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『感謝の秘密』20250629 ファンボ・グク協会長2025/06/29◆「振り返ればすべて神の愛であった」(2009.09.04)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.29
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「神様王権即位式」二周年記念式典における御言(後編) 今年一月十三日、「神様王権即位式」二周年を祝う記念行事が、真のご父母様をお迎えして、韓国の天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿で、世界各国の指導者、平和大使、国内外の教会員たち約一万人が参席する中、行われました。 記念行事は午前八時半から、聖燭点火、祈祷、敬礼式、「家庭盟誓」唱和、代表祈祷、真のご父母様によるケーキカット、「万歳」四唱、花束贈呈、「訓読会」の順に進行し、その後、真のお父様が、み言を語られました。 話を始めたので、締めくくりましょう。昼食の時間が過ぎたでしょう? わたしは、昼食を取れば帰りますが、皆さんは、きょうの夜に帰ることができないと思います。出勤時間には、ここから朝早く、朝の五時前に出発すれば、いくらでも行くことができるはずです。 それでは、文総裁が救世主、メシヤ、再臨主、真の父母であるというとき、神様は、そのようなことを言ったときに信じたでしょうか、信じなかったでしょうか? 皆さんは、先生が話したことを、すべて信じますか? (「はい。」) “自体自覚”をなして、実践した実績の上に立って省みて、「あー、私は、このようになったのだなあ。」と言うまでは、自分を前面に掲げて誇ることはできません。修練の過程というものが、どれほど大変なものでしょうか? 文総裁という人を、神様は、サタンよりももっと嫌ったのです。そのことについて話をしてあげるならば、何の問題もなく、その話をすべて信じることでしょう。 それでも、先生は、嫌われ、否定された、その千倍でも信じようというのです。そうして先生は、サタンの縄張りの境界線の前まで出て行って、神様に蹴飛ばされて転がされるのですが、それを、サタンが来て、見るのです。 すると、サタンは、自分たちが神様から、同じように悲惨に対されてきたのを、今後、メシヤが来て、救ってくれることを願うのですが、そのメシヤに対して、神様が、そのように反対しているのを見ると、拍手することができないのです。 それで、サタンは、「お願いします、お願いします。神様、私の代わりに(メシヤが)蕩減することを願いません。私を打ってください。」と言うのです。 しかし、怨讐を愛される神様は、サタンを打つことができません。そのようなところから、復帰して来るのです。 わたしたち統一教会の周りで、「先生は洗礼ヨハネのようであり、私が救世主である。」と言う者がいますが、それならば、一度、救世主をやってみてください。死の境地に行き、いくつかの峠さえも越えることができずに、横道にそれ、どろぼうをして逃げて行くのです。間違いなく、すべてそのようになります。 そのようにして、よこしまな、ありとあらゆるうわさを立てても、種まですべてなくなり、一族がすべて倒れて滅亡していくのです。そのようなことをすべて見ました。 しかし、あらゆるよこしまなものを見ましたが、最終的には、神様までもが、先生のことを紹介してくださらなければなりません。聖賢たちはもちろん、神様ご自身が、「この人は救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、真の父母である。」と、証しをしてくださらなければならないのです。 それは、なぜでしょうか? イの一番の課題である「神様王権即位式」をしてさしあげたという事実ゆえです。きょうが、どれほど途方もない日であるか、分かりますか? 天地統一の解放的王 これ(「神様王権即位式」)を成した後に、何を行いましたか? 「天地父母統一安着生活圏大会」を行いました。それは、何ですか? 神様も安着なさいますが、自分も、それに従って、神様のように生きることができる生活基盤を築き、神様や真の父母のように、息子、娘に伝統を残してあげようと、「天地父母統一安着生活圏大会」を行ったのです。 その次には、何でしょうか? 「天上・地上和合統一大会」です。それは、何ですか? 天も地も和合して、一つになった世界です。それから、「天上・地上平和統一解放聖火式」を行いました。貴いものをすべて燃やしてしまって、峠を越えようというのです。 峠を越えたので、その次には何かというと、「天一国平和統一平定時代」です。霊界も肉界も同じである、ということです。千里、万里、すべて水平線、個人として願っていた水平線が、世界と共に水平になり、全体が一つになることのできる時代であるということです。 先生に従って行けば、間違いなく個人の完成から家庭の完成、氏族、民族、国家、世界、天宙の完成を成せます。そうして、人間世界だけではなく、天上世界においても、聖人や賢哲、神様まで紹介し、そこに合わせ、地上の実体、主体的対象形態を合わせることができることを願っているので、聖人と殺人鬼を共に祝福してあげたのです。 神様が、文総裁をごらんになって、「あなたは、聖人と殺人鬼を結婚させなさい。」ということをおっしゃるでしょうか? 「結婚させてあげなさい。」ということを、神様がおっしゃるでしょうか、おっしゃることができないでしょうか? それは、死んでもできません。 先生は、そのようなことを、すべて知っているのです。もし、神様が、それを教えてあげることができるならば、歴史時代において、いつでも、いくらでも、アダムとエバが、何も知らずに堕落したことを教えてあげることができたのです。 文総裁だけを特別待遇することはできません。神様は教えてくれませんでしたが、彼らを一つにするためには、死にそうな人を転換し、求める人々を通し、アベルを通して、その人々を救ってあげなければなりません。 それゆえに、統一教会の食口たちを犠牲にしてでも怨讐の世界を救ってあげるための道を行ってこそ、復帰し、帰って来て、本然の位置に帰って行くことができるのです。 このようにすることによって、一段階、二段階、三段階を経た後に、うわさを立て、祝福を中心として連結し、聖人たちと殺人鬼まで、すべて同じ位置で祝福してあげるのです。それを話してあげれば長くなります。 それをしましたか、しませんでしたか? 霊界において、五大聖人がセミナーを行い、全員が文総裁に従って行こうと決議(決意)しました。それが決議(決意)文ではありませんか? 誓約宣言です。神様までも皆、(それを)奨励するのです。 それで、神様から文総裁に手紙が来ました。手紙を頂いて、わたしが願っていた神様にやっと出会い、「息子◯◯が来ました。」と言って、神様にあいさつをするとき、神様は、何と言われるでしょうか? 万勝的勝利の覇権を持って、神様の息子の威信と共に、また、王座の権限を失われた神様ご自身を解放することのできるすべての特権を完結させて帰って来て、神様の御前に、「◯◯が来ました。」と言って立つようになるとき、神様は、どのように対されるかというのです。 それまで、高い所で閉じ込められ、とらわれの身の立場で玉座に座られて、独りで悲しまれていた神様が、わたしの言葉を聞くや、千段階、万段階の階段を一度に飛び降りて来られ、わたしをつかんで、神様が、先に涙を流されるのです。わたしが、先に涙を流すのではありません。 そのようにして、わたしのために涙を流されながら、わたしのひざの前に立たれ、「苦労した。」とおっしゃって、わたしを抱え持たれて、その階段を上がって行かれ、その王座に座らせてくださるのです。そのようにしてこそ、復帰が成されるという事実を知らなければなりません。 その場において、初めて真の父母の権威を中心として、世の中を救う救世主になるのであり、メシヤになるのであり、再臨主になるのであり、天地統一の解放的王となるのです。 そのようになることによって、神様を宮にお迎えし、主の家で千年、万年、故郷の地、祖国の地、王の基を守って建設し、天の王座の実体的世界と、霊界にその家を造って侍るべき課題が残っています。 ですから、今から統一教会は、「天一国」の人々を犠牲にしてでも、今まで神様を差しおいて、王としてふるまいながら豪華に暮らしてきたサタン世界の何十倍以上も良い王の基を造って、侍っていかなければなりません。 そのような先生の召命的責任が残っているということを考えるとき、忙しいでしょうか、楽でしょうか、良いでしょうか? 「日久月深(歳月の流れとともに、その度合いがますます強くなるようす)」です。 天が認める王の資格証 このようにたくさん集まるほど、この人々が、忠臣の隊列、“聖子”、聖人の隊列を成して、言わなくても行くことのできる人たちであるならば、どれほど良いだろうかというのです。 血の涙を流して、再び教育し、模範的な過程を見せてあげなければ、動きません。ここにいる平和大使たちも、先生が現れなければ、寂しく思ったはずです。そうでしょう? そうですか、そうではありませんか? それでは、平和大使たちは、手を挙げてみてください。きょう、新年のあいさつをするために集まって来たのに、このお坊さんも、新年のあいさつをするために来ましたか? (「はい。平和のために……。」)平和なのか地獄なのか分かりません。(「南北統一……。」)南北統一されるかされないか、してみなければならないでしょう? 仏教団体に派遣するとき、あなたが、どれくらい動員するか見てみましょう。霊界に通じる人々が、どれくらいいるのかというのです。お坊さんが女性から称賛されれば、滅びます。(「私も、四十年間、統一運動をしてきて……。」)神様も、よく分からないではないですか? 天国が分からないではないですか? 終わりの日には、王の資格証が必要です。内的、外的資格証がなければなりません。外的な何かがなくて、王としての役割を果たすことができますか? 天が認めなければなりません。文総裁が、地の果てに入って行ったとしても、世界を動員して、「やーやー、天下の王、文総裁が、ヒマラヤの山頂に埋もれた洞窟の中にいるので捜しなさい。」と言わなければならないのです。 ここにいる千二百人の平和大使の顔を見ようと思って、ここに来たのです。お坊さんは修養しながら、じっとしていなさい。ここは、修養する所であると考えて。 この人は、また何ですか? (笑い)(拍手)(「総裁。南北統一のために……。」)座りなさい、座りなさいというのです。南北統一、わたしが仕事をしているかどうか、分かりますか? 南北統一を成すためには、わたしの言うことを聞かなければなりません。わたしの言うことを聞けば、四十日以内で、方向がきちっと明らかになるでしょう。聞かないので、問題でしょう。 先生のみ言を読んだとき、“このみ言によって、天下を統一することができるなあ。わたしが、これを知っていれば、一役買うことができる内容だなあ。”という、そのような興奮をしてみましたか、してみませんでしたか? 何か分からない人は興奮しますが、分かる人は、「千斤、万斤(のお金)を払っても手に入れることができない宝物である。」と言って、布団の中に入っても、それを暗記しようとし、日がたつのも忘れて学ぶのです。それ一つを取り戻すために、どれほど文総裁が苦労したか分かりますか? 皆さんは、座ったままで、するすると出てくる言葉を何時間ずつ聞いていますが、CD版で出されたものは、ただ出されたのではありません。その背後に連結された価値が、どれほど大きいか分かりますか? このみ言を持てば、天下統一は問題ありません。 米国も、そうです。どこかに行き、国の優れた人々をすべて集め、三泊四日あれば、み言によって感化して、大統領からすべて、上院、下院まで祝福してあげることができるみ言です。そのような宝物なのです。 この世にまたとない、真理の武器中の武器の倉庫を持って、韓国民族が、何をしましたか? 八代の政権が反対し、文総裁を亡き者にしてしまおうとしたことを知っていますか? 今でも、最も難しいのが大統領なので、自分は偉いと思っていますが、わたしが築いた基盤を中心として、言うことを聞くか聞かないか、見ていなさいというのです。 先生は、すべてどのようになるのか分かって、話しているのです。未来を心配して話を聞く人が、どれくらいいるのかというのです。 さあ、それで、今朝、わたしが出てくるとき、決心しました。平和大使ならば、平和大使が何か仕事をしたことがあって、そのように受け取るのですか? わたしは、国会議員が新年のあいさつに来ようとするのを追い払い……。 新年のあいさつをささげなくても、新年のあいさつを受けたことにしますから、後ろでしてから行きなさい。霊界にすべて記録されるはずです。 (「神様が……。」)さあ、そのような話はやめて、統一教会……。やや、この者。神様が話されるのを(この会場の)だれが聞いているでしょうか? (「神様が、真のご父母様に送ってくださった手紙を、多くの人々に話して、お父様に栄光をささげ、この講堂が吹き飛ぶくらいに万歳を叫びなさいと、しきりに神様がおっしゃるのです。」) (先生のみ言を)すべてやめてですか? (「神様が、『真のご父母様に栄光をささげなさい。』と、おっしゃっています。」)やや、わたしの話は終わっていません。(「神様が、『神様が送られた手紙を、ここで読み、万歳を叫びなさい。』と、おっしゃっています。」)あなたが、独りでしなさい。(笑い)知っている人が、しなさい。座りなさい。 一代の失敗を一代で解決 先生は、きょうの早朝、この人々に、どのように対しなさいという、そのような啓示、霊界の天国に行って報告することを聞いて来たでしょうか、聞いて来なかったでしょうか? (啓示されたとおりに)そのままするようになれば、(皆さんを)すべて追い出さなければなりません。 ですから、そのようなことを表に出しません。そのようにしてこそ、もてなしを受けるのです。(霊界が)あるのかないのか、また、霊界がどうであるとか、聖人たちを先頭に立てるのも、神様が願われるから、するのです。先生が、四十代からそのようなことをしていれば、町じゅうが「狂った。」と言って、追い出していたでしょう。さあ、分かりましたか? ですから、サタンよりも神様から、より多くの迫害を受けた代表者が、文総裁です。それで、サタンが来て、「神様、やめてください。」と言うのです。文総裁の性格を知っています。神様も知っています。 時が来るので、神様が、「ややや、邪悪なルーシェル、文総裁が峠を越えて、反対を向く日には、あなたが得るものは、何もない。」とおっしゃって、目くばせをなさるのです。その前に転換しなさいということです。 それが、神様の愛です。そのことを知っているがゆえに、わたしは、彼(ルーシェル)を生かしてあげようと思い、聖人と殺人鬼を祝福してあげたのです。殺人鬼とは、サタンの頭ですが、祝福してあげたのです。神様は、死んでもそのようなことをなさることができません。 また、神様ご自身は、文総裁に向かって、死んでも「王権即位式をしてほしい。」とは、おっしゃることができません。体面と威信があるのです。王権樹立は、最初に、神様がアダムとエバにしてあげなければならないものではありませんか? そうでしょう? 肉身が完成した後に、(神様がその中に)入って行かれ、主人の役割を果たそうというのです。逆にできません。原理の背後の前後を分別することができたので、滅びないで生き残ったのです。 見てください。全世界が、文総裁をたたきつぶそうとしました。CIA(米中央情報局)やKGB(旧ソ連国家保安委員会)が競って、ありとあらゆることをする、そのような世界を泳いできたのです。生き残っただけでも奇跡です。それを知っているので、生き残ったのでしょう。 今、この時間も、そうです。米国の八つの情報機関が、文総裁の話すことを十五分以内に英文に翻訳し、報告して読むようになっているのです。そうであるからといって、わたしが、米国に対して良い話をすることはできません。「この米国は、滅びます! ブッシュ政権も、わたしの言うことを聞かなければなりません。滅びます!」と、包み隠さずに話すのです。 今まで、生命を懸けて闘ってきました。ソ連が滅び、共産党が滅びることを、すでに七十年前から預言してきたのです。「わたしが滅びるか、わたしの言うことが正しいか、見ていなさい。」と言いながら、今まで歩んできた、そのような恐ろしい人です。分かりますか? 平和大使は、そのようなことをします。平和大使の使命をしっかりと果たしますか、果たすことができませんか? “しっかりと果たします。”という平和大使は、手を挙げてみてください。(拍手)手を挙げなかった人は(平和大使を)辞めて……。 真の父母は何かというと、世の中を救わなければなりません。多事多端なこの世界を一つにしなければなりません。そこで父にならなければなりません。父母にならなければなりません。宗教が、どれほど難しいでしょうか? 数千万年の間、凍りついたもの、何千年間も溶けなかった北極の氷のように凍りついたものを溶かして、一つにしなければなりません。再臨主というものは、何度、“再び来たい。”と思っても、二度とは来ることのできない、そのような世界に来て、そこで王となり、(自らを)王として侍る環境をつくらなければなりません。 それゆえに、神様も、とらわれの身となられ、地獄の頂上で、独りサタンたちからあざけられる立場で、体面があるにもかかわらず、耐えてこられたのです。そのような恨に満ちた神様を解放してさしあげ、本然の位置に立ててさしあげなければなりません。 そのようにして、偽りの父母が誤ったすべてのこと、何千年間かけてつくっておいたものを、文総裁一代において解決しなければならないのです。アダムとエバが、一代で失敗を犯したので、文総裁も、これを一代で終えなければなりません。 果たすべき父母の責任 第二次大戦以後に、一代で成して余りあったのです。旧教と新教、エバ国家の英国とアベル国家の米国を中心として、天使長国家であるフランスが一つになり、枢軸国(日・独・伊)と一つになり、世界統一圏内において、文総裁のみをメシヤとして侍っていれば、三年以内で祝福をすべて成し、七年間で神様の王国を造っていたのです。 そのようにして、先生の若い時に、神様の王宮を建てるための王の基を造り、ルーブル博物館以上の輝く世界を創っていたはずなのです。まったく、そのようにしようとしていた夢が、すべて過ぎ去ってしまいました。 それを再び回復するために、五十六年間が過ぎました。五十五年、五十四年、このようにして、再度、「神様王権樹立」を成したのです。 その時に、韓国は文総裁を中心として、ソ連に逃げた群れ、それから中国に逃げた群れ、李承晩、金キム九、金日成、それから親日家たち、そして四大国の群れが、お互いに連合することができたのです。 しかし、米国がしっかりしないので、それが、うまくいきませんでした。外国に行って、逃げ回りながら学問を学んで、英語を話すことのできた人々がすべて、アーノルド長官(一九四五年九月十二日、連合国軍によって南朝鮮〔現在の韓国〕に設置された軍政庁の長官に任命された米軍少将)を中心として一つになり、逃げ回っていた既成教会の指導者たちが、地下に入って獄中生活をしていた人々を追い出して、「自分たちがやる。」と言って、(韓半島を)南北に分けてしまったのです。 それを和解させなければなりません。カインとアベルを和解させることは、文総裁が成せることであるにもかかわらず、文総裁を葬るために、高麗神学から何々神学と、すべてこのようにして、大騒ぎしたのです。 わたしは、そのトップの人たちに、すべて会ってみました。いくつか尋ねてみれば、偽物であることに間違いないでしょう。梨花女子大学校総長や朴パクマリアからすべて……。この博士が、わたしの言うことを聞いていれば、追い出されることはありませんでした。 韓国の大統領の悲惨さを考えてみてください。安らかに腰を落ち着けて暮らした人が、いますか? 監獄に行ったり、どろぼうをし、あらゆる事情の中で流れていったのです。文総裁は、八代政権が、「殺そう。」と言って、追い込んで消える男のように生きてきましたが、生き残り、その人々が滅びる時に、必ず来て、支援してきたのです。 ですから、南北統一に対する歴史を考えてみれば、難しい時は、間違いなく、この国を守るために祈祷し、杭にナイロンのひもを結んで、(この国を)失ってしまわないように、世界にひもをくくりつけました。そのようにして、わたしが来る道に従ってきて、今、(準備してきたものを)集めてきて、今、一つの国をつくろうとしているのです。分かりますか? 文総裁が、政治団体をつくればよいですか、そのままにしていればよいですか? 今日、すべきことは何ですか? 政治団体ではありません。国家です。国です。 今、兄弟が闘っています。わたしが果たさなければならないことは、父母の責任です。父母の責任を果たさなければなりません。理論的に分からずに反対すれば、そのままにしておいてはいけません。 ですから、平和大使が、女性は二十人、男性は十人、合計三十人の人々、自分の地方の国会議員、長官(大臣)、知事、郡守(郡の長)、このような人々をすべて主管して、引っ張って来て、教育させようと思っています。 その期間は、二十日間でも長いでしょう。一週間だけ修練してみてください。そうすれば、統一教会に反対する人、文総裁に反対する人は、一人もいなくなります。 神様の恨を解くことを、霊界を統一し、救援することができる基盤を築いていくうえにおいて、民族の団結を果たすために……。平和大使とは、何ですか? 天使長です。その人たちは、統一教会に対して、何の貢献もありません。 一列になって、列の後ろに入って行きながら、橋を架けなければなりません。その次には、族長がいます。金キム氏ならば、金氏の族長です。イスラエルの国の族長は、イエス様に侍ることができませんでした。分かりますか? その次には何かというと、大祭司長です。 今は、統一教会の連合会の会長たちが、祭司長です。この人々は皆、ローマに行くことのできる大使を失ってしまったことを蕩減するために、どこの国に行こうと、文総裁を中心として、その杖にならなければなりません。そのようにするのは、道をすべて開き、踊ることのできる王をつくるためです。 生涯に、サタン以上の実力基盤を築き、平和の天国をつくらなければ、神様と地上、天上天国、平和の世界は、永遠に訪れません。八十四歳(数え年)のこのおじいさんが、ここに座って、それをしているのです。 わたしは、よく知っています。若い人は皆、笑っています。若い人の父となり、 舅 となることのできるこの人々(平和大使)を中心として、自分勝手に生きてきたことを、み旨の道の前に……。 み旨の道を知ったので、行くべき道をまっすぐに行き、統一教会の人以上の先輩になって、国を超え、国境を越えて交渉して、外交ルートをつくらなければなりません。今からは、大使に試験をして、派遣していきます。 絶対的に信じ、従って行く きょうから、決定しようと思います。きょう、看板に書くものは、何ですか? これが看板です。「天一国平和統一家庭堂(『天平統家』)」です。“家”という意味の「堂」です。“群れ”という意味の「党」ではありません。 “群れ”という意味の「党(黨)」は、昔は「尚」に「黒」と書きますが、それはサタンです。今は、「兄」という字にしたのです。それが、父母にならなければなりません。野党と与党に教えてあげ、韓国はもちろん、北朝鮮までも消化することができる基盤を、間違いなく築くことでしょう。 それで、今回、「統一原理」から「統一思想と勝共理論」を圧縮した書物を発刊しました。これを配りなさい、というのです。配って、百回、千回、質問しても、答えることができる能力を持って、“訓読クラブ”をつくらなければなりません。皆さんの所に、山岳会や何々クラブというものが、あるでしょう? 自分の享楽のために生き、満足のために生き、趣味のために生きてきた人が、それ以上に、神様に対する孝子となり、忠臣、聖人、“聖子”の道理を果たすことができるようにならなければなりません。 そうして、神様が、“聖子”、忠臣、聖人がささげたすべてのものを、後で再び返してもらい、それを世界に分配することができるお兄さん、お姉さんにならなければなりません。そのようにしてこそ、神様が願われる祖国光復の中心になり、世界の指導国家になるのです。 今まで、わたし独りで、反対される世界を訪ねて行きながら、すべてそのように築いてきました。これは、間違いありません。すべての道を築いたので、「しなさい。」と、言うとおりにすれば、できるのです。 先生は、撃てば、百発百中です。暗くありません。先生は、夜の暗い所で、照準を合わせました。その次に、夜明けにも朝にもしました。昼ならば、百発百中でしょう。このようなことをして、一年中、影がないように明るくすることをして、築いてきたのです。 このようにして築いたものを、すべて与えたのに、自分たちは、その価値が分からないのです。初めて見て、初めて味わうので、疑うのでしょう? 自分で、全体を判断するのです。 神様は裁判長ですか? 自分が、それ以上にすべてを信じ、消化するために苦闘し、批判せずにそれを成し遂げてこそ、発展するのです。平和大使たち、分かりましたか? (「はい。」) 大学を卒業して、何かの博士であるといって……。わたしの元には、学士、博士がたくさんいます。「ノーベル賞を与えましょう。」と言うのを、はねのけてしまいました。今でも、そうです。 以前、国連のNGO(非政府組織)世界会議を通じて、「万国平和賞」を受賞しました。ほかの人であれば、自慢して、新聞に広告を出しますが、わたしはしません。わたしに対して、そのようにすることができる忠臣に、そのような賞を与えてから、歴史の伝統を残さなければなりません。 自分を中心とした王の王の伝統ではありません。その国の指導層の伝統、王の代わり以上の伝統を立ててこそ、家族まで、末端まで連結されるのです。それを願うのであって、“もてなしを受けよう。”ということは願いません。分かりますか? それゆえに、真の父母は何かというと、国を取り戻さなければなりません。結婚を誤ったことによって裂かれたので、神様の御前に登録することができる真の血族として、孝子と忠臣の心情を備えることができる国の国民を捜し立てなければなりません。 その次には、宗教をそのようにしなければならず、その次には、第一イスラエル……。町から追い出されたイエス様が、再び天の国に入って行かれ、再臨なさる主人として準備を整え、第一イスラエルが、第二、第三イスラエルに拡大したことを消化して、統一しなければなりません。 それができなければ、(まず)地上、天上が分かれたものを撤廃しなければなりません。楽園撤廃、地獄撤廃を成したので、その頭目たちを捕まえ、天国に入って行くことのできる道に引っ掛けておくのです。天国の門の入り口には、入って行くことができませんでした。 今からは、わたしのサインを受けるまでは、入って行くことができません。そのようなことをしているのです。うそだと思いますか? うそではありません。信じることができないことを信じて、実践する人は、必ず天運が保護します。 神様が十のことを教えてくだされば、百まで教えてくださることを願うというのです。この解決すべき複雑な問題を……。 答えが、どれほどたくさんありますか? そのことを知らなければなりません。座って本を読めば、四百冊(の「み言選集」)ならば、一年以内で、すべて精通することのできる内容です。一年が何ですか? 神様は何千万年の間、数多くの宗教は何千年間、過ごしてきたのです。 聖人たちが、文総裁を父母として侍っているのを知っていますか? 今も、地上で命令しているのです。それを成すために、先生の家庭においては、客死した四人の息子、娘を、この滅びる国の祭物として霊界に送り、霊界開拓の王として任命し、実践させているのです。 それなのに、子女が、父母の前に報告する、そのようなすべての通告を信じることができなければ、地獄に行かなければならないでしょう? 子女を地獄に送りたい人が、どこにいますか? ですから、絶対的に信じ、絶対的に従って行かなければなりません。絶対的に信じ、従おうと思わなければ、最初から荷物をまとめて出て行きなさい。 「天一国平和統一家庭堂」 ですから、きょうという日をもって決意し、今後、信じられないことであろうと、何であろうと、命令一下で、“撃破主人”として、“統班撃破”をするのです。 「撃破」とは、“再生する存在がない”ということです。違いますか? 占領ではなく、撃破です。要塞や施設、倉庫まですべて破壊してしまい、再び、その何十倍も苦労しないようにつくるのです。この世の国を撃破してしまわなければなりません。 ですから、反対されるようになっているのです。世界が一つになって、家ごとに、草の庵から王宮まで、ろうそくの明かりをともして……。最近、韓国でデモを行っていますが、ろうそくの明かりをともし、千年、万年、やってみなさいというのです。 以北(北朝鮮)では、今、百万人のデモを……。しなさいというのです。米国よ、驚いてはいけないというのです。お金も、一銭も使ってはいけないというのです。父母が死ぬというときに、(以北の)三分の二が凍えて死んでいくというのに、デモをするのですか? そのような方法は、(ほかに)あるでしょう。 なぜ、腹を据えずに、行ったり来たりするのですか? 文総裁の指示を受けなさいというのです。心配してはいけないというのです。分かりましたか? 金正日総書記が偽者か本ものか、分かりません。何かの事故が起きるときは、わたしに報告すると言いました。わたしが「総選挙することを望む。」と言えば、分からないでしょう? 約束は、自分の父親の訓示によって……。 父親(故金日成主席)の死ぬ日が近づいてきたときに、「お父さんが亡くなれば、南北統一は、どのようにしますか?」と尋ねると、「文総裁。」と……。 どうして、そのようになったのかというと、占術家たちが、(北朝鮮が)困窮している時も(文総裁は北朝鮮を)助けてくれたということを、すべて見たのです。そのようなことは、ここいる金キム博士が専門でしょう? それで、(金日成主席が、文総裁の)運勢をすべて見て、写真を撮ったものを置き、「それを抱いて死になさい。」と言ったので、(金正日総書記は、)今でも文総裁の言葉に背かず、今回も、良い礼物を送ってきたのです。それを見れば、ここにいる平和大使たちは、引っ繰り返ることでしょう。しかし、そのような話はしません。 先日、統一教会の責任者が集まったときに、それをすべて見せてあげました。まったく、“以北から文総裁に、そのような礼物を?”といって、驚いて引っ繰り返るような内容です。それは、国(北朝鮮)が、公的に六か月間、準備し、祝賀するために、精誠を尽くして作ったものです。七色の貝殻で、写真を作ってあるのです。宝石の粉で、写真を作り……。 「先生への礼物を作るうえにおいて、それは国家の一番の宝物である。」と、彼らは、そのように考えているのです。分かりますか? 救世主は、国を一国つくらなければなりません。ですから、今、国を一国つくるために、「わたしの言うことを聞きなさい!」と、言うのです。 わたしたちは、絶対に政治的闘争をしません。お金も、一銭も使いません。教育するのです。うそか本当か、調べてみなさい。疑わしければ、質問しなさい。きれいに答えてあげようというのです。今回、班(韓国の行政区画の一つで、最下級の単位)から、そのようなことをしなさいというのです。そうでしょう? 「天一国」の何ですか? 「平和統一」の何ですか? 「家庭堂」です。平和大使の金キム博士も、そうです。「天一国」の「天」を一つ書き、「平統」し、「家」です。皆さんの家庭が、主人です。 「(家庭)盟誓文」を斉唱するとき、「天一国」の何と斉唱しますか? 「主人」です! 「◯◯家庭は、真の愛を中心として、世の中を正します。」と、斉唱するのではないですか? 今年の標語は、何ですか? 真の愛で、何ですか? (「『真の愛で私たちの家庭は天一国の孝子忠臣聖人聖子の道理を完成させます』です。」)日本人のほうが、韓国人よりも優秀ですね。 それでは、それは、どのようなことですか? 歴史で否定されず、歴史における千年、万年、太平聖代(徳のある君子によって治められる太平の時代)の標語として、家ごとに、村ごとに、郡、道ごとに、褒めたたえることができる人物です。 それゆえに、「天」という字を小さく書き、今後、統一教会の教育を受けるようになるときは、これをすべて明らかにしなさいというのです。「天平統家」、祝福家庭です。先生の代わりになるのです。父母の伝統を受け継ぎなさい、ということです。 自分の看板をつくり、平和大使として、国に責任を持つのですが、今まで自らの地位を誇っていた、その威信を持った立場からは、「天一国主人」という言葉は、どれほど具合が悪いでしょうか? その言葉を使うことができないのではないかと思って、恐ろしくて……。 逝く前に成すべきこと わたしは、その国を見る前に死ぬことはできません。そうではないですか? 主人の務めを果たす中で、死ぬべきなのではありませんか? 家庭の主人になってこそ孝子になり、国の主人になってこそ忠臣になり、世界の主人になってこそ聖人になり、天地の主人になってこそ“聖子”になり、天宙の主人が祝福を受けてこそ、相続をして後継者になるのです。 伝統的思想は、崩れることがありえません。このような事実を成して、最後のサインを残してから逝かなければなりません。先生がいつ逝くか、分かりません。 わたしは、霊界に行って、すべきことがあります。今、わたしは、(霊界で)息子、娘を苦労させています。何も分からずに、お父様の命令を受け、あの世に行って、証ししているのです。わたしが行って、一度に整理してしまわなければなりません。 アダムとエバを創るときに願われた天国の何十倍以上、それ以上の天国を、完成したアダム(真のお父様)が要求しても、神様には、それを創ることのできる能力がおありになるというのです。何の話か分かりますか? 霊的に地の果ての果て、太陽系から大宇宙世界まで、高速道路を築くことができるのです。ひゅーっと飛び回ることができます。愛の速度は、最高に早いのです。 文総裁は、賢い人です。科学を学んだ人です。理論的な面において、学校の先生たちを追い詰めた人です。図書館に行って、本を調べてすべてを知り、一か月後に学ぶことを質問するのです。質問して、それに答えることができなければ、わたしが話します。そのようなことをしたのです。 わたしの息子、娘たちも同じです。頭が良いのです。文総裁の家庭は、ハーバードの代表家庭になっています。分かりましたか? 経済問題、法律問題の、ハーバードの責任者に会ってみなさい。 皆さんの大きな会社でも、わたしの息子、娘ならば一週間以内で、すべて鑑定することができます。ですから、統一教会系の財団もありますが、わたしは、わたしの息子、娘に監査役をさせません。させれば、すべて首を切ってしまうのは、間違いないからです。 わたしが、教えてあげるべきことを教えてあげることができなかったので、彼ら(財団)を犠牲にさせることはできません。 今から、平和大使が行くべき道は、何でしょうか? 忠臣の道理から、わたしが教えてあげた道をそのまま行けば、国が死なずに生きることができます。ですから、それを決定するために、第三回「神様王権即位式」、二周年ですが……。 上・中・下において、中が重要なのです。下が垂直になり、三代が、すべて直線上に立たなければなりません。上・中・下、左・中・右、前・中・後、中間の二番目が、センターになるのです。それゆえに、重要な時間です。分かりますか? (「はい。」) 真の父母は、救世主なので、世の中を救わなければなりません。国を救わなければなりません。メシヤなので、宗教を一つにしなければならず、再臨主なので、追い出されたとしても、そこで一つにしなければならず、天国と地獄を一つにしなければなりません。 そのようにして、偽りの父母が展開しておいたものを、すべて一掃しなければなりません。数千万年の歴史で、そのようにして展開してきたものを、一代で整備してから逝かなければ、真の父母の名前は残りません。 “正午定着” 何の定着ですか? “正午定着”です! 影があってはいけません。神様は、垂直に来られるので、影がありません。ここに影、自分に悪いものがあれば、東側から西側に影が差し、南側、北側に影が差すのです。“正午定着”です。影がないように、堂々としていなさい、というのです。 わたしは、お母様に話して約束したことを破りません。それゆえに、お母様自身が、わたしを崇拝します。りっぱな主人である、というのです。家庭でも教会でも、負債を負うこと、勧告されることをしません。霊界でも、威信が傷つくようなことはしません。 もし、できなければ、そこに合うように教育するのです。そのようにすることによって、自分の心が安らかであり、物事が楽なのです。 牧師たる人が、壇上に立ったときには大きなことを言い、家に帰ればけんかでもする、そのようなことを願いません。息子、娘に涙を見せてはいけません。いくら無念で、悔しいことがあったとしても、子供たちが来れば……。 子供たちの、朝のあいさつをするための足音が聞こえてくれば、大きな子が来ようと、小さな子が来ようと、ドアを開ける前に、その前に、どれほど涙を流していたとしても、以前と同じ姿勢をもって、「お父さんとお母さんが、けんかをするのを見たことがなく、涙を流すのを見たことがない。」と言われることができるような立場に立たなければなりません。 そのような父母の子供たちは、放蕩者になりません。そのように、すべてがあらわになるのです。そのような父母なので、子供が親元を訪ねて来て侍る日がやってくると考えるのです。 そういうものです。そのようなことが起きるのです。ですから、死んだりすれば、故郷に訪ねて来るのです。世の中で出世したり、また、たとえ世の中に出て失敗したとしても、故郷を訪ねて来ます。成功しても、故郷を訪ねて来るのであり、滅んでも故郷を訪ねて来るのです。 身を落とした挙げ句に故郷を訪ね、父母の懐を訪ねて来るというときは、聖書の放蕩者の例えのようになってはいけません。その例えでは、父親が、長男の結婚のために準備した着物を放蕩者の次男の所に持って行き、それを解いて着せるので、長男が不平を言って、次子の祝宴に反対するのですが、そのような人になってはいけません。統一教会も、そうです。放蕩者のような人々を、もてなすのです。 わたしの息子たちも、そうです。わたしの息子たちの恐ろしいところは何かというと、「だれそれは裏切るはずだから、見ていなさい。」と言うのです。そうです、そうです。わたしが七歳の時に、結婚までコーチしたように、わたしの子供たちにも、そのような素質があるのです。 興進の報告も、そうではありませんか? 真の父母の血統が生きているのです。霊界から報告するときには、すべて真のご父母様自身が、(興進様と)ひそひそ話し合うものだと思っています。(わたしは)そのようにすることができません。公開してしまうのです。 (興進様は)公開しないことを願うのですが、それは、(興進様が)知らなくて、そうなのです。法に引っかかることをしてはいけません。分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」) ですから、そのように理解して、わたしが「神様王権即位式」を成し、解放的地上天国の統一的な高速道路を築いたならば、今から皆さんには、この国の民を中心として、“真の父母の国”になるべきこの国において、先生が定着することのできる王の基を造るべき責任があります。違いますか? それを成すことができなければ、死んだほうがましです。“もてなしを受けよう。”と考えてはいけません。 自分の財産、自分の息子、娘をすべて……。旧約時代は、物を中心として割いたのであり、新約時代は、息子を中心に割いたのであり、成約時代は、世の中を懸けて、父母を割くことをしましたが、滅びません。 父母の息子も、すべてサタンが連れて行くのです、財産も、すべて投げ捨ててしまいました。しかし、サタンが奪って行くことはできません。方向転換して、入って行くようになれば、すべて息子、娘を中心として行くのです。 前科者であっても、大統領になれば、ホワイトハウスに入ることができます。前科者だからといって、入ることができないのではありません。服役して、蕩減すれば、入って行くことができるのです。そのようなことを考えて、生活しているのです。 そのような条件に引っかからないために、息子、娘、一族が、そのように条件を立てることができなければ、何の赦しがあるでしょうか? わたしは、父母から赦しを受けず、父母が反対するのを捨ててきた不孝者の中の不孝者です。村のために一族を苦労させ、また、統一教会の食口に、苦労だけをさせてきました。 時が来て、孝子の道から、兄弟の友愛から、村の平和の道を行き、国を超え、世界を超えるようになれば、地上、天上天国、神様の解放、万民解放の求道の目的を完結するのです! アーメン! 万歳が展開します。分かりますか? (「はい。」) ですから、そのように理解して、皆さんは、国を取り戻す代わりに、一つにすべき中間の天使長の責任を果たしてください。教会で果たしなさい。わたしが、すべて道を築いておきました。分かりますか? 先生は国に負債を負わない 以前、ロシアの大統領が、「会う約束をしましょう。」と言うのを、行きませんでした。ブラジルに行けば、ブラジルの大統領も、「(会う)約束をしましょう。」と言いましたが、会いませんでした。米国のブッシュ大統領も、「会いましょう。」と言ったのですが、わたしは会いませんでした。 ブッシュ元大統領は、(わたしの)隣室にいながら、同じ教育を受けていましたが、自分があいさつをして来なければ、わたしが何と言いますか? 天地父母が行って、「お願いします。助けてください。」と、言うことができますか? 死んでもできません。分かりますか? 平和大使が来たからといって、「ああ、お願いします。」ということを、わたしは言うことができません。自分たちが、わたしにお願いしなければならないのではないでしょうか? わたしは、いくらでも、ここの大統領に会うことができますが、政府の課長にも係長にも会いませんでした。以前、金キム大中氏が、「会いましょう。」と言うので、しかたなく会ったのです。 鮮文大学に行くために、十二時に出発するのに、「会いましょう。」「どうぞお願いです。」と言うので、行きましたが、行っても話をしませんでした。「あなたは、また大統領をして、何をするのですか? わたしが教えてあげることの教育を受けなさい。しますか、しませんか?」と、このようにして……。 法定管理をするのですが、通告をしろというのです。すべてしておいてから、「(そのような)知らせを聞いた。」と言いながらも、こちらが言っても、言うことを聞かないのです。 わたしは、国に負債を負って生きません。大統領たちの覚え書きを持っています。それを公開すれば、日本、世界、アジア全体が、引っ繰り返る可能性があります。 わたしは賢い人です。ブッシュ大統領からも、朴普煕氏に命じて、三つの条目を書いて、サインをもらったのです。「自信がある。」と言いますが、自信が何ですか? 米国が、それを活用すれば、共産党の防御問題、米国の家庭破綻問題、青少年の淪落問題を、完全に防御することができるのです。 だれが、ジョージ・ブッシュを大統領にしたのですか? 今回も、そうです。わたしには、そのような基盤があるのです。うそかどうか、尋ねてみなさい。 郭錠煥氏。(「はい。」)この人は、UPI(通信)の社長です。ニューズ・ワールドの理事長になっています。ワシントン・タイムズの朱(東文)社長と二人がいれば、世界の情報の窓口であり、ヨーロッパに行っても、皆、訪欧の話を聞きつけて、駆けつけて来るような人たちです。 そのような人たちが、世界のVIPたちに会うのに何の橋渡しが必要でしょうか? 一度、記事に書いてみなさいというのです。どれほど道理に反することが多いでしょうか? しかし、わたしは、そのようなことをしません。 アジアを保護し……。中共が、わたしに対して、ありとあらゆることを、すべてしているのです。しかし、原理を教えてあげる前には、行動は起こさないのです。分かりましたか? ですから、はっきり教えてあげるのです。 さあ、わたしののどが、ますますかれてくるので、これ以上、話すと、帰ってからせきが出始めると、夜に眠ることができません。韓国風邪でしょうか、飛行機に乗って国境線を越えて来るとき、風邪を引きました。それも蕩減でしょうか? 風邪を引いた事情を知って、難しい立場であっても、それを記憶して捨てたりしないように、神様が、「記憶しなさい。」と言われて、風邪も引いたのでしょうか、それで(体の)調子が悪いです。 声が、ますますかれていくでしょう? (「はい。」)かれていくでしょう? (「はい。」)では、歌でも一つ聞いてからやめましょうか、歌ってからやめましょうか? (拍手)何の拍手ですか? 答えてから拍手しなければならないでしょう? 何ですか? わたしに歌えというのですか? (「はい。」)声がかれていても、ですか? (せきをなさる。) わたしも、この世の中の人たちのように、遊ぶことが好きであり、趣味の第一人者です。どこに行っても、わたしがいなければ、町内で人が集まりません。今でも、そうです。「統一教会の文なにがしが来た。」と言えば、会ってみれば、面白いのです。 それで、女性たちは、しっぽが十本あっても、それを切って、やってきて、ついて回るのです。そのようにして、最も悪いうわさが立ったのです。ですから、女性たちは怨讐です。 文総裁は、お母様以外には、女性を最も嫌います。どうですか? 拍手しなければならないでしょう? (拍手) 何の歌を歌いますか? 聞きたい歌は? (「『故郷無情』です。」) (歌を歌われる。)(拍手) (この後、「天一国平和統一家庭堂」と揮毫される)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.29
