つの発見からも、「復帰原理」の見方が随分と変化して来ました。堕落したアダム・エバから生まれたカインアベルでしたが、蕩減復帰原理は逆の経路を辿ります。とうごま氏は、私のようなサンデー食口以上に原理を探求されて来られた方と分かりました。これまでの矛盾に気付かれては、もっと深い内容を理解される方と信じます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.04
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