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2020.04.11
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韓鶴子総裁御言選集 - 目次

韓鶴子総裁御言選集 1
 真の父母様を中心とした一つの世界
  第1部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯
  第2部 国家の復帰のための世界宣教戦略
  第3部 伝統の伝承と相続
  第4部 世界平和実現の課題
  第5部 二世教育と未来の人材の養成
  第6部 孝情天苑を中心とした理想天国のモデル
  第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任

韓鶴子総裁御言選集 2

  第1部 真の愛運動と女性の役割
  第2部 理想家庭と平和世界のモデル

韓鶴子総裁御言選集 3
 天一国と私たちの使命
  第1部 平和世界に向かう道
  第2部 神様と人類の希望 真の父母
  第3部 天一国安着のための私たちの使命

韓鶴子総裁御言選集 4
 愛しき君よ 花咲かせたまえ
  第1部 真のお母様はいかなるお方か
  第2部 聖婚と天の新婦の道
  第3部 荒野路程と真のお母様の勝利
  第4部 女性時代の開幕と世界巡回

  第6部 最終一体宣言と天一国時代
  第7部 真のお父様の手紙




韓鶴子総裁御言選集 1 - 真の父母様を中心とした一つの世界

第一部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯

1. 神様の創造理想と救いの摂理

創造理想と堕落

神様は相対が必要なので、天地を創造されました。神様は、アダムとエバを創造して何をされたかったのでしょうか。神様の真の愛を中心として祝福し、血統を伝授してあげようとされました。そうして、この地に天国の理想を実現しようとされたのです。創造は、一朝一夕にただ「日あれ、月あれ」と言うだけでなされたのではありません。そこには過程があったのです。アダムとエバには、神様から「今やあなたたちは祝福を受けることができる」と言われるまでの成長過程が必要でした。そのことを皆さんは「原理」を通して知っているでしょう。神様が創造される時、神様を助けた天使たちがいました。その天使たちが、アダムとエバの世話をして守ってあげるべきでしたが、天使長ルーシェルがエバを誘い込んで堕落させたのです。周りの天使たちもアダムとエバをしっかりと守って、天使長ルーシェルに堕落し得る機会を与えてはいけなかったのです。(2006.5.4、アメリカ、マイアミ)

神様が万物を創造された後にアダムとエバを創造されたのは、創造理想があったからです。アダムとエバに成長過程を設定されながら、神様と対等な立場で創造にかかわり得る基準をもつことを神様は願いました。神様の理想は、アダムとエバを祝福して、3代をつくりあげることでした。ところが、人間始祖が責任を果たせなかったので、神様と関係のない世界で人類歴史が流れてきました。サタンが主人となった世界に人類は陥ってしまったのです。(2006.7.29、アルゼンチン、ブエノスアイレス)

神様がみ旨を立てて、どれほど大きな喜びと興奮の中で、アダムとエバを含む天地を創造されたか分かりません。神様は、アダムとエバが成長したら彼らを祝福しようとされました。アダムとエバと共に創造の役事を完了させることが神様の願いでした。神様がアダムとエバに「善悪を知る木の果を食うベからず」と言われたのは、彼らが責任を全うして完成した時に、彼らに神様と同じ立場、神様と同等の権威をもたせるためでした。しかし、アダムとエバは神様のみ意どおりにできませんでした。それが堕落です。神様は永遠性をもって創造された人間を捨てるわけにはいきませんでした。人間を捨てて再び創造するほうがむしろ易しかったはずです。そのような事情があったので、救いの摂理の歴史が進められてきたのです。(2006.7.kヨルダン、アンマン)

聖書には神様が一男一女を創造なさったとあります。しかし、神様はその理想と夢をかなえることができませんでした。全知全能、無所不在であられ、すべてのものを創造された神様が、なぜアダムとエバの堕落に干渉し給わなかったのかということについては、皆さんは「原理」のみ言を聞いてよく知っているでしょう。神様には、堕落した人類に対する救いの摂理を間接的にせざるを得なかった悲しい歴史があります。この世でも罪を犯せば監獄に行くか、罰金を出してこそ、その罪が解かれるのと同様に、堕落人間も自らそれを蕩減できなければ神様の前に歩み出ることができません。神様の復帰摂理には、そのような悲しみの過程があるのです。(2006.8.4,ジャマイカ、キングストン)