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お母様は知恵深いおかた 今回の真のお母様の還暦で、お母様は六十一歳(数え年)になります。先生は、お母様に苦労をさせず、清らかに育てようとしました。まだ分別のつかないお母様を連れて来て、育てたのです。 では、わたしの代わりに、天地の位置を任せても従順に従うことができるお母様に育てあげることが、簡単だったでしょうか、難しかったでしょうか? (「難しいです。」) それでは、お母様が認めることのできるメシヤ観というものがあるでしょうか、ないでしょうか? (「あります。」)(お母様は)知っています。個人として、こうでなければならず、家庭の主人は、こうでなければならず、国の主人は、こうでなければならないということを、先生が教えた本の骨子だけを、きちっと抜き出しているのです。 お母様は知恵深いので、そのようなことをノートにきちっと書いて、第一条から約百いくつまでの条項を中心として、記憶しているでしょうか、記憶していないでしょうか? 記憶していなければ、愚か者でしょう? お母様は、知恵深いお母様です。一言言えば、二言分を測定するのです。先生が約束したことを、“すべてそのとおりにするか、しないか?”というわけです。「神様王権即位式」二周年記念式典における御言(前編) 今年一月十三日、「神様王権即位式」二周年を祝う記念行事が、真のご父母様をお迎えして、韓国の天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿で、世界各国の指導者、平和大使、国内外の教会員たち約一万人が参席する中、行われました。 記念行事は午前八時半から、聖燭点火、祈祷、敬礼式、「家庭盟誓」唱和、代表祈祷、真のご父母様によるケーキカット、「万歳」四唱、花束贈呈、「訓読会」の順に進行し、その後、真のお父様が、み言を語られました。 (揮毫のための大きな筆を持たれながら)記憶するに足る揮毫を持つことを願います。分かりますか? それは何かというと、皆さんが、統一教会の歴史の実績を、心に再び記憶することが重要であるということです。分かりますか? (「はい。」) 時間が、かなり過ぎました。今、何時間たちましたか? 八時半からなので、二時間二十分ですか? (「はい。」)二時間二十分たちました。わたしたち統一教会の集会では、二時間二十分は、序論も終わっていない時間です。(笑い) 先生は、み言を長く語ることもできますが、み言の骨子を抜き出すすべも知っています。分かりますか? (「はい。」)ですから、皆さんが絶対的に必要な、その内容を簡単に話すこともできるのです。 先日、いくつか示唆したことの具体的な内容を話そうと思えば、一時間以上かかりますが、十分間で終わらせましょうか、それとも一時間以上、話しましょうか? (笑い) 皆、性根が悪いのです。“昼食時間になりつつあるのに、一時間以上、話をして、十二時が過ぎても昼食も食べさせないようにしようと、あのようにされている。”と、思っているのです。一時間話せば、もう、二時間、三時間話すことは普通です。 ですから、“先生は、昼食も食べさせずに追い払おうとして、あのようにされるのだな。ありとあらゆる複雑な事情を抱きながら、夜を明かして遠い道を来たのだから、今日は、何かの大きな意義のある日ということで、福の包みでももらって行こう。そのようにして村に帰れば、褒めてもらうことのできる贈り物でも分けてあげ、み言も語ってあげよう。”と思っていたのに、そのように期待していたことが外れれば、不平不満を持って帰るようになるのです。 ですから、そのように思って、少しの間、話をします。 “一つの님[ニム]” ここに立っている人は、だれですか? ここに立っている人は、どのような人ですか? 言うまでもありません。韓国人であり、ありもしないのに、世界で悪いことをたくさん行ったと言われ、韓国の八代政権がすべて追い出して、悪口を言った代表的な人です。 しかし、その八代政権は、(どの政権も、)“自分が旗印を掲げて天地を統一し、天の前に福を受ける王の旗印を残すだろう。”と思っていたのですが、今、すべて滅びました。追い出されるのです。 この国に主人がいません。この国の主人は、だれですか? 皆さんが主人ですか? 大統領が主人ですか? 皆さんのおじいさんが主人ですか? お父さんが主人ですか? ここにいる夫が主人ですか? 妻が主人ですか? 息子、娘が主人ですか? 主人がいません。すべて失ってしまったのです。 「主人である。」と言って、天地に掲げることのできる内容を知らないうえに、手本とすることのできる人がいないのです。 そのような師がいないのであり、そのような父母がいないので、父母の真の息子、娘として、そのような位置に立つことができず、真の師として、そのような位置に立つことができません。また、王であるならば王となることができる真の王がいないので、そのような位置を立てることができないのです。 ですから、すべてが暗黒の世界であり、渾沌とした世界です。それが終末の時代です! 嘆息と絶望の時代です! 韓国語で、「主人」の中の最高の「主人」を代表している言葉は何かといえば、「一つしかない님」という言葉です。言ってみてください。(「一つしかない님。」)だれもが、“님”(おかた、主、あるじ、いとしい人の意)を慕わしく思うでしょう? (「はい。」) この地上の女性たちは、“一つの님”を願いますか、それとも、さまざまな、くだらないにおいを放ち、漂わせるおかしな“님”を願いますか? “一つの님”ですか? (「はい。」) 家庭では、お父さんとお母さんが“一つの님”になっていますか? 息子、娘たちが“一つの님”になって、一つの父母を愛することのできる家庭になっていますか? そうして、そのようなわたしたちの家庭が“님”の基になり、天も“一”を捜し、世界も一列になって、「わが家に訪ねて来なければなりません。」と言うことのできる家庭になっているでしょうか? “一つの님”に侍はべって生きる、そのような家庭を持っていますか、いませんか? 答えてみてください。 相対的立場において、ありえますか、それとも絶対にありえませんか? どちらですか? 相対圏を認めれば、ありえますが、死んでから生き返っても、そのような世界は、昔からも絶対にありえず、永遠にもありません。主人がいません。“一つの님”です! 言ってみてください。(「“一つの님”。」) 例を挙げるならば、右目にとって、“一つの님”とは何ですか? 右目ですか、左目ですか? そのようなことも考えたことがない人々を教育して、何の役に立つでしょうか? それでは、鼻があれば、この左の鼻にとって、“一つの님”が必要であるとすれば、それは左の鼻ですか、右の鼻ですか? 唇が“一つの님”を願うとすれば、この唇の中で、二つの唇のうちの下の唇ですか、それとも二つの唇ですか? 二つの唇になれば、“二つの”になるのであって、“一つの님”にはなりません。上唇にとって、“一つの님”になりうるのは、下唇です。下唇は下にありますが、それが慕う、一つになることのできる“님”は、上にあるのです! 右側の耳が願う“一つの님”は、左側の耳です! そうでしょう? いくら見た目の悪い女性であったとしても、その女性にとって、“一つの님”とは、もう一人の美しい女性の“님”でしょうか、それとも、夫という見苦しい男性の“님”でしょうか? (「夫という男性です。」) 主人の中の主人 おじいさんとして、わたしが……。今、わたしは何歳ですか? 今日を超えれば、何歳になりますか? 世の中には、悪いことがたくさんあります。皆さんが暮らしている国は、別々の国です。日本人には日本という国、韓国人には韓国という国、米国人には米国という国があります。 しかし、本物の国、一つしかない“님”の国はあるのか、というのです。同じ道理ではありませんか? ありますか、ありませんか? (「ありません。」)考えてみたことがありますか、ありませんか? (「ありません。」) 自分の国が一番になることを願うのが、せいぜいのところであって、ほかの国が一番になることを願う人がいますか? 愚かな人であっても、自分が、たとえ優れた美男美女でいっぱいの町の真ん中に立っていたとしても、そのすべてを否定し、“私は愚かであるが、世界を代表した王様の息子になりたい。”と、考えるのです。“一つの님”です。 そのような面において、“一つの님”というのにふさわしい人とは、どのような人でしょうか? 皆さん。昔の言葉にもあるではないですか? 「人の心は朝夕に変わるものであり、山の景色は今も昔も同じである」という、そのような言葉があるでしょう? 人の心は、朝夕に変わります。山の景色は、どうですか? 今も昔も同じです。 山は変わらないので、だれもが中心として見詰め、記憶の表題として残したいのです。そのようにして、なくてはならない一つの中心存在の“님”として記憶するようになれば、山河は世界最高の名勝になることができるということは、事実です。 それでは、そのようなことを考えれば、この宇宙の万象全体、個人家庭全体、宇宙全体を見て……。太陽系を中心として見れば、その太陽系が、一説によれば一千億個も入るのが、この大宇宙です。ですから、宇宙を創られた神様は、どれほど偉大なおかたでしょうか? 千個だけでも大変なのに、一千億個です。ひゅー! (驚いた表情で口笛を吹かれる)年を取った老人は、口笛の音も出ませんね。ひゅー! ひゅー! (笑い) さあ、最も良い“님”とは、何でしょうか? 黄金の山があるとして、二十四金の中で一番になることができる標準とは、二つでしょうか、一つでしょうか? ダイヤモンドの鉱山に行けば、そこでは、ダイヤモンドがお互いに「自分が美しさでは一番である。」と言うのですが、一点のきずもないという、そのダイヤモンドの横にきずがあれば、それは、どのようになると思いますか? 王は、完全に純潔でなければなりません。そのみ言を話しましょうか? 主人の中で一人しかいない主人、また、“님”の中で一人しかいない“님”、宝物の中で一つしかない“님”、すべてにおいて一つの標準となることができ、その全体をもって主人の役割を果たすことができる、そのような“님”が世の中にいるとすれば、どれほど良いでしょうか? そのようなことを考えてみたことがありますか? そのような“님”がいるとすれば、一般世界の優秀な文総裁のような人も、その“님”の代表、世界の代表的な中心の“님”の価値を持っていると思いますか、持っていないと思いますか? なぜ、答えずに黙っているのですか? それでは、文総裁は、神様よりも優れた文総裁ですか、神様よりも劣った文総裁ですか? (「優れています。」) 先ほど訓読したみ言の中にもあるように、愛する人とは、自分よりも何千万倍、何億万倍、素晴らしくても良いのであり、さらに一層、素晴らしければ良いと思うのです。 そのような相対とは、父にとっての息子であり、息子にとっての父であり、夫にとっての妻であり、妻にとっての夫です。自らの愛の相対は、より高くなければならないのです。 ですから、神様よりも文総裁が劣っているという話は、することもできません。そのような言葉も、見る立場によって異なるのです。 東側から見れば、日が沈むときの夕日、美しい夕焼けを誇り、赤い光でこの世界に花を咲かせて沈む日の光は、朝日よりも、もっと美しいのです。 愛が絶対の表象 さあ、それでは、だれが最高になるのでしょうか? 世の中で最も良いものとは、何でしょうか? 最も良いものとは、何ですか? ここにいる欲深い、何大使ですか? (「平和大使です。」) ここにいる人々が足りないので、間違って呼んで来て、平和大使としても座ることができるのです。そのような人が本当の中心であるとすれば、その人に従って行けば、滅びるでしょうか、栄えるでしょうか? (「栄えます。」)何ですか? だれが、その返事をしましたか? 滅びるのでしょう? そのようなことを比較することができる“原器”、最も中心的な基準として、材料を測定することができる“原器”、または中心とは、何でしょうか? お金ですか? ここ(大聖殿)に、何人集まりましたか? 六千人ですか? 六千人と言ったでしょう? 六千人を超えているはずですが。ここにぎっしり座れば、一万二千人が入ります。 それは、知識でしょうか? ここにいる平和大使たち。“あー、私は◯◯をしてきた人物なのに、統一教会の人たちを見れば、皆、子供のようであり、皆、私の年下のいとこ、年下の七親等、八親等、十二親等にもならない人たちで、そこに行っても、皆、その程度のものだろう。ふふふふ……。”と、そのようになりがちなのです。 知識をもって、追従するのですか? それとも力ですか? 力でしょうか? 肩に力を入れて、無理に押し切って、「一度やってみよう!」と言うような、ありとあらゆる人がいるのでしょう。 知識でもなく、力でもなく、それから何ですか? お金ですか? 「トン(お金)」と言えば、それは「トンダ(回る)」ですか、「ト ラ ガンダ(帰る)」ですか? それは良いことですか、悪いことですか? お金と言えば、これは、“回る”という事実にもなり、“帰る”という事実にもなるのです。最も悪い所と近い所にあるものが、お金です。 愛の中で、回ることができるものとは、何でしょうか? 心は丸いですか、平たいですか? 「丸いです。」なぜですか? 回ろうとすれば、丸くなければなりません。心は、まん丸であってこそ、回ることができるのです。そのようなことを考えると、教えてあげれば、答えることは、だれでもできるのです。 それでは、天地において、わたしたちが、“一つの님”として尊敬することのできるおかたとは、どなたでしょうか? 知識に狂った人でもなく、お金に狂った人でもなく、権力に狂った人でもありません。何に狂った人でしょうか? 男性にとって、“님”になることができるのは、それ以上にハンサムな男性であるという話は、正しいですか? ハンサムな男性にとって、その“님”になることができるのは、醜い女性であったのです! 目の不自由な人であっても、それは、私の“님”です。 昔、出会ったときには、相手を“天下一である。”と思って、そのまま一心に侍ってきたならば、たとえ死んだとしても、また、四肢五体が不自由になったとしても、体一つあれば、その人が“님”です。自分のポケットに入れて歩いたとしても、愛が変わらなければ、その人が“임[イム](님)”の中の“임[イム](님)”です。そうですか、そうではありませんか? ですから、男性たちにとって、“님”となりうる、その主体とは何でしょうか? 何ですか? (「女性です。」)女性ですか? それでは、男性たち。そうだと思いますか? 女性が必要ですか? (「はい。」)どれくらい必要ですか? (「絶対的に必要です。」) 絶対的ということだけではいけません。絶対的であり、自分にとって唯一でなければなりません。絶対的に自分の元を離れることができない、“唯一”です。それから何ですか? “不変”です! その次には、何ですか? (「“永遠”です!」) わたしよりも優秀ですね。よく知っていますね。(笑い)それゆえに、主人を選んで、自分の“님”を訪ねて行くときには、失敗せずに、しっかり訪ねて行くのです。 ですから、その絶対の表象となりうるものは、男性にとっては女性であり、女性にとっては男性です。なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 何ゆえに、そのようになっているのかというのです。お金ゆえにですか? 男性と女性に、お金がありましたか? 最近では、嫁に行くときには、やれ婚礼家具であるとか、何億の家がついてくる、何々をしてくるなどといって、大騒ぎをしていますが、お金が貴いのですか、何が貴いのですか? (「愛が貴いです。」) 愛は平たいですか、丸いですか? (「丸いです。」)愛の家は、どこにありますか? 心にありますか、てっぺんにありますか、足の裏にありますか? (「心にあります。」)わたしには分からないので、尋ねるのです。(笑い) 女性のてっぺんにありますか、足の裏にありますか、それとも中心にありますか? (「中心にあります。」)男性は、どうですか? てっぺんにあるでしょう? (「中心にあります。」)中心にあるのですが、それは何ですか? 閉じますか、閉じませんか? どうですか? 女性は、静かに考えなければならないでしょう? ここにいる男性たちは、じっとしているのに、なぜ「ひひひひ。」と、笑うのですか? 「めんどりが鳴けば家が滅びる。」と言いますが、どうですか? 同じですか、同じではありませんか? 同じですか? (「はい。」)この者たち! (笑い) 関心を持ちましたか? 平和大使たち、関心を持ちましたか? 平和大使たちだけ、拍手をしてみてください。どこにたくさん座っているのか分かりません。拍手してみてください。(拍手)なぜ、平和大使たちが皆、四方に集まっているのですか? こちらには、いませんね? 日本人たちですか、韓国人たちですか? このようになれば、韓国人は右側に行き、日本人は左側に座っているのですが、日本人をもてなしてあげませんでしたね。このように、細かいことにも厳しい先生です。 生殖器は愛の王宮 それでは、神様にも“님”が必要でしょうか? 人には“임[イム](님)”が必要かも知れませんが、神様にも“님”が必要でしょうか? (「はい。」)それは、どのような“님”ですか? 文総裁のような醜い男性ですか? それは、(文総裁のように)千年間、悪口を言われても、聞いているのか聞いていないのか、知っているのか知らないのか、(悪口を言われたことを)忘れてしまうような男性でしょうか? それは、醜い男性ではありませんか? 神様にも、一つしかない“님”がありますか、ありませんか? (「……。」)これでは、幼稚園児にもなることができませんね。そのようなことを初めて聞くので、そうなのでしょう? このようなことを常識であると思って、それを求めて歩く人がいれば、その町内に来て、一番になり……。 神様にも、そのような“님”がありますか、ありませんか? (「あります。」)神様は男性でしょうか、女性でしょうか? (「男性でいらっしゃると思います。」)(「男性と女性です。」)また、それは何ですか? (笑い)「男性と女性です。」と言うときに、「男性」という言葉が、先になるにはなっていますね。 統一教会では、神様の属性を中心として、神様は、どのような存在であられると言っているでしょうか? 二性性相の中和的存在です! それは、どういうことでしょうか? それでは、二性性相の中和的存在の二性性相とは何であり、中和とは何ですか? どちらが標準となるのですか? 中和です! そうでしょう? 二性性相の中和とは何かというと、二つが一つになって、アンテナが、ぴょこんと立っているということです。ですから、中和的存在です。 また、格位においては、どうですか? 男性格位です。男性格主体となられるので、二性性相や女性性相を中心として、男性と女性の中和的存在であられ、その格位においては、最高の男性格主体であられます。最高の頂に上がって行くのです。 最高の頂の男性的主体とは、だれでしょうか? 神様です。神様が最高の主体になられるとすれば、そのおかたの“님”になることができる存在とは、何でしょうか? それは、「二性性相の中和の中にあるものである。」と、このような結論が出てくるのです。 その中和の中にあるものとは、何でしょうか? また、先ほど話しましたが、男性は、絶対的に女性が必要であり、女性も、絶対的に男性が必要ですが、それは、何でしょうか? 愛ですが、愛の器官は何ですか? (「生殖器です。」) 生殖器であるとすれば、その生殖器とは、生まれる「生」という字に、植える「植」という字に、入れ物の「器」という字の「生植器」ですか? そのようになれば、その名前は、今の「生殖器」という言葉よりも良いでしょう? “生命を植えて育てる器”という意味の「生植器」です! 生殖器が好きですか? その生殖器とは、何ですか? 生殖器で何をしますか? (「愛を広めるものです。」)生殖器、凹凸で何をするのか、というのです。(「愛の王宮です。」)愛を行って、どうするのですか? 生殖器は愛の器官ですが、その愛の器官は、何をするためのものですか? (「血統を残します。」)血統、結実です! なぜ、結実が必要なのでしょうか? そこから家庭の結実が生じ、国の結実が生じ、世界の結実が生じるのです。神様までも、とても喜ぶことのできる天国が、そこから始まり、神様が暮らされることのできる家庭も、そこから始まるのです。それは、天地で一つしかない、愛することのできる自分の“임[イム](님)”をつくり出すことができる製造工場です! それでは、男性の器官のほうが貴いでしょうか、女性の器官のほうが貴いでしょうか? (「男性のほうが、より貴いです。」)なぜですか? (「種を持っているからです。」)男性には、種なのか何なのか分かりませんが、骨があります。韓国の歌に、「お父さんから骨を受け、お母さんの血を受けて、このような美男美女になった」と、感謝する歌もあるでしょう? 分かりますか? 生殖器という器官がありますが、この人間世界を神様がごらんになるとき、神様が男性格主体であられるとすれば、女性のほうを、より愛されるでしょうか、男性のほうを、より愛されるでしょうか? (「女性を、より愛されます。」)女性の何をですか? (「生殖器です。」) 生殖器とは、何をするものですか? 生殖器とは何ですか? 国の宮があるのですか、何があるのですか? (「愛の王宮です。」)生殖器は、愛の王宮、生命の王宮、血統の王宮ですが、男性の生殖器も皆、そのようになりうるのです。 宮がなければなりません。女性には何もありません。体を見れば、女性は平たく、男性は突き出ていますが、女性の中の深い所にあって、実を結ぶことができるものが子宮です。子宮、知っていますか? (「はい。」)子宮を見たことがありますか? (笑い) 最近では、手術や解剖をして、すべてを実際に見て知っていますが、昔は、子宮なのか何なのか分かりませんでした。古代人も、“動物も子を持ち、春になって、一度カップルをつくれば、子種が入っていった後に、何か月かすれば、父親に似たものも生み、母親に似たものも生む。それは、何の器官だろうか?”と、不思議に思ったでしょうか、関心を持ったでしょうか、知りたいと思ったでしょうか? (「知りたいと思いました。」) 男性には、いくらそのようなものを探してみても、すべてが見えているので、ありませんが、女性には、秘密があります。おなかの深い所に子宮があります。ここで、神様の息子が育つことができ、神様の娘が育つことができるという事実があるのです! 愛の主人のいない世の中 この世界は、主人のいない世の中です。それは、何の主人でしょうか? お金の主人は、いくらでもいます。分かりますか? 力の主人や知識の主人は、いくらでもいます。 市場に行けば、互いに「私の品物を買ってください。」と言って、大騒ぎしていますが、宇宙において、希望の“一つの님”しか残ることができない、そのような本物の愛の主人がいるのか、ということです。皆さんの父母が、そうですか? また、皆さんが、そうですか? 父と母の心と体は、闘っていますか、闘っていませんか? (「闘っています。」)毎日のように闘わない心と体があれば、傷つかないはずですが、毎日のように闘う父と母の胸の中、闘う心の世界の心情の真ん中には、傷、ひびが入るでしょうか、入らないでしょうか? そのひびを見詰めるとき、息子、娘が、「ああ、お母さんには、ほかの人よりも、一つでも多くの傷があればよいのに。」と、思うでしょうか? そのひびが多いほど、関係が遠ざかるのです。分かりますか? そのような見本となることのできない者が残るので、目自体がねじれ、鼻自体がねじれ、口自体がねじれ、耳自体がねじれるのです。 頭全体に、五官すべてがあります。五官だけではなく、十官が入っています。それはすべて、何のために動くのでしょうか? 愛の“一つの님”のために存在するのです。 それで、皆さんの目、鼻、耳、口、五官が、統一されて動くようになるときは、手が行けば、手が行く所に目が集まり、鼻、耳、すべてのものが行くのです。愛する人の手を握ろうとするとき、手が行きますか、五官がすべて行きますか? 愛の表題の前には、五官、十官が、すべて動員されます。それ以上のものも、すべて動員されます。分かりますか? それでは、なぜ、この五官が生じたのでしょうか? 目は、何を見るために生じたのですか? 相対のどこを見るためですか? その目が、最後に訪ねて行くものは、何ですか? (「心です。」)心が、最後に訪ねて行くものは、何ですか? (「生殖器です!」) それでは、教主であるという人が、そのような話をすれば、卑しい人の中の卑しい人、その親分であると言いますか? 卑しい人なのか良い人なのか、それを味わってみれば、料理の中で世界最高のものです。見た目はいいかげんに見えますが、味がそれくらいならば、天下にうらやむものは、何もないのです。分かりますか? (「はい。」) 目が願う最高の秘密の場所も、それであり、手が願う最高の秘密の場所も、それであり、においをかぐのも……。女性たちは、香水を振りかけるでしょう? なぜ、それを振りかけるのでしょうか? それは、“ついて来なさい。”、“においをかいで、重要な場所に訪ねて来なさい。”ということであり、案内の信号弾です。また、耳もそうでしょう? 耳は、何を最も好みますか? 女性が、「訪ねて来なさい。」と、ささやく言葉を最も好むのです。 五官全体、男性全体が、何ゆえに僕としてふるまいながら、最も喜ぶのでしょうか? 真の愛の主人と結合することができる道の前では、すべてが万歳です。すべてが、愛ゆえに喜ぶのです。女性も同じです。 寡婦の心 女性が美しく化粧するときは、“男性の視線が集まればよい。”と、そのようなことを考えながら、それを願って化粧(화장[ファジャン])するのですか? とは、死体を燃やしてしまうことが火葬(화장[ファジャン])なのですが、そのファジャンと女性が……。 寡婦が、化粧をよくしますか、男やもめが、化粧をよくしますか? 男性で、においを漂わせながら歩く人の十人中に三人は、男やもめです。男性が、自分を目立たせるようになれば、愛に失敗したか、愛の世界の落第者です。そのような人が、においを漂わせて歩くのです。 寡婦も同じです。寡婦は、“良い服を着たい。”と思うでしょうか、“悪い服を着たい。”と思うでしょうか? 寡婦(과부・クァプ)は、どこにいますか? 과부とは、財物世界のことを過富(과부)というのですか、それとも、男性もなく、独りで孤独に暮らす女性のことをいうのですか? 売春婦を「寡婦」と言いますか? (「言いません。」)そうではなく、一人の夫を慕わしく思いながら、世の中で孤独に暮らす人、目が泣き、鼻が泣き、唇が泣き、五官が泣き、この身の四肢五体が泣いているのが、寡婦です。 それでは、昔、死んだ夫が(再び)来て、その寡婦と初愛の婚姻をして、愛する初夜に訪ねて来るとすれば、その寡婦は、死んでもよいでしょうか、生きてもよいでしょうか? どちらがよいですか? 死んでも恨はないというのです。 寡婦は、(夫が亡くなって、)最初は、わけが分からずにすべてを送るのです。そうして、共同墓地を見詰めるときは、青い春の季節であり、昨年の春に、自分の夫を埋葬する時には何もなかったのに、今年の春には、その墓の後ろにつつじの花が咲いているのです。 そのとき、美しいちょうやはちたちが飛んでいるのが、すべて見えるのですが、(亡くなった)自分の夫の目には、そのちょうやはちも見えず、つつじも見えません。なぜでしょうか? 夫の目は、(死んで)すべてなくなっているからです。 そのようにして、約三年間が過ぎれば、自分の夫の墓よりもその園、周囲の環境が慕わしくなり、夫の墓を訪ねて行くことよりも、春を迎えること、夏を迎えること、秋を迎えることが慕わしくなるのです。それで、周辺を訪ねて行くための環境をよくして、かわいそうな寡婦は、(自らを)慰安しようとして、墓を飾るのです。 ですから、兄弟たちが、それをよく飾ってあげなければなりません。そのようなときは、その兄弟の中で、姉ならば姉、弟ならば弟が、「私が、お供いたしましょう。」と言い、行って、「来年は、もっと美しく、よい花でも植えましょう。」と言うのです。そのようにすれば、それを喜ぶでしょうか? 三度もすれば、最も近い兄弟になるのです。分かりますか? (「はい。」) 寡婦自身のために美しく飾ることはしませんが、環境を飾ってみれば、友達になることができるのです。神様も同じであり、すべてのものが、そのようになっているのです。愛の世界では、そのような天理の道が、自らの四方に三百六十度の方向を備えているのです! 韓国人は、韓国人だけを好みますか? 三百六十度が十二方向であるのか分かりませんが、それが十倍ならば、三千六百数に拡大されるのです。韓国人十二人だけを愛すれば、それでよいのでしょうか? ですから、もっと大きな愛、そのもっと大きな愛を成すことを学ぶことのできるおかたが、神様であられるというのです。 “님[ニム]”のモデル 神様は、自分個人にとっても必要であり、十二人兄弟ならば、長兄にとっても必要であり、三千六百兄弟の代表の位置にとっても、また必要です。三億六千万双の人々を中心としても、その神様は必要であるというのです。 ですから、「一から全体までが必要となりうる、その代表的主人であられるおかたが、神様であられる。」という名前は、妥当な名前です! アーメン! アーメンの「ア!」とは、感嘆すべきことであり、“ナンバーワン・メン”になるためのエイ(A)メンが、「アーメン」です。良いですか、悪いですか? (「良いです。」) 神様を見たことがありますか? 神様に触ってみたことがありますか? 神様のにおいを、かいでみたことがありますか? 水ににおいがありますか? 水に色がありますか、ありませんか? 水は透明であり、色がなく、においもなく、触っても、温かい手で冷たい水を触れば、水と分かりますが、同じ温かい手でも、四度以上の温度の違いがなければ、感じることができません。 そのように、水は色もなく、透明ですが、だれもが、いつ飲んでも好むことができるものです。ですから、水という存在は、人間にとっては、飲む“임[イム](님)”の中の“임[イム](님)”です! 偽物ではなく、本物です。 先生は、監獄にいた時、水の味を本当に知りました。水は、本当に甘いのです。だ液が、どれほど甘いか分かりません。それで、一杯のご飯を、水を飲みながら、一粒、二粒と数えながら、十二時間かけて食べることができます。 ですから、ほかの人々は消化してしまって、「おなかがすいた。」と言いますが、昼食を食べなかったとしても、朝食を食べて、昼食の時間の後まで過ごしたとしてもおなかがすきません。そのような訓練も、すべて受けたので、監獄で死なずに生き残ったのです。分かりますか? 良いものを訪ねて行く人は、その“임[イム](님)”が永遠なので、永遠の標的として、自分も永遠の存在として残ることができるという事実は、理論的な良い答えです! 分かりますか? それで、そのような主人が、モデルの中のモデルです。そうして、千年、万年の間、変わらず、自分の愛するものよりも果てしなく愛し、もっと愛し、もっと「님、님、님、님、님、님。」と言う途中で死んだとしても、「恨はない。」と言って生きる人がいるとすれば、神様は、そのような人を願われるのです。 この地球星の歴史において、数千億の民が、地上と天上にいたとしても、神様は、そのような“님”お一人を捜し続けてこられ、出会うことを願われるのです。そのようなおかたが、永遠に、本当の標的になることができるのであり、人間たちが願う“님”のモデルであるというのは、妥当な結論です! 拍手! (拍手) 八十歳の老人が話すのに、水も持って来ないで、「話だけしなさい。」と言えば、失礼でしょう? それで、何の相対になりますか? 拍手! (拍手)水を持って来なさいということです。 文総裁には、名前が四つあります。文総裁の名前は、何種類ですか? 文鮮明、統一教会の教主、それから、聖人たちが決議大会をしたときは、何と言いましたか? 文総裁は何であると言いましたか? 救世主です。 救世主とは、何ですか? (「世の中を救う人です。」)世の中を救うことができ、だれもが、「私のものである。」と言って、訪ねて行って、一つになることができるモデルです。そうではありませんか? 東西南北、四方の中心になっていれば、一つになってこそ、自分も球形になるのです。それと一つになってこそ、善の前に球形自体となるのです。ですから、(メシヤの元に)行って、一つになることを願うのです。 愛をはめて暮らす女性 神様に会いたいですか? (「はい!」)どのように会うのですか? 男性が神様に会うとすれば、男性のような神様に会いますか、女性のような神様に会いますか? (「女性のような神様です。」)(笑い)先生が答えてあげようとしているのに、なぜ、笑うのですか? 女性の中で、美しい唇を持ち、鼻が整い、すべてにおける美人がいて、「すべてのものが美人でないところがない。」と言って、称賛に次ぐ称賛をしている途中で死んだとします。その女性が、「それでもよい。」と言ったとしても、その女性が訪ねて行く所は、愛の園を訪ねて行かなければなりません。そうですか? 男性は、何を持って行きますか? 男性は、何を持って行きますか? 男性は、何かぶら下がっているものがあるではないですか? ぶら下がっているものを誘致するために、女性は、ぶら下がっているものを好むのです。なぜでしょうか? 暑い時に、冷たい所は何かというと……。皆さんの手が熱ければ、すぐに感じるでしょう? 女性の愛の器官は熱いのですが、男性は冷たいのです。それを知っていますか? 女性は、なぜイヤリングをするのでしょうか? それから首飾りです。 女性は、いくら飛び跳ねたとしても、上に上がって行こうとすれば、男性の背中に回って、男性の首に手をかけなければならず、前になっても、男性の首に手をかけなければなりません。女性は、夫の背中に乗って、上に上がって行こうとするでしょうか、夫の首に手をかけて、体を支えてくれることを願うでしょうか? 行くべき道とは、横道に行くのではなく、夫の首に乗って、上がって行かなければなりません。“上がって行きたい。”と思い、良い“임[イム](님)”と出会おうと思えば、女性は、慕わしい夫の所に走って行かなければなりませんが、夫と対等な立場でキスしようとしても、どうにもなりません。 ですから、男性が、女性の首をひねって、しっかりと首をかき抱けば、女性の口が上に上がって行って、キスすることができるのです。首は、そのような便利な器官なので、間違いなく首に引っかけて遊ぶものが最も良いので、女性は首飾りを好むのであり、首飾りが必要なのです。その話は、正しいですか? それから、また、指輪は右手にはめますか、左手にはめますか? 左手を使う人は、右手にはめなければならず、右手を使う女性は、左手にはめなければなりません。 それでは、東洋の女性、韓国の女性たちは、左手を多く使いますか、右手を多く使いますか? (「右手を多く使います。」) では、女性が、最も便利なものは、右手の何番目の指ですか? (親指から順に数えて)一つ、二つ、三つ、四位基台(薬指)。これ(小指)は、皆、好みません。手を握っても、外に出ます。この三本(人さし指、中指、薬指)は、手を握れば、中に入ってしまいます。 これ(小指)は、一番あとになって、最も良いものであり、これ(親指)は神様を象徴し、これ(小指)は息子、娘を象徴し、お母さんとなることができるものが、これ(薬指)であり、四番目(薬指)は、息子、娘をよく生むための夫の愛……。 ここで見ると、(親指から順に数えて)一つ、二つ、三つ、四つ、四位基台の対象となることができるので、この指(薬指)に指輪をはめるのです。いくつの峠(指の節)を越えて行きますか? 一つの峠、二つの峠を越えて行き、三つ目の峠の所に(指輪を)入れるのです。 ですから、なぜ、指輪をして暮らすのでしょうか? それは、愛を象徴したものだからです。父を愛することができ、息子を愛することができる指の、その間にはめ、夫の愛、息子の愛をはめて、この手を……。 二つの峠を越えて行きます。二つの峠を越えて行かなければなりません。蘇生、長成、完成の世界を越えて行ってこそ、母の位置が理想的位置であるというのです。そこに、指輪をはめるのです。毎日のように、指輪をはめて暮らすのと同じように、毎日のように、愛をはめて暮らしたいと思うのです。分かりますか? (「はい。」) 男性の世界は、これ(鼻の下に人さし指を当てられる)が蘇生であり、(手を下の方に下ろされながら)長成ですが、完成は何ですか? 五番目の生命線が、これなのです。そうですか? あなたの男性の生殖器は、睾丸の後ろにありますか、睾丸よりも離れていますか? いちばん深い所にあるでしょう? なぜ、変な顔をして聞いているのですか? 平和大使ですか? どこから来ましたか? (「日本から来ました。」)日本のどこですか? 統一教会のメンバーですか? “なぜ、先生は、あのような話をするのか?”と思うかもしれませんが、これが、どれほど貴い話であるか分かりますか? 宝物のつぼ それでは、皆さんのそこが壊れ、お金で買うことができるとすれば、鼻を切って売ってでも、それを買いたいと思いますか? それとも反対に、それを切って、鼻を買いたいと思いますか? (笑い)聞いているではないですか? なぜ、笑うのですか? (「鼻を切って、それを買います。」) 鼻も切り、口を縫い合わせて、口を使うことができなくても、それを使うことを願うのです。口を売ったとしても、鼻を売ったとしても、それを買うのですか、買わないのですか? (「買います。」)目は、どうですか? 見ることのできない盲人は、「見えない愛は嫌いだ。」と言いますが、見えない愛を、もっと好みますか? 顔に四官があり、この皮膚(触官)を加えた五官まで、すべてがなかったとしても、愛を残し、血統を残すことができれば、首を切って売ったとしても、血統さえ通じることができるならば、五官の形態だけ残し、それを切って売ってもかまわないというのです。 かにの足も、切れば、また出てくるでしょう? それと同じように、そのようにすることができるのならば、何度でも切って売りたいという考えを持つことができますか、持たないことができませんか? (「持つことができます。」) 「持つことができますか、持たないことができませんか?」とは、また何ですか? 同じです。答えは同じということです。居眠りしている人は、何の話か分かりません。よく考えて聞かなければならないでしょう? 分かりましたか? 宝物のつぼは、どこですか? 宝物のつぼとは、何ですか? 愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮です。家庭の王宮です! それが、国の王宮になり、宇宙の神様の国を完成させることができる基になるのです。それ以上に貴いものが、どこにありますか? そこから血統が連結するのです。 いくら夫婦同士で楽しく暮らし、はとのように、「クックックッ。」と鳴いて、大騒ぎして暮らしたとしても、その種がなければ、一代で終わるのです。世の中から退いていくのです。歴史と関係がないのであり、その国とその世界とは、関係がありません。悲惨な生になるのです。 近ごろ、大学院を出て、学士や博士になる女性たちで、「三十五、三十六歳になってから、嫁に行こう。」と言っている女性は、正気ではない女性ですか、正しい女性ですか? (「正気ではない女性です。」)大学を出た青年で、「四十歳近い美人の判事を嫁にもらおう。」と言う人がいますか? 唾棄すべきです。 皆さん(父母)が、女性たちを大学に行かせることができなかったとしても、(その女性たちが)二十四歳前に大学に行き、大学院に入学した後に結婚して、赤ん坊一人を生んでから、ゆっくり大学の博士をさせたとしても、その夫は、どれほど喜ぶでしょうか? 登ることもできない木は、見詰めてもならず、飲み込むことができない果物を欲張って食べれば、死んでしまうのです。切って、少しずつ食べることができる余裕しゃくしゃくの男性となり、子供たちを育てて、よく教育して、希望に満ちた未来の家庭の王となることをお祈りします。アーメン。(「アーメン。」)拍手しなければならないでしょう? (拍手) 救世主、メシヤ、再臨主、真の父母 聖人たちが決議大会をするとき、文総裁の最初の名前は、何でしたか? 「文総裁は救世主、メシヤである。」と言ったのです。日本語でいうと、「メシヤ」とは、食堂の主人のことです。 その次に、「再臨主」と言いましたが、それは、“離婚して去って行ったが、再び来る”という意味の再臨主です。結婚しようとして来て、結婚することができず、再び来るのが、再臨主です。 それから何ですか? 「真の父母」です! 偽りの父母によって追い出された後に、再び、哀れに訪ねて来る真の父母です。偽りの父母の息子、娘から冷遇されるのが常ですが、耐えなければなりません。その峠を越えなければ、真の父母と再び会うことのできる道がないのです。 ですから、神様は、「怨讐を愛しなさい。」と、おっしゃったのです。怨讐を愛するのですが、何の怨讐でしょうか? 世界の怨讐、宗教の怨讐、追い出したイスラエル、第一、第二、第三イスラエルの怨讐、それから天国の怨讐まで四代です。 ですから、真の父母という人は、この世の国の主人がいたとしても、また、教派間で闘いながらも、闘わない平和の王以外としては、来ることができません! 真の父母が来れば、自分たちの何かがなくなるということを知っているので、彼らは軍隊を立て、幾重にも境界線を作って、守っているのです。国もそうであり、宗教もそうでしょう? 宗教の壁が、どれほど高いでしょうか? それから、再臨主は、愛の約婚をしなければなりませんが、その再臨主を、町の勇ましい青年たちが追い出してしまうのです。彼らが、再臨主が再び来ることを願ったりするでしょうか? 捕まえて殺すのです。聖書に、そのような話があるでしょう? 再臨主には、それを一つにしなければならない責任があります。 その次には、神様の前で追われ、地獄をつくってしまった世界において地獄を撤廃し、真の父母の位置を還元させるために来られるのです。そのおかたが、文総裁です。 文総裁は、「そのようなすべての面の救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、真の父母であるという言葉を与えよう。」と言われたとき、喜んだでしょうか、「嫌だ。」と言ったでしょうか? 先生が、皆さんに「真の父母になりなさい。」と言えば、一度、してみますか? (「はい。」)易しいですか、難しいですか? (「難しいです。」) 皆さんは、国に行き、一番後ろに立つこともできずに、逃げて行くことでしょう。国の主人になりますか? 宗教の主人になれると思いますか? 名家の一人娘と約婚したのに、その国の青年たちから追われ、彼らが金城鉄壁の境界線を作って守っているというのに、また行って、再臨主になりますか? 再び来る主人が、再臨主です。そうでしょう? そのようなことをすることが、できますか? 真の父母になることができますか? 神様が、そうです。 神様は、何をなさなければならないのかというと、救世主の王にならなければなりません。皆さんが、救世主の王(=神様)の息子、娘になろうとすれば、その道を行かなければなりません。神様は、メシヤの王になられなければなりません。再臨主の王になられなければなりません。真の父母の王になられなければならないのです。 いくら真の父母になろうと思ったとしても、国の王であるメシヤを知らずに、国の主人になることができますか? 宗教世界の王となる主人を知らずに、宗教世界の王になれますか? その町の入り口に入る前に、追い出されるのではありませんか? 王となることができる救世主を知らず、王となることができる神様を知らなければ、絶対になることはできないのです。 なぜでしょうか? 数多くの金城鉄壁の境界線を築いているからです。個人的境界線、家庭的境界線、氏族、民族……と、八段階の境界線があるのです。 家庭に入って行くときは、十人ならば十人が反対しただけですが、一族といえば、その家庭の百家庭、千家庭分となるので、どれほど多いでしょうか? 何十万という人の峠を越えなければならないのです。国にも、数多くの家庭、氏族、民族が入って行くので、何億にもなるのです。 そのような塀を消化し、それらを導いていき、天国を解放することができますか? 国を超えて世界、世界を超えて天地、天地を超えて神様の秘密の地に、影も見えないように、サタンをすべて埋めておいたのに、そこに訪ねて行くことができますか? わたしたち統一教会の周りでは、メシヤがよいと思って、「文総裁は洗礼ヨハネのような立場で、私がメシヤである。」と言う者たちが出てきたのです。そのようにして、何年もせずに逃げて行った者がいます。一族が、すべて逃げてしまいます。 (メシヤの道を)行ってみなさいというのです。一つの峠も越えることができずに、死んでしまいます。おいしい食べ物ばかりが、立て続けに現れたりするでしょうか? 行けば行くほど、最も嫌うものをますます積み上げられ、それが境界線になって、そこにとどまらざるをえないのです。 それなのに、欲深いままで、それを越えることができますか? 逃げて行くのです。そのような者が、たくさんいたでしょう? 最近でも、そのような者たちがいるでしょう? 神様にもできないこと メシヤになることが、易しいことですか? 神様ご自身が、「やー、お願いします、お願いします。わたしの代わりに、世界の王の王になってほしい!」と、おっしゃっているのです。神様も、ご自身ではできないのではありませんか? エデンの園でできるのであれば、なぜ、アダムとエバを追い出したりされたのでしょうか? 神様が、宗教をお立てになったといっても、争いを繰り広げ、大騒ぎしているのです。 ですから、神様にはできないので、「やや、あなたがメシヤになれば、難しくても、一度、わたしの代わりに宗教を一つになるようにしてほしい!」と、このようにおっしゃっているのです。分かりますか? 神様が、「再臨主ならば、再び、その主人として臨み、過去に迫害された、その何十倍を加えられたとしても、再び続けてほしい。」とおっしゃるとき、「嫌だ。」と言えるでしょうか? ペテロ、ヤコブ、ヨハネのようなイエス様の弟子たちは、イエス様が十字架にかかって亡くなられる前に、皆、逃げて行きましたが、「いくつもの死の峠が、波を打って襲って来たとしても、それを耐えて越えて行き、メシヤの主人になり、王になってほしい。」とおっしゃるとき、「うれしい。」と言わなければなりませんか、「嫌だ。」と言わなければなりませんか? (「『うれしい。』と言わなければなりません。」)神様も、できないのにですか? なぜ、神様は、できないのでしょうか? サタン世界で共に生き、そのサタン世界の境界線を越えて行くことができる愛を成すことができないからです。 それは、なぜでしょうか? (アダムとエバの)結婚二日前に、サタンが自分の愛する天国の母、ファースト・レディーを盗んで行き、子を生んで、数千億の人類をつくってしまったのです。 その数千億の人類をつくり、神様をとらわれの身にしてしまい、その挙げ句に、悪の親玉になって訪問するようになるとき、神様が、「よく来た。助けてくれ。」と、そのようにおっしゃるでしょうか? 神様の威信上、体面上、そのようにおっしゃることができるでしょうか? そのようなとき、雷を落とし、その妻と息子、娘を、音のしない銃でバババッと撃って、一度に殺してしまいたいという考えが、神様にはあるでしょうか、ないでしょうか? ここにいる堕落した(世界の)皆さんは、どうですか? あるでしょうか、ないでしょうか? (「あります。」) 堕落した人々にも、そのように復讐したい心があるというのに、なろうと思いさえすれば、復讐の王の中の王にもなりうる神様に、“それを殺してしまいたい。”という考えがあるでしょうか、ないでしょうか? (「あります。」) それでは、どのようにすれば、失ってしまったアダムとエバの本然の園を取り戻すことができるのでしょうか? 憎みながら取り戻すことができますか? カイン世界のすべてのカイン、全世界の人類、何千億になる人が、「神様を打ち殺せ!」と言ったとしても、全能なる神様が、雷のような力で、さーっと一度に殺してしまえば、終わりです。 そうであるというのに、なぜ、それをなさることができないのでしょうか? 神様は、堕落した世界をごらんになるのも嫌であり、相手にされることも嫌なのです。夢にも考えたくないというのです。 皆さんも、そうでしょう? 学校の同窓生の中に美人がいても、自分がプロポーズして恋愛もできないでしょう? 何度か会ったのに、別の相手が現れるようになれば、夜も眠ることができず、“その人が死ねばよい。”と祈ったりするでしょう? そのような人々が、この世の中の人々ですが、神様は、その思いよりも何百倍、何千倍も強くありうるのです。怨讐に対して、何千倍も反対して嫌った神様が、彼を愛することのできる立場に立つことはできません。絶対に立つことができないのです。 それでは、その息子、娘を殺してしまうことができるでしょうか? そのようなことをすれば、宇宙をすべて破壊してしまうことになります。神様は、絶対愛、絶対信仰、絶対服従を中心として、創造理想を出発されたのです。 この三大標準の前で、神様の属性である絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠愛を中心として、これをすべて合わせ、個人、家庭、氏族、民族、国家に連結し、宇宙に連結し、一つの宇宙全体を抱いて愛することができる主人の位置に立つためには、どれほど投入しなければならないでしょうか? 絶対信仰の標準とは、何でしょうか? 人は、限りなく小さな所から限りなく高い所まで、“主人になりたい。”という考えを持つことができる立場にありますが、そのような関係を結ぶために、最も貴いものが愛です。すべての万物世界において、真の愛が、最も貴いのです。 個人で連結された真の愛、家庭、氏族、民族……。これが主流になっています。それゆえに、これが個人時代、家庭時代、氏族時代へと、ずーっと、このように行くようになれば、個人時代、家庭時代へと大きくなって、世界時代へと、すべて……。この中心は、ここに行っても、個人時代、家庭時代……。どこでも、中心にぴたっと合うのです。 「怨讐を愛しなさい」 神様が救援されるうえにおいては、アダムとエバの家庭、本然の一組(の家庭)だけを救援されればよいのです。そのようにすれば、よいのではありませんか? (神様は、)そのようなことをご存じなのですが、神様にはできません。すべて奪われたからです。 サタンは、堕落する前と同じように、神様に侍り、アダムを主人として侍らなければなりません。アダムを主人として侍り、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することのできる、その位置まで行き、そこに堕落の恨を加えて赦しを請い、腹ばいになって、自分で三段階以上、境界線を越えなければならないのです。 そのようにして、三段階を越えてから見たとき、(サタンが)どぶに落ちて、ぐったりして動くことができなくなれば、「生きているか、死んでいるか?」と言って、足で蹴飛ばし、(そのようにしてサタンは、)ご飯も食べることができずに栄養失調になり、脱水状態になって、だらんとなり、そのままにしておけば、死んでしまうようになります。 ですから、そのような状況において、愛の神様の愛の心が動くとき、昔、(サタンが)罪を犯したことを、神様は忘れてしまわれなければならないというのです。その悪く思っていたことを忘れてしまわなければ、救ってあげることができる道は、永遠にありません。 それゆえに、救援摂理において、神様が役事されるときは、「怨讐を愛しなさい。」と言われたのです。それは、どの程度にでしょうか? 永遠の天国の女王となり、その夫となることができる神様の相対を奪い、一家、一国、神様が創造されたものを、サタンがすべて滅ぼしたとしても、彼が悲惨な立場から悔い改めて帰って来て、腹ばいになって、神様の近くに来て赦しを求めるようになれば、雷が落ちて、サタンが倒れてあえぐようになるとき、神様は、そのような立場においては……。 死ぬことを好まれる神様ではありません。そのような立場において、同情の思いがあって、堕落したことを忘れてしまうことができる心情、正してあげることができ、心から赦してあげることができる心情から、復帰の道が始まるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、神様は、「怨讐を、だれよりも、もっと愛しなさい!」と、おっしゃったのです。それは何かというと、皆さんの家庭における愛する妻と息子、娘を怨讐に譲り渡す立場に立ったとしても、福を祈ることができる人でなければ、神様の救援を受けることはできないということです。 僕からそのようになったので、僕から息子、娘、実子、天国の直系皇族の相続権を受ける息子、娘になろうとすれば、千尋にも万尋にもなる、そのような距離において、そこから忘れて整理してきなさいということです。 数多くの境界線がありますが、その境界線を一度に超えることのできる方法とは、何でしょうか? 「神様以上にサタンを愛した。」ということでなければなりません。神様は、個人的に峠を越えるために、そのような事情において赦して、救援の手を伸べられたのです。 いくら死の境地において、神様以上の境界線、世界的な境界線を越えて来たといっても、それを一時に忘れてしまい、その怨讐を自分の愛する息子、娘よりも、もっと愛することができるようになしうる方法とは、何でしょうか? 神様は、そのようなことを考えられたというのです。 それが何であるのかというと、怨讐を愛さなければならないということです。怨讐を血族以上に、自分の体以上に愛し、自分の愛する妻を怨讐に譲り渡す立場に立ったとしても、福を祈ることができる雅量を持ち、“それは、蕩減の祭物になったので、蕩減復帰時代においては、それ以上のものを、神様は再び創ってくださるであろう。”と、このような考えを持って生きる人の前に、天国の相続の道は開かれるのです! アーメン! (「アーメン!」)(拍手) サッカーの訓練 それでは、文総裁は、欲が深いように見えますか、欲がないように見えますか? 自由に見えますか、さっぱりしているように見えますか? 目が小さいでしょう? それは、絞りを狭めて、遠くを見詰めるのです。鼻梁が大きいので、頑固です。唇が薄いので、話が上手です。分かりましたか? 耳を見ると、長生きするようになっているのです。頭を見ると、脳(の量)が、並ではありません。普通の人の一・五倍は、入っています。考えも複雑であり、行っていることが多いのです。そのようにすることができる多くの素質を持っています。運動において、わたしができない運動はありません。 わたしは、サッカーをこの国で……。ヨーロピアンサッカーよりも、南米のブラジル(的な)サッカーよりも……。文総裁は、二つのプロサッカー・チームを持っていますが、人が七十年間、努力しても行くことのできない領域に、一年ですべて上がって行ったのです。 一和サッカーチームが、韓国で一番でしょう? それは何かというと、一心、一体、一念、一和です。最後なのです。(笑い、拍手)目も願い、鼻も願い、耳も願い、口も願い、手も願うので、それでも……。一和サッカー。 サッカーは、ボールを足で蹴るのです。蹴れば、サッカーボールは、まっすぐに飛んで行きます。アメリカンフットボールや、イギリス式の何と言いましたか? ラグビーのように、ボールがあっちに行ったり、こっちに行ったりしますか? サッカーボールは、蹴れば、間違いなく垂直に(まっすぐに)飛んで行きます。九十度です。九十度に合わせなければなりません。狙いを合わせて蹴れば、ゴールの隅に、さーっと飛んで行きます。ゴールの隅に、さーっと入って行くようになれば、いくらゴールキーパーが飛びついても、絶対に入るようになっています。そのような訓練をさせなければなりません。 朴判男氏は、来ていますか? 朴判男氏! 来ていますか、来ていませんか? 十メートル、二十メートル、三十メートル、三十五メートルの距離から蹴るようになれば、もう(サッカーグラウンドの)センターラインを越えるようになります。 そのようにして、ボールを百回蹴れば、間違いなく百回入って行くことができるようになります。そこまで行くようになれば、相対的な面において、コーナー(キック)を中心として、それだけを行って訓練するのです。そうして、それさえ入るようになれば、目をつぶってボールを蹴ったとしても、ひゅーっと入って行くことができます。そのような訓練をしなさいということです。 ですから、一番になることができるでしょうか、できないでしょうか? (「できます。」)なぜでしょうか? 訓練が、できているからです。それが、趣味だからです。 趣味なので、やってもやっても楽しく、疲れても、一度勝っておけば、十倍(練習)したとしても問題がないので、四十年以上かかっても、千年以上の運動選手のチャンピオンの権力を持つことができると考えるのです。