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韓流 ウィキメディア から、日本における韓流は、『冬のソナタ』を発端に2003年末頃から始まったということだ。
韓国発祥の 韓流サッカー・ピースカップ
も初回が2003年であるから、ほぼ同時期である。
ただ、それを私の独断で『韓流サッカー』と呼ぶようにしたというのが、ごく最近の話であるというだけだ。後に、韓流サッカーという言葉がその以前にもあったことが判明したとブログに付け加えた[ 『ピース(クィーン)カップ = 韓流』 をエンジョイ!!
(2008.05.10)]
そのことを考えれば、 韓流ドラマと韓流サッカーでは年代的に差ほどの違 いがない ということも言える。
さて、 韓流 の検索のもうひとつは、 はてなダイアリー からの一文に私自身、考えるところがあったので掲載する(以下)。
2001年に東京の新大久保駅構内において、人身事故が発生した。
その事故発生の際に、救助をしようとして一緒に事故に巻き込まれた二人のうちの一人が、当時大韓民国から日本国に来ていた留学生の 李秀賢 さんであり、その留学生の人間性当時の日本人は高く評価し、自然発生的に冷戦時代の影響が色濃く残り民族分断が存在する当時の大韓民国からの留学生に対して評価する動きが存在し彼を湛えた慰霊碑を作る動きが存在した。
しかし、半ば強引に発生した2002年からの韓流ブームでは、この平和の掛け橋となった留学生・李秀賢さんの仁義ある行動については一切の報道もする事は無かった。
この人為的と言えるブームその物が、本来存在していた日本国における大韓民国との平和の掛け橋を無き物としていると言っても過言ではない。
また、逆の立場での記事もあったので、一応提示しておく。
日本「韓国は 李秀賢 氏をすでに忘れたか」 | Japanese JoongAngIlbo ...
韓流ブームで、日韓ともにその平和の掛け橋となったはずの義人が忘れ去られてしまっていたとは...![]()
日韓合同開催のワールドカップ2002は、それをより親密なものにしたであろうに。また、その平和の掛け橋を土台として2003年からの韓流ブーム(韓流ドラマ、韓流サッカー等を含めて)が拡大していったなら、日韓関係や今日の韓半島情勢ももっと違ったものになっていたのではなかろうか。
東京都新宿区のJR新大久保駅で01年、ホームから転落した男性を助けようとしたが亡くなった韓国人留学生、故李秀賢(イ・スヒョン)氏を追慕する韓日合作映画『 あなたを忘れない 』、その映画は韓国ではまだ未公開、日本での評判もイマイチのようですね。
しかし、 平和の掛け橋となった韓国の義人についてもう一度、韓流ファンは思い起こす時ではないだろうか。
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