救いの摂理とイエス様

全知全能なる神様は、御自身の創造理想を失敗に帰するわけにはいきませんでした。そこで、人類歴史を通し、継続して人類を教化し、啓蒙してこられました。聖書を読んだことのある人は、このような事実をよく知っていることでしょう。神様は、イスラエル民族を選ばれ、4000年の間教育してこられました。「あなたがたの民族にメシヤを送る」と言って教育されたのです。そうして、神様はイエス様を救世主としてイスラエル民族に送られたのですが、イスラエル民族とユダヤ教はイエス様を認めませんでした。神様は一男一女を創造し、二人が成長して結婚適齢期になったら祝福を与えようとされました。しかし、イエス様は男性として来られましたが、当時の預言者や母親さえも、イエス様に相手が必要であるということが分かりませんでした。聖書にはすべての内容が出ているわけではありませんが、イエス様はマリヤに何度も「結婚しなければならない」と言いました。その時、マリヤは責任を果たせませんでした。イエス様は神様の独り子として生まれ、真の父母として定着すべきでしたが、結局、十字架にかかって亡くならざるを得ない状況になりました。イエス様を助けることのできる基盤、家庭と氏族、そして民族をすべて失ってしまいました。イエス様の行く道は十字架しかありませんでした。これまでキリスト教は、十字架によって救われると言ってきましたが、それは神様のみ旨ではありません。イエス様の十字架による救いは霊的な救いにしかなりません。(2006.7.29、アルゼンチン、ブエノスアイレス)

神様はこれまで、創造目的を成し遂げることができませんでした。人類が歴史を通して苦痛、逆境、疾病や飢餓など、言語に絶する苦難に遭いながら歩んでこざるを得なかったのは、神様が共におられなかったからです。神様が共にありたくても、サタンが主管する世界の人類であるので、神様は近づくことができませんでした。神様は歴史路程を通して数多くの宗教を立てて、人間を啓蒙してこられました。イスラエル民族を選び、ユダヤ教を通して役事してこられたのが旧約時代です。旧約時代の究極的な目的は、メシヤを遣わすことでした。メシヤを遣わすのは、誤ったこの世に真なる人を送って、この社会を浄化するためです。しかし、自己を中心に考える、無知なる人類に対して天のみ旨を展開することができませんでした。神様はイスラエル民族を4000年の間育て、メシヤを送りましたが、彼らはメシヤを受け入れなかったのです。それゆえ、メシヤはみ旨を成し遂げることができず、十字架上で亡くならざるを得ませんでした。今でもユダヤ教徒は、イエス様をメシヤとして認めていません。イスラエルの人口のうち、キリスト教徒はわずかです。神様がどれほど苦しい歴史路程を歩んでこられたか、考えてみてください。今まで私たちは神様に対してすべてを求めるばかりでした。神様はいかなる方か、神様にはいかなる事情があるのか、ということを知ろうともせず、考えもしませんでした。(2006.721、タンザニア、ダルエスサラーム)

聖書に記録されているイスラエル民族の歴史を考えてみてください。長い年月の間、天はイスラエル民族を育てながら、メシヤを送ることを約束されました。そして神様はメシヤを送られたのですが、どうしてイエス様は、イスラエル民族とユダヤ教の祭司長たちから十字架に追い込まれざるを得なくなったのでしょうか。そのような悲しみの歴史を、皆さんは知らなければなりません。それでは、イエス様は男性でしたか、女性でしたか。イエス様は男性なので、神様の創造目的から見ると、イエス様は女性に出会わなければならなかったのです。そのような環境をつくってあげるべき人がマリヤでした。ところが聖書を見ると、カナの親戚の家の結婚式で、マリヤがイエス様に、「ぶどう酒が足りないから、ぶどう酒を用意してくれ」と言った時、イエス様はマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ2:4)と言ったという内容が出てきます。神様が遣わしたイエス様であるという事実を知っていたにもかかわらず、マリヤはイエス様の願いを聞いてあげられませんでした。そうして、イエス様を十字架へと追い詰める結果となりました。(2006.8.4、ジャマイカ、キングストン)