(一和)天馬です。天馬とは、何ですか? (「空を飛ぶ馬です。」) 以前、済州島において狩りをしましたが、日本人は六十人しか行きませんでしたね。「六百人行きなさい。」と言ったのにです。 そのような趣味も感じてみることができずに……。神様のみ旨が、それよりも良いならば、従って行きますか、従って行きませんか? (「従って行きます。」)死んだとしてもですか? (「はい。」)そのようにすることができる可能性はありますか、ありませんか? (「あります。」) そのような可能性は、日本人には、ないでしょう? 韓国人にもなく、米国人には、もっとないでしょう? しかし、文総裁の弟子たちは、そのように決意することができます。 宿命的な課題は子女としての公認 それでは、「私は、間違いなく文総裁の弟子である。」という人は、手を挙げてください。弟子に勝るものは、子女です! 弟子から子女になることが、宿命的な課題です。運命的な版図から宿命的な課題へと、千年、万年の間、その子女であると公認を受けることができる“私”にならなければなりません。 弟子は、誤って引っ掛かれば、荷物をまとめて逃げて別れることができますが、子女は、千年、万年、あの世に行っていたとしても、そのようにすることができません。 ですから、良い父母の血統に生まれた子女は、霊界に行っても……。皆さんが地獄に行っていれば、先生が通り過ぎるとき、皆さんは、先生を見て、「先生! 私は、ここにいます!」と言って、呼ぶでしょうか、呼ばないでしょうか? (「呼びます。」) 呼ばれたときに、わたしは、このように言います。 「なぜ、ここに来ているのですか? わたしが、『天国に行きなさい。』と、きちんと教えてあげましたか、あげませんでしたか? 答えなさい。わたしは、詐欺を働きましたか、本ものを教えてあげましたか? 個人完成、家庭完成、国家、世界、天宙解放の道理をすべて教えてあげたのに、また、愚かで知識がなくて、まっしぐらに、ただひたすらにそれを超えようとした人たちは天国に行くのに、あなたは、その皮をむいて、そのようにしているうちに、ここに来たのですね。」 玉ねぎの皮を百回むけば、食べる部分がありますか? それと同じです。びわの皮をむいて、おいしい部分を食べようと思っても、食べることはできません。苦いものしかありません。 霊界に行って、先生を呼べば、「やあ、あなたは苦労したのですね。あなたの分相応に来ているのですね。」と言って、「福を受けなさい。」と言うでしょうか、「罰を受けなさい。」と言うでしょうか? (「『福を受けなさい。』とおっしゃいます。」) 「福を受けなさい。」と言うということは、助けなければならないということですか、ほうっておくということですか? (「助けなければなりません。」)それは、ただで福を受けなさいということです、この者。言葉は、正確に言わなければならないでしょう。 祝福家庭の天国、天のお父様の家に行って暮らすのが原則ですが、そこに行くことができなくて、堕落した世の中の楽園のように、祝福家庭の楽園ができ、祝福家庭の地獄ができるのです。それを、どのようにするつもりですか? 数千人が皆、共に真の父母のみ言を聞き、天国にまっしぐらに、急ぎ足で一列に入って行くために準備して一緒に行くというとき、その一緒に行く中で、祝福された息子、娘、孫の三代までになっているのです。 そのとき、おじいさんが教育することができなくて、自分たち(孫たち)が霊界に行って、神様の本郷の家、宮殿で暮らすことができずに地獄に入って行った場合、その孫たちは、おじいさんにかみつきますか、かみつきませんか? 「この悪いおじいさんめ。あそこのおじいさんの家では、皆、(神様の本郷の家に)行くのに、(自分たちの)この姿は何ですか?」と言うのです。「あの家のお母さんは、あの世に行くのに、お父さんとお母さんは豊かに暮らして、この姿は何ですか?」と言うのです。 そのような場合、そのお母さんとおじいさんは、そこに共にいられるでしょうか、逃げて行くでしょうか? その訴えの前に、逃げるしかありません。 しかし、逃げて行った後に、再び来なければなりません。東側から逃げて行き、西側に来なければなりません。西側に行けば、南側に行かなければなりません。 南側に行けば、ぐるっと回って、この境界線を越えて、天上の城の外で、独り流浪する身になるのです。浮いた雲のようにです。千年たっても、水のない浮き雲のようになるのです。冬の雲に、雨が降りますか? 先月、十二月だというのに雷が落ち、雷鳴もとどろきましたが……。 ここにいる人々にも、そのような千態万象の系列が展開します。 大学を卒業して、学士や博士という肩書きを持った、平和大使といわれる、そのような人々、(汚れて)まだら模様の人々が、天国にたくさん行くでしょうか? それとも、純真で、先生のみ言を、ただあるがままにのみ込み、ひるのように足にへばりついて、はがすことができないようにくっついて行く、そのような統一教会の人が、たくさん行くでしょうか? また、何もなくても、そのような人々が、天国の一番の主人になるでしょうか、それとも、利口に批判して、「やあ、この愚かな者たち、見ていなさい。私が上手にやって見せよう。」と言う、そのような人々が天国に行きますか? どちらですか? 一方通行ですか、多方通行ですか? (「一方通行です。」)絶対的に一方通行です。行った後には、行った道を再び帰って来ることはできません。霊界に行った後に、帰って来ることができますか? ですから、文総裁は、欲が深い人ですか、欲のない人ですか? (「深い人です。」)過ごしてみれば、欲が深いように見えますか? (「はい。」)どれほど「十分にやりました。」と報告しても、「よくやった。」と言って、賞を与えたことがありません。先生から賞状をもらった人がいますか? (「いません。」)女性の中には三人くらい……。 私も、その名前は、すべて忘れてしまいました。なぜでしょうか? その人々が、行ったり来たりするのです。(北緯三十八度線の)北側に行った後に南側に行き、南側から……。三つの峠を通る途中でいなくなったので、すべて忘れてしまったのです。 お母様は知恵深いおかた 今回の真のお母様の還暦で、お母様は六十一歳(数え年)になります。先生は、お母様に苦労をさせず、清らかに育てようとしました。まだ分別のつかないお母様を連れて来て、育てたのです。 では、わたしの代わりに、天地の位置を任せても従順に従うことができるお母様に育てあげることが、簡単だったでしょうか、難しかったでしょうか? (「難しいです。」) それでは、お母様が認めることのできるメシヤ観というものがあるでしょうか、ないでしょうか? (「あります。」)(お母様は)知っています。個人として、こうでなければならず、家庭の主人は、こうでなければならず、国の主人は、こうでなければならないということを、先生が教えた本の骨子だけを、きちっと抜き出しているのです。 お母様は知恵深いので、そのようなことをノートにきちっと書いて、第一条から約百いくつまでの条項を中心として、記憶しているでしょうか、記憶していないでしょうか? 記憶していなければ、愚か者でしょう? お母様は、知恵深いお母様です。一言言えば、二言分を測定するのです。先生が約束したことを、“すべてそのとおりにするか、しないか?”というわけです。 (この世の中の男性が女性に、)最初、プロポーズするときは、黄金やダイヤモンドなどと、あることないことを言って誇るのですが、一年が過ぎ、時が過ぎれば、三年間、七年間もたたずに、その妻から、「邪悪なこの詐欺師男、どろぼう男……。」と、そのようになりかねないのです。 あなたの夫は、だれですか? この人ですか? (「昇華しました。」)そのような顔をしています。活動しませんでしたか、活動しましたか? 星回りが悪いので、町じゅうの寝ている人を夜明けに起こして、「私の話を聞きなさい。」と言うほどに、そのような活動をしなければ、事故が起きます。息子、娘のほうをより愛し、み旨はすべて後回しにしたので、問題が生じたのでしょう。 それでは、ここにいる文総裁という人、「総裁(チョンチェ)」を逆さに言えば、何ですか? 「チェ チョン」です。それは、「再銃」ということで、“修理した銃”ということです。逆さに言えば、“修理した銃”ということではありませんか? ですから、修理工場の王にならなければなりません。 平和大使というのは、修理工場の王の役割を果たさなければなりません。文先生ができなければ、その上に立ち、今まで責任を果たすことのできなかったことを蕩減復帰する召命的責任が、自らにあるということを知るべきです。 そうして、文総裁に残されたことや、天国に不備なものを補充しなければなりません。そのようにするためのものが平和大使であるということを考えている人は、恐らく一人もいないでしょう。 神様の救援摂理とは、怨讐を愛することですが、文総裁も、そのように怨讐を愛するのならば、ここにいる平和大使の中に悪党がいて、野党や与党がいて、国を売る詐欺師がいたとしても、それを許してあげることのできる心がなければなりませんか、復讐する心がなければなりませんか? こちらは、女性のほうが多いですね。こちらは、男性のほうが多いです。(笑い)どうして、このようになったのですか? 男性は、右側に座るようになっているのですが、寝る時も、男性が右側に行くようになっています。 なぜ、そのようになっているのかというと、右側に寝て、左側に妻を寝かし、右手で保護しなければならないのです。それを知っていますか? すべての道理を知ってこそ、今後、主人の役割も果たすことができるのです。 文総裁を信じたい人は、いないと思います。どこが偉いというのでしょうか? 言葉も早いでしょう? わたしが早く話せば、聞き取ることができません。(北朝鮮の)平安道からソウルに来ると、平安道の人は、言葉が遅いのです。 「オーモーニー。」と、わたしが一言言う間に、ソウルの人は、五つのことを言います。ですから、文総裁の気性から考えれば、言葉をそのようにゆっくりと話して、話すときに押さえつけられて負けることを喜ぶでしょうか、死んでも耐えることができないでしょうか? (ある人に対して)あなた、来ましたね? 夫のことを思いますか? 夫の代わりに、わたしの話をよく聞いているので、一つ歌を歌ってください。(拍手) (歌が披露される) それから、(朴正敏)おばあさんは……。(「九十歳〔数え年〕です。」)九十です。そう、九十、九十。九十です、九十。さあ、一つ歌を歌ってください。きょうは、み言よりも、歌を歌って、宴をしましょう。もう、集会は、すべて終わりました。 (歌を歌う)(後編につづく)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.29
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個性真理体と創造理想完成2003.01.04≪世界平和実現のための宗教連合運動≫ `第1章宗教とは何か’から訓読) すべての存在が生じることは愛で生じて『……心が肉心を完全に主管するということによって善良な立場で暮らせる一つの個人が立てられて、そういう個人たちが集まって家庭、氏族、民族、国家、世界を成し遂げるとすれば、その世界がまさに地上の天国で、神様が願う世界です。 そのために神様がおられる限りその世界は必ず成り立たなければならないのです。』必ず、してみます。「必ず!」必ず!『歴史の中のすべての戦争はまさにこのような世界を成し遂げるための過程的な現象で現れました。』この頃先生が話すことは、私たちの統一教会がたてることが絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。信仰を中心みなすことでもなくて、服従を中心みなすことでもなくて、愛を中心ということです。この宇宙が生じることを、すべての存在が生じることを愛で生じたところで、何の何真理とか何の何希望とか服従では生じなかったです。鉱物世界もプラス イオン、マイナス イオンの愛のために生じました。全部みな相対的関係です。そのためにその愛が小さいほど無限なので無限の愛を神様が倍加して大宇宙、夢の活動舞台理想世界、―でも抽象的ではありません。―空想的理想世界を懐かしがってそれまでも抱くことができる膨大な愛の理想を成し遂げるにはその願われる希望、夢がどれくらい高くなければならないか? 所望とか希望とかこれみな愛を置いてするのですよ。相対関係を置いてする話なんです。愛を一人ですることができるか? 希望が一人でなるか? 幸福が一人でなるか? 自由が一人でなるか? みな相対的関係です。これを知らなければなりません。その相対的関係が関係なのに、その主流相対的関係を絶対視することが何か? 愛が必須です。真の愛の相対的関係です。それが神様の真の愛を置いて話されることです。そういう愛を中心として神様が創造したので小さいのも大きいところまで連結されることになっています、小さいのも。かけ離れて、神様が仕事されたすべての功績である実績を下から上まで分けたらその仕事をした結果がないということです。そのために全部みな小さいことから関係を繋いで、大宇宙も大きいところから小さいところまで全部動かねばならないんです。私たちの人を見てもうぶ毛一つが全部みな同じことですよ。全部みな相対的関係です。ここも全部みなそうなっていますよ。ターミナルまでできているんですよ。なのでそれを結びつけることができるのは何なのか? 無限の愛が動機にならなくてはなりません。その次に有限限界で無限限界まで結びつけることができるこのような関係が連結されなくてはなりません。そうするならば極めて微細なことから、鉱物なら鉱物質からプラスマイナス イオンを中心として、それもやはり主体対象関係になっていなくてはなりません。全部みな主体対象関係です。それで植物は雄しべ雌しべとか、動物世界はオスメスとか全部みなこのように出て行って、人は男女、天と地、全部みな相対的関係になっています。こういう喜びための関係を結んで通して入ったのが愛の動機を中心として一筋にずっと通しているということです。すると小さいことから通しているが小さいのはどこへ行かなければならないか? 鉱物質はどこへ行かなければならないか? この愛の大きい大宇宙に向かって掘り下げねばならないんです。 神様を訪ねて行けば愛の筋に吸収されるなりそのために今日私たちが知らなければならないことが、進化論の問題が何なのか? アメーバから猿になって行って猿で人間になったというが、それは何も分からないのです。相対的関係で愛の関係を構成して新しく結びつけてこそ次元が違った物が出てくるが、これアメーバから猿まで一度に出てくることではありません。 数千段階の相対的関係を越えて出てくるのをみな否定して、猿が私たちの人類の先祖ですか? 夢のような話というのです。 猿と人の差がいくらかすれば、47個が違います。それだけ差があることがどのように関係して自らの種が生じることがあるかというのです。できることができないということです。従の厳格な基準ということは真の愛を中心としてなっているので、小さいところから無限大まで行くこの主流愛の道に従って全部みなそこに掘り下げようとするといいますよ。分かりますか? そうしなければならないこと違いますか? このようなうぶ毛一つも血、細胞が通じる、自分より高い世界まで乗って入るでしょう? それが詰まればみななくなるんですよ。 同じことです。この愛の列を中心とみなして全部みなこのようになっているということです。世の中はそれを分からないです。そのために小さい物は大きい物の前に吸収されなければなりません。鉱物は植物、植物は動物、動物は人、人は神様の前になるのです。人と神様の類型世界と無形世界が球形を成し遂げるが、それも結びつけますよ。 無形実体世界も必ず愛を通じて連結されますよ。そうしてその連結されたのが一つの喜びを感じるならば、その喜びをそのてっぺんだけでなく全部みな感じるといいますよ。皆さんが喜べば皆さんの60兆個にもなるという細胞が全部みな好きなのです。そのようなことが出来る力の作動ができることが何なのか? 絶対的な神様の愛の他にはないというこのようなカンを中心みなしておいて見ることになる時、進化というものが存在することができないということです。鉱物がなぜ植物に食べられて、植物がなぜ動物に食べられて受け入れられなければならないかというのです。そうではありませんか? 私たちが商うのも小さいコインを持って、1銭を持って10銭、10銭を持って1ウォンの、このように度々吸収して入らなければならないんですよ。そのために小さい愛の存在は大きな愛を探して入らなくてはなりません。それが一緒に連結されるということによって一つの実体権が広がれば、その息をする呼吸とか感じる感情がかけ離れない。あのてっぺんがうれしければここではさらに喜ぶということでしょう。 同じことです。この足の爪切らなければならないことも切る前までは私の喜びと連結されることができる基準を中心として付いて歩かなくてはなりません。宇宙がみなそうなっているということです。なぜ愛の列に吸収されなければならないか? 神様を訪ねて行こうとする。根本がなので。大宇宙と連結関係にあるということです。そのような観点で人間は無形の世界を代表した小宇宙です。男性女性は大宇宙を縮小した宇宙と同じだといいます。愛を中心としてそうなっています。そのためにそこに吸収されて入らなくてはなりません。分かりますか?そのためにそのような愛を作るために一番初めに神様が苦心したのが何なのか? この愛を成し遂げるためには愛の希望がなくてはなりません。願いがなくてはいけないです。そう、創造には必ず目的観がなくてはなりません。唯物論では目的観を認定しないのです。弁証法では目的観がなくて自然に闘争の相対として理解しているんです。ギリシャ哲学思想では闘争の唯物論が流れ出たのです。保護だとかためにするとか発展できる動機の内容がないです。そうして宇宙があって、そこにおいて闘争して生き残らなければならないという極反対の道を行ってくるんです。 愛を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従するなり愛を中心として愛を成し遂げることができる内容が何なのか? 標準が信仰です、信仰! 信仰ということは何の物を中心みなしたのが違います。‘信じる信’者は‘人にんべんに‘言’です。人と言葉が一つになったのです。人格的神をいいます。するとその言葉と人が一つになったことで人が何なのか? 神様に似て出た人ということです。それは何かすれば、人格的信です。万物と違って物質と違ったのです。すべての全部が人格的神に似通っていかれるそれ以上を成し遂げるために無限の希望を持って行くが、そこに無限の欲望、無限の希望、みな入ることができます。それは目的が何かといえば、自分自身の人格に代わることができる相対権を創造すること、このように見ますよ。この信仰も一人で出来ません。信仰を一人ですることができるか? また、愛を一人身になってすることができるか? 愛というものを中心として大きい目的を成し遂げるには神様自体がそれを作動させなければならないはずなのに、神様自身、存在自体までも全部みな投じなければなりません。神様自身も否定しなければなりませんか。千万回やっても千万回もっと多くやりたいこともある、こういう無限の境地の根源が連結される、それが愛です。そのために皆さんが霊界に行くことになれば今までアダムを中心として創造した世界、堕落した世界のほか本来の世界においてアダムエバが完成したならば神様がアダム エバを作る時その世界理想を、アダムエバが完成して神様と一緒に数多くの世界を創造していくことができるということです。分かりますか? その創造は無限の神様の凌権がいるので天上世界の私たちが想像することより千万倍達するのも可能だということです。そのために愛を中心としての絶対信仰なのです。分かりますか? 絶対信仰、絶対愛ができようとするなら無限の愛が行く道の前にその相対的関係にならなければなりません。その次にまた何なのか? これを成し遂げるためには絶対服従です。分かりますか? 服従ということは自分の意識構造、概念自体も否定しますよ。神様自体が相対目的を成し遂げるためには全体を投じます。今日私たちが世の中で見る時、司法試験を受けて検事になるという目標をたてたら、その目標あるその基準を中心として自分がそれを作動するためにはそこに合うように犠牲にして投じなければならないのです。時間投入、努力投入、こうして上がってそこではじめて水平の席でこのようになって立ったとしてもそれが神様自体を中心として…. 神様人格が二性性相の中和的存在になって行かれる格位は男性格というこの結論がどれくらい偉大なのですか? 皆さんが考えなければならないのです。それを考えなくてはなりません。それが宇宙根本の総結論です。神様も人格的神だからからだ心、性相形状があって、なので人格的神を中心として相対理想を自分の相対基準ぐらい作ろうとすれば高い絶対信仰をして、その絶対信仰の相対のために絶対投入しなければなりません。そうでなければ相手が現れないといいますよ。二性性相の中和的存在、男性格としてただ永存されて、これが分かれて霊界肉界、東西南北、前後左右、球形的世界の全部が和合できる、宇宙が和合できる方法がないということです。このような原則から出発しなくてはなりません。すると人格的神として神様が持ったものが何なのか? その属性がどんなものか? 主流属性が何かすれば絶対愛です。これを知らなければなりません。絶対愛、唯一愛と! 愛なのに君は君、私は私ということはないのです。一人だから絶対、唯一愛です。不変愛です。永遠愛です。そうしてその属性を中心とする人格自体を通して見れば、心があって、体があって、従うことができる意志がなくてはなりません。意志ということは何かすれば‘(直)立’の下に‘曰’であり‘心’であるが、み言葉をたてる心だということなんです。意志ということです。そのために一心すべてが一つにならねばなりません。意志がなければならないのじゃありませんか?意志ということは相対関係を成し遂げるためのことです。それを知らなければなりません。そうではありませんか? 絶対信仰する相対的関係を成し遂げなければ意志が何の意味ですか? 今日生きる生活環境のそのことを中心とすることでなく、発展的環境内容を接ぎ木をしてより発展できるようにすることが、無限発展できるところまで結びつけたのが「意」です。人間の欲望なんです。その神様が人格的神になるのでからだ心が一つになったのです。このような原則で属性を中心としてその関係に立った心が全体と和動して、属性と和動できるのは何なのか? 愛しか通じることができません。絶対愛です。絶対愛、唯一愛と、不変愛、永遠愛であるから永遠の無限の世界、不変した永遠の世界、唯一の永遠の世界、その次に絶対的な永遠の世界です。神様自体がそれが中心となっています。その人格を持つ神様が心にいて、その次に体があって、その次に考えがあってそれが地で定着しなくてはなりません。それで一心、一体、一念、最近は一和という話をします。私たちの統一教会で話す一和という話がそこから出ました。 分かりますか? 人生路程の腹中時代と乳児時代鼻はアダム エバを象徴します。これ(口)は腹中時代です。腹中時代にはこの顔にあるのは何も必要ないです。 口が必要なのか、鼻が必要なのか、目が必要なのか、耳が必要なのか? 必要です、必要しませんか?「必要ありません。」供給されるのは何なのか? お母さんへその緒で栄養分を吸収して、その次にこの鼻で息をしますよ。お母さんの津液を食べますよ。お母さんから出てくることと同じように全部吸い込むことになっているんです。吸い込みます。そこで出てきました。その次に出生することになるならば一段階高く上がるんです。 上がるには何かすれば,この機関、へその緒を切ってしまい、破壊させてしまい赤ん坊が孤高の音声、‘ウン!’泣くことになるならば息をします。 息をするのも神様が…. お母さんが難しい産苦を体験するのにそれが難しいのではない。小さい穴に出てこようとすればどれくらい圧縮されますか? 全部圧縮されます。 圧縮されて突然出てくるので声が出ますよ。何の話なのか分かりますか? 圧縮受けたことが突然解放されるので‘ウン!’と息をし始めますよ。それがどれくらい革命的な飛躍というものを知らねばならないのです。その次にどうなるかすれば、息をしますよ。息をして肺から心臓に普及させて、胃腸は補給受けて生きること違いますか? 鼻時代に上がってきて持ってはお母さんが必要ないということです。世の中で補給受けますよ。神様がすでにその世界のために全部すべてしておいたのでお母さん体で食べてもうおよそ2才、3才まではお母さんの乳を吸い込みますよ。それと共に、乳を吸い込んで愛を習います。分かりますか?赤ん坊を育てる時にお母さんが産んでからキスをしますか?キスをすればその赤ん坊はお母さんの人格に同化されることができて主体と相対に和合するといいますよ。二才半分だけ過ぎれば、3才だけなればすでにお母さんの感情も知って顔色を見て乳飲むのが好きなのか悪がるのか皆知るといいます。分からないと考えなくしますよ。それを分かる赤ん坊に自分が乳飲み子を時にこの宇宙の根本、神様の生命体を,この地球星にあるすべての栄養素を蓄積してぬれる通じて食べさせると考えろといいます。乳も相対的ですか?ふところに抱かれて食べて2才、3才だけなればすでに離乳期に入るので違うものをお母さんが食べさせます。お母さんが食べることに従おうします。 そうではありませんか? 目で見て姿を見せます。手ぶりすれば手ぶりして、お母さんが食べるのを食べさせれば口を開いてこうして大きいです。 人生路程の兄弟時代そうしてもう地上生活を始めてお母さん膝で大きいがその次には家庭で兄弟同士うちの子だけ見ても男野郎は全部みな上がります。私達の子供たちは、私が猿なのでそうなのか昔にそうしたが、死ぬのか生きるかも知れなくてただはしごを置いて上がるのが好きです。男の欲望はそうです。度々探して上がって発展しなければならないのではないですか? 女たちはそうではありません。後から影形について行こうとするんです。そうしてこれが3才、5才、6才このように過ごすことになれば、家におじいさんがありおばあさんがあり家族がいるということを分かるので‘まあ、ママが第一だと思ったところ違う。’これです。 その次にはママよりも、ママ乳を飲む時よりも自分の兄弟どうし遊ぶことがさらにおもしろいのです。そうして兄弟だけでしたが、兄さんがあり弟がいれば兄弟どうしすることよりも…. 兄さん弟(妹)が年を取って持っては分かれますよ。私は君を好きだというのです。どこに行っても自分の弟(妹)連れていくのを嫌いだから。妹を連れていかないとします。また、姉も同じことです。弟を連れていかないとします。相対的関係でそんなに大きくてなります。それと共にそれが節を通し結婚式までします。アダム エバを創造して結婚させて、結婚して息子娘を産む希望が最高の希望違いますか? 3代です。皆さんもそうでありませんか? 結婚して何をするのでしょうか? 何をしますか? 愛というものを中心みなして夫婦どうしいくら良く暮らしたとしてもその愛したのが横的なので一代で終わります。分かりますか? その愛が先祖の愛から連帯的関係ですべての種全体が死なないで連結されそうできるのは血筋なんですよ。それで遺伝というものが恐ろしいことです。効率がすれば効率が数千代のすべての血筋がみな入っているのです。みな生きているということです。そのどの時に行って先祖の形が再現されて先祖よりもさらに立派な、東側に自分の種があれば西側に…. 角度が違います。千態万象の他のその基準の相対的存在が地上で生まれます。そんなに霊界と肉界が分かれないで関係を結びます。宇宙が一人で独在できないということです。 一人でありえないということです。こうして男女、アダムエバ二人だけするとそうでありませんか? その時エデンで見ることになるならば、男は園を眺めてすべての山川を眺めれば双双制度になっていてそうなってない獣がないとされているそれを眺めることが趣味ですね? また、自分が主人なるためには知らなければならないんです。それを捉えてもみて行こうとも見ますよ。女が、エバがそうですか? 朝早くふとんをけってしまいご飯も食べなくて飛び出しますよ。私たちの同じ人は朝ごはんも食べなくて、お昼も食べなくて、夕方まで山で歩き回ってさ迷ったんです、知りたいことが如何に多いのか。 同じことです。エバがそちらについてくるか? 一の峠も越えられないでぷんぷんと泣いてそんなに通うとどれくらい面倒だったか? なので天使長に任せたのです。エバを育ててアダムの前に上手で結婚させられるように任せたことだといいます。 宗子です、宗子! 人生路程―思春期時代宗子が王女を育てて国の系代を引き継ぐことができる子供として作り出される結婚席まで行かなくてはなりません。結婚はアダムに紹介すれば良いこと違いますか? そうじゃないですか? また、アダムが分別がついてみると十才の時は分からないが…. 男たちはそうでありませんか? 学生たちを見ればのことです。自分たちを考えてみてください。十才になればすでに男は女に対する関心があって、女は分からないね。男に対して関心を持たないか? 持つか、持たないか、オンマ? うちの母さん!同じことです。同じことです。女はメンスだけすることになるならばすでに男に対し考えますよ。いくらお母さんお父さんが閉じ込めて育てても塀向こう側で男がしばしばワンワンして音がすれば飛び出して眺めて、若い人々がいれば‘その野郎がより良いね。’ということです。五人をずっと眺めて考えるといいますよ。それが一度行って二回行ってこのようになるならば目があいますよ。目を合わせるという話がありますか? 目を合わせるという話があることと同じように、そうなって結局は愛関係を設定します。同じことです。目があわなくてはなりません。アダムエバが差がありますか? 愛の心情基準はアダムよりもエバが目が高いです。十才を越えて十一歳、十二才だけ越えるなるならばすでに胸が育つんです。そしておしりも大きくて行ってのことですよ。メンスが広がるので。そのような作用は自然的に男より先んじます。 男は閉じ感じられないが女は感じるのです。そのような期間においてルーシェルが愛の誘惑をしたのです。愛ではなくて欲望です、神様の愛を奪われたことのように感じておいて。そのようなことが出来るのは今でも同じ違いますか? 育てた赤ん坊がママが弟(妹)を妊娠することになれば全部みなうるさくねだります。好きでないんだよ。お母さんに対するのもぶつぶつ言ってるのです。みなそうです。本来の世界も同じことです。皆さんもそうでありませんか? 孝元さんも霊界に入ってそうじゃないのですか? サンホンさんがする全てのもの、神様が私に指令したら私もしたことなのに分からなくてこうするのです。分からなければ奪われる。こうして大きく行くことになれば教育します。 四四十六(4×4=16),16才になれば男女…. 十六だけなればおとな接待をすべきです。軽く見てはいけません。子供だと手入れしてはいけませんか。永遠に忘れることができないです。そのようなことをすれば‘お父さんが高ければ高い権利を中心として息子にこうするよ。’してお兄さんになっていれば弟(妹)を殴って、女も自分の弟(妹)を殴って、また、どこにも町内町内を見ることになるならば男強い人はどんな女でも思いのままに侵そうとするんです。自分を中心とした自覚性を持って出発したのです。ためにしないとこのようなことを宥和できません。こうしてアダムエバが育ちますよ。分別がついて行くと動物たち群れを中心として見るのですべての動物たちは数を数える癌奴が…. その前までは関心がないだろう。自分たちがおしっこをもらして何をしても女はへこんで男はでているというものを考えます? しかしそのまま見ると自分に変化が広がって相対的世界があるということです。 ‘アハ、ああしたのがオス。’ ‘メスはああするよ。’と分かります。人や動物世界や昆虫世界やみな同じことです。この頃は昆虫たちまでも相対的関係があるといいますよ。 ‘あ、ああしておいて愛するよ。’一年に一回ずつ会うようになるならば繁殖することです。子はみなきれいがりますか? 子はみなきれいがります。蛇子も幼かった時はきれいだということです。そうではありませんか? 虎子もそうで、ライオンの子もそうです。家に持って置いて育てたいということです。さあ、それを見る時、アダムもそのまま見れば‘イ、私も目あって、鼻あって、ある。’これです。 みな同じ違いますか? ‘動物は手の代わりに四つの足で通うよ。’そんなことを皆知りますか? ‘それで愛をあのようにハヌマン.’こうして全部皆知りますよ。 ‘アハ、私も男だから女が必要だね。出ているものはへこんでいるものが必要で凹んでは出ている物が必要だ。’それ説明する必要ないです。 自然に皆知ります。エデンの丘で二人だけが行ってパートナー者どしんとするところがどこですか? どこに行っても行って死ななければ訪ねてきてもパートナーを縛りますよ。逃げたとしても訪ねてくることになっているだろう。そうじゃないですか? 虎もそうです。子を産めば捨てて2年8ヶ月ぶりなれば、2年だけ越えることになれば母が子をみな育てて活動することができるようになれば訪ねてきてまた、子を産みますよ。 すべての万象の世界は子が必要で子が必要です。あなたも子が必要ですか? 主動門も?「はい。」(笑われる)王に尋ねるか、神様に尋ねるが同じことです。すべての万象の世界が子が必要なのです。その子どもは愛から!その愛はそのままそのまま、このようにしてもなりません。垂直にならなければなりません。縦の区別ということは厳格です。相対的関係がここで一つになることになっているだろう、ここでこのように上がることができません。アメーバから人間までは何千段階の愛の頭を移って良いが猿が人になりましたか? そこには何千段階がある。そのような論理を考えることができません。そのために一筋です。分かるか? 愛筋ではどうなるかといえば、吸収されますよ。そこに掘り下げますよ。掘り下げて、全部みな掘り下げて神様に戻ろうというものです。そうしなければならないことじゃありませんか? 小さいところで大宇宙まで愛が作動するが、そこに足の爪終わりにあった血が骨髄の疲労上がりたいか、したくないか? 同じことです。全部みなそれをついて行って上がって循環して‘このすべての全体が私のためにあって、私によって全体はまた、存在ハヌマン.’このようになりますよ。 神様がそれを考えたか、しなかったか? そうなりますよ。なので絶対愛、絶対愛に絶対何ですって? 信仰が必要なのです。信仰の‘仰’者は敬いますよ。人格的基準です。み言葉と人が一つになって敬うのが信仰違いますか? それが個人から、万物があのように敬っておいて吸収されて育てようとするのじゃないのですか? なので信仰するのに望むのは小さいところですべての全部が吸収されることができる論理が立たなくてはなりません。信仰というものが人格的神様と似ていなくてはいけないという話です。そうしておいて信仰も神様に似なければならなくて、また、愛も似ていなければならなくて、その次に服従は? こちらで主祈のためにしたのです。与えて育てなくてはなりません。 愛を中心みなして普及させて普及させて育てていかれる水平の位置に立って一つになりますよ。 その一つになる個性を中心みなして絶対愛の主人、唯一的愛の主人、不変、永遠の愛の主人、人格的主人、性相形状を抱いておいて格位では男性格主体とおられた神様が生じて、その心とからだとみ意が一つになることができるこの席にある相対がないです。 分かりますか?神様が一人で何をされたか? 二性性相の主体になって格位では男性格なのに何をするか? 無形の自体が実体として分割して、そのまま越えてアダム エバに全部みな降り注ぎますよ。 性相形状の代わりに全部みな降り注いでおいて、格位では神様が男性格主体とともに神様のそのままそのものとして骨のような立場に生じますよ。これが実体です。 これまでどれくらい発展しますか? そこには絶対信仰を中心みなして絶対愛を通じて、自分が絶対投入してこのようになったそれ自体が相対理想が必要なので無形が実体にならなくてはなりません。それを結びつけるのが簡単でないですね。動機が無形になっていたことが結果が実体になるのでアダムエバにそのまま移ります。二性性相の実体対象を中心としてこのようになった神様が息子娘を中心として育てますよ。 実体対象を中心としてアダムを中心として分けて…. アダムの骨からエバを抜いたといいましたね?だからアダムの中で無形の実体、全体性相形状を入れたのです。 男性格主体中で連結されたここで分けてべつべつの物にしますよ。 息子娘として分けてべつべつの物にしますよ。遠い距離です。ここでこのように遠い距離、ここで遠い距離です。 ここから会い始めます。 天が育てていかれる、度々育てていかれる、みな育てていかれる水平になって行かれる霊界の無形の神様が一体できるように遠い距離でこのようにして行って会うべきなです。 中央で作りますよ。それで中心は必ず四方を通じなくてはなりません。中心ということは四方の均衡が合わない席では倒れるか消耗になります。 絶対中心が絶対超えないことがあるこのような基準が何か? 絶対愛、絶対信仰、絶対投入です。 その原則が立っているということによって投じる限り越えないです。 分かりますか? 結婚は神様が大宇宙を創造された最高のつぼみ皆さんが呼吸するのも、フウ フウプすることも70,80才100年生きるならば数十万回すべきではないですか? それを数える? 同じことです。 十才の時、百才の時呼吸することが違ったのですか、自分の構造面で。 そこに対して無限に投じなければなりません。そうして実体権が、神様が無形世界で分けて息子娘が出てきますよ。原理にもそうですか? ここに生まれてここから分けたのです。 アダムは神様の無形の実体格である性相形状を実際に分けたそこにおいて出てきますよ。凹凸が神様の性相形状でもあったか、なかったか?「あったことと思います。」あるが、それは一つの実体で影と同じことです。だからあったということです。 それが変わってそこにおいて呼吸して生存したということです。そのために女がいくらしても男がなければ霊界で行く所もないです。何永生とか、神様に会う方法がないということです。アダムから出たのではありませんか? アダムで分かれて出ましたね? ここで性相形状を分けて、神様が分けておいて育てていかれるここまで上がってきて再び神様と実体で、霊肉が中央で会うためのことです。 それが結婚です。結婚は神様が大宇宙を創造した最高のつぼみだというのです。それを知らなければなりません。それで天地合徳という話があるんです、天地合徳. ‘天地’というものは無形世界と類型世界で、‘徳’者は何かといえば、二人の十四、14を合わせて一つの心になったのが‘徳’者です。 理想圏です。14が何ですか? 四方を中心として4位基台を完成した一つの心、それが‘徳’です。‘徳’という漢字を解説することになればぴったり合います。 おかげが何ですか? 二人が一つになっておいてこの大宇宙の中で侍義基台を完成して一つの気持ちで定着しますよ。その他に‘徳’を説明できますか?漢字が本当に神秘です。 二人が一つになった国が私たちの天一国です。天一国、理想世界が何ですか? 天一国だとしなかったら先生が世界から追い出されるか? 国があってまた、何の国ですか? 天一国ですか? 天一国は特別なものではない、二人だというのです。‘カップルで取りそろわなければ国を探せない。君たちがカップルでならなくなかったか? 国がないから不可避的に宗教は神様のみ意を中心として世の中を救うための終結論付けるために話すことが天一国だ。 それが何が悪いのか?’これです。その天一国国が定着して元一国になります。 定着は一人でできないのです。 夫婦がいて愛しなければならないのです。 それで核ができますか? 一破片です. それで神様も創造当時に同じ立場から出発したのです。 出発する時愛を中心として高い標準を持って投じて望む信仰的基準を埋めておいてますます高い席に上がって大宇宙が誕生しますよ。 一心、一体、一念、一和なり愛を中心として変わるべき神様の属性である絶対愛の内容を見るなれば、人格を構成した神様自らの属性が絶対属性なので絶対愛、唯一愛と、不変愛、永遠の愛です。 その愛に接することになる時は絶対的です。 人間の欲望もそこではみな整備されます。 そこでは寝て朝起きて新しい日を迎えて出動すれば良いんですよ。そういう属性を持った人間が一つの体を有しているので一心一体です。 一つの心、一つの体、一つの考え! ‘一念’の念は‘今’の下に‘心’です。いつも瞬間をのがすことができないということです。するとそれが何ですか? いつも瞬間をのがすことはできないその心が何ですか? 欲心です、勉強する心です、政治をする心ですか? 愛の心です。一瞬ものがすことができません。このような観点で大宇宙を中心として見ることになるならば、太陽系を中心として地球星が一年にひと回りを365日間回るのに1秒も間違わないのです。 だから神様が考える時、永遠に考える時一念、1秒が何ですか? 1秒何百分の1も間違わないことを考えたというのです。そういう神様が動機になった存在物が…. 地球の年齢を45億年で47億年まで見ています。 45億年の間に1秒ずつだけにしても143年です。 地球星が太陽系を回るのに143年の差が広がれば世の中が残られたか? 考えてみてくださいよ。 それを支えることができる力の母体が、原則がその何千万倍細かいということです。それで私が話したのが‘今’者です。 分かりますか? 一心一念です。 ある瞬間でも歪んではいけません。 人の中で上の人下の人が世の中の中で一つになっておいて一つの心になったのです。これは愛の道だとしか説明できません。漢字をずっと書かなくてはなりません。 漢文はなくなりません。私が≪千字文≫を持って解くならば宇宙を解けると見たんです。 ≪千字文≫で≪明心宝鑑≫ ≪小学≫ ≪論語≫ ≪孟子≫に上がりますよ。私が留学に対して分からない人ではありません。 その話をしません。 さっきも話したが、‘子曰、為善者は天が報之以福と為不善者は天が報之以禍ニラ.’どれくらいタルオンヌンデ、逆に付けておいたのでどれくらい恥ずかしいですか? 直ちにマユですか。三綱五倫のようなものを分からない人ではないよ。 聖書よりも立派なのが多いです。 明心宝鑑のようなものは三綱五倫の骨子を集約させておきました。アジア人がたくさん繁盛したのもそういう根拠地の上で発展したと見るんです。さあ、それで一心?「一体、一念、一和!」一体、一念、一和されて何をするか? そうして心とからだと愛を中心として変わらなくてはなりません。 鼻をとらえてずっとすれば…. これがアダム エバ. 天上から先祖に繋いで出たのです。 そうしてこの鼻が一番前に立ちますよ。これはまっすぐ行かなければならない目標と合わせて行かなければならないといいますよ。 それが何ですか? アダムエバと行っていく目標が何ですか? 希望です、愛ですか?「愛!」お金だよ!「愛です。」そのためにすでにちらっと見れば顔を見ますよ。ずっとできたのを見ることになればあの人が金持ちになるのか何になるのか分かります。 こうして男は汗を流しておいてこれが…. どれだけ汗を流すか? 自分が完成するためには汗を流して…. 見てくださいよ。 ここもこのようにずっとしておいて髪の毛を通じて水がこのように降りてきます。このようにバンハゲ頭にならない人はたいていここからはげていくんです。このように流れたことがこのように降りてきてこちらにして降りてくるが、鼻先を通じて鼻の下を通じてこれが全部みな連結されますよ。 男たちを見れば毛ある人は毛が二切れでついているんです。 卵子精子もプラスマイナス、精子もプラスマイナス、卵子もプラスマイナス、相対的関係に連結されて4位基台ができているということです。 個性真理体がされているゆえ受ければ見て戻そうとする私が今別の講義、原理にない講義をしているね。 重要なのです。 これを知らなければなりません。 一心、一体、一念、「一和!」一和! 神様がそのような人格的にされていて相手が必要だから分けておいて実体を通じてアダム時代で逆にしておいて分けて後ほどには再び持って合わせなくてはなりません。 性相形状である時は一つは実体で一つは影とともにあったんです、影. 相対がなかったです。 分かりますか?清平(チョンピョン)で正午定着という話をしましたね? 祝福家庭4位基台が天の土の前に影ない席になること、正午定着をいったんです。 その言葉がどれくらい恐ろしくて驚くべき話なのか分かりますか? こうしておいてそういう一心、一体、一念、一和の位置に立たなくてはなりません。 変わるのはこれだけ変わるか? 変わるのは男は女、女は男、東西南北、前後左右、四方がみな合わせることになっているんです。 このように通じて、このように通じて、みな通じますか?それで個性真理体が偉大だということです。統一教会の原理の中で神様は二性性相の中和的存在であり格位では男性格で、個性真理体になっているという言葉が偉大なのです。 なぜ? 個性真理体が何か? ところということは受けたら戻すには踏み倒して戻してはいけません、宇宙が。 踏み倒して戻せば宇宙は存続しないんです。 神様がそれを考えなかったか?与えることになれば必ず個性が違っておいて必ずそこに対してためにしようとする心があるので受けたのを加えておしますよ。 分かりますか? ここで受けたので、ここでおすので愛の世界はますます大きくなって行くといいますよ。 分かるか? 物質の世界は出力が入力よりも小さいけれど、愛の世界は出力が入力より大きいということです。 そのような論理というものが漠然とした論理ではありません。個性真理体がなされているので女が男の愛を受ければそれ以上自分の生命に加えて戻そうとします。一個人が上がって、―たい運動するのは出力が小さいので70パーセント、80パーセントを越えられません。―越えられないが、この女が個性真理体を中心として受けたところで戻す力があるのですぐに越えますよ。そのために愛では永続的なこのような運動が継続できる原則が成立しますよ。それで神様はために存在するこのような法則をたてざるを得ないのです。 分かるか?「はい。」個性真理体が互いに対等な価値をやりとりして永遠に存続することを願いますよ。神様の属性がそうでありませんか? 絶対、唯一、不変、永遠の属性に一致できるようにその喜びを享受して暮らせる席が自動的に連結されますよ。それで顔がみな違いますか? 霊界に行っておいて誰でも訪ねて行くか? 南極にペンギンが数万匹あっても百里以上歩いていって餌を探してくわえてきて食べさせながらも…. 卵を足の上に置いて破ったが。 一粒しか産めなかったが。 そのようにしておいて子を愛してみなそうするが、それ誰が教えたか?また、そのような地方で生きなければならない動物たちがあります。 南極北極にも獣があるので暮らすことができるのをみな作っておきました。海にも魚が食べ物をみな準備しておきました。これが誰のためのものですか? 神様の相対理想を完成するために、神様の相対のためにそのように作りました。どれくらい無限に投じたかというのです。 縦的世界と横的世界を結合させることが真の愛の創造理想こういうものを見る時一つの草、もの一つ全部、神様の相対になる人間息子娘を自分よりも何千万倍良くなることを願って創造したのです。 皆さんもそうでありませんか? 自分の夫人が自分より百倍、千倍、億万倍なっても喜んでそうしますよ。愛の欲望は自分よりも相対がそうなることを願います。それは二しかないです。妻がそうすることを願って子供がそうすることを願いますよ。そうでありませんか?そのようなことが出来る欲望が定着できる所が家庭です。それで家庭定着はこの宇宙の卵と同じことです。 破ったひよこと同じだといいますよ。これをみんなサタンが奪っていったので、考えてみてくださいよ。 天があきれますね。それで相手がなかったがアダムエバを通じて相対が生じたのです。 そのためにエバはアダムから、性相的な影のようなものが実体に代わって…. アダムのあばら骨を選んだとそうしますか? 男性格主体において相対的基準を骨子を取って配置しておいたので主体の前に、凸が中心となって影のような凹が受け入れることができますよ。これは無限に与えてこそ作動することになっているだろう、無限に与えなければ作動をしなくなっています。なくなることになっています。それで廃物取り扱いをすれば地獄に行きますよ。それが原則です。私たちの五官を見ても自分の目が目のために生まれたか? 全体、相対を見るためにあるだろう。これを否定する方法がありません。だから離婚とか何だから、別の世界に行くことができないのです。 分かるか?このような基準でアダム エバを育てていかれ、絶対主体の前に絶対対象に作ったのです。二性性相の影を実体権を中心として万宇宙の栄養素として育てていかれる相対的立場でずっとして、結婚の時にはアダムエバとの生殖器が、はじめて影のような神様の生殖器が実体生殖器と会うのでどれくらい爆発するか? 相対的関係で爆発すると同時に、縦的横的としてプラスマイナスが爆発すると立体的に爆発するその影響圏が来た宇宙に連結されますよ。その愛は来た天の土が夜や昼間や称賛することになっているということです。霊界がそういうことです。サンホンさん話もそうですか? そうです、そうじゃないですか?「そうです。」それが夢ではありません。 先生が空想的に話したのが違います。そんなに体制を捉えるためにどれくらい苦心したか考えてみてくださいよ。本来そのことを私が成し遂げていっていますよ。クァク・ジョンファン、今回演説文がそのような内容違うの?「はい。」ワシントンで宣言したのを、今回も招請受けてくるのに使わなくてはなりません。上手で誰でも否定できないようにせよということです。大韓民国の大統領を食べ物を作って食べた人も訪ねてこないではいけないだろう。 こいつの子供たち、私に借りて…. 受けたら戻さなければならないこと違いますか? 自動的に霊界がみな処理してしまいます。なのでこのような立場にあったことが絶対愛を中心として絶対愛の相対、絶対生命の相対、絶対血統の相対、絶対家庭の相対ですか。これが家庭定着違いますか? 一和統一です。さあ、それで2002年に入ってきておいて一和がなぜサッカー世界のチャンピオンになったか? ‘アハ、移される時になってそうするよ。’していますよ。 この頃サッカーすれば一和が問題になっています。一和がどれくらい過小評価されましたか? きのうふんひびが入って話したのを聞いてみるので、小路カバーも2世(ジュニア)が全国で一等したのです。 こいつの子供たちがどのようにしてもレボロン文を亡ぼそうとあらゆる秀作をしたが、天が保護するといいますよ。 皆さんも同じことです。 一和されたら統一が広がりますよ。そのために私たちが世界平和をいうが、一和ですね? 天のためなのです。 平和、一和! 一和したら和合だけすれば統一の主体になります。縦的である世界と横的の世界を結合させることが真の愛の創造理想です。 そうなることができることが何なのか? 高い信仰と高いための愛を中心として回るのでその運動は永遠に続きます。受けて与えればちぎって食べるのではなく加えると永遠に運動するので,この宇宙もそのような原則でそのような作動を引き続き何千万年が過ぎても神様が心配しない世界へ残って行くといいますよ。こう思う時どこへ行っても私のために作った万物を…. 肉が多ければ自然死します。 自然死する肉を見れば‘愛の道を訪ねて行って主人の前に残すために生まれたのに残すことができなくて死ぬだけ.’ということです。 それで先生がそれを釣りで捉えた条件とするために釣りが好きで、山に行って狩猟もしたのです。 1960年で1971年まで12年の間そのようなことをしました。 蕩減復帰がそうしたのです。 分かりますか? 何の話なのか分かるか?「はい。」 自分が情緒的な投入をしなければ分からない宗教に対する理論を静かに聞いてみてくださいよ。私が聞いてみても‘昔に話したことなのに今考えるようだね。’ということです。どの野郎があんなカンと結論付けることができますか? ここに神学博士がいるね。 ヤンチャンシクは10年以上神学をしたって? ファン・ソンジョはこの前に宗教学博士にならなくて教育学博士がトェットマン?「はい。」中央(チュンアン)大学?「弘益(ホンイク)大学です。」弘益大学なの?そうだ、みな博士様が集まって座っておいて私に気合い受けても息をすることができなくてこのようにじっとしているのを見れば‘イ、私よりましだ。’これです。 先生が何が恐ろしいですか? 恐ろしいのが何がありますか? 先生の前にくれば自然にそうです。 私はじっとしていても自分たち心が挙動にならないです。 自分の行く道が合わないが? そうじゃないですか? 行って加えなければならない栄養素を普及させるべきなのにできないのにどのように自分を中心として泣き喚いてできますか?今まで私もそうです。神様を解放する前には自分の解放がないです。神様が生きる前には自分の人生がないです。 不平が何ですか? 死ぬことが幸せなのです。 天のために死ねばその次の段階は系代を引き継いでおいて他の人がきて蘇生長生、3段階を経られる私が復活圏内に入るので、難しい十字架に会ってもかえって感謝しなければならないといいますよ。罪悪なった世の中に成り行きでして長く生きて傷が多かったところで、きれいなことが何ですか? 若い人々がそれを分かるので自殺しますよ。ヒッピーイッピーになってどこへ行くところがありますか? 雨が降って稲光がして雪が降る環境で軒の下で行くところがありますか? みな捨てて行くところがあるか? 世の中にごみ箱しかないですか。みな捨ててみななくしたので、自分自身もからだ心を支えることができないから自殺しかないです。統一教会の価値を韓国が…. これが先生の三十代になったら世界はすでに天国ができますよ。 損害を加えたこの民族を私が抱いて今まで出てきたという事実! 神様が捨てないでユダヤ教を中心としてキリスト教を何千万年引っ張って出てきたそれを分かるので私がこの賭けをし、先生の気質に耐えることが何ですか? 分かりますか? もう時が変わりました。 耐えないです。皆さんはすることをしてくださいよ。今回もみな任せましたよ、先生が式をすることも? 理解されますか?「はい。」歴史にそうするということによってレボロン文が霊界の事実を知った方として地上完結と天上完結のためにはこのような形を中心として自分の息子娘と家庭を結びつける賭け、ひと勝負整えておいて同じ大細胞とともになって行かれるチョナラに入城、天国に入国できるところを作っておいたのです。もうよどみません。 先生が話した通りひとりは天国に行かないと考えません。 天国のあのてっぺんに行きますよ。 そんなに分かります、信じますか?「分かります。」信じるか、わかる?「思います!」信じることと違います。 そこに自分が投じなくては分からないです。 自分が情緒的な投入をしなければ分からないです。 サタン世界の血統を超えるなりそれで娘未婚の男性に火遊びをしないでくれとしますか? 生命線を超えます。自分たち二人はじめて天の前に吸収されなくてはなりません。愛のために堕落するということによって分かれたので、も世界に入れば、そのような人が先端に行くことになれば女が、サタンが、怨讐がきて抱くことということです。膝に座って真裸になって当てておいて抱いてくれと言いますよ。 それ抱けばすごいです。その道を亡ぼしてはいけません。反対にならなければなりませんか。くるっとまわってけってしまわなくてはなりません。皆さんがそれを考えれば、自分が天国に行って恥ずかしくない女になり男になることができるか? 神様が数千年の間まだその場に行けないのです。 定着できる解放の席に出て行けなかったのです。 そのような愛の主人がどの美人がきてこうするとそのような行動をするか? 世の中をみな探しておいて本来の席を探す前にはけってしまわなくてはなりません。行く道が違います。 同じですか。数十年の間愛した人と分かれてその女がサタンならば愛して最高のクライマックスでも踏んで片づけなければならないんです。それが容易でありませんね。すでにプラスマイナスが一つになれば声が先に出て火がさく烈することになっています、列が切れても? 分かるか? そうですか? それを克服しなくてはなりません。 そうでなければサタン世界の血統基準を越える方法がないです。それで先生の前にすべての世の中の女たちを神様が任せました。 そうです。女という動物は先生に会うことになれば全部みな思慕することになっています。原理お言葉を一週間聞くことになればついて行きたいですか。兄さんのうちの兄さんとして、そうでありませんか? 婚約男のようで、新郎で、お父さんで、おじいさんで、王で、神様です。絶対愛の列に吸収されて入るのでその力に引かれて入っていかないことができません。その力があるので皆さんを国が圧迫しても残られたのです。皆さんもそうですか? 嫁に行く妻をめとって新郎新婦と生きても先生について行きたいですか? ここに孔子夫人も? 何をしようとここに朝早く遠い道をきた? 零下に落ちれば氷板になるのに車に乗ってくるには骨を折ったが? ここに二の峠、一生、千年万年この峠を越えたかった霊人がどれくらい待ったのか分かりますか? 何千年待って会えて真の父母の祝福の日を望んだのです。何千年行き来しても行きたかったその道なのにここに来た今皆さんを考えてみてくださいよ。 チョナラに行って状態(都合)が無人の境です。 先生が神様を分かるのと皆さんが知っていることが天壌之判なんですよ。 いくらよく食べて何良く暮らしても。 三八線を壊しておいて挙国的な本然地を決定すべき先生近くにあった従って出た功臣を霊界に行った功臣たちとパートナー選んで結んだがそれが嘘のような事実です。事実です、嘘ですか? 孔子夫人!「事実です。」何の事実なの? 鎖だ! (笑い)切ることができなくて。そうなんですよ。切ることができません。切ったら一家一族が滅びます。筋が切れるんです。 絶対になります。 それを知らなければなりません。代を引き継ぐための歴史発展の氏族が出てきたが、私が責任できなければ代が断たれます。先祖の前に面目をたてることができますか? 千万回死んでも、鼻が切られて五官が切り取られても…. それで死んでいけばその墓を置いていつもきて穀ができます、ご先祖が。 忠臣の墓だとして周辺にある環境が、その地域が善良な地域として吸収されるといいますよ。もう今回の式が終われば私が何でもできます。もう天上世界に配置しなくてはなりません。分かりますか? 配置するには宗教指導者、4大聖人、教派を中心とした地域の全部、そこにおいてその国の孝行息子忠臣烈女、先祖があれば先祖です。 次々と宗教指導者が再臨してその次にその国の功臣を中心みなして自分の先祖まで全部再臨しますよ。歴史時代に初めて成人とか土地に住んでいる人のご先祖が一つの席に集まって、聖人とご先祖が地で天使長家庭と同じ先祖になって行かれる皆さん家庭を天国に入るようにするために固め打ちするんです。事情があるか考えてみてくださいよ。 先生がみ言葉を探した時とともに祈るなるならば全部みな掃いてしまいますよ。しなければ私がすることになれば一週間にみな革命してしまいます。 世の中こととかそうですね。私たちの父母と血族に私が誓ったので北側をあきらめないでそうです。いかばかりか家を出ると泣き喚いて、行かないでくれとしたのです。ソドムとゴモラを火審判する時と同じことです。そんなに愛するお兄さん弟(妹)が、全部みな手をつかんで行かないでくれとしました。行かなくすると行かなければ何もなりません。 私が離れるが日本国を中心みなして、どんな国を整理して天の土を探した主人になって故郷に錦を飾るといったのです。 そのような誓いをし終えてきたので故郷を訪ねて行く時は深刻なのです。 この前に行った時お姉様と弟(妹)がご父母様の墓地に行って痛哭したのです。どれくらいお母様が私を愛したでしょう? そのような号泣を聞く時はらわたが煮えくり返って細胞が震えます。しかし涙を流してはいけません。目的が違います。共産党員が見る前で…. ムン総裁が来たものがお母さんを同情するためのものではありません。 君たちの国を墓中で解放させるためのものです。それを解放させるためにお母さんの墓に私がいると考えますよ。三八線(休戦ライン)を壊して挙国的な、私が追い立てられる本硯池、先祖の墓を決めなくてはなりません。持ち主あなたがそれを考えるか? クァク・ジョンファン!「はい。」統一教会の先祖の墓を考える? 先生がすでに数十年前から、40年前から準備をしていますよ。 清平が良い場所ですか。1億坪を買ったが木を育てて百年ぶりにとりますよ。1億坪であるから百年ずつしたが。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.25
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20日、清平(天苑宮)に向かう途中での夕食、骨付きの牛肉スープです。トングで掴んでハサミで適当な大きさに切って食べました。ご飯はお替り自由となっていましたが……。21日朝、天寶修錬苑からバスにて5分ほどで天苑宮に到着。天苑宮・多目的ホールにて1時間ほどの「特別研修」。天苑宮・副苑長のあいさつ、そして、田中会長の映像メッセージを視聴しました。特別研修を進行された方からは、「天苑宮は”王様”の神殿」という言葉が私の印象に残りました。非原理集団の方々が「ホリーマザー・ハン」、「天苑宮」を批判・否定される根拠はここから崩壊していきます。研修後は天苑宮・天一聖殿へ。天苑宮・天一聖殿内は撮影禁止のためフォトはありませんが、アプリから天一聖画を鑑賞することは可能です。天一聖画にしても、非原理集団の方々が作り上げた「虚偽のストーリー」の影が大きく見えては、「正午定着」とはなっていなかったことの証明が成されました。天苑宮内はエレベーターか、螺旋階段で移動します。映像館、半円形状のスクリーンに映像が映し出されていました。フォトでは、天井・床からその半円形状のスクリーンであることが確認できると思います。「韓民族選民大叙事詩」の絵画です。全部で13枚なのですが、ママさんのお気に入りをフォトにしました。天苑宮フォトはここまでです。午後からは天寶修錬苑・大聖殿での「孝情天寳特別修練会」へ参加。映像でチラッとですが、私たち夫婦が全世界に生中継されました(笑)。韓国に来れば、やはり、メッコールですね。売店で1600ウォン(180円くらいですか?)でした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.23
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2025.06.20
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第二十回「愛勝日」での御言と祝祷二〇〇三年一月二日 文興進様十九周忌、惠進様三十九周忌、榮進様四周忌、喜進様三十四周忌、信禮様二周忌、さらに羅榮新様(惠進様のご相対)と李惠信様(喜進様のご相対)を共に追慕するこの日、第二十回「愛勝日」の記念行事が、韓国の天宙清平修錬苑において挙行されました。真のご父母様は約五千人の教会員を前に御言を語られ、祝祷をされました。 祝福を受けずに霊界に行った幼い子女を祝福する さあ、祈祷しましょう。きょうこの日は、天一国三年、三数が貴いのです。霊界と肉界をすべて整備しなければならないのですが、きょう興進君を中心とする「愛勝日」を祝賀する意味において、この地上で結婚することができずに逝った赤ん坊から、すべての霊人たちが、全般的に祝福を受けて地上に下りてきて、結婚して逝った人たちの恨まで、すべて解いてあげることができる運動を起こす時が来たということを知らなければなりません。 結婚できずに霊界に行った赤ん坊がいれば、その父母と親戚を連れてきて、その先祖たちと連結させることによって、地上を根本的に整理しなければならない時が来ました。それで、先生が祝福をしてあげなければならないのです。分かりますね? 何のことか分かりますか? これは、興進君も願っているのです。さあ、祈祷しましょう。 祝祷 愛するお父様! 私たち統一教会に「家庭盟誓」を付与してくださいました。「天一国主人である私たちの家庭は、真の愛を中心として」と、一節から八節まで奉読するたびに、心に……(マイクの不良により音声が途切れる)ということを理解して奉読することができる生活をしていかなければなりませんでした。お父様! 地上でこの「家庭盟誓」を唱えることができるという事実は、霊界にいる聖人と、宗教圏において犠牲になった数多くの人々の願いでしたので、「家庭盟誓」の土台を中心として彼らを解放する運動をいたしました。 お父様! 霊界と肉界が転覆し、上が下になり、下が上になり、右側が左側になり、左側が右側になり、前方が後方になり、後方が前方になる、大転換時期を迎えましたので、今から、摂理において国家基準を中心として、天地が大転換する時代が来ました。ここで問題となることは、地上において赤ん坊として生まれ、この地上で結婚できずに霊界に行った者たちを祝福しなければならないということです。 この祝福の相対を中心とした基盤を、興進君が行った代表の……(マイク不良)霊界を協助することを再び……(マイク不良)この幼い少女たちが成長して祝福を受けた……(マイク不良)地上に再臨することができる特権を許諾してくださり、彼の兄弟たちと彼の父母と父母の先祖を中心として、幼子たちが哀願する希望の一念が、地上の真の父母を中心として祝福の血肉の基準をもつことができなかったことを、興進君を代表として接ぎ木することによって、興進君が、再び生まれた立場で、幼い子女たちが天上世界の祝福圏を中心として、天地父母を中心とした勝利的覇権のうえで天一国の民の権限をもちましたので、全権全能の役事を代身した真の父母の権限を中心として、興進君が霊界で真の父母の代わりに総司令官の立場で全霊界を収拾するのは、すべての祝福を受けた家庭のためでもありました。 幼い少女たちを残し、今まで祝福を受けることができなかった霊たちまでも祝福を完了させ、今からは、年を取った人たちよりも、幼い時に地上で祝福の因縁をもつことができず、真の父母の愛の因縁ももつことができなかった者たちを、興進君が(霊界に)行くことによって、真の父母の血統的根源を連結させ、祝福の恵沢を受け継いだので、今、祝福の恵沢を与えることによって、幼い少年少女たちが祝福を受け、地上に下りてきて、真の父母に侍ることによって、霊界にいる年老いて結婚して逝ったすべての家庭が、彼らに従ってこの地上に来て、根本の血統的な因縁を逆さまにし、父母たちの血筋、そして、真の愛に反対したサタンを中心とする自分の偽りの愛の血筋を逆につなぎ、その上に上がっていき、興進君が家族を中心として、地上で真の父母の名とともに連結させることができる、きょう、この天一国三年を迎えたこの日に、二十回を迎える「愛勝日」の記念日を中心として、興進君が願うこと以上のことを天の前に報告いたしますので、神様を中心として、五大聖人すべて、聖子、その後に祝福を受けた霊人たちは、少年たちを祝福して先頭に立て、地上に来て、自分の一族に、赤ん坊から霊界にいるすべての先祖たちまでが、感動させることができる活動の権限を付与してくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 このようにすることによって、天上世界に行って興進君が苦労したすべてのことが地上に結実し、万国に命の花が咲くことができる春の季節を迎えられる、このような時代に入っていくことができるように、地上にいる真の父母は、天の父母の前に、王の中の王の前に、このことを要求いたしますので、この時間、この記念、この二十回目の「愛勝日」を中心として、地上・天上世界、万国を超えて、祝福の恩賜を加え、自分の一族全体、国家を超えて、門を開いてくださり、開放してくださることを懇切にお願い申し上げます。 天地父母、一心、一体、一念、一和の旗じるしを中心として、真の愛を中心とした真の血統を中心として、真の愛、真の生命、真の血統、真の家庭的根を、霊界と地上の幼い赤ん坊にまで連結させてくださり、解放的地上天国として、神様の王権勝利を果たして万国を治めることができ、善であり、愛の永遠なる王の中の王が地上天国を統治することを懇切に願いながら、この日以降になされるすべてのことを祝福してください。 幼い赤ん坊たち、祝福を受けた赤ん坊たちが、家庭的に再臨して協助することができる特権を許諾することによって、霊界にいる祝福家庭が、それに従って地上を整備するうえで先導的な立場に立ち、サタンの手下たちをきれいに追い出すことができる特権を付与する、この時間となることを、真の父母の名によって、興進君の二十回「愛勝日」を記念して、宣布いたしますので、願われる御旨のとおりに成し遂げられますように。真の父母の名によって、懇切に、懇切に、ご報告し、宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! 地上を完全に整備する 皆さんの親戚の中で霊界に行ったすべての人たちが祝福を受けることができる時代になったということを理解して、悲しまずに、彼らが祝福を受けて地上に来て、自分の一族を、模範的立場で天に侍り……。 父母にも侍ることができなかったのです。家庭生活もできなかったので、今から真の父母の教える正統的な教理を中心として、新たに生活することができる出発を付与されたことを感謝し、「私たちも彼らに負けないように、さらに忠孝の道理を果たし、手本となるよう努力します」と祈祷しなければなりません。分かりますか? (「はい!」)。 今から、子供たちが祝福を受けて協助すれば、サタン世界は追い出されるのです。今、ルーシェルの残党たちが反対していますが、その手下たちや敗残兵を一掃することができる時代に入っていく、きょうであるということを記憶して、天の前に、万々世の祝賀をお返ししなければなりません。アーメン! (「アーメン!」)。(拍手) (金炳佑アジア大陸会長による万歳。「きょうの万歳は、一番、神様王権勝利万歳、二番、勝利された真のご父母様、天地父母様万歳、三番、第二十回『愛勝日』万歳、そして四番、勝利された興進様万歳。四唱をいたします」) 天一国を三番目にして、「愛勝日」を四番目にしなさい。天一国があることによって、このようなことが可能なのです。分かりますか? 天と地が一つになっているので、今生きている自分の父母に侍らずに、あの国(霊界)にいる赤ん坊たちも、真の父母に侍ることによって、自分を生んでくれた父母に侍るよりも、もっとよい出発がなされるがゆえに、新しく整備が完了するのです。きょう祝祷した内容は、そのような内容だというのです。 (万歳四唱) きょうのこの話は、重要な話です。二十回なので、興進君も二十数を越えるのです。ですから、あの国(霊界)に行ったすべての子供たち、結婚することができずに逝った二十代を越えた人も、すべて祝福を受け、地上で侍ることができなかった真の父母に侍ることによって、本然の歴史を受け継ぐことができる時となったのです。 「地上を完全に整備する」という思想をもたなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのように祈祷しなさいというのです。 さらには、祝福を受けた家庭の赤ん坊が逝っても、絶対に悲しく思わないでください。皆さんがこの地上でサタンの血筋を受けて祝福結婚した後にも、結婚する前にも、本然の真の父母に侍ることができなかったことを、彼らが、私たちのために代わりに侍ってくれるので、その彼らに従っていくことによって、堕落がなかった本然の解放的天国の王権の権威を相続することができるのです。万歳! (「万歳!」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.18
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◆「文鮮明先生み言葉選集20030101--第三十六回「真の神の日」記念礼拝の御言(No.1/2) 」真のご父母様の御言天一国三年(二〇〇三年)一月一日、韓国・天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿第三十六回「真の神の日」記念礼拝の御言(No.2/2) このみ言は、今年一月一日、天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で行われた第三十六回「真の神の日」記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理したものです。(文責・編集部) ですから、神様をはっきりと知り、神様の家庭をはっきりと知り、神様の国がどのようなものであるのかということをはっきりと知れば、偽りの立場にある者に対しては、唾棄して、背を向けるのです。 それゆえに、世の中に「文総裁について行くな。」という波動が、どれほど大きかったことでしょうか? 「行くな。」と、国が、世界が、津波のように大騒ぎしましたが・・・・・・。 そして、日本のような国では、食口の親や牧師たちが、統一教会の教会員四千人以上を無理やり拉致して、 統一教会をなくそうとしたのです。しかし、皆、文総裁について来たのです。米国でも同じです。ドイツでも同じです。 ですから、神秘的な力を持っていて、それは何かというと、真の愛なのです。真の愛を持って、真の生命です。生命が真の愛で始まったので、男性は女性のために、女性は男性のために存在するのです。ために生きる存在を中心として生きるので、一度、出会えば、千年、万年の間、"一緒にいたい。”と思うのです。 さあ、ここにいる日本の女性たち。先生を愛していますか? (「はい。」)千年、万年の間、"一緒に暮らしたい。”と、思わない人は、手を挙げてみてください。 "一緒に暮らしたい。”と、思う人は、手を挙げてみてください。わわわ。この女性たち。(笑い) 自分の夫が横に座っていても、手を挙げるのですから、どれほど悪い女性でしょうか? (笑い)しかし、 文総裁は、男性は男性ですが、神様の代わりの“天の国の王”であり、おじいさんの代わりの者であり、お父さんの代わりの者であり、お兄さんの代わりの者なので、いくら愛しても問題ありますか、ありませんか? (「ありません。」) 昔とすっかり変わったことが何かというと、飛躍的な発展をしたことです。自分勝手に生きてきた人たちが、今では、国が何と言ったにせよ、だれかが捕まえて行ったにせよ、地獄に引っ張って行っても・・・・・・。地獄に行ってから、せかせかとはい出て来ることができるということを、皆、知っているのです。サタンが引っ張って行けば、はい出て来る自信がありますか? 自信がありますか?(「はい。」) 偽りの愛によって、地獄への行列が続いているのですが、真の愛を中心として、結婚さえすれば、その日には、サタンが、ここに手を出すことはできないのです。 先生を好きな人は、手を挙げてください。なぜ、好きなのですか? 神様の代わりであり、おじいさんの代わりであり、王の代わりであり、お父さんの代わりであり、夫の代わりであり、お兄さんの代わりであるからです。分かりますか? それゆえに、いくら女性が文総裁を誘惑しても、誘感することはできません。分かりますか? すでに、 霊的な世界において、すべて分別しました。神様が、 大勢の女性たちを任されても、堕落しません。それが、 真の父母の権威です。分かりますか? 許諾することができる道さえあれば、その愛には、 真の生命の種を持ってきたのです。今までは、偽りの生命であったので、地獄に行かざるをえない結実として、すべて流れていく木のようになっていたのですが、 文総裁を通して、愛の心情圏を持てば・・・・・・。 初めて統一教会に入って来れば、眠ることもできずに、"韓国に行きたい。”と、思うのです。そのような何かがあるのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」)男性たちは答えずに、女性たち。 そうですか、そうではないですか? (「そうです。」) 国を代表する中国人が、日本の女性を好きになり、 「その女性を、その中国人と結婚させれば、中国を救うことができる。」と言うのなら、そのようにすることができます。そのようなこともできる先生です。神様が願われれば、できないことはないのです。さあ、分かりますか? よく聞いてください。 神様は最初、愛のために存在して大きくなってこられたのですが、愛には相対が必要なので・・・・・・。これが性相と形状ですが、それを知っているでしょう? このようにして大きくなられ、性相と形状が、お互いに愛して水平になりました。そして、神様は、性相と形状の中和的存在でいらっしゃいます。分かりますか? 神様を抜かせば、中和的ではありません。分立的な存在になってしまいます。真の愛によって、因縁を結んで相対を成し、主体と対象の関係を成せば、中和的存在ですが、格としては、何ですか? 神様は、二性性相の中和的存在であられ、格としては男性格です。これが貴いのです。男性格です。そのような神様、性相と形状で、男性格主体としていらっしゃり、神様自体においては無形でいらっしゃるので、 これが軸の中心となるのです。 ですから、留まることができるのは、地の・・・・・・。留まることができるのは、この軸になるので、一点しかありません。しかし、一点では、神様の家庭も成立されず、神様の氏族、神様の国を成立させることはできません。 それで、見えない神様は中和的存在、格としては男性格存在であられるので、アダムに対して、ご自身の持てるものを、すべて注ぎ込まれたのです。分かりますか? アダム自体を性相と形状として、アダムを創遣されると同時に、そこから相対的な存在を取り出して、彼らを双子のように分けておいたのです。分かりますか? 無形の存在であられる神様が、無形世界と実体世界が一つになるために、男性格主体であるアダムに引っ越して行くためのものが、創造です。 ですから、男性が主体ですか、女性が主体ですか? (「男性です。」)なぜ、男性が主体ですか? (神様は、) 中和的中心存在であられると同時に、主体的です。それは骨であり、男性格です。男性格であられ、人格的な神様であられるというのです。人格的神様です。仏教も、人格的神様は知りません。それは、法を教えているのです。 それで、イエス様のようなかたは、「わたしは、神の独り子である。」と、言われました。アダムは、無形世界の全体がアダムに移された、そのような息子の立場にいたのです。 神様は、息子を立てて、その息子であるアダムの中から無形の要素を取り出して、エバを創造されました。 そして、アダムとエバの二人が一つになるのです。神様は、かの高い所から来られて、アダムは、ここから上がって行き、神様が願われる中和的格としての男性格主体となることができます。 そのような立場となることによって、“正・分・合” で分けておいたので、男性の前には女性、女性の前には男性がおり、万物世界も、すべてペア・システムで編成されています。 昆虫を見ても、愛すればすべて子供を産み、植物も、 ちょうやはちが来て、この宇宙的な連帯性を中心として子どもを産み、動物も、雄と雌が一つになって子どもを産みます。それが、どれほど美しいでしょうか? そして、春になれば、ひなたちが、皆、かわいいでしょう? (「はい。」) アダムとエバも、周辺の万物を見るときに、“あのように愛すれば、赤ん坊が生まれてくるのだなあ。”と、 思うのです。ですから、男性についても、男性、あるいは雄は凸、女性は何ですか? (「凹です。」)何ですか? 女性は何ですか? (「凹です。」) それでは、その凹の主人は男性ですか、女性ですか? (「男性です。」)凹の主人は、女性でしょう? (「男性です。」)その男性の凸の主人は男性ですか、女性ですか? (「女性です。」)この者たち。世の中にそのような話が・・・・・・。百科事典にもありません。 この世の中の図書館に行って、万世の記録を残している本を通読してみても、女性のもの(凹)の主人が男性であるという話は、どこを探してみてもなく、男性のもの(凸)は、女性が永遠にその主人になっているという事実も、どこを探してみてもありません。 そのことを、わたしも知らなかったのですが、それを捜し出したこと、凸凹、その天理の根本を捜し出したことは、よくやりましたか、やっていませんか? (「よくぞ、なさいました。」) このことに対して、今、男性のもの(凸)が”自分のものである。”と、思っている男性たちは、そのままでは、どろぼうのような立場です。女性で、自分にあるもの(凹)が“自分のものである。”と、思っている、 そのような女性! それも、どろぼうのような立場です。そのままでは、地獄に行くというのです。 神様が言われるには、女性の凹は、永遠に愛のためにあるのですが、その愛は、唯一的愛……。それは、 神様の四大主流属性です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従……。 神様は、そのような標準をもって創造されると同時に、愛を中心として最高の信仰を願われます。願われる欲望、希望の中でも、最高に願われるのです。愛が、 それです。最高を願うとすれば、そこにおける最高のものになるためには、最高の勉強をしなければなりません。分かりますか? それが天理です。 最近の国家試験のようなものを受けるためには、学ぶべきものをすべて、すらすらと覚えなければなりません。そうして、すべてを理解して、一所懸命に投入し、 何十倍以上、もっと加重して、"もっと投入しよう。”という人たちは、間違いなく、その場で目的達成するのです。 神様の王子、王女になることは、それと同じです。 神様の王子、王女になることが簡単でしょうか? 米国の市民権を持つことも大変なのに、天の国の王子、 王女になることが、簡単ですか、難しいですか? どれほど難しいでしょうか? 文総裁には、そのようなことを成し遂げる執念があり、恩讐サタンがどのような存在であるかということを知ったので、ここまで来たのです。皆、行くことはできません。 さあ、「文総裁、万歳!」と、一度、言ってみてください。「文総裁、万歳」と、言ってみてください。(「万歳。」)文総裁が何かというと、“私”のお父様です。本当のお父様であるというのです。分かりますか? (「はい。」) 二重的になっている、神様の内的な心的分野が、アダムに移され、体的分野がアダムに移され、それから、 中和的に一つになったそこにおいて、愛の主体を入れて、アダムを創造したのです。そして、その後に、エバを抜き出し、性相の前に形状的存在を創造し、アダムを標本として凸凹をつくっておいたのです。 神様に凸凹がありますか、ありませんか? (「ありません。」)何だけが、ありますか? 何だけがあるのですか? 凹がないので、愛の主人になることができません。 ですから、アダムは、神様からすべてを受け取ったのです。そのように、神様の属性をすべて投入してアダムを創造し、それから、男性格主体であり、凸であるアダムの前に、凹を中心としてエバを創造したのです。 そして、それが育てば育つほど、その主人がだれかというと、女性の主人は、女性がなることはできません。それは、自分のものではありません。 ここにお坊さんが来ていますね? お坊さんが、ここに、何をしに来たのですか? 結婚しなければならないはずです。結婚は、わたしがしてあげれば、“する。 ”というのならば、ここに女性が大勢いるので、一人、 合わせてあげましょうか? そのようにすれば、革命中の革命です。天地が驚き、 倒れます。その凸凹を間違って合わせれば、売女です。 体を売る女性のことを「売女」と、言うでしょう? 男性が、そのようにすれば、「下種(下衆)」と、言うでしょう? 下種です。自分勝手にする下種であるというのです。 それでは、神様の主流属性は、絶対、唯一、不变、 永遠なので、神様の愛は、絶対的です。そのような夫を、女性たちは願うでしょう? (「はい。」)大きな声で、言ってみてください、この女性たち。(「はい。」) 天地が壊れるほど大きな声で、「はい。」と、言っても、はらわたが、ちぎれて死ぬことがあっても、そのように声を出して、真の愛を称賛して死んだとすれば、 霊界での手続きが簡単になるのです。 考えてみてください。女性に、自分のものが何かありますか? 胸は、だれのものですか? 胸は、だれのものなのですか? なぜ、女性のおしりは大きいのですか? なぜ、大きいのですか? 男性が、愛するときに押すからといって、クッションではありません。 それは、赤ん坊を産むためであり、赤ん坊のためなのです。 それでは、女性は、なぜ、顔にひげが生えずに、きれいなのですか? 男性は強いからです。男性は、触ってみれば、骨がごつごつしています。ですから、剛柔を兼ねなければなりません。 男性には、ひげがあるでしょう? 朝、ひげをそって、 夜になって愛そうとすれば、これを「うん。」と、すれば、「あ、痛。」と言うのです。そうかそうでないか、 やってみなさいというのです。「ふふふ。」と、笑うのを見ると、皆、知っているのですね? 女性の顔がきれいなのは、だれのためですか? (小山田)儀子さん? あなたのためですか? この女性は。(「男性です。」) 男性で、女性のそれを好まない人は、手を挙げてみてください。女性たちも、そうではないですか? 外に出て歩いていて、自分の夫よりもりっぱな男性がいれば、"ああ、あのような男性と、一度、暮らせればよい。”と、思いますか、思いませんか? 統一教会の教会員でも、そのような考えをしますか、しませんか? しません。それを行動に移すことはできません。制御することができます。それが偉大なのです。 皆さん。統一教会の教会員たちは、十年前、数十年前から恋い慕い、恋煩いにかかって待ち焦がれた人が、 たとえ訪ねて来たとしても、それで問題が生じてはいけません。 そうして、その人と「愛し合おう。」と言い、初夜に愛し合うクライマックスになる直前まで、互いに愛し合うということを決意していたとしても、そこからゼロに戻っていくことができなければなりません。そうでなければ、この世界の主人となる男性になることはできないのです。何のことか、分かりますか? (「はい。」) その境地に入って行けば、われ知らず、その器官が引っ張られて、一つになるのです。ですから、こ恐ろしく、とてつもない器官です。神様を滅ぼし、人類を滅ぼし、天下を破壊させた根拠地です。そのように恐ろしいことを・・・・・・。 ですから、世の中で、「火遊びをするな。」と言うでしょう? それは、正しい話です。それを間違えば、 国が滅びるのであり、一族が滅びるのであり、廃棄物になり、一家がめちゃくちゃに壊れていくのです。おじいさんとおばあさんのふたりが、分かれて闘うようになれば、その一族は・・・・・・。 お父さんとお母さんが、そのようにすれば、そのようになります。また、自分たち夫婦が、そのようにしても、子供や孫が、そのようにしても、めちゃくちゃに壊れていくのです。そうですか、そうではないですか? それは、主人を主人待遇しないからです。男性が、 女性を主人待遇することができないので、それが、あやしげな世の中の大きな問題です。そこに特許権を受けた人は、文総裁しかいません。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、皆さんが結婚しようとすれば、文総裁の祝福を受けなければなりません。なぜでしょうか? エデンの園の息子、娘たちが、父母の祝福と許諾を受けずに結婚するでしょうか? だからといって、文総裁が、お金をもらいますか? 貧しいこじきのような群れが結婚するのに、自分の財産を売り払って投入し、あらゆる費用、あらゆる苦労をして行ってあげるのです。それなのに、この者たちは、ありがたい。」と、思っていません。 赤ん坊が育てば、「ああ、先生が祝福してくれて、良い息子、娘が生まれたので、これから勉強もさせてください。」と、言っているというのです。ここに集まった人たちは、そうではないでしょう? (「はい。」)父親と母親になれば、自分たちが、すべて責任を持たなければなりません。 考えてみてください。目に見えない神様、性相と形状の中和的存在が、実体的にアダムを立てられて、ここからエバを抜き出して、中和的存在としての男性格主体と女性格対象に分立しておかれたという事実が、 神様の神秘さです。そのことによって、神様の創造の能力を知ることができるというのです。 神様は、どのようにして、男性に合うように女性を創造され、女性に合うように男性を創造されるのでしょうか? 人間が、いくら何であると言っても・・・・・・。最近、進化論で・・・・・・。進化論は、これが、すべてそのまま発展してきたと言います。発展とは、何でしょうか? 愛の峠、種の区別は、一つ一つの愛の道理を絶対視しています。雄と雌が、勝手にくっついて、他の子供を産むということはありません。進化論は、種の鉄則が、どれほど厳格なものであるのかということを知らずに言っているのです。この共産主義の理論家たちは、 滅びるところだったのです。それが、すべて十九世紀のごみ箱に入っていきました。 さあ、ここに、男性と女性が集まりましたか、男性だけが集まりましたか、女性だけが集まりましたか? (「男性と女性が集まりました。」)男性と女性が集まったのですが、昼も夜も、一年中、自分の妻、自分の夫のことを忘れて暮らす人たちですか、知って暮らす人たちですか? (「知って暮らしました。」) それでは、唇を触ってみても、分かるでしょう? 妻の唇は、分かるでしょう? (「はい。」)キスしてみましたか? (「はい。」)鼻で、においをかいでみても、 髪の毛、体質が分かるでしょう? (「はい。」)目で見ても、分かるでしょう? (「はい。」)それから、声で分かるでしょう? (「はい。」) それから、触ってみても分かります。どこを触っても分かります。どこを触っても、すべて分かるようになっています。環境が変わっても、億千万回、環境が変わっても、変わりなく、自分の本当に愛する相対は、 神様が橋を架けて連結されるので、分からない者がいないのです。 それでは、ここに自分の妻を連れて来たのですが、 横に美人の女性がいて、その美人の女性が、娼婦であるのか、どうやって分かるのですか? その人ってが、エイズにかかっている人であるとすれば、一家が滅びるのですが、それをどうやって分かるのですか? 注意しなければなりません。 そのエイズも、潜在期間が八年から十二年です。先ほどの八数、十二数で、死んだり生きたりするということを知らなければなりません。 根本に入って行けば、神様が言われるには、「真の愛しか、わたしが存在する所がない。」と、決定されています。その真の愛は、無限に高く、貴いものを願うのです。神様が、あの世にいらっしゃるとすれば、それ以上のものまでも・・・・・・。 人は、自分の愛する人は、自分よりも何億万倍、りっばであることを願うでしょう? そうですか? ここにいるお坊さんは、お坊さんなので、そのようなことを知らないのですね? 父母においても、そうです。夫は自分の妻、愛の相対が、自分よりも何倍もりっぱな人であることを願い、 そのような人に出会うことを願うのです。それから何ですか? 二つです。相対的存在と、もう一つは子女です。子供が、自分たち父母よりもりっぱであることを願うのが、人間の望みです。そのようなことは、だれに似たのでしょうか? 神様に似たのです。 そのようになるためには、自為的な、自分のために生きる人ではいけません。そのようになることはできません。他為的な面に立ち、高い相対を、高い愛の相対を訪ねて行かなければなりません。無限に投入し、 千倍、万倍、投入すれば、もっと高い相対が訪ねて来ると思うので、その世界は、永遠に平和です。永遠に自由です。このことを知らなければなりません。 根本は、創造当時に、神様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の概念を持たれて、”わたしが命令する日には、 実体相対が出て来る。出て来なければ、わたしが投入しては忘れ、投入しては忘れながら、出て来るようにする。わたしは、そのような能力の主人であるので、 それは可能である。”と、思われたことです。神様は、 そのように思われて、鉱物世界のブラスイオンとマイナスイオン、植物世界の雄しべと雄しべ、動物世界の雄と離を創られたのです。 それは、何でしょうか? ペア・システムになっているということは、どういうことでしょうか? 愛の天理のために、そのようになっているということを否定することはできません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 女性たちは、男性の生殖器が自分のものであると思いますか、人のものであると思いますか? 教主という人が、壇上で、このような話をするので・・・・・・。今まで、そのようなことを明らかにしなかったので、すべて滅びました。ですから、はっきりと教えるのです。 浮気をする日には、すべて壊れていきます。分かりますね? (「はい。」)堕落したエバの子孫になったので、そのようにしてでも、自分の本当の夫を訪ねて行かなければなりません。 このようにして、創造当時に、絶対信仰、尊いことを成そうとするので、投入して・・・・・・。百くらい投入して、“ああ、できた。”と思えば、百以上は出て来ないではないですか? 無限に投入して、それで無限に忘れれば、無限なる大世界も相対になるので、自分の愛の行く道が、だんだんと大きくなって広がっていくようになるのです。 そうして、欲望は、地の果てから天の果てまで限界がないので、発展することができるというのが、他為的な神様の、創造の神様の愛の道であったということを知るべきです。分かりますか? (「はい。」) 神様は、そのような立場で創造されたのですが、神様の主流属性が何かというと、絶対、唯一、不变、永遠です。ですから、主流属性の絶対愛です。絶対愛を願うでしょう? (「はい。」) 唯一愛を願うでしょう? (「はい。」)不変の愛、永遠の愛です。 ために生きる愛から、永遠の世界まであることを知っているのです。そうして、不変の世界が連結されます。唯一の世界、絶対世界が連結されるのです。ために生きる愛が、関係の出発起源になっているので、 そのように生きるところでは、神様の属性が定着することができ、安着することができ、相対的版図が展開するのです。 そのようにして展開したのが、人間です。そして、 神様に与えることができ、神様が受けることができる形態に分けておいたものが、男性と女性であるということです。 それでは、不幸な人とは、どのような人でしょうか? 与えたいのに与えることができず、受けたいのに受けることができない人です。何を中心としてでしょうか? 愛を中心としてです。分かりますか? 不幸ということが何かというと、愛を中心として、 相対に百パーセント与えたいのに、与えることのできる人がいなくて、受けたいのに受けることのできる人がいないということです。 では、男性と女性が・・・・・・。女性が、より受けることを好みますか、男性が、より受けることを好みますか? 女性の人。金明熙さん。女性が、より受けることを好みますか、男性が、より受けることを好みますか? なぜ、目をぱちぱちさせて、答えないのですか? 尋ねれば・・・・・・。 授業時間に尋ねれば、答えなければならないでしょう? 孔子夫人(李京埈女史)。ここに、孔子夫人がいます。ただの夫人ではありません。孔子夫人です。女性が受けることを好みますか、与えることを好みますか? なぜですか? 何が、そうなのですか? 袋があります。何の袋ですか? 子宮という袋があります。子宮です。天の国の最も貴い息子、娘を受ける袋です。 その子宮が、どれほど良い欲心を持っていると思いますか? 神様の息子、娘を生みたいでしょう? 孔子の息子、娘よりも、神様の息子、娘を生みたいでしょう? 尋ねているではないですか? 孔子が、ぷいっと、すねてもしかたがありません。子宮です。女性には、子宮があるのです。 その子宮は水の袋であり、そこに、水の上で栄養をもらって育つことができる、調和の根拠地があるのです。それが、女性の特権です。 千回、万回やって、精誠を尽くして真の愛で愛したならば、そこで結ばれて生まれてくる子供は、悪い子供が生まれてきますか、良い子供が生まれてきますか? (「良い子供です。」)知っていることは知っているのですね。 (姜)賢實さん。夫は、だれですか? (「アウグスティヌスです。」)アウグスティオスとよく会いますか? 見てください。世の中に、このようなことをする人は、一人も現れていません。 孔子も、釈迦も、わたしが祝福をしてあげたので、 “ありがたい。”と、思っていて、今では、釈迦夫人を訪ねて行って、敬拝する時が来ました。しなければなりません。この者たち。そのようにしなければ、あの世に行って、逆さまに打ち込まれるのです。 さあ、それでは、真の父母が何をする・・・・・・。真の父母とは、一体、どのような人でしょうか? 超国家をつくった人が真の父母であり、超宗教圏をつくった人が真の父母であり、超イスラエルをうたい、滅んだものを興国の世界にするために存在するのが、真の父母です。 また、分かれた怨讐の天と地を、地獄撤廃、楽園撤廃を成して、天と地が一つになり、「おお、よしよし。 わたしの愛。」と、言うことのできる平和統一天国を創るためにいるかたが、真の父母というかたなのです。 (「アーメン。」)(拍手) それでは、偽りの父母の最も固疾的(凝り固まった持病)で、悪い行動とは何でしょうか? 偽りの愛、 偽りの生命、偽りの血統を中心として、結婚式を間違ったことです。分かりますか? 分かりますか? (「はい。」) 偽りの父母は、家庭を壊して、地獄に戦場をつくったのですが、蕩減原則においての真の父母は、これを収拾して、超宗教、超国家、超NGO(非政府組織) を中心として、すべて結婚させ、家庭を完成させて、 天の国に行くことができる鍵を与えるのです。 それは、その法度に従えば、間違いなく主の家に入ることができるようにし、天地父母一体圏において、 愛を中心として、神様がお父様であられることを知って、神様の息子、娘となるようにするためであり、家庭において、天の国の主人となることができる相続者をつくるためなのです。 それでは、文総設は、そのようなことをしていますか、していませんか? (「しています。」) 文総裁の教えを受けている日本人やドイツ人は、恩讐です。すべて怨讐です。イギリス人とも怨讐ですが、 文総裁の教えを見てみれば、「怨讐と怨讐で結婚しなさい。そのようにすれば、あなたたちの二つの国の間にある国境線がなくなる。」ということです。簡単です。 平和の世界は、殺し合い、国を奪い合っていた怨讐同士で集まり、億千万世、忘れることができない怨讐を愛することのできる世界です。 そうして、自分の息子、娘の家において、自分の親ができなかったこと、怨讐視したことを百八十度、反対に引っ繰り返して、ふたりの父母が願う一組の息子、 娘夫婦になれば、その息子、娘が行く所には、神様が来られて、それに伴っていくのです。天使が来て、それに侍っていくというのです。分かりますか? (「はい。」) 統一のためのいちばんの秘訣、その方案とは何でしょうか? 二つの国の間の国境を撤廃して、怨讐と怨讐同士で結婚すれば、その二つの国は、天の国の相続者となり、平和の天国に加入することを出発させることができるのです。(「アーメン。」)「アーメン。」ではありません。万歳です。(万歳」) それで、日本人と韓国人は怨讐なので、交差結婚です。日本の女性は、韓国の男性をもらわなければならず、日本の男性は、韓国の女性です。交差結婚です。 言ってみてください。交差結婚。(「交差結婚。」) 神様の願いとは、何でしょうか? カインとアベルが、怨讐関係になりました。兄が、弟を殺したのです。 天使長とアダムが、平和の道を行くことができる他為的な、ために生きる生活をすることができず、自為的な出発をすることによって血統を汚したので、これを清算しなければなりません。ですから、真の父母の任務は、怨讐国家の人同士の交差結婚もさせることができるのです。 文総裁の祝福結婚をしたとすれば、皆、天国に入って行くのです。その事実は、そうであるか、そうでないか、どちらであると思いますか? 歴史を解いてみれば、「そうではない。」と言う人は、 一人もいません。「そうである。」と、言うようになるので、日本も、一度に天国の民になることができるのです。ですから、個人救援時代が過ぎていくのです。 分かりますか? アダムが、愛で過ちを犯し、そのことによって、天下が瞬時に、すべて滅んだのと同じように、皆さんが、 真の愛とその血統を中心として、血統的因縁を中心として定着する家庭となれば、国も、一瞬のうちに復帰することができるのです。 それは、個人救援ではありません。家庭救援ではありません。国家救援です。終末になったので、国家教援です。見てください。今、宗教も何でも、すべて荒廃しています。 ですから、いちばん先が何であるのかというと、超国家です。国家が問題です。闘うでしょう? 問題でしょう? 宗教も闘いますが、その原因を知りません。 知らないので、無知では、平和はありえません。闘っているでしょう? それから、第一イスラエル、第二イスラエルですが、 イエス様が、ユダヤ教から出てきたにもかかわらず、 ユダヤの国では、キリスト教徒の人口比は、二・ハバーセントです。それは、怨讐視しているというのです。 それゆえに、メシヤとは超国家救世主であり、宗教同士がすべて怨讐関係となっているので、それを和合させなければならず、その家庭を定着させて和合するようにさせるのです。それが、メシヤであり、再臨主です。 主流思想、キリスト教において、第一、第二イスラエル、第三イスラエルが、それぞれ怨讐のように壁をつくり、さらにローマ教皇庁が統一教会を怨讐視しているでしょう? 天国を成すことが簡単ですか、難しいですか? 簡単ですか、難しいですか? (「簡単です。」)今、キリスト教に聖霊がいますか? 仏教が何ですか? 千年、 万年たっても、そうです。儒教が何ですか? 釈迦が何ですか? イスラム教が何ですか? すべて闘っているのです。 平和と統一を成して、神様が、天上世界からこの国まで、自分の息子の家まで思いどおりに出入りなさることができるようにし、平和統一の王にしてさしあげることができる、このようなことさえできれば、 地上は、平和統一の天国になるのです。「アーメン。」ではありません。万歳です。(「万歳。」) それでは、文総裁は、そのようなことをしたのかということです。