韓鶴子総裁御言選集 1 - 2. 堕落した人類の願いと責任分担

堕落した人類の願い

これまで人類歴史を通して多くの人々が自らを修養して、より良い世界を夢見てきましたが、その願いはかないませんでした。今のこの世界は、神様の創造目的とは関係のない世界です。人間始祖が堕落したからです。ですから、聖書の中では、この世の人を比喩して、「野生のオリーブの木」といい、来られる主は「真のオリーブの木」といいました。野生のオリーブの木は、真のオリーブの木に出会って、自らも真のオリーブの木になることが願いです。それでこそ救いが成就されるからです。(2・.7.20、ケニア、ナイロビ)

神様の創造目的、神様とアダムとエバが一体となり、家庭を築いて3代を成すことでした。それが神様の願いでした。成長過程におけるエバの失敗によって、神様は、アダムの家庭を立てることができませんでした。それゆえに、今の世界は堕落した世界、サタンが主人になった世界なのです。それゆえ、歴史過程を経る中で、多くの宗教が生じ、また宗教を通して人々は善を追求してきました。神様は、イスラエル民族とユダヤ教を立てて、4000年間役事しながらメシヤを送ることを約束されました。ところが結果はどうなったでしょうか。イスラエル民族とユダヤ教はイエス様を受け入れませんでした。それは、イスラエル民族が無知だったからです。しかし、イエス様の復活により、キリスト教の2000年の歴史が始まりました。キリスト教徒が願うことは何でしょうか。彼らは「終わりの日」に再臨主が来られるのを待っているのです。(2006.7.21,エチオピア、アデイスアベパ)

神様の摂理と人間の責任分担

神様は天地を創造され、美しいとおっしゃいました。見て良しとされました。そして、アダムとエバを創造なさり、責任を与えました。神様の願いとアダム、エバの願いが一致しなければなりませんでした。神様は人類の父母になることを願われました。霊的な父母だけではなぐ実体世界の父母になろうとされました。それゆえ、神様は、アダムとエバに成長期間を与えたのです。その期間に彼らは、神様と絶対的な立場で責任を果たさなければなりませんでした。神様は、彼らが完成した時に祝福しようとされました。このように彼らを人類の真の先祖、真の父母に立てようと摂理なさったのです。(2015.12.6,天正宮博物館)

神様は全知全能で完璧な方ですが、人間の堕落に対して干渉できなかった事情があり、また堕落した人間をそのまま放っておくことができず,摂理歴史を導いてこられました。神様は、御自身の事情を最もよく知り得るイスラエル民族を選ばれ、メシヤを遣わすことを約束されました。その約束どおりにイエス様を送られましたが、イスラエル民族はイエス様を十字架にかけました。それは神様のみ旨ではありませんでした。

ところが、今日のキリスト教徒はどのように信じているでしょうか。十字架によって救われると信じています。今までのキリスト教の歴史は間違っています。神様は4000年をかけて条件を立て、独り子を送ってくださいましたが、それほど神様が苦労して送られたなら、イスラエル民族は、その独り子を殺してはいけませんでした。マリヤとヨセフが一つになり、イエス様が願われたみ旨を成してさしあげなければなりませんでした。マリヤは、いかなる困難があろうとも条件を立てて、イエス様を結婚させなければならなかったのです。

イエス様の十字架では、私たちは霊的な救いしか受けられません。それで、イエス様が「再び来る」と言って逝かれました。その言葉は、肉身をもってこの地で家庭を築き、真のオリーブの木として全世界の野生のオリーブの木を真のオリーブの木に復帰してあげようという意味です。それが、来られる再臨主の使命です。(2006.8.9、ペルー、リマ)

聖書には6000年の人類歴史が書かれていますが、人類歴史はそれよりも長いと見なければなりません。アダムとエバの堕落から4000年間、神様は休む暇もなく人類を啟蒙してこられました。特にイスラエル民旗を立てて、4000年の間摂理歴史を導いてこられた神様の歴史は、あまりにも困難な過程であったということを、皆さんは聖書を通して知ることができるでしょう。アブラハムやモーセのような人々を立てて摂理歴史を導いてこられましたが、彼らが責任を果たせなかった時の天の苦痛は、とうてい言葉では言い尽くせないものでした。そのことを人類は知りませんでした。

しかし、神様は、メシヤを送ると言って、イスラエル民族に希望を与え続け、彼らを啓蒙してこられました。当時、イスラエルは小さな国でした。その時、イスラエル民族がイエス様を救世主と認め、受け入れて、ローマと一つになっていたら、版図が変わっていたことでしょう。人類は堕落したとはいえ、その本心は善に向かい、より良い世の中を願うので、天のみ旨に従うことのできる土台が用意されているのです。それゆえに、神様はメシヤを送ることを約束されたのです。

皆さんは毎日み言を訓読すると、多くの悟りがあるでしょう。神様は一男一女を創造されたといいます。なぜかというと、神様は3代を御覧になろうとされたからです。3代を見るためには、アダムとエバが結婚しなければなりませんでした。ところが彼らが結婚する前、成熟する前に堕落しました。ですから、人類歴史は、神様が主人になれず,サタンが主人となった歴史として流れてきました。それゆえに救世主が必要だったのです。

キリスト教をはじめとする多くの宗教が人類を啓蒙してきた目的は、堕落した世界、悪なる世界で、善良に生きる道を開いてあげるためでした。神様の創造目的について考えてみてください。イエス様は男性でした。男性は何を必要としますか。女性が必要です。イスラエル民族とユダヤ教、そしてマリヤが一つになり、イエス様をお迎えしてイエス様の家庭をつくってさしあげなければなりませんでした。

「原理」のみ言によれば、神様が人間の堕落に対して干渉できなかった理由は人間の責任分担のゆえであったことが分かります。同じように、主に侍るのも人間の責任です。当時、イスラエル民族とユダヤ教が神様の摂理と創造目的を理解していたら、そのような失敗はなかったはずですが、無知であったがゆえに、イエス様を十字架上で亡くならせる結果になりました。(2006.8.8,ベネズエラ、カラカス)

家庭をもつべきイエス様

イエス様は、家庭を築いてヨセフの家庭とザカリヤの家庭の保護を受けていたら、十字架上で亡くなることはなかったはずです。無知な人間がつくった人類歴史を見つめられる神様の心情を皆さんが少しでも感じ、推し量れるならば、神様にとって慰労となるかもしれません。そのような点で、人間の責任が重要であるということを知らなければなりません。(2006.8.10、チリ、サンティアゴ)

神様には人類始祖と共に生活したいという夢がありました。神様お一人ではなく、相対基準となる私たちの家族、私たちの父母でありたいと願われたのです。ところが成長過程にあったアダムとエバが、神様と同じ権能を行使するためには、5パーセントの責任分担を実践しなければなりませんでした。

アダムとエバが責任分担を成し遂げて、神様を中心とした一つの血統として歴史を経ていたなら、今日、宗教問題や人種問題のような困難はなかったことでしょう。

全知全能なる神様には失敗があり得ません。神様は、人間自らが責任を全うして、神様と同じ位置に上がってくることを待ち望んでこられました。これまで世界的に大きく発展してきた4大宗教がありますが、その宗教を信じた人たちも、神様の本当のみ旨を知りませんでした。それらの宗教は、お一人の神様を崇めながら、平和と人類の幸福を追求してきましたが、すべてそれ自体を中心として歩んできたので、一つになることができずにいるのです。(2006.7.7,ボスニア、サラエボ)