国際結婚させた人として、だれも、わたしの記録を破ることはできません。 (昨年の)十二月のことですが、ムスリムやヒンドゥー教などの宗派長たちが、「文総裁が結婚させてくれれば、結婚する。」と、全員が言うのです。それは、 超国家です。ドイツ人とイギリス人の結婚もさせました。国境を超えた超国家的な結婚をさせることができるチャンピオンは、文総裁、真の父母の名を持った者しかいません。 宗教も、そうです。お坊さん。結婚しなければならないというのです。あの世に行けば、困るのです。このようなものをぶら下げて行って、どうするのですか? がちゃんがちゃんと、すべて・・・・・・。釈迦が何と言ったのか、それは、祈祷して、解決しなければならない問題です。 今から、地上に(霊人たちを)再臨させることができる名簿、組織つくる時になりました。統一教会では何と言うのかというと、「天地父母安息生活圈大会」 です。それを知っていますか? (「はい。」)安着して生活圏をつくることができる時が来ました。 それから、「天上・地上和合統一大会」です。鮮文大学で、それをしたでしょう? その日を中心として、 「天上・地上平和統一解放聖火式」をしました。すべて火で燃やしました。そのようにした後、「天一国平和統一平定時代」が到来し、霊界が一つになり、個人からサタンがいなくなり、思いどおりにできる平定時代なのです。 ですから、自分のいる地方に生まれたすべての人の中には、自分の先祖から、その国の忠臣烈士もいるはずであり、そこにおける宗教指導者や歴史的人物がいます。そして、宗教圏の人たちを中心として、彼らと共に自分の国の忠臣たちがいます。この宗教は、国家基準を超えるのです。世界的基準です。 彼らを中心として動員するのですが、その国の忠臣であった人や、自分の先祖はそこで生まれたので、善なる人を動員して、自分の一族を治める時が来たのです。そのようなことが起きます。今から、そのようなことをしなければなりません。 イエス様は、イスラエルの族長たちを糾合することができませんでした。そして、祭司長たちを糾合することができず、それから、平和大使を送ることができなかったのです。それらのこと、これをすべて一つにすることができます。この三つさえ立てれば、統一王国が可能な環境与件を、平和大使が、たとえ”動かすまい。”としても、動かさざるをえないのです。 自分の腹の中を考える人は、逃げてもかまいません。 三年もたたずに、はいつくばって痛哭し、後で入って来ても冷遇され、足で蹴飛ばされてしまいます。そのような時代の門の前に来たのです。今から救援時代が過ぎていきます。法的時代に入ってきたのです。分かりますね? (「はい。」) 真の父母は、超宗教をつくり、結合させて結婚させ、 国境撤廃をすることができます。宗教の“国境”が、 どれほど高いでしょうか? これを撤廃させることができるのです。 第一、第二イスラエル、ユダヤの国とキリスト教が怨讐関係ですが、この国境撤廃をすることができ、分かれた地獄と天上世界を、平和の王国にすることができるので、真の父母は、そこの王の中の王であるということを知らなければなりません。(拍手) それで、今年に入って、今から任命しなければなりません。仏教は、仏教に入って来た人たちを世界的に集めて、新しいアベル仏教徒をつくり、そこに、真の父母を中心として、地上に相対的主流をつくらなければなりません。そして、そこで一つにならなければならないのです。この競争時代に入ってきて、今年が重要です。分かりますか? イエス様は、三十四年間を生きることができませんでした。それを先生が米国に入って来て、千辛万苦の苦労をし、三十三年間を中心として、国を中心として、 族長と祭司長を一つにし、ローマに平和大使を送ることができなかったことを復帰する準備を、すべてしておきました。今から配置です。配置すればよいのです。 そして、神様がらっぱを吹かれて、太鼓をたたかれるので、願わない人は(霊界に)連れて行きます。先祖たちが、ほうっておかないというのです。それは、サタンが地獄に連れて行ったのと同じです。先祖は、間違ったことをする人がいれば、自分の子孫が、自分の一族が行く道を妨げるので、連れて行ってしまうのです。 そのような時代が来るので、そこに引っかからないように、統一の祝福を受けた家庭が、そのようなところに参加しないことを願って、きょう、「天一国」三年の元旦において、先生がみ言を語るのです。 ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのですが、 その服従の基準で、天地を創造される神様の絶対愛、 唯一愛、不変の愛、永遠の愛を中心として・・・・・・。 神様の心の中には、一心、一体という、そのような考えがあるので、喜びがあります。心と体が一つになれば、うれしいのです。そうすれば、皆さんの心と体に喜びが来ます。形容することができない……。喜んで東西南北、どこでも和合しようとするのです。 そして、堕落していない神様の本性の実体を見てみるとき、一心、一体、一念です。一念の「念」という字は、「今」という字の下に「心」です。それは、"いつも何を願うのか?”ということです。男性は女性を、女性は男性を願うのです。 愛の相対理想を中心として、投入して忘れることができる家庭になれば、その民族の中心となり、国と世界に対して、投入して忘れれば、世界の大統領となり、 すべてを相続することができる天の国の王になるのです。それは理論的な結果の実体なので、否定する道がないということを、きょう、はっきりと知らなければなりません。 そのような神様の一心、一体、一念の一和的な立場で・・・・・・。そして、「一和」です。今年、サッカーの(城南)一和チームが、すべて一等になりました。知っていますか? (「はい。」) 成してきたことを見ていない、というのです。先生がすることが、どれほど・・・・・・。財閥たちが、「ああ、統一教会は、お金もなく、お金があれば、お金で………………。」 と言いますが、それならば、やってみなさいというのです。そのようにする人は、逆さまに打ち込まれます。 分かりますか? 現在、ブラジルで、サッカー団ができました。「セーニ」と「ソロカバ」です。ブラジルのサッカー界においては、「レバレンド・ムーンが、ブラジル王国を占領してきた。」と、あらゆるあやしげなうわさが立ったというのです。有名です。 それで、「鮮文平和キングカップ」大会を、今年の七月十五日に行います。そして、オリンピック大会とサッカー界は、神様が願われるように、正しくコントロールしなければ、悪党たちによって、道義的な国民が、 完全にぼろぼろになっていくのです。それを見て、そのまま見過ごすことはできません。 ですから、体育界、芸術界、手を出すところは、どこでも世界のトップクラスです。言論界も、そうでしょう? 今では、言論界において、保守世界の王の立場に上がってきたというのです。分かりますか? (「はい。」) 先生が、独りでこのようなことを築いていくのに、 だれの同情も受けませんでした。「たたき出せ。」、「死んでしまえ。」と、言われましたが、その中で千辛万苦の苦労をして、勝利の覇権を築き、その上に立って万々世、太平聖代(優れた天子が治める太平の時代)、 天の王権を誇ることができるところまで来たのです。 そのような男が現れたということは、歴史の大変遷であり、大きな希望です。そのような大革命的な主体が登場したのだということを知って、喜んで迎える日には、国が生き、ヨーロッパならヨーロッパ、六大州が生き、地球が生きるのです。 そのような時には、自分の祖国と神様の祖国と故郷を訪ねて行って、千代、万代、太陽系を超えて、大宇宙世界まで関係を結ぶ主人の立場を相続するようになります。そうして、永遠不滅の神様の王子、王女として、天上世界の皇族圏の旗じるしを掲げ、永遠に神様とともに、触れ合い、見て、香りをかいで暮らすことができるのです。 神様に出会って、触れてみたいでしょう? 懐に抱かれて、一度、寝てみたいでしょう? そのような世界の経験がなくては、そのような世界に行くことはできません。文総裁は、そのような経験をすべて体験したので、天上にある秘密をすべて知っているのです。 今日、世の中が反対する中において、神様をはっきりと教えてあげ、天の国をはっきりと教えてあげています。そして、わたしは五大聖人たちに、「わたしを助けてください。」とは言いません。わたしが、彼らに頼むことはない、というのです。彼らが頼まなければならないのです。 ほうっておけば滅びるので、神様が、「やあ、やあ、 やあ、やあ。あなた(サタン)は、文総裁がどのようなかたか、知っているのか? 調べてみなさい。」と、 言われるのです。サタンにまでも、「赦しを受けなさい。」 と、おっしゃるのです。 神様は、真の愛であられます。神様が、「文総裁が、 終わりの日になって、制裁の法を持って来れば、(サタンの)頭の皮をはぎ、四肢五体を、はげわしの餌として飛ばしてしまわなければならないが、わたしは、あなた(サタン―ルーシェル)を創ったので、今も、創ったときの苦労を思って、愛する心がある。しかし、 悔い改めなくして、赦しを得ることはできない。それゆえに、その時が来る前に、早く、早く悔い改めるのが良い。」と、おっしゃるので、(サタンが)屈伏するのです。 そして、サタンが屈伏した日が、いつであるというのですか? 何日ですか? (「一九九九年三月二十一日です。」)何年の三月二十一日ですか? (「一九九九年度です。」)一九九九年……。(「三月二十一日です。」) 三月二十一日です。三月二十一日は、何数ですか? 六数でしょう 今から天下が、最後のベールを脱がされるのです。 地獄撤廃、楽園撤廃、天国の四方に、だれでも・・・・・・。 第一イスラエル、第二イスラエルを誇ってはいけません。万国万民、第三イスラエル圏が特許権を与えて、 自由に四方の門を開き、だれもが同参することができる平準化時代になりました。 そのような、神様の愛の保護圏に入って行くことができる驚くべき時代を台無しにせず、保護を受けて、 よりりっぱになり、統一教会に入って来て成功する皆さんとなることを願います。そうして、天上世界を相続し、一族と、自分の一国の永遠の功臣となることを願いながら・・・・・・。分かりますね? (「はい。」)(拍手) 一心、一体、一念、一和となった、そのような心を持った、神様の相対が現れていません。そして、真の愛の相対、真の愛、真の生命、真の血統、それから何ですか? (「真の家庭です。」) 真の家庭の中に、すべて入っています。神様は、お父様であられると同時に、家族であられると同時に、 そのような真の家庭が、国の根本なのです。そのようになれば、神様が願われる祖国光復、故郷光復は、自動的に解決されます。「アーメン。」ではありません。 万々世の地上、天上天国の太平聖代の世界に前進するのです。 解放の王子の喜びの万歳を叫ぶことができるその日が、統一教会において芽生えているという事実を知らなければなりません。そうして、芽が出て、花が咲いて、実を結ぶことができるようになれば、天地をすべて満たすことができるのです。 神様が、千年、万年、祝宴をされることができる実を倉庫に入れておいたので、国同士が誇り、国民が誇ることのできる時代が待っているその場において、同参者となることを切に願います。きょうが、追憶の記念日となることを願いながら、先生のみ言を終わります。これは重要な話です。(拍手)【中古】 原理講論 三色刷 第4版 / 世界基督教統一神霊協会 / 光言社 [単行本]【宅配便出荷】【中古】 原理講論
2025.06.16
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真のご父母様の御言天一国三年(二〇〇三年)一月一日、韓国・天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿第三十六回「真の神の日」記念礼拝の御言(No.1/2) このみ言は、今年一月一日、天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で行われた第三十六回「真の神の日」記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理したものです。(文責・編集部) (「訓読会」で)深刻なみ言をたくさん聞いたので、 今、骨髄まで酔いしれて、新しく器をつくるのにふさわしい時間になりましたが、わたしは、それ以上の話を、どのようにするのかということを恐れながら、この場に立ちました。 それでも、もっとみ言を語ってあげることを望むのですか? (「はい。」)何を話すようにというのですか? 統一教会に初めて来た人たちでも、天理の大道であるみ旨が、どのように帰結するのかということを輪郭的に知ることができる基盤が準備されました。そのことを、だれもが理解できるようになったのです。 一番の問題は何かというと、神様がお父様であられるということを知らないことです。それが問題です。 そのお父様が暮らされる世界を知らないことが問題です。 なぜ、そのようになったのでしょうか? 堕落のためです。これを復帰して、再び取り戻すためには、再創造過程を経なければなりません。そして、統一教会においては、復帰の前に創造原理があります。ブログラム、計画のようなものが本然の基準であったのですが、堕落したので・・・・・・。 堕落したところには、必ず蕩減復帰があります。そのままでは、復帰することはできません。落ちて行ったので、はしごを架けるか、縄をつるすかして、昇って来なければなりません。そのようなことをして、何十倍以上の苦労をしなければ、本然の基準に昇って来る道理はありません。そのような蕩減復帰というものを知らないのです。 今まで宗教世界では、信じれば、それがすべて恩賜になると思っていました。それは、とんでもないことです。そのように簡単であれば、このような長い歴史を必要としませんでした。歴史を見ても、ユダヤ教を経て、今のキリスト教までを合わせれば六千年の歴史と言われますが、六千年もかかりません。六年もかかりません。 そのように簡単で便利な、行くべき本然の天道があったのですが、その天道を知らないのです。なぜでしょうか? 堕落したからです。 堕落することによって、何が分からなくなったのでしょうか? 神様が、私たちのお父様であられるということが、分からなくなりました。また、神様のものとなる家庭とは、どのような家庭であるのかということが分からなくなったのです。 それから、神様が家庭を拡大させられて、天の国をつくりあげようとされたということが分からなくなりました。いちばん重要なことが、すべて分からなくなったのです。 この地上の人間たちは、アダムとエバが堕落していなければ、神様がお父様であられるということを、はっきりと知るようになっていたのです。分かりますか? 堕落していないアダムとエバは、神様の家庭の主人になり、神様に触れてみることができ、神様と相談することができ、神様と”同苦同楽”の生活を送り、"同苦同楽”の生活だけではなく、相続まですることができました。彼らは、そのような国の主人であられる神様の代身者の立場に立つはずであったのですが、それをすべて失ってしまったのです。 どのようにして失ってしまったのでしょうか? それは、偽りの父母によってです。サタンが偽りの父母になったのです。そのように、神様が創造された理想世界圏内に、知らないうちに偽りの父母が生じたという事実を知っている人は、一人もいません。 神様は、それを知らせるために、数多くの宗教を立てられて精誠を尽くすようにさせ、修養の道を経ていくようにさせられて、たとえ一身を犠牲にすることがあったとしても、修養を通して、そのようなことを解明することができるようにさせられたのです。 そのような目的のために、数多くの宗教があったのですが、根本を解明して、神様が天地創造の主人であられるということと同時に、神様が、わたしたち人間の真なる父母であられるということ、神様と人間の関係が父子の関係であるという話をすることができませんでした。 父子の関係というものは必ず、愛と、父と母の生命体が絡み合って渦を巻く、その中に種がまかれ、それが血統を通して結束されることによって生じるのです。 そうでなければ、父子の関係はありません。分かりますか? 簡単に言えば、そういうことです。 今まで、父子の関係が、神様を中心として、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統を通して、切っても切れない父子の因縁として結ばれたものであるということを知りませんでした。 また、人間が、神様にとって骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、神様の生活圏内において、寸時たりとも別れることができない絶対唯一の一体圏を持った存在であるということを、だれも知らなかったのです。 今まで、天上に行っているイエス様をはじめとする五大聖人、宗教圏の文化世界において貢献した、傑出したといわれるすべての忠臣烈士たちが大勢いたとしても、その人たちの中で、神様が、本当に自分のお父様であられるということを知って侍って暮らした人は、 多くはありませんでした。それが宿題です。分かりますすか? (「はい。」) 神様がお父様であられるということを知らず、神様がお父様であられるのに、その息子、娘、神様の真の愛と真の生命……。 生命は、父と母の生命が結託したものです。父と母の生命を一つに結んだのは、真の愛以外にはありません。母だけが、ために生きるのではありません。父だけが、ために生きるのではありません。お互いに、自分の生命、すべてを投入したとしても、もっと”ために生きたい。”と、思うのです。 そのような、無限大の宇宙世界の何千、何万倍も大きな大宇宙圏まで連結することができる創造の余力を持たれた神様です。何をもって、そのようにすることができるのでしょうか? 真の愛です。真の愛が、そのようにするのですが、真の愛の対象が願えば・・・・・・。 皆さんも、そうではないですか? 子女が願えば、 一生の間、そのことを成してあげるために、あらゆる苦労をし尽くしてあげるのではないですか? そして、親は、そのことを「成した。」と、言うことができる立場で、その礼物を子女の誕生日や、祝いの日に持って行ってあげるのですが、そのようにしてあげながらも、不足さを感じるというのが、親の心です。 堕落する前までに創られていた、その「天国」と言いうる所は、アダム家庭を中心として、神様と暮らすことができる環境ではありません。アダムの一族と、 アダムの国と、それを無限な人類まで拡大した環境に同参することのできる、そのような理想世界は、まだ現れていません。 永遠に再創造することができる能力を持っていらっしゃる神様が、”私”のお父様であられるということは、 気分が良いですか、悪いですか? (「良いです。」) 神様が、“私”のお父様でいらっしゃるので、その “私”のお父様の足にも触れてみることができ、手にも触れてみることができ、体にある五官だけではなく、 内的な五官、十官をすべて見ることができるのです。 そして、”お父様も、このように呼吸され、お父様も、 このように動かれるのだなあ”と感じ、お父様の目が一つになって……。 内外が、一つになっています。縦的にも一つになっています。上下、前後、左右、すべてが一つになり、 球形を備えています。目も球形になっています。この頭も、球形になっているでしょう? 人間の体の中で、球形をしている大きな型が何かというと、この頭です。わたしたちの頭の中には、五感が、すべて入っています。視覚、嗅覚、聴覚、味覚、 それから触覚です。すべて入っているのです。 思想というものは、何でしょうか? ”思想とは何か?”ということです。「思」という字は、「田」の下に「心」と書きます。「田」というのは天地を表し、そこで心で考えるというのです。 「想」という字は、「相」の下に「心」ですが、これが何かというと、「木」の枝の「目」です。複雑です。 いくら複雑であるとしても、その種の区別というものは、徹底しています。 榛(はん)の木は、万年たっても榛の木であって、榛の木が、 ポブラの木になることはできません。それが成されるためには、愛の行く道が変わらなければなりません。 また、鉱物界でも、ブラスイオンとマイナスイオンが一つになります。それは、愛のために生まれたのです。植物にも、雄しべと雌しべがありますが、それも愛のためです。動物にも雄と雌がありますが、それは何のためですか? 愛のためです。 神様も、そうです。神様が、アダムとエバを創られたのは、何のためですか? 神様は、お金はいくらでもつくることができます。知識も、いくらでもあります。神様は、知識の大王であり、創造の大王であり、 権力の大王であられます。 そのような神様が必要とされるものは、何でしょうか? 神様が創造のみ業をされた最終的な目的は、何でしょうか? 愛の理想を安着させることです。言ってみてください。愛の理想の安着である。(「愛の理想の安着である。」) 安着しようとすれば、神様と”私”が、愛によって離れることができず、生命によって離れることができず、血統によって離れることができず、家庭によって離れることができないようにならなければなりません。 そのようになってこそ、家庭において、今日、統一教会で言うところの四位基台ができるのです。 そこには、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、自分たち夫婦を中心として息子、娘がいます。 この数が、一、二、三、四、五、六、七、八です。アダム家庭でも八であり、ノア家庭でも八です。八数が問題になっていくのです。八人の心を合わせることができなければなりません。 八人を超えて、イエス様には十二弟子です。人間のタイプの数は、十二種類でしょう? 春夏秋冬です。そうでしょう? それに合わせなければなりません。天理が、そうです。それを軌道として回るところには、 千年、万年、変化がありません。 皆さん。地球は、太陽系内を回っていますが、その地球の年齢は、四十五億年から四十七億年といわれています。四十五億年間、そのように回っていく中で、 正常な周期が、一年に一秒ずつだげでも食い違っていったならば、どうなるでしょうか? それは、四十五億年の間には百四十三年もずれるのです。計算してみてください。百四十三年もずれるのですから、そのようなことがあれば、全宇宙が完全に壊れていってしまいます。 それでは、それは何のために、そのように秩序整然と運行し、絶対、唯一、不変、永遠なものとなっているのでしょうか? 愛のためです。それらも、すべて主体と対象の関係において授け受けしています。このすべての宇宙は、円形に似ています。分かりますか? それゆえに、わたしたちの家庭、統一教会の驚くべきことは何かというと、”家庭の核は何か?”ということについて明らかにしているということです。それは父子関係です。上下関係です。その次は左右関係、その次は前後関係です。左右関係は夫婦関係であり、前後関係は兄弟関係です。上、中、下です。その“中” は何かというと、父母です。 その次は左、中、右、これが父母になるのです。兄弟も、そうです。前、中、後、これが何になるのですか? 家庭になるのではないですか? すべて目的とするものは、一つです。ですから、上下一体、左右一体、前後一体です。一体的な思想を持ったものは、父 東洋思想は、兄弟関係を知りません。(儒教思想では、)「父子有親」、「君臣有義」、「夫婦有別」、「長幼有序」、 「朋友有信」と、「三綱五倫」を中心として三大本筋を言っていても、そのことを知らずに生きています。 上下が一つにならなければならず、夫婦が一つにならなければならず、兄弟が一つにならなければなりません。霊界に行けば、そうです。分ければ三人ですが、 一緒に一つになれば、三人が一か所に集まっているのです。母も見え、息子も見えます。それを広げれば、 三人です。分かりますか? ですから、その三人がいるので、調和が生じるのです。二人の間では、調和が生じません。直線とは、何ですか? 二つの存在を連結させるものです。それは、 調和がありません。無限延長です。ですから、三点が必要なのです。分かりますか? この目を見てみれば、三角形になっています。口は三角形です。人を中心として、万物世界は三角形です。 この腹中世界の型が口であり、鼻は、空中世界を表します。腹中世界で生きている時は、耳、鼻、口,目, この三男は、すべて必要ありません。おなかの中で、へその緒を通して酸素を吸い、栄養素を受けて動くのです。 それで、歯も十六プラス十六で、三十二です。四掛ける八で、三十二です。これ(鼻)を中心として、ここ(鼻)からこのように(三角形になっており)、これ (顔の下半分)が一組であり、ここからこのように(逆三角形になった顔の上半分が) 一組なのですが、その中間が何かというと、目です。神様の目、アダムの目です。 腹中世界は、鼻(で息をする地上)の世界のために、 そこで動くように備えるために・・・・・・。赤ん坊が生まれるときは、子宮に別れを告げ、産道を通って出て来てから、へその緒を切るのです。そこで、「おぎゃあ。」 と泣くときに、空気を吸うようになっているのですが、 それで母親のお乳を飲むようになるのです。 生まれて来るときは、圧縮されて出て来ます。狭い穴で圧縮されたものが、出てくるや否や広がって、激しく息をするために、「おぎゃあ!」と、泣くのです。 そして、鼻が開くようになり、鼻が開いた後にお乳を求めていくのです。だれが「お乳を飲むな。」と言おうとも、探し求めて飲むというのです。それは、神秘的なことです。 このようにして地上で生きるのですが、この鼻は、 アダムとエバを表します。鼻をつまんで、息を「ぶっ。」 と、吹き出せば、目、口、耳、通じない所がありません。すべての細胞も通じるというのです。それは、なぜでしょうか? すべてが、相対的関係を備えているからです。 天地の中心が何かというと、神様(だけ)ではありません。主体が中心なのですが、主体(だけ)が中心であるならば、独りで愛の理想を成すことができることになります。今日の既成教会の神学の根本を見てみれば、「創造主と被造物は、共にいることはできない。」 と言っています。ですから、闘争が起きて、平和の世界は永遠に来ないのです。しかし、統一教会は、違います。 創造主自体が、絶対に必要とするものは、何でしょうか? 愛の王になるためには、自分独りでは、永遠に愛の王になることができません。平和の王になることができません。幸福の王になることができません。 自由の王になることができません。 独りで自由ですか? 女性にとって、完全に自由になることができるのは、愛を中心とした夫のゆえであり、女性にとって「幸福」という言葉は、愛を中心とした言葉であり、女性にとって「平和」という言葉も、 男性を前提として言う言葉なのです。 そのようにすることができる相対的関係を備えて、 その対象によって、主体的存在が主人の位置に訪ねて行くことができるということが、天地万象において成されているのです。ですから、存在するものの中で、 自分のために生まれたものは一つもありません。分かりますか? (「はい。」) この男性と女性・・・・・・。「人」といえば、男性と女性の二種類です。男性が、なぜ生まれたのでしょうか? 男性たちは、「男性のために生まれた。」と言い、女性は「女性のために生まれた。」と言えば、それが、どのようにして一つになるというのですか? ここで問題になります。 ですから、自為的、自分のために生きる立場は、天理を破壊するのです。他為的なのです。このような歴史の根本をわきまえることができなければなりません。 アダムというのは何かというと、アダムが、自分という主体を中心として、主体的立場を立てて行動していくと、相対圏を成しても落ちてしまいます。落ちていくのです。 何度も引っ張ればなくなるので、落ちるようになっています。反対に、何度も加えれば大きくなるので、 上がっていくようになっているのです。このことを知らなければなりません。公的な人は善に属するのであり、私的な人は、地獄に属し、サタンに属します。 ですから、サタンとは何でしょうか? 個人主義の大王です。個人主義です。この中で、個人主義が好きな人は、手を挙げてみてください。いませんか? (「はい。」)本当ですか? 昼食で、同じおかずを用意してあげても、少しでもおいしいものがあれば、他の人が食べようと食べまいと、はしやスプーンが、他の人よりも、たくさんそこに行く者は、その食卓にいて”悪者”となるのです。分かりますか?(「はい。」) 善なる人は、すべて、目上の人が召し上がられるようにして、残った物を食べながらありがたく思うのです。そのような人は、その主人を食べさせることができる人になるのです。分かりますか? 大きな祝宴に行けば、そこの主人は、落ちた残りかすばかりを食べるのですが、その主人に食べさせてあげることができる人になるのです。 それは、どういうことかというと、よりために生きる人は、大きくなり、中心存在になるということです。 このことを、今日の世界、現代の若い人たちは知りません。「わたしのために生きなさい。」と、言って、世の中の万事がうまくいくと思っています。とんでもないことです。 百人の友人がいるとすれば、その百人の中で、「わたしのために生きなさい。」と、三回以上言えば、全員が分かれていくのです。天理とは、そうです。朝になり、 夕になれば、夜が訪れてきます。ですから、「わたしのために生きなさい。」と、三回言えば、四回目には、 皆、嫌うというのです。夜になる、ということです。分かれるようになります。 よりために生き、十年間、一生の間、ために生きて、 もっとために生きようという友人がいれば、百人の中で、他のすべての人が逃げて行ったとしても、一人残ったその人は、自分の友人の中の友人となり、百人の中心者のように侍って暮らすようになるのです。 さあ、根本を尋ね求めて、「神様はいるのか、いないのか?」という問題です。神様は、なぜ生まれたのでしょうか? それが問題です。神様は、生まれたのでしょうか、一度に神様になったのでしょうか? どちらですか? 神様は、「自存者」であるとか、「永遠な存在」といわれますが、神様も成長されたのです。何を中心としてでしょうか? 主体と対象の愛を中心として、です。 愛が生まれ始めた本質が、何であるのかというと、 愛そのものです。その愛の脈というものは、限りなく小さな所から限りなく大きな所まで、すべて包括するのであり、それ以上の世界までも同化させることができる能力を持ったものが、真の愛の神様であられるということになります。 神様は、愛をもって宇宙創造を起こされたのであって、力によってではありません。先ほども話しましたが、太陽系での地球の公転周期が、本来の周期から一年に一秒ずつ食い違えば、四十五億年の地球の歴史の間に、そのずれは百四十三年にもなるのです。そのようになれば、世界がすべて壊れてしまうはずです。 ところが、愛を中心として創られた世界であるならば、愛の伝統的内容が、十年間や百年間で一秒も食い違うことのない、そのような伝統軌道を走って行かなければなりません。そのような家庭にならなければならず、国にならなければなりません。そのような皆さんの幸福、自由、平和の王子にならなければならないのです。 しかし、そのようになっていないのではないですか? それは、なぜでしょうか? 堕落のためです。 ですから、堕落ということを知らなければなりません。 堕落とは、何でしょうか? 自分のために、自為的な観を持って……。 愛は、宇宙全体のための愛なのですが、堕落とは、 この方向を変えて、自分の方に折り曲げたということです。百八十度、反対の道に落ちていくようにしたのです。そのようにして、自為的な愛を見いだしたのですが、神様は、他為的な相対・・・・・・。 愛がいくら絶対的であったとしても、絶対的愛の相対が、自分を最高の愛の主人にしてくれるのです。ですから、親が親となることができる資格というのは、 親自身がつくるのではありません。いくら美男美女であっても、男女がいくら死ぬほど愛し合ったとしても、 それで親になることはできません。 親というのは、赤ん坊が、「えんえん。」と、泣きながら目の前に現れることによって、その赤ん坊を見る瞬間、親の愛の主人の位置を見いだすのです。赤ん坊自身は何も分からないのですが、赤ん坊が、親を愛の主人の位置に立ててくれるのです。ですから、「赤ん坊が、親を”子女を愛することのできる主人の立場”にしてくれる。」ということです。 それゆえに、存在するための先有条件が何であるのかということを知らなければなりません。神様が男性を創造されるときには、まず、女性を先有条件として創造されたのです。そうして、“上”を創るときには"下”を先有条件とし、”右側”を考えるときには“左側”を先有条件とし、男性を考えるときには女性のことを先に考え……。 すべてが、そうです。絶対的な神様がいらっしゃるとすれば、相対的に、限りなく小さな世界に、そのような相対的存在を先に認めてから、「絶対」という言葉も成立するということです。 このように考えるとき、自分のために生まれた存在は、一つもありません。”ある。”という人は、手を挙げてください。それが問題です。 わたし、文総裁自身が、自分のために生まれたのではありません。 「文総裁、あなたは、世の中を救うことができる救世主になる。宗教圏を一つにすることができるメシヤになる。」 「選民の国が、第一、第二、第三イスラエルに分かれて闘うのを一つにすることができる「平和と統一の王」になる。」 「地上、天上天国と地獄が分かれているが、天上世界と地上世界を一つにすることができる創造理想の実体に代わりうる真の父母となる。」 文総裁は、このように言われるのですが、それでは、 真の父母とは、一体、何でしょうか? 真の父母というものは、国家を超国家的に一つにすることができる力を持ったかたです。また、超宗教的に一つにすることができる平和と統一の力を持っています。 それから、第一イスラエルと第二イスラエル、ユダヤ教とキリスト教が、統一教会と怨讐になっていますが、それに平和と統一をもたらすことができる力を持ったかたです。 また、天と地獄が千万に分かれていたとしても、これを一つにすることができる平和の王であり、統一の王が、真の父母であったのです。このことを知らなければなりません。(拍手) それでは、真の父母が必要になった動機は、どこにあるのでしょうか? 偽りの父母が生まれたからです。分かりますか? 「真」という言葉は、偽りを前提として言う言葉です。ですから、真の父母が必要であるということは、偽りの父母が生まれたからです。 偽りの父母が生まれることによって、心と体の闘い、 男性と女性の闘い、氏族間の闘い、民族、国家、世界、 天宙が戦場になっているというのが、実情です。 これを一つにするための存在が、真の父母なのですが、真の父母が持ってくる武器とは、何でしょうか? (「真の愛です。」) 文総裁が話しが上手であるからといって、言葉で統一するのではありません。いくら話しが上手でも、それで人をごまかすことはできません。良心的な人は、 だましたりすれば、すぐに分かります。三日もたたずに、荷物をまとめて逃げて行きます。心が好む所に行き、また、体は、心の好む所に引かれて行くのです。 昔、酒を飲んで行楽の場にいた人たちが、統一教会のみ言を聞くと、酒場に行っても、それを唾棄(だき)し、賭博場に行っても、それを唾棄し、吸っていたたばこも、 指が開いたままになって、それを挟めなくなったりするのです。そのような、ありとあらゆる逸話がたくさんあります。そのような力があるのです。分かりますか? 真の父母は、何かというと・・・・・・。統一教会のレバレンド・ムーンは、この終末に何をつくったのかというと、超宗教連合をつくりました。それから、超国家連合をつくりました。それから、超NGO(非政府組織) 連合をつくりました。 また、神様を中心として、霊界にいるすべての聖賢賢哲たちが「決議文」を採択したのです。そうして、 あらゆる種がまかれて、ばらばらになっている地上の複雑な現象に対して、統一的な一つの主流世界をつくりました。 ですから、地上の人たちが、その相対的な立場で決意をすることによって、一つの主流思想圏内に入って行くことができ、分かれた地上地獄や、天上にある楽園まで一つにして解放することができるのです。このようなことをしなければならないのが、真の父母の使命です。分かりますか? (「はい。」)分かりますか? それでは、偽りの父母は、何をもって、すべてを分けてしまったのでしょうか? お金ですか? 知識ですか? 権力ですか? でたらめはやめなさい、というのです。それは、偽りの愛です。 偽りの中で、愛を中心として滅ぼしてしまったのが、 神様にとっての姦夫です。サタンは、万国が歓迎することができ、自由と平和と幸福が宿ることのできる安息の基盤となる天理の大道を、引っ繰り返してしまったのです。自己中心的な、自為的な行動によって、すべてを引っ張り込もうとするところから、問題が起きるのです。 そして、サタンとは何かというと、個人主義の王です。 分かりますか? (「はい。」) サタンが何であるというのですか? (「個人主義の王です。」)サタンは、"自分を先に考える主義”の出発をなした主人公です。 お父さん、お母さんがいて、お兄さん、お姉さんがいるのですが、そこに入って行って、お父さん、お母さんよりも、お兄さん、お姉さんよりも、まず自分を考えるのです。 自己中心的に、すべてを自分の思いどおりにしようというのは、サタンです。この者たちは、激しくたたいて、殻をはぎ取ってでも、是正しなければなりません。法的に、すべて治めることのできる道があるので 今日、米国は渾沌としています。離婚問題を解決するうえにおいて・・・・・・。離婚すれば、ほとんどの場合、 息子、娘を妻に与えるようになっているのです。憲法を通して、女性が絶対に赤ん坊を連れて行くことができないように決定さえすれば、三分の二は離婚がなくなります。今、米国では、フリーセックスによって赤ん坊を生み、ごみ箱に捨てる人が、何万人にもなるということを知っていますか? 自分が好きでもないサタン世界の人と愛し合い、それが、ちょうど排卵期に当たって妊娠したといって、 それで、昼も夜も立ち行かず、ありとあらゆる苦心の末に堕胎したり、産み落とすや否や、ごみ箱に放り込んで逃げて行く人が、どれほど多いことでしょうか? これは、すべて偽りの愛によって引き起こされる災いです。ですから、これらのことをすべて是正するために来られる真の父母は、超宗教・・・・・・。ありとあらゆる、すべての宗教を一つにしなければなりません。29 Family 2003.3 <2/2に続く>tomy4509からは原理講論(第5版)も出ていますが、(第4版)がお薦めです。巻末に「索引」がおまけであります。【中古】 原理講論 三色刷 第4版 / 世界基督教統一神霊協会 / 光言社 [単行本]【宅配便出荷】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.15
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第四十三回「真の子女の日」記念礼拝の御言 去る十一月五日(陰暦十月一日)、第四十三回「真の子女の日」の記念行事が、韓国・京畿道九里市水澤洞にある中央修練院で行われ、午前七時から敬礼式、同九時からは記念礼拝が行われました。 記念礼拝では、真のお父様のみ言に先だって、郭錠煥会長によって、一九九九年十一月八日の第四十回「真の子女の日」記念礼拝のみ言と、第九回「(真の)子女の日」の祈祷が訓読されました。 以下のみ言は、その後、真のお父様が約一時間半にわたって語られたみ言を翻訳し、編集、整理したものです。(文責・編集部) きょうの「(真の)子女の日」の「訓読会」は、いつのみ言ですか? (「第四十回『真の子女の日』のみ言です。」)第四十回「真の子女の日」のみ言なので、何年のときになりますか? (「一九九九年です。」)九九年ですか? 重要なみ言です。 時が近づいてくるので、世界のトップクラスの人々をすべて収拾して、“神様の願いと目的を、どのようにして成し遂げるのか?”という問題に関して、全般的に発表したのですが、その内容を、今、訓読しているという事実は、驚くべきことです。 郭錠煥氏に、「『訓読会』で、このようなみ言を読みなさい。」と、話してもいなかったのに、この今の時にぴたっと合うみ言を……。そのみ言を忘れないように願います。分かりますか? (「はい。」) 今年の十月以降に、わたしたちが行った行事は、天宙史的な新しい天地開闢の歴史を立てたものであるということを、皆さんは知らなければなりません。そのときの時代において語ったみ言というものは、「あなたがたは、まず神の国とその義を求めなさい。」というみ言です。すべての人類の願いが、その国とその義なのです。 その国とは、どのような国でしょうか? 神様の国です。わたしたちの父が願われる国です。義というものは、何でしょうか? そのみ旨の内容です。それでは、そのみ旨の内容とは、何でしょうか? 人類は、神様が父であられるということを知りません。人類(人間)が堕落することによって、父を失ってしまったということを知らないのです。孤児の立場にいるのに、父を訪ねて行くことができません。それは、なぜでしょうか? ですから、父に関する内容を教えてあげなければならず、父と共に暮らすことができる家庭と、父と共に暮らすことができる家庭を通して、父の国を定着させなければならないというのが、み旨なのです。分かりますか? 「み旨」と言えば、神様がわたしたちの父であられ、神様がわたしたちの家庭にいらっしゃり、「神様の国は、私の国である。」と言うことができるということが、み旨の中心です。 このような内容を、すべて備えなければならないということを宣布しなければならないのですが、それを宣布する最後の大会が、十月二十日の大会です。鮮文大学で行った大会です。 その大会の題目が何であったのかというと、「天上・地上和合統一大会」です。霊界が天上世界なので、「天上・地上和合統一大会」です。天上は「天の国」であり、地上は「地の国」なのですが、その二つの国が和合して一つになる大会です。 その大会をどのようにして、だれがするのかといえば、神様だけがなさることができ、真の父母だけがすることができるのです。堕落した世の中の人類は、いくら有能であるとしても、そのことを知らないので、することができません。神様と真のご父母様は、そのことを知っているがゆえに、そのような大会をしたのです。分かりますか? (「はい。」)そのことをはっきりと知らなければなりません。 そして、その大会の終了とともに、何をしたのでしょうか? 「天宙平和統一……」、それは、「天上・地上平和統一」ということです。それに続くのは、何ですか? (「『解放聖火式』です。」)「解放聖火式」です。 これは、最後の式です。全天地を広げて、サタン世界に残されたすべてのものを、天上・地上、天宙平和統一するための解放的聖火式なのです。“解放”というのは、“天宙全体が解放される式”ということなのですが、その式がどのような式であるのかというと、“神聖な聖火で燃やしてしまう式”ということです。分かりますか? (「はい。」) 旧約時代にも、そのようなことはできませんでした。新約時代にも、そのようなことはできませんでした。成約時代を迎えて、初めてこの十月に……。「天一国」二年を迎えて、(その二数というのは、三数における)中心部ということです。中心の年です。 ですから、二年目を迎えたその十月というものは、全歴史のすべてのものを整備して越えていかなければならない時なのです。それで、この時のために、先生が早急に、忙しく準備してきたという事実を知らなければなりません。 そして、「天上・地上和合統一大会」をしたので、一つになるのです。一つになって何をするのかといえば、神様と天地父母が一つになって、霊界にいる祝福を受けたすべての家庭を……。 それらは、祝福を受けた家庭です。天使長の体になったのが、わたしたちの先祖であったので、それを解放するためには、祝福をしてあげなければなりません。そのようにしなければ、地上に来る道理がないのです。 地上に来て、真の父母に侍ることができるのですが、侍るうえでの条件は何かというと、兄であった人が弟にならなければならないということです。 それで、そのようにして入れ替わる基準を中心として見るときに、天と地が完成することのできる中心が地上にあるので、そのようになるということを皆さんは知らなければなりません。 大歴史、数千万年という創世以降の歴史の中に生きていた人々が皆、霊界に行って、そこにとどまっているのですが、霊界に行って、そこにとどまっているその人たちが、所願成就を成し遂げることはできません。 彼らは、天国と神様と関係を結ぶことができないので、待ち続けてきたのです。その待ち続けた所願を成就するためには、神様とサタンとの間の闘争を解消しなければなりません。分かりますか? (「はい。」)その場合、どのようにして神様とサタンとの間の闘争を止め、和解させるのでしょうか? また、その闘争から解放された神様とサタンが要求するものは、何でしょうか? 神様は、神様の国を取り戻さなければならず、サタンは、自分自身を取り戻さなければなりません。そうして、すべてのものから解放された……。 闘争から解放されるということは、神様の本然の国、創造理想的な国を取り戻すということです。また、サタンが堕落して、カインが兄の立場で非合法的にアベルを殺し、戦争によってこの地上に血を流すようにさせ、宗教圏を犠牲にしてきたのですが、そのすべてのことを赦してあげなければなりません。 そうして、彼らが血を流さずに順応することができ、闘争することなく、神様の後ろについて入っていくことができるようにならなければなりません。そうすることによって、神様とサタンが和解すれば、カインとして人類自体も和解するのです。 宗教圏がアベルの立場であるならば、非宗教圏はカインの立場であるので、カインとアベルが一つにならなければなりません。分かりますか? (「はい。」)神様とサタンの関係も、サタンがカインの立場であるならば、神様がアベルの立場であられます。 その天上世界の神様を中心として、サタンが反対して闘ったのですが、そのことによって、アベル的神様に対して、霊界のすべての人々が不順応であったのです。その霊界のすべての人々が、順応する立場に立つ機運をつくることができるようになることによって、闘争が終わり、一つになることができるのです。 その終わるべき闘争は、霊界で始まったのではなく、地上で始まり、霊界に行って実を結んだので、根本となる地上に再臨して、これを解放しなければなりません。 宗教圏と国家圏は、アベルとカインの関係です。今まで、宗教圏が政治圏から犠牲を被ってきたすべてのこと、血を流したすべてのことを取り除き、宗教圏がアベルとなって、怨讐である兄(国家圏)を愛して、神様の懐、真の父母の懐に案内しなければなりません。そうすることによって、逆さまになった世の中が、元どおりになるのです。 闘争の相手が横に立てば、対等なことを主張するのですが、その立場を離れて兄弟の関係となり、そのようにして兄と弟、主体と対象の立場を整備したのです。ですから、本然の堕落していないエデンの園において、アダムが主体であったものを、サタンは、今まですべて引っ繰り返してきたのですが、今では、そのサタンが順応して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従するようになるのです。 そのようになることによって、サタン世界においても、弟が兄の立場に立つことによって、カインとアベルの戦場がなくなり、解放された天上世界と地上世界をもたらすことができるというのが、摂理歴史観です。分かりますか? (「はい。」)何と言いましたか? (「摂理歴史観です。」)摂理歴史観です。 今日、人類世界において、いくら名立たる歴史学者であろうとも、その摂理歴史観を知りません。彼らは自分の国の歴史(観)を知り、人類歴史が闘争を繰り返して続いてきた歴史であるということは知っていても、神様が願われる、闘争のない“統一された場”における歴史観は知りません。 摂理史観的な立場で見るときに、歴史はどのように流れているのでしょうか? 個人、家庭、氏族、民族、国家というように、すべての形態のカインの発展を収拾していきながら流れていくのです。 そうして、兄の立場と弟の立場を確定し、父母に対して孝行の道を行き、神様と天地父母を中心として真なる息子、娘となって、エデンにおける家庭形態を、世界舞台において完成させていくのですが、そのようにして、真の父母に従って、天国に共に入って行くことができるのです。 ですから、霊界に行っている祝福家庭も、地上での祝福のように、真のご父母様が(霊界に)行くようになるときには、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭と、氏族的家庭をすべて編成しなければなりません。 そして、その編成した氏族だけでは行くことができないので、これを民族に接ぎ木し、民族は国家、国家は世界、世界は天地に接ぎ木して、一つの国の形態を持って直行することができる道を編成しなければならないのです。 そのすべてのことについて、地上において和合統一的な方向を整えてあげようとするので、解放的な宣言をしなければなりません。その宣言は、神様が願われる宣言です。 サタンも、堕落した後に、恨を抱いて反対してきましたが、本心においては、堕落したことを恨みに思っているのです。 そのようなサタンの恨や人類先祖の恨、人間の恨をすべて解消し、平和の平面的世界において天上世界の秩序を立て、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様までの八段階の秩序の完成形態を、真の父母によって立ててあげなければなりません。 そうすることによって、そこに対象的な横的個人、家庭、氏族、民族が、初めて相対的基準において一致するのです。天地父母、無形の父母であられる神様と、実体の父母の愛を中心として、家庭的愛の出発形態を拡大したものが、世界理想です。 その世界理想の基準で包括し、抱き、一つの家庭形態として結論づけることができるようになるときに、天宙解放の世界に向かって地上、天上天国が解放され、地上から天の国に直行することができる道が開かれるようになるのです。(「アーメン。」) このような内容を成し遂げることが、神様と真のご父母様の使命です。神様には創造の責任があり、アダムには堕落の責任があります。 堕落とは何かというと、家庭破綻であり、さらに国家、世界、全宇宙まで滅ぼすことができる破綻です。偽りの父母が、このようにしたのです。 偽りの父母の王がサタン世界に生まれ、その偽りの父母と一つになって神様を追放したのですが、政治世界は、神様が願われる世界を滅ぼすために、今まで宗教圏を犠牲にしてきました。これが引っ繰り返ったのです。分かりますか? (「はい。」) それで、今、超宗教運動、超国家運動、超NGO(非政府組織)運動を行い、(今までの)秩序が引っ繰り返ったものを、順次、方向を立てて、天と地が統一された解放の結果に合わせて……。 合わせるのは、霊界で合わせるのではなく、地上で合わせて、すべてのものを解放し、越えていかなければなりません。