イエス様が生きて神様のみ旨を成し遂げていたら、このようにキリスト教の歴史がカトリックとプロテスタントに分裂し、複雑になることはなかったでしょう。その当時に、地上天国と天上天国ができていたはずです。このように、人間の責任分担とは深刻なものです。皆さんも祝福を受けた者として責任があります。(2006.8.16、パプアニューギニア、ポートモレスビー)


韓鶴子総裁御言選集 1 - 3. 再臨主と真の父母様

再臨主と文鮮明総裁の蕩減路程

イエス様は、この地上に来られた目的を果たせずに十字架上で亡くなりましたが、40日後に昇天されて霊的な救いを成し、キリスト教の歴史が出発しました。ところが、キリスト教は多くの教派に分かれてしまいました。それは、神様のみ旨とイエス様が来られた本当のみ旨を知らなかったからです。それにもかかわらず、神様はキリスト教を育ててこられながら、再臨主を送るための基盤を築いてこられました。その時が第二次世界大戦の終戦直後でした。第二次世界大戦前までは戦勝国が敗戦国を支配しましたが、第二次世界大戦後は戦勝国が敗戦国を助けてあげました。再臨主が現れる時となり、世界の国々は兄弟国であるがゆえに、そのようなことが摂理的に起こったのです。(2006.7.20、ケニア、ナイロビ)

イエス様が昇天された後、神様は、「再臨主を送る」という約束を果たし得る環境を、キリスト教文化圏を通して第二次世界大戦直後に準備されました。

神様が、西洋文化をして世界を支配できるようにさせたのは、キリスト教文化を通して、ある時に再臨主を送り、この世界を一つにしようという大いなるみ旨があったからです。韓国のキリスト教は、その歴史が短いといえども、キリスト教の精髄を総合したものです。キリスト教の歴史は2000年が過ぎましたが、第二次世界大戦当時、主が肉身をもって再臨するということを信じたのは、韓国のキリスト教徒しかいなかったことでしょう。(2006.5.30、インドネシア、ジャカルタ)

天が人類を探し求め、み旨を成し遂げ得る時が1945年であったということを、み言を通して知っているでしょう。1945年の第二次世界大戦直後におけるキリスト教の基盤が再臨主を迎えられる環境であったのに、そのみ旨は成されませんでした。韓国は、歴史的にすべての宗教が入って実を結んだ所です。キリスト教の歴史が2000年を迎えようとするその時に、韓国におけるキリス卜教の歴史は約100年ほどでした。全世界のキリスト教徒が、再臨主が現れることを信じ、空ばかり見つめていた時、韓国のキリスト教徒は、天と直接的な関係をもって、実体として肉身をもって来られる主を待望しました。さらには、来られる主の姿、体のサイズについてまで啓示を受け、服を作った霊的な団体もありました。この世でも、王が即位されるとき、何の基盤もなく、民もいないようではいけません。儀式の段取りであるとか、礼服のようなものが準備されていない状態で、「私が王だ」と言うことはできないのです。来られる主にとって民というのは全世界のキリスト教徒であると見ることもできますが、来られる主を迎える準備の整ったキリスト教の団体がありませんでした。雲に乗って来られる主を信じることは、根拠のない信仰、つじつまの合わない信仰と言えます。キリスト教の歴史だけ見ても、カイン側とアベル側とがありました。先になったカイン側はとても大きく、勢力が広く及んでいた反面、主を迎えるための役事をしたアベル側のグループは、ごく少数でした。(2006.5.4、アメリカ、マイアミ)

今日、人類の中で神様の事情と心情を知って神様を解放してさしあげると言う人がいたでしょうか。天はイスラエル民族を教育してきましたが、彼らがイエス様を受け入れることができなかったので、流離の孤客となりました。

しかし、イエス様の十字架によって、この地上にキリスト教という基盤を築くことのできる条件が立てられました。そうして、2000年の間キリスト教の歴史が続き、1945年に再臨主を迎えることのできる基盤が用意されました。しかし、キリスト教徒はお父様につながることができませんでした。

一国において国の主人が立つためには、民がいなければならないのと同じように、神様の摂理を成し遂げる際にも、従う群れが責任を全うしなければなりません。その群れが責任を果たせなかったことにより、お父様は地獄の底から新たに出発されるしかありませんでした。(2006.7.19、ケニア、ナイロビ)

お父様は、16歳(数え)の時から天の召命を受け、摂理歴史を成してこられたといいます。天がお父様の周辺の環境を整理して、垣根をつくったことは事実です。お父様の大叔父に当たる方は、キリスト教の牧師でした。当時、韓国は日本の属国でしたが、日本からの独立運動をした人々はキリスト教徒でした。お父様はいつ韓国が独立するかということを御存じでした。天の霊的な教えを受けていた人たちはみな、いつ韓国が解放されるかということを知っていました。そのような状況で、天が中心をえり分けながら準備されましたが、もともとカイン側の勢力が大きぐ彼らが想像していた理想と現実が食い違っていたので、お父様は多くの迫害を受けられました。解放(終戦)直後、韓国は完全な独立をなすことができず、アメリカとソ連のはざまで南北に分かれざるを得ませんでした。その時、全体を抱かなければならなかったお父様は、南の韓国にいらっしゃったのですが、基盤を築くために北朝鮮に行かれて迫害を受け、監獄に投獄されました。(2006.5.4, アメリカ、マイアミ)

お父様は、16歳(数え)の時、イエス様から使命を引き受けてほしいという頼みを受け、独り子の立場を引き継ぎました。昔のアダムとエバには、神様の保護圏で絶対信仰・絶対愛・絶対服従で神様だけを見つめるべき成長期間、責任を果たすべき期間がありました。その期間の途中で「自己」が入ってしまったことが堕落の原因になりました。お父様は、イエス様が独り子の立場で責任を果たせなかったことまで蕩減しなければなりませんでした。それゆえ、天は、韓国にいらっしゃったお父様に北側(北朝鮮の地)に行くよう命じられました。天が再び探し立てるべき真の父母の立場は、蕩減なしに立てられるものではありませんでした。結果的に、お父様は監獄に行かれました。明日には死刑になるという状況を、天は見過ごすことができませんでした。国連軍を通して、お父様が南側に下りてこられるよう役事されたのです。国連軍の参戦も天が共におられなかったら不可能なことでした。ソ連が拒否していたら起こり得ない状況でした。天は国連を動かしました。お父様は、イエス様が果たし得なかった33年の路程を蕩減復帰し、困難な避難時代に、凡一洞(釜山)で『原理原本』を執筆されました。それで今日の『原理講論』があるのです。独り子はみ言を探し出さなければなりません。(2016.8.11、天宙清平修錬苑)

カインとアベルを抱かなければ、み旨を成し遂げることができません。第二次世界大戦直後に韓半島が南北に分かれ、北朝鮮をソ連が支配下に置いていた状況でしたが、お父様はそれを知りながらも北朝鮮に行かざるを得ない事情があったのです。その時、北朝鮮では平壌を中心として神霊的な天の役事がたくさん起きていました。その地域を中心として、主が肉身をもって来られると信じる人たちがいました。お父様は38度線を越え、カインの子女を抱こうとする中で、監獄に入れられ、迫害を受けましたが、国連軍によって自由の身となり、再び南下して、統一教会を誕生させました。お父様は、6回も監獄に行きました。その道を避けることもできましたが、カインとアベルを一つにまとめ、子女として入籍させるためには、監獄の中でも真の父母の使命を果たさざるを得なかったのです。お父様の立場は、そのような苦難の道を行かざるを得なかったのです。(2006.5.30、インドネシア、ジャカルタ)

お父様の家門を見ても、キリスト教の牧師であり、独立運動の主軸となった大叔父がおられました。その人は、李承晩大統領とも近い関係にあったので、お父様につながっていたら、今日のような基盤を築くまでに多くの時間がかかることはなかったはずです。韓半島が朝鮮戦争によって南北に分かれました。それにより、神様が準備された基盤を失い、再び新たに出発せざるを得ませんでした。釜山のボムネッコルから、お父様は再び出発されました。6回も牢獄暮らしをせざるを得なかったお父様の蕩減路程がありました。(2006.7.7.アルバニア、ティラナ)