越えていくときには、サタンが汚した血の跡が残っているものや、汚された痕跡があるもの一切を燃やしてしまい、今まで、自分個人や家庭のおしりにぶら下がっていたものを、すべて火で燃やしてしまうのです。「聖火式」を通して越えていくのです。分かりますか? (「はい。」) 越えて行くのですが、越えて行った立場が何であるのかというと、“祝福中心家庭”です。一度、言ってみてください。(「“祝福中心家庭”。」) 家庭から失敗したので、越えて行くためには、家庭を持つことができなければ、越えていくことはできません。個人は越えていくことができません。それゆえに、霊界も、祝福完結のために大騒ぎです。地上に対して要求するのです。 地上に生を受けて亡くなっていった皆さんの先祖たち、また宗主たち、宗教の責任者たちには、地上に再臨して、自分の宗教圏、あるいは自分の一族を中心として、主人の立場で、責任を完結して越えていかなければならない責任があります。 ですから、「今の時代には、統一教会では外部の伝道をしてはいけない。」と言いました。自分の一族、自分の兄弟、自分の僕たち、自分の家庭にいる僕を救ってあげ、それから養子を救ってあげ、庶子を救ってあげ、直系の子女を救って一つにするのです。 そうして、父母に侍り、本然の家庭の夫であるメシヤを中心として教育を受け、新しく解放された個人から天上解放圏まで完結できることを知って……。はっきりと知ることによって、実践することができるのです。 ですから、そのような内容を持った統一教会の信徒たちは、このすべてのことを無難に克服することができる内容を知っているので、実践躬行(実際に自分自身で行為に表すこと)して、目的を達成することができる立場にいるのです。そのように無難に突破することができ、越えていくことができる時代を迎えたということは、驚くべきことです。 それは、天と地の宣布の境界線を引くことであり、それは先生の責任です。サタンもできず、神様もできません。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、先生は、国境撤廃と、人間と人間の間をふさいでいるすべての障壁の撤廃ということを言うのです。 個人の次元から、心と体が闘っています。闘っていますか、闘っていませんか? (「闘っています。」)男性と女性、夫婦も闘うでしょう? 本来、その男性と女性は、闘うようになっていましたか、一つになるようになっていましたか? (「一つになるようになっていました。」)一つになるようになっているのです。 愛というものは、男性独りでも成すことができず、女性独りでも成すことができません。ふたりが完全に一つにならなければなりません。完全な愛は、完全に一つになるのです。 神様がごらんになるときに喜ばれ、わたしたち人類に幾千万の先祖がいたとして、その先祖たちが見るときにも、神様が喜ばれるように、その先祖たちも共に喜ぶことができ、誇ることができるような後孫たちとならなければなりません。 そのような子孫が拡大して、一つの世界、一つの家庭を拡大した理想的地上天国を完結していたならば、神様の愛の王圏を中心として、千年、万年、地上から天の国に直行することができるのです。そうではないですか? それで、今日、科学の発達によって距離が短縮され、時空を短縮することができる時代に入ってきたのです。昔ならば、千年たっても知る由のなかった、かの地の果ての事実を、今では三十分もかからずに知ることができます。そのようなことを数分以内で、すべて知ることができ、見ることができ、聞くことができる時代に入ってきたのです。分かりますか? (「はい。」) サタンが、いくら自分の秘密を守ろうとしても、既存の国々が、いくら秘密裏に暗躍しても、また、“おまえたちの国を、おれがのみ込んでしまおう。”という悪党の群れがいたとしても、そのようなことを隠すことができない時代に入ってきました。 米国が、世界を支配することができる秘密を持ち、それを隠していたとしても、背後でインターネットを通して、すべて知ることができる時代に入ってきたでしょう? (「はい。」) 今まで、統一教会について反対する人たちは、「わあ! 統一教会は、悪党の魁首である文某が指導するもので、彼は地獄の親分である。」などと言ってきましたが、いくら地獄の親分であると言っても、親分である文総裁は、地獄に行きません。いなくなりません。死にません。今も生きているでしょう? (「はい。」) 今、わたしは何歳ですか? (「〔数えで〕八十三歳です。」)何ですか? (「八十三歳です。」)何歳ですか? (「八十三歳です。」)八十三を逆さまにすれば、いくつですか? (「三十八です。」)ですから、(今、先生は)三十八歳です。(拍手)なぜですか? 先生が青春時代に、四十歳未満でみ旨を成し遂げて、天の御前に奉献しなければならなかったのですが、神様の側から見れば、わたしを八十三歳と見るでしょうか、三十八歳と見るでしょうか? (「三十八歳です。」) ですから、神側から見れば三十八歳であり、それならば、四十歳の境界線までに、まだ三年を残しているということになるので、この期間に、天地のすべてのものをきれいに整理しておかなければなりません。 そうして、神様が所願成就なさって、わたしに頼ることなく、わたしも神様に頼ることなく、従って来る霊界にいる霊人たちも、地上のすべての兄弟たちに対して願うこともなく、所願成就を完結するのです。 そうすれば、今からは、洞穴を掘って暮らそうと、れんがの家を建てて暮らそうと、木の上に棚を作って暮らそうと問題なく、深い夫婦愛で、三代が一つになって暮らせば、全員が天国に行くのです。国がなくても天国に行きます。分かりますか? (「はい。」) 天国に行く自信を持ちましたか? (「はい。」)持ちましたか、持っていませんか? (「持ちました。」)それでは、皆さんが皆、四位基台を成して天国に行くとすれば、神様が願われる国は、どのようになるのでしょうか? 本来は、四位基台で天国に行くことができるのですが、これが、悪なる血統で汚されて、世界人類になったのです。それが、霊界と肉界で、今、数千億にもなってしまいました。 これは、だれのせいで、そのようになったのでしょうか? 偽りの父母のせいで、そのようになったのです。これを蕩減しなければなりませんが、神様が蕩減なさることはできません。分かりますか? それを成すのは、真の父母です。 神様の願いが何かというと、堕落していないアダム家庭です。分かりますか? (「はい。」)それは、堕落していない人類の真の先祖をつくろうということです。完成したアダム一人と、完成したエバ一人です。 そのふたりを中心とした関係は、凸凹でしょう? (「はい。」)凸で何をするのですか? 凸は、凹を完成させるためのものであり、凹は、何ですか? 凸を完成させるためのものです。 それは、何によって成されるのですか? (「愛です。」)何のために、どのように完成するのですか? 愛で一つになることによって、完成するのです。 神様の創造理想は、これを中心として家庭出発することであり、これは、氏族、民族、国家、世界出発のセンターなのですが、それらは、すべて一つのモデルになっています。それを経なくては、神様が必要とされる生産品が出てこないのです。 最近の大量生産するマス・プロダクションの世界を見れば、金型を造って、がちゃん、がちゃん、がちゃんとやれば、同じものが出てくるでしょう? ですから、その(男女の)凸凹の器官が完成して、神様の心に合うようになれば、神様が、それを神様の外的五官と、内的五官の十官でごらんになるときに、「やあ、どうしてわたしが願うとおりに、ぴったり合うようになっているのか! ははは。」と言われるのです。一度、言ってみてください。(「ははは。」) 今、“そのようになろう。”と思って、「ははは。」と言いましたか? それとも、すでになった立場で「ははは。」と言いましたか? (「“なろう。”と思って『ははは。』と言いました。」)それでは、「ははは」とも言えないでしょう? そのことを知らなければなりません。「ははは。」と言うこともできない、悲しい立場にいるので、「ははは。」と言うことができる解放的基準を達成するためには、なすべきことは簡単です。簡単なのです。 先生が、何をするのですか? それらは皆、神様の国を取り戻すためです。分かりますか? (「はい。」)国を取り戻すためなのです。世界を通して国を取り戻し、サタン世界と天の世界に、「国とは、このような国であり、それが、神様が願われる国です。」と言うとき、神様がいくら考えても、「それは、文総裁が願う国とぴったり同じだなあ。」と言われるのです。 また、サタンに対しても、「こいつめ、地獄に行って苦労するはずだったところだが、最後の場になってみれば、これが、(おまえにとっても、)そもそもの願いではなかったのか? 何千年、何万年、人類を苦労させた蕩減として、数十倍以上の受難の道を行くべきところを解怨成就してあげたのだから、このようにならなければならないのではないか? それを願うのか?」と言えば、「願って願って、千年、万年願います。」と言うのです。 神様は、一度願われるのですが、サタンが間違ったことが、どれほど多いでしょうか? それでサタンは、「願って、願ってやみません。」と言うのです。 その一つになるための解放も、主人がだれであるのかというのです。凸凹の主人は、だれですか? 男性と女性の主人は、だれですか? (「神様です。」)サタンではないのですか? (「神様です。」) 皆さんは、体が好むものを好みますか、心が好むものを好みますか? (「心が好むものです。」)本当ですか? (「はい。」)それでは、心と体と、二つとも好みますか? (「……。」) それは、病気になったのです。病気です。心が好む所に体が行こうとせず、体が好む所には、心が行こうとしません。このような闘争が起きたので、この穴を埋めなければなりません。この根を抜いてしまわなければならないのです。 「根を抜いてしまえ。」と、一度、言ってみてください。根を? (「抜いてしまえ。」)大きな声で。根を? (「根を。」)「『抜いてしまえ。』を、大きな声で言いなさい。」と言ったのに、「根を。」と言って、どうするのですか? 「根を。」は、わたしが言うのです。根を! (「抜いてしまえ!」)大きな声で。 それさえすれば、解放されるのです。理想的凸凹の王宮は、神様がいらっしゃることのできる、本宮の王子が集まっている所です。簡単です。分かりますか? (「はい。」) それでは、神様をお迎えすることができるものは、何なのでしょうか? それは、王宮の王子を迎えることができる泉です。それは、どこですか? どこですか? (「凸凹です。」)凸凹は、愛が一つになるうえにおいては……。 その二つが一つにならなければならないのですが、泉が出てくるでしょう? 男性独りで泉が出てきますか? 女性独りで泉が出てきますか? 子供が生まれてこないでしょう? 男性と女性が堕落していなかったならば、外的五官と内的五官が完全に一体となり、心が喜べば、体も喜ぶのです。心が「ひひ。」と言えば、体が「ほほ。」と言います。 一度、言ってみてください。(「ほほ。」)ひひほほ。(「ひひほほ。」)すらすらと、上手に言いますね。そのようにダブルになります。そうではないですか? 言葉もそうではないですか? 「早く」よりも「早く早く。」とか「よしよし。」と、言うでしょう? そのように、すべて相対になるのです。すべて相対になっています。目もペアであり、耳もペアです。男性と女性の姿は異なりますが、男性と女性は、完全にペアになることが可能な存在ですか、不可能な存在ですか? (「可能な存在です。」) それは、どういうことでしょうか? 絶対的な愛を求めているのです。男性と女性は、唯一的な愛、不変的な愛、永遠の愛を備えることができる起源となり、天の国を生産することができる宝の中の宝であり、すべての貴い宝の中の宝である父母の立場なのです。それが、神様の位置であるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、孝行を「しろ。」とか、「するな。」という話をする必要性はありません。このことさえ知れば、それが貴いものである(ということが分かる)ので、本心が、それに従って行くのです。 そうして、そのことによって、自動的に心が体を治めて一つになるので、「夫と妻は、一つになりなさい。」という教育は必要ありません。ほうっておいても、一つになるようになっているのです。 わたしたち祝福家庭は、そのような存在であると思いますか、思いませんか? (「そのような存在であると思います。」)そうであると思いますか、思いませんか? (「そうであると思います。」)「そうであると思います。」というのは、「そうです。」ということではありませんね? 「そうであると思います。」がよいですか、「そうです。」がよいですか? (「『そうです。』がよいです。」) それでは、男女ふたりが、凸凹を永遠に間違いなくぴったりと合わせて、ぎしぎしと音もせずに、完全にそのまま千年、万年と……。方位磁針が南北を指すように、それは、いくら何をしても変わりません。変わりますか、変わりませんか? (「変わりません。」)変わりますか、変わりませんか? (「変わりません。」) 皆さんの目は、まばたきをしますが、まばたきをしないで生きていくことができますか? (「できません。」)それは、変わりません。息をすることを変えることができますか? 聞くことを変えることができますか? 変えることができる統一的な作用をしてこそ、この永遠の神様の愛の圏内に抱かれるのです。それが、創造理想の目的です。「アーメン。」と言わなければならないでしょう? (「アーメン。」) さあ、それでは、皆さんの心が、「今、自分は、新しい時代に越えて来ている。」と言いながら、後ろを振り向いて、「世の中よ、元気でいなさい。私は行く。」と言わなければなりません。何のことか、分かりますか? (「はい。」) 全員、「天上・地上平和統一解放聖火式」を行ったので、その峠を越えたのです。これが、どれほど複雑でしょうか? 皆さんは、地獄世界が好きですか? “そこで食べたご飯、着ていた服、そこで話していた言葉、そこで暮らそうとして、そのことだけに執着していたこと、それらのことを考えただけでもおぞましい。”と、思いますか? それとも気になりますか? ロトの妻は、ソドムとゴモラを離れるとき、「後ろを振り返ってはいけない。」と、勧告されたにもかかわらず、“ああ、これから行く道も漠然としていて、目的も分からず、どこに行くのかも分からない。苦痛が行く手をふさぎ、行く先も真っ暗だ。”と思って、昔の暮らしを慕って、後ろを振り返ったのです。 そのように、女性たちは、間違いなく後ろを振り返ります。終わりの日には、そのような時があるので、「身重の女は災いである。」と言ったのです。 父親よりも母親が、赤ん坊を、より愛しますか? それとも、父親が、母親よりももっと愛しますか? (「母親が、もっと愛します。」) 千年、万年の間、女性たちは、一つの家財道具を買い、一つの貴重品を買うのにも大変な思いをしてきたものですが、そのようなとき、夫に対して、どれほど口やかましくせがんだことでしょうか? ですから、女性が、そのようにして生涯かけて準備しておいたものを捨てて出て行くときには、未練があると思いますか、ないと思いますか? どうですか? あると思いますか? (「ないと思います。」)「ないと思います。」というのは、“あるかもしれない。”という可能性が多いということです。そのようなときは、「ありません。」と言わなければなりません。 (ソドムとゴモラを出るとき、)“ああ、ここで暮らした恨の多い歴史、この不満に満ち、不幸な世界で暮らしたことを思えば、ここは怨恨の地であったので、これでよかった。”と、思って逃げて行ったならば、後ろを振り向いたでしょうか? そのとき、そのような過去を吹き飛ばして、唾棄して出発していたならば、どうして再び、後ろを振り返ったりするでしょうか? ですから、一方通行で飛んでいかなければなりません。急いで行かなければなりませんか、ゆっくり行かなければなりませんか? (「急いで行かなければなりません。」)全員、急いで行かなければなりませんか、ゆっくり行かなければなりませんか? さあ、飛行機に乗って飛んで行かなければなりませんか、自動車に乗って走って行かなければなりませんか、自転車に乗って、こいで行かなければなりませんか、二本足で、てくてくと、もどかしく歩いて行かなければなりませんか? (「飛行機に乗って飛んで行かなければなりません。」)飛行機ですか? (「はい。」) 飛行機は、どのような形をしていますか? 足がありません。飛行機に頭がありますか、ありませんか? 「飛行機にも頭がある。」と言う人もいますが、(機)体が中心なのであって、頭もしっぽも、すべて必要ありません。実際は、操縦するために、そのようになっているのです。 その飛行機には、ジャンボ・ジェット機ならば、三百五十人から五百人以上の人が乗ることができます。今後、七百人以上が乗ることのできる飛行機ができるかもしれません。 そして、超音速飛行機ができて、米国からここまで、三時間以内で来ることができれば、どれほどよいでしょうか? わたしは、一度、そのような飛行機を造ってみることができればと思います。関心がありますか? (「はい。」) それでは、造って、だれが先に乗りたいですか? (「真のご父母様です。」)だれが、先に乗りたいですか? 朱東文氏! (「はい。」)その飛行機は、何という名前でしたか? (「グローバル・エックスです。」)グローバル・エックスは、最高の速度で飛ぶのです。先生が、人工衛星よりも速い飛行機の主人になったとすれば、だれが先に乗りますか? 安全かどうか、テストをしなければならないでしょう? (笑い) なぜ、笑うのですか? テストをするのに、命を懸けてテストをしますか、生きようとして、楽しくテストをしますか? (「命を懸けてします。」)そのような飛行機を造り、すべてのテストをしてから主人が乗るためには、それを造った人や飛行士、操縦する人たちは、共同責任を持って、命を失う危険性を感じながら、ぎりぎりで……。 皆さん。以前に、アジア青年サッカー大会で、日本と韓国が戦ったとき、「日本が勝て。」と応援しましたか、「韓国が勝て。」と、応援しましたか? (「韓国です。」)何ですか? この者たち。口だけでそのように言っても、だれが信じますか? “み旨はみ旨だが、やっぱりわたしたち日本人がよい。”と、心でそのように思っていましたか、思っていませんでしたか? 率直でなければなりません。先生は、どうであったでしょうか? わたしが日本人であったならば、韓国チームがゴールを入れられたときに、手をたたくでしょうか、たたかないでしょうか? 韓国チームがゴールを入れられても、手をたたきます。それは自動的です。自動的なのです。 ですから、皆さんの心と体が、自動的に拍手することができるのです。悪いことを見れば、「こいつ! なぜ、悪いことをするのか? こいつめ。」と、言うのです。 わたしには、姉が大勢います。六人の姉妹の中で育ったのです。姉たちは、それぞれの性格によって、嫁ぐための荷物をまとめて、秘密の倉庫に隠しておくのですが、わたしは、それを調査するチャンピオンでした。 上の姉は何を持っているのか、下の姉は何を持っているのかを知っているのです。わたしの下の妹が何を持っているのかは、考えもしません。持っている物をわたしが必要ならば、くれるようになっているからです。 姉がわたしに、「必要である。」と言えば、わたしが上げるようになっていますか、上げないようになっていますか? 姉弟として見れば、姉が願えば、上げなければなりませんか、上げるべきではありませんか? (「上げるようになっています。」) それでは、先生の性格は、上げる性格のほうが強いと思いますか。上げない性格のほうが強いと思いますか? 率直に話してみてください。姉の物まで、父母の物まで、“すべてわたしが責任を持とう。”と思うのです。 欲心があって、「神様までもが、わたしのものである。」と言うので、復帰の道を訪ねて行くようになっているのです。分かりますか? 欲心は、それ自体が悪いものではないというのです。 それでは、それを訪ねて行って、何をするのでしょうか? 自分独りで暮らすのですか? 「独りで暮らしなさい。」と言っても、絶対に独りで暮らすことはできません。逃げて行かざるをえません。分かりますか? (「はい。」) 自分が世界の主人になれば、独りで暮らすことができますか? ほうり出して、逃げて行かなければならないでしょう? それが、わたしと同じ兄弟……。 自分が兄であるのならば、弟に与え、弟であるのならば、兄に与えなければなりません。授け受けすることができる立場で、「同じ所有の主人である。」と、言うことのできる環境をつくってこそ、平和の世界、幸福の世界ができるのです。 そうして、あなたも私も皆、必要であり、兄も弟が必要であり、弟も兄、夫も妻、妻も夫、父母もお互いに必要とするという立場で、同じ位置に立つことによって、平和の天国が始まるのです。「アーメン。」ですか、「ノーメン。」ですか? (「アーメン。」)大きな声で言ってみてください。(「アーメン。」) きょう、なぜ、ここに黒板を立てたのでしょうか? 一度、文字を書いてみましょうか? (「はい。」)書いてみれば、大変なことになります。本当に「書きなさい。」と言えば書き、「書くな。」と言えば、書きませんが、わたしだけ「うんうん。」と、うなり、皆さんは関係がなくなっていって、無関心であるというのです。書くのですか、書かないのですか? (「書いてください。」)(拍手) 書いて、何をするのですか? 黒板に書いても、消せば、なくなるではないですか? それが必要ですか? (「はい。」)どれくらい必要ですか? 皆さんが、今、いちばん必要なものが、何ですか? 神様が、いちばん必要とされるもの、真のご父母様が、いちばん必要とするもの、自分の姉や妹が、いちばん必要なものが、何でしょうか? 調べてみると、それは、「だれでも、朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯だろう。」と言うのです。そのように言う人は、おかしな人たちです。共産主義は、ご飯のために生まれて、ご飯で世界を料理しようとして、全滅して落ちていくのです。 その答えが何かと言うとき、それは国です。天の国の王をお迎えすることのできる国です。分かりますか? 天の国の民族を収容することができる地、国が必要なのです。主権が必要です。永遠不変の愛の理想を、千年前でも、千年後でも……。男性と女性が、本当に……。 皆さん。恋煩いというものを知っているでしょう? 恋煩いです。知っていますか、知りませんか? 日本の女性たち。女性が多いですね。男性がいないので、聞いても、気分が悪いかもしれませんが、これは、しかたがありません。恋煩いを知っていますか? (「知っています。」) どちらが、よく恋煩いにかかって身もだえしますか? 女性ですか、男性ですか? そのようなことも考えてみたことがない人は、人と言えますか? 愛が何なのか、考えてみたこともない人たちですね。それは、愛のこじきと同じです。主人のふるまいもできません。(笑い) そのような恋煩いにかかった人たち(女性)は、自分が美人で、相手の男性がいくら醜かったとしても、自分の美しさの十倍、百倍以上の物を与えてでも、その醜い男性と取り替えようとするのです。恋煩いにかかれば、気が狂ったようになるのです。 (女性の)皆さん。“天の夫”である神様に対して、“一度、恋煩いにかかりたい。”と考えてみましたか? 恋煩いにかかって、「指がほしい。」と言われれば、指を切って、上げますか? それで自分が、(相手の愛を)占領することができれば、指を切りますか、切りませんか? 腕を切りますか、切りませんか? 足を切りますか、切りませんか? 「体と頭さえあれば、生きることができる。」と言って、四肢をすべて切ってしまい、それでも、もっと与えることができて、頭を切って死んでしまったとすれば、それは一人しかいない女性なので、大変なことになります。そうして体だけの女性になってみてから、“どれ、男性が訪ねて来るか、訪ねて来ないか見てみよう。”と、思うのです。 ところで、そのようにして指を切るとき、感謝すべきものを感謝することができず、四肢五体すべてをささげたにもかかわらず、感謝することができないとするならば、そのような人を、人と言えるでしょうか? そのような女性を本当に愛する人(男性)は、その女性が(四肢がなく)体一つしかないからといって、「愛さない。」と言いますか、「愛する。」と言いますか? (「『愛する。』と言います。」)女性ではなく、男性が答えてみてください。愛そうとしますか、しませんか? (「愛します。」)完全な人ではなく、不自由な体なのに愛するのですか? 心配しなくてもよいというのです。体の不自由な女性を愛するうえで、完全な愛で愛すれば、完全な手足のような……。切って、失ってしまったもの以上にりっぱな手足、健康な手足が、神様の能力によってプラスされて、出てくるのです。それは、妥当、可能な結論です。アーメン。(「アーメン。」) さあ、一度、黒板に書いてみましょうか? (「はい。」)「“亡国の種”日本民族」と書きましょうか、それとも「“興国の種”日本民族」と書きましょうか? (「“興国の種”日本民族です。」)知っていることは知っているのですね。 しかし、“亡国の種”と言いますが、韓国も同じであり、米国も、世界も、霊界も肉界も、同じ話です。すべて“亡国の種”であって、“興国の種”がありません。 “興国の種”をつくろうとするのですが、“亡国”の立場で、千代、万代、はい回っていれば、さっと、飛び越えて行くことを願うでしょうか、一段階、一段階、上がって行くことを願うでしょうか? それが問題です。 さっと、飛び越えて行けばよいのですが、「はしごを架けて、上がって行きなさい。」と言われても、はしごを使わないのがよいでしょう? しかし、そのようなはしごがあれば、お金を出して買ってきますか、買ってきませんか? 最後の道を行って、この世の中をすべて清算するために、何も残さずに、自分が暮らしていた家の土地まで、土まで掘って、すべて売って買おうとするので、残ったものは、はしごしかないではないですか? ターザンが、綱にぶら下がって、上手に渡っていくでしょう? そのように、「その一本の綱のために、自分の生涯における貴いすべてのものを犠牲にしてでも、その綱に一度、乗って入っていくことができれば、本望である。そのとき、自分には当然、『そのようにする。』とか『そのようにしない。』という論理は、永遠にない。アーメン。」と言うことができる決意を持っていなければなりません。 そのような女性になっていますか、なっていませんか? (「なっています。」)“なっている。”という人は、手を挙げてください。女性に向かって「手を挙げなさい。」と言ったのに、男性が手を挙げています。それでは、男性たち。手を挙げてみてください。韓国の人たちは男性が多く、日本の人たちは女性が多いですね。 マラソンのように、一等、二等、三等というようなグループがある場合に、その中で結婚相手を決めるとするならば、一等の人に対しては二等の人、そうでなければ、せめて三等の人と組んであげなければならないのであって、びりの人と組んであげたならば、喜ぶでしょうか? ですから、すべて相応の者同士で組むのです。一等には二等、三等には四等、五等には六等の人と結んであげれば、どれほど素晴らしいでしょうか? わたしは、“そのようにすればよい。”と思うのですが、一度、そのようにすればよいでしょうか、すべきではないでしょうか? それでは、恋煩いにかかった男性になり、女性になって、神様のためにそのように生きて、自分の命をささげて死んだとすれば、地獄に行くでしょうか、天国に行くでしょうか? (「天国に行くと思います。」) 真の父母のために、そのように生きて死ねば、地獄に行くでしょうか、天国に行くでしょうか? (「天国に行くと思います。」)そのようなときは、「天国に行くと思います。」ではなく、「天国に行きます。」と、答えなければなりません。 先生が、「天国に行きますか、行きませんか?」と言うときは、「天国に行く。」と、答えなければならないのです。「行くと思います。」では、その境界を越えることができません。分かりますね? (「はい。」) さあ、今まで統一教会において、いちばん貴いものは何ですか? いちばん貴いものは何ですか? 神様の歴史の中で、いちばん貴いものが何ですか? 人類が願い、歴史が願い、「いちばん貴い。」と、言うことができる結論的な核は、何ですか? (「真のご父母様です。」)真の父母です。 真の父母が、どこにいますか? 真の父母は、おじいさんの真の父母を願いますか、青春の真の父母を願いますか? (「青春の真の父母です。」)お母様も、六十歳になりますが、尋ねてみれば、「どうして尋ねるのですか? 青春の真の父母でしょう?」と、言うのです。 それでは、老人の真の父母は、蹴飛ばしてしまいますか、持って行きますか? (「お連れして行きます。」)霊界に行っても、夫の年齢がおじいさんのままでは、大変なことになるでしょう? ありがたいことに、霊界に行けば、自分が願う年齢で、花咲く青春の先祖の王になることのできる道があるのです。 ですから、このようなおじいさんの真の父母が、青春の王の真の父母になることができる可能性がありますか、ありませんか? (「あります。」)(拍手)お母様が、そのことを知っています。 ですから、真の父母と一つになることが、福です。個人的に一つになることができ、家庭的に一つになり、国家的に一つになることが福であり、世界の国の願いなのです。 日本の国の人たちが、最近、韓国人と結婚するために……。見ていてください。もう少しだけたてば、日本が、韓国にすべて頼るようになります。いくらやっても、韓国人にはかないません。山を登って行っても、日本人よりも韓国人が健康なので……。健康でしょう? (「はい。」) 今回も、(日本の人が、)「日本のサッカーは、ブラジルに行って訓練させ、韓国は、ほうっておいて自分勝手にやったので、それは、やぎと同じであり、わたしたちは、羊のように主人がいる人である。」と言っていました。 羊とやぎが闘えば、やぎが勝ちますか、羊が勝ちますか? 羊が勝ちますか、やぎが勝ちますか? (「やぎが勝ちます。」)やぎですか? (「羊です。」)なぜ、羊が勝つのですか? 羊は、力で見れば、やぎに負けるかもしれませんが、羊にはコーチする主人がいます。分かりますか? (「はい。」)やぎには、コーチする主人がいません。ですから、どこに行くか分かりません。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、一日の中でも損害が多いのです。十里の道を行くのにも、何千里歩き回っても、自分の目的地まで行くことができません。 主人がいれば、「おいおい、こっちに行きなさい。狭い道は、このように正面から行くことができないので、このように横に立って、鼻が切れないように注意して抜けていきなさい。」とコーチしてくれるので、勝つことができるのです。それは、主人がいるからです。分かりますか? 天国に行くのですが、羊になりますか、やぎになりますか? (「羊です。」)では、天国に行く主人の命令を受けていますか? (「はい。」)何ですか? (「はい。」)何ですか? (「はい!」)言葉では、うまく言いますね。 それでは、今、統一教会に来るのに、やぎの群れが多いですか、羊の群れが多いですか? やぎと言えば、銃を撃って捕まえるのではありません。羊の反対のやぎです。そのことは、知っているでしょう? 山で暮らす羊を「山羊」というのです。そのようなやぎの群れが多いですか、羊の群れが多いですか? (「羊の群れが多いです。」) 日本の女性の中では、羊の女性が多いですか、やぎの女性が多いですか? (「羊の女性が多いです。」)好きなように言っていますね。「私は醜いが、美人を“うらやましい。”とは思わない。」と、皆、言うのです。 羊とやぎの違いを知らなければなりません。羊には主人がいるのです。日本で暮らす統一教会の教会員も、間違いなく、やぎはやぎですが、主人の声を聞くことができる羊の流れに入ってきました。 それでは、韓国人と日本人に「死地に行きなさい。」と言うとき、日本人が多く行くでしょうか、韓国人が多く行くでしょうか? 小山田氏? (「韓国人です。」)なぜですか? (「主人がいます。」) 主人がいるということよりも、歴史的に多くの苦労をしました。苦労をたくさんしたのです。生きるためには、命を懸けて冒険をしなければ、生きることができないという経験が多いのです。分かりますか? 今、日本人は、豊かに暮らそうとして、そのようなことは考えもしません。“死ぬか生きるか”という決心ができないのです。いつも自分を中心として考えます。 ですから、やぎに近い性質が多いのです。そして、羊の性質としては、“百パーセント死を懸けて、命を懸けて行く”ということに関しては、韓国人にかなわないということです。 宣教師たちも、そうではないですか? 言葉を学ぶのも、韓国人は、一年半で、ご飯を食べることに関しても、すべて話せるようになるのに、日本の人たちは、それができません。三年、四年間かかります。倍の時間がかかるのです。同じ舌、同じ体を持っているのに、なぜでしょうか? 韓国人には、発音することのできる能力があるからです。 このような話をして、昼食時間が遅れれば、お母様に制裁を受けますね。(笑い)わたしも、よく制裁を受けるのです。(笑い)なぜ、笑うのですか? 羊のような男性になるためには、制裁を受けることもできなければなりません。 その代わり、制裁を受けても、心配することはないというのです。受けた制裁に、もう一つ加えて制裁を与えることができれば、よいのです。(笑い)分かりますか? 制裁を千年の間受けて、千一年目に、それまで受けた千年の制裁を一度に蕩減することができればよいのです。そのように生きる人が、知恵深い人です。 千年間、闘って、利益になることがありますか? どれほど心が燃やされて、灰になるでしょうか? 心臓がどれほど凍りつくでしょうか? “女性とは、ああいうものだ。女性とは、ああいうものだろう。そうかそうか、そのようにしなさい。もう峠を越えてきた。”と、思えば、越えて来ることができるのです。 たとえ、がみがみ言ったとしても、越えて行ってしまえば、“ああ、来ないのか。”と思って、女性は待っているというのです。男性は、越えて行っても、待ちません。それで、越えて行って、また越えて来て、また越えて行って、越えて来るのです。 ですから、また大騒ぎすれば、もっと高い峠を越えて行って、また越えて来ることができれば、いつでも同じように夫に対することができる愛の道が、そこに残るのです。アーメン。言ってみてください。(「アーメン。」) 先生とお母様は、時に言い合ったり、時々、気分の悪いことがあるでしょうか、ないでしょうか? (「ありません。」)見たのですか? 見ましたか、見ていませんか? (「見ていません。」)見ていないのに、「ない。」と言うのは、本当にうそです。 そのようなことがあるのですが、それを越えて行って、越えて来るのは、だれがするのですか? 女性たちにはできません。女性たちは、一度不平を言えば、それが(尾を引くのは)一日ではありません。七時間でもなく、一週間です。じっと見てみると、そうです。(笑い) その癖を知れば、どうしてそれに引っかかったりするでしょうか? 行ったり来たりするのですが、ぐるっと回って越えて来て、(男性が)自分のすべきことをすれば、女性には男性が必要であり、お金も必要なので、(女性は、)「ああ、きのうはすみませんでした。」と言うのです。 ところで、それでまた因縁を結ぶのではありません。和解することができるようなことをしなければなりません。妻が間違っていて和解しなければ、夫がうまくやって和解するのです。そのようにすることができれば、その夫は偉大な夫です。 さあ、結論が見えました。それでは、真の父母が必要でしょう? (「はい。」)“真の父母は必要ない。”という人は、手を挙げてみてください。では、“必要である。”という人は、手を挙げてみてください。 どのくらい必要ですか? 天地をもらっても取り替えますか、取り替えませんか? (「取り替えません。」)“取り替えない。”という人は、手を下ろしてもかまいません。そこは、何も分からずに手を下ろしているではないですか! (笑い)“取り替えない。”という人は、手を下ろしてもかまいません。 きょうは、「真の子女の日」なので、皆さんに、このような冗談も言いますが、深刻な話をしようと思うのです。分かりますか? (「はい。」) さあ、チョークを持って書きましょうか? (「はい。」)「日本人、がんばれ。」と書きましょうか? 「日本の国、がんばれ。」と。 (「精神革命」と、板書される。) 何ですか? 後ろの方は見えますか? (「はい。」)肉身革命をしますか、精神革命をしますか? (「精神革命です。」)わたしは、肉身革命をしたいと思っているのです。今まで精神ばかり扱ってきたので、肉身が慕わしく思うのです。 皆さんに必要なのは、精神革命ですか、肉身革命ですか? (「精神革命です。」)先生に必要なのは、何ですか? (「肉身革命です。」)すべて捨てたので、取り戻さなければなりません。 真っ暗な夜が明けたのですが、その朝の太陽が“鮮明なる朝の日”ということです。それは、先生の名前です。鮮明な朝日が昇らざるをえません。そのように考えなさいというのです。分かりますね? (「はい。」) 皆さんに必要なのは、これです。ですから、肉身のすべてのものを……。革命というものは、根本から引っ繰り返さなければなりません。どこにも残すものがありません。すべてたたきつぶして、なくしてしまわなければならないのです。 さあ、皆さんに精神革命が必要ですか、先生に必要ですか? (「私たちにです。」)皆さんが貧しく暮らすようにして、先生が豊かに暮らそうとするのですから“独裁の王”でしょう? (「違います。」) なぜ、違うのですか? どうして違うのですか? それは、皆さんが、皆さんの子供について、“精神的分野において、もっと豊かに暮らすようにしてあげよう。”と思えば、よいのです。 三代といっても多くはありませんが、三代を経ていくとき、その三人(三代)の中で二人は苦労したとしても、苦労した二人以上の位置に一人でも行くことができれば、幸福な世界が継続するのです。「山は高く、水は深くても、平地に向かって走って行くことができる。アーメン。」と言うのです。(「はい。」) 後ろの方は、見えますか? (「はい。」)これも見えますか? (「はい。」)これは、何という字ですか? (「『天』です。」)後ろの方の人たちが、答えなければならないでしょう? 前の方は、すべて見えるではないですか? そうですか、そうですか。分かりました、分かりました。(笑い)(「天一国主人우리家庭은 참사랑〔을] 中心하고」 と板書され、その横に、「一、二、三、四、五、六、七、 八」と書かれる。) 「天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として……」、その次は、何ですか? 「本郷の地を訪ねて」です。(「家庭盟誓」の)第一は、「本郷の地を訪ねて」です。そして、「本然の創造理想である地上天国と天上天国を……」と続きます。それに皆さんが責任を持つのです。 二番は、何ですか? 「天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、神様と真の父母に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成することをお誓いいたします。」です。 今までは、何と言っていましたか? (「『私たちの家庭は、真の愛を中心として……』です。」)その「私たちの家庭」は、どこから来た「私たちの家庭」ですか? (「『天一国』です。」) 「天一国」とは、何ですか? 「天一国」は、最近、出てきたのでしょう? 「家庭盟誓」の盟誓文は、その前に出てきたのではないですか? 分かりますか? (「はい。」) 今は、てっぺんに帽子をかぶってすべてを備え、その姿勢を中心として七代……。自分たちが、それを成就させなければならない時代に入ってきたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 皆さんが、世の中をすべてそのようにして峠を越え、それからどこに行くのですか? 「天一国」です。神様が願われた「天一国」、真の父母が願った「天一国」、万民が願った「天一国」です。 「天一国」というのは、“二人が一つになった”国のことです。“二人”です。“二人”が一つになるのです。「天」という字を見れば、「二人」と書くでしょう? (「二人一国」と、板書される。) 「天一国」は、“二人が一つになった”王の国です。分かりますね? 「天一国」です。分かるでしょう? (「はい。」) 一人では、いけないのです。いくら神様が絶対者であられても、お独りではできません。対象的価値を備えることができる対象が、必ずいなければなりません。自由でも、幸福でも、理想でも何でも、すべて、対象がいなければ、理想的要素は、脱落するのです。 愛も、二人以上いなければ、成り立ちません。そうではないですか? 幸福も、独りで幸福になることができますか? (「できません。」)そうではないですか? これが天地創造です。 ですから、宇宙のすべての存在は、ペア・システムになっています。それで、授受作用の運動は、相対がいなければ成り立たないのです。分かりますか? (「はい。」) 「天一国」です。分かりますか? (「はい。」)この目(の視力)が、両方共に一・二ならば、「天一国」の目になるのですが、片方が〇・〇で、もう一方が一・五ならば、堕落した世界です。 鼻も、風邪を引けば、詰まるでしょう? 両方が、一つにならなければなりません。こちら(右)に空気が入って行き、こちら(左)にも空気が入って行って、四位基台になるのです。二つに分かれて、四位基台で一つになるのです。 聞くことも、耳の奥に三半規管があり、それがさらに共鳴して、聞こえるのです。手も、いくら片手で(拍手を)やろうとしても、それで音が出ますか? その相手が、たとえ大嫌いな足であったとしても、たたく相手があって、初めて音がするでしょう? そうではないですか? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」) 「天一国」、分かるでしょう? その「天一国主人」ということです。主人です。主人が、だれですか? 「私たちの家庭」です。それで、「天一国主人たる私たちの家庭は、真の愛を中心として……」です。 それは、国は、“私”に懸かっているということです。そして、「本郷の地を訪ねて……」です。失ってしまったエデンの園を取り戻すのです。 皆さんの日本で言えば、四十三の県と四つの都・道・府で、四十七の都道府県がありますが、すべての人が、そのどこそこで生まれた、ということになります。ところが、それを地球星という次元で見れば、地球星の中の一か所にすぎません。 そこ(地球星)が、皆さんの生まれた故郷です。これ(都道府県)は、サタン的世界の故郷です。暮らしている国が、サタン的世界の故郷なのです。これを清算しなければなりません。火で燃やして、新しく登録しなければなりません。 入籍の手続きをしたでしょう? (「はい。」)それは、「三時代……」、何ですか? (「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式です。」)「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。入籍統一です。四位基台が統一されなければ、入籍することはできません。そのことまでが、「天一国」に入って行くことができる総論になっています。 三時代。旧約時代、新約時代、成約時代と言うでしょう? 入籍の手続きをしましたか? (「はい。」)では、韓国、日本、米国においての自分の祖国光復、自分の故郷の地を、すべて決めたでしょう? (「はい。」) イスラエル民族が、十二支派を中心として、現在の中東のアラブ地域に、その十二支派が所属していることと同じように、皆さんは、カナン家庭的世界路程において、サタン世界を出発して天国に行くために、入籍の手続きをして、自分の国を分配されたのです。 荒野に六十万人の大衆が出て行くときは、すべてを一つにすることはできません。十二支派に分けなければなりませんでした。そのときには、東西南北にすべて分かれたのです。 そのように、大混乱的状況を収拾して、永住定着することによって、本然の目的と一致することができる国家の国民形態を備えなければならないのです。そのようにしてこそ、国が解放され、新しい「天一国」ができるのです。サタン世界の国が、そのままではいけません。分かりますか? (「はい。」) 今、日本の国も主人がいません。韓国も、民主主義ですが、主人がいません。選挙を通して、父母を立てることができますか? 「お父さんとお母さんは嫌いだ。町内のいちばんよい男性をお父さんにする。」と言って、選挙して一等になったからといって、お父さんにすることができますか? (「できません。」) 国の王は国の父であるべきなのに、四年に一度ずつ選挙をして立てているので、それは、すべて偽者です。それは、サタンが逃避して、自分の群像を残して生き残るための作戦であるということを知らなければなりません。 「国」という字の中に、これ(「国」という字の中の点)を打たなければなりませんか、打ってはいけませんか? (板書されながら語られる)(「打たなければなりません。」)(その点を含む「玉」という字は、)国を中心とした代表のことを言うのです。これは、宇宙、“大宇宙国家の王”ということです。 “二人が一つになった”大宇宙の王の国が、祖国光復の“私の国”です。それは、わたしたちの父の国であり、わたしたちの父母の国であり、わたしたちの兄弟の国であり、“私”の国です。一度、言ってみてください。“私の国”。(「“私の国”。」) それでは、皆さんの国がありますか? この国のすべてのものに対して、総結論を下さなければなりません。ですから、今から「家庭盟誓」の盟誓文も、「天一国主人」を加えて、主人になるのです。「天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として……」。それが主体なのです。このようにするのです。分かりますか? (「はい。」) 「家庭盟誓」の盟誓文が変わるのです。分かりますね? (「はい。」)「家庭盟誓」の盟誓文に「主人」ができました。だれもが、それを売ってしまうことができます。しかし、「天一国」という言葉は、永遠に永遠に残ります。それは、真の父母によって生じた言葉であるからです。 今、神様王権樹立を行い、天地父母統一安着生活圏を経て、「天上・地上和合統一大会」を経て、「天上・地上(天宙)平和統一解放聖火式」が終わったので、新しい国が必要なのです。分かりますか? (「はい。」) きょう、訓読した内容を、郭錠煥氏がどのようにして選んだのですか? この時に、わたしが話したいことをすべて訓読してしまいました。何のことか、分かりますか? ですから、きょう、読んだものを覚えて、このように決意すべきです。 「私は、このようにならなければならない。先生が、そのようになることができる総論を『天一国』を中心として行おうとしたのだが、『家庭盟誓』も、『天一国』を完成させるという目的がある。そこでは、“私”が解放され、父母、兄弟、“私”の国、世界、聖人、“聖子”、天上世界、すべてが解放されるのだから、『決意文』を中心として、すべてが同じ立場で読んであげなければならない。アーメン。」と。(「アーメン。」) それで、結論は簡単です。結論は何かといえば、「神様王権即位式」は、何のためにしたのでしょうか? 「天一国」のためにしたのでしょう? (「はい。」)そして、「天地父母統一安着生活圏大会」です。安着しなければならない生活圏大会を、何のためにしたのですか? 「天一国」の国民たちが、安着して暮らすことができるようにするためです。そうでしょう? (「はい。」) それから何ですか? その次は、天の国と地上における「決意文」の採択です。ぴったりと同じ歩調で、歩調を合わせて、一体的環境与件を造っていくのです。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、「全員が、『決意文』で決意しなさい。」と言ったのです。個人的決意、八段階の決意です。そして、国家を代表して面から郡、国家全体まで、世界的平準化基準で、これらが同じ共同目的を中心として越えて行かなければ、行くべき道がないのです。 それは、歴史的宿願である解怨成就を成すことができる、一つの結論的な言葉です。そのことを理解するようになるとき、歴史的な宿願にふさわしくないすべてのものを犠牲にしたとしても、これ一つと取り替えることができれば、それを喜びで、万事に感謝して受け入れなければなりません。アーメン。(「アーメン。」) 意味が分かって「アーメン。」と言った人は、手を挙げてみてください。本当に分かって、言ったのですか? (「はい。」)賢い人は分かったと思いますが、そうでない人は、分からないことが多いでしょう。(笑い) しかし、そのような人は、兄がいなければ、代わりに分かる人を兄のように慕い、姉がいなければ、代わりに分かる人を姉のように慕い、父母がいなければ、父母の代わりに分かる人を敬い、おじさんやおばさんがいなければ、おじさんとおばさんの代わりに、その人を立てて敬って、自分は、その人に従って行くのです。このようにすれば、よいのです。分かりますか? (「はい。」) そして、日本に教区長がいれば、教区長が指導して、その言葉を中心として行うようになり、教区の中に執事や長老が責任者としていれば、その言うことを聞いて……。 自分よりも優れているからということで、それらの人に従って行く人は、滅びません。優れている人に従って行って、国が滅んだとしても、その人たちは死にません。優れている人が死んだとしても、です。 ですから、その国に、そのような優れた人の代わりに自分が現れれば、責任者になることができるのです。このようにしても生き、あのようにしても生きるのです。このようにしても万歳、あのようにしても万歳です。分かりますか? そのようにすることができる道がいくらでもあるということを知らなければなりません。 知恵深い統一教会の教会員は、そのようなことを知って余りあるのです。アーメン。(「アーメン。」)一度、言ってみてください。アー。(「アー。」)口が裂けるくらいに、一度、口を開いてみてください。(「アー。」)メン。(「メン。」)(鼻に舌が届くようにして、)鼻も、わたしの思いどおりにするのです。(笑い)分かりますか? (「はい。」) さあ、それでは、「家庭盟誓」の盟誓文は、今から新しい盟誓文として受け入れるのです。拍手してください。(拍手)これを早く改編してください。これ(「天一国主人」という言葉)を入れれば、よいのです。 今回、ここに来た人たちは、韓国に関して知らなければなりません。ここにいる責任者たち。米国からも五十人、日本からも五十人、韓国は今……。 皆さん。