神様の心情を慰労して勝利された文鮮明•韓鶴子総裁

人間は、神様を中心とした父母をもつべきでしたが、偽りの父母をもちました。偽りの父母がいる限り、人間を思いのままに主管することのできない、神様の切ない事情があったということを、統一教会員は「原理]を通して知っています。

数千年の歴史が流れてきましたが、神様の心がどれほど痛く切ないかを理解して慰労する人は、人類歴史上、一人もいませんでした。神様の摂理の中に多くの預言者が現れ、神様のみ旨に従うと言いましたが、その都度、結果は失敗に帰してきました。そのような立場から見ると、神様は言葉では言い表すことができないほどの痛みを心に感じていたことでしょう。彼らに一筋の希望をもたれましたが、彼らが成功できず、み旨の成就を後代に残して行かざるを得ない立場に立つたびに、神様は言語に絶する無念な心情を抱かれました。そのような神様の壮絶なる心情を、預言者たちも悟ることができませんでした。(2006.7.1、ヨルダン、アンマン)

キリスト教徒は「雲に乗って来られる主を迎えよう」と思って空ばかり眺めています。ところが皆さんは幸せなことに、真の父母様に出会いました。今日このように、真の父母様が世界的に名を轟かすようになるまで、どれほど大変であったか分かりません。監獄に6回も行かざるを得ず、死の峠を数えきれないほど乗り越えてきました。今まで人類歴史上、神様の事情と心情を誰よりも詳しく御存じであり、すべての蕩減を払ってでも、神様のみ旨を完璧に成し遂げてさしあげると宣布し、行動された方は、真の父母様だけです。(2006.8.9, ペルー、リマ)

荒野路程のようなどん底から始めざるを得なかったのが統一教会の歴史です。そのように、何も備わっていない困難な環境にもかかわらず、本格的に韓国を開発し、先進国の仲間入りをするようにされた方がお父様です。草創期には食口といえば、主に女性と中高生でした。その少数の群れがお父様のみ旨に従い、韓国を復興させるために先頭に立ちました。それがセマウム(新しい心)運動とセマウル(新しい村)運動です。「原理」のみ言を伝えながら、崩れた山川を復旧するために全力を尽くしました。今日、韓国が先進国の仲間入りをし、多くの商品を全世界に輸出していますが、その根底で基盤を築かれた方がお父様なのです。1950代や1960年代の韓国は、機械産業を起こすなどということは想像もできない時でした。何の基盤もなかったころです。お父様は、その時からすでに準備し、技術者を養成されました。ビジネスをする人はみな結果を願います。結局はお金を願うわけですが、お父様は代価を願うことなぐただただ摂理のみ旨のためにすべてを投入されたのです。(2006.7.21、エチオピア、アディスアベバ)

神様は、第二次世界大戦の直後に、再臨主が現れてみ旨を成し遂げ得る基盤をすべて築かれました。その時、韓国が神様の大いなるみ旨に従って、お父様をお迎えできる場を整えていたら、南と北に分かれることはなかったでしょう。人間が5パーセントの責任を果たせなかったことにより、困難な蕩減路程が始まったという事実を、「原理」のみ言を通してよく知っているでしょう。そのため、お父様は地獄のどん底から出発せざるを得なくなりました。それでも、歴史路程において多くの預言者や烈士が現れては去っていきましたが、当代にみ旨を成し遂げた人はお父様一人しかおられません。しかも、お父様が生前にみ旨をすべて成し遂げ、「神様王権即位式」と「天宙平和の王真の父母様天正宮博物館入宮・戴冠式」までなし得たということは、堕落した世界では想像もできないことです。(2006.6.20,タジキスタン、ドウシヤンべ)



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.04.11 23:13:02
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