これが終われば、大韓民国は先祖の国であり、真のご父母様の国がどのようなものであるのかということを知りたいと思いますか、知りたいと思いませんか? (「知りたいです。」) その韓国の山川を慕い、その慕う山川に行って教育を受けるのです。自分が今まで知ったすべてのことが、訓読したみ言が貴いと思うのならば、そのみ言が生まれた本質を慕わなければなりません。 韓国の地を、サタン世界のどのような国よりも、百八十の国家を愛する以上の愛の心を持って慕うのです。そのようにすれば、神様が罰を与えるでしょうか、福を与えるでしょうか? (「福を下さいます。」) ですから、きょうのこの「真の子女の日」が、どのような日にならなければならないのでしょうか? 分かりますか? このようなすべての峠を越えて、新しい何かがあるので、すべて……。「天一国」の何ですか? (「主人です。」) 「天一国平和統一……」、何の日になれば、よいでしょうか? (「天一国平和統一平定日」と、板書される。) 「平定日」を宣布するのです。「天一国平和統一平定」とは、“どこでも同じである。”ということであり、“どこでも同じでないものがない。”ということです。 「平定世界時代」を発表します。この「日」(「天一国平和統一平定日」と書かれた中の「日」の字)は、時代です。 (「天一国平和統一平定日」を「天一国平和統一平定時代到来発表宣言」と書き直される。) 言ってみてください。「天一国」。(「『天一国』。」)平和統一。(「平和統一。」)平定時代到来発表宣言。(「平定時代到来発表宣言。」)ですから、それは何かというと、“天の国も地上も同じである。”ということです。平定です。分かりますか? 皆さんが、教団長を信じて、その宗教の責任者を呼べば、その人たちは、それに対して答えなければなりません。分かりますか? 先祖を呼べば、その先祖の名を呼んだ子孫たちは、このような「天一国」平和統一の祝福を受けた家庭であるので、呼ばれれば、先祖は答えてあげなければならないのです。 ですから、(「天一国平和統一平定時代」とは、)霊界が、地上に自由自在に再臨することができ、地上人の願いが、自由自在に先祖と神様の御前に相対することができる時代のことを言います。それで、平定時代到来発表を宣言するのです。「アーメン。」と、言ってください。(「アーメン。」)最大限に口を開けて、アー。(「アー。」)メーン。(「メーン。」)(拍手) きょうという日を記憶してください。きょう、このような内容を早朝に祈祷する中で、“このような時が来たのだなあ。”と感じたのです。それで、きょう、話をしようとすることは、「そのような時代が来たので、どのように生きなければならないのか?」ということです。それを少しの間、話します。分かりますか? (「はい。」)分かりますね? (「はい。」) わたしたちの願いが何であるのかというと、“神様と同じ位置に立ちたい。”ということです。同位権、同居権、“一緒に暮らす”ということです。それから、同参権……。 この同参権の「参」は、「行」という字にしてもかまいません。同行権、同参権も、同じです。一緒に参席し、一緒に行動するのです。そして、その次は、同愛権です。愛の目的のために暮らすのです。 イエス様も、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(新共同訳聖書「ヨハネによる福音書」十四章6節)と言いました。「わたしは道であり、真理であり、命である。」と言いましたが、「愛」という言葉を抜かしてしまいました。後から統一教会が、愛を中心としていくようになるのです。 それで、皆さんの願いが何かというと、“真のご父母様と共に、同じ位置にとどまりたい。”ということです。それが願いでしょう? (「はい。」)“真のご父母様と共に暮らしたい。”、“真のご父母様と共に、すべてのことを同参して行いたい。”ということです。 それで、何をしようというのでしょうか? 愛を中心として、幸福に、自由で解放された立場で、永遠に共に暮らすのです。アーメン。(「アーメン。」)そのような意味において、「天一国平和統一……」、何であるというのですか? (「平定時代です。」)平定時代が来たのです。 それゆえに、皆さんが動くうえにおいては、独りで動くのではなく、国がついて回り、霊界全体が天と一つになって、地上世界と万物が擁護するのです。皆さんは、その中で、主人の資格を持って暮らしているのです。 ですから、自分が神様の愛の伝統を、自分の一族を通して植え、自分自身が一国の骨となる、そのような伝統思想を植える主人にならなければなりません。アーメン。(「アーメン。」)分かりますか? 何のことか分かるでしょう? 「天一国平和統一平定時代」です。「平定」と言えば、“すべてが等しく、平和に満たされるように定められた。”ということです。霊界も肉界も、共同的運命圏に立ち、神様の理想的な目的のために、天の国、地上、天上天国を完結するために進行しなければなりません。 それは、ただのコンセプト(概念)なのではありません。実際のことです。“自分は、そのような責任を持った。”という自覚性を、結実することができる自覚を“自己自覚”に移さなければなりません。 先生も、神様が、「あなたはメシヤであり、救世主であり……。」と言われるのですが、それを信じることができるでしょうか、信じることができないでしょうか? メシヤの資格とは、何ですか? メシヤになってみて考えれば、メシヤとは、天と地を代表することができる中心的存在であり、救世主も、死亡の世界を撤廃して、天国を建設しなければならない中心存在です。 その天と地、二つの世界の“亡国の種”となったものを中心として、再び生んで天の国を復活させ、天国を回復しなければならないという、そのような中心存在が真の父母です。それを信じることができるでしょうか? 真の父母の資格を悟るためには、“真の父母は、かくかくしかじか、このような困難にも責任を持つことができなければならない。”ということを知ることも必要ですが、その位置に行ってみて、自分だけでなく、神様が共になされるのを見るときに、「あ!」と、悟ることもあるのです。 そうして、その峠を越えてから、「ああ、うん、そうだ。このようにして、初めてメシヤになるのだなあ。このようにして、初めて真の父母になるのだなあ。」と、自覚するのです。そのような実践圏、実践場において、それを自分のものとして認識することができる位置にまで行かなければ、自分と関係を結ぶことはできません。 それで、先生が、真の父母の資格を完成することができるのは、これをすべて成しておいて……。「天一国」をすべて成してみると、“ああ、お父様が約束された約束を成すためには、多くの受難の道を経なければならず、その受難の峠の道や事件は、このわたしを自覚させるためであり、天の任を受けるための祝福の道であったのだ。アーメン。”と思うようになるのです。(「アーメン。」) そのように思うようになるとき、自己自覚のためには、できないことが、どこにあるでしょうか? 千回死んでも、まださらに一万回死の道が残っている、というときには、それに加えて、さらに十回であろうとも、死の道を行くことができなければなりません。 死を前にしても、“さらに十回、死んだとしてもかまわない。”という、そのような余裕満々な心情を持つようになるとき、自分自体が、この決意を、このような題目に対する主体観を確立すれば、問題になりません。問題になりますか、なりませんか? どちらですか? (「なりません。」)なるのですか、ならないのですか? (「なりません。」)なりません! (「アーメン。」)「永遠アーメン」。 「アーメン」は、いつやってもいい、というものではありません。一度すれば、よいのです。永遠を代表して、「アーメン!」。それは、“私は、このように決めたので行く。”という決意で言うのです。 ですから、母の中の母、“母の王”になる人とは、母の中で最も豊かに暮らし、よく食べ、お乳をよく飲ませ、子供たちをよく育て、お金をたくさん持って暮らす人なのではありません。いちばんの地獄生活をしながらも、豊かに暮らす人をうらやましく思わないように愛する人が、愛の母になるのです。分かりますか? (「はい。」) 「民族を愛することにおいて、どの国の愛国者よりも愛し、自分の一生を中心として、国を超えて、より大きな国の忠臣の道理、孝誠の道理を、自分を通して成し遂げるということを考えるとき、間違いなく『天一国』の国民になることができる。アーメン。」と言うことができなければなりません。 今まで、神様と同じ位置に立つことができなかった恨がありましたが、神様と同じ位置に立つことを、どれほど慕わなければならないでしょうか? どれほど思慕し、共に暮らすことをどれほど慕い……。 共に同参し、どこに行っても一緒に働き、一緒に行うことができるように同参するのですが、困難な所でも、楽しい所でも同参して暮らし、共に行動することができるのです。 そのようになることによって、この主体的な題目の完成を自動的に成すことができる結果が結ばれます。そこから希望の光が輝くのです。暗い世界は過ぎ去り、朝日に照らされることによって……。わたしは、「正午定着」という言葉を言いました。 影すらも共にいてくれず、完全なる独りの境地にいたとしても、“私は、このような使命的な主人であることに間違いないなあ。”と考えるのです。 そうして、天地に対して感謝し、万物に対して感謝し、自分のことをそのように信じてくれる環境に対して、“地上の万物から動物から人まで、すべての人生、すべての歴史において、自分を補助してくれることのできる協助者たちは、すべてが、私を助けるための、私を覚醒させるための教材として生きていったのだなあ。”ということを悟り、“このようなものは、私のためのものではなく、同じ立場で、これらをすべて解放させる共同責任の下で生きなければならないのだなあ。”と考えるのです。 このように考えながら、“自分一人が豊かに暮らそうと考えることはできない。”ということを発見して、世の中のいかなる困難にぶつかっても、自分が幸福な環境にいたとしても、それを超えて、“不幸な位置までも自分が開拓し、神様の代わりに王座に就こう。”と考えることができてこそ、「天一国」を相続することができる相続者になるのです。分かりますか? (「はい。」) ですから、同位権を慕って、涙を流さなければならず、共に暮らすために涙を流さなければなりません。わたしたち統一教会の教会員は、そうです。霊界に通ずる人たちは、そうです。先生に会いたくて、(泣いて)目がはれるのです。あまりにも泣いて唇がはれ、耳が詰まるのです。そのような現象が起きます。 一緒にいたくて、一緒に暮らしたくて、一緒に働きたいとき、死の道を避けて行く、そのような人よりも、死の道を行っても、自分が先頭の旗じるしを高く掲げることができる人でなければなりません。 そうして、喚声を上げながら、「神様のために、孝子になるために行く。“孝子になった”ではなく、“孝子になる”ことを願って、今もまだ行くべき道が残っているので、日が暮れる前に行かなければならない。」と言い、「日が昇る前に行かなければならない。」と言うことができる人でなければならないのです。 このような受難の道を自己決定することのできる人たちだけが、この目的を成し遂げることができるのであり、その主人公になりうる可能性が高いと見るのです。アーメン。(「アーメン。」)自分のことだけを考えてはいけません。分かりますか? (「はい。」) 先生がどこかに行っていれば、先生がどこに行っているのかと……。いなければ、どうするのですか? 霊界に行ったのならば、“霊界であっても、ついて行きたい。”と思い、“一緒にその場にとどまり、一緒に暮らしたい。”と思って、そのようにして同参し、日々と生涯を共に行動することができます。 そのように生きることによって、愛の息子、娘になったのであれば、父に侍って父母の愛を受け、兄弟がお互いに愛し合いながら、神様が千年、万年、喜び楽しまれるように暮らすことができます。 今は、そのようにして、わたしたちの家庭が拡大する個人的時代であり、家庭から氏族、民族、国全体に責任を持って繁栄することができる時代です。そのようにして、国まで愛することのできる喜びの神様にしてさしあげることができるのです。 皆さんは、「そうすることは間違いない。」と、言うことのできる、そのような“自覚的自我”というものを発見して、生きなければなりません。アーメン。(「アーメン。」)分かりますか? (「はい。」) 同位権(の位置)に立つために、どれほど涙を流し、どれほど……。例えば、日本人で言えば、玄界灘を越えるために、船がなければ、たとえ難しくとも、“泳いででも越えていかなければならない。”と考えて、そのようにすることができるかどうか、ということが問題です。 その人が、我知らず、玄界灘を泳いで越えていく途中で死んだとするならば、その人は、どのようになるでしょうか? 同位(権)の位置を取り戻したという勝利の条件を持って死んだので、その人は、神様の近くに行くことができるのです。分かりますか? “ああ、真のご父母様と一緒に暮らしたいのだが、ご父母様が苦労しているので、千倍、万倍の苦労をしてもよい。そうして、持っているものをすべて掃き捨て、その生活圏内での相対的基準において、だれよりも努力して、ご父母様を、より解放された喜びの立場に立ててあげよう。”と考えることができなければなりません。 そして、“自分は、極の極の立場で、苦難を消化しながらも、感謝の賛美をささげ、侍り仕える栄光を天の御前に、子孫の前に永遠に誇りとして残してあげよう。”と思うことのできる人になってこそ、そのような主人になることができるのです。アーメン。(「アーメン。」)分かりますか? 同参です。先生がおじいさん……。神様は、何歳ですか? おじいさんは何歳ですか? 何ですか? (「三十八歳です。」)神様が、ですか? (笑い)千歳、万歳、年を召されたおじいさんなのですが、そのような人を、世の中で何と言いますか? 老人ぼけにかかって……。 しかし、老人ぼけにかかって、頭のおかしくなった父親であっても、その父親に対して、幸福な母親に対する以上に侍って、慕っていくような孝子、国に対しては忠臣、聖人、“聖子”とならなければなりません。その栄光の道は、“私でなければ、完璧に成すことができる人はいない。”と考えて、主体的な観念を持って、越えて行かなければなりません。 “そのような主観的観念を持たなければ、そのみ旨を成すことはできない。”と、考えることのできる自覚的な実体圏を発掘し、感謝しながら行く人になることによって、「天一国」理想圏に生きる“平定的世界”の開拓者となり、師となり、主人になることができるのです。アーメン。(「アーメン。」) 「私は、きょう、四十三回を超える新しい『真の子女の日』の、このような祝賀の場において、新しい起源を中心として、新しい主体的自覚を決心した以上、きょう、今から新しい世界に向かう人であることは間違いない。」と言うことができなければなりません。 心と体が一つになって、心身一体であり、一心、一体、一念です。一念とは、何でしょうか? 「神様の前に孝子となり、国の前に忠臣となり、世界において聖人、“聖子”の道理を果たし、千年、万年たっても、幼い時の孝誠の心が、万年の後にも変わることがない、そのような孝誠の心を持って、永遠に父母に侍って暮らします。」と言うことのできる群れにならなければ、このみ旨に参席できる者になることは簡単ではありません。分かりますか? (「はい。」) さあ、このようなことをすべて話さなくても、完全に理解したことでしょう。ですから、先生が、これ以上話をしなくても、恋煩いにかかった人以上の心を持って、しっかりとした精神を持ち、正々堂々と旗を掲げて、「私に従って来なさい。」と、号令することができる主人とならなければなりません。 そうすることによって、自覚された実践的結果を残すことができれば、そのことによって、天の国の地上歴史時代に、自分の伝統を永遠に残し、自らの生涯の結果として、栄光の主である神様と、万代にわたって栄光の場に同参することができるのです。アーメン。(「アーメン。」) そのようにしたい人は、立ってください! さあ、きょう、新しい「真の子女の日」を中心として決意する意味で、両手を挙げて、神様の御前に誓わなければなりません。(「お誓いいたします。」) (「お誓いいたします。」黄善祚会長) 三回、しなければならないでしょう? (「お誓いいたします!」黄善祚会長)(「お誓いいたします!」)(「お誓いいたします!」黄善祚会長)(「お誓いいたします!」) 真のご父母様は、祝福します。祝福します。祝福! (「します。」)します。(「アーメン。」)神様の祝福が、共にあらんことを。(拍手) (「全員で、万歳三唱いたします。梁昌植会長の音頭で万歳三唱いたします。」) 祈祷ではないのですか? (笑い)「天一国」です。 (「真のご父母様の祝祷がございます。」) (祝祷)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.15
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2025.06.13
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Web説教「入宮後の天の父母様と私 ~ 真の父母様とひとつになった磁石~」2025/06/12 #世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「入宮後の天の父母様と私 ~真の父母様とひとつになった磁石~」説教者:柴沼邦彦一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.13
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霊人体が離れる瞬間、天の父母様に叫んだ哀願-み言葉-キム・ジュファン チ-ム長-1686次 修練会2025/06/10天心苑TVは韓国語、日本語、英語の字幕を提供しています。ユーチューブの日本語字幕をオンにしてください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.12
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【20年ぶりに走った男】私の命が神様の存在証明2025/06/07第52期孝情天寶修錬生の証(36歳信仰二世)ーーーーーーーーーーーー既成家庭の信仰二世として教会から距離を置いていた私が戻ってきたのは、14年前のことです。当時は就職氷河期。教会には信仰というより、ただ“関わっていた”というくらい。でも、ある日。母に連れられて教会に行ったことが、すべての始まりでした。その日から、原理講義のビデオを見て、初めての“千葉21日修練会”に参加しました。私の信仰生活が始まりました。あれから14年。信仰を持ち始めてからの道のりは、過酷なものでした。私は生まれつき、再生不良性貧血という病を抱えていました。20代後半、その症状は急激に悪化し、ヘモグロビン値は4.9、血小板は900。どれくらい深刻なのかというと…口をすすいだだけで歯茎から血が出て、カミソリで指を切れば1時間も血が止まらない。駅から職場までの道中で倒れ、見知らぬ人に助けられたこともありました。医者からは「命が危ないです。すぐに輸血が必要です。」と言われました。生きるには、輸血依存で一生病院で過ごすか、リスクを覚悟して骨髄移植するしかない。私は賭けました。「やります」と答え、大学病院の無菌室で、抗がん剤と放射線の治療に耐えました。虫歯一つが命に関わるほど、極めて危険な状態でした。1度目の移植は、失敗でした。追い打ちをかけるように血球貪食症候群という自己免疫疾患になってしまいました。自分の正常な血液も自分で破壊してしまう病気で元々の再生不良性貧血とあわせて血液がなくなっていくので、このまま終わってしまうのかという恐怖に襲われました。それでもあきらめず、2度目の移植で奇跡的に血が作られ始めました。けれど、そこから半年後――今度は視神経脊髄炎という病が私を襲いました。足の裏から始まったしびれが、胸まで、そして首まで。私は全身が麻痺し、完全に寝たきりになりました。それでも、祈りました。母も、教会の兄弟姉妹も、先祖も、祈ってくれていた。その祈りが、きっと私を支えてくれたのだと思います。3ヶ月のリハビリの末、私はまた歩けるようになりました。それから数年、自宅で療養し、2年前から再び社会に出ることができました。そして、今年。再び千葉へやってきました。“第52期孝情天寶21日修錬会”驚くことに、14年前と同じ5月の21修でした。この期間、講義だけでなく家庭部長、班長、マザーとの面接そして兄弟姉妹との出会いが私に強い希望をくれました。今まで後ろめたく思っていたことを、全肯定された期間だったからです。堕落性だと思っていた自分の後ろめたい部分が、見方を変えると神様が与えた天性だと気づけました。その最中、ある朝ふと、階段を上りながら「……あれ、走れそうかもしれない」と思いました。――そして、私は走っていました。それは、20年ぶりのことでした。走るという当たり前のことが、私にとっては“神様からの贈り物”でした。最終日、天心苑で祈っているとあることに気づきました。―私は7年ぶりに、ご父母様のお顔を見ている。―7年もの間、私は父母様の顔を直視できないでいたことを自覚しました。私はやっぱり神の子で、今日から本当に生きていける。そう思いました。今、私は確信を持って言う事ができます。―神様は私の中にいる、絶対に―私が生きているのがその証拠です。私の病気は命を落とす可能性が非常に高く、回復した例が報告されていないものでした。普通ではあり得ない奇跡が、私の体の中でたくさん起こっています。身体の中に、常に神様を感じるようになりました。教会を離れたら、生きられないんじゃないかなと思っています。この体は、もう一度神様からいただいた命。この人生は、神様と共に歩む“第二の人生”です。ーーーーーーーーーーーー本動画は、信者の証しをもとに構成された体験記です。命・家族・祈りなどをテーマにした、実話をもとにした感動ストーリーをお届けします。チャンネル登録のうえ、次回の配信もぜひご覧ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.08
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천심 Weekly : 음인혁기획팀장一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.06
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ノア メッセージ 第1317回 天心苑特別徹夜精誠 (0603)https://www.youtube.com/watch?v=TRd04gHhxIU2025/06/04第1317回 天心苑特別徹夜精誠 (0603)天苑宮天一聖殿入宮より51日目苑長のみ言葉の中で紹介されました。✼••┈┈••Vision 2027 Victory!••┈┈••✼💫1997年8月 李相軒先生 〔霊界で会った人たち:ノア〕• ノア🌸お前の信仰が神の怒りを抑えた🍓霊界で会った人たち🍎李相軒先生 ✼••┈┈••Vision 2027 Victory!••┈┈••✼一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.05
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真のご父母様の御言天一国三年(二〇〇三年)一月一日、韓国・天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿第三十六回「真の神の日」午前零時の御言このみ言は、今年一月一日、第三十六回「真の神の日」の午前零時を迎えて、真のご父母様が天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で祈祷された祝祷とみ言を翻訳し、編集、整理したものです。(文責・編集部) ここは、平和大使ですか? 何ですか? 平和大使ですか? 日本のメンバーですか? 真の愛で、真の家庭になりましたか? 心と体ではありません。一心、一つの心であり、一体、心と体が一つにならなければなりません。それから一念です。それは思想です。一心、一体、一念。一念が一つになったとしても、自分勝手になってはいけません。目が勝手にして、鼻が勝手にしてはいけないでしょう? 分かりますか? (「はい。」) 鼻を一度、つまんでみてください。全員、つまんでみてください。鼻をつまんでみなさいというのです。 この者たち。つまんで、思い切り息を吸い込んで、ぶっと押し出してみてください。目からも空気が出て、耳からも出て行くでしょう? 口からは、どうですか? 当然でしょう? 細胞からも、すべて出て行きます。 すべて通じるのです。 これ(鼻)は、アダムを表します。このように立っているのは、これ(鼻)と、男性の生殖器しかありません。ここから流れた水が、このように流れて、おへそを通り、男性の生殖器が行く道の中に落ちるように合わせて生きなければならないのです。女性は、受ける側なのではないですか? 女性が主張するものはないというのです。 このような話をしていては、きょう、わたしが風邪を引いて、本当に病院に入院しなければならないと心配するかもしれませんが、入院する必要はありません。 心配する必要はないのです。何のことか分かりますか? (「はい。」) 真の愛で、真の家庭にならなければなりません。「真の愛で、私たちの家庭は、天一国の孝子、忠臣、聖人、 聖子の真の家庭を完成させます」です。最後の「完成 하소서」は、「完成させたまえ。」ということですが、 それは、「完成します。」ということです。完成することは、わたしたちの責任なのです。 「させたまえ。」というのは、祈ることですが、それは、あまりにも大きな宇宙が残っているので、そこまで連結させようとすれば、一つの家庭ではできないので、「させたまえ。」と言って、未来に余韻を残して言うのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) さあ、一度、孝子になりますか? 一度、孝女になりますか? 孝子と孝女の夫婦にならなければなりません。そのことを知らなければなりません。 孝子と孝女の夫婦になれば、自分の母親と義理の母親と、一つの家で暮らさなければなりません。それは、 カインとアベルです。嫁が、それをしなければならないのです。それを、どのようにしなければなりませんか? それを、どのようにするのですか? このエバが堕落したのです。それができなければ、あの世に行って……。 先生は、このようなことを間違いなく、すべて教えてあげ、原理原則、天理の道理を明らかにしてあげました。その教えてあげたとおりに守った人は、皆、神様の家に入って行き、故郷と国を訪ねて行って、天上世界と地上世界を自主的な権限を持って、思いどおりに行き来することができます。 ところが、すべて教えてあげたにもかかわらず、そのとおりに生きず、息子、娘を生んでからあの世に行けば、「同じ統一教会員なのに、お父さんとお母さんは、 なぜ、このようになったのですか?」と言われるのです。 家庭で楽園や地獄に入って行って、「お父さんとお母さんは、何をしていたのですか?」と言われれば、何と答えるのですか? 「先生の話をうそであると思って、 自分勝手に生きたのではないですか?」と言われます。 問題が大きいのです。 それは、過ぎ去っていく言葉ではありません。「真の愛で、私たちの家庭は、天一国の孝子、忠臣、聖人、 聖子の真なる家庭を完成させます」という言葉は、過ぎ去っていく言葉ではありません。 それは、宣言文です。何パーセントであっても、それができなければ、切ってしまうのです。今では、もう、かき抱く時代は過ぎました。堕落したので、「祈ります、祈ります。」と、そのように言うのです。なぜ、 祈るのですか? (「家庭盟誓」の)盟誓文では、何というのですか? 「『天一国』主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として・・・・・・」。一番は、その次に何ですか? 本郷の地を求めて、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建しなければなりません。それ一つだけを成しても、天国に行くのです。 二番目は何ですか? 「神様と真のご父母様に侍り、 天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を・・・・・・」。そして、王圏に行くのです。王圏の前で相続を受けるのです。 どろぼうのような者たちが、「神様、福を下さい。福を下さい。」と、言っています。それでは、福が向かうことができません。自分の子女で争いが起きます。自分の息子、娘が、完全な信仰圏に入って来れば、福を受けるはずですが、なぜ、息子、娘に争いが起きるのですか? なぜ、殺戮戦が起きるのですか? キリスト教が、そのようになっています。牧師と長老が闘っているのです。 そのようなあやしげな所で、何が天国ですか? それでは、「賤」という字に「国」の“賤国”です。「天」 という字ではありません。 「天一国」は”二人”を表します。「二」という字に「人」と書けば、「天」という字でしょう? ですから、 「天一国」とは、”二人が一つになった国”のことです。 両目(の視力)も、一・二と一・二が合わなければなりません。合わなければ、目まいがします。鼻も、詰まれば、鼻声になります。今朝、してみたのですが、 鼻が詰まれば、すぐに、この鼻の穴を通るようにしておけば・・・・・。 その鼻の穴の通りをよくすることも、わたしが考案しました。いくら風邪がひどくても、一日に三回だけ掃除してしまえば、風邪も逃げ出さざるをえないというのです。そのような運動を教えてあげようと思うのですが、教えてあげません。 先生が七分間、運動すれば、一日二十四時間、無理をしても、何時間運動した人でも、わたしにかないません。先生は、今でも丈夫でしょう? (「はい。」)先生は、監獄で、死の境地で訓練を受けた人です。天の命令によって訓練された体なので、思いによって、すべてのものをコントロールしなければなりません。 ふう~! (笑い、拍手)イエス様も、そうではないですか? 「聖霊の火を受けなさい。」と、言ったのです。ふう~! (笑い) ここにいる人たちは、あれ(大型モニター)を見ているのですね。半分しか見えないので、悪口を言っても半分しか聞こえず、反対する人が半分にしかならないので、よいというのです。そこは、しきりにあちらを見ていますね。なぜ、後ろを振り返るのですか? この者たち。(笑い) かげろうも、明るい明かりがあれば、後ろを振り返って、このように行きますか? さっと振り返って、頭から、目から激しくぶつかって行くようになっています。それが本能です。皆さんも同じです。 真の愛には、首でも何でも、命でも激しくぶつかって行くことができなければなりません。自分の利益を追求して計算し、「ああ、私は戻る。」と言えば、滅びます。滅びるのです。 死なんとする者は、何ですか? (「『生きる。』です。」) 生きんとする者は、何ですか? (「『死ぬ。』です。」) 千回、万回、“死のう。”という決意をしなければ、神様の所にまで行くことはできません。文総裁は、命を砲弾のように、銃弾のように命中させます。それは、 何砲ですか? 爆撃砲、大砲、原子爆弾のように、間違いなく的中します。あれほど、わたしを怨讐視していた人たちを、すべて屈伏させました。 ここに来ている人の中で、文総裁が怨讐であると思っている人は、手を挙げてみてください。賞を上げます。(笑い)いなければ、皆、福を受けるということですか? わたしの福の倉庫が開いて、どろぼうして行くかもしれません。もっと良い物、もっと良い物、もっと良い物と、定着してから、もっと良い物を考えなければならないのであって、位置もなく、上がって行って落ちれば、地獄の底で、おしりでも何でも・・・・・・。 何ですか、これは? (「お母様が、『持って行ってさしあげなさい。』と、おっしゃいました。」)大丈夫です。 もう、話を終わります。話をしてあげれば、“ありがたい。”と、思うことができるでしょう? 分かりますか? (「はい。」) 孝子の家庭になるためには、女性のかたたちは、神様の夫人の代わりであり、その国の女王の代わりです。 また、おばあさんの代わりであり、お母さんの代わりであり、烈女の代わりであり、自分の娘を教育することができる師の代わりです。そのような女性がいますか? この女性たち。 自分勝手にどうにかして、何になるというのですか? その程度のことをするのならば・・・・・・。文総裁は、 賢い人なのです。このように苦労せず、このように大勢の人が集まっているからといって、わたしはうれしくありません。これは、すべて心配です。地上も心配であり、あの世に行っても心配です。 真の父母だと、霊界に行けば、あいさつをするでしょう? そのときに、「この者たち。賢いといわれる者たちが、なぜ、ここに来ているのか?」と言えば、息子、 娘が、何と言うでしょうか? 「私たちのお父さんとお母さんを片付けてください。私は、真の父母に従って行きます。」と、言うのです。そのようになれば、どうするつもりですか? 天国は、お父さん、お母さん、四位基台で入って行くのです。ただ過ぎ去っていく流れ者ではありません。 旅をするこじきではありません。間違いなく結婚しなければならず、結婚すれば、妻を愛さなければならず、 息子、娘を生まなければなりません。 そうして、女性が、その家門の女王となって、義理の父、義理の母、自分の夫、義理の妹が反対したとすれば、彼らをすべて自然屈伏させることができるようにしなければならないのです。女性たちが行くべき道は、そのような道です。 統一教会の教会員たちは、どこに行っても、あらゆる五色人種と結婚しても、統一教会の女性たちは、世界のどこでも歓迎しています。最初は、苦しめようとして、あらゆることをしていた者たちが、「うちの嫁が一番である。」と、言っているのです。 それでは、皆さんも、”先生が一番である。”(親指を立てられる)と、思いますか? (「はい。」)神様が、一番でしょう? 自分が立つ位置、座る位置を区別することができなければ・・・・・・。立つ位置、座る位置を知っているのか、ということです。韓国語に、そのような言葉があるでしょう? ですから、神様をお迎えして暮らすのですが、どこに行っても、お父様を優遇してさしあげるのであって、 自分を優先させることはありません。 それでは、統一教会に入って来て、損害を被った人は、手を挙げてみてください。調べてみましょう。 今から、真の家庭が、皆さんたちの家庭に入って行けば、おじいさんを神様の代わりに侍らなければならず、世界の王として侍らなければならず、自分のお父さんに対しても、世界の王として侍らなければなりません。そうして、自分たちも神様の代わりとして、真の父母の後継者として侍ることができなければなりません。そのような家庭にならなければなりません。 個人主義が、どこにありうるでしょうか? 個人主義は、すべて滅びます。そして、家庭で学んだことが、 天上世界にまで行ったとしても・・・・・。家庭には、赤ん坊がいて、自分の妻がいて、お母さんがいて、おばあさんがいるでしょう? おじいさんがいて、お父さんがいて、夫がいて、息子がいます。これがモデルです。 国においても、数多くの家庭がありますが、それも同じです。赤ん坊が大きくなるのです。国家的赤ん坊、 それから夫、そのお父さんとお母さん、それから、そのお父さんとお母さんの父母である、おじいさんとおばあさんです。そのように三代を中心として、 公式的な形態が大きくなるのです。 それで、氏族は何かというと、わたしたちの家庭のようなものが、何千倍にもなるのです。分かりますか? 何千倍の家庭を無視するので、天国は、なくなります。行く道がふさがるのです。 ですから、自分の家庭を中心として、親戚を愚弄し、 利用してしまう家庭は、存続することができません。 いくらも続くことができないのです。その主人が死んでしまえば、財産が飛んでいってしまうというのです。 分かりますか? 孝子の芽が、忠臣の出発起点です。分かりますね? その忠臣の家庭というものは、どのような家庭でしょうか? 氏族は何千家庭にもなりますが、自分の一家庭を中心として、何千家庭を自分の下にして踏んで行こうというのは、どろぼうです。そうして、忠臣の芽に連結されるのが、聖人です。これは、国の基準を超えています。 宗教指導者、聖人たちは宗主です。宗教の主人です。 ですから、サタンが主管できません。それで、楽園に行くのです。そのようなことが、間違いのない公式になっています。そのようなことを、すべて知ってから天上世界に行ってこそ、堂々とすることができるのです。しがない人のように、何も知らずに、自分の権勢を振るうことができますか? 分かりますか? ですから、聖アウグスティヌス、使徒パウロ、イエス様、孔子、釈迦、マホメット、ソクラテス、哲学者、 すべて「文総裁は救世主である。メシヤである。再臨主である。真の父母である。」と、言っているのです。 そのように言っています。 わたしは、「そのように言いなさい。」とは言いません。真の父母が、それを願ったからといって、そのようになるでしょうか? わたしが、(旧)ソ連の初代大統領になった人と会う約束をしたのですが、会いませんでした。ブラジルの大統領にも会いませんでした。米国の大統領も、二度、 「会おう。」と言ってきましたが、会いませんでした。 この韓国でも、大統領のほうから「会おう。」と言って、それで会ったのであって、わたしが訪ねて行ったのではありません。 わたしは、「助けてください。」という言葉は、言えません。「また大統領をやるというのならば、わたしが教育しなければならないが、教育して、これ以上に国を生かすことができる道を教えてあげるつもりだが、 そのようにするか、しないか?」と言うと、「します。」 と言ったのです。それでも、そのようにしません。 ”過ぎ去っていく客である。”と考えて、うそをついても、うそは通じません。骨髄に透徹し、天上の生命録に記録されることを知っています。天は欺くことはできません。分かりますね? あの世に行ってみてください。会えば、すぐに分かります。何千年前の人であったとしても、四大聖人たちが、先生にあいさつするでしょうか、しないでしょうか? 四大聖人、イエス様もそうです。「真のご父母様、お願いします。イスラエル民族を助けてください。」 と、言うのです。 ですから、「十字架を外しなさい。」と、言うのです。 そのようにしてこそ、滅んだキリスト教が生き返ります。復活の宗教であるキリスト教の十字架は、死の罪人を縛りつけるものです。イエス様に聞いてみなさい。 イエス様に家庭があったならば、ローマの教皇があったでしょうか? 何がベトロの聖堂ですか? イエス様の息子、娘たちによって、すべてが成され、六世紀以前に、世の中は神様の国になっていたはずです。 しかし、それが成されなかったので、イスラエルの国も追い出され、七世紀に入って、イスラム教が現れたのです。それは歴史的事実です。なぜ、そのようになったのでしょうか? 六数を待ったのです。悲惨なことです。 そのような歴史をすべて知り、イエス様がかわいそうなので、イエス様の恨を解いてあげるために、また、 マリアがかわいそうなので、マリアの恨を解いてあげるために、つづられてきた歴史です。マリアとイエス様を追い出して殺したので、その教会が旧教と新教・・・・・・。 見ていなさい、というのです。息子、娘がすべていなくなり、今では、共同墓地の前に行って地に伏し、 何日か後に、ヨルダン川を越えて行って・・・・・・。「ヨルダン」とは、何ですか? それは、(韓国語で聞けば、) “断絶された川”ということです。ですから、ヨルダン川を越えて、出会おうということです。 十字架を取り払わなければなりません。今から、それが行われます。全世界的に、連合教の名によって行われるのです。どこでですか? 米国を本部とする教会です。従って来るか来ないか、見るのです。 孝子の伝統が、忠臣の伝統を受け継ぐことができます。分かりますか? 宗教圏を成す宗主たち、キリス卜教、儒教、仏教、マホメット教、彼らが、忠臣の伝統を受け継いでいくのです。それは聖人です。それは、 サタンが主管することができないので、楽園に行っているのです。 すべて、そのようになっています。霊界の実相を見てみると、先生が教えてあげたことが、ぴたっと合っているでしょう? 合っていますか、合っていませんか? (「合っています。」) この者たち。どれほどいいかげんに扱いましたか? だれが、神様王権樹立ということを信じましたか? 分からないので、しかたがありません。わたしが教えてあげたのです。はっきりと教えてあげました。 それにもかかわらず、霊界に行って、「先生!」と言い、「何だ?」と聞かれて、「私が、ここに来ました。」 と言っても、中間霊界以下に行って閉じ込められてしまいます。 そうして、自分の息子、娘に、「同じ村で暮らしていた○○家庭が、神様の家に入って行って解放天国になり、天下の相続者の権威を持って、神様の代わりに自由に行うことができるのに、これは何だ?」と言われ、「お父さんとお母さんは、なぜ、私たちを教育できなかったのか?」と……。 何のことか分かりますか? そのモデルです。孝子家庭のことです。わたしたちの家庭は、真の愛を中心とした「天一国」の孝子家庭です。それは、孝子祝福家庭のことをいい、孝子孝女家庭のことをいい、忠臣烈女家庭のことをいいます。家庭に関していい、息子、 娘の三代を中心とした家庭のことをいうのです。一つになりましたか? 一つにならなければ、脱落者です。 今から、先生が霊界に行く日は遠くありません。霊界で、先生が来ることを願っているでしょう? 先生が来れば、一時に革命が起きます。鉄板を敷いてしまうので、地獄からの恨み声は聞こえません。 堕落していないアダムとエバが天国に行くときに、 地獄があって、怨讐たちが「私を助けてください。真のご父母様!」と叫んだでしょうか? 鉄板を敷いてしまうのです。 神様は愛です。文総裁の性格を知って、その原理原則を中心として、そのままするようになれば、皆さんは追い出されて、影もないはずです。全員、悔い改めなければなりません。 サタンが屈伏した日は、何日ですか? (「一九九九年三月二十一日です。」)その日は、わたしが日本に行っていた日です。上陸して、この怨讐の国を・・・・・・。見てみれば、すべて不思議に思うほどです。分かりますか? (「はい。」) ですから、皆さんが孝子、孝女になることができ、 その孝子、孝女が夫婦となり、天道に背いたアダムとエバ、第二代先祖になることができず、三代圏を・・・・・・。 息子、娘を生んで、三代を立てるためです。 なぜ、文総裁の祝福が必要なのですか? (小山田) 儀子さん? (「はい。」)三代が必要です。分かりますか? (「はい、分かりました。」)二代は必要ありません。(「はい。」)小山田氏が、いくらりっぱでも、二代ではだめなのです。 アベルとカイン、息子、娘を祝福して、一つになり・・・・・・。自分も、アダムから出てきたのです。母親のおなかの中から出てきた二人を一つにして、これ(妻) が、(夫である)アダムに入って行かなければなりません。 そして、息子、娘を育てるためには、お父さんとお母さんが、骨を削ってでも責任を果たさなければなりません。(妻が、夫であるアダムの中に)入って行かなければならないのです。これ(妻)が(夫であるアダムの中に)入って行って、一つになり、無形の神様に帰って行くのです。これが原理です。公式です。 神様に帰って行ったので、無形の実体であられる神様が、家庭的基盤を中心として、一族七代、十二親等以上が、すべて一つになって入って行くことによって、 初めて国が出発することができるのです。その起源を失ってしまったので、それを再び編成して、入って行かなければならないのです。 ですから、一族を祝福することができなければなりません。これを知っていれば、昔と同じように、ご飯を食べたいだけ食べ、寝たいだけ寝て、遊びたいだけ遊んでいる時間はないのですから、無駄に時間を過ごすことはできないのです。あれこれと、統一教会で生きていく習慣性などというものは、ありえません。先生は、もういません。 それで、今回、米国で先生が使っていたすべての物を、プレゼントとして分けてあげました。着ていたすべての物、汗を流しながら、あらゆる受難の道を耐えて涙を流し、その涙が染み込んだ服を見て、そのごとくに生きなさいというのです。梁昌植氏、分かりますか? (「はい。」) そのように生きなければ、その服が讒訴します。その服で、み言を残しました。み言を残し、そのみ言をもって、実体を残したのです。旧約時代の完成であり、 それから新約時代の完成であり、夫婦まで完成することができるのが、成約時代の完成なので、実体の実績を持たなければ、国を解放することはできず、天国に入って行くことはできないのです。分かりますね? (「はい。」)分かりますね、この者たち。(「はい。」) 自分の命まで火に燃やしてでも、神様の国を取り戻さなければなりません。文総裁は、"哀(・)国者”です。何国者ですか? (「愛国者です。」) 「愛」ではなく、「哀しい」というときの「哀」という字です。国を取り戻すために、多くの涙を流した”哀国者”です。哀しみの代表者ということです。 神様の真の愛を持つようになったので、すべて引っ繰り返すのです。このようになっていたもの(手の甲を上にして、両手を前に出される)が、このようになり(両手のひらを上に返される)、これが、どのようになりますか? このように(手のひらが上に)なってこそ、(両手が合わさって)一つになるでしょう? そのようにしてこそ、このように手を合わせることができるでしょう? このように(手の甲を上に)して、このように (両手の親指を下にして両手の甲を合わせて)一つになることができますか? このように(両手のひらを上に)すれば、(手を合わせて)一つになるのに問題がないでしょう? 今は、このようになっている(手の甲を上にされる) のです。それを引っ繰り返して、このようにならなければなりません(手のひらを上に返される)。百八十度、 引っ繰り返さなければなりません。そうすれば、この左側の共産党がなくなります。ここ(手の左側にあった場所)が、なくなります。共産党がなくならなければならないのです。共産党と一つになり、文総裁が金正日総書記も愛して、すべて・・・・・・。 その愛は、"救ってあげよう。”ということです。(旧) ソ連の共産党も、(霊界にいる)マルクス、レーニン、 エンゲルスのような人たちも、「文総裁が共産世界のメシヤである。」と言ったのです。それで、「メシヤとして侍りなさい。」と、(共産主義者たちに向かって)懇切な哀願の声を上げているのです。分かりますか? それは何かというと、今からは、皆さんよりも、聖人たちが先頭に立つということです。 良心的な人たちや賢い人たちを呼んで、すべて奪ってしまうのです。聖書では、天国はどのようにされていると言っていますか? 何をする人が、そのように奪うのですか? (「『激しく襲う者が」です。」)奪い取るというのですか? 天国は・・・・・・、何ですか? (「『天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。〔新共同訳聖書「マタイによる福音書」十一章12節〕』です。」)すべて、そうです。 ですから、投入しなければなりません。皆さんが霊界に行けば、聖人や聖子たちに対して教えてあげなければなりません。祝福を受けて、先に息子、娘も生んだでしょう? (「はい。」) 国がなければ、国の看板をつけ、追い出されて散らばっていた帝王の一族は、国を取り戻せば、その血族に従って、栄光に同参することを認めるのです。 今まで自分勝手に生きてきて、勝手にうろつき回り、 隅の方で、どのようになるのですか? サタンの餌になってしまうというのです。警告します。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 一度、百パーセント、神様の御前に本当の孝子となり、孝子の家庭になってみたいと思いますか? それでは、何か惜しいものがありますか? それしかありません。 そのようにすることができるためには、自分の七代先祖を祭物にしてでも、成さなければなりません。資本金でも何でも、国まで売ってでも、成さなければならないというのです。 皆さんに、「ソウル大学や、他の大学に通っている者たちを、鮮文大学に転学させなさい。」と言ったのに、 そのようにしていなければ、先生が発表した日付を中心として起算して、それ以降に卒業した人は、統一教会から追い出してしまいます。 そして、大学を出ているのならば、もう一度、鮮文大学に入りなさいというのです。分かりますね? (「はい。」)苦労したので、秘密を教えてあげるのです。この者たち。 そのように理解して、「真の愛で、私たちの家庭は、 天一国の孝子、忠臣、聖人、聖子の真の家庭を完成します」。(「アーメン。」)皆さんが、責任を完成したとしても、そして、皆さんが、いくら国を建てたとしても、 世界に問題があれば、わたしが総合して、神様にささげなければなりません。皆さんが、ささげることはできません。それで、「完成させたまえ。」という表現をするのです。分かりますか? (「はい。」) 皆さんは、その国を取り戻さなければなりません。 この者たち。国を取り戻しますか、取り戻せませんか? (「取り戻します。」)この者たち。国が滅びるようになっています。北朝鮮も一大事であり、韓国も大事であり、日本も一大事であり、米国も一大事です。 行くべき道を行くことができません。統一教会に反対してきて、国が、すべて大変なことになったのです。 統一教会は朝日が昇って来るのですが、そこは、落ちていきます。急速に崩れていきます。見ていなさい、 というのです。文総裁は、預言で有名ではないですか? 先生が言うとおりにならないことが、どこにありますか? 最近のEメール時代、それから何ネットですか? (「インターネットです。」)先生が、インターネットのことを五十年前に話したとき、「まったく、あのような狂った者が、どこにいるか?」と言って、指を指されました。しかし、今、時が満ちたので、そのような時が来ました。そのような立場で出発したのです。 先生が以前、「教会は滅びる。」と言ったのですが、 そのときに反対していた神学者たちは、皆、恨んでいました。ところが、あの世に行ってから彼らは、千年の恨を抱き、文先生の前にひざまずいて、赦しを請う道もありません。 それでも、先生は、サタンまで解放してあげたので、 「そのグループに入り込んででも、国境を越えなさい。」 と言って、恵沢を与えるのです。「ありがとうございます。」と、言ってください。(「ありがとうございます。」) 先生に負債を返すことができますか? 日本のメンバーは、手を挙げてください。大勢、来ましたね。韓国人、手を挙げてください。韓国人が、 もっと多いですね。 さあ、そのように理解して、家庭のモデルが、聖人と忠臣と・・・・・・。忠臣のモデルが聖人に通じ、聖人のモデルが聖子に通じ、聖子のモデルが王権に通じるということを知らなければなりません。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) ですから、真の父母がいらっしゃる、その「天一国」 には、真の父母、真の主人、真の師、真の王がいるのです。分かりますか? 孝子、忠臣、聖人、聖子の王権と同じです。その位置まで超えて行ってこそ、相続を受けることができるのです。はっきりと教えてあげます。中間ではいけません。いくら、よくやってあげても……。 ただ福を受けようとして、それで福が受けられるのであれば、いくらでもやってみなさい、というのです。 そのようにだけしていては、死んでから共同墓地に行かざるをえません。 そのように理解して、共同墓地に行かずに、天国に行くことのできる間違いのない道というものを、今では、世の中がすべて知っているのです。 それで、今回、(米国の) ワシントンで・・・・・・。郭錠機氏! (「はい。」)この者たちに、少し話をしてあげてください。(「はい。」) 「決議文」を採択したでしょう? (「はい。」) その「決議文」の第一は、何ですか? 言ってみてください。第一です。(「第一、絶対真の父母であられる神様は・・・・・・。」)神様だけですか? (「『神様と真のご父母様』です。」)天地父母でしょう? (「はい。」)それから、何ですか? (「それから、『絶対真の師である神様と真のご父母様』です。」) それから、何ですか? (「『絶対真の主人である神様と真のご父母様』です。」)それから、何ですか? (「それから、『真のご父母様を、神様の実体を、真の父母、 真の師、真の主人として信じ、行います。』です。」)王です。王にならなければなりません。分かりますか? 真の父母、真の師、真の主人です。全員、主人ではないですか? 王は、一人しかいません。「統一家の祝福家庭は、先生の家庭を王(の家庭)として守りなさい。」と、言ったでしょう? 間違いなく話をして、すべて教えてあげたのです。分かりますね? (「はい。」) そのようにしてこそ、相続を受けるのです。(「はい。」) 王圏の前に行って王子になってこそ、相続を受けるのです。聖子にならなければなりません。それができなければ、あの世に行って、引っかかってしまいます。 自分の思いどおりには、なりません。天が、自分に従って来るのではありません。神様も、先生に従っては来られません。 先生が、神様がなされることをすべてしておいたので、神様は、それを見物して、「やあ、すべての道をうまくやったなあ。」と言われながら、また迫害するのです。そして、「また、あの山を越えて行きなさい。」と、 言われるのです。先生には、無慈悲な神様です。祈祷してみてください。 サタンが、道をふさぐのです。このようにしていては、自分の一族には何も残りません。赦しを請うて、 振り返ることを願わなければなりません。 先生が、サタンと神様との間の闘いを和解させなければなりません。神様が何を願われ、サタンが何を願っているのかを知り、「闘うのをやめなさい。」と、言うことができます。闘いを止めたので、近いうちに故郷に帰ることができ、祖国光復が可能なのです。分かりますね? (「はい。」)分かりますね? (「はい。」) 日本の人たちは、どこの国の人ですか? (「『天一国』 の人です。」)韓国も、なくなります。日本も、なくなります。「天一国」です。“二人”以上が、一つになるのです。”二人”以上です。それが、「天一国」です。 ”二人”というのは、「天」という字でしょう? ですから、「天一国」とは、”二人”が一つになった国です。世の中の人が、反対することはできません。 自分の国で一つになることができずに、戦場が広がっているのです。与党と野党が闘い、自分の心と体が闘っています。これが一つになっていない者が、何ですか? 修養し、修行して、それを一つにしようというのに、何が反対ですか? ですから、反対できないようになっています。名前が良いですか、悪いですか? (「良いです。」) 朱(東文)社長。(「はい。」)米国の人も、感服しているでしょう? CIA(米国中央情報局)があり、 FBI(米国連邦捜査局)があっても、米国で「『天一国』の民になりなさい。」と言ったとしても、「良いです。」と言って、後援するようになっているのであって、 反対するようにはなっていないのです。 先生の頭は、良いですか、悪いですか? (「良いです。」)神様が教えてくれたでしょうか、先生が発見したのでしょうか? 偽りの父母が失ってしまったので、 真の父母が捜し出さなければなりません。そこに、神様が、何の関係があるでしょうか? さあ、そのように理解して、祝福を、もう一度受けなければ、天国に入って行くことはできません。それは、絶対的です。”あなたの国と、あなたの一族をすべてささげなさい。”というのです。自分を否定しなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) “分かった。”という人は、手を挙げてください。両手を挙げてください。両手両足を挙げてください。おしりで一周回ってください。一周回りなさいというのです。世の中を整備して、戻らなければなりません。 これは、遊び事ではありません。否定して百八十度、 三百六十度逆さまに・・・・・・。 時計が、このように回っていたのですが、このように回らなければなりません。正しく進まなければならないのです。時代が変わりました。分かりますね? (「はい。」) そのことを忘れずに、きょうの標題を中心として、祝福を受けることができるに値する、ふさわしい皆さんの家庭になることを願って、願って、願います。(「アーメン。」) 「アーメン。」ではありません。「万歳。」です。(「万歳!」)万歳! (「万歳!」)万歳! (「万歳!」) (「全体、起立してください。私たちの感謝の心を合わせて、黄善酢会長の音頭で万歳三唱を致します。」) (「神様王権樹立勝利万歳。勝利された天地父母様万歳。『天一国』真の家庭完成万歳。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.02
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【末期癌回復】命をかけた“最後の祈り”2025/05/312024年2月―私は、総合病院のMRI検査で、衝撃的な診断を受けました。「がんが脊髄に転移し、神経にまで及んでいます」精密検査の結果は……前立腺がんステージ4。骨盤も、全身の骨も、腹部のリンパ節も転移していました。特に前立腺の90%、骨盤の90%は真っ黒でした。3月からホルモン治療を始めました。しかし、半年で効果はなくなり、新たな薬も、わずか2ヶ月で効果を失いました。残された選択肢は、抗がん剤治療だけ。私と同じ薬を服用していた人の半数は、3年以内に亡くなっていると言います。全ての希望が断ち切られた私にとって最後の選択肢だけが残っていました。「清平に行くしかない。」2024年12月―私はHJ天宙天寶修錬苑に向かい、天にすがるように天心苑で祈り、特別按手を受けました。文字通り、命がけの祈りでした。それから月日が立ち、毎月、血液検査を受けながら経過を見守る中で、驚くべきことが起こりました。腫瘍マーカーの数値が……なんと、0.06にまで下がったのです。奇跡が起こりました。天が私のために医療天使を送ってくださったんだと思いました。そして、私の為に祈ってくれた兄弟姉妹の祈りを聞いてくださいました。孝情天寶讃美役事、呼名祈祷、精誠を尽くしたすべての時間が、私の命をつないでくれたのです。たとえ小さな精誠でも、天の父母様と真の父母様は、必ず受け取ってくださる。私はこの命をもって、それを証しします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.01
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真のご父母様の御言天一国三年(二〇〇三年)一月一日、韓国・天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿第三十六回「真の神の日」午前零時の御言このみ言は、今年一月一日、第三十六回「真の神の日」の午前零時を迎えて、真のご父母様が天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で祈祷された祝祷とみ言を翻訳し、編集、整理したものです。(文責・編集部) 午前零時の祈祷 天のお父様。新たに「天一国」三年を迎えました。 昨年、「天地父母の理想である自由、平和、幸福の天一国安康」を設定した一年の忙しい日程を、あなたのご加護の中で終えました。 きょう、新しい年を迎え、元旦の標語として、「真の愛で、私たちの家庭は、天一国の孝子、忠臣、聖人、 聖子の真の家庭を完成させます」という標題を立て、 今年一年において、すべての家庭と天上の家庭が定着して、完全を成すことができ、真の父母、真の師、真の主人と、真の王を中心とした、天地の統一的な真の父母の伝統を受け継いで、新しい一年を出発いたします。 万福の根源であられるお父様! 地上に真の父母を送られて、多くの恨の時を傷減させ、今や、天と地が、共に水平線に立つことができる 「天上・地上和合統一大会」とともに、「天上・地上平和統一解放聖火式」を成し、それを終えた後に、天地父母平和統一平定時代を迎えるようになりました。 天と地が、共に一体理想を中心として、個人から天宙まで、水平的基準において、一つの目的に向かって前進しなければなりません。 そうして、個人完成を中心として、心と体が一つになり、一心、一体、一念を中心として和することのできる一和の実体を中心として、天が願った相対的理想を完成するためには、愛の理想のために絶対に必要な対象的基準として創造されたアダムとエバを中心として、無形の天の国の父母(※天の父母様)と、有形の実体である父母(※真の父母様)が一心、一体、一念、一和の統一的基準を中心として、 愛の理想相対を持たなければなりません。 そうしなければ、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛、神様の属性の主流的理想の目的を完成することはできません。 ですから、この愛の対象を何よりも貴く思い、あなたの絶対的願いであり、絶対的希望であり、絶対的所願である絶対信仰を標準として、真の愛の前に高貴な希望を抱くと同時に、その高貴な希望を完成しなければならないのです。 そのために、神様ご自身が、ごく小さなものから大きなものまで、全体に対して投入なさり、概念さえもご自身に残されることなく、投入なさっては、また投入され、また投入されながら、高貴な愛の理想圏を残されました。 その中で、愛の相対、対象圏であるアダムとエバの実体を中心として、無形の実体であられる神様が、有形の実体圏を成すために、アダムに対してすべてのものを施されました。そうして、アダム創造とともに、 アダムに似せてエバを創造され、実体的性相と形状の実体圏を中心とした夫婦の因縁を備えて、第三代の息子、娘を願われたのです。 しかし、その創造理想が、私たち人類の始祖の堕落によって、完全にみ旨を成し遂げることができなくなり、偽りの父母、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を中心とした、天と反対となるサタンを中心とした血縁を持つことによって、その世界に神様が介在なさることができずに孤独単身の立場に立たれるようになりました。 これを再び創造し直して、その創造理想を成就するまで、長久な歳月を苦労してこられた天の父母がいらっしゃったということを、人類は知りませんでした。 この霊界の秘密と実体世界の秘密を、真の父母を通して明らかにし、サタンがサタンとなった根本の由来と、サタンが神様の愛の怨讐である姦夫の立場に立ったという爆弾宣言をすることによって、サタンの行く道がふさがれ、個人的な勝利の本性的基準を取り戻すことができるようになりました。 心と体の一体、一念の一体、一和の一体を備えられた神様ご自身が、アダムの実体に対して、すべてを投入なさることによって、実体的形状の父母を持つことを願われ、そのためにアダムを創られ、その中からエバを抜き出し、相対的立場で性相と形状を中心として、 そこで陰と陽を分別して、四方を備えることのできる父子の家庭を目標とした実体定着地を願われたのですが、その理想が、今まで成し遂げられませんでした。 それが、真の父母が来て、この全体を解明し、すべてのことを明らかにすることによって、サタンの道を個人で防御し、家庭、氏族、民族、国家、天宙で防御して、国家基準において自由に駆け巡りながら、天に反対したこの勢力圏を反対方向に向きを変えさせることのできる新しい歴史的な起源を準備し、神様王権樹立とともに、天地父母安着生活圏を中心とした基盤を造るようになりました。 その上に、「天上,地上平和統一解放聖火式」とともに、天地父母平和統一平準平和時代の基準を設定するようになったのです。 そのことによって、この地上に、地域的な、あるいは一つの村落を中心として、その村落で生まれた先祖たちと、そこに生まれた忠臣、烈女、孝子たちが残したすべてのものと、そこに聖人、聖子が現れていたならば、彼らを一体化させ、宗教圏の宗主たちを中心として、忠、孝、烈を中心として、天に至誠を尽くした孝心を備えた彼らとともに、善なる先祖を動員して、 地上に再臨させて、すべての個人的な失敗圏を蕩減復帰し、アベルを中心として長子権を復帰した基準において、天の王権とともに、太平聖代(優れた天子が治める太平の時代)を成すことのできる平定化時代を迎えました。 そのように、地上において、個人から天宙まで、サタンの妨害のない解放圏として結束させることのできる、自由統一の世界を迎えるようにしてくださった恩賜を、お父様、心から感謝申し上げます。 そのような基準において、真の愛で、私たちの家庭は、 天一国の孝子の家庭であり、忠臣の家庭であり、聖人の家庭であり、聖子の家庭であり、それを備えて、天地父母、真なる父母と、真なる師と、真なる主人と、真なる王権を立てるための新しい出発を、二〇〇三年、この天一国三年を迎えるこの日において、宣布することができる日を迎えるようになったことを感謝いたします。 元旦とともに、今年の標語が、万国万世の統一的な意味において、勝利と栄光の称賛をもたらすことができるよう、霊界と肉界が一体化するようにしてくださり、前進的な勝利の成果を備え、天には栄光、地上には栄華の統一的勝利の地上天国、天上天国の解放の時として、前進、前進、前進を誓うようにしてくださったことを感謝申し上げます。 万世に、太平聖代の王の中の王となられ、自らの主張どおりにすることができる天地となるように、天上天国と地上天国となるように許諾してくださいますように。 このすべてのことを奉ることのできる、私たち祝福中心家庭が主人となり、(天宙の)王権に侍ることのできる本然の家庭が出現することによって、全天宙の解放的勝利の万歳をお父様にお返しすることができる時代を迎えるようにしてくださったので、行く道、来る道、 留まるすべての道に、勝利と栄光が永久に満ちあふれ、 万世の勝利の太平聖代の国となさしめてくださり、王の中の王として、永遠に自らの主張どおりにすることができる勝利の天国の伝統が打ち立てられますように。 そのような伝統が、きょう、この時間から出発することを願いながら、真の父母の懇切な心と、精誠を尽くしたすべての心をもって、天地に宣布いたします。 アーメン。アーメン。アーメン。(真のお父様が、年頭標語「참사랑으로 우리家庭은 天一国의孝子忠臣聖人聖子 의참家庭 을完成 하소서 をほ恋される。) み言 今年の標語が、何ですか? 真の愛で? (「私たちの家庭は……。」)「私たちの家庭は、天一国の孝子、忠臣、聖人、聖子の真の家庭を完成させます」です。これには、神様の創造理想のすべてが入っています。 個人的に、家庭的に、氏族、民族、国家、全体が、 この真の家庭を中心とする孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、 聖人の伝統を受け継ぐのが聖子であり、そのようにして聖子の伝統を受け継いで、王圏が成立するのです。 ですから、相続というものは、王圏を占有した、その基盤において相続されるのであって、自分が持っている所有権でも、国に属しているものは、すべて否定されるのです。 それは、あってはならない、いずれにせよ別れなければならない、堕落した世界の、結果的世界のものです。神様が願われない怨讐の血統によって連結され、 汚されたその世界は、神様が、そこに影がかかることも好まれないのです。 それゆえに、今日、この世界の、すべての悪なる世界というもの、戦争によって数多くの人々が死んでしまい、興亡盛衰を経て、今に至っているものは、神様が管掌(つかさどること。監督して取り扱うこと)なさることができませんでした。 その反面、再創造においては、失ってしまいはしたものの、本然の基準は残っていたのです。設計したプログラムが残っているので、そのプログラムを中心として、再び、この世界が汚されていない結果の世界として現れることができるように、今まで成してきたのです。 そのようにして、この世界のごく小さな所から、とても大きな大宇宙に至るまで、再度、これを分別して、 神様が管理なさることができる時代にまで来るということが、どれほど難しかったかということを知らなければなりません。創造の何十倍、何百倍も難しかったということを知らなければなりません。 神様(の創造)は、アダム家庭を完成すれば、終わります。アダム家庭が完成し、一つの家庭を完成すれば、終わるのです。 アダム家庭においては、自然に父母を中心として、 父母が息子、娘を生めば、アダム自身はおじいさんになり、おじいさんとなって王になり、天上世界の父母、 実体父母圏を備えるようになります。 そうして、“無形の神様が体を持った”立場に立った、 この地上の人類が、地上で完成して霊界に来れば、その霊界に来た実体圏を中心として、真の父母の内的な面、心の世界に、無形の神様が臨在なさるようになるのです。 そのようにして、真の父母と一つになることによって、初めて天上世界に完成の基台を造るようになります。神様と天地父母が一体となって、地上世界と天上世界を主管することができるのであって、それまでは主管することができません。これが創造の原理原則です。 ですから、原理原則を離れては、神様のみ旨を成し遂げることができないということは、間違いありません。しかし、サタン世界の血統によって汚されたこの世界を……。 今の世の中では、キリスト教の先進国が多いといわれていますが、それらの国家は、 神様が建てられた国家ではありません。数多くの国々がありますが、サタンは、国を中心としてサタン世界の権限を立て、個人時代から家庭、氏族、民族、国家形態まで、 天の国の再出発を取り戻してくる道を全面的に妨げるために、 ありとあらゆることをすべてしたのです。 これが、原理結果主管圈内で堕落し、サタン圏内で堕落したので、サタンが思いどおりにすることができるのです。これは、責任分担を完成して、 愛の理想圏内で、神様と一体圏を備えることができなかった世界であり、それゆえに、すでにごみ箱に捨てることができる存在です。 神様が摂理してこられても、完成する前に堕落したので、責任分担を完成することができる祝福の基準に到達できなかったすべてのものは、くず扱いをして、 サタンが思いどおりにしたのです。 この堕落圏を超えて、初めて世界的基準となり、サタン世界の基準を超えて、初めて神様が干渉なさることができるのです。それを超えるための方便的なものが、歴史上に現れた宗教です。 神様は、旧約時代、新約時代、成約時代を通して、 主流宗教を立ててこられました。この主流宗教を立てるために、傍系的な宗教として、インドの仏教や中国の儒教、ユーフラテス川流域を中心としたゾロアスタ ―教など、三面の宗教圏を立てたのですが、その中にイエス様が来られて、これをすべて統一しなければなりませんでした。 ですから、旧約時代、新約時代と、選民がしなければならないことは、その来られる主を真の父母としてお迎えしなければならないということです。真の父母、真の師、 真の主人、真の王としてお迎えしなければならないのです。 そして、お迎えしてからすべきことは、その父母の前に、 真なる孝子、真なる忠臣、真なる聖人、真なる聖子の道理を果たすということであり、 そのことによって、初めて王権樹立が成されるのです。このようにして侍る息子、娘の権限が、そこまで拡大されれば、その上に立てなければならないのが、天の国の王権です。その王権を立てて、そこに即位することによって、サタン世界はなくならなければなりません。 それを標準として、今日の宗教圏が現れたのですが、 その宗教圏が願うこととは、何でしょうか? 神様の故郷と神様の国を失ってしまったのです。神様には、故郷がありません。ですから、宗教圏にいる人々が、神様に治められた環境の中で生まれたとしても、神様が立てようとされた本然の故郷の地で生まれたのではありません。 サタンの血族の中で生まれ、個人において心と体が争い、一つになることができていないのです。心と体が一つになるために、絶対信仰、絶対愛で、神様の御前に立ち戻ったとしても、それはサタン圏内で成し遂げられたものなので、サタンが思いどおりにすることができるのです。 ですから、(復帰摂理は)しかたなく"打たれて奪ってくる”という作戦を取るのです。復帰というものは、 死地を何度も越えて行っても反抗することのない立場で、初めて神様が取り戻すことができ、それが個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、このような過程を経て発展していくのです。 ですから、イスラエル民族が行く道は、受難の道となり、彼らは、歴史において受難の民族として、悲惨な民族の歴史を経てきました。 そして、メシヤが来られるのですが、そのメシヤは、 神様の天国と故郷を取り戻そうとし、国を取り戻そうとされます。しかし、サタン世界の国王権を中心として、四方に広がったサタンの悪主権が中心となり、そのメシヤを跡形もなく、たたきつぶそうとするのです。 それでも、最後までために生き、死地においても反抗せず、殉教の道も志願して行くことのできる、そのような立場から戻って来るのですが、それが、どれほど悲惨でしょうか? また、そのような歴史過程で、数多くの宗教を通して犠牲になった人たちが、どれほど多いかというのです。そのようにして、数億の人たちが犠牲になってきたのは、終わりの日において、堕落していない本然の自らの解放的家庭一つを立てるためなのです。 皆さんが、堕落圏を抜け出して、サタンが汚した血の実が残っていない、堕落性の影さえもない、きれいな基盤の上に立った息子、娘を再び取り戻さなければならないので、四千年間、準備して、メシヤを送られたのです。メシヤは、宗教世界の王です。 そのメシヤが来られて、第一イスラエルの旧約時代と新約時代を連結して、そこでイスラエル民族を中心として・・・・・・。 イスラエルの国はカイン型であり、ユダヤ教はアベル型です。そのカインとアベルが一つになり、父母をお迎えしなければなりません。なぜ、そのようにしなければならないのかというと、エデンの最初の家庭であるアダム家庭において、兄が弟を殺害した歴史があるからです。 一代の家庭内において、そのような事件があったということは、悲惨な事件の中でも、最も悲惨な事件です。神様が、この事件を元返し、再創造する役事のことをお考えになるとき、それは、声を上げて痛哭するような立場です。 そのような中で神様は、サタンの前に恥ずかしい姿を見せることができず、耐えて、耐えてこられながら、 天の側に立ち戻ろうという数多くの人々を、すべて犠牲にしてこられたという事実を、皆さんは知らなければなりません。 個人の完成を標準として闘い、家庭の完成、氏族完成、民族完成を成さなければなりませんでした。これは、イスラエル選民を中心として、イスラエルの国が成立するということです。そのように民族と教会、イスラエルの国とユダヤ教が、カインとアベルの立場で一つになっていたならば、その時に、イエス様が来られてから三年半で成され、七年以内にすべて終わったのです。 イエス様が、祝福してあげるのです。結婚を間違ったために血統が変わり、偽りの父母が生じたので、偽りの父母が間違ったことは、真の父母の真の愛を中心として・・・・・・。真の愛です。 真の愛は、神様を中心とした愛に連結されます。そのような真の愛と連結されなければなりません。真の愛と連結された”私たちの家庭”なのです。 「天一国」では、真の愛を通さなければ、孝子になることもできず、忠臣になることもできません。また、聖人、聖子の道も行くことができず、王圏も求めることができないということを、皆さんは知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 今まで、サタン世界は、真の愛ではなく、偽りの愛で・・・・・・。偽りの父母によって、偽りの愛、偽りの生命、 偽りの血統、偽りの家庭を中心として出発したことは、 神様の悲しみの家庭の出発であると同時に、氏族の悲しみ、民族の悲しみ、国家、世界の悲しみです。神様は、それを見詰められながら、これを回復することができる道を捜されて、個人一人を取り戻すためにメシヤを送られたのです。 メシヤは、血統を清めたうえで来られたかたです。 そうでしょう? タマルの役事を見れば分かりますが、 血統を清めて、初めてイエス様が来られて、「わたしは神の独り子」という言葉を語られたのです。「独り子」 という言葉は、歴史上における革命的な述語です。 神様を中心としての初めての独り子なので、愛を中心として血統が連結され、父子の関係から夫婦の関係、 子女と・・・・・・。子女から大きくなって夫婦、父母の位置まで失ってしまったので、その失ってしまった父母を、サタンから復帰するためには、個人の心と体が闘うことから復帰してこなければなりません。これを是正して……。 心と体が一つになることができなければ、統一教会に入って来て、いくら信仰をしたとしても、天国に行くことはできません。闘うところには影があるからです。 皆さんが、ここ(天宙清平修錬苑)で、入籍祝福の修練をするとき、「正午定着」ということを言いました。影があってはいけません。分かりますか? 皆さんの心と体が一つにならなければ、日の光が照らきされてきたときに、心が高い所にあれば、その高い所から左側に影ができます。体が良心よりも高い所にあれば、その左側から影ができます。ですから、"正午定着”が成されなければなりません。 上、中、下が、完全に垂直に立たなければなりません。いちばん上が何かというと、神様が一代目であられるならば、アダムが二代目で、その子女が三代目ですが、その三代圏が垂直にならなかったのです。神様は、三代を成されませんでした。孫を持つことができなかったのです 今まで、そのようなかわいそうな神様であられるということを知りませんでした。私たち人類の先祖であられ、私たちの師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、天下の大主宰であられるそのおかたが、このように悲惨な立場に立たれたという事実を、堕落した人類は知りませんでした。知ることができなかったのです。 真の父母が地上に来て、初めて、罪の根源はこのようなものであったということ、血統的関係が、どの次元で、どのようになったのかということを、詳しく、 明確に知ることによって、(再)創造することができるのです。 今日、科学の発達した文明世界も、単位を編成して公式を立て、その公式の上に文明が定着します。”公式発達世界”です。しかし、公式が間違えば、すべて崩れていきます。いくら功を尽くしても、少しでも欠陥があれば、問題になるのです。分かりますか? 皆さん。わたしが、いつも話していることですが、地球は、太陽の周りを一年に一周回ります。しかし、 今、地球の年齢が四十億年から四十七億年といわれていますが、それが四十五億年であるとして、もし、その公転の周期が一年に一秒ずつずれたとすれば、四十五億年の間にどれくらいの差が生じるでしょうか? それは、百四十三年もずれるのです。分かりますか? 一年に一秒ずつ誤差が生じたとしても、四十五億年の間には百四十三年もずれてしまうので、そのようになれば、宇宙は完全に破壊されてしまい、なくなってしまわなければなりません。 そのように緻密で、永遠不変な公式原理の軌道をつくることのできる動機、この世界に、そのようなものをつくることができる動機が何かというと、真の愛です。 しかし、真の愛の秩序は、それよりももっと徹底しているのです。神様の主流的属性は何かといえば、絶対、唯一、不变、永遠です。それを一度、言ってみてください。(「絶対、唯一、不変、永遠。」)絶対、唯一、 不変、永遠なのです。それが神様の属性です。 神様の属性は多いのです。目に対する属性、鼻に対する属性、四肢五体の属性がたくさんありますが、その主流的属性の谷間を行く主流コンセプト (概念)が何であるのかというと、愛のコンセプトです。絶対愛、 唯一愛、不変の愛、永遠の愛です。それが真の愛です。 真の愛は、絶対的でなければなりません。二つはありえません。唯一でなければなりません。そこに、二つはありえないのです。変わることもありえません。 永遠でなければなりません。そのような主体的な愛を中心として、神様がいくら天地創造されるときに・・・・・・。 皆さんが知っているように、神様が創造のみ業を出発されるとき、何を中心として出発されたのかといえば、真の愛なのです。神様も、真の愛のために存在し始めたのです。真の愛を中心としてです。 真の愛には、必ず希望、夢がなければなりません。 夢があるでしょう? 皆さんが、生まれたばかりの赤ん坊のときには分かりませんが、だんだんと大きくなれば、男性は女性に対する夢があるというのです。 その夢の相手がだれなのかといえば、持ち歩いて遊ぶ世の中の物ではなく、家という所有物でもなく、 金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。何かといえば、愛の相対です。愛の相対なのです。 男性は女性を、女性は男性を中心として、一つになることのできる道があるのです。これは、天地が合徳することです。天地が”合徳”し、左右、東西が”合徳”し、 前後が”合徳”するのです。 それゆえに、皆さんが知らなければならないことは、 存在世界において、“上”という概念がある前に……。「上」という言葉は、「下」を先有条件として認めるのです。分かりますか? “下”という概念を先に認めたうえで言う言葉が、「上」という言葉です。「上」という言葉は、そうです。分かりますか? "上”というのは、“下”のために生じるのです。 「男性」という言葉は、女性を先に認めておいて、 女性と絶対に一つになることができるように、永遠に合うように、神様のように絶対属性、唯一属性、不変属性、永遠属性、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛、そこに合うように願うのです。ですから、愛の理想を訪ね求めていくところにおいてのみ、最高の位置にまで行くことができるのです。 お金では、争いしかありません。お金では、争いが起きます。”だれが、より多く持っているか?”ということで争うのです。そして、力でも支配しようとし、 それから知識でも、そうです。 知識でも、有名な学者たちを中心として見てみれば、 思想界の有名な思想体系があれば、"それを原語で読んだのか、翻訳した本を読んだのか?”というのです。 そのような場合には、原語を読まなければなりません。 原語を中心として、その名詞の中で原語を解釈する人が最高なのです。 ですから、一つでも知っている単語が少なければ、 屈伏しなければなりません。蹴飛ばされてしまいます。 そのような世界には、ために生きる愛がありません。 分かりますか? お金も、自分の所有からために生きる観念を見いだすことはできず、政治も、ために生きる観念がありません。滅びます。崩れてしまうのです。知識にも、ために生きる観念がありません。 しかし、真の愛は、絶対に相対が必要であり、真の愛を中心として願う希望が大きいので、これを神様は、 真の愛の動機は宇宙とともに・・・・・・。宇宙がなくなっても、真の愛はなくなりません。 真の愛を中心として、高い標準を中心として、それをしておいてから、これを成そうとするので、小さな所から始まって、永遠に補給しては忘れ、補給しては忘れてしまわなければなりません。百与えて百覚えていれば、百を投入しても、それで終わります。無限に投入しても、また投入するという、このような考え方を持って発展することができる道というものは、真の愛の道しかありません。 真の愛です。言ってみてください。(「真の愛。」)(拍手) ですから、真の愛の家庭は、神様の創造理想のモデルです。それでは、真の愛の家庭は、何をしなければならないのでしょうか? 家庭において孝子にならなければなりません。 考えてみてください。三対象目的、四位基台というものが、私たちの鉄則です。おじいさんとおばあさん、 お父さんとお母さん、自分たち夫婦、息子、娘、それで八数です。そして、アダム家庭にも、三人の息子を中心として、その相対まで入れて八数であり、ノア家庭も八数に合わせるのです。八段階を超えていかなければならないのです。 ですから、これが四位基台、三代を通して孫を連結させなければ、八数になりません。 それでは、アダムとエバは、堕落した後に追い出されたのでしょうか、堕落する前に赤ん坊を生んでから追い出されたのでしょうか? それは、だれもが「堕落してから追い出された。」と言うのです。ですから、彼らの結婚式を、だれがしてあげたのかということです。 男性と女性の性器と言うときに、その性器の「性」 の字は、性稟の「性」という字ではいけません。神聖の「聖」という字で、"聖器”です。何のことか分かりますか? 堕落していなければ、神聖の「聖」という字を使って、「聖器」と言っていたことでしょう。 それが、男性と女性が分かれる性器になってしまったというのです。ですから、俗世間の人は、愛の行為のことを「下品である。」と、言うでしょう? それが、どうして下品なのですか? 神様の理想的な調和は、愛の器官を中心として、男性と女性が一つになることです。三代の孫夫婦が一つになることであり、お父さんとお母さん夫婦、おじいさんとおばあさん夫婦、神様夫婦が一つになる場なのです。 小さな所から最後まで行くことができる力の原動力を発揮するのは、真の愛しかありません。分かりますか? (「はい。」) ですから、文総裁もそうです。世の中がいくら反対しても、反対してみなさいというのです。神様が上にいらっしゃるので、アダムとエバは、真の父母の位置で、垂直にぴたっと立って、「打て、この者たち!」と、 言うのです。打つ者が倒れていくのであって、これを打って除去する者はいない、ということです。宇宙が一度に崩れ落ちていくのです。 ですから、歴史上において、文総裁がもたらした結果で、なぞとされていることは、あれほどの迫害を受けながらも世界的な出世をしたということであり、それがなぜなのか分からないのです。そうではないですか? 世界のあらゆる人々が、文総裁が死ぬことを願い、 滅びることを願いながら、ありとあらゆることをし、あれほどまでに迫害をしましたが、滅びませんでした。 ですから、文総裁は、サタン世界から迫害を受けながら成功した歴史的代表者です。分かりますか? (「はい。」) 個人的な迫害時代においては、世界の全人類が一つになって、個人的に可能な迫害をすべてしました。それから、家庭的に可能なことをすべてしました。そのようにして、氏族、民族、国家、世界、共産世界、民主世界、宗教圏全体が、文総裁に反対したのです。 数十年前に、文総裁が話したでしょう? 「イエスも、 孔子も、釈迦も、マホメットも、文総裁の弟子である。」 と言うと、どれほど反対しましたか? 弟子か弟子でないか、自分たちが分かるのですか? ここでは、知って話をするのですが、いくらやっても、知っていることが事実であり、分からないまま反対するのは偽りなので、偽りは退いていくようになっているのです。分かりますか? この場で、そのことを知らなければなりません。文総裁が米国に行ってから今まで、三十年以上になりました。イエス様が、三十四歳でイスラエル民族の王権樹立をして、ローマに大使を送ることができる準備が……。 ここにいる人たちの中で、平和大使は手を挙げてください。来ていないのですか? 平和大使とは、何ですか? イスラエル民族の前に、イエス様は祭司長です。平和大使は何かというと、天使長です。 統一教会に途中から入って来て、何の功績もなく、 平和大使であるといって、「ああ! 私は、文総裁が発令してくださった平和大使だが、あなたたちは平和大使にもなることができなかったので、私を立てなさい。」 そのようなたぐいのことを言ってはいけません。 平和大使は、天使長の立場です。天使長は、上と下を連結して、第一代、第二代、第三代が垂直に立つことができるように家庭を定着させることができず、孝子の道、忠臣の道、聖人、聖子の真なる家庭を完成させることができなかったのですが、その天使長の立場です。分かりますか、平和大使? (「はい。」) 今年も、平和大使を任命します。韓国だけではありません。百八十か国です。小さな国であっても、どこの国でも、百八十か国に平和大使を送らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 韓国が主体国であり、父の国であるならば、父の前にエバとして立つのは、母の国日本の女性です。サタン世界の長子圏国家である米国では、女性たちがすべて王のふるまいをしています。女性が全権を握り、その女性たちを中心として・・・・・・。 それで、平和大使一人につき女性二人、その国の国会議員を中心として、王を中心として消化運動をしなければなりません。自分の地域出身の国会議員や道知事でも何でも、消化できなければなりません。彼らに理論的に勝たなければなりません。理論的に勝たなければならないのです。 思想的な面、宗教的な面、実生活的な面、現実的に成した実績面において、サタンが微動だにすることができず、回れ右せざるをえないようにしておかなければなりません。そのような内的な世界大革命が課題となる時代に入りつつあるという事実を、平和大使は知らなければなりません。分かりますか? 「はい。」) 今から平和大使が多くなります。今までは、各国代表でしたが、今からは部署別専門分野において任命します。部署別です。数十万、数百万の平和大使が立つのです。 そして、平和大使たちが行くべき公的生活は、"中間で和解させなければならない。”ということです。和解です。サタンは、戦争を起こしました。今でも、心と体が闘っているではないですか? 夫婦で闘っているのです。それは、地獄です。 統一教会の第一の問題であり、第一条件が何かといえば、心身一体です。神様が天地創造されるとき、絶対信仰、絶対愛、絶対服従でされました。それは、自分が言えば、信じたとおりに実体が現れるということです。現れなければ、投入して現して、成すというのです。(被造物が)いくら大きくても、命令したとおりに成されるということです。 それゆえに、真の愛には、高貴な希望があるというのです。その希望は、ならず者や強盗のようなものではありません。人格的な神です。 人格的な神における主流が何かといえば、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛です。その主流を中心とした家庭に定着することができる相対的夫婦とともに、 子女が一つの家庭に定着することができる、そのような人格的な神でなければなりません。 ですから、真の愛を願うにおいては絶対信仰です。 真の愛を中心として出発するようになるときには、大きな絶対理想を中心として・・・・・・。 ごく小さな鉱物世界を見てみれば、そこには、ブラス・イオンとマイナス・イオンがあり、植物世界では雄しべと雄しべ、それから動物世界では雄と雌、人間世界では男性と女性、天地を中心としては、天と地です。すべて相対的なのです。 それゆえに、それ自体が存在するためには、ために生きることができる相対が必要なのです。ですから、 神様も、いくら王の中の王、全知全能で遍在される絶対的主人であられるとしても、お独りでは幸福はありえません。 独りで幸福だというのは、狂った人です。狂った人であるというのです。独りで夢を見るのは、狂った人です。なぜ、狂った人なのでしょうか? それは、一代で終わるからです。男やもめになり、いくら何を持っていても、死ねば、一代ですべて飛んでいきます。 サタンが奪っていくのです。 自分の一族がいれば、後代に残すことができますが、 自分なりにお金や権力を持っていたとしても、退いていくときには、そっくりそのまま奪われてしまい、泣きながら痛哭して、後退してしまうのです。責任を果たすことができなければ、そうなのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) それでは、真の愛によって祝福家庭は・・・・・・。真の家庭とは、何ですか? 「天一国」の主人です。主人なので、孝子にならなければなりません。 「主人」というのは、孝子になった後に言う言葉です。孝子、それから忠臣、聖人、聖子の真の家庭です。 真の家庭になってこそ、主人になるのです。それが、 ただ盲目的に語った、地に足のつかない、取ってつけた言葉でしょうか? これは、天理原則によって、避けることのできない一つの礎石を置く場であるので、絶対信仰し、絶対愛をし、絶対服従して、自分が千辛万苦の受難の道を行っても感謝し、百回、千回死んだとしても、無限大の世界のために犠牲になることができなければなりません。 そのようにして神様が、宗教圏を中心として、愛して信じることができる、ご自身の側の人を犠牲にしながらも耐え、彼らを助けることができない中で抱いてこられた無念な心情を皆さんが体恤しながら、涙が前を覆い、自分の周りや行く道に涙と血と汗が染み込んでいてこそ、サタンが自分に入って来ることができないのです。 そのように、”ため”に生きて涙を流し、”ため”に生きて血を流したその痕跡があるので、サタンは退いて行くのです。サタンは個人主義です。利己主義です。利己主義が侵犯することは、できないのです。 それゆえに、心と体が一つになることができなければ、これからは“天国に行く。”という考えを持ってはいけないというのです。もし、原理のみ言を知って、 (心と体を)一つにしようと思ったのであれば、それが成されるときまで、あの世に行って待たなければなりません。そのようにしては、祝福家庭の楽園が生じ、 祝福家庭の地獄が生じてしまいます。分かりますか、 分かりませんか? (「分かりました。」) それでは、韓国人の特権とは、何でしょうか? 韓民族の特性は、族譜があるということです。長孫を中心としては、おじいさんが十人いたとしても、その長孫のおじいさんでなければ、祭事の場に参席することができません。そのように、長孫理想を受け継いでいく伝統を残したのです。わたしたち韓国人は、このように違います。 そのような何かがあるので、終わりの日に、韓民族以上に血を多く流した民族はなく、さらには、女性の中で、韓国の女性以上に、無念に血を流して、受難の道を行った女性はいないのです。なぜでしょうか? 強大国の狭間にいて、九百三十四回も外敵によって侵犯されたので、サタンの群れが垣根を越えて来て、 ありとあらゆることをしたのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) わたしが飛行機に乗って来るときに、韓国から風邪が空中に逃げてきて、わたしの所にくっついたようです。飛行機が半分の境界線を越えてからおかしくなり、 完全に風邪を引いてしまいました。蕩減です。(サタンは、)きょう、何が何でも反対し、最後まで妨害するのです。妨害したとしても、それに支配されません。 文総裁が、世の中に生きる人間として、体験しなかったことがあるでしょうか? 死の境地、男性としての苦労、女性としての苦労、地上から天上世界の高い所、(霊界肉界)二つの世界のすべてのことを収拾し、 真の父母が行くべき伝統的な道を、さっと立てておいて、その道を行くのです。”ため”に生きて、打たれて奪って来る作戦です。それは、わたしたち統一教会も、 そうです。 韓国の大統領について、心配しなくてもよいのです。 心配は何かというと、神様が離れることが、心配です。 心配すべきは、神様の愛が離れることであり、神様への絶対信仰が離れることが心配です。 神様の主流属性である絶対愛、唯一愛、不変の愛、 永遠の愛が、韓国人の中にありますか? それが、文総裁以外にはないのです。韓国が滅んだとしても、文総裁は滅んではいけないのです。分かりますか? それで、きょう、ここで(「天一国」) 三年を迎えてそのような話をするのです。「真の愛で私たちの家庭は天一国の・・・・・・」。「天一国」とは、何ですか? 真の父母、真の師、真の主人、真の王がいらっしゃる家です。 そのような国です。 イスラエル民族が、真の父母として来られたイエス様を、真の父母になることもできず、結婚もすることができず、息子、娘もいないままに殺してしまうことによって、彼らは二千年間流浪し、戦場で馬のひづめに蹴飛ばされながら、悲惨な歴史を流れていく民族となり……。 そうして、韓国が独立することができる時が来たので、一九四八年に第二イスラエルの米国が中心となり、 イスラエルの国と韓国を治めて・・・・・・。米国は、世の中は捨てたとしても、韓国を捨てれば滅びます。ですか米国自体は知らないのですが、わたしは米国を捨てることはできないので、三十年以上の間、あらゆる屈辱を受けてきました。 韓国において、八代にわたる政権が、わたしに対してあらゆる謀略を企てました。さらには、既成教会です。彼らは、ありとあらゆることをしたのです。しかし、既成教会が滅びるか、統一教会の文先生が滅びるか、見ていなさいというのです。 彼らは、最近では、顔を上げることができないでしょう? 尋ねてみれば、答えることもできない偽者たちが、偽物の看板が逆さまになったことも分からずにいるというのです。偽物の看板でも、それが真っすぐに掛かっていれば、通り過ぎる人が看板を見ていくので、ご飯でも恵んでもらうことができますが、逆さまになった看板では、ご飯も恵んでもらえません。キリスト教に同情する人がいるでしょうか? しかし、韓国民族は、文総裁に同情せざるをえません。今、米国に築かれた基盤は、牧師が数千人で連合復興会をするのです。世の中のことを知らずに・・・・・ 。無知な人は滅びます。知る人は勝利するのです。神様を解放するのですか? 神様王権樹立をして、解放してあげるのですか? 神様王権樹立をしましたか、できませんでしたか? (「しました。」)霊界の四大聖人や、今まで各宗教の文化圏を中心として世界に貢献した、すべての代表たちが出て来て、「文総裁は救世主だ! メシヤだ! 再臨主だ! 真の父母だ!」と、言っているのです。その話は、あとで、ご飯を食べてから話してあげます。はっきりと理解して、はっきりと知らなければなりません。 この者たち。分かりますね? 若い男性と女性たち! (「はい。」) わたしは今、八十三歳を超えました。韓国式にいえば、八十四歳です。米国式に従ってはいけません。きょう、(一月)一日で、八十三歳と一日です。母親のおなかの中から生まれたのではないですか? なぜ、その (胎中期間の)十か月を忘れてしまうのですか? ですから、韓国の継受法が正しいということを知らなければなりません。 そのように見れば、先生は何歳ですか? (「・・・・・・。」) 何歳ですか? (「八十四歳です。」) 「三掛ける八は二十四」とすれば、十二の月を中心として、二十四の季節が、すべて入ります。 今年のお母様の誕生日を中心として、何をするのか分からないでしょう? 今度の真の父母の「聖誕日」 です。(その時に)線を引いてしまうのです。垂直に線を引いて、横的に引いて、前後に引いて、球形になることができるように線を引けば、そこからずれるものは、霊界がほうっておきません。 「サタンの勢力の影までも消してしまい、"正午定着” させてください。私は、無力な神様は嫌いです。私を助けることができず・・・・・・。」と、祈祷する時が来ました。 今まで皆さんは、サタンよりもわたしのことを、もっと憎んだというのです。サタンに従って行きながら、 先生に対しては、「ああ、(先生が)そのようにすれば、 私たちは大変だ。」と言いつつ、世の中の人に対しては、 「文総設に反対しないでください。私たちが伴っているので・・・・・・。」と、言っています。そのようなことは、言葉だけではいけません。文総裁が苦労したことが・・・・・・。 平和大使は、「自分は○○をやった。」と、ここに来て自己主張し、自分の色を出してはいけないというのです。 文総裁は、過去、大統領であったという世界的な人々に対しても気合を入れるのです。この者たち。皆さんが、何をしたというのですか? わたしのような思想さえあったならば、皆さんの国が、世界を救うことのできる灯台となっていたはずなのに、何をしたのですか? この者たち。 ですから、口を開けば、激しく攻撃してしまうのです。「この者たち。「○○をやった。」と言う、どろぼうのような者たちが、口を開けて大騒ぎしているのか?」 というのです。文総裁には、そのような何かがあるというのです。分かりますね?<1/2。続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ここは、平和大使ですか? 何ですか? 平和大使ですか? 日本のメンバーですか? 真の愛で、真の家庭になりましたか? 心と体ではありません。一心、一つの心であり、一体、心と体が一つにならなければなりません。それから一念です。25 Family 2021 2
2025.06.01
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[霊界通信] 笹本宣教師からの霊界からのメッセージ2025/05/30 #旧統一教会 #統一教会⬇︎メールマガジンを登録すれば,イベントのお知らせをします。https://resast.jp/subscribe/153953★2世に届いた霊界通信】今回、私が霊界通信で受け取った笹本正樹さんから知恵子さんへのメッセージを紹介しても大丈夫かお伺いしたところ 「是非皆さんにも見せて差し上げて下さい」と改めて知恵子さんから連絡がありました。兄弟姉妹の皆さんへ宛てた内容もあるの是非聞いてみて下さい。自動書記をしている時は霊人の方に心を明け渡して書くので書いてる側には入力する文章があまり記憶には残りませんが、読み返す度、絶対善霊の方が示して下さる本然の真の愛の世界の深さにただただ感動し、時代的な恩恵の大きさに驚くばかりです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.06.01
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